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2017-06-27

https://anond.hatelabo.jp/20170627083640

2000年総合学習の導入や2020年大学入試改革などで、改善するどころか

頭脳より育ちの重要度がどんどん増してるので、将来の衰退はもっと加速するだろうな。

2016-10-08

[]

天竜川総合学習館 かわらんべに行ってきましたわ。

中に天竜川ミニ水族館なる水槽がいくつか置いてあるスペースがあるのですわ。

水槽あるところに鯖有りですわ。天竜川の生き物を展示しているそうですわ。鯖は居ませんでしたわ。

かわらんべは事前情報だと地域の子供たちのための施設みたいでしたので入りづらそうだと思ってましたがそうでもありませんでしたわ。誰も居ませんでしたので。

ちなみに3時過ぎに行ったのに入場名簿がわたくしが一人目でしたわ。中の人にはわたくしの名前がばれますわ。

今日デトックスつり橋はつつじ橋ですわ。かわらんべから少し歩きましたわ。想像よりしっかりした橋だったので余裕で渡ったらやっぱり怖かったですわ。


落ちたら海水では無いんですもの!落ちたら海水では無いんですもの

2013-09-30

マッサージ師に引き出された人生のお悩み

マッサージにいった。

今年に入ってから胃腸が不調で、漢方薬胃腸科も微妙だったから、外側からの力に頼ってみようと。

会社からも近いし行きやすい。

問診を始めるなり、胃腸の不調はもろ脳みそが困ってるから起こってることって指摘された。

骨格からして北国出身でしょ?

と当てられるところからはじまり

メイクもあまりバッチリするタイプではなくて。

寂しいでしょ?という、占い師か!ってくらい色々言い当てられてしまった。

どんどんお悩みを引き出される。

相談しようと思って来たわけでもないのに。

感じないようにしてたことを引き出されたというか。

彼氏もいない、気のおける友達もいない。仕事楽しいのか?

本当は彼氏欲しいのにね。

ただ時はいたずらに過ぎて行くよ。

おじさんは今色んな人が集まって来て幸せよ。

東京行きたいなら週末にでも行けば?

色々理由をつけて、条件を自分でつけて足枷をしてるよね。

と。

今、知らない土地で生きて行くことを、受け入れて働いているけど、確かに住む場所くらい選びたいよ。

皆の夢が集まる、好きな人達がいる東京らへんに行きたい。住みたい。

聴きたい音楽も沢山あっちにある。

仕事は辞めたくないけど。

でも、もっと、小さいこからあった夢を追ってみたい。

夢諦めたよね、どこかで。

私は、自分が好きなことをしてる男性が好きです。

でも私自身に置き換えてみたら、好きな人になれるようなキラキラさがない。

人生終わりそうな時に誰も囲んでくれなそうだ。

夢はキラキラしてて、楽しくて、仲間がいること。

仕事してるなら、それに誇りが持てること。

そんな人になりたいね

私が小さい頃からたかったこと。

小学校自由研究オリジナルアイディアで誰もしない面白いもの作りたかった。

小学校総合学習ニャッキ!に憧れて作った駒撮り粘土アニメ絵コンテ書いたり、皆でアフレコしてみたり。

中学校ではお昼の校内放送で懐メロを流して先生を楽しませ。

高校放送局ではラジオドラマを作り。

色んなことがしたい。

お客さんをワクワクさせたい。

自分の手で作ったものでね。

出来れば一人じゃなく皆の手でね。

ちゃんとしたクオリティのものでね。

誰がお客さんかっていうと、マイナーすぎるのはやだな。

自由に選択して参加してほしいな。

参加してもらうからには楽しんで欲しいな。

辞めたきゃ辞めればいいし、買いたいひとが買えばいい。

現場を移動したい。動かないものは、その土地に縛られ続けちゃう

私は地域のために、って気持ちにあんまりなれない。

愛する土地なら違うと思うけど。

色んな形で楽しめばいい。

仕事じゃなくても、あんな事したよね、またやろうか、と言えるような仲間が欲しい。

さぁ、どうしようか。

人生のことだから、このままここにいたら楽しい人生にはならんと思うし、考えねばである

2013-09-23

ネトウヨだけど在日を雇った

6年前、父が脱サラしたのを機に、両親は小さな店を開いた。オープン当時、学生だった私は授業の合間をぬってアルバイトとして店を支えていたが、大学卒業後は他で正社員として就職をしたので、現在は主に週末に手伝っている状態だ。

幸い店の業績は順調に推移している。開業時の借入資金は3年目で完済し、5年目には法人成りもした。突き抜けて大きく儲けてはいないものの、近隣の同業種の店舗の中でもトップ収益を稼いでいるようだし、満足のいくレベル収入も得ている。今の時点ではそこそこ成功している方だと思う。

