はてなキーワード: グロリアスとは
ダロン・アセモグル教授とジェームズ・A・ロビンソンが共著した『国家はなぜ衰退するのか』(原題: “Why Nations Fail”) は、国家の繁栄や衰退を説明するための経済と政治の理論を展開した書籍です。以下がその主な内容の要点です。
基本的な主張
1. インクルーシブ(包摂的)制度とエクストラクティブ(収奪的)制度
• アセモグルとロビンソンは、国家の成功や失敗は、その国の経済・政治制度が「インクルーシブ(包摂的)」か「エクストラクティブ(収奪的)」かによって決まると主張します。
• インクルーシブ制度は、市民が広く経済的活動に参加し、創造的に活動できる環境を整え、政治的に平等な発言権を与えるものです。これにより、イノベーションが進み、持続的な成長が促進されます。
• 一方、エクストラクティブ制度は、権力が少数のエリート層に集中し、資源や富がその一部に吸い上げられるシステムです。このような制度は、長期的には経済発展を阻害します。
2. 歴史的事例
• 著者たちは、歴史的な事例を用いて、インクルーシブ制度とエクストラクティブ制度が国家の発展にどのように影響したかを示します。たとえば、18世紀の産業革命時のイギリスと、植民地時代の南アメリカ諸国を比較することで、政治的・経済的な制度の違いが繁栄と衰退を左右することを説明しています。
3. 「クリティカル・ジュンチャー(転換点)」
• 国家が繁栄するかどうかは、「クリティカル・ジュンチャー(転換点)」という重要な歴史的瞬間にどのような選択をするかに大きく影響されます。たとえば、イギリスはグロリアス革命を経てインクルーシブな制度を採用し、経済的成功を収めましたが、他の国々は同様の転換点で異なる選択をし、エクストラクティブな制度を維持した結果、経済発展が停滞しました。
• 著者たちは、国家の繁栄や衰退を説明するための他の理論、例えば地理的要因や文化的要因だけに基づいた説明を批判しています。彼らは、これらの要因よりも制度の違いが国家の成長や失敗を左右する主要な要因であると強調しています。
書籍の意義と影響
• 『国家はなぜ衰退するのか』は、経済成長や国家の発展において制度が持つ決定的な役割を強調しており、現代の政治経済学や開発経済学において非常に影響力のある理論となっています。
• 本書は、国家のリーダーシップや制度改革の重要性を強調し、発展途上国がいかにして収奪的な制度からインクルーシブな制度に転換できるかを考えるための指針となるべきとしています。
• 一部の批評家は、アセモグルとロビンソンの理論がやや単純化されていると指摘しています。つまり、制度の違いだけで全ての国家の発展や衰退を説明するのは不十分であり、他の要因(地理的、文化的、歴史的背景など)も考慮する必要があるという見解です。
この本は、国家の成功や失敗を理解するための強力なフレームワークを提供しており、その理論は現代の政治や経済の分析において広く採用されています。
ちょっと大袈裟なタイトルだが、FMで毎週番組を担当している(していた)司会者からも番組中で番組編成に対して苦言呈されるほどなので、結構な異常事態だと思う。
【前提】NHK-FMは音楽番組が中心である(あった)。音楽を主に聴かせる朝昼のクラシック番組、正午のニュース後は同じく音楽中心の歌謡曲番組、夕方は若者向けの番組(赤い公園の津野米咲さんも週イチで担当されていた…)。
夜はクラシックの演奏会のライブ録音番組放送後、若者向けの音楽番組。ミュージシャンインタビューやパーソナリティの語り多め。
概ねこの編成であったが、NHK-AMの1波廃止決定以降大幅に変わった。ちなみにまだ廃止はされていない。
まず語学番組がFMでも同時放送されることになった。朝6時からニュースを挟んで朝の8時までが語学番組枠に。
FM放送開始して間もなくの1963年から60年以上、朝6時の枠で放送されていたお馴染みのクラシックの古楽番組が朝5時に追いやられた。
(ちなみにNHKFMの本開局は1969年だが、1957年より実験局として放送開始している。)
夕方の若者向け番組も廃止。およそ2時間の枠がレギュラー番組の再放送枠になった。
(AM廃止で枠を失う芸人やアナウンサーのバラエティ番組を押し込むために空けたんじゃないかと邪推している)
長年親しまれている古楽番組の移動はリスナーから悲鳴が上がった。かなりマニアックな盤もかける番組なのでネットの聴き逃しの権利が取れず一部の週を除き聞き逃し配信が不可、聞きたければ5時に起きるしかなかったのだ。
抗議がかなりあったようで、今年ようやく6時に戻された。
そして昨年あたりから顕著になったのがレギュラー番組の再放送の激増と、季節ごとの特別番組の激減である。
元々は、5週ある月の5週目は再放送であることが多かったが、それ以外の週も「反響が大きかった回を特別に選んで再びお送りします」という体裁での再放送が増え始めた。週1で1ヶ月に4回しかないレギュラー番組なのに、月に1〜2回は再放送になる。
一番酷かったのは今年3月に終了した「洋楽グロリアスデイズ」である。これも前身番組含めて長く続いていた洋楽懐メロ番組だったのだが、終了の告知が2月で、2月3月は最終回を除き全て再放送。番組司会者もX(Twitter)で戸惑われていた。
そして、国民の祝日、夏のお盆休み、年末には特別編成の番組が放送される事が多かったのだがそれらもほとんど無くなった。
祝日には「今日は一日◯◯三昧」という生放送の特集番組を朝から夜まで放送することが多かったが、昼からになり、そのうち番組自体がほとんど放送されることがなくなった。
夏や冬には昔の人気番組「クロスオーバーイレブン」「夜の停車駅」が1週だけ復活、ということもあったがそれも無くなり、レギュラー番組の再放送で埋められることになった。
さらに今年3月から先行放送された新番組「マイ・フェイバリット・アルバム」、週替わりのゲストパーソナリティがお気に入りのアルバムを5枚紹介する番組だが、のっけから再放送だらけである。
ここから1ヶ月間、5月20日分まではヒャダさんから放送やり直しの再放送が続く
6月11日〜栗本斉
あからさまに予算を減らされている。それでテレビではプロジェクトXみたいな偏向回顧番組作ってるんだから文句の一つも言いたくなる。
おそらくはてな民はラジオはANNくらいしか聞いていないだろうし、NHKFMなんて金の無駄だから無くしてしまえくらいにしか思ってないだろう。俺らのお眼鏡に適わない、金にならない文化なんか消えても困らない、という空気は感じる。しかしクラシックを日本に紹介し続けたり現代の音楽を記録し続けたりとその意義は大きい。
しかしNHKでも予算は無限ではないし、近年は特に大きな話題にならないものは消していこうという姿勢のようだ。
儲かる儲からない関係なく、文化の記録を残していけるのはNHKにしか出来ないと思っているのだが、NHKはもうそうはしたくないように見える。音楽がじっくり聴ける番組は今後更に減っていくし、レギュラー番組も年間に制作されるのは全週の三分の一ほどで、後はずっと再放送、になるのかもしれない。
世知辛さを感じている。
ちなみにNHKに番組編成に関して意見を書く場合は、番組のサイトから送るよりもNHKのトップページのご意見欄から送る方が良いそうだ。
番組宛てだと番組スタッフしか見ないが、NHKへのご意見ならえらい人の目に入る可能性もあるそうで。これ3月に(NHKAMからの引っ越し組だった)番組が終わったヤバTが最終回で言っていたので、間違いないと思われる。
間違いがあったら教えてください。
事件当時ロマン・ポランスキー監督は不在で(映画でもその通り)、犯人たちに襲われていない。
