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2022-01-29

会津大学大学院 入学試験メモ

会津大学院入試について情報ほとんどなかったので、第2回試験を受けたメモをいくつか残しておく

大学院進学フェアでも話題には上がるので、記事に残しても問題はない認識

合格

具体的な数字は分からないけど、毎年1,2人は落ちているっぽいので、98% ぐらい?

今年は受験者数が急増したけど、募集人数も増えていた

寝坊や辞退などでそもそも受験しなかった人が落ちている気がする、しらんけど

推薦書

1ヶ月以上はゆとりを持って依頼をする

具体的に何を書いたのか聞いたほうが良い

研究計画書面接試験で話に辻褄が合わないと気持ち悪いので)

研究計画書

まず「大学院で何をするのか(したいのか/させてくれるのか)」を指導教員議論したほうがいい

研究計画書に書いた内容について、割とガッツリ面接試験で聞かれる(後述)

指定されたフォーマットであれば1ページに収める必要はないらしいので、私は2枚書いた

TOEIC スコア

どれくらい重視されるのかまったく分からん

とりあえず進級できるスコア持っていれば大丈夫なんじゃないかと思ってる

受験票の写真

ヨークベニマル証明写真機で私服で撮った

スーツじゃなくてもいいらしい、しらんけど

入学検定料

振り込み金額指定すると、それに手数料が上乗せされたので、特に気にせず金額指定する

口座残高が併記されている取引レシートをそのまま貼り付けた

出願

募集要項に書いてあるのでよく読む よ~く読む

朱書を忘れない 念のために宛名も書いた

学生募集係の方が書類の不備をチェックしてくれる 感謝を忘れない

服装

大学院入試スーツ私服か」は毎年各所で話題になる

他大は スーツ:私服=9:1 のこともあるらしいけど、会津大は スーツ:私服=6:4 ぐらいだった

革靴で雪道は死ぬので、スーツ場合には靴に気をつける

スーツの人はスニーカーが多かった気がするけど

持ってきて研究室や待合室で履き替えるのも良いと思う

(待合室とは言っても研究棟の北/南ラウンジ

私は私服で行ったけど、何も言われなかった

集合時間試験

試験日の1週間ほど前に学生から連絡がくるので、受験票をもらう

だいたい、集合時間の15分後に試験開始らしい

時間差で集合させられているので、特に待たされることはない

プレゼン資料

「専攻する分野と研究計画に関連する専門知識について英語による5分程度の発表」と指定されてる

具体的にどんな発表をするのが正しいか全然からなかったけど、研究計画書に書いた内容を噛み砕いて説明した

普通プレゼン5分+質疑応答10分の計15分

オナーズプログラムプレゼン5分+質疑応答25分の計30分

プレゼン方法

印刷した資料を配ることもできるし、PCプロジェクタにつなげることもできる

機材トラブルで泣きたくなかったので、私はプレゼン資料印刷して配布した

面接官は2人なので、自分の分も含めて3部以上は持っていくとよい

私は保険のために10部も印刷した 相手のことを考えてカラーコピーのほうがいい

面接

いきなりプレゼンするのかなと思ったら、まず簡単自己紹介要求された

briefly のレベルが分からなかったので、名前所属と興味分野の話を30秒ぐらいで話した

もっと話しても良かった可能性ある

プレゼンしてください、と言われるのでプレゼンする

自分が用意した資料自分でもチラチラ読みながらしゃべった

プレゼン中は何もつっこまれなかった

プレゼンした内容についてガンガン質問される マジでガンガン質問される

「(資料に挿入した画像)についてもっと詳しく説明できるか?」

「なぜこれをやりたいのか?なぜやる必要があるのか?」

他の方法でもよくないか?」

「この研究が達成されるとどんな良いことがあるのか?」

いわゆる research purpose、research questions、gaps、contributions あたりの質問ほとんど

卒論をやっていない退学進学組は、ここを突かれるとヤバそうなので気をつける

研究の話が一段落して時間があまると、

「なぜ就職ではなく進学を選んだのか」

大学院卒業後は進学するか就職するか」

あたりの一般的質問をされた

私は早期卒業タイプB2)で受験したので

大学を1年間短縮するとデメリットもあるが、なぜ短縮するのか」

についても聞かれたけど、これが一番むずかしかった

本来大学には長く在学していたほうが勉強研究ができて良いので ...

