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はてなキーワード: 復讐心とは

2021-11-01

現代政治運動における嘲笑効果戦略

政治運動において敵対者への嘲笑時代地域を超えて普遍的である

SNSにおいても、特定政治家のみならず支持者や大衆への嘲りは、もはや見飽きた光景だ。

だがその効用は明らかとは言い難い。

嘲笑することは一見敵対者への攻撃にはなるが、第三者の反応はまちまちだ。

一緒になって攻撃するか、逆に攻撃者への批判を呼び起こすか、そういった争い自体忌避して場を立ち去るか。

とくに、最後効果、つまり政治自体忌避させる原因を、政治運動における嘲笑帰結する分析もある。

支持を拡大するという目的マイナスにもなりうるのにも関わらず、なぜここまで嘲笑が溢れているのだろうか。



社会学において支配関係類型化した初期の学者であるマックス・ヴェーバーは、政治運動上層部運動員に与える精神報酬ひとつだとしていた。

選挙活動などの強力な支配行動に人々を動員するには当然、従わない人間よりも多くの報酬必要である

しかし、(とくに猟官制の廃止された後の)民主主義では、大衆を動員するときに直接的な経済的見返りを与えられない。

それ故に様々な精神的見返りを与えることが必要であり、「嘲笑のための大義名分」がそれにあたるのだと。

この描像だと、嘲笑あくま精神的な見返りのひとつであり、怒りや復讐心の発散なとど同列とされ、そこまで重視はされていない。

政治家トップダウンで操る戦術オプションとして扱われている。



現代的な心理学の描像だと、嘲笑もっと政治に直結したものだとみなされる。

そもそも、「笑い」という行為や付随する情動は、自他の思考や行動の間違いを指摘するために獲得されたと考えられている。

人は、社会的に正常な状態だと思いこんでいた状態が間違っていると発見したとき、その気付きに対して笑う。

自分が間違っていたと自分で気づいた場合には行動を改めるだけだが、重要なのはこれが仲間に、かつ攻撃的に向けられたとき(すなわち嘲笑)だ。

期待されている効果は、間違っていた人間が態度を改め、仲間に従うことだ。

だが、仲間の「間違い」に気づいたとしても、実際に正しいのは自分なのか、相手なのか。それはどうやって決まる?

社会的な正常さを決めるのは、群れの政治力学だ。人間原始的社会は単純な多数決でもないし、かといってリーダー強者による完全な序列制でもない。

たとえば、強く序列が高い人間の笑いには追従の笑いをもたらす効果がある。これによって周囲から笑われた人間は態度を改める。

しかし、リーダーが明らかに間違っている場合には、群れの全員から嘲笑され、リーダー側が反省を強いられる場合もある。

場違いな場面で他人を笑った人間が、逆に間違いを笑われることもあるだろう。

このように、嘲笑とは複雑な政治行為の最も原始的な発露であり、人間特有の行動である



無論、現実、とくにSNS上の政治言論における嘲笑はこの2つの描像の中間にあるというのが実際のところだろう。

特定政党政治家言論人が嘲笑行動を種々の政治目的扇動する場合もありうる。

そういった目的を持たない、無意識の笑いが政治シーンに影響を与えることもある。

もちろん、この無意識なかに個人政治信条も含まれている。

ただ、そういった背景を無視して効果だけを見れば、ひとつほぼ明らかな事実がある。



嘲笑多数派を固めるためだけに有効であり、それ以外の場合には逆効果になる、ということだ。

集団的に行われる嘲笑は、味方には精神報酬をあたえ、仲間関係確認し、支持を固めて動員する効果がある。

また、怒って反応する敵対者あぶり出し、敵として認定することもできる。

日和見派のうち気の弱い人間には追従笑いを引き起こす。彼らはすくなくとも言論の場では逆らわないことが期待できる。

そして、何よりも重要なことに、それ以外の無関心層を遠ざける効果がある。

これによって、多数派勝利を確定させる一方、少数派にとっては確定するのは敗北となる。


さて、ここから考えると、もしあなたがすでに多数派だとわかっている場合だけ、集団嘲笑戦略をとるのが合理的である

という非常に単純な戦略しか導かれないように思われる。

だが現実には、少数派が集団的他人嘲笑し、かえって袋叩きに合い、劣勢を固めてしまうという現象はありふれている。これは何を意味するか?

まず、自分多数派か少数派かを判断するのは、大半の人間には難しい。

社会調査などの客観的指標でなく、周囲の人間意見を重視してしまバイアスは容易には逃れがたい。

次に、感情を抑えてまでマクロ合理的政治行動を行うほどのインセンティブ個人にはない。

感情進化的な意味では合理的であったとしても、それは過去環境適応したものであり、現代政治における合理性とは相容れない。

これらはそもそも戦略的に振る舞えない個人がいるという問題だ。



が、真に重大なのは、この理由により「少数派に属している時、味方が嘲笑という不合理な選択をとりうる。そしてそれに対する良い戦略がない」ということだろう。

その味方は自身多数派だと意識的あるいは無意識に考えている。

嘲笑追従しないことは、対象孤立させるシグナルとなるし、たしなめたり批判したりすれば敵対行為だとみなされるだろう。

よって追従することが局所的には合理的だが、それにより嘲笑は拡大し、多数派敵対者日和見派の目にとまり、敗北を拡大することに貢献してしまうのだ。



この問題にたいする回答は筆者の力量では思いつかない。

SNS上において政治言説をひろめたい、政治的に少数派であると考えている人々は、この現象対応する戦略を考案する必要があるだろう。

2021-09-27

竈門炭治郎が気に入らない

鬼滅の刃アニメも全部見たし映画劇場で見たし原作は電書で全巻読んだしたぶん鬼滅の刃という作品は好きなのだろう。

それでも、竈門炭治郎の描かれ方が気に入らない。

他のキャラクターはみんなそれなりに人間臭さがあるのに、炭治郎だけピュアすぎる。

年齢設定しらないけどまあ10代だろ。

だったらもっと心にドロドロしたものを持っててもおかしくないのにそういう描写がない。

鬼舞辻無惨への復讐心がそれなのだとしても、描かれ方が真っ直ぐすぎる。

劇場版であった炭治郎の心の中の描写かに、そういうものがない。

ただただキレイさを強調するだけ。

あのシーンだけシラケた。

2021-09-15

暴走爺を刑務所禁固することで得られるものis

暴走爺が禁固5年で控訴せず謝罪言葉を述べたらしい。

遺族の要望を聞き入れた感じらしい。

 

しかしはっきり言ってあれは認知能力がもうアレだろ。

あの爺が人を轢き殺した件の責任は爺ではなく周りの人間にあると思う。

子供のやったことは親の監督責任であるのと同じで。

 

あの爺をムショに叩き込んで獄死させることにどのような利益があるのか。

遺族の復讐心責任所在を求める気持ちだとしてもそれは爺の子供に向けるべきではないのか。

金持ってそうな爺の資産をかっぱいで遺産を無くしたり、

認知症爺の監督責任があるだろって訴訟を吹っ掛けたり、

子供相手にやる方が手応えもあるし道義にも叶うはずだ。

 

別に年寄りがかわいそうにとか言ってるのではなく

認知能力死滅してる生物処罰復讐をする意味がわからない。

復讐心というもの自体もアホらしい気がするけど特に90歳の健康状態もよくない動物に?

