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はてなキーワード: 内密とは

2017-09-23

誘われないより社交辞令でも誘われた方が

まだマシだけど。

何だろうか、奴は嫌悪感丸出しで一切こちらを見ず人を蚊帳の外にする。

そこまでされての社交辞令はいらない。

周りもその異様な状態をみているのだから

何か察してもおかしくはないはず。

何度も電話でやりとりしてるのなら、その時に

計画すれば良いじゃないか。変な仲間意識から

公にしてるのだろうが内密してればこちらは分からない。

ただ自分の周りにはつい口を滑らす人が多いから隠し通せないだろけど。

急遽、今日食事行く話しになった。

嫌な気持ちになりたくないのと、奴はお気に入りメンバーでいたいだろから忖度し、

今日予定があるからと断った。

感謝して欲しい限りだ。

2017-09-04

わからん

金正恩氏「斬首作戦部隊 12月1日に創設へ=韓国

https://news.yahoo.co.jp/pickup/6252927


こういう話ってYahooトップに出るほど大々的に発足していいのか?

もっと内密に発足するもんだと思ってた。

隠す気が無くて、相手疑心暗鬼を誘う作戦だとしたら12月1日って日付が微妙だし。ブラフだったら「もう発足している」とでも言ったほうがいいわけだし。

どういう意図なのかさっぱりわからん

2017-08-21

通信簿に1をつけられたことがある

中学生時代通信簿に1をつけられたことがある。

かと言って別にヤンキーだったとか、不登校だったとか

そういう訳ではない。

至って普通に学校に通い、普通に授業を受けていた。

1を付けられたのは技術の授業だ。

でもその授業は毎回ちゃんと出席して毎回の時間を使い、

提出するべき作品問題なく作り上げ提出した。

ただ、最低評価を受けたことに思い当たる節がある。

それは担任にめちゃくちゃ嫌われていたことだ。

他にクラス内でカースト上位からはとにかく嫌われまくっていた。

だけど別段いじめられていた訳ではない。

自分と付き合ってくれる友達一定数いて、ごく普通に過ごしていた。

ただ、担任になんで嫌われていたかは分からない。

問題を起こしたりすることもなく、接点も全く無かったから。

その担任高校への進路相談の際、とにかく嫌がらせのようなことを言ってきた。

行きたい高校美術科への志望理由を言っても「そんな理由じゃだめだ」と圧迫された。

さらに親を交えての懇談会では、志望の高校については「私さんじゃ無理です」と一蹴、

県外のよく分からない偏差値の低い全寮制高校

紹介してきて本当に意味不明だった。

とにかく、私の人生をぶっ潰す気でいることはよく分かった。

行きたい高校へは、美術先生フォローをしてくれて受験し、合格をもらえた。

その先生には本当に心から感謝している。

高校も無事決まり、その後も学校に真面目に通い卒業式を控えた前日、

配られた通信簿を見たら技術の項目が1だった。

あとは書き始めの通りだ。親はちゃんと学校に抗議してくれた。

担任とぼけまくってた。チェックがおろそかになってましたーだとか。

そういうものだろうか。技術先生はとにかくビクビクしていた。

技術先生は喋るのが下手だった。授業内でもどもりまくってて

鈍臭かった。きっと担任の指図で1をつけたんだろうなぁと思った。

最後校長から、このことは内密にお願いします。と言われたけど、

増田ってこういうのにうってつけかな、と思って

思い出した記念に残しておきます

あの時の美術先生本当にありがとうございました

8/30 追記

こんな長文を読んでくれた方々、まずはありがとうございます

トラバに対して:

