はてなキーワード: シルバーウィークとは
国税庁の最終面接のことを思い出している。大学四年生の頃だ。今までの面接は、無機質な長机とパイプ椅子でのものだった。だがその時は、四角いどっかりとした檜机と、ふかふかの椅子だった。それでいて圧迫感のある面接であり、最後に「私達と一緒に働けますか?」と言われたのを憶えている。
「はい。私でよければ宜しくお願いします」といったことを告げると、その場で最終合格が遠回しな言い方で告げられた。内定通知は賃貸アパートに届いた。
こんなところに書くほどだから予想はつくだろうが、結構前に官僚を辞めている。仕事は大変キツかった(きっつー、というやつ)が、やりがいはあった。いつかは挑戦してみたい仕事もあった。
思えば、大学3年生の春からコツコツコツコツと勉強を重ねて、やっと第一志望のひとつだった官庁に合格できて、「やったー!」と無邪気に思っていた。案外こんなものだ。
国家公務員(課税部門)としての経験は20数年しかないが、せっかくのシルバーウィークだ。ちょっと語ってみたい。今は税務コンサルタントとして働いているが、夏前に大きな仕事が片付いた。今は仕事を少なくしてもらっている。
仕事のことを、はてな匿名ダイアリーに書いてる人を稀に見る。今回、私もやってみようと思った次第だ。企業との課税交渉の協議録とか、個人・法人の税額とかを載せない限りは大丈夫だろう。何かあったら責任は取るつもりだ。
高橋洋一や山口真由が自著で話している内容に比べれば、当日記はベジタブルのようなものだ。あの内容を出版して捕まらないなら、ここで書く内容など余裕でセーフだ。
なお、私ははてなユーザーの中では年寄り(フミコフミオさんと同い年)である。古い表現があってもお許し願いたい。
先に言っておくが、「霞が関に来なければ体験できなかったことは人生の財産」とか、「国のために働いている自負があった」とか、「苦しかったけどいい仕事ができて国民のためになった~」といったことはあまり書かない。
そんなに夢や理想のある官僚じゃなかった。僅かばかりはあったが。むしろ組織に負のイメージがあって、若い頃に限った語彙だと「こいつらクソ野郎だな」という感情を抱いていた。それで、40代になって数年後に転職した。再就職規制に引っかかる危険はあったが、グレーな方法で突破した。
当日記は、数パートに分かれている。できるだけ簡潔にまとめたい。以下、思い出を何点か挙げて回想する。
中学生の頃から、「税ってそもそも何ぞや?」という疑問があった。大学に入ってからは、税理士の資格を取るために勉強していたが、どれだけ勉強しても税への理解はイマイチだったし、全科目に合格した後も結局わからなかった。
※東大とか一橋大とか慶應とか早稲田とか、そういういい大学を出てるわけじゃない。偏差値50ちょっとの大学だ。たまたま会計学の講義を取ってみたら面白く、勉強にハマった。
税とは、一般的な説明だと、国や地方自治体が国家の維持や発展をめざして、民間では供給されにくい公共的なサービスを提供するにあたっての資金として「税金」を徴収している――ということになっている。
だが、おかしいと思っていた。だって、国はお金を自由に発行できる。地方自治体が言うのならわかる。あと、大昔だったら年貢を物納で納めてもらわないと国が維持できなかったはずだ。
だが、現代社会の国家がそんなことを言っても説得力はイマイチだ。税金をとらなくても、別にお金を刷ったらそれでいい。金本位制の時代を通り抜けて、今では発行された紙幣そのものに信用がある時代なのだ。お金というのは、それがお金であるがゆえにお金だ、というトートロジーである。
