はてなキーワード: 口語体とは
お正月の歌と言えば、これ。
『お正月』
もういくつねると お正月
こまをまわして 遊びましょう
はやく来い来い お正月
この歌、子供の頃からずーっと思ってたんだけど、「お正月の数日前」の歌なんだよ。
なんでこんなことになってんだ?バグか?
そう思って少し調べた。
まずこの曲の作曲者は、あの瀧廉太郎!(名前だけはなんか知ってる!)
どうやら、荒城の月や花(春のうららの〜隅田川〜)などの作曲者みたいだ。
なんかすごい。
東くめとその夫、あと瀧廉太郎らが「子供でもわかりやすい歌を」というコンセプトで作ったようだ。
120年以上も前!歴史あるんだなぁ。
今まで文語体だった子供向けの歌を口語体で作ったという、当時としては画期的な歌だったそうだ。
だからお正月と誕生日が同時に来るので、子供はことさら楽しみだったみたいだ。
数え年ではなくなったことも一つの理由だが、大きな理由はこれらしい。
1904年に銀座の明治屋がクリスマスツリーを店頭に飾り、1910年に不二屋がクリスマスケーキを発売。
その後昭和初期に、大正天皇の誕生日である12月25日が休みになった。
(それなら今の12月23日と合わせてクリスマス連休にしてほしいところだ)
つまり、クリスマスを祝う慣習が生まれたので、お正月の歌詞は現実から離れていったようだ。
こう見ていくと、お正月の歌が年末しか歌えないのはバグではなく、時代の流れだということが分かる。
瀧廉太郎は無実だった。誰も悪くなかった。
もういくつ寝ると お正月
お正月には餅食って 腹を壊して死んじゃった
不謹慎すぎてひく。ここに書くのもためらったが、当時のオリジナリティを尊重して載せた。
これも今じゃ子供も歌わないだろうな。
面白くなるかと思って「オープンレター 女性差別的な文化を脱するために」の変な肩書のやつ抜粋してみた。アーカイブから。個々の人の実際は知りません。
澁谷知美 | 社会学 | 社会学者でも社会学徒でもなく俺が社会学だ!ってこと? |
鈴木彩佳 | 東京都民 | 会社の名前とか大学の名前とかどういう職業とかじゃなくて、都民なんだ。 |
高橋千賀 | パート。大卒。 | 急に読点使い始めたぞ。口語体か。 |
千田由紀江 | 国際信州学院大学 社会学部 学部生 | 話題の架空大学架空学部生 |
山田雅信 | フリー | いや他の人はフリーのライターだのフリーのジャーナリストだの書いてますけどフリーの何 |
安田真由子 | 無回答 | 空白にするんじゃなくて無回答って表にしちゃうのか…頭ちゃんと使ってる? |
関田恵 | なし | おい上と違うじゃん。表の体裁が整ってなくて自分で書いたのがそのまま出てんのかもしかしてコレ |
菊池柚衣 | 高校生 | 未成年がこういう記名の場に出てきたらそっと隠してあげるのが大人じゃないの?せめて大学生ならまあいいけども |
大半のおじさんが我関せずという顔をしているのがどうしても許せない。
お前ら個人ホームページがネット上にもう残ってないからって、当時9割が今で言うおじさん構文で文章書いていたのを忘れたとは言わせないからな。
プロバイダーにサーバースペースもらって、手書きhtmlでしこしこ日記書いてたろ!
今まで文章なんて授業で作文か小論文くらいしか書いたことなかったから、「徒然書きます」とか言いながら脳内垂れ流しで書いてたろ!
そこから2chいってmixiいって、一部は水面下に潜ってもう絶滅するかと思われたら食べログとか価格.comのレビューに戻ってきて今でも書いてるだろ!
今でも気を抜くとそういう文章書きそうになって慌てて消してるんだろ?
なのになんで知らん顔して一緒になって叩いてるんだ!?
ブコメ100文字制限でいらぬカッコ書きやセルフツッコミできなくなったくらいで、おじさん構文卒業したつもりになってるのは勘違いですよ。
文字制限のゆるい自分のSMSとかブログコメントとか見直して反省しなさい。
それと今現在口語文で書いている若者たち、20年後にはその文体がおじさん構文と呼ばれるだけなので人のこと笑ってる暇があるなら今から文語体の練習をしなさいね。
そもそも単語や熟語に区切って考えるから腑に落ちないのでは?と思ってしまう。
単語の意味なんて古文と現代文とで同じものはごまんとあるわけだけれど、同じ意味の文章が話し言葉と書き言葉で違う書き方になるのであればそれは乖離してると言えるんじゃないかなと。
例に出してる安愚楽鍋がまさに新しいものだったというか、そういうものがあったからこそ文学も誰もが読める平易な話し言葉に近いもので書かないとダメだね、というようになったってのが流れでは。
こうでなくてはならない、けしからん、という姿勢の人が多くいたんだと思うよ、当時は。変えたい人たちと伝統通りにしたい人達のせめぎ合いの結果、口語体が残っていったって話であって。
https://anond.hatelabo.jp/20190426211521
文意が通らない部分、口語体が悪目立ちする部分もありますが、指摘はしていません。
なお、当方は校正者ではなく、バイトの面接すら通らない30代の無職です。専門家ではないので校正の質は低いと思います。ご容赦ください。
———
女性向け同人の字書きだったんだけど、二年ぐらい前の話を書かせてほしい。
(はてな匿名ダイヤリーは文章を書くのに許可は入りませんが、「書かせてほしい」はママでOK?)
まぁタイトルの通りなんだけど。
正確には「疲れていたところに誤字脱字報告が来たから筆を折った」です。
(「疲れていたところに誤字脱字報告が来たから筆を折った話」にしたほうがタイトルと対になりますが、ママでOK?)
筆を折ったのは決して送ってきた人のせいだけじゃない。正直当事の私には同人上がるいい理由でもあったんだと思う。
(「報告を送ってきた人」にする? 「当事」は「当時」にする? 「同人上がる」から「同人から上がる」にする?)
