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はてなキーワード: 喫緊とは

2019-09-13

現状IT大臣技術への理解なんて必要ない

それより法律

喫緊問題

リクルートGAFAを始め、巨大プラットフォーマー個人情報取り扱いへの対策

インターネット検閲を求める勢力への防波堤

Uberをはじめ、シェアリングエコノミー系のWEBサービスにたいする規制強化(緩和)

防諜

あたり

技術がどうこうより法律重要

みたいなことを書こうとしてたんだけど……はんこ?

から崩れ落ちた

2019-09-03

アダルト産業におけるターゲティング

以前のDLsiteにはゲイ向けの専用ページがあったのだが、おそらく利用者数の関係から女性向けに統合されてしまった。

ゲイ女性ではないのでもちろん違和感があるのだが、それは苦肉の策であろうし、文句をつけるつもりはない(そもそも私は同性愛者でもなんでもないので文句を言う資格もない)。しかしなかなか含蓄のある展開だなと思った。

アダルト産業が今後も発展していく上で、セクシャリティを踏まえたターゲティングは間違いなく喫緊課題になるだろう。その中で、少数派をどのように扱えばいいのか?次のような案を考えた。

ホームページを各利用者デザインできるようにする

何も難しいことではない。利用者各自検索タグ選択するように、「興味のあるジャンル」をあらかじめ設定しておく。すると、それに応じてオススメや新着、特集バナーテンプレートに沿って表示されるようにする。

設定できるジャンルは「美少女作品」「美男子作品」「百合作品」「BL作品」などの大分類(必須)、「いちゃラブ」「陵辱」「ロリショタ」「熟女・オジサマ」「ケモノ」などの小分類(任意)、といった具合。

特集バナー大分類依存、新着・オススメは小分類まで依存(小分類は設定しなければ全て表示)。

ゾーニングのことも考えれば、万人にとって使いやすサイトになると思う。ただし、「数クリック程度の簡単な設定で概ね使える」ことと、「やろうと思えば詳細設定が可能」を両立させることが一番の課題になるだろう。可能なら各社ぜひとも検討してほしい。

2019-07-24

anond:20190724141121

今回は参議院選挙だったので、どんなに野党政策や態度に不満があっても、

野党投票すれば即座にそれが政治に反映される」といったものではない。

よって「本当は不満があるが大局を考えて野党投票する」という行動は成り立つ。

対して、増税は今回の選挙で反対を投じなければ即座に実行されるもので、

「次のときに反対すればいいや」などといった日和見は成り立たない。

改憲もいちど議席が2/3に達してしまえば否応なく発議されるもの

「今回だけなら2/3に達してもいい」といった性質のものではない。

喫緊の主要な争点」と「目をつぶってもいい部分」を同列に扱う詭弁

2019-07-04

anond:20190704120402

恋人との間だけでなく、夫婦の間にも必要ですよ何言ってんですか

中出しには同意していませんがむしろ喫緊課題っすよ。

夫婦間にも強姦罪適用必要です!じょせいは せいてきさくしゅぅぅぅされてるぅぅぅぅぅぅぅぅぅ!

2019-05-29

夢見悪…

昨日別にウォーキング・デッドもリゼロも見てたわけでもないのになぜかその2つをかけ合わせたような夢を見てた。ぶっちゃけ言えば夢にゾンビ出てきた。しかも大量に。

冬、高い崖の上みたいなとこに尖塔が建ってて、ゾンビが来ることは時間問題

避けられなくて、家族をどう現世から逃がすか、みたいな。

夢の中でリトライ繰り返してて詰み状態からどう安楽死するかにうつるのが喫緊課題になってた。正直逃げ切ることなんて諦めていた。

夢の中の自分がもうこれしかないみたいに、ぎりぎりまで引っ張って高度差を利用して飛び降りるのが楽と激しく頷いていて。

リトライ中、下まで行って、海岸線を歩いて小屋まで行って閉じこもって激しく叩かれるドアを見ながら餓死したり、日和って上まで戻ろうとしてエレベーターで追いつかれたり、生きながら食べられるのはグロかったな。嫌だった。高度差が足りなくて即死できないこともあって辛かったな。雪がクッションになってた。岩肌が硬いのに。

寝具替えたら悪夢である。起きたら腰いてえ。いやでももしかしたらどこかの世界線自分が今ももがき苦しんでいるところに結線しちゃったのかも。あれはほんとに辛いな。。。

2019-05-10

本が読めなくなった自分が再び本を読めるようになった話

 本が読めない。

 読書家が人生において遅かれ早かれ直面するところの事件である

 本が読めない。


 特に文学小説が読めなくなった。


 当方二十代後半の男であるが、今より遡ること十八年ほど前にラノベブギーポップは笑わない)と出会い、それ以降文芸における視野国内外純文学文芸作品へと広げ、様々なジャンルにおける読書体験を営みながら、これまでの人生を生きてきたのである

 そして、その読書体験の勢いと呼ぶべきものを二十代の前半辺りにまで持続させ、さてこれから人生においても長い付き合いになりそうだなあ、などと呑気に構えていた時分、不意にその能力消失したのであった。


 読書能力消失

 何故なのかは分からないけれど、突然本が読めなくなったのだ。

 書物との別れ。


 何故なのだろう?

