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はてなキーワード: 完膚なきまでにとは

2024-11-17

ゴミ画像データ作成によるAI学習機能破壊計画のすゝめ

2歳の幼児が描いたようなぐちゃぐちゃの、何を書いてるのかわからない、線の集合体以下のゴミみたいな絵のデータタグ付けして大量にAIデータセットに読み込ませれば、データセットの機能を停止することができます

AI推進派は「そんなデータ普通に排除するから意味ないぞ」などと無駄抵抗を言うことからして、これはおそらく有効な手立てです。

足りないのはただ物量だけ。あと1億枚のゴミデータ学習させればデータセットは破壊できます

Xだけでも30万のAI反対派がいるのだから、この30万が毎日100枚ずつゴミデータを作りXに公開すれば、1日で3000万データ、1か月で9億データ、1年で108億データものゴミが作られ、AI学習させることができ、これをもって画像生成AI完膚なきまでに破壊できます

1年で破壊できなければ10年続けましょう。毎日100枚ずつゴミ絵をXに公開し続けましょう。それこそが我々の勝利する道です。

じゃあ俺はゴミデータ汚染されてない奇麗な絵を公開してる絵師メディア欄見てくるから、あとよろしく

2024-11-08

松本人志さんの罪についての考察提案反社会学講座ブログ - はてな

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/pmazzarino.blog.fc2.com/blog-entry-451.html

