はてなキーワード: マイクロブログとは
X (以前は Twitter として知られていました) とはてな匿名ダイアリー (「はてなダイアリー」または「はてな交信ダイアリー」としても知られていました) は、いくつかの類似点を共有していますが、異なるニーズに対応する 2 つの異なるプラットフォームです。
X は、ユーザーが「X 投稿」(以前は「ツイート」)と呼ばれる短いメッセージを投稿し、対話できるようにするマイクロブログおよびソーシャル ネットワーキング プラットフォームです。人々がニュースや意見を共有し、他の人と会話する場所です。 X は世界的なユーザー ベースを持ち、リアルタイムの情報フローと、著名人、友人、組織をフォローして交流できることで知られています。
一方、はてな匿名ダイアリーは、日本のウェブサービス会社であるはてなが提供するプラットフォームです。ユーザーが匿名で投稿できるブログ サービスで、投稿者の身元よりも内容に重点を置いています。このプラットフォームは日本で人気があり、2006 年から存在しています。人々が自分の身元を明らかにすることなく、自分の考え、感情、経験を自由に表現できる場所です。
要約すると、X は公開アカウントと非公開アカウントを組み合わせてさまざまなトピックを共有および議論するためのグローバルなマイクロブログ プラットフォームであるのに対し、はてな匿名ダイアリーは匿名性に重点を置いたブログ サービスであり、ユーザーは自分の身元を明らかにすることなく自分の考えや経験を共有できます。
最近、SNS断ちをしています。TwitterやFacebook、Bluesky、Mastodonなどを使わないようにしているのです。
それだけではなく、スマホにはブラウザさえ入れていません。これは、オフラインのアクティビティをもっと充実させた方が良いと思ったからです。
そしてSNSには舌の罪が付きまといます。もちろん匿名ダイアリーもそうですが、特に短文投稿型のマイクロブログは軽率な発言が増えてしまうのです。
箴言には舌の罪についていくつかの教訓があります。以下はその一部です・
1. 偽りを言う舌:主が憎むものとして「偽りを言う舌」が挙げられる。
2. 悪口を言う舌:「そしりを口に出す者は愚かな者である」と述べられている。
3. 制御できない舌:「言葉が多ければ、とがを免れない、自分のくちびるを制する者は知恵がある」と述べられる。
4. 乱暴な言葉:「優しい舌は命の木である、乱暴な言葉は魂を傷つける」と述べられる。
また、愚か者も何も言わなければ賢いと思われるとか、愚か者は理解よりも意見を発することを好むとも書かれています。
箴言の「愚か者」について学ぶたびに、完全に愚かさを排除した人は「精神的なスーパーマン」だとさえ思います。
ソロモン王自体が「しくじり先生」で、一時期忌み嫌われる偶像崇拝をしたらしいです。
よく日本人はアニメの中で神の存在を「白髭の生えた老人」を描きますが、そうやって神を特定の形として表すことが偶像化であり、罪なのです。
さて、SNSを使う際に舌の罪を犯さないためにはどうするべきでしょうか。
まず真実を言うべきです。情報や誤解を招く可能性のある情報を共有しないようにします。情報を共有する前に、その情報が正確であることを確認すべきです。
そして攻撃的または侮辱的な言葉遣いは避け、尊重と理解を示す言葉を選ぶべきです。他人のプライバシーを尊重し、許可なく個人的な情報を共有しないようにすることも重要です。
建設的なフィードバックを提供し、他人をサポートし、肯定的な会話を促進するべきです。フィードバックを得たら、自分の投稿が他人にどのような影響を与えるかを定期的に反省し、必要に応じて修正するべきでしょう。
といっても無理に発言する必要はありません。最も良いのは、発言をしないことなのです。
私も匿名ダイアリーで発言しなくてもいいように、紙の日記帳を買いました。それなのにこうやって発言してしまっているのは、まったくネット中毒というのは厄介だと思いますが、休日にしたいと思うアクティビティがまだ見つかっていないのです。
両親は私に「結婚しろ」と言いますが、本当に結婚をするべきでしょうか。統合失調症の私の遺伝子を残して、子供が苦労するだけではないでしょうか。
最近は英会話教室に行くのもやめてしまいました。節約のためです。
趣味のためにお金が必要であるという発想が嫌なのです。お金を使わずにできる趣味が、今の私には必要です。
そしてその趣味は、善悪という点から見て善の側である必要があります。オンラインで発信するというのは、どちらかと言えば悪の側だと思うわけです。
Facebookは下品なリールばっかり流してきて、めちゃくちゃ迷惑かましてくるし、インスタは自称セレブがうざすぎる。
ブルスカやマストドンはまだマシだと思ってたけど、あのマイクロブログのダラダラとした短文スタイルは最悪。恥をかくようなハンドルネームで自己顕示欲を満たしてる感じがムカつく。
Quoraは自称インテリのジジイが偉そうにしてトロールしてるから最低。
Youtubeは視聴用途ならまだマシだけど、自分から発信すると「お前は誰からも興味を持たれない無能」とか言われてる気分になるから最悪。
Twitterとの大きな違い、それは誰しもがActivityPubプロトコル互換の分散SNSサーバーを立ち上げられるという技術的な面以外にも文化的な大きな違いがあって、Twitterでは誰しもが受信者であり発信者であることが工程されるけれども、ActivityPubプロトコルネットワーク、通称Fediverseでは発信者の中でも特に面白いことを作り出す創造者が特に高く評価される傾向にある。
ActivityPubプロトコル互換分散SNSサーバーであるMastodonやMisskeyにはユーザー自身(正確にはサーバー管理者)が自由に投稿文中へ埋め込めるカスタム絵文字を設定できるし、更にMisskeyではカスタム絵文字によるSlackやDiscodeのようなリアクションへ対応し、MFM(Markup language For Misskey)と呼ばれる文字装飾に関するマークアップ環境が整えられておりユーザーはより自由度の高い自己表現投稿をすることが可能だ。
そんなFediverseに居る創造者たちはGIMPやInkscape、FFmpeg、Imagemagickなどを使いこなし、日々面白いカスタム絵文字やアニメーションGIFを生み出してはタイムライン上で笑いを誘い、そしてTwitterでは知られることのないネットミームを生み出しては、いつの間にかTwitterでも使われるようになるのは珍しくなくなっている。
そのノリはまるで世間を全く知らない男子中学生のようで、バイトを始める人が多くなる高校生にすら至らない子供じみた文化だと言える。
ここまで書いて思うのはActivityPub、プロトコル、分散SNS、サーバー、Fediverse、GIMP、Inkscape、FFmpeg、Imagemagick、etc...様々な単語を持ち出したが、これら単語へ即座に反応できる人こそが色々と問題や騒動が巻き起こっている現在のTwitterから別のマイクロブログ型SNSへ移住することができる素質を持つ人々だということだ。ポイントは「移住することができる」である。つまりTwitterには「できない」人が居るのだ。
男子中学生のような子供じみた文化についていけない以前に、明らかにFediverseでは実際に手を動かして五感を刺激する創造へ対する評価が妙に高い。例えば社会問題へ鋭い意見を単なる文字で"ツイート"するだけじゃFediverseでは評価されにくいのではないか?という疑念がある。
Twitterでもイラストやショート動画、面白いGIFは評価される。しかしユーザーの割合で言うと、そのような実際に手を動かして五感を刺激する創造を行える者は少ない。Fediverseではそれが当たり前だとでも言うかのように割合として創造者が多すぎる。
無産オタクなどという言葉が稀に見られるけれどもFediverseでは無産オタクであっても少なくともカスタム絵文字やマークアップで面白おかしく装飾できるようでないと居心地が悪く感じてしまうのだ。Fediverseで無産オタクは価値がないと誰も言わないが、創造者への評価が異常に高いので相対的に無産オタクの価値は低いという現状がある。
誰かが砂場で山を作る、そしてそれを面白がった誰かがトンネルを掘る、水を使えば更に面白い造形が出来て流れる水はスゴイのでは?と誰かが提案し実行する。
Fediverseでは砂場の周りで評論しても砂場の中で遊んでいる子供は決して砂場の外へ目を向けない。眼の前の砂の山をどうするかで頭が一杯なのだ。
選民意識に使うリソースなどFediverseの創造者たちは持っておらず砂の山しか見ておらず、砂場の周りで評論する自分たちのことなんか全く気にしていないからだ。
上記のnoteを読み、感銘を受けたので分散SNSを中心に活動するユーザ達が今どのように分散SNSと付き合っているかMastodonを例にして記す。
悪を発見した者たちは自身の言動が正義として疑わず執拗なまでに発見した悪を追い詰める。
どう解釈してもその者たちは正義の味方【ヒーロー】ではない。悪を徹底的に追い詰める悪の敵【ダークヒーロー】である。
我々が幼少期に憧れたアンパンマンや仮面ライダーやウルトラマン、セーラームーン、プリキュアetc...などが取るような言動では決してない。
はてな匿名ダイアリーを利用するようなユーザは分散SNSをよく知っているだろう。ただしそれはおそらく誤解を多く含んだ理解だ。
分散SNSの多くはオープンな形で開発されており、情報技術者やギークの多くはオープンな技術を好む傾向がある。
だからこそ分散SNSに集うユーザは情報技術者やギークが多いのだ……これが既に間違いである。
確かに分散SNSにはその傾向はある。しかしながら分散SNSを使うようになった者は「Twitterに疲れた」という理由を持っていることが多いのだ。
いっときの、いわゆる「Twitterアカウント凍結祭り」が切っ掛けだったとは言え、分散SNSへ定着したユーザの大半は分散SNSに心の安寧を得ている。
悪の敵が跋扈するTwitterと比較して分散SNSは明らかに悪の敵の数が少ないのだ。何故だろうか?