なんの意味があるんだろう···。

 

慰謝料たんまりとるほうがスカッとするし実利があるし(嫌がらせがしたいとすれば)相手一家へのダメージ大きいし

と思うんだけど。

 

なんなんすかねああいうの。

2021-09-06

原始人がネックレスをつけた理由 パート5

戦争戦利品

チンパンジー部隊狩猟採集民の文化では、暴力による死亡率が現代文明よりもはるかに高い。これは、少なくともチンパンジーとの共通祖先にまで遡ると思われるが、チンパンジー軍隊も常に戦っていた。

戦争には、殺し、傷つけ、拷問し、誘拐し、レイプし、そのような運命を避けるために貢ぎ物を強要するなどの行為が含まれていた。隣接する部族同士が戦争をしていないときは、一方が他方に貢ぎ物をしているのが普通である。貢ぎ物は、同盟関係を結び、戦争規模の経済を実現する役割も果たした。ほとんどの場合、それは勝利者にとって、敗者にさらなる暴力を振るうよりも有利な搾取形態であった。

戦争勝利すると、敗者から勝者へ即座に支払いが行われることもあった。多くの場合、これは熱狂的な勝者による略奪という形で行われ、敗者は必死収集品を隠した。また、定期的に貢ぎ物を要求されることもあった。この場合には、敗北した部族の財やサービス供給能力と勝者の需要を一致させるような、精巧現物支給スケジュールによって、三重の偶然性を回避することができたし、時にはそれが実現した。しかし、このような解決策であっても、原始的貨幣はより良い方法提供することができた。つまり共通価値を持つ媒体として、支払い条件を大幅に簡素化することができたのである。これは、条約の条件を記録することができず、暗記しなければならなかった時代には非常に重要なことであった。イリコ連合使用されていたワンパムのように、収集品が原始的記憶装置役割果たしている場合もあり、そのままではないものの、条約の条件を思い出すための補助として使用することができた。勝者にとっては、収集品はラファー最適値に近い形で貢物を集める手段となった。敗者にとっては、収集品を隠しておくことで「過少申告」が可能となり、勝者は敗者がそれほど裕福ではないと信じて、要求額を少なくすることができた。また、収集品の隠し場所は、熱狂的な貢ぎ物収集者に対する保険にもなった。原始社会の富の多くは、その秘密性の高さゆえに宣教師人類学者の目に触れることはなかった。このような隠された富の存在を明らかにできるのは、考古学だけである

隠蔽などの戦略により、貢ぎ物を集める人たちは、現代徴税人と共通する問題を抱えていた。それは、いかにして自分たちが取り出せる富の量を見積もるかということである価値の測定は、多くの種類の取引において厄介な問題であるが、敵対関係にある税や貢ぎ物の徴収においては、これほど厄介なことはない。このような非常に困難で直観的でないトレードオフを行い、それを一連の問い合わせ、監査徴収行為の中で実行することで、貢ぎ物の徴収者は、たとえその結果が貢ぎ物の支払い者にとって非常に無駄ものに見えたとしても、効率的収入最適化することができたのである

ある部族が、以前に戦争で敗れた近隣の部族数人から貢ぎ物を集めているとする。その際、各部からどれだけの金額を引き出せるかを見積もらなければならない。推定値が悪いと、一部の部族の富が控えめになり、他の部族は実際には持っていない富の推定値に基づいて貢ぎ物を払わなければならなくなる。その結果、被害を受けた部族は縮小する傾向にある。利益を得た部族は、得られるはずの貢ぎ物よりも少ない量を支払うことになる。どちらの場合も、勝利者にとっては、より良いルールで得られるかもしれない収入よりも少ない収入しか得られない。これは、ラファー曲線を特定部族運勢適用したものである。この曲線は、優れた経済学者アーサー・ラッファーが所得税適用したもので、税率が上がると収入額は増えるが、回避、逃避、そして何よりも課税対象となる活動従事する意欲がなくなるため、税率に比べてますます遅い速度となる。このような理由により、ある一定割合で税収が最適化される。ラファーの最適値を超えて税率を上げると、政府収入は増えるどころか減る。皮肉なことに、ラッファー曲線は、政府収入に最適な徴税理論であって、社会福祉や個人の選好満足度に最適な徴税理論ではないにもかかわらず、減税を主張する人々に利用されてきた。

もっと大きなスケールで言えば、ラッファー曲線政治史の中で最も重要経済法則と言えるかもしれない。チャールズ・アダムスはこの法則を使って、帝国の盛衰を説明している。最も成功した政府は、自分たちインセンティブ短期的な収入への欲求と、他の政府に対する長期的な成功)によって、暗黙のうちにラッファー曲線に従って収入最適化するように導かれてきた。ソビエト連邦ローマ帝国のように納税者に過剰な負担を強いた政府歴史の塵となり、最適な収入を下回った政府は、資金力のある隣国征服されることが多かった。民主党政権は、資金力のない国家征服するよりも、もっと平和的な手段で、歴史的な時間をかけて高い税収を維持することができるかもしれない。民主党政権は、外部からの脅威に比べて税収が非常に高く、税収のほとんどを非軍事分野に使う余裕がある歴史上初めての国家である。彼らの税制は、これまでのほとんどの政府よりも、ラッファー最適に近い形で運営されている。(このような贅沢は、民主主義国家徴税最適化するインセンティブを高めたのではなく、核兵器攻撃を抑止する効率性を高めたことで可能になったとも考えられる。) ラッファー曲線を応用して、様々な部族に対する条約上の貢納条件の相対的な影響を調べてみると、収入最適化したいという願望から、勝者は敗者の所得や富を正確に測定したいと思うようになるという結論が得られた。価値を測ることは、富を隠したり、戦いや逃亡によって貢ぎ物を回避したりする支那人インセンティブ判断する上で極めて重要である。一方,支那人は,収集品を隠しておくなど,さまざまな方法でこれらの測定値を偽装することができるし,実際にそうしている。貢ぎ物を集めることは,インセンティブが一致しない測定ゲームである

収集品があれば,支流供給できるものや勝者が必要としているものではなく,戦略的に最適なタイミングで貢ぎ物を要求することができる。勝利者は、貢ぎ物を取られた時に富を消費するのではなく、将来的に富を消費するタイミングを選ぶことができる。その後、紀元前700年頃には貿易が盛んに行われていたが、貨幣貴金属製の収集品のような形をしていた。これを変えたのが、アナトリア現在トルコ)のギリシャ語を話す文化圏、リディアである。具体的には、リディアの王たちが、考古学的・歴史学的に最初の主要な貨幣発行者となったのである

その日から今日まで、コインの発行は民間鉱山ではなく、自ら独占権を与えられた政府鉱山が中心となっている。なぜ、当時の半市場経済圏に存在していた民間銀行家などの私利私欲による鋳造が行われなかったのか。政府コインの発行を独占してきた主な理由は、政府けが偽造防止策を実施できるからであるしかし、現在も当時も商標権行使するのと同様に、政府は競合する民間鋳造所を保護するために、そのような措置を講じることができたはずである

コイン価値見積もることは、収集品の価値見積もるよりもはるか簡単であった。物々交換ではなく貨幣を使った取引の方がはるかに多く、実際、取引から得られるわずかな利益が初めて取引コストを上回ったため、多くの種類の低額取引が初めて可能になったのである収集品は低速度貨幣であり、少数の高価値取引に関与していた。コインは速度の速い貨幣であり、多数の低価値取引を促進した。

これまで見てきたように、原始貨幣が貢納者や徴税者にとって有益であることや、そのような支払いを最適に強制するためには価値測定問題重要であることを考えると、徴税者、特にリディアの王が最初貨幣を発行したことは驚くべきことではない。徴税によって収入を得ている王には、臣下保有し交換する富の価値をより正確に測定する強い動機があった。また、交換のための媒体商人安価に測定することで、効率的市場に近いものが生まれ個人が初めて大規模に市場に参入できるようになったことは、王にとっては偶然の副次的効果であった。市場流れる富が増え、課税対象となったことで、国王収入は、通常のラッファー曲線効果である税源間の誤計測の減少以上に増加した。

徴税効率化と市場効率化が相まって、税収全体が大幅に増加したのである徴税人たちは文字通り金鉱を掘り当てたのであり、リディア王のミダス、クロイソス、ギゲスの富は今日まで有名である

数世紀後、ギリシャアレキサンダー大王は、エジプトペルシャインドの大部分を征服したが、その壮大な征服資金は、低速度の収集品の集合体であるエジプトペルシャ神殿を略奪し、それらを溶かして高速度のコインにすることで得られた。彼の後には、より効率的包括的市場経済と、より効率的徴税が生まれた。

貢物の支払いは、それだけでは収集品の閉ループ形成しない。貢物は、最終的に勝者が結婚交易担保など何かに利用できる場合にの価値があった。しかし、勝者は、たとえ敗者の自発的利益にならなくても、収集品を得るための製造を敗者に強要することができた。

争議と救済策

古代狩猟採集民には、現代のような不法行為法や刑法はなかったが、現代法でいうところの犯罪不法行為に該当するような紛争解決するための類似した手段があった。紛争当事者一族による罰や支払いによって紛争解決することは、復讐復讐戦争のサイクルに代わるものであった。アメリカイリコイ族からキリスト教以前のゲルマン人に至るまで、ほとんどの近代以前の文化は、罰よりも支払いの方が良いと考えた。些細な窃盗から強姦殺人に至るまで、すべての実行可能犯罪には価格ゲルマン人の「weregeld」やイリコイ人の血税など)が設定されていた。お金があれば、支払いはお金の形で行われた。牧畜文化では家畜が使われた。それ以外では、収集品の支払いが最も一般的な救済策であった。