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IDコメント
santo言葉の力
secseekこうやって冷静に検討されてみると事件のものもひどいですが、まわりの反応による二次被害が看過し難いですね
bell_ringこの問題は庇う芸能人一般人の思う常識に差があると感じさせられる。人気&力のある芸能人は何をやっても自分は許されると勘違いしてる節がある。自分姉妹や娘が同じ扱いを受けても許せるのか考えたらいいのに。 society
macplus2あとからでもダマす意図があったことを証明できれば罪を問えるんです。重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。/被害者に寄り添った大切な視点
taraxacum_off松本人志擁護するような人たちの精神思考構造を、この著者はよく知っているようだ / ここでの指摘は、芸能界の性暴力にとどまらない、日本社会全体の問題にもおよんでいると言える
yamasamayukisamaこの件でここまできっちり理詰めで問題点を指摘している記事には他に出会った記憶がないし、内容的にも同意できるが、こういう指摘の仕方に違和感をおぼえる人は一定数いるだろうなとも推測できる。 世の中
f_d_trashbox芸人のみなさんは河原者に戻りたいのですか?”/これについては消費する側も彼らの倫理的埒外さ」を楽しんでいた部分もある。“芸のためなら女房も泣かす”は完全DVだ。それらを楽しんでいながら平等を謳う欺瞞
eye4u狭い論理でぐうの音も出ない感じに正義で封じ込める手法アメリカ赤狩りカトリックの坊さんとか、ヤクザ論理カルト論理だと思うな。取り扱う正義が物凄く範囲が狭い中で緻密というのが一致している。
ken530000冤罪問題点は2つで、真犯人を逃すことと無実の人を苦しめること。後者無視してるのは何故?それ以外の部分は概ね同意だけど、いささか自身の推測を過信しているきらいがあるな。
norinorisan42近しい人が擁護派に回る気持ちはわかるが告発者にはやはり寄り添うべきだと思うし、同時に松っちゃんを叩かないは両立するとは思う/争点以外の部分ではすべての立場告発ファーストであるべきなのかなと思ったり
tribird今田さんが文春をヒドいと批判するのは筋違いです。自分絶対的地位を利用して後輩に女衒めいた役目を強要していた松本さんこそがもっともヒドい人であり、今田さんが批判すべき対象は、松本さんなんですよ。”
toya大目に見る感覚昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民芸人にやさしかたからじゃありません。差別です。江戸時代芸人河原者(河原乞食)だった時代の名残り」 芸能
metamix要は「裁判結果なんて待てない、先っぽだけでもいいでしょ?」てことだろ?一行でまとめられることをベラベラと。どこまで丁寧に語ろうが私刑肯定しかない。まあはてブ受けはいいだろうな
HiddenListこういう皮肉も 松本芸なんですか?
isshyman正論から強引に読者に「そうだな」と言わせているが、後になって考えてみれば「そうでなかった」って思うような文章に思えて、筆者が批判するほど、自身正義によってパワハラをしているようだ
Gl17安倍さんは良い人」「証言証拠にならない、反証はないけど」「旧軍は綱紀厳正」etcいちいち擁護の曲論が歴史修正主義と一緒。抑圧に頼り切りなのと、弱者と同等に対峙すること自体が許せない(これだけでダメ)。
kusanon犯罪告発は、明らかな虚偽が認められないかぎりはいったん信用して受理しなければなりません。”
Sakana_Sakana全く完膚なきではない。漫画家自殺したようだが同様な事が松本人志にも発生する可能性を考えた方が良い。意見は良いがここ迄非難が酷い状態狂気を感じるし危険だと思う。尚松本のやった事はダメな事だとは思う
a_horuru長い文章なので後半は流し読みしたが、よくある俺様こそが絶対正義意見だった。
georgew徹頭徹尾正論オンパレード
bogus-simotukareスマホ没収した状態普通飲み会を主張するのはムリがあります。逆にスマホ没収事実でなかったら、女性側の主張の信憑性はガタ落ちします。 正論
nt46しろすっかりこの人も、かつて批判していた"社会学者"側になってしまったなとしか思わんが。すなわち、"ファクト"ベースではなく"あるべき価値"ベースで語る人。どっかで宗旨替えしたん?
pukarix素晴らしい。逐一、いい加減な擁護論を破綻させてる。こういうのをホンモノの論破っていうんだろう
dowtei"一夜限りの性行為好きな人たちは(略)リスクスリルに興奮する性癖をお持ちだから、そういうエッチにわくわくして、冒険を求めるのでござんしょ?"わらっちゃった
vndn告発の『受理』と『信用』の考えが私と合わないなあと思った。
hello-you冤罪下りには違和感があったが、その他はほぼ正論で非常に納得感ある。これに反論できる人いるの?
yto> 芸能人が女遊びや薬物をやるのはしょうがいね、と大目に見る感覚昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民芸人にやさしかたからじゃありません。差別です。江戸時代芸人河原者(河原
kiyotaka_since1974松本さんのことより、「どの雑誌取材力があるか、信用できるかはなんとなくわかってきます」のところを深めてほしい。どの雑誌が信用でき、信用できないのか。 マスコミ メディア テレビ
River1992芸能人が女遊びや薬物をやるのはしょうがいね、と大目に見る感覚昭和くらいまでは庶民感覚としてありましたけど、それは庶民芸人にやさしかたからじゃありません。差別です。”
kintaorgH“もし被害者自分の娘だったとしても同じことをいうのでしょうか。”←これつらい気持ちになる。のぞむこたえでない現実はある。関係ない人は無関係
lisagasu芸能界一般常識と違う場所、という世間と本人の差別逆差別意識は今もあると思う ヤクザが銃で撃たれたニュースに誰も動揺しないのと同じ 今はここで変わるかまた流されるかの瀬戸際じゃないか
lenore性犯罪に無関心なテレビ局」全くそう思うわ。全然公益性の無い不倫疑惑はしつこく追いかけ回すのにね
minboo本題とは関係ないですが、大河ドラマなどで歌舞伎役者天皇を演るのを見るたび「パンチが効いたキャスティングだな」と思ってます
honma200“もし被害者自分の娘だったとしても同じことをいうのでしょうか” 志らく論理でもそうなればより深い'人情'がある娘に肩入れするに決まっている。比較対象の例えが的外れ
khtokage「およそ50年前、『文藝春秋』に田中角栄不正金脈を暴く記事が載ったときテレビ新聞記事無視しました。そんななか、外国特派員協会けが田中角栄を呼んで話を聞く場を設けました。」知らなかった
nisezen"大目に見る感覚(中略)庶民芸人にやさしかたからじゃありません。差別です" た、確かに河原乞食云々を別にしても「犯罪を犯しがちな人たち」って目で見てるんだかられっきとした差別
uniR河原者のくだりと「つまりスマホ没収したのは、恥じるところがあったから」と性急な因果論には引っかかるところもあるのだが……
north_god吉本芸人ファン同業者女性を食ったり拒絶したら「だからお前はダメなんだ」と説教してるなんてジャニの件と同じくらい黒い噂あって、ダウンタウンファンが今更知らなかったは流石に変だと思うんだよね
runningupthathillさすがの整理。リスクの高い「遊び」をしてれば大火傷を負う可能性は当然ある。犯罪かどうか、道義的問題の有無、どちらも今は未確定。しか被害者の訴えを簡単に疑ってはならない。文春経由であったとしても。
usomegane週刊誌完売して儲けてるだけだ、なんてつまらない皮肉をいってる芸人もいましたけど、主張の中身にきちんと反論してください』
zyzy「ほうはほうなんですぅぅぅけいじばつじゃないからつみっていうなぁ」という人はいい加減「人を犯罪者扱いする事自体法律刑事的な罪とは書いてない」って理解しような。間違ってても法は法なら犯罪者扱いも無罪 考え方
metalmax冤罪についての認識がびっくりするほどおかしいんだけどもしかして今はこの考えの人が少なくないんだろうか…
cartman0携帯取り上げて行為に応じないと返さない時点で軟禁監禁可能性あるよね
nekonyantaro芸能界優越的な地位悪用性的ものに限らず)が横行するのは世界共通ハリウッドでも何か有った記憶が。 社会芸能事件
Shin-Fedor真実複数あり得る。例えば松ちゃんは「部屋に来て逃げ出しもせず射精させてくれたか合意だろ」と考え、女性たちは「恐怖で逆らえず、手や口でする事で許してもらおうと思った」となれば、事実は一つ真実は二つ。
outalaw擁護人情論じゃなくて似た事例がたくさんたくさんあるからだと思う。テレビとか反省するわけ無い(というか似た事例が現在進行系でたくさんありすぎてできない)。
irh_nishi今の時代は昔と違ってデマ拡散利益になるので明らかに偽証と分かっていなくても報じるべきではないよ。裏取りをしてあるならそれを証拠として報じるべきだけど文春は証言しか掲載してない。
hetenabeck8割くらいは同感、残りは少し偏りを感じる。警察問題推定無罪法則は別。
sierraromeo勢いで全文同意したくなる文章だなぁ(とりあえず保留)
hiroyuki1983未成年対象にしたジャニーズとは根本が違うでしょ。意図的に混同させようとしてる人ちらほら見るけど
jigarashi「だから犯罪被害告発を軽々しく否定してはいけないのです。」だからと言って軽々しく被害者証言鵜呑みにして自分一人で盛り上がらなくても
remwegc“あとからリークされた女性からのお礼メッセージ合意証拠にはならないことは、すでに専門家が指摘してます。” だよね
hakasegawa共感スポットライトである対象者だけを明るく照らし出すが、その周囲は暗闇で、何があるのかまったく見えないのだ。 中略 世話になった松本さんを一方的に信じる志らくさんは非情です。” パンチライン多い。
Yagokoroこれに乗っかってる奴は、アホやろ
turanukimaru今のところ女性告発を疑う理由はないし松本氏は反論してないし義理人情松本氏を擁護すべきではない。との主題は私もそう思うが冤罪が悪い理由とか合意の内容が問題とか細かい話が法的におかしいのではなかろうか
namisk説得力ある
noabooon僕の中の個人的であるパオロ・マッツァリーノ様がまだ活動されていたことに感動を禁じ得なくて中身が何も入ってこないww
kasahannra後で読む
kagehiensうっわ……、フルボッコにしてはる。が、まぁこれ位は書かれても仕方がない程度にクズ所業をしたという嫌疑をかけられているのだから、申し開きが出来ない=所業クズ芸人を炙り出す事に成功したという話になる
youtanwa>重要なのは合意があったかどうかではなく、合意の中身と合意に至った状況です。
cyber_bob裁判後の判決次第では訴えられる可能性がある文章ブクマ裁判名誉毀損証拠として提出できそう。
ho4416罪とかい一言刑事民事道徳倫理正義を(意図的に)ごっちゃにして語る人間は信用しない
grdgs明らかになるまで黙ってろって者達は、告発女性への誹謗を止めたりは決してしない。中立の振りをしながら、彼らの意図立ち位置バレバレ
sinopyyyだいだい同意かな。↓ジャニーなんて法で裁かれずに亡くなっただけでやってたこ犯罪じゃん。
wktk_msumこれは痛快、キレッキレの名文。同意合意絶対視するリスク携帯を取り上げる異常性、松本パワハラ、明快な言語化ちょっと偏りがある印象も抱く。ただ全体的に良文 犯罪あとで読むブコメ読むこれはすごい
syamatsumiマッツァリーノ氏は流石だなー。ぼくもこういう言及が出来るようになりたいわ。(思うだけで行動はしないのでおそらくムリだけど)
doku_2gouこの文章はたった今「明らかに自分より有能で偉い人」にセクハラパワハラを受けて告発を躊躇う人に有用だと思う
mag4n論点整理はされているが事実確認理論展開がしょぼい。もう法廷行きなのとそこで何があったか証拠の出し合いしかないので素人が偉そうに何言ってもしょうがない、分からないことは分からないというべき案件ネタ
kommunity長文だけど読ませる。/別問題だったけど、島田紳助引退追い込まれとき松ちゃんどう思ってたのかな…あれだけの騒ぎで自分大丈夫だとたかを括ってたのなら相当残念。(もちろん性被害事実だった時) 社会犯罪考察芸能お笑い読み物society女性メディア
yowie少し危うい踏み込みもあるが、不倫、事前対価合意なし、ワンナイト×複数回というほぼ確定の部分だけで、違法となるかはともかく、全部何の瑕疵もない同意内のみってのはほぼ無理だとよねという感性重要かなと。
gyakutorajiro法廷外での不誠実かつ疑わしい言動…まあそうだよなぁ、スマホ没収も確かに説得力あるなぁ、名文だ。「予断を持ってはいけない」ね、予断って言葉、「予断を許さない」以外だとこういう風に使うのね。
mohnoジャニーさんは犯罪者だった」←強制性交強姦)が性別を問わない形になったのは2017年、5歳差以上で成功同意年齢が16歳に引き上げられたのは2022年で、犯罪とは確定していない。冒頭からこれでは読む気がしない。 マッツァリージャニー喜多川松本人志リテラシー
ryussoそうだな。
tetsuya_m丁寧な考察
lb501法的に罪があるかどうかはグレーだけど、出演番組スポンサーがつかなければアウトでしょ。
run_rabbit_run薬やら女やら、芸能人なんてそんなもんだ...って呆れつつも「大目に見る」感情を持っていたので、それが差別だと言われてハッとしました。
tsumanne30芸人の源流が河原乞食であることも、だからこそ法や常識埒外に置かれたことも、歴史的事実ではある それが今や「権威権力」側になってしまっていることに、当人たちはどれだけ自覚があるのやら
hatsumoto性犯罪学問的に研究している学者や、性犯罪被害の弁護に詳しい弁護士といった専門家を呼んで解説してもらうべき”ここが1番同意。性絡みだと舐めプorバグる仕様日本社会にある
shidhoこれ、元が反社会学なだけに、数日後に種明かししつつ今度は全く逆の論調で逆の提案を書くやつだったりしない? (社会学なら自分意見に合うデータさえあればそれで何の論でも書ける、つまりどちらも意味のない論) 芸能確認
unnmo河原者に戻りたいんですか?はダメでしょ。過去被差別階級にあった事を持ち出して現在の振る舞いを矯正しようとするのは違うと思う。 社会犯罪女性
uchya_xこれを読んでもわからないバカはもう放っておくしかない。
kurotokageいくつか気になる点はあれど、後輩へのパワハラになり得ることと、証言の取り扱いの公平性については特に同感。前者は芸人実力主義という建前も失いかねない。
beyoooooooonよくこんな冤罪がどうこういう癖にいきなり犯罪者扱いしてる私は偏ってますよと自己紹介してる奴の長文読めるね。俺は洗脳されそうで無理。
i196かにそうだよな、と思うところ多数 社会考察
wapa冤罪のくだりといい、ちょくちょく気になる表現や決めつけがあり、全面的には賛同できない感じの記事。断定できないことについては、赤の他人がその仮定を前提に断罪もできないのでは?推定無罪とは
nanako-robiうんうん。
Southend愚行権のツケを払う時が来たのは間違いない。個人的に意外だったのは、紳助の引き際をある種の成功ロールモデルと考えているのかもと思ってたら違ったこと。芸能界

