「アーケード街」を含む日記 RSS

はてなキーワード: アーケード街とは

2024-09-17

歩いていて不快になるもの

改札・建物電車の出入り口付近で立ち止まるひと。また、その付近で談笑し始めるひとびと。奥のスペースが空いているのに、電車バスの出入り口に固まる乗り慣れていない若者

曲がり角に中途半端に集合しているひとたち。道に迷って階段の手前や、人が改札に向かって曲がり始めやすい斜め後方などでたむろする外国人観光客と、彼らの行李箱(キャリーケース)。

これ以上避けようがないくらい端の方で階段上り下りをしているのに、群れているときは決して避けようとする素振りも見せない女子大生。道の真ん中をダラダラ歩く若いひと。普段なら自ら避けようとするのに、性欲に目が眩んで避ける知能をなくした男女混合で群れている内の男。

意味もなく電車バス内で騒ぐ児童部活帰りの男子生徒のエナメル

狭い通路と分かっていて、椅子を引こうとする素振りすら見せないひと。

どこにどう進むか先が読みにくい杖つく老人。

スマホを見ながら歩き、ぶつかる直前になって漸く前を見るひと。また、スマホを見ながら歩いているという自覚がなく、道の真ん中を歩くひと。

横断歩道を渡っているときに躙り寄ってくる自動車や、狭い歩道の上を驀進する子連れママチャリ

そこまで広くもない住宅街の道で、左右の隙間のいづれかにも抜けにくい、歩道に乗り上げて駐める車。

アーケード街で人の流れと進行方向に明らかに規則性が見出せるのに、その流れを逆行して歩くひと。終電間際の宵の盛りに声をかけてくる客引き

爪先の奥にたまる靴の中のほこり土踏まずあたりで転がり続け、踏ん張る際に中敷きを削る小石。足の中指の肉刺擬き。予期せぬ溝と段差。

2024-03-13

誰もいないのに動いている機械が好き

寂れたアーケード街一角にあるゲームセンターが好き。

厚い扉を開けると熱気がふわりと降り掛かり、喧噪な音の波に包まれる。

周りに人の気配はなく、自分けがここに居る。

筐体は大きな音を立てながら映像を流し、誰もいないのに画面は動き続けている。

ふいに、この世界には自分しか居ないんじゃないかと思い込む。

リフレインする音声とBGMコインを求めて点滅する文字の数々。

淀んだ空気が心地よく、騒がしさが心音リンクする。

何度も同じシーンを目にしながら心は踊り、思わず唾を飲み込んだ。

どのゲームをやろう。

彼らは、自分以外にも同じ顔を見せるだろう。

そして、誰も居なくても同じ顔を見せるだろう。

そんなところが好きなのだ

2024-02-23

明石焼きが食いてえ明石焼きが食いてえ明石焼きが食いてえ。

たこ焼きじゃ満たされない。ソースより出汁を求めてる。ベチャッとした甘さは今じゃない。

家のオモチャみたいなタコ焼き器で作るのはなんか違う。ショボい。丸くしようとすると小さすぎる。

衝動的に新幹線乗って三宮アーケード街の店で3枚くらい食って、ついでに歴史を刻んだり刻まなかったりして夜のBE KOBEだけ見て帰りてえ。

2024-02-14

10年前起きた、同級生殺人事件現場に行った話

 不謹慎聖地巡礼をしてきた。

 何かと言うと、10年ほど前にとあるセンセーショナル事件があった場所を見に行ってきたのだ。女子高生による同級生殺人事件である。今回は、そのレポとそんな悪趣味聖地巡礼を決行するに至った経緯の2点を、書き手である私の過去の自語りを多大に含めながら書いていこうと思う。事件現場特定して見に行ったイチ野次馬の実録として読んでもらえれば幸いである。

 はじめに言っておくが、私はこういった事件が起きるたびに容疑者地元出身高校は云々……と嗅ぎ回るような野次馬ではない、とだけ表明しておく。しかしこういった行動に出ている以上、完全否定はできないところはあるが。

 はじめに、その事件の内容を説明する。2014年に起きた、女子高生による同級生殺害事件である。当時15歳の加害生徒Aが、同級生であるBさんを自室に連れ込んで絞殺動機は「体の中を見てみたかった」「人を殺して解体してみたかった」といったものだった。(以下、それぞれ加害生徒=A、被害生徒=Bさんと表記