その解答の1つとして、そもそも分散SNSには「Contents Warning(CW)」機能と「Not Safe For Work(NSFW)」機能がある。
CW機能は日本語へ意訳すると「テキスト閲覧注意」のための機能だ。CW機能を使うと指定した範囲のテキストが隠蔽され、他のユーザはそれを読むときは能動的に操作して隠蔽を展開する必要がある。
NSFW機能は日本語へ意訳すると「画像閲覧注意」のための機能だ。NSFW機能を使うとCW機能と同様に投稿画像は隠蔽され、他のユーザはそれを見るときは能動的に操作して隠蔽を展開する必要がある。
これらの機能の存在は大きな意識を各々のユーザへ与えてくれる。それは「アナタの言動によって心を痛める人が居るかも知れない」というもの。
分散SNSユーザはこれらの機能があるため先ず投稿へひと呼吸置く傾向がある。もちろん「この投稿はCW(NSFW)を使うべきかな?」というひと呼吸だ。
別にこれらは強制的なルールでもなく分散SNSが村社会的に暗黙のルールとして絶対となっているわけではない。しかし分散SNSのユーザはひと呼吸置く。
なぜならTwitterの現状があるからだ。Twitterが反面教師になっているのだ。Twitterユーザのように自分がなりたくないのだ。
もちろんTwitterのようなマイクロブログ型SNSは気軽につぶやけるというのが美点だ。しかし自分の気軽さは他者の気軽さではない可能性は十分にある。それを分散SNSユーザはよく知っている。Twitterを見てきたから。
少なくとも戸田真琴さんが例に挙げた凄惨な画像は分散SNSだとNSFWになったことだろう。そしてNSFWになっていない凄惨な画像は共有ボタンを押すことへ躊躇がなされただろう。
更に分散SNSは、戸田真琴さんは少々否定気味だったが、Twitterよりもカジュアルにブロックやミュートが行われる文化がある。
これは前述した「アナタの言動によって心を痛める人が居るかも知れない」の裏返しだ。自身の心の安寧を守るためブロックやミュートをして見えないようにするという自由が価値観として分散SNSユーザ全体で共有されている。
この件についてはPixivが運営する絵描きが集うMastodonサーバのPawooが、外国のMastodonサーバから連携拒否(ドメインブロック)されたことに関して、Pawoo側のユーザが外国Mastodonサーバのその決断を称賛したことにも現れている。
外国のMastodonサーバではPawooの絵描きが投稿する一部のイラストが問題視されていた。性的なイラストは見たくない、性的な対象として描くのはおかしいという価値観が外国のMastodonサーバで起き、その外国のMastodonサーバはPawooとの連携を切る決断をした。
Pawooのユーザたちはそれへ対して「住み分けは大事」と言ったのだ。自分たちが生み出す作品への「無理解」へ対して怒るでもなく悲しむでもなく、Pawooのユーザたちは外国のMastodonサーバの決断へ「理解」を示した。
分散SNSはMastodonを含む分散SNSサーバ同士が相互に接続しあってSNSとしての体を作り出している。
分散SNSを知る人々がこの辺りに誤解を持つことが多いが、Mastodon=分散SNSではない。
こう言うと少し詳しい人は「知ってるよ分散SNSってMastodonの他にGNU SocialやFriendicaとか色んな種類があるんだろ?」というが、それ間違いである。
MastodonはMastodon=分散SNSサーバだ。GNU SocialもGNU Social=分散SNSサーバ、FriendicaもFriendica=分散SNSサーバだ。
分散SNSとは分散SNSサーバ同士が相互に接続しあって形成するネットワークそのものを指す。
すなわちMastodonは種別として分散SNS対応SNSということになり、だからこそ非常に誤解されやすい。SNSが2回出てくるためよくわからないことになっている。
Pawooがなぜ外国Mastodonサーバから連携拒否されたことを受け入れられたのか?
そもそも分散SNSにはルールが無いからである。分散SNSは分散SNSサーバ同士が相互に接続しあって形成するネットワークそのものを指すのであれば、ルールを作るのは非常に難しい。
ルールを作りたいのであれば、ルールは分散SNSサーバ毎に決めなければならない。というかそれ以外にルールを定める方法がない。
つまり、だからこそ外国MastodonサーバのルールとPawooのルールは違うものなのだ。そしてPawooのユーザは外国Mastodonサーバが独自のルールを運用する自由を認めたのだ。Pawooには好きに絵を描く自由があり、アナタたちには絵を見ない自由があると。
そして外国のMastodonサーバはPawooのユーザが自由に絵を描いていることを制限しようとはしていない。外国のMastodonサーバのユーザたちは絵を描く自由を認めて居るのだ。
分散SNSのネットワークには非実在青少年のような問題は無い。外国のMastodonサーバにはあるかも知れない。しかしPawooには無いのだ。双方のルールの違いを認めあっているからこそ分散SNSのネットワークにはそういった問題が存在しないと言えるのだ。
無理だろう。TwitterはTwitterのルールという1つの価値観しかないのだから。
例え今後TwitterにCWが導入されようがNSFWが導入されようがTwitterではたった1つのTwitterルールに則らなければならないのだ。Twitterのネットワークではルールの違いは認められていない。
SNSでの自分の価値観、他者の価値観を両立しようと思えば分散SNSというのは間違いなく現状ではTwitterよりもより良い解決策を示していると言える。
分散SNSでは自分自身が分散SNSサーバの管理者になり、自分自身が分散SNSサーバのルールを作る側に回ることすら可能なのだから。
戸田真琴さんが分散SNSサーバ、例えば戸田真琴さんが自分自身のためのMastodonを立ち上げれば、そのMastodon内でのルールは戸田真琴さんである。
他の分散SNSサーバは戸田真琴さんの価値観を「ルールの違い」として認識して、戸田真琴さんが特定の分散SNSユーザをブロックしようがミュートしようが、特定の分散SNSとの連携を切ろうが、すべてはルールの違いであり、他の分散SNSは戸田真琴さんのMastodon内でのルールの行使を受け入れる。
例えば戸田真琴さんが自身のMastodon内で傍若無人に振る舞い絶対権力者として君臨していることを誰かが非難したとしよう。戸田真琴さんが法令に違反していないのであれば他の分散SNSサーバ管理者たちは戸田真琴さんを全力で擁護する。戸田真琴さんのMastodonでは戸田真琴さん自身がルールなのだと。
もちろん分散SNSとはいえ倫理はあるし戸田真琴さんが自身のMastodon内とは言え暴言を吐きまくれば非難する人が現れ、その非難は多くの人が理解を示すだろう。
しかし、戸田真琴さんのMastodon内での暴言を止める権利は誰にもない。戸田真琴さんの暴言が気に食わなければ戸田真琴さんのアカウントをブロックするかミュートするか、戸田真琴さんのMastodonとの連携を切ることが分散SNSとして正しいやり方なのだ。
分散SNSは個人個人が違うこと、コミュニティー毎にルールがあることを前提で成り立っており、だからこそブロックやミュート、ドメインブロックがカジュアルに行われ、それらがカジュアルに行われるという認識があるからこそ言動の前にひと呼吸置くという文化がある。
これこそが2ちゃんねるやmixiやFacebookやTwitterを経て、SNSで心の安寧を得るための現在想定できる最も良い方法なのだ。
インターネットを日常的に利用する諸氏はMastodonというマイクロブログサービスを知っているだろう。
ある程度のITの知識を持った者ならば自身でマイクロブログサービスを始められるオープンソースなソフトウェアだ。
2017年当時学生だったハンドルネームnullkalがmstdn.jpというドメインを取得しMastodonサーバーを開設したことによって日本で注目を浴びた。
しかし、本質ではない。一部の真実を表現しているので誤りでは決してないが、本質かと言われれば決してそうではないと返せる。
Mastodon(と分散SNS)という言葉と存在を知る多くの人々が本質を理解できていなかったため「劣化Twitter」などと評価せざる得なかった。
そして、不幸なことにMastodonが話題となった当初、それを報じるインターネットメディアもまたMastodonの本質を理解できていなかったので、Mastodonに関する記事を読んだ多くの人々の評価がMastodonへアカウントを作らずとも「劣化Twitter」として固定されてしまった。
私の友人はMastodonを指してこう言った。
「Mastodonって不人気だけど何故かプログラマーな人が多いよね」
おかしな話だ。コンピュータやインターネットの技術に詳しく専門分野に関しての審美眼には信頼のあるプログラマーが何故か不人気なものへクールさを見出していると言うのだから。
そこでこのエントリでは、日本語情報も多いMastodonを例にして分散SNSの本質を解説しつつ、何故プログラマーが分散SNSへクールさを見出しているのかを語っていこうと思う。
2007年、インターネット上に「OpenMicroBlogging」と呼ばれる通信プロトコルが登場した。
OpenMicroBloggingは分散SNSで使われることを想定した通信プロトコルで、OpenMicroBlogging実装SNSとして「Identi.ca」が開設される。
Facebookは2004年設立、Twitterは2006年設立であり、Facebook設立からわずか3年後、Twitter設立からわずか1年後に分散SNSが登場したことになる。
オープンなSNSでよく語られるのは「中央集権SNSへのアンチテーゼ」だ。
これらの表現は悪いわけでない、悪いわけでないが分散SNSの理解へ誤解を生む。
誤解を生む理由は「わかりやすい」のだ。「自身のサービス内で強権を奮うFacebook運営やTwitter運営へNOを突きつけよう!」「我々の手にオープンなSNSを!」といういかにもな正義は非常にわかりやすい。
だからこそ一部でこの表現が支持されてしまい声たからかに叫ばれ、多くの人々の分散SNSの本質的な理解を妨げた。
インターネットを長らく観測してきたお歴々はご存知だろうが、そもそも「ユーザー自身が管理者となり自分自身のルールを運用できるオープンなSNSは分散SNS登場以前から存在している」のだ。
日本国内であればmixiクローンSNSとして「OpenPNE」などがFLOSSコミュニティでは非常に有名だ。
では、これまでのオープンなSNSと分散SNSは何が違うのか?
分散SNSは大前提として通信プロトコルありきで開発されている点が違うのだ。
思い出して欲しい。Identi.caの前にOpenMicroBloggingが作られていることを。
後に整理されてIdenti.caは「GNU Social」と、OpenMicroBloggingは「OStatus」と呼ばれるようになるが、Mastodonもまた通信プロトコルありきで開発されており、MastodonがありきとしたのがそのOStatusなのだ。
OStatusのベースであるOpenMicroBloggingは設計が古いため、現在ではOStatusの事実上の後継であるモダンな設計のActivityPubへ差し替えられるという大きな変化はあったが基本は変わらず、MastodonはActivityPubありきで開発されている。
多くの人々はSNSと言えばTwitterやFacebookやInstagramなどを想像してしまい、分散SNSと言われるとMastodonやGNU Socialを連想してしまう。
はっきりと言おう、この認識自体が根本的に最初の誤解であるのだ。
分散SNSは通信プロトコルありきで開発されており、ActivityPubなどの通信プロトコルによってSNSサーバー同士が相互接続し形成されている。
このネットワークそのものが分散SNSだ。Mastodonは分散SNSを形成するSNSサーバーでしかない。
すなわちMastodonは分散SNS方式SNS、分散SNS型SNSなどと表現したほうがより正確な意味を持たせられるのだ。
ただこれは情報技術に詳しいはずの技術者でさえ誤解しやすい部分であり、よりわかりやすく説明するためにActivityPubなどで形成されるネットワークのことを「Fediverse Network」と表現することが多くなっている。
つまり「Mastodon ≒ 分散SNS」「Fediverse Network = 分散SNS」という図式が成り立つ。
Mastodonはやろうと思えばFediverse Networkに接続しないこともできるということを理解しておかなければならない。
ActivityPubなどの通信プロトコルによってSNSサーバー同士が相互接続することにより形成されるネットワーク(= Fediverse Network)そのものが分散SNSであると言った。
それを知るためにはFediverse Networkの特性を知らなければならない。
Fediverse Networkを形成するActivityPubを現在は様々なSNSがサポートしている。
代表例を挙げればマイクロブログサービス型の「Mastodon」「GNU Social」「Pleroma」「Misskey」「microblog.pub」、Facebookのような名鑑名簿型の「Friendica」「Hubzilla」、写真投稿型の「PixelFed」、動画投稿型の「PeerTube」、電子掲示板型の「Prismo」などがActivityPubをサポートしている。
ここで疑問を投げかけてみよう。
もし、何らかの理由でMastodonの開発が停止し、この世から完全にMastodonサーバーが消滅した場合、Fediverse Networkはどうなるか?