現在も存命で去年も作品を出している。(少し昔の作品だが、戦場のピアニストはかなり話題になった作品)
しかも殺人犯とは何ら関わりがなく、以前に引っ越した住人と勘違いされて彼女らは殺された。監督らの素性は事件に関係がない。
この映画が救ってみせたのは監督ではなくその妻、シャロン・テートだ。
劇中でも説明される通り、当時売り出し中の女優で、監督との子供を妊娠中だった。
この映画ではシャロン・テートの魅力的な姿が何度も描かれ、しかし最終的にディカプリオが彼女の家に招かれる場面ではインターホン越しでのみ会話し、ディカプリオと同じフレームには映らない。
とても誠実な描写だと思う。
実行犯に殺害を指示したチャールズ・マンソンは額に鉤十字のタトゥーを入れているが、タランティーノは過去のイングロリアス・バスターズで憎きナチの額に鉤十字を刻んだ。(ちなみにこのナチ将校役の俳優がポランスキー監督の映画おとなのけんかで主演してる)
そしてイングロリアスバスターズでは「映画を使って」ナチどもを焼き殺したように、この映画でもマンソンの手下を「映画の小道具を使って」焼き殺す。
1969年は「ロックが死んだ年」ともいわれ、アメリカにとって大きな節目だったことには違いがない。
しかし監督のタランティーノは「ハリウッド監督」ではないし(アメリカ映画=ハリウッド映画ではないのがややこしい)、彼はハリウッドやアメリカなどメインストリーム以外の映画も浴びるほど見ていて、それこそ中国や香港や日本などアジアの映画に多大な影響を受けた人間である。
キルビルが急遽テイストの違う二本立てになったのも、チャイニーズ・オデッセイという香港映画の影響である。(チャイニーズ~は一作目がコメディで、二作目が恋愛もの)
(タラがオールタイムベスト一位に挙げている続・夕陽のガンマンもイタリア産のマカロニウェスタンでアメリカ映画ではない。ちなみに監督のセルジオ・レオーネが撮ったワンスアポンアタイムインアメリカも長いけど大変な名作。セルジオ・レオーネ監督の大ファンでもあるし、タイトルからもわかる通りタランティーノはかなり影響を受けている。~インアメリカについては、ラストのデニーロの微笑みの解説を見ると、また味わいが増す)
ブルース・リーの話が出てきたが、タラはキル・ビルでは死亡遊戯の衣装を真似し(何の説明もなく出てくる「カトーマスク」も、グリーンホーネットでブルース・リー演じるカトーがつけていたマスクのこと)、主人公ブライドの使う技はブルース・リーのワンインチパンチで、必殺技は(ブルース・リーに影響を受けた)北斗の拳の技のようだ。オーレン石井へ敬意を示す闘いは、ドラゴンへの道のチャック・ノリス戦を思い起こさせる。
キルビルで描かれる復讐や暴力の虚しさは、燃えよドラゴンでブルース・リーが奇妙な泣き顔で表現したのと同じものだ。
そして敵役のビルには、ブルース・リーのドラマ企画を奪った俳優デヴィッド・キャラダインを配している。
タランティーノは、そういう監督なのである。ちなみにブルース・リーの主演が叶わなかったドラマ企画が、ちょうどワンス~の時代の頃の出来事でもある。
ちなみに、キルビルが前後編になった元ネタのチャイニーズ・オデッセイの主演はチャウ・シンチー(少林サッカーが有名)であるが、彼もまたブルース・リーマニアだったりする。(ドラゴン怒りの鉄拳のパロディや、少林サッカーやカンフーハッスル等、ブルース・リーネタ多し)
少し脱線するが死亡遊戯という映画もまた、「ブルース・リーという俳優の死後に、彼が生きているかのように撮られた」特別な作品で、その点がワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドと共通している。
(すでに香港ではスターだったが)ブルース・リーもハリウッドでの売り出し中にこの世を去った人なのだ。(ワンス~劇中でシャロン・テートが自分の映画を見るシーンがあるが、ブルース・リーは燃えよドラゴンの公開やそのヒットを目にすることがなかった)
ちなみに作中で喧嘩していたブラピ本人もブルース・リーおたくである。楽しかっただろうなあ。(ファイトクラブでの物真似が彼のアイデアというのは有名)
あとワンス~作中のブルース・リーが調子こいてるのは、実際の彼がああいうキャラだったためでむしろファンとしては大喜びするポイント。(ブルース・リーの物真似をするときは、顎をしゃくって半目で相手を文字通り見下したように眺める。服のセンスも、実際にああいうチンピラのようなダサいファッション)
何より、タランティーノは「超」がつく映画狂で、大げさではなく映画から人生のすべてを学んだような人間だ。
あらゆる映画を吸収し、現実にはモテないスーパーボンクラだったくせに、(映画からの知識だけで)玄人好みの渋い「中年の恋愛映画」すら物にしてしまう監督である。
落ち目だった俳優を「自分が好きだから」という理由で起用し、劇的にカムバックさせたりと、フィクションの力で現実を変えたこともある。
(※ネタバレ注意:この俳優とはジョン・トラボルタのことだが、タランティーノの好きな某映画ではヒロインを救えず、せめて「映画の中だけで生かす」ことを選ぶ。言うまでもなく、ワンス~を思い起こす)
(というよりもともと映画そのものが、亡くなった俳優の生きている姿を見られるタイムマシンのような装置なのだろう。そういう評論はよく見る)
そして、前述のイングロリアスバスターズではユダヤ系の、ジャンゴではアフリカ系の観客の心を、荒唐無稽なフィクションで熱く揺さぶった。
ヘイトフル・エイトでは差別主義者と黒人の和解をそれこそ「フィクション」という小道具を介し、素晴らしい形で描いてみせた。
日本ではネタにされがちなキルビルも実に真面目な女性映画である。「五点掌爆心拳」などという冗談のような技で、男女の歪な恋愛関係を誠実に描いたのだ。この映画では男はみな弱くて使えず、女性は強く逞しい。
(タランティーノは「強い女性」を描く監督としても有名だ。殺人鬼の変態スタントマンが、女性スタントマンたちにボコボコにされる映画デス・プルーフも撮っている)
タランティーノはフィクションの虚しさも当然知っているだろうが、同時にフィクションの力を強く信じている人間でもあるのだ。
(ちなみにデス・プルーフの主演であるゾーイ・ベルはキルビルでユマ・サーマンの「スタント」をしていた女性で、ワンス~にも出演。例の「ブルース・リーとの喧嘩」で車を壊されたひと。死亡遊戯→キルビル→ワンス~と考えてみても面白い)
(ディカプリオについては、ある種かなり本人に近い役。若手時代から演技力が高かったのに、レヴェナントで受賞するまでアカデミー賞からは長年ずっと無視され、色んな人に揶揄されてきた。アカデミーに無視されてきたのはタランティーノも同じ)
もちろんワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッドは、ハリウッドやその他の「アメリカ黄金時代」への郷愁が詰まったお伽噺ではある。
中学の頃から聴いてて、社会人になって何年も経ってもまだ聴いてて、なんでこんなに心地いいんだろうと思っていたんだけど、
要するに、BUMPってほぼ唯一「許してくれる」アーティストなんだよな
活躍できない人を、ピークが終わった人を、夢を諦めた人を、夢の無い人を、大衆に迎合した人を、役に立たない人を、失敗した人を、その他大勢になってしまった人を、
そういう人を必ず見てくれてて、その存在を歌ってくれて、その上で頑張りましょう、でも、まだまだ大丈夫、諦めるな、でもなく、それでもいいよ、君は頑張ったよ、と慰めてくれるんだな
こういう歌詞があるんだけどさ、凄くない?諦めた事を否定しないどころか賞賛すらしてくれる。こんな人いた?
