はてなキーワード: 喫緊とは
以下、高校受験を控えた中学生が正月に勉強サボって書いた妄想文のようなもの。
誤情報・誤認識に基づいた記述が多々想定されるので、くれぐれも「その通りだ」などとは思われぬよう。
1、ノーベル賞を受賞しても国家予算は決められない
大隅良典先生は、オートファジーなる現象の発見で2016年のノーベル賞を受賞された。
その後、いくつかのメディアなどを見ていると、大隅先生は
・独創的な発想に基づく研究の推進
・若手研究者の支援など人材育成の充実
などを提言されている。
しかし、この影響は極めて部分的なものにとどまると思う。
つまり、今後も独創的な研究の支援は増えないし、
若手研究者の研究環境・生活環境は悪劣なまま維持される。
なぜなら、「科学技術振興予算は今後、増えない」からだ
(ごまめの歯ぎしり:河野太郎代議士のブログ参照)
https://www.taro.org/2017/01/%e8%ac%b9%e8%b3%80%e6%96%b0%e5%b9%b4%e7%a0%94%e7%a9%b6%e8%80%85%e3%81%ae%e7%9a%86%e6%a7%98%e3%81%b8.php
科学技術振興予算の内訳を組み替えるにしても、
すでに奪い合いの激しい中で、目に見えた結果の出にくい
上の二つをどこまで拡充できるかには疑問がある。
もしも予算を増やそうなどと思ったら、公民の教科書ではないが
概算要求→政府案→予算審議→予算成立
という国家予算のプロセスの中で、負債の返済や、
増え続ける社会保障費などとともに俎上に載せた上で、
予算成立までこぎつける必要がある。
どちらにしても、研究者という存在の限界は
大きく超えているように思い、いくらか愚考してみることにした。
具体的には、
「研究者が国会議員になることで科学技術振興予算を増やせないか」
ということだ。
多分、ノーベル賞学者の知名度なら参議院議員になれると思ったので、
2019年の選挙もそう遠くないし、勝手に考えてみた。
2、象牙の塔からの発信ではなく議員として予算委員会へ
いきなり乱暴な議論だが、上記の予算プロセスを経て、
「平成29年度予算は政府案どおり成立した」らしいので、
http://www.mof.go.jp/budget/budger_workflow/budget/fy2017/
政府=研究者ならば問題は解決する気がする。お手盛りで決められるかもしれない。
当然そうはならないが。
では立法、つまり国会から研究支援法のようなものを提案することは可能だろうか。
これもなかなかハードルが高く、参院ならば10名
(予算がらみなので20名以上?)集めないといけない。
おそらく、まず初めにできることと思われるのは、
予算委員会で発言する事のように思う。できれば議員として。
予算審議の公聴会における公述人でも良いではないかと言う考えもある。
しかし、それでは足りないと考えている。
五年前くらいに災害対策特別委員会で京都大学教授・
内閣官房参与の方が日本の災害対策・インフラ問題について、
公述人として熱く語っていた。
しかし、地方のインフラの悲惨さが変わる気配はない。
つまり、考えの正しさだけでは足りない。
国民の理解を得られている、という事を示さないといけない。
やはり選挙を経て、国民の信任を受ける必要がある。
しかし、わざわざ著名な学者でなければならないのだろうか。
3、果実をもぎ取った人の説得力が必要だ
結論としては、著名であることは何より必要であろうと思われる。
国民に対し研究の重要性を訴える事は、誰でもできる。
しかし信頼を得るには、担保となる実績が必要だろう。
研究の種が花開き、果実をもぎ取る季節までは、
気が遠くなるような時間がかかる。
蝉の一生ではないが、ほとんどの時間は日の当たらない
地中生活といっても過言ではない。研究者にとっては、
その生活も楽しいのだが、たぶん理解されない。
広い人々に訴え、信頼を得るには、
その手に確かに、たわわに実った果実が必要だろう。
現状、日本は科学・技術の振興をやめつつある。
他の先進国との競争に負けつつあり、新しい研究の芽吹くことのない、
研究の土壌として貧しい国になりつつある。
Nature Indexについての記事が話題になったのは記憶に新しい。
https://www.natureasia.com/ja-jp/info/press-releases/detail/8622
これでいいのか、このままでいいのか、
ということについて述べるのは、あまり意味がない。
悲しいことだが、国民が選び議論した結果だからだ。
それでも保険会社が子供に夢を聞けば、
「学者」は高い人気がある。
彼らが果実をもぎ取ることができる未来は
このままだと日本という国からは着実になくなっていく。
衰退しつつあることが現状である以上、
現状維持は衰退の維持である。
わかりやすいところでいうと、
大学院の博士課程には、もう学生がいない。
愚考とはいえ、著名な研究者の国政進出を願いたくなるほどに、
現状は深刻で、喫緊に対応を要すると思う。
4、別に大隅先生でなくてもいい
非現実的なところでいくと
・政府・内閣・国会が突如科学振興に目覚めて予算方針や法律が変わる
・法律や閣議決定された予算の基本方針などに逆らって
勇敢な予算編成が組める官僚が出現する
もう少し現実的には
・研究者が大挙して霞ヶ関に大々的に陳情に行く
(パブリックコメントって効果あったのだろうか)
・国会議員に積極的に働きかけ理解を求める
しかしこれらの効果も限界があるように思われるので、
・研究者が国会議員になる
が短期的には最も有効である気がしてしまう。
中期的には研究者が中心となって小さくても良いので政党化すると良いと思う。
長期的には
・科学振興が選挙における関心事になる
ことが良いように思うので、
少しずつでも科学者は象牙の塔から出て、
地域のイベントや飲み屋に繰り出すべきではなかろうか。
研究者という生き物が国民に、さらには国会議員にきちんと理解されるようになれば、
研究者は象牙の塔ならぬ地中暮らしで満足なのだから。
大隅先生など著名な先生を国政に引っ張り出す必要もなくなる。
以下の文などを読むと、すでに飲み屋には
大隅先生をはじめとした研究者がたむろっている気がしてならないが。
http://www.jscb.gr.jp/jscb/contribution/contribution.html?vol_id=223&no=9&id=28
以上、あまりの散文に目眩を覚えつつ、間違って投稿ボタンを押すことにする。
https://anond.hatelabo.jp/20170930153952
見せ方の問題
経験に基づく技量の限界もあるので、言ってもらったこと全てに応えるのは不可能だけど
・第四話冒頭タイトル下の2コマ、強いコントラストの絵の中でまだ陰の場所に居るチカが光に向かって進みながら自分の古傷を振り返る→内面描写が始まる雰囲気を出す
・中盤チカの索敵シーン、パルス状の魔法でブーストする前触れに水面に映る波紋を描く→流れを整える
・足元の索敵を始めた直後に黒ベタの大ゴマを入れる→読者のスクロールの手を止めさせる
上手く行ってるかどうかはまた誰かの意見を聞かなきゃわからないけど
他のシーンでも見せ方考えなら演出しようと頑張ったけど、まだまだ自分自身でしっくりきていないところが多いです
現行クエストが一段落付いたら加筆した高解像度版を有料配信する予定ですが
その際は1話2話を大きく変更するつもりです
それまでに売り物として通用するレベルまでスキルを高めるのが今の目標です
とても役立つ指摘ありがとうございました
今、日本では国民レベルでの議論を必要としている問題に直面している。少子高齢化、安易な自殺、怠惰な若者の台頭、道徳危機……、挙げていけばきりがない。中でも、安易な自殺は学校社会や若者社会を中心に話題になった。今起きている過労自殺というのはまさにその代表例である。日本以外はどうか。外国に目を向けると、民主主義や資本主義をめぐる国民と国家などとの衝突が発生している。例えば香港や台湾では中国との政治・経済関係をめぐり、香港や台湾独自の民主主義が損なわれかねないとして不安を感じた学生が議論を行い、それが決裂ないし過熱して、やがて蜂起した。恐らく日本においても議論が過熱しかねない民主主義や資本主義に関する社会問題というのは存在するはずだ。しかし、日本人は議論というものを嫌う傾向にあるので、根本的な問題解決ができず、小手先の問題解決に明け暮れてしまう。