答えは簡単だ「Fediverse Networkは維持されたまま」である。
単にこの世からMastodonが消え失せるだけであってActivityPubが形成するFediverse Networkへ対応しているのはGNU SocialやFriendicaなど他にも多数あるのだ。
Mastodonが使えないのであればGNU Socialを使えば良いというような形式のネットワークをインターネット老人会のお歴々はよくご存知で、おそらくこう表現するのではないか。
GMailが使えないのであればYahoo!Mailを使えば良い。それと全く同じだ。
そうつまり、分散SNSの本質それは「SNSの形態を取った次世代のE-Mail」なのである。
分散SNSの本質はSNSの形態を取った次世代のE-Mailであるからこそ「Twitterの代替」や「中央集権SNSへのアンチテーゼ」などという言説は分散SNSの本質を表現できているとは言えないのだ
TwitterはE-Mail Networkのような特性を持っておらず、E-Mail NetWorkはそもそも分散されている(E-Mail NetWorkはそのように設計されたから)。
ましてや、そもそもシステムの根本から違うので「劣化Twitter」という言説もまた分散SNSの本質などではない。分散SNSはTwitterクローンですらないのだから。
分散SNSの本質はSNSの形態を取った次世代のE-Mailであるからこそ、そのアカウント数はE-Mailと同様にゆっくりと増え続ける。
過去の日本ではユーザーが望む望まない、ユーザーが使う使わないへ関係なくDoCoMo携帯電話のiモードへ加入するだけでE-Mailアカウントが付いてきた。
分散SNSのアカウントはそのようにして増える。今後登場するであろう人気WebサービスがActivityPubをサポートしているとユーザーは意識せずともFediverse Networkへアクセスできてしまうのだ。
分散SNSの本質はSNSの形態を取った次世代のE-Mailであるからこそ、プログラマーたちにとってクールなのだ。
現在、GMailアカウントがどのように使われているか?を少し考えるだけで、SNSの形態を取った次世代のE-Mailである分散SNSがどれだけ刺激的で新しいインスピレーションを生み出してくれるかが理解できるだろう。
昨今のインターネットへ明るい者であれば「分散SNS」を知っているだろう。
各々のユーザによって個別のサーバが相互接続し合うことによってSNS網を構築し、中央集権であるTwitterやFacebookの代替として確立されたサービスのことだ。
日本では一時期、分散SNSの実装の1つである「Mastodon」が話題となり、その意義を明確に理解したユーザや、ビジネスチャンスを見出した企業が参入した。
「Mastodonは自分に合わない」「Mastodonは流行っていないのでTwitterに戻る」などの理由で一時期よりはアクティブユーザが減ってしまったが、少々の誤解のある人も居るようなので、最後の方でこの点についても言及したい。
そのMastodonを創始した「Eugen Rochko」氏の提起が分散SNS内で紛糾してしまっている。
So Gab has decided that their own code that they spent $5M of investor money developing is so unsalvageably bad that they're going to use Mastodon's code instead, with the added bonus of leeching off of our apps (with Gab apps being banned from app stores)
This is an early warning to fellow admins to be vigilant and domain-block them on sight, when/if they appear (unconfirmed whether they intend to federate), and to app devs to consider if blocking Gab's domains from their app is necessary.
すべてを翻訳するのは面倒なので要約すると「Mastodonクライアントアプリ製作者はGabのドメインブロックに協力して欲しい」という提起だ。
Gabは早い話がTwitterと同様の2016年に創始されたマイクロブログ系SNSだ。
Gabは言論の自由や表現の自由が尊ばれ、あらゆる発言や表現が許容されるSNSとして成立した。
ここまで聞くと大変素晴らしいSNSのように思えるが、実は「あまりにも自由すぎた」ためにAppleのAppStoreやGoogleのPlayStoreからアプリが排除されてしまうという事態を引き起こした。
何故ならばGabは自由のためヘイトスピーチすらも許容し、北米でユダヤ教礼拝所の襲撃予告に使われてしまった。
そう、Gabは自由すぎたために北米のAlternative Rightの巣窟となってしまったのだ。
ここまで聞けばEugen Rochko氏は正しい。2大スマートフォンプラットフォームにさえ排除されたGabを擁護するのは非常に難しい。
そんなことは分散SNS界隈は全員がと言って良いほど理解している。GabはEugen Rochko氏から非難を受けても仕方がないと皆が思っているのだ。
しかし、何が問題なのかと言えば「MastodonはAGPLを冠している」からEugen Rochko氏の発言は問題とされ紛糾してしまった。
「Richard Stallman」氏が「GNU宣言」を提唱して以降、数多くのFLOSSな成果物が公開され、数多くの情報技術者がそのFLOSSで育ち、日々FLOSSで業務を行っているからこそだ。
GNU宣言は個人の自由は最大限に守られるべきだとし、個人の選択は最大限に尊重するべきだとしている。
AGPLはGNU宣言に影響されたソフトウェアの利用・配布・改変などに関するライセンスだ。非常に自由なライセンスとして知られる。
GNU宣言はIT界隈で一種の聖典として扱われ、IT界隈でリベラリストが育つ土壌となっている。
MastodonはそんなAGPLを冠して開発されており、GabはMastodonをフォークして新たなSNSを立ち上げると宣言した。
Eugen Rochko氏はGabがMastodonをフォークすることへ不快感をあらわにし、フォークすることすらも自由であるはずのMastodonからGabを閉め出そうとしたのである。
それへ対して自由を尊重する分散SNS界隈は当然ながら「待った」をかけたというのが事の顛末である。
イスラム国(ISIS、ISIL)はMastodonと同じくAGPLライセンスで開発されている分散SNSの実装の1つである「Diaspora*」へ参入を表明したことがある。
この件も、分散SNS界隈では紛糾したが、AGPLにはイスラム国のようなテロ組織が利用することを禁じるような条項はないので、IT界隈のリベラリズムはイスラム国のDiaspora*参入を許容した。
分散SNS界隈が取れる選択は「各々の分散SNSサーバの管理者が個人の選択としてイスラム国Diaspora*サーバをドメインブロックすること」くらいなのだ。
これほどAGPLとは自由であり、IT界隈の多くは確固たるリベラルなのである。
だからこそMastodonでは絶大な影響力を持つ創始者たるEugen Rochko氏が「GabをMastodonクライアントアプリがドメインブロックしないとアプリストアからアナタのアプリが削除される可能性がある」というような脅迫と取れるような発言してはいけないのだ。
Eugen Rochko氏自身がMastodonをAGPLライセンスと決めたのであれば、Mastodon開発はAGPLに基づいて運用されなければならない。
Eugen Rochko氏ができる発言は、Mastodonの本家サーバ(デモサーバ)としても知られるEugen Rochko氏自身が運営する「管理者としてmstodon.socialはGabをドメインブロックする。そして他のMastodonサーバおよびMastodonクライアントアプリがGabをドメインブロックするかどうかは管理者・開発者の自由に委ねられる」くらいなもの。
Eugen Rochko氏のGabへ不快感を持つという意志は尊重されなければならない。だがしかしMastodonへ関わる開発者を扇動してはならない。
分散SNS界隈はGabを擁護しているのではなくAGPLを擁護しているからこそ、Mastodonの偉大な創始者であるEugen Rochko氏の発言は紛糾してしまった。
Eugen Rochko氏の発言は結果としてAGPLの自由を脅かす発言となってしまったのだ。
Twitterで自由の権利に関しての話題が紛糾することがままあるが、分散SNS界隈が抱える自由の権利の問題はこの段階まで来ている。
MastodonはActivityPubプロトコルというものに基づいて、Mastodon以外の分散SNSと相互コミュニケーションを取ることができる。
このActivityPubプロトコルで形成されるネットワークをFediverse Network(日本語では連合ネットワークと翻訳されることが多い)という。
つまり、アナタが利用する分散SNSがFediverse Networkへ参加していればSNSの種類が違ってもコミュニケーションについては問題ないわけだ。
例えばもしMastodonが完全に廃れてしまい開発が止まっても、Fediverse Network自体はFediverse Networkへ参加する分散SNSが存在する限りFediverse Networkが消滅することはない。Mastodonが消えるだけなのだ。
もっとわかりやすい例を出そう。Fediverse Networkは早い話が「SNSの形態を取ったE-Mail Networkと似たようなもの」なのである。
アナタがMastodonアカウントや他の分散SNSアカウントを取得するということは、GMailアカウントやYahoo!メールアカウントを取得することへほぼ等しい。
ここまで言うと察しの良い人は段々と気付いてくる。
「もしかしてメールのネットワークが完全に消えてなくなるとは考えにくいように、分散SNSのネットワークも消えてなくなるとは考えにくい?」と。
メールは流行る流行らないという段階ではすでになく誰でもいつでもメールアドレスは取得できるので一種のインフラのようになっているが、分散SNSもほぼ間違いなくそのようになる。
分散SNSアカウントは誰でもいつでも取得できるので、その参入者数はメールのように時間をかけてゆっくりと増え続け、気付けばインフラのようになっているというのが分散SNSのネットワーク特性なのだ。そうなるように設計されているから。
Mastodonが流行る流行らないという部分は問題にするべき部分でなく、というかFediverse Networkの設計上で見当違いな心配なのだ。
要は「分散SNSってメールみたいなものなのね」と早期に気付いた人は早い段階で分散SNSのアカウントを取得したし、それにまだ気付いてない人は分散SNSアカウントの取得が遅れているだけということだ。
おそらくは現在分散SNSアカウント未取得でも、将来的に流行するWebサービスがFediverse Networkへ何気なく対応していて、気付かないうちに分散SNSを使えるようになっているということが発生すると思われる。