小説同人やってる人は解ってくれると思うんだけど、誤字脱字誤変換が自分の本からでてくることよくあることだ、と思う。
(「小説同人やってる」から「同人小説をやってる」にする? 「解ってくれる」は後にひらがなの「わかる」も出てきますがママでOK? 「誤字脱字誤変換」は「誤字脱字」にする? 誤字脱字と誤変換は意味がかぶりますが、あえて意味を分けて使ってるのであれば、ママでOKです。「でてくる」とありますが、統一されていないので、「出てくる」にする? 「てくることよくあること」から「出てくることはよくあること」にする?』
そりゃなるべく無いほうがいいに決まっているし、誤字脱字誤変換を減らす努力はちゃんとしてるつもりだった。
読者に恵まれていたのか、そこそこ長い同人生活の中で誤字脱字を指摘してくる人にもその人以外にはいなかった。
(「指摘してくる人にも」から「指摘してくる人は」にする?)
いやこれは、私が弱小サークルだったので単純に頒布数の問題かもしれないけど。
(「いやこれは、」から「いや、これは」にする? 「私が弱小サークルだったので」は修正がいると思われますので、「私が」を取るか、「私のサークルは弱小サークルだったので」にする? 筆者に確認要)
二年前、私は同人小説がそこそこつよいジャンルで活動していて、同人生活の中でも一番数を刷っている時期だった。楽しく活動できたのは参入から一年ぐらいだけで、それ以降は本を出すことに少し追い詰められてもいたと思う。
いままでになく相手にしてもらえて舞い上がってたんだよね。ジャンルやカップリングのおかげだってわかっていても、頑張って書いたものが読んでもらえるのが嬉しくてたまらなかった。
(「いままで」は「今まで」で統一する? 「わかっていて」は「解っていて」に統一する?)
誤字脱字誤変換を完璧になくした本がすばらしいことは解っているけれど、でない神本よりでるくそ本の言葉を信じて馬鹿みたいに小説を書いてた。2,3ヶ月に一回のイベントには必ず新刊をだしたし、その間にピクシブの更新もした。今にして思えば本当にめちゃくちゃ頑張ってたと思う。どんな時間の使い方してたのか自分でもよくわからんレベル。
(「誤字脱字誤変換」はママでOK? 「なくした」は「無くした」に統一する? 「解る」はママでOK? ”でない神本よりでるくそ本”はかぎかっこでくくり、「でない神本よりでるくそ本」にする? 「くそ本」はママでOK? 不適切な表現ですが、あえて用いるならママでOKです。「2,3ヶ月」は後に出てくる年数表記と統一し、「二、三ヶ月」にする? 「新刊をだしたし」は「新刊を出したし」で統一する? 「ピクシブ」の正式名称は「pixiv」ですが、ママでOK? カタカナ表現でも間違いではありません。「どんな時間の使い方してた」は「どんな時間の使い方をしてた」にする?)
で、そんな感じで本を出してれば時々感想をくれる人がいる。私は感想を頂くのが大好きで、基本的に頂いた感想には全て返信してたんだわ。
お手紙にツイッターのIDとかがないものは流石にできなかったけど、そういう時は「感想のお手紙ありがとうございます!すごく嬉しいです!ちゃんと読んでます!」とツイートすることで読んだよという報告をしてた。
(「ツイッター」の正式名称は「Twitter」ですが、ママでOK? カタカナ表記でも間違いではありません。感嘆符の後にはスペースを入れる?)
その中に感想と一緒に誤字脱字誤変換を報告してくる人が一人いた。以下Aさんとする。
Aさんは本の奥付に記載しているメールアドレスに感想を送ってくれる人だった。
最初の一通目は、他の人たちと同じ感じで、この本のここが好きだとか、このやりとりはすごくツボだった、とか私が貰って嬉しいと思うタイプの感想だった。
(「最初の一通目」は重複表現なので、「最初」か「一通目」にする? 「このやりとりはすごくツボだった、とか」は「このやりとりはすごくツボだったとか、」にする?)
だから私はそれにいつもどおり、普通の返信をした。感想が嬉しいです。は、もちろんだし、本文のやり取り気に入って頂けてよかったです、とか。そういうたぶん、オーソドックスな返信なんじゃないかな。他の人と比べたことがないので解らないけれど。
(「感想が嬉しいです。は、」「感想が嬉しいです、は」にする? 「本文のやり取り気に入って」は「本文のやり取りを気に入って」にする? 「そういうたぶん、」は「たぶん、そういう」にする?)
私の返信に対してAさんは「感想を送るのが初めてだったので、気持ち悪いって思われなくて良かったです。喜んでもらえて送ってよかったと思いました!」と返信をくれた。
そこに、誤字脱字報告が記載されていた。
いやみったらしく指摘するわけではなくて、メール本文の中に「誤字脱字を見つけたのでご報告しておきますね」と短く添えて。
それを受信してまぁ、正直「いやぁ、紙媒体に誤字脱字指摘してどうすんの?それ言われても修正できないんだけど」と思った。
ピクシブならまだいい。すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね。とかなんとか言っておけばいいから。
(「ピクシブ」はママでOK? ”すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね。”はかぎかっこでくくり、「すみません報告ありがとうございました。修正しておきますね」にする? 文の語尾の句点は取る?)
だけど紙媒体は印刷されているので修正できるわけがない。再版の予定があるなんて一言もツイートしていないし、なんならまだ在庫あった。
Aさんに悪気がないのはわかっていたけど、ちょっとだけ心がざらついた。でも「今後誤字脱字の報告はしてくれなくていいです」と正直に返す気にもなれなかった。だって、間違いなく善意なのだ。
(「わかっていた」は「解っていた」に統一する?)
Aさんは、本を読んだ感想を私に送ってくれる人だ。初めて感想を送ったという一文が嘘か本当かはわからないけれど、本当ならきっと緊張もしただろう。私がAさんなら緊張して手汗がびしゃびしゃになると思う。
読んで、感想を考えて、作者に伝える。それってすごく時間がかかることだ。Aさんはその時間を私に割いてくれる人なのだ。
だから私は「せっかく手にとって頂いたのに誤字脱字がありすみません。今後はより気をつけますね。感想と報告ありがとうございました!」と返した。私の返信にAさんからは特に返信は無かった。そりゃそうだ。返信するところがないのだから。
(「手にとって」は「手に取って」で統一する? 「誤字脱字がありすみません。」は「誤字脱字があり、すみません。」にする?)
きつい文面かな?いやでもこれ以外になんて返したらいいんだよ。そんな風に悩みもしたが、これっきりになるならそれはそれで仕方がないし、正直誤字脱字報告がまた来ても萎えると思ったので割り切った。
(「そんな風に」は「そんなふうに」にする?)