もっと言えば、
それが平常で不満もない
こんな風に「諦めた人の心情」に寄り添うと見せかけておいて、
心はずっと もうずっと絶え間なく叫んで
~
どこまでごまかすの 誰に許されたいの
~
求めない重ねない筈がない
これだよ。「諦め」を肯定して、その先にいる人の存在を認めたうえで、その上でやっぱり心のどこかでは諦めきれない、どうしてもそれでも理想の自分でありたかったと言う幼稚な感情をすら認めてくれて、
その上でやっぱりそれを許すんだよな、このBUMPって奴らはな。
で考えてみたら、
ランプもグングニルもグロリアスレボリューションもStage of the gorundもオンリーロンリーグローリーもギルドもSailing dayも才悩人応援歌も分別奮闘記もHAPPYもモーターサイクルもMerry Christmasも、
結局全部これ、この「許し」だったんだよな。そのことに何故か今日突然気付いた。
最近、格差がどうとかサービスがどうだとか、そういう話が以前以上に目に付くようになりました。
P各位がジャンルやアイドルを大事に思うからこその話なんだろうけど、そういうのって好感情の発信よりよほど目に付くし、そのジャンルに対する感情を悪いものにすると思うんです。
身内に向けて発信しているつもりなのかもしれないけど、鍵のついてないツイッターだとか、こういったブログは思った以上に見られるものだし、余計に新規さんを遠ざけていないかなあと心配になったりしています。
愚痴不平不満を言うな、という話ではありません。仲間内で言う分にはいくらでもしてくれていいと思っています。ただ、興味があったりキャラやストーリーを好きになった時に、ジャンルについてもっと知りたいと思って検索をかけたらそんな話ばかり出てくるのはあまり嬉しくないなあというだけです。ジャンルにいる人たちが怖かったり気持ち悪かったりしてジャンルにハマれないまま遠巻きにして終わる、ということが多々ある身として、今のSideMのPの発言は人を遠ざけないか?大丈夫か?という気持ちになることがそれなりの頻度であるのです。
検索して荒れた話題が目に付くジャンルって、外から見ると怖いんです。SideMPというかアイマスPは新人さんをものすごく歓迎する傾向にありますが、一方でジャンルに近付くのに躊躇する空気を作っていることもあることは少し考えてほしいなとも思います。
以上が発信したいことです。あとは蛇足です。
ここから先は言いたいように言ってるだけなので意味がわからないかもしれないことを最初に断っておきます。
知ったような口をと思われるかもしれませんが、私もSideMのP(というかアイマスP)です。ユーザー側の一意見です。
ただ、どなただったかが、現状に対する不満が大きくある層とそうでもない層がいる、と書いてらっしゃいましたが、私は「そうでもない」方にあたるのでしょう。
このままでいいとは到底思っていませんが、公式の動きに関して怒りを覚えたことはほとんどない、というのが実情です。許してないのはエムステのガシャの確率の件とアニメのトレス案件(円盤は予約しているので早く何らかの発表がほしい)くらいです。
私はSideMのPとしては事前登録から始まり、現在もモバエム、エムステをそこそこやっています。
担当は所謂セカライ組側にしかいませんがそれはそれとして全アイドルが好きな箱推しです。
ほぼ毎日ログインしていて、モバエムでは一度10位以内をとったり、直近だと先月100位以内をとったりしています。エムステもモバエムほどやりこんではないですが、担当イベは頑張って上位に入っています。SideMに対する課金額はサービス開始からこれまででゲーム円盤グッズなどなどを合算して100万程度なので廃課金とはいかないまでもそこそこのお金は払っているつもりです(うち半分以上はガシャ。あと交通費宿泊費などを加算すると150万くらいかなと思います。関東住みではないため、これまでのライブは現地に行ける時は全部遠征ですし、カフェのバースデープラン目当てに往復何万とかかけたりしているので)
モバエム初期の頃に担当がハブ枠になったこともありましたがイベストにはいるからいいやで流していました(Pとして担当に仕事をあげられなかったことは大変申し訳なく胃が痛いのですが、それはそれとして当時の自分のユーザー的感想としてはそんなところでした。始まったばかりだったし)
ローテの件も誰が来ても嬉しいタイプなので特に何も思っていませんでしたし、総選挙も嫌いではなかったです。
ファスライ組に担当はいませんがファスライもLV(現地落選した)見に行ってものすごく楽しんだし、アニメもおおよそ最初から最後まで楽しく見ていた方です。アニメ関連の円盤も全部買ったしファイブスターも昼夜LV見に行って楽しんできました。
でも最近、ローテとか格差とかが気になるようになりました。アイドルの活躍が云々ではなく、そのことで荒れるからです。
前は「やったー新しい情報だ!」で済んでいたところに、「ああこれまた荒れてしまうんだろうなあ」という気持ちで嫌な感情になることが出てきました。
元々不満がないままでサービス開始(2月の方)から担当の声帯発表があるまで個人的に楽しんでいたので、他の方の感想見たさにSNSに上がったら、ゲームが悪いとかハブがどうとかローテがどうとか格差がどうたらとか言われているのが散見されてだいたい2年以上越しに驚いたものですが、最近はそれ以上に荒れ模様が酷いなと思います。
楽しかった話が見たくて他のPの言葉を探しに出たのに、高確率で不満の言葉にぶち当たるのでイベント直後のレポ漁りですら憂鬱にさせられる時があり、なんだかなあと思って冒頭の言葉に至った次第です。公式が悪いと言われてしまえば感覚の違い上返す言葉は何もないことなのですが。夢物語的に言うのなら、みんな楽しくお仕事出来る土壌になればいいなと思います。
以上のことを書くにあたって、なんでこんなに溝を感じるのかな、と自分なりに考えてみました。
熱意の方向の問題かもしれませんが、「担当をプロデュースしたい」「担当に活躍してほしい」という気持ちに関して、公式に対する期待が大きい方が多いのかなあと思っています。
私が割とずっと楽しんでいるのは、アイマスって名前は大きいけど別に平等なジャンルではない、と元々思っていたからなのかもしれません。
アニマスから入ったのですが、当時Jupiterが好きになって担当したいと思って調べた時点でアイマス2の事件が最初に目に入りました。
