「畿内」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 畿内とは

2019-06-27

anond:20190625233044

同じ日本列島内でも充分、言葉が少々違えば蛮族扱いだったのだが

蝦夷熊襲の話だけではない。中世後期まで坂東の侍といえば畿内公家からは熊か猪と同類の扱いっすよ

――と、小学生の頃、標準語に近い語句を話す地方から九州引っ越してきたら、「~ばってん」だの「~たい」「~ばい」だのという言葉を使わないと田舎者異民族の如く扱われた奴が言ってみる

2018-09-29

地域に対しての差別語一覧

1.蝦夷畿内京都大坂から見て、東北北海道の一帯を現わしている言葉天皇に従わない蛮族が住んでいる場所

2.薩摩隼人鹿児島熊本一帯に住んでいる、天皇に従わない人達

3.勿来福島県いわき市にある関所。これより北方に住んでいる蝦夷の未開人は「こっちへ来るな」と言う意味言葉

4.裏日本太平洋側に比べて開発が遅れている日本海側の蔑称

2018-04-21

大阪奈良滋賀

意外と近くてここらが畿内として都会扱いだったのわかる気がする

東京の方に移っちったけど

2017-10-15

安倍氏 (奥州)

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この記事には複数問題があります改善ノートページでの議論にご協力ください。

出典は脚注などを用いて記述と関連付けてください。(2015年8月

脚注による出典の参照が不十分です。脚注を追加してください。(2015年8月

安倍氏

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本姓 安倍氏

家祖 安倍忠頼

種別 武家

出身地 陸奥国

主な根拠地 陸奥国衣川

凡例 / Category:日本氏族

安倍氏(あべ し)は、平安時代陸奥国(後の陸中国)の豪族

目次 [非表示]

1 出自

1.1 「俘囚長」を巡る議論

1.2 軍事貴族としての安倍氏

2 前九年の役安倍氏の滅亡

3 末裔

4 系譜

5 脚注

6 参考文献

7 外部リンク

出自[編集]

そのルーツは明らかでない。

神武天皇に殺された畿内の王長脛彦の兄安日彦をその始祖とする説。『平泉雑記』が伝える安倍氏自身の家伝によれば、安日彦津軽亡命をもって安倍氏発祥としている。「藤崎系図」にも同様の記述が見られ[1]、真偽は別にして安倍氏の後裔はそのような自己意識を持っていたことは確かである。ただし、長脛彦を出自に関連づけているのは、平将門藤原純友の後裔と称した武家が多数発生したのと同様に、武勇を尊んでの仮冒の結果とも考えられる[2]。

奥州に下った中央豪族である安倍氏のいずれかが任地で子孫を残したとの説。秋田蝦夷の帰順を得た阿倍比羅夫につながる系図もある[3]。これを受けて、明治期に編纂された華族類別録で安倍氏の子孫は、土御門家等阿倍氏と同じ孝元天皇皇子大彦命の後裔である位置づけられている。また、鎮守府将軍安倍比高の後裔とする説がある[4]。

奈良時代陸奥国勢力を広げた阿倍氏から陸奥南部の諸豪族阿倍を冠した複姓(阿倍陸奥臣・阿倍安積臣、ほか)を賜与され支配関係を築かれたが、その子孫との説。ただし復姓下賜が奥州南部にとどまり奥六郡のような北部に及んだ例がないこと、奥州安倍氏にはこのような復姓を称した伝承が全く伝わっていないことをもって否定する見解もある[2]。

朝廷に従った蝦夷俘囚)とする説。後世の研究では、蝦夷アイヌ祖先と同一視する立場からabeapeと読み替えて完全な土着の先住民とみる説もある。

俘囚長」を巡る議論[編集]

安倍氏俘囚長俘囚の中から大和朝廷権力によって選出された有力者)であったとの説が広く流布している。文献上では、康平7年の太政官符に「故俘囚安倍頼時」との記載がある。

軍事貴族としての安倍氏[編集]

従来、安倍氏東北地方の在地の土豪と捉え、前九年の役中央による辺境支配への反乱と見る解釈が主流であった。しかし近年の軍事貴族研究の進展とともに、安倍氏王朝国家特有の「兵(つわもの)」[5]と見る考え方が登場している。