2024-10-13

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

2000年代になると、日本映画ドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマ陳腐ものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理人情世界観でつくられた恐らく最後ドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸系譜なのである

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-07

SNS上で特定企業に悪意を向けてその失敗を願う連中はまともではない←完膚なきまでに正しい

https://gigazine.net/news/20241007-ubisoft-director-blames-gamers/

ゲーマーゲーターたちはまた逆ギレするんだろうな。

自分たちがやっているのは「正当な批判」だと信じているから。

2024-09-27

母親が知らんうちに高市信者になってたらしい

託児目的で同居してる兄夫婦から連絡入った

石破総裁誕生で母が大荒れだと

 

話を聞いてると先週頃からテレビYouTube閲覧機能で食い入るように政治系の動画特に高市動画を1日中観てたらしい

あと正義のミカタとか

からあの中卒メンヘラ馬鹿女はフェミスピ似非科学親和性があり孤児院育ちでADHDのうえ好みじゃない男を目にするたびに相手容姿を口汚く罵倒し性被害嘘松を口走るどうしようもない俗物だとは思っていたが、まさか政治に興味持ってネトウヨ属性まで加わるとは思わなんだよ

かにYouTubeをチェックしてみると高市が女だてらに舌鋒鋭く汚えおっさん共を論破する弱女ポルノに仕立て上げられた切り抜き動画が色々上がっててあの母親なら食いつくだろうなあとは思ったが、やはり昭和生まれメンヘラ中卒女なんてこんなもんなんだろうな

 

全く人をみる目がない

 

からあん被差別部落二世無責任末っ子ゴミカスクソ親父と結婚なんかするんだよ

 

 

これからネットで盛大に石破叩きを始めるんだろうが、その度にはてな民の用な良識ある市民完膚なきまでにあの馬鹿女を叩き潰し自殺に追い込んでくれることを祈るばかりだ

 

あの口裂け女共々無限地獄に堕ちろ卑しい低能馬鹿女め

2024-08-28

ふつう軽音部」さん、次マン1位おめでとう

ふつう軽音部」さん、次マン1位おめでとう。


ところでさぁ、

ぼざろなんて余裕で倒せるよね?

立ち上がれなくなるまで徹底的に蹂躙できるでしょ?


ぼっち・ざ・ろっく!」は人気作だけど、所詮芳文社という弱小中の弱小の出版社から出ている作品なんだよ。

天下の集英社なら、完膚なきまでに叩きのめせるでしょ?

漫画の売上は出版社資本力で決まるんだよ。弱小の出版社がいい漫画出したって売上にまともな数字が出ないし、アニメ化もできない。

漫画殿堂」というキャッチフレーズが如何に贅沢であるかを思い知らせてやれ。


アニメ化したら間違いなく覇権候補円盤売上は2万枚どころか7万枚は余裕なんだろうね。

その正義や正しさは他方を殴るためにあるんですか?