 当方通勤に一時間以上を費やす難儀な民であるため、通勤時間中は心を半ば無にし、脳の活動を極低状態にまで抑え、死んだ目で通勤していたのが仇になったのだろうか。
(皆さん、覚えておいてほしいのだけれど、通勤時間20分を上回るようになると脳の鬱傾向が加速するというエヴィデンスがあるそうなので、通勤時間はできるだけ短縮するようにしましょう)

 でも、俺に関して言えば未だに通勤時間は二十代の前半から変わっていない。むしろ職場の変更から伸びたくらいであって、つまりその移動距離は未だに脳に対して厄介な負担を掛け続けているということになる。


 まあそら本も読めなくなるわな。

 考えてみれば当たり前の帰結である


 とにかく去年の夏に至るまでの数年間、俺は本を読むことができなかった。


 読みたい本はたくさんあった。それこそ山のようにあった。かつて、若き日の盛りに大阪へと日帰りの小旅行に行った思い出があるのだけれど、それは梅田存在する某超大型一般書店に立ち寄るためだけに計画された小旅行なのであった。そんなこんなで、俺はその超大型書店へと赴き、そこで購入できる限りの本をわんさと買った後で、地元へと帰還したわけである。無論、それらの本の内の殆ど積ん読ルートを辿り、今も尚本棚一角を占めその存在感を俺にアピールし続けている。

 まるでそれは十字架だった。

 俺の、購入した時点で尽き果ててしまった、知識に対する独占欲好奇心に対して釘を打ち付けるかのような、それは罪悪感を俺に植え付けるための十字架だった。

 何故なのだろう。

 何故我々は本が読めなくなってしまうのだろう?


 ここに至る理由には色々あると思うのだけれど、第一に思い浮かぶ理由といえば加齢である


 残酷な、そして受け入れがたい真実――加齢は脳を萎縮させる。

 人間の脳は部位によっては三十代を超えてもなお成長し続けると一般に言われているが、しかし厳然として人間の肉体は二十代の半ばを境に衰え続けるのも事実である。というか、どちらかと言えば成長よりも衰退の方を意識せざるを得ないのが殆どではなかろうか、と思う。我々は衰退している。というか、我々の脳は衰退しているのである。衰退しました。
 ――つまりは、我々は一度読書能力を失ってしまうと、よっぽどの克己心を持たない限り――あるいは、そのような驚異的克己心を持たない限り――そのような超人的克己心に基づく人格改造なり人体改造を経ない限り――再び読書能力を取り戻すことは、難しいということなである

 残酷な、そして、受け入れがたい真実

 俺もそうであった。

 読書能力との別れは辛いものである

 それは、まるで一人の気のおけない友人との別れにも似ている。


 結論から言うと、俺は再び読書ができるようになった。


 ぶっちゃけると何でなのかは分からない。でも、確かにできるようになった。

 復活した。アーメン



イースターの季節ですね)

p.s.このテキストを書いたのは4/22です)


 去年の夏頃からその能力は突如として再生した。昨年から現在に至るまでの読書量は、読書能力が失われていた時代を遥かに超えている。ここのところお硬い文学小説にばかり目を通しているのだけれども、ここ一年間くらいで読んだページ数は5000頁を優に超えた。これまでの読書量を遥かに凌駕するレベルである(待っててくれプルースト

 正直なところ、何かを意識して自己改革したという記憶殆どない。強いて言うならば、当時スマートフォン通信制限喫緊重要課題と成り果てていたため、そのデータ通信量を節約するという実情に迫られて、通勤手段である電車に乗り込んでから本を読むようになったのがその理由と言えるかもしれない。


 行きに十ページ、帰りに十ページ。

 それを毎日

 仮に、一ヶ月の間に通勤期間が二十三存在するとすれば、行きに十ページ帰りに十ページを繰り返すのであれば、一ヶ月で我々の読書量は460ページに到達するということになる。

 猿でも分かる(猿には分からない)計算である


 とは言え、まずはそういうレベルから始めるのが得策であろうと思われる。人間は恐らく一日の間に二十ページ以上の本を読むことはできないのだ――特に文学小説のような対象相手取るのであれば、僕らの克己心は我々の想像する以上に貧弱なのである

 さて。


 これは正確に言うとライフハックではない。

 電車の行き帰りで、それぞれ十頁ほどの時間読書に費やすようになった男が存在している、というだけの話である

 そう、キーワード電車だ。脳ミソと通信量のダブルダメージを避けようと、不意に読書人生途上で――つまりはレールの上で――再開しただけの、それだけの話なのである


 参考になったであろうか?

