https://anond.hatelabo.jp/20170621172402
http://barzam154.hatenablog.com/entry/2017/06/27/111218
こんなブログの記事を読んだのですが、すごくよい文章だと思います。池袋晶葉さんとイチャコラしてえっちなことをしたいし、えっちな絵を見たい、という気持ちがストレートに胸に突き刺さる名文であると僕は思いました。
ところで僕はシンデレラガールズだと堀裕子という人がすごく好きなのですが、はてさて、僕が堀裕子さんとえっちなことをしたいか、えっちなことをしている妄想をするか、はたまた、えっちな絵を見たいかというと別にそういうことはあんまりありません。もちろん、えっちな絵が目に付けば、ちらっと見るのですが、わざわざ探しに行くわけでもありません。どちらかと言うと、えっちな絵が見たいなあ、と言う時は十時愛梨さんとか新田美波さんとか、そういったシコリティの高い方々の絵を探しに行ったりします。二次元のキャラクターに対して、プラトニック、というのは変な話だけれども、好きになったキャラクターとはそういう関係でありたいのかなあ、という事を上記のブログを読んで思ったりしました。また、いろいろなアニメやゲームで好きな異性のキャラクターをそれぞれ抱えてきたのですが、そういう一番のキャラクターでえっちな妄想をしたことないなあ、ということも思ったりもしました。これは僕が特殊なのでしょうか?どうなのでしょうか?世の中の普通の人々は一番好きなキャラクターに一番のシコリティを感じるのでしょうか。
あと、スーパー別件なのですが、シンデレラガールズだと、武内Pが竿役のR-18の同人誌があると思うのですが、あれ、なんか苦手なんですよね。最近のやつだとエロマンガ先生で正宗が竿役とか。自己投影しにくい、というのもあるのかもしれませんが、武内Pはそんなことしない、という気持ちもあるのでしょうか。知りませんが。
パンツの丈も短くてのジャケパンならわかるけど、フツーのスーツでくるぶし出す奴
どうも認知されてきちゃった感がある
もうフツーのことになっちゃったの?
気になるのはオジサンの証なの?
ウツヌケって漫画で朝目覚めのタイミングで自分を誉める習慣をつけたのがメンタルに刷り込まれて効果あったって描いてたなあ。
あえてキツイ道を選ぶよりそっちのほうが最終的にはよい方向に向けるのではないかな。
追い込みすぎず、ぼちぼちと。共に愚直に歩もう。
トラバやブコメをいただいたので、勝手ながら浮世絵を勧めてみる。
変な話だが、鑑賞と制作だったら、制作から入ったほうが鑑賞も楽しくなるように思う。
例えば、葛飾北斎の富嶽三十六景の、有名なところで赤富士と言われる夜明けに朝日で赤く染まった富士山、凱風快晴。
あれを見て、思うのだ。
それは、制作を齧ってみるとひしひしと感じとれること。
知っての通り、オリジナルの浮世絵には原画というものが残っていない。
それを版元、つまり出版社の企画担当に渡して、それを板木屋、彫師という職人に渡り、板に張り付けられてしまう。
板に貼りついた絵ごと、彫ってしまうので、原画は木屑と共にこの世から消えてしまってるわけ。
絵師というか、画工っていうイラストレータの地位というのはそれほど高くなくて、彫師が勝手にアレンジすることだってある。
そもそも、芸術家として心から沸き起こるものを表現するんじゃなくて、売れるものを描くのが至上命題。
彫り終わると、それがすなわち線画のコピーが出来るわけで、そこから「ここを赤、ここを青」って具合で、絵師の指示が入る。
具体的な色を塗るとかでなく、文字で書き入れる程度。
そんで、また色の版が出来上がって、今度は摺り師と呼ばれる職人の手に渡る。
そして、絵師立ち合いで、色合わせを行って、微調整されたら出版、という流れ。
で、その手の浮世絵の解説書なんてのだと、初摺りは手がかかってるけど、そのあとの後摺りは手抜きで改変されてるとかって書いてあり、実際初期ロットと後期ロットは色が違うってんだけど、いざ制作してみるとそれだけじゃないように思う。
明らかに自己主張がある。
摺り師の「俺上手いだろ?真似できないだろ?」
っていう自己主張をビンビン感じる。
いざ木版画を始めてみると、100人中99人はそれを目指す、ある種の技術、方向性というのがあって、それが超絶レベルで、過剰なまでにそれに拘ってるのがよくわかる。
彫師と摺り師の自己主張だけじゃない。
時代の流行、ある意味で街の声さえも作品に取り込まれてるのが、ありありとわかる。
彫師のエゴを、摺師のエゴを、江戸の流行りを、それを引き算してやる。
北斎という人はいい歳して「自分が一番!」と天狗になったり、「バカにされるのは嫌だ!」忙しくぐるぐる同じところを回っていて、とてもかわいい。