私の学校では相対評価ではありませんでした。

原則として、著しく授業放棄妨害をしているまた、

与えられる課題を一つも提出していない生徒が

1をつけられることになっていました。

もし、私が2をつけられていたら、もしかしたら

親は不服に思いながらも抗議をすることは無かったかもしれません。

2017-07-10

僕は人間じゃないんです。

僕は人間じゃないんです。

本当にごめんなさい。

そっくりにできてるもんで、

よく間違われるのです。

今は某広告サラリーマンをしています

まわりは普通にみんないいひとばかりです。

でも、僕がそもそも人間じゃないので、

もうちょっと限界なんです。

小さい頃から、何をやってもダメでした。

スポーツ勉強ダメでした。

絵を描くことと工作だけは大好きで、

発明クラブに入りました。

いっぱい賞をとりました。

本当に本当に楽しかったです。

けれどいつもひとりぼっちでした。

だいたいいつもトラブルを起こして、孤立しました。

中学でも高校でもそんな感じでした。

友達ができてもいつのまにかひとりぼっち

挨拶、返事、愛想笑い、そんな当たり前のことができませんでした。

うわべだけの付き合いがどうしても無理でした。

おもしろい返しができませんでした。

どうやって自分は生きていけばよいのだろうか。

なんのために生まれてきたのだろうか。

何になるのだろうか。

そんなことを考えながら本を読んでいるうちに、気がつくと高校を卒業していました。

高校を出て予備校に通いました。

いっさい勉強に身が入らず、集中できず、予備校に行かずに本屋に通っていました。

そのうち家に引きこもって勉強するようになりました。

でも、全然勉強はできませんでした。

気がつくと二度目の受験がやってきて、全く勉強してない僕はもちろんどこにも受かりませんでした。

そうして、僕はニートになりました。

本当に、本当に、孤独になりました。



求人情報誌を買っては電話をかけ、ことごとく面接で落ちました。

なんとか決まったネットカフェでのアルバイトは1ヶ月半で退職しました。

そうして、またニートになって、いてもたってもいられなくなって家を出ました。

北海道の片田舎から東京に出て、本当に、本当に、本当に孤独になりました。

ネットカフェ転々としながら暮らしました。

ネットカフェ難民なんて甘ったれた奴ら。山谷にいけば仕事も寝床もあるのに。甘えるな。」

都知事がこんなことを言っている張り紙を見つけました。


甘ったれた僕は家に戻りました。

甘ったれた僕は東京学生寮に住みました。ニートなのに。

甘ったれた僕は一回2万円の家庭教師についてもらいました。親の金で。

甘ったれた僕はその家庭教師に2ヶ月でやめてもらいました。金がもったいなくなって。

甘ったれた僕は親にそのことは言わずに参考書を買いあさりました。けど全然勉強してない。

甘ったれた僕は必死に勉強しているフリを続けました。

甘ったれた僕はセンター試験で昨年と変わらない点数をとりました。

甘ったれた僕は国立なんか鼻から行く気もないのに国立に向けて数学とか勉強してて私立対策は一切してませんでした。私立目指すのは家の経済事情的にはありえない選択

甘ったれた僕は親に全ての金を払ってもらい私立を受けまくり早稲田大学に30万円お布施しました。

甘ったれた僕はたまたまなんとなく運が良くて慶應義塾大学環境情報学部(SFC)に受かりました。お布施はしてないのに。


甘ったれた僕は甘ったれ大学に入りました。すべて親の金で。母がコンビニパートして働いて稼いでくれた金で。




僕は2年間の孤独を取り戻そうと、必死に必死に友達を作ろうとしました。

でも、僕の顔はやつれていました。

20歳なのに30歳くらいの顔になってました。

ああ、人は人と関わらないと人を遠ざけるような顔になるのです。

友達はできたけど、すぐ離れていきました。

好きな人はできたけど、すごく嫌われました。

音楽がやりたかったけど、楽器全然身につきませんでした。

バイトははじめても、すぐに辞めることになりました。

自分では普通に挨拶してるつもりなのに、感じ悪いとか無視してるとか言われるようになりました。

そうやって言ってくれる友人も、次第にいなくなりました。

すべてを悪いほう、悪いほうに考えるようになりました。


僕は実家に帰りました。

精神科をぐるぐるぐるぐる回りました。

そのころ、僕ははてな投稿しました。

変人のはなし」というタイトルでした。

反響を呼び、年間35位くらいになりました。

ひとは、ひとの不幸が好きです。

自分を切り売りしてやっと私は誰かの価値になりました。

でも私は自分人間じゃないことを認めたくなかった。

普通の人」より「変な人」のほうが価値はあると思っていました。



から私は行動しました。

いろんなバイトをやりいろんな研究室に入りいろんなことを学ぼうとしました

けれども全く集中できない、続かない。

あーやっぱり俺はそういう「タイプ」の「人間」なのかな。信じたくないけど、そうなのかな。

そんなことを考えてときどき鬱になりました。

1日に3回はかならず「死にたい」と口にしました。

頭の中での口癖でした。

けれども、行動しなきゃ始まらない。

けれども、行動しようと思って1日が過ぎ、1週間が過ぎ、1ヶ月が過ぎ、4年が過ぎました。



RADWIMPS野田洋次郎に憧れて

慶應義塾大学に進学しました。

けれども僕は、彼との共通点ひとつもありませんでした。

ギタードラムもDTMもひとつ習得できませんでした。

想像を絶する音痴でした。

ホリエモンに憧れて

東京大学に進学しました。

起業したいと思ってプログラミング起業家インターンをしても

全然起業できませんでした。

金も人も僕には集まりませんでした。

つのサービスを作る能力を身につける集中力すら、ありませんでした。

北野武太田光に憧れて

芸人養成所に入りました。

バイトも長く続かなくて金のない僕は、

親が退職したことを理由にもらった奨学金を入学金につっこみ、

お笑い芸人を目指しました。

けれども僕はネタをつくる集中力

周囲と徒党を組むコミュ力

事務所の人に気に入られる政治力

その他もろもろの器用さが一つもありませんでした。

相方はいつのまにか別の人とコンビを組んでました。



大学で過ごした4年と半年で僕は何も身につきませんでした。

お金能力知識研究も実績も人脈も

なにもありませんでした。

から就職活動では嘘をつきました。

プログラミングをさもバリバリしていたように(本当はprocessing講義で出た課題適当にいじるぐらいしかできません。)

アルバイトをたくさんやったのは人生経験を積むためのように(本当は続かなかったりクビになったり)

芸人養成所では確固たる実績を残して卒業したように(解散した後、年明けから行かなくなりました。)

ESでは適当に嘘を並べました。

大学4年間で頑張ったことなんか何一つないので「考えること」を頑張りました、とか書きました。

コミュ力なんて一切ないのに芸人をやってたとうそぶいてコミュ力アピールしました。

するとどの企業もいい感じのとこまで行きました。

ゲームなんて一切やらないのに任天堂スクエニは最終面接まで行きました。

本なんてほとんど読めないのに文芸春秋社や3大出版社も3次面接くらいまでは行きました。

一切興味もないのにドコモも最終面接まで行きました。

でも結局落ちました。

当たり前です。

僕はサラリーマンになりたくなかったし、なれるような人ではなかったし、なるべきじゃなかったから。

ゲームを作りたいんじゃなくて、ゲーム会社社長になりたかった。

小学校卒業文集にそう書いてた。それをESに書いたら任天堂の人が会社員になることは社長になることと真逆だとか言ってって僕は萎えた。)

編集者になりたいんじゃなくて小説家になりたかった。漫画家になりたかった。

ドコモなんてただ名前を知ってただけ。

そもそも就活なんてするつもりもなかったし、したくなかった。

してはいけないと思っていた。

でも起業も芸人も自分で稼ぐことができず、金もなかった僕はするしかなかった。

から適当にした。なめてた。OB訪問もしなかった。そもそも僕は人間じゃないか人間の話を聞いても参考にならないと思っていた。

から、たくさん落ちた。

そして、いくつか受かった。


それは「偽りの自分」を評価した企業だった。

偽りの自分は「カメラ」に触れたことすらないのに、

大手新聞社カメラマンに採用された。

誰にも負けないことはなんですか、と聞かれ、

「体力」と「コミュ力」です、と答えた。

自分にない正反対「嘘」を言ったら、採用された。

偽りの自分評価してくれた企業はすべて辞退して、

一番「無難」そうな会社を選んだ。

やりたいことはなんですかと聞かれて、

「人の心を動かすものをつくりたいです」と言った。

本心だった。

「それはちがう。そもそも根本から間違っている、我々は人の心じゃなくてクライアント要望を叶えるためにやってるんだ。・・・・」と言われた。

5分くらい説教をされた。

受かった。

そうして内定を抱えて僕は大学生活を終えた。

ちなみに卒業論文は書いていない。

白紙で出した。

中退するつもりで出した。

ただ少し皮肉として「大学は意味がなかった(僕にとって)」と書いた。

なぜか認められた。

認められたくなかったので、大学ともめた。

卒業式当日、会場の前で事務員に呼び止められた。

このことを内密にするなら、卒業式に出てもいい。

僕は卒業した。

何も修了していないのに「学士」になった。


それから少しの間夜の世界で働いた。

当然のごとくトラブった。

全てをぶち壊し、いろんな人を不幸にし、迷惑をかけ、去った。

また僕は引きこもりになった。

そうして僕は、また、また、孤独になった。

会社入社した。

研修でまたトラブった。

でも、まあいいや、そう思った。

僕は5年前、死のうと思った。

周りに迷惑をかけ続けるぐらいなら、そうしたほうがいいと思った。

でも、自分は悪くないと思った。

から死ぬのは辞めた。

自分の伝え方は誤解をうむ。それは間違いないだろう。

けれど、本当の本当は自分は悪くないと思っている。

から、僕はこうして今まで生きてる。

どこかに自分フィットする、なにかがある気がして。

ジョブズホリエモンも一サラリーマンならすごく、迷惑な奴だと思う。

でも、彼らは能力がある。

僕はたぶん、ない。(客観的に見て)

けど、あると信じている。なぜなら、それが希望から

希望がないと人は死んでしまうから

僕は人間から。(僕は人間じゃないんですということにしている、人間から。)

明日には、1ヶ月後には、1年後には

すべてが報われるような気がして、生きている。

でも、もうそろそろ会社辞めたい。

貯金が0だから会社辞めたら死ぬかな。

でも会社辞めずに死んだら、もっとブラックって叩かれるよね。

迷惑かけずに生きたいか会社辞めたい。

でも会社辞めたら死んじゃう。どうしよ、詰んだ藤井4段もびっくりの詰将棋だ。

友達金もなにもない。

あった期間が1度もない。

せめていま500万あれば。だれか援助してくれないかな。

ま、たぶんどう頑張ったって変わらない(と言われるだろう。)

だってあなた人間じゃないんですから。(と思われるだろう。)