 事件の具体的な名称地名については関係者迷惑をおかけしてはいけないので伏せさせていただいたが、手口が特徴的なため、調べれば聡明な読者諸君においてはすぐピンとくるであろう。

現地レポ

 事件現場となった場所は、事件発生からほどなくしてネット上では特定されていた。私は現場となったマンション名をgoogleマップ検索、自宅からルート検索し向かった。

(ちなみに事件現場マンションは、事故物件掲載サイトの「大島てる」さんにも掲載されている。Aの実家も)自家用車を走らせ、現場に到着した。所要時間割愛させていただく。

 現場国道に面しており、すぐ近くには駅や大きなアーケード街があった。駅が近い故か、市営のコインパーキング現場マンションの向かいにあった。車をそちらに止め、徒歩で現場に向かった。

 ここで、あらかじめ大事な前提を記載しておく。現場敷地内には立ち入っていない。


敷 地 内 に は 立 ち 入 っ て い な い


 そこまですると流石に不法侵入になってしまうので、面した道路から歩いて観察するだけにとどめた。私もそんなことでお縄になりたくないので、その点はご理解いただきたい。


 現着し、まずはマンションの外観を観察してみる。10階建てでおそらくオートロック。今ではどの部屋にも人が住んでいる気配がある。現場となった5階にもまた、どの部屋にもカーテンがはまっていた。10年も経ってしまえば、その近くの人々の生活もすっかり元通りのはずだろう、という考えが自分にはすっぽり抜け落ちていたことに気づかされた。

 マンションの裏手には駐車場が2台分ほどある。ただしもしかしたら、隣のビルに入っているクリニックの患者用かもしれない。駐車場付近から見上げると、当然マンションベランダが頭上にずらっと見える。AはBさんの殺害後、証拠隠滅のためにスマートフォンを5階のベランダから投げ落としたのだという。彼女スマートフォンが落ちていたのはこの辺りだろうか、と思いをはせる。

 駐車場からさら路地を入ると、住宅が斜面に立ち並んでいた。ここから先は進んでいない。途中で引き返したのは、非常に坂道が急でその後の体力を考慮したためだ。この町の特徴的な地形ではあるが、国道から一本細い路地に入っただけで急峻な坂道になる。西側には海があり、その海岸線近くまで山地が迫ったこの街の地形故だ。

 マンションに数秒黙祷し、周辺の探索に移った。国道の向かい側には小さな商業施設があり、昔ながらのブティックを中心に、1フロアだけのイオンダイソーが入っていた。ブティック中心だからか、店内は年配の女性が多い。日本のどこにでもある、田舎商業施設風景に心が安らぐ。商業施設の1Fからアーケード街に通じており、今どき珍しく賑わいのある商店街が広がっていた。雰囲気で言うなら、福岡市天神新天町商店街にかなり近い。

 商店街は今どきのカフェ居酒屋といった飲食店から昔ながらの八百屋かばん屋、チェーン店ドラッグストアアニメイトまであった。筆者は商店街と言えばシャッター街と化した薄暗い故郷商店街しか頭になかったためまあまあ驚いた。にぎわうアーケード喧騒の中で、AもBさんもここで一緒に買い物を楽しんでいたのだろうか。楽しい時間をすごしたのちに、あのような凶行に及んだのだろうか。そんな、彼女と一緒にお出かけを楽しんだ後にお持ち帰りして夜はムフフなことをして、じゃないんだから……と下世話で邪な形容をした。凡人かつ俗物の私にはそういった想像限界だった。勿論、真相はAにしかからない。

 横断歩道渡りマンションのある側に戻る。国道沿いに北西に進むと、5分もせずに県の弁護士事務所が見えた。Aの父は敏腕弁護士だったと聞く。Aの父は、Aの母が亡くなった後まもなくして若い女性と再婚した。それがトリガーになったかは知らないが、2014年3月にAは父の殺人未遂事件を起こしている。Aと一緒には住めないと判断したAの父は、Aの戸籍を外してAの祖母養子にし、マンション一人暮らしをさせることに決めたという。この事実だけ見ると父親もAの扱いに手を焼いていたのと同時に、法的には娘を切り捨てた薄情者、という印象を受ける。