少なくとも、自分にはそう感じられる。
ちょっと大胆すぎる実験的な試みも、「褒められたい!」という意識が見え隠れする。
それを差っ引いてあげて、初めて、あの絵の本当のコンセプトが見えてくる。
あるいは、摺師、彫師、版元、江戸の空気と北斎とのジャズセッションがあの作品だったとしたら、今度は自分と北斎のセッションが出来る。
なんて楽しいことだろう。
技術が追い付いたら、いつかそれをやりたい。
前置きが長くなってしまったが、そろそろどうやって浮世絵制作を学ぶか書いてみる。
いざ木版画を学ぼうとしても、浮世絵方式の木版画を教える教室はほとんどない。
なにをもって浮世絵方式というのか難しいけれども、木版画においてかつてスタンダードだった、世界で最も優れてた技術体系と断言できる。
その答えはわからない。
俺も知りたい。
で、そもそもその技術を継承した人というのが少なく、浮世絵の職人がやってる版画教室、あるいはその流れを汲むとする版画家の版画教室は知りうる限りで以下の通り。
現役彫師が教える版画教室。
当然ながら彫りに詳しい。
第七回 朝香伝統木版画教室作品展 2017年6月26日~7月2日
摺師が教える版画教室。京都だが、関西を中心に出張講座や通信講座もやっている。
五所菊雄という版画家で、摺師の内川又四郎氏(ポールジャクレーの作品を摺ってた人)から学んでる。
NHK文化センター 川越教室・木版画講座・作品展 2017年8月21日~8月27日
入学すれば学べるんじゃないかなと思うけども、ちょっとハードルが高すぎる。
野田哲也の師にあたる小野忠重の著書は浮世絵の技法を知るうえでお勧め。
いったん情報収集を始めると、先に沈んだ先輩とつながれるので、芋づる式にオタと出会える。
有名なところだと、独学で浮世絵制作者に転身して、大学や企業との共同研究までしてた元ジャズマン(最近亡くなられた)。
職もビザもなく、浮世絵への情熱だけで日本にきて、浮世絵で飯食って浮世絵で家建てて浮世絵で子供育てたカナダ人。
そのへんは浮世絵バカ一代の二代巨頭で、ほかにもごろごろ、まあいるわいるわ。
みんな平気で仕事を捨て、家族を捨て、学歴を捨て、浮世絵制作沼へ沈んでいく。
自分なんか、趣味の範囲で、まだ片足だけだが、いつか完全に沈みそうな気がして怖い。
コピー機がある今だとありがたみがないが、同じものが何回もつくれるというのは、楽しい。
いまだって、コンビニでカラープリントが80円ってのに、当時はかけそば一杯の値段だったっていうから、江戸時代の印刷技術スゲーって思う。
小学校でやるようなローラーで油性インクを塗る油性木版と違って、水性の絵具で摺りあげるのだが、特徴をいくつか。
まるで、フォトショでみたいにね。
うん、フォトショみたいにね。
赤の上に青を重ねると紫になる。フォトショでレイヤーを乗算モードにしたのと同じ。
前段のほうで書いた、誰しもが目指す技術というのは、きれいなベタ、滑らかなグラデーション、計算されつくした重なり、つまり、フォトショやイラレ。
そういうことなら、原画だって、フォトショやイラレでつくったほうが、出来上がりイメージはしやすいだろう。
今日はここまで。
本格的に、道具の用意、構図の学び方等々の話に入れずに力尽きてしまった。
タイトルの人は父です。実家で一緒に暮らしています。会話は基本挨拶のみ。
父は、この間総選挙のあったグループのある方を応援しています。詳しく知ってしまうのは色々と怖いのであんまり見ないようにしてるけど、普段からイベントも行っているようだし、総選挙の投票券にもかなりぶっ込んでるように見えました(収入がどのくらいあるのか知らないので本人的にどの程度頑張ったかは知りませんが)。
普段会話は無いのに、LINEで締め切り前日に投票を頼まれました。第一印象は「何だこいつ気持ち悪い」と思ってしまいました。
でも暫くするとそんなに必死なのか、普段会話しない娘にも頼まなくちゃいけないくらい、そんな切羽詰まってんのか。まじか。私もオタクだから推しに必死になるのは分かる。私があなたの立場だったら頼まないけど。
そう思いながら会員登録し1票入れ、メンバーのメルマガ?登録もするともう1票入れられるらしいけど締め切りまで3時間切り、短い昼休憩が終わろうとしていたのでそっちはまあいいか、1票投票したんだありがたいと思え、と諦めました。
結果は圏外でした。
色々なことが思い浮かびました。このアイドルは父のことどう思うんだろう。離婚の直接の原因ではないけど後に母から気持ち悪いと言われていた父を、娘に投票をお願いし気持ち悪いと思われていた父を、このアイドルはどう思うんだろう。知らねーよ、って思うだろうよ。