でも、どうせ死ぬならやりたいことやって死にたい

一度しかない人生なんだから

こんな人間に生まれても、他の人間にはなれないのだから

人間じゃないことを、アドバンテージに生きるしかないじゃない。

ちなみにやりたいことはたくさんあるし、なりたいものもたくさんある。

もう年齢も能力関係ないと思ってる。

俺はもうやりたいことしかやらない。

金があったらね。

金の呪縛に縛られてるだけ。

ただそんだけ。

からホリエモンみたいな人、俺に投資して。

大学で受けた授業で一番感動したのは、ホリエモンだよ、本当に。

この匿名ダイアリー反響をよんだら、誰か連絡してくれないかな。

それで何かが変わらないかな。

結局人まかせだな、俺は。

でもまだ人間を信じてるから

だれかの何かに残れば、それでいいと思う。

逆にこのダイアリー会社にばれて問題にでもなって、

そうして誰かに迷惑をかけて、会社をクビになって。

そんなことでもいいと思ってしまう。

やっぱり俺は人間の道からは外れてるな。




僕は人間じゃないんです。

本当にごめんなさい。

そっくりにできてるもんで

バッタもんのわりにですが

何度も諦めたつもりでも

人間でありたいのです

追記

はてブって返信できないのね。

これこそdisコミュニケーションな気がするのだが。

ご指摘いろいろあるので誤解ないように書くと、

現在私は特に人間関係で悩んではいない。

悩んではいないっていうと100%ではないけれど、

思考の中心にそれはない。

友人が欲しいとかそういう悩みはプライオリティ的には低い。

そもそもいわゆるマスコミ業界に就職している時点でうわっつらのコミュ力はある。

今悩んでいるのはずばり、金だ。

やりたいことをやらず、いままでと同じような人生を歩むのであれば、

一体何の価値があるのか。

そのためにちょっくらの金が必要なのだけれど、

金というのは信用の対価なわけで、

信用は人間に付随する。

人間でない(とされている)僕は、金がない。

姓名判断でも一生金に縁がないとされている。

福沢諭吉大学出たのにね、まあそのせいで金がないとも言える。

そしてやりたいことについてだけど、

コメントにもあった通り、

「やりたいこと」が本当にやりたいこととは限らない。

実のところやりたいことが絞りきれてない時点で、その通りだと思う。

今まで金を言い訳に、やりたいことをやる前に考え、何もしてこなかった。

実に無駄に過ごした時間だった。

それでいて、やりきっていないと一生やりたいことに対する執着は消えないのだと思う。

から、僕は全部やるしかないと思った。

この呪縛から断ち切るためには全部やる必要がある。

でも、それは年老いからやるのではただの趣味だ。

金をある程度得たあとにやりたいことは、それこそやりたいことではない。

やりたいことを全部やってみて、違うと言い切れるまでは、この呪縛堂々巡りから逃れられない。

それを金のせいで諦めるのは、非常に辛い。死んだほうがましだ。

から、金の呪縛から解放される必要がある。

けれど、サラリーマンをしていたところで、手取り17万の現状、

日々金と引き換えに若き人生の時間を消費している。

この悶々とした日々が、あまりにも苦しく、つらい。

ふつうのひとはある程度割り切るのかもしれないが、

それができない僕はやはりふつうではないのかもしれない。

かといって、起業する最低限の資金スキルも人脈もない。

プログラミングができないし、ウォズニアックはいない。

600万の起業資金彼女の親に出してもらうような麻雀プロ並みの東大生ではない。

どうすればいいのか、それをこの5年ずっと悩み続けていた。

けれど、答えは出ないまま、卒業した。

から今僕は刑務所にいるような気分で、これを塀の中から書いている。

今すぐ脱走したい。

脱走する気力がなくなれば、結末はいわずもがな。

僕は人間じゃないんです。これは特別人間という意味ではない。

人間本来備わっている人間力が欠けている。

から、諦めて並み以下の生活を送りましょうって言われましても、

僕はそれを望んでいません。

海軍に入るなら海賊になったほうがいい。

タイタニック号に乗るより、海賊船に僕は乗りたい。

参考URL

http://gengenpa.hatenablog.com/

2017-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20170318074557

ソルカルという哲学者が言ってたんだが、原始性に伴うファガデューションが個人内密的な生を露わにすることで、欲望をデクリファイするんだよな。アドラーの「嫌われる勇気」を読んだ人なら当然アドラーの師であるゴッブスの出した「アバンドラ・ラクスー」を読んでるだろうし、わかってるだろうけど。つまり高知区を唱えたデリダリの思想に則ったイケハヤ流のブキウギ思想につながってもいるから、そこらへんはデクリファイできるだろうし。

2016-09-13

http://anond.hatelabo.jp/20160912204811

「歌は世につれ、世は歌につれ」という古い格言がある

要するに現代は、多国籍企業弱者搾取企業内密資金をばらまくことで、ほぼあらゆる国の世論政策を操ることができる

その手は当然にメディアにも及んでおり、餓鬼政治正当化する物語プロパガンダとして使用している、それだけのこと

2016-06-20

[]20:増田の大望

 最後まで主体性をたもって生き残った二つの増田家。

増田典厩の尽力により、その当主会談が旧増田領(六)で開催される運びとなった。

 二人はそれぞれ供をひとりだけ連れて、竹林にしつらえられた厠の中へ入る。

 帯を解くと、コの字型に並べられた便器にむきあう形で腰掛けた。

「見事な海綿じゃのう」

 増田匿兵衛があたりさわりなく厠の設備を褒めた。

増田家(四)が用意した厠には天窓から竹林を通した光が入り、ほのかに緑色づいて見えた。風も緑に香る。

尻の下から聞こえるせせらぎは大きすぎず小さすぎず、意識リラックスさせてくれる。

自然石のモザイクヘクソカズライヌノフグリなど、野草の絵が壁に描かれ、密室でありながら開放感を演出していた。

 遙か西から伝わった公共トイレ文化増田島で洗練を極めた結果うまれた「便道」、その粋を凝らした厠と言えた。

 便道は権力者にとって便利であり、内密の話をするため多用された。

帯をほどいて便器にまたがるという無防備状態晒し合うことで親密さを高めることもできる。

出シニケーションである

 実際、漏らしても粗相にならずに済む増田家(八)当主は落ち着いた様子だった。

まずは互いの大勝利を称え合う。繊維製品交易を通して二人の間には面識があった。

思えば最初から国境が接していた二家が生き残ったのも不思議めぐり合わせである

 増田家(四)当主が連れ込んだ小姓の増田五郎は固唾を呑んで交渉を見守っていた。

どちらも淡々とした様子で、天下の未来を決める事柄に触れていく。

増田中弐殿はお忙しいようだ」と一方が言えば、

他方は「いきなり領国が三倍にも増えて大変でしょう」と皮肉った。

「三倍……?」

増田五郎は首を傾げた。国数でも石高でも彼らの領地は三倍よりも四倍の増加と言う方がふさわしいはずだ。

 しかし、増田家(四)の当主は小姓にしかからないレベルで表情を強ばらせていた。

「前から提示した条件を受け入れていただけないのなら、代わりに増田領(一)の平定は我らが引き受けましょう」

 増田匿兵衛は膝をつめて核心に触れた。

「……ッ」

 内外に秘密にしていたこであるが、増田家(四)は未だに増田島最北部を平定できていなかった。

 増田家(一)の遺臣が抵抗しているわけではない。

実はかつて傭兵に呼ばれた北方異民族が混乱につけ込んで大量に流入し、容易には討滅できない状況になっているのだ。

 激戦と領土の急速な拡大で疲弊した増田家(四)に、この敵の早期撃破は手に余った。

実は彼らは仮装敵以上に講和必要としていたのだ。

 だが、増田家(八)はおおよその真実を突き止めていた。なんのことはない。

カラトラヴァ騎士団国外情報源と彼らを繋げたのである

残念ながら世界的な視野もつことで、増田家(四)は遅れをとっていた。

 とはいえ、増田家(四)当主一筋縄でいく男ではない。

「では……お願いする」

「えっ!?

