2024-02-12

ひとりでダブルベッドを組み立てる

木材が二箱届いた。昨日別れた人と一緒に寝るための、ダブルベッドになるものだ。なるはずのものだった。

別れた原因のうちの一つはこのベッドだ。26と38でどう?と彼は言った。きっかり半分こにするためのあと6000円を、彼は払いたがらなかったのだ。



彼が敬愛する歌手コンサートチケットは1万円した。その歌手の歌のタイトルを私はひとつしか知らなかった。コンサートというもの自体ほとんど初めてで楽しめるかどうかから不安だったが、行った。

隣にいる彼が一曲一曲が始まるたびに目を輝かせてちいさく歓声をあげるのが可愛かった。

しかった。

時間を共有できることがとても嬉しかった。同じ音に触れて、鼓膜が揺れているのだと思った。一緒の時代に生きることが出来てよかったとしみじみ思った。最後は腕を振って歌った。私が唯一タイトルまで知っていた歌だった。

今度は私の好きな歌手コンサートに一緒に行こうねと言った。

ついぞ果たされることは無かったが。



木材たちはてんでそっけなくAだの⑧だの上面だのといったシールが貼ってあり、頼みの綱である組み立て方の説明書には「2人以上で組み立ててください」とあった。意地でも一人でやってやろうと思った。



私はもともと片付けが病的に苦手で、一人暮らしをしていた部屋もひどい有様だった。母が定期的に死んでないか確認に来る以外、ほとんど人を呼んだことは無かった。

告白をされた時、自分の部屋が直ぐに脳裏に浮かび、とても悩んだ。障害なのだ小学校の時に診断を受けて、小児うつの疑いも指摘され、20歳の時には二次障害でがっつりと鬱になり入院し、そこから丸々一年休学した。

その時に四年付き合って一緒に住んでいた人とも散々な別れ方をして、そこから恋人が出来ても長く続くことは無かった。

もう誰かと時間を共にするのが怖かった。二年ほどぽっかりと恋人のいない時間を過ごしていた矢先の、告白だった。

私は悩んで相手に洗いざらい打ち明けた。障害のこと、病気のこと、寛解はしているが自分に自信が無いこと。

彼は真剣な顔で聞いたあと、それは病気でなくても同じことだよと言った。

僕も片付けが苦手だし、でもできない所を補い合うことはできる。それは病気であってもなくても同じことだと。



しかった。信じてみようと思った。全てかけてみようと。

そこから半年同棲を決めて、必死で片付けをした。

間に合わなかった。モザイクをかけたくなるようなダンボール箱最後数箱出来た。自分の部屋にも入り切らず、共用の寝室の片隅に置かせてもらった。

「ずっと片付かないのは嫌だけど、頑張ってくれたらいいよ」「一月を目処に頑張ろう」と言ってもらった。



それからの日々は怒涛だった。仕事洗濯食事の支度、お風呂睡眠のローテーション。自分一人ならどれか欠かしても仕方がないけれど、人と住むからと気を張っていた。

段々、自分負担が大きい気がしてきていた。

洗濯の頻度の格差を指摘したら喧嘩になった。

鍋の後、おじやを作るのを断ったら喧嘩になった。

食器洗いに追加して、お米を炊く当番を彼にお願いしたら喧嘩になった。

なにもかも上手くいかないと思った。たった今せっかく組み立てたヘッドボードも、電源コードを穴から出すのを忘れていて全てやり直しになった。どうにでもなれと思った。



それでも彼とたまに出かけるのは本当に楽しかった。水族館に行った。美術館に行った。海に行った。月に一度くらいだったが、本当に楽しみだった。たくさんの写真を撮った。

でもそれ以上の数の喧嘩をした。約束した人数以上を彼が部屋に招いたこと。前日にいきなり一人泊めたいと言ったこと。私の片付けが終わらないこと。私が調味料を片さないこと​──その時、彼も皿や鍋を仕舞わないことを指摘したら、湯煎して2日放置されていたお鍋のパックを壁に向かって投げつけた​────。