そこで、私から提案があるのだが、日本の教育やメディア放送において、議論に関するスキルを養うカリキュラムや番組を組むのはいかがだろうか。教育面では小学校・中学校・高校の所謂総合学習の時間を議論に関するスキルを養うカリキュラムに割り当て、その授業の参加を通じて議論に関するスキルを養う。すでに高校を卒業している方のためにもテレビ番組でもどこかの民放において議論をテーマに扱った番組を放送する。また、テレビを見れない方向けに、YouTubeやニコニコ動画にて同じ番組内容の動画を配信する。劇的な効果は現れないものの、ゆとり教育と同じように、何年か時間がたてば次第にその効果が発揮されるだろう。
最盛期に比べれば大幅に減速しているとはいえ、グローバル化が進むこの現代。我々日本人には語学スキルやマナーのみならず、議論するスキルをも求められている。語学やマナーに関しては教育の浸透が進んでいるが、議論に関しては殆ど身についていない。世界がナショナリズムに完全に移行しない限り、議論に関するスキルは語学力と同じく生きていく上で求められる。もしかすれば、奨学金制度の改善や都市公共交通システムの改造以上に至急性のある日本の喫緊の課題なのかもしれない。
今日本では国民の借金の増加について議論が繰り広げられている。特に、現在問題になっているのは学生ローンすなわち奨学金である。長引いた不景気に伴う就職難や収入の不安定な階層の高学歴化によって自己破産する家庭が出現している。日本政府は日本の学歴社会化を待ち望んでいるが、奨学金ローンによる弊害を知った庶民が高学歴化(高校卒業後の進学)を諦め、景気の自然回復(とはいえ不況から普通になっただけだが)による有効求人倍率の上昇や企業努力などによる働きやすい環境の整備などもあって、早期就職を選択する若者が急増している。これは政府にとって痛い現実だ。世界は経済や社会の成熟に合わせて学歴社会が進むのが当たり前(北欧や韓国がその例)だが、日本の学歴社会化は減速している。(日本の大学現役進学率は1990年代の不況以降上昇し続けてきたが、2010年代に入ってから減少に転じた。)これは日本社会を成熟させるに当たって解決せねばならない問題だ。
そこで、私は、ローン式の学生奨学金制度を順次廃止して、給付式の奨学金に移行させる、学生奨学金改革を提案したい。その前提として、人口増加率の減速に合わせた学校の整理を行わなければならない。具体的には底辺の私学に対する閉校勧告や公立学校の整理で、学生ローンの原因となっているランニングコストの削減を図る。一般的に、日本では高偏差値の学校ほど志望倍率や学生人口が多く、低偏差値になるにつれて倍率や人口が少なくなる傾向がある。欧州で教育インフラの成熟がうまくいっているのは、まず大学の絶対数が少ないために、公的機関によるランニングコストの負担が軽減されているからである。底辺校は切り捨てられる流れにし、学生ローンでまかなっていた教育コストの負担が公的に行える土壌になればよい。ついでに、加計学園のような底辺校の新規開設も止めさせるべきだ。底辺校の粗製乱造は公共にも学生のためにもならない。そういう学生は浪人して別の大学を志望するなり、大学進学が必要なければ高卒就職する方がよい。大体日本の学歴社会なんて韓国よりは100倍ましなのだから。
なお、今ある学生ローンについてだが、私が教育界隈を司る大臣や役人であれば、徳政令によって債権や債務を帳消しにすることを考える。「自己責任」という意見もあるだろうが、大学の学費ローンは住宅ローン並みと同じくほぼ一生付き合わされる重い負担である。その負担を軽減したほうが、経済復興の加速や若者の消費意欲の向上にも繋がるのではないか。私は国公立大学を卒業した中流の上の家庭出身だが、それでも元大学生としての経済的な痛みは理解できている。もし、地方自治体レベルでもいいから選挙や政治シンポジウムに参加する際には、是非とも日本の学生ローン問題について取り上げてみたいと思う。
とにかく、学生ローンというのは日本社会にとって喫緊の課題であるので、次の国会や自治体の議会において取り上げられればと思う。いや、選挙のときに争点にされなければならないレベルになっているのではないかと思う。しかしながら、私は公務員として働いており、娘や息子も今年受験して来年公務員になる予定があるので、民間人のように政治思想を自由に語れないという不自由さもあるのだが……。
またこの話題か、と思うかもしれないが、書きたくなったので書く。
東京って、街の規模に対する人口許容量みたいなものがあったとしたら、明らかにオーバーしているのではないだろうか。
高止まりしている住居コストは言わずもがな、久しく言われている待機児童、待機老人の問題もそうだし、
満員電車などの交通インフラの限界、災害リスクなど、どれも喫緊の問題ばかりだ。
人が住める延べ床面積が増え続けても、空間が物理的に広がるわけではないし、
外にほとんど出ない人間はやっぱり少数派だろう。街はどんどん狭くなる。
深夜に出歩いて必ず人が歩いている光景は、刺激は多いかもしれないが、やはり特殊な環境だと思う。
東京に住んでいる人の中で、仕事のために、仕方なく住んでいる人が、もし多くいるのだとしたら、
なんでみんなでこんな不幸な思いをしているのだろうと馬鹿らしくなる。
だから、イケダハヤト氏のように、いきなり高知に移住しよう、とは思わないが、
適度な環境が整った、魅力ある地方都市が、日本にはとてもたくさんある。
よほどのトンマでもなければ、若者の皆勝ち組政策よりも必要な政策は「国民の精神・知的障がい者化の防止」であることは明白だ。いかに障害者化を防ぐか、いかに障碍者を健常者化させるか、これをどうにかしないと、日本は破綻してしまう。若者の知能向上ができようができまいが失敗するだけのエリート化政策のことより、大人の心配をしたほうがいい。
若者の総エリート化なんて喫緊の課題でも何でもない。だってすでに勝ち組は増えているし、どの都道府県も進学校がある(皆さんの近所にも多数あるはずだ!)のだから、夢見る子供はそこに入ればいい。
しかし、「儒教社会」に長らく慣れ親しんで麻痺しているような地域の人間や、ソビエトの人格教育だのアメリカのエリート社会に心酔する誰某達は、こういう異常な社会に気づくことができない。いずれも現状を欠片も分かっていない無知だが、こういう人間ばかりが社会に影響力を及ぼすことで日本の大人がここまでダメな現状になったことを我々は意識する必要がある。こうした構造はたかが若い世代の総エリート化に限らず、忖度社会などにもつながっている。
先進国を名乗る地域で、これほど社会意識のレベルの低い国は、日本以外にないと思う。お里の知れた人間たちによるその罪は大きいのだ。
一切のビジネスにならない税収に繋がらないというのは、確かに極端な考えだというのは説明してもらって理解できた。量産体制の中で栽培される品質の高いモノはある程度の市場価値を持ち続けるのは間違いないと思う。
ただ、この場合においても社会的な危険性が排除できるかというとそうは思わない。まず、有効成分の高い品種が日本の気候で育たないという情報は確認できなかったし、大麻の自生力そのものを改良するのが難しいのは間違いないだろう。種子を持ち込めば日本でも改良品種が自生する可能性は十分ある。海外での設備投資をして行われる生産方法はあくまで品質確保と量産体制の為のものだろう。
そしてコモディティ化した場合、違法組織が参入するメリットがないということだが、これはその可能性もあるという程度のものだと思う。仮にタバコの成分がタンポポから取れるとなった場合、違法業者が劣化タバコを生産して正規のタバコが高いと感じている低所得層に売りつけるという事態は容易に想像できる。それをしないのは、実際は栽培コストを考えると商売にならないからだ。違法組織が参入してくるかどうかは、価格設定や需給次第だろう。しかも、違法組織が撤退したとしても、個人での小遣い稼ぎとしての栽培まだ食い止めることはできない。その場合は、品質が保証されない安全性の低いものが流通することになる。組織化された犯罪から個人レベルの犯罪へと変化するだけかもしれない。
