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はてなキーワード: 見方とは

2024-02-24

今日21時から配信される崩壊3rd公式 第二部スペシャル番組『いざ、火星へ!』は、当作には触れていないmiHoYoユーザーあるいは業界人でも参考にする価値があるかもしれない。

この第二部というのは、7年間のメインストリー展開を経て到達したもので、そこからmiHoYoが新しいコンテンツをどう切り開くかを見極めるベンチマークとなるからだ。

Ver.Upを目前に、その中身を、各国の著名プレーヤーを招きつつ詳しく紹介するのがこの番組になると思われる。

この節目のインパクトは、原神で例えるなら七国とカーンルイアを経て「旅の終点」に辿り着いて物語が一段落する頃、運営が「まもなく第一部が完結し、来年から第二部が始まります」とアナウンスするようなもの

スターレイルで例えるなら……この作品は明確なロードマップがないが、これもおそらく7年程度を目処に「宇宙を揺るがす結末」に至る「脚本」の始終が語られるだろう。その先にあたるもの

いずれにせよ、2次元ゲーム業界の風雲児と囁かれる同社が7年に1度レベルの節目をどう扱っていくかは、見方によっては新作発表よりも注目すべき事かもしれない。

なぜなら、運営ゲームいかに盛り上げていくかというセンスは、今後ますます重要視され、見習っていくべきモデルケースになるだろうから

2024-02-23

生成AI話題で急にモゴモゴし出した人は株主との利益相反を疑うべき

株高の一部がAIとか半導体が主因という見方が出てて、特に会社代表としてネット発言する立場にあるインターネット企業人間理念曲げるとしても「AI中立以上で規制には寄れない」とみた

投資家倫理のなさという対応不可能な無形の悪意には国家が釘ささにゃならんと思うんだが…

2024-02-22

「ばんおう」って面白い

個人的感想だが、主人公が強いのに共感できるってのが一周回って新鮮だからなんだよね

ジャンプ作品の多くがこういった主人公を取り上げると、まず間違いなく吸血鬼としての矜持とか定命との軋轢とかをあげたり、吸血鬼らしい能力葛藤を描いちゃうんだ

そして大抵は主人公容姿や強さだけが取り柄で、それ以外に引き立てるものがなくなる

どっちかというとそういう場合は周囲の人が面白くなっていくんだよね

そんな中でばんおうの月山って、凄く応援したくなる逸材なんだよ

自身がとてつもなく強いのはわかりきっているけど、その強さへの見方も変わってくる

序盤は「長く生きてきたから強くなった」

中盤は「とにかく天才的に努力型だった」

終盤は「ただただ強い…」

と余計な情報がそぎ落とされてきて、時間という資産を食ってきた道楽から純粋強者へと勝ち上がってしまった

それでいて終始将棋への熱とプロへの羨望が尽きないという異常事態

けれど他のプロ将棋指しと比べて、たった一度しか舞台に上がれないという絶対的制限が、月山無双薄氷の上にあることを忘れさせない

そこがこの作品面白いところなんだよね

月山主人公だし竜王戦という舞台なんだから最後まで勝ち上がるのは当然の結末なわけだ

けど、ぶっちゃけ俺はここまで強いとは思っていなかった

勝つなんて当たり前なのに、なんで勝ってるんだろうと終始思わせる

けれど竜王対峙したことには一切の違和感がない

そして「こいつは竜王並の本物の強者なんだ」って誰の目にも可視化されてる

素人チャンピオン対峙するという誰にでも描ける筋書きだし最初から強いことなんてわかりきっているのに、シリーズをとおして成長と挫折を繰り返して強者として認知されていくのが、なんかすごい構成力だなって感心した

これがなろう系で同じ設定でやったとしたら、間違いなく月山性格ねじ曲がっていて無自覚強者だったよね

プロを次々と蹴散らしながら「人間なんてこんなものか」や「まあ100年後にまた自分を忘れたころに遊んでやるか」みたいなセリフが飛んでいるのが目に見える

吸血鬼ってつまらない物語にすることが簡単キャラなんだよ

本当、構成力とキャラが立ちすぎているよな

anond:20240222153138

偏差値比較するとき見落とされがちなのはテストの性能

テストゴミなら意味ない偏差値が出るだけ

偏差値からといって信仰するのも、偏差値からといって蔑視するのも偏った見方

まあ、テストについて気にする増田は見たことないあたり、偏差値に脳をやられた人間はそういうことを気にしないのだろう。

アイマスリー情報をできるだけ正確にまとめる(画像はない)

クソアンチアカウントヘイトに利用されるよりはマシだと思ったので


あの投稿解釈は間違っているが、リークとされる画像自体は本物である可能性が高い。

この記事を読んでも「バンナム上層部はクソ」という感想は変わらないかもしれない。

またリーク元の人間も「既に古い情報可能性がある」ということにも言及している。

それを踏まえたうえで読んで欲しい。

リークの経緯

このリークは昨年末には一部海外Pの間で既に広まっていた。

ソースは元バンナム社員で、中国市場向けにアイマスローカライズする仕事をしていたとする人物

海外イベントでのアイマスブースデザインをしていたこともあるようだ。

bilibiliで動画投稿。その仕事での経験が語られるとともに、

複数画像動画が共有された。(動画は削除済み)

その中には「アイマス学園」の信号機3人のキャラクターデザインキービジュアルのような画像

スマホゲームの実機テスト映像と思われる動画も含まれる。

キャラクター3Dモデルはまだ作られておらず、天海春香モデル使用されていた。

アイマス学園以外だと、恐らく2019年末~2020年初頭頃に作成された

アイマスロードマップのようなものが書かれたスライド複数公開された。

最近騒がれているのはそのうちの1枚。

これらのリークがすべてフェイクだった場合、相当に手間をかけて作られたことになる。

このリー動画概要英訳したものDiscord投稿され、英語圏でも広まった。

動画は既に削除され、自分中国語分からんので、

その英訳をもとにこの記事では説明する。

リー動画概要

概要和訳

まずは動画概要英訳したもの和訳する形で引用する。

英訳した人間主観も若干含まれている。

ナムコ社員で、アイマス中国向けローカライズ(まったくうまくいかなかったが)を担当した人物が、同フランチャイズに携わった経験を詳細に紹介するビデオ撮影した。その中で彼は、リークされた情報(見たくない人はここでカットしてください)を含むいくつかのプランを示した。

いつかの時点で、花のイメージを中心とした海外専用のブランチ存在する。開発チームは、経営陣の交代でプロジェクトが破棄される前に、すでにこのブランチ用のゲームデモ作成していた。ビデオでは、メイントリオとそのコスチューム、そしてゲームのお祝いビデオが紹介されている。

多くの企業ローカライズに興味を持っていたようだが(CGSS、MLTD、enza Shinyなど)、モバイルゲームはすべて外注なので、コミュニケーションは非常に限られていた。

シャイニーカラーズが海外版をリリースできる可能性が最も高かったが、コードに何か問題があったようで、他社に移管することができなかった。

SideMはまだ新しいアニメ企画中で、当初は2020年から2025年放送する予定だった。この情報は古いかもしれませんが、私は現実逃避して信じます!:)

シャイニーカラーズは、2022年からシンデレラガールズに代わってアイマスのメインとなる予定だ。ミリオンライブ2025年以降に大きく発展する可能性があるが、まだ不明である2022年から2025年にかけては、(かなり以前に計画されていた)6番目のブランチアイマス二次的な焦点となり、SideM三次的な焦点となる。

アイマス学園」という通称で実際の名前を隠している第6のブランチは、すでに開発中のゲームがあり、2025年秋に放送予定のアニメがあり、メイントリオの(アートデザイン)がある。彼らは本当にこれが次の大物になると思っているのだ。

少しばかりのアートテキストを見る限り、舞台は『あんスタ』のようなもので、あなたアイドル高校(おそらく)のプロデュースクラス(原文は「プロデュース課二年生」)の生徒で、メイントリオプロデュースを任されている。ユニフォームちょっとかわいい。元スタッフは、このブランド2024年リリースされると考えている(当初は2023年リリース予定だったが、COVIDによって1年間開発が中止した)。

オリジナルビデオは超誠実で、中国語がわかる人にはぜひオリジナルを見ることを勧める。彼の情報100%正確だとは言えないし、彼自身、一部は古いかもしれないと主張している。しかし、私は彼がデザインしたアイドルスターブースを訪れたので、真実はあると思う。