訴訟などの損害賠償の支払いには、相続結婚年貢などと同じように、事象供給需要三位一体問題が発生した。訴訟判決は、原告損害賠償能力と、被告損害賠償による利益を得る機会と願望が一致する必要があった。原告がすでにたくさん持っている消耗品を救済措置とした場合、救済措置は罰としての役割は果たすが、被告を満足させることはできないであろうし、したがって暴力連鎖抑制することはできない。このように、収集品には、紛争解決したり、復讐連鎖を断ち切るための救済策を可能にするという付加価値がある。

紛争解決は、支払いによって復讐心が完全になくなるのであれば、閉ループ形成しない。しかし、支払いによって復讐心が完全に消滅しない場合、支払いは復讐連鎖に続くサイクルを形成する可能性がある。このような理由から、より密に接続された取引ネットワークが出現するまでは、復讐のサイクルを減らすことはできても、なくすことはできないという平衡状態に達していた可能性がある。

2021-09-02

anond:20210902003713

もっと色々な作品を見ろ。

復讐心に凝り固まった主人公なんていっぱいいる。

主人公にはなれない

過去出会った憎たらしい人を忘れたくても忘れられず、醜い感情をずっと持ち続けている。

これが炭治郎なら醜い感情支配されず復讐心原動力に己を鍛え相手を見返す(というより殺す)ことができたのに。

つくづく私は主人公キャラじゃないんだな。人生損してる。(ちなみに次男だがそれは関係ない)

(さら関係ないが、鬼滅ブームときは「たんじろう」を変換できなかったのに今はすんなり「炭治郎」と予測変換に出てくる。iPhoneすげー)

2021-08-23

anond:20210823235241

まあダークファンタジー界では確かにライトな方だけど飯要素と同じ分量くらいは狂気じゃね?

主人公と妹のやべえやつ感とダンジョンマスター復讐心と壊れかけ具合は

2021-08-09

anond:20210808113307

もっともだと思うけど、結局酷い目に遭ったことのある人間にとっちゃ、復讐心は何より優先されるってことなんだろうね、世の中を平和にしたいという気持ちなんぞより遥かに

それは社会を憎んで凶行に走る通り魔だってそうだし、通り魔を憎んで批判以外のたとえば加害者を産んだ背景などの考察すら許さない人だってそう。

2021-07-21

なぜ、韓国が延々と子供じみた真似をするのか

韓国による数々の「嫌がらせ」に対し、自分は嫌な気分になったり怒ったりとかはしないタイプだ。

しろ、彼らの行動原理メンタリティがずっと気になっていた。なぜ戦後世代を経てもなお復讐心支配され、子供じみた行動をとるのか。

これについて、最近になって自分なりに少し納得のいく仮説が浮かんだのでつらつらと書き記す。

結論からいうと、これは地政学的にかなり微妙ポジションに置かれている韓国生存戦略だ。

復讐は何も生まない…されど?

復讐は何も生まない」

精神的に成熟したキャラクターが、復讐燃える若き主人公にかける言葉として、おそらくかなりの数の創作物に登場するであろうセリフだ。同時に創作物の中でのみ成立する概念でもある。

現実に目を向けてみると、古くは「目には目を…」のハンムラビ法典から核兵器による相互確証破壊に至るまで、人類は「不利益を被るような行為に対しては、同程度以上の報復制裁が発生する」ことを保証することで、身の安全をはかり安寧を得るという戦略を駆使してきた。

復讐は何も生まない、されど手を出せば復讐されることを相手にわからせることはできる」

これが韓国の行動原理であり、生存戦略なのだ

なぜ国際舞台嫌がらせをしてくるのか

韓国の「嫌がらせ」の特徴として、対象日本のはずなのに、おおよそ関係のない第三国を巻き込みがちなことが挙げられる。

これらの行為には通底する思惑がある。日本に対する嫌がらせが、世界に対してのパフォーマンスにもなっているのだ。

日本という不感症のサンドバッグに対してパンチを打ち込む行為が、そのまま「うちの国に手を出したら、面倒なことになるぞ」という世界に向けてのメッセージにもなっている。

悲しき期待値

その行為いか子供じみていて、非効率で、国家間の取り決めを逸脱するようなものであったとしても、長期的に見れば「他国に攻め込まれづらくなる」期待値デメリットを上回ると判断しているのだろう。

もちろん、今までに述べたことを全く考えてない、無自覚嫌がらせも多々あるのだと思う。

しかし、数千年もの他国に攻め入られ続けてきた国に住む人々のDNAには、間違いなくこの生存戦略が刻み込まれているんだと思う。

それを考えると、なんだか少し悲しくなった。

2021-07-17

anond:20210717144651

なんでこの件がこんなに問題視されているのか、よくわからないんだよね

犯罪行為が正当に裁かれないことは問題視するが、犯罪者反省しているかどうかには興味ないと言ったらいいのかな

から、「こいつ犯罪者から警察は今すぐ取り調べて裁きにかけろ」と主張するんならわかる

刑事告発でもなんでもすればいい

でも、謝れ、反省しろ、というのは、よくわからない

そもそも被害者がこんなに傷ついているから云々、というのがどうもピンとこない

世界観の違いなのかな

ヒュームじゃないけど、加害と被害因果をあまり重視しないというか

加害者加害行為のものに関して裁かれるべきだし

被害者被害についてなんらかの保障を受けられるようにすべき、だとは思うが

被害者加害者を裁く、加害者被害者ケアする、というのはなんか違うと考えている

まあ、今の法律とか見てると、こういう考え方はあんまり受け入れられるものではなさそうだけど

加害と被害を切り離した方が、世の中はスムーズに回りそうな気がするんだよね

たとえば、復讐報復攻撃なんて、誰も得しないものだとはよく言われるが

どうやって復讐をなくすか、復讐心を抑えるか、となれば

加害と被害を切り離すというのも一つの有効手段となるだろう

2021-07-03

フェミニズムって男性=強者=悪を前提に男性パイを切り分けて女性にあてがえば自由が増えると思ってんじゃん

男女関係なく自由状態目標にすれば誰も反対しないし理解も得られそうなものだけど

男性への怨嗟義憤と加害欲求駆動してるうちは、フェミなんて社会の敵か厄介者だよな


まずフェミ男性への復讐心でビンビンになった精神チンコナプキンの下にしまえよ、話はそれから

2021-06-24

それ以前の問題だとメンヘラ理解しよう

性的関係にあろうがなかろうが異性を異性として扱わないって常識的に考えてあるかよ

職場ババアジジイ性的対象にならなくても

それぞれちゃんと異性として扱ってるだろ?

異性として扱うかと性的な魅力を感じるかはまた別の話だ

 

性的な魅力を感じてなくても異性である時点で一線は引くよフツーはね

アセクシャル・デミセクシャル同士ってなら別だが

 

男女の友情云々言ってるヤツはよくよく話聞くと大抵が同性を嫌悪している

依存心と復讐心の強い厨二病だ。自称サバサバ系も大好きだぞ

身の毛がよだつわ・・・

 

anond:20210624004249 anond:20210624025027 anond:20210624121648

2021-06-22

anond:20210622004330

私は、人の三倍も四倍も復讐心ふくしゅうしんの強い男なのであるから、また、そうなると人の五倍も六倍も残忍性を発揮してしまう男なのであるから

なるほどね、これはわかるような気がwwww

2021-05-06

anond:20210506123407

全員とは言わないけどね。

からと言って男の辛さを否定する気なんて元からないよ。

別に男の辛さを否定したい訳じゃないよ。

こんなエクスキューズで誤魔化さなくていいですよ、白々しいだけなんで。

その他者に求める自省の心を自分実践できてりゃ、こんな文章書けるわけないってわかるから

弱者同士が助け合ってかなきゃいけない中で、自分復讐心を優先して、一部の人間の問題発言根拠属性ごと嫌悪する自分正当化して、みんなの足引っ張ってる一部の男や女ってのは、まさにあなたことなんですよ。

2021-04-30

anond:20210430175516

まり被害者は新しい加害者になるんだけどそういう憎しみの連鎖みたいなのを断ち切るために法律ってもんがあるんだわ。

目には目を」のハンムラビ法典だってやられたのと同じだけの復讐しかできないように復讐制限する法律であったわけで。

ポリコレみたいに復讐をやめさせるどころか被害者エンパワーメントして復讐心に火をつけ、加害者抹殺するための武器を与えちゃう思想はやがて新たな暴力時代を作るだろう。

2021-04-21

東大法学部を出ても逮捕される世界

元祖マスク拒否男”がまた逮捕犯行ウラ東大大学院中退と「父親への復讐心」 | 週刊女性PRIME

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.jprime.jp/articles/-/20653

経歴だけ見れば故郷の誇りであってもおかしくなく、東京進出してから平成の俊英として活躍する未来もあっただろう。

せっかくの実力者が、はてな匿名ダイアリーに入り浸りそうな結末になってしまった。

2021-04-02

anond:20210401201006

それが違うんよ。金銭感覚狂わせて楽しむとか、モテなかったやつらが金持ってやりそうなこと。

だって復讐心とかコンプレックスだもんね、それ。

あと、高価なプレゼントわざとあげてないのは、心が綺麗で可愛い子のままいてほしいから。

みんなもお金しかみない心がブスなやつよりも、永野芽郁ちゃんみたいな子と付き合いたくない?

