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2016-07-04

人と違う自分

まれから今まで,つまずいてばかりの人生でした.

つまずく度に立ち上がっては,なんとか取り繕ってきたのですが,それももう難しそうです.


思い返すと最初のつまずきは小学生の頃.

集団行動に慣れず,クラスに馴染めず,六年間いじめられていました.

そこで,地元中学には行くまいと,多感な時期のあらゆる全ての時間を「お勉強」に費やし,中学受験をし,そこそこの学校に受かることができました.

無論,そんな私が中学に入れば変われるはずもなく,それどころか中高と,より陰湿いじめあいました.

そこでも私は「お勉強」という道で,つまずいたところから立ち上がり,青春の全ての時間を費やし,そこそこ良い大学に入りました.

今思えば,人より時間があった分,少しだけ「お勉強」ができてしまったというのも,私の人生をこじらせている一因だと思います


大学に入ってから数年して,私は鬱病になりました.

大学での勉強はそれなりに楽しかったし,生活環境も不自由がありませんでした.

しかし,ここでもやはりつまずいた理由は,人間関係コミュニケーションにありました.

ここで人間不信になるような出来事に幾度か見舞われ,以降より一層,まともにコミュニケーションが取れなくなりました.

鬱になってから1年ほど,家に引きこもっていましたが,ここでもまた立ち上がって,自力鬱状態から回復しました.

改善が見られたのは,精神科に処方された薬をやめてからのことでした.)

それからしばらくして,今度は大学院受験するに至りました.




大学院に入ってからは,やはりそれなりに楽しく過ごし,一定の成果を残すこともできました.

しかし,今度は「就活」という高い壁が待ち受けていました.ここでももちろん全社全滅するわけですが...

私の中で理由は明らかでした.やはりコミュニケーションです.





「適切にコミュニケーションができない.」

特にこの一点で,私は世の中から必要とされず,消えたほうが良い人間です.



私のせいで,不快な思いをした人達も,言外にそう言っていました.

しかし,不快な思いをした人達,そうでない人達なかにも,家族など,私に今のままでいて良いんだよと言ってくれる人がいます

そのことが余計に辛くもあります


「お前はアスペルガーから」と親に笑って言われた時,表面上では冗談っぽく笑って返していたけれど,本当はすごくショックでした.

しかし,普通の人が普通にこなしていることが,こうも上手く行かないと,親に言われたことはある種事実だろうと思わざるを得ません.

普通の人と自分感覚がずれているせいで,普通の人の地雷を全力で踏み抜き,逆に普通の人は私の地雷やすやすと踏んで,何故そんなことで落ち込むのか,訳がわからないといった顔をして,,


今度はどうやって立ち上がるか..

2016-07-02

滅びるスタートアップ5つの特徴

投資家として、M&A担当者として、そして自身起業家として多くのスタートアップを今まで見てきた。

そのほとんどが上手くいか事業を畳むことになっている。

滅びゆくスタートアップ共通点アドバイスをお伝えしたい。

尚、順番に特に意味はない。

滅びゆくスタートアップ共通点
1. 必要とされないものを作っている

滅びるスタートアップほとんどがこれだ。

自分たちサービスは本当に必要とされているものなのか?

君たちのサービスがいきなり終了とするとして、泣いて悲しむユーザーがどれくらいいるのか?業務が回らなくなる企業がどれくらいいるのか?

サービスの種類にももちろんよるが、サービスローンチして半年以上経っているにも関わらずDAU100人以下のサービスは今すぐ畳んだほうが良い。

※但し、必要とはされていないが見せ方・売り方が上手な為に売上を上げ価値を高めているスタートアップもいる。

2. 市場規模が小さすぎる

そもそも狙っている市場の規模が小さすぎるスタートアップが多い。

これはシェアリングエコノミー系に多い。

Uberの◯◯版です、AirBnBの◯◯版ですとニッチを攻めるのは良いが、そもそも市場規模10億円以下であればトップシェアを取ってもロクな売上にならないのはわかるだろう。

またその手のニッチ層は今まで大手が攻めなかった市場だ。言い換えれば攻める価値がなかった市場なのだ

君たちは狙っている市場パンの耳程度の価値しか無いのだ。

3. チームが貧弱

経験上、失敗の1番の要因はマーケット選択だが、2番目はチームビルディングにある。

CEO特にスキルもなく、名ばかりのCTOWeb系の開発を1年2年やったことがある程度。

最初フェーズなのに何故かCFOもいたりもするチームもある。

なぜそのチームでその事業をやるのか説明できるだろうか?そのチームが最速でサービスを成長させることができるのだろうか?

経験不足の学生であれば開発マネジメント経験のあるエンジニアを雇おう。

エンジニア社長であればマーケターを雇おう。

4. イベントメディア露出自分たち評価だと考えている

スタートアップ勘違いさせるものイベントメディア露出だ。

マイクを持って意識高い系学生向けイベントで登壇するのは気持ちいかもしれない。

スタートアップ系のメディアに紹介され、Facebookでちやほやされるのは気持ちいかもしれない。

ただ、覚えておいてほしい。

それらを見ているのは顧客ではない。

広報採用ツールとして使うのは構わないが、それよりもサービスの質を良くし、営業を行うことに時間を使うことをお勧めする。

採用については媒体お金を払うほうが良い。

5. 勝手に売れると考えている

特にBtoBスタートアップに多い。

黙っていてもサービスは売れないよ。

Webで見つけて勝手契約してお金が入ってくる、そんなに甘くはない世界だ。

しっかりと営業員を確保する。できなければ代理店契約する。

特に大企業であればコネクションは必須だ。勝手ものは売れない。

オンラインだけでは無理だ。仕組みを作ろう。




他にも20個くらい要因はあるがそれはまた次回にお伝えしたい。

2016-06-30

メンヘラは、病気じゃないから薬じゃ治らない

xevra先生が、高齢メンヘラカップルブログに、薬が合ってないのか、とブコメされておられるが、

ブログを読む限り、主治医への相談必要で薬を変えなければいけないほどのうつ症状がある感じはしない(あのブログ精神リスカは通常営業だ)し、

そもそもパーソナリティ障害自体は、神経や脳器質などの生化学的なものというより、他人迷惑になるレベルで著しく性格が悪い人、というだけのことなので、

薬じゃあ治らないし、根気よくカウンセリングなどを続けたところで、あまり効果がない(何しろ著しく性格が悪い人を相手カウンセリングしなきゃいけないから)ことが多い。

パーソナリティ障害には多くの種類があるが、これは、様々なベクトル性格の悪さを、大まかにカテゴリー分けしているだけ、という側面もある。

実体験数が少なく、それに反して情報量が多い今時の若者には、多かれ少なかれパーソナリティ障害的な心の動きが見られる人もいて、それほど珍しいことでもない。

まだ若い人であれば、良い友達や良いパートナーときちんと付き合っていくことで、カウンセリング的な効果を得て、成長と共に

他人迷惑になるレベルで著しく性格が悪い人」から、「ちょっと個性的だけど面白い子だよ」ぐらいまで改善することも少なくない。

まぁ、当該の高齢メンヘラカップルは、もう既にどっちも高齢者で、今までの道のりで見つけられたであろう性格改善ヒントをすべてスルーしてきたという実績に加えて、

道端に落ちてたメンヘラを拾って隙間を埋めてみたけど合わなかったから捨てました、みたいな、

いい年した人間ならとっくに卒業したような(おまけにそれをSNS告白したり、サブイボ級のポエムタッチブログ公表したりの)破壊的な行動を繰り返している輩どもなので、

パーソナリティ障害に係る各種の「生きづらさ」の改善は、期待できないだろう。

「うつ」心の風邪から休養がいちばん、という例えに倣うなら(これは本当によくできている例えだと思う。複合原因または原因不明放置・反復が過ぎると死を招くところまで特徴をよく表してる)、

パーソナリティ障害は「子供の頃から生活習慣ですっかり太った精神デブ」みたいな感じだと思っている。これは自分勝手定義していることではあるが。

彼らのような、パーソナリティ障害に苦しんでいる人たちの持つ共通の原因は「肥大化した自意識」。他者存在を受け入れずに生きてきた結果「自」のフィールドけが肥大化している。心の内臓脂肪理由

これは、遺伝的な体質ももちろんあるけれど、どちらかと言うと、生育環境なども含む生活習慣由来の問題なので、投薬やおざなりカウンセリングなどでは、根本改善するのは難しい。

例えば、長年の運動不足肥満から糖尿を発症した人に対して、糖尿への投薬治療はできるけれど、運動不足由来の肥満を解消させて原因を改善させるのが本当に大変なのと同じような感じ。

そして「適度に食べ、適度に運動し、人生を楽しむ」習慣が身に付けば、収まってしまう(糖尿発症ちゃうと収まっちゃう簡単には言えないけど…)ようなものでもある。

パーソナリティ障害精神科受診すると抗うつ剤を処方されることがあるが、肥満理由の糖尿と、メンヘラ理由うつは、似ていると思う。

そして、肥大した自意識=過剰な内臓脂肪、と例えると、他者筋肉量、という感じである

上の方に記した「良い友達や良いパートナーときちんと付き合っていく」というのが、「適度に食べ、適度に運動し、人生を楽しむ」にあたる部分で、とても大切なことだったりする。

職業カウンセラーでは、そこまで対象者踏み込み、「適切な距離を取った他者」であり続けるのは、時間的にも精神的にも難しいのが現実

一方で、メンヘラではない多くの人は、自分の近くにいる人と適切にコミットしたいと願うのがふつうだ。その方が人生を楽しみやすいし人間関係安全性を確保しやすいから。

ましてや、近づいた意図友情恋愛などの「好意」に基づくものであれば、時間や労力を厭わずに、その相手との適切なコミュニケーションコミットメント方法模索しようと試みる。

メンヘラ傾向があったが色々あって落ち着いた人」というのは、このような友情愛情という機会を、きちんととらえることができた人。

若いうちのメンヘラは恋すれば治る、みたいな側面もあって、良い人と巡り合えば、ケロッと、それこそ憑き物が落ちたかのように普通になっていたりする。

一方で、当該の高齢メンヘラブログを読むと、今まで、改善可能性を感じる「他者」と向き合わうべきタイミングで常に逃避行動を取って生きてきたのだろうということが分かる。

な、著しく性格が悪いだろう。

ちなみに、他者と向き合わなくても、結婚だって離婚だって浮気だってセックスだって、するのは簡単。というか、むしろ他者ときちんと向き合わない方がどれも簡単だったりする。

相手のこと考えずにいる方が、照れや逡巡や羞恥心プライドなんかの、恋愛セックスにまつわる精神的なハードルは超えやすいから。

ただし、他者ときちんと向き合った付き合いの上で行う、結婚生活セックスは、向き合わないまま行う結婚セックスの何千倍も多幸感が強い。まぁ当然の話だが。

「彼ら・彼女ら」が、あれだけ行動的で、発信意欲が強くても、ちーとも幸せそうに見えないのは、これが理由

パズルの合わないパーツを、手前勝手に合わせようとして癇癪起こしてる子供と一緒。

他者と向き合わず精神的な成長を否定して、というのは、大昔は「ピーターパンシンドローム」なんつって流行ったんだ。

まぁあれはあれで、この文章と同様に偏狭な側面が強いものではあったが(なんで男性限定したんだろうなあれ、時代性だろうか)。

まぁ、そんな通俗心理本が出る程度には、一山幾らの、凡庸特に特徴も魅力もないような、特に珍しくもないような、ただの性格の悪さでしかないんだよな。

2016-06-29

ブサメンの女叩きって、ラッダイト運動でしょ

産業革命が起こったとき機械に職を奪われた職人達が、機械をぶっ壊す運動をやった。

これを世界史で習ったときは、「機械なんていくらでも作れるのに、なんで機械をぶっ壊すなんて安直方法とったんだ?」と不思議に思ったものだ。無駄な抵抗だろうって。

でも、当時としては機械って概念が真新しいから、とりあえず恐怖して叩いとけ!って感じだったんだろう。

これって、今のブサメンの女叩きと同じ理屈じゃないだろうか。

  