増田民の人も、わかってる人はわかってるだろう。税とは何かが。ここで答えは書かない。気になる人は、Yahoo!知恵袋とか、Quoraで求めれば賢い人が教えてくれる。
私が納得いかなかったのは、一応は国家公務員一種試験(昔だったら上級甲種試験)を通ってきたはずの人達が、入庁一年目だった私の質問に答えられなかったことだ。「そんな当たり前のことを聞くな」という人もいたし、「ここではちょっと…」と口を濁す人もいたし、「知らん。自分で調べろ」という人もいた。
税を納めるのは当たり前のこと、ただ、その原理と言うか……そう、原理が大事だろう。何も考えずに常識を信じていいのは中級者までだ。上をめざすのであれば、身も蓋もない本質を疑う必要がある。
こういうことを私が言っても説得力がないので、ちょっと引用させていただく。
それぞれの原理を、その自然本性のかぎりで探求しようとしなければならないし、きちんと定義されるよう腐心しなければならない。というのも、原理はそのあとに続く事柄にとって、大きな影響をもっているからである。実際、原理は全体の半分以上であり、探求されているものの多くは、原理を経由することで明確になると思われるのである。 ニコマコス倫理学(上) P.62
なぜ国民から税金を取るのか、という新人職員の問いに答えられる職員は10人に1人ほどしかいなかった。思えば、この時から私はいつかここをやめようと思っていたのかもしれない。
実際、徴税は国民みんなから集めたお金を公共サービスに充てるため、というのはお題目だ。わかりやすく国民を納得させるための。本来の目的はほかにある。それに比べると、上の『お題目』はビックリマンチョコのおまけに近い。ウエハースだ。
トラブルになりかけた事例になる。詳細は端折って書く。専門用語は補足するか、日常的な言葉に言い換えている。
キャリア官僚は現場を体験しないイメージがあるかもしれないが、別にそんなことはない。入庁二年目からは普通に現場だったし、30才を過ぎて地方支局で働いてる人もいる。
当時は、北海道某所にある国税局に勤務していた。一応は税理士に必要な科目は残りふたつというところまで取っていたが、それでも実務は難しかった。勉強しないといけないことは山ほどあるし、一年目は税務の学校で学ばせてもらったが、実務に必要な知識の何割も身に付いていない。税務の世界は広いのだ。
最初の頃はひたすら、簡単な事務とか雑用とか、先輩が受けた税務相談の回答案作りとか、上位機関からの調査ものとか、庶務全般(文書収受~会議日程調整~飲み会手配まで含む)に、兎に角いろいろやった。
すべて勉強になるとは思ったが、正直これは臨時職員がやった方がいいのでは……と感じるものもあった。まあ、とにかく新人らしく何でもやった。
赴任して半年だった。とある先輩を経由して、それなりの事業規模の法人の税務申告を最初から最後までやらせてもらえることになった。同じ年代の職員(※省庁キャリア)の中では遅い方だった。資本金が結構ある機械メーカーだったかな。これまで当業務では、先輩方を手伝う立場として動いていたから、割とすんなりいくように思えた。
申告内容は当然精査するのだが、日本の課税制度は一応性善説でいっている。国民(法人含む)が嘘をついたりごまかしたりしない、ということを前提にしている。その企業も、過去に税務に関して更正処分(支払う税額が誤っていると判断した場合に○円払いなさい、という措置)関係のトラブルを起こしたことはない。
一応は提出書類を三周ほどしたところ、申告書類も、帳簿も、領収書や請求書や契約書(請書)も、通帳関係も問題なし……それで、さあ決裁だといった具合に伺いをスタートした。