2021-03-21

夢に出てきたガンダムを無理矢理文章化してみた。

ガンダムが開発されずジオン勝利した世界線

一人息子を戦争で亡くした元連邦技術者テム・レイ復讐心からジオン統治下のサイド7でレジスタンス組織に身を投じる。

その組織支援する謎の男(シャア)の要請で、ジオンザク凌駕する新たなマンマシーンの設計開発に没頭するレイ博士

そんな日々の中、博士はある噂を耳にする。

連邦勝利している世界をみたものがいるという。

馬鹿馬鹿しいと聞き流そうとした博士だったが、その世界では戦争活躍したアムロという少年兵戦後アイドルになっているという。

レイというらしいんですよ。その少年は。それで博士のことを思い出して。」

「どこから死んだ息子のことを聞いたのか知らないが冗談にもならないことで私を怒らせる気か!?

その噂話を悪い冗談だと激怒しかけるが、その場にいた謎の男(シャア)もその噂を知っているといって博士を制止する。

マンマシーンの開発に成功する博士

そのマシーンは噂話に出てくるガンダムと名付けられる。

ガンダムを操縦して破壊活動を行う謎の男(シャア)。

サイド7のジオン政庁レジスタンスとの争い。

一方、噂話を調査していたジオン秘密警察の手先カイ・シデンアムロレイ実在していたことを突き止める。

テム・レイカイ・シデンマークされてレジスタンスであることが露見する。

レジスタンスカイ・シデン接触

カイ・シデン寝返りダブルスパイとなる。

カイ・シデン情報から、謎の男(シャア)は視察に訪れていたカルマ・ザビの殺害成功する。

そのことでレジスタンス弾圧に本腰を入れるジオン本国政府

その頃には噂話は書籍となって流布していた。

ジオン情報検閲を逃れるため、文字通りの物理的な本となっている。

ガンダムと題された、その本ではテム・レイ博士ガンダム設計者として登場し、息子のアムロレイガンダム操縦者となっていた。

そして国父ジオンダイクンの息子として、謎の男(シャア)とそっくりな男が登場している。

この噂話を広めた黒幕は謎の男だったのではないか?と、推測するレイ博士

ガル殺害からレジスタンスへの追求は厳しくなり、サイド7からの逃走を余儀なくされるレジスタンス達。

ホワイトベースという船名の古ぼけた貨物船に乗り込んで逃げる。

ブライト・ノアと名乗る女船長が言う。

今日から艦長と呼んで欲しい。」

ホワイトベース出港。

謎の男、ガンダムから世界に向けてテレビ演説「私の名はアムロレイだ。」

それはレジスタンス組織からジオンへの闘争宣言だった。

第一話終了。

 

なんか1時間くらいの米国ドラマを観ているような感覚上記のような夢を見た。

夢だからもうちょっといい加減だけど、無理くり文章化したらこんな感じ。

続きが見たい。

2021-03-15

[] #92-12サイボーグ彼女

≪ 前

こういってはなんだが、当時の母はシックスティーンを倒すためだけに戦う復讐マシーンと化していた。

それは偏に、シックスティーンが母から大事ものを奪っていったからだ。

もちろん、復讐を果たしたとしても、失った身体が戻ってくるわけではない。

だが後ろ暗い感情ではあっても、それが母の背中を押してくれていたんだ。

からすれば、それがどこか儚げで、酷く痛ましく見えたのだという。

まあ、邪推するなら“個人的理由”も多少は含まれていたんだろうけど。

「俺もネガティブ感情のもの否定する気はないよ。なんだったら、復讐否定はしない。そういったものは、綺麗事を超越した先にあるものから。そこまで否定してしまったら、本当の意味でヒトじゃなくなる」

「じゃあ、あなたは私にどうしてほしいの」

「俺じゃなくて、君がどうしたいか。それが重要なんだ」

「それは、ちょっとズルい言い方じゃない~?」

「……ごめん」

「ま、分かるけどね。要はポジティブ理由で生きられるなら、それに越したことはないって話でしょ」

なにはともあれ、父との出会いで母の復讐心は徐々に薄れていった。

いや、薄れたというよりは“これからやりたいことが他にもできた”というべきか。

今までは復讐心でハイオク満タンだったけど、他の燃料でも十分に動けるようになったってことなんだろう。

その燃料がエコなのかは知らないが。

「……毎週、医療ラボメンテするんだけど、あれが面倒でさ」

「確かに毎週は面倒そうだね」

機械に詳しい人が近くにいたら、行く頻度を減らせるんだけどね」

「それって……分かった。頑張って勉強するよ」

「いやらしいこと考えてない?」

「考えてないよ」

「それならいいんだけど…結構グロいよ? 私の内部」

「だ、大丈夫。慣れてみせるさ」

こういうやり取りを聞いている時に感じる痒みって、科学的になんていえばいいんだろうな。


固い誓いを交わしてから後日の戦い。

心機一転した母は、これを最期にするつもりだった。

最後に全力を出して、晴れやかな気持ちで退場しようと。

「え……もう終わり?」

しかし、勝敗はあっけなく決した。

いや、あまりにも“あっけなさすぎた”んだ。

母が今まで戦ってきた中で、最も手ごたえの無い戦いだった。

もはやシックスティーンに、マトモに戦える機械は作れなかったのである

この時にいたシックスティーンロボットは、どれも子供のように小さな人型だった。

「……ムカつく」

いくらコストがなかったとしても、四足歩行ロボットなどはいただろうだし、そっちの方が勝負になったはず。

まり、これは同情を買おうと、わざと弱いロボットをよこしたってことだ。

母は、そのことにすぐ気づいた。

あなたたち、自分たちが何をやったか覚えてる? そもそも、なぜこんなことになっているか分かってる? 本当に分かっているなら、少なくとも“こんなこと”はやらないでしょ!」

このやり方は、母の感情逆撫でした。

だが、しかし、それでも。

腕に備え付けた高周波ブレードを、母は静かに収納した。

もし父と出会っていなければ、シックスティーンは跡形も無く消え去っていただろう(物理的な意味で)。



それからほどなくして、シックスティーン倒産

いくつかの元所属チームが新たな企業を起こし、今も密かに活躍してるって話をたまに聞くくらいだ。

そして母と父はというと……これは言うまでもない。

非業な出来事翻弄された母が、それ故に父と出会い、今はこうなっている。

そう思うと感慨深い気もするし、この話から復讐は虚しいとか教訓を得られなくもないが、俺から言えることは一つだけだ。

思春期の息子に、親の馴れ初め話は勘弁してくれ。

(#92-おわり)