ここ数年のリベラルを見てるとそう思うのだ。

完膚なきまでに叩き潰すためにその正義はある。

叩き潰すための知識、正しさである

叩き潰すことが目的化してる。

誰もその正しさには目を向けてないし検証すらしてない。

A「正しいに決まってるだろ?」

B「正しいことをなぜ理解しない?」

カルト化が捗る

2024-08-25

北村紗衣と須藤にわか論点はずれているが、共通問題あぶり出している

太田出版Webマガジンにおける北村紗衣氏の連載に対して、須藤にわか氏という映画ブロガーが異議を唱え、それに対して北村紗衣が反論してホッテントリ入りしている。

私は須藤にわか氏のように映画を多く見ているわけではないし、北村紗衣氏のように多数の先行研究に実際にあたったわけではないが、発端となった連載と二人のやり取りをみて、話の主眼がずれていると感じた。同時に、二人とも結局、「ニュー・ハリウッド」という批評の枠組みに問題があることを浮き彫りにしているとも思った。

発端となった元連載の内容

まず連載の企画趣旨は以下の通り

映画を見た後に「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人のために、フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載

北村紗衣氏の主な論点は以下の通り

①初めて見た『ダーティハリー』はサスペンスとして全然面白くなかった

自分アメリカン・ニュー・シネマが好きではない

60年代後半から70年代に、アメリカン・ニュー・シネマ英語ではニュー・ハリウッド)という潮流があった

④ニュー・ハリウッド反体制的な要素と、あからさまな暴力セックス表現が主な特徴として挙げられる

アメリカン・ニュー・シネマはかなり男性中心的な潮流

⑥『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画

北村紗衣氏の素朴な感想は、末尾にある「名作と言われてみんなに愛されている作品でも今見て面白くなかったらけなしていい!」と結びつくが、③~⑥の知識を持っていると『「なんかよかった」「つまらなかった」という感想しか思い浮かばない人』でも理解が深まる、というのがこの連載の趣旨みえる。

須藤にわか氏の異議

これに対して、須藤にわか氏の主張は以下の通り。

①「あからさまな暴力セックス表現が主な特徴」という認識は実際のアメリカン・ニューシネマからズレている

アメリカン・ニューシネマフィルム・ノワールと同様に映画批評家らによって作られた映画分類のカテゴリー

アメリカン・ニューシネマは「ヌーベルヴァーグ」や「ドグマ’95」のような映画運動ではない

④「アメリカン・ニューシネマ」と「ニュー・ハリウッド」は分けて考える

⑤ニューシネマは「暴力セックス」の映画ではない

⑥「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーは(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー

⑦「アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそも批評カテゴリー自体差別的

北村氏の反論

須藤にわか氏の異議に対する北村氏の反論は、目次にわかやすくまとまっている

①New Hollywoodの特徴のひとつセックス暴力があげられるのは当たり前

②New Hollywoodが男性中心的であるということは1970年代からずーっと言われている

③広く使われているジャンル用語勝手に変更しない

論点のズレ

須藤にわか氏の明確な誤り

須藤にわか氏は

例の著者は自分で決めた「これがニューシネマ」というカテゴリー自分で見て「このカテゴリーには黒人映画女性主人公映画が入ってないか差別的」だと言っている

と述べているが、これは明らかに違っていて、

北村氏がいうように、

決めたのは私じゃなくて今までの批評

まり北村氏は一般的な「New Hollywood」解釈を述べているだけなのだ

ただし、須藤にわか氏が本当に主張したいところは上記にあるのではなく、「New Hollywood」というカテゴライズのものに反発している。

北村氏は出典をたくさん挙げているが、須藤にわか氏の主張であるそもそも『ニュー・ハリウッド』が作為的カテゴリー」への反証ではない。須藤氏のいう北村氏本人への批判、「知ったかぶりして、しか知ったかぶりした上でこれは差別的だとかなんとか非難」への反証である

(「たくさんの出典があってすごい!」的なブコメの反応は、ただマウント取りたいだけのリアクションに見える)

さらなる食い違い

須藤氏は北村氏の姿勢について、

「ニュー・ハリウッド」もしくは「アメリカン・ニューシネマ」というカテゴリーが(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリーであることを度外視した上でそれを非難している。

と言っており、

北村氏は

「(白人の)批評のために作られた作為的カテゴリー」なんだから批判されて当然ですよね?

という。ここは互いに噛みついていながら二人とも同じことを言っているように見えて混乱したが、批判対象範囲が違うようだ。

須藤にわか氏はそもそも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴリーのものが、当時の映画作品群を評価するのに適切ではないと主張している。一方の北村氏がいう「批判されて当然」の対象は、須藤氏と同様にカテゴリーのものであると同時に、カテゴリーに含まれ作品群も含まれると私は解釈した。

須藤にわか氏の論の本質と、北村紗衣氏の指摘

須藤にわか氏の論で一番重要なのは、元の北村紗衣氏の連載にあった以下の部分への反論ではないだろうか。

60年代後半から70年代の潮流であるニュー・シネマは、それ以前にあったいろいろな制約が外れ、暴力セックス描写ができるようになり、そしてアメリカの秩序を問うような映画がたくさん作られた時代です。

そのくせに、結局は男性というか、主に白人男性が中心であることは問い直してないんですよ。

これに対して須藤氏は、

だいたいニューシネマは映画運動ではないのだから「問い直していない」って誰に対して言っているんだろうか?運動実態がないもの運動責任を問うたところで、まるで意味がないと思うのだが。

アメリカン・ニューシネマ」もしくは「ニュー・ハリウッド」が差別的に見えるとすれば、それはそもそもそうした批評カテゴリー自体差別的

この点、北村氏も、

>>New Hollywoodを決定づける作家主義的な監督の大半が白人男性であり、白人男性主人公にした物語代表作として受容され、研究白人男性監督だけを対象としてきたこはいたるところで指摘されています<<

と述べているように、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があることは認識しているように見える。

まり、二人とも、「ニュー・ハリウッド」というカテゴライズ問題があるという点では、共通認識がある。そのうえで、北村氏は、「須藤氏のニューシネ解釈一般的ではないから、私を嘘つき呼ばわりするのではなく、自分で論を立ててね」としている。

しかし、「ニューシネマ」というカテゴリーのもの問題があるなら、北村氏の連載における「『ダーティハリー』はニュー・シネマの影響下にある警察映画」という紹介の仕方も、「ニュー・シネマが男性中心的だ」というのも、安易に見える。元の連載において、ミステリサスペンス的にいまいちという北村氏の感想にはうなずけるが、「ニュー・シネマ」という潮流の紹介は片手落ちで、「研究白人男性監督だけを対象としてきた」ことも含めて紹介すべきだったのではないだろうか。

なお、北村氏のいう「問い直してない」というのは文系学問によくあるレトリックで、須藤にわか氏の「運動実態がないもの運動責任を問う」ているように見えるというのは、本質を突いていると感じた。

「問い直してない」論法は、レッテル貼りに使いやすい。

ダーティハリー』含む「ニュー・シネマ」と呼ばれる作品群は、「男性白人中心主義」的であることを「問い直せていない」からダメ作品だという、作品ファンが反発を覚えるのも無理はないだろう素人批評を容易に生み出す。(なお、これは北村氏の主張ではない。北村氏はあくまでニュー・シネマが好きではないだけだ)