別の視点からもう一つ。大麻合法化の問題は、対違法組織、対ギャング、治安、健康だけの問題ではない。
優先順位の上位はその内容で間違いないし、社会システムを大きく変化させるにはそういった喫緊の課題が必要だ。
やはり、大麻を取り巻く事情が日本と海外では大きく違うということを無視しちゃいけない。大麻合法化の議論をしている国では、大麻を使用したことのある人が四人に一人はいるような状況だ。アメリカに至っては二人に一人。一方、日本では百人に一人。海外では、大麻をドラッグとして取り締まるのか、アルコールのように各種法整備で取り締まるのか合理的な手段を選択しなければいけない状況にある。治安と言っても意味は広いから、そういった課題のある状況だからといって安心に暮らせないかというとそうじゃない。そういう意味で治安が悪い訳ではないのはその通り。ただ、対応を迫られていない日本で合法化すれば、未成年使用の規制、運転時の禁止、公共の場所施設での禁止など起き得なかった取り締まりを始めなきゃいけなくなる。そんな馬鹿なことはするべきじゃない。実際、違法大麻の嗜好品としての定着なしに、大麻合法化の議論をしている国は今のところ確認できてない。
大麻使用を個人の権利にするかどうかについても当然社会の現状、影響を考慮して国ごとに決めるもの。ポルノやらなんやら上げてるけど全部国次第では禁止されてるものじゃない。どっかの国でありだからうちもなんて決め方はあり得ない。
郷原信郎が斬る 「獣医学部を全国で認可」発言で“自爆”した安倍首相
https://nobuogohara.com/2017/06/26/
http://www.sankei.com/smp/west/news/170624/wst1706240053-s2.html
http://www.sankei.com/smp/west/news/170624/wst1706240054-s1.html
国会終盤では、国家戦略特区での獣医学部新設につき、行政がゆがめられたかどうかをめぐって大きな議論となりました。獣医学部は昭和41年を最後に新設がまったく認められていませんでした。しかし、半世紀以上の時が過ぎ、鳥インフルエンザ、口蹄疫など動物から動物、さらには動物から人に、うつるかもしれない伝染病が大きな問題となっています。専門家の育成、公務員獣医師の確保は喫緊の課題であります。それでも新設を認めない、時代の変化に対応できない制度であるならば、そちらの方こそ、ゆがんでいるのではないでしょうか。時代のニーズに応える規制改革は行政をゆがめるのでなく、ゆがんだ行政を正すものです。岩盤規制改革を全体として、スピード感を持って進めることは、まさに総理大臣としての私の意志であります。
当然その決定プロセスは適正でなければならない。ですから国家戦略特区は民間メンバーが入った諮問会議や専門家を交えたワーキンググループにおいて、議論をすすめ、決定されています。議事は全て公開しています。文部科学省などの関係省庁もこうしたオープンな議論に参加し、主張すべきは主張します。最終的に関係省庁の合意の上で改革を進めていきます。むしろ、そうした透明で、公正、公平公正なプロセスこそが内向きの議論を排除し、がんじがらめとなった岩盤規制を打ち破る大きな力となる、これが国家戦略特区の発想であります。
ですから、私の友人だから認めてくれ、などという訳のわからない意向がまかり通る余地などまったくありません。審議に携わった民間議員のみなさんもプロセスに一点の曇りもないと断言されています。国家戦略特区は規制改革の突破口です。まずは、特区に限定して、岩盤規制に風穴を開ける。しかし、目指すところはあくまでも全国展開です。これまでこの特区を活用して79項目にわたる規制改革を行いましたが、このうち23項目は特区に限定することなく全国展開が実現しています。
ここまでも国家戦略特区の話だし、さらには特区の全国展開の話に及び、
獣医学部の新設も半世紀以上守られてきた堅い岩盤に風穴をあけることを優先し、獣医師界からの強い要望をふまえ、まずは1校だけに限定して特区を認めました。
しかし、こうした中途半端な妥協が、結果として、国民的な疑念を招く一因となりました。改革推進の立場からは、今治市だけに限定する必要はまったくありません。すみやかに全国展開を目指したい。地域に関係なく2校でも3校でも、意欲あるところにはどんどん獣医学部の新設を認めていく。国家戦略特区諮問会議で改革を、さらに進めていきたい、前進させていきたいと思います。
その後もずっと国家戦略特区の話をしてるわけ。
どこをどう読んでも、認可する主体は、国家戦略特区諮問会議だ。
https://nobuogohara.com/2017/06/26/
ところが、今回、安倍首相は、「獣医学部の新設を全国で認めていく」と述べ、総理大臣として、獣医学部の新設を認めることができる立場にあることを自ら明言し、自分が「その気」になれば、いくらでも増やすことが可能であることを明らかにしたのである。
ここは大嘘。そんなこと、上で言ってるか?
安倍が自らの意思でやるぞと言っているのは、あくまで国家戦略特区の全国展開。獣医学部の新設は、その結果でしかない。
「総理大臣として、獣医学部の新設を認めることができる立場にある」とか、「自分が「その気」になれば、いくらでも増やすことが可能である」とか、もう、フェイクすぎるでしょ。
こちらは元増田についたブコメに対する反射的な返信コメント。随時追加。
少しずつ書いたのでキャラや主張に一貫性がないかもしれないがご勘弁を。
一部気まぐれで煽ってみたり、俺が見たとき「あとで読む」の人は飛ばしてしまった。あとひょっとしたらIDなどに誤記あるかも…不満があったらトラバで教えて。
あと
この件についていろんな人の意見が聞いてみたかった。トラバ・ブコメの皆ありがとう。
とくに反応薄かった最初のほうでもトラバブクマしてくれた方々には特別感謝です。
http://anond.hatelabo.jp/20170608123253
*****以下返信*****
cloq センス光る働いてるフリ
kurakano こゝろ の先生みたいな?彼はあまり幸せそうじゃなかったけどね。
msdbkm あ、それすごい気になる。そんな漫画あったっけ
teebeetee ちょっと別の話だけど相続フリーだと富は固定されるね。まあ重税課しても富裕層は最大限の税対策で切り抜けるだろうが。
masudamaster たしかに何やってんのかな、ヒマだろうに。創作活動とかいそしんでるならうらやましい。
mementm0ri いい意味で「頑張らないことを頑張る」のやつね
sumika_09 けんきょ
btei すでに働いたアリの話?誰かの遺産ならうらやましい。
sds-page 願望では?でもたしかにそれくらいならいいか感ある。ネトゲはネトゲで何か生まれるものもあるらしいしね。
quix_que 不労所得は駄目なの?じゃあ生活保護はいらんなぁ
locust0138 すがすがしいなぁ。少しずつ前向きになれるといいね。
BIFF 素晴らしいこと。こういう人が摩耗しない社会が良い。
mcgomez ベーシック現物支給の手がかり?コンビニ側にもメリットが必要だな。
demcoe なんていい言葉。美味しんぼか。ちょっと見直した。
mazmot なんか妥当な考え方かも。とりあえず生きていけて再就職もかなうならみんなつらい環境に縛られずに済むな。
yosukegatz そうなのか。金の管理がうまくできない人ってのも少しいるみたいだな。それはほっとくしかない?
cleome088 よくわからん…子どもにはいろんな経験させてあげたいけど。義務教育中の遠足じゃ不十分って話?
teto2645 そうだね。俺の理想は好きなことやって対価得て生きていくこと。動画配信はしない。
wow64 (たしかにそうかも)
masumizaru 現時点でワープアだけどね。頑張り方変えて頑張ろうぜ!はマッチョすぎ?
