はてなキーワード: リーガルハイとは
「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家のスコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流だった。
「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になった。
早稲田で映画を専攻し、学生時代に映画と脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうだ。
自身の作品の映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていた。
「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現だからそのまま映像にすると不自然になってしまう」
脚本は書けば書くほど上手くなると言われる。三年間毎週、映画を見て課題を書いていれば、とりあえずプロにはなれるというと言う通説がある。
死者に鞭打つわけではないが、原作者は、映像化について正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。
その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画や小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っている。
ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまったから自殺した」
という見方が大半だが、私はそれが原因だとは思わない。
冷静に考えてほしい。実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。
むしろ「自分の大切な原作を、自身の脚本で台無しにしてしまった自責の念」
と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまったことに対する責任」
の方が強かったのではないかと思う。
自分の大事な作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん」
それを勝手に拡大解釈した実写化憎しの人たちが、騒動を大きくし、この悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。
もちろん、本人にしかわからないし、本人にもわからないかもしれないが。
ただ私もクリエイターの端くれとして、
もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供の回復をしようと頑張るが、
もし周りを巻き込んだ挙句、自分で自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。
そんなふうに思ったからだ。
普段脚本すら読んだことないであろう人たちが、脚本家を攻撃していて困惑している。
よく言われていることだけど、脚本とは映像のための設計図です。
脚本は何度も何度もプロデューサーに訂正され、さらに現場では監督や役者にセリフも直されます。
例えば何をやっても上手くいかない主人公が、恋人に振られたうえに雨に降られてずぶ濡れになるとします。
漫画では、雨に打たれるシーンはスクリーントーンと線を引けばいいのです。
しかし映像作品では一回雨を降らすのに200万です。雨のシーンが続けばあっという間に予算オーバーです。
自身のオリジナル作品で何度も映画化をしたことがある大物脚本家ですら、雨のシーンが実現されたことはないとボヤいていました。
そういった時に雨を降らさないでも、どうしたら雨が降っているような感情を伝えられるか?
そういったことを考えるのがプロデューサーの意を汲んだ脚本家です。
「ここちょっと予算的に雨降らせられないからなんかないかなぁ」
「じゃぁ、散水している工事現場の水がかかったことにしますか」
よくドラマとかで見るアレです。
これは原作にない脚色かもしれませんが、恋人に振られた主人公が惨めな気分であることを表現できで観客に伝わればいいのです。
さらに帰宅してすぐにあったまろうと風呂に入ったことで、仕事上の大事な電話に出られなかったって繋げればさらに惨めさが際立ちますね。
小説のようにいきなり章を分けたりするとドラマでは不自然さが強調されるからです。
「仁義なき戦い」で有名な東映ヤクザ映画時代からあるコロガシという脚本用語です。
つまり何が言いたいかというと原作と脚本では本当に違う技術が必要とされているのです。
そしてゼロからイチであろうがイチからヒャクであろうが、どちらも技術を磨くという点において努力の賜物なのです。