2021-03-11

[] #92-8「サイボーグ彼女

≪ 前

この戦いは何度も行われ、その度に母は獅子奮迅活躍を見せた。

人間の知能と、機械強靭身体

その振る舞いは、昨今の急激な技術革新に対する人々の期待と不安、その二つを象徴するようであった。

興味の度合いや好き嫌いはあれど、世間はその活躍視線を向けざるを得ない。

望むと望まざるに関わらず、母は一躍“時のヒト”となったのである

だが、この流れが永遠と続くはずもなく、いずれどこかで塞き止められる。

それは母の復讐心が薄れたとかではなく、“無関係だが無関係ではない”箇所が要因だった。


いうならば“世間の関心”である

なにせ、勝負の内容はいだって同じだ。

一方的蹂躙

痛快な展開も、こう何回もやられては慣れる。

そして、“慣れ”は“飽き”となる。

成熟は後に腐敗となるか、よくて発酵関の山

これが時代劇とか異世界チートものなら、それでもいいのかもしれない。

しかし、母は桃太郎侍でもないし太郎でもない。

ヒトは人の心があるが故に、赤の他人へ向ける“興味の量”が決まっている。

センシティブお題目で、傍観者の関心を引くのにも限界があるんだ。

そんな幾度も繰り返される戦いが10を超えたあたりで、さすがに観客の熱も冷め切っていた。


「マスダさん、私どものからこのような提案をするのは心苦しいのですが、何か別の要求はございませんか」

企業も、最初の内は催しの再開と盛り上がりを喜んでいた。

だが、この頃になると世間の注目度も落ち着き、スポンサーも離れたがっていた。

そんな中で、安くないロボットを作り、その度に破壊されて平然とはいかない。

敵側のシックスティーンは、特にその損害が大きかった。

その額は、初めから莫大な賠償金を払っていた方が遥かにマシ、そう思えるほどだったという。

「私の気が済むまで、そちらの都合は関係なく続けると。正式契約も交わしましたよね」

「ですが、このままだと我が企業も回らなく……」

「だから、それは“そちらの都合”でしょ」

しかし、母はその申し出を断った。

から見れば意固地になっているだけに見えるが、そうではない。

しろ母の復讐は、ここからが“本番”だったんだ。


母は、自分をこんな目に遭わせたシックスティーンを許す気はなかった。

その恨みは、機械サンドバッグ見立てて晴れるようなものではない。

そして直接の原因ではなかったものの、ラボハテ側にも多少の痛みは与えたかった。

そのための一計が、この大掛かりな催しだったのである

企業赤字だろうが関係ない。

ロボットを作り続け、必要のないテナントを買い続ける。

自分を苦しめた企業のクダラナイ催しに、今度は企業自身が苦しむ。

この皮肉じみた展開こそ、母の望むシナリオだったのである

なんともクレバーで、クレイジー復讐だ。

次 ≫

2021-03-01

必読書コピペマジレスしてみる・自分オススメ41冊編(1)

日本文学編(anond:20210222080124)があまり注目されなかったけれども、記憶を頼りに続きを書く。

芥川龍之介河童

どの作品を入れるべきか迷った。古典翻案に見られる知性とユーモア晩年作品にみられる迫害的な不安、どちらの傾向を持つ作品であっても、元文学少年の心をひきつけてやまない。特に歯車」などの持つ、すべてのものが関連付けられて迫ってくる凄味は、学生時代に再読したとき、行き詰まりかけていた学生生活不安と重なり、ただただ恐ろしく、読み終わってからしばらくは寝床で横にならされた。

河童」を選んだのは中高生の頃で、河童の国を旅する要素に心を惹かれたことを思い出したからだ。それは、大学生の頃よりも不安が弱かったからなのか、この作品に潜む女性への憧れと恐れが自分に響いたのか、あるいは架空世界架空言語に魅せられたのか、その理由はわからない。

ハンス・クリスチャン・アンデルセン雪の女王

アンデルセン小説を読んでいると、きっとこの人モテなかったんだろうなあ、ってのがひしひしと伝わってきて、何だったら今晩一杯つきあうよ、的な気分にさせられる。一人寂しいときへの痛みと、女性への復讐心が入り混じっていて、読んでいて心がきりきりとする。

で、この作品の中でひたすら「いいなあ」と思うのは、悪魔の鏡のかけらが心の中に入ると、どんな良いものもその欠点ばかりが大きく見えてしまうという設定だ。

ところで、ディズニー作品価値貶めるつもりはないけれど、原作とは全然違う話に似たタイトルをつけて世界中に広げるのってどうなんだろう。デンマーク人は怒らないんだろうか(「人魚姫だって原作改変をやってるし……。いや、ディズニー普通に好きなんですけど、最近こうした異文化の扱いって難しいですし……)

グレッグ・イーガン祈りの海」

「白熱光」にしようかと思ったのだが、これはエイリアンニュートンアインシュタイン物理学自力発見していく過程が延々述べられるだけの話で、燃えるけれども物理学の基礎をかじっていないとちっとも面白くないのでやめた。ついでに、彼の欠点として「科学者エンジニア最高、政治家宗教家文学者は役立たずのクズ」という態度を隠そうともしないところがある。要するに理系の俺TUEEE小説なのだ。それに、しょっちゅうヒロインから説教されるし、作者はいったいどういう恋愛経験をしてきたか非常に心配になる。

そうしたえぐみ比較的少ないのがこの短篇集で、最初に読んだ本だから愛着がある。それに、上の隠しきれない欠点にも関わらずイーガンが嫌いになれないのは、科学的な真理に向き合う姿勢と果てしのない好奇心がかっこよく、さらに己に課した厳しい倫理に身が引き締まるからだ。

カズオ・イシグロ日の名残り

友人と富士山に登るときに持っていったこともあり、これも自分にとって思い出深い小説だ。これは、大戦後の新しい時代適応できない英国執事物語である

彼の小説の語り手は基本的には何かを隠していることが多いので、いつも歯に物の挟まった言い方をする。そのうえ、誰もが自分の信念にしがみついているものから登場人物同士の会話は勝手な主張のぶつけ合いになり、実のところ会話になっていない。

カズオ・イシグロはそうした気持ちの悪さを楽しむ作家だ。そして、「日の名残り」は自分の本当の気持ちに蓋をして生きている人、やりたいことよりもやるべきことを優先してしまう人に、刺さる作品であるに違いない。

ミシェル・ウエルベック素粒子

彼の作品不快だ。主人公のボヤキは原則として次の通り。俺は非モテから思春期の頃には思いっきセックスできなかった(2023年10月3日追記。「処女と金銭のやり取りなしでイチャラブできなかった」が近いか?)。中年になって女を金で買えるようになったが、ちっとも楽しくない。子供も老人もみんな大っ嫌いだ、バーカ! これはひどい

作中に出てくる西欧文明の衰退だのなんだの宗教への逃避だの一見知的に見える議論も、すべて上記の嘆きを補強するためのダシに過ぎない。それでもなお、なぜオススメに入れたのかというと、人をエゴ抜きで愛することの難しさを逆説的に語っているからだ。そして、自分が愛されておらず、必要ともされていないと感じたとき人間がどれほど孤独とみじめさを感じるかを緻密に描いている。皮肉なことに、これは性と愛について真摯思考した書物である

ただ、どの作品も言っていることが大体同じなので何冊も読んではいない。

ヴァージニア・ウルフ「ダロウェイ夫人

僕がウルフのことが好きなのは、単純に文章が美しいというだけじゃなくて、迷っている人間の頭の中で浮かぶ複雑な段階が細かいところまでよく見えているからだ。例えば親しい人への憎悪が浮かび、言葉ではそれを否定して見せるが、態度にふとこぼれ出てしまう。そうした過程子供が貝殻を見つけたときのように、ひとつひとつ並べている。

そして、意識の流れとでもいうのか、ある人物意識から別の人物意識へと、外界の描写連想を経てシームレスに移行していく感じが、本当に巧みな脚本映画みたいで、やっぱり映画って文学から相当影響を受けてるんじゃないかって勘ぐったりするのだけれど、本当のところどうなのかは知らない。眠る前の自分意識もふと過去に飛び、すぐに現代に戻り、夢想し、眠りに落ちていく。

灯台へ」とどっちにするかこれも迷った。

ミヒャエル・エンデはてしない物語

さえない少年万引きした小説を読んでいると、いつしかその物語の中に取り込まれしまう。これは主人公異世界に行き、そこでなりたい自分になるが(まさに公式チートだ)、その報いとして自分自身が本当は何者であったかをどんどん忘れてしまう。何よりも面白小説なのに、その小説現実に向きあう力からではなく現実逃避の手段となることの危険性を訴えている。主人公が万能チート野郎になってになってどんどん嫌な奴になっていく様子は必見。また、後半で主人公を優しく包み込む人物が、私の与えたものは愛でなく、単に私が与えたかったものに過ぎない、という趣旨台詞を言うシーンがあり、これが作品の中で一番自分の心に残っている台詞だ。

ちなみに子どものころ映画版を見て、原作とは真逆メッセージストーリーになっているのにショックを受け、初めて原作破壊行為に対する怒りを覚えた。僕が大人商業主義を信用しなくなったのはこれ以来かもしれない。

円城塔文字渦」

基本的自分は何かを知ることが好きで、だから知識の物量で殴ってくるタイプの彼の作品も好きである。それでいてユーモアも忘れないところが憎い。フィクションとは何だろう、言葉文字物語を語るってそもそもどういうことだろう、そうしたことをちらりと考えたことがあるのなら楽しく読めるはず。「Self reference Engine」で抽象的に触れられていたアイディアが、漢字という具体的な文字によって、具体的な形を与えられている。