まり資本主義が窮まって、金で女がなびく時代になった。

これからドンドンと、金で女を手に入れる流れは加速するだろう。

底辺女を蹴落として美人美少女若さを金にかえる援助交際がやキャバクラが当たり前になり、パパ活や婚活過激化してるように。

底辺男を蹴落として、金持ちガンガン権力を手にしていく。

そういう流れで蹴落とされるブサメン叫びなんだろう、女叩きは。

決して報われないのになぜ?と思うかもしれないが、仕方ないんだろう。

  

これから産業革命よろしく、格差社会ガンガン進むだろう。

御伽ねこむと、51歳の漫画家結婚したのが「当たり前ジャン」というような。

勝ち組若い女を独占するのが当たり前の社会になるだろう。

貧乏人の男は住む世界隔離されるんだろう。

底辺ももちろんガンガン搾取される。

人間社会』といえるのは金持ちと運よく水揚げされた美女だけになるんだろう。

そういう社会への危機感が、女叩きになるのでは?と思った。

2016-06-26

3億円手に入ったけどとりあえず今まで通り働くことにしました

実はラッキーが重なって3億円くらい持っている。そしてまだ30代で子供もいない。

同じ境遇になったら、会社を辞めて何か面白い事始めたり、完全に気を抜いてだらだら旅をしたり、そういう生活チャレンジする人もたくさんいるんだろうし、客観的に見て恵まれた状況だとは思う。でも、そういう事をする気はない。なぜならそれが面白そうだと感じないから。

仕事が好きなわけじゃない。単なるサラリーマンだし。成り上がる!とか自己成長!とかそういう熱意を持ってるわけじゃない。社会人1年目とかは持ってたかもしれないけど忘れた。でもとりあえず仕事を辞める気はない。辞めたいかどうかで言ったら辞めてダラダラ家でニートしてたい。けど今まで通り働く。

なぜなら、それをやったら頭が停止して人間が腐って死んだも同然になってしまう気がするから

貴重な30代の時間が少しずつ減っていくのはなんとなくイヤだし、仕事にばかり時間をかけてプライベートな楽しさを見出してないのは、年を取ってから後悔しそうな気はする。資金も、若さも、健康もあったのに、なぜあの時にこれをやっておかなかった?人生は一度きりだとわかってるのか?と。

とりあえず今の仕事は勤務時間が長い。休日も少ない。子供はまだいないけど、子育てするには向いていない会社だと思う。子供が出来たらもっと勤務時間が短いところに転職するかもしれない。そのころは早くても30後半だけど。

金はあるんだからもっと適当な働き方ができるところに今すぐ転職する手ももちろんあるけど、それをしない。

なぜなら面倒くさいからだ。今の会社10年くらいで作ったポジション放棄してまたゼロから作り直すのが面倒くさい。だったら今のまま、それなりにやる気を出して、わりと成果を上げて、会社業績を上げるゲームをしていたほうがなんぼか人生面白い気がする。

仕事が好きなわけではない。やりたいことがないので、消去法で仕事してる感じ。もっとリア充的な趣味がたくさんあったら、仕事を辞めて旅行スポーツだと充実した時間を過ごせたのかもしれない。旅行スポーツも特段好きではない。通勤中にkindle漫画読んで、帰宅したら犬と遊んで料理して晩酌して、休日ゲームに出かけたり、近所にうまいものでも食いに行ったり、たまに特に行きたくはないところに連れ出されて半強制的に見分を広めさせられたりするくらいで、まあ十分だ。仕事辞めたら毎日酒飲んでゲームして寝るだけの社会ゴミみたいな生活を数十年送る事になる。自分性格ならそうなると確信する。でもそんな何もなしてない人生、年を取ってからの後悔はより深そうな気がする。

結局、それなりの充実感を得るために新しい事・不向きな事を開拓してまでってのが面倒だから現状維持を選んで仕事続けてるだけで、なんでお金あるのに働いてんの?の回答は無趣味で面倒くさがりだからですってことなんだよね。でもそれならせっかくだから仕事もう少しちゃんと力入れて成果出したほうが充実感を得るって目的に適ってるのかな。さて、明日仕事すっかな。

2016-06-24

おれはカクヨム落選した人間だ.。だが撤退はしない。

http://togetter.com/li/991000

このまとめを読んで思ったことをつらつら書こうか……と思って帰ってみたら大幅に補記されてる! でも全部読み通す気力はないので(ごめん!)、とある更新部分までを読んだ段階での、生煮えのおれなりの感慨を書く。


おれもカクヨム小説の大賞を狙って投稿した人間だ。ジャンルは「恋愛ラブコメ」だった。

おれは結果としてカスリもしなかったようだ。でもおれは大賞を取った作品に対して、是非はクリエイティヴな「批評」として論じたいが、読まれた功績は素直に認められる。負け惜しみとか妬みとか嫉みとか、そういうものはない。

何故なら、おれは全力を出し尽くしたからだ。おれの持てる全ての力を振り絞って、作品に対して集中して書き切ったからだ。

おれもウケを狙ってショートショートを書いてみたりしたよ。カクヨムではそういうのもウケるみたいだからな。でもボロクソに言われた。

言われたことももちろんショックだったんだけれど、おれがショックだったのはそういう批判ではなく(批判する権利は誰にでもある)、その批判に応えられなかったからだ。作品がその批判に対抗出来る力を持っていないと思ったからだ。安直動機で書いたことを見抜かれたからだ。

読者は貴重な時間を費やして読んでくれるんだ。批判もまた、その好意の裏返しだ。それに対してきちんと応えられないウケ狙いの安易作品を書くことがどれだけ下らないことか、その時良く分かったよ。

逆に言えば、批判否定されてもそれに応えられるだけのものとは、大賞の受賞を逃しても納得出来るだけの、自分は精一杯全てを出し尽くしたと言い切れるもののはずなんだ。おれは大賞を狙った十万字の小説に対してそれだけの情熱を注げた。それは断言出来る。

おれは読んでないからなんとも言えないが、イスカリオテ湯葉さんの作品もきっとそれだけのありったけの力を振り絞って書いた作品なんだろう。だからまれるだけの力があるんだろうな。それは結局実力の差、あるいは時の運、その他諸々が絡み合って出された当然の帰結なんだ。

おれは『カッコーの巣の上で』という映画が好きだ。あの映画で、閉鎖的な病院から抜け出すべく水飲み場の台を持ち上げて窓ガラスを壊そうとするマクマーフィという男が登場する。そいつは結局その水飲み場の台を持ちあげられない。でも、最後にひと言言うんだ。「でも努力はしたぜ/チャレンジした」と。

おれの今の心境も同じだよ。おれは努力した。全力を振り絞って書いた。なけなしの力を、これ以上ないというほど、血を吐くような思いで書き切った。だから落選したが、ボロクソにも言われたが、不思議と傷はついてない。むしろ爽やかな気分だよ。やり切った、って充実感/達成感がプライドとして守ってくれるからな。

おれは努力した。燃え尽きたよ。これからまた小説を書くのかどうかは分からないが、おれはカクヨムという場は好きだ。だから撤退はしない。


っていうことを書こうと思って(そういう部分だけ読んだんだよ!)家に帰ったら、なんか怒りをこじらせた挙句の果てにご覧の有様だよ! でもここまで考えたことをムダにはしたくないので、敢えて増田で書き捨てる。ごめんな!

2016-06-23

http://anond.hatelabo.jp/20160622195838

それで声オタやったことあるの?

声オタが声優に惹かれる理由は大雑把にいうと「親しみやすさ」で

それを構成する一番大きな要素は「トーク力(アドリブ力)」ないし「芸人力」

ラジオニコ生番組が声オタの基本だからそうなるわけよ

人気のアイドル声優はみんな強烈なキャラを持っていて、ウケてるのよ

若くてカワイイ顔の声優もどんどん増えてるけど、

そういう熟練したキャラ立ち一朝一夕に築けない

からカワイイ若手がまだ登ってきてないだけで、

アニメオタクがちょいブサを積極的に好んでる訳ではない

容姿がどうの、男がどうのと言って、三次アイドルみたいに

擬似恋愛して声優性的消費する人ももちろんいるけど

そういう人こそ少数派になっていくと思うね

そういう幼稚な精神性の人ほどストーカーとか問題行動起こすから

デジタルネイティブ世代が増えてくるほど叩かれて肩身が狭くなる

http://anond.hatelabo.jp/20160623015632

専業主婦が働いている旦那に「少しは手伝え」「もう少し手伝え」というのはアリな風潮だから、逆ももちろんアリだぞ?

2016-06-21

「私が選ぶおすすめ10冊!」みたいな記事で一番大事なことって

読んだ量ももちろん大事だけど、それよりも一番大事なのは選者の好みをどれだけ反映させられるかだよね。

この手の記事は浅いとか言われて批判されやすいけど、その理由は挙げてるのが無難定番ものが多いからなんだよね。

素をさらけ出してる感じがしないのが反感を買ってるんだと思う。

「この人の好みが出ているな」ってわかるセレクトにはそういう批判はあまりない。

しかしいざ選ぶとき、どうしても自らのセンスが問われるような趣味について書くときは人の目が気になるし、センスがいいと思われたいという欲求が出てくる。

その結果、他人から見たら無難おもしろみのないセレクトになるってのはありがち。

一番大事なのは、人からどう思われるかという色気を一切排除して自分の好みを前面に押し出すことなんだけど、これが難しい。

なまじその分野について詳しく知ってたりすると、どれが定番評価が高いかってのもわかっちゃうから、そっちに逃げたくなる。

から自分センスがどう思われるかということを考えずに、さら自分の好みをどれだけわかりやす他人に伝えられるか、という作業普通に難しい。

でも、せっかくブログという個人が発信する媒体で書くのなら、雑誌みたいな歴史評価考慮したセレクトにはせず、その人の趣味押し出しものが見たい。

名作を網羅した雑誌企画のようなセレクトは重みがあると考えがちだけど、別にそんなことはないし意外とみんなそういうセレクトは見飽きてるから自分の趣向を曝け出したほうが面白い需要あるよ。

2016-06-17

箸を魔改造した

一人ご飯を食べながらタブレットマンガを読んでいた時のこと。

食べ物の飛沫がつかないようにタブレットを遠ざけてあるのだが、いちいち手を伸ばすのが面倒くさいし、さらに箸を持ったままだとタブレットを汚してしまいそうで気になる。

そこで悪魔が囁いた。

「箸の後ろ側で操作すればいいんじゃね?」

早速検索するとタッチペン付きの菜箸はあるが普通の箸はなかった。

そりゃそうだ。我ながら非常識まりないことは承知している。

つぎに100均で見繕う。

鉛筆キャップも良さそうだがやや太い。

そこで見つけたのがボールペン一体型タッチペン

ボールペン部分を引き抜くと、長さも太さももちょうどいい部分だけが残った。

箸を削り太さを調整。

早速取り付けるとこれがヤバイものだという確信に変わる。

まず食べ物を口に運ぶ。

そうすると箸の後ろ側はちょうどタブレット側を向くことになる。

腕を少し伸ばし軽くタッチ

ページは造作もなくめくられた。

使い終わった箸は、先さえ洗えば清潔だ。

テレレレッテッテッテー♪

ぼっち飯の快適度が一つ上がった▼

マンガを読む速度が上がった▼

食事が少し楽しくなった▼

婚期が絶望的に遠ざかった

2016-06-15

生理痛やばいとき

生理痛って本格的になってから鎮痛剤飲んでもなかなか効かなくて、ただひたすら痛みに耐えるしかない時間があるんですけど、

最初はもちろん神に祈る。懺悔する。これはきっと罰なんだ、と思って「神様ごめんなさい、調子に乗っていました、ちゃんと学校行くし真面目に生きます、生かしてくれてありがとうございます」と延々と唱える。

次に自分の体に謝る。「ごめんね、毎日夜更かししてごめんね、ろくなもの食べてなくてごめんね、体冷やしてごめんね、いつもありがとう、」とお腹に手を置いて温める。

それでももちろん痛みがやばいので、ついに卵子が怒ってるのかも!とか考え始めて語りかける。「ごめんね、せっかく準備してくれたのに妊娠してやれなくてごめんなさい、いつかきっとするから、ごめんね許して、」

そうやって色々なもの懺悔をし、生まれてきたことに対する感謝必死に唱えているうちに気を失う。目が覚めたときには鎮痛剤が効いてましになっている。

今は低用量ピルを飲むようになって生理痛ほとんどなくなったけど、鎮痛剤もろくに飲めなかった高校生の頃はずっとこんな感じでした。保健室のベッドで汗をかいてのたうちまわりながら、痛みのあまり頭がおかしくなってた。

