はてなキーワード: フィルム・ノワールとは
まず「アメリカン・ニューシネマ」ってムーブメントが60年代後半から70年代にかけてあったことを知りましょう。くわしくはググれ。そんで代表作とか一通り観ろ。
その元祖たる『俺たちに明日はない』はフランスのゴダール『勝手にしやがれ』のパクリとまでは言わんけどそれに近いものであるということを知りましょう。
次にゴダールは「ヌーヴェルヴァーグ」というフランスの50年代後半から60年代にかけての運動の旗手であったことを知りましょう。
とりあえずヌーヴェルヴァーグについてはゴダールとトリュフォーの初期代表作をググってざっと観ましょう。ゴダールは難しいので分からないならそれはそれでいいです。
ヌーヴェルヴァーグはイタリアにおける自然主義の影響がすごいので「ネオレアリズモ」でググって適当に代表作を観ましょう。
ヌーヴェルヴァーグは他にハリウッド黄金期やヒッチコックを高く評価していたことを知りましょう。
というわけでジョン・フォード,ハワード・ホークス,ビリー・ワイルダー,ウィリアム・ワイラー,フランク・キャプラあたりのオーソドックスなハリウッド黄金期の名作を純粋に楽しみましょう。
ヒッチコックは『逃走迷路』『見知らぬ乗客』『ロープ』『裏窓』『めまい』『北北西に進路を取れ』『サイコ』『鳥』あたりでも観ましょう。これらがどうすごいのかはググれ。
ヒッチコックの技法は1920年代の「ドイツ表現主義」の影響がすごいのでF・W・ムルナウ『吸血鬼ノスフェラトゥ』とかフリッツ・ラングとかローベルト・ヴィーネ『カリガリ博士』を観ましょう。ググれ。
ムルナウの『サンライズ』でモンタージュという技法の巧みさを知ったところでグリフィスの『国民の創生』とかエイゼンシュテインの『戦艦ポチョムキン』あたりでも観てへーって思っておきましょう。
あとまぁホークスとかに多いけど「スクリューボール・コメディ」っていうのがあるんだが適当にググってくれ。
コメディ映画史においてはチャップリンとかマルクス兄弟とかバスター・キートンがその前の下地としてあるのは知っとくといいよ。
現代映画だとウディ・アレンとかかな。キートンは『将軍キートン(キートンの大列車強盗)』『キートンの探偵学入門』あたりはすごい。
他にもホラー映画史とか戦争映画史とかミュージカル映画史とか西部劇史とか「フィルム・ノワール」とかいろんな物差しがあるんだけど小休憩終了につきここまで。
(訳注:長文注意。誤訳あったらごめんなさい。教えてもらえたらあとで直します)
村上春樹の作品世界にほぼ浸りきってやろうというつもりだった。
ところがその目論見は外れることになる。
期待していたのは、バルセロナやパリやベルリンのような街だった。
そこでは、市民はみな英語が達者で、さらにはジャズ、劇場、文学、シットコム、フィルム・ノワール、オペラ、ロックといった、
西洋文化のあらゆる枝葉に通じている……そんなコスモポリタンな世界都市を私は期待していた。
誰かに聞いておけば分かっていたはずなのだが、実際の日本はまったくそんな場所ではなかった。
実際に足を踏み入れることができる日本は、どこまでも頑固に、日本的だった。
そう思い知らされたのが地下だったというのは、我ながらよくできていたと思う。
アイロン掛けたてのシャツに包まれ、なんの躊躇もなく地下鉄の駅へと降りて行くや否や、
私は迷子になり、助けを求めようにも英語話者を見つけることができなかった。
最終的には(電車を乗り間違え、馬鹿げた値段の切符を買ってしまい、必死のジェスチャーで通勤客を怖がらせたあと)、
どうにか地上に出てはみたものの、もはやインタビューの時刻はとうに過ぎている。
私は絶望して、目的もなくあちらこちらへとさまよい歩いた(東京にはほとんど標識がないのである)。