アイマス学園について

言及されているように、「アイドルスター学園」が昨年の周年配信で発表された第6のブランドであることは間違いない。

「かなり以前に計画されていた」という情報も、「企画発足から5年弱経っている」という小美野Pの発言とも符合する。

最初海外向けブランドとして作られ、一度破棄されたプロジェクトと同一なのであれば、制作時間がかかっていることも理解できる。

ただ、リークでは「アイマス学園」という名称仮称とされていたので、

その名前のまま商標登録されたことには少し驚いた。

リークされたイラストには教室の中にいる、信号機であろう3人の女の子が描かれていた。

画質が非常に悪かったため詳細は見えづらいが、

茶髪ショート黒髪ロング、金髪ツインテの組み合わせで、制服は赤いリボンのついた緑色のブレザー。

淡い色合いが特徴で、イラストレーターで例えるなら左氏などが近いだろうか。

アイマスロードマップ

学園関係以外では、自分が辿れた中では3枚の画像がある。

スライド作成された時点での、その後のアイマスロードマップ簡単な図で表されていた。

1枚目

1枚目のスライドでは、

アイマスロゴが張り付けられたブロックを持ち上げている男(いらすとや素材)が描かれていて、こう書かれている。

国内アイドルスター」の安定基盤を元に、「地域」と「アイドル・育成領域」の拡大を推進。

海外中国/英語圏)への地域拡大

アイドルエンターテインメントへの領域拡大



2枚目

2枚目は「メディアミックス」と題されたスライドで、

2019年から2024年度までの予定が書かれた5行6列の表になっている。

各項目にはモザイクがかけられているが、上からミリオンライブシャイニーカラーズ、シンデレラガールズSideM、そしてアイドルスター全体の順になっていると思われる。

おおむね実際に起こったイベントと一致しているが、いくつか実現していないものもあるので、そこだけ抜き出しておく。


3枚目

3枚目がX(Twitter)で騒がれた画像で、

シンデレラガールズミリオンライブシャイニーカラーズ、アイマス学園、SideMについての何かを、

2021年から2025年までの間を図形で表現した5行5列の表。

2枚目のスライドと違って、アニメや周年のような節目以外は具体的なイベントが書かれていない。

アニメ放送予定が実際と違っていることにも気づくかもしれないが、これはコロナ禍で遅れたものだと解釈できる。

そして何故かシャイニーカラーズの5周年を2022年と間違えている。

Xでは、この表の図形がゲームの展開やサービス終了を表したものとして誤解されているが、

リーク主の文脈を踏まえたうえで解釈するなら、これは「各ブランドの展開の優先度」だと考えられる。

2021年度にはシンデレラガールズが「①」、シャイニーカラーズが「②」だったのが、2022年度を境目に逆転していて、

2023年度に始まる(予定だった)アイマス学園が2024年度には「②」になっている。

もちろん、先日バンナムIRで発表された「開発中止になった5タイトル」とは一切関係はない。

シンデレラガールズ2025年最後に先細っている図が、完全な展開の終了を表しているのか、ここまでの情報だけだと判断できない。

しかし、少なくともシャイニーカラーズをシンデレラガールズに代わる主力ブランドにしたがっている、というのは確からしい。

あんまり変わらないじゃねーか」と言われれば、それはそう。

またミリオンライブについて、

2025年最後シンデレラガールズと同じく先細った図のあとに、

IPオリジンブランド(検討中)

とも書かれている。

三次的な焦点」とされるSideMは他ブランドと違い、

2022年度以降は優先度が常に一定のようだ。

2025年までに起こりそうなこと

ここから先は個人的予測に過ぎないので、別に読まなくてもいい。

既に"3.0 VISION"が掲げられているが、リークの情報を踏まえると

シリーズ20周年となる2025年を境に更に大きな再編が行われようとしているのが窺える。

シャイニーカラーズとアイマス学園が主力ブランドになる

これはリークで語られている通り。

シャイニーカラーズについては現時点で既にそうなっていると感じられるかもしれない。

これまで長い間、シンデレラガールズアイドルスターの顔としてIPを引っ張っていたが、

Cygames利益を分配(現在割合不明)しなければならないことを、バンナム面白く思っていなかったことは想像に難くない。

それを置き換えられる、自社で利益を独占できるアイドルスターが欲しかった。

シャイニーカラーズは他ブランドと比べてもプロモーションが強力に推し進められていて、

大きな宣伝費が投じられていることは明らかだ。

品質の高いの絵とシナリオ高山Pの手腕もあり、その宣伝費に見合うだけの評価シャイニーカラーズは得ている。

このまま成功が続けば、シンデレラガールズに置き換わる存在になるという会社の目論見は達成できるのかもしれない。

enzaという自社プラットフォーム運営されているのも、「ストアの手数料回避するため」以外の理由はなく、

ブラウザゲームであることのユーザーメリット特にない。

もともと合弁会社だったBXDも、enzaが軌道に乗るとすぐにグループ傘下に編入された。

アイドルスターマネタイズを最大化するために生まれ最初ブランド、それがシャイニーカラーズだった。

最近シャニソンの不調が話題にされがちだが、同時に早い頻度でのアップデートも予告されていて、

"失敗できないタイトル"として注力されていることが想像できる。

アイマス学園が主力タイトルになり得るかどうかは未知数だ。

「令和のゲームとしてタイトルがダサすぎないか?」のような意見も既にみられる。

しかし、音ゲーであるかどうかも分からないが、音ゲーとして現在アイマスを捉えた場合、競合となるのはプロセカやあんスタのような学園ものタイトルになる。

より若年層の顧客を得るために学園ものに手を出そうという考えなら、そこまでおかしいとは感じない。

海外向けタイトルとしてのコンセプトが継承されているのであれば、それだけで成功する可能性がある。

日本のPは意識していないだろうが、これまでのアイマス海外展開に非常に消極的だった。

特に英訳されてリリースされたゲームシャイニーフェスタくらいしかない。アニマスですら正規方法で見るのが難しい状況だ。

海外Pはわざわざ日本Apple IDを取得するなどしてアプリDLし、翻訳情報を共有しながら何年もプレイし続けている。

逆に言えば、それだけ潜在的市場存在していることになる。

マネタイズについてはシャイニーカラーズと同様の、もしくはより最適化されたものになる可能性が高い。

音楽ランティス制作するし、ラジオはアソビストアで限定配信され、バンダイバンプレストからグッズがやたらと発売される。

これは断言してもいい。

シンデレラガールズの展開が少なくとも縮小する

これもリークの繰り返しになるが、

相対的にせよそうでないにせよ、シンデレラガールズはこれまでのようには注力されなくなるのだろう。

ただ、これがデレステサービス終了にまで繋がるかどうかは疑問が残る。

わざわざ終了させる必要性を感じない。

年末サービス内容の"調整"の発表で騒ぎになったが、本当に長く細く続けるための調整なのかもしれない。

発表されたばかりの星街すいせいコラボは非常に大きいコラボだと思うが、

定期的な更新を減らす代わりに、こうした大きな話題不定期に提供していく方針に変えていくということなのだろうか。

プロジェクトチームや現在Cygamesシンデレラガールズをどう捉えているのかも見えづらい。

アイマス5ブランドの中でシンデレラガールズだけは「顔の見えない運営であることが、今は裏目に出ていると感じる。

現時点では「縮小する」以上の事については確信が持てない、というのが正直な感想

ミリオンライブと765ASは統合された新ブランドになる

これは「大きく発展する可能性」「IPオリジンブランド(検討中) 」の部分を解釈したもの

アイドルスターIPオリジン(起源)とは、もちろん765PRO ALLSTARSアイドルスターのことであり、

そこからミリオンライブに重なる形で新ブランドが生まれるということは、765プロ765プロとして1つのブランドになる、ということ。

今回のリークでは765ASブランドについての言及が全くない。

ロードマップを見ても、2019年度の時点で、765ASに継続された展開は予定されていなかったということがわかる。

直近にある「はんげつであえたら」のように、実験的な企画不定期に実施している、というのが765ASの現状だ。

こうした状況になっているのは、きっかけとしては石原Dの退社もあるかもしれないが、

運営タイトルでないがために、継続的なプロジェクトチームが組まれていないことが直接の原因だと思っている。

一方でミリオンライブも、強固なファンベースを持ちながらも、分かりにくいタイトルであるために"765プロ"であることが対外的に伝わりづらい。

20周年を契機に765ASをミリオンライブの展開に取り込み、765プロであることが伝わりやすい新しいブランドとして仕切り直す、

という構想があったとしても、そんなに不思議ではなさそう。

今の時点で同じブランドのように扱われていることはしばしば見られるし、むしろそうなることを望んでいるミリオンライブのPは少なくないと思う。

早ければ10th LIVEのAct4、もしくはその後の生配信でそれに近い動きがみられるかもしれない。

SideMは?