将来もし出産することになっても絶対無痛分娩をしようと決めてるけど、陣痛はあの時の生理痛よりも痛いのかな。その時私は、また何かに懺悔をするのかな。

2016-06-11

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしその2

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカル王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたく真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたく世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界ひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたく世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビ雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたく世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたく世界ひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたし村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想メールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたく世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたく世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるとき絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババア絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドル世界戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたく世界になってしま

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロ世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくそ美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメ世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナー世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのエンタメに取って代わるものではないし、

そもそもエンタメではないんじゃないかという疑念が拭いきれない

だいたい女ヲタ世界において、あの人どこにいったの?という話をすると、二次元だと聞くことが最近は多い

けれど、二次元絶対すぐ今の異常な熱は終わるんじゃないかと思っている

なぜなら今の二次元の盛り上がり方はグッズ収集だが、グッズの収集という盛り上がり方は、これ以上の発展があるんだろうかとハタから見ていて思うから

わたしは本当に理解できない、これだけお金をかけるくらいこのキャラが好きなんです!みたいな競争をするくらいだったらホストじゃだめなんだろうか、きっと何回か寝れる

若手俳優のおたくをやっていて同じことを何十回も言われるので、もちろんそれじゃだめなことはわたしもよくわかっているが、俳優と違って二次元キャラ特別扱いしてくれないし、そもそも概念でしかないので、非常に難しい盛り上がり方だと思っている

しかし、その一方でわたしみたいな変なタイプじゃない女子の欲求を満たしていることも理解している

みんなでこアニメならこのキャラが好き!みたいに推しを分けてみんなで朝から池袋やらスカイツリーやらTSUTAYAやらに並ぶのが楽しいんだろうなというのは知識としては知っている

団体行動好きの女子にはたまらない「みんなで一緒になにかをしている!」感なんだろうなと思う

だからかなり前の記事になるが日経MJとかはグッズ収集女子を特集する際にもっとそのへんに重きを置いて取材をするべきだったと思ったよ

そもそものそういった子たちの行動心理ってたぶんそこなんだから。

現地で交換したりとか、そういうのが楽しいんだと思うよ。

表面上はキャラへの愛でこんなことになっちゃうくらいこのキャラが好きなわたし!ということになっているが、実際半分くらいはグッズ収集に付随する様々なことを楽しむタイプの女子が大多数のはずだ、女の子は自分を思い込ませるのがうまい

でもそれはもはやアウトドア的な楽しみ方であって、エンターテイメントではない

水道橋に行けばいつでも誰かしら友達がいる!みたいなテニミュなどのアウトドア的側面がピックアップされた趣味だと思う

このままエンターテイメントはなにも新しいものが生まれることなく、これから冬の時代を迎えて、大勢がなにかに熱狂することがない時代になるのだろうか

わたしはそういった大盛り上がりジャンルに身を置いているタイプではなかったけれど、このままなんの盛り上がりもない状況というのはとても不安になる

そして、なによりエンタメを作ってきた側のひとたちが、この危機的状況に気づいているのかしらと非常に不安になる

おたくからするとこれは結構やばい状況である

わたしエンターテイメントがなかったらこの年まで生きてこれなかったかもしれない。

本当にどこかで尽きて死んでいたんじゃないかと思う

今の若い子達にわたしエンターテイメントに救われたようになにか別の救いがあるんだったらいいのかもしれないけれど

ストレス社会と呼ばれて久しい日本で、現実逃避ツール代表であるエンタメがしにそうだ

そして、みんな違ってみんないいという考えを浸透させたせいなのか、国民が多様化すると見せかけて、思考停止した人たちを量産しているだけな気がする

若い子たちと働いていて本当に思うのだけれど、「どうしてこうなんだろう」ということを考える力に欠けている子達が多すぎる

このままだと日本のエンタメどころか、日本自体がいつか沈没するんだろうなと思う

このままだと日本は確実にヤベエ

そんなもうすぐアラサーババアのつづった生産性のない、エンターテイメントがしぬかもしれないはなしでした。ちゃんちゃん

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(0) | 11:26

エンターテイメントがしぬかもしれないはなし

エンターテイメントが死ぬかもしれない話

⚫︎前提

・元々自分のfc2ブログからの転載です

・とにかく長い

・とにかく辛口

・怒らないでください

おたくも長く続けていくと色んなジャンルに友達が散らばり、色んなジャンルに対する浅い知識が増えていく。

なんとなく今どこのジャンルに活気があるのか、雰囲気でわかるようになる。それはツイッターがあるからだろうし、昔では考えられない量の情報を簡単に手にすることができるからだと思う

そんなわたしひとつの仮説としてわりと真面目に考え、色んな友人に話していることがある

それが「エンターテイメントが死ぬ話」である

自分の年齢をはっきりと明記するのがそろそろ嫌な年なので、ぼかした表現にするが、わたしゆとり世代であり、就職すればゲッという顔をされた平成生まれであり、ジャニーズで言えば八乙女世代、堀越で言っても八乙女三浦春馬世代、アミューズでいうところの三浦春馬戸谷公人水田航生あたりの世代のそろそろしっかりクソババア世代である

だから、エンターテイメントが死にかけているように感じるのは、わたしアンテナが腐って倒れそうになっているからなのかもしれないし、わたしの知らない世界で新しいエンターテイメントが誕生しているのかもしれない

けれど、わたしの目の届くところにあるエンターテイメントはみんな死にかけている

具体的にどういったことが言いたいかということをわたしが若手俳優のキチガイヲタになった2010年あたりを軸に色んなジャンルのことを考えていきたい

2010年、若手俳優の世界は非常に盛り上がっていたと思う。

テニミュファーストの最後のドリライがあった年だ。身内がDDでドリライに行っていたから知っている

その年のゴールデンウィークは、戸谷公人誕生日イベントがあり、新宿御苑サンモールではたしかDステが行われていたように思う

当時の身内に誘われて遊びに行くとサンモールにものすごい数のおたくがいた。

わたしはというとバースデーイベントチケットを両部合わせて5枚余らせていたので、その場にいた子達を誘ってみたが、Dステの千秋楽だから無理だと断られた

2010年はそんな年だ。

アミューズでいえば宝石シリーズ及び黒白シリーズが始まった年でもある。

赤坂ボーイズキャバレーに夏を費やしたおたくが何人いたことか。

特撮で言えば、丁度2009年平成ライダー10周年記念のデイケイドの放送年で、一区切りついたところで、今をときめく菅田将暉が初々しく日曜8時で戦っていた年だ。

とにかくお祭り騒ぎだった。どこの現場も非常に盛り上がり、頭のおかしおたくがたくさんいた

他のジャンルにも目を向けて行こうと思う

例えばお笑いでは10年連続で開催していたM−1が一度幕を下ろしたのも2010年のことであった。ずっと優勝できずにいた笑い飯がようやくM−1王者に輝いた年である

アイドルではAKB48の第二回総選挙が行われた年である。このあたりがわたしは国民的アイドルという視点でAKBを評価したときの最高潮に盛り上がりを迎えていた瞬間だと思っている

2010年は、エンターテイメントを時の流れで区分したときに大きな区切りとなる年であると考えている

では今度は2010年以前の10年くらいのことを考えてみたいと思う。

わたし小学校低学年の頃に一斉を風靡したSPEEDが電撃解散をして、その数年後に現れたのがモーニング娘。だった

しかし、ザ☆ピース以来、モーニング娘。は国民的アイドルというポジションを離れ、ハロープロジェクトというジャンルの中に入っていってしまった。

そしてそれ以来、AKBが大学の頃に国民的アイドルと呼ばれるようになるまで、特にアイドルらしいアイドルわたしの視界には入らなかった

むしろモーニング娘。のあとは、いわゆる巨乳グラドルが台頭してきた時代のように感じるが、残念ながらあんまりわたしグラドルに興味を持つ性別でも年頃でもなかったので、あまり記憶がない

小池栄子は気付いたら女優としてもタレントとしても非常に大成していたのでまじですごい巨乳お姉さんだと思っている)

中学校の頃(2000年代前半)は芸人の黄金時代だったように感じる(わたしは芸人のおたくをしていたことがないので実際にいつが黄金時代と定義されるのかはわからないのだけれど)

イメージとして、このあたりから盛り上がって2010年お笑いの盛り上がりのピークと捉えている

思えばわたしエンターテイメントに恵まれた世代だったと思う。

小学校のときには体育大会でモーニング娘。のザ☆ピースが流れ、組立体操をした。

高学年のときには笑う犬の冒険を熱心に見て、それがいつのまにか水10になり、中学校文化祭では先輩たちに目をつけられながらも、有志でゴリエミッキーを踊った

やんちゃな子たちはごくせんに憧れ、みんなで文化祭クラスの出し物でごくせんをやり、最後にはスマスマキムタクたちが踊り流行っていた恋のマイアヒエンディングで踊った。

週末をこえて学校に登校すれば、みんなエンタの神様の話をしていた。誰がおもしろい、誰のネタがどうだ、誰がかっこいい

ジャニーズも、いわゆる若手三組と呼ばれるNEWS、関ジャニ∞KAT-TUNが立て続けにデビューした頃で、みんな通学鞄に好きなジャニーズメンバーの名前をポスカで書いていた

(ここで一度力つきた)

エンターテイメントがしぬかもしれないはなしの続き。

前回は2000年2010年あたりのアイドルジャニーズお笑いジャンルでなにが起こっていたのかということをさらっと(わたしの十代の記憶と共に)振り返った

では現在虫の息である若手俳優の世界でなにが起こっていたのかということも一応書き記しておく

まさに2.5次元ミュージカルの王様(なぜ若手俳優の舞台はつまらなく、客席が埋まらないのかおたくが真剣に考えてみたブログ参照)であるテニミュが初めて上演されたのは2003年のことである

当時の話はパイセンたちからのお話でしか聞いたことがないけれど、はじめは客席が埋まらないのでキメ様のライブをおわりにやったりして、キメ様のおたくとかでがんばって埋めていたらしい

ちなみにみんな大好き氷帝学園、いまをときめく斎藤工が出演していた氷帝公演が行われたのは、2005年の話であるから、テニミュ(若手俳優)の世界も前述の通り、やっぱり2010年向かって右肩あがりの時代だったんだと思う

それでは今度こそ2010年以降、おたくの世界になにが起こってきたのかをふんわり考えてみようと思う

現状として、大きくふたつの問題がエンタメおたく界の中に発生している

ひとつは、村社会としてのおたく世界におけるおたく高齢化社会、ふたつめは、生産的おたくの少数化である

このふたつは繋がった大きなひとつの問題である

⚫︎「おたく高齢化社会」とは

その名の通り、おたく高齢化が進んでいるという話である

変な話だと思うかもしれない。今日本は国として、ずっと偏見を持たれて消極的に虐げられてきた「おたく」という異常な世界をひとつ国民性としてピックアップしていって、それを日本の特色としてビジネスにしようとしている

そして、おたくではない人たちがおたくの世界に土足で踏み込んできて、自分たちが興味を持った部分のみを取り上げて「これがおたくなんです!」とテレビや雑誌なんかで言っちゃってる

元々こういうサブカル推しの政策になるまでにおたくになっている人たち(わたし含め)は昔の閉鎖的なおたくの世界の中での「みんな違ってみんなとりあえずよし」というのに慣れているからあんまり気にしてないかもしれないけれど、

新規参入してきたおたくの人たちはひょっとしたら、マスコミたちが取り上げた「おたくの世界のひとつの側面」を見て、自分でなにか実体験として掴み取ることもせずにこれがおたくなんだとぼんやりと捉えているだけなんじゃないかとわたしは危惧している

おたくというのは長らく村社会である

村のコミュニティーの中に入れていようが、村八分されていようが、そこに存在する限り、とりあえず全員村民である

例外ももちろんあると思う。

例えばワンピースが好きだったとして、毎週ジャンプを買い、単行本を買い集め、アニメを視聴し、自分なりに設定についての考察を行う

これをネットなどに発表することなく、誰に見せることもなくひたすらノートに書き綴っていたら、自己完結しているので、他者から村民として認知されることはないと思う

けれど、この人が例えばホームページを立ち上げて自分なりの考察を世界に発表したら、例え誰かと交流を持たなくても、わたしは村民として世界に存在していることになると考えている