 恐らくは、なるまいと思う。

 とは言え、かつて存在しその後に失われてしまったところの能力が、突如として復活するということは有り得るのだと――俺はただただその事だけを――伝えたかったのだ。今日を生き始めたものけが、かつての息吹に再び胸をなでおろすことができるようになるのである

 皆さん、本を読みましょう。

 魂を取り戻すために。

2019-04-23

本が読めなくなった自分が再び本を読めるようになった話

 本が読めない。

 読書家が人生において遅かれ早かれ直面するところの事件である

 本が読めない。


 特に文学小説が読めなくなった。


 当方二十代後半の男であるが、今より遡ること十八年ほど前にラノベブギーポップは笑わない)と出会い、それ以降文芸における視野国内外純文学文芸作品へと広げ、様々なジャンルにおける読書体験を営みながら、これまでの人生を生きてきたのである

 そして、その読書体験の勢いと呼ぶべきものを二十代の前半辺りにまで持続させ、さてこれから人生においても長い付き合いになりそうだなあ、などと呑気に構えていた時分、不意にその能力消失したのであった。


 読書能力消失

 何故なのかは分からないけれど、突然本が読めなくなったのだ。

 書物との別れ。


 何故なのだろう?

 当方通勤に一時間以上を費やす難儀な民であるため、通勤時間中は心を半ば無にし、脳の活動を極低状態にまで抑え、死んだ目で通勤していたのが仇になったのだろうか。
(皆さん、覚えておいてほしいのだけれど、通勤時間20分を上回るようになると脳の鬱傾向が加速するというエヴィデンスがあるそうなので、通勤時間はできるだけ短縮するようにしましょう)

 でも、俺に関して言えば未だに通勤時間は二十代の前半から変わっていない。むしろ職場の変更から伸びたくらいであって、つまりその移動距離は未だに脳に対して厄介な負担を掛け続けているということになる。


 まあそら本も読めなくなるわな。

 考えてみれば当たり前の帰結である


 とにかく去年の夏に至るまでの数年間、俺は本を読むことができなかった。


 読みたい本はたくさんあった。それこそ山のようにあった。かつて、若き日の盛りに大阪へと日帰りの小旅行に行った思い出があるのだけれど、それは梅田存在する某超大型一般書店に立ち寄るためだけに計画された小旅行なのであった。そんなこんなで、俺はその超大型書店へと赴き、そこで購入できる限りの本をわんさと買った後で、地元へと帰還したわけである。無論、それらの本の内の殆ど積ん読ルートを辿り、今も尚本棚一角を占めその存在感を俺にアピールし続けている。

 まるでそれは十字架だった。

 俺の、購入した時点で尽き果ててしまった、知識に対する独占欲好奇心に対して釘を打ち付けるかのような、それは罪悪感を俺に植え付けるための十字架だった。

 何故なのだろう。

 何故我々は本が読めなくなってしまうのだろう?


 ここに至る理由には色々あると思うのだけれど、第一に思い浮かぶ理由といえば加齢である


 残酷な、そして受け入れがたい真実――加齢は脳を萎縮させる。

 人間の脳は部位によっては三十代を超えてもなお成長し続けると一般に言われているが、しかし厳然として人間の肉体は二十代の半ばを境に衰え続けるのも事実である。というか、どちらかと言えば成長よりも衰退の方を意識せざるを得ないのが殆どではなかろうか、と思う。我々は衰退している。というか、我々の脳は衰退しているのである。衰退しました。
 ――つまりは、我々は一度読書能力を失ってしまうと、よっぽどの克己心を持たない限り――あるいは、そのような驚異的克己心を持たない限り――そのような超人的克己心に基づく人格改造なり人体改造を経ない限り――再び読書能力を取り戻すことは、難しいということなである

 残酷な、そして、受け入れがたい真実

 俺もそうであった。

 読書能力との別れは辛いものである

 それは、まるで一人の気のおけない友人との別れにも似ている。


 結論から言うと、俺は再び読書ができるようになった。


 ぶっちゃけると何でなのかは分からない。でも、確かにできるようになった。

 復活した。アーメン



イースターの季節ですね)


 去年の夏頃からその能力は突如として再生した。昨年から現在に至るまでの読書量は、読書能力が失われていた時代を遥かに超えている。ここのところお硬い文学小説にばかり目を通しているのだけれども、ここ一年間くらいで読んだページ数は5000頁を優に超えた。これまでの読書量を遥かに凌駕するレベルである(待っててくれプルースト