 ぶりぶりという謎の音と一緒に、素っ頓狂な声を増田家(八)当主があげた。

内情を知っているとの脅しを素直に受け入れられるとは思いもしなかった。

 いやな予感がした増田匿兵衛は尋ねた。

北方異民族の数はいかほどになるのです?」

「十万じゃ」

 増田匿兵衛も漏らした。

 とりあえず持ち帰ると思ったのだが、増田家(八)当主はその場で自分たち言葉責任もつことに決した。

「これからもよろしくお頼みもうす、ちんぽこ将軍殿」

軍師と連れだって、すっきりした顔で厠から出て行く。

本当にこれで良かったのか、増田家(四)の当主が悩む番になった。

 彼はつぶやいた。

「それにしても、本当に致すとはな……」

「便道」は排泄の形をとるものであって、実際に排泄をすることはイレギュラーに近い。

あるいは小だけで済ますものだ。

だが、敵の首脳は手慣れた美しい所作で海綿や和紙を使って行った。

「まさしく「大物」にございますね」

 増田五郎は緊張でカラカラになった口をやっと開いた。当主ちょっと笑うといきんだ。

「ふんっ!」

 彼の下から聞こえるせせらぎが変化した。最強の武将うんこでもって自らが流されないと示唆したのである

聡明な小姓は主君意図理解した。

「お美事にございます

 だが、

「……切れた」

前回

http://anond.hatelabo.jp/20160619002153

次回

http://anond.hatelabo.jp/20160621021245

2016-03-25

NTTドコモ へ

2016/02/

NTTドコモ へ

PL法抵触するのではないか。

ntt携帯電話最初蒲鉾から使っていて20年位になる。これは27万円と高かったが性能は良かった、これには助けられた記憶がある。ところが現在nttドコモ携帯電話は欠陥機種がある、SH-03D とSH-06Fだ。03Dは電話帳に記録してある番号が消える場合がある、厳密に言えば 隠れるのだ、3~4回位迷惑をこうむったことがある。またアンテナ位置非常識場所にあり、購入して程なく引っ掛かけてアンテナを曲げてしまった、代理店に持参したら3~4千円掛かるらしい。儲けるための付加価値だろう。

06Fは現在使っているが、この機種は電話の着信音が聞こえなくなる事がある。ボリューム調節ボタンがワザワザ指に触れる箇所に設けてあり、注意をしていても 知らぬうちに触って消音になるのだ。着信音が聞こえず相手の方に謝った事が数件ある。そしてまた、ボリューム調節ボタンとスィッチのボタンが対向線上の箇所に設けてあり相対しているので、スィッチ・ボタンを押す時にボリューム調節ボタンに触らざるを得ない。そして着信音が聞こえなくなる、全く利便性が無く製造ミスも甚だしい。

それから付属品について、充電器は必需品だから当然付属品として付けるべきだと思うが有料で買わされ、全く使い方の解らない変換ケーブル付属品として付いていて代理店で聞いても使う必要が無く無用のものと言う、しかも雷が鳴り出したら感電の原因になり非常に危険ですと書いてある。これらもユーザー無視の儲けるための付加価値だろう。危険機器付属品にするのは全く馬鹿げている。

このことには後日談がありドコモ代理店SH-06Fの充電器が故障したので充電器を購入した際、保険に入っているので保険保証出来ないか聞いたら出来ないとの返事があり、その理由は充電器の差し込み ♂コンセントに附いている「白いビニール」が剥がれているので保証出来ないらしい。このことは全くのイチャモンだと思う、普通コンセントに出し入れするのだから 当然「白いビニール」は剥がれのが一般常識だろう、しかしそれが理由保証出来ない と言うことは一般常識が通用しないと言うことになる。これが イチャモンで無くて何なのかイチャモン商法のものだ。国民ユーザーに代わって言うがお前たちはゴロツキ か ヤクザか、これに代わる言葉を知らない。前身三公社五現業の一つであり、公共電波を独占する大企業が善良なユーザーから巧妙に秘密裡に内密に金を巻き上げている事は事実だ。払い下げの際 公共の福祉寄与すること位の一筆を入れてないのか。    

 以上の通り、SH-03D とSH-06F端末機は事実その通常予見される使用形態、通常有すべき利便性及び安全性を欠いているので欠陥と考えられる。従ってPL法抵触すると考える。全てのユーザー謝罪賠償するべきだ。

現在、月一万三千円位の高い携帯電話プラス固定電話料月三千円等で、毎月一万六千円位支払っている。ドコモの料金は、しばり とか解約金とか 金儲けの付加価値とか 何とかしてユーザーから儲けようと言う魂胆が見え見えの独占企業だ。

総務省指導ユーザーは一縷の期待感をもったがドコモの経過を観ると全くはぐらかして逆抗するものだ、むしろ価格が上がった。ドコモの仕組みを垣間見ると色々な しばり・解約金 等で拘束してびっくりするほどの悪賢い巧妙さだ、公共電波を独占してやりたい放題だ、更に業界ではカルテルを結んでいると考えられる。バカバカシイ答申がなってない。今まで見過ごしてきた総務省など政府責任をとれ。愚かな総務省審議会メンバー太刀打ちできる相手ではない、メンバーを変えて至急やり直すべきだ。電波を取り上げろ。NTT固定電話問題がある。

以上の事をお座なりに一市民要望を看過してはいけない次第に依ってはコンサルしても良いし審議会メンバーに入っても良い。

2016-03-20

[]昔の嫌だった出来事と、下手な相手との接し方

 同人をやっていて仲良くなる相手が、皆同じくらいの実力を持っているとは限らない。そこには確かに上下があって、書き手同士の関係は実力の階級の上に構築される。

 下手でも光る作品はある。実力とは無関係に、友人として波長が合うこともある。私はそう思っているけれど、そんな風に仲良くやれる人ばかりではないと思い知ったことがある。この記事はその時に溜めてしまった、心の毒を吐き出すためのものだ。

 あるカップリングが好きな縁で、六人の仲良しグループが出来た。聖地巡礼に行ったり、イベントのアフターをしたり、当時は絵茶も活発だったし、ツイッター登録と同時に全員が相互フォローになった。六人が同時に集まることは滅多になく、とりあえず全員に声を掛けて都合の付く人だけが会うような、ゆるい集まりだ。登場人物作品の質が高い方から順に、A、B、C、私、D、Eという呼び方をしたい。

 ちなみに私の書き手としてのレベルは、このグループに限らず中の中、もしくは中の下という評価を受けると思う。画力ギリギリ及第点くらい、話のクオリティ作業ペースが安定しているのでどうにかやれている。

 ある時、Bさんが「皆で合同誌が作りたい」と言い出した。合同といっても編集会議などはなく、各々が自由原稿を書き、編集デザイン・告知サイト頒布までBさんが一手に引き受けてくれるという。体裁ほとんどアンソロジーだ。