oakrw ほんとそれって言いたいけど俺は営業の仕事できそうにないから実はちょっと尊敬してる。
tanicochang その通り。でも人は自分と自分の周りの人が死ぬのはイヤって気持ちをわかりあって、だれも死なずに済む仕組みを作ろうとしてるんだね。
Palantir 説明不足だった。その中身を自分なりに詰めたいって話。与えられた基準で思考停止するならこんな増田書かないよ。
enemyoffreedom (どきっ)
htb48 ほんとにそうか?誰かに決められた基準に合わせて自分を納得させるのが正しいか?自分の考えはいらんのか。そしてできれば限られたリソースの中で現実的な理想を語りたいんだが。ちなみに働くと頑張るは確かに別のことだな笑 頭の中で対象を無職受給者に絞り込んでしまっていたわ。
gazi4 なん…だと…
zund4 まじで?てっきりやらない理由探しで文句しか言わずに努力しないダメ人間かと…
sumena ほんとそれ。俺は金銭管理に自信ないから現物支給がいいなぁ。実現が待たれる。
htbman たしかに。働きたいけど働けない人を生かせないのは損失だよな。
ma_yu_mi_net 俺は大人にも言わないでおくよ。
htnmiki その境目の判断は難しい。自分で働けないって思ってる働かない人も、その逆で苛む人もいるだろう。
kamayan1980 俺は自分の理想の実現につながる生産活動のことを「頑張る」言ってることに気付いた。全然一般的じゃなかった。少なくとも我慢や作業時間の切り売りを直接指していない。
rekp (ちょっとあこがれる)
sekisetsu_ibuki 実際裕福で不幸な人もいるんだろう。ザッカーバーグの「目的意識を持った人生」の話を思い出すな。
guinshaly たべたいよ…ハッ
Nihonjin 興味深い。生きるために必要なものが増えすぎた?それともやはり貨幣の寡占のせいなのか。
kkzy9 今の延長線上がお前の理想か?こっちは現実的な理想を探してんだけど、興味ないなら無理しなくていいよ。
Kil 同意。でも果たして働かない人が同じことを言うだろうか、とも。
bigapple11 たしかに言葉の定義があいまいだったと反省。というか想定を無職生活保護自給者に絞り込んでしまっていた。共産主義は体験したことないのでわからんが、チェブラーシカ見てると楽しくなさそう。
miki3k その内容の話ね。あなたの最低限文化的はどんな感じ?
kaeuta 労働環境の話か。たしかに頑張る人がつらくなく頑張り続けられる環境づくりは今一番の緊急課題。そういう政治家を応援しよう。
outroad そうなのか。俺は実態を知らないな。ただ保護から抜け出せない仕組みはクソだと思う。
TANSTAAFL えっ過酷
sugikota それは資産&教育格差の話?そのことと働かない人への保護に関係が?
deep_one 説明が足りんかった。その中身を話したい。正解ではなく、いろんな人の話を聞きたいのです。
beerbeerkun ないだろうな。本当に依存度の高い人は「基本的人権!」「最低限度文化的!」を我が物顔で振り回す。
hiby それはすごい応援したくなるな!!
monobako2 (ぼく破産しそう)
yoiIT 別の話だけどその通りなのかも。人を人として見るのも限界があるのかな。
sekreto そうだね。頑張ってる生産的な人が報われるといいって気持ちが俺にもあるわ。
shinonomen そうそう、そういう話がしたい。でもそんな違いを尊重する余裕は少なくともこの国にはなさそう
AKIMOTO たしかに相続による資産の固定は問題だよね。世界一斉に紙幣刷って大インフレ起こそう!(適当)
akihiko810 何をひどいと感じたの?寒さ?アリ?
aceraceae 虚無感すげえな。資産家と立場逆転とはいかんでも、食うくらい頑張ればできるし食うなら頑張れよってのは俺の思い込みなのだろうか。
ysyncysync いらっしゃい
midastouch レーニンはそう言ったらしいね。ところで何かと理由つけて働かない人をレーニンはどうするんだろう?
DukeK うわー十分。俺だったら松屋でもうれしいもん。
yarukimedesu おお、情報ありがとう。たしかに米なら政府主導でもできそうだよな。できないとしたらなぜだろう?
kakaku01 支給額見たらそのへんで働いてる人より手取り多いのザラだからな。実際はそんなことない?
richest21 wikipediaでは聖書あたりらしいからまあ古いわな。現代人を導く新しい寓話があったらどんな感じになるだろう?
otihateten3510 たしかに働かない・働けないの区別は難しいよな。じゃあどうカテゴリ分けするのがよさそう?
ustam マジレスすると罪悪感はいいから感謝は忘れず生きてほしいよな。
ryokujya 休める期間やそのためのセーフティネットがあるのは素晴らしいけど、人と関わらず一生何も生み出さない人がいたら正直「よく生きてられるな、人権以外に生きる支えが無いじゃないか」と怖く感じる。
ex02xx こいつ良いトンカツ食ってんな…
guru_guru それはそれで不自由だが、その心配がないから自由なんでしょ
h20p 本当にそう。このブコメでも頑張る=つらいことっていう認識があるとよくわかった。
primedesignworks そいつらの問題は別の話な気はするな。そっちも今度問題提起してみるわ。
shiju_kago アリのシステム有能だな。しかしその被害者意識はなんとかならない?
IkaMaru 正直最低賃金ってのがどこまで状況改善するのかわからないんだが、潰れる会社が増えて不景気になったりはしないの?知りたい
rag_en 俺自身は頑張ってるほうが精神的に健康というか、家族に依存しているときに立つ瀬がなくてつらかった。人によるだろうけど。
go_kuma よくわからん理由で特権階級握ってぬくぬくな奴らもいるからな。そっちの話もしよう。
GOGOGG 俺もそう思う。でもそれが当り前じゃないみたいなんだ。
Waspkissing いぢめないよぉ
dekasasaki それ。そういう仕組み作りに金が使われたらいいなぁ。
lbtmplzlbtmplz 不労所得がいらないってんなら生活保護・BIも
dogear1988 まじで?それもこわい
skythief えっそういう意識あった?ほとんどのいい思いしたいし周りの人に役立ちたくて働いてるものかと思ってたが。
yomo_w5_3 まあ商品の価値が下がってしまうから経営判断は理解できるけど、でもなんかもっとできそうだよな。
quwachy BIも医療のトレードオフになったりするなら弱者切り捨てだけどな。
mugi-yama 俺もそれが自然に感じるな。その時自分が取れる気はあまりしないけど。
hxd9 元増田は切り捨てろって意見にはしなかったつもりだが。発達障害も一枚岩ではないから難しいんだよな。
sakurako_nya その切り分けは難しいのが実際だよな。誰がその可不可を正しく判断できるだろうか。
t_massann 俺も普通にいいコメントだと思ったけどセリフっぽいからぐぐったら美味しんぼだった。でもいい言葉知った。
snaflot そうさな。
rAdio ありがとう!
toppogg それ相当苛酷じゃない?広さはともかくエアコンは生存を分けてしまいそう。
u06nh それが本当の喫緊課題だよな。アリが働き場所を選べるようになるといい。
Galaxy42 こっちがよくわからんわ…
nemuiumen え、それ実現可能?もし実現するとしたらどれだけの「頑張り」がいるだろうか。
potohud そっか。ちょっと思い違いをしたわ。でも反応見れたし聞いてみてよかった。
takayaarishima "頑張ってる人が報われる社会でありますよう。"同意。ただの好みなんだけど、そういう社会がいいと思う。
lli 21世紀中にそんな社会を実現したいなら、今の世代が頑張んないといかんだろうね。
tohima 何不自由なくってすごいな。資源は限られてるけどな。
k2wanko ドン勝つというすごい勝ちそうでいてドンケツにもなりそうな絶妙なネーミング
homarara 働けないと働かないの区別は難しいだろうな。でも病気の人は例外にしたいって感覚は結構ひとつの大きな論点だと思う
nowa_s いいね。そういう感じが当たり前なら納得感ある。やっぱ医療はターニングポイントとも。
algot そうなん?まあこう読み替えてもらって構わんよ。「働かない人に配られても納得感のあるリソースとは」
gabill 資本主義の要素がわからんかったが、現物支給の様子を想像できた。服のくだりはちょっと怖いな。
oudoon そうだね。何が足りない?どこが足りる足りないの分岐点なんだろう。
hate_flag またトンカツの話してる。しかしそうか、じゃあ今頑張れる人は未来の社会で頑張らなくてもいい人が増える方向に頑張ればいいんだね!
mangakoji あっ全然わかんねえ。頭よすぎ。よく言われるでしょ
wdnsdy そうだな。俺も現実に人間を区分けすることができるとは思ってない。でも考えてみるとちょっと面白いだろ?
assaulter そうだな。車もしばらく空を走る予定もなさそうさ
roja123 もちろん俺自身はそうする。あ、そういう考え方もあるのか。
chikoshoot いやほんとなんの話なの…
nakamuramakoto それは確かに。頑張る人には生命維持より(マズロー的に)高いレベルのインセンティブが与えられればいい気もする。
genkaiwave それ働かざる者の話?むっちゃ働いてるように見える
hatekun_b え、今あるものを活かして頑張ることまで否定する?原始に還れと?
gattsu09 その意味では我々はすでにそこそこ素敵な経済社会に生きているともいえる?