そして蜂の巣状のガラス製ピラミッドのような建物の前で途方に暮れていたとき、
ついにユキという村上のアシスタントに見つけてもらうことができた。
あまりにもうかつな、アメリカ人的な私は、村上のことを現代日本文化を忠実に代表する人物として考えていた。
実際には彼は私が思っていたような作家ではなく、日本は私が思っていたような場所ではなかった。
そして両者の関係の複雑さは、翻訳を介して遠くから眺めていたときには想像しえないものであることが明らかになっていった。
村上の新作『1Q84』の主人公の一人は、自らの人生最初の記憶に苛まれており、誰に会ったときにも、あなたの最初の記憶はなにかと尋ねる。
それは3歳のとき、初めて家の門の外に歩き出したときのことだという。
彼は道をてくてくと渡り、溝に落ちた。
流されていく先にあるのは、暗く恐ろしいトンネル。
そこに差し掛かろうかというとき、母が手を差し伸べ、彼は助かった。
「明確に覚えている」と彼は言う。
「水の冷たさ、トンネルの闇、その闇のかたち。怖かった。僕が闇に魅かれているのはそのせいだと思う」
村上がこの記憶を語るとき、私は既視感とともに心の中でくしゃみをするような気持ちを覚えた。
その記憶には聞いた覚えがある、いや、不思議なことにその記憶は自分の中にある、と感じた。
ずっとあとになって分かったことだが、私は確かにその記憶を持っていた。
村上は『ねじまき鳥クロニクル』の冒頭の脇役に自分の記憶を写し込んでいたのだ。
村上を初めて訪問したのは、日本にしてもありえない夏の厳しさの最中、
週の真ん中、蒸し蒸しする午前中のことだった。
その結果、電力、公衆衛生、メディア、政治にも危機が到来した(当時の首相の辞職によって、5年間に5人目の首相が生まれることになった)。
大作『1Q84』の英語訳(そしてフランス語訳、スペイン語訳、ヘブライ語訳、ラトビア語訳、トルコ語訳、ドイツ語訳、ポルトガル語訳、スウェーデン語訳、チェコ語訳、ロシア語訳、カタルーニャ語訳)について話すためだった。
この本はアジアで数百万部を売り上げ、
まだ翻訳が出ていない言語圏ですらノーベル文学賞の噂が囁かれていた。
62歳にして30年のキャリアを持つ村上は、日本文学の最高峰としての地位を確かなものにしている。
疑いなく、彼は母国の表層とかたちを世界に伝える、想像世界の大使となった。
そのことは、関係者には非常に大きな驚きだったと言われている。
アメリカによる戦後占領を受けた1949年の京都、日本の前首都である。
「これ以上の文化混交の瞬間を見つけるのは難しい」と John W. Dower は1940年代後半の日本について書いている。
「これほど深く、予測不能で、曖昧で、混乱していて、刺激的なものは他にない」という。
「瞬間」を「フィクション」に置き換えてみれば、村上の作品を完璧に説明することができる。
彼の物語の基本構造は、互換性のない複数の世界に根を下ろした普通の人生であり、
そこは、さまざまな言語の喧騒に包まれた国際的な港湾都市である。
彼はアメリカ文化、とくにハードボイルド探偵小説とジャズに没頭して十代を過ごした。
二十代のはじめには大企業の序列に入り込む代わりに、髪を伸ばしヒゲを生やして、両親のすすめを押し切って結婚し、借金をして「ピーターキャット」というジャズクラブを東京で開いた。
掃除をして、音楽を聞いて、サンドイッチを作って、酒を注いで、
作家としての村上のキャリアの始まり方は、彼のあの作品スタイルそのものだった。
どこまでも普通の設定で始まり、どこからともなく神秘的な真実が主人公に降りかかり、その人生を根底から変えてしまう。