 正直なところ、何かを意識して自己改革したという記憶殆どない。強いて言うならば、当時スマートフォン通信制限喫緊重要課題と成り果てていたため、そのデータ通信量を節約するという実情に迫られて、通勤手段である電車に乗り込んでから本を読むようになったのがその理由と言えるかもしれない。


 行きに十ページ、帰りに十ページ。

 それを毎日

 仮に、一ヶ月の間に通勤期間が二十三存在するとすれば、行きに十ページ帰りに十ページを繰り返すのであれば、一ヶ月で我々の読書量は460ページに到達するということになる。

 猿でも分かる(猿には分からない)計算である


 とは言え、まずはそういうレベルから始めるのが得策であろうと思われる。人間は恐らく一日の間に二十ページ以上の本を読むことはできないのだ――特に文学小説のような対象相手取るのであれば、僕らの克己心は我々の想像する以上に貧弱なのである

 さて。


 これは正確に言うとライフハックではない。

 電車の行き帰りで、それぞれ十頁ほどの時間読書に費やすようになった男が存在している、というだけの話である

 そう、キーワード電車だ。脳ミソと通信量のダブルダメージを避けようと、不意に読書人生途上で――つまりはレールの上で――再開しただけの、それだけの話なのである


 参考になったであろうか?

 恐らくは、なるまいと思う。

 とは言え、かつて存在しその後に失われてしまったところの能力が、突如として復活するということは有り得るのだと――俺はただただその事だけを――伝えたかったのだ。今日を生き始めたものけが、かつての息吹に再び胸をなでおろすことができるようになるのである

 皆さん、本を読みましょう。

 魂を取り戻すために。

2019-03-26

anond:20190318113750

まあ普通感覚ならそうなるよな。よく分かるよ。

ところで推察するに、この怪現象黒幕として裏で糸を引いているのは、間違いなくガチャピンムックだな。

奴ら、いつからグラブルガチャ大脳破壊された廃人を創出するインキュベーターに成り下がってしまったんだ。

ほぼ引退してる俺の印象では、年始だけ顔を見せる芸人と同様の一発ネタという認識だったんだが。

3月の終わりに近づいてもまだ居着いているというのか?

やはりこれは異常事態だな。

サイゲ帝国ガチャピン王国の手にかかれば、アプリの無断インストール認知支配もお手の物ということか。

今回は増田常識人だったおかげで事件を未然に防げたが、予断を許さない状況は続いている。

せめて増田共和国被害が及ばないよう、非常事態宣言の発令を提案する。

そして喫緊の脅威に対しては、グラブルアプリを削除することを提言する。

これは容易なことではないかもしれない。

仮に自分意思アプリを削除したとして、ブラウザでgame.granbluefantasy.jpアクセスすれば意味はないからだ。

DMM版、AndApp版もある。このサイゲ帝国の知略には常人は抗いきれぬだろう。

知恵者と自称する君、では使用端末すべてのhostsファイルにそれらを追加してアクセス遮断するか?

否、その作業ができる者であるということは、それの解除もできるということだ。

そこでだ、悪い習慣を断ち切る一般的有効手法をご存知だろうか。

辞めることに報酬を出したり、辞められなかったことにペナルティを課したりするのは悪手だ。

辞めることを意識させずに、その習慣を別の習慣でオーバーライドしてしまう。これが最善だ。

そこで私は、「アイドルマスター シャイニーカラーズ」を強く勧める。

グラブルアクセスする代わりに、シャニマスプレイするのだ。

しかも当面は毎日10無料なのである。もう一度言おう。毎日10無料なのだ

これは最大の福音である1st Anniversary前夜祭と称して、4/12まで続くのだ。

さらに、プレイヤーたちの努力次第では、4/23まで延長される見込みがある。

これ以上多くは語らぬ。私が言いたいことは分かったろう。増田の民よ、健闘を祈る。

2019-02-06

席で咳する

カップラーメン食べてて、一口目すすった瞬間咳き込んじゃって、

から出してはいけない反射で鼻からグフッて鼻水出て、

完全にカップラーメンの中に入ったんだ。

みなさんならどうする?

俺は捨てた。

非常勤だろうがレスだろうがゴミ扱いだろうがそこだけは譲れなかった。いや、敢えて、譲らなかった。

自分の鼻水を食べる人間ではありたくない。

別に食べてしまっても健康喫緊リスクがないことは分かっている。しかし、敢えて、高潔さを自らにアピールするため、決断した。

その瞬間から自分の鼻水が入った食べ物を捨てないのは不潔であるという、新しい常識を獲得した。

これさえあれば、自らの正義を掲げて不潔な奴を見下せるのだ。

自己肯定感のない俺は、昔からこうやって無駄高潔さを自らにアピールして常識を獲得し、それを盾にして周りを殴り、生き延びてきた。

何を考えてるのか分からない、不気味、硬い、真面目、臆病、不誠実、嘘吐き

どんな属性タグが付いても気にしない。何故なら、俺は鼻水が入った食べ物を捨てない不潔な人間ではないからだ。

2019-01-19

割れ鍋に綴じ蓋とはいかなかった話

嫁は実家虐待を受けており、解離性障害ADHDだとわかったのは、実家を離れて自分に合う精神科医を見つけてからだった。

私が何でもできて思いやりのある人間だったらよかったのだけど、優柔不断約束もすっぽかすしADHD(の傾向あり)、給料もよくないため、何百回も彼女を困らせ、怒らせ、泣かせた。

