はてなキーワード: 何の変哲もないとは
女性は男と違って力が非力な人も多いし、男と身体的な構造で生理があったり生命を生む事も出来るし、
それに伴う激痛も耐えていかなくちゃならないというハンデもあるから守って行きたいという気持ちはあるんだけど。
それを理由に横柄な態度になったりするような女性を守っていく必要はあるのかなと思うこともある。
特に男尊女卑だなんだという割に、男と違って陰湿な嫌がらせを考える事もどちらかというと女性に守れと言われても、守る必要あるの?と思わなくもない。
男は群れになるよりも孤高で考える人が多く、女性の場合は仲違いも多いけど基本は群れて不平不満をつのらせた挙句に個人をいたぶる行為をする。
こういう事をしている姿を見てしまうと、さて女性は本当にか弱いのかな?と疑問に感じる。
身体的に弱いとしても精神的な苦痛を与えてくるのは、どちらかというと女性の方が強い気がするんだけど。
まぁ男の場合はクソ野郎ほど暴力で物を言わせようとするクズが多い。
お互いどっちもどっちという考えであるならば、男が女性を守るという必然性は感じない。
いや、そういう女性もいるけど基本的に女性はか弱い生き物だと主張するのであれば、せめて守られる側は態度を改める必要があるのではないだろうか。
守られる側の女性は、自分をお姫様のようなイメージを持っているのかもしれないけど、その考えを捨てて一人のただの何の変哲もない人間として考えて欲しい。
もしお姫様のような考えで、守られるのが当たり前という態度であるならば。
男尊女卑というものは存在しないし、むしろ女尊男卑になっているだろうと思う。
一端の会社に勤め、人間関係や自分のスキル、今後のキャリアに想いを馳せ、一丁前に愛すべき小さな悩み事達を抱えながらも、日々の仕事に追われあっという間に毎日が過ぎ去っていく。
ふと気付けば、こんな私がいつのまにやら一見何の変哲もない生活を送っている。よくもここまで辿り着いたなとたまに感慨に浸っては正気にもどる。私は特別だと思ってたけど、いやいや別にそんな大層な者じゃないよ、と。
思えば幼い時から、「みんなと同じ」を装うのに必死だった。身体的な性別に対する強烈な違和感を抱えながらも、他人は持たないであろう悩みをひたすら抑圧し、周囲の同性達に馴染む事に必死な日々だった。
今では懐かしい日々だけど、あの頃は本当に世界が灰色。楽しくない事を楽しんでいるふりをし、好きでない物を好きなふりをする、色の無い日々。毎日死のうと思ってた。
詳細は割愛するけど、紆余曲折を経て今は当時とは違う性別で人生を送っている。
割愛したけどその過程では色々な人達の、あまり他人に見せない側面に触れる事が出来た気がする。
以前と変わらない関係を続けられる人、離れていく人、突然自分の悩みを打ち明けてくる人、告白してきた元同性知人、親友になった元異性、等々。
そんな中でも、やっぱり昔と変わらず一人の人間として接してくれる数少ない友人達は大切にしたいなぁと思うと共に、手のひらを返すように私から離れていった人達の事を思い出す。
今の私しか知らない人達には過去の事は話していない。離れていってしまうのが怖い、ということもあるんだけど、いわゆるセクシャルマイノリティであるという事実は私の単なる一側面であって、私を表す代表的な面ではないから。敢えて言わなくてもいいでしょ、ってね。
最近、昔の私を知らない関係からスタートした、初めて心を許せる友達が出来た(と思ってる)。知り合ってから何年も経つけど、本当に何年も掛けて仲良くなった。お互い少しずつ距離を縮めながら、ようやくお互いの抱えてきた様々な事を話せるようになってきた。私も昔の事を話した。
特に心地よいのは距離感。お互いの事を深くは詮索しない。「話したかったらいくらでも聞くよ、でもあなたの全てを知らなくっても、もうあなたの事を信頼してるし、友達だよ」っていう感じの関係。
ある日、その友達のこれまでに壮絶な人生があったことを知った。私の人生なんてイージーモードじゃんかと思えるような、そんな昔話。
私が自分だけ特別ツラいって思い込んでいたのは、私が心の奥底を曝け出さないから他人も心を開かず、人の抱えてる様々な想いを軽視してたからだ。
分かってるつもりではいたんだけど、今私の前で笑ってるあの人が、これまでの人生ずっと幸せだったわけじゃないってのを、いい歳してようやく出来た友達に改めて気付かされた。
みんなそれぞれが苦しいし、楽しいし、悲しいし、普通だし、特別なのだ。
マイノリティ当事者だからこそつくづく思うんだけどもさ、女だからとか、男だからとか、LGBTの権利がとか、国籍がとか、身体の障害がとか、主張するのも、特別扱いするのやめてほしいと思っている。
個人は個人として誰に対しても、否定せず寛容な心を持って今よりちょっとだけ優しい気持ちで接するだけで、もっと楽に生きていけると思うんだよね。
ははは、わかってるよ、そんな簡単な話じゃないのは。
そんな大それた事を考えながら昔乗り越えた大きな困難を思い出したりもするけど、実際の私は今目の前にある小事でてんてこ舞いの日々。自分にとって自分はとても特別だけど、そこらにいる普通の一人の人間として頑張って生きています。
気付いてるかはわからないけど、みんなの近くにも多分いるよ、私みたいな人が。でも、もし気付いてもそこらにいる人間の一人として接してあげてほしいな。
親の片方が小学校入学直前に死んだ。急死だったらしい。死体を見付けたのは私だった。
残った方の親はろくでなしだったので子育てなんて出来るはずも無く、親戚の家を転々とした。
親戚はドラマに出てくるようなひどい人は居なかった。でも歓迎はされていないのは解っていたので、いつも肩身が狭かった。
それでもとうとう行く先が無くなって、小学校を卒業してすぐ施設に入った。これが最低だった。
底辺の掃き溜めっていうか、まともな奴がほとんど居ない。学校毎日行ってるだけで優等生で、いじめも暴力も当たり前に横行してた。
薬やってる奴も居たし、体売って小遣い稼ぐのも万引きして欲しいもの手に入れるのも普通だった。
あそこに入ってる子とは遊んじゃダメって親に言われた…と疎遠になった子も居る。子供心にそりゃそうだって思った。今でもあの親は正しかったと思う。
私は施設色に染まらなかったので施設の中に友達は出来ず、外の子とばかり遊んでた。施設内ではいい子ぶりっこしてるって当然いじめられた。
施設色に染まれば施設内に友達もできたと思う。でもそしたら外の友達は離れていく。それが嫌で必死に『普通の子』というポジションにしがみついた。
食事は平気で無くなるし、寝るのだって邪魔される。私物だって壊されるから勉強道具は持ち帰れない。教科書持ち帰ったりなんかしたら十中八九無くなる。ノートだって文房具だってそうだ。
帰って勉強出来ないので、勉強する時間は学校の中しか無い。授業で覚えきれればいいけど眠くて眠くて中々集中できなかった。
それでも空いた時間を勉強に注ぎ込んで、なんとか平均の学力だけはキープした。平均が限界だった。高校も偏差値56という極めて普通の高校に行った。
高校生になると個室が与えられるのでひたすら引きこもるか高校に残るかして乗り切った。
高校を卒業したら施設も出所する。私の学力と得意科目を考えると大学に進学しても就職率も年収も高くなるのは難しそうだったので進学せず就職する事にした。
就職した先はまぁとんでもなくブラックだったが、今まで居た環境が環境だったのでブラックだったという事にも気付かず4年勤めた。
お金が貯まったので退職して、簡単な資格を2つ取ってそれで転職した。
絶対名前を言っても誰も知らない社員数200人くらいの小さい会社でお茶汲みOLをやっている。
我ながら普通の大人になったと思う。収入も平均のど真ん中。やってる事は雑用。結婚もした。休日はたまに友人と会う。
夢に描いていた、普通の生活ってやつをようやく手に入れた。私にはこれが精一杯だった。
だけどたまに、努力不足だったんじゃないかと言われる事がある。
私は自分の過去を人にはほぼ言わない。夫と親しい友人以外は私のバックボーンなんて知らない。
お金が無いから大学に行かなかったと言えば、奨学金を借りればいい。国公立に行けばいい。結局は学力が足りなくて行けなかっただけ。貴方の努力が足りなかっただけ。
お金が無いならなんで専門職を目指さなかったの?手に職を持とうとは思わなかったの?努力が足りなかったのを棚に上げてお金のせいにしてるんじゃない?