 元々好きなカップリングが縁で知り合った仲だからと、私は執筆を引き受けた。忙しい時期ではあったのだが、この際だから個人誌の発行は諦めて、合同誌の原稿に全力を注ごうと決めた。

 ただ、「告知ページの公開までは企画のことは内密に」とBさんから釘を刺されていたため、自サイトには「次のイベントでは新刊は出しません」とだけ書いてあった期間が長かった。普段執筆ペースが安定していたことが災いして、閲覧者さんから体調を案じるメールを貰ってしまい、ちょっと辛かったのを覚えている。

 告知ページが公開されたのはイベントの直前。

 執筆者一覧には、DさんとEさんの名前がなかった。

 それだけと言えばそれだけの話だ。だが私は驚いて、考えなしに「え、なんで?」と発言してしまった。このことは今も後悔している。

 私の問いかけにより、DさんもEさんも、発行告知の時点まで合同誌企画存在を知らなかったことが判明した。Bさんからは「忙しそうだったから声を掛けなかった」という返答があった。

 嘘をつけ。

 普段の付き合いから、お互いの実生活事情は透けて見えている。私は「忙しくて原稿は厳しいです」「2ページとかでも全然良いので」というようなやり取りを経ての参加だった。Aさんが資格試験を控えていたことも皆知っていて、そのために集まり自粛していたのだ。

 Bさんが二人に声を掛けなかったのは、少なくとも配慮ゆえではない。彼女言葉の白々しさと、それをDさんとEさんの目に触れる場所でわざわざ引き出してしまった自分軽率さに泣きたくなった。

 オフ同人には金銭が絡む。下手な者は原価割れをしたり、生活空間在庫に圧迫されたりして、自分力不足のツケを支払わねばならない(※)。

 合同誌の場合、そのツケを支払うのは原稿作成者ではなく主催者である。この点において、私は「下手な人を切る」という判断をしたBさんを責める気はない。本人いわく「お金を出して行動を起こしたのは私なんだから、好きにして何が悪いの」とのこと。ごもっとである

 言いたいのはただ、こうも露骨に仲間外れを作る必要はなかっただろうということ。DさんとEさんの気持ち配慮は出来なかったのかということ。例えばBさんとAさんの合同誌、BさんとCさんの本、そしてBさんと私の本。三冊に分割されていれば、「二人だけが仲間外れにされた」という感じは多少薄れたのではないかと思う。

 Bさんが告知サイトの公開を遅くしたのは、入稿前ならDさんとEさんにも割り込む余地があるから執筆者企画のことを口止めしたのも同じ理由。合同誌を作りたいね、という話は全員がしていたものの、そういえば具体的なことはBさんとのメール上でしかさなかった。DさんとEさんには情報漏れない環境が出来上がっていた。

 それから執筆者の人選とは無関係ですが、Bさん。あなたが描いた作品って、オフ会の時のDさんの語りを下敷きにしていますよね。「その話詳しく」とオフの後にも二人だけでお茶をしていましたね。仲良しアピールをして、ネタを吸い上げて、企画の際は爪弾きに出来る、その神経は凄いと思います

 Bさんの人間性にドン引きし、また「下手だから切られたのか」と即座に合点が行った自分自身にも嫌気が差して、私はそのグループのみならずジャンル自体から身を引いた。DさんとEさんはまだ残っているが、今は掛け持ちだった別ジャンルの方がメインになっているようだ。

 申し訳ない。もしこの文章がお二人の目に触れることがあれば、私は彼女たちに謝罪の意を伝えたい。私が「なんで?」なんて言わなければ、話はもう少しあやふやなままで終わっていたはず。おまけにその直前には、私はお二人の目に付くところで無邪気に合同誌発行のお祝いをしていた。無神経にもほどがある。

 お二人とも「なんで声掛けてくれなかったの」とは言いつつ、文末に「w」を付け足せるような大人だった。Bさんも、お二人がそういう方だと見越して行動していたのかも知れないが。その手前、私が謝るのも変な気がして、何も言わずに逃げて来てしまった。

 Bさんを労うこともなく、後のオフ会にも来なくなったという彼女たちが、傷付いていなかったはずがないのに。私も加害者だ。本当に、ごめんなさい。

 寄稿なんかせずに個人誌を頑張っていた方が、あるいは私も執筆メンバーから外されていた方が、ずっと気が楽だった。それならまだあのジャンル書き手として居られたと思う。

 後日Bさんが「誘って欲しければ上手くなればいいのに」といった旨の連続ツイートをしているのを見掛けて、笑ってしまった。

 それではDさんとEさんは下手だから誘わなかった、と公言しているようなものだ。誰へのリプライでもなく愚痴をこぼすということは、彼女なりに思うところはあったのかも知れないが、その発言もまた傷に塩を塗るようなものだという自覚はないらしい。

 絵が上手い人と仲良くなりたい、という気持ちは私にもよく分かる。上手い人はそれだけ努力していることも知っている。だが自分が上手いからといって、下手な人を踏み付けて構わないのか、というとそれは別の話だろう。

 相手自分より下手な書き手からといって、雑に扱ってしまっていませんか。上手い人に敬意を払うのを忘れないのと同じく、自分作品を好きでいてくれる人、同じ原作が好きだという仲間を思いやる心もまた、忘れてはいけないのではないですか。

 無理に褒め言葉をひねり出さなくていい。下手なのは事実から一般的な思いやりさえ忘れなければ、それでいい。

 私は中の下の書き手だが、下には下がいる。上手くなりたくてじたばた努力もしている。自分が高い側に立つ時には、この記事に書いたことを心に留め置きたいと思う。

 絵や文章が上手くても、ジャンル補正装丁へのこだわりのため赤字という人は多い。なまじ大量に刷る分、在庫の置き場で苦労している場合もある。

 上手けりゃ何の悩みもないという世界ではないのに、こんな記事を書いてしまう程度には凹むこともあるのに、何故我々は薄い本を出し続けるのだろう。

2016-03-11

保育園落ちた死ね保育園!!!

子供を入れたかった保育園に落とされたんだから、↑こう思うのが普通だよなあ。

それを変に、「日本システムがー!」とか「社会のありようがー!」とか大きな話にしてぎゃあぎゃあ騒ぐのがおかしいと思う。

要はこの人は、子供保育園に預けて働きたかったわけでしょ? でもその望みがかなえられなかったわけでしょ?

