カテゴリー 「廃人日記」 RSS

2024-04-27

[] 2024-04-27

今日美容院に予約している。もう長年行っているところなので常連だ。

といっても美容院人員は移り変わっている。ある人は公務員になってやめてしまった。

から指名」なんてシステムは大して機能しない。毎回安定したスタイル提供するようなこともなく、辞めてしまうからだ。

美容院では、話を積極的にかけてくる美容師と、そうでない人がいる。そうでない人のほうがありがたい。

俺は世間話をするといらぬことを言ってしまうからだ。

「宮くんって知ってます?彼と同級生でしょ?あの人も美容師やってるよねー。彼と仲いい?」という話をかけられたときは、

「彼のようなスポーツが得意なタイプは苦手です。私達は地味なので、中学生の時は彼のグループにジミーズと呼ばれていました。」と、いらぬことを言ってしまった。

美容院といえば、不思議なこともあった。

私が精神錯乱状態とき自由自在に髪を伸ばせる魔法を使えたことがあった。その魔法を使いすぎてとんでもなく髪が伸びきってしまったのだ。

そのとき美容院へ行ってカットしたが、さすがの美容師も「なんでこの短期間にこんなに伸びたんですか」と驚いていた。

まあ美容院へ行くときは高確率精神おかしくなっていることが多い。今回は大丈夫そうだが、いらぬことを言わぬようにしたい。

2024-04-25

[] 2024-04-25-2

GWが近づいてる。去年のGWでかなりトラウマになる体験をしたので、睡眠薬は常備してる。

どういうことかというと、まず文字通り「一睡もできなくなる」という状況を1週間ぐらい続けた。なぜか覚醒して寝られなかった。

徐々におかし体験をするのだが、

など様々な異常な体験をした。これが恐怖なので、今回は医者からもらった睡眠薬は常備している。

立て続けに異常な幻覚体験すると、シミュレーテッドリアリティや多世界の一つや二つ、信じてしまいそうになる。

今回のGWは、適度な運動をして寝られるように整えようと思う。もしかするとインドカレー屋のスパイスが良くなかった可能性もあるのでインドカレー屋には行かない。

[] 2024-04-25

最近は専ら朝型人間として生活している。

早寝早起きをして、朝食をたくさん食べる、5分のランニング冷水シャワー掃除換気、勉強、これを全部早朝に終わらせる。

仕事は午前のうちに全力疾走する。午後は怠ける。今日も8:30から10:00の間にやるべき仕事をすべて終わらせた。

午後4時からスケジュールを設定しようとしたが、やはり気力の限界があった。

オンラインゲーム筋トレをやる気力は午後にはない。

YoutubeTVシリーズの鑑賞など、受動的なことなギリギリできる。

最近お気に入りは「このすば3」だ。コメディアニメは見ていてスッキリする。

異世界転生系はお笑い要素がないとつまらない。「チートスキルを使って真面目に無双してモテモテです」ではダメ

最近アマプラで笑える作品を見ている。Jimmy Yangのコメディショーはかなりおすすめだ。

 

追記:

ところで日本アニメありがちな「崇拝者の数だけ強くなる神」という偶像崇拝観だけは嫌いだ。このすばの嫌いな点である

2024-04-16

[] 2024-04-16

健康診断へ行った。

何度も行ったことのある病院なので道は間違えないと思ったが間違えてしまい、Google Mapをみたら1km以上も離れた場所にいて走らなければならなかった。

一方海の景色は非常に爽快だった。普段ひきこもっているので自然景色は刺激になる。

健康診断ときにわかったが、俺はどうやら目が悪いらしい。メガネを買うように勧められた。

さて、帰って仕事後にネトゲをやったが、ゲーム内の金集めの方法がわかってきた。要するに物を売ればいいのだ。

資源を集めて加工して売ってもいいし、ダンジョンで受け取ったアイテムを売っても良い。

なんかこれじゃあソルジャーと言うよりは商人だな。サンドボックスゲームからこう進めないとだめというルールはないはずだが固定的な攻略法になってしまうかもしれない。

ネトゲ時間を決めてやらないとダメだ。例えば「水曜の午後はアルビオンの日」と決めておけば、他の日の午後にコミックを読んだり映画を見たりできる。

そこで以下スケジュール作成することにした。

曜日時間余暇にやること
コミックを読む
筋トレ
アルビオン
筋トレ
アマプラTVシリーズ視聴
マクドナルド
本屋

2024-04-15

[] 2024-04-15

最近、いくつかの作品書籍を視聴したり読んだりして「自分らしくあれ」という助言があるのだけど、自分らしさってなんだろう?