須藤にわか氏が作品擁護する姿勢理解できる。

増田感想

文系学問特に文学社会学)においてありがちな、世の中の傾向や潮流を仮構して、ミクロ作品人間を論じるスタンスは、使い方を間違えると、色々なことを損なう。その作品人間もつ、複雑さや豊かさが捨象されるし、俗流に応用されれば簡単差別につながる。「この時代に生まれ人間は●●である」と決めつける世代論などを見ればわかりやすい。もちろん社会を論じるなら、そういう傾向を仮定して話を進めざるを得ないが、学者でもない人間が個々の作品人間評価するのであれば、マクロ的な枠組みでは拾えない面白さや豊かさにも目を向けるべきだろう。

少なくとも発端となった連載は素人映画をより深く鑑賞する視点提供するものだったはずだ。北村紗衣氏の視点須藤にわか氏の視点を踏まえて、もっと映画を楽しみ人生を豊かにしたり、世の中を考え直すきっかけを得たりするのが、私のような素人にとってはいいのではないだろうか。

たとえば北村紗衣氏がいうように、

「やっぱり、この映画ハリーのことをどう捉えているのかの解釈が難しい」

というところが、「ダーティハリー」を考える上でおもしろそうな部分で、北村紗衣氏は第一印象がつまらなかったため深堀りすることはないだろうが、「ダーティハリー」をこれから見て逆に「面白い!」と感じた場合には、ハリーを起点に「ニューシネマの影響下に本当にあるのか」などを考えるとまたおもしろそうだ。

あるいは、須藤にわか氏のいうように

そういう自分の知らないものとたくさん出会えるのがニューシネマの面白さで、あえて一時代アメリカ映画をニューシネマとして括る意味があるとすれば、それはその作品群がこうした「新しさ」を観客に与えてくれるから

ということを踏まえて、様々な作品に触れれば見えてくるものもあるだろう。

須藤にわか氏のエントリについたクソブコメ

serio フェミニストはありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまうので、たまにホームランを打つことがあっても、バットキャッチャーを殴って三塁に走り出すみたいな大外しをすることがよくある。

→元連載は「フェミニスト批評家・北村紗衣さんが、初めて見る映画感想を話しながら注目してほしいポイントを紹介する連載」なので、北村紗衣氏が好きに「ありとあらゆる事象フェミニスト視点から語ってしまう」わけではなく、そういう企画趣旨に基づいて仕事としてやっている

hazlitt アメリカン・ニューシネマってカテゴリーとして昔からよくわからんなとは思っている。わりとどうでもいいが野次馬的には町山某が反応すべき話題だな

→「わりとどうでもいい」と保険かけながら野次馬根性さらけ出しているのがキモい

jassmaz 文学理論批評理論を知らないオタクの見当はずれな批判。この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力である。87年出版アラン・ブルームアメリカン・マインド終焉』を読もう。

→「この時代アメリカ価値観完膚なきまでに破壊したことは十二分に暴力的」北村紗衣氏も須藤にわか氏も言っていない新たな論点。見当はずれはこのブコメでは

北村紗衣氏のエントリについたクソブコメ

tokuniimihanai あちらの記事批判相手職業を間違えている時点で無知あるいは礼儀知らずなので読む価値がないと判断したが、やはり読まなくてよかったな。引用部分だけでも論外とわかる

→読まずに断じているゴミ

takeda25 こういうの、詳しくなければとりあえず態度を保留するのが賢明なはずだけど(現にこちらのブコメはそういうのが多い)、女性叩き側のブコメでは調子に乗って叩く人間大量発生するのが歪み

→態度を保留するって、どういう立場後出しジャンケンに勝ちたいだけの姿勢が見えてキモい

ponkotsupon 須藤氏の批判記事は出典やら参考文献やら先行批評への言及が何もなかったのに対し、北村氏は複数の出典と研究史を出してるので、学術的には(須藤氏が再反論で論拠となる文献を示せなければ)これで勝負ありよなぁ

そもそも商業媒体ブログ応酬で、学術的な議論ではない。かつ、出典と研究史さえ出せば「勝ち」というのは学術的でもないだろう。

どちらのブコメにも共通していえること

二人に対するクソブコメの数々は

権威主義的で映画のものにも映画史にも興味がなく、自分では頭を使わず他人が貶されるのを娯楽として消費するだけを生きがいとする、野次馬根性と異常マウント欲、ハエ以下の精神性で駆動する人工低能

ではないか、ということを己に“問い直して”みてはいかがだろうか。

2024-08-12

男女はどんどん対立すればいい

ハラスメント講師の件といい、男女の対立が深まる事は実は良い事だと思うんだよな

今まで男が一方的に殴られっぱなしだったのがようやく殴り返せるようになったというだけの事だから

やっとSNS空間においての男女平等が一歩進んだと思う

これまで男は我慢し過ぎた。もっと過激に、暴力的になっていい。

その先にあるのは滅亡だとしても、少なくとも今生きている我々には関係ない事だ。

女と分かり合う必要はない(そもそも絶対に分かり合えない)

大事なのはから攻撃に対して完膚なきまでに叩きのめすという姿勢を見せる事だ

どんどん殴り合っていこうじゃないか

2024-07-21

おはよう

おはます

かわいい電気をパクッとくわえると

たちまちビリビリにんげんになり

ありとあらゆる電力を供給できます

そして快適な空気と快適な水を世界中のおうちに届け

オゾン層破壊物質完膚なきまでに叩き潰し

みんなを笑顔にしたい

地球さすていなぶる活動ですわ

2024-07-19

AI完膚なきまでに叩きのめす原動力絵師への嫉妬っていうけど、本当にそんなんある?

絵師への嫉妬とか、アスリートミュージシャンへの嫉妬がないのと同じでそんなもの抱きようがないが

音楽やってたらモテるけど絵が描けてもモテはせんし儲からん

腹の足しにもならないインターネットのバズもしくはpixivFANBOXのお小遣い程度しか得られない

ナイスブコメを連発して集めるはてなスターよりは価値があるかもしれないが

芸術分野は苦労の割に実入りが少ない

アニメーターになるためにITエンジニアになる人の10倍以上努力しても、10倍稼げるわけではないからな

一般人と縁遠いことを頑張って一般人の手の届かない何かを成し遂げるのはもう完全に別世界の住人で、しか生活保証もない

そんななろうとも思わん存在嫉妬するか?