DoCoMoの携帯電話を持っただけでiモードのdocomo.co.jpメールアカウントが付いて来たように、流行りのWebサービスに登録したら分散SNSアカウントが付いて来るだろう。
有子「あっキレイなお花!」
有子「いい考えね!じゃあさっそく・・・あれ?」
共太「ん?どうしたんだ?」
共太「なっなんだってー!」
-----
共太「最近SNSのアカウントが巻き込まれ凍結されるって話をよく聞くけどまさか有子のアカウントがなぁ・・・」
有子「私なにも悪いことしてないよ!お花や猫の写真をシェアしたりしてただけだもん!」
分美「あら?どうしたの?」
共太「あっ分美お姉さん!ちょうど良いところに」
有子「分美お姉さん・・・何も悪いことしてないのに私のTwitterアカウントが凍結されちゃって・・・」
分美「あら大変!でも仕方ないわよねぇTwitterシステムの上では巻き込まれ凍結はどうしても防げないわ」
共太・有子「えっそうなの!?」
分美「Twitterは問題のありそうなアカウントを独自のアルゴリズムで自動で凍結しちゃうのよ。コンピュータプログラムで判定しているからどうしとても間違えてしまうことがあるわ」
有子「プログラムが相手じゃ間違えてますよってお話することも難しいよね」
共太「Twitterが勝手に始めたことを押し付けてくるなんてヒドイじゃないか!」
有子「私の友達だって悪いことしてないのに何度も凍結されちゃって悲しい思いをしてたんだよ!」
有子「前に少しだけ話題になった気がするけど私よく知らない」
分美「分散SNSはねTwitterやFacebookみたいなSNSが動くサーバシステムを個人個人が自由に設置して、設置されたみんなのサーバ同士が繋がり合ってコミュニティネットワークを作ろうって試みなの」
分美「分散SNSを構成するサーバは個人の持ち物だから、持ち主の個人が独自にルールを定めることができるのよ」
分美「TwitterやFacebookのサービスを利用しているとTwitterやFacebookが定めたルールに利用しているユーザは従わなきゃならないけど、分散SNSはサーバ毎にルールを定められるので凍結される可能性を低くできるわ」
有子「あれ?じゃあもしかして私が分散SNSのサーバを設置したら・・・」
分美「良い点に気が付いたわね!そう、有子ちゃんが分散SNSサーバを設置したら有子ちゃんがルールよ!」
共太「すっげぇ!じゃあボクの分散SNSサーバを利用したかったら100円な!」
分美「ふふふ、共太クンの分散SNSサーバだからそのルールはもちろん定めて良いわ・・・でも分散SNSを利用するユーザにはルールを選ぶ権利があるのよ?」
有子「なるほどね!もし私の分散SNSサーバの利用が無料だったら共太クンの分散SNSサーバを使おうって思うユーザなんか居なくなるじゃない!」
分美「そうねユーザが困っちゃうようなルールを定めればユーザは利用しないだろうし、更に法律に違反するルールを定めて実行しちゃうとお巡りさんに捕まってしまうリスクも当然あるのよ」
共太「自由にルールを決められても好き勝手にしちゃ駄目なんだ・・・」
共太「でもさぁ思ったんだけど新しいSNSってユーザ数が少ないよな」
有子「SNSってやっぱりいっぱいユーザが居たほうが楽しいしね」
分美「実はね、分散SNSっていわゆる『過疎』になる可能性が非常に低いのよ。設置したら既に誰かが居るわ」
共太「えっ!?SNSを設置して直ぐは誰も居ないに決まってるじゃないか!」
有子「そうよね?居たとしてもSNSを設置した管理人さんだけでしょ?」
分美「それが分散SNSのメリットの1つなのよ。分散SNSは点在する分散SNSサーバ同士が相互接続することで成り立っているの」
分美「だから例えば分散SNSサーバαが既に設置されている状況であれば、分散SNSサーバβが新たに設置されたとき、分散SNSサーバβから既に存在する分散SNSサーバαを利用するユーザが見えてコミュニケーションが取れるのよ」
有子「えぇ!?それってすごいことじゃない!!」
共太「自分の分散SNSサーバを利用してくれるユーザを積極的に探さなくても良いわけか」
分美「わざと他のユーザを集めないで管理人がたった1人だけで利用している『お一人様』と呼ばれている分散SNSサーバだってあるわよ。他にも家族だけとか学校の友達だけの分散SNSサーバがあったり、お絵かき趣味の人のためや音楽趣味の人のための分散SNSサーバもあるわね」
有子「なるほど学校のお友達なら見知った仲だし凍結なんてほとんどありえないもんね!」
共太「通ってるスポーツクラブで分散SNSサーバ設置したら面白そうだなぁ!」
分美「独自のルールを定められるってことは利用するユーザを好きに選ぶこともできるってわけ!そしてなおかつさっきも言ったとおり他の分散SNSサーバのユーザともコミュニケーションが取れるから便利」
分美「そんな便利な分散SNSコミュニティネットワークを形成しているのが『ActivityPubプロトコル』よ!」
分美「早い話が分散SNS同士の会話がちゃんとできるようにする方式規格のことなんだけど、実際に重要なのは利用する分散SNSサーバがActivityPubプロトコルに対応しているかどうかってこと」
分美「実は分散SNSってActivityPubプロトコルが登場する以前にも様々なプロトコルが考案運用されてきたの」
分美「例を挙げればOStatusプロトコル、DFRNプロトコル、Diasporaプロトコル、Zotプロトコルあたりが有名ね」
分美「でも問題はプロトコルが違えば相互にコミュニケーションが取れないことなの」
有子「あれ?分散SNSサーバは他の分散SNSサーバと相互にコミュニケーションが取れるんじゃなかったっけ?」
分美「そう、それを実現したのがインターネットで使われる技術の標準仕様を定める団体である『W3C』が制定したActivityPubプロトコルってわけ!」
共太「そうかActivityPubプロトコル以前は分散SNSでも相互接続できない分散SNSがあったんだな」
分美「W3Cが標準仕様であるActivityPubプロトコルを定めてくれたお陰で、分散SNSのほとんどは積極的にActivityPubプロトコルを採用するようになり、ほとんどの分散SNSサーバとほとんどの分散SNSサーバの相互接続コミュニケーションが完成したわ」
共太「へぇ!ActivityPubプロトコルって凄いんだなぁ」
分美「うん!じゃあ先ず最初に語らなきゃいけないのは『GNU Social』ね!Twitterに触発されたマイクロブログ系SNSよ」
分美「GNU Socialは分散SNS最初期に登場した分散SNSで2007年まで遡るわ」
分美「12年前はidenti.caっていう名前だったの。GNU Socialという名前に落ち着いたのは2013年よ」
共太「それでも6年も前か。その時から分散SNSを考えていたなんて凄いなぁ」
分美「分散SNSのヒントになっているのは2002年に登場したP2Pファイル交換システムの『Winny』なのよ日本製ね」
分美「WinnyのあとにBitTorrentが登場したり色々日本でも問題になり善悪の評価が定まらないけれど革新的なシステムだったのは確かで、それが現代で分散SNSという実装に応用されているわ」
分美「GNU Socialの特徴はなんと言ってもその安定性の高さね。最初期に登場したこともあり機能性に乏しさは感じるしアップデートは驚くほど少ないわ。でも後に登場した分散SNSへ強い影響を与えたの」
共太「アップデートが少なくて済むほど安定してるってことか?」
分美「それもあるし、GNU Socialはプラグインによる機能追加に対応しているのよ。新機能が欲しいなら自分で作れという文化なのGNU Socialは」
分美「次に紹介するのは日本で最も人気のある分散SNS『Mastodon』ね」
分美「Twitterアカウントの凍結騒ぎで一時期Twitterでも話題にのぼったわね。MastodonはGNU Socialに触発されたマイクロブログ系SNSよ」
分美「GNU Socialを参考としたためGNU Socialと互換性がありつつも、よりもモダンな外観や機能を備え、コミュニティが活発でアップデートも非常に多いのが特徴だわ」
共太「それだけ聞くとMastodonの方が良いように感じるなぁ」
分美「日本国内にMastodonサーバは膨大に存在するし分散SNS選びに迷ったらMastodonって考えるのも悪くはないわ。情報も非常に多いしね」
分美「ただMastodonの欠点としてはGNU Socialに比べるとより高性能なサーバマシンが必要になることね。とある有名なC++プログラマが『富豪的プログラミングだ』と揶揄したのはMastodonコミュニティでは有名な話よ」
有子「自分でMastodonサーバを設置するときにサーバマシンの用意に困るわけね」
分美「まぁとは言っても今の普及価格帯ノートパソコンくらいで十分に動くわ。利用状況によるけどサーバをレンタルするとしても月額2,000円以下かしら」
分美「そんな重いMastodonに触発され動作が軽いことを念頭に置かれ開発されたマイクロブログ系分散SNS『Pleroma』も検討に値するわね。Mastodonと一部機能に互換性を持っているの。Mastodon用クライアントアプリが使えたりするのよ」
有子「GNU Socialを参考にしたMastodon、Mastodonを参考にしたPleromaか面白いなぁ」
共太「お姉さん!なんかもっとこうドーンッとスゴイやつってないの?」
分美「あるわよ?例えば『Hubzilla』なんかは高機能すぎるくらい高機能よ。SNS機能に加えて、ユーザ単位の公開範囲の限定、チャット、アドレス帳、カレンダー、オンラインストレージ、簡易Webページ作成、RSSフィードリーダー、Facebook連携、Twitter連携、ActivityPub連携etc...」
共太「スゲェ!なんでもアリかHubzilla!」
分美「もともと『ハブ』になることがコンセプトらしいわね。でも今挙げた機能はHubzillaの最大の特徴じゃないの」
有子「えっこの時点で高機能なのに?」
分美「HubzillaはZotプロトコルによるGridネットワークを特徴としていて、これはサーバ認証とユーザ認証が別個に管理されているのよ」
分美「端的に言うとHubzillaサーバαとHubzillaサーバβで1つのユーザアカウントを運用できるのよ。例えば普段使ってるHubzillaサーバαが何らかの障害でダウンしても、ユーザアカウントそのままでHubzillaサーバβで利用できちゃうのよ。普通はサーバが変わるとユーザアカウントも変えなくちゃいけないわよね。Hubzillaはユーザアカウントを維持できるの」
共太「えっHubzilla凄すぎない?」
有子「まさに分散SNSだね。サーバ1つ無くなっても他のサーバが使えちゃう」
分美「非常に先進的な試みをHubzillaはやってるんたけど、その豊富すぎる機能や細かな設定項目、更には複雑な外観で素人お断り感がスゴイのよ・・・」
分美「あるわよ?」
共太「ちょっと思ったけど何でもあるんだねw」
分美「筆者の増田もこのエントリ書くため改めて調べてみて驚いてるらしいわ。それでもっと気楽な高機能な分散SNSには『Misskey』があるわ。なんと国産よ」
分美「投稿テキストへ太字などが設定できたり、昨今のチャットサービスなどで定番化しつつあるいいね!に変わる様々な反応を送れるリアクション機能、ユーザを指定して会話できるグループトーク、様々な情報を表示するウィジェット、更にはリバーシゲームが楽しめたりするわ。他にも機能いっぱい」
有子「エンターテイメントって感じ!結構好きかも!Hubzillaは敷居が高すぎる・・・」
共太「エンターテイメントと言えばマイクロブログ系SNS以外には分散SNSってないの?」