Jupiterと一緒に竜宮小町も好きになって、どっちもプロデュースしたいなと思ってたんですが、件のアイマス2ではどっちもプロデュース出来ませんでした。
同じくしてアイドル枠から外された律子ちゃんの件もあるし、なるべく全員プロデュースできるのがいいなとおもって箱○版の無印アイマスを買いました。
(Jupiterはいつか違うとこでプロデュースできたらいいなあと思って、そしたらやっとSideMでプロデュース出来ることになりました。結局担当は別になりましたけど)
この時点ですでにプロデュースの差があったので、自分がアイドルに関われる度合いはキャラによって差があると認識してました。
加えて、デレマスの担当がまあ不人気めの子なんですけど(デレステのアニバボイスオーディションの時に、クラスのアイドルを最後に脱出するのは誰かチキンレースだなどと揶揄された面子にいたくらいです)、1年間Rの1枚もないようなガチで何もなかった年もあったし、総選挙は全投票権突っ込んでも中間にも最終にもいないのが当たり前みたいな状況の一方で人気キャラはガンガン上できらめいてるのがざらだったので、SideMでもまあそんなもんだろうと思っていたところがありました。人数の問題でもありますけど、ローテがどうって言っても、SideMは年に1以上はRカードあるしイベストに出るし充分前に出してもらえてるなって感覚でした。
こんな調子なのでアニメも発表時点で正直ドラスタがずっとメイン張って残り14ユニットは1ユニット1話ずつ出る程度かなと思っていたくらいです。アニメ生の時キービジュが複数ユニ出てきて思ったより出す気あるな!?と驚いていました。担当に関しては、デレ担当は背景に出ることさえなかったのでちょっとだけでも動いて喋ってくれてしかも貴重なアイドル前の姿を見れたので個人的にはいいかなという気持ちです。むしろ信号機が前にでないアイマスなんて冗談じゃないと思っているタイプなのでドラスタがちゃんとメインでよかったーと思うなどしていました。
もちろん私だって15ユニット版のReasonとかグロリアスロード欲しいな~って思っていたりはするし、候補生実装いつか全員実装してほしいな~とか、アニメ生の謎箱の担当版ほしいな~46人アニメ見たいな~とか、望みはいろいろあるんですけど、不満の形で言われていると「悪感情が発信されている」って面が目立ってしまって同意見であったとしても怖くなってしまうので、余計に溝を感じてしまうのかもしれません。
お疲れ様です。
最近SideMについて、自分がどう思っているのかよく分からなくなってきたので読みにくいけど整理するために書こうと思います。
便宜上、ファーストライブに出た6ユニットを「ファスライ組」、セカンドライブから出た残り9ユニットを「セカライ組」と呼びます。文章力ないし頭悪いのでクソみたいな文書ですけど許してほしい。
私は「彩」担当Pです。
M自体はリリース当初からやっています。どうでもいいですけどミリオンライブもやっていて、エミリーPです。まぁ和風が好きなんだな、って感じでお察しください。
格差、ヤバくない??
いやまぁ人気順とかなら全然嫌だけどまぁしょうがないよな、って思います。Pが自信持たないでどうするんだ、って思われるのかな、でも彩の人気は下から数えた方が早いのはやっぱり事実だと思ってるので。いやそんなことは関係ないんですけどね。
去年の幕張で、アニメ化が発表されて、隣にいた友人とめちゃくちゃ泣きました。担当が動く、その事実に胸がいっぱいで、Mを知らない友人にまで、アニメやるんだ、よろしくねと話したり。あれ、ミリオンは?と思わなくもなかったですけど、種ちゃん休業中でしたしね。歩幅が違うとか言われたのは未だによく分かりませんけど。
まぁそんな話は置いておいて、毎月アニメのキービジュアルの解禁、めちゃくちゃ楽しみでした。うちの担当、どんなふうになるんだろうとかワクワクしてましたね。
あまり覚えてないんですけど、途中から、このスピードだと全ユニ出ないんじゃ…と噂されてた気がします。まぁ結果その通りでしたね。ファスライ組のみのキービジュアルでした。
でもこの時私はまだ希望を持っていたので、メンバーの分け方のバランスは悪いけどデレアニみたいに2クールでやるのかな、とか思ってました。
円盤、7巻予定(EOJ除く)。アニマスは9巻、デレアニは10巻でそれぞれ2クール。あっこれMで2クールなんて予定されてないな、と。
気が付いたら段々とアニメにたくさん出ると信じていたセカライ組の言い訳の逃げ道が無くなっていったように思いました。
アニメが始まる少し前から、出たグッズはファスライ組のみのものばかり。書き下ろしも多く、あっもう差を出し始めてるの…?と困惑しました。
アニメが始まってからは格差、もっと広がるばかりでしたね。今でも1番きついのはやっぱり曲数差かもしれない。そういえば最終巻でまた1曲増えるらしいですね。アニメっていいですね、6曲も持ち楽曲が増えるなんて!と皮肉しか出てきません。不思議だなぁ。
内容の話ですが、追加ユニのLegendersとF-LAGS以外の13ユニのスタートは同じだったはずなんですよね。
セカンドライブで、そんな彼らも含めてこの15ユニット、これが315プロだと見届けていた私が見たかったのは、全員が同じスタートラインに立って頑張る姿でした。勿論人数的には無理でしょう。多すぎますから。だから、少しだけ、アイドルしている姿だけでも見られたら。
実際にオンエアされたのは、アイドルになる前の出演。
いやいやいやいや笑。えっ?なんでBeitと一緒にやった和太鼓ライブが彼らだけのものになってるの…?パラレルの話だと分かっていても、やっぱり理解出来ませんでした。アニメにメインユニットとして出られないだけではなく、イベントも彼らだけの仕事として剥奪?たった数ヶ月、声が付くのが遅かっただけでこんな仕打ちあります??
恐ろしいですね。FRAMEと彩にだけ関して言えば、ファスライ前に声は付いてたんですよね。CDは1ヶ月後でしたけど。
ファスライ組はファスライ組で、トレパクだったりで大変そうですし、CDのジャケやグッズの1部は、キービジュアル使い回しとかさすがに無いなとは思いますけど、トータルでみたらセカライ組の方が上回るのではないでしょうか…。文句を言うなと言われる方もいますけど、流石にこの状況で、沢山出てしまうのは許して欲しい。
ファスライ組のPに聞きたいんですけど、これ立場逆転しても今の様に文句言うなって言えますか?