29歳の村上は地元の野球場の芝生でビールを飲みながら、デイヴ・ヒルトンというアメリカ人助っ人バッターが二塁打を打つのを見ていた。
平凡なヒットだったが、ボールが飛んでいくのを見て村上は天啓に打たれた。
そんな望みはそれまでなかったが、いまや圧倒的なまでだった。
そして彼は書いた。
数ヶ月のちに『風の歌を聞け』を書き上げた。
それは名もなき21歳の話し手が語る小さく凝縮された作品だったが、冒頭から村上らしさが見えていた。
アンニュイとエキゾチシズムの奇妙な混合。
わずか130ページで、その本は西洋文化をぶつ切りにして引用してみせた。
『名犬ラッシー』、『ミッキーマウス・クラブ』、『熱いトタン屋根の猫』、『カリフォルニア・ガールズ』、ベートーベン第三ピアノ交響曲、フランスの映画監督ロジェ・ヴァディム、ボブ・ディラン、マーヴィン・ゲイ、エルヴィス・プレスリー、『ピーナッツ』のウッドストック、サム・ペキンパー、ピーター・ポール&マリー。
以上はごく一部に過ぎない。
そしてその本には(少なくとも英語訳には)日本の芸術の引用がまったくない。
村上作品のこうした傾向は日本の批評家をしばしば苛立たせている。
そして一年後、ピンボール機を取り上げた次の小説を出したのち、執筆に時間のすべてを費やすため、ジャズクラブを畳んだ。
「時間のすべて」という言葉には、村上にとっては余人とは異なる意味がある。
30年を経て、彼は僧侶のように統制された生活を送っている。
すべてが作品を作り出すのを助けるように調整されている。
彼は毎日のように長距離を走り、泳ぎ、健康的な食生活を送り、夜9時には床につき、朝4時に起きる。
そして起床後5、6時間は机に向かい執筆に集中する(2時に起きることもあるという)。
「集中できないとき、人はあまり幸せではない。僕は考えるのが速くないけれど、何かに興味を持てば、それを何年も続けられる。退屈することはない。僕はヤカンのようなものだ。沸かすのに時間はかかるけれど、いつまでも熱い」
そうした日々の湯沸かしが続いていって、世界でも類まれな作品群ができあがった。
30年の歳月を経て積み重ねられたそれには人を虜にする不思議さがあり、様々なジャンル(SF、ファンタジー、リアリズム、ハードボイルド)と様々な文化(日本、アメリカ)をつなぐ位置にある穴を埋めている。
どんな作家にも、少なくともこれほど深くまでは、埋められなかった穴だ。
そして今、とりわげ激しく長い湯沸かしの結実として、もっとも長く、奇妙で、シリアスな本が上梓された。
彼は翻訳者を通して会話するのが嫌いだという。
なまりは強く、落ち着くべき箇所で動詞の活用が劇的に現れたり消えたりする。
とはいえ相互の理解に支障を来たすことはまずない。
特定の熟語("I guess" 「ではないか」、 "like that"「というような」)が、ときたまおかしな位置で使われることがある。
安全な言葉遣いから逸脱するのを楽しんでいる節が彼にはあった。
私たちは東京にある彼の事務所で席を持った。
数人のスタッフが靴を履かず他の部屋で作業をしている。
彼のキャラクターと同じように、アイロン掛けしたばかりのように見えるシャツだった(彼はアイロン掛けが好きだという)。
靴は履いていない。
彼はペンギンのある本の表紙を模したマグカップでブラックコーヒーを飲んだ。
その本とはレイモンド・チャンドラーの『ビッグスリープ』、彼の昔からのお気に入りの小説であり、今日本語訳をしている小説でもある。
話を始めながら、私はあらかじめ用意していた『1Q84』をテーブルの上に置いた。
その本は932ページあり、ほぼ30センチのその厚みは本格的な法律書を思わせるほどだ。
「大きいな」と村上は言った。
「電話帳みたいだ」
記事で問題になっているのは著作権だが、それには触れない。