他のワンピースおたくは誰かしらそれを読むだろうし、感想をメールする人もいるかもしれないし、リンクフリーと書いてあったら、リンクページやブログにその考察サイトのURLを貼るかもしれない

かたや、HPを立ち上げたもののアクセスがなかったら、自らサーチに登録するかもしれない

こうして、村の中へと入っていくのである

村の中には色んな人がいる。

一流企業で働いているエリートもいれば、ニートに近いフリーターもいるし、学生もいれば、子持ち主婦もいる

けれど、暗黙の村の掟というものがおそらくどのジャンルおたくの世界にも存在して、もちろん可視化されたものではないので、最初はわからないのだけれど、どの村にも、RPGゲームで話しかけてくる村民みたいなやつがいて、

これはこうすればいいんだよ、これがどうなんだよ、とふんわりと村の掟を教えてくれていた

物事というものは、完全にゼロから創造されることはない

そこになにかが存在して、そして、基礎とされるルールが存在して、初めてそこからなにかが生み出される

ことにおたくという生き物は、おたくという側面においてイチからなにかを創造する生き物ではないと考える

何かが存在して、それになにかアレンジを加えて、別のなにかに変化させるのがおたくだと思う

なにが言いたいかというと、アイドルがいて、おたくがいる

漫画があって、おたくが読む、舞台が上演されて、おたくが観る

おたくというのは、創造されたなにかを完成させる上で不可欠な存在ではあるが、まずはじめは受け手

受け手として、その世界に存在するにあたって、どんな世界にもルールがある

けれど、情報化社会の中で、おたく世界の中の村という概念が何年も前から崩れている

これは、若い子に限ったことではない。

マスコミが取り上げたおたくの世界を見て、おもしろそう!と新規参入してきた年配おたくも同様である

そうすると、どういうことが起こるのかというと、新規参入おたくたちはSNSなどのツールばっかりは立派に持っているのだけれど、RPGゲームで話しかけてくれるおたくがいないものだから、

レベル上げの方法を知らずにずっとマサラタウンの横の草むらでコラッタキャタピーや同じようにそこに留まって地図を持たないおたく同士で、これがおたくなんだー!たのしー!となっている(もちろん例外もいる)(自ら見つけていけるんだから、わたしと違ってまじ天才的だと思っている)

村民おたくマサラタウンおたくとのおたくの分離化が進む中で、旧型のおたく高齢化が止まらない

⚫︎「生産的おたくの少数化」とは

どのジャンルにもいると思うのだけれど、ツイッターに常駐していて、キチガイを名乗っている若い自称おたくの子たちがわりと一定数いる

これは本当にかわいそうだ。

なぜならなんの生産性もないツイッターに常駐して時間を無駄に浪費しているということはおたくでもキチガイでもなんでもなくて、生産性の低いただのかまってちゃんだからだ

けれど、それでも時間が潰せるものだから、若い子たちはきっと常駐してしまうんだと思う

ツイッターがリアの頃に普及していなかった世代からすると、完全に異常なので、正直積極的にリプを飛ばして関わり合いになろうとは思わない(自分のことを棚に上げてこんなことを言っているがわたしも相当別のベクトルやばいヤツなので、関わり合いにならない方がいいと思う)

わたしが若い頃は、ツイッターがなかったので、ひまだったらもっぱらブログを更新するか、様々な匿名掲示板を眺めるか、仲間内でチャットメールをするか、などしか暇つぶしツールがなかったのだけれど、完全に村社会だったので、

なぜかそんなわたしを見ておもしろそうと思ってくれた色んなお姉さんが色んなことを教えてくれて、暇つぶしの中でも生産性のある暇つぶしツールを与えてくれたというか、

ジャンルおたくの先輩として、例えばこのライブはどのアーティストのどのライブの影響を受けているから、そっちも見ていた方がいいだとか、

この作品を見て、こういう感想を持つなら、きっとこの作家のこういった本が好きだろうから、読んでみたら?だとか様々なアドバイスをもらった結果、

10年以上かけて、こんな神の視点からブログを書くような高尚おたくに育ったのである

(十代の頃から3歳から10歳以上年上の友達とばかり遊んでいたので、地方の女子高生の身分で東京の女子大の講義にこっそり潜りこんだりしているような変な女子高生だった)

はっきり言って、おたくおたくとして存在している時点で9割は凡である

だから、自分でなにかを創造することはできないと思った方がいいし、レベル上げの最も簡単な近道は先人に教えを乞うことである

テニミュに関してだってそうである

素晴らしいことなのか、残念なことなのか、若い子たちはどう捉えるかわからないが、テニミュというコンテンツが好きでファーストから通っているおたくはたくさんいる

DVDで当時の公演を振り返ることは不可能ではないが、ネルケは財布をしめていくことを決して許さないので、きっと過去の公演のDVDまで買いあさるなんてなかなかできることではない(それに残念ながら逮捕者がでている公演のDVDは発禁になっている)

ひとりそういうババアおたくと仲良くなって、そういう話を教えてもらって、自分の中にインプットして、そこに自分なりの仮説と解釈を加えるだけで、高尚おたくになれるのに、

ツイッターを眺めていると結局同世代同士でつるんでいるのが多い気がする

その点において、タレコミとかで叩かれているような痛いおたくの子たちの方が結局現場で昔からいるババアたちと顔を合わせて、情報戦で勝てないババアたちといかにうまくやっていくかという課題と直面しているので、

よっぽど要領がいいというか、低姿勢で吸収力があるなあと個人的には思う(ババア側の人間)

⚫︎なぜ生産性の低いおたく多数派だとダメなのか

ここまで読んで、どうして生産性の低いおたくだとだめなんだ、ツイッターで同世代で楽しくつるんでなにがだめなんだ、痛いワタシみたいな高尚おたくになる必要性がどこにあるんだ、と思った人が多数だと思う

なぜダメなのか、

まずひとつめは、マサラタウンの草むらには何年もいられないということ

ふたつめは、マサラタウンの草むらにいただけではポケモンプレイしたとは言えない

ので、布教ができないということである

例え話だとぴんとこないかもしれないので、それぞれについて解説していく

まず、ファンではなくおたくとして存在する以上、ただ消費するのではなく、消化(昇華)できるおたくにならないと、自分でなにがおもしろくて今コレに時間とお金を費やしているのか、わからなくなるときが絶対くる

おたくを自称するくらい、何かが好きなのだから、どうして自分はそれが好きなのか、それにはどんな魅力があるのか、その魅力は他のものと比べてどう秀でているのか、せめてこれくらいは言語化できた方がいい

というか、これをきちんと言語化できる人は、ロジックツリーなんかに頼らなくてもたいていのことは物事の本質と原因を分析できる人になるから、生きていく上でもたぶん役に立つから便利だと思う

言語化するには、その世界を知る必要がある。

何年もおたくをやっているババアは絶対たいていは厄介なので、積極的に関わり合いになれとは言わない

けれど、ロム専だとしても(もはやロム専という言葉は死語かもしれない)(黙って眺めてヲチっているという意味だと思ってください)自分でなにか発信している人は見ていた方がいい

そこには自分と異なる考えがあるので、自分の考えと比較対照することができ、自分の考えがどういったものなのか、再検討することができ、より強固なものにすることができる

なんでそんな難しく考えなきゃいけないんだろう、ただの趣味なのにと思う人もいるんだろうなあと思う

けれど、よっぽどの天才ではない限り、エンタメを作る側もいきなり完璧なものを作り出すことはできない

特に制作側の人間はおたくが少数派なので、おたくの「これがこうだったらもっと好きになれるのに」ということをことごとく外すことにおいて、才能に溢れている

自分が何かを楽しみ続けるとなったとき、舞台だったらアンケートを書くなり、アイドルだったらツイッターで運営のエゴサにひっかかるようにあーだこーだ言うなり、直接現場で制作に話しかけるなりしないと、

自分の中で、あれ?と思ったもやもやは解消されない

そういうことをしないとエンタメ側もレベルアップしないんだと思う

だいたい、大きくなりすぎたエンタメが衰退する理由として、ひとつエンタメおもしろくなっていくということに関して現状のツールでは絶対に限界がくるときがあるということ、

そして、大きくなりすぎたエンタメは、ビジネス化されすぎていて、「こうなったらいいのにな」というおたくの考えの届かないことろへいってしまっていることがあげられるんじゃないかとわたしは思っている

おもしろエンタメがあると、どうしてもそこにお金が集まってしまうので、ビジネス化されてしまうのは、仕方のないことなんだと思う

けれど、今の日本においてそれが悲惨なのはたまたま様々なエンタメジャンルが同じようなタイミングでピークを迎えてしまい、エンタメ世界が、大爆撃でもあったのかという惨状になってしまっていることだ

しかもその間におたく側も情報化社会の中で変形していって、おもしろエンタメを育てていく体力のあるおたくが少数派になってしまった

アイドルの世界は戦国時代が終わって、きっとこれからあの2009年2010年ドラマに溢れたAKBのような盛り上がりを見せてくれるアイドルはもうしばらく現れない

仕事や現実に疲れたアイドルおたくを癒すために様々なハコやショッピングモールで特典券を武器に細々と生きていくアイドルたちとおたくの世界になってしまう

モーニング娘。ミスタームーンライト愛のビッグバンド以降ハロプロの世界に帰ってしまったように、元々アイドルおたくだったひとたちのためのエンタメとしてきっとこれからは存在していく

お笑いも今、バラエテイこそあるものの、若手が芸を披露する場がほとんどない

お笑いは漫才やコントをやって、初めてお笑いとして成立する

バラエテイでの面白さなんてその場にはまれば誰でもおもしろいので、お笑い芸人である必要性などなにもない

芸人はなんでもやって当たり前なんだから、それと比べて木村佳乃がなんでもやった方

おもしろいに決まっている

お笑いジャンルは今、現場難民(芸人側の) に溢れている結果、おもしろい漫才どころではないんじゃないかという印象だ

ジャニーズも、嵐の人気はおそらく今よりでることはないだろう

そんな中で、わたしたちの青春だった若手三組がそれこそ大爆撃を受けたみたいにメンバーが半分くらいに減っている中で、じゃあその下にくる平成ジャンプが元気なのかというと、最近伊野尾がようやくその美少年さを世間に認識され始めたが(といっても伊野尾わたしと同い年なのでもう少年ではない)

まだ平成ジャンプブレイクするという実感はない

セクゾもメンバーが増えたり減ったりするので、正直ジャニヲタあがったババアはついていけない。デビューしたユニットでそんなことありえます?よくわからない

じゃあウェストはというと、今の関ジャニくらいになれたらいいねーくらいの認識でしかない、わたしの中では

ファンのひとは怒るかもしれないけれど、こう見えて一応彼らがジュニア時代に松竹や梅芸でお仕事していたときにそれなりに見ていたので、ブチギレするのは超古参のお姉さんたちだけで勘弁してほしい

関西ジャニーズの抱える問題と可能性と闇については触れ出すと話が終わらなくなるので割愛

けれど、上記ジャニーズたちが決して売れないと言っているのではなく、現状の悲惨なエンタメ界を今すぐ引っ張っていく力があるかと考えたときに今すぐは無理だという話なので本当に怒らないでください

若手俳優の世界はおそらく痛みを伴う革命でも起きない限り、もう無理である

アミューズドリフェスとかやり始めちゃった時点で、あー事務所もそう思ってんのかなーとわたしはおもったぜ

大したビジネスでもなかったのに、いろんな大人がよってたかってダメにした感がある

たぶんこれからたくさんの失業者が発生するというか、まあ引退する子たちがどんどん増えていくと思う

まあ若手俳優はあんまり稼げるお仕事ではないので、その点においては大丈夫かなあと思っているけれど、元ジャニヲタとしてはジュニアが引退したのちに逮捕される流れにはうんざりなので、ちゃんとそれぞれに生きていく道があればいいなと思う

それがエンタメの世界だったらどんなにいいことかとは思うけれど、今若手俳優の世界にはそんなに飯のタネがないので、なにも言えない

結局、若手俳優のあとに台頭してきた読モジャンルも、KPOPも若手俳優よりも早くマイナーの世界へ帰っていってしまったので、

今どこでなにが元気で盛り上がっているのか、わたしの目には見つけられない

それがおそろしくて色んなおたくにこの話をして、今なにが盛り上がっているんだろうと聞いても、みんな首をかしげる。

広告で働いている男の子にもこの話をしてみたけれど、スポーツなんじゃない?と言われてしまった。

残念ながらわたしスポーツには一切興味がない。あとオリンピックに向けてスポーツが盛り上がるというのは、長らく当たり前のことなので、それはこれまでのPermalink | 記事への反応(1) | 11:25

2016-05-31

リフォーム業者営業が仕組みや値段について書くよ

最近読んだいくつかの業界小話増田が大変興味深いものでした。

私も弊社のリフォームについて紹介させていただきたいと思います

九州の小さい会社のやり方だから業界全てに当てはまるわけではありません。

改めて書くと非定型商材にはよくある話です。

しかリフォーム考える人はこういう裏事情も知って損じゃないと思います

どういう仕組みの業界か?