元々SFの人だけれども、最近日本古典にも守備範囲を広げ始めていて、SFが苦手な人も楽しいと思うし、慣れたらSFにも手を出してほしいとこっそり思っている。

遠藤周作沈黙

どうしてこれほどあなた信仰しているのに、手を差し伸べてくれないのですか。せめてささやか奇跡あなたがいらっしゃるということだけでも示してください。そういう人類が何千年、何万年も悩んできたことについて。神に関しての抽象的な疑問は、具体的な舞台設定を与えないと机上の空論になる。

以前も述べたが、ここに出てくる仲間を裏切ったりすぐに転向したりしてしまう情けないキチジローという人物がとても好きで、彼の「迫害さえなければまっとうなキリシタンとして生きられたのに」という嘆きを、情けないと切り捨てることができない。

ただただ弱くて情けない人物遠藤周作作品にはたくさん出てくる。だから好きだ。僕が文学にすがらねばならなかったのは、それなしには自分の弱さ、愚かさ、卑怯さ、臆病さ、ひがみを許せなかったからで、強く正しい主人公たちからは救われなかった。

イタロ・カルヴィーノ「冬の夜一人の旅人が」。

男性読者」という名の作中人物が本を買うが、その本には落丁があった。続きを探すために彼は同じ本を手に取った別の読者である女性読者」を探し求める。彼はいろいろな本を手に取るが、目当ての本は結局見つからない。枠物語の内部に挿入されるつながらない小説の断片は、それだけでも完成度が高く、まるで本当に落丁のある文学全集を読んでいるような楽しみがある。

世界文学パロディー化した物語のページをつないで作った「鏡の中の鏡」かと思わされたが、それ以上のものだった。語りの文と物語関係とは、新作と偽作とは、そんなテーマ物語レベルメタレベルの二つの層の間で錯綜して語られている。

ダニエルキース「アルジャーノンに花束を

知的障害者チャーリーゴードンが脳手術で天才になるが、その知性は長続きしなかったという悲劇として知られている。けれども、僕はこれをただの悲劇として読まない。障害者セックスについて正面から向き合った最も早い作品の一つだからだ。

チャーリー女性の裸を考えるだけで罪悪感からパニックになってしまう。それは母からの過度な抑圧と体罰が原因だったが、それはチャーリーの妹を彼の性的好奇心から守ろうとするが故の行動だった(チャーリーの母が、周囲からもっと支援を得られていたら、あれほどチャーリーにつらく当たらなくて済んだんではないか、とも思う)。

天才になったチャーリーは恋をし、トラウマを乗り越え、苦労の末に愛する人と結ばれ、やがて元の知的障害者に戻ってしまう。一見すると悲劇だが、彼にはセックスに対する恐怖がもはやなくなっている。彼がただの障害者に戻ってしまったという感想は、その視点が抜けているのではあるまいか

ナタリア・ギンズブルグ「モンテ・フェルモの丘の家」

素晴らしかった。中年の仲良しグループというか、ツイッターでいうクラスタの間を行き交う書簡を通して話が進む。居場所をなくすこと、愛情を失うこと、自分の子供をうまく愛せないこと。そして、友人の死。テーマは深刻だ。なのに、読後感は良い。それは視点距離を取っているからか、登場人物を公平に扱っているからか、それとも愛を失う/奪われる過程だけじゃなくて、そのあともちゃんと書いているからなのか。長い時間の中で、家族や友人が近づいたり離れたりする感じ、これこそ人生だ、みたいな気持ちになる。

アーサー・C・クラーク幼年期の終わり

子供の頃、太陽が五十億年も経てば地球を飲み込んでしまうと知って、非常に恐ろしかったのだけれど、それ以来人類運命について書かれた物語がずっと好きだ(H・G・ウェルズの「タイムマシン」も何度も読んだ)。

人類は滅んでしまうかもしれない。生き延びるかもしれない。しかし、宇宙に出て行った結果、ヒトとは似ても似つかないものになってしまうかもしれない。彼らは人類の何を受け継ぐのだろうか。そして、今しか存在しない自分は、果たしてこの宇宙意味があるのか。

人類運命が気になるのと同じくらい、僕はきっと遠くへ行きたいと思っている。だから、ヒトという形から自由になってどこまでも進化していく話に魅了され続けるのだ。


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2021-02-26

anond:20210226085251

逆にいえば被害者加害者になっていくものだぞ。

自分が受けた苦しみの分、他人を苦しめていいと考える人間もいる。

復讐心というのは当事者のみにとどまるものではなく、一族郎党社会全体へと膨らんでいくものからな。

2021-02-15

必読書コピペマジレスしてみる・ミステリ

方針目的

1. エドガーアラン・ポオ「モルグ街の殺人

先日も述べたように自分ポー作品が好きではあるのだけれども、ミステリ黎明期は今でいうところの禁じ手を平気で使っているものが多く、純粋ストーリーを楽しもうとするとずっこけることがある。とはいえ論理と推論をたどることによって面白い話を作りだすのを始めたのは彼なので、ミステリが好きなら読んでおきたい。確かに意外な真犯人ではある。

3. コナン・ドイルシャーロック・ホームズの冒険

同じく、今でいえばお粗末な話も時折あるのだけれども、ホームズワトソン関係が好き。中でも「三人ガリデブ」でワトソンピンチに思わず熱くなったホームズは必見。なんでこのシーンが好きなのかというと、聡明すぎてどうしても人を観察対象としてしまホームズが、知的ではあるが彼ほどではないワトソンを心から思いやっているからだ。知的に対等ではない人間を愛することができるかどうかは、鋭敏な知性の持ち主にとっては人生最大の試練だ。女性人気が高いのもうなずける。

4.モーリス・ルブラン「怪盗紳士ルパン

ルパンシリーズのこの巻だけ親が買ってくれたし、何度も読み返していたのだが、なぜか続きを読もうとは思えずに現在に至っている。ミステリというよりは冒険小説に近い気もするが知恵比べ的な面もあり、そこが面白かったのかもしれない。しかしそうすると、これをミステリ100選に入れるかどうかは迷う。ライトノベル定義ライトノベルレーベルから出ているかどうかだとすれば、東京創元社早川書房から出てはいからミステリとしてOKかもしれないが。

6. フョードル・ドストエフスキー罪と罰

自分新世界の神になれると信じて殺人を犯したのに日和ってしまい、純粋ソープ嬢に救われる話。これも謎を解くというよりも心理戦を描いている。心理戦というかやっぱりドストエフスキー名物の神経質な人間独白だ。基本、ドストエフスキー登場人物にはまともなやつなどおらず、この作品例外ではない。主人公の妹をつけ狙うロリコン野郎だとか、娘がソープで稼いだ金で酔いつぶれ、その罪悪感からまた飲むというどうしようもない親父だとか、神になり切れなくてプルプル震えている主人公だとか、そういうキャラが最高なのだ。これではまったらドストエフスキー大長編を制覇しよう。ミステリじゃないのがほとんどだが、心配はいらない。ドストエフスキーの過剰な語りにはまった人間の前ではそのようなことは些事だ。

ちなみに高野史緒カラマーゾフの妹」は二次創作小説として最高なのでみんな読もう。

7. コンラッド「闇の奥」

こういう非人道的植民地を持っていた王様銅像だったら国民から倒されても文句は言えんよな、的なベルギーコンゴモデルの一つとしているのだけれども、これってミステリかね? ひたすら謎の人物を追いかけて、地理的にも深いところへ分け入っていき、目的人物出会うが彼はあっさり死んでしまうというあらすじは、神話的な単純さと力強さがあるが。クルツは何を恐ろしがっていたのかで語り明かしたい本である

9. ヴァン・ダイン僧正殺人事件

自分は育ってきた境遇英米わらべ歌(マザーグースナーサリーライム)は身近に感じるのだが、そうではない読者がどこまでこの趣向を楽しむことができるかどうかはわからない。

この作品特筆すべきことは、探偵犯人と対決するときの命を懸けた大博打だが、今の倫理的な読者はこの方法犯人を裁くことが適切と考えるかどうかはわからない。ミステリにおける倫理後期クイーン問題とかそういうの?)を語るなら読んでおきたい。

11. エラリー・クイーン「Yの悲劇

かに単体で一番面白いのはこの作品だけれども、せっかくだからドルリー・レーン四部作は一気読みしたい。ただ、衝撃の真犯人といわれても、すっかりすれてしまった現代の読者からすればそこまでショックを受けないかも。そういう意味では登場人物の反応も大げさに見えてしまう。