関幸彦は、平氏源氏秀郷流藤原氏のような中央貴族の末流の軍事貴族とは別にして、在地の土豪中央権力に従って軍事貴族化したもの存在したであろうと指摘し、安倍氏もこの中に含まれるのではないかと論じている。その傍証として関は、『陸奥話記』において安倍頼時が「大夫五位官位を持つ者の通称)」と呼ばれていることを指摘している。一方で、安倍忠良が陸奥権守に任命された記録を理由に、中央官人末流とする説もある[4][6]。また、元々は京都から下向した官人出身である安倍氏祖先が現地の有力者(俘囚末裔)の婿となってその勢力を引き継いだのが奥州安倍氏の始まりで、在庁官人であった平永衡藤原経清安倍氏の婿となってその勢力基盤を築いたのもそれと同じ構図であるとする説もある[7]。

前九年の役安倍氏の滅亡[編集]

安倍氏婚姻などによって勢力を拡大し、忠良の子安倍頼時の代に最も勢力を広げた。安倍氏は奥六郡(現在岩手県内陸部)を拠点として糠部(現在青森県東部から亘理・伊具(現在宮城県南部)にいたる地域に影響力を発揮していた。しかし後に頼時が朝廷対立し、源頼義率いる官軍との間で前九年の役が起こる。頼時は途中で戦死し、その後を子の安倍貞任が継いだが、仙北俘囚清原氏が度重なる頼義の要請に応えて参戦すると支えきれず安倍氏は敗れ貞任も戦死して安倍氏勢力を失った。

頼時の三男・安倍宗任、五男・安倍正任はそれぞれ、伊予(のちに筑前宗像)、肥後に配流された。また、亘理宮城県亘理町)の豪族で、安倍氏に加担して没落寸前となった、奥州藤原氏当主藤原経清の妻となっていた頼時の娘(有加一乃末陪)は清原武貞の妻となり、息子(後の藤原清衡)も武貞に引き取られ、養子となった。清原氏安倍氏地位を受け継いだが、後三年の役で滅亡し、清衡がその地位継承して奥州藤原氏興隆することとなる。

末裔[編集]

奥州藤原氏最後当主・泰衡の次男秀安から良衡→信衡→頼衡と続いた後、頼衡嫡男・孝衡から安倍氏を名乗り、現代まで血筋が残っている。

他にも、安倍貞任の子孫を名乗る津軽安東氏安藤氏、その後裔で戦国大名秋田氏、安倍宗任の子孫を名乗る九州松浦党がいる。総理大臣経験者としては米内光政安倍晋三安倍氏末裔自称している。

https://ja.wikipedia.org/wiki/安倍氏_(奥州)

岩手には安倍姓が結構いるらしく声が安倍普三と似てる安倍がいて殺したくなったことを思い出す

2017-07-03

https://anond.hatelabo.jp/20170703063117

学界は奈良説なんだけど、一般では九州説が人気だから仕方ない。

需要があるところに供給がある。

そんで供給があれば九州ベース小説おもしろい、と一般の人は思うので、

九州説を支持してまたそういった小説を求める…という循環なのではないか

松本清張高木彬光のころからずっと。

神話との親和性(シンワだけに)が九州説のほうが高い。

高天原表現されるのが九州で、神武東征で邪馬台国勢力畿内へ~とか題材にするとおもしろくなりやすいのよね。

魏志倭人伝人物だけしか出せないのと、記紀の神々も登場させられるのだと、キャラの厚みも違うし。

九州在住者に九州説支持が多いのはもちろんなんだけど、奈良県在住者にも九州説支持者かなりいるらしいのよね

NHKその時歴史が動いた」2007年3月14日放送邪馬台国はどこか-近畿説vs九州説-」など)

https://anond.hatelabo.jp/20170703063117

1980年代学校教育では、九州説が優位だったんよ。

はっきりと畿内説が有力になったのは2000年代からじゃないかなと思う。

邪馬台国九州説をとる文芸作品が多いのはなぜか

タイトルほとんど言いきってしまって本文で言うことが特にないのだけれど、

邪馬台国所在地として畿内説をとる学説は、昨今優位を占めている。考古学的にも文献史学的にも。

日本歴史の論争史の特集でもそうまとめられていたはず。面倒だからソース出さんけど。

一方で、九州説をとった文芸作品がめちゃくちゃ多い。

いつかガチ畿内舞台にした邪馬台国物語を読んでみたい。

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2017-01-24

奈良時代豪族はなぜ中央出仕していたのですか?