どういう値段の決め方をしてるのか?

乱文ではありますが、お付き合いいただければ幸いです。

atk

訪問契約率20%のブラック企業の真っ黒な営業手法を書いてみる

http://anond.hatelabo.jp/20160526110823

・なぜ家電量販店で凄まじく値引ける(ことがある)のか教えてやる

http://anond.hatelabo.jp/20160412234807 

(5/31 20:26 ブックマークありがとうございます

ブコメ拝読しまして、いくつか追記いたしました。)

(6/1 10:05 再追記

罪悪感があるので明記いたします。

弊社の見積手法は「悪徳」に近い、質の悪いものです。

それを踏まえてどのようなお店で働いてるか、本文に追記しました。

ブコメに指摘ある通り、現場知識管理手法を本当に身につけた営業

値引以外でお客様を納得させます職人からの信頼も厚い方がほとんどです。)

(そもそも匿名ブログですら度々追記するような営業って、不安になりませんか・・・?)

私の職場リフォーム屋です。

ハウスメーカーさんの子会社デパートリフォームコーナーではなく、

国道沿いにある「住まいトラブル」といった看板を掲げたお店で勤務しています

私は営業職をやっています

毎日お客様のお住まいを回り、無料見積や商談をさせていただいてます

住まいひとつひとつ違い、お客様は様々な不満を抱えています

同じマンションの同じ間取りであっても、家族構成が違うだけで、

住まいの傷み方もお客様のご要望ももちろん変わってきます

そこにあるものを直すので、同じやり方は通じません。

私たち営業プロとして、オーダーメイド解決方法提案しています

ご成約いただいた工事現場管理します。

やり直しやアフタートラブル解決も私の仕事です。

ゆりかごから墓場までといった感じです。

お客様にこういう説明をするととても安心していただきます

6/1追記:弊社について

職場の実情としては中途採用率が高く、定着率が低いです。

リフォームに用いられる施工知識は体系化が進んでいない分野ということもあり、

営業の多くは異業種やリフォーム経験入社しています


リフォーム業の仕組み

よく誤解されているのですが、リフォーム屋さんのお仕事

お客様住まい修繕工事をする仕事

ではありません。

修繕工事の手間を計算して、」

お客様と下請職人仲介する仕事

お客様と一緒に住設機器を選ぶ仕事

であるといっていいでしょう。

他所業界と同じですね。中抜きしてるんです。

では皆さんがリフォーム検討する場合職人に直接声をかければ安くなるのでしょうか。

かにその通りなのですが、職人に関する知識が無いと結構めんどくさいと思います

建築職人自身職能分野且つ指示された内容の工事しかしません。

大工さんがペンキを塗ったり、電気工事屋が水栓を取り替えたりすることはまずありません。

専門分野外ゆえの技術不足も理由ですが、それよりも

他人仕事(=専門)を奪わない」という前提ルール職人世界にあるためです。

例えば、水道職人トイレリフォームを直接お願いしたとします。

皆さんは、TOTOHPを見て既設トイレの型番を特定し、楽天リフォームトイレを買ったとしましょう。

ショップが親切でリフォーム用の配管アダプターもついてきました。

さて工事当日、水道屋さんがやることは、あくまトイレを外して、付けるだけです。

工事中に、新築当初から使われていた排水管に問題が判明したとしても、

職人は直しません。指示をされてない仕事勝手にやることはルール違反です。

また、床の痛みもクロスの黒ずみに気づいても教えてくれすらしません。彼らの専門外です。

まあ人が良い水道屋さんなら施主に教えてくれて、知り合いの大工さんを呼んでくれるかもしれません。

でもそれって、リフォーム屋さんとやってることは同じですよね。

そんなわけで、私たちのような仕事が生まれてきたわけです。

上に上げた簡単な例でも分かるように、トイレの交換一つにしても不確定要素は多いものです。

中々定型化できません。だから私たちが売るサービスは定価が存在しないものになってるわけですね。

私たち営業お客様最初お話することでもあります

「お住まいによって施工方法が変わるから正式見積書を作るまではっきりした値段は言えない」

ただし、会社としては宣伝をする以上「値段は要相談」とはいかないので、

トイレの交換技術料3万円!」「キッチンリフォームパック20万円!」

といったチラシが出るわけです。

まあ定価は無理でも参考価格くらいなら設定できる工事もあるのですが、大抵のチラシは客寄せのおとり価格じゃないでしょうか。

じゃあどうやって見積をしているのか

商品に関しては他の業種と同じです。

気になる工事費はご想像の通り、職人の日当に利益を載せているだけです。

弊社の場合一人親方職人とは「技術」ではなく「日当」単位取引しています

工事原価を人数や日数で掛け算して計算しています。楽です。

もちろんお客様に出す見積はお化粧します。「技術項目」にわけて書き直します。

施工価格
水道工事///
トイレ取り外し\15,000
トイレ取り付け\25,000
内装工事///
既存内装除去\10,000
内装下地処理\12,000
クロス貼り付け\20,000

技術項目ごとの値段はいつも適当です。

水道屋は2万円で頼めるからとりあえず4万円で売ろう、

 外すよりつけるほうが大変そうだから、取り付けを高くしよう。」

「あのお客さんはうるさそう。下地処理にお金をかけておけば納得するはず」

こんなものです。

実際に私の頭の中にある見積

業者原価売値
水道屋1人\20,000\40,000
内装屋1人\15,000\42,000

こんな具合です。人数や日数を工程に併せて勘定して、自分が欲しい利益を載せます

複雑な工事場合、不測の事態に備えたリスクマージンとして載せるときもあります

(追記:ブコメで指摘を頂きましたが、大規模リフォームや知らない工事についてはさすがに職人見積を詰めていきます。)

原価や売値はあくまで一例です。このトイレ内装工事は\82,000、

これにトイレ商品価格が加わります

この値段だと、工事に詳しくないお客様でも、さすがに違和感があるでしょう。

なので、商談の場では迷わずどんどん値引きをしていきます

私たちが商談する相手は、年配の専業主婦の奥様がほとんどです。

無料見積だとか、限定値引きだとか、とにかく弱いです。

10%も20%もその場で値引きをしたらさすがに怪しまれそうなものですが、

リフォームに関してはその心配がありません。

施工手順で値段が変わる、定価がない」からです。

事実なので、最初の値段が高くても疑われません。文句は言われますが。

無料見積!」をすれば、当然その手間をペイできる利益たっぷり載っているんですけどね。

私はお客様の娘さんと同じくらいの年頃なので、それも有利に働きます

結婚した娘と同じ年頃の営業が、私たちのために値引きしてくれている。そう思わせればしめたものです。

から私たち営業は心置きなくドンブリ勘定見積りを作成して、どんどん値引きします。

300万で売りたい工事見積もりを400万で作り、50万値引きして契約できるときもあります

(追記:ちなみに見積技術個別発注しようとするお客様(上の例を用いればトイレの取り付けだけ頼む人)には、

職人ルール他人仕事を奪わない」に反する旨を説明します。

施工範囲がはっきりしない工事は、修繕というよりも破壊に近くなるためです。

加えて、職人にも最低限の日当があることを説明し、

それでもご理解頂けなければ危険な客と判断してこちから手を引きます。)


皆さんがリフォーム見積をもらったときは、工期と人数について営業担当質問するといいでしょう。

だいたいの原価がそれで把握できます

キッチン改修の工事費が80万だと言われたとします。

大工水道屋、電気工事屋、内装屋で工期は5日間。代わる代わる毎日3人の職人が出入りすれば、合計15人分。

彼らの日当を2万円として計算すれば、30万円くらいが工事の原価になりそうです。

リフォーム屋さんが利益を取るのは当たり前ですが、もうちょっと安くなる気もするものです。

チラシや競合他社を例にだして、どんどん値引きしましょう。見積書の「技術項目」の揚げ足を取るのも良いと思います

粗利で30%ラインくらいが落としどころになるんじゃないでしょうか。

ただし、予期せぬトラブルが起きたとき責任を取ってくれなくなるかもしれないので、

調子にのって値切りすぎないようにしましょう。

自己中心的で品の無い仮定になりますが、会社サービスを潰してしまったら、

アフターケア裁判も難しくなります

活かしすぎず、殺さず、末長くお付き合いしたいものです。

以上。

一般的サービス業とあまり変わらないかもしれません。

特にIT関係の方からすると、似ているところもあるでしょう。

ポイントとしては

リフォーム屋は工事屋ではなく、仲介業者

工事内容の多様さと建築職人気質を利用して適当に値段を決めている。

・値引きの幅に騙されない

って感じですかね。

ここから長い追記です

(6/1 09:30 追記:

人工の例で出した日当2万円は一例です。地域職能に大きく左右されますし、

リフォーム屋と下請職人契約条件によっても異なります

期限までの工事完了に対して支払うこともあれば、本文の通り日当で支払うこともあります

資材を職人負担するケースもあります

常用・請負、などで検索すると私より分かりやす説明しているサイトがヒットすると思います

地域によっては他の形式での契約呼称があるかもしれません。)

(追記:リフォーム屋の言い値で契約=良い仕事をしてくれるとは限りません。

高すぎる利益はただリフォーム屋が喜ぶだけで、施工する職人の単価に影響するとは限らないからです。

逆に、値切すぎや急かしすぎは間違いなく悪影響を及ぼします。

日当が安い現場は早く終わらせて他の現場で巻き返す心理が働きます

そして、痛い目を見た元請け仕事に、職人は2度と近寄ってきません。

施主様と職人情報の非対称性を解消することこそ、私たち営業仕事なので、

適正価格見積に納得いただけなければ、それは私の力不足です。

ただ、「良い仕事をする」「他人の良い仕事を褒める」といった文化も、建築職人の間に存在します。

この「良い仕事」はお金動機付けされるわけではなく、お施主様の人柄であったり、

そのお住いを建てた当時の職人が残した「良い仕事」に影響しているようですね。

大工さんであれば、立派な木造建築の修繕には気合が入りますし、

水道屋さんであれば既設の無駄の無い配管に感銘を受けることもあるようです。

ですから、お互いが納得できる値段で契約して、出入りする職人さんときちんと接するのが、

一番「良い仕事」の恩恵を受けられると思いますお茶を出したりチップを渡す必要はありません。

彼らの仕事尊重して、侮蔑しないだけでも十分良いお施主様です。

工事間中、施主様と職人関係を崩さず、職人から「良い仕事」を引き出していくことこそ、

リフォーム屋の営業の「良い仕事」かもしれませんね。)

(そのくせ、職人は愛想が悪いじゃないか!と言う方もいますが、

元請けをすっ飛ばして施主と仲良くなるのはルール違反、という考えの方も多くいます

難しいものですね・・・)

(注釈:本文の趣旨とは外れます建築職人一人親方といった、

器用な技術不器用生き方をされている方々によって、

家が建てられて維持されています

どういう意味を見出すかは人それぞれだと思いますが、

少しの間だけでもその事実を頭に留めていただければ幸いです。)

長い追記ここまで


まらない結論になってしまいました。

おまけと言ってはなんですが、

営業視点でのリフォーム見積について、

ロールプレイ形式で書いてみたいと思います

例:キッチン工事見積

仮にA様宅のキッチン見積もりを頂いたとします。

ゴールデンウィーク明けの5月中旬頃、

A様宅は築35年の戸建住宅です。70代後半の奥様とご主人の二人暮らしです。

お約束いただいた時間訪問し、名刺交換簡単自己紹介します。

電話で話したときの印象どおり、とてもにこやかなご夫妻です。

背筋は伸びていて、肌艶も良く、見るから上品です。

奥様が私を見て、東京に嫁いだ娘と同じ年頃だとおっしゃっていました。

結婚はしているか?何歳なのか?どこ出身なのか?