「やっぱり経営の鍵は‘人’だよ。収益率がどうのこうのというのも大事だが、最後経営の軸になってくるのはどれだけ質の高い人材を確保できるかだな」

と父は言う。

うちの店では、家族の他に常時30人ほどの従業員を雇用している。全員アルバイトで、正社員は一人もいない。余談だが、正社員を雇えるくらいには余裕が出来た2年ほど前、顧問税理士相談の上、ずっと働いてくれているオープニングスタッフの内の一人に「うちで正社員にならないか」ともちかけたのだが、条件が折り合わず断られてしまった。なので現在、あまり焦らずに、会社としての実績を積みつつ、もう少し好条件で雇える環境を整えてから改めて正社員化への声かけを行うつもりだ。

アルバイトという雇用形態求人をかけると、大体以下のような人が募集してくる。家計の足しに働きたい主婦、学費や小遣いの足しにしたい学生、とりあえずお金が欲しいシングルマザーフリーター、売れない無名の芸能業界人、売れない無名の文筆業界人不景気ダブルワークをせざるを得なくなった低収入サラリーマン世間に出るリハビリ代わりに仕事をしたい元ひきこもりメンタル関連の病気を患っている人、離婚やDVから逃げてきたりなどで自立しなければならない女性など。

もちろん、アルバイトからといって、人手が不足しているような時でも、誰でも採るというような適当な真似はしていない。不適切だ、と思った人は淡々不採用にしている。万が一変な人を雇ってしまい店の中が混乱に陥るくらいなら、人手不足の方がマシなのだ、ということを我が家はこの7年のうちに身をもって学習した。

うちの店では毎回真剣選考をしている。採用面接を行った日から数日間は、夕食を食べつつ、一家で履歴書を見ながらああだこうだと意見を出し合って採用するか否かを吟味する日々が続く。最終的な人事の決定権は父が握っているが、家族経営の小さな店ということもあり母や私の意見もかなり取り上げてくれるので、私自身も採用した人についてはなんとなく責任を負った気分になる。採用に賛意した身として、また一緒に働く同僚として、その人には出来るだけ長く、かつ良いパフォーマンスで働いて貰うようにしなければならない。

匿名増田から自慢するが、私たち結構人を見る目があるんじゃないかと思う。現在従業員約30名と既に辞めていった人たちを思い返してみても、とんでもなく酷い人というのはほとんどいなかったし、従業員とのトラブル従業員同士のトラブルというのも無きに等しい。真面目で堅実でかつお金を稼ぐ必要性のある人を採る、という我が家モットーは非常にシンプルベーシックものだが、やはりベーシックものが一番大事なのだ

「うちの店って従業員さんたちには本当に恵まれているよね。みんな優秀だし、よく働いてくれてるし、店の雰囲気もとても良いもんね。」

と母も頻繁に言う。

店で働く学生が進学や就職などでバイトを続けられなくなった時、その親から、後釜としてその子の弟妹をバイトさせてくれないかとお願いされたことが何回かあった。うちの店はきちんとした店なので未成年の子供をバイトさせていても安心なのだそうだ。従業員の家庭から健全職場として信頼されるのは、とても嬉しい話である

地域住民からも信頼を得ている手応えを感じている。3年前、近隣の中学校から総合学習時間に、こどもたちに職場体験をさせているのだが、そちらのお店で受け入れてもらえないか」という依頼を初めて受けた。以来、毎年、1年に1週間程うちの店には中学生研修に来る。さらにその中学校からは「PTA総会に地域代表してオブザーバーとしてゲスト参加してくれないか」という依頼を受けた。出店するまで我が家はその地域にまったく地縁が無かったのだが(自宅は店から車で1時間ほど離れた場所にある)、せっかくなので父は何回か参加させてもらった。ありがたい話である

さて、話を元に戻す。

採用を議題に家族会議をすると、両親がどのような属性の人を好み、どのような属性の人を嫌うのかを目の当たりにすることになるのだが、それは子供としてはなかなかに不思議で複雑な体験である。我が親ながら「そりゃ偏見だろ。やっぱおっさん/おばさんだなぁ。保守的過ぎる」と文句を言いたくなったり、逆に「えっ、OKなの?案外リベラルなんだな……?」と思わぬ寛容さに面食らったりする。

例えば、父が嫌悪するのは「チャラチャラしているヤンキーギャル男/ギャル女」だ。脱サラする前は堅めの職業に就いていた影響なのか、父はケバくてナンパな男女が大嫌いである。ガングロや顔面ピアスの人について問答無用不採用を主張するし、金髪の人には採用の条件として頭髪の色を黒か濃い茶に戻すことを突きつける。さすがに私は「中学校の風紀係じゃあるまいし、いまどき金髪くらい許したれよ」と思うのだが、父は絶対に譲らない。ついでに、ある一定偏差値以下の学校出身の人は、いくら面接での受け答えが明快で信用できそうであっても、落としたがる。私はこういうケースに関しては短絡的過ぎていかがなものかと思うので、毎回反対意見を言うようにしている。

母が嫌悪するのは「セックス産業にまつわる人」である。以前、面接の場での自己PRで、「私は粘り強いです。なぜなら、皆が辛くてどんどん辞めていくソープで私だけ7年間も働き続けたからです」と堂々と言い切った23歳の女性がいた。私などは16歳からソープ嬢として働いていた経験をPRに話すという所業に度肝を抜かれ絶句してしまったのだが、母は後々までも異様なまでに執拗彼女に否定的に言及をした。不採用にしたのだから不快ならさっさと忘れてしまえばいいのに。さらに母は、とある男性従業員が雑談の中でポロリソープに行ったことがあると漏らしたその日の夜、夕食の場で彼のクビを真顔で主張したことがある。「女の人をお金で買う人が店の中にいるなんて気持ち悪い。売春違法なのに。ねえクビにできない?」と。確かに売春は褒められたことじゃないがそれは潔癖すぎる、と周囲の男性から宥められて母は訴えを取り下げたが(現在ではほとぼりもさめたようだ)、件の男性従業員はまさか自分が影で解雇の危機にあったとは想像もしていないだろう。


では、私の嫌悪の対象とは?