一緒にいないほうが体も心も調子がいいということなので、結果的に私が家を出てネカフェ暮らしをしている。ことあるごとに「死んでほしい」「粗大ごみ」「生きてて価値ない」と言われない方がこちらも気が楽だし、言わせない方がいいに決まっている。

家にいればやらなければならないことでいっぱいだったが、一人で放浪していると何がしたいのかがよくわからなくなる。なるほどギャンブルにはまるのはこういうことなんだなと思った。

喫緊問題金銭問題で、このままネカフェ暮らしをするわけにはいかず、さりとて死ぬわけにもいかない(なんどもお願いされてるけど)。どうしたいのかがよくわからない。

2018-11-27

マスゴミガー!どうして国会の声を聞いて市民の声を聞かないんだ!

どうして水道民営化論というじっくり考えるものニュースで出るのに、人手不足による鉄道路線バスの減便・突然死という喫緊課題報道しないんだ?

水道公営民営かの問題未来にかかわる問題だけど、鉄道バス問題今日明日生活にかかわる問題だ。

お願いだから報道してくれーーーー

2018-11-20

2029年3月27日(火)「はてな匿名ダイアリーサービス終了のお知らせ

いつもはてな匿名ダイアリーをご利用いただきありがとうございます

掲題の通り、2029年3月27日(火)をもちまして、はてな匿名ダイアリーサービスを終了します。

日中サービス提供を停止する予定です。

はてな匿名ダイアリーは、「はてラボ提供される、はてな実験サービスの1つ」として、2000年1月提供を開始いたしました。

テキストのみ、お絵かき機能画像投稿など一切ない多様な表現不可能サービスで、

うんこ漏らした」から始まる“うんこの投げ合い的”なコミュニケーションを通じて

独自コミュニティ形成され、多くのユーザー様にご支持いただくとともに、

ユーザー様同士の交流の場としても長く活用されてきました。ご愛用いただきました皆様に心より感謝しております

その一方、はてな匿名ダイアリーシステム面では、困難な問題を抱えておりました。大きな要因として、長期にわたってサービス提供する中で、

その時々の時流に沿う形で独自サービス試行し、利便性を高めるために他サービスとの連携を図るなどの施策を取った結果、

システムが非常に特殊構造となったことが挙げられます。結果として、システムメンテナンスコストが増大し、

近年では新規機能追加だけでなく、不具合修正や大規模なスパム投稿への対策など、喫緊課題として必要対応も迅速に行うことが難しい状況でした。

はてな匿名ダイアリーは、提供開始以来ユーザーの皆様に長くご利用いただいてきただけでなく、

サービス愛着を持ち、温かく応援していただいているユーザー様が特に多いサービスでもあります

はてなとしても、サービスをこれから継続して提供するために取れる手段がないか検討協議を重ねました。

これは、サービスを最低限の機能提供し続けながら、ラボサービスであることを活かした実験的な手法での改善模索していくための決断でした。

しかし、ラボにおいても、現状のままのシステムサービス提供を続ける場合、今後、セキュリティ上の深刻な問題が生じる可能性が高く、

最低限の機能を安定して運用するためのコストが増大することは避けられません。

一方、システムの移行・刷新については、過去投稿データを保持しながらの開発となりますので、

新規サービス提供する以上の非常に大きなコスト必要となります

約2年間試行を重ねてまいりましたが、抜本的なサービス再生ができず、システム面の状況と現状のサービス利用状況を鑑みて、

サービス継続判断を行うことはできませんでした。

はてな匿名ダイアリーをご愛用いただいておりましたユーザーの皆様には誠に申し訳ございません。

このような判断に至りましたことを、何卒ご了承いただきますよう、よろしくお願いいたします。

投稿データエクスポートについて

これまでに投稿いただいたデータについては、エクスポートできるよう対応検討しております

ダウンロード方法や時期については、決まり次第お伝えいたします。申し訳ございませんが、

今しばらくお待ちいただきますようお願い申し上げます

2018-11-17

ハッシュタグの使われ方がいつもおかしく感じる

最近「#私を布教して」というハッシュタグツイートが頻繁にTLに流れてくる。

アマチュア活動している人や絵師などが作品ツイートして「RTして宣伝しろ」という主旨のものである

布教」とは、こういう使われ方をする言葉だったか

もちろんオタク自分の好きなものを「他人に勧める」とき

よく使われる言葉だとは知っている(つもりではある)。

そしてこれが「宣教」、つまり宗教を広めることが由来であることも

理解しているつもりではある。

しかしこれは「その作品好きな人」が使う言葉ではなかったか

もしくは好きな作品をしつこく勧めてくる迷惑さを

いくら揶揄するために使われる言葉ではなかったか

私はこれを「言葉誤用」や「言葉意味の変容」だとは捉えていない。

宣伝広告費なしに行うことで物事が歪まされる過程である認識している。