雑談は親近感を上げるために重要ですが、この年代の奥様が結婚の話をするととてもめんどくさいです。

ほどほどに切り上げます。さっそくキッチンを見せていただきます

玄関から入って廊下のつきあたりがダイニングルームです。

広さは8畳ほど。出入り口引き戸。段差があります

勝手口が無いので、搬入搬出は玄関になりそうです。

内装仕上げは化粧合板の壁に、ビニールフロアの床です。

キッチンの間口は2550mmサイズタカラスタンダード製です。キッチンに面した壁はタイルです。

使い込まれはいますが、経年劣化以上の汚れはありません。

奥様が日ごろから注意深く掃除していることがよくわかります

部屋とキッチンの採寸をしていきますガスコンロや水栓の立ち上がりの位置確認します。

奥様にキッチンの不満点や要望を伺っていきます

ステンレストップそのままでスライド収納絶対条件のようです。

食器洗い洗浄機IHコンロも興味があるとのこと。

併せて、内装クロスフローリングに変えたいようです。

奥様が饒舌な一方でご主人は寡黙です。カタログの値段を眼で追って表情がこわばっていきます

ご主人が私に質問します。

「チラシのキッチン内装工事費込み40万円は本当か?」

チラシ価格説明は、営業にとって憂鬱な瞬間です。

「チラシはあくまで参考価格です。お住まいによって施工にかかる費用全然違うんです。

A様の場合、40万じゃ厳しいです。」

私はA様にチラシとの違いを説明します。

チラシ商品は最低ランクのものであり、奥様のご要望に沿いません。

また、チラシのキッチンは6畳、壁はクロス仕上げで、ガスコンロ場合を想定しています

広さはもちろん、壁の下地処理やIH用の電気工事が加われば値段は当然跳ね上がります

奥様も顔色が曇りました。工事価格の変化は想像していなかったようです。

「具体的な工事価格をこの場で明言するととはできかねますが、

 ご納得いただくために複数プラン提案させていただくつもりです。もちろん見積無料です。」

「ですから、良ければ商品について、もう少しご要望をお聞かせいただけますか?」

見積無料だと再認識して Permalink | 記事への反応(4) | 15:01

2016-05-28

好きな妻とセックスレス理由

嫁とセックスレスになってそろそろ1年。

お互い、仕事が忙しくてそんな雰囲気ではなかったことも理由の一つだろう。

でも、そもそもなぜそんな気にならないのか、今日シャワーを浴びていてやっと気がついた。

すごくアソコが臭うのだ。

妻は仕事から帰ってきてもシャワーが面倒なので浴びずに寝る…。

まぁ、シャワー浴びずにすることももちろん昔はあったよ。

そういうのも嫌いではない。

でも、さすがに毎日続くとキツいものがある。

風呂入ったら?と言うと、んー。明日、朝入るー。と返ってくる。

そういえば、これを書きながら思い返してみても、夜に風呂入ってる記憶がない。

妻よ、頼むからたまには夜に風呂に入ってくれ。

仕事がとても忙しいのもわかる。

風呂が面倒なのも理解できる。

酔ったら風呂に入るのは更に面倒なことも理解できる。お酒はおれも大好きだ。

でも、アソコが臭いとそんな気にならないのだ。

このまま、妻が風呂に入らずセックスレスが続くのか…。と思うと辛くなってきた。

そして、今度は隣にいる妻の息が酒臭くて辛くなってきた…。

2016-05-25

http://anond.hatelabo.jp/20160521234423

というかですね、そもそもVをロジックの中にベタ書きしちゃうの嫌なんですよね。

MVCモデルというのは、オブジェクト指向の発想。

DOMというのは、そもそもDocumentObjectModelでオブジェクト指向

JQueryはそのVを関数型的に扱おうとした拡張

Reactは、これらすべてを一旦ご破産にした。

MVCのVだ、と公式サイト説明されているが、これは半ば皮肉であって、本当はVは存在しない。Cももちろん存在しない。M、モデルロジックしか存在しない。モデル一元論、それがReact。

VであるDOM消滅し、JavaScriptの `x` や `a` などその他の変数と同列のファーストクラス仮想DOMとしてしか存在していない。

まり仮想Vは、M(モデル)内で関数型の文脈自由自在演算できるわけ。

コード最後マウントしておけば、仮想Vは自動的に、実VのDOMとして描画される。

M=ロジックの外に、あらかじめわざわざ決め打ちしたVを用意するよりも、M=ロジックに一元化するほうが賢い。それがReactであり、JSX

相手に対して興味を持ってみようというアドバイス

 かなり古い増田レスする。

 元増田です。あんど、かなり私見に満ちたレスになるのでそこは最初申し訳ないと言っておきます

ところで本題とは離れるが、「興味を持て」というアドバイス。これ、小さい頃から折に触れて言われるけども。

「あたかも興味を持っているが如く、よく観察して知ろうとせよ」なら、素直にハイ分かりましたって言える。

しかし、「興味を持て」となるとなかなか難しい。好きでもないものを好きになろうとするって、どうやるのか。

 「他人に興味を持て」っていうのと「好きになれ」ってのは別のことだよ。

 最終的に結果として好きになるってことはあるし、そうなると情報収集がはかどるってのは事実なんだけど、好きになる必要はない。むしろ、好きになろうとすれば面倒くさい(よって嫌気がさす)ので、好きになろうとしないほうが結果はうまくいく。

 「他人に興味を持て」ってのは「好きになれ」という意味であるという前提で増田は悩んでるみたいだけど、「興味を持て」は、文字通り「興味を持て」でそれだけの意味なんだ。好悪とは関係ない。感情というよりも、実は、かなり技術問題だ。今回はその技術を私見べったりで説明してみたいと思う。

 まず、一番最初にチェックすべきなのは自分の心身の健康だ。興味を持つってのはエネルギーを使うので、新進が健康じゃないと実行できないし、途中で疲れる。健康大事だ。健康的でそこそこ余裕のある生活を送るべきなんだけど、それはほかにもたくさん記事があると思うので、そっちに譲る。いえるのは、週一くらいで目的もなく散歩だの自転車お出かけだのできる程度は、キープすべきだと思う。

 次にマインドセットだ。

 相手人格とか性格とか個人に興味なんて持たなくていい。それは価値が低いし応用範囲も狭い。そもそも、好きな相手だったら、ノウハウも何も必要なく、魂の命じるままに相手に詳しくなっていくでしょう? 「興味を持とう」ってのは相手物事に関心が無い場合か、どちらかといえば嫌いや苦手なものばかりな時に使う技術だ。にもかかわらず、行為を出発点にするなら、増田はまっているワナ同様身動きできなくなるだけだ。

 重ねて言うけれど、相手人格性格入り口として不適当だ。同様の理由として、相手趣味や、好きな芸能番組や、そういうのも、全部不適当だ。

 じゃあどういう風にすればいいのか? ってことだけど、別の切り口から興味を持つべきだ。「やっている仕事学問でもいい)」「出身地」「家族構成」だ。この三つは汎用性があって、興味をもてるし、広がりがある。

 まずは相手仕事を知ってみよう。

 この切り口の素晴らしいところは、相手人格と(とりあえずは)切り離されているという点だ。最初のとっかかりとしてはフラットともいえる。

 たとえば「Aさんが嫌い。だけど(社会生活人間関係を考えると)興味を持ってみるべきだとおもう」という状況で、「Aさんは布団の販売員」だったとして「布団の販売員は嫌い!」とは、普通ならない。たとえAさんが嫌いでも、全国の布団の販売員全員が嫌いなんてことは、ふつうないだろう。

 布団の販売員という仕事にはそれなりに興味深い部分や面白いところは見つけられるはずだ。自分のやってる仕事と全く重ならない新しい発見かもしれないし、業界や業種を超えて似たような苦労をするという教官かもしれないけれど、ちゃんと話を聞けば布団の販売員面白い

 どんな仕事でも、この世に存在するってことは、それなりの需要があって、そこに人間を配置する意味がある。ベルトコンベアの上で倒れたドモホルンリンクルを治す工場だって意味があるし、聞いてみれば、それなりのエピソードがあるはずだ。自分の知らない仕事の話は、たいてい楽しいし興味深い。もちろん全部が全部楽しいわけじゃないけれど、どこかしら、小さな部分であれ、興味が持てる部分がある(ないとしたら掘り下げが甘いとこの段階では思っておこう)。

 似たような発想で「出身地」もある。例えば増田東京まれ東京育ちだとして、新潟出身の人の地元話は、知らないことや知ってることがあるだろう。給食修学旅行の先が全く別かもしれないし、田舎暮らしという面白い経験を持ってるかもしれない。

 家族構成もそうだ。兄弟姉妹の有無や、祖父祖母との同居など、誰もが抱えつつもバリエーションがあって、新しい発見があるというポイント重要だ。

 Aさんが嫌いだとしても「行き遅れの妹が家でニートしてる人全員キライ」とは、ふつうならない。その部分に興味を持つことはできるはずだ。

 一方で「趣味の話」や「コレクションの話」なんてものは、一般にはお勧め話題のように思われているが、実は相手に興味を持とうという段階では役に立たない。語ってるほうは気持ちいかもしれないが、こちらはそもそもAさんに興味がないわけで、そこで趣味の話をされても、よほど話し上手でもなければ楽しめない。自分がその趣味の知識がなくてもつまらないし、たとえ知識があったとしてもわかってるうんちく語りなんて楽しいものじゃない。必要なのは理解は十分にできるが実地の部分は知らない好奇心を持てる話題なのだ。なので、お勧めは「やっている仕事」「出身地」「家族構成」だ。誰でもその三つは持ってるし、話を聞いてる最中自分の似た経験比較して考えたり質問したりできる。

 一般的仕事人間関係や、学生サークル関係、ご近所づきあいなどにおいて「相手に興味をもってよく見てみろよ」なんていうアドバイスの射程距離は、上記のレベル好奇心や興味で十分だ。個人にたいする好き嫌いなんて関係ない。完全に社交技術とかマインドセット問題で、やり方わかってれば確実にできる。

 でもその先にももちろん道は続いている。

 たとえば「いまいちいけ好かないAさん」がいたとしても「新潟出身の話をしてるAさん」や「布団販売員の話をしてるAさん」は、さほど嫌いにならないで済むかもしれない。

 興味を持てるとっかかりが入手できれば、新しいAさん像にたどり着けるかもしれないのだ。

 これは重要な点だ。そもそも、人間、ない面でも外面でもそんな一枚岩でぶれない存在じゃない。挨拶するたびに中身が入れ替わるけど顔が同じだから同一人物判定してる程度の、もやもやあいまい存在だ。Aさんは嫌いだとしても、その一部分くらいは好きになれる。嫌いなAさんっていうのは、「まだ接点をうまく探せていない」だけだ。嫌ってるAさんは、Aさんの一部でしかない。

 もちろん、だからって、好きになる必要なんて1mmもない。

 Aさんが自慢たらたらでおっぱいをじろじろ見てくる髪の毛の薄いハゲであるってのも、それはそれで事実であるかもしれないからだ(架空の人物に対してひどいなすみません)。

 でも、だからといって、その理由で「Aさんのすべてが完全に興味の持てない最悪の屑である保証はない、むしろ、どこかしらは面白い何かも含んでるんだろうな――って思ってたほうが、精神衛生上もいいし、話しかけるときストレスも下がって得だ。「得だからやる」程度でいいんだ。好きにならなきゃいけないとか、いい子でいなきゃいけないとか、誠実でなきゃいけないとか、そんなの後回しでいい。最初技術オンリー人間理解でかまわない。