コンピュータ理工学の基礎知識」はあまり質問されないと思う

数学物理コンピュータアーキテクチャあたりの話は一切しなかった

でもこれは専攻する分野によるのと、研究計画書に書いた内容が影響すると思う

終わり

面接が終わって部屋から出たら、そのまま帰宅してOK

合格発表まで首を洗って待つ

入試で気になることがあったら、学生募集係に質問するといいらしい。事務的な話以外でも答えてくれることがある。

大学院進学フェアには行ったほうがいい。いろいろ聞ける。躊躇せずにガンガン質問していい。(1年生でも4年生でもOK

できれば研究室の先輩からいろいろ聞いておいたほうがいい。私の情報含め、1人の先輩の情報を過信しないでほしい。

(有能な人は「雑談レベル」と言うし、無能な人は「マジで死ぬ」と言うので)

2021-07-27

anond:20210727211651

会津大学インテルの中興の祖が造ったというイメージ。それは、九工大ソフト関連を麻生太郎が造ったのと同等だがな。

2021-03-03

AI, VR, 仮想通貨, IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」

当時高校生だった私は3.11のその年に福島県大学(会津大学)に入学しました。あれから10年も経ってしまったので、私のごくプライベートなことについて書きます

あと、匿名性は低いです。匿名ダイアリーなのにごめんなさい。

3月11日

2011年3月11日に、私は茨城県博物館の中にいた。高校卒業式が終わって、車の免許を早々にとったらしい友人と二人、車で博物館にきていた。地震とき、私は吹き抜けの空間の中心にいて、長い振動の間、博物館全体のガラスは轟々と鳴り響いていて、「ああ、私は、今日が命日なのだなぁ」と人々の動揺の中、思った。

実際にはガラス耐震性能が高かったので、館内にはけがはいなかったようだった。

信号機の止まっている、徐々に昏れていく道を、車中でほとんど会話もなく急いで帰った。急いで帰ったけれど、通常の2倍以上もかかって家についた。

私は地震の直後、2ちゃんねるに張り付いていた。「福島原発やばいらしい」そんな書き込みを見て、いよいよ日本は終わったんだ、と私は思った。

私が高校生の頃、世界原発事故ドキュメンタリーが大好きだった。チェルノブイリスリーマイル島東海村。「原子力」という尋常ではないエネルギーが生身の社会に取り込まれて、人間の内側におとずれるということに私はなんとも言えないグロテスクさを感じて、親や友達気持ち悪がられながらも読んでいたのだった。

当時、特にJCOの臨界事故NHKドキュメンタリーは何度も読み返したものだった。事故が起きた時、「出奔した原子力」に対しての(政治的・肉体的・精神的)人間の無力さ、弱さのコントラストがあまりにもどぎつく、生々しく顕れていたからだった。

私は地震が起きて、一、二日後にはリビングこたつ占拠して、こたつのど真ん中にデスクトップPCを置いて、情報官気取りで気象シミュレーションをみたりしていた。そして、家族にも協力してもらい家中シャッターを閉めた。それくらい、当時私は怖かったのだと思う。

震災直後、福島県大学入学した

私は震災の年、福島県大学入学した。私の地元同級生にも福島県大学入学する予定だった子がいたが、辞退したらしかった。大学入学式は遅れて執り行われた。ガイガーカウンターを買った方がいいかな、とか、「あそこには近づかない方がいい」とまことしやかな噂を聞いては少し怖いな、という思いが常に頭にあった。

しかし、入学してみると、その話はなんとなくしてはいけない話に思えてきたのだった。それはその土地に長く住んでいて動くことができない人たちには、惨い話であるからである。私もいつの間にか、放射線の話はしてはいけない気がして、話題にするのをやめた。すると、怖いという感情もいつの間にか薄れていった。

しかし、時々、放射能汚染される夢を見ていた。これはつい福島県を離れる少し前まで見ていたのだった。

私の当時住んでいたアパートには窓の近くにベッドがあって、その窓の外には何年も取り込み忘れたバスマットが干してあった。私の覚えている夢では、実はそのバスマットは大気中のチリや雨に放射性物質たっぷりまれていて、そのバスマットの線量が高くて、実は私の身体が蝕まれていて……という夢であった。何年もそのバスマットを干しっぱなしにしてしまったのは、もしかしたら、そういうことに対する無意識的な恐れから触りたくなかったのかもしれない。

長年大学でくすぶっていた

私は、大学特にパッとした研究もできないでいるのに何年も何年も大学にいた。でもそれが良かったのかもしれない、と今では思う。福島県という土地に「土着」して、私なりの感覚放射能の感じ、特にその怖い感じの中に居たということが。

私はもともと怖い思想の持ち主だと思う。正しいと思ったら、それに突き進んでしまう。人の感情も、中学生くらいから読まないように生きてきてしまったため、無視する癖がついてしまっている。だから原子力という「科学技術コントロールから外れた状態」の中に当事者として生きた、というのは私が、私の歴史にとって重要ことなである。もちろん、日本にいたら誰だって当事者なのだが、私は福島県に住まわず当事者と思えるほど賢くない。

核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」= 「AI, VR, 仮想通貨, IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」