今回のリーからSideMの今後を予測するのは難しい。

ロードマップ作成された(と思われる)タイミングではモバエムもエムステも健在だったし、

その後登場したサイスタは会社の"総合的な判断"によって強制的クローズされてしまった。

現在とは状況が大きく異なる。

一つ言えるとしたら、計画されていたという新作アニメが実現できたとしても、

前作のようなアニプレックス制作アニメになる可能性は限りなく低いということくらい。

まったく異なる制作体制になるだろう。

ヴイアラは?

ヴイアライヴが始まったきっかけは、

コロナ禍で中止になった星井美希MRライブ、その振替配信「あふぅTV」がきっかけだったことを勝股Pが明かしている。

そもそもコンテンツ存在していない時系列の話なので、今回のリークでヴイアライヴが登場しないのは当然 Permalink | 記事への反応(2) | 02:07

ダウンタウン浜田が頑張っている

気のせいではなく実際に頑張っているのだろうが、このような見方をされるのは芸人として不本意だと思う。

2024-02-20

anond:20240220230654




(注:つまり、実際にドキは文章公表する(あるいは実際に公表したものよりも過激な内容を公表する)つもりが(一時的にであれ)あったのだからにじさんじ側の(公表されることを前提とした)対応は完全に的外れではなかったと言い訳できる、という意味だと思うけど間違ってたら教えてほしい)



もし私が正しいのだとしたら、これから何が起きるのか?

私がこれまで述べてきたことが多かれ少なかれ正しいと仮定すると、にじさんじにはこれから進むべき道として2つの選択肢がある。ひとつは、ENライバーが長期に渡って沈黙し、その後、徐々に配信を増加させ、セレンセレン契約解除の話題については、今後、完全に沈黙するというもの。そしてにじさんじは見当違いの攻撃をやめ、これらの出来事をなかったこととして扱い、ネットユーザーたちが飽きることでタレントに対する叩きが鎮火し、ENが利益を上げられる程度にファンが残るという未来に賭ける。2つ目のアプローチは、最終声明を出してコミュニケーション齟齬があったことを大まかに説明し、セレンに深く謝罪し、責任者大砲に詰めて太陽に向かって発射したこと保証することで、タレントと他のマネジメントに対する批判を鎮火させるというもの

一般大衆相手にする企業で働く中で気づいたのは、経営陣は、たとえ対策を講じた後であっても、失態をきちんと説明したがらないことが多いということだ。というのも、大衆はそれを聞いて赦すかもしれないが、株主にとっては株価に対する不安感に繋がるからだ。この一連の出来事について私が正しいかどうかは別として、私が望むのは、にじさんじが再建のために必要改革を行い、合理的範囲でできる限りの透明性を世間提供することで、残されたタレント懸念払拭することであるしかし、この道を歩むには、重大な失敗について自らの不利になるような告白をする必要があり、同時に、前に進みたいという彼女の願いを尊重するためにドキと協力する必要がある。こうした困難があるため、この惨事が完全になかったことにされる可能性のほうが高いと私は考えている。

最終的な感想

煎じ詰めれば、広報チームの基本的仕事は、ある問題理解し、その問題に対する大衆見方リアルタイム分析し、最終的にクライアントの望む方向に大衆見方を動かすメッセージを作ることである。もし私がここで説明したことが多かれ少なかれ正しいのであれば、にじさんじ広報戦略は、これら3つのタスクのそれぞれを失敗させたことになる。にじさんじ広報チームは、法務から誤った情報を与えられたため、そのせいで誤ったスタートを切ったのかもしれない。だが、その後、ドキバードの発言世間憶測対応して戦略を調整できなかったことは、この最初ミスとは別の、さらなる失態である

これらの広報の失敗もすべて、タレントマネジメント領域で起きた失敗とは別のものだ。ENマネージャーは、最も人気のある女性配信者をサポート保護することに失敗し、彼女自殺未遂を起こし、その後、退社交渉のために弁護士を雇うことになった。私が広報という観点からこの大失態を分析しているのは、タレントマネジメントの不始末を謝罪してほしいからではない。そうではなく、いかにして広報対応のまずさが、会社にとっての悪い知らせを、支社全体の存亡すら危うくさせるような破滅的なスキャンダルに拡大させてしまったのかという点を説明たかたかである皮肉なことに、にじさんじ広報アプローチがここまで的外れだったことは、我々にとって幸運だったのかもしれない。なぜなら、有能な広報チームであれば、こうした根本的な問題を覆い隠すことで、根本的なタレントマネジメントの欠陥を放置させる結果になったかもしれないからだ。この大惨事きっかけに、にじさんじ上層部が己を見つめ直し、タレント人事、広報翻訳サービス改善するための真の改革を行うことを期待したいが、これまでの動きを見る限り、楽観視はできない。

anond:20240219174650

松本と文春の間の名誉毀損訴訟」って増田自分結論書いてるじゃん。この訴訟勝敗松本がやってたことがクソだって事実は何の関係も無い。松本に対する見方は全く変わらんよ。手のひらもクソもない。

2024-02-19

宗教」という問題について語ろう

「私に宗教必要ありません」

宗教勧誘を受けたときによく口にしてしまうこの言葉

多くの日本人にとって宗教は「必要のないもの」という感覚が共有されているように思う。

しかし、本当にそうだろうか。

あるいは、「宗教必要のないもの」という認識宗教問題について冷笑的な態度を生み出し、本当にその問題について考えることを無意識的に避けてしまうのではないだろうか。

宗教(Religion)」という言葉は実は近代語だ。

もともと、この語源となるラテン語における「Religio」は、「(精神的な)深い絆や繋がり」を指す言葉であり、もしくは今日においても「Religious」が指すように「信仰深い態度」そのものを指す言葉として使われていた。今日における「○○教」といったような言葉は、単に「○○の弟子たち」あるいは「○○の後を追う者」といったような言われ方がされてきたし、日本においても「茶道」「武道」などの言葉に残るように「仏道」など「○○道」という言葉があてがわれていた。近代に入るまで「信じる」ということが、より実践的な行為と不可分なものとして扱われていたことがうかがえる。

私なりに「宗教」という問題が何を指すのかを考えてみるところ、それはおそらく「生き方(a way of life)」そのものなのだ

このように言うと、「ならやっぱり必要ないじゃないか。現に私たち宗教に頼らずとも、自分たち生き方に不満がないのだから」と言いたくなるかもしれない。それもひとつの「生き方」だ。

しかし、もう少し俯瞰してみると、これには以下のような構造が見て取れる。つまり日常生活においては必要のないものいるかもしれない。しかし、自身の生きる目的や指針などが根底から揺らいだ時にも果たしてそうだろうか。宗教的契機は必要ときに必ずや立ち現れるものなのかもしれない。

少したとえ話をしよう。

人類史における長い間、「地球は平だ」とする見方が優勢だった時期があった。しかし、当時に生きる人々はそもそも、大半が一生を自分の村で過ごす農民だ。たとえ貴族であっても交流範囲は限られていた。シルクロードを通じて、遠くから物品が運ばれてくるとしても、それは「遠くから運ばれてきたもの」であり、具体的にどのような道を通ったのか、その間に地平線を意識することもなければ、時差について説明する必要もあまりなかったはずだ。つまり、「丸いと考える必要がなかった」のだ。

しかし、時代は移り変わり大航海時代領域国家なども生まれ、人々の交流範囲がどんどんと地球規模に発展していった。その過程で、例えば「他国より手短にインドに行ける方法」を知らなければいけなくなったし、「離れた地域の人と連絡を取る方法」を考えなければいけなくなったし、「大規模な航海を行う必要」にかられた。その過程で、新たな発見を迫られ、徐々に「地球は丸い」という考え方が受け入れられてきた。

これは、地動説VS天動説しろアリストテレス目的論VSニュートン力学しろニュートン力学VSアインシュタイン量子力学しろパラダイムシフトというのは、往々にしてこのように「新たな問題に気付き、これを解決する過程で、認識全体が変容する」ことによって起こってきた。

宗教においてもおなじことがいえる。

まり、「宗教」というものも、そのようにより深い、目の前の生計や、人間関係さらには政治技術、そういった問題を超えた「自分自身は何のために生まれて、何のために生きているのだろう」「この世界は何のためにあるんだろう」といったような問題対処するための、プラグマティック実践論といえる。