子供の頃の素の状態自分らしさだとするとキチガイだし、かといって今の自分らしさと言ってもわからないし。

ただ自分の癖としてすぐに誰かを真似してしまうというのがあるかもしれない。ヤングシェルドンのシーンを借りるなら「偉大な科学者の真似をして、ユダヤ教に入信しようとする」みたいなこと。

自分自身精神人格の根源はなにか。あるいは祖父母や両親が教えてくれた事を覚えているだろうか。

楽しいことを考えて生きる」が最近の母の口癖だ。母が俺に言ったことの中で最も印象に残っているのは「あんたの身の回りに起こる出来事あん自身が起こしているんだよ」と。

この母の助言は、俺が学生の時覚醒状態にあって眠れず、その状態で友人のBBQパーティに行って錯乱して喧嘩したときのことだ。

グッドオーメンズでアダムがその強大なオーラを纏っていることを自覚せず、でたらめな陰謀論を単に実在すると信じるだけで現実にしたようなものだろうか。

なぜ世界は、精神薄弱や錯乱状態を俺の中に生み出しておいて、その中で「自己」について助言するのだろう。

覚醒して全く睡眠ができずてんかん発作で気絶したとき、一体誰が俺の苦しみについて理解できたというのだろう。

リーナス・トーバルズが「Just For Fun」といってLinuxを開発していたように、俺も楽しむことを人生の中心にしたほうがいいだろうか。

時々、本当にマトリックス世界があるのではないかと疑ってしまうことがある。たくさんエネルギーを使わせて、電池として消耗しているわけだ。

しかエネルギーを使わなければ楽しむことはできない。自分を変えなければ、怠け者から抜け出すことはできない。

努力」に対する俺のトラウマ「教育」習い事」などに対する発狂的なヒステリーとして記憶されている。それは邪悪悪霊のごとく、子どもたちの笑顔を奪ってきた。

から俺は成長してからストールマンの言うようなハッカー観、好きなことに熱中して習熟するという価値観を大切にしてきた。

しかし肝心の「好きなこと」が好きではなくなる感覚最近は感じられる。

プログラミングが好きだ。しか仕事としてそれをやり続けると義務感に押しつぶされそうになり、趣味からは遠い存在になっていくのを感じる。

結局、物事シンプル説明がつく。つまり自分を見失っているのは、仕事で疲れているからだ。強制労働させられていた歴史上の奴隷は生きていく上で「自分らしさ」を感じただろうか。

旅に行く勇気はないが、ちょっとした散歩をして、その範囲を広げてみるといいかもしれないな。そのぐらいの気晴らしが俺には必要だ。

2024-04-14

[] 2024-04-14

一度習慣化するとそれが継続やすいようだ。散歩のためにマクドまで歩いて行く、という習慣が身についてきた。

こうでもしないと外出しないのだ。引きこもる時間が長すぎる。

ところで古から伝わるように「運動」や「冷水浴び」は自制心を訓練できるらしい。

日見動画でしきりに「自制心のプラス面」が語られていたので、それを高めたいと思ったのである

といっても自分の自制心に自信があるときもある。

多くの人は「リモートワークだと怠けてしま仕事にならない」というが、俺はリモートで働き続けてこちらのほうが生産性が上がっている。

しかしそれは仕事上での自制心の話だ。例えば「朝早く起きる」というたったこれだけのことが難しくなってきている。

7時にアラームが設定されているが、実際に起きるのは2回めのアラームの8時20分だ。

スケジュール時間単位で設定したほうが良いとも思う。あと活動を完全に朝型に切り替えたほうが良い。

午後は仕事が終わったあとはもうリラックスタイムにしたいのだ。朝勉強する気力はあるが、仕事を終えてから勉強する気力はない。

かに転職する気はないのでこんな努力をしても給料は上がらないだろう。

なぜこんなことをするのか。幸福感を感じて生きるには、一定の活力が必要だと考えたからだ。

部屋にひきこもってばかりだとどんどんと悪い方向に思考が行く。それを止めたいのである

時間やること
6起床
6-8食事/歯磨き/着替え/冷水シャワー/ランニング/読書(or勉強)
8-8.5タスクメール等のチェック
8.5-15.5仕事
15.5-自由(食事, 家事, 風呂, リラックス)
21睡眠

[] 2024-04-13

夜ふかしをして以下の動画をみた。

Roy Baumeister: Free Will, The Self, Ego, Will Power

https://www.youtube.com/watch?v=aXoK-C2c2AQ

収穫があったと思うのは、まず自由意志というものがあるなら、それはランダム性とは関係がなく、また生きていく上で便利なものであろうということ。

例えば大統領演説原稿を書くという作業があるとき自由意志が使われるなら的を射たものであるはずだ。

自由意志関係がありそうなものとして「意識的努力」と「自動操縦」について話しているが、

意志力が強いと言われる人の多くは習慣化能力が高く、それは自動操縦的であり、意志力が高いわけではない可能性があるという。

では意志力を要する「意識的努力」がどこで使われるかというと、例えば「計画」という作業には意識的努力必要だが、これは将来的に行われるであろうタスクエネルギーを減らすために行われることが多いという。

一部の科学者は人々に対して「自由意志存在しない」ことを説得しようとしているが、実用的に見るとこれは逆効果だという。

どういうことかというと、自由意志存在すると信じていれば悪さをする可能性が減るわけである

自由意志が無いと考えれば「コントロールできない、なら悪さもしょうがない」と考えてしまうわけである

自我の枯渇」という点は興味深い話だが、要するにタスクをこなせばこなすほど消耗し、自制心は減っていくということだ。

このため、意識的努力をするためには、十分なエネルギーを残している必要がある。

「自制心」と「知性」は基本的に向上させればさせるほどよく、マイナス面が無いという。

 