まぁお察しとの通り、Aさんはその後も必ず感想と一緒に誤字脱字を報告してきた。
(「お察しとの通り」は「お察しの通り」にする?)
私が新刊を出すたびに、必ず誤字脱字誤変換の報告が来る。これが地獄かと思った。
私の本は誤字脱字誤変換がある。それは解っている。だから、私は自分にできる限りの校正をした。
(「誤字脱字誤変換」はママでOK? 「私は自分にできる限り」は「私は自分でできる限り」にする?)
締め切りは修正作業で遅れてもいいように常に早割りを狙って、さらに三日前には仕上げるようにしていた。
(「締め切りは修正作業で遅れてもいいように常に早割りを狙って、」は意味が通らないので修正要です。「修正作業で遅れてもいいように締め切りは常に早割りを狙って、」にする? 筆者に確認要)
自分でチェックだってする。縦書き本文を横書きに流し込んでみたり、フォントを変えてみたり。長い文字数の本はできないこともあったが、短い本を出すときは音声読み上げ機能で読み上げてみたりもした。
毎回来るAさんの指摘が悔しくて、絶対に次は誤字脱字誤変換の無い本を作ろうと思った。
友人三人に見てもらい(友人1→私が修正→友人2→私が修正→友人3→私が修正という手順)、縦書きと横書きで印刷して読み返した。音声読み上げも毎日少しずつやって、早割りを捨てて校正をした本にもやっぱり誤字脱字誤変換は存在した。
そしてAさんは感想と一緒にそれを指摘してきた。
いやなんかもう「逆にすごくないか?」と思った。思って、そこでぽっきり心が折れてしまった。
Aさんは最後まで善意だったと思う。私も嫌なら「誤字脱字誤変換の報告は今後一切不要です」と一言伝えればよかっただけの話だとも思う。
でも、善意なのだ。おそらくこの人は善意でやっていて、それを拒絶することが私には出来なかった。
自分が私生活を犠牲にしつつ作った本を、お金を払って手に取ってくださる方がいる。その上に感想もくれる。それってすごく恵まれていることだ。だけど、毎回必ず指摘がついてくる。
これがウェブ媒体なら、あるいは紙媒体でも早々に完売して再版の予定があるとかならまた違ったのだろう。でも、私が刷っている本は在庫を抱えている。私がどんなに強く願っても修正はできないのだ。誤字脱字誤変換を修正して頒布することは、不可能なのだ。
どうにもできない現状に指摘がくるというのは私にとって苦痛以外のなにものでもなかった。
(「くる」は「来る」で統一する?)
でもAさんに直接言う勇気は持ち合わせていない。ちょうど仕事も忙しくなり始め、疲れていた私が下した判断が「もう同人誌作るのをやめよう!」だった。
(「疲れていた私が下した判断が」は「疲れていた私が下した判断は」にする?)
タイトルの一言で済む話をここまで長くだらだら書くの、小説書いてたからだと思う。
(「ここまで長くだらだら書くの」は「ここまで長くだらだら書くのは」にする?)
私の同人誌もずっとこんな感じだった気がするね。
ここまで読んでくれた人がいたらありがとう。
これを読んで誰かに感想を送ろうとしてる人が居たら、本人が希望してない限りは本への誤字脱字誤変換の指摘はやめておくほうが無難だよ。もしかしたら嬉しい場合もあるかもしれないけど、疲れてるところには案外心にくることもあるって、知っておいてね。
(「感想を送ろうとしてる人が居たら」は「感想を送ろうとしてる人がいたら」にする? 「誤字脱字誤変換」はママでOK?)
同人誌は基本的に素人が趣味で作っているものだ。誤字脱字誤変換の無い完璧な本が欲しいなら、商業を読んだほうがいいです。商業でもたまにあるぐらいだから、同人誌で完璧になくすことがどれだけ難しいかは察してほしいなって思います。
(「誤字脱字誤変換」はママでOK? 「商業」は「商業誌にする?)
私はもう同人誌を作るのをやめてしまったけれど、筆を折りたい字書きがいたら誤字脱字報告新刊のたびに毎回すると心を折ることができるかもね。
(「誤字脱字報告新刊のたびに」は「誤字脱字報告を新刊のたびに」にする?)
こうやって書いたから、本当に悪用する人がでてくるかもしれないけど、誤字脱字誤変換は多かれ少なかれあるもんだよ。完璧じゃないから本を出さないのはもったいないって心を強く持って欲しい。
(「でてくる」は「出てくる」に統一する? 「誤字脱字誤変換」はママでOK?)
———
全ての誤字脱字は拾いきれていないと思います。
もちろん俺は買いに行かなかったんだけど、完売したんだってさ。買ったやつはバカだねー。
で、あとになってコミックマーケット準備会が対策すべきだったとかいう奴が出てくる始末。
できるわけねーし遅いわ。
まあ準備会じゃない門外漢が止める方法なんて犯罪しかないしな。あとになっちゃったら準備会に文句言うだけしかできないのはまあわかる。黒子のバスケ脅迫犯ぐらいやんないと、コミケのルールに反してない同人誌頒布は止めらんないもんね。要は武力闘争になっちゃうわなあ。その土俵で勝てる相手じゃないわなあ。普通に命が危ない。
反社の資金提供ガー!指定暴力団じゃないしなあ。資金云々は銀行口座とか会誌の書店流通とかhontoやらamazonの通販とか止めてから言えば?
申し込み前の段階。クラウドファンディングで本出すとかいってたアイドルはここで止まったけど、その段階で公表されてたっけ?騒いで止まるような相手だっけ?
申し込みの段階。俺はサークル参加の申し込みしたことないんだけどさ、ルールに「過激派の参加を禁止する」って書いてあるか?ほかのルールでも構わないが、ルール違反だから書類不備、として落とせるか?これ不備じゃないから通っちゃったわけよな。
サークルカットは「みどるこあ 中核」とだけ書いてある。これだけでマジモンだとわかるかってのもある。中核派じゃない人が書いた中核派研究の本だったら、これ誰も文句言う筋合いのものじゃないよね?申込書のわずかな記述で、本物か趣味のウオッチャーか調べる方法ってある?申込数は4万サークル超えるんだぞ。4万分の1の存在にどこまで労力要求すんのよ?4万分の3万を正しい場所に配置する組み合わせ最適化問題解いとるんですよ?
