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2024-10-02

そうすると、広田先生がむくりと起きた。首だけ持ち上げて、三四郎を見た。 「いつ来たの」と聞いた。三四郎もっと寝ておいでなさいと勧めた。じっさい退屈ではなかったのである先生は、 「いや起きる」と言って起きた。それから例のごとく哲学の煙を吹きはじめた。煙が沈黙あいだに、棒になって出る。 「ありがとう書物を返します」 「ああ。――読んだの」 「読んだけれどもよくわからんです。第一標題わからんです」 「ハイドリオタフヒア」 「なんのことですか」 「なんのことかぼくにもわからない。とにかくギリシア語らしいね」  三四郎はあとを尋ねる勇気が抜けてしまった。先生あくびを一つした。 「ああ眠かった。いい心持ちに寝た。おもしろい夢を見てね」  先生は女の夢だと言っている。それを話すのかと思ったら、湯に行かないかと言いだした。二人は手ぬぐいをさげて出かけた。  湯から上がって、二人が板の間にすえてある器械の上に乗って、身長を測ってみた。広田先生は五尺六寸ある。三四郎は四寸五分しかない。 「まだのびるかもしれない」と広田先生三四郎に言った。 「もうだめです。三年来このとおりです」と三四郎が答えた。 「そうかな」と先生が言った。自分をよっぽど子供のように考えているのだと三四郎は思った。家へ帰った時、先生が、用がなければ話していってもかまわないと、書斎の戸をあけて、自分がさきへはいった。三四郎はとにかく、例の用事を片づける義務があるから、続いてはいった。 「佐々木は、まだ帰らないようですな」 「きょうはおそくなるとか言って断わっていた。このあいから演芸会のことでだいぶん奔走しているようだが、世話好きなんだか、駆け回ることが好きなんだか、いっこう要領を得ない男だ」 「親切なんですよ」 「目的だけは親切なところも少しあるんだが、なにしろ、頭のできがはなはだ不親切なものから、ろくなことはしでかさない。ちょっと見ると、要領を得ている。むしろ得すぎている。けれども終局へゆくと、なんのために要領を得てきたのだか、まるでめちゃくちゃになってしまう。いくら言っても直さないからほうっておく。あれは悪戯をしに世の中へ生まれて来た男だね」  三四郎はなんとか弁護の道がありそうなものだと思ったが、現に結果の悪い実例があるんだから、しようがない。話を転じた。 「あの新聞記事を御覧でしたか」 「ええ、見た」 「新聞に出るまではちっとも御存じなかったのですか」 「いいえ」 「お驚きなすったでしょう」 「驚くって――それはまったく驚かないこともない。けれども世の中の事はみんな、あんものだと思ってるから若い人ほど正直に驚きはしない」 「御迷惑でしょう」 「迷惑でないこともない。けれどもぼくくらい世の中に住み古した年配の人間なら、あの記事を見て、すぐ事実だと思い込む人ばかりもないから、やっぱり若い人ほど正直に迷惑とは感じない。与次郎社員に知った者があるからその男に頼んで真相を書いてもらうの、あの投書の出所を捜して制裁を加えるの、自分雑誌で十分反駁をいたしますのと、善後策の了見でくだらない事をいろいろ言うが、そんな手数をするならば、はじめからよけいな事を起こさないほうが、いくらいかわかりゃしない」 「まったく先生のためを思ったからです。悪気じゃないです」 「悪気でやられてたまるものか。第一ぼくのために運動をするものがさ、ぼくの意向も聞かないで、かってな方法を講じたりかってな方針を立てたひには、最初からぼくの存在を愚弄していると同じことじゃないか存在無視されているほうが、どのくらい体面を保つにつごうがいいかしれやしない」  三四郎はしかたなしに黙っていた。 「そうして、偉大なる暗闇なんて愚にもつかないものを書いて。――新聞には君が書いたとしてあるが実際は佐々木が書いたんだってね」 「そうです」 「ゆうべ佐々木自白した。君こそ迷惑だろう。あんなばかな文章佐々木よりほかに書く者はありゃしない。ぼくも読んでみた。実質もなければ、品位もない、まるで救世軍太鼓のようなものだ。読者の悪感情を引き起こすために、書いてるとしか思われやしない。徹頭徹尾故意だけで成り立っている。常識のある者が見れば、どうしてもためにするところがあって起稿したものだと判定がつく。あれじゃぼくが門下生に書かしたと言われるはずだ。あれを読んだ時には、なるほど新聞記事もっともだと思った」  広田先生はそれで話を切った。鼻から例によって煙をはく。与次郎はこの煙の出方で、先生の気分をうかがうことができると言っている。濃くまっすぐにほとばしる時は、哲学の絶好頂に達したさいで、ゆるくくずれる時は、心気平穏、ことによるとひやかされる恐れがある。煙が、鼻の下に※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊して、髭に未練があるように見える時は、瞑想に入る。もしくは詩的感興がある。もっとも恐るべきは穴の先の渦である。渦が出ると、たいへんにしかられる。与次郎の言うことだから三四郎はむろんあてにはしない。しかしこのさいだから気をつけて煙の形状をながめていた。すると与次郎の言ったような判然たる煙はちっとも出て来ない。その代り出るものは、たいていな資格をみんなそなえている。  三四郎がいつまでたっても、恐れ入ったように控えているので、先生はまた話しはじめた。 「済んだ事は、もうやめよう。佐々木も昨夜ことごとくあやまってしまたから、きょうあたりはまた晴々して例のごとく飛んで歩いているだろう。いくら陰で不心得を責めたって、当人が平気で切符なんぞ売って歩いていてはしかたがない。それよりもっとおもしろい話をしよう」 「ええ」 「ぼくがさっき昼寝をしている時、おもしろい夢を見た。それはね、ぼくが生涯にたった一ぺん会った女に、突然夢の中で再会したという小説じみたお話だが[#「お話だが」は底本では「お話だか」]、そのほうが、新聞記事より聞いていても愉快だよ」 「ええ。どんな女ですか」 「十二、三のきれいな女だ。顔に黒子がある」  三四郎は十二、三と聞いて少し失望した。 「いつごろお会いになったのですか」 「二十年ばかりまえ」  三四郎はまた驚いた。 「よくその女ということがわかりましたね」 「夢だよ。夢だからわかるさ。そうして夢だから不思議でいい。ぼくがなんでも大きな森の中を歩いている。あの色のさめた夏の洋服を着てね、あの古い帽子かぶって。――そうその時はなんでも、むずかしい事を考えていた。すべて宇宙法則は変らないが、法則支配されるすべて宇宙のものは必ず変る。するとその法則は、物のほかに存在していなくてはならない。――さめてみるとつまらないが夢の中だからまじめにそんな事を考えて森の下を通って行くと、突然その女に会った。行き会ったのではない。向こうはじっと立っていた。見ると、昔のとおりの顔をしている。昔のとおりの服装をしている。髪も昔の髪である黒子もむろんあった。つまり二十年まえ見た時と少しも変らない十二、三の女である。ぼくがその女に、あなたは少しも変らないというと、その女はぼくにたいへん年をお取りなすったという。次にぼくが、あなたはどうして、そう変らずにいるのかと聞くと、この顔の年、この服装の月、この髪の日がいちばん好きだから、こうしていると言う。それはいつの事かと聞くと、二十年まえ、あなたにお目にかかった時だという。それならぼくはなぜこう年を取ったんだろうと、自分不思議がると、女が、あなたは、その時よりも、もっと美しいほうへほうへとお移りなさりたがるからだと教えてくれた。その時ぼくが女に、あなたは絵だと言うと、女がぼくに、あなたは詩だと言った」 「それからどうしました」と三四郎が聞いた。 「それから君が来たのさ」と言う。 「二十年まえに会ったというのは夢じゃない、本当の事実なんですか」 「本当の事実なんだからおもしろい」 「どこでお会いになったんですか」  先生の鼻はまた煙を吹き出した。その煙をながめて、当分黙っている。やがてこう言った。 「憲法発布は明治二十二年だったね。その時森文部大臣が殺された。君は覚えていまい。いくつかな君は。そう、それじゃ、まだ赤ん坊の時分だ。ぼくは高等学校の生徒であった。大臣葬式に参列するのだと言って、おおぜい鉄砲をかついで出た。墓地へ行くのだと思ったら、そうではない。体操教師竹橋内へ引っ張って行って、道ばたへ整列さした。我々はそこへ立ったなり、大臣の柩を送ることになった。名は送るのだけれども、じつは見物したのも同然だった。その日は寒い日でね、今でも覚えている。動かずに立っていると、靴の下で足が痛む。隣の男がぼくの鼻を見ては赤い赤いと言った。やがて行列が来た。なんでも長いものだった。寒い目の前を静かな馬車や俥が何台となく通る。そのうちに今話した小さな娘がいた。今、その時の模様を思い出そうとしても、ぼうとしてとても明瞭に浮かんで来ない。ただこの女だけは覚えている。それも年をたつにしたがってだんだん薄らいで来た、今では思い出すこともめったにない。きょう夢を見るまえまでは、まるで忘れていた、けれどもその当時は頭の中へ焼きつけられたように熱い印象を持っていた。――妙なものだ」 「それからその女にはまるで会わないんですか」 「まるで会わない」 「じゃ、どこのだれだかまったくわからないんですか」 「むろんわからない」 「尋ねてみなかったですか」 「いいや」 「先生はそれで……」と言ったが急につかえた。 「それで?」 「それで結婚をなさらないんですか」  先生は笑いだした。 「それほど浪漫的な人間じゃない。ぼくは君よりもはるかに散文的にできている」 「しかし、もしその女が来たらおもらいになったでしょう」 「そうさね」と一度考えたうえで、「もらったろうね」と言った。三四郎は気の毒なような顔をしている。すると先生がまた話し出した。 「そのために独身余儀なくされたというと、ぼくがその女のために不具にされたと同じ事になる。けれども人間には生まれついて、結婚のできない不具もあるし。そのほかいろいろ結婚のしにくい事情を持っている者がある」 「そんなに結婚を妨げる事情が世の中にたくさんあるでしょうか」  先生は煙の間から、じっと三四郎を見ていた。 「ハムレット結婚したくなかったんだろう。ハムレットは一人しかいないかもしれないが、あれに似た人はたくさんいる」 「たとえばどんな人です」 「たとえば」と言って、先生は黙った。煙がしきりに出る。「たとえば、ここに一人の男がいる。父は早く死んで、母一人を頼りに育ったとする。その母がまた病気にかかって、いよいよ息を引き取るという、まぎわに、自分が死んだら誰某の世話になれという。子供が会ったこともない、知りもしない人を指名する。理由を聞くと、母がなんとも答えない。しいて聞くとじつは誰某がお前の本当のおとっさんだとかすかな声で言った。――まあ話だが、そういう母を持った子がいるとする。すると、その子結婚信仰を置かなくなるのはむろんだろう」 「そんな人はめったにないでしょう」 「めったには無いだろうが、いることはいる」 「しか先生のは、そんなのじゃないでしょう」  先生ハハハハと笑った。 「君はたしかおっかさんがいたね」 「ええ」 「おとっさんは」 「死にました」 「ぼくの母は憲法発布の翌年に死んだ」