下手したら2、3ヶ月はユニットのグッズが出ない。楽曲はSL+アニバの5曲のみ。書き下ろしロゴや香水、コラボが出ても自分の担当ユニットは参加なし。
そうやって格差広げられて、グッズ情報とかをみてもまたうちのユニットいないんだな、と諦めるのに慣れるの、おかしいよね。
そんなに言うならアニメ2期やればいいの?って思うかもしれないんですけど、先輩としてファスライ組が出てしまったのなら、セカライ組は後輩になってしまいますよね。我儘ですけど、やっぱり私は先輩後輩関係なく、同じスタートラインに立った彼らが見たい。まぁ運営ちゃんセカライ組嫌いみたいなので2期なんて絶対無いんでしょうけど。
そういえば、話また変わりますけど、サードでリーズンとグロリアスのことが話題になってましたね。全体曲みたいに歌うの?みたいなやつです。私はリーズンのみ聞いていて、グロリアス聞いたことなかったので、ライブで初めて聞いたんですけど、あれめっちゃいい曲ですね。
担当も歌ってたら絶対買ってましたし何回も聞く楽曲だったんだろうなぁと思います。
担当の居ないアニメCD買うの、案外辛すぎて、無理です。オリピとかは平等なので大丈夫ですけど、どうしてもアニメに出てすらいないのにね…ってなってしまうし、それを上回るほどのモチベーションもいつの間にかなくなりました。
同じだったはずなんですよね。担当ユニットが悪い訳じゃないのが分かっているから、Mを辞められない。まだ動きがあるって考えてしまう。脳内お花畑かよ。シナリオとかで爆弾投下してそれはおかしいよね、っていうことしてくれたらすぐに離れられるのにな。
せめて担当ユニットの楽曲6曲増やして楽曲だけでも平等にして!!お願い!!あとどんな展開でもファスライ組セカライ組がピリピリしないようにして……気を使われるのめちゃくちゃしんどいしこっちもこれ以上文句を増やしたくないから…。
整理できてるかな、出来てないかも。文章力なくてクソ長いね、草生えそう。もし引退するってなった時に、最後に出会わなければよかったと思うことのないコンテンツになりますように。
吐き出す先がほしくてちょろっとだけ。
私はアルテ、彩、レジェ担当のPです。そう、世間でいうとこの「セカライ組」「後発組」に担当が集中している。
最近よく「ファスライ組ばっかり」だとか「グロリアスロードはファスライ組の歌詞なのにセカライ組が歌うの違和感」とか、そんな意見をよく聞く。その度にファスライ組のPさんたちが肩身狭そうにしてるのも知ってる。
なんで?て思う。
私の担当はセカライ組だけど、グロリアスロードを歌ってくれて嬉しくて泣いたクチだ。それは、アニメという素晴らしいものに関われたからの涙とかじゃない。だってアニメにいたし。(見切れじゃんとかはあんまり気にしてないし、15ユニットもいる中でまとめるにはああするしかないだろうし、それで私の担当がどうなるとかは全く思わない)
「We are going GRORI@S ROAD」……私の担当もまた輝く道を進んでいるのだと再確認できたからだ。
私はアイドルマスターSideMが好きで、全ユニット、全アイドルが大好きだ。だからアニメもライブもゲームも全力で楽しんでるし、Pの方々も大好きだ。思うところが全くないとは言わない。でも、私はファスライ組の活躍も涙が出るほど嬉しい。
多分私自身がすごく鈍感で何も考えずに楽しんでるからだろう。だから、別にこの文で何か伝えたい訳ではないし、ただの吐き出しだ。
ただ受け入れるだけがファンじゃない、ファンなら意見はちゃんと述べなければ。
ごもっとも、その通りだと思う。でも、その意見が総意な訳でもないはずだ。
(そんなこと、多分Pさんたちはよく理解していらっしゃるんだろうけど)
担当はいるが、私にとって315プロは全員「うちのアイドル」だ。そのアイドルたちが輝きまくっていることが、私の希望で誇りだ。
担当が遅かった?曲数少ない?
まあ主役は遅れてきますからね!!!!!!!!!!!!うちのアイドルはみんな最高なんだから担当も最高に決まってるでしょ!!!!!!!!!!!!!!!
(本当にまとまりないけどチラシ裏だと思ってください)
BUMP OF CHICKENというバンドがある。chikenではない。このバンドのファンだったおかげで、中学生の頃の英単語のテストでスペルを正しく覚えることができた。そういう意味では学業に貢献しているバンドであると言える。
俺は中学の時にCD貸してくれたやつがいて、そっからハマっていった。
そっからまあ色々あって、車校でたまたま知り合った奴らとBUMPのコピバン作ったりして、ライブハウスで歌ったりもした。すまん嘘だ。俺はドラムだったから唄は歌ってない。ライブハウスでポコチャカやったりしていた。
もちろん、ライブにも行った。ファンから「チャマ」って呼ばれてるベースの人(直井さん)がいるんだが、ずっとピョンピョン跳ねてんの。ずっと跳ねてて演奏できるんだから、やっぱプロすげーなとか思った。あと同じドラムスとして、ドラムの升って人に注目してたんだけど、MCとかでも全然しゃべらなかった。無口なのか。
で、ライブ行ったりすると分かるんだが、BUMPって熱狂的なファンがメチャクチャ多い。他のバンドのライブにも何度か行ったし、他のバンドにもそりゃあ熱狂的なファンはいるんだろうけど、BUMPはちょっと多すぎだろってぐらい多い。俺が行ったライブ会場では、終わった後に「フジくん(※ボーカルの藤原さん)の声がきけたよぉ~」「藤君ありがとう~」とか言って泣いてるやつメッチャ多いの。泣くとかじゃなくて号泣。こう言っちゃ何だが、宗教の信者ってこんな感じなんだろうなって思った。その後ネットで「ファンが痛いと思うバンド」堂々の1位を取ったという事実を知り、さすがの俺もちょっと泣いた。・・・ウソである。涙なんか見せないんだから!
(※現在はさすがに挙がってないと思う。調べてないが。当時は他にRADとかエルレとかの名前もあった。両方好きだった俺はさらに泣いた。)
まぁだから、ネット上とかで宗教戦争かってぐらい荒れてるのよ。もう完全に荒野ですよ荒野。「ヒャッハー!」とか言ってモヒカンが新参のファンから種もみを強奪とかしてんの。なんだよそれ世紀末救世主伝説かよ。藤君はケンシロウかよ。でも聖飢魔IIはサイコーだよな。お前も蝋人形にしてやろうか!