抽選。運が悪かったね。
やっぱり申し込みされたのをちゃんと審査して落とせばよかったって?それマジで言ってる?
その場で犯罪行為が起きなさそうなら止めないでしょコミケットって。護憲、遵法。法律なら止まる。お気持ちならとまらない。そういう理念で動いてるでしょあいつら。アンチ軍国主義の左翼活動に源流あるでしょ。
一般常識とか世間体とかお気持ちで止めるなら、ほとんどのサークルが成立しないんですよ。ちょっと明治時代まで行ってみ?口語体オリジナル小説書くとかクッソ軟弱で世間に顔向けできない行為だからね。そもそも創作すること自体キチガイの所業ですよ。
殺人者集団に活動を許すなって?集団とはどこからどこまでだよ。同じ場所に居て同じ活動をしたことのある奴はすべて同罪なのなら、コミックマーケットの参加者は全て、あの殺人者と同じことをしたことになるんだ。30年前のことを忘れたのか。
アイドルグループ「BiSH」所属のモモコグミカンパニー著の『目を合わせるということ』を読了した。以下簡潔に感想を。
文章レベルは「素人にしてはよく書けている」程度。だからこそ逆に驚いた。この文章はゴーストライターの手によるものじゃない。文章の特徴を箇条書きにしてみると、以下のようになる。
・時折入るら抜き言葉
・文末の表現が全体的にこなれていない(「ことだ」の繰り返しは避けたほうがいい)
著者は読書家を自称しているらしいが、そうとは思えない。しかし、編集と校正の手が入ってるとはいえ、読んでいて詰まる部分はない。読み進める内に文体がこなれていくのは流石だ。作者の知性の高さを感じさせる。この本は著者がアイドルデビューしてからの3年間を綴ったエッセイだが、本人の性格が文章内に如実に現れていて、とても面白く読めた。
自分が恵まれた環境で育ったことに自覚がない。同じような境遇に育った人間の間では自己をごまかしながら生きていくことができるが、近くにいればいるほど嫌われるタイプ。特に卑しい身分に生まれ育った人には蛇蝎のごとく嫌われる。著者に対して「お前のことは嫌いだった」とハッキリ言うメンバー氏は凄い。
本人にも自分の性格の欠点について自覚がある。人を遠ざけたり、自己嫌悪に陥ったりする。著者の母君も著者の将来に危惧を持つ。このタイプは嫌われる人には徹底的に嫌われるので、本人の高い能力は社会で(特に会社員として)活かすことはできないだろう。
だからこそオーディションで見出された。メンバー唯一のずぶの素人としてひな壇に立つことができた。
著者のパーソナリティは「アイドルらしさ」とはかけ離れている。著者の存在はBiSHというグループに刺激を与え続けている。本人に自覚はないかもしれないが、BiSHの飛躍の一因は著者にあるのは間違いないだろう。
おじさんになって一番思うのは、やっぱしちゃんとしてないと言いたいことを言えないんだってこと。
例えばさ、こんな口語体のうんこみたいな知識を書くとするじゃん?
でもさ、昔のどっかのお偉いさんが四文字熟語とかでさ、古典とかひっぱってきてさ、
かっこよく賢そうに達筆で額なんかにして飾ってたとかだったらさ、
座右の銘だーとかいってたらさ、なんかすげえ良いこと言ったみたいにかっこいいじゃん?
でもさ、「やっぱしちゃんとしてないと言いたいことを言えないんだよー」って
酒金女に溺れたおっちゃんが夕刊フジを読みながらワンカップひっかけつつ増田書いてもさ、
そこまで感動しないじゃん。
あとさ、黒塗りの怖そうな車に乗ってる粗暴そうなオジサマが「この代金おかしいやんけ」っていうのと
よれよれの長袖ポロシャツインしてる松方弘樹メガネのオジサマが「この代金おかしいやんけ」っというのとさ、
求める力が違いすぎるでしょ。
説得力に差がありまくるでしょ。
あるのよねえ。
理想を持って希望に満ち溢れて社会を良くしていこうって、変えていこうってさ、”先入観をなくそう”とかね。
夢膨らんでる若者はさ、輝いてるよね。素晴らしい。
でもね、やっぱしいろんな意味でちゃんとしてないと、伝えたいことって聞いてもらえないのよ。
おじさんたちはね、そのオキテに逆らう恐怖を知ってるの。
みんな守りたいものがあるからね。ちっぽけなものかもしれないけど、それぞれが守る価値があると信じてるものね。
たから必死にオキテを守るし、守らない人から自分たちを守ろうとするんだ。
それって悪いことじゃなくない?みんなそうするのは利益があるからだしね。
自分を守ることの善悪はめんどいから置いとくか。ここで大事なことはオキテ、逆らう、良くない。
まあ、だから、オキテやぶりをするなら、それなりにちゃんとしてないといけない。
ちゃんとするには、おおざっぱに言って2種類あって、難しい方法と、簡単な方法がある。
難しい方から説明すると、みんなの「ちゃんとしたい」とか「守りたい」って気持ちを
全部まるっとうまくすくい上げること。あんたらに悪いことしませんよーって納得してもらうこと。
これめっちゃ難しいけど、うまくいくとめっちゃ気持ちいいから。いいよ。
簡単な方はね、これズルいんだけどね、脅かすの。嫌なことするぞーって。
もちろん最初から全部この方法を使うわけじゃなくて、こっちの方では嫌なこと我慢するから、
あんたらはここで我慢してくれよ、みたいなね、別にこっち嫌なこと我慢するわけじゃないのに
嘘ついたりごまかしたりしてね、いじわるするの。そうするとね、お願い聞いてもらえるのよ。
後味悪いよさすがに。そりゃ酒飲むよね。歌っちゃったりするよね。
でも、話を聞いてもらうにはちゃんとするしかないんだよね。
難しい方法ばっかりしてたら体壊したり無理しちゃったりするんだよ。早死にしたりね。
でもね、難しい方法をね、少しずつだけど簡単にしていくこともできるんだよ。
それはね、肩書とか、賞状とか、そういうやつをいっぱい持つこと。
そういう「ちゃんとした」ワッペンがついてるとね、いろいろ聞いてもらえるんだよ。
東大卒、とかもそうだし、征夷大将軍、とか、代表取締役共同COO、とか、フォロワー数4.8M、とか、
読モ?とかもだし、いろんな意味のワッペンがたくさんあるんだ。
分かる人にしか分からないワッペンもあるしね。バイターモリモリ不死マラソンスプーン余裕でした><とかね。
だからワッペンたくさん持ってる方がいいよ。ちゃんとしたやつ。ちゃんとしてる風でもいいよ。
ちゃんとしてる風なワッペン付けてると、ラジオ番組持ったり政権に入り込んだりできるよ。
余談だけど、自分らしく生きたいとか思ってるなら、自分と大切な人にだけ通じるワッペンを付ければいいよ。
生体エロウィキペディアでもいいし、セクシーソムリエでもいいし、