先輩方の場合は、スルッと起案が通るようだったが、自分の場合はそうはいかなかった。新人に厳重なチェックが入るのは当然だった。
「不動産の項目がおかしい。取得した不動産価格が常軌を逸して安い。税をごまかそうとしているのでは?」
という、先輩及び直属の上司からのツッコミがあった。上司を納得させないと、次に進むことができない。思えば、あの先輩は、このことがわかっていて私に振ったのかもしれない。
当時の私の実力を超えた課題だった。頭を抱えたのを憶えている。あの時の思考過程を追っていこう。
かくして・・・
探求の旅は はじまった
まず何をすればいいかというと、不動産価格がしっかりしたものかを調べればいい。正当な根拠のある価格であればいいし、不適当な価格であれば……面倒なことになる。
不動産売買にかかる課税額は、比較的シンプルだ。普通の法人税と同じで基本は定率である(税額表を見ればいい)。ちょっと賢い中学生でも実務ができるだろう。
印紙税も、登録免許税も、不動産取得税(県税)も、固定資産税(市税)もそんな具合だ。不動産本体の価格については難しい計算が必要だが、焦る必要はない。市区町村にある固定資産税台帳には、固定資産税評価額が載っている。それを見れば、登録免許税の目安となる不動産価格がわかる。※固定資産税の納付書にも書いてある。
それを根拠に……と思ったが、そんなに単純な話ではない。ならば先輩も上司もツッコミを入れたりしない。イレギュラーなケースなのだ。
その物件は、なんと固定資産税台帳に載っていなかった。そういう土地だった。登記簿を見たところ、字名がとんでもないことになっていた。奥地にあって、大昔は栄えていたのかもしれないが、今では地域まるごと誰も手入れをしていない。そんな土地だった。しかし、幅4.0m以上の道路は通っている。江戸時代の人が整備したと思われる。
国税庁においても、外部公表している不動産価格の調べ方みたいなものはある(いわゆる路線価だが、当然奥地には路線価がない)。国でも地方自治体でも、不動産価格を求めるための要綱要領は具えているが、今回は通用しないのではないか。そういう案件だった。
若かりし日の私は思案しつつ、先輩にも相談して上司に2つの案を出したはずだ。懐かしい。
1. 比準価格(みなし計算のようなもの)を使って不動産価格を弾くと、今の数倍以上の価格になる
2. 今回は大した金額ではないため、相手方の税額を受け入れる
メリット…百万にも満たない税額差であり、費用対効果を考えるべき
結局、2.の案が採用された。それで、起案はあっさり通った。協議や相談をしたのは直属の上司までであり、決裁の責任者には上司が一声かけたくらいだ。それで新人職員の一件目である課税処分は通ってしまった。
思えば、先輩や上司からすれば、最初から2.一択だったのだ。今の私の判断もそうだ。課税額の差として百万円にも満たない金額のために、そこまでの手間はかけられない。もっとほかに、日本の税務行政のためにやらないといけないことが山ほどある。
一応弁護しておくと、現場で働く公務員には、「法適用の裁量」と「エネルギー振り分けの裁量」がある。現場的な要素が強い職種だと、上司の指揮監督を受けるのが望ましくない場合がある。極端な例だが、警察官が凶悪犯をパトカーで追っている最中に、スピード違反や信号無視をしている者を放っておくのはやむを得ない、といった観点だ。
余談になるが、国税局職員が県税や市税の脱税を見つけた場合も、人や状況によって対応が変わる。情報提供する場合もあれば、見なかったことにする場合もある。