 しかし、現地を歩いてみると、現場の近くには県の弁護士事務所があり、父の職に大いに関係していたであろう場所がある。2014年当時からあったのかはわからないが、もしかしたら父は、自分業務で関わることの多い場所の近くに娘を住まわせようと、ひいては見守りたい意思があったのかもしれない。娘のために駅の近くかつオートロック自分職場からも近い賃貸物件を見繕って用意してあげていたのかもしれない、と思いをはせる。やはりやるせなさを覚える。

 結果としてAの父親2014年10月に自宅で首を吊っているのが発見され、そちらの実家もそれで「大島てる」さんに掲載されている。Aの父親の行動には怒りを覚えるところも多いが、同時にどうにもできなかったのだろうと痛ましさを覚えた。

 ここまで想像を巡らせたのち、私はマンション近辺を後にした。名物ハンバーガーが食べたくなった、ヤニを吸いたくなった。そういったその時湧きあがった欲求が、私を2014年から2024年へと引きずり戻してくれた。


 参考程度に記載するが、賃貸サイトによる2024年2月現在家賃相場は、その市はワンルームで3.72万円。現場となったマンションワンルームだが4Fの家賃が4.9万円と、その地域では少しお高めな印象は受ける。築年数も浅く何より駅近物件からだろう。ちなみに、現場となった502号室はどの賃貸サイトにおいても今は入居者募集されていなかった。

聖地巡礼動機

 では、なぜそのような不謹慎聖地巡礼を決行したのか? その理由は、「私がこれまでの人生で1番執着した事件だったから」にほかならない。少し回りくどいが、私自身について、この増田匿名性を損なわない程度にお話しする。

 筆者である私は、Aと同年齢である。そして2014年に何をしていたかというと、やはり高校1年生をしていた。私とAの経歴には非常に共通点が多い。もっとも、Aの方が実家は太く彼女自身の才能も豊かなのは間違いないのだが、その内面には非常に共感できるところが多かった。Aも私も、住んでいる県も学校もまるで違うのだが、だいたい同じくらいの偏差値帯の公立中高一貫校中学受験で入っている。抜けきらない中二病一人称は女なのに「ボク」だったし、Aのようなかなり短いショートヘアをしていた。高1の途中から不登校児になったのまで同じだった。(一つだけ自慢。今でこそ私はうだつの上がらない無職だが、高1当時は県内模試で2ケタの順位につけるくらいには学力もあった。)

 問題はここからである。高1当時の私は、少年事件について調べるのが大好きで、それをモチーフにして同級生を殺しまくるお話ケータイ小説執筆投稿していた。今思うと二重に恥ずかしい子どもである

 事件発生当時まず何を私が考えたか。「A、私の書いたの読んだの?」である。今考えると普通にそんなのはあり得ない確率であるし、ほぼ妄想の域だった。しかしそれくらい手口が酷似していた。後ろ暗い喜びと同時に、思考回路が同じという点でかなり精神的に追い詰められた。二律背反感情が板挟みになっていた。学校に行っても、やはり同じ高校1年生が起こした事件ということでクラスでの関心も高く、「キ〇ガイだよね~(笑)」とクラスメイトが笑っているところも見かけた。今でも思い出して動悸がする瞬間である

 そしてそのケータイ小説掲載に関しては、投稿を削除した。そのうえで、もう創作はしないと筆を折った。

 そしてその後、連日ニュースがそれを報じてどんどん事件の全容が見えてきた頃には、私はネットでAの情報を漁りまくっていた。私はもともといじめられっ子で、当時はいじめっ子たちのピグTwitter特定して、特にアカウントは作らず毎日のように静観するという人聞きの悪い趣味を持っていたから、そういうのが大好きではあった。また、AにはASD自閉スペクトラム症)があり、その点も考慮して医療少年院送致がふさわしいとの判決が出た2015年頃、実は私もASDの診断を受けていた。偶然にしてはあまりにも近すぎると、一方的シンパシーを感じていた。

 そしてそのうちに、Aに対してどんどん惹かれていったのだ。Aのような人の内面深淵のぞき込みたい、という気持ちになり、進路希望調査では心理学部のある大学を書くようになった。その後、急速にメンタル調子を崩して精神科医療にかかったり、卒業も危ぶまれるくらいには学校に行かなかったりしたが、どうにか高校卒業した。

 犯罪心理学をやりたいです!と意気揚々心理学部のある大学に入り、臨床心理学系の大学院にまで進み、少年司法の分野に行きたいと思い公務員試験を受け、児童相談所に勤務した。今振り返ると、「心理学がやりたい!」の起点はさかのぼればすべてAへの関心に行きつくと思う。我ながらどうかしている。