但し、プロレタリア革命はブルジョワ革命が完遂した後に起こる、或いは現在の自由主義が歴史の終焉であると言った話題は、手に余る。
同じ20世紀で、しかも大衆芸能について、一定レベル以上の成熟と大衆性を獲得した(だから、純文学や前衛藝術を除く)ジャンルでは似たような進化を辿るのではないか、という話。
>>最後に取り上げる例は、ジョージ・スティーブンスの古典的西部劇『シェーン』である。周知のごとく、西部劇というジャンルは四〇年代の終わりに最初の深刻な危機を迎えた。純粋で単純な西部劇は、いかにも作り物で単純な繰り返しだ、という印象を与えるようになった。西部劇の公式は使い尽くされたようにみえた。作家たちは、他のジャンルの要素を西部劇に盛り込むことによって、この危機に対処した。かくして出来上がったのが、フィルム・ノワール的西部劇(ラオール・ウォルシュ『追跡』。この映画は、フィルム・ノワールの暗い世界を西部劇に移植するというほとんど不可能な仕事をなしとげた)、ミュージカル・コメディ的西部劇(『略奪された七人の花嫁』)、心理的西部劇(グレゴリー・ペックの『ガン・ファイター』)、歴史叙事的西部劇(『シマロン』のリメイク)などである。一九五〇年代に、アンドレ・バザンはこの新しい「反省的」ジャンルをメタ西部劇と命名した。
この「メタ西部劇」は『西部劇』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/西部劇そのもの/である。いいかえると、この映画は、西部劇の世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだ西部劇である。『シェーン』が生み出す効果を説明するには、ふたたび視界の機能に言及しなければならない。つまり、常識的なレベルに留まっているかぎり、すなわち視線という次元を導入しないかぎり、単純で理解できる問いが生じる──もしこの西部劇の「メタ」の次元が西部劇だとしたら、二つのレベルの間の距離はどう説明されるのか。どうしてメタ西部劇は西部劇そのものとぴったり重ならないのか。どうして純粋で単純な西部劇はできないのか。答えはこうだ──構造的必然性によって、『シェーン』はメタ西部劇のコンテクストに属している。<<
(スラヴォイ・ジジェク著 鈴木晶訳 斜めから見る。青土社 P121
猫も杓子もジジュクを使いまわしている昨近、またか!と思われる方も多いだろう。またか、である。
アンドレ・バザンの≪超西部劇≫(sur-western)は、時間=歴史的な対象、一九四〇年前後の古典主義に対する一九四四年以後の「進化した」西部劇を指し示す。対して、ジジュク≪メタ西部劇≫は、空間=図式的な観念である。それは「メタ」の次元とそれ以外の次元からなる「二段の棚」であり、話を進める上で好都合だったので、持ってきた。
日本の場合、過去の例で思い当たるのは、時代劇だが、最近では、何といっても、ロボット・アニメかな、と。(時代劇については、ここでは触れない)
名前はいちいち挙げないが、歴史叙事的ロボット・アニメ(西部劇では実際の過去の出来事だが、ロボットがポピュラーな時代は未だ来ないので、未来、或いは仮想世界が舞台になる戦記物)、コメディ的ロボット・アニメ、(破綻も含む)教養小説的ロボット・アニメ、ファンタジー的ロボット・アニメ、ラブストリー的ロボット・アニメ、その他、いろいろ。
では、”その「ロボット・アニメ」は『ロボット・アニメ』自身のパラドックスであり、その「メタ」の部分は/ロボット・アニメそのもの/であるような作品、ロボット・アニメの世界にたいする一種のノスタルジーにみちた距離を含んだロボット・アニメ”、西部劇で言えば「シェーン」に該当するロボット・アニメは存在するだろうか?