3.11から10年が経って、私は福島県から遠い場所に住んでいる。今は遠くから考えることしかできない。

最近原子力、ひいては(科学技術についての論考を読んでいる。1950年台、まだラジオな世の中で、近未来的なもの技術とか科学が大きな期待を背負っていて、すごくキラキラしていたであろう時代、人々は核の技術に対して、今でこそ信じがたいが「核兵器の利用は良くないが、核の平和的利用こそ人類幸福につながる」と本気で思っていたようなのだ。多分、今でいうところの、テレビCMIT系企業がたくさん広告を打っていて、IT企業に勤めていることが一種ステータス少女漫画に出てくる男性IT企業勤め!)になっていて、AIすごい!VRすごい!仮想通貨すごい!IoTすごい!みたいなイケイドンドンな感じだったのだろうと思う。そんな時代、「核兵器はまだ可愛いもので、核の平和利用こそ恐ろしい」と指摘した人、ハイデガーがいた。今でなら、「AI, VR, 仮想通貨,IoTで大量殺戮するのはまだ良いことで、それらの平和利用こそ恐ろしい」と言うのと同じことなである。今でなら炎上やむなし発言なのであるしかし、このアナロジーを単なる面白おかしアナロジーとしてだけで捉えていいか。彼は世の中の潮流とは全く違う発想を省察によってしたからこそ、核の平和利用危険性をかなり早く認識できた。

科学は考えない」

ハイデガーは「技術」について『放下』の中で、(科学技術に対して「その価値を認めつつ、それに対して否、と言う」 ―ーこの本のタイトルにもなっている、「放下」という態度が大事なのではないか、と言っているらしい。(まだ『放下』は直接読めていないので、「らしい」でごめんなさい。)

そして、彼は思考について、「計算する思考」と「省察する思考」とに分けて考えており、彼は「科学は考えない("Wissenschaft denkt nicht")」、科学計算する思考であって省察ではない=「考えていない」、というしかたで核の平和利用について否、と言ってみせた。

科学は考えない」

これは、理系立場仕事している者にとっては「耳が痛い」ことなのではないかしかし、耳が痛いからこそ考える価値があるのではないか

彼の言っていることを私は理解できる気がするのだ。科学進歩的に進んでいく。その「ひたむきに進んでいく」ということが「科学は考えない」と彼が言う理由なのではないかと私は思う。何か、ある方向に、引っ張られるように「進んでいく」。立ち止まる者は厄介者として排除される(Publish or Perish)。ハイデガー技術批判するだけではない。もちろん価値を認めつつ否定するという態度を彼は実践している。私も技術がなくなったら困る。方向音痴の私はGPSが無くなったら、地図が無くなってしまったら、とても狭い世界を生きることになってしまう。だから難しい、ある意味矛盾の中を生きなければならない。

私について

私は、実は博士過程を休学した。プライベートも荒れてしまったし、閉塞感でいやだったし、どうしても、論文が書けなかったのだ。

私は小さい頃から哲学が好きだったらしい。「最近哲学系の本を読んでいるよ」と昔の友人たちにいうと、みんな「よく哲学的な話してたもんね」と言ってくる。

でも、私が文系に進学しなかった理由が、「確かなものが何もないと怖い」という恐れからであったし、国語がとても成績が悪いし、理系ってなんかかっこいいとか思ってたのもあって、ずっと理系研究室で研究していて、哲学とか諸々の教養ほとんどないのだ。

哲学最近やってる」と言うと大半の人に苦い顔をされる感じがする。「中二病が抜け切っていないな、こいつ」と言いたげなそんな感じ(笑)。おそらくそれは哲学に「生産を止める」作用があるからなのではないだろうか。無意味で、ある意味破壊的な作用が。

以前、こんなことがあった。課外活動で何人かで集まってスマホアプリを作ろう、となったときに、誰かが「xxさん(有識者らしい)から教えてもらった方法で、xxという仕方でブレーンストーミングすると良いらしい」と言った。私は「なんでその方法でなければならないの?」と、ある意味チームの士気を下げるようなことを言ってしまったのだ。こういう「そもそも論」(哲学)というのは「生産を止めてしまう」。イヤな感じに水を差す。だからまれる。

しかし「生産を止める」という行為が実は重要なのではないか。世の中的に、「生産的=いいこと」という認識がある。生産を止め続けないことがそれほどいいことなのだろうか。これこそが、ハイデガー批判するところの「考えない」態度ではないか。「より幸せに、より便利に」を目指すために科学技術を信じて、生産生産生産、とひたむきに努力してきた末の原発事故ではないか

昔の時代原子力は「兵器として利用されることはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられていた。

今の時代も同様に、情報技術生命科学が「非倫理的に利用されるのはとてもよくないことであるが、平和的に利用するならむしろ幸福に導く」と信じられている。「再生可能エネルギーでなら、持続可能社会が実現できる」とも信じられている。

もし、「なぜ地震大国原発つくったらヤバイという今ではあたりまえの認識を持てず、当時誰も水を差す人がいなかったのだろう?」と考える人がいるならば、なぜ、現代においてもその人が水を差す人にならないのかが不思議なのである。だから、私はあえてこうして水を差す、ということをしてみたい。

ということで、私の全然論文を書けていない「生産しなかった」大学時代も、この哲学的態度の実践とみなしてこの文章を締めくくることにする。

 
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