吉備真備和気清麻呂宮廷活躍していますが、彼らは元々は吉備の国の有力豪族だったと思います

そんな彼らが、自分の領国をあけて中央出仕しているという事実ちょっと納得がいきませんが、どういう状態だったのでしょうか?

畿内関西周辺の豪族ならまだわかりますが、岡山は少々遠いような気がします。

江戸時代参勤交代のように、中央権力が絶大であれば、地方豪族中央に従わざるを得ず、中央出仕するのはわかります

実際、あの時代中央政府はそれほど強大だったのでしょうか?

しかし、そうでなければ、自分の領国で権力を握り国力を増大させたほうが都合がよさそうに思います

それとも、中央への進出は、自分の領国を空ける価値があるほど、うまみのある話だったのでしょうか?

また、彼ら地方出身者が中央ポストに就く経緯ですが、地方で有力であるがゆえに自然と着任するものなのでしょうか? 地方をよく治めると中央に抜擢されるのでしょうか?

それとも、中央出仕させた親族の中から、できるものけが出世していく、という構図でしょうか?

では、彼らが出仕している間は一族の誰が領国を治めたのでしょうか?

あの時代の、有力な地方って、どんな状態だったのでしょう?

あと、岡山畿内周辺以外の豪族で、あの周辺の時代中央で有力となった豪族は誰かいますか?

2016-09-14

最近のgudachan

http://anond.hatelabo.jp/20160702174925

毎度おなじみ gudachan@bonchacchanga の不定期活動報告です。

批判耐性のなさ

gudachanは自分の作ったまとめに対する反応を日々チェックしており、

自分意見肯定的な反応はRTしたりリプライで別のまとめのurlを送り付けたりしてさらなる承認に結びつけ、

逆に否定的な反応には相手レッテルを貼りしばらく叩くという習性があります

あんまりよくわからん。 QT 広島が6大都市に慣れなかった最大の理由は「郊外高速交通」の不在 - Togetterまとめ http://togetter.com/li/1022672 @togetter_jpさんから

6:51 PM - 11 Sep 2016

ttps://twitter.com/kankimura/status/775149685510070272

ttp://archive.is/Rzdkj

そもそも本来「6大都市」というのは大正時代の「六大都市行政監督ニ関スル法律」で提示された古い概念東京横浜名古屋京都大阪神戸、の事を長らく指してきた。それを数だけ同じ「6」にして大都市圏適用するから、「仙台か広島か」みたいな訳の分からない話になる。

6:55 PM - 11 Sep 2016

ttps://twitter.com/kankimura/status/775150719645028352

ttp://archive.is/ak7wN

因みに「大都市圏」の定義は様々なのでまとめ方によって順位は様々。よってその順位にこだわるのはあまり意味がない。

10:59 - 2016年9月12日

ttps://twitter.com/kankimura/status/775151776936845313

ttp://archive.is/uTCGj

序に書いておくと、仙台と広島に対する「感覚」は住む場所によってずいぶん違うと思う。例えば、畿内人間の多くは広島は割とよく行くので、「西にある福岡に次ぐ大きな町」という感覚があるけど、仙台にはまず行く事がないので、「東北の町の一つ」くらいの感覚なのではないだろうか。自分だけかな。

11:03 - 2016年9月12日

ttps://twitter.com/kankimura/status/775152846970904577

ttp://archive.is/xISD2

そもそも東国の人は、畿内から西に行く事が少ないでしょうし、移動する場合にも飛行機移動が多くなるでしょうから地理感覚がつかみにくいですよね。我々が東北新潟に行く際に地続きで行かないので、距離感覚がつかめないのと同じだと思います