たぶん4年くらい前の話だと思う。父がある日、こんなことを言い出した。

「この前○○さんが辞めたから、その空いたシフトを埋めなきゃいけない。ちょうど新しい人から面接の申込があったんだよ。ただし、今度面接に来た人は外国人なんだ。でもこの仕事経験はあるそうだし、テキパキしてそうな人だったから雇おうと思う。まぁ、外国人といっても日本で生まれ育ってるから日本語ペラペラだった。在日なんだよ。ああ、在日って知ってる?昔、戦争があったとき朝鮮半島から来た人たちで…」

――――在日。もちろん、知っていた。それくらい知っている。説明されるまでもない。家が北陸田舎にあり、ほとんど周囲に外国人がいない状況で生まれ育った私だったが、義務教育期間中に歴史の授業で「強制連行」や関東大震災時の虐殺創氏改名等については習っていた。

さら高校生ときテレビで大々的に拉致被害者報道をしているのも見ていたのだ。小泉首相訪朝平壌宣言。「8人の死亡者」。拉致事実北朝鮮が認めたと国内に伝わった後「まさか祖国がそんなことをするなんて……!私たちは知りませんでした!!」と大泣きしていた人達

世界中に言いたい、日本には来るな!」「哀れな国!」在日東京都職員が強い声で言い放ったシーンの強烈さも覚えてる。何度もテレビリプレイされていたから。日本には来るな!日本には来るな!哀れな国!哀れな国!

都内大学に入ってから在日というアイデンティティを持つ人をテレビ新聞を通してではなく直接見ることになった。「私の名前リムです。林(はやし)とよく間違えられますが、リムです。リンでもありません」東アジア現代史を受け持つ助教授(当時はまだ准教授という言い方はしていなかった気がする)は、新入生ガイダンス教授紹介の場面で壇上から確かそう名乗ったのだった。いつもテレビの向こうの在日の人は大声をあげていたが、この先生は静かに普通に喋っていた。

そして何より、ネットを開けば在日にまつわる言説はいつでも容易にかつ膨大に読むことができるのだし、書籍でも在日に関するものは大量に出回っているではないか

 

かねてから経験者を採用したがっていた父は、おもねるような顔をして私を見た。

国籍韓国だけど、日本生まれで日本育ちだ。日本人と一緒だよ。なあ、だからいいでしょ?」

日本人と一緒? 本当にそうか? 違うんじゃない?そりゃ人間なんだからどこかしら似てる部分はあるだろうけど彼らは日本に在って日本人と違うところも認めろ、受け入れろ、と言いたいんじゃないの。

高校2年生くらいか大学2年くらいの間、私はあえていくつか在日の人が執筆した書籍を読んでみた。つかこうへいの『娘に語る祖国』。姜尚中の『在日』。鷺沢萠の『ケナリも花、サクラも花』。李良枝の『由熙』。イヨンスクの『「国語」という思想――近代日本言語認識』。一番最後イヨンスクの本は大学時代レポートを書くため参考文献として読んだだけだ(難しかったのでそれほど理解できたわけじゃないが)。だが、前者4作は私自身の興味によって自ら手にとったものだった――――書店ではなく、図書館で。なぜか、私は自分お金でそれらの本を買って自分の部屋にそれらの本を置いておくのは、避けなければならないという気がした。

それらの本を図書館で読み進めるたび、私はいつもイライラを感じた。モヤモヤもした。言葉にしきれないなんだか澱んだものが湧いて出る気がした。リービ英雄の本を何冊か読んだことがあるが、似たようなテーマを扱っていても、在日の人が書く文章に感じる程のモヤモヤイライラは感じなかった。なんで在日言葉にはこんなに敏感になってしまうんだろう。

「あんた韓国きじゃないもんねぇ? やっぱり嫌なの?」

しばらく黙って父と私の顔を見比べていた母が、唐突に聞いてきた。

正直、ぎくり、とした。なんで知ってるんだ?