そして、「自身生き方に行き詰ったとき」「自身生き方を見直さなければならない時」に、必ずこうした宗教問題に取り組む契機が訪れるのだ。

これは、「既存伝統宗教新興宗教は信じるに値するか」といったような問題とは異なる、より根本的な「宗教的契機の構造」の話をしている。その上で、「どんな信仰体系がその個人にとって意味があるのか」は、その個人マインドセットや、置かれている社会的文化的環境によって異なってくるだろう。もちろん、その人が置かれている社会的文化的環境によっては、特定信仰体系が反社会的であるとされることも容易に想定できる。それこそ、人々が宗教的契機に恵まれる、「自身生き方根底が揺さぶられるショック」を受けた状態に、巧みな言葉を投げかけ、献身的信者を作ろうとする商業主義宗教は、必ず唾棄されなければならないと考えているし、宗教もつ「強固な集団形成力」が誤った方向に向けられ多くの不幸を生み出した事例は人類史を見ても枚挙にいとまがない。伝統宗教価値を見出すとすれば、それは「長年生き残ってきた風習であることに意味を見出す保守主義観点からだと言えるかもしれない。いずれにしても、それが「生き方」の問題である以上、ひとりひとり、さらに状況によっても異なって当たり前だし、多様な実践が見られて当然だろう。

宗教は我々の生き方(a way of life)を根底から見直すときに必ず立ち現れる根本的な認識論であり実践である

これが私の考える宗教という問題であり、宗教に関する多元主義的視座の土台である。ぜひ、みんなの意見も聞かせてほしい。

noteのページの見方がわからない

定期的に見てるわけじゃないけど、プロフィール?に飛んだときのなんだこれ感すごい

結局何を見ればいいの?

時系列で並べた最新記事タイルだけ見たいと思ったら記事一覧に掲載されている日付より前のものもあるし、記事一覧とは状態

noteユーザーならわかるんか?

2024-02-18

anond:20240218115032

日銀金融政策は結果として円安を招いていますが決して円安誘導しようとしているわけではありません。

その証拠に行き過ぎた円安に対してしばしば日銀は介入を行いそれを是正します。

現在円安傾向は改めて説明すると世界的なインフレにより諸外国政策金利を上昇させる中、

日本デフレ経済脱却のための金融緩和継続したことが原因となります

決して円安誘導するためのものではありません。

またGDPの減少についてですが、

これは暖冬による冬物衣料等が振るわなかったことによる個人消費の減少が影響しています

また企業設備投資は意欲は旺盛なもの人手不足による工場建設着工の遅れなど、供給面での不安定さが減少の原因のひとつとなりました。

また民間住宅は資材費の高騰、人件費の上昇により出来高に影響が出ているとの見方があります

なんか最近"数"が増田流行っているみたいなので、ワイくんも作文してみました

数の概念文化歴史によって変化してきた。古代ギリシアでは、1は数ではなく単位とされていたが、現代では自然数の集合 N の最小の要素とされている。

 

数の概念哲学的問題を引き起こすことがある。無限や超準数といった数は直観に反する性質を持つ。例えば、無限自分自身に加えても変わらないという性質を持つ(∞+∞=∞)。超準数もまた通常の数の演算法則が成り立たない(ω+1≠1+ω)。

 

数は実在するのか、それとも人間の心の産物なのかという存在論的な問いもある。数の実在主義は、数は客観的実在であり、人間の心とは独立して存在すると考える。数の構成主義は、数は人間の心の産物であり、人間言語思考依存して存在すると考える。プラトニズムは、数はイデア界に存在する普遍的実在であると考える。ピタゴラス主義は、数は万物の根源であると考える。論理主義は、数は論理的な体系から導き出されるものであると考える。

 

数の概念数学の基礎付けにも関わる。数学公理定理は、数の概念に基づいて構築されているが、その正当性や完全性には限界がある。ゲーデル不完全性定理は、数の概念を用いた形式体系には矛盾しないが証明できない命題存在することを示した。

 

数の概念は、かつて客観的現実を表すものと考えられていたが、量子論の発展により、数はより複雑で主観的ものである可能性が高まった。古典物理学では、数は物理量と一致していたが、量子論では、数は物理量とは別の抽象的な概念として使われている。

 

自我自由意識と同様に、数の本質はまだ解明されていない。しかし、量子コンピューターは数の概念を利用して作られており、数は物理システム表現する有効ツールであることは、どのレイヤースケールにおいても明らかである

 

数の概念私たち知識理解拡張するものであり、同時に私たちの疑問や不確実性を増やすものでもある。

 

数の概念は、私たち世界に対する見方を変える力を持っている。(どやああああ)

 

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流行を作った増田

数学定義は本当に厳密で一意なものと言えるのか気になりました

https://anond.hatelabo.jp/20240216124331

うおおおお、雑なラノベ語りをしたくなったー!!!

スレイヤーズTogetterまとめみてたらしたくなってきたー!

ということでしていきます


そもそもライトノベル歴史というものを語る時に、ライトノベルというものが「オタクカルチャー交差点である」という事実に目を向けなければなりません

ライトノベルというのはとかく、他のオタクカルチャー漫画アニメゲーム鉄道ミリタリー最近だとVtuberとか)にめちゃくちゃ影響を受けやすジャンルです

これはそもそも出自出自で、

まず前提としてライトノベル前身として、「時をかける少女」や「ねらわれた学園」などのSF的なジュブナイル小説があり、

なんて素敵にジャパネスク」を書いた氷室冴子新井素子の諸作品による現代口語体を使った文体表現を使った少女小説があり、

D&D日本に来て、派生ゲームであるドラクエやらFFが売れたりしたおかげで、TRPG流行、それらのリプレイ集も人気になり、

さらアニメで「機動戦士ガンダム」が爆発的なヒットをして、それのノベライズ監督自身の描きおろし)も人気になり、

こういったものを一緒くたにまとめて扱ってたのが、角川スニーカー文庫であり、富士見ファンタジア文庫であり、角川の内紛やらで派生した電撃文庫なのである

まりレーベル説的な史観から見ると、その出自自体オタクカルチャーカオスの中からまれたのがライトノベルなのだ

で、この中で出てきた「スレイヤーズ」がなんだったかというと、これらの要素を一通り取り込んで、かつ、「TVアニメ化」して大ヒットした作品だった、というところである

上に書いた通り、ラノベレーベルというのはリプレイ集だったり、ノベライズといういわば「メインのコンテンツの傍流」としての側面があった。

なので、オリジナルコンテンツ自体は作っていたにせよ、あくまで、二次創作としての見方が強かったものであった。(ロードス島も元はTRPGリプレイ派生であるので)

ところが、そこから出た「スレイヤーズ」という作品主人公のリナの視点口語体で進行して、

ゲームファンタジーお約束茶化すようなメタ的なコメディ雰囲気を持ちつつ、

あらいずみるいアニメ的な表紙があって、

そして強敵とバトルでの少年漫画的な要素という属性全部盛りながら、それをうまく調和した作品となっていた

さらに、それがアニメ化して夕方に流れて大ヒットしていった。


まり、傍流であったものの中からオリジナル作品が生まれ、それが本流の方で大ヒットしたという意味で「スレイヤーズ」はライトノベルにおける大きな意味があったと言える

で、これが売れたおかげで、何が起こったかというとライトノベルで一攫千金できるやん!というバブルが起きて、90年代後半から00年代ライトノベルオリジナル作品群の発生につながっていくという流れになる

これは個人的見解になるが「元祖」というものを考えた時におそらく「ライトノベル表現元祖」というもの考える人は多いだろう

だが、何度も書くがライトノベルそもそもその表現手法自体も他オタクカルチャーの影響を大きく受けるのでその起源や由来があまりにも複雑化している

なので、「スレイヤーズ」というもの評価するなら「ライトノベル元祖」ではなく「ライトノベル文化が醸成していく上での(資金的にも、コンテンツ的な認知度としても)起点となった」という評価がよいかなと思う

それであったとしても、「スレイヤーズ自体ライトノベルに与えた影響はいささかも揺るがないのだから

※2024/02/19

少女小説のくだりでタイトルが間違っていたところを修正。すまんやで。

・あと富士見ファンタジアの発生の指摘があったからそこも修正。この辺り、角川のごたごたも相まって本当にござるか~?があるので助かる

2024-02-17

エッタラジェンダの会社について思うこと色々

まず私は株式会社エッタラジェンダについて特に支持する立場でも反対する立場でもない。今回の件について自分の頭の整理をするための文章なのでもし目に止まった方がいたらこんなことを考える人もいるんだー、ふーん程度で流してほしい。