この動画をみたあとでも、私の宗教観は揺るがなかった。

まり意識とは存在する意味の一つであり、意識を持った主体がこの世に存在しなければ宇宙存在無意味である

そして自由意志は、意識の持つ機能の一つである。予め決められた通りの人生決定論的に歩むなら、それもまた存在の意義を失わせるに違いない。

目的論的にみて、意識自由意志は神が与えた存在の意義の一つであると思うわけである

2024-04-13

[] 2024-04-13

大きなタスクを終えたと思えば、また大きなタスクが降り掛かってきて疲れる。

しかも俺がいくらタスクを早く(または質を高く)終わらせても給料は変わらない。

そういえば休職中は経済学を学ぶなどインプットが捗ったが、最近はそういう捗りがない。

ゲームなどの娯楽をやって気晴らしできないか、そう考えることもあるが気力がない。

部屋にこもって趣味っぽいことをやるよりも、なんとなく外を散歩することが増えている気がする。

「何かを食べる」というのは散歩の口実だ。食べるものがあれば、とりあえずそこまで歩いていこうとすることができる。

その途中で本屋に寄ることもあるが、やはり買う気がしない。読書をする気力がないのだ。

俺は統合失調症であるため定期的に通院しているが、この鬱っぽい状態について医者相談したほうがいいかもしれない。

2024-04-12

[] 2024-04-12

アルビオンオンラインチュートリアルを終えて船でとある地方についたみたいなんだけど、これがまたしんどい

なにがしんどいかっていうと、「疲れましたか?街を見て回りませんか?」みたいなタイトルクエストクリックしたら「さあ、命令だ、見て回れこのボケ!」みたいなこと言われてんの。

クエストをこなすという発想が、そもそも俺には合わない。仕事じゃないんだからもっとリラックスさせてくれ。

一日の集中力は有限と言い、意思決定を減らすために服の種類を1種類にする人というのがいるらしいが、仕事疲れたあとにゲームをしようとするとそれがかなり理解できる。

ああ、なんで仕事ってしなければいけないのだろう。俺が今の仕事をしてもしなくても、別に社会平常運転だろう。なんで無駄仕事が溢れているのにベーシックインカムは未だにないのか。