いくらお金が無くたって出来る人はやるからね。出来なかったんじゃなくてやらなかったんだよ。人のせいにしてるうちは成長できないよ。甘えてるんだよ。
一人の人が全部言うわけじゃない。ちょっとずつ言われる。人によっては問い詰めてくる。
だって貴方は友達と遊んだりしてたでしょ?その時間を勉強に全部当てればよかったんだよ。今の結果は貴方の怠慢が招いた結果なんだよって平気で言う。
大抵そういう時は、死にたくなるか殺したくなるかどっちか。
だって無理。私には無理だった。今以上頑張るなんてあの状況じゃ無理だった。
私は今の状態で満足してる。この普通の、何の変哲もない、平凡極まりないポジションを得るためにどれだけ大変だったか。
それを怠慢の結果ってあんまりだ。環境的ブルジョワはいつだって残酷だ。
あんたたち少なくとも家があったじゃないか。そこで寝てたんだろ?リラックスしてたんだろ?
私が友達と遊ぶのだって同じだよ。リラックスしたかったんだよ。24時間神経張れって言われたって無理だよ。
本当はもっと眠りたかったよ。まともに食事が食べられなかったせいかチビだしすぐ体調崩すし施設出るまでずっと生理だって止まってた。未だに周期が安定しないよ。
いじめの物理的な傷跡だったいっぱい残ってる。指なんて2本くらいうまく曲がらないよ。むち打ちの後遺症で今も定期的に頭と首が痛くなる。ストレスでハゲていまだにそのまんまの所もある。
これ以上は無理なんだよ。
でも知らないからしょうがないんだよね。我慢するしかないんだよね。
いいよね。幸せな育ちな人は。人傷付けても許されるんだもんね。仕方ないって言ってもらえるんだもんね。それだけでも羨ましいよ。
私も来世ではそういう家に産まれたい。そういう特権階級を持つ家に。
沢山のコメントありがとうございます。
書いた場所が場所で長文だったのでスルーされるか、察してちゃんうぜーと言われておしまいだと思っていたので、こんなに沢山温かい言葉を貰えると思いませんでした。
いつもの殺伐としたインターネットはどこに行ったの…とおもわず涙してしまいました。
頑張ったと認めて貰えることがこんなにうれしいとは思わなかった。
こんなに褒めて貰えたのは産まれて初めてです。なんて言っていいか解りませんが、本当にありがとうございます。
褒めて貰えて嬉しい反面、私が底辺のはきだめだと思ったあの子達の事を考えると複雑な気持ちにもなります。
彼女達は彼女達で過ちは沢山犯していましたしそれは軽蔑していますが、あれが精一杯だったようにも感じるんです。
皆それぞれいろんな条件を抱えていて、それでも配られたカードで勝負するしかない。それは確かにそうなのですが、
本当はもう少し言葉を考えてからお礼を書こうと思ったのですが、早急に施設の事で追記したい事があったので書きました。
結局、不人気の職業体験の面目を保つという意味合いも含めて、俺はアパレルらしきものを選んだ。
「そういうマスダもか」
「それで、僕たちは一体なにをすれば?」
「最初は店でレジでもしてもらおうかと思ったんだけど、いつ来るかも分からない客を待っていたり、かといって雑用作業なんてのも退屈だろ?」
「はあ……」
「そこで趣向を変えて、最近目をつけていたとある商品の販売に専念してもらうことにした」
俺もタイナイも嫌な予感がしていた。
思いつきの経営を、ましてや俺たちにさせるってのは、どうなんだろうか。
「これを見てくれ」
そう言うと、店頭にあった箱を指差す。
箱の中には小奇麗な石が十数個ほど並べられていた。
何かの原石とかだろうか。
「そう、何の変哲もない石だ。これを売ってもらう」
自信満々に言ってのける。
俺たちは戸惑いを隠せなかった。
「え……っと、何らかの使い道がある性質だとか、何らかの効能というか、そういうのがあるんです?」
「いや、別に。石は石だ」
つまり、それら石は事実上道端に転がっているものをちょっと綺麗にした程度のものであり、それ以上でもそれ以下でもなかった。
本当に道端から拾ってきたんじゃないかというほど不揃いで、使い道に困る不恰好なものばかりだったのだ。
「え、それを売るんですか」
「何の問題が? 別に商品説明を盛っているわけでもない。いたって誠実だ」
そうなのかもしれないが、そういう話ではない。
これといった用途もなく、宝石のイミテーションにすらならないものだ。
「売るって、いくらですか?」
「そうだなあ、ひとつ500円で」
恐らく「500円くらいなら文句を言う気にもなれないし、まあこんなものだろう」と消費者に思わせたいのだろう。
狡っからいと言いたいところだが、この石はそれ以前の問題な気がした。
値段をつけて売る価値があるかすら疑わしい。
俺たちの怪訝な表情を察したのか、その人はやれやれと溜め息交じりに語りだす。
「商売ってのは売りたい人が売って、欲しい人が買う。需要と供給は絶対正義だ。モノの価値ってのは人間が後からつけたものなんだよ。キミたちは価値を感じないのかもしれないが、オレはそうは思わない。後は欲しいと思っている人を探すだけだ」
本気かどうか分からないが、相手は経営者で、俺たちは商売の是非を把握しているわけではないティーンエイジャー。
「販売方法はキミたちに任せる。売れた数に応じて評価点をあげようじゃないか。大丈夫、大丈夫、簡単、簡単。」
この経営者が何を持って簡単だとのたまうのか、俺たちにはよく分からなかった。
少なくとも俺たちは、この石を主観的に見ても客観的に見ても価値を感じないわけで、仮にこれに価値を感じる人間がいたとしても特定できる気がしない。
しかし評価点を餌にされた以上、俺たちみたいな大人しい若者は大人しく従うしかない。
十数個の石が入った箱をそれぞれ渡された。
改めて個々の石を眺めてみるが、やっぱり売り物として成立するとは思えない代物だ。
「それらはキミたちがそれぞれ売る石だから、片方に押し付けたりしちゃ駄目だぞ。それに売り上げと、売れなかった分の石はちゃんと返してもらうから。誤魔化してもキミたちが損するだけだからな」
こうして俺たちは「簡単な商売」の職業体験をさせられることになったのであった。
さて、いよいよ本編について語っていきたい。
あらすじは、こうだ。
主人公や同級生、道中で出くわす仲間たちと共に、ゾンビの襲撃から逃げ延びようと奮闘する。
CMやPVなどで分かってはいたが、本作はテンプレ通りのゾンビサバイバルものである。
立てこもる舞台の一つにショッピングモールがあるし、ゾンビはゆったりと動く、いわゆる口〆口タイプだ。
不器用な先生は教科書に載っていることを黒板にそのまま書いていき、そして不器用な生徒がそれをそのままノートに書き写す。
どれをとってもテンプレすぎて、逆にここまでゴテゴテなものを、このご時世に見れたことを感謝したいレベルである。
もちろん、これをパクりだなんて言うつもりはない。
お約束、鉄板、踏襲……どう表現すべきかは各々で判断すればいいが。
期待と予想は紙一重といわれるが、まるで自分はそれを試されているようだった。
それでも自分に正直になって語っていくならば、ややウンザリしていたというのが本音である。
お約束、鉄板、踏襲、どう取り繕ったところで、同じことはやればやるほどツマラなくなる側面があることは事実で、自分のような人間が見ても前時代的なものを垂れ流されている印象は拭えない。
結局、そういう印象を拭いきるならば既存の作品群よりどこかが優れているか、何らかの差別化が成されていなければならない。
この時代ならではの表現を駆使したり、特殊効果などを高クオリティで提供してくれていたならばまだしも、今日び可もなく不可もない出来に満足はできない。
その点で、ゾンビサバイバルを見慣れていない女子などの若者をターゲットに、前面に宣伝していることは正解といっていいのかもしれない。
気に入ったものを繰り返し見続けることがある。
一日に5回とか。それが数週間。
子供が気に入ったアニメや絵本をずっと見続けようとするのによく似てる。
まあ、そんな音楽です。
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JUNGLE FUNK
https://www.youtube.com/watch?v=0_JJqdWSJuA