「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家のスコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流でした。
「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になりました。
早稲田で映画を専攻し、学生時代に映画と脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうです。
自身の作品の映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていました。
「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現だからそのまま映像にすると不自然になってしまう」
死者に鞭打つわけではないが、原作者も映像化については正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。
その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画や小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っています。
ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまったから自殺した」
という見方が大半だが、私はそれだけだとは思わない。
冷静に考えてほしい。
実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。
むしろ「自分の大切な原作を、自身の脚本で台無しにしてしまった自責の念」
と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまったことに対する責任」
の方が強かったのではないかと思う。
自分の大事な作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん。」
それを勝手に拡大解釈したテレビ局憎しの人たちが、騒動を大きくしこの悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。
もちろん、本人にしかわからないし、本人にもわからないかもしれないが。
ただ私もクリエイターの端くれとして、
もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供の回復をしようと頑張るが、
もし周りを巻き込んだ挙句自分で自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。
そんなふうに思ったからだ。
リーガルハイよかったよなあ
韓国人も日本のドラマ好きだよーと言いたいから、自分が個人的に好きな日本のドラマを書いてみる。好みだから、韓国人みんなが好きってわけじゃないと思うけど。
あと、書いてて思ったけど、日本のほうが「この俳優さん好き」って思う率が高いかも。なんでかは分からない。
吉岡秀隆さんが好きすぎる。本当に。なんであんなに魅力的なのか。
脚本は人が危機から生き返りすぎだとは思うけど。それも含めてコトー先生。最新の映画でのレビュー、視聴者がみんな島民なのかってくらい感情移入してて、そういうのも含めて好き。
・最愛
特に主演3人の演技が良すぎて今4周目見てる。
同じ?監督のアンナチュラルとNのためにも大好き。これは周りでも人気だよ。アンナチュラルといえば石原さとみさんが一部の韓国女子の中で異常な人気があるよ。
・半沢直樹
デーデレレレレーを聴くだけで心踊る。
リーガルハイも人気だよ。
・JIN
大沢たかおさんって生で見たら失神するほどかっこいいんだろうな。
主演4人は日本の宝だね。4人ともそこにいるだけで素晴らしい上に演技力が普通じゃない。
色々印象に残ってるけど、「抱かれたいの」のところですずめちゃんに感情移入しすぎて辛かった。勝てないんだなって。
あと、「志のある三流は四流」ってセリフはものすごくいいと思ったけど、俺が好きな漫画のセリフ「熱い三流なら上等よ」とケンカした。
YouTuberをやってほしい。
とにかくかわいい。
医療ドラマあんまり好きじゃないんだけどこれは基本1話完結であんまり医療関係ないから好き。
マックのポテトみたいな感じ。美味しいことが約束されてるし気軽に食べられる。
申し訳ないけど、東◯◯◯は◯んだほうがいいよ。
たしかに邦ドラマはクソ作品の割合が多いですが、大病院占拠のようなクソドラマのせいで、元増田さんに邦ドラマを嫌いになってほしくないので、個人的にオススメのクオリティの高い邦ドラマを紹介します。(元増田さんの好みもあるので、あくまで “個人的に” です) 趣旨ズレしてすみません。
・アンナチュラル
・MIU404
・Nのために
・最愛
〈追記〉
・俺の話は長い
・大豆田とわ子と三人の元夫
・俺の家の話