2024-07-18

負け惜しみと受け取る認知の歪みを見せる人はどうでもいいけど(前置き)、

自分たちの勝訴よりも相手方名前を出して「⚪︎⚪︎敗訴」とマスコミ記念写真撮らせるのは(その裁判の内容にかかわらず、またその相手方いかに暴虐無恥の大悪人か否かにかかわらず)勝訴した側の行動としてどういう意図でそれをやったのか気になる。

そんなに相手を貶めて辱めて袋叩きにしなければ自分たち尊厳を保つことすらできないのか。それほどまでに相手尊厳完膚なきまでに叩きのめし廃絶しなければ社会の公正さを維持することができないのか。マスコミ無自覚なのか構わずバンバン報じてるから問題無いんだろうなあ。じゃあ考えすぎかあ。

2024-07-13

anond:20240713024120

増田って、完膚なきまでに人を論破するとみんな異常者が1人いるなとかお気持ちをいきなりエア投稿しだすんだよな

2024-07-08

anond:20240708095256

ジャニーズ廃業ジュリー追放福田社長就任完膚なきまでに焼け野原にされたジャニヲタさん

日本政府保守は我々の味方だから都知事選百合V3なら我々の勝利」と大幅にゴールポストを動かすも、日本政府国連報告書に対して明治神宮再開発原発事故の項目にのみ抗議

ジャニーズ事務所は完全に見捨てられたのが発覚

東京明治神宮外苑地区三井不動産などが行う再開発事業について、国連人権理事会の作業部会5月末、「住民協議が不十分」と指摘する報告書公表した。日本政府は全文削除を要求したが、文章東京都がほぼ作成したことが判明。

https://www.tokyo-np.co.jp/article/333152

報告書は、専門家構成するビジネス人権に関する作業部会5月28日に公表。旧事務所創業者ジャニー喜多川氏(2019年死去)による性加害問題について、被害者救済に向けた「道のりは長い」とし「依然として深い憂慮が残る」と指摘した。

(略)

日本側は原発事故を含む一部の報告内容について「事実不正確な点があり、一方的な主張だ」などと意見書反論している。一方、性加害問題には意見を付けなかった。

https://www.nikkansports.com/general/news/202406260000708.html

2024-06-30

[]線状降水帯にも豪雨にもマケズ……本拠地で調整 30日ホーム町田戦へ森永宣戦布告オレオレFCサッカーというものを見せつける」

 オレオレFCホームスタジアム首位完膚なきまでに叩きのめすー。30日のホーム町田ゼルビア戦に備え、28日はロイスタで一部非公開練習を行った。線状降水帯による激しい雨の影響でスタジアムの芝は一部水溜まりになった中で、紅白戦などを行った。ホームでは現在3連敗中だが、イレブン町田撃破に闘志満々。3月に味わった屈辱的な敗戦から進化した姿を見せ、首位撃破を目指す。

 ◇  ◇  ◇  

 ロイブル軍団の「パワースポットである本拠地首位撃破を目指す。都内線状降水帯が発生した影響で大雨洪水警報が発令された。練習中は滝のような雨が降り続けたが、イレブン関係なく、ナイター照明も点灯。試合2日前に行う紅白戦など、普段と同じ調整ができた。野河田彰信監督も「これで当日も試合も晴れたら最高やな」とニヤリ。町田撃破へ自信を覗かせた。

 町田には3月試合で1ー2の敗戦スコア以上の内容を喫する屈辱的な敗戦を喫した。FW森永は「悔しい以外に言葉が出なかった」。その後、町田現在首位好調キープ。「町田が(首位を)走って、J1のチームが情けないと思われている。僕達も悔しいし、これ以上、町田の好きにはさせない」と語気を強める。

 チームは鈴木潤主将DF岩田村山町田出場停止だが「何時も助けられているので、成長するチャンスだと思っている」と悲観はしていない。ミーティングでは町田に勝った新潟磐田映像に加え、ロングスローセットプレー対策を多めに使ったと言う。「勝つ自信はあります町田ゼルビアオレオレFCサッカーというものを見せつけたい」と宣言した。

 本拠地3連敗中だが「勝てば反撃態勢ができる。圧倒して町田ギャフンと言わせたい」と森永豪雨降って地固まる-。町田が席巻しているJリーグの旋風は、ホームロイブル軍団が食い止める。

○…DF松岡が奮闘を誓った。3月敗戦について「球際で負けたり、セカンドボールの反応が遅れていた」と反省する。今節はDF岩田村山が累積警告で出場停止脳震盪MF藤崎も欠場が濃厚だ。この日はDF伊藤と田曽野が主力組に入ったが、野河田監督は「スタメンとは限らん」と煙に巻いた。町田撃破にはDFラインの奮起が不可欠。松岡は「いい時の自分たちを出すことが大事我慢勝負になる」と表情を引き締めた。

2024-06-11

>「遊戯王イベント今日が初めてです」って女の子が途中で帰った

>この前、遊戯王イベント

>「マスターデュエルを やっていて遊戯王イベント今日が初めてです。」って言う女の子がいましたが

>粛正やセンチュリオンスネークアイやらVSが多くて大丈夫かな?って思っていたけど、案の定ボコボコされてた

>最悪な事に、その子途中で帰ちゃって「遊戯王…嫌いにならないで ほしいな」って今でも思っています

>男なら女性には、ちょっとだけほんの少しで良いので優しくしてあげて下さい。

>男が相手なら初心者だろうが何だろうが完膚なきまでに ぶちのめしますけど、女性相手の時はねぇ

女性デュエリストが増えれば男にとってメリットしかないので・・・何卒よろしくお願いします🙇

 

女性ユーザーが増えたら自分にもワンチャンあるって発想がキモすぎる。他力すぎる。だからモテないんだよカードオタクは。

平常運転でボロ負けしても見返し精神が無いとどっちみち続かんと思うわ。

2024-03-28

anond:20240327125848

九州編集者になれなかった

 

問題なのは九州じゃない。環境のせいではなく自分能力

選択肢がなかった?自分がお勉強をさぼって都内大学に行けなかっただけ。

地域格差がある?20年前の2,000年代前半なら学習塾も増えていた。地方都市というレベルではあるが自分が住んでいた広島にも90年代ですらそれなりに塾はあった。

小5の時に夏季講習で通った塾の講師からは成績を見た後私立中受験していいんじゃないかとも言われたし教師から勉強について褒められ進学の話はあったが、増田はどうなんだ?

実のところ上澄みから見たら大したことがないレベル自分ですら教師からは光るものがあったら教師は進学を勧めてくる。

今は過疎地仕事をしているが、40年以上前中学校卒業も当たり前な地域性ながら優秀な子は都会の学校へ出させようと教師が親に頭を下げに来るなんてことはざらにあったそうだ。

昔の自分が周りを認めさせるくらい能力を磨けていれば説き伏せることはできるがそれをしなかったのは増田自身だ。

 

あと編集者という仕事についての解像度も足りていない。同人誌発行は大変な作業だが仕事としての出版業務からしたらお遊戯みたいなもの

たまたま求人覗いて募集面接あるから受けてみよで通るような業界ではない。

新卒ですら市内では1番頭がいいレベルの元神童がしのぎを削って入る枠で、中途採用にしたってそういう神童の中の勝者が応募するような枠。

そんな枠にお散歩気分で仕事に対する解像度が低い志望者が来たら困るだろうし、地方出身で血をにじむ努力をしたかと思われる採用担当からしたら増田言動侮辱しか見えないだろう。

増田立場からしたらレスバしなくてよかったよ。絶対完膚なきまでに叩き潰されていた。

 

九州編集者になれなかったんじゃない。

過去増田増田編集者にさせてくれなかったんだよ。

2024-02-26

anond:20240226180153

向こうの糞フェミでさえ、完膚なきまでに、用水の腐ったババア呼ばわりされて論破されてる例文を出して、何がしたいのフェミは?