https://anond.hatelabo.jp/20241002005940

一二

 演芸会は比較寒い時に開かれた。年はようやく押し詰まってくる。人は二十日足らずの目のさきに春を控えた。市に生きるものは、忙しからんとしている。越年の計は貧者の頭に落ちた。演芸会はこのあいだにあって、すべてののどかなるものと、余裕あるものと、春と暮の差別を知らぬものとを迎えた。

 それが、いくらでもいる。たいていは若い男女である。一日目に与次郎が、三四郎に向かって大成功と叫んだ。三四郎は二日目の切符を持っていた。与次郎広田先生を誘って行けと言う。切符が違うだろうと聞けば、むろん違うと言う。しかし一人でほうっておくと、けっして行く気づかいがないから、君が寄って引っ張り出すのだと理由説明して聞かせた。三四郎承知した。

 夕刻に行ってみると、先生は明るいランプの下に大きな本を広げていた。

「おいでになりませんか」と聞くと、先生は少し笑いながら、無言のまま首を横に振った。子供のような所作をする。しか三四郎には、それが学者らしく思われた。口をきかないところがゆかしく思われたのだろう。三四郎は中腰になって、ぼんやりしていた。先生は断わったのが気の毒になった。

「君行くなら、いっしょに出よう。ぼくも散歩ながら、そこまで行くから

 先生は黒い回套を着て出た。懐手らしいがわからない。空が低くたれている。星の見えない寒さである

「雨になるかもしれない」

「降ると困るでしょう」

「出入りにね。日本芝居小屋は下足があるから、天気のいい時ですらたいへんな不便だ。それで小屋の中は、空気が通わなくって、煙草が煙って、頭痛がして、――よく、みんな、あれで我慢ができるものだ」