とにかく今週は疲れた津田氏脳。

2024-04-09

[] 2024-04-09

新しい趣味としてオンラインゲームをやってみたが、少しやってみて「あれ、これ時間無駄遣いじゃない?」と思ってしまった。

アルビオンオンラインという、FF14劣化させたようなゲーム

そういえば、FF14を辞めたとき時間無駄に感じるという理由で辞めたのを思い出した。

映画鑑賞読書とかであれば、まだ何某かを学んでいる感じはするが、ゲームは爽快感のある時間の使い方じゃない。

この調子じゃ、どのゲームをやったとしても感想は同じだろう。

古典的ゲーム(テキサスホールデムポーカーチェス)であればまだ楽しめる感じがあるかもしれない。

ゲームといえば、ヤングシェルドンではシェルドンがバアバとゲームに熱中して学業サボりビックバンセオリーではペニーゲーム中毒になって廃人と化すのを思い出した。

やっぱゲーム麻薬だ。注意しないとどんどんと時間を溶かしてしまう。

2024-04-08

[] 2024-04-08

趣味探しの件だが、アウトプット系はやめることにした。理由は愚かさを開陳するだけだから

ブログダメ、絵を書いて公開するのもダメギターを弾いて公開するのもダメ

から以前考察したように、映画ゲームコミックスケジュールを組むのが良いかもしれない。

ヤングシェルドンアマプラで見れる分はほとんど見た。次はスタートレックを見ようと思っている。

あと読書暇つぶしにいいと思うのだが、特にコミックは集中して見れそうな気がしているので、X-MENあたりを購入しようと思う。

オンラインゲームについては現在は保留である。というのも、FF14などはGPU必要なので、PCを新たに購入するとなると出費がしんどいから

ただ、EsportsとしてDota2というゲームUbuntuでもできるようなので、チャレンジしてみるのも良いかもしれない。

なお、スマホからブラウザSNSを全消ししてかなり精神に落ち着きを取り戻した。

以前はXから通知が届き、誰かのイラッとするツイートおすすめされて精神を刺されたが、それがなくなるだけでだいぶ違う。

外出するときスマホを持ち歩かないようにしているので、リラックスしながら散歩を楽しむことができる。

2024-04-05

[] 2024-04-05

世の中にはそれほど多くの人には読まれずに放置されている論文が山ほどあるのではないかと思う今日この頃です。

研究者論文ですら読まれないのですから、私がブログホームページ作ってみたところで、誰も気にしないでしょう。

もしブログを書くなら「見られることを前提としない備忘録」ぐらいの気持ちでないとやってられません。

しか数学的に吟味したり、プログラムを書いたりするのでない限りは、おそらく黒歴史を積み上げるだけになるでしょう。

この廃人日記例外ではありません。廃人日記の著者が誰なのか、それがストーカーによって知れ渡ったりしたら、恥を晒すだけです。

悪名無名にまさる」と言うのは愚者だけでしょう。聖書箴言には、何度も舌の罪について書かれていますし、愚か者も何も言わなければまともだとさえ言っているのです。

なぜ私がブログについて気にしているのか。例の「趣味探し」の件です。

簡素サイト経済学講義資料を公開する教授が数人いて「こういう良質なコンテンツであれば、ネットにどんどん載せるべきだけどなぁ」と思ったのです。

そこで私も真似して、数理経済学ブログを書こうと思いましたが、そこで出たのが「誰が見るの?」という話なのです。

単に「誰が見るの」というだけではなく、「その情報付加価値はあるの?」という点も難しい点です。

私はこういう場合、「自分にはインプットが足りていないのではないか」といって、基本知識を身につけるために書籍を購入したり論文を読みます

しかしその調子でやっていたら、ブログはもはや趣味ではなく労働になってしまます

かといって質を落とせば、愚者戯言格下げです。

もちろん「アクセス数を増やして稼ぐ」といった目的場合は、愚者戯言こそが注目を浴びます

この点で、高品質の数理科学に基づいたブログを書こうなどとするのは、誰にも読まれない論文を世に出すのと同じようなものになっていることに気が付きます

需要があり、誰にでもわかる内容で、知識としても価値がある。そういうブログを書こうとしてしまえば、イ○ハヤのような方向にまっしぐらです。

そういえば、私自身は「インフルエンサー」のような人々が本当に嫌いであることを思い出しました。

知名度アクセス数視聴率などを追従してそれを目指せば、愚者ロードを行くことになるでしょう。

アクセス数を目指さない「備忘録」さえ、問題があります。私は備忘録自然言語処理ブログを書いていたとき「低品質情報ネットに放流するな」というツイートを目撃して、撃沈しました。

から備忘録さえ書きたくありません。

そもそもなぜアウトプットする必要があるのでしょうか。

はいずれ死にます。それまでの間にアウトプット評価されたとして、なんの意味もないのです。

プロセス意味があるとするなら、生きることそのものに焦点を当て、それ以外の余分なことから開放されるべきかもしれません。

名声を求めるのは、仏教的に言えば「煩悩」でしょう。

オンラインでできる有意義なこと」を探すのをやめたほうが良さそうです。

2024-04-03

[] 2024-04-03

仕事で大きめのタスクをなんとか終えて、スッキリと起きられました。

さて、私の「趣味探し」の話なのですが、少し振り返ってみると、数学とか物理とかの勉強趣味化しているのです。

ではなぜそれを「趣味」と認識しなかったかというと、仕事リモート勉強も家の中、というのでずっと引きこもっていて全然快適ではないからです。

それで最近趣味が「食べ歩き(食事処を探してそこで食べる)」になったわけですが、なにかもっと他にないですかね?

