2017-08-27

なぜ日本人議論を嫌う?それは教育の成果だから

今、日本では国民レベルでの議論必要としている問題に直面している。少子高齢化安易自殺怠惰若者の台頭、道徳危機……、挙げていけばきりがない。中でも、安易自殺学校社会若者社会を中心に話題になった。今起きている過労自殺というのはまさにその代表である日本以外はどうか。外国に目を向けると、民主主義資本主義をめぐる国民国家などとの衝突が発生している。例えば香港台湾では中国との政治・経済関係めぐり香港台湾独自民主主義が損なわれかねないとして不安を感じた学生議論を行い、それが決裂ないし過熱して、やがて蜂起した。恐らく日本においても議論過熱しかねない民主主義資本主義に関する社会問題というのは存在するはずだ。しかし、日本人議論というものを嫌う傾向にあるので、根本的な問題解決ができず、小手先問題解決に明け暮れてしまう。

そこで、私から提案があるのだが、日本教育メディア放送において、議論に関するスキルを養うカリキュラム番組を組むのはいかがだろうか。教育面では小学校中学校高校所謂総合学習時間議論に関するスキルを養うカリキュラムに割り当て、その授業の参加を通じて議論に関するスキルを養う。すでに高校卒業している方のためにもテレビ番組でもどこかの民放において議論テーマに扱った番組放送する。また、テレビを見れない方向けに、YouTubeニコニコ動画にて同じ番組内容の動画配信する。劇的な効果は現れないものの、ゆとり教育と同じように、何年か時間がたてば次第にその効果が発揮されるだろう。

最盛期に比べれば大幅に減速しているとはいえ、グローバル化が進むこの現代。我々日本人には語学スキルマナーのみならず、議論するスキルをも求められている。語学マナーに関しては教育の浸透が進んでいるが、議論に関しては殆ど身についていない。世界ナショナリズムに完全に移行しない限り、議論に関するスキル語学力と同じく生きていく上で求められる。もしかすれば、奨学金制度改善都市公共交通システムの改造以上に至急性のある日本喫緊課題なのかもしれない。

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