「ですけれども、まさか戸外でやるわけにもいかいからでしょう」

「お神楽はいつでも外でやっている。寒い時でも外でやる」

 三四郎は、こりゃ議論にならないと思って、答を見合わせてしまった。

「ぼくは戸外がいい。暑くも寒くもない、きれいな空の下で、美しい空気を呼吸して、美しい芝居が見たい。透明な空気のような、純粋簡単な芝居ができそうなものだ」

先生の御覧になった夢でも、芝居にしたらそんなものができるでしょう」

「君ギリシアの芝居を知っているか

「よく知りません。たしか戸外でやったんですね」

「戸外。まっ昼間。さぞいい心持ちだったろうと思う。席は天然の石だ。堂々としている。与次郎のようなものは、そういう所へ連れて行って、少し見せてやるといい」

 また与次郎悪口が出た。その与次郎は今ごろ窮屈な会場のなかで、一生懸命に、奔走しか斡旋して大得意なのだからおもしろい。もし先生を連れて行かなかろうものなら、先生はたして来ない。たまにはこういう所へ来て見るのが、先生のためにはどのくらいいいかからないのだのに、いくらぼくが言っても聞かない。困ったものだなあ。と嘆息するにきまっているからなおおもしろい。

 先生それからギリシア劇場構造を詳しく話してくれた。三四郎はこの時先生から、Theatron, Orch※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)stra, Sk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)n※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字), Prosk※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)nion などという字の講釈を聞いた。なんとかいドイツ人の説によるとアテン劇場は一万七千人をいれる席があったということも聞いた。それは小さいほうであるもっとも大きいのは、五万人をいれたということも聞いた。入場券は象牙と鉛と二通りあって、いずれも賞牌みたような恰好で、表に模様が打ち出してあったり、彫刻が施してあるということも聞いた。先生はその入場券の価まで知っていた。一日だけの小芝居は十二銭で、三日続きの大芝居は三十五銭だと言った。三四郎がへえ、へえと感心しているうちに、演芸会場の前へ出た。

 さかんに電燈がついている。入場者は続々寄って来る。与次郎の言ったよりも以上の景気である

「どうです、せっかくだからはいりになりませんか」

「いやはいらない」

 先生はまた暗い方へ向いて行った。

 三四郎は、しばらく先生の後影を見送っていたが、あとから、車で乗りつける人が、下足札を受け取る手間も惜しそうに、急いではいって行くのを見て、自分も足早に入場した。前へ押されたと同じことである

 入口に四、五人用のない人が立っている。そのうちの袴を着けた男が入場券を受け取った。その男の肩の上から場内をのぞいて見ると、中は急に広くなっている。かつはなはだ明るい。三四郎は眉に手を加えないばかりにして、導かれた席に着いた。狭い所に割り込みながら、四方を見回すと、人間の持って来た色で目がちらちらする自分の目を動かすからばかりではない。無数の人間に付着した色が、広い空間で、たえずめいめいに、かつかってに、動くからである

 舞台ではもう始まっている。出てくる人物が、みんな冠をかむって、沓をはいていた。そこへ長い輿をかついで来た。それを舞台のまん中でとめた者がある。輿をおろすと、中からまた一人あらわれた。その男が刀を抜いて、輿を突き返したのと斬り合いを始めた。――三四郎にはなんのことかまるでわからない。もっと与次郎から梗概を聞いたことはある。けれどもいいかげんに聞いていた。見ればわかるだろうと考えて、うんなるほどと言っていた。ところが見れば毫もその意を得ない。三四郎記憶にはただ入鹿の大臣という名前が残っている。三四郎はどれが入鹿だろうかと考えた。それはとうてい見込みがつかない。そこで舞台全体を入鹿のつもりでながめていた。すると冠でも、沓でも、筒袖の衣服でも、使う言葉でも、なんとなく入鹿臭くなってきた。実をいうと三四郎には確然たる入鹿の観念がない。日本歴史を習ったのが、あまりに遠い過去であるから、古い入鹿の事もつい忘れてしまった。推古天皇の時のようでもある。欽明天皇の御代でもさしつかえない気がする。応神天皇聖武天皇ではけっしてないと思う。三四郎はただ入鹿じみた心持ちを持っているだけである。芝居を見るにはそれでたくさんだと考えて、唐めいた装束や背景をながめていた。しかし筋はちっともわからなかった。そのうち幕になった。

 幕になる少しまえに、隣の男が、そのまた隣の男に、登場人物の声が、六畳敷で、親子差向かい談話のようだ。まるで訓練がないと非難していた。そっち隣の男は登場人物の腰が据わらない。ことごとくひょろひょろしていると訴えていた。二人は登場人物本名をみんな暗んじている。三四郎は耳を傾けて二人の談話を聞いていた。二人ともりっぱな服装をしている。おおかた有名な人だろうと思った。けれどもも与次郎にこの談話を聞かせたらさだめし反対するだろうと思った。その時うしろの方でうまいうまいなかなかうまいと大きな声を出した者がある。隣の男は二人ともうしろを振り返った。それぎり話をやめてしまった。そこで幕がおりた。

 あすこ、ここに席を立つ者がある。花道から出口へかけて、人の影がすこぶる忙しい。三四郎は中腰になって、四方をぐるりと見回した。来ているはずの人はどこにも見えない。本当をいうと演芸中にもできるだけは気をつけていた。それで知れないから、幕になったらばと内々心あてにしていたのである三四郎は少し失望した。やむをえず目を正面に帰した。

 隣の連中はよほど世間が広い男たちとみえて、左右を顧みて、あすこにはだれがいる。ここにはだれがいるとしきりに知名の人の名を口にする。なかには離れながら、互いに挨拶をしたのも、一、二人ある。三四郎はおかげでこれら知名な人の細君を少し覚えた。そのなかには新婚したばかりの者もあった。これは隣の一人にも珍しかったとみえて、その男はわざわざ眼鏡をふき直して、なるほどなるほどと言って見ていた。

 すると、幕のおりた舞台の前を、向こうの端からこっちへ向けて、小走りに与次郎がかけて来た。三分の二ほどの所で留まった。少し及び腰になって、土間の中をのぞき込みながら、何か話している。三四郎はそれを見当にねらいをつけた。――舞台の端に立った与次郎から一直線に、二、三間隔てて美禰子の横顔が見えた。