2024-02-04

anond:20240204061906

たかが1人の選手が交代になっただけで総崩れになって完膚なきまでにボコボコにされるからこそ「集団競技」なんだろ。

個人競技なら個人をすげ替えるだけなんだから

2024-01-17

ボディビル日本のが最も面白い

なぜならドーピング蔓延している一方でアンチドーピング文化が根強いから。

これはつまり湯水のように湧いてくるドーピング違反者を一生みんなでよってたかって叩けるという事だ。

 

というのも本日、タテノスという愛称で呼ばれていたビルダーのステロイド所持が、彼の所属するボディビル団体のJBBFから発表されたのだ。

お陰で今ボディビル界隈は彼の事で大盛り上がり。

筋トレユーチューバーはもうこぞって関連動画を出しちゃってるの。

他のスポーツではこんな事起きないよね。

同じボディビルでも海外になるとアンチアンチドーピング 勢の発言力が強いか面白くならないんだよな。

 

今回はタテノスくんのおバカミスが原因というのも相まって祭りになってる。

彼のミス例外としても、これから馬鹿が倍増すると思うんだよな。

なぜならJBBFでは最近簡易ドーピング検査実施し始め、陽性者の発見率が格段に高くなったから。

もう既に引っかかった奴が何人もいるという情報すらある。

 

クワクするなぁ。

こんな楽しいスポーツないよ。

この前だって中島千春という女子選手検査陽性で祭りだった。

その時もいっぱい叩かれてたなあ。

その後中島さんはJBBFやめて薬バチバチにキメて勝負する方向に行ったそうだけど、なんかもう色々とすごいよね。薬って怖いね

 

でもこの祭りに水をさす奴もいるんだよな。

炎上し過ぎだの、それでも応援しますだの。

 

あのさぁ、これは彼ら馬鹿共の為でもあるんだよ。

二度と戻ってこれないように完膚なきまでに叩かれた方が本人も諦めがつくでしょ。

どうせ罰金の40万円も払わずトンズラするんだから、それ位の報いは甘んじて受けてもらわなくちゃ。

SNS投稿した写真からステバレしたKくんなんて今も京大附属病院で大変立派なお医者様として働かれてるんですよ。

ボディビルなんてくだらない事やめて、残りの人生有意義に生きてください。

2024-01-08

anond:20240108122430

完膚なきまでに関係ないんだけど、

ああっ女神さまっスクルドが圭一に淫乱になる薬を飲まされておかしくなってしま

っていうエロ同人誌で昔しぬほどシコったんだけどその作者の名前忘れてしまったんだよな。

だれか知ってる人いないかな?

時代的にはエロゲー全盛時代FateとかがPCゲームとして登場した頃とかに活躍してた同人作家さん。

おれはそのあとくらいにオタク界隈からきっぱり足を洗ったんでその頃のものが一切残ってない。

でも最近無性にその人の同人誌が読みたいんだよな。

今だったらデジタルデータになってるような気がする。

2023-11-29

iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか


なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西メーカーAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話基地局生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。

 

で、よく知られているように日本携帯電話1999年iモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯日本メーカー以外どこも作れなかった。

 

まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外携帯キャリアガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモ進出と同時に日本メーカーは高機能携帯世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外地盤を築いていたのはソニー・エリクソン三洋くらいで、三洋アメリカスプリントCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスン携帯を買って研究していたのが懐かしい。

 

後にAndroidiPhoneがすごい勢いでエコシステム世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外はいまいち受けなかったし、ドコモおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。

 

当時すでにスマートフォン海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外ビジネスマンは使っていた。しか日本はいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。

 

で、2010年追記2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhone日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本ガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章コピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいもの日本携帯に勝てるもんかと思った。しかソフトバンクiPhone未来イメージシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、audocomo対応せざるを得なかった。

 

まもなくシャープ富士通東芝ソニーNECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアワンセグFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフト不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場悲惨だったようだ。

 

それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホシェアはあっという間にAndroidiPhoneを抜き去っている。しか日本Android勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンソニースマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年Appleに屈した。その契約屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとaudocomoiPhoneCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。

 

結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててApple推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホ日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリア消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCM提灯記事キャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。

 

もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでApple契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhone最先端で最高性能と信じ続けた。

 

結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhone日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道カップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。

 

とにかく日本キャリア総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleポチになってしまった。audocomo傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢クズ会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇しか言いようがない。一社支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません

 

俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門DDIポケット本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品日本製が多かったが、今や台湾韓国にも負けてしまった。スマホCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代消滅メモリ液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。

iPhoneがなぜ日本人に受け入れられたか


なんとなくこの業界に関わってきたので、どうして日本でこんなにiPhoneが支持されるようになったのか、ちょっと書いてみたいと思う。ちなみに俺は今は亡きS社(今は完全に消滅して、かつての本社市役所になっている)でPHS(みんな覚えてる?)の開発に携わったのが最初。その後は出向で三浦半島の先の方で怒りのデスロードみたいな経験をしたり転職して某関西メーカーAndroidやったり。当時一緒にやってた人たちの一部は京セラに行ったけど、大体はどこに行ったか知らない。とにかく日本の一大産業であった携帯電話基地局生産や開発に一通り関わってきて、その衰退とともに生きてきました。

 

で、よく知られているように日本携帯電話1999年iモードの導入から劇的に進歩し、ネットが見れるだけでなく、カメラも付きラジオも聞け非接触決済もできて音楽を聞いてテレビまで見れて、もちろん防水でアプリまで動かすことができた。カッチリ作られた二つ折りやスライド機構は触ってるだけで楽しかったし、こんな携帯日本メーカー以外どこも作れなかった。

 

まあそれがガラパゴスと言われて後々の衰退につながるんだけど、実際はドコモガラパゴスを良しとしてなくて、iモードを普及させようとして海外携帯キャリアガンガン出資していたし(その大半が失敗して莫大な損失が生じた)、ドコモ進出と同時に日本メーカーは高機能携帯世界に売り込もうとした。でも結局どれもうまく行かなかった。なんとか海外地盤を築いていたのはソニー・エリクソン三洋くらいで、三洋アメリカスプリントCDMA携帯を輸出してそこそこのシェアを取っていた。ライヴァルであるモトローラとかサムスン携帯を買って研究していたのが懐かしい。

 

後にAndroidiPhoneがすごい勢いでエコシステム世界に広げていくのを見ると、どうしてiモードにはそれができなかったのかなと思ったりする。まあでも日本メーカーの小さな筐体にぎっちりと機能の詰まった携帯は、個人的にはサイバーでありジョリーグッドで今でも好きなのだが、海外はいまいち受けなかったし、ドコモおんぶにだっこで儲けていたNECやらパナやら富士通は、お付き合い程度にしか海外進出をする気もなかったようだ。