既に見ていたら申し訳ありません。NetflixやWOWOWのオリジナルドラマは金がかかってるので、民放ドラマほど安っぽい演出もなかったり、攻めた題材を扱いやすかったりして、ある程度クソ脚本でも楽しめるものが多いです。ただ民放ドラマは低予算・コンプラ配慮・大衆向けの大味な作品が多いので、クソになりやすいです。よく「映画は監督のもの、ドラマは脚本家のもの、舞台は役者のもの」と言いますが、間違いないです。野木亜紀子、古沢良太、坂元裕二あたりは安定して面白いことが多いと思います。(作品によりけりですが、政治色が強くてポリコレ臭がしたり、会話劇がしつこかったりするので、人を選ぶかもしれません)
あとはどのテレビ局にも名プロデューサー的な人がいるので、上記のドラマに携わってる人が作るドラマは結構面白いです。
普段あまり邦ドラマを見ない人が、たまたまテレビに映ったドラマを見て「クソつまんねえな。邦ドラマはクソ!」となってしまうケースをよく見かけますが、邦ドラマオタクとしては少し悲しいです。多くの人が良作に触れることで、「邦ドラマはつまらん」というクソデカ主語の批判が減るといいな。
「所詮この一連の裁判の正体は、嫌われ者を吊るそうという国民的イベントに過ぎないんですから。己のつまらない人生の憂さ晴らしのためにね」
これはリーガルハイのシーズン2第9話、安藤貴和の裁判で古美門先生(堺雅人)が言うセリフだ。
自分はずっとリーガルハイが好きで、何度も何度も繰り返し見ている。もちろんコメディドラマとしてもその面白さは破格だが、それ以上にリーガルハイが示す善悪・人間に対するメッセージが好きだ。
人間は気高くもなれば卑しくもなれる。この言葉がドラマで使われたわけではないが、私は大方このような解釈をしている。十人十色、見る人によって色んな解釈があるだろうが、自分は気高さも卑しさも両方持ち合わせている所に、人間の奥深さを感じる。絶望的な災害の最中で他人と協力できるところも、同僚の成功が羨ましくて足を引っ張りたくなるところも、どちらも人の性であり、また同じ人間の中にすら両者が存在しうると思う。シーズン2最終話で古美門先生が羽生君(岡田将生)に向かって最後に言う「醜さを愛せ。」というフレーズも好きだ。
それゆえ何が怖いと感じるかと言うと、自らを気高く、正しいと信じて疑わない善良な市民が暴走する時の歯止めの利かなさだ。もうそのゾーンに入ってしまうと(自分も含め)自省などできない。これは個人の性質で制御できるものではなく、誰でもその時々の心理状態や環境によって暴走する善人になりうると思う。
現在新型コロナによる惨状の中、国民的どころか世界的イベントが行われている。体制然り、政治然り、あらゆる面で崩落が起き、それらに対し現場では想像を絶するような働きを強いられている方がいると思う。改善していくどころでは済まない状況だと思う。一方で自分がそれらを批判する時、これは己のつまらない人生の憂さ晴らしのためなのかと内省出来るくらいの心理的な余裕は持っていたいとつくづく思う。
先日池袋のサンシャインに行ったらステージの周りでたくさん人が待ってて、「あれ?なんかイベントやるのかな?」と思ったらなんとモーニング娘。のリリイベ&握手会がこれから始まるとのこと。
私にとってモーニング娘。は小学校時代の絶対的な憧れだったし、中高生のときはちょっと離れてたものの、大学生のときに失恋してめちゃくちゃ落ち込こんでメンがヘラっていたとき、娘。好きの先輩がTwitterで「めっちゃかっこいい!!!」とツイートしてた愛の軍団のPVをたまたま見てから「なんだこれ……!モー娘。しばらく見てなかったけどめちゃくちゃかっこいいやんやばい...!!!」と劇的にハマって動画を見まくることに夢中になり、そのおかげで大分落ち込みから脱出できたという大恩人でもある。(ちなみに同じ頃にリーガルハイにもハマってそれも大分気が紛れた。おすすめです。)
娘。はまだライブに参戦したことはないけど、最近も新曲が出たらYouTubeでチェックするくらいには好きで。
時間もあるので幸運に感謝しつつリリイベのミニライブを見ることにした。
握手会のチケットは先着順かもう完売してるんだろうなーと思ったらまだ「CDを買ったら握手会に参加できますよー!」とスタッフの方が呼びかけをしていて驚愕。
握手会に参加した経験はないし、あんな可愛い子たちの至近距離に行くとか緊張するし、迷ったけど人生経験として一回握手会というものを経験してみたいという気持ちが勝って参加を決意。
しかも1000円のCDを購入するだけで娘。メンバー全員と握手できるとか破格過ぎてやばない?????(通常盤Bを購入、野中美希ちゃんのカードが入ってた!)
ライブはあんまり見えなかったけど、圧巻のダンスと歌唱力を生で体感できてかなり感動した。新曲めっちゃかっこいい。2曲とも最高。
<人生Blues>
https://www.youtube.com/watch?v=TB-xE5H5xQU
<青春Night>
https://www.youtube.com/watch?v=SKgFDdDyKLE