分美「あるわよ。Hubzillaを見たときSNS部分はFacebookっぽいなと感じたと思うのだけれど、よりFacebookっぽい分散SNSに『Friendica』があるわ」
分美「FriendicaはFacebookクローンと言って良いほどFacebookと機能が酷似していて分散SNSでFacebookの機能を求めているのであれば一番手っ取り早いかもね」
共太「あるとは思ってたけどやっぱりFacebookっぽい分散SNSもあるのか」
有子「えっじゃあもしかしてInstagramっぽいのも・・・」
分美「あるわよwInstagramっぽい分散SNSは『PixelFed』ね。Instagramと同様に投稿する写真へエフェクトフィルタがかけられるわ」
有子「あるんだw」
分美「あるわよwYoutubeっぽい分散SNSは『PeerTube』というの。PeerTubeの凄さはActivityPubプロトコルへの対応だけじゃなく動画配信自体も分散機能を持つこと」
共太「あるんだw」
https://peertube.fr/videos/watch/217eefeb-883d-45be-b7fc-a788ad8507d3」
分美「この動画は実際にPeerTubeへ投稿されている動画なのだけれど、複数人が同時に視聴するとPeerTubeはYoutubeにない動画配信挙動をするの」
分美「それは視聴者αに続いて視聴者βが動画の視聴を始めると、視聴者βへはPeerTubeサーバから動画配信されるだけでなく視聴者αからも動画配信されるのよ。これはWebTorrentという技術を使って実現しているわ」
分美「理論上の話になるけれど、1GBの動画をYoutubeが2人へ配信した場合は当然ながらYoutubeサーバは合計2GB配信することになるけれど、PeerTubeサーバの場合は合計1.5GBで済んでしまうのよ。残り0.5GBは他の視聴者からまかなう」
有子「これは本当に凄いじゃない!お姉さん当然100人が同時視聴するとPeerTubeサーバの送信量はYoutubeサーバに比べてもっと下がるんでしょ!?」
分美「もちろん理論値だし様々な状況によってPeerTubeサーバの送信量は変わるけど間違いなくYoutubeサーバが100人へ配信するよりは送信量がかなり少なくなるわ」
分美「ちなみに引用しているPeerTubeサーバはわざとフランスのPeerTubeサーバを選んでいるわ。私1人だと何度も動画が途中で止まったけれど増田に貼った時点でどうなるか楽しみね」
共太「PeerTubeスゲェな!もっと知られていても良さそうなのに」
分美「個人の動画配信って自宅サーバでやらない限りはレンタルサーバとかだとかなりお金掛かるのよ。PeerTubeだと送信料が抑えられると言っても積み重なるとかなりの額になるしね」
分美「そして例えばJ:COMとか一部のインターネットプロバイダはWebTorrentなどのP2P通信に規制をかけているところもあるわ。そのようなプロバイダを契約しているとPeerTubeの旨味は活かせないわね」
有子「PeerTubeもActivityPubプロトコルでリプライしたりできるんてしょ?」
分美「できるわ」
https://peertube.cpy.re/videos/watch/da2b08d4-a242-4170-b32a-4ec8cbdca701
分美「この動画はPeerTubeとMastodonのやりとりのデモ動画よ。Mastodon上でPeerTube動画を視聴してリプライしてるわね。そのリプライはPeerTubeへ反映されているの」
有子「すごい!まったく違うWebサービスなのにやりとり出来ちゃってる!」
共太「さっきのPixelFedもやりとりできるんだろ?いいね!とか。これがActivityPubプロトコル・・・!!」
分美「ActivityPubプロトコルは今後ともどんどん様々なWebサービスに広がっていくわ。現在開発中だけれど電子掲示板Redditに触発されActivityPubプロトコルを組み込んだ電子掲示板『Prismo』は良い例ね。Prismoが正式に稼働するとMastodonから電子掲示板の雑談へ参加できるようになるわ」
分美「そして別にActivityPubプロトコルへ対応するため新しくWebサービスを始める必要もないのよ。例えば過去に日本国内で栄華を極めたmixiあたりがActivityPubプロトコルをサポートしたら一気にmixiから観測できるアクティブユーザが数十万人増えるわ。起死回生の一手として検討に値するわね。はてなハイクもそうよ」
分美「ユーザが居ないこと、ユーザを集めることが問題になるのならば常にアクティブユーザが居ることへ期待できるActivityPubプロトコルを採用するのはアリなのよ。 Permalink | 記事への反応(3) | 20:57
中国は習近平体制以降、西側の技術を用いて西側用へ最適化された製品やサービスを西側へ輸出することで経済成長してきた。
それと同時に西側で生まれたイノベーション企業や製品・サービスについて、その当初は中国内でビジネスをすることを静観するが、同種の企業や製品・サービスが中国企業として成立すると西側の企業や製品・サービスを規制して中国資本の自国産業を守ってきた。
米国はドナルド・トランプ体制以降にこれらが非常に強く問題視され、中国携帯電話メーカーのZTEに端を発し中国へ規制を強める動きが本格化した。
前述した通り中国は同種の企業や製品・サービスが中国企業として成立すると西側の企業や製品・サービスを規制して中国資本の国内産業を守るため、Googleは中国内で度々規制の憂き目に遭っていた。
Googleが中国政府へ不満をつのらせていたのは明白で、米国法を遵守するとともに報復的な意図があったと推測されている。
ただし、前述したようにGoogleへ先に手を出したのは中国政府なので、一部で語られている「Googleは米国政府の言いなり」という様な意見は少々弱い。Googleには同調する十分な理由があった。
当然ながらファーウェイは中国政府による海外企業規制に助けられていた面もあるので、完全な被害者と判断するかどうかは意見がわかれるところだろう。
スマートフォン向け基本ソフトウェア(OS)のAndroid OSはその大部分が誰しもが無料で利用できるオープンソースなソフトウェアだが、Android OSと名乗るにはGoogleが定めるライセンスに則らなければならない。
そのライセンス取得にはGoogle Mobile Service(GMS)の工場出荷時状態からのインストールが必須だが、このGMSの大部分は非公開であるクローズドソフトウェアであり、GMSはGoogleの承認がなければインストールすることが正式にはできない。
GMSはAndroidアプリ開発において便利な機能がまとまっており、Androidアプリ開発者の開発労力を低減させるため、人気がある高機能で高品質のAndroidアプリではGMSの機能が当たり前のように採用されており、Android OSでないと人気のAndroidアプリが正常に動作しなくなる可能性が高い。
ファーウェイがAndroid OSを使えなくなるとはどういうことか?という疑問の答えの1つが「人気のAndroidアプリが使えなくなる」というものだ。
その他にもGoogleが正式に認証するAndroid OS向けのソフトウェア情報やセキュリティ情報、携帯電話本体のハードウェア開発に関わる情報も提供されなくなるので、ユーザーとしては便利に安全に使い続けることが困難になる。
ファーウェイがスマートフォンを製造できなくなる可能性は非常に低いと見られている。
それは前述したAndroid OSはオープンソースソフトウェアという部分が関わっており、Android OSのオープンソース部分をまとめたAndroid Open Source Project(AOSP)という存在があるためファーウェイがスマートフォンを製造できなくなることはないと思われる。
AOSPは様々なスマートフォン向けOS開発へ応用されており、一部報道でファーウェイが独自OSを開発するという情報が流れているが、ファーウェイはAOSPを利用して独自OSを開発すると思われる。
AOSPベースのスマートフォン向けOSはライセンスの兼ね合いでAndroid OSと名乗れないだけで、AOSPはOSの振る舞いとしては事実上Android OSと大きな差異はない。
ただし、問題となるのはAOSPへは前述したGMSが含まれないので、ファーウェイが開発するAOSPベースの独自OSでは人気のAndroidアプリが正常に動作しない可能性があるので、ファーウェイ製スマートフォンはコストパフォーマンスの高い人気のAndroidアプリが正常に動かないスマートフォンに成り下がるかも知れないのが問題だ。
ARM社はCPUアーキテクチャと呼ばれる、現在のコンピュータやスマートフォンの機械的中核となっているCPUの設計図を考え出している会社だ。
そして現在のスマートフォン向けCPUの大半がARMが考え出したCPUアーキテクチャを採用しており、CPU製造メーカーはARMへライセンス料を支払ってCPUを製造している。
ファーウェイのスマートフォンのCPUであるKirinシリーズCPUは、ファーウェイ傘下のハイシリコン社が製造しているが、このハイシリコンが製造しているKirinシリーズCPUはARMのCPUアーキテクチャを採用している。
つまり、ハイシリコンはファーウェイへKirinシリーズCPUを製造・供給できなくなっており、ファーウェイのスマートフォン製造が窮地に陥っているということだ。
ただし、CPUの調達価格は高くなってしまうがハイシリコン以外の西側の会社からCPUを調達したり、ハイシリコンからKirinシリーズCPUを例えばシンガポールで作った資本関係のない企業あたりへ権利移転して、ファーウェイが輸入するという3店方式のような方法がないわけではないので、直ちにファーウェイのスマートフォン製造が止まることはないだろう。
そもそもSDメモリーカードとは米国へ本部を置く非営利団体SD Association(SDA)が規格を策定しているメモリーカードだ。
SDAは米国へ本部を置いているため法律も米国法の影響下にありSDメモリーカードに関わる技術情報提供やライセンス料の受け取りなどに関して米中貿易摩擦の煽りを受けた形だ。
そして、ファーウェイがSDメモリーカードを使えなくなるのか?という疑問についてだが「SDメモリーカードは使えなくなるがMulti Media Card互換メモリーカードは使える」という回答になる。
この辺りに詳しくない者へ説明は非常に困難を極めるのだが、メモリーカードはこれまで様々な形式や規格が作られてきた。その中にMulti Media Card(MMC)と呼ばれるメモリーカードがある。
このMMCはライセンス料フリーで利用することが可能で、実は形状がSDメモリーカードと全くの同一である。
そして、MMCとSDメモリーカードの歴史的経緯でSDカードはMMCと一部の機能的互換性を持つという側面がある。
そのためライセンス料の支払いが難しいオープンソースかつコミュニティベースで開発されている一部のUNIX OSや一部のLinux OSではMMCに関しての例外的実装としてMMC互換メモリーカードが動作するのだ。
そのためファーウェイはSDメモリーカードが使えなくなってもMMC互換メモリーカードは使い続けることができるという見方が強い。
再度言う、SDメモリーカードは使えないがMMC互換メモリーカードは使えるのだ。
前述したように、中国の経済成長は西側の技術を用いて西側用へ最適化された製品やサービスを西側へ輸出することで経済成長してきたものであり、その経済成長の推進力は西側の知財によるところにある。