じゃあ保育園と戦えよ。

落とされた保育園ねじ込んで「子供を!ここに!預けて!私は!働き出したいと!思って!いたのに!人生計画が!台無しですわ!」とか毎日毎日怒鳴り続けていればいい。

いずれ、周囲の誰かが根負けか羞恥心に負けるかして、知り合いの保育園の枠を内密に確保してくれるとか、顔を真っ赤にした両親もしくは義両親が子供預かってくれるとか、あるいはお手伝いさん頼めるくらいのまとまったお金生前分与してくれたりすると思うから

もちろん、「ゴネれば要求は通るんだ」という悪しき前例を作り出す事になるけど、このお母さんも自分さえよければいいんだろうし、周囲も結局自分けがかわいいから、難を避ける為なら多少の自腹は切ってくれるし例外的対応もしてくれるよ。

さあ戦え、モンペ野郎。敵は保育園だ。

2016-02-29

http://anond.hatelabo.jp/20160225094856

どっちでもいいでしょ。

参加してても話す気ないって人もいるじゃん。

どうせ内密の話はプライベートに話すだけだから、居ても実がないのは確かだけど。

2016-01-26

ゲーム性風俗規制する危険

からこんな話で申し訳無い。

さきほどから社内が騒然としている。なぜなら、社内の人間痴漢逮捕されたと連絡があったからだ。

そいつとは以前の飲みの席でゲームアニメの話で盛り上がり意気投合した仲だ。

酔っ払ったついでにやつの特殊性癖の話でも盛り上がったのだが、最近では規制が厳しくジャンル絶滅しかけていると嘆いていた。

やつは既婚で子持ちだ。しかし、そんな特殊趣味理解してもらえるはずがないと、家族には内密のままだったそうだ。

お酒も手伝って多少大げさに相槌をうっていると彼は更に踏み込んだ話を聞かせてくれた。

セックスレスに悩んでいる上に、嫁さんに自慰行為を目撃されそれ以来禁止されてしまったというのだ。

幸い性癖までは追求されなかったらしい。というかそれからというもの汚物としてしか扱われていないらしいが。

当然少ない小遣いだから性風俗に通うような余裕もない。悶々とする欲求をどうすればいいのかと、半ば開き直ったかの様子で高いテンションで話していた。

おそらくはそれが1ヶ月くらい前の話だ。酔が覚めた気まずさか、翌日からは多少仲が良くなったもののそれ以来踏み込んだ話をする機会はなかった。

それが忘れかけていた頃にこんな話である。今まさに目の前で、幾人かの人生が音を立てて崩れ去ったのだ。

よく性風俗アダルト作品性犯罪者助長するという議論がされる。それによって実際に数々の規制が設けられている。

しかしそれは凶悪犯罪の原因にアニメゲーム映画などの影響を挙げるのと同じくらいの暴挙といえるのではないだろうか。

本来であればそうした疑似体験で正常な人間の大半は欲求を解決できているはずだ。

逆を返せば、そうした素質を持った人間には作品の影響力なんてないに等しいはずなのだ

なぜならばそこには確固たる欲求が先にあり、誰かが止められるようなものではないからだ。

果たして彼は法廷に立ち、被害者を前にして弁解するのだろうか。

「妻への性交渉を断られた上に、自慰を禁じられてしまいました。」

特殊性癖を解消する先が規制によって失われ、解消の方法がわからないままでいました。」と。

彼の狂気が本物だったかどうかはもうわからない。

もし彼が遅かれ早かれ犯罪避けられなかったのであれば、こうした規制は彼の行動を後押しするものとしてしか機能していないのかもしれない。

規制果たして抑止になるのか、朝から悩ましい問題を抱えてしまったものだ。

2015-12-31

「私に一言謝って欲しかった」

今年も終わるし今年わたしの身に起きた出来事でもぽろぽろこぼそうかななんて。

まれたら身バレレベルで詳しく書くからくっっそ長い。

年の瀬暇すぎて死にそうって人だけ読んでくださいね

恋愛感情は理性でコントロール出来るものだろうか。

感情に関してはなかなか難しいと思うんだけど、行動は理性でコントロール出来るよね。

行動によって感情が変わることもあると思いません?

まぁなんの話がしたいのかと言うと、私が友達好きな人と付き合って恨まれて縁を切られたという話なんですけどね。

男をAとしよう。

わたし増田、元友人は減田とでもしておきましょうか。

まず、基本情報としてAはまぁ本当にクソ野郎モテる彼女もいた。

わたしがAに遊ぼう遊ぼうと頻回に誘われるようになったのが去年の6月頃かなぁ。

最初はクソ野郎だって知ってたから断ってたんだけど、まぁわたし彼氏もいないし飲みくらい良いか、サシだけど。とオッケーし始めたのが去年の8月の末くらい。

まぁ気がつけば宅飲みになり、気がつけば泊まりが当たり前になりはじめたのが11月くらい。12月には毎週のように遊ぶようになっていた。良くないことなのは分かってた。

減田の基本情報として、すごく男女の営みについては生々しいからあんまりきじゃないという発言をすることがあったり、異性がいると下ネタちょっと無理だって自称していたタイプ

わたしはAと遊びはじめるまでは結構頻繁に減田に報告してたし、誘われまくることも相談してたし、何でも話してたんだけど、泊まりが当たり前になるようになってからは減田の性格も考えて、詳細を話すことは無くなっていった。何回かに1回、また遊ぶ(泊まりとは言わない)と話していて、辞めたほうがいいのは分かってるんだけど…と話もしていた。

状況が変わったのは今年3月くらい。

もともと、Aが減田とも頻繁に連絡をとっていることは知っていた。

でも二人きりで遊んでることは知らなかったんだなぁ。

3月に、減田からAから漫喫に誘われて、その漫画の続きウチにあるからおいでよと誘われてうっかりホイホイついてったという旨の話を聞いた。

減田の言い分としては、夜はお酒も飲んだけどAが勝手に潰れてなにもなかった!けど絶対わたしのこと潰そうとしたよね!もう絶対に行かない!ってかんじ。

そのときに本当にクソ野郎にハマってる。このままじゃ友達も失う。やめよう、と決意して、わたしからもう二人で遊ぶのはやめようとAに連絡して、流されたけどしばらく予定が合わないの合わないって断ってたんだけど、結局流されて遊ぶことにしちゃったわたし(ダメ女!)

決意して断ってる話をしたとき、減田には偉い!!みたいな感じでいわれたのに、流されて遊ぶことにしちゃった報告をしたときフラフラしてて増田もAもイライラする!と怒られた。(今考えたら減田のチャンスが潰れたからかもしれない)

その後、Aと遊んでる時にこんど減田と遊ぶんだけどどっかおすすめの店ない?っていわれて教えてあげた。

でも減田からはその遊びに関する報告は無くて、ただ意味不明sns投稿はあった。

もともと仲がいいとなんでもわかるのね。すぐに泊まったんだなぁって察して、とりあえずどうしたのって聞いてみるも、無視

共通の友人にお願いして、確認してもらったら、しっかり二人で遊んで、お泊りもしたと。

ああ今度こそほんとうにこれはだめだ、と思ってAとすこし真面目な話し合いになった。

結果、Aが彼女と別れるまでは遊ばない、だからきっともう二度と二人で遊ぶことは無いでしょうね、という話で終わった。

数日後にAから連絡がきた。

彼女と別れたら増田はまた俺と遊んでもらえるだろうか?」

という連絡だった。

そこからの流れは省略するが、結果としてAは本当に別れて私と付き合った。

付き合うときはもちろん減田の話もした。

Aからは減田と何回も二人で遊んでいると聞いた。

わたしはそのうちの2回しか知らなかったのである

Aは、減田はべつに自分の事好きではないとおもう。可愛いねくらいは言ったかもしれないけどゆくゆく付き合うつもりがない相手に好きとは絶対に言わないから減田に対して好きと言ったことは絶対にない。と話した。

わたしはその場では減田もAのこと気になってはいるだろうけども、本当に堕ちているわけではないだろうと判断してしまった。

から付き合ってもいいかなと思ってしまった。

少しの期間気まずくなるかもしれないけど、あんなに仲良かった大好きな友達から、許してもらえるだろうと甘えていた。

なによりわたしはAのことが好きだったんだね。完全にハマってしまったんだね。(バカ女!)