それこそ昔の話だが、飲み会でとある話を聞いた。ある個人納税者から地方税務署に相談があったという。要約すると「1年前に出した赤字決算の申告書だが、実は黒字で、税金を納めないといけないことがわかった。どうすればいいか」ということだった。追加で納付すべき税額は、約30円のようだ。このままでは脱税者になってしまうと焦っていたらしい。
その相談を受けた税務署員はこう答えたという。「実は、ボールペンとか消しゴムとか、事務用品を買っていたのを申告書に書いてないんじゃないですか? だったら、納付すべき税額はやはり赤字では? 問題ないですよ」と。※以後の話は不明
課税処分はもちろん、どのような行政処分であっても費用対効果という観点が重視される。税収1万円増のために2~3万円をかけるのは議論の余地があるにしても、20~30万円をかけるのは明らかに不合理だろう。
テレビやネットメディアやはてなブログでは、公務員は何も考えずに税金を支出しているイメージがあるかもしれないが、ちゃんと考えている人が多数派である。そこは信じてほしい。
数年後、私は北海道から霞が関に戻ることになった。それから退職するまで、ずっと法人課税部門にいた。
Part2/3
【2月】 まだまだ寒い。これではやる気が出ない。3月から本気出す
【3月】 年度の終わりでタイミングが悪い。4月から本気を出す
【4月】 季節の変わり目は体調を崩しやすい。5月から本気を出す
【5月】 区切りの良い4月を逃してしまった。6月から本気を出す
【6月】 梅雨で気分が落ち込む。梅雨明けの7月から本気を出す
【7月】 これからどんどん気温が上昇していく。体力温存の為8月から本気を出す
【8月】 暑すぎて気力がそがれる。9月から本気を出す
【9月】 休みボケが抜けない。無理しても効果が無いので10月から本気を出す
【10月】 中途半端な時期。ここは雌伏の時。11月から本気を出す
【11月】 急に冷えてきた。こういう時こそ無理は禁物。12月から本気を出す
【12月】 もう今年は終わり。今年はチャンスが無かった。来年から本気出す
7年前くらいに扁桃腺周辺炎になり、シルバーウィーク(1週間休みだった)を入院で潰した僕。
当時と同じ過ちを繰り返し、めちゃくちゃ扁桃腺腫れてきたので戒めの備忘
仕事が忙しくて疲れが溜まってた
喉痛いな〜龍角散舐めてるのに効かないな〜
疲れてるし体温めたほうがいいかも?長風呂すっか!よくなるかも!ってやったら、無事悪化。翌日喉が腫れて息がしづらく高熱が出てそのまま入院。(喉ちんこが腫れて、気道を半分くらい塞いでた)
緊急処置で喉の膿を切って洗浄してもらうも、 あまりの痛さに医者にガチの「…コロス…コイツダケハゼッタイユルサナイ…」という気持ちになる。
痛みと腫れが治るとそんな気持ちは消え、痛みって殺意に繋がるのだなと知る。
結局1週間入院した。
コロナになってからほぼリモートワークで仕事も遊びも行かなくなっていたが、今月は実家の様子を見に行ったり、家の工事で一日外で過ごさないといけなかったりとコロナ始まって以来のアクティブな1ヶ月で疲れてる自覚はあった
寒暖差アレルギーあるし、冷房と猛暑で自律神経死んでるかも?と思って、2日連続長風呂をした。
朝から病院に行ったら「今は熱ないし少し赤くなってるくらいだけど、扁桃腺よくない人は疲れると一気に腫れたり熱出るから無理しないで」と、薬を6種類ほど処方された。早速朝昼と飲んでよくなるかなーと思ったらよくならねえ、熱上がってきたぞという今。
油断した…
ていうか、今回も「お風呂にゆっくり浸かるか〜」ってなって悪化させてて学習能力ないんか。
あーーー!喉イガイガする。