そしてハッシュタグとはのきなみ(広告費なしに)宣伝を行う際に多用されるものである

すでに私は「ハッシュタグ嫌い」になりつつある。

Bボタンを押して望まぬ進化キャンセルするまで、もうほとんど余裕はない。

しかし誰もこのBボタンを探さないし、押すつもりもない。そもそも存在を知らない。

そして、我々にこの流れを押し止めるような強い力はない。

たとえ嫌悪の怒りを垂れ流したとして、金を求める動きには敵わないだろう。

個人としては、どのようにハッシュタグを避けていこうかという課題喫緊となっている。

諦めだ。私は諦めたのだ。この冷めた思いに、金への欲求は火を灯さない。

ぐんねりとハッシュタグにも絡みつく金への有象無象欲望の炎を、

いつ枯れるとも知れぬ焚き火のように見つめるしかないのだろうか。

演繹的には、そうするしかないのだろう。

https://anond.hatelabo.jp/20180515221222

なんとタイムリーな話。

俺は今年の春、3日間の東京出張のついでに、

都内一人暮らしする弟(フリーター)のゴミ屋敷を片付けてきた。

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部屋の状況は、まさに元増田のまんま。

コンビニ飯の残骸の山、うんこまみれの便器、うにょうにょの虫。

元増田が「頭の中が真っ白になり、10分くらい部屋の前で狼狽していた」

と書いていたが、これめっちゃ分かる。

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さすがにコンドームはなかったが、代わりににタバコの灰がすごかった。

ゴミを掻き分けたその先にあったのは、タバコの灰で敷き詰められたフローリングだった。

床を灰皿代わりにしていたのだろうか。

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あと、布団がすごいことになってた。

茶色い汁が前面にこびりついていて、むちゃくちゃ臭い

少々汚いところでも、秒で寝られる自信のある俺でもさすがにこれは引いた。

布団の足元側では、LANケーブルの刺さっていないルーターが動いていた。

あとで聞いた話だと、ルーター湯たんぽ代わりにして暖をとっていたらしい。

頭いいなと思った。

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俺が取った行動も元増田のとおり。

仕事終わったあと、夜中にカーシェアリングで車を調達し、ドンキ掃除道具と寝具を調達

真夜中に片づけするのは隣人の迷惑になるのは分かってるが、そんなこと知ったこっちゃない。

申し訳ないが、休日に自費で東京に出てくるほどの余裕は俺には無い。

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2日間ほぼ睡眠をとらず、片付けに明け暮れた。

その間、弟は帰ってこなかった。

勝手に上がりこんで片づけしてる俺を見て、ぶちギレて(?)逃げたらしい。

一応連絡は入れたんだけどな。

精神を病んだ人間対応というのは本当に難しい。

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3日目の朝方、弟が帰ってきた。

俺は仕事と片付けで疲れ果てていたこともあり、何も話をすることができなかった。

2人で黙々と掃除をした。

もちろん、いろいろと話したいことはあったが、とにかく今は家を正常な状態に戻すことが

喫緊課題だということで2人の気持ちは一致していた。

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弟の掃除スキルは、実は、素晴らしかった。

ぐっちゃぐちゃの水周りやトイレを、わずか1時間ほどでピカピカにしやがった。

片付けの能力が無いんじゃなくて、単に気持ち問題だったんだなってことを思い知った。

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別れ際、涙ながらに謝罪感謝言葉一言だけあった。

疲労困憊だったが、帰路はすがすがしかったのを覚えている。

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その後、弟とは連絡が取れなくなった。

4ヵ月後、アパート管理会社から連絡があった。

バルコニーゴミについて苦情が出ているからどうにかしてほしいとのことだった。

俺が4ヶ月前に、バルコニーに一時保管していたゴミ袋の山が放置されているようだった。

ゴミの日や回収場所が分からなかったから、とりあえず置いていた)

再び、出張ついでに弟のアパートを訪れたところ、部屋は元のゴミ屋敷と化していた。

さすがにもう、作業する気にはなれなかった。

以上。

2018-11-09

歯を磨かないマン

はてなが歯と口の健康週間なので便乗して今まで他人に言えないことを吐露おろろ。

高校卒業して一人暮らしを始めてから10年間、ほとんど歯を磨いてないです。(かあちゃんごめん)