付き合って2日後くらいに、減田に報告した。しばらく隠すことも考えたけど、友達として、減田とAの間にあったことはなにも無かったことにしようと考えた。

わたしがAを好きなことが明らかな状況で、内密にAと減田がデートしていたことも目をつぶろうと思った。

少しの期間気まずくなるのは覚悟していた。

でも仲が良かったから、許してもらえると甘えるきもちもあった。

わたしが逆なら仕方ないなって諦めるなと思った。

付き合った報告をした2週間後くらいに、減田からAに飲みの誘い(口実は漫画返却)があり、Aから行ったら嫌だよね?と確認された。

絶対に泊まらない、誘わない、ことを約束許可をした。

減田からそのことに関する話は一言も無かった。

そこから更に2週間後、共通の友人を挟んで減田からメッセージがきた。

わたし増田を避けているのは、わたしがAを好きなのを知ってたくせにAと付きあったから。なのにしれっと仲良くしてきて腹が立った。せめて付き合う前に一言謝って欲しかった」

正直、何を言ってるんだろうと思った。

わたしがAを好きなのを知っていた減田が、こっそりAと遊んでいる上でしれっと仲良くしてきていたのはどっちだよ、と。

一言謝って欲しかった、ってなんで私が?

減田に謝るほど、減田がAを好きだというアピールは無かったでしょう?

お互いに目をつぶり合って、お互いに許して、何も無かったようにすることがお互いのためだと思った。

そういう趣旨で伝えると、(要するに)わたしは悪くない!という返答ばかりで会話にならなかった。

もう彼女を鎮めるには、わたしがAを差し出して、わたしが減田の前から姿を消すしか無いのだ、といった感じ。

その後、数カ月かけてぽちぽちゆっくり全てのSNSブロックされた。

大好きな友達だったから縁を切られたのはまぁショックだった。

縁を切られた事もショックだったし、その切り方もショックだし、考え方も、当たられ方も全てがショックだった。

私にも非はあるかもしれないがこの場合誰が悪いとかじゃないっていうかしいていうなら悪いのは男やろなんで私が恨まれるんじゃ、友達ってその程度か、と思った案件

第三者からすると、しょーもな、で片付くかもしれないけど、個人的には減田が地雷女に感じてしまう。

女の友情なんてこの程度なんですね。

そんなかんじで2015年おつかれ。

どうせわたしもAに浮気されて終わるのでしょう。アハハ

おやすみなさい

2014-08-19

お金が大好きだった2

1: http://anond.hatelabo.jp/20140817034159

 サクセスストーリーは始まらない。小説のようには。これは、生身の人間の記録だ。

 話は少しさかのぼる。ぼくが中学校二年制三学期を迎えたころ。両親が離婚した。雨の日だったと思う。正確には、ぼくが離婚させた。

 ぼくの父は、破綻を迎えるまでの十数年、ほとんどまともな職につかなかった。職にありついている時も金を家にいれないので、働いていてもいなくても同じだった。さらに男は、部落出身だとおのれを偽り、人権団体を傘に生活保護認定させようとしたこともあった。それくらいには、どうしようもない男だった。ぼくの毎日のおかずがその男より少ないのも、ぼくを苛立たせた。

 僕は中学に上がってしばらくすると、学業意味をみいだせずサボりだした。家にいると、その男は、気まぐれにぼくを闇ポーカー屋や、パチンコ屋についてこないかと誘った。ぼくは、男の思惑については考えなかった。ただ、クズが出来る工場には興味があって、何度かついていった。そこでわかったことは、前者は場内で飲み物と食い物が只だった。しかし、必ず負ける。もう一方は、給餌がない。ただ、勉強すれば儲かるようだった。ぼくは研究を重ね、中学三年の頃には、その成果としてまとまった金を手にしていた。お金自体より、お金が増える仕組みを実践できているのが楽しかった。

 一度、父にパチンコ攻略法を共有しようとしたことがある。そのとき彼は、ぼくの説明を聞くなり

餓鬼のくせに夢みてえなこといってんじゃねえよ」

 と言い放った。餓鬼は夢を言うものだし、攻略法は確かに存在していた。血を分けたとはいえ、肉身との合意形成まで神は保証していないことを思い知った。ぼくは二度と同じことを口にしなかった。ぼくの手元にはいくばくかの金がすでにあったが、やはり出口はみつからなかった。


 そんな折、転機が訪れた。父方の祖母が他界した。これが一家破綻引き起こした。なぜか?父はできちゃった婚をしてこのかた、せっせと毎年、百万ずつ消費者金融借金を作っていた。祖母は、このギャンブルによる借金を二年毎に内密に精算していた。その二年の精算周期を目前にして、祖母は死んだ。母があけすけにぼくに話してくれた。自転車は前のめりに急停止し、乗員はほうり出された。中学生にして人生ハードからベリーハードモードになった。その頃のぼくは、定期的に母に金を渡していたので、頼りはぼくだけだったのだろう。仕方なしにタネ銭のほとんどを母にわたし、祖母の四十九日法要が終わったらみんなで出ていこうと提案した。暴力から逃げよう。貧しさも和らげることができるかもしれない。そして一方的に、ぼくは母の手をとり、家を出た。父を一人残した。金の重要性は再確認された。


 十六歳になるのを待って、ぼくはアルバイトを始めた。解体工事ピザの配達、飲食店調理エロビデオ屋。スーパーレジ。気持ちとは裏腹に、どれも長続きしなかった。三ヶ月もすると定形作業に慣れ、新しい事がしたくなる。気を紛らわすために、あい時間で、頼まれていないのに段取り効率化や改善をした。ポスシステムを無断で走破し、廃棄率や回転率を計算してオリジナルノートに映すのを空き時間趣味とした。店長会の議事録を盗み見するのも日課になった。そういった業務に関係のないことを社員にやんわり諭された次の日が、だいたいぼくの自主退職日になった。金銭的にはじり貧だった。

 いくつかのバイト歴を経て、最後に応募した求人が「PCオペレーター募集」という求人広告だった。その時代地方都市でまだ見かけない求人だった。その頃にはぼくは開き直り、一つのアルバイトを六ヶ月で必ず辞める。そして、同じようなバイトはしないことに決めていた。コペルニク的回転により収支を安定させた。とりあえず生きていけるし、お金を増やす方法をよりもっと知りたかった。今回も、その怪しい求人の裏側を見てやるつもりだった。

 面接に行くと、縦長のプレハブ小屋のようなみすぼらしい雑居ビルだった。中に入ると垢のついたソファに男が一人座っている。マネーの虎に出ていた堀之内九一郎のような風貌のスーツ男だった。その虎風の男は、釣り上がった眉で、自らを社長だと名乗った。アルバイト面接にもかかわらず、名刺をぼくに差し出す。話しぶりからも慣れていないのは明らかだった。口だけは達者なので、営業上がりだろうと推量した。

 ぼくはその時代にしてはめずらしくパソコン先生だったので、すぐに採用が決まった。学歴にかかわらず。虎は、二人バイトが辞めるから明日からきてほしい、と言った。ますますしかった。ぼくは、いやらしい笑いを隠し、業務内容を聞きだす。男は壮大な事を奔放に話していたが、要するに、出会い系サイトサクラ仕事だった。ぼくはとても面白そうだと思って、了解した。