今回の中国はその推進力たる知財を人質に取られている状況であり、推進力を奪われれば中国経済が下降線を辿ってしまうのは難しい想像ではない。
そしてまた「中国を刺激するとGoogleに変わってBaidu、Amazonに変わってAlibaba、そういった中国発サービスが世界を取る」というような意見が稀に見られるが、今まで国際競争に晒されていなかったサービスが来年いきなり世界を取ることは有り得ないので、今回の米中貿易摩擦で懸念する問題ではない。
もちろん10年後や20年後はわからない。だがしかし、今現在の中国発サービスがGoogleやAmazonと対抗できるまで成長するには中国は西洋の知財がどうしても今現在必要なのである。
さらに言えば、中国は簡体字教育を推し進め過ぎていて既存のサービスは簡体字にしか対応していないサービスばかりであり直ぐに多言語化したり、現地法規やユーザー特性に合わせたサービスの微調整を直ぐにするというのは全く現実的じゃない。
例えば、簡体字で話す微博(中国のマイクロブログSNS)ユーザーがいきなり多言語に馴染めるとは思えない。というかむしろ中国在住人以外が微博を利用する理由が今のところない。
何故ならば当時の日本は海外企業を特に規制などは殆どしていなかったからだ。
当時はまだ自由貿易協定などが世界でも稀で、どこの国も輸出入へ関税を掛け自国産業を守ろうのすることが通例だったからだ。
そういった意味で当時の日本は海外企業へ対してあからさまな政治的意図のある摘発などをもって規制することは殆どしていなかった。
今回の米中貿易摩擦は価格の安さから起きた貿易摩擦とは違うと言える。
前述した通りそもそもの発端が中国政府による海外企業の冷遇なので中国は米国へ折れるしかないというのは米中双方が間違いなく理解している。
どこの国も自国企業の優遇はしている。しかしあからさまな冷遇をするのは可能な限り控えているのが通例だ(インフラ関連企業などで海外資本比率に規制を設けるなどの冷遇はどこの国もしている)。
つまり、決着は中国内における海外企業への規制緩和しかないのである。
中国側が簡単に負けを認めない理由が自国産業を守るためにどこまで海外企業への規制を緩和するか?というのを決めかねているというただ1点であり、この判断を誤ると中国バブルはすでにもう弾けていると言われている中で自国産業が急速に萎んでしまうから決めにくいのだ。
もちろん、そのようなことが起きれば習近平体制が揺らぐのは明白であり、中国政府としては非常に難しい判断をしなければならない状況だ。
西側で生まれたイノベーション企業や製品・サービスについて、その当初は中国内でビジネスをすることを静観するという習近平体制の今までの状況から考えるに、中国政府が取る選択は時間稼ぎである可能性が高い。
可能な限り時間を稼いで自国産業が可能な限り最小限のダメージで済むような方策を取ろうとしているところだろう。
ただ、米国もバカではないので、その中国の動きを察して段階的に規制強化をし圧力を強め、中国が持つ有限の時間を浪費させようとしている。
あまりにも中国側の時間稼ぎが上手く行き過ぎるとファーウェイは世界のスマートフォントップメーカーから転落する可能性がある。
しかしながらファーウェイが倒産するところまでは行かず、その前に今回の米中貿易摩擦は解決すると踏んでいる。
つまり中国側が白旗を揚げて海外企業への規制を緩和するということだ。
その後ファーウェイが今のように復活するというのは五分五分だと見ているが、ファーウェイが中堅やそれ以下へ成り下がっても、次はハイセンスかシャオミあたりがスマートフォンメーカーとして世界で注目を浴びるのではないか?と予想している。
オッポやヴィーヴォはあまりにも米中貿易摩擦が長期化すると煽りを食らって会社が傾いてしまうのではないか?とは心配になる。
最後に、中国はファーウェイが倒れても第2第3の中国企業がポストファーウェイとして候補に挙げられる程度にはまだまだ余力があるのだと記してこのエントリを終えたいと思う。
情報化社会への移行へ機敏に反応し、小学生の頃には既にパソコンを導入している家庭で育った。
青春時代はパソコン通信・インターネットと共に過ごし、本来の意味のホームページ、そして設置される電子掲示板、今からすると低機能なチャットでのコミュニケーションをアカデミック分野の人間ではない普通の義務教育過程学生としては比較的早期に体験していた。
ちなみに通信を介した今で言うオンラインゲームで一番最初に体験したのはメールでの将棋である。
幸いにも、当時から通信上で懇意にして頂いていた先輩諸兄とは現在でも繋がりがあり、一部の方々は当方の結婚式にまで参列して頂けるという、最早通信上の知り合いと言うには些か語弊があるような関係を持たせて頂いている。
当方のコミュニティで最近使われているコミュニケーションツールはSlack・Discord・Mattermost・Mastodonだ。
チャットツールが3つもあることに疑問を持つかもしれないが、プライベートな基本コミュニケーションの中心はMattermostであり、いわゆる「つぶやき」をするマイクロブログにMastodonが用いられている。
Slackは業務に使う者もおりプライベートではMattermostのサブ的な使われ方をしており、Discordはコミュニティの中で何らかのオンラインゲームをするときにボイスチャット環境として用いることが多い。
ここで多くの方々が「LINEやFacebookは利用していないのか?」と思うかも知れない。その疑問への答えとしては「アカウントだけは持っている」というものだ。
いや実際、一時期はコミュニケーションの中心にはFacebookがあった。XMPPを解したしチャットツールもFacebook Chatを用いていた。
日本でFacebookが紹介されるようになりユーザ数が増えると当方のコミュニティは居心地の悪さを感じてTwitterへ移行し、日本での第一次Mastodonブームの折、完全にMastodonへ移行してしまった。
様々なサービスを漂流することになってしまったが、当方のコミュニティが感じていた居心地の悪さの最大要因は「ITリテラシーの格差」である。
当方のコミュニティはパソコンを用いた通信の発展を見てきたコミュニティだ。
度々起こるインターネットコミュニティでの諸問題を遠巻きながらも目にし、世代交代のためかそれら諸問題が起きたという事実は継承されず、何度も何度も同じような問題を目にしてきて非常に疲れた。
例えばTiktokで問題視されていることの殆どはニコニコ動画で経験したことどころか、メル友ベル友時代に起きていたことだ。
むしろ当方のコミュニティメンバーの中には「ペンフレンド時代にも似たようなことが問題視された」と言う者も居り、その時代を経験していない当方は詳しくないが、卑猥な写真を郵送させるなどの問題があったらしい。ペンフレンド宅へ家出する青少年も居たと聞いた。
「当時とは時代が違う」と言うのは容易い。しかし当方のコミュニティから見ると「またか・・・」としか言いようがない姿に見えてしまうのだ。
当方のコミュニティでは過去に草の根BBSや2ちゃんねる、ニコニコ動画、オフライン上でも保護者会やPTAなどでもインターネットの認識や使い方などを訴える活動はしてきた。
情報化社会の中で子供たちへ「携帯電話を持たせない」「インターネットを使わせない」という成長を生まない極論地味た思考停止な手法は推奨せず、子供たちへインターネットのメリットとデメリットを伝えて将来のために活用していこうということを基本方針として伝えてきたつもりである。
しかしそれでもなおインターネットでは諸問題が起き、それへの対策が○○の禁止という当方のコミュニティの努力が何も実を結ばないという結果を見ることになった。
当方のコミュニティはいつも言う「あなた達の世代もインターネットで失敗したはずだ」「あなた達はなぜインターネットで失敗したのか?」「当時の感情を思い出し、あなた達の子供たちの感情へ理解を示すことはできないか?」「理解を示して子供たちと話し合うことはできない?」と。
子供だけではない。
NIFTY-Serveでゲリラ的に他者の揚げ足を取ったり、オフラインでは無かったことにされるような失言へ対して人権問題だと騒ぎ立てBBSの空気を悪くしたり、特定の人物へ異常なまで固執しEメールを送信しまくったり、あまつさえ失言録のようなWebページを作成して晒し上げたりなど、今でも通ずるような悪意を当時から振り撒かれていた。
当方のコミュニティはそんな悪意をもう見たくはない。そんな無理解を見たくはないのだ。
情報化社会は当方のコミュニティが過去に夢見た時代へ少しずつでありなからも進んでいる。あらゆるものが通信によって連携し人々の生活を豊かにしている。
しかし当方のコミュニティが見た夢の中には繰り返される悪意などなかった。問題が起きても人と人が協力しあって解決するだろう。すべての人が通信によって繋がれば大きな集合知によって解決されるだろうという夢であった。
「またか・・・」と感じ、どうにか解決できないか?と動いているコミュニティは当方のコミュニティだけでないと信じたい。
そしてどうにか繰り返される悪意を無くす協力をして欲しい。
「ネットマナー守って」の難しさ 今のSNSが生きづらいワケ (3/3)
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1808/16/news024_3.html
私が理解できていないのか、なんなのか。
前半は同意できるが、後半の各自でフィルタリングという論は同意できない。
自分が本当にその話題に触れる必要があるかという判断力と自己フィルタリングが大事というのは分かる。
しかし、下記までいくと言い過ぎではあると思う。
SNSにおける最も無粋な発言は「私が不快だからあなたのその発言やめてもらえませんか?」だと思ってます。マイクロブログサービスTumblrで見た受け売りですが「アウトプットはどんどんやるべし、フィルタリングは各自でやるべし」がインターネットの世界においては正しいと思っています。
ローカルマナーが通用しない世界だからこそ、「アウトプットはどんどんやるべし、フィルタリングは各自でやるべし」が通用ないこともあると思う。
私は2chというサービスが前時代的であると繰り返し主張してきた。そもそも2ch設立当初から別段新しいサービスではなかった。ただの掲示板。規模が大きいだけ。
規模の点で他に代わるサービスがなく人が多いから続いてるだけ。
まあひろゆきの運営理念が優れていたというのも多少はあるんだけど。それも最近のひろゆきを見ていると迷走している感がぬぐえない。2ch.scを作ってサーバー攻撃したり、なんだかなあと。
ひろゆきの2ch本には2chはフラットに情報提供するサービスと書いてある。ハッキングから夜のおかずまでというキャッチフレーズや便所の落書きという2つ名のとおり
何でもありの投稿スペースなわけだが、それはあくまで建前であるということに注意が必要である。
ピットクルーを始めとするプロ工作員の暗躍によりスレの流れが決まっている事実を挙げるまでもない。そもそもあのようなコミュニケーション形態自体とてつもなく閉鎖的で限界があることに
私たちはSNSやマイクロブログといった新時代のコミュニケーション形態を目の当たりにする中で繰り返し気づかされてきたのである。
何らかのテーマのスレを覗いてみると立ち所にそのことが再確認できる。スレの「総意」という名のノイジーマイノリティが跋扈しており、決して「フラット」とは言えない代物であることが分かる。
しかも、その原因が単に日本特有の同調圧力といったものには帰着できないことも言う迄も無い。そもそもが、「閉鎖的になるしかない」ようにわざわざ作られているのではないかと勘ぐりたくなるほどに