ore_de_work あ、俺死ぬかも。冗談でもなく、そういうことの話だな。
watapoco そこまで言われると俺も読まねばなるまい
nokogiring 優しいブコメを見よ。
Dai44 たしかに人は環境で育つ生き物だよな。その意味では親が働かなくても子が好きに立身できるような仕組みが必要ということか?
j3q じゃあ何が大事なんだ?どうなればポーラの人生は変わったの?お前の言葉を聞かせてくれ。
sato-gc 「いやだなぁ、頑張れない人なんているわけないじゃないですか!」さておき、社会復帰をスムーズにするのに役立つなら職業訓練は全然ありだと思う
h5dhn9k 数値が出たら正確でいいけど、実際には苦しむ人が増えそうなイメージだな…
ntnajp605 死ねとはさすがに言えない。そんなこと書いてたか?まあ読んでないんだろうけど
younari それが現実だわな。じゃあ改めて問いについて考えてほしいんだけど…
hungchang 素直。でも問いと真逆。まるで働くくらいなら死んでやるとでもいわんばかり…死ぬなよ
minoton あの世界観には素直に憧れる。実現できるといいよな
fuck-it 共産主義ってのは労働を強制したんだな。さすがにシベリア送りにもできないが…
broccomini 揚げ物上手につくれるのいいね(そこじゃない)
tokatongtong ではその件はまた別の増田でお会いしましょう。ちょっと待っとれ
gameloser せめていい音楽を奏でてほしいものだ。(適当)
perl-o-pal 彼はほら、モテモテ王国を神に約束されているらしいから…(wikipedia)
neco22b 供給者と消費者は兼役できるでしょ。消費増やすのがムズイってのは別問題だけど、どうしたらいいかは気になるね。
rocoroco3310 生きていけるのがいいとは俺も思う。もともとはどのくらいの水準で生きていけるのがいい?って話だったんだ。
qoqoqo そうかもしれんな。飢える人はいないほうがいい。
ghrnghrn すべからくって難しいよね。誤用しやすいし…
nobby81nobby81 野菜350gが云々 なにげに高等な食事だな。羨ましいくらいだぞ
daibutsuda そういう話してたっけ?
nisisinjuku いいよな。あれがあんな値段で売ってるなんてキセキ
kasugano まあそうだな。少なくともその理想に至るまでの努力については想像できない人も多いだろう。
hebereke2017 そうだね。そこで気になるのは、それを選ぶくらいの自由は働かない人にも与えられるべきなのか?(べきだと思うけど)
takeshi1479 リベラルも宗教背景もよく知らんけど、頑張る人が報われてほしいのは同意だね。
hashigohinan ホームレスだって家があるほうがいいと思うけどね。そうでもないんかな
sayuremix きっつー
suna_kago 本当にそうなの?たんにソ連ではそう使われたって話じゃなくて?
pmintpmint 食える人少なそうだな…。隠すのが美徳って悪習じゃね?
mu_minnnida そう考えるとやはりセーフティが充実し過ぎても損失あるな
bedtown 縦関係を脱出して横関係を築こうってことか。そうなれないのはなぜなんだろうな。
sukekyo なんかわかりやすい…
warulaw そうだね。てか何かと理由つけて絶対やらないだろう。配布する側にもメリットが必要
kibarashi9 ここは良くはなくとも優しいインターネット。あなたはいつも悪いものを探しているね。
cybo BIいいよな。すがすがしいほど自己責任だけど。本読むわ。
nenesan0102 また死ぬ話してる…。安楽死が制度化するのは賛成だけどね。どうしたら実現できるだろう?
legnum それは少ない…。生活保護じゃなくて働いてる人のほうが。そう考えると生活保護と最低賃金は連動してもよさそうなものだね。実際はどうなんだろ?
ak148 そうだね。実際は頑張ってれば食えるってわけでもなく、自分で考えて動いて初めて欲しいものが得られる可能性がある、ちょっと厳しい社会。
jou2 三点リーダいらない
40歳になった。もはやアラフォーどころじゃなくて、ホンモノのフォーティ。
22歳くらいの時に40になったら年収一本くれー余裕っしょ!なんて思ってたけど現実には思った以上に困難だな。
・年俸880万(基本給×16ヶ月がベースで、あとはインセンティブなど)
これが現在の自力。やっと940万。あと60万をどうやって稼ぐかが喫緊の課題。
制約多いけど、自社株式購入でプレミアムが付与される制度があるのは大きい。
毎月30万を株式累積投資に拠出すれば20%プレミアム付与されるので理論上利益は年間で
72万で、更に売却益が付与されれば手数料を引いたとしても80万程度には届くはず。
http://anond.hatelabo.jp/20170517144649
「全然お答えになってません、文科省の松尾審議官、平成30年の開学だということをうけて、それを了としたのは、スケジュールとしていつでしょうか。」
「あのー私どもの認識といたしましては、昨年の11月(9日)に内閣府の諮問会議においてまとめられました、追加規制改革事項において、先端ライフサイエンス研究や、感染症の水際対策など、新たな獣医師の需要に対して、関係制度の改正を直ちに行うということになったと承知しております。同会議におきましても、有識者から新たな分野にかかる獣医師系人材の育成は喫緊の課題であると、いうふうなご指摘、また獣医学部の設置を急ぐようにご指摘があったと承知してございます。これを踏まえまして、内閣府からご相談があり、共同告示という形で、30年度の開設を、のせるということになったという理解でございます」(これが残念だけど、間違った答弁になるわけですね、10月4日の段階で内閣府に30年度開設の是非について問い合わせてるわけだから。)
「略)今のご答弁も時期についてはお答えになってないんですよ。諮問会議で喫緊の課題だということで、今年1月に共同告示をした。ここまではわかりますよ。では30年度とフィックスしたのはいつですか」
「農水省としては本年1月4日の共同告示のときであると承知しております。」
「では確認ですが、農水省は共同告示のときにはじめて知ったと。事前のレクでも学校のことは農水は関係ないからといっていました。ではちゃんと農水省に相談はされたんですね。」
「当然共同告示の際には事前に了解を得ております。諮問会議ではなかった文言でしたが、最速のスケジュールということで、平成30年度4月とパブコメの文案にあるのを見たときに、私がこれで結構だと決断したものであります。そして、パブリックコメントを受けて共同告示となっていくわけですが、当然その際には各省の了解は得ております。」
「ここに時系列を用意させていただきましたが、11月9日が諮問会議、11月18日の間に、いまだとね、事務局から案が上がってきて、それを了としたという話だったけども、30年開学というのはどういう議論で決まったんですか。逆に、これまでの大臣の言い方から見ると平成30年度の開学に間に合わないから、京都産業大学は今回は残念だったというような趣旨に聞こえたんですよ。じゃあ平成30年誰が決めたんですかっていったら、事務局から自然発生的に文章があがってきて30年でしたみたいな話になってるんですが、じゃあいつ決めたんですか11月9日から18日の9日間の間に。いつ決めたんですか。」
「11月9日の諮問会議を受けて、最速のスケジュールということで、私が最終的にパブリックコメントの文案を決断したところであります。(略)」
罪状は違法ダウンロードです。この増田を読んでいる程度にネットをよく見ている貴方は違法ダウンロードをしている疑いが極めて高いです。
「いや、俺はsh○reもxvide○sもド○ップブックスもフリーブ○クスも使ってないし」という認識なら甘いです。
you○ubeやニコニ○動画で動画をダウンロードしたことがあり、その動画のBGMに著作権のある音楽が使われていたら貴方は犯罪者です。
貴方が逮捕されていないのは、単に警察が貴方まで取り締まっていないからです。
(※一部で言われたが、ストリーミングはセーフなのは知っている。でもダウンロードする方法があることははてなーは当然知っているだろうし、1回位やったことあるでしょ?)