 好きになるとか友人になるとか、この段階から見れば、まだまだずーっと先の話でいい。

 まとめ

・興味を持つと好きになるは違う

・好きにならないまま損得で興味を持ってよいしそのほうがいい

仕事出身地家族構成世代あたりを切り口に相手の部分部分に興味を持てばよい

・全体としては嫌いでも一向にかまわない

・部分部分で自分コミットできる部分を探す

以上です。

この記事に対するレスですよ↓

http://anond.hatelabo.jp/20160405233848

2016-05-23

別に見返りを求めてたわけではないけど、いいかげん見返りも欲しいよ問題

から特撮ヒーローとか好きだったからか、わりと人のためとか、自己犠牲とか、そういうものがいいものだっていう認識はあった気がする。でもそれが最近もうやってられなくなった。

私は目の前にいる人を思いやろうとか、楽しい時間を過ごそうとか、有意義時間を過ごそうとか、誰にでも思うタイプだった。飲み会なら積極的に盛り上げるし、仕事なら自分相手とで最大限の成果が出せるよう努力するし、泣いている人がいたら一緒に泣きさえする。その人のためになると思ったら時間金も使えるだけ使う。でもそれは自分のしたことが相手のためになって、それで相手が喜んでくれると思ってたからそうしていた。見返りを本当に全く求めていなかったかと言えば嘘になるが、相手のことを優先して考えていたし、それでも独りよがりにならないよう相手との確認は怠らなかったし、相手感謝の念すら抱かないくらい水面下で事を完了させることもあった。とにかく人のために何かをすることに迷いがなかった。というかそうありたかった。その理由は前述の通りヒーロー正義感にあこがれていたからで、それがかっこいいと思っていたから。そのナルシズムが気持ち悪いと指摘されたら返す言葉もないけれど、そんな自分へのネガティブイメージすらどうでもよかった。

でも最近ひどくやりきれなさを感じる。上記の考えがまとまったのは大学に入るあたりなんだけど、それ以来なんだかあんまりいいことが無いのだ。大学で好きになった同期の女性がいたのだが、傍から見れば仲良くやれていたと思う。でもなんだかよくわからない理由でいきなり会うことを拒絶された。こう書くと鈍感なやつみたいだが、思い当たる節は全くない。彼女のことを精一杯考えて、彼女現在や近い将来がどうやったら楽しくて幸せものになるかを考えては実行していた。それがあまり唐突に、一方的な形で拒絶された。意味が分からなかった。

その後母がガンになった。女性特有のガンで、発見が早かったから完治するレベルのものではあった。でも母の中では死につながる病とこれから一生付き合わなければならないことがショックだったのか、いきなり人生への後悔を吐露された。曰く「人生がつまらなかった」と。どうやら、当時の女性としては恵まれ学歴を持ちながら折悪く就職ができず、結婚して専業主婦になったものの何も成し遂げられなかったことを後悔していたらしい。私はそれまで自分人生がそれなりに楽しいものだと思っていて、それはすべて育ててくれた母のおかげだと思っていた。浪人はしたものの有名な大学にも入り、私は母の作品ひとつとして完成されたような気になっていて、母もそれにいくらか満足してくれていると思っていた。それが母は人生に後悔していたと聞いてショックだった。自分より30年以上長い母の人生をこれから幸福ものにすることができないのではないか、そんなことを考え、つらかった。

そんな折に別の女性出会う。年上で、でもどこか抜けたところがあって、それでも夢に向かって頑張ろうとしている女性だった。まあ好きになって、これまた彼女応援しようと色々やった。結果的にすごく彼女は喜んでいて、「今までの人生で一番うれしい」とまで言ってくれた。母の件で落ち込んでいた私にとってすごく励みになったし、彼女も私にある程度の好意はあるものと思っていた。だがいざ付き合ってほしいと告げたところ、「年下は嫌だ」という身も蓋もない理由で断られてしまった。ひょっとすると体よく振られただけなのかもしれない。ただこれまでやってきたことを踏まえて、もう少しちゃんとした振り方をしてくれてもよかったんじゃないのかと思う。

色々うまくいかない、ならば学問だ!とばかりに大学での研究に打ち込もうとした。専攻分野を学ぶのは大好きだったので、できれば修士課程もっといけるなら海外大学院にすら行きたいと思っていた。しか研究テーマに行き詰まり指導教官相談に行ったところ、教官は私が自分で考えようとしていないと感じたらしく、人格否定言葉を混ぜつつ説教してきた。以来教官との仲が険悪になり、学問への興味も失せてしまった。彼のことは非常に尊敬していたし、研究室の仲間たちとも、互いの勉強がうまくいくようにと様々なことに気を払ってきた。それなのにたった一度のことで人格否定されてはたまったものではない。そんな感じで納得のいかないまま就活などしてしまったものから、これまたノイローゼっぽくなるわで大変だった。

就職してからの一件では、一緒に将来の夢を語り合った同期があっさり退職してしまった。互いの家で夜中まで語り合い、彼とならおもしろ仕事ができるのではないかという期待があった。彼と私の目標は違ったものの、彼の目指す分野について勉強して自分がどうかかわっていけるか考え、伝えてきた。少なくともこちらは励まし合いながら互いを高め合える存在だと思っていた。でも彼と職場の色が合わなかったらしく、あるときあっさり退職してしまった。私には別れの言葉ひとつもなかった。

繰り返しになるが、常に下心ありきで動いてきたわけではない。自分のできることで、相手幸福につながると思われるものをひたすら選択してきたのだ。だからその結果に関しても不満はないと私の理性は言っている。でも、そろそろ何かあってもいいことがあってもいいんじゃないか。ほら、『嫌われる勇気』でも報われたいとか思わず相手のためになると思うことをやり続けろって書いてなかったか自分ではもう、そっくりそのまま生きてるつもりなんだよ。その本を読む前から。それは自分幸福に生きるためであって、それで誰かが何かをしてくれるわけではないってことは頭ではもちろん理解しているつもりだ。でも、もうそろそろ何かいいことあってもいいんじゃないか。頑張ってきたことがそろそろ報われてもいいんじゃないか。最近疲れているのか、そんなことばかり思う。

あと、特に女性なのだが、私に向かって「君は大丈夫だよ」「きっといいことあるよ」とみんな言うのだ。でもこの頃大丈夫だった時期はないし、いいこともここ数年あった気がしない。女性と付き合えなくてもそれまでに過ごした時間は楽しかったのは間違いはないが、でもそこがゴールじゃないだろう。などと、最近好きになった女性に上記の2つを言われたうえ、結局うまくいかない気がして不安になって長々と書いてしまった。彼女に対してももちろん見返りを期待しているわけではない。でも、そんなスタンスではもうやっていけない気がしている。

奨学金督促と大学全入の闇

もう返還し終わったけど、私は大学時代、某日本大手から奨学金を借りていた。その返還中の話。

奨学金返還銀行口座から自動引き落としなんだけど、たまにうっかりその口座にお金入れとくの忘れるんだわ。まあ人間から返還期間20年弱の間にはそういうこともたまにある。勿論、悪いのは忘れてたこっちだけどさ。

それで督促電話がかかってくる。それはまあ分かる。

でもさ、今はどうだか知らないけど、その督促電話、私の場合100%ワン切りだったよ。

これマジだから

詳細を書くわ。

電話が鳴る→出ようと思うがワン切りされる→仙台の局番の番号が履歴に残ってる→番号ググって調べる→ネットブラックリストに載ってるけどどうも日本○○会(今の名前忘れた)の督促で、その代行で電話かけてる会社大手系列と思われ)の番号っぽい

てことで、次にかかってきた時(また見事にワン切り)に折り返してかけてやった。

だってさ、ブラックリストに載るほどワン切りしてるってことは、日本○○会から金もらってるにも関わらず督促先に電話をするもワン切りで「電話をした」という実績「だけ」残して「督促業務を怠っている」ワケじゃん。金もらって仕事してないワケじゃん。何でそんな企業に金払ってるとこに利子まで付けて金返さなきゃなんねーんだよ。

フツーに頭くるじゃん。

私、折り電する。

女「はい、○○コールセンターです」(的な。正確なことは記憶にないし別に本筋と関係ない)

私「あのね、今お宅から電話かかってきたんだけど、出る間もなくワン切りされたんだけど?あなたじゃ話になんないでしょ?上の人に変わってくれる?」

女「かしこまりました」(的な。女とのやり取りは覚えてない)

  ~ 少し待つ ~

男「お電話かわりました。○○と申します」

私「あのですね、今この番号から着信があったんですけどワン切りされたんでこうして折り返してるんですけど。ワン切り一度目じゃないんですよね」

男「それは大変申し訳ございません」

私「で?何の用なんです?用もないのにかけてるワケじゃないんでしょ?」

男「えーとですね、私どもは日本○○機構日本○○会の今の名前)さんから業務委託を受けまして返済の滞っている方にお電話してるんですが」

私「で、ワン切り?それでお金回収できるんですか?うちはナンバーディスプレイ付けてるからワン切りされても番号分かるけど、付けてない電話なら分かんないし履歴も残んないですよ?どっからかかってきてんのかググってみましたけどね、知ってます?この番号、ネットブラックリスト入りですよ?」

男「はい

私「そうやって電話かけて1回鳴らして切って『電話をかけたけど出なかった』ことにして督促業務サボって金だけもらってんですか?そう思われてもしょうがないですよね?実際ワン切りしてんだから

男「大変申し訳ございません」

私「迷惑なんでもう二度とかけてこないで下さい」

男「私どもは日本○○機構さんから委託されてお電話していますので」

私「ワン切りならかけたって意味ないでしょ?ハガキだって届いてんだから出られもしない電話なんかいらないって言ってるの。分かんないですか??」

男「申し訳ございません」

私「今度ワン切りあったら、日本○○機構の方に『○○(この業務委託されてる仙台会社はいつもワン切りしてくるからこんな会社に金払うな』って苦情言いますから。もう二度と無駄電話かけてこないで下さい」

私、電話切る

この後もうっかりはあったんですが、二度と電話はかかってこなくなりましたね。

ちなみに奨学金借金です。

借金してでも学ぶ意欲のある人だけ借りればいいモンで、誰も「借金してでも大学入ってくれ」なんて頼んでないの。

こないだテレビ奨学金サラ金化なんて特集やってたけど、それに出てた先生の「そもそも大学全入に反対」に諸手を挙げて賛成だわ。

今じゃ大卒とか学士号とかに何の意味もありゃしねえ。

偏差値40台で底辺大学入って楽しいか?楽しいだろうな。遊んでんだから

大学で楽しむのは学友達との交流ももちろんだけど、学問なんだよ。それが大学じゃなきゃできないことなんだよ。

先生や先輩と酒を酌み交わしながらゼミの延長で議論するとかマジ楽しいぞ。知らねえんだろ。

知る気もないヤツは大学なんか行かなくていい。てゆーか来るな。入るな。

大学卒業と同時に何百万という借金背負ってそれを毎月毎年返し続けてでも学問したいヤツだけが奨学金借りてでも大学入る資格があるんだよ。

申請すれば返済の猶予免除もあることも「知らなかった」とかマジどこまでバカなの?

何でそんなことも知らないで借金してんの?調べもしないで文句だけ言ってたりすんの?

大学最高学府だなんていつの時代の話しかね?