リヴィングカラーのリズムセクションの 2 人と Vinx のユニット jungle funk の曲 "TORN"。
ひたすら美しく切ない。
ウィンビッシュのベースはデリカシーのある美しいコード進行を多彩なパターンでメロウこなしているが、
ガっと行くトコはきっちり行ってて、甘さだけにならないのが本当にうまい。
パーカッション(壺かな?)のオーガニックなリズムが、控えめだけど強いビートを一貫して曲に与え続けている。
そして、歌とコーラスワークの美しさにおれの涙腺は何度でも崩壊するわけです。
ちなみに、エリックゲイルズがギターを弾くインストバージョンが下記。
これも良い。
ウィンビッシュが弾いてるところが見れるのがうれしい(凄すぎて何やってるかさっぱりだけど)。
John Page Classic Presents “TORN,” featuring Eric Gales, Doug Wimbish & Will Calhoun
https://www.youtube.com/watch?v=WeefVD1668w
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Chantae Cann All I do Cover Live HD
https://www.youtube.com/watch?v=i5liTAUdFHQ
最近はあんまり参加してないっぽいけど、スナーキーパピーの鍵盤の人として知られるコリーヘンリーのライブ。
見どころはシャンティーカンの歌!歌!。スナーキーのプロジェクトでもよく歌ってるけど、それほど
アピールする歌い手には見えなかったんだよね。けど、こっちは本当に良い。
ちょっとチャイルドボイスで、べったり歌い上げる感じにならない乾いた感触がステキ。
バックは結構いかつい演奏してるのに、そこからさらに2歩も3歩も前に出るパワーもさすが。
それこそ何度も聴いたけど、後半のロングトーンは何度聴いてもドキドキさせられる。
下のはたぶん同じライブの別な曲。これも上とセットでずっと聴いていた。
Cory Henry Plays Gnarles Barkley's "Crazy" feat. Chantae Cann
https://www.youtube.com/watch?v=xp8UCpHk-vk
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North Mississipi Allstars - Turn Up Satan
https://www.youtube.com/watch?v=p1rLGrLAXQ0
NMA のブギ。
一見何のひねりもないミドルテンポのブギのようだけど、現代的な工夫が多く盛り込まれていて退屈させない。
逆かな?。今時のポップソングに典型的なブギのリフを再利用して見せたのかもね。
いずれにしてもそうした要素を中毒性高くパッケージした NMA の手腕はさすが。
ギターソロ開けにリフに戻ってくるとこなんか立ち上がって踊りだしたくなる。
使い古された何の変哲もないギターリフが強烈な輝きを取り戻す一瞬と言って良いと思う。
ルーザーディッキンソンは本当にうまい人で、ブラッククロウズのこの曲も執拗に聴き続けた一曲。
後半のソロは何度聴いても胸に刺さる。
The Black Crowes - Oh Sweet Nuthin'
このニュースが出始めて一ヶ月半。理事長一家のキャラが皆立ちすぎていて面白すぎる。毎日のように新たな情報が追加されていって飽きることがない。
地方議員が地元に建てられた建設工事のお知らせ看板をたまたま見かけて疑問に思ったという、何の変哲もない日常から始まって、国会議事堂での理事長の証人喚問というクライマックスに突き進んでいる様は、まるで『ソロモンの偽証』を読書しているような感じ。
この森友学園問題は、追及側からは菅野完氏が、官邸側からは山口敬之氏あたりが、総括本をノンフィクションとしてまとめることになるんだろうけど、ノンフィクションじゃもったいない。
https://df.nicovideo.jp/entry/347125
リンク先は「ゲームメディア側の視点からアフィブログ問題を語ってみる。ゼルダ95分で全クリという誤報の大拡散から考える、現代のメディアのありかた」という記事だ。簡単に言うと、ドワンゴ(角川)が主体となって運営しているゲームメディア「電ファミニコゲーマー」が「はちま起稿」や「JIN」、「やらおん」などのゲーム系迷惑サイトのフェイクニュース大量生産の姿勢を批判するものなのだが、この記事に対するコメント欄の反応が地獄の様相になっている。
ゲーム系迷惑サイトの読者による罵倒の荒らしは見るにも堪えない。感性の違いで済ませるにも中々厳しいところが多すぎる。電ファミニコゲーマーはそもそもTwitterやはてブのコメントが付くことはあっても電ファミのサイト側にはあまりコメントが付かない(いつも常連の人か中の人しかコメントしてない)。電ファミにログインするにはニコニコのアカウントが必要なのだが、この記事にコメントしたユーザーのアイコンはほぼアカウント作成時のデフォルト(ツイッターでいう卵アイコン)のままだ。つまり、件の記事を荒らすためだけに作られた、もしくは初めて電ファミにログインしたユーザーである可能性が高い。実名顔出しアイコンの人は…知らん!
この人たちの主張をまとめると「既存のゲームメディアはメーカーと癒着してるから信用しない。だからメーカーとの癒着がない個人が運営しているゲームブログを信用する」らしいのだが…
結論からいうと、この主張をする人は「既存のゲームメディア」ではなく「ファミ通」を信用していないのだ。実際問題、紙媒体として現在有力なのは実質ファミ通のみだろう。ファミ通のレビューはさんざん注目されるが電撃のレビューは一切注目されない。紙媒体のゲームメディアはファミ通、電撃を始めとしてほとんど角川系しかないし。
実際ファミ通のレビューは「点数はアテにならない」なんてさんざん指摘されていることだ。それこそ2013年に発売されたジョジョASBである。あれを格ゲーとして見るかキャラゲーとして見るかで評価は変わると思うのだが、いずれにせよ満点はやりすぎだったと思う。現在人気タイトルの筆頭であるポケモンやスマブラ、ソウルシリーズ(デモンズ)も当初はファミ通レビューで大した点数をつけられなかったのも有名な話だ。どうせみんな40点(満点)か極端な低評価しか見ていない。
そもそも、「ゲームメディア」とは何だろうか?とりあえず増田が考えた簡単な定義を紹介する。
2.あくまでメーカー(開発者)と消費者の中間の存在であること。
まあ、1の伝える中心の情報を変えればわりと普遍的なメディアの定義になるのではなかろうか。これらの条件を満たすゲームメディアはかなりの数がある。
紙媒体ではファミ通(角川)、電撃PS(角川)、ニンドリ(徳間書店)。
ウェブメディアではファミ通.com(角川)、電撃オンライン(角川)、4Gamer(Aetas)、GAME Watch(インプレス)、インサイド(イード)、Game*Spark(イード)、AUTOMATON(アクティブゲーミングメディア)、IGN Japan(産経新聞)他。
ちなみに電ファミニコゲーマーはファミ通と電撃と4Gamerの関係者が合体したものだ。
まさかこれらのメディア全部が「メーカーと癒着しており、信用するに足らない」とでも思っているのだろうか。
…実際に定期的にねつ造じみた誤報を出したり、運営企業がそもそもメーカー側の事業の一部な所もあるのだが、そういったところは読者から指摘されれば記事を訂正もするし、責任の所在がはっきりしているし、自社のゲームを取り扱う際は読者から疑われないようにかなり神経質にしている。もしメディアの記事を読んで気に喰わないのであれば別のメディアに頼ればよい。読者はメディアを自由に選ぶことができるのだ。紙媒体と違って無料で読めることが前提のウェブメディアなら尚更だろう。
まさか、ゲーム系迷惑サイトの読者は自分が読んでいるサイト以外にゲームの情報源が存在することを知らないし、知ろうともしない可能性が?
いやあ、それはないだろう…
ないよね?