と、違法ダウンロード罰則化の時にこのような論点(当時無かったサイトもあるが便宜上)が騒がれたし、実際に条文の上ではそうなる。
あるいは児童ポルノ単純所持の問題で「昔買った芸能人のヌード写真が」「自分の子供の写真もアウトに」と騒がれた件も同様だし、
リッピング解除違法化も同じだ。条文上はアウトだが、実際には国民の大半が逮捕・処罰されることにはなっていない。
おそらく、共謀罪も同様だ。野党が挙げている事例は若干的はずれなものもあるにせよ、確かに取り締まりの可能性に”なり得る”のは国民ほぼ全員だ。
だが実際には警察の人員にも限りがあり、国民全員を逮捕して処罰することは現実的にはあり得ない。
”喫緊の危険のある悪質な”話し合いだけが立件されることになるだろう。
近年、この手の「条文の上では、国民ほぼ全員が犯罪者になる」「実際は国民全員を逮捕するつもりなどなく、”悪質な”ケースだけが立件される」ことを想定した立法が多いのだ。
そして”悪質”を判断する権限は警察と裁判所に丸投げだし、前者はさておき後者は”悪質ではないから無罪”という判決は出せない、というかそもそも”さほど悪質ではない”事例が裁判所までまず来ない。結果、警察の権限が膨れ上がる。
真の問題は、そのような”悪質な”事例を取り締まるために国民全員を犯罪者扱いする法律を制定して良いのかという問題であり、さらに言うならばそのような曖昧な立法は法治国家として良いのか、罪刑法定主義に反しないかという問題だ。
問題は”どうやって”北朝鮮の体制を潰すかであり、もっと言うならば”どうすれば、体制崩壊の混乱に伴い核&ミサイル技術の流出を避けられるか”だ。
元増田も指摘している通り、結局のところアメリカが北朝鮮を無視できないのは核兵器&それを運ぶ技術(弾道ミサイル)を持っているからだ。その点に異論は無い。
だが、不確定要素は多いにせよ、まだ北朝鮮しか技術を持っていないならば、差し迫った脅威にはならない。
金正恩にしても別に『自分の命に代えてもアメリカ人or日本人は絶滅させねばならない』のようなことを考えているわけではなくあくまで自分たちの生き残りを考えていて、
同時に「核を使ったら流石にアメリカも無視できないし、それで全面戦争になったら自分たちは絶対に勝てない」と金正恩は考えているだろうことを踏まえてアメリカも中国も動いている。
「北が核を使えば、アメリカは武力行使する」。相互確証破壊とはそういうことだ。
この前提が通用しなくなるのはどういう時かというと──北朝鮮がよく分からないけど物凄い勢いで国力を伸ばしたらそれはそれで覆るが、それは十年二十年どころかもっと先の話だ──核とミサイルの技術が流出する状況だ。
中国とロシアは、この点において北以上の技術を持っているから今更流出しても変わらない。韓国や日本に流出した場合、多少のパワーバランスの変化は起こるだろうが、それも喫緊の脅威ではない。
アメリカにとってもっとも困るのは、技術がテロリストに流出する場合だ。
先述したとおり、「北朝鮮が」核を使ったならば北朝鮮に報復攻撃すればいい。だが、テロリストが北朝鮮から流出した核技術を使い、アメリカや欧州や日本でテロを起こしたら、どこへ報復攻撃すればいいのか直ぐには分からない。相互確証破壊が成立しなくなる。
だからアメリカは単に北朝鮮を潰せばいいというものではない。問題は、北朝鮮崩壊の混乱に伴い、核燃料や技術がテロリストに流出する可能性を可能な限り潰さねばならない。
そちらの十分な目処まで現時点でついているのかというと…………おそらくCIA案件だから読みきれないが、一朝一夕にその目処が立つとは思えない。
だからもしアメリカが北朝鮮に全面的に(陸上兵力まで投入して)潰しにかかるとすると、『オバマ政権時代から核流出を阻止する目処は立っていたが、政権として武力行使をためらっていた』というケースだろうか。
酔った勢いで書いたので、文章は筋が通ってないかもしれない。酔った勢いなので、コメントを返したりはしません。
さきに述べると、最近巷を賑わしているポリコレにやや関係があるが、がっつりと関係している話ではない。また、私はポリコレの考えに概ね賛同している。
世の中には様々な問題がある。その中のひとつに、移民問題があるだろう。移民問題はアイデンティティの侵害もあるが、多くのさほど保守的ではない人々にとっての問題は、知識があまり求められない仕事の奪い合いや、賃金が低いが故の貧困、それから生じる犯罪率の高さが主なものだろう。
アイデンティティを除く問題に対しては、貧困の是正が重要である。それに加えて、移民ではない人々との仕事の競合も解決されねばならないだろう。さらには、そもそも移民の元になる国の政治や経済が問題である。このことは、アメリカの不法移民がわかりやすい。アメリカがもっとも問題視しているメキシコからの不法移民の問題は、メキシコの政治が安定し、治安が良くなり、経済も上向けば軽減される問題だからだ。
このような指摘は言うだけなら容易い。移民の問題は大変に難しく、ドロドロとしたものがある。それゆえに、一部の人々は人種で括ってこの問題を批難する。実際、移民が生じる問題だけを捉えた時、人種で括る手法は決して大外れではない。
しかし、人種で問題を括る人々に、反意を示す人々もいるだろう。
ここからが本題なのだが、私はこの反意の示し方に問題が多いように思う。
この問題とは、人種で括って考える人々に、すぐに差別主義者と罵る行為である。そうして、そこまで差別的ではないが、現に存在する問題を懸念している人々が口を噤んでしまうことだ。現実的問題がために差別的言動をした場合、やや短絡的で言葉が足りないだけだ。そうした意見さえも、差別主義と言う蓋によって仕舞われてしまいかねない。
差別によって苦しむ人々を救うということは喫緊の課題かもしれないが、移民、すなわち特定の人種の集団によって仕事を奪われたり、犯罪率が高まることも喫緊の課題だ。差別的言動への反論として、差別が良くないという言葉が第一声であるならば、第二の声はより現実的で、それゆえに中立的な人々が問題視している状況への言及があるべきだ。もしも第二の声がないとすれば、現実的問題を人種問題として捉えるのと同様に、短絡的で言葉足らずの反論である。
もうひとつ、差別主義者と罵る問題を挙げる。その問題とは第二の声が見つからなくなることだ。第二の声は決して心地よいものではない。多くの困難を四苦八苦しながら少し改善する程度だ。それに対して、差別主義者と言う叫びは威勢がいい。よく人々の間を通る。そのため、政治的ではない人々が触れる意見は、ヒステリックな叫びが多い。それは現実への対処の提言を掻き消してしまう。
リベラルを自負する人々が相対する人は、もしかしたら頑迷な人かもしれない。愚かしいと思うかもしれない。しかし、それが事実であるかどうかはあまり大局的な問題ではない。より大きな問題は生活への恐れである。リベラルを自負する人々はその恐れを緩和することににも力を入れるべきだ。それを怠れば、あまり政治的ではないが、生活に不安を抱える過半数の人々にそっぽを向かれるだろう。
もちろん、ニュースや新聞など、喫緊性の高いものに関しては、全部読んでる暇はありませんし、簡潔に伝えることが必要だと思います
ただ、それは「情報そのものの価値の問題」ではなく「情報の喫緊性、いわば読み手の私たちの問題」であるように思います
これは、喫緊性の高い情報に関してはまさしくその通りだと思います。情報の峻別にかける時間がそのまま利益に直結するので
というのは、「情報の喫緊性」が高い文章と、低い文章があって、そのどちらにも価値ある内容が含まれているのです
教育の問題になってしまいますが、前者を読む感覚で後者を読むような読み手を育ててしまっては大変です
英語でいうスキミングのような読み方は、間違えれば、自分の都合の良い物語を作らせてしまいかねないので、それは止めないといけないな
というのが自分の主張でした
またソフトテニス部の顧問になったよ。7年目だよクソ。俺は中高水泳部だよ。経験ねーよ。
土日休みがねーよ。なにが4時間以上で3000円だよ。わり算すると最低時給以下じゃねーか。ブラック企業だよ全く。遠征は交通費もでないよ。どうすんだよ。赤字じゃねーか。
平日は日没まで部活指導。しかも経験がないから威厳なしで生徒にはなめられっぱなしで精神的に辛すぎ。校務分掌や授業準備で帰宅は毎日11時過ぎ。酷いときは終電だよ。土日は練習、試合の引率・・・
世間が思う教師の夏休みなんてねーよ。今年はお盆の三日間以外全部部活だったよ。しかも一日中。熱中症とか心配だから常に気を張って監視だよ。自分も熱中症になりそうだったが。
どうすんだよ、新婚だけど、早速愛想つかされて、妻は殆ど実家で過ごしてたよ。夏。