2月9日株式会社エッタラジェンダが設立された。

この知らせはさほど広いとは言えないインド界隈にゆっくりと知れ渡る。

社名が映画RRRのエンディングテーマ曲名であったこから社名に対する賛否両論が巻き起こり、特に否定的な反応が目立った。

私自身、率直な感想としては「私はなんでもいいけど大丈夫かいな」だった。

「旗を上げろ!」という意味の「エッタラジェンダ」という言葉はRRRの象徴的なシーンやメッセージを思い起こさせるもので、ファンにとって思い入れの強い言葉になるのは自然なことだと思う。

個人的にはこれは線引きの問題だと思っていて、会社という団体を立ち上がることで「エッタラジェンダ」の「内側」がファンの中で生まれしまたことが大きかったのでは、と思っている。

多くの人が強い思い入れを共有する集団の中にエッタラジェンダという具体的な集団がつくられ、突然エッタラジェンダの外側に出されたように感じ戸惑う人がいてもそんなに不自然なことではないような気がする。

これがもし「合言葉を共有する集団」のど真ん中で行われたことじゃなければこんなことにはならなかったのでは。

長い妄想だけど、喫茶エッタラジェンダにはRRR大好きなマスターがいて、一般的カフェメニューの他に結構本格的なインドカレーが食べられたり赤と青のシロップがじわりと混ざり合うイメージドリンクがある、とかだったらむしろファンとして一度は行ってみたいお店になれた世界線もあったんじゃないかなあ。そしてたまに貸切でインド映画イベント期間限定イメージメニューとか出てくるとか(そういうお店行きたい)

もし株式会社エッタラジェンダシステム開発(長い)だったとしても名刺交換の時に「へえ、インド映画?そんなに好きなんですかあ」で済みそうな気がする。そもそもこの場合映画ファンに向けて大々的に会社設立の報告をする必要もあまりないが。

他にも「ん…?」と思われてしまう原因、いろいろあったんじゃないかな。

・「エッタラジェンダ」という言葉日本での意味合いが限定的すぎる。例えば株式会社ビームだったら同じことにはならなかったのでは(炎上の気配が見えても違う意味を強調して若干逃げ場もある)

・RRRのヒットで界隈が急に大きくなり、強まった商業色や乗っかり的なものに対するファン疲労。これをぶつけられたのは気の毒である

設立者の方のこれまでのファン活動を鑑みて、権利関係に関して深く理解された上でとは考えにくい部分がある

などなど。

ただ、上記のいずれも反対する気持ち理解できるという話で、法律的または権利的に直ちにアウトではなくあくま道義的可能性)または気持ち的な問題がメインだ。

上記の線引きがどうの話も個々の感受性思い入れベクトルや強さの問題で、コンテンツに対する愛情の強さとは必ずしも比例しないし、辛いと思うこともどうでもいいと思うことも間違っていないと思う。

今回否定的気持ちツイートしたほとんどの方も気持ち的な問題というところは理解されている印象を受けた。悲しみや怒りを感じる投稿は多くあったものの、社名変更希望通り越して強要だったり、口汚く罵倒する言葉ほとんど見えなかった(見えるところにないだけでDMではわんさか届いてたりするのかもだけど)

新たな挑戦をする人を寄ってたかっていじめているような見方をされている方もいたけど、(もちろん強い言葉で詰め寄るのは論外として)嫌だと思うものを嫌だと言うまでの権利は誰にでもあっていいはずだ。今回、新たな挑戦「そのもの」を叩く人って言うほど多かったか…?

結局好きなものを共有するだけで、それ以外は異なる価値観の人の集まりでみんなが同じ意見であることは不可能だし、その状態を目指す必要もない。どの意見も間違っていない。間違えがちなのはいつだって伝え方のほうだ。

そもそもファン向けビジネスをしようと思った時、お気持ち蔑ろにできるものなのだろうか。ファンというもの自体お気持ち集合体だと思う。お気持ち論は根拠にならないという意見もあったが、結構割合の人が同じように感じている気持ち無視して進むことは事業としてリスクがあったのでは。

つらつら書いてみたけど、会社は結局一番残念な形で終わってしまった。お会いしたことはないが、設立された方はオフ会の仲間の皆さんからとても慕われているようだ。ホームページ(すでに消えたが)を見ても「良い奴」なんだろうなあと思う。

動力が並外れに高くてあっという間にリーダーになってしまタイプなのかな、と。それだけに今回これだけあっさり全部取りやめてファン活動のものから撤退されるのは惜しいと思う。

何度も開催した大規模オフ会の中心的な人物(だよね?)として多くの人から慕われていたのが、いざ会社を立ち上げた時にぶつけられた想定外否定的意見の数々に戸惑い打ちのめされたのは想像に難くない。ご本人から詳細を説明されたツイートも状況を好転させることはできなかった。一個人にそれをすべて耐えろと押し付けるつもりはないが、もう少しいい形で共存できる方法はなかったのかと考えてしまう。元々は同じファンなのだから

実務的に頼れる(それこそ法務とか、今回の対応含め)人物はいなかったのか、長いことインド映画を盛り上げてきた方々の力を借りつつ一緒に進めることはできなかったのか、勢いよく進む傍らで大局を把握する軍師表現)的な方がいるだけでも随分違ってたのではなどと、今回のことが起こらなかったもしくはうまく乗り切れたシナリオを思い描いている。

また、この新しい団体によるイベントはどんなものだったのか、いつか私も何かの上映会に参加していたのだろうかともはや叶わないたらればに思いを馳せる。

追記

今回の騒動を異なる価値観気持ちのぶつかり合いではなく、単なる「集団いじめ加害者」と「新しいことをしようとして潰された被害者」の物語としてとらえる人の多さに少し驚いてしまった。

人の感性って思いのほか色々あって、絶対に分かり合えない価値観の人も少なくない。

自分理解共感できる痛みは尊重すべきもので、自分理解、納得できない痛みは非難していいなんていう善悪の考え方は社会で生きていくにはあまりに危うい。だいたい他人気持ちは誰かを納得させるために存在しているものではない。

その気持ちに至った土台の中に明らかな事実誤認が含まれているのならそれを教えるのはアリだと思うが、気持ちのもの否定は争いしか生まない。

もう一つ、設立者の全面撤退により、今回の会社に対する議論ではなく結局クレームつけて潰したという構図だけがクローズアップされてしまい分断が加速しそうだなと思っていた。

設立者さんの人柄やコンテンツ愛で補われている部分も多々あったが、会社設立までのプロセス問題提起されてから設立者さんの対応はいずれも思うところがある。これが全て有耶無耶になって批判勢がただ悪者になるのも違うのでは。

しかし、設立者さんは撤退の際問題提起をされていた方にDM捨て台詞暴言を送りつけていたとのことで。相手の言い分を理不尽と思うなら公に反論してもっと議論を重ねればよかった。批判を押し切る選択肢も、少し主義を曲げて社名を変える、スピーディーユニット名を全面に出す(そういやこの話どうなったん)などやりようがないようには思えない。

これまでの対応でもあまり良い手を打たれているとは思えず歯痒い思いをしていたが、これは本当に悪手だったと思う。そもそもネット上での騒動なんだから裏で仕返ししようとバラされるに決まってるじゃないか。本文スクショを貼られなかっただけ良かったと思う。こんなことをしたら「愛と勢いに溢れたちょっと不器用だけど応援したい人」のイメージまでも失ってしまう。

サークル内の兄貴分としてはとても頼りになる人、けれどいざ法人化となったとき批判する勢力を納得させるだけの力量もなく、かといって一度全て飲み込んで突き進み結果で語るだけの推進力もなく(社名を絶対に譲歩できないのであればこれが一番現実的選択肢だった)、多くの人が寄り添った「優しすぎた被害者」の立場までも本人が手放しかけている。

もしくは人一人の力なんて結局はこんなもんなのかな。

応援してます!」だけではなく現実的な助言や手助けをくれるパートナー存在が見えなかったことが個人的には一番残念。

2024-02-16

anond:20240216151115

服薬効果限定的治療抵抗性の統合失調症(当時の診断)だとカウンセリングどころじゃないので、まずは電気けいれん療法などが試されると思うんだけどなあ。

刑務所にそんな設備はなさそうだし、クロザリルの投与ができる環境でもなさそう。

アンガーマネジメントだとか認知行動療法あくま回復期の治療の補助であって、統合失調症(当時の診断)治療のメインはやはり薬物療法だよ。

カウンセリングをさせない医者を想定するほうが難しいっていうけど、あの都立松沢病院ですら状態の悪い急性期の統合失調症患者認知行動療法は行ってない。

無料臨床心理士カウンセリングが受けられる地域精神医療センターという選択肢もある

精神医療チームが組まれてた青葉にカウンセリングを受けさせなかったと考えるほうが不自然

私の近親者にも統合失調症患者がいて、地域移行のための精神医療チームが組まれてたのだけど、本人が希望していたのにも関わらずカウンセリング認知行動療法)は受けられていなかった。カウンセリングをするなら自費でと言われていたようだ。