そもそも何が悪かったのかというと、特定のメディア(企業)が読者(市場)をほぼ独占するとろくなことにならないという普遍的な結論である。新聞が一社しかなかったら絶対にろくなことにならないのは誰でも想像がつくだろう。
最後に、電ファミニコゲーマーは既存のメディアは他メディアの記事に触れることができなかったとして「ゲーム系まとめブログみたいに複数のメディアの記事を閲覧できるようにキュレーションメディアという形をとった(もちろん無断転載ではなく、元記事へリンクする仕組み)」のだが、そもそも電ファミニコゲーマーが書くオリジナル記事(「ゲームの企画書」シリーズ、増田が個人的に好きなのはドワンゴVR部系の記事)の品質が良すぎてそれだけで勝負できてしまい、キュレーションサイトとしての存在感が薄い。
あと、キュレーションするサイトの中にいわゆる「個人を騙り責任の所在を曖昧にしている企業によるゲーム系速報/まとめサイト」がキュレーションされてしまっているので、ある程度責任の所在が明確なメディアの記事のみがキュレーションされるような仕組みに変えてほしい。
<追記>
件の記事のコメント欄はゲーム系迷惑サイトの読者ではなくゲーム系迷惑サイトの運営側の工作ではないかという意見があった。その可能性をすっかり失念していたが、いずれにせよゲーム系迷惑サイトの関係者は例え地の果てまで逃げようとも必ず追い詰めて責任追及してやる。
<追記その2>
久しぶりに電ファミニコゲーマーを閲覧したらまさかのこの記事が載っていた。どうやら公開の約1週間後(3/22~23)にピックアップされたらしい。それで色々と反応を見てみたのだが、興味深いトラバ(http://anond.hatelabo.jp/20170323161617)があったので引用させていただく。
==
http://anond.hatelabo.jp/20170316204720
参考
オタクではなくアニメが好きなだけのゴシップ好きが増えたと感じる
http://futalog.com/369294475.htm
==
ちなみに私はゲームメディアの関係者ではない。強いて言うならば、「みんな、どうしてテレビゲームに飽きちゃったんですか?(http://anond.hatelabo.jp/20170207194549)」とかいう駄文を書いた挙句はちまやJIN、やらおんに拡散されてしまったゲーム業界志望者の学生である。あいつらに自分がPV稼ぎの餌にされたと思うと心の底から悔しい。この記事なら多分あいつらに拡散されることはないだろう。
言いたいことがたくさんあると文章が散らばって良くないですね。読んでくれてありがとう。
以下、書いたはいいけど主題と関係の薄い無駄話なので読まなくてもよい。
正直なぜゲームブログが「メーカーとの癒着がない」前提で話しているのかがわからない。つい最近にもはちま起稿がDMMの管理下だった時期があるとニュースになったばかりではないか。S社なんて何人かの関係者がゲーム系迷惑ブログの管理人と接触して増田みたいな人間から滅茶苦茶叩かれているのを知らないとは笑わせてくれる。
そもそもゲーム系迷惑サイトがあの規模で記事を大量量産しまくっているのを見て個人運営(笑)だと思うのがおかしい。大手に限らず話題の新作ゲームが発売されるたびに雨後の筍のごとく出てくる「○○(ゲームのタイトル)速報/まとめ」は大体まとめブログを収入源とする企業が作っているものだ。個人運営で匿名を装うのはまず組織的な犯行とみて間違いないだろう。個人で収入源にするには採算が合わない。一番いい例がそれこそはちまだ。あれは管理人の親が広告業だったからそれの発展形として企業化したのものだ。
なぜ自分の愛読するブログが親の仇にように増田から執拗に責められるのかがわからないゲーム系迷惑サイトの読者のために理由を簡単に説明すると「記事のほとんどが他所のメディアからの無断転載」で「PV数を稼げるように転載内容を編集してねつ造」し「まるで何の変哲もない個人が運営しているようにみせかける」ことによって「責任の所在をあいまい」にして自分の身に不利益がないようにふるまっているからである。
地球上の誰かがふと思った
地球上の誰かがふと思った
地球上の誰かがふと思った
「こんなにかわいい子が女の子のはずがないって諺があるんじゃよ?」
\ガシャーン/
「!!?」
「さて、そこで問題。
今わたしの体内で育っているもの・・・それは、いったい何でしょう?」
「さすがにフレンズね
こんな生物ってある?」
\ガタッ/
「わたしは帰る。
興味のない話だ。自分の正体を知ったところで何が変わるというわけでもない。
腹が減ればジャパリマンを食うし、カレーがあればカレーを食う」
「さて、カバンちゃん。
人間はときどき理解できない行動をとるようだから一応忠告しておくわ。
わたしもなるべく”フレンズ”としての身分を守りたいから無茶はしないつもりだけど、
(舌技披露)
「3秒で皆殺しにできるわ」
・
・
・
「たいしたフレンズだね!カバンちゃんの恐怖心をここまで引き出すなんて!」
「つめたい!何をするの、カバンちゃん!」
何かに寄りそい・・・
荷席にあったのは、大量の飲料水だった。
それらは見覚えのある市販のモノで、未開封であり何の変哲もない。
予想外の代物に弟たちは肩透かしを食らうが、数秒の沈黙のあとにミミセンが閃く。
「聖水か? この水は? 聖水として売っているんじゃないか?」
事態を上手く飲み込めない教祖は、弟たちにコロコロ目線を向けながら、坦々と説明を始めた。
「いえ、単純に私個人が使うものです。ちょっと前に水ブームがあったでしょ? ここに来る途中、在庫を持て余した店が安く売っているのを見つけて、衝動買いしたんです。効能はよく知りませんが、飲料水として普通に使えるので」
教祖は状況を飲みこめないまま、車を人質にされて問答を迫られることになった。
「……何だか、随分と知識が偏っていますね。そんな目的はありませんよ。信仰している人は他にいても、組織ではないですし」
「なんだよそれ、じゃあ何のために布教してんだよ」
「何って……教えを説いて、広めることに決まっているじゃありませんか」
「いや……だって、その“教え”ってのが……」
「分かりきっている? 当たり前?」
それは確かに弟たちの言おうとしていた言葉だったが、教祖自身から出てきたということに驚きを隠せなかった。
「それを分かっていて、何で」
「当たり前のことが、実は当たり前のことじゃないのです」
「人は時に『今さら』だとかと腐すけれど、それは誰にとっても今さらなことではないのです。掛け算の順序を逆にしても答えは同じことを子供が自ずと発見したとして、それを『今さら』だと腐す大人がいるでしょうか?」
もっともらしくも聞こえたが、弟たちは怯まない。
「いや……でも、やっぱり今さらだよ」
「仮に今更だとしても、その知識を自ら完全にモノにして、始めて知識は本当の意味を持つんじゃないでしょうか。ならば全ての人間がそうなるまで、今さらだと思われていることを反復して、提唱することは意義のあることだと私は信じています」
「なぜ、それを宗教に絡めて?」
「一つの体系に限界を感じたからです。科学的な、現実に沿った教えは尊重されるべきですが、それでも取りこぼしはある。だから私は宗教を通じて生活をより良くする教えを、別の側面から広めようと思ったのです」
「あえて、非科学的なことを言っているってこと?」
「本質的な意味や目的が同じであれば、私は一つの体系にこだわらなくてもいいと考えています。むしろ拘ることこそ、視野を狭くする要因になるとも思っています」
教えに対して、予想外の理念に弟たちは顔を見合わせた。
教祖の言うことは詭弁な気もするし、おためごかしの可能性も捨て切れなかった。
或いは他に見落としている何かがあるかもしれない。
だが、弟たちには何の論拠もなしにどうしても食い下がるような理由が特にないのである。
「難しい話だとは思いますが、世の中には“科学だから信じる人”もいれば、“宗教だから信じる人”もいるのですよ」
教祖の乗った車が走っていくのを見ながら、弟たちは自分たちの頭に残るモヤを何とかしようとしていた。
「どうなんだろう……宗教だからといって頭ごなしに否定するなってのは、何となく分かるんだけれども」
「うーん……要はあの宗教が良いのか悪いのかで考えることになるんだけど……何を信仰していようが、それでヘイトを広めたりだとかもせず、むしろ善良な人を育てようとするなら、少なくとも悪いことではないのかも」
「不安があるとすれば……信者たちは本当に、そういった理念を把握した上で信仰しているかってことだろうね」
「どういうこと?」
「同じ宗派だからといって、同じ方向を向いているとは限らないって事だよ」
今日の17時頃ニコニコ実況というサイトでNHKの大相撲を見ながら実況してた。
そこでアナウンサーが
「待機児童の数を都道府県別に見ると、東京都が3417人で最も多く、次いで埼玉県が~」(上記記事から抜粋)
と喋った「数秒もない」うちに次のようなコメントが唐突に流れてきた。
(2017/01/16 17:04:37 http://jk.nicovideo.jp/log/jk1/201701161704-201701161705)
ただそれだけのことなんだけど
”ニュースに出た何の変哲もない4桁の数字をものの数秒で素因数分解して書き込んだ人間を見た”
え?これ何?超人じゃね?数学の天才?リアル『博士の愛した数式』?現代のラマヌジャン?え怖い怖い
俺はとても驚いた。と同時にいろんな疑問が出てきた。
そんなことするやついないだろ、と思いたいが、NHKのニュースが発表されたのは上記のURLからわかるように今日の16時43分
おそらく5時のニュースが初出。まじかよ…(他局、BSで放送してた可能性もあるかも)
例のコメント以外はごくまとも。逆に数字だけのコメントが浮いて見えるっていう
こわいこわい
にしちゃあ過去ログの内容が人間すぎる。それにBOTにする意味が分からん
そうだな、きっとそうだ
お、おれだって51 = 3 * 17 だってことぐらいわかるさ
今日は寝れそうにない
今回は少年ジャンプ+
全部の感想は書く気起きないけれども、読切フェアの作品どれも意欲的だな。