私も感情的な方だが、大きな音を立てたりものに当たったりするのは許せなかった。

「殴りたくなった」と言われたのもショックだった。かつて別の人に殴られた事や殴られかけた事が複数回ある。

付き合うまで彼は温厚な人間だと思っていた。

私には人に殴らせる才能があるのだろうと思った。そうだとしか思えなかった。

そして、やっとのことで取り付けたベッドの横木が、1本まったくの上下逆だった。左半分を一からやり直す羽目になった。



一緒に住むにあたって私は、洗濯機も冷蔵庫電子レンジも全て譲ってしまった。

彼の持っていたそれらの方が性能が高かったから、そうせざるを得なかった。

「捨てろなんて言ってないよ。ただ置いておきたいなら自分の部屋に入れてね」と彼は言った。

ベッドの話に戻る。彼のシングルベッドで暫くは一緒に寝ていた。しかしさすがに狭く、ベッドのマットレス部を敷布団の2つ折りと合体させるような形で床に敷き、寝た。どちらも、彼の持ち込みの寝具なので、私は敷布団側で寝ていた。何ヶ月もすると身体のあちこちが痛み出した。肩を軽く押しただけで崩れ落ちるような肩こりを起こした。いよいよベッドを買おうと言ったが、彼は頷かなかった。「あなたシングルをもうひとつ買えば?」

私はシングルベッドふたつがこの寝室に並んでいる姿を想像して頭を抱えた。ほぼクイーンサイズではないか



何故そんなに自分シングルベッドを手放したくないのか聞けば、「まだ使えるから」という。

私の家電だって、まだ全部使えた。それでも2人の生活と天秤にかけて手放したのだ。

それからちょうど一年が経っていた。

この人は一つも、私たち生活のために諦めてくれない。一つも。そして冒頭の発言に繋がる。



それから、こう続いた。

新しくダブルベッドを買ったとして俺はシングルベッドを手放さない。

あなたが買うならすぐに買うんでも、何にしてもいいが、半分ずつ出し合うなら、今はどれを買うか話し合っている時間が無い。

納得していないかお金は払いたくない。

ダブルベッド買ってあなたひとりで寝るの?俺が金を払わないから?…なら俺が横にシングルベッドを並べて寝る。

ついに、寝室に置かれるベッド幅がキングサイズを超えた。





もう身体が痛くなければなんだっていいと思った。ダブルベッド丸々私が払って買って、向こうがなあなあで使い始めて、もういっそそれでもいいと思った。

買った。

でも直ぐに許せなくなってしまった。

詳細は省くが、いよいよ私には価値がないのだと思った。礼を言ったり、詫びを伝えたり、たった1行のLINEを打つ価値も私には無いのだと思った。



交際が始まる前にほんの数通ではあるが文通をしていた。読み返す度、私は、彼の言葉が好きだったのだと思い出せた。一緒に住みはじめてから私が手紙を書いても、返事は来なかった。

もう終わっていたんだなと、ふと思った。

ダブルベッドは、最後の釘を締められないままドカンと寝室に居座っている。

同時に注文したマットレスが届くのは少し先になりそうだ。

来月には向こうの忙しさも落ち着いて、引っ越しだの手続きだのを話し合うことになるんだろうと思う。板のまま箱のまま持っておいた方が本当は、引っ越し代も安く済んだに違いない。

手取りは私の方が安かったが、食費も家賃もきちんと半分出してきた。光熱費は在宅のほうが消費する為傾斜をつけたが、そこだけだ。

フェアにやってきた。別れて空っぽになるのはきっと私だけだ。馬鹿みたいだ。だからシングルベッドを取っておいたのだろう。

彼は賢いと思う。





本当の意味では、彼を嫌いになれなかった。

この文章を書いている今ですら、まだ揺れている所がある。

友達に縁切りのお守りを貰っても、いくらやめろと言われても、ずっと別れられなかった。でもここに書いていない一件で、もう諦めなければならないと、ようやく思えた。

少しほっとした自分に、自分でびっくりした。

終わりにしようと思う。きちんと自分を取り戻さないといけない。



マットレスが届いたら。

まっさらダブルベッドに1人で寝ながら、新しい生活をどうしていくか、考えようと思う。まだすのこしかないベッドに横たわってみる。

ポケットの中で、余った釘がじゃらじゃらと鳴った。

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