 入社して一週間で、ぼくは完璧チャットレディーになった。しかし、完成された演技力とはうらはらに、客が異様に少なかった。ほかに事業もしていない。日商は大幅な赤字に見えた。でも、ぼくはノウハウを掴んで六ヶ月後にはやめるつもりだったから、それはどちらでもよかった。

 三ヶ月経った頃、社長に呼びだされた。

「金が無い。来週払うはずの給料が払えない。どうやってもいいから自分で売上をつくってくれ」

 と、通帳を手でひらひらさせながら虎はいった。漫画のような状況にぼくは少し面食らう。とりあえず事情を説明させた。

「じつはこの会社、きみが入社する一ヶ月前に出来たんだ。出会い系システムも他社から買ったものだった。彼らが送客を保証をするので二ヶ月で間違いなく黒字転換するという話だった。が、客がこない。約束が違うと納入元にかけあっていたが、そうしている間に、わたしの脱サラして得た運転資金も底をついてしまった」

 虎は切なそうに泣く。額面どおりぼくの目の前でぽたぽたと涙する。社会は惨めな大人で満ちていた。

 ぼくは、いくつかの方法を使って業界を調べた。社長の首根を掴んで、納入元にもいった。そこで話を聞くと、業者は、しなびた我らが虎から、すでに二百万の導入費用を支払わせていた。さらシステム利用料として粗利の五割が毎月抜かれる。そのうえ、月々のサーバー維持費、合計十数万の支払いがまだなので、早く払ってほしいという。悪びれもせず。あとで分かったことだが、このころ全国的に、ヤクザフロント企業出会い系システム詐欺同然に売りつけていた。上場しているあの情報通信企業も、元を辿れば同じ穴のムジナだ。

 我が社のサーバーもそこのビルにあった。


 ぼくはだいたい事態がつかめた。それに加え、ぼくはこのビジネスに可能性を感じていた。だが、虎を救ってやる気は微塵もなかった。体面を保たない大人を、ぼくは嫌いだった。その後、給料の支払い日がやって来たが、予告通り給料の支払いはなかった。社長はぼくに、面談と称して言い訳をくどくどとする。ぼくは、うんうんと頷きながら話を無視し考えを巡らす。ふと、試しに揺さぶってみようという気になり、声を出した。

「なるほどー。でも社長も大変っすね。退職金使い果たしてさらにぼくが訴えたら、前科持ちでしょ」

 そのまま、社長の眼球をぼくは下から見据える。張り付いた彼の眉・目・口。時間にして五秒。次の瞬間、彼の全ての部品がハの字に垂れ歪んだ。ぼくのほうも口元が歪むのを完璧には止められなかった。もう一押しする。

「わかりました、……じゃあ給料いらないです。そのかわり、納入元になんとかいって残りの支払い手打ちにしてください。その後、システムの引き取りを彼らに申し出るんです。サーバーをぼくにわたしてくれたら、それでこっちも手打ち

 ――こうしてぼくは、くだらない会社をのっとった。

 みんなの予想通り、このあとのぼくはIT街道をばく進して成功をおさめるわけだけど、それもまた別の話。

2014-04-08

友人が自殺した

といっても、昔の話だ

鬱病の友人だった

また、彼は大学の先輩でもあった。

大学卒業に六年かかり

大学院に進学したが休学したりしていた

私にskypeで話しかけてくれる数少ない友人の一人だった

ある日、skypeメッセージが来た「そろそろ限界だ」

私自身も鬱病なので、死と見つめ合うつらさを知っているのでわかったと返事をした

サーバの後を任せたい」といわれた。一つ返事で了解した

ここで心残りなのは、彼の自殺を止めなかったことだ。

しかし、そこで止めたとして、彼は自殺を決行しただろうと思う

虫の知らせというのだろうか。そういうのもあって、あえて止めなかった

いいわけだが、止めたとして彼はつらかっただろうと思う

サーバidとpassを教えてもらって、使い方もある程度理解

そのサーバ上で運営されているサイト共同管理者とskype挨拶した

周りに迷惑をかけたくないと、身辺整理を始めた。

私もそれを手伝った。

たくさんあったものが捨てたり、あるいは誰かにあげたりしてどんどんなくなっていく

私もいろいろ物をもらった

片付いたら、物であふれていた彼の部屋が、布団と小さなテーブルにノートPCがあるだけになった

彼はカラオケ締めだといって、カラオケに行った。

彼は音痴だったので、カラオケは好きではなかったかもしれないし、私のいろいろな事情で誘わなかっただけかもしれない

彼とカラオケをしたのはたぶん二回目くらいだ。このカラオケ最後

私は口べただったので、彼のことは多くは知らなかったけれども、

自殺を決行するという話をしてくれた数少ない一人ではあるから、信用されていたのかもしれない

もはや、しるよしもないのだけれども

話は変わるが、彼は大学院学習研究していた。

あと、短い期間だがカウンセリング業もやっていた。

わりと決行する直前まで少ないものクライアントがいた

最後最後まで人を助けたかったのだと思う

自分は助けられなかったのに

決行する前の日、思い残すことは何かときいたら

娘のことだけだという。彼は学生結婚し、子供がいた。

死に向かうと、執着しなくなるともいっていた。本音かどうかわからないが

決行の日。友人から連絡があった、警察から電話があったそうで、

その友人が最後携帯の発信先だったそうだ。彼は遂げた。

話して、初めて泣いた。自殺する準備中には泣かなかった。

彼が死んだ実感はなかった。今でもかすかにどこかで生きているのではないだろうかと考えることがある

心の中に生きていると、誰かが本で書いていたが、そういうものなのかもしれない。

後日、彼の母から連絡があり、彼のワードで書かれた私宛の遺書の一ページと

彼の母からの文章が綴られていた文章が一ページがFAXで送られてきた。

彼の遺書には感動するような言葉は書いてなかった。生きてるうちにだいたいのことは伝えたのかもしれない。

ほとんどは、Web関係のこうしたいという意思idとpassが書いてあった

彼の母からの文章は、彼が自殺であることは内密にということと、彼に関わってくれてありがとうというような

感謝言葉が綴られていた。

彼の終活として、権限委譲されたサーバサイトの一つで報告することを遺言として残していたので、

それを共同管理人とともに行った。

また、SNS上で彼の死を伝えるというつらい報告を行った

大学先生には自殺であることを告げた。彼と親しかった先生は悲しんでいた。

その他の人には、遺族の意思通り自殺であることを内密にしていたが、

風の噂で広まってしまったらしい。

彼はある意味トラブルメーカーであったので死人にむち打つようなことを言う人もいれば、

悲しみ、残念だった。という人もいた。

いろいろなところで終活としてのプランは彼の意思とは違う物になってしまったが、

それも、現実や様々な人の感情に合わせなければならないので仕方がないだろうと思う

ある意味では私は罪な人間だ。だが、そんなに強い罪悪感はない

死ぬ決断は彼がしたのだから。という個人的な考えだ。人に話したら強く批判されるだろうが

安楽死合法化されるとしたら、もしかたらこんな感覚なのではないだろうかと思う

これだけでは、贖罪にはならないだろうけれども、安楽死を推し進めたい人に対して、

死と向き合うこととはこういうことだと言うことを伝えたくて書いたところも一つある。

私は創作で人を助けるようなことをしたいが、彼のことがあるから及び足なところがある

私は自らが死ぬと分かっていても、人を救うために動き続けられるだろうか。彼のように

最近自分に問うている

 
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