プロットはとても好みだ。
意外性はないけれども、設定とキャラクターの人格、関係性を丁寧にこつこつと積み上げて、カタルシスに持っていくストーリー構成は、絵と相まって作者の真面目なモノ作りの姿勢すら見えてくるようだ。
まあ、それを加味しても、のんびりとした構成だという印象はあるけれども。
絵のほうも頑張るなあ、というか頑張りすぎているともいえる。
たぶんアレを100%として、それを70%くらいの労力で描いても評価はほぼ変わらない気がする(逆にいえば、それ位には水準が高いともいえるが)。
アニメでいうなら、1話とかで大した演出意図もないのに作画枚数多いシーン見たときの気持ちに似ている。
無駄な努力だなんていうつもりはないけれども、演出意図の希薄な部分での努力は割に合わないっていうのかな。
デジタルなのか、小さい何気ないコマですらすっごい描き込んでいるんだよね。
その反動なのか、大ゴマの特定のシーンとかはむしろ物足りないとすら感じる箇所もある。
演出として機能させるべき描き込まれた絵が、逆に裏目になっているとすらいえる。
まあ、そんな粗探しをしつつも、今回の読みきりフェアでは間違いなくトップクラスだね。
余談だけれども、『中川いさみのマンガ家再入門』でデジタル作画をやっている先生が登場したとき、拡大して小さいものすら描き込めて、気軽にやり直して描けるから、結果的に時間や手間は結構かかっているみたいな話があったのを思い出す。
案外、客観的に物事を見れる人間もそれなりにいたが、それでなお共同幻想に付き合うっていうのが、現状の過酷さを物語っているともいえる。
割と端的に語っているのもポイント高い。
狂言回し的な役割を、でしゃばり過ぎない範囲でこなせているともいえる。
アグニが「人は死んだらどこに行くんだ?」と尋ねるのは、まあ様々な意味があるんだろうね。
自分の近しい人たちの死だとか、自分の行動で直接にしろ間接的にしろ死なせてしまった人に対して思うところがあるのだろう。
死んだ先が良い場所だといわれて笑みをこぼすのは、多少なりに罪悪感が和らいだのか、或いは自分自身に対する死についても考えているのかもしれない。
「読切フェアの作品どれも意欲的だな」って冒頭に書いたけれども、これは例外ね。
プロットも微妙だしギャグもセンスないしで、読んでいて真っ先に「ああ……キャラ漫画だ」と思った。
いや、勝手な俗称だけれども、「キャラ漫画」っていうのは「設定したキャラを、何の変哲もない舞台にそのまま置いただけの漫画」、「プロットもその他の要素も微妙なのに、キャラだけで何とか体裁を成そうとしている漫画」のことね。
2つ目のエピソードでは既にマンネリ感を覚えた(読み切りなのに)。
他の読み切りフェアの作品だと『弓塚さんは今日も的外れ』や『さぐりさん探検隊』もキャラ漫画の傾向はあるけれども、ネタを多彩にしたり設定を作りこんでキャラに深みを持たせたり、構成なり演出なりを工夫しているのに、この漫画にそれはほぼないに等しい。
「キャラを作ってみたはいいものの、実際に漫画にして動かしてみたら思ったほど面白くならなかった」といった失敗をしている漫画はいくつかあるけれども、これもその一つだね。
舞台やその中でキャラクターをどう動かすか、演出するかってことが大事なのであって、キャラクターだけ作れば漫画が面白くなるわけではないのだ。
まあ私はこの漫画に登場するキャラ自体、そこまで面白いとは思わないけれどもね。
ただ、この漫画のウリがどこにあるかって考えるなら、キャラクターくらいしかないなあって思ったから、こういう感想になっちゃったけれども。
GF(仮)いうアニメがある。アニメオタクの中ではクソアニメと言われていて、自分でも確かに出来はよくないとは思うんだけど、それでも自分は結構好き。
ストーリーは何の変哲もない日常系なんだけど、登場人物の言動に前向きで温かい感じ、なんというかすべてを許すような所作が感じ取れる。
大げさだが自分はここにいてもいいんだ、というような安心感がある。具体的にどのセリフがどうこうという話ではなく雰囲気としてそういう傾向がある。
誰も同意してくれないだろうし同意してほしいとは思わないが自分の中ではそうだ。
こっちはGF(仮)より優しさと暖かさが具体的に説明しやすい。生まれつき不幸な体質の人間を集めてその人達に幸福を掴み取るための教育を施す「幸福クラス」で、主人公がクラスメートたちと学校生活を送る様子を描くアニメ。全体的にコミカルでバカバカしくて笑える作風になっている。今は不幸でも、皆で協力して自分のペースでゆっくりと幸せになっていけばいいじゃないか。客観的には不幸に見えても、本人が幸せだと思っているなら幸せなんだ。そういったメッセージがあって、見ていて前向きな気分になれるアニメだ。
別に、精神が荒んでいたわけでも疲れていたわけでもないけど、自分はどうも優しさと暖かさが染み出すようなアニメに弱いようだ。
ただARIAや夏目友人帳なんかは違う。あれも確かに優しさと暖かさはあるし、超好きだけど、今言ったようなアニメとはちょっと方向性が違うとは思う。中学校の頃、社会科の先生が「始めて弥勒菩薩を間近で見たとき、そのすべてを許すような微笑みを前にしばらく泣いてしまった」と言っていた。残念ながら自分は弥勒菩薩を見たことはないが、弥勒菩薩を見て泣く感覚はなんとなく理解はできる。多分これらのアニメを見て涙がでるときの感情と同じだと思う。ARIAや夏目友人帳なんかは、理屈として言葉にするのが難しいが、優しくて暖かいだけで許しがないんじゃないかと思う。感覚的な話で申し訳ないがなにかそういうアニメはないだろうか。
件の鉄道むすめの話が、どんなものかと思って公式ページを見てみた。
http://tetsudou-musume.net/contents/chara/?kana=a
http://twitter.com/orz404/status/787882634026160128
そして、この解説を見て、なるほど、と思った。(実際の時系列は解説見たのが先だが)
ただ、他のキャラクターとくらべてこの子だけ表情の作りが違うなと思ったので元ネタを見てみた。
https://www.facebook.com/ekino.michika
なるほど、頬が赤いのが1つの特徴だったのか。その要素をそのまま「萌え絵」的表現にするとこうなるのか。
私個人の結論としては、公式じゃないにせよ公認でこのイラストはちょっとNGなんじゃないかと思う。
それは東京メトロを普段使う利用者として、また、東京メトロの株式を46.58%の保有する東京都の有権者として。
(これが札幌市営地下鉄だったら私が意見する筋合いは無いのかもしれない。)
ただ、他のキャラクターは全然問題ないとも思うから不思議である。
その点、orz404氏の解説は、他のキャラクターとの違いを十二分に言語化してくれていると思う。
性的なものでも公共物に利用して問題ないだろというラジカルな意見を除けば、公共に掲示するものに極力性的要素は排除する、というのは大多数の意見であると思う。
では、「その線引はどこなのか」が焦点だと思うが、文脈や人にもよるだろうし、同じ人でさえも時間や状況によっても変わる。
そこに境界線は存在せず、グラデーションですらないと思う。ぼかしがかかったモザイクくらいか。
何の変哲もない無機物単体に欲情する人もいるだろうし、しない人もいる。
缶コーヒーを女性器に突っ込んでいるJKの無修正画像を思春期に見た人は、缶コーヒーを真上から見ただけで少し性的興奮を覚えるかもしれない。
今まで意識していなかった人と成人してから中学校の同窓会で久しぶりに会い、しゃがんで缶コーヒーを飲んでいる姿を見て、急に異性を感じ、帰宅後に卒アルの写真を出してきておかずにすることだってあるはずだ。
私だって思春期に無修正画像を見なかったら、缶コーヒーで興奮などしていない。卒アルもおかずにならなかった。
そうした多様な人々の、多様な性の線引きで、すべて人が性的でないと判断する表現・創作活動など不可能だ。
解決するには、どこかで多数派が納得する程度の「あいまいな線引き」を「創作者」が行い、「住み分け」をするしかないと思う。(ある程度安全マージンがあると望ましい)
その線引のひとつの基準として、orz404氏の解説は的を得ていると私は思った。
結局、「俺の見たくないものを俺の前に出すな」という身勝手な話なのだろうと思う。
多数派により性的だからNGとされた表現手法を(性的に興奮するかしないか別として)愛好する人にとっては、多数派による圧迫にしか感じないと思う。
私は缶コーヒーに欲情するのに、おそらく缶コーヒーが公共物のポスターでNGとなることはないだろう。
この文章をいま書きつつ、強者の論理だというのは承知している。
しかし、その住み分けを放置した先には、獲物を見つけた多数派による袋叩きが待っているに違いない。
いやね
あれはしょうもない愚痴やくだらない駄文を垂れ流す様を自嘲的に例えているわけでね
文字通り小学生の真似をして無邪気に騒いでいるわけじゃあ無いのよ
そうはいっても「子どもにもどりたいよう」なんて退行願望を皆んな胸に抱いてはいるがね
恥ずかしいけど俺もそういうおじさんだな・・・
・・・そんなことを書き連ねたのち
俺は録画した仮面ライダーエグゼイドを観ながら
焦げかけるまで入念に火を通したハムトーストとじゅくじゅくの目玉焼きをがしゃがしゃほうばり朝食を済ませ
Pokémon GOのプレイがてら路肩に放置された犬の糞を撤去することで手持ち無沙汰な休日を潰そうとしていた
もちろん大事なことは忘れちゃいない
そして俺から乖離して泡沫してしまった慈愛の感覚を分け与えてくれる
その存在があるからこそ目の前の犬糞に囚われて鬱憤を溜めることなくにこやかに過ごせるわけだ
こんな糞を抱えた何の変哲もない一日でも
心の中に押し込まれたピュアネスなミューズを暫し解放させることで忽ちそれは瑞々しく輝く
身が焦げる様な想いは極限まで高まりそして脱糞となって瞬く間に俺は果てる
ひゅーひゅーだね
ぴゅーぴゅーだよ
http://anond.hatelabo.jp/20160702174925
毎度おなじみ gudachan@bonchacchanga の不定期活動報告です。