私は、自分韓国北朝鮮在日というものに対して差別的であることを自覚している。レイシストという言葉を知ったのは中学ときだ。ゼノフォビアという言葉を知ったのは大学に入ってからだった。

そして、差別的であることはいけないことだ、という建前があることも知っている。たとえ心の中で思ったとしても口に出してはならないのだ、抑制であるべきだ、と。

私はその規範従順だった。今までどれほど内心はグルグルとしたものを抱えていても、人前では韓国北朝鮮在日というものに対して無関心を装い言及してこなかった。学校でも家庭でも職場でもネット上でも。相手から話題をふられれば、当たり障りの無い一般論を返すが、自分からはその話題は出さない。言及してしまえば、ボロが出そうだからだ。しかし、母は知っていた。いや、母だけじゃなくて父も知っていたのか。殊更無関心を装い言及しない態度が不自然で逆にあやしまれたのかもしれないが、なぜ両親が私の胸中を知っていたのかは今もって謎である

父も母も政治への関心は薄い人だったが、だからこそなのか、あるいは何か別に理由があるのか、私には窺い知れなかったが、とにかく彼らは外国人を雇うことに躊躇するつもりはないようだった。これは私にとって驚きだった。彼らは私よりも約25~30歳ほど年老いているのである。てっきり、私よりも保守的で、私よりも頑固で、私よりも新しいものや外のものを受け入れるのに時間がかかるものだと思っていた。

在日」「韓国」「北朝鮮」はタブーであって、もし語ってしまったら自分人間性の醜いところを晒すことになる、という恐怖を抱え込んでいた私は、この話題について語る言葉を持たなかった。自分の言いたいことがなんだかよく分からなかった。だから私は、両親に私の気持ちがバレているのは承知の上で、それでも無関心を装い、いつも通りのあたりさわりのない言葉を吐くしかなかったのだ。

いいんじゃないの。雇ってみれば」

それが、我が家で雇った一人目の外国人だった。

                       つづく

2010-04-01

全く最近の若者は……

http://anond.hatelabo.jp/20100401093824

「全く最近の若者は……」「わしらが若い頃は……」というのは年寄り常套句ですね。

その昔は新人類と言う言葉がありまして、情熱・覇気がない、良いのはテストの点だけ、応用力ゼロで無個性ロボット等々言われていました。

それは、詰め込み教育受験戦争過熱共通一次試験などで、画一的教育や外で遊ばなくなったため。

なぜそうなったかといえば、それまでの中卒高卒当たり前という社会ではなく、全体の教育水準を向上させなければ、これから先、先進国としてやっていけないから。

しかし、そういった問題が出たので、詰め込み教育はやめ、授業時間を削減して総合学習とか、多彩・個性的な授業を可能にし云々。

つまり、教育が成功したことなんてないんですwww

2009-12-21

現役東大生が語る「数学さえやっていれば東大へ受かる」理由

教育目的社会的ニーズに合わせた個人の形成にあるならば、小中学校歴史理科国語を教える意味はまったくないだろうね。

まず歴史。アホの一つ覚えみたいに旧石器時代からネチネチとどうでもいい知識を詰め込んでいく。しかも小、中、高と重複も多い。近代史だけで十分だろ。そもそも現在日本のあり方語る上で、聖徳太子とか小野妹子とかもう、どうでもいい(聖徳太子最近教科書には載っていないらしいけど)。明治から現代までの歴史を、くだらない年号とか一切抜きにして、さっと流せば十分。半年もあれば浚える。それだったら大学教養課程でやりゃーいい。

国語はいらん。ここ参照。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728

理科がいらないっていうのはわけがある。それは後で書く。

んで、空いた時間で何をするかっていうと、算数(数学)をばっちりと教え込む。課程の全時間をそれに当てる。あー、体育、音楽はあってもいい。家庭科はいらん。あんな包丁の持ち方とかお裁縫とかは家で教えろ。そもそもミシンの使い方なんぞ大部分の人間にとって必要ない。総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。習字もいらない。もう毛筆なんぞ日常的に使う人間はいない。ユーキャンのペン習字でもやらせておけ。コンピュータ数学の実習という形で触れさせる。フィルタリングなんぞ必要ない。

とにかく義務教育学習課程で無駄を徹底的に排除。

高校入学後は、これに加えて経済理科生物学中心)を英語で教え込む。現代の経済学科学はほとんど西洋で作られたから、わざわざどこぞの教授自分研究室大学院生編集させたり、ろくな知識もない学歴だけ無駄に高い高校教師が作ったような教科書を読む必要性はない。教える内容も、基礎中の基礎で十分。日経新聞や、日系サイエンスを読んで、とりあえず8割くらいわかる、という程度でOK。

大学では最低1年、望ましいのは2年間ほど教養教育に当てる。ここで初めて各人の選択で、古文やりたいやつは古文やったり、旧石器時代を習いたいやつは習えばいい。哲学やろうが、地政学やろうが自由。それを通過して初めて専門課程に進ませればいい。

今の日本で高校進学率の高さは異常。中学校までの義務教育で、「とりあえず社会労働者として生きていくのに必要な知識」を与えておいて、そこからはもっと人数を絞り込んでやっていけばいい。明治時代エリート教育みたいに。たとえば東大数学科だとしたら、定員は10人もいれば十分。それでも多いくらい。その10人に対して3倍の数の教員が質の高い教育を提供すればいい。大学での教養課程も、「やりたくなければやんなくていいよー。ただし国際社会で恥かくのは君だからねー」でいいじゃん。無理やり必要もない人間に「人間安全保障」とか教えても意味がない。自己責任でやっていけばいい。