痰を出しやすくする薬を飲んでるせいでめっちゃ痰が出てしんどいけど、これが出ることで悪いものを外に出してるんだよな…と自分を言い聞かせている。
シルバーウィークに東京から地元に帰省してきたら北陸新幹線延伸の看板が駅にあってふと思い出した。
そういや北陸新幹線って敦賀から先はどうなるんだっけと。調べてみると敦賀延伸が2023年で、そこから先は北海道新幹線の整備に入るから一旦工事が止まって2031に敦賀から先を着工するとのこと。
で、気になったのが敦賀から先のルートのことだ。Google mapを開いてみると、敦賀ー大阪まで新幹線つなげようとした時、最短距離は敦賀ー米原に線路を敷設して東海道新幹線に接続するルートになる。このルートは建設距離が短くなるだけでなくて名古屋から北陸までの旅客需要も見込めるので一見合理的に見える。
だけどこの案は5年ほど前に否決された。実際に決定されたルートは、敦賀ー小浜ー地下トンネルで京都ー新線で新大阪というぱっと見トリッキーなルートになった。このルートになった理由はいくつかある。代表的なものはこんな感じ。
•東海道新幹線のキャパが一杯で北陸新幹線が接続されると捌けなくなる。
•JR東海が線路を保有しているので、北陸新幹線を運行するJR西が使用量を払う必要があり運賃が割高になる。
•小浜ー京都間に新規に路線を引いた方が高速化に寄与する(ざっくり20分ほど)
だけどだ、この辺の理由が決定的かというとそうじゃない気がしてるんだ。今は東京に引っ越してしまったが、元々この地方出身の身としては、ビミョーなメリットのために建設費が1.5兆増えて税金からの支出が増えるのがあまり納得いってない。前述のルート選定の理由も、自分のような素人目線で見ても結構ザルな感じがしてるからだ。例えばこんな感じ
•東海道新幹線のキャパについては、リニアが通れば余裕ができる。そうなればJR西が新大阪ー米原間の線路の所有権を買い取ったりすることはできないか?JR東海にもリニアの建設費の返済費用に充てられるというメリットがある。
•山陰新幹線、費用対効果の面で絶対無理だと思う。京都ー鳥取までの約230kmの区間に人口18万人の鳥取市以外に10万人以上の都市がない。新幹線が採算取れてるのは、開業している高崎ー金沢間の約350km間にそこそこの規模の都市がたくさんあるから(上田市15万人、長野市36万人、富山市41万人、高岡市16万人、金沢市46万人)で条件が違う。
そんなわけで、コロナ対策等で財政支出が増えてる今こそ北陸新幹線の敦賀以西ルート見直しするチャンスだと思うんだけどどうだろうか?
シルバーウィークに離島に行こうと思っていろいろ見てて知ったんだけど、奄美大島とか御蔵島とかの離島で野生化した「ノネコ」がアマミノクロウサギとかオオミズナギドリとか現地の希少な動物を食べてしまう問題が起きてるらしい。御蔵島なんて世界最大のオオミズナギドリの繁殖地で100万羽以上いたのが、2001年に猫が持ち込まれて野生化して一気に減少して今では10万羽まで減ってしまったのだと。で、オオミズナギドリの現象の影響ってほぼ猫起因ってわかってるんだからガンガン捕獲して駆除するしか無いんじゃねって思ったんだけど、動物愛護団体が反対してて避難処置して野山に返したり里親募集とかしてるらしい。なんじゃそりゃ?たしかに殺される猫は可哀想だけど、オオミズナギドリはもっと可哀想じゃないの?島に住んでるのはノネコはせいぜい数100匹。だけど島で食べられてしまったオオミズナギドリは数十万匹。個人的なかわいそうランキングで言えば圧倒的にオオミズナギドリが上なんだけど動物愛護団体の人ってなんでそんなに猫をえこ贔屓するんだろう?