11:16 - 2016年9月12日

ttps://twitter.com/kankimura/status/775156122520997888

ttp://archive.is/Vdl5O

木村幹氏がgudachanのまとめについて以上のように反応しました。

6大都市という言葉にこだわって仙台と広島どちらが上かという話にそもそも意味がなく、

居住地域によって感覚も異なるので大した意味はないという指摘で、これはまあもっともな意見でしょう。

しかしgudachanにとって自分の主張を否定されることは人格否定に等しく、到底受け容れられるものではありません。

仙台は発展しているとツイートしたら、面識のない「朝鮮研究学者」が、挨拶もよこさずに本人の感知しないスペースで冷笑を繰り広げて呆れた。この朝鮮研究学者は「東国」と言う言葉を用いて、仙台の発展を否定しようとしていた。これは完全にレイシスト差別主義者の発想ではないか

4:22 AM - 13 Sep 2016

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775655913021542400

ttp://archive.is/REabK

Togetterのurlを貼ってその内容について感想を述べる、という当たり前にされている行為が、

gudachanの脳内で「挨拶もよこさずに本人の感知しないスペースで冷笑を繰り広げ」に変換されました。

自分の主張は多くの人間に共有してほしいが、否定されることは我慢できない」という彼の自意識によって、

木村氏の特に何でもない感想すら「冷笑」に見えてしまうのが涙を誘います

異なる意見を持つ人を尊重せず、表だって物を言えない陰口みたいな悪意をぶつけるのは匿名ネット原住民常識ではある。しかし、一般社会になじむものではない。だが、Twitterを見ての通り、ざんねんなことに人文学系の学者には「逆張り冷笑系ネット原住民」は大勢いる。レイシストはクソだ

20:23 - 2016年9月13日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775656161953452032

ttp://archive.is/tT83X

なぜこれをレイシストだと気付いたかと言うと、私は数年前にネトウヨが「東夷が」と言う煽り罵詈雑言表現を用いているのを、ネット原住民総本山掲示板のマトメ記事で見たことがある。こういうのは普通に考えてFacebookコミュニティや昔の個人運営掲示板では一発退場である

20:24 - 2016年9月13日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775656428853874688

ttp://archive.is/xtkX1

関東一円を指して「東国」と言うことと関東東北人間を「東夷」と罵ることにはかなりの差があると思うのですが、

批判には反論ではなく相手の態度や言葉遣い問題視人格否定するという習性のあるgudachanが今回なんとかひねり出したのがこの理屈です。

「異なる意見尊重」できていないのは誰なのでしょうか。

Twitter運営相手学者だろうが、こういうレイシスト排除するような仕組みを作るべきだと思う。普通に考えてほしい。2016年日本で「東国」なんて言葉を使うのは学者だけだ。日常表現ではない。学者からこそ知っている言葉を、悪意ある用い方をするのは、卑劣学問侮辱でもあるね

20:25 - 2016年9月13日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775656711659008000

ttp://archive.is/J7KTY

そしてこの「東国」には古来、百済から渡来人がやって来た歴史がある。朝鮮学者から知っているのだろう。知った上で悪意ある表現をしているのなら、それは「自称朝鮮専門家である桜井誠のそれと何も変わらないと思う。「東国」と言う言葉を用いて、仙台の発展を否定するレイシストヤバい

20:27 - 2016年9月13日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775657148747427841

ttp://archive.is/sFtjr

俺が嫌いなのが、こういう露悪「ユーモア」なんだよね。こいつらにとっては薀蓄こじらせたような悪意ある冷笑や逆張りジョークか何かのつもりなんだよね。どう考えてもただのヘイト。俺が「朝鮮女子」をずっと問題視しているのもこれですよ。当事者に対するリスペクトがない。その逆しかない

20:34 - 2016年9月13日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775658792792887296

ttp://archive.is/AnxNb

面識のない「朝鮮研究学者」は本当は何の変哲もない、そのへんの中小企業オヤジかもしれない。何とでも自分を偽れるのもまたネットから。ただ、俺が厄介だと思っているのは「東国」と言う言葉をことさら用いることで在日朝鮮人差別が増幅されることですよ。レイシスト一人のことはどうでもいいがね

20:35 - 2016年9月13日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775659223329878016

ttp://archive.is/ZH88b

社会への拡散力。これが恐ろしい。だってそうでしょ?在特会作った人だって元はNAVER掲示板トロルじゃないか。NAVERの季節の話題専門のHOT掲示板(だったと思う)で運営の設定するテーマ無視してずっと歴史領土について書き込んでた奴が、今や日本最大の極右勢力だもん