そして握手会になり、自分は1000番台だったので20分くらいたったかな?というところでいよいよ列に並ぶ。
はじめての握手会は周りの様子を見ながら探り探りで参加したけど、なるほど握手会ってこういうシステムなのか〜と思った部分を簡単にまとめてみた(全てのアイドルが同じシステムという訳ではないと思うけど)。
・全員に袋が配られ、荷物を全部入れる(危険物持ってたらあぶないもんね)
・アクセサリー類、特に指輪や腕時計などメンバーに近い部分は全部外す(なにか隠してたり凶器になったらあぶないもんね)
・握手する直前に袋に入れた荷物をスタッフに預け、スタッフは荷物を預かった参加者の後ろに張り付き、全員との握手が終わり次第そのまま荷物を渡される(袋に入れた荷物のセキュリティってどうなるのかな?と思ってたけどこれなら担保されてていいね)
・参加者はスタッフに後ろから両手で軽くホールドされ、メンバーと握手するごとに横にどんどんパスするように流される(時間管理の面もあるし、メンバーとの接触を最小限にするためにはこうするのかなるほどね)
敬愛する小田さくらちゃんに「応援してます!」って言おうかなどうしようかなと迷ったけど、全然時間ないだろうし、言われ慣れてるだろうし、さくらちゃんだけに言って隣にいる他のメンバーになにも言わないのもなんだかな〜(本人たちは気にしないと思うけど笑)とか色々考えたけど、何も言わずにできるかぎりの笑顔でみんなと握手することにした。(緊張でさぞ引きつった笑みになっていたであろう)
いよいよ握手のターンが回ってくると、メンバーは「ありがとう」っていいながら握手をしてくれ、1メンバーあたり2〜3秒くらいで後ろのスタッフに肩を押され次のスタッフへ瞬時にパスされていった。
なのでほんと一瞬だったし、正直緊張とあまりの時間の短さにあんまり覚えていないのだけど、1000人と握手をすればそりゃ疲れるわという感じで割と真顔めであっさり対応なメンバーもいれば、とびきりの笑顔でありがとうって言ってくれるメンバーもいた。
そんな中さくらちゃんは少し憂いを帯びた微笑みをたたえながら私の目をしっかり見て「ありがとう」って言いながら超絶丁寧に両手でしっかり握手してくれた…。ありがとうはこっちのセリフですさくらちゃん……。
「可愛くて歌もめっちゃうまくてかっこよさも色気もあってプロ意識もすごくてファンにも神対応って.............」という感じでますます好きにならざるを得なかった。
全員と握手が終わると後ろについてたスタッフから荷物を手渡され、握手会終わりとなった。
一瞬すぎてあまりにあっけなくて、「夢の中の出来事だっけ!?」と思うくらいあまり現実感がなかった。
さくらちゃんと握手できて、ますますファンになったのはよかったけど、正直な感想を言うと今後はどんなに好きな人やグループでも握手会にはもう参加しなくていいかなと思った。
実際に接触すると、あっさり対応なメンバーに対して豆腐メンタルゆえに「この子は疲れているのかな、それとも普段からこれくらいあっさりしているのかな…?」とか変に色々考えてしまってちょっと疲れた。笑
(※たぶん本当は全然塩対応じゃないのに、普段メンバー同士で和気藹々している動画を見ていたり、握手会に対して「笑顔でニコニコ握手してくれる感じなのかな〜」とイメージしてしまっていた為、過剰にニコニコしてないだけで勝手にダメージを受けてしまった可能性が大分ある。みんなちゃんと握手してくれたしね!)
ファンって色々なタイプがいて、応援の仕方も人それぞれだと思うけど、私はPVやライブでのむちゃくちゃかっこいいパフォーマンスに感動したり、メンバーや気心の知れた人と和気藹々としている様子を見て癒されるのが自分にとっては楽しいかなって。
この話はあくまで日本国民一億2000万人いる中の、ある一人の意見であって、他の人たちに当てはまるかどうかはわからない。
ただ、小学校2年からいじめられて、おかげで中学~高校とパシリ生活を送り。
30過ぎるまで、その影響を引きづってた人生を送った結果たどり着いた結論として、
「もし自分の子供が出来て、もしいじめられる立場にあったら、絶対こういう風に教えてあげよう」と思っていた事だったから、これを機に書いてみたい。
や、マジはてな最高。 昔は増田の意味も知らなかったのに(俺の嫌いな元上司の名前でもあるから、なおさら敬遠してた。はてな)
ドラマ・リーガルハイで堺雅人演じる古美門研介が、岡田将生演じる羽生晴樹に対して「それが人間だ!(それが人間という生き物だ)」と一括するシーンがあるんだけど、まさにそうで、人間って生き物の中で生きてる以上はいじめは必ず発生します。
何故なら人間には感情があるから。 あなたも心当たりあるでしょう?
不潔な人とか、臭い人とか、電車で奇声あげてる人とか「キモイw」とか言って敬遠してるでしょ?
みんな、知らず知らずの内にやってんだよ。「身を守る」とか言ってね。
社会でも普通に仲間外しやらいじめは発生しますよ。あなたもその当事者の一人ですよ?