令和になり祝日の移動がなされた際、カレンダーから6月と12月から祝日が消えるという事態が発生した。 ただでさえブラック企業によって休みの無い日本に、祝日そのものが減らされるという異常事態になったため、逆に増やすべきとしてこの案を作り上げた。
祝日の増加だけでなく、ゴールデンウィークやシルバーウィークなどにおける長期休暇等の再整理も同時に行う。 これは五月病及び九月病の問題が発生しているため、それを防ぐための再整理ということになっている。
個人的には1年の中間ということで第3水曜日とすべきと思っていたが、難しいのもあるので月曜日とした。 祝日名はブラックカントリーである日本を最大限に皮肉るため、あえて「ぐうたら感謝の日」としたが、真ん中ということで「時計記念日」と無理くり与えることもできるだろう。
2020TOKYOで祝日が消えることが判明したため、1日以上を確実化するために設けられた祝日。 この月は神無月ということで、八百万の神々に感謝する「神様感謝日」と名付けた。
天皇誕生日がそのまま祝日にならなかったため、「正月準備日」として祝日化したもの。 当初は第3金曜日等に予定していたが、クリスマスやら年末年始の業務多忙も懸念されたのであえてこの日とした。
よく「12月には大晦日があるじゃん」というクソアンサーは、遊園地やゲームセンターなどのアミューズメント施設には通用しない。 ディズニーやユニバ、各ソシャゲやネトゲなどのスタッフが一揆を起こしたらどうなるか想像せよ。
春分の日の位置によっては3月から祝日が存在しないため、「さくらの日」や「雛の日」とでも追加する。
昭和の日が土曜日にめり込む可能性があるのと、新人が休暇というのを経験できるタイミングとして。 この日を「さくらの日」としても良さそうで、他の候補としては「おはなの日」と指定する必要もあるかもしれない。
山の日である8月11日が土曜日にかぶってしまうことを考慮し、どっちが土曜日になっても大丈夫になるように。 一応この日は「終戦の日」でもあるが、他候補に「お盆の日」でも何ら問題はないだろう。
どちらかを5月の第2月曜日にまわしておき、もう片方は4月第2金曜日等に移す。 こどもの日を第2月曜日とし、みどりの日を3月の第1金曜日とする。
現在の日本では祝日がちゃんと機能していないクソ祝日にしかなっていないという状況が非常に続いている。 大晦日でも元旦でもゴールデンウィークでもシルバーウィークでも天皇誕生日でも連休でも社畜は「私は仕事デース!!!」と叫ぶ。
この状況を見ても、政府などはモチベーションアップばりの屁理屈を定義するため、結局のところいたちごっこにすら発展しない。
結果的に世界的に祝日が多くても休めてなければ何も意味はない。 というか世界的に本当の休暇を得ているのかという観点で言うと、先進国内では最下位と言っても過言ではない。
8月中にワクチン二発目完了予定だからシルバーウィークは休み突っ込んで地方の実家帰ってイヌと遊ぼうと思ってたんだけど
実家には高齢の両親(ワクチン済)と出産のために里帰り中の姉(ワクチン済)、
そしてこの前2歳になったばっかの可愛い盛りの甥っ子がああああ
俺は一人暮らし都内住みテレワーク歴一年半越え、外出は週一回〜二週に一回のスーパーかコンビニへの買い出しまたは持病の定期通院オンリーという筋金入りのコロナ脳
絶対に感染したくないでござるの精神でやってきたし今後もやっていくが
万が一、億が一、俺がどこかでもらってきてちびすけにうつしたらと思うとあばばばばばば
でもイヌと遊びたいようイヌかわいいようノーイヌノーライフの俺のメンタルが限界だよう
だがちょっと待って欲しい、今コロナのワクチンは12歳以上対象だから下手すると俺あと10年甥っ子避けていかなきゃならないの?少なくとも今すでに老犬のイヌはそれまでに確実に死んじゃうぞ??
都内では検査で把握できてない感染者がもうどこに何人いるかもわからないし俺がワクチン後に無症状感染状態になって「ヘーキヘーキ☆」で逆にうつす可能性あると言えるし
ああああああ
政府はコンビニ感覚でいつでもどこでも検査受けられるようにしろクソが
ちきしょおおおおお
ロシアンルーレットの引き金を!2歳の子どもに銃口向けて引くことはできないッ!!自分のこめかみならまだしもなッ!!