私は大学4年間じゃ研究したりなかったか大学院まで行ったよ。今度は学校法人奨学金借りて。

全部返済したよ。当たり前じゃん。

就職?院まで行ったらロクな仕事なんかねーよ。それでも返したよ。借りたんだから

そんな当たり前の覚悟も出来ないヤツが奨学金借りてまで大学なんか来んな。

さっさと就職して手に職付けた方がマシ。

学問なんか金になるもんじゃないし、大学就職予備校じゃない。

勘違いしてるバカがあまりにも多すぎる。

奨学金は「お金がないけれど学びたい」人のためにあるんだよ。

モラトリアムのためにあるんじゃねえよ。

これから借りようって考えてる中高生やその親はよく考えろ。

もう借りちゃったヤツは諦めてちゃんと返すか返せないならちゃんと相談なり届出なりしろ

それもしないで文句だけ言うとかまさにちょっと学つけちゃったバカのやることだよ。

全部大学全入の負の遺産だ。

大学なんか「ほとんどの人が行く」ところじゃない。

2016-05-20

佐々木希芸能界で干された理由を考えてみた

佐々木希仕事が減りだしたのは、2012年ごろから

まり事の発端は2012年以前に遡ると思われる。

佐々木2012年以前まで、ぐるぐるナインティナインゴチバトルに出演していた。

この番組内での騒動がキッカケで、降板仕事が減っていったと僕は推測している。

何故番組ひとつ芸能界を追われる身となったのか。

先に結果を言うと、矢部が原因で佐々木降板、干されたのだ。

矢部佐々木のことが好きだったが、佐々木の答えはNO。

番組内でも、矢部佐々木に「俺と岡村やったらどっちが好きや?」の問いに佐々木は「どちらかと言うとあたしは岡村タイプ」とはっきり答えを出している。

このような佐々木の態度にブチギレて、矢部佐々木芸能界から追放するよう働きかけたと思われる。


実際の所、芸能界の一部はヤクザが仕切っている。

ヤクザが金を出す以上、出演者ヤクザの息がかかった連中が多い。

ぐるナイももちろんヤクザ関係者が出演している。

ネットでも情報は流れていないが、矢部がそうだ。

矢部は大物ヤクザの息子である

実際、矢部面白くもなんとも無いのに、飄々と番組に出演している。

岡村が一時期、鬱病リタイアしたのも、矢部とその関係者に嫌気が差したのであろう。

岡村暴力団関係者矢部から距離を置いたのである



時系列でまとめる

2011年末頃:ぐるナイ降板

2012年佐々木レギュラー番組ドンドン減りだす。

2012年9月頃:佐々木のレギュー等番組一本残すところまで仕事が減る。

2013年3月矢部入籍する。

2016-05-19

ニコニコ動画10周年

http://anond.hatelabo.jp/20160517114849

振り返る増田を読んで、自分も書きたくなった。

トラバ元を書いた方がよく見知っていた分野は、ニコニコ構造上廃れやすい分野だと思う。

一方で生き残る分野はどんなところか。それを書いてみたい。

生き残ると思しい分野に含まれる要素を先に述べておくと、「解説説明突っ込みを加えられる」と言うことに尽きる。

そういう「解説説明突っ込み」が希薄ジャンルは廃れる。

私は2006年大学二年生で、暇だったわけだ。クラスが同じMという男からニコニコ動画の話を聴いてサイトを使い始めた。

http://nicovideo.g.hatena.ne.jp/myrmecoleon/20080527/1211907817

に詳しいような、「おっくせんまん」の成立過程リアルタイムだったし、住宅街の人が初めて歌ったこともリアルタイムで見ていた。

その後東方の隆盛や音MADパンツレスリング淫夢歌ってみた踊ってみたゲーム実況やらなにやらがこの10年で興っては消えて行った。

10年見ていて思うことは、冒頭で書いた通り、「解説説明突っ込み」を入れられる動画が強いということだ。

例えば、先ほどの「おっくせんまん」は動画歌詞を加えたことで大きなムーブメントになって行った。こうした部分がニコニコ固有性だ。

一方、そういうのが基礎になり生まれた「歌ってみた」は、あまり解説説明突っ込み」を必要としない。動画を見て楽しむことがメインのコンテンツだ。

先に投稿した方が、もう誰もやってないと嘆いたのはこうした分野だからだろう。

ゲーム実況だと、初めは実況者の音声のみで、とにかくゲームをしていく、という内容が多かったように思う。

そのうち、ルールが細かいゲームや、難易度が高いゲームに「解説」しながら実況する人が多くなっていた。

ソウルシリーズオブリビオンなんかがそう。この時期で覚えているのは「テクテク」さんの動画だ。

また、TASRTAなど速さや面白さを競うゲーム実況も生まれた。

こちらはマリオFFドラクエなど比較的皆が知ってる、プレイしたことのあるゲームが好まれた。「魔界塔士」さんの一連の仕事が著名だろう。

どちらであっても、動画内で状況を「解説」する。そしてコメントでは、驚嘆を示すコメント・指摘や修正を加えようとするコメントが出てくる。これで動画が盛り上がる。

ゲーム実況では実況そのもの面白いももちろん多かった。しかしそれだけではニコニコ動画固有性が発揮されなかったのではないか

解説」を投稿者コメントを書き込む者も可能な点こそが、ニコニコ妙味なわけだ。そうした構造を持つジャンルは生き残っていく。

もう少しゲーム実況の話を続ける。RTA動画を多く投稿している「biim兄貴と呼ばれる人が創始した「biimシステム」というゲーム実況スタイルについて。

私はこのシステムこそがニコニコ動画におけるゲーム実況成熟であると思う。

biimシステム」は、ゲームプレイ動画本体を左上に据え、右に解説窓二つ、下部に解説窓一つの構造を持つゲーム解説スタイルだ。

下部の窓には、ゆっくり実況の音声が台詞として字幕表示される。右の解説窓ではクエスト確認や、敵やアイテムステータスチャートなどが示される。

このように「biimシステム」は、ゲーム実況を「解説」するに特化したもので、多くの追従者を生んだ。

こうした点を見ても、ゲーム解説実況は、分野として生き残っていきやすいと感じる。

次いで生き残りやすいと思う分野は、専門分野を解説する動画だ。たとえばナショジオとか。本当はアップしたら駄目なんだろうけど。

ニコニコ動画では、かなり以前からメーデー!」という航空機事故を紹介・解説したナショジオシリーズがアップされ続けている。

ここに、どこからともなくやたら航空機に詳しい奴が現れ、緑色でやたら細かい解説を加えて行く。

また、「メーデー民」と呼ばれる人々は、以前の動画で出てきた事故と、今回の事故とを比較コメントする。初心者さらに興味が広まる。

それと、軍事映画戦争映画は盛り上がる。いやが王にも盛り上がる。兵器解説シリーズもそうだ。

軍事オタク描写の正確性を論議し、また右寄り左寄りの意見で荒れることが頻繁だ。しかし活気がある。

あとは海外翻訳系も強い。「AVGN」という古いクソゲー好きのアメリカ人クソゲーに切れる動画ニコニコに輸入されていて、

英語に詳しい者もそうだし、古いクソゲーに詳しい者、日本アメリカゲーム事情に詳しい者が説明相互にしている。

こうした専門分野系の動画は「解説突っ込み」に馴染みやすい。生き残る。

あと地味にスポーツ放送が良い。野球とか相撲とか。夜中に再放送とかもしていて、疲れて帰ってきたら、西武楽天とかがやっている。

ここでは多分俺と同じようなアラサーの人たちがのんびり書きこんでいる。

楽天って左打者が誰が誰だかファンでないと解りにくいのだが、動画ちょっとその選手について質問するとすぐ詳しい人が教えてくれる。

こういうのはホント新規性が高い要素だ。

10年見ていて思うことは、こうした動画による双方向的な解説・やり取りこそが、ニコニコ動画が獲得した固有性だということだ。

生放送踊ってみた初音ミクその他の華やかな部分に目が行きがちだが、本質はそこにはない。

解説」こそがニコニコ動画の真の価値だと思う。

2016-05-15

http://anond.hatelabo.jp/20160515224454

あーいえてるわそれ

金がないとか身分がどうのとかってたしかにあるけどそのすきまを埋めるのは現金とか公的認証ではどうにもならないか

努力とか態度とかで理解されるしかないんだよね

脳が理解するということはそこにあるのと同じ意味当人にはもたせることができるから

こまることがおきる範囲内の人間全員に理解を植え付ける作業をする必要がいるんだよね

それを現金化できないと貧しいままではあるけど現金と同じ価値を保有する意味にもなるとおもうけど

それがまずできていないで現金のものももちあわせていないし蓄えられる予想もみたてられない

それはおわってるわ

でも人間関係が密で社会構造にしっかりくみこまれ責任義務を支える対価として豊かな生活をしているところから

逃げたしたい気持ちでその責任の退避先として関連性を満足に組み立てることができない社会性が不足していても

不足や不満を感じない環境に身を投じたいという願望からそういう伴侶を選択するという構図もあるよね

そこまで育って蓄積された知能で一緒になるのはまず論理的に無理でありえない選択だってことはわかるとおもうので

感情的にどちらにどれだけの期間浸りたいか計画的対応すればいいのでは?

いまの彼とどれだけの期間どこまでの目標をもって連れ添いたいか その後どうするか

そんなもの説明なしに好きだ惚れたでなんとかなる情勢でないということくらい理解できるなら

その不足分を埋める手立てとして理解に及ぶ説明や構図をつくるべきだとおもうのだけど

それを質問している時点でありとあらゆる構造破綻しているので

一番いいのはおとうさんと結婚することだとおもう

2016-05-09

いい師匠出会うことの難しさ

いい師匠出会うことは難しい。そもそも弟子の段階で誰がいい師匠か分かるなら、そもそも結構実力がある人である

ハンターハンター幽々白書なんかはい師匠に恵まれている漫画典型である弟子限界点をある程度分かっていて、限界ギリギリもしくは少し上くらいを目指して成長を促す。また、師匠といってもほどよくレベルが上の師匠がよい。ハンター試験受けてたころのゴンビスケ出会っても、弟子としての条件も満たしてなくて弟子になれなかったはずである。だから、いい師匠出会うというのは「いい師匠出会う」だけでなくて「いい師匠に見合うだけの弟子となった状態出会う」必要がある。全くのド素人を構ってくれる師匠もいるだろうけれども、そういう師匠は逆にいえば、必ずしも弟子の成長につながるわけではない。それは弟子次第、というわけだ。

また、「いい」師匠という言葉も難しい。有名な先生だって自分性格が合うかどうかなんてわからない。何が「いい」のか。成長を促してくれる師匠が「いい」というのであれば、そんなこと誰がわかるのだろうか。今思えばいい師匠だった、今思えば優秀な人だったけど成長にはつながらなかった、つまり結果論しかない。

弟子姿勢というものももちろん重要だ。いい師匠というのは単に優しい師匠ではないことは何となくわかる。優しいだけでない面に出会っても、耐えて成長につながっていく姿勢弟子には大事だ。師匠視点から見ると、そういった弟子を見抜くのも上記の例と同様に大変なはずである弟子をとりたい、という師匠基本的には自分の引き継ぎ手を探しているはずだ。そんないい弟子出会おうとする師匠にとってもいい師匠出会おうとする弟子と同様に大変なのである

から、そういうことを考えているとこんな考えが浮かんでくる。いい師匠、いい弟子、という括りではなく、それはもはや人と人の巡り合わせなのだろうと。人が人と出会うというのは運、というか運命に近いところが作用してくるところだ。その運命の中でいい師匠といい弟子が巡り合うのではないかと思う。もちろんいい師匠出会おうとすることすらしない人はい師匠と巡り合わせる可能性は下がるだろう。しかし、それは可能性の話である芸能人過去成功話を聞くと、とくに何もやる気はなかったけど、たまたまプロデューサーの目にとまった、そういう人もいる。可能性を上げる努力はもちろん大事で、後から考えるとそれが成長につながったということは多々あると思う。でも、やっぱり可能性の問題しかない。

人はだれかに何らかの形で仕えることが多い。サラリーマンなら職場の先輩や上司に仕える。師匠なんて言葉はもちろん使わないけれども、影響は多かれ少なかれ受けるはずだ。いい影響を受けて、今後の成長につながったとしたら、それはい師匠だったということになる。師匠を選べるという人ならいいけど、あまり選べない人も多いはずだ。だから、いい師匠出会うというのはえいやと飛び込む気持ちで選ばなければならないということだ。やっぱり、結局のところえいやと飛び込んでもいい師匠であるかはわからない。

いい師匠出会うことは難しい。

2016-05-06

http://www.greatnews.top/%E5%8C%BB%E7%99%82/58571921.html

http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/handle/2433/203151

メモ。後で思い浮かんだことを書くかも。

何らかの重い精神病発症やすい人が生まれることは本人にとってよいことかを考える。

今のところ、子供選択する際に、重い精神病発症やすさのみを取り除いて、

その新しい人を存在させることはできないと思われる。

まさにその生まれる側からすると、

精神病発症やすい者として存在するか、全く存在しないかのいずれかの結果しかないと思われる。

現在医療水準だと、とりわけ統合失調症を完全に取り除くことはできない。

だが、定期的にちゃんとした医者にかかれば、十分によい生活を送れる場合が多いと思われる。

ただし、もともと特別に重かったり、よい医者にかかれなかったり、上手く医療につながらなかったりして、

かなり苦しい症状を伴う生を送る人ももちろんいる。

その場合、本人は、衝動的に自殺をやり遂げたり、

まれないほうがましだったと思いながら上手く死ねずに生き続ける場合もあるだろう。

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