"コミュニケーションアーキテクチャ"という言葉はこれからのITサービスを語る上で欠かせない新しい専門用語である。旧来の「情報アーキテクチャ」という概念はもっぱら情報をいかに整理して伝えるか、
という表現者の視点が暗黙の前提となっていたが、コミュニケーションアーキテクチャでは表現者をも超越したメタな視点でものを見る。言うなれば合コンのセッティングのように
いかに場を用意するかという視点とも言えよう。
実は同様の概念は芸術分野において1990年前後から存在した。"アートプランニング"という概念である。いかに芸術家たちが意匠に沿って気持ち良く表現しやすい展覧会を開催するかという超越的視点。
その開催者の視点に立って戦略指向を練るのがアートプランニングなのだよ。日本では大阪芸術大学の芸術計画学科が有名で多数の人材が輩出されているな。
ひろゆきも昔はアートプランニング的視点では群を抜くものがあった。少なくとも1冊目の2ch本を出した頃のひろゆきは高い視点で捉えていたし「フラット」などという建前を掲げて理想を語っていた。
それが2冊目ではゴーストライター使うわ、近年では2chというサービス自体を古いとみなしている節があるわで、これじゃもう2ch終わったなとしか言いようが無いわけです。
古いなら変えよう、あるいはゼロから新しいものを作ろうとすればいいのに、気にくわないことをやりだした現2ch運営に嫌がらせしたりと肝心な部分で悪い意味で保守的になっちゃってるのね。
2chの衰退の直接な原因はこうしたひろゆきの衰えであるが、もっと抽象化してみると誰一人としてコミュニケーションアーキテクチャを考えようとしない、そこに根本問題があるわけです。
「技術者はデザインを考えない」「使いやすさを考えない」という言い古された批判がある。ITアーキテクトの重要性が叫ばれて久しいが「使いやすさ」に配慮した製品がいかに稀少かは周知の通り。
でもこれはもっと高い視点を要する問題なんですよ。UXなんて言ってますけどそういうことばかり新しがって言ってる人はもう脳みそが古いの。
はてダとココログがブログサービスのトップを争う…そんな時代もあったのだ…。
はてなダイアリーが1位、ココログは前月比3倍〜ブログユーザー数調査
ココログ開発者の伊藤直也が、はてなに移って作ったのがはてなブックマークだったりとか、何かと因縁が深いよね。
↓
いまやブログサービスなんか全く流行らないけど、はてなブログ頑張れ。
リテラシーの低い一般人はmixi、リテラシーの高いマニアははてな、みたいなことが言われたり言われなかったり。
カンブリア宮殿では夢の共演も。
↓
mixiもはてなもインターネッツの主役たりえずフェードアウト。
ウヨク色の強い2ちゃんねる、サヨク色の強いはてな、という対比があったりなかったり。
↓
村長の活躍もあって、いわゆる「はてな村」から「はてサ」は切り離された気がするね(全体的に左寄りなのは変わらないとは言え)。
あと単純にネトウヨネトサヨなどと区別できる時代でもなくなった。
ソーシャルブックマークサービスとしては、livedoorがいちばんのライバルだったのかな。
↓
ソーシャルブックマークの市場は二人も入れるほど大きくなかったね。
お疲れ様でした。
はてなキーワードのパクリだけど、正直、はてなキーワードより上手く活用されてると思う。
↓
「Wikipediaほど真面目ではない事典サービス」の地位をはてなキーワードから奪取。
「URLを共有する」という点ではてなブックマークと大々的に衝突した。
↓
はてブはTwitterに寄生(Twitter連携)することで何とか生き残った。
↓
「独自アルゴリズムとか言ってはてブをそのまま流してるだけじゃねーか」
などと批判されつつも、KDDIから資金調達して大々的にTVCMを流している。
対抗してはてなも「Presso」とかいうニュースアプリを出す模様。
↓
以下は、私がmixiの「友人まで公開」日記に載せたものが元になっています。読みづらい箇所や語調の不統一などもあるかと思いますが、最後まで読んでくださると有り難いです。
2011年3月11日、東北関東大地震発生。ソーシャルメディアはブログからSNS、そしてツイッターなどマイクロブログと一般に広がっていきました。今回の大震災、特に福島原発事故での情報においてツイッターの果たした役割はどうだったでしょうか。本来は正確で偏りのない一次情報が期待されるソーシャルメディアなのですが、実際には超強力な
として機能してしまったのです。911の時は正確な一次情報を伝達したソーシャルメディアが、311ではそうなりませんでした。それどころか、従来マスメディアと同様に嘘、偽り、大げさ、憶測に基づいた情報が即座に、それこそ秒単位で拡散し、人々を不当な恐怖に陥れたのです。
極めて鋭い分析。震災発生から10日後の記事ながら、以後その通りに事態は推移している。
ネット上でウワサがはびこるのは、現状が正確に伝わっていないことが一番の原因のようだ。直接足を踏み入れると、ネット上の情報とは大きく乖離(かいり)した現実があった。
顕著なのは次の一例。
片山善博総務相は3日のNHKの番組で、東日本大震災で日本赤十字社に届いている義援金の被災地への分配について「政府で何らかの目安をつくり、早めに配れるような基準を示したい」と述べた。日赤と関係自治体間では調整に時間がかかるため、異例ながら政府が差配することになった。片山氏は「本来は自主的に民間団体や関係県で配分額を決めるのが一番よい。政府の介入はできるだけ避けたい」と述べながらも、「青森県から千葉県に至る被害があり、(当事者間で)どう配分するかは非常に難しく、うまくいかないようだ」と指摘した。
本来は赤十字と各県の当事者で協議し分配すべきだが、被害地域が余りに広汎なのでそれでは時間が掛かる、だから政府が分配に介入する、というもの。義捐金がなるべく早く分配されるようにするための、被災地のための措置だ。しかし、これを影響力のあるバカが曲解し、曲解が拡散した。
56万人のフォロワーを有する宇多田ヒカルのこのツイートを、100+人(数万人!?)がリツイートし、数十万人の目に触れた。そしてこれをネットメディアまでもが取り上げ記事にした。
ここまで拡大すると、バカの連鎖はもう断ち切りようがない。そして、フォロワー100万人を有する孫正義の発言はより有害だった。
100億円の寄付は立派だったが、これは最低だ。自分が影響力ある素人であることを自覚せず国民を煽動するのは、百害あって一利ない。素人感覚の政策提言が如何に危険かを、国民はこの1年半で民主党から学ばなかったのだろうか。
自分の頭で考えることなく、音楽家は原発に反対することが使命だと勘違いしている、最も滑稽な例。
現在も盛大に進行中の流言飛語は壮大な共同犯罪であり、誰か一人の主犯を特定することは出来ない。しかし、少なくとも最大の元凶の一人は間違いなく上杉隆だ。
27日の東電の記者会見で、3号炉についての資料が配られたときに、私はプルトニウムについて書かれていなかったので、おかしいなと思い「3号炉でプルトニウムについて検出されていないというのは本当ですか?どのくらいの期間、検出されていないのですか?」と聞いてみました。東電は「検出されてない」と回答したので、「もしかして検出していないんじゃなくて、測ってないのではないですか?」と確認したところ、うわっとなって、結局、測っていないのでもなくて、そもそも計測機を持っていないということがわかったのです。
記者会見では、何でプルトニウムについての記載がないのかを東電の広報担当者も記憶していなくて、咄嗟に「検出されてない」と答えてしまったが、よくよく調べたら計測していなかったということだろう。嘘と言えば嘘かも知れないが、大した問題ではない。
東電の社長はどこにいったのか?ということですね。〔…〕会見では嘘をついていたんですよね。前々から入院という噂は出ていましたが、実は過労で休んでいた。今度は、それを入院と偽っているという。全部、ウソ。これらが象徴的ですね。
社長の所在がそこまで大問題だろうか。
数日前の深夜、Ustreamで東電の記者会見の生中継を見たが、完全に糾弾と吊るし上げの場になっていた。記者たちはネチネチと追及し、東電は平謝りという構図。東電は戦場にいるようなものなのだから、資料の記載漏れとかその場でパッと答えられないこととかは、幾らでもあるだろう。それをああも糾弾されたら、東電が極めて臆病になっても無理はない。臆病になればついついその場凌ぎの受け答えに逃げたくもなる。上記の2つの事例については、そういった背景も考慮すべきだろう。
地震が起きた後のその早い段階で、政府やメディアは「安心、安心」と言っていましたが、私は、2日目にメルトダウンの可能性がある、と言いました。なぜならば、当時、ニューヨークタイムズもワシントンポストもメルトダウンの可能性があると書いていたし、フランスの新聞社やイギリスのBBCもそう言っていた。だからメルトダウンの可能性もあるから最悪の事態を想定して対応するべきだと言った。
今回、海外メディアがどれほどデタラメだったかは以下の記事を参照。
避難地域も指定していなかったから、30kmまで広げるべきだと言った。実際に、大丈夫だったら、範囲を戻していけばいい。しかし、政府は逆をやっている。だから、これはおかしいからやめた方がいい、と言い続けた。
避難指示には効果と弊害があるため、避難区域の設定には慎重でなければならない。住民の健康被害を予防するためにやや広く設定すべきだが、余りに広く設定し避難する必要のない人まで避難させると、徒に不安を煽るだけでなく農工商などの経済活動に打撃を与えることにもなる。
リスク管理はイエスかノーかでやっちゃいけない。絶対安全を求めると、むしろ全体のリスクが増大することがある。一つのリスクを減らそうとすると、別のリスクが出てくる。だから異種のリスクを定量的に評価して、その間のバランスを、ほどほどのところに求めるってのが、リスクベネフィットの考え方なんだよね。
それでも結局、避難区域が、2kmから3kmになり10kmになり20kmになり、そして30kmになった。アメリカは50マイル=80kmの避難指示を出しているのに、日本人は今のままで大丈夫だと言う。この件については、一週間前に、一度、枝野長官に質問したんです。「日本では避難区域が30kmですが、他の国は80kmと言っています。これでは30km~80kmに住んでいる日本人は不安になるんじゃないですか。私は日本政府を信じたいから、今、オバマ大統領が会見で80km避難指示を出しているけれど、もし自分たちの判断が正しいと思うのであれば、アメリカ政府に抗議をしてください。日本政府として。そうじゃなかったらおかしいでしょ?」と。すると、枝野長官は「日本の評価と世界の評価は違います」と言ったんです。私は「そんなはずはないでしょう、原子力で(苦笑)」と。
福島第一原発の事故に伴い、米政府が原発から半径80キロ圏内に住む米国人に避難勧告を出した根拠は放射線量などの実測データに基づくものではないことがわかった。勧告の根拠となった米原子力規制委員会(NRC)の勧告は、仮想の事故シナリオによるものだったという。NRC幹部が7日、外部の専門家で構成される委員会で語った。
先月16日に出されたアメリカ政府による80キロの退避勧告は、日本政府が出した20キロから30キロという退避勧告とは大きく違ったことから多くの疑念や不安を呼びました。
Japan's 12-mile evacuation policy appears "sufficient to minimize public-health impacts," based on available data concerning radiation and dispersal, Mr. Kerekes said.