いやもちろん良識のあるファンが多いって事は知ってる。黙々と子供たちの為に井戸を掘ってるババアみたいな聖人も多い。嘘つけお前、お前のようなババアがいるか。違ったそっちは聖人じゃなかった。ラオウの手下だった。井戸掘ってるのはトヨだった。バット最後だ、母さんと呼んでやれ・・・。母さ~~~~ん!!(号泣)
まぁ読んでもらってだいたい分かってもらえたと思うが、良識のあるファンは多い。
そんな中、迂闊に「BUMP OF CHICKENの好きな曲」なんてものをネットに書こうものなら、火薬庫で火遊びしてるほうがまだ安全である。それどこのバルカン半島だよ。第一次世界大戦勃発かよ。
俺がもし「BUMP OF CHICKENの好きな曲」なんて凶弾をサラエボ事件よろしくネットにブチかますと、世界大戦は起こらないかも知れないが、即座に「はい開示」→「自宅本名特定」→「コラ素材化」→「一生ネットで晒し上げ」のKRSW弁護士コンボをキメられる事はほぼ確実であり、それを避ける為にもBUMPファンは皆一様に口をつぐみ、例えBUMPファン同士の交流の場であったとしても、暗黙の了解のうちに「BUMP OF CHICKENの好きな曲って何?」等という愚かな問いかけはしない。そんな問いかけをした途端に、指をパチンと鳴らし「そいつはオフパコの為だけに参加したエセ野郎だ、連れていけ」と、部屋の外に引きずり出される光景を俺は何度も見てきた。ああはなりたくない。・・・ウソである。俺も何度か引きずり出された。
そんなこんなで、全国に数多存在しているであろうBUMPファンは、息を潜めつつ各地に潜伏している。
諸君!BUMPを心から愛する良識あるファンの諸君!!諸君らはそんな事でいいのか!!真に良識あるもの、優良たるものが虐げられ、悪逆非道の限りを尽くす浅薄な似非BUMPファン気取りが跋扈する、そんな世界でいいのか!!!
否!!断じて否であるッ!!優良が蟄居し、劣等が跋扈するこの世界は、剛毅果断、改革されねばならない!!彼ら劣等は、諸君ら優良による支配でのみ安息の日々を得れると言う事実に、気付かなければならないッ!
奴ら蒙昧な愚民共が自ら気付くことができないというのであれば、我々優良の手をもってして、奴らの蒙を啓いてやらねばならないッ!!(唾を飛ばしながら)
・・・ああ、こうやって扇動する奴がいるから、世界は戦争になるんだなあ、と一瞬だけ考えた。三歩歩いたら忘れた。歩きながらこれ書いてる。・・・ウソである。実際には家でダラダラしながら書いてる。
それにつけても、BUMPの話がしたい。BUMPの好きな曲とか好きな理由とかを思いっきり書きなぐって、
「お前こんなの好きなのかよ!分かってねーな!」
「じゃあお前はどんな曲が好きなんだよ!」
「pillowsのカバーじゃねえか」
「違いますぅー、ミスチルのカヴァーですぅ~。ってか君、『カヴァー』の発音悪いね」
とかやりたい。でも個人を特定されるのは避けたい。あとカバーの発音とかどうでもいい。日本に20年以上住んでる米国人の知人は、日本語で会話するときは日本人と同じ発音で話してた。俺が「外人ってさ、日本語で話す時にもっとガイジンっぽく発音しないの?トマトをトメーイトゥ、とか、タマゴをタメーイゴゥ、とか」って言ったら、怪訝そうな顔で、「タマゴは日本語でしょ?」って言われた過去を思い出した。・・・ウソである。出典はネットのコピペで、俺の実体験じゃない。
・・・と言う訳で、俺の「BUMP OF CHICKENの好きな曲」を書いていく。理由も書く。ランク形式にしたほうが「なんで〇〇が10位なんだよ!ふざけんなよ!」等とより世紀末っぽくなるかなとヨコシマな考えが浮かんだりもしたが、途中まで考えてやめた。漫画とかゲームとか映画とか、よく個人ブログで「本当に面白い、私のオススメする漫画ベスト100ランキング!」とかやってるけど、71位と72位の差がどこにあったのかが気になって夜も眠れなくなった事があったので、ああいうのは本当に止めて欲しい。あとこういうアフィリエイトが目的なだけの互助会クソブログがGoogleのランキング上位にあがってくるのが本当に害悪でしかないし、そういうブログエントリに限って中身が薄い。サジェストも汚染されるし、あれで得するのって金儲けしてるクソ互助会連中だけじゃねえか。こっちはただ単純に面白い作品知りたいだけなんだよ。あと順位は固定なのかよ。変動しないのかよ。年月とか気分とかでそんなもんいくらでも変わるだろ。互助会連中もブクマで「参考になりました!」とか「いつも素晴らしい記事ですね!」とか、お前らそれしか言えねえのかよ。せめて「〇〇好きなら、ランキングにはないですが△△もオススメですよ!」ぐらい書いとけよ。amazonのアフィリンクでも添えてくれればゴミ度合いが増して尚良し。
BUMPは隠し曲も含めてほぼ全部好きなので、現在音源がリリースされてる全ての曲の好きなところとかを書いても良かったんだが、冒頭の「俺とBUMP」にちょっと行数を使ってしまったので、5曲ほど書き連ねたい。
■リトルブレイバー
BUMP OF CHICKENというバンドがインディーズレーベルでデビューした際のアルバム、「FLAME VEIN」の中の1曲。
映画や音楽業界では、よく「デビュー作品には、すべてが詰まっている」と言われる。完全に首肯する訳ではないが、何かのきっかけがあってファンになったアーティストの作品群を聴いていくと、「これいいな」って曲がデビューCD収録の曲って事はまれに良くある。
バンドでも映画でも漫画でも、「表現手段として自分にはこれしかないから、これで発表した」っていうのはあるんじゃないだろうか。別に「カネ!名誉!オンナ!」が動機でも作品が良い物であれば一向に構わないのだが、特に若い頃って「なんだかよく分からんがとにかく俺はこんな感じのなんか俺的にスゲェイケてる何かをやりたい!!」みたいな、思春期特有のモヤモヤとかがあるじゃん。
で、行動力があるやつはモヤモヤしてるだけじゃなくて、実際に行動する。液タブ買ってきてpixivに絵をアップしたり、大学の映研に入って自主制作でなんだかよくわからん作品を撮ったり、楽器もできやしないのにバンドを組んだりする。そんな感じだから、初期のころの作品にはその人の「やりたいこと」が詰まっている、という理論は分からなくもない。
BUMPも御多聞に漏れずそんな感じだ。今リトルブレイバーを聞くと、最近の楽曲と比べて演奏技術面での拙さが目立つ。だが、そんな事はお構いなしに、BUMPの、メンバーの、藤原の、「俺の曲を聴いてくれ!」って感じが伝わってくる。後発の「グロリアスレボリューション」あたりの楽曲でもそうだが、原始的と言うかなんと言うか・・・。英語だと"primitive"って単語が一番しっくりくるが、聴いていてとても心地良い。
■リリィ
インディーズ2枚目のアルバム「THE LIVING DEAD」の中の1曲。
BUMP藤原の書く歌詞は各方面から好評を多々得ている。(ちなみに、BUMPの楽曲はほぼ全て藤原が作詞作曲している)曰く、山田かまちの再来だとか、叙事詩的であるとか。ミスチルの桜井さんも、「メンバーに入れて欲しいぐらい好きだ」と公言している。
BUMPの曲(歌詞)には、「モノガタリ的」なものがいくつかある。ストーリーラインのようなものがあって、登場人物的なものがあって、結末がある。「モノガタリ的」なBUMPの曲で一番有名なのは「K」という曲だろうか。Youtube等で、有志の作成した動画を見た事がある方も多いのではなかろうか。公式では「カルマ」という曲は人形劇としてリリースされているが、こちらもモノガタリ的な曲として挙がることが多い。くそっ、それにしてもニコル見つからねえ・・・。
そういった点から、「叙事詩的」と言われることも多いBUMPの楽曲の中で、俺がオススメしたいのが「リリィ」だ。
ストーリーラインはこうだ。バンドのボーカルっぽい男と、その彼女らしき女性の話。男には色々と苦悩があるようだ。
これが藤原自身の話かどうかは知らない。
続きは歌詞を見ながら聴いてもらえばいいとして、この曲の中で俺が良いなと思っている点は、「歌詞が荒い」「言わない」の2つである。
まず「歌詞が荒い」点。「出てこい!ウソツキめ!」とか、「ブチまけた」とか、最近のBUMPの楽曲ではなかなかお目にかかれない荒々しい歌詞が並ぶ。これが男の苦悩している様子が伝わってきて良い。もっと言ってしまうと、伝わりすぎて辛い。対する女性側に関係する歌詞が終始穏やかなのも対比としてより一層深く伝わってくる。
もうひとつの「言わない」点は複数ある。例として歌詞をいくつかあげるが、JASRACさんお願いですから個人の特定とか使用料の請求とかやめてください。何でもしますから!
