「お屠蘇」を含む日記 RSS

はてなキーワード: お屠蘇とは

2024-03-03

うちの実家は太かった

古くからその土地に住み、大きな家と田地を持ち、しか戦後農地改革ほとんどの財産を失い、裕福だった証拠はやたらと広い一族墓地くらいのもの田舎にはこういう家が溢れている。僕の家はそんな所だった。戦国時代から続いていて僕で 17 代目だとか?それを証明する家系図はもう火事で焼けてしまったみたいだが。

少し古い映画だが、「サマーウォーズ」で主人公訪問する田舎一族イメージとしてはアレに近い。正月一族で集まり当主から順にズラリと並び、その当主がくれるお屠蘇を漆塗りの器におしいただいて、一族健康繁栄を願うのだ。僕は当主からすると直系の最初の孫に当たり、父に続いてお屠蘇をいただくのを誇らしく思ったものだ。

しかし当時から不思議に思っていたのだが、父を含む僕の家族はこの家に住んでいなかった。父は長男、つまり次期当主だったのにも関わらずだ。家業は稲作なのに農作業を手伝うことは無く、そもそも他県に住み教師をして生計を立てていた。自然と僕もこの大きな家を他人行儀に感じ、普段公営住宅の狭い家に住んでいることから、この家のことを盆と正月にだけ滞在する言葉の通じない外国の別荘のように考えていた。「外国」と言うのは、県も違うので僕の方言が通じなかったのだ。

父が家を出た理由は本人からは結局聞けず仕舞いだったが、叔父などから断片的に聞く限りではかなり複雑な家庭環境だったようだ。確かに、僕の知るお婆ちゃんは本当の祖母では無いとか、床の間に知らない男性遺影が飾ってあるとか、そんなミステリアスな所も「外国の別荘」のような連想助長していた。これらについては、故人の尊厳のためにも深く穿鑿すべきではないと、当時も今も考えている。

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そんな父は、人の親としてはかなり優秀だった。それまでの経緯から実家支援は受けられなかっただろうに、独り立ちできるよう手に職を付け、教師としては結構な金を稼ぎ、できるだけ教育投資して僕を大学に入れたと思ったら、力尽きたようにポックリ逝ってしまった。それでいてそんなに禁欲的だった訳ではなく、夏休みには家族旅行もし、仕事研修で何度か海外に行き、長期の休みを取っては毎年一人でスキー釣りを楽しんでいた。

自身が興味を持ったことは何でもやらせてくれる父で、書道ピアノ幼児の頃から大学に入るまで続けさせてくれた。サッカーがやりたいと言えばボールを買い、野球に興味を持てばユニフォームを揃え、夜に星空を見たいと言えば立派な天体望遠鏡を買ってくれた。これらはほとんどモノになることはなく、ただ一つ、当時流行り始めていた 8bit マイコンを買ってくれたことが、僕が今でも IT エンジニアとして生きて行くきっかけとなった。

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そんな父にも欠点はあった。とにかく迷信深く、いくつもの新興宗教にハマったのだ。父自身、また僕が病弱だったことや、ひょっとすると実家事情も影響していたのかも知れない。今でも覚えているのは、自宅に仏壇とは別に祭壇を用意し、そこにお供え物を上げて妙な文章を読み上げる儀式を、僕が担当して毎日夕方にやっていたことだ。

他にも気功か何かで癌が治ると言う宗教に熱心で、こちらは父自身信者同士の合宿に何度も出掛けていた。教義をまとめたノートを作り、会合で発表する様が写真にも残っている。

世紀末で世の中にはこういうインチキ宗教が沢山罷り通っていた。父の信仰心はその病状を好転させることは無く、父が死んだ後、これらの宗教団体は解散して費した金は全て無駄になってしまったようだ。

これらにどの位散財したのだろうか?僕にはもう分からない。それでいて子供二人を中高一貫校に進学させ、上に書いたように習い事もさせながら、東京大学に入るまで面倒を見てくれたのだ。教師としての稼ぎだけでできる気がしないのだが、実家の助けがあったとも思えない。専業主婦だった母も死んでしまったので、この辺の事情を聞ける人はもう居なくなってしまった。