ちゃんとしたやつじゃなくていいよ。てきとーで。
そんで周りの友達がそのワッペン気に入ってくれたら、そのワッペンが好きになってくるんだよ。
結局言いたいのはね、ちゃんとしてないとダメってことよ。
ちゃんとしたワッペン付けてるとか、体力か良心を犠牲にするかしないと、
最近気づいた事だが、頭の中から文語体を生成する機能が無くなった。
硬い表現を分かりやすく伝えようとすると、必ず同じような文体(口語体)で生成してしまう。
かつては表現した内容と表現の形式が一致しているということに敏感だった。
表現の形式、つまり文体、が持つ機能は理解を立ち止まらせることで、読書という受動的行為を思索に転じさせる抵抗の役割であった。
近年出ている本やネットの文章でこの抵抗を感じるのは、主張が自分と相容れないか、エキセントリックな内容か、である。いずれにしても、分かりにくいから頭を使うのではなく、分かりたくないから、頭の中で粗を探してしまう。
そういう事を繰り返したからなのか、自分の中で、内容を構造に落とし込む、という思考形態が取れなくなった。
現在の生活の中で、湯水のように文章が溢れているが、それを読む行為は以前より知的な行為でなくなった。ある文を読む事は知識を積むことであり、内容以上にはモノの見方を変えない行為になっていないか。以前には、ある文を読むとモノの見方が変わったものであったはずなのだ。
だが、今の自分はどうだ。内容を伝えようとした途端に説得させ相手に理解させようとしてしまう。相手の思考を待てないのである。
古くから残っている本の内容をわかりやすくしてしまえば、誰でも簡単に理解できるのである。しかし、古くから残っている本の著者の思考形態は原著によってしか手に入れることが出来ない。
http://rabitsokuhou.2chblog.jp/archives/67949822.html
「夏と少女」のお題で駄文一本書いたが捨て場所がなかったのでここに置いとく。
線路の向こうの鬱蒼とした森林の中で、煩わしいほどの熱量でもってツクツクボウシが鳴いている。
夏休みの自由研究として妹が何の気なしに投稿した歌の動画がインターネットで話題になり、すったもんだの挙句、彼女はが東京の養成所に通うことになった。
俺は反対した。相当、猛烈に反対した。だが両親が乗り気じゃどうしようもない。
それで、トントン拍子に話は進んで、今彼女は東京に向かう電車待ちというところだ。俺は見送りで彼女に付き添っている。ちなみに両親はとっくの昔に東京にアパートを借りて待っている。慣れるまでは、妹と両親は一緒に過ごすらしい。
ここに残るのは俺だけだ。
妹はーー由美は今、俺と一緒に駅のベンチに座っている。携帯をいじりながら、鼻歌なんか歌って気楽なもんだ。大都会に行くってんで精一杯におしゃれして、キャスケットなんかかぶっていて、どうにもいつもの妹じゃない気がして、俺は居心地が悪い。
と、突然、妹が小さく声を上げた。
「あっ……」
由美はトンボの羽を見上げつつ、寂しげに眉をへの字に曲げた。
「すぐに、友達もたくさんやってくるだろ」
励ましたつもりだったが、声が震えたかもしれない。
トンボはしばらくのこと由美の帽子の上で羽を休めた後、満足したのか再び飛び立っていった。
俺はトンボの飛び去った空から目を離せずにいた。その先に、由美の新しい生活が待っている。
「あっ、兄ちゃん、電車来たよ」
由美が注意を引くので首をひねってそちらを見ると、一両編成のボロい電車がゆっくりホームに入って来るのが見えた。
いつも乗ってる電車が、今日ばかりはいかにも廃れて見えた。由美はこいつに隣町まで運ばれた後、乗り継ぎを何度か繰り返して、最後は新幹線に乗って目的の街まで向かう。
電車が止まったので、ドアボタンを押して扉を開けてやる。「大丈夫だよ」と遠慮する由美に構わず、でかい鞄を電車の中に運んでやる。
「元気でな。メールよこせよ」
「うん、兄ちゃんもね」
電車のドアが、無遠慮に閉まる。警笛一つ鳴らして、電車はゆっくりと線路の上を滑り始める。
次第に遠のく電車の姿を、俺はじっと見守っていた。
が、電車の姿が見えなくなるより前に、尻のポケットに入れていた携帯が鳴った。
携帯を取り出して見てみると、由美からのメッセージが届いていた。
そう書かれたメッセージの後には、電車の窓際に止まるトンボの写真が添えられていた。
俺は脱力しつつため息をつく。
「風情もなにもあったもんじゃねえ」
ツクツクボウシの声が、まだ俺の耳には騒々しく聞こえていた。
1 小林多喜二 87.6
2 松たか子 83.1
3 菊池寛 78.6
1 岡倉天心 44.8
2 三木清 50.8
3 団藤重光 52.4
なのでわさとトラバしてみる。うん、伸びた。
最後まで読んでもらえるわけではない。タイトルで感想を決められる。最後まで読んでもらえる方が稀。
アニメ話題は食いつきが早い。そこでオタクをつってみる。クソコメが多い。
ちょっと煽り気味な感じで書くと、もっとブクマが増える。ツイッター連携してる層に出会う。あいつらは自分の生活が無いんだろうか。
でも大体長くてもボコるのは2日で終わる。基本的に100ブクマ超えても話題性は一瞬。
クソコメの共通点として、沸点が低い。ちょっと落ち着けよと言いたくなる。
気持ちよくはてな匿名ダイアリーをするには。
なんだこいつw、という反応がもらえる。そんなに悪い反応ではない。自分を思いっきり気持ち悪く見せているので、書いてる自分が気持ち悪いという点くらい。
すなわち増田はそのままでいい。妙に格好つけようとせず、ありのままの自分でいればいい。
妙に格好つけた書き方をすると、なんでもうざい。
あとブクマのネタツッコミ、総じて寒い。それに気づいていない。偉そうに突っ込んでくるやつが普段どんな扱いを受けているのか、想像できる。
理不尽に気持ち悪いツッコミが飛んでくる。そこに冷静さなど無い。なので考察系は増田には向かない。
あと昼間にアップするのが良い。夜にアップするのでは数倍目に留まる率が高まる。
しかし昼間に飛んできてコメントする層は、ちょっとおかしい輩が多いので、記事を叩く流れを作られてしまうことを覚悟するべき。
同じ話題でトラバが飛び交っている中で、新しい話題投下は見てもらえやすい。みんな飽き飽きしてるから別の話題に食いつくだけだ。
「あえて釣られる」とか言い出すやつはただのバカなので、純粋に釣られて楽しめばいいのだと思う。
楽しめないなら、やめたほうがいい。怒りっぽくなるだけだ。
職場が多彩なアイデア創出のためと起業を推奨してくれるため、ウェブショップを立ち上げて実際に経営してみた。