何が日本の人口一億人を維持するだよ。俺たちは若手教員ってだけで休みのない運動部顧問を担当させられて、家庭を見返る時間もねーよ。子どもができても子育て手伝えねーよ。くそ。イクメンなんてなりたくてもなれねーよ。
俺は数学の教員として教員免許を取って、採用試験でも合格したんだ。数学のプロであって、テニスのプロじゃねーよ。素人だよ。もっと数学のプロとして授業をするための研究時間が欲しいよ。なんで勤務時間内にその時間が無いんだよ。おかしいだろ日本の教育。
部活動は教員のボランティアだろ。日本のスポーツ界は教師の部活動顧問の犠牲の上で成り立ってるということを自覚しろ。なにが「オリンピックで金メダル何個以上が目標」だよ。いい加減サービス精神に頼るのはやめにしろよ。サビ残に頼るんじゃねーよ。
離婚なんてしたら、生きてけねーよ。ソフトテニス部顧問は正直苦痛だよ。生きがいにはならねーよ。何の興味もねーよ。俺は数学を教えることに生きがいを感じるよ。本来の業務の授業がテキトーになってしまうのがマジで苦痛ですよ。もう。
教員を部活動で酷使したいなら、採用試験試験で部活動に関する問題出してみろよ。採用条件にも書いてみろよ。正々堂々と。
できねーんだろ。法的にはブラック企業だもんな。採用面接では部活のぶのじも聞かれなかったぜ。だって本来の業務じゃないもんな。
暗い話しだけど、何度自殺しようと思ったか分かるか。鬱病だと思って何度精神科行こうと思ったか・・・。でも、生徒のこと考えたらそんなことできない。ましてや妻のこと考えたらそんなことできないだろ。もう、どうしたらいいかわかんねーよ。もう。
文科省は早急に対応しろ。俺はもう、限界だ。助けてくれ。ゴールデンウイークも毎日部活だよ。考えるだけで心臓がバクバクするよ。
権限があるのが文科省だろ。今こそ命令しろよ。部活の顧問は強制じゃないの。やりたいやつだけやれよ。やりたいやつだけやれや。
せめて日曜だけでも部活を規制してくれ。そうしたら週1日休めます。ゆっくり寝れます。本当お願いだからまずはそれを命令して。
部活動顧問の負担を軽減する施策を建て前じゃなくやってほしい。
時間があれば本来の仕事の授業研究がしたい。日没後、部活指導で疲れたあとには頭が働きません。
文科省、教育委員会、保護者、生徒、そして校長、あとは部活大好きの教員の皆さん、私のような教員がいるということを認めて下さい。
家庭円満でいつつ、教師として立派な授業を出来るための時間を下さい。
部活動顧問の問題も日本の学校教育の大きな問題だと思います。保育士の手当てが低いという問題と同じようにメディアでも国会でも取り上げてください、。
私にとっては喫緊の問題です。ほんとうに。本来の業務である「授業・学級経営」に専念させてくれよ。
さあ、明日からも頑張ろう・・・。生徒のために・・・。シルバーウィークも大会で休みなし。大会多すぎ。いろんな連盟の名のもとに大会が多すぎ…。
前回『【新共通テスト記述式】氏岡真弓氏による朝日新聞の記事を批判する』という記事で、朝日新聞編集委員 氏岡真弓氏の署名記事について批判した。
その要点は、氏岡氏の記事が、国立大学協会入試委員会の対応に関して、(意図的にせよ結果的にせよ)明らかな印象操作を行い、「新共通テストの記述式試験を大学側が採点する」という方法が極めて問題の多い案であるという事実を十分に報じないまま、この方法の採用を後押ししてしまっているという点にある。
いくつかのコメントに飛ばし記事であるとか文科省側のリークというような話が出ていたし、私自身もその可能性はあると考えている。
しかし、その一方で、私は文科省も国立大学協会も正しく状況をレクチャしたにも関わらず氏岡氏自身が(意図的か無意識かはともかく)内容や方向性の間違った記事を書いた可能性、つまり氏岡氏の持っていた見解やバイアスや資質の問題が今回のような記事を書いてしまった原因である可能性も留保している。
これらの点を詳らかにするためにも、氏岡氏は自分自身の言葉で今回の記事に関する経緯を説明してほしいと考えている。
今回私が批判したいのは、8月19日付朝日新聞4面に掲載された『<解説>大学に負担、利用未知数 新テスト記述案』という記事である。
前回の内容は記事化の経緯に関する点であり、氏岡真弓氏に非があることは明らかであると(少なくとも私には)感じられる問題だったが、今回はもう少し論争的な部分を批判したい。
はじめに結論をかけば、
氏岡真弓氏は今回の新共通テストに関する問題特に採点方法の問題を論じる/解説するにあたって、この問題に関する十分な見識を欠いているのではないかということだ。
私が特に重要視している記事の記述は次の2つの記述に集約されている。
この問題を論じるにあたって、国立大学協会入試委員会の提出した論点整理や文科省の有識者会議=高大接続システム改革会議の出した最終報告は役に立つ。
私の批判の要点は、氏岡氏はこの記述の中で、記述式問題において何を問うかという点に関する検討・理解を十分に行わないまま独自解釈を述べていないか、ということである。
特に、「文章を理解し説明する設問」と「自分の考えを書く問題」とを明確に区別した書き方をし、大学側が採点する方法を採ることにより、後者が可能になったと断定している点である。
国公立大学の二次試験の国語で問われている問題はおおむね前者にあたり、文章の記述の内容把握や根拠説明を要求するものになっている。
一方小論文試験や国公立でも非常に僅かだが一部の大学(2016年度だと例えば滋賀県立大・静岡大・首都大学東京・島根大など。ほかにもあるかもしれない。)の国語の試験には、課題文の内容理解を踏まえる形で「あなたの考えを述べよ」という「自分の考えを書く問題」が出題されている。
では、新共通テストの記述式問題で本当に後者のような問題を出すことが想定されているのだろうか。
国語については、次期学習指導要領における科目設定等を踏まえ、知識・技能に関する判定機能に加え、例えば、言語を手掛かりとしながら、与えられた情報を多角的な視点から解釈して自分の考えを形成し、目的や場面等に応じた文章を書くなど、思考力・判断力・表現力を構成する諸能力に関する判定機能を強化する。(p.54)
とあり、ここにみられる「自分の考えを形成し」という語句は一見氏岡氏の記述に合致しているように見えるかもしれない。しかし、これは、例えば選択肢を選ぶのではなく自分の言葉で説明することを指していると通常は解釈するように思う。
実際、
「大学入学希望者学力評価テスト(仮称)」の記述式問題については、現在、国立大学の二次試験で行われているような解答の自由度の高い記述式ではなく、設問で一定の条件を設定し、それを踏まえて結論や結論に至るプロセス等を解答させる「条件付記述式」を中心に作問を行うことにより、問うべき能力の評価と採点等テスト実施に当たっての課題の解決の両立を目指す。(p.56)
と述べられていることを見落としてはいけない。最終報告のp.75に掲載されている図も見落とすべきではない。
つまり、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」は、創造性・独創性・芸術性の評価も含む問題であり「個別入試になじむ」と整理されている。
仮に大学が採点することになるからといって、この整理を放り出して、「解答の自由度の高い記述式」や「小論文」を出題するとか、
「自分の考えを書く問題」を出題すると述べるのは、議論の成果である最終報告よりも明確に一歩踏み込んだ記述になっていると言わざるを得ない。
では国立大学協会の「論点整理」ではどのように記載されているだろうか。
解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大することである。また、設問の中に構造化された能力評価の観点を踏まえつつ、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーに基づき独自の採点基準を採用することができ、各大学(学部)の主体性が発揮できる。
ここでいう「解答文字数をふくめて出題の多様性の幅が拡大する」という記述には、氏岡氏の言うような「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」という趣旨を読むことはできないと私は考える。
というのも、ここでいう「出題の多様性」という文章は、前半にある次の記述を受けてのものだからだ。
全国共通試験への記述式・論述式問題の導入は、多肢選択問題では測ることのできない能力を評価するための大改革であり、適切にその能力を評価するためには相当数の問題が課されるべきである。また、評価すべき能力が個々の設問の中に構造化されるわけであり、その観点からは、短文記述式(40-50 字)設問のみでは、改革の主旨に沿った十分な評価を行うことができないと言わざるを得ない。解答文字数を含めて出題の多様性が出来るだけ拡大されることが望ましい。短文記述式のみでは早晩パターン化し入試技術化する危惧もあり、持続可能性の観点からも、同様のことがいえる。