 そのそばにいる男は背中三四郎に向けている。三四郎は心のうちに、この男が何かの拍子に、どうかしてこっちを向いてくれればいいと念じていた。うまいあいその男は立った。すわりくたびれたとみえて、枡の仕切りに腰をかけて、場内を見回しはじめた。その時三四郎は明らかに野々宮さんの広い額と大きな目を認めることができた。野々宮さんが立つとともに、美禰子のうしろにいたよし子の姿も見えた。三四郎はこの三人のほかに、まだ連がいるかいないかを確かめようとした。けれども遠くから見ると、ただ人がぎっしり詰まっているだけで、連といえば土間全体が連とみえるまでだからしかたがない。美禰子と与次郎あいだには、時々談話が交換されつつあるらしい。野々宮さんもおりおり口を出すと思われる。

 すると突然原口さんが幕の間から出て来た。与次郎と並んでしきりに土間の中をのぞきこむ。口はむろん動かしているのだろう。野々宮さんは合い図のような首を縦に振った。その時原口さんはうしろから、平手で、与次郎背中をたたいた。与次郎くるりと引っ繰り返って、幕の裾をもぐってどこかへ消えうせた。原口さんは、舞台を降りて、人と人との間を伝わって、野々宮さんのそばまで来た。野々宮さんは、腰を立てて原口さんを通した。原口さんはぽかりと人の中へ飛び込んだ。美禰子とよし子のいるあたりで見えなくなった。

 この連中の一挙一動演芸以上の興味をもって注意していた三四郎は、この時急に原口流の所作がうらやましくなった。ああいう便利な方法で人のそばへ寄ることができようとは毫も思いつかなかった。自分ひとつまねてみようかしらと思った。しかしまねるという自覚が、すでに実行の勇気をくじいたうえに、もうはいる席は、いくら詰めても、むずかしかろうという遠慮が手伝って、三四郎の尻は依然として、もとの席を去りえなかった。

 そのうち幕があいて、ハムレットが始まった。三四郎広田先生のうちで西洋のなんとかいう名優のふんしたハムレット写真を見たことがある。今三四郎の目の前にあらわれたハムレットは、これとほぼ同様の服装をしている。服装ばかりではない。顔まで似ている。両方とも八の字を寄せている。

 このハムレット動作がまったく軽快で、心持ちがいい。舞台の上を大いに動いて、また大いに動かせる。能掛りの入鹿とはたいへん趣を異にしている。ことに、ある時、ある場合に、舞台のまん中に立って、手を広げてみたり、空をにらんでみたりするときは、観客の眼中にほかのものはいっさい入り込む余地のないくらい強烈な刺激を与える。

 その代り台詞日本である西洋語を日本語に訳した日本である。口調には抑揚がある。節奏もある。あるところは能弁すぎると思われるくらい流暢に出る。文章もりっぱである。それでいて、気が乗らない。三四郎ハムレットがもう少し日本人じみたことを言ってくれればいいと思った。おっかさん、それじゃおとっさんにすまないじゃありませんかと言いそうなところで、急にアポロなどを引合いに出して、のん気にやってしまう。それでいて顔つきは親子とも泣きだしそうであるしか三四郎はこの矛盾をただ朧気に感じたのみである。けっしてつまらないと思いきるほどの勇気は出なかった。

 したがって、ハムレットに飽きた時は、美禰子の方を見ていた。美禰子が人の影に隠れて見えなくなる時は、ハムレットを見ていた。

 ハムレットオフェリヤに向かって、尼寺へ行け尼寺へ行けと言うところへきた時、三四郎はふと広田先生のことを考え出した。広田先生は言った。――ハムレットのようなもの結婚ができるか。――なるほど本で読むとそうらしい。けれども、芝居では結婚してもよさそうである。よく思案してみると、尼寺へ行けとの言い方が悪いのだろう。その証拠には尼寺へ行けと言われたオフェリヤがちっとも気の毒にならない。

 幕がまたおりた。美禰子とよし子が席を立った。三四郎もつづいて立った。廊下まで来てみると、二人は廊下の中ほどで、男と話をしている。男は廊下からはいりのできる左側の席の戸口に半分からだを出した。男の横顔を見た時、三四郎はあとへ引き返した。席へ返らずに下足を取って表へ出た。

 本来は暗い夜である人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちているように思う。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰った。

 夜半から降りだした。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けという一句を柱にして、その周囲にぐるぐる※(「彳+低のつくり」、第3水準1-84-31)徊した。広田先生も起きているかもしれない。先生はどんな柱を抱いているだろう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋まっているに違いない。……

 あくる日は少し熱がする。頭が重いから寝ていた。昼飯は床の上に起き直って食った。また一寝入りすると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎はいって来た。ゆうべも見えず、けさも講義に出ないようだからどうしたかと思って尋ねたと言う。三四郎は礼を述べた。

「なに、ゆうべは行ったんだ。行ったんだ。君が舞台の上に出てきて、美禰子さんと、遠くで話をしていたのも、ちゃんと知っている」

 三四郎は少し酔ったような心持ちである。口をききだすと、つるつると出る。与次郎は手を出して、三四郎の額をおさえた。

「だいぶ熱がある。薬を飲まなくっちゃいけない。風邪を引いたんだ」

演芸場があまり暑すぎて、明るすぎて、そうして外へ出ると、急に寒すぎて、暗すぎるからだ。あれはよくない」

「いけないたって、しかたがないじゃないか

しかたがないったって、いけない」

 三四郎言葉だんだん短くなる、与次郎がいいかげんにあしらっているうちに、すうすう寝てしまった。一時間ほどしてまた目をあけた。与次郎を見て、

「君、そこにいるのか」と言う。今度は平生の三四郎のようである。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答えただけである

風邪だろう」

風邪だろう」

 両方で同じ事を言った。しばらくしてから三四郎与次郎に聞いた。

「君、このあいだ美禰子さんの事を知ってるかとぼくに尋ねたね」

「美禰子さんの事を? どこで?」

学校で」

学校で? いつ」

 与次郎はまだ思い出せない様子である三四郎はやむをえずその前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、

「なるほどそんな事があったかもしれない」と言っている。三四郎はずいぶん無責任だと思った。与次郎も少し気の毒になって、考え出そうとした。やがてこう言った。

「じゃ、なんじゃないか。美禰子さんが嫁に行くという話じゃないか

「きまったのか」

「きまったように聞いたが、よくわからない」

「野々宮さんの所か」

「いや、野々宮さんじゃない」

「じゃ……」と言いかけてやめた。

「君、知ってるのか」

「知らない」と言い切った。すると与次郎が少し前へ乗り出してきた。

「どうもよくわからない。不思議な事があるんだが。もう少したたないと、どうなるんだか見当がつかない」

2023-12-10

2023年12月8日 田中真紀子記者会見文書き起こし 2/2

1/2 : anond:20231210171047

国会議員は月々230万円貰っている

一番言いたいことはですね、今の国会議員たち、この人たちは

幾ら貰ってるか知っていますか皆さん。お給料

ネットで今朝もまた確認しました。

衆議院議員がですね、えっと何人いるんでしたっけ、ご存じですか。

衆議院が465。参議院が248人。合計713人います

歳費は 1,294,000円貰っています、月々。月ですよ。

かに私のころは文通20万だったんですよ。40万になって議員やめました。

今100万円もらってます調査研究費。何の調査やってるんですか?

