はてなキーワード: オゾン層とは
翻訳 https://econ101.jp/notes-on-progress-an-environmentalist/
「環境に良いとされている生活習慣(ビニール・プラスチック消費、地産地消)は実際には環境に良くないことが多い」
原文
https://www.worksinprogress.news/p/notes-on-progress-an-environmentalist
An environmentalist gets lunch-Why being an effective environmentalist can often feel like being a bad one
環境活動家の飯の種ーどうして論理的には環境に良い行動が環境に悪く思えるのか
ここでいう環境は、オゾン層の破壊とかCO2排出とかの科学的な数字はビニール袋の方がコットンのトートバックよりすごく小さいみたいな話をしているのだが、
生分解性の話は環境負荷として計算に入っていない。原発についても同様で、原発の直接の死者がとても少なくて、原発より石炭火力の煤煙で呼吸器疾患になり死ぬ人の方が多い、みたいな話をしている。福島の事故は例外中に例外で確率とか数字でいうと誤差、みたいな論理の組み立てなのた。
ここでリッチー先生が言いたいのはたぶん、ビニール袋が環境に良いという話ではなくて、必ずしも科学的でない環境活動家の主張が支持されるのはなぜか、みたいなことについてのエッセイなのだ。
エリザベーッス
本日はオゾン層保護のための国際デー、日本においてはハイビジョンの日、競馬の日、日本中央競馬会発足記念日、牛とろの日、アイドルコピーダンスの日となっております。
自分が常に稼げる金額がいくらぐらいか見極めて、そこから使える金額の何分の一かしか使っちゃダメです。
それ以上はしんどくなります。
まぁわかってても雪だるま式で浪費する金額は増えていくんですけどね。
そう考えるとゲートウェイじみてるなぁと思わなくもないです。
やるな、とは言わないです。
やるにしても趣味程度にしましょう、というギリギリな感じの回答です。
つまり、しなけりゃそれが一番いいよねって話ですね。
ということで本日は【やることの確認よいか】でいきたいと思います。
フロンガスを使うことでオゾン層が破壊されて穴が空いてしまったという問題。
1987年のモントリオール議定書によってフロンガスの使用が禁止された結果、オゾンホールには縮小の兆候が見られている。
とはいえ、オゾンホールはいまだ大きく、本格的な問題解決は21世紀末になるという。
が、とりあえずは打てる手は打ったし、ということで、あまり言われなくなったのだろう。
工場の煙などに含まれる汚染物質により、雨が酸性になって木々が枯れ、人体にも悪影響を与えるかもしれないという問題。
日本では80年代から現在に至るまでずっとpH4.7くらいで変わっていないようだ。
国際条約で二酸化硫黄や窒素酸化物の規制が進んだことで、それらの排出量は減少し、欧米では酸性雨は「解決」扱いになっている。
日本でも排出ガスの規制は進んでいるし、「pH4.7くらいなら思ったより悪影響なくね?」みたいな論調もあって、あまり言われなくなったようだ。
窒素酸化物や炭化水素が、日光の紫外線により変質してオゾンを発生させることにより、人体に健康被害をもたらす、という問題。
ピークは70年代だけど、現在でも続いていて、たとえば近年の東京では年間5〜10日ほど光化学スモッグ注意報が発令されているようだ。
とはいえ、排出ガス規制により窒素酸化物の排出は減っているし、70年代ほどの被害にはなっていないから、ということで言われなくなったのか?
100年以上も前から「あと数十年で石油は枯渇する!」と言われてきた問題。
もともと「可採年数」というのは「既に発見されていて、技術的に採掘可能で、採掘コストに見合う石油の量」にもとづいているので、
新しく油田が発見されれば可採年数は伸びるし、シェール革命のような新技術で安く採掘できるようになっても伸びる、ということらしい。
おっさんだけどセンス・オブ・ワンダーということばをさいしょにしったのはレイチェル・カーソンの本でしたわ
まあタイトルだけで読んだことはないのですけれど
ブックマークのトップには炎上マーケティングをねらった半ば嘘みたいな記事もあるし
それに対して「そこまで悲観的にならなくていいだろ!」というブコメがつくことで押し上げるタイプのものも実際多い。
だから読んでいて特別に悲観的とおもったことはないんだよな(まじめくさっているとは思う)
もちろん、たとえば、特殊な例として「コロナで外にいけないとなると人生の99%の喜びを遮断されたと感じる」人にとっては
毎日自粛記事があるブックマークは悲観につぐ悲観、もう見ていられないレベルなんだろうけど
田舎暮らしで人と会わないのが日常の人にとっては「お~また都会人がやっとんな。それより新しいゲームどうなったん」程度。
元増田は悲観にまきこまれやすいだけじゃないのかね。そういう人がまきこまれやすいはてなだといえばそうなんだろうけど。
どいつもこいつも、はやく我に返れよ。心配するのは半径5メートル程度、今日の夕ご飯のことくらいでいいんだよ
おまえらが一人ずつで世界をあんじてやきもきしてもうつ病の薬の消費量が増えるばっかでなにも起こらないよ
いちいち世界をあんじてたら冷戦時代のいつソ連とアメリカが核戦争始めるかわからん中の沈黙の春だとかリサイクルもしないでフロンガスがオゾン層にあなあけてって同時多発人類滅亡要因が明らかになってきたときにみんなストレス性胃炎で死に絶えてるっての
賛同者の署名を集める行為ってリベラル思想として正当性の根拠になるのかな?
個別包装に賛成する人が同じ数だけ署名を集めてきたら数の根拠がなくなるよね。
環境保護なら環境保護につながるという科学的根拠と論理で主張を裏づければそれで良いのであって、100万人が不思議な力を信じたらオゾン層の穴が塞がったり石油が無限に湧いたりするようにならないよね。
それに数が多ければ多いほど良いって考えは、むしろ少数派の黙殺につながることもあるけど、整合性とれるのかな?
例えば悪魔のような差別主義者が選挙に立候補して数十万票を獲得したとき、それはいくらたくさんの人の支持を得たからといって、リベラル的には全く許容できる存在ではないはずだよね。
世間では感情に寄った先鋭化したやり取りが繰り広げられているが、人類は学問的根拠によって理知的な判断ができなければ争いを繰り返すだけだ。
奇しくも世界のトップを担った過去もある英国が、非常に感情的な選挙結果によりさらなる沈没に向かおうとしているが、この点については教養の重要性を後々証拠付ける事件になるだろう。
数十年前からフロンによるオゾン層の破壊だなんだのと、ずーっと扱われてきた問題だ。
時には二酸化炭素の増加と温暖化は科学的根拠に欠けるだとか言われたこともあるし、アマゾンやインドネシアでの森林破壊が重要な原因だとされ、割り箸やめよう!とかいう間伐材の利活用など見てもいない極めて感情的な取り組みが実施されたこともあった。
過去には重工業が最たる悪とされ、昨今のように牧畜による温室効果ガスの排出量がなかなかバカにできない量であることなど示されてもいなかった。
しかし、温暖化については上の世代ほど「環境問題」として教育を強く受けた感は強いのだ。
上の世代は昔より技術的取り組みによりクリーンな方向に改善しているという思いがある。海外においての環境問題の教育がどこまで行き届いているかは不知であるが、やはり我々としては環境問題についてそれがどこまでアップデートされているかは別にして「知っている」という感、そしてそれには技術的対策が日々講じられているという「思い」がある。
となると、面と向かって「何も動いてないバカ」と言われるとムキになったり、何も知らん娘だな。学校にも行ってないんでしょ?となるのだ。