私の母親が「ダイビングを一緒にやらないか」と言ってきましたけど、ダイビングは流石にしんどそうです。

おそらく、家の中にい続けるのがダメなんです。

勉強勉強でも、図書館に行けば、もっと違った体験になるかもしれませんね。

休憩時間の昼も、ちょっぴり買い物にでかけたりすれば、少しは気晴らしになりそうです。

数年前に、ブライトサイドで「成功者の習慣」といういかにも怪しい動画を見ましたが、そういうのを実践してみても新鮮かもしれないです。

たぶん、私が新しい経験を避けるようになったのも年齢のせいです。アラサーなので、新しい刺激は「しんどい」と思うようになってしまったのかもしれません。

2024-03-23

[] 2024-03-23

私はインターネットを、とりわけ寂しさを紛らわせるために使っています

インターネットトロールが現れるとちょっと精神に堪えるのですが、基本的には世界に会話可能人間がいることが楽しいのです。

私は統合失調症ですが、精神が病んでいるときは本当に被害妄想の塊になります

匿名ダイアリーであれば、誰かが私のIDを盗み見ているのではないかと恐怖に陥るのです。

やはりインターネットに浸るという趣味は、あまり健康的ではないですね。

そういえば、零細企業で働く人を見下すような人をこの前見ましたけど、私も零細企業で働いているので、嫌な気分になりましたね。

低学歴」「零細企業」「統合失調症」「低収入」「田舎者」こういう属性を持っているので、たまに見るレッテル貼り精神ダメージがあります

たまには自然の中を散歩してみるのがよいのかもしれません。

家の中で引きこもって、誰ともわからない相手とやり取りするのは、暇をつぶすのにはよいかもしれませんが、何も生産的なことはないようです。

2024-03-21

[] 2024-03-21

最近工数のかかりそうな仕事が舞い降りて、必死になっております

こういう場合は、見積もりクリティカルパスの3倍以上にでもしておけばいいのです。

さて、最近趣味を探していた私ですが、何をするにも気力や体力を使うので「食べる」ことが趣味になってしまいました。

料理屋に行っておいしいものを食べるというわけです。

といっても、歩きと電車で1時間以内に行ける範囲になるので、店も限られてきます

トマトラーメンお気に入りですが、こればかり食べると飽きそうなので他のバリエーションもほしいですね。

インドカレー屋に行くとたまにコカインのような草が入っていて信用できないので今は行っていません。

マクドナルドお気に入りでしたが、最近賃上げのせいで質(大きさ等)が落ちています(気のせい?)。

ところで、Dota2というゲームがあるらしいですね、Ubuntuでも実行できるらしいです。

やってみたいと思ったのですが、やはりこれも「気力」を使うのでなかなかやる気が起こりません。

ついこの前まではギターをやっていましたが、近所に下手な演奏が響くと思うと音害だと思うのでやらなくなりました。

「なにかおもしろプログラムを作る」というのも趣味にできますが、プログラミング仕事だけで十分です。

自分ミクロ経済学勉強ノートを公開したWebサイトを作ろうとも思いましたが、やはり「気力」が足りません。

気力がなければ趣味につながらないようです。厳しいですね、世の中は。

2024-03-17

[] 2024-03-17

ヨブ記を読みました。

福音派は「サタン」を悪魔とするようですが、ヨブ記サタンはおそらく神の遣いであり、悪魔ではありません。

人に善悪とはなんたるかを示すのに、「悪魔」という概念必要なのか甚だ疑問です。

道徳的に非のない暮らしをするヨブに、サタンが試練を下し、「なんでこんな目に」と苦悩します。

さて、ヨブの前に現れた神ですが、グッドオーメン2で見ていたのと似ていました。

神がなにやらよくわからない不思議なことをいうので、ヨブは少し困っているように見えます

天地創造について人間は知りうることがないので、無知に対して悔改め、神を畏れよというわけです。

私はヨブと議論をした友人たちが、本当に嫌な奴らだなぁと思ってしまいました。

ヨブに訪れた試練はサタンによるものですが、それを知る由もありません。

そのときに、ヨブの行為を疑って、ヨブをいじめているのは本当に見るに耐えないものがあります

しかしこれは現代においても成り立つ概念ではないでしょうか。

まり、なにか苦しい思いをしている人に対し、信心深い人が「なにか罪を犯したのではないか」と疑うわけです。

その人は試練を受けているかもしれないのです。

ところで、自然災害が人の命を奪ったときに、それを「試練」と言うことができるのか、とふと疑問に思いました。

ヨブに起きた試練はあくまでも「命を奪わない」ことを前提とした試練です。

無実の人の命を無差別に奪ったのであれば、それはおそらく罰でも試練でもないでしょう。

2024-03-15

[] 2024-03-15

日本人であるからノアの法を守れば神に認められるらしいです。

ではなぜ日本人である私は、聖書を学び始めったのでしょうか。

私は善悪や知恵には、単なる好き嫌い相対主義を超えるものがあると考えています

しかし何が「絶対であるのかは全くわからないので、歴史的テキストとして聖書を学んでいるのです。

それを学んだことによって布教をするつもりもなければ、○○教徒であると言うつもりもないし、特定民族に気に入られようと考える気もありません。

まだ学び始めて浅いのですが、これまで読んだのは、創世記モーセ五書箴言、コヘレト言葉です。

実用的側面から箴言・コヘレト言葉・そしてヨブ記を読みたいと思ったのです。

なぜ実用的と思うかといえば、歴史的に残された「知恵」が現代に通じるのであれば、普遍的善悪について何かがわかるかもしれないからです。

私は「聖書の教えを守って神に認められよう」と考えているわけでは必ずしもありません。

それを「知恵」と呼ぶのであれば、善悪判断したり、円滑に生きるために役に立つと言える何かがあると思うわけです。

いくつかの道徳宗教が陥りがちな「相対主義」についていつも疑問に思います

相対主義が極端な形になると、「倫理は人それぞれ」などと言い始める可能性があります

すると、殺人肯定するような価値観も「人それぞれだ」といって許されるということになりかねません。

ちなみにノアの法では殺人禁止されます

善悪について気にしなければならない理由、と言われてもすぐにはピンときませんが、少なくとも悪人にはなりたくないでしょう。

私は自分遺伝性格から倫理判断が苦手であり、それによって様々なトラブル経験してきました。

そうすると、何が正しくて何が間違っているのか。それを知りたくて懇願しています

世の中には、まるで蛇のように曲がったことを言う人たちがいます

蛇に騙されて自分がどんどんと悪の方向に流されているなら、自分の中で善を持つ必要があると思うのです。

一般的日本人本能レベル倫理性を持っているところを、私は持っていないので、知恵の本に頼るしかないのです。

2024-03-14

[] 2024-03-14

箴言の「愚か者」に関する文を読むと、私自身が本当に愚か者に思えてきます

しかし「自身を賢いとみなす者」「軽率発言をする者」は愚か者以下の存在である箴言にはっきり書かれています

現代ソーシャルメディア時代をまるで言い当てているかのようです。

ソーシャルメディアSNSのこと)では、自身を賢いと思ったり、軽率発言をしている人たちがトローリングをしています

ある人は「匿名活動していたらそのせいで職を失ったので、実名活動するようになりました」と言っていましたが、匿名であろうと実名であろうと、口数が多ければ罪を避け得ないと言われます