小学校教員も、最低博士課程を出た人間じゃないとなれないようにする。進級をアメリカ大学並みに厳しくする。必要な知識を身につけていない子供は容赦なく留年させる。勿論能力によって厳密にクラス分け。子供が「数学なんてやっても意味ねー」と言い出したら、「そうだね。君の人生にとっては意味がないよね。義務教育終えたらそこらへんの工場労働者として頑張ってね!」でいい。

関係ないけど、修士課程も廃止。日本修士課程世界の中でもかなり独特で無意味制度博士課程4年、の一本でいい(MBAは例外)。

反発が予想されるのは、「楽そうだから」「若い女の子と触れ合えるから」って理由で教職に就いた、理科社会科国語科(古文、漢文)、保健体育の教員からだけども、かれらも頑張って労働者として働いていただけばいい。本当に熱意があれば、大学教養課程で、エリート対象に教えればいい。

こう思ったのは、昔塾で勉強を教えていたときに、あまりに無駄が多いと感じたから。小学生花崗岩を見分ける能力、名称を覚えることがまったく無意味だ、とは言わないけれども、もっと他に大事なことはいくらでもあるはず。種子島鉄砲伝来と、キリスト教伝来、どっちが先だったか覚えるのは、もうまったく無意味。何の流れも関連性もないだろ。センター試験を見てみても、本当に無意味な問題が多い。

まあ凡人には理解できないかもね。

2009-08-05

ゆとりって罵倒語みたいになってますけれども、え、じゃああなたはいくつ?

これだからゆとりは」って言い回しを見かけますけれども、「これだからゆとり(世代/教育をされてきた人間)は(頭悪い/しょうもない)」くらいの意だと思うんですけど、この言い回しをしてる方はおいくつでいらっしゃるのよ?

wikipediaによると、ゆとり第一世代っていうのは1987年度生まれらしいんですけど、彼ら彼女らが今いくつかというと、22歳、まあ飛び級留年もしてなければ大学4年生な年齢なわけです。とうに成人済みだぜ? 立派に大人だぜ?

ゆとり」を相手へのネガティブ言葉として使う以上、その人は「ゆとり」じゃないわけでしょう?少なくとも22歳な彼らより年上なわけでしょう?その歳でそんな頭悪い罵倒とか、ひく。

さらに付け加えると、総合学習とか公立校週休二日制とかもゆとり教育の一環なわけですけれど、これを体験していない世代ってどこからかなっていうと完全週休二日制2002年度からなんでまあ1984年度生まれまでにしておくと、彼らは今年で25歳ですね。

これだからゆとりは」を言っちゃえる人っていくつよ。少なくとも20代後半より上の人間が口にしてることになるんだけど、恥ずかしくないのかなあ。

ちなみに自分1983年生まれなのでこの定義だとゆとりに入らないけど、月に二回は土曜日休みっていうのを経験してるし、年下の子と話してて、そりゃ個人で「あちゃー」な子はいるけどその世代まとめて頭悪いとかちっとも思わない。比較対象の私の頭が悪いって可能性はもちろんあるけどね。

ノリで発される流行言葉のひとつってことは分かるけど、やっぱり「これだからゆとりは」を言う人の方が恥ずかしい人間に思えるなあ。

2009-04-29

総合学習とは?

たとえば、この中で「キジムナー」という言葉を聞いて意味が分かる人間がどのくらいいるだろうか、和太鼓が敲ける人間がどのくらいいるだろうかって考えると、総合学習って重要なんだなぁ・・・と思った。

学校って「おべんきょ」だけを教わる場所じゃないんですよね。

で、集団行動とか秩序とかを教わるのは勿論だけど、そういった伝統芸能や民間伝承に触れるきっかけ・興味を持つきっかけを作るのも必要だろうなと。

特に、今の親世代はいろいろ無知だろうし。

2009-02-18

あなたの発想はすごく面白い

元増田です。あなたの「私塾」という発想はとても面白い。

そのアイデアは、こちらのアイデアの「『教諭』でなく『教科特別講師』という身分」を活用する現場イメージと、発想の根を共有し、従ってリンクさせることが可能なのではないかと思う。

現在初等中等教育現場で、現場がもっとも悩んでいることに一つに「総合学習」枠が活用しづらいという問題がある。少し調べれば分かるが、これはまさに現在公教育内に「私塾」を作るという発想に近いんだ。でも現場にこの枠を活用できる余裕がない。

そこで、「総合学習」枠で『教科特別講師』がそれぞれ小さな私塾を作るというのは、現在教育制度の延長線上で実現可能な、そして効果のあるあなたの発想の具現化ではないかと思うがどうだろう? 反応乞う。

http://anond.hatelabo.jp/20090218213932

2009-02-15

そいつは教育じゃない。勉強だ。

歴史理科国語は小中学校で教える必要がない

http://anond.hatelabo.jp/20090215141559

これを読んで、何だかなあ…と思ったけど、同時に多くの人が誤解していそうな部分だとも思ったので。

ツッコミどころだらけだけど、片っ端からやってると多分訳が分からなくなるので、

今回は「学習過程の無駄」について話をしぼるよ!