ただ、職場からの援助は法人としての取引を含めて一切なく、全て自己資金による。
たった1年で何が分かるんだと言われるかもしれないが、学んだことや何だかんだ考えたことが多くあるので少し書きなぐっておきたい
ウェブショップを畳むときがきたら、自分の詰めの甘さを読み返してみたい。
カラーミーは砂漠の中にポツンと出店するようなもので、楽天などのオンラインモールはそれだけで集客力がある、と言われる。
しかし、現実のショッピングモールでも利用されない見向きもしないショップはあり、角の方にあるショップはモールに支払う家賃で潰れるショップが多い。
オンラインと現実の世界で起きていることとは合致しない、ということはないと思われる。
ショッピングモールへ買い物へ行って一番目立つのは、当然のことながら立地の良いショップである。
これを楽天などで商品を検索した場合、あるいは楽天でネットサーフィン()したと考えてみる。
キーワードでひっかかるように「わけのわからない関連性のないショップ」がトップに来る場合がある。
そして残念なことに目立つ位置を占めている。しかもそれが5ページも続いたら見る気がなくなる。
そんなショップが跋扈するオンラインモールに出店しても、家賃(月額利用料)で潰れるだけだ。
真っ向から勝負を挑んだって、既に出来上がっているシステムを変えることは難しい。
だから、そういうシステムを避けた場所で新たにシステムを構築するか、あるいは、そういうシステムの構築の薄い場所を狙うほうが楽だと思った。
ということで後者を選択して、月額使用料の代わりに広告費にお金をかけた。
オンラインで卸販売をしているお店よりAmazonの方が安いwww
流行は個性を求める力であると同時に、制服のような均一性をもたらす。
均一性が全体に行き届きはじめる頃には、流行は新たな個性を志向する。
まるで諸行無常の激流のようなものなので、在庫を抱えた場合は資金の回転が悪くなり倒産の要因となる。
ということで、消費雑貨を中心に扱うことにした。
最悪、在庫を抱えても自分が顧客になれば良い。これはあまり歓迎されない考え方かもしれないけど。
流行ではなくそれなりに顧客があるというのは、流れは緩いが需要は必ず発生するので長期戦に挑むことができる。
服でウェブショップだけど始めることだけは本当にお勧めしない。
廃れて変色したような服の在庫を抱えた時にマジでどうにもならん。
普段はLサイズの服を着ているのに、在庫のSサイズの服を着てわがままボディをアピールしたいなら別だけど。
すごく誤解をしている人が多い世界で、個人で販売する場合には関税を払わなくていいだとか、それ真っ黒ですから。
ほとんどの個人が郵便にて輸入すると思うけど、販売目的の場合は個人であろうがなかろうが通関しなければならない。
輸入品によって関税が無税のものもあるけど、それでも消費税を支払う必要はある。
消費税や関税の税率も、個人使用と販売用とでは計算の方法も異なる(商品代だけで計算するのか、あるいはCIF価格で計算するのかが異なる)。
稀に「流れ郵便物」として関税がかからないことがあるけど、それが販売用であるのならば郵便局に届け出て修正してもらって納税しなければならない。
ちなみに、通関料(荷物1つに付き100円)は郵便局の手数料であって税金ではない。
オークションでは随分とと個人輸入品を安く売ってらっしゃる方が多いけど、正直輸入品をあんな値段で仕入れられるわけがない。
オークションの利用料と関税率と消費税等を逆算したら、原価をいくらで仕入れてるんだ!って驚く値段になる。
利益を度外視した慈善奉仕なら別だけど、個人がそんな値段で仕入れられない(40ftのFCLで単一品を輸入して、それを自分で通関して自分でコンテナをドレージしてデバンするなら可能かもしれない)。
つまり、ほとんどのオークションの安い個人輸入販売者は脱税している可能性があり、その蓋然性は極めて高い。
ある日、税関職員がインターフォンを鳴らしてチェックに訪れます。もちろん税務署にも調査されます。
大丈夫だと思っているのはあなただけで、日本の物流のシステムを舐めてはならない。
何をどの時期に輸入しているかは郵便局と税関と接続されたNACCSに全てデータとして残り、税関はいつでもそれをチェックできる。
ちなみに、税関発給コードやNACCSコードを取得していなくても瞬時に輸入実績は調べられます。
それが販売用として、あるいは個人使用として輸入されたものであるかも全てね。
個人使用として輸入していたものを販売した場合、ある程度の滞納額が貯まったら税関職員がご満悦の笑顔をしてご自宅へやってきます。
会社を休むにしても、誘いを断るにしても「入院」や「親族が死んだ」だとかそういう理由を言ったことがある人は多いはず。
キャンセル理由の第一位は「入院や病気」、第二位は「転居」、第三位「誰かの死亡」である。
多くの注文を受け、その中に数件キャンセルが入る。そのキャンセル理由を読んで「あぁ、またか」と思う。
きっと、このような理由で休日申請を受けた会社も同じことを思っていると思う。
本当かもしれないが、嘘の可能性は否定しきれないし、そもそも病気になったからキャンセルという理由の根拠が分からない。
転居だって、欲しいものであれば転居先に住所変更すればいい。
要らなくなった、心変わりをしたと正直に言ってきた人はいない。
これを本音と建前という日本人の文化だというような、個人的にはそんな風に美化したくはない。
「いらなくなりました」と言えない社会制度に問題があるのかもしれない。
いずれにしても、この「心変わり」によってカート落ちが少ないのが実店舗の強みで、ウェブショップの弱みである。
そんでもって、これは余談だけど「誠実で真面目な日本人」のような言葉を耳にすることはあるけど、そんな日本人は存在しない。
それは我々の想像の中に生きる日本人で、現実から目をそむけたい、ある種の憧れを抱いた言説なのかもしれない。
1年後の自分が読み返して「こいつ臭っさいなーwww」と笑い飛ばせるように書いたつもりですが、帰宅してたくさんブクマがついてて焦りました。
学術的に書くべきか、それとも一般論的な文章で書くべきか、あるいは口語体で書けばいいのかシドロモドロしながら考えて書きなぐったため、文章に統一が取れていませんね。
自分で読み返しても、言葉足らずな表現に誠に稚拙な文章で張り倒したくなります。
貴重なお時間を頂戴して読んでいただいた皆様のお目汚しして申し訳ない。
さて、ブクマを読んで一応ちょろっと数千文字程度で返信しようかと思ったので追記させていただきます。