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十年振りに、「外国の別荘」、つまり父の実家の大きな家を訪問した。昔僕にお屠蘇を注いでくれた祖父はとうの昔に他界し、今ではそこに僕とは違う方言を話す叔母が住んでいる。彼女の息子が将来は家を継ぐという話を聞いた。

子供の頃、父が作ってくれた滑り台で遊んだ庭は潰されてアパートが立っていた。耕す者の居ない農地は全て売却したそうだ。父の遺骨はもう一族墓地には入っていない。

2023-01-02

本日増田神社詣で、大にぎわい(笑)

みんなお屠蘇がまわり過ぎてて、神前暴言吐き過ぎやで(苦笑)

2023-01-01

普段酒飲まないから、お屠蘇嫌なんだけど

何で、せっかくの休みの朝の疲れ切った体で、空きっ腹にアルコールを入れないといけないんだ

2022-02-12

anond:20220212231640

まあそうだけど、みりんの方が甘いので食中酒には向かない。

お屠蘇とかハーブ漬けはみりんでやる=養命酒

2022-01-02

anond:20220102084437

しらんがな

…オマエには相変わらずお屠蘇じゃなくストロングゼロがお似合いだよ

2021-06-27

anond:20210627231133

ありがとう梅酒は近年売っているもの選択肢が増えて味レベルも向上してて楽しいですね。

ちょっと高いけど大七梅酒と、本坊酒造黒糖梅酒が好きです。

街中に住んでいるので、香り高い良い梅を入手するのが大変なので、ハードルが少し高いです。

ブルーベリー酒、ヤマモモ酒、杏子酒、またたび酒とかつけてみたいですけど、

お屠蘇最強のような気もしますし、養命酒でいいじゃないかという気もしてきました。

2020-12-19

コロナ帰省無しだから正月デビューする

どこの実家にも帰省できなそうだから

初めての自分で年越し&正月をすることになった

でもコロナで切ないしお正月くらい心ばかりでも祝いたいが何も分からない

重箱は買った方が良いの?

それよりもなんか赤い和食器2枚買ってワンプレート?

漆っぽいお椀の方がマストなのか?

なお、お節とか雑煮パルシステム頼み

料理は夫がなんとかざっくりしてくれそう

正月飾りは100均でも買うべき?

でも7日過ぎに燃やすハードル高いな

なんかあの赤いつぶつぶとか杉っぽい草はいつどこで買えるのだ?

お屠蘇日本酒普通にのむのと違うんか

団地暮らしでお正月感だすのはどーするんや

2020-10-08

バタメ家には墓がない

前回の日記結婚して妻の姓になり7年がたった

僕は前回が初増田だったのですが、予想以上にバズってびっくりしてます。今見たらトラバもまたすごいブコメ数だし……。

前回のおさら

生天目(ナバタメ)家の長男だった増田は靏岡(ツルオカ)姓の女性結婚し、増田の方が名字を変えてツルオカになりました。養子縁組はまだなので、純粋名字だけです。例によって固有名詞は全て仮名です。

今回は前回の続編と言えばそうですが、名字やら手続きマニアとは関係ないつまらない話です。こういう他でできない自分語りができるのが増田醍醐味ですよね? 使い方あってる?

母の葬式

なんやかんやあってその後母も亡くなりました(父はこの10年以上前他界)。これはその時起きたエピソード。父が死んだ時には茫然自失で何も記憶がない僕ですが、母が死んだ時にもやはりだいぶ参っていたようで、以下の話は後から聞いて知ったのでした。

通夜の席でのことです。母は近隣の八木(ヤギ)家の出身でしたのでその場にはヤギ家の面々が勢揃い。遠方のナバタメ家はちらほら。妻のツルオカ家はもっと遠方でしたのでその時には妻以外おりません。そこでナバタメ家のミキコ叔母さん(父のすぐ下の妹。長女)が発言したのです。

「ショウコさん(僕の母)はナバタメのお墓に入るのだけど、私の代はともかく、息子の代になってもお墓がきちんと管理できるかわからないの。だからしばらくしたらキョウイチ兄さん(僕の父)共々別にお墓を作って移って欲しいわね」

その場で僕は生来の暢気な気質からなのかあるいは精神が参ってどうでもよくなっていたのか「へえ。それは大変ですね。そうしましょう」と答えたのです。

しかしこれにはヤギ家の面々が激昂。「ふざけるな!葬式から墓を出ろとはなんという言い草だ!」いやあ、これはもっともですね。ミキコ叔母さんも流石に空気が読めなさすぎです。