 

当時すでにスマートフォン海外ではそこそこ普及しており、SymbianとかPocketPCとかBlackBerryなんかの端末は結構海外ビジネスマンは使っていた。しか日本はいわゆる「ガラケー」のデキが良すぎてほとんど普及せず。シャープWindowsCEを積んだW-ZERO3を出してたくらい(持ってた)。

 

で、2010年追記2008年の間違いだった、申し訳ない)ついにiPhone日本で発売。もちろん俺は買った。当時ソフトバンクの独占発売だった。よく知られているように、当時の論調は「iPhoneより日本ガラケーの方がずっと高機能」で、こんなものは驚異にはならないという話だった。確かにiPhoneはすぐに電池が切れるし、FeliCaも防水もワンセグもなし。文章コピペもできないダメケータイだった。実のところ俺自身も使ってみて、こんなダサいもの日本携帯に勝てるもんかと思った。しかソフトバンクiPhone未来イメージシンプルで安い料金プランでガンガン攻めてきて、audocomo対応せざるを得なかった。

 

まもなくシャープ富士通東芝ソニーNECなどが次々とAndroidスマホ発売。このあたりの大混乱の思い出はブコメでもよく見るけど、未だにどうしてこうなったんだと思わざるを得ない体たらくだった。iPhoneに対抗するためにキャリアワンセグFeliCaの搭載を求めたために、開発は難航。第一Androidの開発をしたことがある人なんていなかったし、そもそもスマホなんて作ったことなかったのだった。納期に間に合わせるためにやっつけて作ったソフト不具合連発。一体何であんなもんを作ったのか未だにわからない、メガネケヱスと言われて1円でばらまかれたシャープの端末、まともに動いた時間のほうが少ないと言われたレグザフォン、ホッカイロスマホと言われ東京湾在庫が沈められたと噂されたアローズ。この頃俺は端末の開発からは遠ざかっていたけど、何人が死んでるんだろうと思うくらい現場悲惨だったようだ。

 

それでも各社はなんとしてでもiPhoneに抗おうと必死だったようだ。AndroidiOSはほぼ同時期に出てきているんだけど、端末開発では若干iOSが先んじたが、実際のところ世界ではスマホシェアはあっという間にAndroidiPhoneを抜き去っている。しか日本Android勢はソニーエリクソンを除けば総崩れで、iPhoneを扱うソフトバンクへの流出が止まらない。まずauiPhone4を扱うことに。docomoは当初ツートップ戦略というサムスンソニースマホで推す作戦に出たが、それによってパナやNECといった古くから携帯を作ってきたメーカーが脱落。その後2013年Appleに屈した。その契約屈辱的な内容だったらしく、日経は「不平等条約」と書いた。専用の売り場を設けたりといったよく知られている事に加えて、一説によると販売する端末の3~4割がiPhoneでなければならないとか、iPhoneのために莫大な広告宣伝費負担するなどである。未だに日本ではiPhoneが発売されるとaudocomoiPhoneCMを流すが、あれにはAppleは1銭も出していない。全部キャリアの持ち出しである。彼らの強欲なやり方を告発した、「アップル帝国の正体」という本が出たのもこの頃だ。

 

結局の所キャリア各社はこの契約を履行するために、iPhone用のお得な料金プランや分割購入プランを作り、窓口でも積極的に売り込んだ。初期のAndroidスマホのできの悪さを見聞きしてきた人たちは一斉に乗り換えていった。キャリアはいままで苦楽をともにしてきた日本メーカーをあっさりと見捨ててApple推しまくった。この頃はAndroidの開発もこなれてきて割とマシなスマホ日本メーカーも作れるようになってきたが、もうキャリア消費者も見向きもしなかったのだ。実際iPhoneは使いやすかったし、膨大なCM提灯記事キャリアショップのど真ん中で扱われたことで、もうスマホを買うことはiPhoneを買うことと同じくなっていく。

 

もうこうなるとiPhoneなしでは全くキャリア戦略は成り立たない。今に至るまでApple契約した屈辱的な関係を捨てることはできず、結局の所3キャリアAppleの言いなりになって莫大な国富を貢ぎ続けた。まあ彼らのやり方がうまかったといえばそうなんだが、こんな事になってしまった国は日本くらいで、いまやアメリカをもしのぎ世界で最もiOSシェアの高い国である。他の国ではiPhoneは一部の富裕層の持ち物であり、安くて高性能なAndroidスマホがとっくに主流になっている。iPhoneはそのCPUを除けばもうすでにイノベーションからは周回遅れであり、中国メーカーの作るAndroidがいまや先端を突っ走っているが、日本ではなぜか多くの人がiPhone最先端で最高性能と信じ続けた。

 

結果として、この給料のまるで上がらない国で、値段が上がり続けるiPhoneは売れ続け、日経が「最新のiPhone日本人平均給与の6割」という記事を書くまでになった。まあ別に何を買おうと勝手なのだけど、貧困女子といったタイトルがつく報道カップラーメンをすすっている人が持っているスマホが、10万円近いiPhoneだったりするどこか歪んだ社会になってしまった。最近も同僚から家族みんなでiPhoneを買い換えるので40万かかる」との嘆きを聴いた。OPPOあたりにしとけば全員分買っても10万で済みそうなのだが、その選択肢は彼らにはない。

 

とにかく日本キャリア総務省の顔色を伺いながらiPhoneを売るだけのAppleポチになってしまった。audocomo傲慢な連中だったが(もっと言えばNECもパナもry)、Appleはそれに輪をかけて傲慢クズ会社である。彼らが電気電子産業が壊滅した焼け野原日本から、ケツの毛一本までも利益をむしり取っていく現状は悲劇しか言いようがない。一社支配的な力を持つ市場はろくなことにならないという証左であろうが、もっともそのクソに完膚なきまでに負けたのも我々である。ほんとすみません

 

俺は岐阜のS社の研究所と虎ノ門DDIポケット本社を往復してた時代から、百花繚乱のごとく日本携帯が咲き乱れた黄金期を生きて、それらが全部Appleになぎ倒されていく歴史の中に身を置き、どうしてこうなってしまったのか、どこでどうしたら良かったのかと今も思う。しばらくはiPhoneに使われる部品日本製が多かったが、今や台湾韓国にも負けてしまった。スマホCPUを作れたのはルネサスだけでそれも一世代消滅メモリ液晶もだめになって、今やNANDとMLCCくらいか。最終製品を失った日本にもう一度半導体をと言っても虚しく響く。

2023-09-27

anond:20230927235004

完膚なきまでに腐女子を叩きまくってるスレがずっとあるならともかく、実際は逆だからなぁ。

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