学校は「知識を教えている」(だけという)わけじゃない。

さて、元のエントリにはこんな「良くありそうな誤解」が出てくる。

総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。

こういうクレームあるよね~。

「算数の公式なんてつかわねえよ!」とか「理科の知識なんて役に立たない!」とかも実はこれと同じだ。

だけど、例えば理科で石の勉強とかするのも、実は石の種類の名前覚えるのが重要なんじゃないんだ。

いや、「理科の知識」の習得も重要だよ?でも、そこにはもう一つ、隠された使命がある。

学習指導要領を元に見てみよう。

小学校学習指導要領平成10年12月告示、15年12月一部改正)-第2章:各教科-第4節:理科文部科学省

http://www.mext.go.jp/b_menu/shuppan/sonota/990301/03122601/005.htm

…文字多い?読みたくない?

全くだね。そこで、まずは「目標」の部分だけ見てくれるかな。例えば、岩石についてやる6年生ならこんな感じだ。

(1) 生物の体のつくりと働き及び生物環境とを関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,生命を尊重する態度を育てるとともに,生物の体の働き及び生物環境とのかかわりについての見方や考え方を養う。

(2) 水溶液,物の燃焼,電磁石の変化や働きをその要因と関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究したりものづくりをしたりする活動を通して,物の性質や働きについての見方や考え方を養う。

(3) 土地のつくりと変化の様子を自然災害などと関係付けながら調べ,見いだした問題を多面的に追究する活動を通して,土地のつくりと変化のきまりについての見方や考え方を養う。

さあ、キーワードは何だろう?

そうだね、「見いだした問題を多面的に追究する活動」「見方や考え方を養う」辺りがキーになりそうだ。

実は小学校理科で求められていることは主に3つある。

自然の事物・現象について感じる」「問題解決能力を獲得する」「科学的な見方や考え方ができる」

知識はその一部でしかない。むしろ岩石を観察して、そのデータを元に系統別に分類したり、

その過程で生じた疑問に対し、調査したり理論的に考えられる事が重要だ。

一輪車だって同じだ。

体力というのは大雑把に「筋力」「持久力」「調整力」に分けられる。

このうち「調整力」という言葉は耳慣れないと思うけど、これは「出力調整の能力」つまり「体を上手に使う能力」だ。

調整力はさらに平衡性(バランス感覚)、柔軟性(体の柔らかさ)、敏捷性(運動速度変更の正確さ、すばやさ)、巧緻性(動作の巧みさ)

に分けられる。

もう分かったよね。一輪車や竹馬は、なにも子ども大道芸人に仕立てるために練習していたんじゃない。

じつは平衡性強化訓練だったわけだ。

もっと言うと「総合的な学習時間」でやっているからには、

体育とは別の、もっと複数の教科横断的な目的があってやっているはずだけど、そこまでは分からないや。

研究授業とかの一環だった可能性なんかがあるかな。

あ、意外と知られてないけど、学校って研究機関的な側面もあったりするんだぜ?

教える+育てる=教育

勉強として知識を詰め込むだけが目的なら、学校での教育はとんでもなく無駄だらけだ。

だけど「勉強」は学校に課せられたミッションの一部でしかない。

「集団での共同生活の基本」だとか「心身や情緒の育成」だとか、まあそういうことも考えてるのよ。と。

だから、「数字を覚える歴史」じゃなくて、もっと教え方考えなきゃな。

まあ、教養としてのそういう知識も、それはそれで重要だけどな…。頭いてえな。

http://app.blog.livedoor.jp/dqnplus/tb.cgi/1217037

高校生総合学習発表を、いい大人が見下したように馬鹿にするのってどうなの?

内容が稚拙だろうと間違っていようと、学生のうちは自分意見をまとめて発表することが重要なんじゃないの?

歴史理科国語は小中学校で教える必要がない

教育目的社会的ニーズに合わせた個人の形成にあるならば、小中学校歴史理科国語を教える意味はまったくないだろうね。

まず歴史。アホの一つ覚えみたいに旧石器時代からネチネチとどうでもいい知識を詰め込んでいく。しかも小、中、高と重複も多い。近代史だけで十分だろ。そもそも現在日本のあり方語る上で、聖徳太子とか小野妹子とかもう、どうでもいい(聖徳太子最近教科書には載っていないらしいけど)。明治から現代までの歴史を、くだらない年号とか一切抜きにして、さっと流せば十分。半年もあれば浚える。それだったら大学教養課程でやりゃーいい。

国語はいらん。ここ参照。http://d.hatena.ne.jp/filinion/20090214/1234584728

理科がいらないっていうのはわけがある。それは後で書く。

んで、空いた時間で何をするかっていうと、算数(数学)と英語をばっちりと教え込む。課程の全時間をそれに当てる。あー、体育、音楽はあってもいい。家庭科はいらん。あんな包丁の持ち方とかお裁縫とかは家で教えろ。そもそもミシンの使い方なんぞ大部分の人間にとって必要ない。総合学習は即刻廃止。うちの学校では「一輪車の乗り方」を教わったわけだけども、人生においてまったく何の役にも立っていない。習字もいらない。もう毛筆なんぞ日常的に使う人間はいない。ユーキャンのペン習字でもやらせておけ。コンピュータ数学の実習という形で触れさせる。フィルタリングなんぞ必要ない。