それだけの大金をですね、お給料と、それからその調査研究費で230万円貰ってるんです。

プラスプラスいいですか、役職手当ってもらっているんですよ。役職手当。

私が大臣の時は3回大臣いたしました。委員長も2回いたしました。

大臣は当時30万円もらいました。今もっとじゃないでしょうかね。

国会議員は加えて氷代、餅代、官邸機密費を貰っている

それから外遊に行くとき。これ以上あまり具体的に言うと週刊誌・・・

ホッタさん、どこいっちゃった? ホッタさんが喜ぶといけないからあまり・・・

あ、いたいたいた、言ってもあのあれですけどね。

(ホッタさんらしき人物が声を上げる)

  ――「いやだめですよ週刊誌なんかもうね、全然売れ行きがこんな・・・

そりゃあなたが悪いのよ、いい写真取らないから。あとでしゃべろう。あとで一杯飲もう。

(ホッタさん)

  ――「でも人気の政治家がいないからね、本当にね」

そう。発信力がないから。命がけの人がいないからです。

本当にね私、これを見てて、これだけのお金をもらって、

そして盆暮れ、氷代、餅代、っていうのは自民党の時ですよ、幹事長から貰いましたよ。

それから大臣外遊するときにも、官邸機密費からだと思いますけど、

100万円ずつ白い封筒いただきまして、私返しました。

そしたら村山総理が、あのマユゲの総理

「真紀ちゃんあなたカネを欲しがらない人だネェ」

なんて言ってました。

欲しがらんじゃなくて、私は公費大臣としてファーストクラス

勉強させてもらいに国際会議に行くのに、

なーんでそんなものもらわなきゃいけない?

お土産代だ」って言ってました。誰のお土産ですか?

で、私、私費で、チョコレートボックスをある方にあげたら、

ある総理経験者です、今になるとね。当時総理じゃなかったけど。

私の議席まで本会議場で来られて、

「真紀ちゃんチョコレートありがとう

はいどういたしまして、て言ったら

札束がギッシリ入っていると思ったらナンだアレ」

て言ったんですよ。これ自民党議員。全部私日記に書いてあります

それから、氷代餅代のときにね、幹事長が、議員を呼んで

今もやってるでしょ自民党、どうですか、自民党議員さんいませんか、さっきいたな。

ちゃんとくれるんです。で幹事長って名前を呼ばれていくんです。

田中真紀子君」

入っていくと、封筒ポンとおいて

「あ真紀ちゃん、これ、あんたカネ足りないだろうから、おれが貰っとくよw」

なんて言うんですよ。

は?、って私言ったんですよ。

からさっき言った文通費だとか、歳費のほかに国会議員ってお金いっぱい貰ってるんです。

政党は、評論家国対派閥、会食にカネを使う

問題は出の問題でしょ。

先日のテレビを見てましたら評論家が、

政治にはカネがかかるんですよ」て言ってましたから。

バカ、お前みたいなのが評論家やってるからタカリじゃないか

私は思ってみてましたけど。

おかしいですよ。なんでお金がかかるか言いましょうか。

から言ったらね、やっぱり野党対策国対使ってるんですよ。

現金かどうか、見てないから知らないけど、やってます

派閥。各派閥自民党で言えばね。野党もそうかもしれません、知りません。

そのカードでもって、やってる。

それから飲食をともに、しょっちゅうしてますね、国会終わると。

これからもやるんじゃないですか先生方。たぶんそうでしょ?