 そして現在2024年2月児相勤務は上司や先輩から陰湿いやがらせに遭い、私はひっそりと公務員退職した。今は退職してから3か月が経つ。公務員時代の蓄えでギリギリなんとか食えているが、正直来月以降の生活は先が知れない。なんでこの分野に焦がれ続けて10年間走ってきたのか? その疑問を問い詰めた時、この事件存在が頭をよぎった。2024年のあの現場を、Aが生きていた町の2024年を見れば、私のこの思いを終わらせられると思った。以上が、私がこんな不謹慎聖地巡礼をもくろみ、決行した理由である

 ちなみにわたしは結局、大人になってから二次創作という形で再び筆を執るようになった。どれだけ思考回路狂気の側に近く、そのリビドーを表出させたいと願ったとしても、創作という法に触れない表現方法を選ぶことができた。私はその点で非常に適応的でポジティブな強みを持つことができたのだと、今は肯定出来ている。

 話を本筋に戻すと、私はこの旅で、ようやくAへの執着に諦めがついたように思う。私は間違っていたかもしれないとはいえ10年間走り続けてきた。そしてきっと、AはAで、医療少年院かあるいはどこかで、償いとAの人生を生きているのだろうと思い至った。やっと私は2024年自分を生きていけるようになったと思えた。不謹慎だろうが、ようやく私はこれで前を、未来の方を向いて歩いていけそうな気がしたのだ。

 最後に、被害者の方のご冥福をお祈りすると同時に、Aの更生と治療がうまくいっていることを祈る次第である

追記

 ちなみにこの後、普通に私はその街の名所を一通り回り、観光して帰宅した。軍港の町なので、港に停泊している米軍の大きな船を眺め、海上自衛隊博物館見学してきた。他にも、ネイルチップが取れて応急処置シールを買うためダイソーに入ったら、パンキッシュ服装マダムと談笑したり。名物バーガーを食べていたらバラエティ番組ロケの一団が店に入ってきてびっくりしたり。〇本雅美に似ていたが、声が違ったのでおそらくローカルタレントかなにかだろう。

 10年経とうと、何も変わらず日常は回っていることを実感した。そしてそのことは、私にとって救いでもあった。

2021-10-08

おすすめイタリアンがあると言われて

マッチングアプリマッチした28歳の男の子

おすすめイタリアンがあると言われて吉祥寺駅に集合。

進んでいくはアーケード街東急裏にでも行くのかなと思ったら、まさかサイゼリヤ

サイゼリヤ

中学生時代わたしが通い詰めた、あの懐かしきサイゼリヤ

マッチングアプリ初デートサイゼリヤ

しかもお会計は割り勘。

これって脈アリだと思いますか?

2020-08-12

BW以降の新興のポケモン舞台設計の話

ポケモン剣盾に関して西洋文化に詳しいユーザー面白い考察を見ててイギリス要素をこれでもかと盛り込んでるなぁと驚きました。制作についてイギリス出身社員が指揮に関わってたそうで,古代イギリスで起きた土着のケルト文化圏と移住でやってきたキリスト教文化圏の邂逅の話,イギリスにある環状列石や地上絵,バイキング70年代パンクロック反体制派の思想の結びつきなどが盛り込まれてて西洋歴史に疎かったのですが結構興味が出ましたね。ブラックホワイト以降のポケモン現実にある地域文化生活歴史などを新旧のポケモンの設定や世界観に組み込んでヒト社会ポケモンが溶け込んでいるような作りを目指していたものが剣盾ではっきりとしたものとなったようなので,また日本舞台にした完全新作のポケモンを作ってほしいなぁ。九州ベースとなっている舞台があるルビーサファイアリメイクでは熊本県都市が元になってる街で熊本都市にあるようなアーケード街建設されてたので,現実舞台ゲームに盛り込むノウハウ日本地域ネタを盛り込んだらなかなか面白いだろうなぁ。

2020-04-19

>市職員らが「緊急事態宣言!外出はしないでください」と書かれた横断幕を手にアーケード街などを歩いて注意喚起を行ったが「いいんだよ、別に」と、つぶやいて通り過ぎる若者たちがいた

わざわざ強制力がないとさんざん言い立てて骨抜きにしたからな

馬鹿安倍馬鹿宣言だしこうなるわ

2020-03-05

anond:20200305154026

福原っていうの?