このアイドルに出会わなかったら、離婚後の父の楽しみは何になっていたんだろう。他に色々な趣味がある人だし、このアイドルに出会っちゃったから今こんなアイドルオタクになってるんだろうな。
ある意味、純粋過ぎる人なのかな。離婚前に母に水着ポスター貼ってもいいか聞いていたみたいだし。話聞いた時気持ち悪いと思ったけど、もしかしたら服を着たポスター無かったのかもしれない。水着に対してなんとも思ってなかったのかもしれない。裸婦の絵画見ても興奮しないのと同じ。
他の趣味だったらなんとも思わなかったのに、対象が若い女の子だと周りは引く。可哀想だな。私のお父さん、可哀想。高校まではただの恐怖の存在だったのに、今は周りの人が離れていってアイドルに会ってアイドルの映像をずっと見てる父。
これ読んだ人からどう思われるんだろう。気持ち悪いって思われたら悲しいな。父の独裁国家の中で育った私は、父が嫌いだけど、批判されたら悲しいです。
性別と歳と推しの次元が違うだけで自分もやってる事ほぼ一緒だもん。そりゃあ自分が気持ち悪いと思われたら悲しいもんね。独り立ちできないわたしも可哀想な大人。
1)今治は京都より獣医学部誘致や政府への働きかけを長く積極的に行ってきていて、誘致や働きかけも無料ではないどころか税金という責任の伴うお金を注ぎ込んできた。
2)その働きかけが実って国家戦略特区に獣医学部新設という項目が入ることになった。そして当初、そこに立候補したのは今治だけだったので、そこを前提に課題や問題点の洗い出し、スケジュール目安などが議論され始めた。
3)ところが数ヶ月後、今治に比べて政府への働きかけを含めた誘致にお金(=税金)も労力もかけていない京都が、KYにも「そういう制度が出来たのなら立候補します」とやってきた。京都の立候補は制度の手続きに則っているからはじくことは出来ない。
4)かといって、今治による長年の活動の成果が、京都に油揚げを攫われる形になってしまうと問題が起きる。苦労したのに可哀想といった心情的なこともあっただろう。だがそれ以上に、油揚げを攫われる実績を作ってしまうと、今後地方が必要なものを陳情したりその活動に人やお金(繰り返すがこれは税金)を投じても他所に取られる可能性があるなら、他所がやるのを待ってフリーライドしようと各々がなって、活動自体を萎縮させてしてしまうことになる。陳情は重要な実情を知れる情報源であるのに。
5)では長年の活動実績に報いるという理由で今治を選びましたと政府は言えるか?これは難しい。早くからやっていたという理由で今治を選び、レベル的には今治より高い京都を落としましたと言ったら、あまりに不合理だと攻撃されることになるだろう。サブマリン特許のような、中身の伴わない早い者勝ち競争を誘引してしまう恐れもある。
6)ここに至って政府は、今治ありきで進めなければならないがその理由を説明できない、という状況に追い込まれてしまう。これは加計が総理のお友達だろうがなかろうがそうなる。
7)あとは皆さんの知る通り。今治ありきで進めたのに今治ありきにした理由は言えない以上、どこかに、というよりそこここに綻びが生まれてくる。
皆様おなじみのルービックキューブ
日本ではメガハウスが「ルービックキューブ」、イギリスではルービックブランドが「Rubik's」を商標として登録してる。
商標として登録されているのでこの名前を勝手に使うことはできません。類似商品はたくさんありますが、別の名前を使ってます。
ふと疑問に思ったのですが、「ルービックキューブ」という名称を使わずにこの手のパズルを表現するにはどうしたらいいんでしょうかねぇ。
この手のパズルとはルービックキューブはもちろん、メガミンクスやピラミンクス、多少変わり種のものなどを含めます。
やっぱり特徴っていうか類似点は、
・立体パズル
・カラフル
・主に回転させて、立体を保ちながら崩し、色をそろえるパズル
「立体パズル」だと立体的なジグソーパズルや立体的なテトリスみたいなパーツを箱に収めるパズルとか、そういうのも含まれるので適切ではなさそう。
「立体回転パズル」なら表現として適切だけど、そもそも日本語だとあんまりしっくりこないなぁ。
「回転式立体色合わせパズル」ならニュアンスを完全に伝えられそうだけど、過剰。
まぁそもそも、日常会話でルービックキューブの話をするときは商標関係ないし、類似商品を出すときは新しく名前を付けるし、代替名称は必要ないんだけどね。
2位:わさび。500円くらいする伊豆のチューブのやつを常備。
3位:生姜。これはチューブはだめで生のみ、ミョウバンくさいから。
4位:大葉。細やかな千切りにするの得意なんだ~えへへ。
スパイスはまた別なので、薬味のみで争いました。