それにお金かかってるんですよ。それは党が使うお金

国会議員個人は、地方議員からタカられてカネを使う

個人の、じゃ議員はどうか。

個人は、地元の県会議員、これらがタカリなんですよ、市会議員、市長だとか知事とか。

それらがもう、お金くれ、お金くれ、お金くれですよ。

もう地方のね、地方議員減らしたらいいんですよ。

国会議員の定数削減も申しますが、地方議員は何やってるんですかあんなにお金いっぱい貰って。

それらが、「じゃなかったら選挙落とすぞ」言われるんですから

うちの父が病気になっていたときに、

ちゃあんとある新潟県知事、ま、現職の議員名前出して

逆につるし上げられちゃったある県会議員がいます新潟県の、

その方なんか、父が病気だというのに、県議たちを連れて目白に来て、

奥さんカネくれ」とうちの母に言ったんです。「オヤジは出したから」。

私はそれ見ててお茶出してビックリしましたよ。ここまでタカってんのか地方議員は。

これ地方の人にやっぱり言ってほしいですよ。一般の人は知らないんでしょうね。

それでうちの母は、「主人は倒れておりますのでお引き取り下さい」て言いましたよ。

やっぱり明治女性しっかりしてますよ。

花の一輪ももってこないで、病気のところへ来て見舞いだってきてですね、カネを出せなんてありますか。

そんななんですよ日本人体たらくは。

そして、

オヤジはカネを出したり面倒見てくれたり就職の世話してくれたのに、

 直紀と真紀子はやらない、落としてやるぞ」

その県会議から言われたんですよ。

現職の文部大臣になったかしょっちゅう選挙区に帰って、タスキかけて、運動して

新幹線で取り替えて、また大臣室に行って、仕事してたんですけど、やっぱり

僅差で落とされましたよ。相手自民党小選挙区じゃなかったですからね。

そっちにおカネ撒くんですよ、「あいつら言うこと聞かないからあの夫婦落とせ」

ちゃんと落っことされました。

有権者が、そういう地方ボスの言うこと聞いているからですよ。

そういう地方ボス国会議員になったり。

議員秘書たちは穢れている

それから大変申し訳ないけど今日おられる人、秘書さんね。

秘書上がりの議員さん、~~とかあいつもみんなそうなんだけど。

今日来てる方の中にはいいかな。秘書上がりの議員来なくなっちゃった

さっき今日行くっつってたけど、後で来るかもしれませんけど。

そういう人は秘書やっていると、悪いこといっぱい覚えるんですよね。

お金集めのしかたとかね。脅しのしかたとかね。

私は友達とか、早稲田友達とか、全部おともだちに秘書をやってもらいました。

子供たちの友達のお母さまとかにやってもらいました。

プロは幾らでもいます田中派議員の、落選した人、死んだ人の秘書

お嬢さん、私がやりますから

ノーサンキュー。そんなのが来ると穢れちゃう

ところがそんなのがしっかりお金をとったりするんです。

官邸にもバックにそういう人居るんじゃないですか。総理が変わってもいるんじゃないですかずっと。

官邸機密費の使い方。外務省報償費の使い方。

これ、税金なんですよ、一般国民はそんな楽な生活していませんから

こんな使い方をしててね、なんで改革をしないのかという思いが非常に私は強いです。

世襲政治資金と地盤継承問題である

で、皆様発言をなさると思うので、私の結論だけを簡単に申しますとですね。

要するにあの、議員定数を減らすってことも色々言われてますし、

それからその議員の勤続ですね、通年国会にした方がいいとかですね。毎年一年中やるとか。

色々あると思います

それからあとは、あの、ペーパーテストやればいいとか、世襲議員を辞めさせればいい

世襲が、政治資金まで引き継いでやるからいけないんです、無税で。

世襲で出たかったらですね、うちは息子は出ませんから良かったんですけど

希望していませんから能力もないし。みんな親も子供有権者も、出ろ出ろ出ろって言うんですよ。

うちは息子のところでも各党の党首が来て、あの仕事やってるのに

仕事にならなかったって言いましたね。

「僕は出たかったら北海道でもどこでも出るよ」って言ってましたよ。

だってみんな息子を出したいんでしょ、一生懸命外遊に連れて行ったりして

色々やってるじゃないですか、買い物させたりしてね。

それだったらね、1回休むとか。親が北海道だったら沖縄から出るとか。東京から出るとかね。

そうやってやったらどうですか、政治資金が引き継がれちゃだめ。

世襲でも良い議員もいます世襲じゃないから皆が良いとは言いません。

要するに最初に言ったように、本人の能力、やる気。

立合演説会を義務付けたい

で、一点だけ私が、どうしてもこれはやりたいと思ってることがあります

それは、選挙のたびに、地方も、都知事選挙も、区議会議員も、

全部立合演説会をやること。

うちの父が一番言っていたのは、「あれでお父さん鍛えられた」

しょっちゅう言っていました、私子供のころから聞いています

候補者が全部出るんです、2週間選挙期間があるとね。

その地域公園かなんかに候補者が全部並ぶんです、3日に1回。

有権者が皆んな来て集まってね、「へえこれがそうなのか」と見てね。質問するんです。

あなた財政再建するにはどっからどうやってやりますか」とか、それから

「COP28では環境問題こうやって言ってたけど、環境問題経済成長企業、どうやってやるんですか」

「戦費これだけ使っているのに、戦費使っていて、そして環境問題バランス考えたら

 環境問題やるほうが安上がりに済むかもしれないのに、どう思いますか」とかね、あるいは

同性婚結婚、どう思いますか」

色々聞くんですよ。候補者答えなければいけません。

「わからな~い (^_^;)」とかね、言っているひとはダメですよ。

そういう有権者がね、見極めるチャンスをね、立合演説会で絶対やるべき。

父が一番言っていたのは

「もう、とにかくしつこい奴がいて、野次って野次ってしょうがいか

 『あんたヤジらないで私の言うこと聞きなさい!』と言うと、

 相手ボンボンボンボン政策を訊いてきて。ムキになってお父さん答えたんだよ。

 そうしたら最後相手が『よし、分かった! 角さん頑張れ!』と言って去っていったので

 いやーやったな!と思った」

て言っていました。

それで候補者も鍛えられるんですよ。民主主義言論ですから

言葉でもって、どれだけ分かりやすく、命がけで喋るかなんですよ。

喋らないで何ですか、この最近の、なんか、あの、なんか変なこと、

「答弁を差し控えさせていただきます

差し控えるって言うのは、ヤマシイから答えられないってことでしょう?

すればいいじゃないですか。国民そんなバカじゃないですよ。

差し控えちゃいけないの。じゃあ国会議員になるのを差し控えたほうがいいです。

いくらでも候補者がいるんだから、なりたい人は。そういうねすっとぼけ言葉の使い方をしちゃダメ

一度でも言ったらね、即、もう議員辞めてもらいますおかしいですよ。

さいごに

ですから皆様から、これから主人は主人の立場であると思います

郷原先生はまた、法律家としての立場から色々おっしゃって下さると思いますが、

私はやっぱり政治っていうものはすごいと思うし、政治世界を変えるし、平和にもできるし、

陛下がおっしゃっているように、国民の、日本繁栄と、国民の安寧と、世界平和

これなんですよ。みんなやりましょう、それを。

それをやっぱり皆さんに発信したいと思って、今日こういう会合を致しました。以上です。

#これは何か

2023年12月8日 参議院議員会館内で行われた記者会見の冒頭、

田中真紀子スピーチ17分間)の全文書き起こしです

https://www.youtube.com/watch?v=BRqIA0uVYUA

#なぜこんなものはてな匿名ダイアリー投稿たか

発言の一部がニュースになっていましたが、見どころが多いので、テキスト化された全文がネットにあると便利だろうと思ったからです。

著作権フリーの「政治上の演説」だと思いますので、自由コピペして使ってください。

一部聞き取れてないところや、聞き違いあると思いますがご容赦ください。

#まとめ

  1. 日本政治の現状
    1. 11年ぶりの永田町の印象は、暗い雰囲気、そして住人にそぐわない議員会館の立派さだ
    2. 国民政治に飢えている
    3. 私は政治の素晴らしさを信じている
    4. しかし夢のない、人として終わってしまった人たちがポストを握っている
    5. そして政治家たちは役人に軽んじられている
    6. 政治家熱量を取り戻すため、私たち勉強会を開いている
  2. 政治家をめぐるカネの動き
    1. 国会議員は月々230万円貰っている
    2. 国会議員は加えて氷代、餅代、官邸機密費を貰っている
    3. 政党は、評論家国対派閥、会食にカネを使う
    4. 国会議員個人は、地方議員からタカられてカネを使う
    5. 議員秘書たちは穢れている
  3. 日本政治への処方箋
    1. 世襲政治資金と地盤継承問題である
    2. 立合演説会を義務付けたい