かに彼は実名活動することによりたくさんのフォロワーに囲まれることとなりましたが、彼のマウンティングに傷つく人はたくさんいるようです。

私が嫌いなのは、知性で張り合おうと考える人たちのことです。

議論というのは、内容を見て判断するべきものです。それを、「低学歴が何を言っても無駄である」といったことを言う人がいます

まるで高学歴自分は賢いか議論する価値があるとでも言いたいような、そういう人たちがいるようなのです。

肩書が何であろうと、神の前ではみな一人の証人です。

その証人が正直なことを言っている限り、知性で張り合う必要はないのです。

ところで、私は最近、「ユーモア」というものがなんなのかわからなくなりつつあります

例えばちびまるこちゃんで、山田おちゃらけているときに、「ははは、馬鹿臭い」と笑うのは、嘲りに基づいています

あるいは芸能人ネタを見るときも、基本的には馬鹿らしさに対する嘲りではないでしょうか。

たくさんの「笑い」が、実は嘲りに基づいていたことを認識すると、何が良い「笑い」なのかわからなくなってきたのです。

一言えるのは、私が犬と遊んでいるときの笑いは嘲りではないということです。

そしてソーシャルメディア上の「笑い」の多くが嘲りに基づいていることを認識したので、「ソーシャルメディアを楽しむ」というのが、一体どういうことなのかわかりません。

単に情報を共有するのが目的であるなら、怒りを誘うような「おすすめ」も必要ないし、トレンドタグ必要ないでしょう。必要情報をくれる人をフォローすればいいだけです。

しかしこの「必要情報をくれる人」というのも厄介で、必要性に基づけば99%はノイズなのです。

すると、ソーシャルメディアの使いみちはもはや「仲のいい友人と連絡を取るためのツール」ぐらいで良いような気がしてきますし、知性をひけらかすために他人を煽る必要はないと思うわけです。

要約すると、「愚か者以下の存在」がソーシャルメディアユーザーには多くいますインフルエンサーがその例でしょう。

歴史的に培われてきた、箴言のような倫理観は、現代において軽視されているように見えます

ソーシャルメディアに保存された情報は今後何十年と経っていったときにどうなるのか。恥ずかしい黒歴史を溜め込むだけのものになっているかもしれませんね。

2024-03-12

[] 2024-03-12

10:11 正しい者の口はいのちの泉。悪者の口は暴虐を隠す。

メンタリストが、まるで「力のある人」しか善を為せないかのようなことを言っていました。

善とは、身近に存在するものです。

例えば結婚した夫婦家事を手伝い合うことで負担を分担します。これは一つの善です。

あるいは落とし物をした人がいれば、警察などに届けることができます。これも善です。

善に「大きさ」や「力」を常に要求するのは、功利主義者です。

かに、金をたくさん持った人がプロ慈善団体にたくさん寄付すればそれは立派な善をなせるかもしれません。

しかしそのこと自体を、庶民が行う身近な善を無価値にする理由にはなりません。

メンタリストも、箴言の言うところの「舌の罪」を犯していると言えますし、ホームレス侮辱するようなことを言っていたのが印象的です。

はいときプライドのために吐く愚者言葉というのは、本当に邪悪だと思っています

なぜ「力のある人しか善を成し得ない」などと言うのでしょうか。

それは自身を「力ある者」と見做し、「弱者男性」などを見下すといった傲慢存在しているかもしれません。

かに募金先を決めるといったシナリオでは、誰に募金すべきかを決める審美眼必要になるでしょう。

そのことを指して「力ある人を見極めよ」と言っているのであれば、それは立派なことかもしれません。

しかし「力ある人のみが善を成し得る」というのは全く間違っています

私も舌の罪を犯してしまいがちですが、「ソーシャルメディアでの発言を慎む」というのも、一つの善ではないでしょうか。

その場のプライド他者を見下し、いい気分になるのは賢さではありません。傲慢です。

他人尊重し、建設的な対話を重視していれば、「弱者が行う善」を無駄だと言ったりしなくなります

弱者でも善を成し得る」という事実嫉妬するべきではありません。

2024-03-04

[] 2024-03-04

精神錯乱した時は大抵奇妙な体験します。

幻覚と思えないほどの壮大さだったりするので、現実認識が危うくなります

精神が正常に戻ると、いかに秩序の保たれた世界が素晴らしいか、それを噛み締めるわけです。

世の中には変わった人間がおり、おおむね陰謀論の界隈に多いような気がします。

私は陰謀論など知らなくとも、異常な現象体験しているので、むしろ秩序と安定を好みます

しか陰謀論者は、陰謀批判しているフリをして、心のどこかでそういう世界を望んでいるように見えるのです。

コヤッキースタジオというチャンネルを偶然見ていたのですが、彼らも「真実」というものに、何か異常なものを求めている雰囲気があります

私は精神状態悪化した時に異常な現象体験するので「何らかの情報を信じると、実際にそれに関連する現実体験する」という可能性にいつもビクビクしています

きっとコヤッキー氏のような人は精神が極めて安定しているのでしょう。

「二度と体験したくない」という恐怖を体験したら、陰謀論を楽しむことはできないと思うわけです。

私の場合、それは死ぬかもしれないと思うほどの強い頭痛に関連付けられています

精神錯乱する時、いつも睡眠ができない覚醒状態になるので、寝れない日が限界まで続くと、そういう頭痛体験します。

その過程で、さまざまな不思議現象体験するので、体験と痛みが紐づいているわけです。

頭痛によって気絶して、何とか睡眠状態になりますが、その後一時的記憶喪失状態になります

どの記憶が失われるかは予測できませんが、この前それが起きた時は仕事に関することを忘れかけました。

「この前」と言いましたが、去年のゴールデンウィークでのことなのです。

2024-03-03

[] 2024-03-03

私はふと、このようなことを思いました。「自分他者のために何かをできているだろうか」

コスパタイパという言葉がありますが、私は「どうやって楽に、効果的に人のためになれるか」ということを考えてしまうのです。

そしてたどり着いたのは「仕事自分にできる範囲利益を得て、そこから一定の量を慈善団体寄付すれば良い」という考えです。

自分から慈善団体を作るよりも、既存プロフェッショナルお金を投じた方が効果的というわけです。

ただ、この考え方は少し傲慢を生む気もしています

「こういう善をしているから、多少の悪は許される」「私がしている善に比べれば、この程度の悪は大したことがない」といった具合に、善悪貯金感覚で見てしまうのではないかという不安があります