お墓を移る

バタメ家は結構大きく、正月には一族女性が作ったおせち大広間で食べ、子供たちは当主である祖父から順にお屠蘇お年玉ををもらうような家でした。僕の父は当主である祖父長男だったのです。でもなぜか父は家を出て若くして死に、祖父が死んだ時には僕は母に相続放棄をさせられました。何があったんでしょうね? 母はナバタメ家に隔意を抱いていたみたいだし、僕の改姓にあんなに反対しなくっても、ねえ?

さて、その通夜の場は無事に終わった(らしい)のですが、結局お墓は移ることになりました。とはいえ、昨今そんな簡単墓地は買えませんし、墓石を建てるお金もありません。

ここで非常に運が良かったのは、ナバタメ家とヤギ家のそれぞれの菩提寺、大妙寺と寂光寺は宗派が同じであることでした。寂光寺にはヤギ家の納骨堂があり、そこに骨壷を移すことを両寺の和尚様に了承していただけたのです。

大妙寺の和尚様の立会いでナバタメ家の墓から父と母の骨壷を取り出しました。墓石の下部には蓋のついた空間があり、そこに骨壷を入れることができるのです。知ってました? 僕はてっきりスコップで土から掘り出すのかと思ってましたよ。

そして骨壷を抱えて母の地元にある寂光寺に向かいました。人生経験豊富はてなー諸氏におかれましても、両親の骨壺を持って旅をした人はなかなかおりますまい。割れたらえらいことになりますからね。緊張しました。

後日談

この後も納骨堂追い出され未遂やら遺産相続争いなどの面白イベントがあるのですがそれはまた別稿に譲りましょう。最終的には、数年後にナバタメの叔父から連絡があり、この問題解決しました。

ミキコ姉さんがそんなことを言ったのだとは知らなかった(叔父通夜の席におりませんでした)。ナバタメ家の墓はこれを機に姉さんではなく自分管理するようにしたか問題ない。もしそちらが望むなら、キョウイチ兄さんもショウコさんも戻ってきて構わないよ。」

一体姉弟間で何があったんでしょうね? 僕はあんなこと言われましたが、ミキコ叔母さんのことはさっぱりして好きなんですよね。空気の読めないところとか僕も似てますし。まあ母はそういうところが苦手だったんだろうな、とは思いますが。

骨壺どうしましょうかね? とりあえず、いざというときに行き場がないということだけは避けられたようです。よかったよかった。

まとめ

  • 通夜の場では当事者より周りの方が神経質になっている。迂闊な発言は慎もう。
  • 菩提寺和尚様とは昵懇な方が良い。せめて宗派くらいは把握しとこうね。

特殊な家の特殊な話なので、あんまり参考にならないと思うよ!

2020-04-12

無口というわけでもなく寡黙といわけでもなく、ただ、あまり自分から言葉を発しない祖父のことは嫌いではない。けど好きでもない。

基本的に、毎年お正月しか会わないし、「女の子なんだから」と祖母料理を手伝うよう叱られたこともある。言われてすぐは「兄弟は何もしなくていいのになんで自分だけ」と腹が立ったが、昔気質なんだな、と思えばなんてことはない。祖母も「おじいちゃんに言われたの?ごめんね、ありがとう」と苦笑していたから、やはりそういう人なんだろう。