20:36 - 2016年9月13日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775659498308407296

ttp://archive.is/MAKQ9

朝鮮専門家であれば関東大震災当時、在日朝鮮人虐殺があったことは知ってるはずです。そしてその虐殺に巻き込まれたのは東北人も多かった。つまり大和民族日本人であっても関係なかった。「東国」呼ばわりは極めて危険だぞ。俺の先祖東北人だからこれは許せないね

20:38 - 2016年9月13日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/775659969345490944

ttp://archive.is/ibkgj

東国」という言葉を使うことは在日朝鮮人虐殺に繋がることであり許せないとのこと。

つの間にか木村氏は在特会匹敵するレイシストということになったようです。

東国」が問題であるならばgudachanが日頃使用している「裏日本」なども問題になる気がしますし、

前回の「地方人の分際でなんでそんなに偉そうなんですか」などはどうしようもないのでは?と思わずはいられません。

フェミニストgudachan

女性に虐められる男子なんているのかなあー。日本女性男性に酷い扱いされる国。逆はないはず

おかゆ @okayu_desert

女性嫌悪蔑視萌えアニメ好きが結構被ってるあれはなんだろう。いや俺も萌えアニメはよく見るし、若い女性が近くにいると発汗して息が詰まるけどさ。やっぱ小中学校時代女子イジメられたり、陰口を叩かれたりした記憶はなかなか消せるもんじゃない。それを拗らせるとミソジニーに発展する。

18:13 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769100353266716672

ttp://archive.is/YAbIc

gudachanは勝部元気氏に多大な影響を受けているのはご存知の通り。

「女が男をいじめることはありえない」と主張します。

リプライありがとうございます。でもそれってよくあるいさかいレベルじゃないでしょうか。「女子陰湿」みたいな性的な決めつけに繋がる発想だと思います。私は小学生の時も中学生の時も女子生徒とふざけあっていましたよ 

おかゆ @okayu_desert

@bonchacchanga ぼくは小学校時代女子に虐められてました。男子と違い肉体的な暴力ではなく言葉暴力とかですね。中学とき一時的に裏で悪口を言われたりだとか。特に理由はなくて単純に「顔がキモイ」とか「暗いから」とかです。もちろん社会的には女性のほうが抑圧されています

19:51 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769125069498888192

ttp://archive.is/wYfBZ

女子からいじめを受けたことがある」と言っている人を「よくあること」と一蹴するgudachan。

本当のイジメというのは、力関係によって生ずるものです。これはレイシズムとかも同じですが、関係性が不均衡であるにもかかわらず、劣位の側が優位の側を凌駕して苛めるというのは到底可能性が少ないです。「痴漢冤罪」と一緒で。皆無ではないですが 

おかゆ @okayu_desert

@bonchacchanga 少なくとも「逆は無い」と断言するのは早計です。

19:53 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769125486106546176

ttp://archive.is/TUNRf

女子DISる奴許せない

19:54 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769125870330011648

ttp://archive.is/8v30X

たとえば同級生キモイ奴がいればいじるのは普通小学生のよくあることじゃないですか。自分も囃し立てる側にも、言われる側にもなりましたよ。クラスみんなを煽ったこともありますし、みんなから口を聞いてもらえなかったこともあった 

おかゆ @okayu_desert

@bonchacchanga 「女子陰湿」だとは思いませんが、ぼくはまぁそういうイジメを受けたことはあるってことです。あとイジメを「よくあるいさかい」などと言うのはおかしいですよ。やられた本人からすれば生涯に渡ってトラウマになるレベルです。

19:55 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126144683618304

ttp://archive.is/aiEXZ

そういうことは誰しも経験あるんですよ。やはり女子生徒が、男子生徒を一方的に標的にし、いじめをするということは、構造的に不可能だと思うので、よく自分経験を見つめ直すといいと思います 

おかゆ @okayu_desert

@bonchacchanga 「女子陰湿」だとは思いませんが、ぼくはまぁそういうイジメを受けたことはあるってことです。あとイジメを「よくあるいさかい」などと言うのはおかしいですよ。やられた本人からすれば生涯に渡ってトラウマになるレベルです。