追記部分に関しても、1年後の自分が読んで、その時の自分がどのように考え、自分がどのように反応したのかという内省材料になればいいかな、と思っています。
副業を始めるにあたり、タイ語を学び、次にラオ語を習得して、クメール語も覚えました。
これらは似た言語なので1つを学べば他を習得するのはそんなに難しくはありません。
それと、相手の国の文化を学ぶためにサンスクリットの読み書き、それに伴うパーリ語も勉強しました。
というのも、やはり仏教国、あるいは仏教の影響が強いため、それらからの借用語が多い言葉です。
ただ、正直にサンスクリットなんて習得することをお勧めしませんし、サンスクリットでの会話なんてのは相当訓練を積んだ人でなければ精神に異常をきたすレベルです。
名詞変化も変態級で、動詞が十類まであって、それぞれの時制変化だとか内連声だとか…(>'A`)>ウワァァ!!
…相手の文化を学ぶには、やはりその言葉のルーツというか、そういうのも知っておくと会話に幅をもたせることができて有利…なような気がしています。
率直に言えば、ピジンでも通じるかもしれませんが、やはり頭ではなく心で理解して欲しいため現地語を習得しました。
実に恵まれていると思っています。副業禁止がある会社では不可能な経験をさせていただいています。
というのも、副業が禁止されていないばかりではなく、副業のために休日をもらうことができます。ただし、その為には証拠だけは求められます。
「到着したコンテナの通関を自分で行いたいため」という理由で休日がもらえます。その証拠として通関書類を見せることが求められます。
しかし、その経験が職場に於いて新たな事業へのきっかけを切り開く端緒となり、ある商品の輸入事業が始まり、そこそこの売り上げ貢献になっています。
通関業者は税関にて通関手数料が決められているため、その手数料で儲けることはできません。
ですが、通関業者も収益を上げなければならないので、どこかで収益を図らなくてはなりません。
(税関検査費だなんていやらしい名前ですが、税関が行う検査なので「税関」は費用を請求しません。というかできません。これは通関業者の費用で、検査場までのドレージや検査のためのデバン作業などの費用のこと)
相見積もりを取れば費用についてはある程度の予算が立てられますが、上述の「税関検査費」は検査の有無で実費となります。
そこを通関業者がふっかけてくる場合があるので、一度通関を自分で行っておけば、それが妥当な費用か否かが判断の一助となります。
というような経験が、社にとってもメリットになる(?)ので、なんでもいいから起業して経験しろと上司から言われます。(もちろん任意)
というのも、紛いなりにも世間様の目に晒される可能性はあるわけなので(実際ブクマがたくさん付いてびっくりしてます)、自分の方法が全てとは考えていません。
ですので、さまざまな観点からその時の最良と思われる方法を選択します。
ところで、現代は誰もが認めるであろう情報化社会なので優良(?)な情報は共有した方がもっと良い社会になるかもしれないと思っています。
ということで少しネタばらしをしてしまえば、古物商に於いては1万円以下の買取には記帳義務が不要というところに着目しています。
現在、ある意味である部門の輸入商品は飽和状態にありますが、市場には一定数の需要があります。
しかし、その商品を輸入しても、輸入にかかる送料などを計算した場合、利益が十分にあがる値段で売れる蓋然性は極めて低い状態です。
続きを読みたい方は「わっふる、わっふる」と書き込んでください。(正直、書くの疲れましたw)
それと誤解を少しでも解消できればと思いますが、「それ以外は脱税して儲けているはず」ではなく「ほとんどの(中略)その可能性があり、蓋然性が高い」という書き方に着目してください。
「それ以外」は「私以外」と読み替えられると思いますが、私以外が脱税して儲けているはずだ!などと言っているのではなく、オークションで見るのは、そんなような気がするし、結構当たっちゃってるかもねという感覚です。
これは私の言葉不足が否めませんでしたが、誤解を解消できればと思い弁明させていただきました。
これはお客様の方から述べられる理由であって、こちらからその理由を尋ねているわけではありません。
しかし、これは議論を呼ぶかもしれませんが、キャンセルするには理由が必要なのは当然のように思います。
密林売買でも、キャンセルや返品をするには理由を求められていたような気がします(後ほど見てみます)。
オンラインと雖も、実際にカートに入れ、そして購入ボタンを押した時点で購入する意思表示であって、売買契約が成立しています。
実際にコンビニエンスストアのレジで会計が済んだあとに「やっぱいらね」ってのは、少し失礼な気がします。
もちろん、オンラインはそういう面倒向かうやりとりのない気軽さがあるかもしれません。
しかし、購入者の一方的な都合で売買契約を破棄できるのは、些か法治国家というか、そういうものを有耶無耶にしてしまう感があって、個人的な感情ですが解せません。
例えば、オンラインショップだと「売切れ」の表示の間は、購入されるかもしれないという機会損失を被っているわけですから。
ただ、むしろ、こういう民法的なものがあるからこそ、「本音と建前」みたいな文化が形成されるのかもしれませんね。
本当はいらなくなっただけだけど、それだと購入者の自分勝手な都合みたいな解釈をされそうだから、入院しちゃえ的な、そんな何かかもしれません。
いや、これでも美化しすぎで、もっと人間のドロドロとした「潔白でありたい自分」という理想の維持のため、または自分の持っている倫理観を説得させるための自分に対する言い訳なのかもしれません。
これは例外なく私にもあてはまり、私自身も「誠実で真面目な日本人」ではありません。
深夜のノリで購入したものを、翌日になって「いやいらんだろ」と賢者モード的な状況に陥ることが稀にあります。
そしてお恥ずかしいことに、そのことで尊い友人を「一旦」墓地に入れてしまったことがあります。
そして、自分がその立場になってみて「はいはいまたか」と思いながら、受注キャンセルボタンをポチりしているわけです。
相手の心身を心配する文面を書きながら、単調に感情もなく、ポチりと。
この自分の感情と文面に対して、ふと自分を振り返ったとき、そこには何か儀式めいたものを感じます。
舞台の演者になったというか、そういうように振舞うことで、その舞台を上手く終焉に持っていくような、そんな不思議な感覚です。
忘れて欲しくないのは、代引きの受け取り拒否キャンセルな!!!