・・こんな理由で辞めた人に対して、多くの人はこう思うでしょう
「次の会社大丈夫なの? また同じ理由で辞めない??(特に面接官なんかそうだと思う)」
今の学校のいじめを、あらゆる手(教師や周りの大人や何なら教育委員会とか)を使って潰したとしても
いじめが辛いのはわかります。俺もそうでした。30超えた今だからこんな事書けるっていうのも自覚はしてます。
ただ、探偵さんや教育委員会含めて第三者のおかげでいじめが解決した本人(俺もその一人に該当するだろう)は
全員が全員ではもちろんないけれど。
ほぼ全ての子が成長しない。
むしろ心の傷を負っただけで何もプラスにならない訳です。少なくとも自分はそうだった。
ドラクエで言うなら(第三者のおかげで)瀕死の状態で戦闘から逃げられた(ステータスゲージが黄色じゃなくて赤の状態)のはいいんだけど
答えは未だに治っていません。
(かなり治ったけど)
よく聞くでしょ。
いじめられるまでは活発だったのに、いじめられてから急に性格が反対になってしまった(おとなしくなってしまったとか・etc)
自分もその一人だと思っていて、小学校2年生まではクラスのリーダー的な感じだったと自認していましたが(小学校の話だけど)
いじめられてからは、一転しておとなしくなって嫌われるのが怖くなって衝突するのが怖くなって。
「嫌われる勇気」に出てくる主人公を地で行く感じになってしまった。
「かわいそう」「うちの子供にはそうさせないようにしよう」
共感よろしくって感じだね。可哀そうって一番嫌いな言葉なんだけど、まあそれはいいとして。
この精神状態になるだけで、社会に出てからも大分遅れを取ってしまうことは、ほぼ間違いないと思う
もちろん、子供のいじめに気付くってのが大前提なんだけど、気づいた前提で話を進めたい。
俺なら子供にこういうだろう。
「俺が後の責任全部取るから、そいつの所に行って殴って来い。言いたい事全部言って来い。言いがかりでも構わないから」
なんでこんな事を言うのか。
例のいじめ探偵さんと一緒に出演していた女性は(俺の見解では)かなり、思い込みが激しい状態だったと思う。
気持ちはわかる。俺も今でも似たような気分になる。ヒソヒソ話しをされてたら、俺の悪口言われてるような気分になるアレな。
いわゆるコミュニケーション不足。
といえば簡単だが、じゃあコミュニケーションって何なのよって話なんだよね。
それを埋める為の、話し合いが必要という事。 たぶんお互いの溝は埋まらないでしょう。殴り合いになってケンカ別れになるかもしれないでしょう。
でもそれでいいと思う。
この辺りのフェーズを学生時代に経験しておくことが大事だと言いたい。
社会に利用される人たちは総じて弱い人であって、自分を主張できない人。自分を通せない人
(全員ではないけど、その要素はあると思ってる)
(俺もそうだったから)
学生時代はその練習が出来るチャンスなんですよね。周りのクソ共が何と言おうと。
自分で(もしくは、周りの親に知恵をもらいながら)はねのけるのが、本当の意味の成長なんじゃないかな。
そうしないと、本当に「私は(俺は)過去にいじめられた事がある」だけで終わっちゃうんです。
そうじゃなくて、「いじめられた事があるけど、そいつら全部ぶんなぐってやったwwwww」ぐらいにしてくれれば、自分の傷も癒されるし、
何より「自分の意見を通すこと」の「加減」 ←ここ大事! が肌感覚で身につく。
加減がわからないから、喧嘩出来ないし、出来ないからいじめられるでしょ? みなさん。
(みんなじゃないと思うけど)
高校なんて、親もいて、教員もいて周りに迷惑かけてもある程度は許される時期じゃないですか。
ここで他人に頼るようじゃ、社会に出てからも同じだと思うんです。
自分は一度、小学校の時にいじめてくる主犯格クラスの奴に抵抗的な事をした事があったけど、それからしばらくいじめは無かった。
相手もビビったんでしょう。大人の今になったらわかる事ではあるけれど、小学生のあのころに戻れるなら言ってやりたい。
「気のすむまで殴れ」って。別にストレス発散したい訳じゃなくて、あそこでそういう事を経験しておくことっで
将来社会に出てから、不良なんかが隣に座った時にやけに動悸が激しくなる・・・なんて事もなかったと思うんですね。
(実際小学校~高校の間に起こしたケンカ(少なからずもあった)は、実は社会に出た今でもかなり人間関係の駆け引きの部分で役に立っている)。
から、子供が出来たらこの考えは変わるのかもしれない。みんな子供は大事だものね。
でも大事だからって生暖かいお風呂に入れっぱなしにしていると、いずれ一人では出られなくなりますよ。 それが今回の文章の趣旨です。
それだけです。
長くなりました。
おなか減った。
尚、とりあげられたからといって彼らが本当に幸福の科学信者かどうかが分かるものでは無いのであしからず
尚、この記事を書いている人は守護霊とか霊験がどういったものなのか全くわかってないのであしからず
やべぇ見たくなってきた(だが踏みとどまる)