柳筋?とか書いてあった風俗店

あの周辺のアーケード街とかも変な寂れ方だけどどういう場所なの?

2020-01-24

anond:20200124084127

広告もそうだけどさー。普通にショッピングモールとかアーケード街女性下着売り場が目立ってきてるんだが。生パンティーだよー。直視できないし。店から、前髪パッツンメガネっ娘が出て来た時は、ちょっともう、情報量の多さに頭脳メモリパンクしそう。

2020-01-06

地方都市アーケード

俺は鹿児島の片田舎出身なんだけど、鹿児島県の県庁所在地である鹿児島市には天文館っていう県民ならみんな知ってるアーケード街がある

県内のどこ出身だろうと天文館って言えばまあ伝わらないことはないって感じで、あんまり行ったことはないんだけどボンヤリ誇りに思ってた

でもこの前彼女地元愛媛県に行ったら、大街道とか銀天街っていうかなり似た雰囲気アーケード街を紹介された

県民ならまあ知ってるって点も同じらしくて、なんならそれぞれの内部で撮った写真を見分けろって言われたら無理かもしれん

鹿児島が誇るアーケード天文館!って無邪気に思ってたんだけどもしかしてどの都道府県にも似たような場所があるのかな なんていう概念なんだろ それぞれ名前カッコ良さそうだからまとめたリストとかあったら見てみたい

2018-01-19

中野が好きだ

世界一乗降客数を誇る新宿駅から中央本線快速列車に乗り、1駅。

中野区の中心地を成す中野駅の街並みが好きだ。

JR東京メトロ共同駅は、いつも人がごった返している。

北口を出ると、まっすぐに伸びた中野サンモールへと続く道。左手には中野サンプラザを遠目に、アーケード街へと導かれる。

様々な店舗に目を引かれながら、人の流れに沿って進んでいくと、いずれ中野ブロードウェイへと辿り着く。

ドラッグストアや、ファストフード店や、金券ショップや、喫茶店といった、アーケード街のありふれた風景から一転して、漫画フィギュアレトロゲームが並ぶニッチディープ世界へといざなわれる。

向きを変えて、中野サンモールの道半ばを右へ逸れると、空気は一変、飲み屋街が現れる。中野北口一番街。

夕方仕事を終えたサラリーマンたちは、中野サンモールから外れて、一日の疲れを癒やす客引きは、今日も威勢良く酔っ払いに呼びかける。

反対に、中野サンモール左手に進むと、先ほどちらと見えた中野サンプラザが姿を現す。

休日には、広場テントが張られ、様々な催しが街を活気づける。

人々は、様々な目的を持って中野という土地へ降り立つ。

幼少期からこの街によく訪れていた記憶とそう相違なく、頻繁に発着するバス電車の音、スーパーの買い物袋を下げた家族連れの足音、ふと立ち寄った喫茶店コーヒーカップの立てる音、すべてが心地よく、全身に澄み渡る。

この地に足を踏み入れる度に、ただいま、と言いたくなる。

朝の日差しも、昼過ぎの雨も、日が沈んだあとの夜風も。

この街がずっと続けばいいと、いつまでも懐かしいと思わせてくれることを願って、駅の改札を通り抜ける。

2016-07-09

盛岡の話

神戸京都に関する素敵な文章を読んでしまったので私は盛岡のことを書く。すごく需要は少なそう。

盛岡新幹線が止まる町だ。一昔前までは東北新幹線北端でもあった。というわけで全国のみなさんが想像する平均的岩手県像よりはちょこっと発展していて、町の中心部には生活必要なお店とぶらぶら立ち寄れる場所がまばらにある。

駅前には何もない。女子の買い物はフェザンか郊外に2つあるイオンかで済んでしまうから町中を散策する必然性はない。それでも地下道を潜っていくと右側の道の2階にこじんまりとしたアニメイトがある。

観光客に人気のじゃじゃ麺屋をスルーして開運橋の交差点まで出る。(通ぶった地元民は岩手公園の近くのお店に行きたがるけど私はどっちもおいしいと思う。というか自分調味料を混ぜるのでどこで食べても毎回違う味になる。冷麺普通)