これといった思い出があるわけでもなく、会話もあまりない。「元気してたか?」と聞かれ、「うん、元気だったよ」で会話が終わってしまうような関係だ。

一緒にお屠蘇を飲んで、お節を食べて、お雑煮を食べて、こたつのんびり過ごしている間、「これ食べるか?」「寒くないか?」と聞かれ、「うん」「大丈夫」と答える。

本当に、それぐらいの会話だけだ。もっと小さい頃はどうだったんだろうと記憶を掘り起こしてみたが、多分あまり変わらないかもしれない。

そんな祖父が亡くなった。悲しいとも淋しいともあまり感じなかった。ただ、父は大丈夫だろうかと、伯父は大丈夫だろうかと思っただけだった。

数年前に倒れてから一気に衰弱してしまった祖父施設にお願いしていた。正月だけは家に帰って、私を含めた孫を出迎える。

衰弱だけでなく痴呆も進んでしまっていたから、忘れられていたかもしれない。

誰かが新年の挨拶に顔を出しに来るとその度に「○○来たよ」「ほら、△△だよ」とみんなで声をかけたが小さく頷くだけで、理解していたのか分からない。

嚥下能力が衰えたからお節を一緒に食べることも出来ず、大好きな日本酒を飲むことも出来ない。それでも、たくさんの料理が並ぶテーブルを一緒に囲んで正月を過ごしていた。

一昨々年が最期になった。

去年、祖父母が喪中だった。今年は行くのが夕方近くになってしまい、会えなかった。

久々に会った祖父は、ひどく痩せこけていて、こんな顔だっただろうか、と違和感しかなかった。

嫌いではないけど、「おじいちゃんのこと好きだよ」と屈託なく言えるような感情もなく、触れ合いもない。

葬儀最中に涙が滲むこともなく、「おばあちゃん一人ぼっちになってしまうのか」「伯父や父たちは大丈夫だろうか」と、ただぼんやり考えていた。

一通りのことが終わって一息ついたけれど、やはりこれといった感慨も何もなかった。

いつも通り出社して、いつも通り仕事をして、いつも通り昼食を食べる。いつもと同じだった。それなのに、昼食を食べ終え休憩室でのんびりしていたら、急に涙が溢れ出てきた。

「おじいちゃんは亡くなったんだ」と、何をしていたわけでもないのに、なぜだか唐突に悲しくなった。訳も分からず休憩室でひとり泣きながら、「元気してたか?」と目を細めて笑う祖父や、「これ食べるか?」と私が小さい頃から好きな料理差し出し、「寒くないか?」とこたつの設定温度を上げる祖父を思い出した。

優しい人だったのだ。

もっとたくさん話せば良かった。

2019-12-12

anond:20191211085154

子供の頃おせち食べる時に何飲んでたのよ。おれはお茶飲んでたから(お屠蘇縁起物からと飲まされていたが)、大人になってもお茶全然問題ない。

2019-02-28

anond:20190227220003

昔は年末スーパーに行くと、みりん屠蘇散(とそさん)という漢方薬のパックがついていたんじゃ。

それを一晩みりんに漬けると香り豊かなお屠蘇の出来上がり。

新年のお祝いに皆で味わったものじゃよ。

最近インターネットも買えるらしいの。増田来年正月に試してみてはいかがかな?

2016-01-04

2016年、小銭を掴んだ有村悠さんがついに健常者へ

こんなツイートをなさったのを見かけて仰天してしまい、お屠蘇気分も吹き飛んだ次第である

かつて、売れっ子女性エロ漫画家ネットで見かけては「女が性に携わっていることそのものが許せない、殺してやる」などとインターネットを通じて名指しで宣告してみたり、なんか抑圧の高まる事態に面しては浅めにリストカットしてみた写真インターネットアップロードしてみたり、なんかストレス高まる事態に面しては浅めにフェイスパンチしてみた写真インターネットアップロードしてみたり、ともかく地雷の中の地雷出てこいや、という存在だったはずの有村さんが、こともあろうに健常者ヅラして他人様を冷笑的に地雷認定してみせるのだから驚きだ。

いや。もう、そんなことを言っていられる時代ではないのかもしれない。

"有村悠"でツイッター検索してみても、出てくるのは有村さんが真面目なそぶりで描いた同人誌の、真面目な、好意的感想ばかりである

流行りのアニメキャラに小便させる路線とは別に、『艦隊これくしょん』に絡めて戦争悲惨さや愚かさを啓蒙するというていで描いた本も売っていて、かなりの好評を得ている様子である

有村さんが近年取り組んできた、リベラル観点からアニメを語ってみせる発言者としてのポーズが、ようやく実利的なリターンをもって実を結んだのである

有村さんはわたしたちの支配から卒業したのだ。

泣かないと人でなしと呼ばれる羽目になる。

なんかの拍子に雲行きが怪しくなって、なんかいろいろ検索されて過去を掘り起こされる前に、有村悠という筆名もそろそろ捨てたほうが良いかと思われる。

マイケルサッカータークとかが良いのではないだろうか。

 
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