2023年12月8日 田中真紀子記者会見文書き起こし 1/2

皆様こんにちは田中真紀子でございます

11年ぶりの永田町の印象は、暗い雰囲気、そして住人にそぐわない議員会館の立派さだ

11年ぶりに永田町の土を踏みました。

まあ、なんか空気が相変わらずよどんでいるし、きな臭いし、

なんか暗い感じがするなというのが第一印象でした。

で、こんな立派な、私初当選の時にはですね、あの古い議員会館だったんですけど。

こんな立派なね、議員会館ができて。人間がなんかみんな姑息になっているのに。住人が。

関係者がおられるから・・・呆れた顔しておられるけど・・・

議員にふさわしくないほど立派な議員会館ができているなという印象も持ちました。

国民政治に飢えている

で、上田先生上田清司参院議員)が今おっしゃってくださいましたけれども、

私あの、安倍内閣が出来たこからですね。これはちょっと日本危ない方向に行くかもしれないし

国際情勢もたいへん厳しくなってくるということの見通しもついていましたので、

あのこれ、政治改革かなり具体的にやらなきゃいけないんじゃないかなとずっと思っていました。

で、その、勉強会もいたしましたが、その前にですね。

あの、父が書きました、これ51年前に出版いたしました日本列島改造論。

これの復刻版を出すことにいたしました。

なぜかと申しますと、あの、刊行してくださった日刊工業新聞の井水社長さんがですね、

「これ出しましょう、出しましょう、世間から要求がありますよ、かなり希望があります」て

お話があったんですが、もう今さら田中角栄でもなかろうと私思ってたんですけども。

この過去10年間ぐらいの政治を見ていまして、与党とか野党とかという政党の話じゃないんですね、

日本政治国民の、政治に対する意識投票率の低さ。

それから世界がこれだけ複雑に動いていて、その中で日本は立ち竦んでいるというかですね

はぐらかしばっかり言ってるんですよね、はっきり言うと。

これは大変なことになると思いまして、こちからお願いをいたしまして

日本列島改造論、51年前の本を復刻いたしました、この春。

おとといでしたか、あの販売担当者の方に聞きましたならば、

当時は92万部か何かでベストセラーだったんですね。当時大変な政治家の本としては売り上げであった。

現在はですよ、これだけ時間が経っているのに、1か月に全国の書店から平均400部の注文が来ていると。

間違いなく、初版から行くとミリオンセラー100万部になるという話を聞きました。

それどういうことかと言いますと、政治にみんなが飢えているってことです。国民が。

投票率が低いというよりかも政治に期待できない。

それは困るんですよ。

私は政治の素晴らしさを信じている

私は本当に政治ってものはすごいものだと思って育ってきているんです。

今もそう思ってます政治は一番チャレンジングでやりがいのある仕事だと思っています

現実を夢に非常に近づけられるのは政治なんですよ。夢を実現することもできるんですよ。

これが政治でしょう。こんな素晴らしい職業ないと私は信じています

しかし夢のない、人として終わってしまった人たちがポストを握っている

であるにも関わらず。

どこの議員がどうだとか、何党がどうとかそんなこと言う気はないんですけど、

とにかく意識がみんな下がってきて。

で、友達も、あるいは何かの対談とかプロの方にお会いするときも、みんな聞くと、

政治ダメだ」「期待できない」

なぜかというと、「国会議員面白くない」「ヘナチョコばっかりだ」

みたいなこと平気で言うわけですよ。

本来国会議員ていうのは尊敬されてですね、みんなから憧れられるような存在じゃなきゃいけない。

政治家を志す人たちが、色んなルールも変わってきていますけど、やっぱり夢がないでしょうね。

天下国家に対する矜持が無いと言いますかね。そういう人たちが平気で議員になっているということで

私はおかしいと思ってますし。

その、安倍さん以降、彼も含めてですけど、

安倍さん同期だから私仲良しだったんですけど、客観的に見てですね、やっぱりもうあの、

人としてなんかこう、全て終わってしまったというか、賞味期限が切れたと言いますかね

そういう人たちが総理になり、閣僚になり、議員になっているんですよ。

活力が充実してて、やる気満々で、「どんな批判があっても自分の夢は実現したい」

ていうような人たちがポストについていないってことなんです。

まあ言ってみれば、このあいだも、最近今日まぁなんか1番ピークですね、

官房長官が大変なお金をなんか取ったとかなんとかって、もう毎回毎回そんな記事

今日は偶然ちょうどいいタイミングというか、世間が盛り上がってるときに偶然なったんですけど。

そして政治家たちは役人に軽んじられている

ずっと私11年間ずっと見てきていて、なんか政治家、特にこのあい

1か月間に3人も副大臣クビになりました。

消耗品じゃないですか。使い捨てですか? 国会議員は。副大臣ですよ。

役人とも、昨日も外務省役人ご飯食べました。その前は科技庁、文部省役人ご飯食べました。

このあともまた若手と食べます。みんな、

なんであなたがたそんな優秀なのに役人になったのかと聞くと

「僕は役人になる前に、学者にもなれたし、研究者にもなれた。

 研究者にならずに役人になった理由は、僕の国家に対する思い、能力、それを全て反映してほしい。

 国民還元したい。だから僕はなったんです」

どの役所のひとも言うんですよ。

今どう?て言っても、

──ところで今の大臣文部大臣誰?

「誰だっけ?」

て言うんですよ。

──外務大臣は?

「男?女か?男、あ、また女だよね女か」

なんて言うんですよ。失礼な話じゃないですか。

現職の役人たちですよ。ついこないだまで、事務次官局長やっていた人がそういうこと言うんですよ。

それで役人仕事しますか?