19:56 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126409352556545

ttp://archive.is/P07pJ

本当に酷いいじめのある学校もあるとは思いますし、田舎は酷いということを、私は地方都市出身同級生から聴かされたりしましたが、それでも加害者男子で、被害者女子であることが多いです 

おかゆ @okayu_desert

@bonchacchanga よくあるレベルからいいというものではないです。イジメという行為矮小化するのはやめましょう。

19:57 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126636595752960

ttp://archive.is/AOo7j

自殺などの深刻な事案もありますからいじめはなくすべきです。理想は根絶。現実は難しいけど。それは人種差別と同じなんですね。そこは私もよくわかりますよ。でも女子男子いじめることはできません。絶対に 

おかゆ @okayu_desert

@bonchacchanga よくあるレベルからいいというものではないです。イジメという行為矮小化するのはやめましょう。

19:58 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769126838748614656

ttp://archive.is/nG0Qh

なんというか、女子にとって不快男子生徒がクラスにいれば気色悪く思うのは当然のことで、それが自分に投げかけられたなら、自分自身自己改善をするべきだったんではないでしょうか 

おかゆ @okayu_desert

@bonchacchanga いえ不可能ではないでしょ。事実として私は5~6人からいじめを受けました。学校もっといえば教室という限られた空間なら「不可能」ではないです

20:01 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769127605551280128

ttp://archive.is/wtvNO」

いじめを受けたと思っている者に「お前が悪い」と言うのは端的に言ってセカンドレイプ類似する行為なのではないかと思うのですが、

勝部流フェミニズムに心酔しているgudachanには理解できません。

女子男子を苛めることはありえないし、黒人警察官白人青年を射殺することはできない

20:04 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769128262798757888

ttp://archive.is/kPZps

確かにいかなる理由があってもいじめはいけないですよ。でも関係性の違いによって、優位のある側が劣位にさらされる側に対してあるべき振舞いとか、改善努力までは否定できないはずだ 

おかゆ @okayu_desert

いじめ被害者に「自己改善」を求めるなど、「自己責任論」の一種しかありません。「被害者が悪いから加害がある」など加害者側の自己正当化にすぎません。とにかくいかなる理由があったとしてもいじめ絶対にいけませんよ。

20:06 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769128803201277952

ttp://archive.is/lzVlN

もちろん私は顔がキモい人や暗い人も尊重される社会の方がいいと思います。また、子どもにとってのいい加減なもの見方で誤解があった可能性もありますが、いずれにしても、大人になった今まで引きずることではないですね 

おかゆ @okayu_desert

「あるべき振舞い」とか「改善努力」とはいったい何のことでしょうか?私がいめられた理由は主に「容姿」だったわけでして、そこに「改善努力しろ」と言われてもどうしようもないです。

20:15 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769131235272560640

ttp://archive.is/kexgK

お気持ちは十分お察ししますが、一方的な被虐の前に、まず「あの頃の自分」を振り返ることが、暗い過去と決別する第一歩だと思いますね~ 

おかゆ @okayu_desert

@bonchacchanga 幼少期に受けた心の傷は一生掛かっても消えるものではないです。「引きずることではない」など他人にそう簡単に言っていいものではないです。

20:23 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769133168767094784

ttp://archive.is/MG7DP

嫌なら一発「やーめーてー!」って言えばいいんですよ。なんで言わなかったんですか? 

おかゆ @okayu_desert

@bonchacchanga いや、だからこそ関わる意味が分からないです。そして、どう思ってようがイジメはいけない。

20:24 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769133375562977281

ttp://archive.is/EM2qg

絶対構造的にありえない「女子生徒の男子いじめ」について、そんなのおかしいと声をあげると「セカンドレイパー男が性的被害にあった女性に投げかける言葉と同じ」と言われるんだからすげーな

