はてなキーワード: はいてないとは
記事はこのように主張するのだが、「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう」ような広告を鉄道の駅に掲示することは現在でも自主規制の対象になるだろうし、そのことについても社会的に広く異論はないはずである。
性的な広告を鉄道駅に掲示することの是非は、その自主規制のラインをどこに引くべきであるのかという、より繊細な議論を必要とするのだが、記事はただ「規制は慎重であるべき」という何の役にも立たない一般論を述べているに過ぎない。
なに?
自虐?
「人間性を傷つけ、その尊厳を損なう」広告なの?という話なのに
「より繊細な議論を必要とする」とかいう人間が書いちゃダメな奴だろ?
そもそもさ
「あの広告は嫌だ」という人が、どういうわけか増田にポツポツと現れては
あれはないよねー?
さすがに昨今の何でもかんでも噛みついて差別だと叩く運動が忌避されてやり方変えたのかな?っておもったんさ
なのにさ、結局我慢しきれずに、「差別ザマス」ってやっちまってさ
同じじゃねぇかよ、結局それかよってなるわけよ
これさ、みんな口をそろえて言うわけよ
だけどさ、「差別ザマス」って叩いた表現が、公共で一般販売されていいわけ?差別ってそういう物?とか思うじゃん?
そうこうするうちにさ
「パンツをはいてない漫画を公共に持ち出すな」とか言い始めてさ
結局、原作も気に入らないわけじゃん
叩いてる奴らはさ、だれも「慎重な議論」なんて望んでねぇよ
断言できるよ
みたいな話をするとかさ
それが詭弁でなくて何なのよ?
(いう事を聞かなければ、議員連盟を投入することも辞さない、何なら法規制だ)対話(して、我々の望む結果を出せ)
とかもう取り繕うのやめろよ
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以上、終わり
服屋のマネキン、特に下着屋なんかでマネキンに下着着せて通路に飾ってるケースをよく見るんだけど。
アレ、結構ギョッとするんだよね。リアルな身体の形したマネキンの肌にあたる部分がかなり見えてる。
下着に限らず、アウター扱ってる店でシャツ1枚にアウター着せて飾ってるケースとかで、いわゆる「下をはいてない」状態に見える時もある。
そういうのを見かけると、不意に性的なモノを見せられる不快感がすごく出る。
これが昨今の炎上事案で見かける、公共の場で見たくない性的なモノを見せられる、ということなんだろう。
ついでに言えば性的魅力がアピールされてると感じるということは、公共の場で性的に見られることを許容するということで性差別的な存在だということだ。
そもそも異性の下着自体がかなり性的な存在だよね。人に見られていいものでは無く、人の下着を勝手に見るのは性犯罪に該当するじゃん。
よくいわれるように、結局のところ、ある絵画が性的であるかどうかはその絵そのものに内在する条件によって決まるわけではなく、それを見る視線の性質によって決まる。
性的に見る心があれば全身を布で覆っていても性的だと感じられるし、とくべつ性的と見なければたとえ全裸であっても性的ではない。そういうことでしょう。
…たしかに。この賢明な切り口によって、より問題点はクリアになったと思う。
絵が性的か? ではなく、性的にみられやすいとコンセンサスのある絵か?
それが問題だ。
☑︎ 躍動感の表現とかだろうか / わからない。その質問は「ドラえもんがなぜ青いか?」と同じだ。意味はあるだろうが、何を意図しているかは知らないし関心もない / 本人の気分では
——初見で見る人がどう思うか。
「僕個人のフェティシズムで興奮しているのだ」と判断するならば問題はない。
当人が、たとえばアイドル的ファッションを選好していたのだとしても、初見の人が「これを観てセクシーだと思う人多そう」と感じてしまうならば…
アイドル文化と性的興味の惹起は切っても切り離せない関係にある。アイドル当人も気づかぬうちに、文化が運んできた、その効用にあやかってしまっていて、リスナーが「あやかっていると判る」のなら…
採用した側は、女性性の使役をやっているのだと批判されても文句は言えない。
「性的にみられやすい絵。わかっててあえて利用しているんですよね」
読みたい本は山のようにあったが、なんとなく暇つぶしに端末に読めるもの、読み返しても面白いもの、を基準に選んだ。
例えばギャラリーフェイク、例えば蟲師、例えばファウンデーションシリーズ。
それでも100冊までは余ったので続きが気になってるけど買ってはいなかった本を買った。
で、それが違国日記。
7巻まで出てる。
どんな漫画かっていうと、姉夫婦が突然死んでしまい姪を勢いで引き取ってしまった少女小説家の話。
へんくつな少々コミュ障気味の小説家の話す言葉、つまりは語彙が姪にはむつかしくて、違う国の言葉に聞こえる、と言う。
ちょっとこの漫画の少女小説家の思考方法には、うなずけるところとそうでないところがあって、実のところそれについては
語りたいのだけど久しぶりにここに書きたくなったのは、その最新刊、35話で、姪の同級生の女の子のエピソードを読んだせいだ。
彼女は医学部志望で、例の医学部女子受験生は男子と違って下駄はいてない、というニュースに激怒する。
自分は生き方を否定された、と絶望して学校に一時期いけないのだが…
男子が下駄はいている理由は「医師が体力勝負で、24時間対応が求められることもあり、女性という生物学的機能(妊娠・出産)に
よる離脱が想定されうる」ので、「男性医師が欲しい(同僚としても部下としても社会的にも)」という理解でいたのだが(認識が
違っていたらごめんなさい)、作中の彼女は「人間扱いされてないってことだよね!」と叫んでいる。
両親が医者で病院を継ぐことが目的で夢で存在理由なそんな彼女が、女ってだけで不合格になる、それは理不尽だと思う、思うのだが…
少し「もやっ」とした違和感があった。
作中の彼女は15歳で、その子に現場のニーズでそうなってしまったんだ(正しくない選択だとは思うけど)、とつい言いたくなって
色々もっと方法があったかもしれないが、「入口で障害を作るしかない」という「悪手」を取ってしまったのは彼女を否定したいわけ
でも受ける資格がないとでも言ってるわけでもないはず。
…とはいえ、ここまで書いてきて思ったが、ニーズがない、と言われたと彼女が取った、のかもしれない。
男が怖いから世の中の男全て消えてしまえ、みたいな文章に出会ったときと同じように、少しもやっとする。
…自分が物書きのくせに言語化できないのは修行がたらん気がする。
しかし医学部志望の子のエピソードは、なぜかちょっと違和感があったのだ。
個人のありよう生き方は社会と関連するとはいえ、内面だけ深く深く掘っていく漫画であってほしいな。
勝手な読者の言い分だね、まったく