この開運橋の景色ちょっと有名。バスカードプリントされたりNHKの朝のニュース最後に映ったりかつて比嘉愛未さんが朝ドラロケをしていたりした。

もうちょっと行くと大通りっていうさして大きくもないアーケード街に入る。半分がシャッターが降りた店で残り半分は美容院歯医者カラオケ屋だ。あと居酒屋。全国チェーンじゃない安いお店が結構ある。モンキーズキッチンという名前の通りびっくりドンキーみたいにちょっと薄暗い店内で葉っぱ飾りがいっぱいのお店があった。お酒を飲めなかった大学時代はばななみるくばかり飲んでいた。ところでみんな知らないだろうけどびっくりドンキーの1号店は盛岡の「ベル」なんだよ。メニュー普通のびくドンと同じなんだけど座敷の離れがあったりしてちょっと落ち着いた雰囲気が良かった。高校時代部活打ち上げにもよく使った。同級生デートを目撃したりされたりしたのは淡い思い出だ。

ベルまで行くとすぐ岩手公園のお堀が見えてくる。現・盛岡城公園名前の通りお城はない、石垣だけ。菜園のほうまで曲がっていき一際急な斜面を登って公園に入る。菜園という地名が好きだった。畑はなくて地元資本百貨店がある。パン屋さんと親がお歳暮買うのに着いていったぐらいしかご縁はなかったけどたまにトイレは借りていた。無料のほう。

岩手公園の裏側っていうと失礼かもしれないけれど、まあ大通りと逆側にはベンチがいくつか設置されていて、脇を流れる中津川と対岸に構える岩手銀行本店明治建築をぼけっと眺めるのに良かった。中津川は常時川底の石が見えるくらいの清流で、冬には鮭が遡上する。それを地元テレビ局や熊が追いかけにくる、のどかな町だ。初めて京都に行って鴨川を見たとき、「あ、盛岡だ」と思った。逆なのは分かっているけれど地元愛ということで許して頂きたい。ここもカップルが等間隔で並んでいることが多い。

盛岡北上川中津川雫石川の間になんとか町を作ったようなところなので、少し歩けば必ず川に当たる。お気に入りの橋のひとつやふたつできるもので、私はやっぱり富士見橋、毘沙門橋、与の字橋の順で好きです。

バスセンターより向こうには友人の芝居を見るのに何度か足を運んだ。地下の小さなホールで間近に、でもいつもと違う友人達の姿に触れて、帰りのバスの中でもずっと別の世界から帰ってきた感覚が抜けなかったな。天満宮で願掛けし、急な石段を登って振り返れば真っ直ぐ長い道が町中まで続いているのを見通せた。

町のこちら側に寄ってくると青春の痛い部分が刺激されてきたのでもうそろそろ盛岡駅に戻る。でんでんむしバスで100円で着く。駅のドトール西口のアイーナには受験勉強と称してよく入り浸った。贅沢でのんきな受験生だった。