gudachanは自分の作ったまとめに対する反応を日々チェックしており、
自分の意見に肯定的な反応はRTしたりリプライで別のまとめのurlを送り付けたりしてさらなる承認に結びつけ、
逆に否定的な反応には相手にレッテルを貼りしばらく叩くという習性があります。
あんまりよくわからん。 QT 広島が6大都市に慣れなかった最大の理由は「郊外高速交通」の不在 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/1022672 @togetter_jpさんから
6:51 PM - 11 Sep 2016
ttps://twitter.com/kankimura/status/775149685510070272
ttp://archive.is/Rzdkj
そもそも本来「6大都市」というのは大正時代の「六大都市行政監督ニ関スル法律」で提示された古い概念。東京、横浜、名古屋、京都、大阪、神戸、の事を長らく指してきた。それを数だけ同じ「6」にして大都市圏に適用するから、「仙台か広島か」みたいな訳の分からない話になる。
6:55 PM - 11 Sep 2016
ttps://twitter.com/kankimura/status/775150719645028352
ttp://archive.is/ak7wN
ttps://twitter.com/kankimura/status/775151776936845313
ttp://archive.is/uTCGj
序に書いておくと、仙台と広島に対する「感覚」は住む場所によってずいぶん違うと思う。例えば、畿内の人間の多くは広島は割とよく行くので、「西にある福岡に次ぐ大きな町」という感覚があるけど、仙台にはまず行く事がないので、「東北の町の一つ」くらいの感覚なのではないだろうか。自分だけかな。
ttps://twitter.com/kankimura/status/775152846970904577
ttp://archive.is/xISD2
そもそも東国の人は、畿内から西に行く事が少ないでしょうし、移動する場合にも飛行機移動が多くなるでしょうから、地理感覚がつかみにくいですよね。我々が東北や新潟に行く際に地続きで行かないので、距離感覚がつかめないのと同じだと思います。
ttps://twitter.com/kankimura/status/775156122520997888
ttp://archive.is/Vdl5O
木村幹氏がgudachanのまとめについて以上のように反応しました。
6大都市という言葉にこだわって仙台と広島どちらが上かという話にそもそも意味がなく、
居住地域によって感覚も異なるので大した意味はないという指摘で、これはまあもっともな意見でしょう。
しかしgudachanにとって自分の主張を否定されることは人格の否定に等しく、到底受け容れられるものではありません。
仙台は発展しているとツイートしたら、面識のない「朝鮮研究学者」が、挨拶もよこさずに本人の感知しないスペースで冷笑を繰り広げて呆れた。この朝鮮研究学者は「東国」と言う言葉を用いて、仙台の発展を否定しようとしていた。これは完全にレイシスト、差別主義者の発想ではないか
4:22 AM - 13 Sep 2016
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775655913021542400
ttp://archive.is/REabK
Togetterのurlを貼ってその内容について感想を述べる、という当たり前にされている行為が、
gudachanの脳内で「挨拶もよこさずに本人の感知しないスペースで冷笑を繰り広げ」に変換されました。
「自分の主張は多くの人間に共有してほしいが、否定されることは我慢できない」という彼の自意識によって、
木村氏の特に何でもない感想すら「冷笑」に見えてしまうのが涙を誘います。
異なる意見を持つ人を尊重せず、表だって物を言えない陰口みたいな悪意をぶつけるのは匿名のネット原住民の常識ではある。しかし、一般社会になじむものではない。だが、Twitterを見ての通り、ざんねんなことに人文学系の学者には「逆張り冷笑系ネット原住民」は大勢いる。レイシストはクソだ
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775656161953452032
ttp://archive.is/tT83X
なぜこれをレイシストだと気付いたかと言うと、私は数年前にネトウヨが「東夷が」と言う煽り・罵詈雑言表現を用いているのを、ネット原住民の総本山の掲示板のマトメ記事で見たことがある。こういうのは普通に考えてFacebookのコミュニティや昔の個人運営掲示板では一発退場である
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775656428853874688
ttp://archive.is/xtkX1
関東一円を指して「東国」と言うことと関東や東北の人間を「東夷」と罵ることにはかなりの差があると思うのですが、
批判には反論ではなく相手の態度や言葉遣いを問題視し人格を否定するという習性のあるgudachanが今回なんとかひねり出したのがこの理屈です。
Twitter運営は相手が学者だろうが、こういうレイシストを排除するような仕組みを作るべきだと思う。普通に考えてほしい。2016年の日本で「東国」なんて言葉を使うのは学者だけだ。日常表現ではない。学者だからこそ知っている言葉を、悪意ある用い方をするのは、卑劣。学問の侮辱でもあるね
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775656711659008000
ttp://archive.is/J7KTY
そしてこの「東国」には古来、百済からの渡来人がやって来た歴史がある。朝鮮学者だから知っているのだろう。知った上で悪意ある表現をしているのなら、それは「自称朝鮮の専門家」である桜井誠のそれと何も変わらないと思う。「東国」と言う言葉を用いて、仙台の発展を否定するレイシストはヤバい
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775657148747427841
ttp://archive.is/sFtjr
俺が嫌いなのが、こういう露悪「ユーモア」なんだよね。こいつらにとっては薀蓄こじらせたような悪意ある冷笑や逆張りがジョークか何かのつもりなんだよね。どう考えてもただのヘイト。俺が「朝鮮女子」をずっと問題視しているのもこれですよ。当事者に対するリスペクトがない。その逆しかない
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775658792792887296
ttp://archive.is/AnxNb
面識のない「朝鮮研究学者」は本当は何の変哲もない、そのへんの中小企業のオヤジかもしれない。何とでも自分を偽れるのもまたネットだから。ただ、俺が厄介だと思っているのは「東国」と言う言葉をことさら用いることで在日朝鮮人差別が増幅されることですよ。レイシスト一人のことはどうでもいいがね
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775659223329878016
ttp://archive.is/ZH88b
社会への拡散力。これが恐ろしい。だってそうでしょ?在特会作った人だって元はNAVER掲示板のトロルじゃないか。NAVERの季節の話題専門のHOT掲示板(だったと思う)で運営の設定するテーマを無視してずっと歴史や領土について書き込んでた奴が、今や日本最大の極右勢力だもん
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775659498308407296
ttp://archive.is/MAKQ9
朝鮮の専門家であれば関東大震災当時、在日朝鮮人虐殺があったことは知ってるはずです。そしてその虐殺に巻き込まれたのは東北人も多かった。つまり大和民族で日本人であっても関係なかった。「東国」呼ばわりは極めて危険だぞ。俺の先祖も東北人だからこれは許せないね
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775659969345490944
ttp://archive.is/ibkgj
「東国」という言葉を使うことは在日朝鮮人虐殺に繋がることであり許せないとのこと。
いつの間にか木村氏は在特会に匹敵するレイシストということになったようです。
「東国」が問題であるならばgudachanが日頃使用している「裏日本」なども問題になる気がしますし、
前回の「地方人の分際でなんでそんなに偉そうなんですか」などはどうしようもないのでは?と思わずにはいられません。
女性に虐められる男子なんているのかなあー。日本は女性が男性に酷い扱いされる国。逆はないはず
おかゆ @okayu_desert
女性嫌悪・蔑視と萌えアニメ好きが結構被ってるあれはなんだろう。いや俺も萌えアニメはよく見るし、若い女性が近くにいると発汗して息が詰まるけどさ。やっぱ小中学校時代に女子にイジメられたり、陰口を叩かれたりした記憶はなかなか消せるもんじゃない。それを拗らせるとミソジニーに発展する。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769100353266716672
ttp://archive.is/YAbIc
gudachanは勝部元気氏に多大な影響を受けているのはご存知の通り。
リプライありがとうございます。でもそれってよくあるいさかいのレベルじゃないでしょうか。「女子=陰湿」みたいな性的な決めつけに繋がる発想だと思います。私は小学生の時も中学生の時も女子生徒とふざけあっていましたよ