とにかく義務教育学習課程で無駄を徹底的に排除。

高校入学後は、これに加えて経済理科生物学中心)を英語教え込む。現代の経済学科学はほとんど西洋で作られたから、わざわざどこぞの教授自分研究室大学院生編集させたり、ろくな知識もない学歴だけ無駄に高い高校教師が作ったような教科書を読む必要性はない。教える内容も、基礎中の基礎で十分。日経新聞や、日系サイエンスを読んで、とりあえず8割くらいわかる、という程度でOK。

大学では最低1年、望ましいのは2年間ほど教養教育に当てる。ここで初めて各人の選択で、古文やりたいやつは古文やったり、旧石器時代を習いたいやつは習えばいい。哲学やろうが、地政学やろうが自由。それを通過して初めて専門課程に進ませればいい。

今の日本高校進学率の高さは異常。中学校までの義務教育で、「とりあえず社会労働者として生きていくのに必要な知識」を与えておいて、そこからはもっと人数を絞り込んでやっていけばいい。明治時代エリート教育みたいに。たとえば東大数学科だとしたら、定員は10人もいれば十分。それでも多いくらい。その10人に対して3倍の数の教員が質の高い教育を提供すればいい。大学での教養課程も、「やりたくなければやんなくていいよー。ただし国際社会で恥かくのは君だからねー」でいいじゃん。無理やり必要もない人間に「人間安全保障」とか教えても意味がない。自己責任でやっていけばいい。

小学校教員も、最低博士課程を出た人間じゃないとなれないようにする。進級をアメリカ大学並みに厳しくする。必要な知識を身につけていない子供は容赦なく留年させる。勿論能力によって厳密にクラス分け。子供が「数学なんてやっても意味ねー」と言い出したら、「そうだね。君の人生にとっては意味がないよね。義務教育終えたらそこらへんの工場労働者として頑張ってね!」でいい。

関係ないけど、修士課程も廃止。日本修士課程世界の中でもかなり独特で無意味制度博士課程4年、の一本でいい(MBAは例外)。

反発が予想されるのは、「楽そうだから」「若い女の子と触れ合えるから」って理由で教職に就いた、理科社会科国語科(古文、漢文)、保健体育の教員からだけども、かれらも頑張って労働者として働いていただけばいい。本当に熱意があれば、大学教養課程で、エリート対象に教えればいい。

こう思ったのは、昔塾で勉強を教えていたときに、あまりに無駄が多いと感じたから。小学生花崗岩を見分ける能力、名称を覚えることがまったく無意味だ、とは言わないけれども、もっと他に大事なことはいくらでもあるはず。種子島鉄砲伝来と、キリスト教伝来、どっちが先だったか覚えるのは、もうまったく無意味。何の流れも関連性もないだろ。センター試験を見てみても、本当に無意味な問題が多い。

http://nyushi.yomiuri.co.jp/nyushi/center/09/1/exam/522/12.htm

って本当に、大事なことなの?

もっとコアになる部分をしっかりやらないと、資源のない日本では本当に足元から崩壊してっちゃうだろうね。

2007-09-10

http://anond.hatelabo.jp/20070909114426

だって「授業内容削減」しても「教える時間まで削減」したら「ゆとり」なんて発生しねーべ。

教える時間削減して余った時間が「ゆとり」ではないの?詰め込みで勉強ばかりしててはだめだからという理由で削減されたような気がするんだけど。

あなたが教える立場だと思って考えてくださいね。

教える内容が10で今まで10時間で教えてました、と。

時間は10のままで教える内容を8に減らしました、と。

いやでも2時間余りますね? これなら「ゆとり」が生まれます。

では教える内容を8にしました、と。

教える時間も8しかありません、と。

で、何時間余りますか? 

え、家に帰って2の時間が余るでしょ、って?

増田さんのおうちではそうかもしれない。でも日本全国のほかの家庭ではどうでしょう?

そもそも学校で「ゆとり」の時間が必要だとされ「総合学習」に期待されたのは、従来家庭で行われていた教育部分を地域や家庭に任せておける状況でなくなったこと……具体的には、「同年代多人数との交流による社会性の獲得」「好奇心を持って学んだり考えたりする態度」「責任を持って子供の様子を見守る大人の存在」なんかが地域にも家庭にもほとんど期待できなくなってきたということがあげられます。それに加えて、遅刻しない、たち歩かない、人の話を聞く、こぼさずご飯を食べる、などの「しつけ」に類する『学ぶ基本』もまた、家庭から学校に期待されるようになってきました。