自然だとまで言うってことは、よほどカウンセリングに力を入れてる自治体東京都ではない?)に住んでいるってことかな。

 

治療支援者のためのものに過ぎないというのは流石に物の見方が偏りすぎでは。治療は本人のためでもある。

怠薬して再発を繰り返すたびに重症化していくのだから

問題精神薬もカウンセリング自立支援支援者のためのものに過ぎなかったということ

底辺精神障害と名前をつけられ支援を受けたって救われるわけじゃなく福祉養分として一生吸われるしかないという問題なの

2024-02-13

救世少女メシアガール

https://anond.hatelabo.jp/20240208173503 の続き

 

メシアガールブルーアーカイブになり損ねたソシャゲである

いやまあ資本力とか運営の人手とかいろんなものが全く雲泥の差なので引き合いに出す方がおかしいのだが、前回から文脈で言うとそうなのだ

まず開始時期が比較的近い。メシアガール2021年9月サービス開始、ブルアカ2021年2月開始。半年ほどの差だがブルアカにしても初年はウマ娘の陰に隠れて殆ど話題に上らなかったので、半年ほどのズレなら近いと言っていいだろう。

そしていわゆる「エロゲっぽい」こと。DMMというかFANZAなので「エロゲっぽい」じゃなくストレートエロゲじゃんって言われるとそうなんだけど、いや待ってくれ。メシアガールの当初の売りは「あのJ・さいろー先生がメインシナリオ担当してる」ことだった。さいろー先生ラノベ絶対女王にゃー様一般層にも認知度あると思うがエロゲシナリオライター方面で語られる人でもある。つまり扱い的には「あの麻枝准が手掛けてる」で宣伝してるヘブンバーンズレッドとかと同じ枠だったし、さいろー先生シナリオ方向性でいえば全然ブルアカジャンル被りというか世間で「ブルアカというとエロゲ」という漠然としたよくわからない雰囲気説明でフワッと思い浮かべる思春期少女のあれやこれやなエロゲシナリオの正当な血統を受け継ぐものといえばさいろー先生だ(異論は…いや認めない)

そして、ゲームの基本デザインが大体ドルフロをパクってること。プリコネフォロワーという解説してるyoutuberがいたがプリコネとの類似は「女の子たちが美味しいごはんをいただく」みたいなコンセプト部分で参照してると見るべきで、ゲーム部分はドルフロの簡易版みたいな作りになっている。ランスっぽいという見方もあると思うがランスはオート戦闘前提ではないし、直接の系譜としてはドルフロと見るべきだろう。

ドルフロのフォロワーで、なおかつジャパニーズエロゲ継承者。ほらみろブルアカじゃないか

 

(まあ、あっという間に肝心のJ・さいろー先生降板してしまうのだが)

 

さてブルアカメシアガール比較したとき自分の印象としてはメシアガールドルフロの系譜だが、ブルアカのようなモヤモヤ特に感じなかった。理由簡単で「ゲーム部分のやろうとしてることが、そのままドルフロ」だったからだ。技術力も資本力も足りなくてドルフロみたいな古いゲーム再現すらできてないが、ドルフロを真似しようとしてることはわかる。ゲームルック方向性がだいたい一致してるのだ。

で、メシアガールという実例を想起し対比すると、ブルアカ独自要素であるSDキャラベースゲーム部分の浮きっぷりが気になってくる。というか、順序的にはたぶんキムヨンハPのとこの得意分野はSDキャラをかわいく動かす方面なんじゃないかなと想像される。で、そのSDキャラを使って何かゲーム作りたいとなったときドルフロを参照することになったという順序じゃないか。その順序だとすると、なんか絶妙にかみ合ってないドルフロを参照するという部分には yostar サイドの思惑が関わってるんじゃないだろうか。

 

そんなふうに妄想を連ねてくと、なんか色々と思い出されてくるものがある。

たぶん、まだこの駄文を読んでる人はそのうちこの話題を出すと思ってただろうが、ドルフロと yostar の間はそこそこ因縁がある。日本上陸からイザコザがあったらしいが、yostar 側が日本で「少女前線」の商標を押さえてしまったために日本少女前線名前を使えず、「ドールズフロントライン」の名称で出さざるをえなくなった。はてブでもちょっと話題になったので覚えてる人もいると思う。が、話はそれだけで終わらず、ドルフロのメインキャラ絵師(それ以外もシナリオやらいろいろ手掛けてたらしいが)が何らかの事情で抜けて、アークナイツを開始することに。型月でいったらFate海外商標を取られて妨害され、その妨害した会社武内崇が引き抜かれたような感じだろうか(まあ、ドルフロ側の社長がかなり個性的というか癖が強いのがゲームゲーム周辺見ても丸わかりで、内部事情の本当のところは判らないとはいえドルフロ側が可哀そうとはなかなか言えないのだろうなと思う…)

 

そんなドルフロとの因縁ある yostar が「実銃と美少女の組み合わせ」というお題で出してきたのがブルアカである

 

そういう目線youtubeに残る初期のブルアカPV見ると、うわあ執拗だなあって気分になる。残ってる最古のPVでは、「ミリタリー」と大きく表示されるとこからキャッチコピーを出し、続けて「FANTASY」、「青春×物語」とコピーが立て続けに出され、その、後から出てきたコピーテキストに追いやられるようにして「ミリタリー」は見えないぐらい小さく、脇に押し込まれるという作りになっている。

いや、そのPVの時点でミリタリー要素ほぼ残ってないじゃん。なんで一番最初ミリタリーってテキストを持ってきたの。銃と美少女から? ガンスリミリなんて言う人おらんやろ。銃と美少女の組み合わせなんて珍しくもない昨今、銃持たせたぐらいでミリとか言い出すのは元からミリな奴ぐらいである。ブルアカファン層でもキャラネタ考察をするやつはいても銃を気にするやつはいない。ブルアカで「銃と美少女系譜」を語り出すやつがいたら、そいつは確実にブルアカをやってない。

何より、今のキャッチコピーは「学園×青春×物語」で、ミリタリーなんて書いてない。おそらく、企画開発当初はミリタリーだったのが後から方向性を変えていった、その結果として「ミリタリー」が消えた。開発途中で方向性修正するのはよくあることだ。

にもかかわらず、消えた後に、「ミリタリーを消す」というコンセプトを強く打ち出すのを何よりも一番最初アピールせずにいられなかった。

あの最古のPVを見ると、そう思われて仕方ないのだ。その後に出されたアニメPVでファンシーに彩色された銃弾インパクトを受けた先生たちも一定数いると思うが、自分みたいなのが見ると、あのパステルな色調の銃や弾丸にも「ミリタリー過去のものに塗りつぶしてやる」みたいな想いが塗りこめられてるように見えて、あのカットに込められたファンシーさと呪いの落差が実に味わい深いと思えてしまう。

 

まだ続きます

2024-02-12

主人公が変わるのってどう?