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga ぼくは小学校時代に女子に虐められてました。男子と違い肉体的な暴力ではなく言葉の暴力とかですね。中学のときも一時的に裏で悪口を言われたりだとか。特に理由はなくて単純に「顔がキモイ」とか「暗いから」とかです。もちろん社会的には女性のほうが抑圧されています
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769125069498888192
ttp://archive.is/wYfBZ
「女子からいじめを受けたことがある」と言っている人を「よくあること」と一蹴するgudachan。
本当のイジメというのは、力関係によって生ずるものです。これはレイシズムとかも同じですが、関係性が不均衡であるにもかかわらず、劣位の側が優位の側を凌駕して苛めるというのは到底可能性が少ないです。「痴漢冤罪」と一緒で。皆無ではないですが
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga 少なくとも「逆は無い」と断言するのは早計です。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769125486106546176
ttp://archive.is/TUNRf
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769125870330011648
ttp://archive.is/8v30X
たとえば同級生にキモイ奴がいればいじるのは普通の小学生のよくあることじゃないですか。自分も囃し立てる側にも、言われる側にもなりましたよ。クラスみんなを煽ったこともありますし、みんなから口を聞いてもらえなかったこともあった
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga 「女子=陰湿」だとは思いませんが、ぼくはまぁそういうイジメを受けたことはあるってことです。あとイジメを「よくあるいさかい」などと言うのはおかしいですよ。やられた本人からすれば生涯に渡ってトラウマになるレベルです。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126144683618304
ttp://archive.is/aiEXZ
そういうことは誰しも経験あるんですよ。やはり女子生徒が、男子生徒を一方的に標的にし、いじめをするということは、構造的に不可能だと思うので、よく自分の経験を見つめ直すといいと思います
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga 「女子=陰湿」だとは思いませんが、ぼくはまぁそういうイジメを受けたことはあるってことです。あとイジメを「よくあるいさかい」などと言うのはおかしいですよ。やられた本人からすれば生涯に渡ってトラウマになるレベルです。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126409352556545
ttp://archive.is/P07pJ
本当に酷いいじめのある学校もあるとは思いますし、田舎は酷いということを、私は地方都市出身の同級生から聴かされたりしましたが、それでも加害者は男子で、被害者は女子であることが多いです
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga よくあるレベルだからいいというものではないです。イジメという行為を矮小化するのはやめましょう。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126636595752960
ttp://archive.is/AOo7j
自殺などの深刻な事案もありますから、いじめはなくすべきです。理想は根絶。現実は難しいけど。それは人種差別と同じなんですね。そこは私もよくわかりますよ。でも女子は男子をいじめることはできません。絶対に
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga よくあるレベルだからいいというものではないです。イジメという行為を矮小化するのはやめましょう。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126838748614656
ttp://archive.is/nG0Qh
なんというか、女子にとって不快な男子生徒がクラスにいれば気色悪く思うのは当然のことで、それが自分に投げかけられたなら、自分自身の自己改善をするべきだったんではないでしょうか
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga いえ不可能ではないでしょ。事実として私は5~6人からいじめを受けました。学校、もっといえば教室という限られた空間なら「不可能」ではないです
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769127605551280128
ttp://archive.is/wtvNO」
いじめを受けたと思っている者に「お前が悪い」と言うのは端的に言ってセカンドレイプに類似する行為なのではないかと思うのですが、
勝部流フェミニズムに心酔しているgudachanには理解できません。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769128262798757888
ttp://archive.is/kPZps
確かにいかなる理由があってもいじめはいけないですよ。でも関係性の違いによって、優位のある側が劣位にさらされる側に対してあるべき振舞いとか、改善の努力までは否定できないはずだ
おかゆ @okayu_desert
いじめ被害者に「自己改善」を求めるなど、「自己責任論」の一種でしかありません。「被害者が悪いから加害がある」など加害者側の自己正当化にすぎません。とにかくいかなる理由があったとしてもいじめは絶対にいけませんよ。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769128803201277952
ttp://archive.is/lzVlN
もちろん私は顔がキモい人や暗い人も尊重される社会の方がいいと思います。また、子どもにとってのいい加減なものの見方で誤解があった可能性もありますが、いずれにしても、大人になった今まで引きずることではないですね
おかゆ @okayu_desert
「あるべき振舞い」とか「改善の努力」とはいったい何のことでしょうか?私がいめられた理由は主に「容姿」だったわけでして、そこに「改善努力をしろ」と言われてもどうしようもないです。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769131235272560640
ttp://archive.is/kexgK
お気持ちは十分お察ししますが、一方的な被虐の前に、まず「あの頃の自分」を振り返ることが、暗い過去と決別する第一歩だと思いますね~
おかゆ @okayu_desert
@bonchacchanga 幼少期に受けた心の傷は一生掛かっても消えるものではないです。「引きずることではない」など他人にそう簡単に言っていいものではないです。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769133168767094784
ttp://archive.is/MG7DP
嫌なら一発「やーめーてー!」って言えばいいんですよ。なんで言わなかったんですか?
おかゆ @okayu_desert
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769133375562977281
ttp://archive.is/EM2qg
絶対に構造的にありえない「女子生徒の男子いじめ」について、そんなのおかしいと声をあげると「セカンドレイパー男が性的被害にあった女性に投げかける言葉と同じ」と言われるんだからすげーな
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769138394014232576
ttp://archive.is/gWiXW
gudachanにとって自分の考えは絶対なので何が悪いと言われているのか理解することはできません。
一連の発言にこちらこそ「すげーな」としか言いようがありません。
このおかゆさんは基本的にリベラル風で正しい考えをしていそうなだけに、女性と男性の力関係をご理解いただけないのが大変残念である
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769140830279917569
ttp://archive.is/GLizg
たとえば合理性がなくて無駄が多い女性もいますね。でも、いじめをする女性はいませんよ。できないんですよ
おかゆ @okayu_desert
いや人の性格なんて人それぞれでしょ。特定の属性に「この性格の人はいるけど、あの性格の人などいない」って、それこそ差別的でしょ。
ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769141798853685248
ttp://archive.is/7SuRi
おそらく、gudahcan本人は自分が差別的な思考をしていること、本人が批判しているネトウヨと同じ思考洋式であることに全く気付いていないのでしょう。
http://anond.hatelabo.jp/20130706163318
それではまたどこかで。
「うたの☆プリンスさまっ♪」という作品を知っているだろうか?