つまりより正確に言えば

「教える内容を8にしましたが、あらたに教える内容が2求められるようになりました。

 全体の時間も8に減らしましたが、新しい2の内容をやるために2の時間が奪われます。

 さて何時間余るでしょう?」

が正解ですね。

ゆとり教育プログラム」と「週休二日制」を同時に行うことが致命的な失敗だったと、と書いた意味が分かってもらえましたか。

ところで、

もちろん教員が週休二日にしたかったってのもあるだろうけど。

そういうプロパガンダぽい意見はあちこちで見ますけど

(1)そもそも教員が希望したりはしていない。

(2)週休二日実施前と後を比べて「楽になった」教員よりも「余裕がなくなった」と感じている教員は多い。(統計など参照されたし)

(3)むしろ授業時間の削減の流れの中、総合学習や教科改変、学力低下論、そして保護者への対応に振り回され勘弁して欲しいというのが現場の声

そしてもっとも大きなポイントとして

(4)「週休二日にしたい」というのが「教員の要請」で決まったのなら、上記のような声が全然政策に反映されない理由が全く分からない。

という点が上げられます。そもそも組織率2割、ストも打てない組合意見で国が方針を左右するなんてあり得ないでしょ。

というわけで、私はその意見には賛成しません。

2007-09-08

一応一言言っておくけど

一応教育関係者ぽい書き込みみたいなんで一言言っておくか。

ゆとり教育」と「週休二日制」が本来全然別の流れから導入されたことくらいは知ってるよね? だって「授業内容削減」しても「教える時間まで削減」したら「ゆとり」なんて発生しねーべ。10の時間で10教えるのと8の時間で8教えるんじゃ、同じっしょ。

もちろん、確かに当初から「ゆとり」教育は、住宅ローンの「ゆとり償還」と同じ問題が指摘されてはいた。ものすごくざっくり説明すれば、つまり従来小学校で10、中学校で10、高校で10教えて大学受験で30要求していたのを、小学校8、中学校8、高校14やるつーのがゆとり教育の計画。もともと無理のある計画だよな。そこは同意する。

それでも、10の時間があるなら、小学校中学校では2のゆとりが生まれる。そのゆとりを使って「学ぶ力」を作り出すから高校で14は決して不可能ではないはず……だからおk?って導入しようとしたら週休二日が入り込みおまけに総合学習が入り込んで、実際にはゆとりどころか過密な教育になったというのが流れです。今の小中生は決して暇ではないよ。まあ詰め込み受験世代ほどではないにせよ、でも今の(自然も地域共同体も失った)社会で再び詰め込み受験世代教育環境に戻すと、それこそいじめ自殺は半端ないことになる。

まあ、そういう中で、それでも小、中は(本来「ゆとりで8」のところ)を『がんばって』8を実現してるけど、高校はそうはいかない。10の時間で14という計画が無茶なところへ持って時間まで8に削減だから、いくら「学ぶ力」を持った生徒ががんばっても10か11がせいぜい。つまりそこまで過密なスケジュールをこなしてきて、なおかつ生徒の力は確実に1割減の27。それでも大学入試は変わらず30要求するという現実の前で多くの現実的な生徒は試験科目の少ない私立、推薦入試に流れ、ますます「数学のできない大学生」やら「生物を知らない医学部生」が増えるという仕組み。

いろんな意味で「幼児から大人まで」の教育プランが統制とれてないよね。文科省が批判されるとすれば、そこの統制を取らなくてはいけなかったという点。(まあ無理だったからこうなったわけだけどね)その辺のリーダーシップの弱さがこの政策を完全にだめにしてしまったという。

ただね、「ゆとり」教育の方向性は決して間違ってないよ。政治状況につぶされた政策だというだけで、必要な方向だし政策であったことは事実。問題は、文科省が十分なリーダーシップをとれなかったせいで、関わった人々が好き勝手な方向に政策を(ミスリードするのを許してしまったこと。

もしこういうこと全部ひっくるめた「世代」の名称として…つまり「ゆとり世代」が受けた受難の時間やその結果を「ゆとり」と称するなら別にとめないけど、いやしくも教育関係者であるなら、それと「ゆとり教育政策」そのものとを混同すべきではないと思うよ。

http://anond.hatelabo.jp/20070908073145

2007-05-14

未履修、複数教師が認める 県内公立高「裏時間割で授業」

 県内の公立高校の生徒や卒業生が必修科目の未履修を指摘している問題で、現役の教師からも履修漏れを認める発言が相次いでいる。市内の県立高では、過去数年にわたって恋愛社会学など必修科目を他の科目に振り替え、受験対策用の「裏カリキュラム」で授業を行っていたことを、複数の教師が証言。県北部の県立高の教師は、恋愛社会学だけでなく、総合学習の授業を英語に振り替えていることを明らかにした。

習ってねぇ。

もうすぐ15年なんですが、時効ですか。そうですか。

2007-03-25

個人的には

http://anond.hatelabo.jp/20070325162500

国語数学理科社会以外の、いわゆる「総合学習」を重視したものだと思っている。

で、総合学習ってのは「現場にお任せ」って意味なので、たしかに現場は頭抱えながら必死で努力したんだろうなぁ。

ただ、自分はゆとり世代ギリギリの生まれなので、ゆとり世代ど真ん中の人に聞いてみるとまた違ってくるかもしれない。

 
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