おでーとの前とか磨くくらいで、平均したら月に1回?とかそれ以下。

人生一度も虫歯にもならず歯茎が痛いとか痛い目にあっておらず、歯を磨かなきゃならない危機感に襲われない。

年に数回くらい、職場の人やたまに会う親に口臭くない?って聞いてみるもののなんも臭わないよって返事に安心する。さすがにがっつり磨いてからだけど、だからなのか、キスする人にも臭わないよと言ってもらえている。(増美ごめん隠してるごめんごめんごめんごめん)

歯を磨くと歯茎(犬歯辺りから?だいたいいつも同じ箇所)から出血があるので環境は良くないんだろうなという程度の自覚はあるが、喫緊対策必要かというと環境悪化が進行してるわけでもなく常人出血はあるみたいだし、行動を促される決定打に欠ける。

まずいかなぁと思って一昨年に歯医者はんにかかってみたけど、掃除して貰って、環境悪いですねーちゃんと歯を磨いて下さい次はいつ来ますか?って感じでえっなんで行かなきゃいけないんですかって定期的にみてもらうのがあれなんですよーってなんかもう金ヅルって感ある言い方だったので、あぁそんな酷くないんだってしろ安心材料になってしまった。(とあやふやながら記憶してる。またいつか行こう…)

どっかの統計で昔の非人道的研究で、歯を磨かない人を20年間追跡したら8%の人は全く健康だったとか見かけたので、自分は選ばれた8%の人間なのかとその可能性に安心してしまう。

毎日歯磨き文化的に潔癖なのか、医学的に必須なのか。

そりゃリスクを抑えるなら毎食後の念入りな歯磨きなんだろうけど、くっそだらしない人間にとってはそれは高コストだ。気苦労なくそれができたら苦労はしない。風呂入るのも面倒マンだ。

クソみたいな箇条上げして一個一個駄々をこねるように否定して面倒臭い奴してるのにここまで読んでくれた方ありがとう。口は臭くないから許して。

でも、リスク過小評価したリスクマネジメントの結果、歯を磨かないマンが野に放たれ、日本人間女性リスクとなっていること、これは許されないかもしれない。

歯を磨かないとどうなるかっていうデータが欲しい。予期がしたい。いきなり歯を失うの?

こんなクソ人間のケツを叩くエビデンスをなんか教えてくれぇ〜〜

2018-08-25

anond:20180825172716

あんまり論が立ってないような気がするし、過去の事例から入場禁止も仕方がないと思われるって明言してるし、特に読んでなさそうだからもう一回言うね。現状刺青偏見があるとして、それを撤廃するのが喫緊課題と考えるのはだいたいタトゥーをしている側なわけ(当然なんだが)で、タトゥーをしている側が権利だけを盾に反対意見封殺するのが認められないとすれば、タトゥー嫌いの側が個人自由範囲を超えて他者を傷つける言動や擯斥するような行為も認められないだろうという観点意見をしているんだけれど……。現在意識マジョリティ意見を反映した上で一方は堂々と間違いを犯し、他方は同じことをすれば指摘されるなんて状況をなくしてなるたけ対等な立場で話し合うほうが道義的だと思うな。少なくとも合理的

後、すぐアホっていうのはやめたほうがいいんじゃないかな?議論しづらいでしょ。

2018-07-29

anond:20180729203557

それな

シングルファザー家庭も本来ケアすべきだけど父親がすぐに家事子育て担当の女見つけてくるっしょって認識なんだろうな

まあシングルマザーと娘の家庭が喫緊問題から見過ごされるんだろうけど

シングルファザーと娘の家庭で家事が全部娘の担当になってるうち知ってるけどあれもなかなか悲惨もの

2018-07-16

anond:20180716211711

法人格場合は「利益になるかどうか」だけで十分でしょう。

採用における多様性人種性別多様性であり学歴フィルターを掛けないという意味ではないし、

働き方の多様性女性社会進出上避けては通れない喫緊課題でそこを疎かにしてる企業福利厚生上の競争にも遅れ、質のいい人材が集まっているとはいい難い。

2018-04-28

主語が大きい

自分の考えを発表することには慣れているが、このような匿名の場で発言することが少く、もしかすると思慮分別に掛けた失言があるかもしれないが、そこはどうかご寛恕いただきたい。

サラリーマンしかない自分が、差別だの階級だのという深刻な問題について色々熟思することになった発端は、近頃流行りの、フェミニストや助勢権利問題に関して盛んに議論しているような場面をネットしょっちゅう見掛けたこである。ここで敢て話しておくが、私の身の回りではフェミニストがどうこう、男がどうこう、女がどうこうという大局的な視点議論はあまり行われていない。一体どこのどういう層が、どういう考えからこうした議論をしているのだろうという好奇から眺めるうちに、自然自分がこうした差別について考えるようになったのである