膨れたポケット 裏返すとホラ 出てくる弱音の数 一日分想像つくかい?
「実際に弱音という物質がポケットに入っている事態は想定し難い」とか、そういう部分はどうでもいい。「お前に俺のポッケに入ってる一日分の弱音の数が想像つくか?」という問いは、「弱音が多い」という事である。だが、「弱音が多い」とは言っていない。まあ比喩表現のある歌詞なぞ世界にゴマンとあるだろうが、藤原の書く歌詞は、(特に叙事詩的な楽曲において)絶妙なシラブル数と相まって、いわゆる「世界観の構築」に一役買っている。
強がりの裏のウソを 放った ブチまけた
終電を告げる放送 慌てて掛けて行く人 右手に君の左手 もう放さなきゃ
「ブチまけた」後、場面がいきなり「終電を告げる放送」になる。その間に何があったのかは言わない。
思うに、日本語と言う言語は表現力に優れている。同じような事でも、微妙な差で違う表現にする。おそらく皆は普段は気にしてないだろうが、「見る」という表現だけでも、「見つめる」「眺める」「観る」「見上げる」「見渡す」「見通す」など多岐にわたる。こと表現力という方面において、日本語に比肩する言語はそうないだろう。
■Stage of the ground
メジャーデビュー1作目のアルバム「jupiter」の中の1曲。
一般の人に「BUMPと言えば」と問うと、「天体観測」という答えが多く返ってくるかと思うが、当時は「天体観測」で爆発的ヒットを飛ばしたインディーズバンドが移籍し、メジャーデビュー後に満を持して放つ渾身の1枚!って感じだった。・・・らしい。
「らしい」というのは、当時の俺はBUMPどころか音楽を全然聞いてなくて、ずっとポケモンばっかやってたからである。この話は熱心なBUMPファンから聞いた話なので、当時の「世間一般の」空気感としては間違ってるかも知れない。でも、そんな俺でも一応「天体観測」という曲があって、英会話講師並みにオーイエーアーハンって言いまくっているというのは知っていた。一応補足しておくと、「天体観測」もjupiterの中に入っている。
BUMPの選ぶ言葉には「jupiter」「天体観測」「COSMONAUT」「プラネタリウム」「orbital period」等、宇宙的な・・・もう少し正確に言えば、「宙的な」用語が多く並ぶ。ここまでアピールしておいて宇宙が嫌いという事はないと思うが、「Stage of the ground」をそう言った視点で聴くと、なかなかに味わい深い。
この曲は藤原の友人に子供が生まれて、その記念か何かで作ったらしい。自分がその子供だったらメッチャ嬉しいが。
それはともかくとして、宇宙である。「夜空の応援席」「あの月も あの星も」など、宙を想起させる歌詞が詰まっている。「那由多に広がる宇宙」とあるが、那由多というのは万とか億とかの「数の単位」の一種である。他には「恒河沙」「無量大数」とかもある。「1那由多」で、1の右に50個だか60個ぐらいゼロがついてるぐらい大きな数字、それが那由多なのだが、一説によると、こういった数字の単位は古代の人々が「星の数を数える」為に用いた、という説がある。
友人のエピソードや、那由多という単位の事などを思いながら聴くと、なんだか自分が宙に浮かんで地球を見下ろしているような、そんな不思議な気分になれる。もちろん、そんなエピソードを知らなくても、藤原の優しさと言うか、応援している気持ちと言うか、よくある表現で言えば、「聴いていて元気になれる」曲。
■Hello,world!