たとえばクレジット順が変わるのはタレント事務所が金だしてるとかあって

実際見たら内容は原作とは変わらんやんみたいな映画結構あるんだが…

それはわりと許容範囲なんだよ。結局商売もあるし忠実度を期待したいのは作品の中身だし。

そのなかで性別が変わるやつあるじゃん主人公がだよ。

たとえばキャプテン・マーベル

幸運なことに原作キャラを知らないので「はえー」って感じで見たんだが実は原作は男と聞くと…腹がそわそわしたんだよな。

で、この記事を書くきっかけになった理由というと…

舟を編むが実写ドラマ化されて、主人公が別のキャラになりますって情報を見たから。

見てない人に説明すると舟を編む小説原作実写映画がすでに高く評価されている。

映画とはキャストを全員変えているのだが、分かりやすキャスト名で言うと

映画版の主役は松田龍平なのだが、ドラマ版の主役は池田エライザになるのだ。

とんでもない性転換だなとか、まあ松田龍平映画なら変なのも多いしアリか?とか思えるのだが

ドラマ版の池田エライザ映画版では黒木華がやってたキャラなのだ

ちなみに松田龍平キャラ野田洋次郎がする。

オダギリジョー向井理宮﨑あおいミムラになる。

エライザは原作にいるキャラだが準主人公でもないし…。

ドラマ版相関図ではエライザが大きく主役だと分かり、野田洋次郎と並んでいる姿を確認できる。

タイトルは「舟を編む〜私、辞書つくります〜」

ダッッッs

あらすじを読めば少しは理解できる。

ドラマ物語原作の中終盤ごろから始まる。

新卒だった主人公が既に結婚中年になったころだ。

若手の社員として主人公のいる部署エライザが移動してくるというストーリー。これ自体原作の流れだ。

かにエライザを主人公のような見方をしても悪くないかもとは思う。

しか原作でよかったのは結構何にもできない主人公時間をかけて成長して後輩を持つという流れだったのだ。

これが途中から始まるわけだから主人公の成長過程シンプルには見えないわけである

どこまで原作通りに進めるかは分からないが…

これは完全に視点を変えるということになるよなと。

どう思う?正直なにが起きてるんか理解が追いついてない。

もうドラマ始まっちゃうんだが…原作映画アニメも見たけどドラマドラマどうすればいい

2024-02-11

石積み

幼少期

はじめて、教えられたのは

石積みだった

プルプル・・プル・・・

コトッ

ママ

「わーーーーーーーーー!!」

「パパ見てーーー! のんたんが、石積みしたよ!」

パパ

「おー、のんたん。さすが、でかしたぞ!」

ママ

「きっと、この子は立派な石積みする子になれるね!」

パパ

「そうだな、のんたんの将来が楽しみだ」

石積み、

それになんの意味あるかなんて、ぼくは分からなかった

だけど、ママもパパも、石積みをしている

隣のおじさんも、近所のお姉さんも、友達けいすけくんも

みんな毎日毎日、石積みをしている

ぼくは、ただなんとなく、石積みをしなければならないのだなって思った。


学校

学校で教えられることも、みんな石積みについてのこと

石積みについて、いろんな見方で石積みのことを教えている

先生は言っていた、みんな将来は立派な石積みをする大人になるんだぞ!って

クラスのみんなも、みんな毎日毎日石積みに励んでた

高く石を積めた優等生のおざきさんを、先生は褒めた

「おざきは、立派だ!みんなもおざきを見習って、高く積めるようになるんだぞ!」

みんな石積みをして、立派な大人になりたかった

立派がなんなのか、よく分からないけれど

石積みをちゃんとしていれば

いつかは立派な大人になれるんだと思ってた

だけど、

石積みは石積み

誰もしたい訳じゃない

したいっていうやつもいるけれど

それは、石積みをした後のことを楽しみにしていて

石積みだけがしたい訳じゃない

石をひとつひとつ積み重ねていく

それは、とてもめんどくさくて、退屈な作業

みんな石積みは嫌いだけど、けどしない人はいない

ぶーぶー文句いいながら、みんなちゃん毎日石積みをしていくのだ

中には、周りを油断させる為に

「俺、石積みなんて全然してないよー」とか言いながら

徹夜で、石積みをしているやつもいるか不思議なもんだ

コトッ

そして、ぼくも今日も石積みをする・・


社会

社会に出ても、ぼくは、毎日相変わらず

石積みをしている

ぼくは割りと、容量よく石積みが出来る方なので

子供ときから、積み上げてきた石の高さに見合う

会社仕事をしている

石積みを続けてきて、分かったこ

それは石の積み方には個性があるということだ

学生時代の連中も、それぞれ石を積み上げてきた

石をたくさん積むのだけど、慎重すぎて積み上がった石が高くないやつ

石を積むのはうまいんだけど、安定感がなくてどこか危なっかしいやつ

石積みというものをいまだに、分かっていないやつ

石積みをしなきゃしなきゃと言いながら、全然やってないやつ

一見大きな石の山のようになっているけれど、親の積み上げたものに石を乗せている、すねかじりのボンボン

そう比較すると、わたしの石積みはとてもバランスがよくて、石積みをよく理解していると思われるような綺麗な山だった

崩れないほどに安定していて、無駄に安定させず工程数も増やさない、理にかなった重ね方

石積みの真髄は、いか効率よく無駄な手間をかけずに高く積み上げること

そんな石積みを見て、まわりは評価する

君の石積みは立派だ

ぼくも君のような、石積みがしたいと

けれど、わたしには

いままでずっと感じていた疑問があった

なぜ、石 積 み を し な け れ ば な ら な い の か ?

子供とき、一度先生質問したことがある

「なんで、石積みをしないといけないの?」

「それはな、大人になってから分かる。そして大人になってから、石積みをしていて、よかったなーって気付くものだよ」

他の大人も似たようなことを言って、

同級生友達も「石積みはしなければならないもの!」の一点張り

それからわたしのこの疑問は胸の奥にしまわれたままだった

いつか、わたしが立派な石積みが出来たら、分かる日が来るのだろうと・・

けれど、そんな日は来なかった

理想の石積みに近づくほど、疑問は鮮明になっていき

日に日に、なぜ石積みをしなければならないのか

理解しなければならない気持ちが大きくなってきた

みんな石積みはしなければならないと、子供ときから教えられ

ただひたすら、石積みのことばかり教育されて、

石積みをさせるようにマインドコントロールさせているようにしか見えない

もう、意味もなく目的もなく

石積みをするなんて訳の分からないことするのは、疲れた

そんなある日、ひとつ広告を見つけた

「石積みに疲れたあなた。いらしてください」

路頭に迷っていたわたしは、行き先もないのでふらふらとその病院へ行った

すると、医師わたしに、鬱病だと言った

そうか、わたし鬱病なのか

鬱・・そうなのか? わたしおかしいのか?

石積みを真剣にしている方が、おかしくないか

まーまー、あなたは、いままでがんばりすぎるほど、たくさん石積みをしてきました。

もう、のんびり石積みをしていけばいいんじゃないんですか?

けど、わたしは石積みをする理由が分からいから、石積みをしたくないんです。

あんまり、石積みのことを考えてしまうと、それが負担なっちゃますから、あまり深く考えずに、のんびり〜のんびり〜いきましょう。

はぁ・・

あと、気持ちが安定するお薬も出しておきますね。

悩んだときは、これを飲むと、落ち着きますよ。

わかりました。



1ヶ月後

それからわたしは、石積みに対する疑問は、ならべく持たないようにした。

それでも、考えてしまう時は、安定剤を飲んで紛らわせた。

これからも、わたしはきっと、石積みを続けていくんだろうと、ぼんやり思った。

蟻たちは地面の腐敗物を清掃するように

きっと、石積みをすることが、わたしたちの役目なのだろうか

今日わたしは、石積みをする為に会社にいく。

あぁ、なにかおかしい気がする

気を紛らわせてまで、したくもない石積みをしなければならないのは

なぜだろうか

2024-02-10

フィル・スペンサー氏がXboxの今後のビジネス計画について来週にも説明を行うと明言。マルチプラットフォーム化のウワサに対する批判を受けて

 マイクロソフトXbox Gaming部門CEOであるフィルスペンサー(Phil Spencer)氏が,Xboxの今後のビジネス方針や将来的な計画について,来週中にも詳細を説明すると自身のXアカウントリンク)で公表した。

 スペンサー氏のメッセージは,以下のような内容となっている。

 「皆さんの声は我々の耳に入っています。来週中にもビジネス戦略アップデートについて話をしようと計画しており,Xboxプラットフォーム未来について,皆さんに詳細をお伝えできることを楽しみにしています。ご期待ください」

 海外メディアThe Vergeが現地時間2024年2月5日未明レポートリンク英語)しているが,2024年内のリリースアナウンスされたばかりのBethesda SoftworksとMachineGamesによるアクションアドベンチャーゲームインディ・ジョーンズ/大いなる円環」(PC / Xbox Series X|S)が,数か月遅れPlayStation 5向けにもリリースされるという“ウワサ話”が出ており,この発表はXboxユーザーから受けている不満への対応と思われる。

仮にマイクロソフトが自社独占タイトルを他のプラットフォーム(プレイステーション任天堂)にも提供するのだとしたら、それはマイクロソフトゲーム機事業の「店じまい」の第一歩になると思う。

実際のところ、マイクロソフトXboxの畳み方をずっと模索していた節があるんだよな。

追記

PS5はXbox Series X|Sの2倍ほど多く売れている模様 テイクツー・インタラクティブの決算報告が示唆

テイクツー・インタラクティブの収支報告に記載されたデータによると、PS5はXbox Series X|Sの2倍ほど多く売れているようだ(GameSpotより)。

資料確認すると、2023年12月31日時点で、7700万台の第9世代コンソール販売されたと記されている。この数字だけではあまり多くのことはわからないが、ソニーは同年12月20日、PS5の販売台数が5000万台を突破したことを発表していた。マイクロソフト販売台数を公開していないが、テイクツーの情報を基に考えると、Xbox Series X|Sはおよそ2700万台を販売したと推定できる。

ほぼダブルスコアでPS5が売れてるんだよな。

からハードウェアシェア争いで消耗しないというのは戦略としてはアリなのかもしれんけど、結果的ますますじり貧になっている。

追記

ゲーム機シェアの話になると、必ずと言って良いほど「WindowsにはXboxが既に入っている」みたいな反応があるんだけど、ぶっちゃけた話それに何の意味があるのか全く分からん

その辺の電気屋売れ筋パソコンで最新のゲームソフト快適に遊べるの?しか思えんので、何を意図した発言なのかすら理解できない。

ゲームパスのすばらしさを説くのは分かるが、それでもってXbox販売台数など取るに足らない問題だ、というのも俺には理解できない。

ならなおさらXboxもっと売れてなきゃおかしいだろと。

Xboxって、ゲーミングPCよりもはるか安価で、それでいてゲーミングPCと大差ない快適なゲーム体験提供してくれる「ゲームパス」端末じゃん?それなのにPS5より売れてないって割とマジで深刻なんじゃねえの?