8月頭のさんさ祭りには、今年は旦那を連れて帰りたいと思います

2016-04-16

反原発正義感てなんなんだよ

熊本地震被災された方々にお見舞い申し上げます

個人的に縁も思い入れもあるし知人もたくさんいるから心が痛い。

そんでまあ、こんな時にもTwitterをダラダラ眺めてんだけど。

もう原発憎い奴はなんなんだよ。

わかるよ。どんだけ対応してますって言われても、

すでに熊本震度7なんて、想像だにしない状況になっちゃってる。

心配し始めたら止まらなくなる気持ちもわかるよ。

怖い気持ちを解決したくて、原発心配しなきゃ、って気持ちで、

共感求めちゃうのもわかるよ。

でもさあ。

俺今、愛媛にいるんだよね。

地震生地点がどんどん中央構造線沿いに近づいてくる。

今は感じる地震ほとんどないけど、明日はわが身なんじゃないかって、

正直気が気じゃないとこもあるんだよ。

うちはまだ歩けない赤ん坊幼児も抱えてるし、

家も、丈夫だけどかなり古い。

もし今回このまま収まっても、

今後いつ近場の断層で同じことがあるのかわからないって気持ち

抱えてかなきゃならないって覚悟はしてる。

冷静なつもりでいるけど、怖いのは怖いんだよ。

Twitter見てると、原発止めろって話がTLに流れてくるし、

川内原発震度報道されないって、原発守るのに必死すぎだみたいな論調とか、

如何にこれまで自分達が原発危険を訴えてきたか

ここぞとばかりに叫ぶアカウントもいる。

それを見ながら思うよ。

愛媛が揺れたら、愛媛建物愛媛土地被害を受けたら、

この人達は、口を揃えて、

伊方原発の話をするんだろうなって。

伊方の稼働予定をあきらめろって話をしまくって、

なんなら四電電凸して県庁電凸して、

忙しい人達にキレられて、

そのことに不平不満を言ったりするのかな、

くらいのことは考える。

だって伊方のことは怖いよ。

でも県内人間として、正直、やれることはやってるように思える。

からもう、原子力安全委員会アカウント眺めてるくらいしか

できることはないと思ってるよ。

あと、そういうのをたしなめてくれる人たちもいるけど、

これだから反原発はーって調子で回ってくるのも

それはそれで辛いとこもある。

馬鹿にして嘲笑して見下げてみせて、

反原発からも考えなしがーだの政府鵜呑みにーだの

もうこのぶつかり合いそのもの疲弊するわ。

うそういう時期なんだから仕方ないとは思うけどさ。

ニュース熊本アーケード街流してる。

知ってる街並みなんだよマジでキツいわ。

俺、芸予地震の時にも愛媛にいたから、

あの時の揺れの恐怖がだんだん蘇ってくる感じもあってしんどいわ。

しばらく余震が続くのは辛いんだよな。

とりあえず明日防災グッズ買ってくるよ。泥縄みたいだけど。

2015-03-15

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150314-00816605-sspa-soci

この記事コメントダラダラ見てたんだけど、今住んでる盛岡に凄く似てるなあって思った

いや昔から住んでるわけじゃないから新幹線が通って人が減ったかどうかは知らないけど

不便さがソックリ。車ないとなんにもできない。

繁華街は駅から10分は歩いたようなところにしかないし当然その間別にアーケード街になってたりもしない

その繁華街飲み屋とかガストなか卯みたいな全国チェーンばっかり。サイゼリヤは県に一つもないし

買い物しようにも食品スーパーばっかりで、日用品も買えるようなイオンとかは全部郊外から

その都度バスで出かけてバスで帰ってくるしかない。でかい荷物抱えてすげー不便

車がない自分にとっては住みづらくて仕方がないんだよね。遊ぶところはカラオケラウンドワンだけだし

 

観光地だって盛岡自体にはそんなにないし、平泉とかだって一度来たらもう来なくていい場所って感じ

夏はやたら暑く冬はすっごい寒いし雪も深いから気象条件も微妙外国人観光客を誘致して泊まっていってほしいみたいだけど

この街にいわゆるゴールデンルートにない、でもそれに並ぶぐらいの魅力って何もないと思う

記事コメントにもあるけど夜にはさっさと店が閉まってしまうから駅前もすごく閑散としてて泊まったところでやることなんてない

日曜の夜八時半だっていうのに、駅構内駅ビルも人はまばらでなんかもう夜の十時ごろ?って感じ

そりゃ東京だの仙台だのに人が流れるのは当たり前じゃん、っていう…

何人か指摘してるけど、地元民が残りたいと思える街づくりをしないと来る民も定着せず行く民ばかりになるんじゃないかなあ

2013-05-30

慰安婦が本当か嘘かなんてどうでもいいけど、サヨクが絡んでる時点で話聞く気無くなるわー

昔、どこかに書いたけど拉致問題を北が認める前に熊本アーケード街拉致家族が来ていて運動していた横で

どこぞの慰安婦人権がどーとかゆー団体が側で大声で運動して声を邪魔してたの通りすがりにみちゃったんだよね

当時はサヨクコメンテーターテレビでも幅利かせていた(ネットでもサヨクデマが幅利かせていた)時代だったか

まだサヨクの言い分信じてて拉致運動に冷たい視線を向けて通り過ぎたんだけど、それから暫くして友達と一緒に海辺拉致られかけ

車で何とか逃げ切り、サヨクの言う事なんてもう信じないぞと身に沁みた

その後調べてみたら拉致家族被害者への誹謗中傷とかネットでも凄まじくて 「2ch」「匿名」の誹謗中傷がなんだって

あれらの行為は棚に上げて正当化して「ヘイトスピーチ」が何だって?同情できない、ちっとも可哀想だとも思えない 自業自得じゃないですか

今の状況

あれ以来、一切サヨク臭のするものは近づけたくないのでサヨク臭いキーワードを振りかざす人達には近づかないように気をつけている

気をつけていても忍び寄ってくるんだよね、某通販に会員登録したら通販がその手のサヨク団体に資金援助してると広報誌で知ってしまって

いやだなあという日記でしたとさ

 
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