2020-12-03

NIKECMで思い出した事がある

NIKECMを見て思い出した事がある。

それは学生時代に聞いた在日三世の子入学式での新入生代表挨拶だった。


動かしつづける。自分を。未来を。 The Future Isn’t Waiting. | Nike

https://youtu.be/G02u6sN_sRc


CMの内容は在日の子ハーフの子いじめ被害者の3人の少女たちが、サッカーを通して差別いじめといった日々の苦悩や葛藤と向き合い、自分生き方を選んでいく、というような内容だ。

このCMについてはSNS上で色々討論されているらしく、YouTube評価からも見て取れるように賛否両論である


自分特に問題を感じる事なく見ていたので、ここまで大きな話題になると思っておらず驚いている。それよりも、はじめに述べた学生時代に聞いた新入生代表挨拶の事を思い出していた。



自分は幼少の頃から在日と呼ばれる人たちが近かった。

まれたのは田舎に片足を突っ込んだような地方都市の外れ、治安もあまりよろしくない場所で娯楽なんてないような場所だった。

あるのはカルト区分されている宗教地方本部とされる教会、あとヤクザ事務所ラブホテルくらいだった。


そんな場所に住むのは訳アリの人間が多く、例にもれず我が家も絵に描いたような機能不全家族だった。

多重債務者でありながら定職につかず、家族暴力だけは振るう父親。何事においても被害者意識が高く、必要以上に他人に対して攻撃的すぎる母親

怒鳴り声が響かない日はまずなく、幼少時何度泣き叫んだだろう。物理的に命の危険を感じた事は多すぎて思い出せず、都市部であれば児相警察通報されていたのだろう。そんなレベルに酷かった。

だがそんな我が家日常が許される程に、また我が家と同じよう怒号や女の金切り声が響く家が集まっている場所だった。



隣家に住む老婆がいた。お孫さんが定期的に遊びに来ていて、周囲に同年代の仲がいい子がいなかった自分は一緒によく遊んでもらっていた。

簡単料理を教えてもらったり、花札や株札の遊び方を教えてもらった。その老婆の所に遊びに行くのが楽しみで、お孫さんは今週くるのかなぁなんて毎週楽しみにしていた。

そして老婆が施設に入る事になり退去した数年後、あの人は在日一世だからね、と両親がこぼしたのを覚えている。その発言意図は未だにわからないが、確かに彼女が教えてくれた料理韓国料理に近いものが多かったような気がする。

その老婆は通名を名乗っていた。両親から民族名を聞いたような記憶があるが覚えていない。



通っていた小学校の近くには朝鮮学校があり、三年生になるとそこの生徒と交流会のような物定期行事としてあった。それにあたり韓国という国が日本の近くにある事、そこに国籍を置く人々が通う学校が近くにあるという事、簡単にそれらを数か月にわたって学んだ。

学んだ内容については覚えてないのだが、チマチョゴリを着た彼女たちが(少年もいたのかもしれないが記憶にない。それほどまでにチマチョゴリを着た彼女らの印象が強すぎるのだ)日本生活している為、自国である韓国を知らない。だから韓国を知るために、そして韓国という国を忘れない為に専用の学校に通い、言語も含めて学んでいるのだと言っていたのを強烈に覚えている。

彼らの胸にはハングルで書かれたネームプレートがつけられていた。



そんな幼少時を送ったからか、韓国という国に嫌悪感を抱く事なく、自然と私は韓国という国、文化に興味を覚え英語とは別に韓国語を選択し、学ぶ事となった。進学先を決める強いファクターにもなった。

学ぶにあたりそこで出会った人達は全員が民族名を名乗っていた。ネームプレートハングルではなく我々が読めるように漢字だったけれど、漢字文字のそれをつけていた。



そして高校に進学し、例の新入生代表挨拶を聞く事となる。


私が進んだ高校は内部進学を選択できる高校だった。

中学からの内進生であった自分は、中学の頃から高校での授業を睨んだ進学コースにいた為、入学式特別感情を抱く事なくただの年間行事の一つとして参加していた。

国歌斉唱校歌斉唱、式辞、祝辞とつつがなく進んで新入生代表挨拶。去年も見た光景あくび交じりに見ていれば、壇上には知らない子が立っていた。

正直なところ、代表挨拶は内進生の子もっと言うと中学時代生徒会長あたりだろうと踏んでいたので外部入学生がするのが意外だったのだ。

「私には名前が二つあります

そう言って始められたそれは、彼女の生い立ち交じりの自己紹介だった。

在日三世である彼女民族名と通名を持っている事。日本で生まれた為母国とされる韓国を知らない事。そして中学までは通名生活をしていた事。

自分の正しい名は通名である、だが中学までは通名でいたためにそれを名乗る事ができず、また名乗らなかったが故に民族名を誰にも呼ばれる事がなかった事。


自分は何なのか、日本人ではないというが韓国語は離せないし韓国にいた記憶もない。日本で生まれ日本で育ち、日本語を第一言語として話している。だが国籍韓国籍で、知らない場所母国として両親からは語られる。

それに実感は伴わず、ただ強い疎外感だけが常につきまとうのだと語る彼女に、どれだけの苦悩があっただろう。言語韓国内の文化は学んでいたけれど、在日コリアンという問題を、更に在日三世と呼ばれる人たちが抱えている問題について無知だった自分は、彼女言葉に頭を殴られたかのような衝撃を受けた。


どのような過程があてその結論に至ったかは覚えていない。

ただ高校から民族名で通い、今日からその名と共に胸を張って生きていくのだと語っていたのは覚えている。

自分は『(通名)』ではない、『(民族名)』です。よかったら。『(民族名)ちゃん』と、呼んでください」

そう結んで壇上を降りた彼女の強い目を、意思希望に溢れた目を思い出す。


外部生には彼女と同じ選択をした三世の子が多くいた。聞けば民族名を名乗る為にこの学校を選んだ、というような子もいた。

そしてその全員が、壇上で生い立ちを語った彼女と同じ目をしていたのを覚えている。



CMの話に戻そう。

CMの中で女の子山本(YAMAMOTO)とプリントされているユニフォームの部分を、金(KIM)と黄色テープかなにかで修正したのを着て歩くシーンがある。

これは誰かによるいじめによってなのか、それとも彼女が己で修正した物なのかは不明だが、自分は「彼女修正した物なんだ」と受け取った。

チマチョゴリを着て怯えるように通学していた彼女は、きっと自分が何者なのかがわからなかったのだろう。だが、彼女民族名を名乗る事を選んだのだ、彼女彼女である為に。

CM意図としては、それはサッカー(=スポーツ)が切っ掛けなのだろう。そしてマイノリティとされ虐げられる人々が、ありのまま生きる事ができる未来を、進もうとする努力応援していますというメッセージと共に。



CM彼女年代在日4世だろうか、5世だろうか。

3世の時点で強かった国籍からくる自己への戸惑いは、更に強い物だろう。

その恐怖を想像するしかできないが、その世代の彼らが納得のできる選択ができる事を、自己に胸を張ることができる人生を送れる事を願ってやまない。

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