個人的には「Zの悲劇」以来(テコ入れのために?)登場したペイシェンスという活動的ヒロイン女性史の観点から興味深い。当時としてはすごく斬新なヒロインだったんじゃなかろうか。恋人と一緒にパンツを買いに行くし。

13. アガサ・クリスティそして誰もいなくなった

クリスティはどれを選ぶか迷う。ただ、わらべ歌物の中ではなじみが少なくても楽しみやすいんじゃなかろうか。一人ずつ減っていくという趣向は非常にわかやすい。謎を解く手記が多少不自然といえなくもないが気軽に読める。

ちなみに舞台版ではハッピーエンドに改作されているのもあるとのこと。

25. ロアルド・ダールあなたに似た人」

チャーリーとチョコレート工場」など児童文学の作者としても知られる。児童文学ではスパイス代わりだった毒がメインディッシュになっている。

ところで、読者諸氏は年末に「岸部露伴は動かない」をご覧になっただろうか。ドラマ化されていないが、シリーズの中に命を懸けて賭けをする場面がある。あるいは、「ジョジョの奇妙な冒険」第五部でライターを消してはならないという賭けが出てくる。その元ネタとなったと思しき「南から来た男」が収録されているので、ジョジョファンは一読をお勧めする。オマージュ翻案とはこういうのを言うのか、って気持ちになる。なお、ダールは「奇妙な味」の作家としても知られている。

27. レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」

筆者はフィリップ・マーロウの良さがわからない。必要のない危険にわざわざ飛び込んでいき、暴力的人間挑発する。ただし、この作品日本の文化に与えた影響は大きい。

ハードボイルド小説以外から例を挙げよう。一つは村上春樹のいわゆる鼠四部作だ。「羊をめぐる冒険」での鼠の足跡を訪ねてのクエストチャンドラーの強い影響を受けている。あるいは「ダンス・ダンス・ダンス」の警官による拷問親友犯罪が明らかになるシーンの元ネタも見つけることができる。一度村上春樹登場人物系譜はどこかでまとめておきたいと思っている(村上春樹ヒロインをまとめていた増田自分は別人)。

もう一つは「スペースコブラ」の「坊主… 口のききかたにゃ気をつけな… オレは気が短けえんだ!」「腹を立てるとなにをするんだ? うさぎワルツでも踊るのか」の元ネタがあること。「……俺は頭が切れやすくってね」「頭が変になったら何をするんだい? 地リスとタンゴを踊るのか?」。どこがかっこいいのかは残念ながら筆者にはわからなかった。

37. ウンベルト・エーコ薔薇の名前」★★★

エーコについては書きたいことがたくさんある。キリスト教と笑いについて問いを投げかけたこと、中世舞台にしているようで当時のイタリアについての無数の言及があること、それから次の名言。「純粋というものはいつでもわたしに恐怖を覚えさせる」「純粋さのなかでも何が、とりわけ、あなたに恐怖を抱かせるのですか?」「性急な点だ」

しかし、この作品で一番深刻なのはキリスト教文学であるにもかかわらず、主人公見習い修道士以外の誰もが、誰のことも愛していないことだ。キリスト教とは愛の教えであるはずだ。弱いものに施したことは、神に捧げたことになるはずで、福音書にもそう書いてある。しかし、修道士たちは貧民を見捨てて権力争いに明け暮れ、異端審問官たちは民衆拷問し、主人公を導くはずの師匠人間を愛していない。彼が愛しているのは知識だけだ。

主人公は、言葉の通じない村娘とふとしたきっかけでたった一回の性交を行い、彼女に深く恋し、それでも魔女として告発された彼女を救えない。彼が村娘の美しさを描写する言葉がすべて、聖書からのつぎはぎなのが痛々しい。

勿論、知的な遊び心にもあふれている。主人公の不可解な夢の持つ意味を解き明かした師匠は「もしも人間が夢から知識を得る時代が来たら世も末だ」という趣旨台詞を漏らすが、これはフロイトへの当てこすりである。同じく、深刻な場面で、とあるドイツ神秘主義者が「梯子をのぼったらその梯子不要なので捨ててしまわなければならない」と述べたことが言及されるが、ウィトゲンシュタイン言及したジョークである中世にこんなセリフが出てくるはずがない。

難解かもしれないが何度でも楽しめる。なんだったらあらすじを知るために映画を先に見てもいい。ちなみに、この映画セックスシーン、村娘が修道士を押し倒すのだけれども、多感な時期にこんなものを見たせいで女性男性を襲うアダルトビデオが好きになってしまった。そういう意味でも自分にとっては影響が深い作品

40 ウィリアム・ゴールディング蝿の王

人間嫌いだった筆者が最高に楽しんだ本。文明が野蛮に回帰していくというモチーフが好きなのだ。何を持って野蛮とするかは諸説あるが。大体、中高生の頃は自分差し置いて人間なんて汚いという絶望感に浸りがちで、そういう需要をしっかりと満たしてくれた。舞台と同じ男子校出身だしね。

48.アゴタ・クリストフ悪童日記

三部作の一冊目。実はこれ以外読んでいない。読んだ当時は、双子たちのマッチョ志向というか、とかく異様に力を手に入れようとするところだとか、著者がフランス語で書いたにもかかわらずフランス語憎悪しているところとかが、何とも言えず不快だった。

今読み返したら、双子たちが過剰に現実適用しようとする痛々しさや、亡命文学の苦しみに対してもっと共感できる気がする。個人的には頭が良すぎて皮肉な態度を取り続けるクンデラのほうが好きだけどね。「存在の耐えられない軽さ」よりは「不滅」派。

53. 黒岩涙香巌窟王

翻案前の「モンテ・クリスト伯」について書く。

子供の頃より腕力がなくてやり返せず、口も回らずにいつも言い負かされ、片想いしていた女の子いじめっ子が仲良くなるのを横で見ていた自分にとって、自由財産恋人を奪われたことへの復讐主題としたこ作品にはまることは必然であったと思う。とにかく面白い特にモンテ・クリスト伯が徐々に復讐心を失っていく過程が、非常に良い。

大人になって完訳版を読むと、ナポレオン時代の国際情勢を背景がわかってさら面白かった。

55. 江戸川乱歩「孤島の鬼」

犯人当てや宝探しなど派手な展開がてんこ盛りだし、犯人動機の一部は自分醜悪に生まれたことに端を発しているから、貧困とか弱者とか非モテとかそういう問題に敏感な増田にとっても議論の題材にできそう。

57. 夢野久作ドグラ・マグラ

読んだからと言って別に正気が失われないけれども、チャカポコチャカポコのくだりで挫折する読者が多いと聞く。大体あの辺りはあまり深刻にとらえず、リズムに乗って楽しく読めばいい。スチャラカチャカポコ

話のテーマは、基本的には原罪的なものだろう。自分が人を殺しているかもしれないという恐れ、親の罪を受け継いでいるかもしれないという恐れ、それから生きることへの恐れだろうか。

60. 小栗虫太郎黒死館殺人事件

難解な雰囲気は好物だが、かなり自己満足的でもある。ヴァン・ダインの二十則破りまくりだし。言葉連想テスト犯人を指摘し、余計な情景描写や、脇道に逸れた文学的な饒舌にあふれ、探偵があっさり暗号を解読して、事件の謎を解く。作者の知識開陳を素直に楽しみましょう。ただ、これ読むんだったら澁澤龍彦の本を何冊か買ったほうがお得であると思うし、膨大な知識が注ぎ込まれているがリーダビティの高い点でもエーコに軍配が上がる。

62. 横溝正史獄門島

差別用語が出てくることで有名で、先ほど出てきたわらべ歌による見立て殺人の影響を受けている。

血のつながりによる犯行動機や、実行の決め手となる偶然の出来事、その皮肉な結末が個人的に好き。自分は謎を解くことよりも、犯人たちの心理状態特にその絶望のほうに興味を持つからだろう。

78. 竹本健治匣の中の失楽

メタフィクション個人的には愛好しているのだけれども、話が入り込みすぎていて結局どういう話であったか覚えていない。巻末の書き下ろしのおまけで、探偵少年パンツの模様を聞くシーンがあったことだけを覚えている。

とはいえ、癖のある登場人物から大学文学ミステリサークル雰囲気を思い出して感傷に浸るのにはおすすめか。大体、小説を好きこのんで読む人間は大抵どこかこじらせているものだし、読みたいリスト他人お勧めする本リストを作り出したらもういけない。そしてそんな奴らが僕は大好きだ。