20:44 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769138394014232576

ttp://archive.is/gWiXW

gudachanにとって自分の考えは絶対なので何が悪いと言われているのか理解することはできません。

一連の発言にこちらこそ「すげーな」としか言いようがありません。

このおかゆさん基本的リベラル風で正しい考えをしていそうなだけに、女性男性の力関係をご理解いただけないのが大変残念である

20:53 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769140830279917569

ttp://archive.is/GLizg

たとえば合理性がなくて無駄が多い女性もいますね。でも、いじめをする女性はいませんよ。できないんですよ 

おかゆ @okayu_desert

いや人の性格なんて人それぞれでしょ。特定属性に「この性格の人はいるけど、あの性格の人などいない」って、それこそ差別的でしょ。

20:57 - 2016年8月26日

ttps://twitter.com/bonchacchanga/status/769141798853685248

ttp://archive.is/7SuRi

終わりに

おそらく、gudahcan本人は自分差別的思考をしていること、本人が批判しているネトウヨと同じ思考洋式であることに全く気付いていないのでしょう。

学ぶことができない人間差別主義的な思考をする人間サンプルとしてどうぞ。

http://anond.hatelabo.jp/20130706163318

それではまたどこかで。

2015-02-02

邪馬台国畿内説は「日本列島の支配者は常に皇統である」という信仰が生み出した幻想しかない

2014-10-10

織田信長は「全国統一」をめざしたのか : アゴラ - ライブドアブログ

ここでいう「天下」とは何だろうか。われわれは無意識に「全国」という意味だと思ってしまうが、16世紀日本という国家ほとんど意識されていなかった。

専門的な文献考証を省いて結果だけいうと、この「天下」は、京都を中心とする畿内のことと考えるのが妥当だ、というのが最近歴史学見解である

いや、要するに「中原」でしょ。

畿内制圧して天下人として認められれば、日本全国に影響を及ぼすことができた、ということだ。

中原覇者を「豫州ローカル君主」などとは言わないように、信長が「近畿地方ローカル君主」をめざしていたとは言えない。

まり中国が全域を統合する大統一国家だとすれば、ヨーロッパ主権国家単位とする中統一国家連合であり、日本地域ごとの小統一国家連合である

こう単純化すると、中国韓国日本は対極にあることがわかる。

華夷秩序というのは「夷」までは統合しないものであるので、この説明は間違っている。

畿内の支配者が周辺諸国へ号令をかける、という点を強調するのであれば、それはまさに中国と同じである

2014-05-23

http://anond.hatelabo.jp/20140523131947

事実だよ。

日本人で「私は田舎者ではない」と言えるのは先祖代々畿内に住んでいる人たちだけ。

2013-08-19

http://anond.hatelabo.jp/20130819142555

まったく、日本で真に文化的程度が高いと言えるのは畿内だけだからな。

2013-06-28

http://anond.hatelabo.jp/20130627183437

そんなものよりMDを知らない世代のほうが、将来的には多くなるんじゃないかと思う。

いや、将来的も何も、現時点においてすらMDなんか忘却の彼方じゃん。

信長カセットテープ)と秀吉CD-R)に挟まれた光秀みたいなもんだろ。

畿内を掌握することも出来なかった分際で、信長様と同列に並べることすらおこがましいわ。

2011-03-21

http://anond.hatelabo.jp/20110321120149

嘘か間違いかはわからないけど、とりあえず畿内説と九州説で分かれる時点でもうアレじゃん

2008-12-20

http://anond.hatelabo.jp/20081220002750

自分も本当にそういう人が理解できないんだよなー。好きな人の幸せって自分幸せにも繋がると思うんだけど。

最近、それって自分が地方人だからなのかなと考えたりする。

都内も畿内も遠い。だからテレビで見る芸能人なんて、画面以外で見たこと無い。だから相手が生きてる実感が無いというか。二次元に対する感情と同じかもしれない。

どっか自分が一生関わる事の無い世界の話だから平気なのかも。

正直言って、近づきすぎる(知りすぎる)と相手の嫌な面も見なきゃいけなくなるのが嫌なので、相手が書いてるブログインタビューも見たくない。遠くの存在だからこそ相手のいい面だけ見たいし、幸せになって欲しいと思うのかもしれない。

相手の噂を知りたがったり、ストーカーまがいの事する人って、そういうことする事で相手を嫌いになる可能性を考えないのかな。嫌いになったらそこでぽいしちゃうのかな。

ちょっと関係ない話になるけど、若手の俳優さん(アイドルも・男女問わず)に対しての、ファンの暴走まがいの行為を聞いたりする事があるんだけど、あれもよく分からないよなー。それが元で恋人存在が明らかになったりするけど、隠してくれてるのをわざわざ暴く意味が分からない。

 
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