こうなると、生活をする上で身近な善行をする心が荒んでしまうのではないかと思うわけです。

他者尊敬する、弱者を助ける、身近な善を行う。こういう精神性が、「コスパ」「タイパ」という考えに蝕まれているのではないでしょうか。

あるいは期待を超えない無能者を見下す傲慢為政者なども存在するでしょう。行動の「効果」を重視する人は、期待を超えるように言うからです。

EA (effective altruism)については、このようにして功利主義的側面が含まれ可能性があります

経済功利主義精神を蝕む現代でも、惑わされずに、何が善で何が悪であるのかを見極めることが重要でしょう。

過度に相対主義に陥ることも、間違った絶対性を信じることも避けなければなりません。

2024-03-02

[] 2024-03-02

科学的にどうなの?と思いつつ少し前に受けた遺伝子検査の結果で特に気になっているのが、不安性の高さ、新規探求性の高さ、道徳性の低さです。

私は自分自身統合失調症であることに、妙に納得してしまます遺伝子自体矛盾するような行動性質を示しているではありませんか。

すこし神秘主義的ですが、苗字ゲマトリアは「悪魔」と一致します。

遺伝子ガチャではハズレを引いているようです。(といっても、産んでくれた両親には感謝しています

さて仕事調子どうでしょうか。最近のあるタスクで「これはちょっと難しいかもしれない」と思ったものがありますが、実装に着手する前に、要件確認・整理することに時間を長めにとったり、情報を集めたり、問題を部分問題に分解しました。

するとどうでしょうか。最初に「難しい」と考えてしまったのは単に情報不足であることがわかったのです。

情報を得て実装に着手してからタスクの8割をすでに完了しています

思い出せば、私がニート状態の時に、仕事を探す上で強い不安を感じていたものです。

「こんな仕事、できるんだろうか」とか「家から遠すぎやしないか」と言う具合に。

しかしそれも経験という情報不足が招いた不安です。いざ仕事に就いてみれば、不安も徐々に軽減されていったことがわかります

たくさんの様々な経験をすることは重要かもしれません。経験が伴えば、行動する前の不安というものを感じにくくなり、人生を楽しめると思うのです。

インターネットに引き篭もるのをやめ、外に出てみるのが良いかもしれません。

行ったことのない店で食事をとるとか、そういうった経験がおそらく私には必要なのです。

2024-02-25

[] 2024-02-25

最近SNS断ちをしていますTwitterFacebook、Bluesky、Mastodonなどを使わないようにしているのです。

それだけではなく、スマホにはブラウザさえ入れていません。これは、オフラインアクティティもっと充実させた方が良いと思ったからです。

そしてSNSには舌の罪が付きまといます。もちろん匿名ダイアリーもそうですが、特に短文投稿型のマイクロブログ軽率発言が増えてしまうのです。

箴言には舌の罪についていくつかの教訓があります。以下はその一部です・

1. 偽りを言う舌:主が憎むものとして「偽りを言う舌」が挙げられる。

2. 悪口を言う舌:「そしりを口に出す者は愚かな者である」と述べられている。

3. 制御できない舌:「言葉が多ければ、とがを免れない、自分くちびるを制する者は知恵がある」と述べられる。

4. 乱暴言葉:「優しい舌は命の木である乱暴言葉は魂を傷つける」と述べられる。

また、愚か者も何も言わなければ賢いと思われるとか、愚か者理解よりも意見を発することを好むとも書かれています

箴言の「愚か者」について学ぶたびに、完全に愚かさを排除した人は「精神的なスーパーマン」だとさえ思います

ソロモン自体が「しくじり先生」で、一時期忌み嫌われる偶像崇拝をしたらしいです。

よく日本人アニメの中で神の存在を「白髭の生えた老人」を描きますが、そうやって神を特定の形として表すことが偶像化であり、罪なのです。

さて、SNSを使う際に舌の罪を犯さないためにはどうするべきでしょうか。

まず真実を言うべきです。情報や誤解を招く可能性のある情報を共有しないようにします。情報を共有する前に、その情報が正確であることを確認すべきです。

そして攻撃的または侮辱的な言葉遣いは避け、尊重理解を示す言葉を選ぶべきです。他人プライバシー尊重し、許可なく個人的情報を共有しないようにすることも重要です。

建設的なフィードバック提供し、他人サポートし、肯定的な会話を促進するべきです。フィードバックを得たら、自分投稿他人にどのような影響を与えるかを定期的に反省し、必要に応じて修正するべきでしょう。