「そういえばシングル曲全然紹介してないな」と思ったので。あと昔の曲が多いんで、最近の曲の中からという事で1曲。
シングル曲だが、「Butterflies」というアルバムにも収録されている。最近放送された「血界戦線」というアニメのOPテーマとして放送されていたので、聴いた事のある方も多いのではないだろうか。
さて、皆さんは「Hello world」を知っているだろうか。「何言ってんだコイツ頭おかしいんじゃねえのかBUMPの曲だろ?」と思われるかもしれないが、とある業界において、この言葉は特別な意味を持つ。それは、プログラム業界である。
本職のPGやcoderの方々からは「何だよプログラム業界って。そんなのねーよ」と言われるかもしれないが、まあとりあえず聞いてほしい。プログラム言語というのは本当に数が多くて、「プログラムを書いてご飯を食べている人」でも、仕事で書くのは2言語か3言語ぐらいである。就職時の面接で「10言語書けます!」という奴は信用してはいけない。雇った後にクソみたいなコードを書いた挙句CVSをグッチャグチャにしてある日突然遁走するのがオチだ。雇ってはいけない(戒め)
だが、仕事ではなく、趣味でいくつかの言語を使って書いているという人もたくさんいる。逆に仕事上に必要に迫られて、新しい言語を習得するハメになる人もいる。Swiftとかの比較的新しい言語なんかは当然そうなるケースも多い。まぁプログラム言語を習得する動機は人それぞれなのだが、覚えたてのプログラム言語を使って一番最初にやる事が、「Hello world」である。嘘ではない。詳しくは以下を見ていただきたい。
https://ja.wikipedia.org/wiki/Hello_world
ともあれ、「Hello world」には意味がある。それはつまり「『世界』に初めて降り立ったものが発する言葉」である。あのビルゲイツも、twitterアカウント開設時の第一声は"Hellow world."だった。それほどに歴史と伝統ある言葉であり、作法なのだ。
ここでBUMPの「Hello, world!」を改めて聴いてみる。
ご自分だけがヒーロー 世界の真ん中で 終わるまで出ずっぱり ステージの上
どうしよう 空っぽのフリもできない
さあ目を開けて 君は強い人
その目が見たから すべては生まれた
世界は終わる。だが、また新しく生まれる世界もある。いくらでも生まれてくるのだ。よく自殺報道が取り上げられたりしているが、とても悲しい。自殺なんてせずに、そんな世界は終わらせてしまえばいいのだ。「世界を終わらせる」手段は自殺なんかでは断じてない。
世界をはじめよう。そして、その新しい世界で、高らかに叫ぼう「ハロー、ワールド!」と。
藤原は特にそんな事を意識してないだろうが、俺はこの曲を聴いてると本当に勇気が出てくる。
■バトルクライ
もう5曲目かよ。早いよ。まだまだ書き足りねえよ。あと20曲は書かせろよ。って言うか、ここまで読んでくれてる人ってあんまりいないような気がしてきた。あまり長くなると読むほうもダルいだろうし、もし他に書く時があれば、そん時は別の増田で書くわ。
とりあえず5曲目を紹介する。これは記念すべきBUMPのデビューCD「LAMP」の中に収録されていたのだが、LAMPが廃盤となった為、急遽「FLAME VEIN」を「FLAME VEIN+1」と改題し、バトルクライを追加したという話がある。そのせいかどうかは知らないが、歌詞カードに歌詞がない。何も知らない人からすれば「???」となること請け合いである。(歌詞はCDトレイの下に書かれている)
デビュー作なので、「リトルブレイバー」で触れた通り、演奏技術に関してはかなり未熟である。だがBUMPにとってそれはマイナスではない。粗削りだが「バトル」であり、「クライ」なのだ。
この曲も叙事詩的である。「自分に嘘をついたが、その嘘が本当になったんでまだ頑張って歌ってる」奴が出てくる。藤原本人かどうかは知らない。仮にそうだったとしても、インタビューでは「いや、あれは別に・・・フィクションとして聴いて頂ければ」とか言うだろう。俺ならそうする。
ともあれ、まだ頑張っているその男は、戦っている。何と戦っているのかは知らない。そして叫んでいる。
ずっと強がってんだ 強がって またウソついて
ひとつのウソにさえ縋る僕の そのウソが 誓いに変わる
BUMPの唄には「応援するスタンスの曲」が割とある。「才悩人応援歌」というド直球の題名の曲などもある事にはあるが、だいたいは「応援している」という明確な意思表示はしていない。先ほどの「才悩人応援歌」だって、歌詞中には「応援」という単語は出てこない。
藤原の書く歌詞世界は、概ね「俺はやってるぞ、さあ、お前はどうなんだ」的な、言葉で語らず背中で語る的な世界観の楽曲が多い。歌詞がある時点で「言葉で語ってしまっている」のだが、明確な意図・意志は常にボカしている印象だ。「バトルクライ」では、そんな藤原の「藤原節」とでも言うべきケレン味が存分に味わえる。
実は、冒頭に書いた「中学の頃に友達が貸してくれたCD」がFLAME VEIN+1だった。当時は音楽なんかに全然興味がなくて、どっちかって言うとポケモンばっかやっていた思い出しかない。そんな俺に「絶対ハマるから!いい曲だから!!」と執拗にすすめてきた級友を当時は大変疎んだものである。今では素晴らしいバンドを紹介してくれてありがとうという感謝しかない。
当時は全く興味もなかったし、聴く気もサラサラなかったのだが、諸事情があって結局俺は家にCDを持ち帰って聴くことになった。中学当時の俺が聞いても下手である。「あいつ、こんなバンドすすめてきやがって・・・こいつらの何がいいんだ?」とポケモンやりながら思っていたが、「バトルクライ」を初めて耳にした時、頭を撃ち抜かれたかのかと思った。
俺はGBAの電源をすぐに切った。セーブしてなかった。まあ厳選中だったんでどうでもいい。とにかくこの曲だ。この曲はヤバい。人の頭を平気で撃ち抜く危険物だ。
危険物として「セックス、ドラッグ、ロケンロール」の3つがよく挙がるが、なるほどよく理解できる。この曲はROCKだ。俺は未だ「ロックとは何ぞや?」という問いに回答できる自信はないが、これだけは断言して言える。
BUMP OF CHICKENの「バトルクライ」、この曲は、ロックだ。
そういう事情もあって、俺の中で「バトルクライ」はちょっと特別なところに位置している。勇気が欲しいとき、悲しいとき、気分を切り替えたいとき、ヒマなとき、ノリノリになりたいとき、戦いに赴くとき、誓いのとき、大事な時。
俺はいつもバトルクライを聴いてきた。ただそれだけの、まあだいたいそんな感じの曲である。
◆(隠し曲)星のアルペジオ
BUMP OF CHICKENの出すCDには、恒例として「隠し曲」という概念がある。
CDプレーヤーだと色々複雑な手順な必要らしいが、iTunes世代からするとあまり意味はない。(ただ、無音部分が50分ほどあるせいで曲の長さが異常に長いケースがあったり、ダミートラックが大量に生成されたりするので、知識のある方はmp3やAACの無音部分はカットしたり、ダミーを除去したほうがいいだろう。)そんな隠し曲の中から1曲。シングル「車輪の唄」の中に隠されている。
隠し曲は、普段のBUMPの楽曲と比較した場合、全体的にネタ的な要素が多い。メンバーも(ちょっと違う方向に)ノリノリでやっている。ライブではほぼ演奏されないが、「DANNY」という隠し曲だけはまれに演奏されることもある。
この曲はクリスマスソングなのだが、恋愛要素はない。というか、この曲の主人公である「ある男(BUMPメンバーの誰かだという噂がある)」は、12月24日に自宅でクリスマスパーティーの準備をしているのだが、呼んでいた人が誰も来ずに、一人待ちぼうけている様子を歌っている。巨人の星のアニメで似たような展開があるが、その時の星飛雄馬は机をひっくり返し、準備していたケースをグシャグシャにして泣き崩れていた。この曲の「ある男」がその後どうなったかが気になる人は、是非各自で音源を聴いてみて欲しい。
メンバーの実体験を基にしているのかどうかは定かではないが、妙に感情がこもっていて涙無くしては聞けない1曲となっている。繰り返すが、BUMP OF CHICKENのギター担当の増川さんとかは一切関係ないので、奇妙な詮索はしないように。