あれだけは本当にやっちゃならん。
なんだか後半に至るにつれて、酔っ払いのくだ巻きになって申し訳ないですね、もう少々お付き合いください(ブコメフラグ回収)。
これは自分のフィールドというか、文化人類学に毒されているというか、言葉遊びにも似た点なので納得されない考えかもしれません。
これはそもそもですが、理解を求めるよりも共感を求めるべき問題かもしれません。
また、言葉足らずな部分が多くあり「一般的に」という言葉を伏すべきでした。
しかし、きっとどのような人であっても「誠実で真面目な日本人」に遭遇したことがあるはずはない、とは思います。
というのも、この言葉が引っかかる人は、そういう日本人に対する評価が下された世界観を自分の中に持っているからであると思うのです。
私は私自身、どこからこの「日本人は誠実で真面目だ」という世界観が自分の中に形成されたのか分かりません。
そして、その世界観でもって副業をやってみると、悉く打ちのめされます。
反論として提出されるであろう統計的にデータを取ってデータに語らせる、という統計学的なやり方は抽象性が高くて個人的には好みではありません。
私は個人として個人と接しているのであって、7割くらい真面目な日本人というようなデータとコミュニケーションをしていないのです。
そして、副業を続けることで「誠実で真面目な日本人」は消え失せ、評価から自由な「人間だもの」的なスタンスに立つようになりました。
なので、それを端的に「誠実で真面目な日本人は存在しない」的な書き方にしてしまいました。
しかし、言葉足らずな一文に対する解釈がそれぞれなんだなーと改めて、興味深い経験をさせてもらいました。
Twitterとか少ない文字で表現することが流行っていますが、そこから誤解されない文章を書くって相当な表現能力が必要ですよね。
http://anond.hatelabo.jp/20140817161450
真似して書いてみた。
オンオフ問わず、おいしい場所にめざとく顔を出して存在感を示す一方、
目の付け所を少し捻っただけで内容ゼロなこけおどしコメントしか出さない。
斜に構えたコメントを出して、その文化人にマウントしようとする。
実際に何者なのかを説明できる人が誰もいないという謎めいた人物。
テキブルー 転調(id:mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2mk2)
ありきたりな自意識や価値観、精度の低い論考しか書けない上に、
些細な誤解すら恐れて思考の過程を細大漏らさず説明してしまうので、
長く締まりのない文章を、それでも我慢して最後まで読んだ結果、
要点がどこにも無いことに気付かされる悪質な文芸。
テキフレンチ コオロギ(id:Lee1Q84)
テキブラウン 夕タヌキ(id:forafareta13)
つい先ほど、増田で晒されているのを見て知ったデブ差別ブロガー。
オフ喜利、ひだけーだい、大人たばこ養成講座あたりに似た匂いがする。
急ながら、要監視対象として追加しておく。
ゲンレッド 齊藤貴義(id:netcraft)
はてな民らしからぬ主体性と行動力がもたらした多様な人生経験談は、
ゲンイエロー ガラニート(id:galaneet)
ワンテーマでブログをやると面白くなる事実の手本を示している。
ゲンピンク ℃-uteが見せてくれた奇蹟(id:idealogos)
仕事や広告の内容から、アイドルの売り出し戦略について考察したり。
どれも独自の視点で語られていて、読みごたえがある。
変に見栄を張らず、正直に語る点では女性に軍配が上がるのではないか。
ゲングリーン こぺんた
はてなの良い生物ブロガーを知らないので、外部の人を紹介する。
同じ趣味を持つ人なら、この人のすごさがわかるだろう。
フィールドワークをしている生物ブロガーのテキストは、短く素っ気ないもののほうが面白い。
画像に収められた野生の美こそが価値の中心だから、下手な文芸はいらないし、
ある場所である生物を撮影したという事実が、すでに何十何百の言葉を語っている。
語らないことで語る。間接的、暗示的に語る。
http://luvlife.hatenablog.com/
何の変哲もない身辺雑記ブログは、書き手も読み手も隠れ家の気分に
浸れることが唯一の魅力であり、人気が出ることはブログの死に等しい。
この人はそれがわかっている。
相性が良い一方で、専門的知見を述べた堅い文章との相性が悪い。
結果、はてなブログでは、平易な雑感しか書けない無教養なユーザーが
大多数を占めるようになり、数の力でホットエントリを荒らしている。
以前netcraft氏が、はてな女子のつまらなさを指摘していたが、
やってることは、精度の低い論考と平凡な自意識の垂れ流し。
そんな最下流の文芸を、頭の悪いファンが文才だと言って持ち上げている。
職業の裏話は面白いが、仕事の話が一番面白い人はやっぱり物足りない。
凡人の陳腐な雑感を、多くの人に読ませようとしているのだ。
だが、これを機に、はてなブログを削除しようと思う。
学識が無い人の論考はいらない。
マイノリティごっこや痛い人ごっこもいらない。
PS.
旧型のはてなダイアリーが、ある種のブランド性を帯び始めている。
はてなダイアリーのほうが、中身のあるエントリに出会えそうなイメージが広まっている。
実態は平易な雑記ブログなのに、精神科医という肩書きでブログに箔をつけている