といっても無理に発言する必要はありません。最も良いのは、発言をしないことなのです。

私も匿名ダイアリー発言しなくてもいいように、紙の日記帳を買いました。それなのにこうやって発言してしまっているのは、まったくネット中毒というのは厄介だと思いますが、休日にしたいと思うアクティティがまだ見つかっていないのです。

両親は私に「結婚しろ」と言いますが、本当に結婚をするべきでしょうか。統合失調症の私の遺伝子を残して、子供が苦労するだけではないでしょうか。

最近英会話教室に行くのもやめてしまいました。節約のためです。

趣味のためにお金必要であるという発想が嫌なのです。お金を使わずにできる趣味が、今の私には必要です。

そしてその趣味は、善悪という点から見て善の側である必要がありますオンラインで発信するというのは、どちらかと言えば悪の側だと思うわけです。

そうですね...休日図書館勉強をするとか、部屋の中でヨガをやるとか、散歩をするとかが良いかもしれません。

積読結構あるので、図書館勉強すれば捗るに違いありません。

2024-02-18

[] 2024-02-18

見たい映画ありすぎて、計画的スケジュールを組まなければならないような気がしてきた今日この頃

デジタルミニマリズム」を試しているが、スマホの中にはブラウザもなければSNSもない。

自分にとってプラスになるツールのみをデジタルで利用するというのがデジタルミニマリズムだが、匿名ダイアリーについては日記を書くだけにとどめれば負の影響を最小限にできる。

いや、匿名ダイアリーなどやらない方がいいかもしれないが。

私にとってのデジタルの最大の悪影響は、実名黒歴史が結びつくことだ。匿名ダイアリーであれば、ストーカー以外は私が誰であるかはわかるまい。

最近も私が過去に作ったTwitterアカウントを削除するために、サポートに連絡して、2つのアカウントを削除した。

やはり精神不安定元凶ソーシャルメディアだ。有益なことをいうことを言う人がいるかもしれないが、統合失調症の私が精神安定するためにはスローメディアの方が良い。

さて映画の話に戻るが、スタートレックの全シリーズを見たり、ヤングシェルドンビックバンセオリーの全シーズンを見たりするためにはかなりの時間がかかる。

といっても終わらせることではなく、見ることが楽しみだから急いで見る必要はなく、毎日の娯楽として組み込んでしまえばいい。

やりたいことは映画鑑賞だけではない。コミックを読んだり、オンラインゲームをしたりして充実感を得たい。

ただ、Amazon Primeは、無料で見れる期間に制限があったりするものから、焦らされている気分になってしまう。

娯楽に時間を費やすことの満足度を最大化するためには、スケジュール必要だ。

月曜夜=ヤングシェルドン、火曜夜=ビックバンセオリー、水曜夜=スタートレック、木曜夜=ギャラクティカ、金曜夜=ドクターフー、土曜=オンラインゲーム、日曜=コミック

こういった具合に。

しか資本主義消費社会に騙されている気もする。私は節約中だ。それなのに、金のかかるコンテンツを次から次へと消費したら、浪費癖がつくかもしれない。

オンラインゲームをやるためには、それなりのスペックPC必要だろう。コミックもたくさん消費すれば値段は高い。

しかしたらAmazon洗脳されているかもしれない。

から考え直しだ。金のかからない趣味を探す必要がある。

2024-02-14

[] 2024-02-14

自己啓発本や伝記を読むのは負け犬だと聞いたことがあります因果関係が逆なのです。読むから負け犬になったのではなく、負け犬から読んでいるのです。

そういう私もいくつかのミニマリスト本を読んだことがあります。足るを知るというのは、本当に重要だと思うので、その哲学を深めたいと思っています

しかし単にエンタメ目的なら、アメコミでも買って読んでいた方がよいでしょう。

いえ、私はヤングシェルドンを見て、アメコミに興味を持ったのです。例えばXMenは、人とは違うミュータント活躍するストーリーですが、統合失調症の私に共通することがありそうです。

しかし私はシェルドンとは性格は違います。私は潔癖症でもないし、若い時のIQは低かったです。

かに小学生の時に1から10(あるいは100だったかもしれない)までの和を出せと教師に言われて、ガウスと同じことをして褒められたことはあります

しかしなんというか、常識とか倫理とか、そういった人々が共通して持っている知識の欠如が私を苦しめてきたのです。

その点はシェルドンに似ているかもしれませんが、シェルドン自然に善人になっているのに対して、私の子時代悪人のソレでした。

私に対して道徳感の重要性を説得できた身近な大人はいませんでした。大人になって本を読み、聖書を読み、獲得したのです。

しか道徳といっても、日常の行動の細かな点を見つければ悪が潜んでいるものです。

ソロモン王は舌の罪について述べています現代匿名ダイアリーTwitterなど、舌の罪を犯す場が多すぎて、しゃべらないほうが本当はいいのです。

16:30 人は目を閉じて暴言を考え出し/悪を果たして口をすぼめる。

まさに現代SNSのものです。しかしなぜしゃべらない方が賢いと思われるのに、しゃべってしまうのでしょうか。

私は普段、人と会話しないので、誰かと話したいと常に思っています。寂しいのです。

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