2010年にシリーズ1作目となるゲームが発売され、翌年アニメ化。
そのアニメが大当たりとなりゲーム続編やアニメ2期等が制作され、今年は6年目に突入したコンテンツだ。
内容はいわゆる乙女ゲームで、プレイヤーは登場してくるアイドルのたまごたちの曲を作る作曲家となり、一緒にデビューを目指す。デビューを果たした後は彼らとの仲を育みながら、アイドルとして作曲家として共に成長していく…という、説明してしまえば何の変哲もないストーリーだ。
今年の1月にはさいたまスーパーアリーナで2日間に渡るライブも開催され、10月からはアニメ4期が放送となる。
この時点で「なんだ、おたくのジャンル紹介日記か」と思われたなら仕方ない。
もちろんこの記事はうたプリの存在くらいは知っている人を前提に書かれた記事なので、知らない人からしたらどうでもいいことこの上ないだろう。
それでも今、うたプリファンの一人として私はどうしてもうたプリの真髄のひとつ(だと勝手に思っている)でもある「遊び」について言葉にしておきたくてキーボードに向かっているので、もし少しでもこのジャンルに興味がわいたならぜひ知ってみて欲しい。
さっきも説明したけれど、うたプリはアイドルと恋愛するゲームだ。
シリーズ1作目の舞台はアイドル養成専門学校で、一応恋愛禁止だったりする。アニメでもその設定はガッツリ意識されていて、アニメ第1期放送時には「誰も校則守ってねえじゃん!」とまあネタにもなった。
しかし彼らと私たちプレイヤーは、アイドルと作曲家という枠の中で恋愛をしていく。
作品の大元であるゲームの中では個と個であり、そのストーリーは彼と私(あるいはヒロインである七海春歌)の物語だ。
しかしうたプリのすごいところは、「私と彼」という枠組みとは別にもうひとつ「アイドルとファン」という枠組みがある点だ。
一つ例を挙げたいと思う。
シャイニング事務所公認Twitterアカウント|うたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/twitter/index.php#.V84vgkjOyk8.twitter
これはシャイニング事務所に所属するアイドルたちがやっている(という体の)事務所公式アカウントだ。
このツイッターが始まったのは2012年のクリスマスのことで、まずアカウントが出来たところからすごかった。
各キャラクターの互いをフォローするタイミングから順番が見事にキャラクターらしさを外れず、キャラクターごとに異なるクライアントや写真撮影の技術。長期でつぶやくときには、仕事や移動時間まで計算し、どのキャラクターがどの新幹線に乗ったのか特定することだって出来た。
そこには圧倒的な"存在感"がある。
これが大いに盛り上がった。
もちろん、キャラクターツイッターの先駆者がうたプリだとかそんなことは言わないし(確かスタスカとかの方が早かった気がする)、こんなのスタッフが必死こいて原稿を打ち込んでるんでしょ、と言われたら元も子もない。
それでもそこにはプリンスたちが存在する"リアル"があったし、自分たちのツイートと彼らのツイートが並ぶ画面は現実だった。
(だからこそ2016年のシャニフェスプリツイに関しては、言いたいことがないわけではないのだけれどここでは割愛する)
そしてここでの彼らと私たちは、完全にアイドルとファンなのだ。
プリンスたちアイドルは決して恋愛の匂いをさせないし、何においてもファンとの関わりを重視する。
ツイートの隙間に、文脈に、ヒロインの存在や自らを投影する楽しみ方ももちろんあるだろう。
しかしプリンスたちの言葉は、恐ろしいほどのクリーンさを持った、アイドルたちからのファンへのメッセージなのだ。
もう一つ例を挙げる。
うたの☆プリンスさまっ♪サマーキャンペーン PRINCE SUMMER!2015|うたの☆プリンスさまっ♪ http://www.utapri.com/sp/prince_summer2015/
これは2015年の夏に行われたうたプリのサマーキャンペーンのページだが、その中でもグッズラインナップの一つを見てほしい。
「メモリアルフォト」と題されるグッズの説明文には"直筆サイン"の記載がある。
うたプリシリーズのキャラデザをされている倉花千夏先生が"撮り下ろした"ビジュアルブロマイドとともに額装された"直筆サイン"色紙。合わせてお値段5,500円+税。
うたプリを知らない人からしたら何を言っているのかと思われるかもしれないが、このサイン入り色紙はプリンスたちが自ら一枚一枚書き上げた(という設定の)色紙なのだ。
入っているコメントも種類があるし、もちろん一つとして同じものはない。
私たちはそこにプリンスの存在を信じて、5,500円の色紙を買う。
決して安い金額ではないと思うし(下手すると映画が5回は見られる)、キャラクター自体が実在しないのにバカじゃないかと言われたらそれまでかもしれないが、私たちにとって彼らは現実を生きていて、そしてその存在を信じるために5,000円以上を費やすことが出来る対象なのだ。
倉花先生の描くプリンスたちは"撮り下ろし"だし、誕生日や記念日にプリンス宛に届く手紙は必ずシャイニング事務所へ届けてくれる。
バレンタインには事務所からのお知らせが毎年でるし、ファンレターの宛先もブロッコリー方シャイニング事務所だ。
今年の夏に行われたイベント"『Shining Dream Festa(シャイニングドリームフェスタ)』 http://www.utapri.com/sp/shining_dream_festa/ "でコラボレーションした世界的デザイナー丸山敬太氏とも、アイドルたちは"相談して"衣装を作り上げた。
私はこの夏感動したのだ。
現実のアーティストのライブ衣装なども手がけてきた丸山氏がうたプリとコラボをしてくれたこと、そしてうたプリの世界観をきちんと意識してインタビューやSNSで応えてくれたこと。
私たちの大切にしてきたアイドルたちが、世界に存在を認めてもらえたように感じたのだ。大げさと言われるかもしれないが、私はそれが何よりも嬉しかった。
うたプリはこうした壮大な「遊び」を大切にしてくれている。
これは私の個人的な考えなのだけれど、アイドルは二次元三次元にかかわらず、その存在自体が究極の「ごっこ遊び」だと思っている。
アイドルを名乗る彼ら・彼女らはステージというフィールドの上で、精いっぱい自らをアイドルとして作り上げる。
アイドルたちも人間だから、当然恋愛もするし食事もするし代謝もある。それでもその瞬間は私たちファンとアイドルというたった一つの関係だし、それ以上でもそれ以下でもない。
その関係性に夢を見るから、例えばアイドルたちに恋愛スキャンダルがあろうもんなら、裏切られた気持ちになる。ファンの信じる"アイドルと私"という関係性の他に、関係のない人物が"アイドルと恋人"という関係性を作り上げているのだから。
もちろんそんなこと思わないし、恋人がいたって全然気にしない!という人もいるだろう。
それでも私たち受け手とアイドルたちにの関係は、どう頑張っても"アイドルとファン"を超えることはない。
アイドルでも個である彼らプリンスと、作曲家でもファンでもある私たち"うたプリのファン"。
「うたの☆プリンスさまっ♪」という作品は、その両面を楽しむことができる。
もちろん今までだってうたプリのやり方に困惑しなかったこともないし、キャラクターに関する重要な情報が後出しでぶれたりすることもあった。
それでも私が5年を超えてなおうたプリを応援しようと思えるのは、魅力溢れる楽曲や展開はもちろんのこと、うたプリの作り手たちがプリンスたちの存在を、生きていることを何よりも信じさせてくれるからである。
それが揺らがない限り、私は彼らを応援し続けるだろう。
アニメ4期もこれからの展開も、6年目を迎えたからこそ不安に思うことはたくさんある。
それでもそれ以上に楽しませてくれることを祈って、私はこれからもうたプリを応援したい。
応援していることが悲しくなってしまうようなコンテンツだけにはどうかならないで欲しいし、何よりも応援したいと思わせてくれるコンテンツでい続けてくれることを私は祈っている。
以下のウェブサイトをみてほしい。
202.45.166.123
202.45.167.69
202.45.167.87
一方で、IPアドレスがいずれも同じ貸サーバー会社のものであること、
いずれもWordPressで作成されていることから、同一の作成者が作った
1匹見たら30匹。
では、どこにリンクしているのか。
日本経済大学だけあったりする。
少子化により激しい学生獲得競争が起きているとは知っていたが、
そう思いたい気持ちがなくもない。
いったい誰がこんな・・・。
学費数百万をつぎこんで劣悪な教育環境にいるのではないかと心配になり、
どうやら、2014年に「大学の法的基準に達していない」と判定されているが、
改善に取り組んでいるらしい。改善しようとする姿勢はすばらしい。
http://www.jue.ac.jp/news/index.html?id=28901
中国人、ベトナム人、ネパール人らの留学生が日本人よりも多い、
国際的な(アジアンテイストただよう)キャンパスになっているらしい。
現地のブローカーに札束わたせば多少は留学生を引っ張ってこれる時代ではあるが、
それでも数千人規模というのはめったに無い。
http://www.studyjapan.jp/ja/schools/detail/R14201
オックスブリッジ大学の学寮(カレッジ)での短期間研修プログラムを
俺の弟はとてつもなくスマホ中毒である。ほとんどスマホと一体化している。
俺・弟・父・母で暮らしているんだけども、『弟』のところを『スマホ』に変えても差し障りないぐらいには彼はスマホだ。
弟は高校生であり、授業中はなんとか衝動を抑えているようだが、俺がふと彼を見るといつもスマホを見つめている。
何にそんなに熱中しているのかというと、ゲームである。俺が「何のゲームやってるの?」と聞いても「ん゛あ」としか返ってこない。『ん゛あ』というゲームがあるのかもしれない。現代は何でもあるのだ。
父からは「ゲームをしてもいいが、もし課金したら大学に行く金は出さんぞ」と再三言われているので課金はせずに頑張っているようだ。課金しない代わりにとても時間をかけてコツコツと頑張っている。
父も母も、彼のコツコツ頑張る姿に呆れていた。俺は諦めていた。
弟はいつまでたっても飽きなかった。食事中もスマホをし、会話はほとんどせず、成績は『おむすびころりん』の主人公も驚くほどのスピードでコロリンと転がり落ちていった。
それで父はついに弟のスマホを取り上げた。弟は普段優しい父の行動にややビビり、「チッ」と言いながらダイニングに置いてあるパソコンの前に座ったのである。
アホである。(完)
終わりと言いたいところだけどもまだ続く。
実はレンジとWi-Fiの周波数が同じである場合、レンジを使用するとネット回線が切れる(もしくは激遅になる)のだ。というわけで俺たちは一見何の変哲もないレンジを、ネット回線妨害として使い始めたのだ。弟はややイライラしている。