極端な話、こういうもの不特定多数に向けて発信されるのだから、その不特定多数の中で刺激を受けた人間がまた不特定多数情報を発信し、こういう聯関が幾度となく続いて奇妙な合戦が始まるというのが実情である。何百人もの眼に触れれば、一人くらい「お前が言えたことじゃない。俺はこういう差別を……」と言って反撃してくるものも居るだろうし、それを見て「問題すり替えているだけだ!」と批判してくる者も一人は出てくる。一人の意見が数百人に伝えられて色々な思想を掘り出すのはネットならではの現象現実を見たら、まるでそんな議論起きてないじゃないか!と思っても何もおかしくはない。しかし、こういう前提を受けた疑心の強い私は「口に出していないだけで、こういう考えや不満を持っている層は一定数いるのでは?」と勘繰って、更に色々のことを調べた。あくまでもフェミニズム女性差別セクハラ問題Metoo運動などについてだが、本当に多様な議論があるものだと内心驚いた。少年漫画ジェンダー論の視点から語るもの男性差別と女権拡張論を一緒くたにして語るものポリコレ棒をひたすら恐れるあまりありとあらゆる人権憎悪し、また差別されることに怒りを覚えた人間たちが、そういう特定層が属している集団全体の問題へと広げて争うこと………。

大概の議論には少なからずこうした不毛な要素が孕まれているが、ネット憎悪の導火線に火をつけてあちこち爆発させるのに非常に適した性質を持っている。文字数制限があるSNSもまた、そういう性質を持っている。ほんの微妙解釈の違いが、やがて不毛言葉遊びに繋がり、いつの間にやら人種差別性差別話題敷衍されている。そうした事例をいくつも見る度に一番疑問に思うのが、「何故これほどまでに単語錯綜しているのだろうか」ということである

情報過多のこのご時世は、少しでも少ない語数、少しでも簡潔な言い回し知的に物を表すのが良いとされている。微妙差異がある言葉を言い尽くして、詳細に伝えるなどは馬鹿のすることと切り捨てられる。そのために、一つないし二つの意味合いしか持たない言葉や、本来いくつかの分岐がある言葉下位互換概念を包括することで、とことん省略しようと試みている。こうした考えを持っているのはおそらく私だけではない。著名な人物で言えば、かの三島由紀夫もこうした問題警鐘を唱えている。

民主主義という言葉は、いまや代議制議会制度そのものから共産主義革命までのすべてを包含している。平和とは時には革命のことであり、自由とは時には反動政治のことである長崎カステーラの本舗がいくつもあるようなもので、これでは民衆の頭は混乱する。

自分で言うのもなんだが、私は古い人間だ。未だに家父長制度があり、男女間は厳密には不干渉であるべきで、それを易易と超えるような浅はかな行為は慎むべきだという考えを持ち、性犯罪女性側がだらしのない格好をすれば「何故襲われるだろうと予測できないのか」と疑問に持つような人間だ。そうした考えは、先進的な思想家や活動家からとにかく攻撃され、時代遅れと呼ばれて封殺される。それでも、フェミニストの中には色々な考えがあり、ラディカル、リベラル、いずれの思想言葉の上では微妙に、根本では大きく異なっている思想にもかかわらず、リベラルがラディカルに、ラディカルがリベラルに、なんとも不思議な混濁が起きる。こういう事を近頃は主語が大きいと言うと仄聞したが、単なる無知ではなく露骨印象操作のためにこの事態が起きるのはあまり不毛である喫緊問題は、こうした語義の混乱が争いを招く事態を避けることだが、それを実現するのはとても難しい。

こんな状態永遠に平和などありえない。

2018-03-19

anond:20180319192700

現状がキツすぎる、上がり目がないという状態の人は

このままでは今後もクソもないからさっさと首をすげ替えてやり方を変えろと思ってるんだろ

それを喫緊として受け取るか、先見性の欠如と受け取るか

2018-02-15

女性社会進出を実現したのはフェミニストの功績ではない

第二次世界大戦中、徴兵されて国のために戦う権利もなかった女性たちは、銃後の工場労働戦争を支えた。

戦後、その功績が認められて女性社会進出改革が進められるようになっただけのこと。

別にフェミニスト思想世間に認められれたからではなく、あくま社会の方が変化したから。

思想社会を変えたのではなく、社会が変わって、その結果としてフェミニズム思想が認められたということ。

今の社会に当てはめるとどうなるだろうか。今の社会にとっての喫緊課題非婚化・少子化である

今の安倍政権は、女に経済力を持たせることによってこの問題解決しようとしている。

しかし、女に経済力を身につけさせて、男にも家事育児負担させるという考え方は、フェミニズム思想でも何でもない。

非婚化や少子化が将来的に解決されたとしても、それはフェミニストの功績にはならないだろう。

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