でもイヌと遊びたいようイヌかわいいようノーイヌノーライフの俺のメンタルが限界だようクーン
ああああああああ
私は20代後半女性。恩師であるE先生は今は50代になるだろうか、親より少し下の世代の女性。私立女子校の保健室の先生で、私の進路決定に大きく影響を与えた存在である。
私がその学校で生徒だったのは10年ほど前のこと。中学受験で入った学校に1時間かけて通学したものの他の生徒と馬が合わず、クラスや部活で馴染めないどころか「場面寡黙」のような状態になってしまった。気は強かったので、そんなことで不登校になってたまるか、と踏ん張っていたが遂に中学2年の初夏に心が折れてしまい、保健室に入り浸るようになった。
そのとき様々な声かけをし心理的ケアをしてくれたのがE先生で、私は彼女に憧れて看護学部を受験し、現在は看護師をしている。
看護師を数年したら養護教員(保健室の先生)になるだろうと高校時代は思っていたものだが、大学時代に就活をするときには一度そのことは消し去ってみた。だけど一度夢にまでみたこと、資格は“一応“持っているので、叶えてみるのが過去の自分のためだと思い転職活動を開始したのがここ1年のことである。そして新型コロナウイルスの流行があり、学校保健においては大変なことであろうと思い、E先生のことが思い浮かび、お元気だろうか、と様子伺いを兼ねて近況報告を送ることにした。
E先生はクールな方だけど、内面はとても豊かな人だったと思う。
ただ、さっぱりしすぎていてなのか、仕事上(教科・学級担任と異なり全校生徒を相手にする)致し方ないのか、年賀状を送りたいだとかEメールアドレスを教えてほしいだとかお願いしても、全く個人的な連絡先を教えてくださらなかった。
「学校に送ればいいわよ」とか「学校に来れば私はいつでもいるわよ」とか仰っていた。他の教師たちはというと、携帯やSNS禁止の古風な学校のくせに、数年前に訪問してみるとLINE交換を迫ってきた、なんてこともあった。
そういうわけで、E先生宛に手紙を書いた。もちろん個人的な連絡先を知らないので、宛先の住所は学校にした。私学だから転勤もないし、ほかの先生から消息は伺っている。
同じ県内に住んでいるので、1日もあれば届くだろう。
お返事は週明けには来るだろうか?
そんなことを考えた。
が、1週間経っても、2週間経っても、シルバーウィークを挟んでも、返事は来ない。
前述の通り、クールなお方だから、と思って、松任谷由実の「返事はいらない」さながら、返事は期待せずに手紙を書いたし、ポストに投函した。
だけども、どうしても、返事がこないとソワソワしてしまう。
私は平成1桁生まれ、とはいえ、ジャストなデジタルネイティブ世代で、物心がついたときにはダイヤル回線でポストペットがメールを運んでくれるような環境だった。
大学に入って最初の数ヶ月こそ「メーリス」を多用したが、だんだんLINEが普及しはじめ、LINEが主流の通信手段である。
仕事を始めれば職場ではメールを使うが、いま私の周囲で即時性のないやりとりはその程度。
別件で、他の恩師からコロナ禍で病院で働く私の身を案じるお手紙をいただいた時には、速攻でお返事を書いて出したくらいの即レス魔なのである。
E先生から返事が来ず悶々とし、私はインターネットの大海から「手紙」の返事を「待つ」という行為についての記事を探しまくった。スマホに穴が開くほど、といいたいところだが実際には私はかなりの睡眠時間を犠牲にした。
LINE、Twitter、4G通信、メールですら「センターに問い合わせ」をしなくても届く時代。
即時的な現代でわざわざ手紙を送るという行為は、待つ時間をも味わい、愉しむ必要があるようだ。
そして、手紙というものは、一方通行であることをある程度覚悟する必要があるらしい。
こういう話は、文化人類学にでもなるのだろうか?
毎日ポストを、封筒が入っているのを十分想像しながら開ける。そんなことをして早1ヶ月。
そういえば、E先生はお勧めの本でミヒャエルエンデの「モモ」を紹介していたっけ。時間の大切さを題材にした物語だったと思う。
E先生が返事を送ってこないのは、メッセージがあってかどうかは知らない。が、もう少し待ちながら、自分のことをまた一生懸命やってみようではないか。