以上。

2021-02-04

フェミニズムが死すべき理由

 15歳のときベル・フックスの「フェミニズムはみんなのもの情熱政治学」を読み、それが私のバイブルになった。そこに書いてあったフェミニズム説明を読んだだけで、それが世界を変えるとわかった。地元図書館にかろうじてあったフェミニズム書籍コーナーに潜り込むや否や、 牟田一恵や田嶋陽子世界に浸りこんだ。私が進学先の大学を選んだ理由は、その時すでにTwitterで名を馳せていた北村紗衣先生が教鞭をとっていたからだし、ジェンダー論の授業があるからだった。大学を出て最初についた仕事では社内セクハラの撲滅に従事し、プライベートでもTwitter消費者運動を通じて、男女差別と戦ってきた。ほぼ十年、このために使った時間は知れない。

 何が言いたいかというと、フェミニストを名乗れる人間がいるとしたらそれは自分だということ。九州田舎で育った孤独ティーンエイジャーにとって、フェミニスト冒険譚を読むのは震えんばかりの興奮だったし、目を見開かされる思いだった。周囲にこんな人は見た事がなかったけれど、ネットを通して自分と似たような人が他にいるとわかって希望が生まれた。大学に通い始めてからは、フェミニストでいることにひねくれたプライドもつ人を他にも何人か発見した。けれどそれはまだ珍しかったし、社会の主流な考え方からはすっかり外れていた。だから、なぜせっかくそれなりの企業就職した自分が、社内恋愛の末の寿退社ではなく、男受けの悪い反セクハラ活動血道を上げているのか、誰も本当にはわかっていなかったし、私はフェミニストだと言うと、ほとんどの人が眉をしかめた。月日を経て、私は同じ志を持つ仲間の輪を少しずつ広げた。職場教育、そしてマンガアニメなどの趣味世界。それぞれの世界活動する私たちを、フェミニズムが互いに引き寄せた。そんな仲間の助けがあったから生き延びる事が出来た。けれど仲間を探すのは難しかった。私たちはまだ、社会の中で傍流だったのだ。

 でもこの十年、状況は様変わりした。映画ドラマフェミニズムに則って制作されるのが当たり前になった。アナ雪や逃げ恥を通じフェミニズムは恥ずかしがらずに誰もが楽しめるものになった。

 そして、たぶん一番重要なのは、今やフェミニストはカネを、そして権力地位をも持っているということだろう。世界で一番大きな、そして一番勢い良く成長している企業女性配慮し、女性を雇っている。日本大企業や省庁も女性差別をやめ敬意を示すようになった。強い女性はかっこいい。私たちは勝ったのだ。

 そして、そこに問題がある。私たちは未だに自分達が反乱軍かのように振る舞っているけれど、今やフェミニズム帝国だ。十年前までは私たちはおおむね正しく、批判的外れで間違っていた。だから他人に耳を貸さな私たち習性は深く根付いている。それどころか、フェミニストに向けられた批判スクラムを組んでやりかえすのが絆を深めるためのちょっとしあ儀式になってすらいる。今までは誰かの批判攻撃するのも、かつては大したことではなかった。一握りのフェミニズム親和的な人以外にそうした論考が読まれる事はなったからだ。そんな内なる声も、今や大きな問題になっている。フェミニストが本当の権力を振りかざしているからだ。キズナアイラブライブポスターへの攻撃、宇崎ちゃんポスターにまつわる献血ボイコットは、フェミニストの私にとって恥ずべき出来事だった。けれど恐ろしいのは、その暴力的な振る舞いが、フェミニスト界隈に常在する何かと同じ感じがすることだ。それでいいという空気があることだ。ただ驚くしかない。その空気はあっという間に、誰かが大切に育ててきた営みを、無造作に叩き潰すほどに膨張した。ファミリーマートのような主流の大企業ですら、私たちの突きつけた理不尽圧力に巻き込まれている。今や私たちは、「自分反乱軍だと思い込んでる帝国軍」なのだ

 だから日本は未だ後進的な男性社会で、私たちフェミニストはそれに反抗するレジスタンスであり、いつの日か勝利するだろう」みたいな、フェミニスト界隈の通奏低音はすごく違う感じがする。たしか私たち女性は、かつては家父長制にいじめられたり、大企業無視されたりしていた。でもそれは、私たちにカネも力も無かった頃の話だ。今や私たちには権力があり、日本資本主義社会私たちを標的にするのではなく仲間とみなすのやぶさかでない。20年前の男性社会私たちお茶くみや家庭に押し込めようとしていたけれど、今や私たち仕事学術に家庭に多くの選択肢を持つ一方で、文句も言わずに黙々と経済的後ろ盾になってくれている。

 フェミニズムの愛すべき要素の一つに、共感連帯を大切にするという価値観がある。誰かが泣いている時、証拠事実検証は、大抵役に立たない。いの一番に、「私もあなたのために怒りたい」と表明し、それを実行しなければ社会は変わらないのだと、痛い目に遭いながら学んできた。これはフェミニズム界隈を通底するルールだ。誰かが被害を表明すれば、ただちに飛んでいって守り合う。客観的データに基づく結論は、提示するのに時間がかかるし決まって歯切れが悪い。だからスピード攻撃力が高い「お前は差別主義者だ。私は傷ついた」と言い切る思い切りが習慣になる。

 なのに、フェミニスト自分たちの共感埒外にある人々へ示す冷酷さには、思わず目を丸くしてしまう。知りうるほとんど全てのフェミニストが、自分より年収の低い男性や、性的魅力に乏しくオタク文化に逃げている(と見なしている)男性嘲笑し、あるいはそういった言説を窘めもしない。逆に高学歴高収入男性や、容姿に優れるなど性的魅力が豊富タイプは、あらゆるレトリックを用いて養護し、倫理的お墨付きを与える。収入学歴容姿共感駆動するフェミニズムは、これら男性ステータスに対してどこまでもプリミティブな接し方をする界隈だ。フェミニズム世間を席巻し、プレイヤー絶対数が増えるにつれ状況は悪くなっている。

 解決策を知っているというつもりはない。けれどどこかで何かが間違っていると意識することはできる。現に私より若い世代では、女性たちの間ですらフェミニズムへの忌避感が広がっていると感じている。しか私たち現役フェミニストは、フェミニズム忌避する女性に対してどんな態度をとってきただろう?ここで口にするのも憚られる、卑劣言葉を投げつけては、仲間内での連帯を高めてきたのではないか?こう想像するのはおかしな事だろうか――この深く根付いたクソっぷりが、若い世代を遠ざけているのでは?

 あたりを見回すと、私たちが育ててきたフェミニズムが、自由への革命から威圧的権力へと姿を変えたのがわかる。私たちは確かに素晴らしいものを生み出した。けれど私たちは不注意で、普通の人々を傷つけないための安全策を怠った。私たちは不注意で、未来フェミニストたる多くの若者たちを成長の各段階で追い出してしまった。私たちは不注意で、世界アップデートしたとき失うものがある人を気にかけなかった。いい目を見る人のことをだけを考えていた。(だいたい自分達のような人々だ。)

 古い世代の連中より高潔でありたいと、いつも願っていた。けれど蓋を開けてみれば、力不足ゆえに無害なだけだった。体に染み付いた被害意識は、私たちいじめ行為に至る際の非道言い訳と成り果てた。

 だから言いたい。フェミニズムは終わりにしよう。フェミニズムは素晴らしいことを色々してきたけれど、今のフェミニズムは歪んだ復讐心暴力衝動に駆り立てられる怪物だ。まともな答えは、これを終わらせてもっと良い何かを作り出すことしかない。

 もっと良い何かとはどんなものだろう?私たち攻撃したラブライブには希望を感じる。私たちが巻き込むのに失敗した若い世代女性をはじめから取り込んでいるからだ。どんな未来が来るにせよ、私たちは良き人物になることを重視する必要がある。今までよりずっと。

 弱さへの憎悪と、強いものへの阿諛追従は終わらせなければいけない。これはフェミニズムとあまりにくっつきすぎている。だからこの星からフェミニズムを消し去るしか、確かな方法はないと思う。

2021-01-19

スポーツ大会が潰れると「復讐心が満たされる」

ただの言論の自由だろうに大勢圧力をかけて黙らせる

からスポーツ選手をうざったいと思うんだよ

https://news.nifty.com/article/entame/showbizd/12184-200088929/

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