俺にはその手の反応は牟田口廉也の「元来日本人は草食である、然るに南方草木は全て即ち之食料なのである」と同じに見えるんだよ。

言い換えるなら「元来WindowsにはXboxインストールされてある、然るに世界PCは全て即ち之Xboxなのであるとでもいうべきか。

追記

「Xbox生産は続ける」 MS幹部が社員に約束 ゲーム機市場撤退を否定

マイクロソフトXbox事業での大きな方針転換を決めたとのうわさが、世間を騒がせている。今週の正式発表を前に、すでに社内では火消しの動きが出ているようだ。

ジャーナリストのシャノン・リャオによると、マイクロソフトXbox部門は6日、経営陣が社員対話するタウンホールミーティング実施。同部門トップフィルスペンサー社員に対し、マイクロソフトゲーム機市場から撤退するわけではなく、今後もXboxを作り続けると断言すると同時に、Xbox事業戦略は今後も「複数種類のデバイス」にゲームを展開するものになると説明したという。

Xbox部門社員に対して、今後もXboxを作り続けることを約束しなければならないというのは、信じられない状況だ。この背景には、マイクロソフトが自社製ゲームプラットフォームに縛られずプレイできるという「Xbox Play Everywhere」の理念を優先し、ゲーム機販売を重視しない姿勢を強めているという見方がある。マイクロソフト現在ゲーム提供しているプラットフォームXboxゲーム機PCモバイル端末でのクラウドゲーミングだが、今後はその対象PlayStation任天堂ゲーム機にも拡大する方針だとうわさされている。

そういえばゲームパスの会員数もここ数年公表してないんだよね。噂では3000万人を超えてるらしいけど、公表しない理由もよくわからない。

2024-02-09

自殺した原因における自己投影バイアス

「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家スコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流だった。

「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になった。

早稲田映画を専攻し、学生時代映画脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうだ。

自身作品映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていた。

「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現からそのまま映像にすると不自然になってしまう」

脚本は書けば書くほど上手くなると言われる。三年間毎週、映画を見て課題を書いていれば、とりあえずプロにはなれるというと言う通説がある。

死者に鞭打つわけではないが、原作者は、映像化について正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。

その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っている。

 

ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまたか自殺した」

という見方が大半だが、私はそれが原因だとは思わない。

冷静に考えてほしい。実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。

しろ自分の大切な原作を、自身脚本台無しにしてしまった自責の念

と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまたことに対する責任

の方が強かったのではないかと思う。

から攻撃する意図はなかったとわざわざ書いたのだろう。

自分大事作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん」

ただそう弁明したかっただけなのだと思う。

それを勝手拡大解釈した実写化憎しの人たちが、騒動を大きくし、この悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。

もちろん、本人にしかからないし、本人にもわからいかもしれないが。

ただ私もクリエイターの端くれとして、

もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供回復をしようと頑張るが、

もし周りを巻き込んだ挙句自分自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。

そんなふうに思ったからだ。

ご冥福をお祈りします

ひょっとしたら今のフェミ

オタクいかがわしい

という価値観になってるのかもしれんな

ちょっとでもオタク臭さを感じたらそれはもういかがわしいものだという見方で凝り固まってると

でも今の若い人達オタク文化も当たり前のものとして受け入れてる

オタクいかがわしい価値観の源はおそらく宮崎勤事件

この事件の影響を強く受けてるのは…と考えると今のフェミはどの年齢層がボリュームゾーンなのかが見えてくるよね

2024-02-07

anond:20240206195111

はてブVtuberニワカ」って話題が数ヶ月に一回は話題になってるのに、お前の見方は歪んでいるなあ

2024-02-05

お前らは脚本家のことを舐めすぎだと思います

普段脚本すら読んだことないであろう人たちが、脚本家を攻撃していて困惑している。

よく言われていることだけど、脚本とは映像のための設計図です。

漫画小説とは全くもって、似て非なるものです。

ここをほとんどの人は勘違いしているように見受けられます

脚本は何度も何度もプロデューサーに訂正され、さら現場では監督役者セリフも直されます

例えば何をやっても上手くいかない主人公が、恋人に振られたうえに雨に降られてずぶ濡れになるとします。

漫画では、雨に打たれるシーンはスクリーントーンと線を引けばいいのです。

小説では、雨が主人公の肩を濡らした。とか書けばいいのです。

しか映像作品では一回雨を降らすのに200万です。雨のシーンが続けばあっという間に予算オーバーです。

自身オリジナル作品で何度も映画化したことがある大物脚本家ですら、雨のシーンが実現されたことはないとボヤいていました。

そういった時に雨を降らさないでも、どうしたら雨が降っているような感情を伝えられるか?

そういったことを考えるのがプロデューサーの意を汲んだ脚本家です。

「ここちょっと予算的に雨降らせられないからなんかないかなぁ」

「じゃぁ、散水している工事現場の水がかかったことにしますか」

よくドラマとかで見るアレです。

これは原作にない脚色かもしれませんが、恋人に振られた主人公が惨めな気分であることを表現できで観客に伝わればいいのです。

さら帰宅してすぐにあったまろうと風呂に入ったことで、仕事上の大事電話に出られなかったって繋げればさらに惨めさが際立ちますね。

そうやって脚本では話を「コロガシ」て話を繋いで行きます

小説のようにいきなり章を分けたりするとドラマでは不自然さが強調されるからです。

仁義なき戦い」で有名な東映ヤクザ映画時代からあるコロガシという脚本用語です。

まり何が言いたいかというと原作脚本では本当に違う技術必要とされているのです。

そしてゼロからイチであろうがイチからヒャクであろうが、どちらも技術を磨くという点において努力の賜物なのです。

 

「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家スコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流でした。

「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になりました。

早稲田映画を専攻し、学生時代映画脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうです。

自身作品映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていました。

「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現からそのまま映像にすると不自然になってしまう」

死者に鞭打つわけではないが、原作者も映像化については正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。

その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っています

 

ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまたか自殺した」

という見方が大半だが、私はそれだけだとは思わない。

冷静に考えてほしい。

実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。

しろ自分の大切な原作を、自身脚本台無しにしてしまった自責の念

と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまたことに対する責任

の方が強かったのではないかと思う。

から攻撃する意図はなかったとわざわざ書いたのだろう。

自分大事作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん。」

ただそう弁明したかっただけなのだと思う。

それを勝手拡大解釈したテレビ局憎しの人たちが、騒動を大きくしこの悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。

もちろん、本人にしかからないし、本人にもわからいかもしれないが。

ただ私もクリエイターの端くれとして、

もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供回復をしようと頑張るが、

もし周りを巻き込んだ挙句自分自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。

そんなふうに思ったからだ。

ご冥福をお祈りします

思想めんどくせー

好きだった海外作品がバズりすぎて日本でも大人気になった

欧米作品なので元のファン層はそっちの文化に影響されてる人も多くて

めちゃくちゃ乱暴に言うと(いわゆる)思想が強めっていうか意識高い系っていうか左寄りの人が多かったのでかなり居心地が良かったのだが

日本オタクに多がちな(というかオタク以外でもそう)保守的価値観内面化してる層、さらっとナチュラル差別心があるタイプの人(この見方も多分本人たちからすると差別なんかしてるつもりないから怒られる)もまあまあ入ってきてトホホだった

右寄り腐女子は素直に右寄り腐女子ウケのいいコンテンツ(ヘ〇リアとかコ〇ンの安〇さんとか(右寄り腐女子が好みそうな作品イメージが古くてごめん)見て祖国礼讃したり受けちゃん和服着せたりして楽しんでてくれや!

こっちは「フェミ」の「思想持ち」として頑張るからよ…泣

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