Rep. Ed Whitfield (R., Ky.), chair of the House Energy and Power Subcommittee, told Dow Jones Newswires that "Japan had the expertise to deal with this issue and they had the scientists who understood nuclear energy," but added that the U.S. has "a right to be involved to protect American citizens and do what we want to do."
原発の80km圏内からアメリカ人が全員避難したとしても、日本及び地域経済への打撃はないに等しい。また、たとえあったとしても、他国の経済のために自国民を(極めて低いとはいえ)危険に曝すわけがない。自国たる日本と他国たるアメリカとで避難区域の設定に相違が生じるのは当然だろう。
またその翌週に「間違っていたじゃないですか。30km以上の範囲でも放射性物質は観測されているし、東京に放射性物質は絶対に来ないと言ったのに来てるじゃないか。政治は結果責任だから、それはきちんと謝るべきだ。訂正しろ」と言ったら、「そんなことはない」と言う。さらに「30kmどころか40kmポストでも出ているじゃないか。ちゃんと訂正しろ」と言ったら「ちゃんとペーパー(書面)で出してください」と言われた。
「30km圏外でも放射性物質が観測された」と「30km圏外でも健康に直ちに影響を及ぼすほどの放射性物質が観測された」は全然違う。そんなことを言ったら、福島の原発事故による放射性物質は海外でも観測されている。
結局、政府や東京電力に都合のいい情報を入れている、というのが一番危険な状況。最初から「最悪の事態もあり得ますよ」と言っている人はメディアには出られない。ただ、可能性を言っているだけなのに、そういう状態は異常です。
戦慄するほどの陰謀論だ。
東京電力だけがいろいろと隠し事をしているわけではないようにも思えます。保安院や政府も結託して、我々一般国民にさまざまなデータ隠しをしようとしているように思えてならないことが多いのですが、こと放射線に関しては測定器が広く行き渡っていることもありますし、積極的に自ら集めたデータを公開する科学者もどんどん増えてきている昨今ですので、どんなに隠してもほとんどのことは数時間から遅くとも数日のうちには暴かれてしまいます。ここは姑息(こそく)な隠し立てをすることなく、すべてのデータを迅速に公開し、国民が一致団結してことに臨むというのが唯一の正しい対処方だと思います。早速、明日の朝から姿勢を変えていただきたく思います。
しかし、この記事でデータが利用されている東大教授の早野龍五(前回の日記でも登場)は、「3/15朝から現在に至るまで、原発から大気への大量放出は起きていない」と断言している。
また、早野はこうも呟いている。
(データを見る.あれこれ見る.いろんな人が測ったデータを多角的に見る.すべてを統一的に騙すようにデータを捏造することなんて出来ません.しっかり見ていれば,嘘があったとしても,いずれバレます.)
一見するとガジェット通信の論調と同じだ。しかしここ数日の文脈からして、早野は恐らく「データの完全偽装なんて無理なんだから、懐疑精神は大事だけど、そんなに疑心暗鬼にならなくても大丈夫」ということが言いたかったように思われる。
ちなみに、早野の一連の呟きは-Togetter - 「@hayano 氏による連続tweet - 福島で 3/15に何が起きたか?」に纏められている。
この独自措置の根拠になったと思われるのが、次の記事。-グリーンピースも似たような提言をしているが、ここまで断言していない。
東京電力福島第1原発の事故で、高濃度の放射性物質が土壌などから確認された福島県飯館村の汚染レベルが、チェルノブイリ原発事故による強制移住レベルを超えているとの試算を、京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子炉工学)がまとめた。
福島第1原発の北西にある福島県飯舘村の一部の地域では、屋外にいると約3カ月で推計最大95ミリシーベルトの被曝(ひばく)線量になり、避難や屋内退避が必要だとする調査結果を今中哲二京都大原子炉実験所助教(原子力工学)らがまとめた。
福島第一原発事故により土壌が汚染された影響で、原発から30キロ圏外の福島県飯舘村では爆発から3カ月後も、最高地点では平常時の約400倍の放射線が出続ける可能性のあることが、京都大や広島大などのチームによる現地調査で分かった。この3カ月間の放射線の積算量は、国が避難の目安として検討中の年間20ミリシーベルトを超える値だ。国などの測定でも、汚染は30キロ圏内外で確認されており、今回の調査で汚染地域が不規則に広がっている実態が改めて浮かび上がった。
京都大原子炉実験所の今中哲二助教(原子力工学)や広島大の遠藤暁准教授(放射線物理学)らは3月下旬に飯舘村を訪問。村内5カ所で深さ5センチの土を採取し、セシウム137などの濃度を分析した。調査地点は全て30キロ圏外で、道路沿いの集落を選んだ。
すべて京大助教の今中哲二の調査。この今中なる人物、どうも胡散臭い。-J-GLOBALの研究者情報によると、1950年9月生まれの60歳。理系業界には疎いので断言は出来ないが、途中どこかの企業で研究していた形跡もなく、60歳の助教でさしたる研究業績なしというのは研究者としての実力をかなり疑わせる。また、原子力安全研究グループHPでは、今中の主要業績として『反原発新聞』への寄稿を紹介していることなどからも分かるように、明らかな反原発論者。今週末にも「周辺住民の避難拡大!脱原発への転換を!4・9緊急大阪集会」で講演したという。
つまりどこをどう見ても、政府やその他多くの研究者よりも公正で信頼できる情報を提供できる人物とは思われない。問題は、こんな人物の情報が政府発表よりも説得力を持ってしまっているということにある。
震災以来、複数のメディアでコメントしている東京女子大教授の広瀬弘忠は、去年5月に興味深い解説をしている。
現代人は今、危険の少ない社会で生活している。安全だから、危険を感じすぎると、日常生活に支障が出てしまう。だから、危険を感知する能力を下げようとする適応機能が働く。これまでの経験から「大丈夫だ」と思ってしまいがちだ。これが「正常性バイアス」と呼ばれるものだ。強い正常性バイアスのために、現代人は今、本当に危険な状態でも「危険だ」と思えない。チリ大地震の津波が押し寄せているのに、見ているだけで逃げない人の映像が日本でも流れた。強力な正常性バイアスの例と言える。
この解説そのものに異論はない。しかし、上記の文章は次のように書き換えることもできる。
「日本人は今、1ヶ月前に比べて危険の多い社会で生活している。危険だから、安全を感じすぎると、日常生活に支障が出るかも知れない。だから、危険を感知する能力を上げようとする適応機能が働く。この1ヶ月間の経験から「大丈夫じゃない」と思ってしまいがちだ。これが「異常性バイアス」とでも呼ぶべきものだ。強い異常性バイアスのために、現代人は今、本当に安全な状態でも「安全だ」と思えない。被災地以外では食料が不足していないのに、不安のあまり買い込んでしまう人の映像が日本中に流れた。強力な異常性バイアスの例と言える。」
このように、現在の日本では「正常性バイアス」と逆の「異常性バイアス」が作用しているように思われてならない。広瀬は「正常性バイアス」にしか言及していないため、あたかも人は安全を感じ過ぎることはあっても危険を感じ過ぎることはないかのようになっているが、そんなことはないだろう。「正常性バイアス」にせよ「異常性バイアス」にせよ、人が周囲の状況に惑わされ判断を誤ってしまうことでは同じだ。そのことは広瀬も認めている。
東京女子大の広瀬弘忠教授(災害・リスク心理学)は「大地震が起こると、被災地より周辺でデマや流言は起きやすい。『この先どうなるか分からない』という不安に支配されている」と分析する。
東京女子大学の広瀬弘忠教授(災害・リスク心理学)は「被災地で厳しい状況に置かれており、普段から抱いている不安や恐怖が流言として表れている。メールやインターネットの普及で流言が広域に拡大するようになった。行政は一つ一つの事実を伝えることが大切で、個人は情報の発信元を確かめ、不確実な情報を他人に流さないことが必要だ」と指摘する。
ガジェット通信は先日、後述する日本気象学会理事長のコメントをこう批判した。
確かにでたらめな情報は困りますが、まったく情報が出てこない状態というのも困ります。理事長メッセージから想像するに信頼できる気象観測データの収集が難しい状態なのかもしれません。しかし、放射性物質による汚染に関しては「今、どのような状態にあるのか」「これからどのようになるのか」についてしかるべき情報が示されないと、いつまでも不安が拭い去れないのではないでしょうか。また、情報公開できないのであれば、何故公開できないのか教えて欲しい。その「公開できない理由そのもの」もひとつの大事な情報です。「一般に伝わらない」ところでは、議論がおこなわれているのでしょうが、その議論の過程だけでも公開してもらえれば、安心につながるのではないかと思います。
ガジェット通信に限らず、現在日本の至るところで見られる意見だ。「政府や東電はより多くの情報を公表すべきだ」と。しかしここには、人は与えられる情報が多ければ多いほど正しい判断が出来る、という大いなる幻想がある。
被災者でなくとも、人が情報の収集と分析に用いることの出来る時間や手段は限られている。また、たとえ時間と手段があったとしても、その情報が正しく信頼できるかを判断するには専門の知識と訓練が必要だ。情報を収集分析するための知識も訓練も時間も手段も乏しい大多数の人が、正しい判断を下すことは極めて難しく、何も決断しないどころか周囲の状況に惑わされ判断を誤ってしまう。
与えられた情報が多過ぎると正しくない情報と正しい情報を仕分けするのが大変です。
冷静に。正確に必要な情報を手に入れて正しい行動をとって頂きたいと切に願います。
つまり、過剰な情報が「異常性バイアス」を強化し、不安やデマを拡大させてしまう。より多くの情報公開が不安やデマを解消する、という通念は全くの幻想だ。