これは、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題」を出題するべきというよりは、文字数は40-50字の短文記述よりは長めで、個数は多めにするべきということである。個数を多めにというのは扱う内容の多様性を確保せよといっているように私には見える。50万人が共通して受験するテストの場合、題材が1つだけだとどうしても能力よりもその話題になにがしかの知見があるかどうかなどの運の要素も出てきてしまう。十分な量の問題と十分な長さの解答要求をすることでしか「適切に能力を評価」することはできないだろうと言っているように見える。ここには、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」というような観点は入っていない。氏岡氏の記述は国立大学協会の「論点整理」の文脈からもはみ出していると考える。
また高大接続システム改革会議の最終報告の参考資料2には、今回の新共通テストの問題例が掲載されている。(ただし、あくまでも何を問いたいかを例示するためで直接試験で出題できる問題として掲載しているわけではないという注釈付き。)この中の「国語」の問題では、交通事故の発生件数・負傷者数・死者数の年度変化を示すグラフを掲げ、「交通事故の死者数が他よりも早く,平成2年(1990年)以降減少傾向になっていること」の理由について考えさせている。要求しているのは、資料から読み取れる内容の記述や自分の主張を裏付けるためにはどのような資料を見ればよいかを記述させることである。これは、「自分の考えを述べる」問題ではないことは明らかである。
「出題の幅」とはどういう意味なのかはっきりしない。最初に取り上げた4面の解説記事の記述にもあるが、「自由記述」「本格的な記述」のような書きぶりにも現れているように、言葉の選び方が不用意で十分に検討したと思われない。
しかし一方で、氏岡氏の名誉のために、次のことは指摘しておくべきだろう。
読売新聞が8月20日付の記事『大学新テスト、英語「話す」で民間試験の活用案』の中で次のように記述している。
国大協は記述式の採点を、受験生の出願先の各大学が行う案を示した。(中略)国大協はテストを1月中旬に実施しても、各大学が採点すれば200字~300字程度の記述式が導入できると想定。大学による採点が難しい場合は、採点期間を国立大学前期試験直前の2月下旬まで延長する別の案も示した。
これも国大協が大学側が採点するという案を提示したという問題のある記述をしているのだが、それ以上に、国大協が「200字~300字程度の記述式が導入できると想定」などという「論点整理」には全く書かれていない話を登場させている点に注目したい。
「40-50字の短文解答式」ではまずいという議論から、いきなり「200字~300字程度の記述式」というところへ直接は結び付かない。
上の最終報告にある問題例は、40字以内と80字以上100字以内の設問である。通常、短文解答式ではないものを、という点でみれば、いきなり200字~300字となるのではなく、80字~100字程度の文字数ということを考えるのが自然ではないだろうか?
また国公立の二次試験を見ても、単独で200~300字の記述を要求する大学はむしろ珍しく、東大でさえ最大文字数の問でさえ100字~120字で述べさせる問題である。
もちろんこの「200字~300字」というのが、たとえば小問3個での合計解答文字数というなら話は違ってくる。(1個の大問全体での記述量が500~600字程度ということは珍しくない。)読売記事がそのあたりの正確さを欠く記事になっていることは批判されるべきだ。
といったことだ。
しかしどれであったとしても、氏岡氏の記事は、高大接続システム改革会議の最終報告からは乖離しているし、現状の国公立二次試験での国語の出題状況などについても十分把握しているとも言い難い。また19日時点では取材していなかったのかもしれないが、国立大学協会の「論点整理」とも乖離している。こうした点からも、署名記事を書いた氏岡氏はいったいどういう経緯と解釈でこの解説記事を書いたのか説明するべきだと私は考える。
実は、国立大学協会の論点整理の中には、次のような記述もあることを付け加えたい。
そもそも、記述式・論述式問題に評価すべき能力をいかに構造化できるかは、根源的な課題である。評価すべき能力の構造化があって初めて、各大学(学部)はアドミッション・ポリシーの中に、記述式・論述式問題を適切に位置づけることができる。しかしながら、国立大学全体にも大学入試センターにも、そのための知識やノウハウの蓄積は未だ十分ではない。平成 32 年度実施に向けて能力の構造化に向けた記述式・論述式問題設計の理論構築、体系化が喫緊の課題といえる。国大協としても、過去の各国立大学の個別試験における記述式・論述式問題に関する実績を調査・分析することなど、この課題に積極的に取り組んでいきたい。
これは、どのような形式で何を問うかということについて、決して十分な知見があるわけではないことを述べており、すなわちこ(「学力の三要素」といった抽象論ではなく)具体的な設計レベルでみれば、新共通テストにおける記述式問題の形式や内容についていまだに十分合意が取れているとは言えない現状を示している。にも関わらず、「これまでの記述式で中心だった文章を理解し説明する設問と違い、自分の考えを書く問題づくりが可能」とか「大学が採点を担う国立大学側の独自案が具体化すれば、入試改革は実現に大きく近づく」などと断定する氏岡氏の記述に私は強い不信感を抱かずにはいられない。
「ロックは反体制の音楽だから、ロックと政治が結びつくのは当たり前」という主張をしている人は、ロックは反体制ではなく「反抑圧」の音楽だと考えたら、「音楽に政治を持ち込むな」という考えも理解できるんじゃないかなあ。
ロックが反体制だったのは、その時代のその社会の若者にとって、戦争や差別といった体制・権力と結びついたものがリアルな抑圧だったから、結果として反体制のメッセージになっただけで、最初から体制や権力に反する事自体が目的だったとは僕には思えない。
現代日本の若者にとっちゃ、クラスで人気者のあいつが憎いとか、気になるあの子の彼氏頃したいとか、ムカつく上司氏ねとか、そういうものが現実的で喫緊の抑圧であって、政治権力に抑圧されてると感じている若者はさほど多くないはず。
そういう時代の中で、特定の政治思想を押し付けたり、ロック=反体制・反権力という凝り固まった価値観を押し付けてくる老人は、若者からみたら政治権力なんかよりもよほど身近な抑圧と感じるんじゃないかな。
だから、そういう特定の価値観の強要という抑圧に対してのカウンターとして「音楽に政治を持ち込むな」という考えが生まれてるんだと思う。
つまり何が言いたいかっていうと、たかがロック音楽を歴史あるありがたーーい教養にしたがる老人どもうっせーなー早く死なねえかなーということです。
べつに今の仕事が楽しくて仕方ない訳でも、
ワーカーホリックってわけでもないが、
別にワクワクせず、喫緊でもない仕事なら、やらずに休めば良いじゃないかと、頭の別の部分も言うのだが
それなりに気を張ってる瞬間もない、ダラダラした時間を長く過ごしていると、体調が悪くなる。
今年のGWは遠出をしなかった。
それなりの歳でも初めてのことで、気になるので、検査診察の予定を入れているのが自分にとってGW最大のイベントだ。
それでも遠出せず、週末の検査診察まで、不安を覗き込んで一人で寝て待つにはGWは長過ぎる。
でも、元々人付き合いが上手くなかったので、友達の数か少ない。
そうこうしてるうちに、みんな結婚してしまって、気軽に会える歳でもなくなってしまった。
職場の人間関係は別に悪くないが、友達と呼べるほど心許せる同僚はいない。
微妙な体調の悪さと、頑張っても、年間で10万円も上がる事はまずない仕事の、愚痴の吐き方もわからない。
「こんな状況に陥って、どうしようもないな、
ここで愚痴なんか言えば、通りすがりの方が俺の不甲斐なさをご高説くださるぜ。自己責任だってな。
この資料も別に大した金にもならないだろ」と気持ちがささやく。
憂鬱だ。
「OK、その気持ちはわかったよ。でも憂鬱な気分の解決は今は出来ないだろ?
確かに大した金も、ワクワクするような人生の大変化も期待はできない。
でも、この勉強会自体は、やった方が、黙って人に言われた仕事してるよりはマシだって考えたろ?