政治家の熱量を取り戻すため、私たち勉強会を開いている

やっぱり熱がなきゃダメなんです、熱がなければ。

で、そういう人を集めるためにはどうすればいいかという勉強会を、

ここの永田町には来なかったですから国会図書館のなかの議員閲覧室で、

主人や上田先生郷原先生郷原信郎弁護士)もそうですし、

他の知識人たちとずっと勉強会をしてきました。

今日ご都合が悪くて来られなかった方もおられますけれども、

とにかく国会が閉まらないうちに我々の声をあげたいと思っています

これはあの別に私たち売名でやろうなんて気もありませんし、

新党を作って頑張ろうとかですね、そういう、あの、愚かな考えも持っておりませんけれども。

つづく

2023-02-10

anond:20230210162413

戦時教育令(昭和二十年五月二十二日勅令第三百二十号)

 第一条 学徒ハ尽忠以テ国運ヲ雙肩ニ担ヒ戦時ニ緊切ナル要務ニ挺身シ平素鍛錬セル教育ノ成果ヲ遺憾ナク発揮スルト共ニ智能ノ錬磨ニ力ムルヲ以テ本分トスベシ

 第二条 教職員ハ率先垂範学徒ト共ニ戦時ニ緊切ナル要務ヲ挺身シ倶学倶進以テ学徒ノ薫化啓導ノ任ヲ全ウスベシ

 第三条 食糧増産、軍需生産、防空防衛重要研究戦時ニ緊切ナル要務ニ挺身セシムルト共ニ戦時ニ緊要ナル教育訓練ヲ行フ為学校毎ニ教職員及学徒ヲ以テ学徒隊ヲ組織地域毎ニ学徒隊ヲ以テ其ノ連合体組織スルモノトシ二以上ノ学徒隊ノ一部又ハ全部ガ同一ノ職場ニ於テ挺身スルトキハ文部大臣ノ定ムル場合ヲ除クノ外其ノ職場毎ニ教職員及学徒ヲ以テ学徒隊ヲ組織シ又ハ学徒隊ヲ以テ其ノ連合体組織スルモノトス

 学徒隊及其ノ連合体組織編制、教育訓練、指導監督其ノ他学徒隊及其ノ連合体ニ関シ必要ナル事項ハ文部大臣之ヲ定ム

 第四条 戦局ノ推移ニ即応スル学校教育運営ノ為特ニ必要アルトキハ文部大臣ハ其ノ定ムル所ニ依リ教科目及授業時数ニ付特例ヲ設ケ其ノ他学校教育実施ニ関シ特別措置ヲ為スコトヲ得

 第五条 戦時ニ際シ特ニ必要アルトキハ学徒ニシテ徴集召集等ノ事由ニ因リ軍人(陸海軍学生生徒ヲ含ム)ト為リ、戦時ニ緊切ナル要務ニ挺身シテ死亡シ若ハ傷痍ヲ受ケ又ハ戦時ニ緊要ナル専攻学科ヲ修ムルモノハ文部大臣ノ定ムル所ニ依リ正規ノ期間在学セズ又ハ正規試験ヲ受ケザル場合ト雖モ之ヲ卒業(之ニ準ズルモノヲ含ム)セシムルコトヲ得

 第六条 本令中文大臣トアルハ朝鮮ニ在リテハ朝鮮総督、台湾ニ在リテハ台湾総督、関東州満洲国ニ在リテハ満洲国駐箚特命全権大使南洋群島ニ在リテハ南洋庁長官トス

附則

 本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行

2022-11-23

検閲とか検閲じゃないとか

朝鮮人扱った映像作品東京都が上映認めず 制作者らが批判

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221122/k10013900691000.html

こいつが検閲になるんじゃないかということでニュースになっていたわけだけど、

最初自分検閲になるんじゃ、とは思っていたが考え直して検閲には当てはまらんような気がしてきた。

ただ自分記憶あいまいなので、識者の意見を聞きたいと思ってここにメモを残しておく。

 

まず第一に、検閲とは

検閲」とは「行政権主体となって、思想内容等の表現物を対象とし、その全部又は一部の発表の禁止目的とし、対象とされる一定表現物につき網羅一般的に、発表前にその内容を審査した上、不適当と認めるものの発表を禁止することを特質として備えるもの

最大判昭和59年12月12日 民集38巻12号1308頁 札幌税関検査事件

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52690

意味し、今回は東京都という行政権主体となって、発表前に内容を審査したうえで、不適当と認めるものの発表を禁止したといえるので、検閲なんじゃないかと思ったわけだ。

ただ、そこでない記憶を振り絞って思い出したのが家永訴訟で、探し出してみたら

「本件検定は、前記のとおり、一般図書としての発行を何ら妨げるものではなく、発表禁止目的や発表前の審査などの特質がないから、検閲に当たらず、憲法一条二項前段の規定違反するものではない。」

最小判平成5年3月16日民集 第47巻5号3483頁教科書検定事件

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=56358

となっていて、検閲でいう発表の禁止は今後一切の発表ができなくなるような性質に思えるな、というわけで

22日、都議会議会棟で、昭和初期に精神科病院入院していた朝鮮人を扱った映像作品の上映会が開かれ、制作したアーティスト飯山由貴さんらのグループ都議会議員7人らが参加しました。

 

飯山さんは、東京 港区の「東京都人権プラザ」で開かれている精神障害者理解促進を図る企画展で都に展示内容の委託を受け、イベントの1つとしてこの作品を上映しようとしましたが、認められませんでした。

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221122/k10013900691000.html

すでに対象作品は上映で来ていて、今後も別の機会でも上映できるだろうから検閲ではないんじゃないかと思うんだが、どうだろう。

  

ついでに言えば、東京都作品内容について判断をして拒否をできるかについては、拒否ができる場合もあるとは思う。

例えば、ジェンダーについての作品を依頼してTERFバリバリ作品が出てきたら困るだろうし、

女性支援作品HPVワクチン薬害をもたらした、なんてやられたら問題しか言えないし。

https://news.yahoo.co.jp/articles/02b7817b866ffd531d0fd4c1125f2ec3413b6055

  

ただし、そういった上映の拒否権も完全に自由とはならず、ある程度の裁量権範囲にはなるかと思う。

教科書訴訟でも検定の正当性は認めつつも、裁量権を逸脱した部分については違法性認定しているわけで。

「生体実験をして多数の中国人等を殺害したとの大筋は、既に本件検定当時の学界において否定するものはないほどに定説化していたものというべきであり……文部大臣が、七三一部隊に関する事柄教科書記述することは時期尚早として、原稿記述を全部削除する必要がある旨の修正意見を付したことには、その判断過程に、検定当時の学説状況の認識及び旧検定基準違反するとの評価に看過し難い過誤があり、裁量権範囲を逸脱した違法がある」

行政庁に大幅な裁量権を認めたものではなく、裁判所行政庁判断が相当の根拠資料に基づいてなされた合理的ものであるか否かを審査すべき」

最小判平成9年8月29日民集 第51巻7号2921頁

https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=52529

  

そういった意味

毎年行われる関東大震災朝鮮人犠牲者への追悼式典に小池知事が追悼文を送っていないことを挙げたうえで、「都知事がこうした立場を取っているにもかかわらず、朝鮮人虐殺を『事実』と発言する動画使用する事に懸念があります」と指摘しています

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221122/k10013900691000.html

知事歴史認識と異なるから拒否をするというのは裁量権範囲とは認められにくい、とは思うがいかがなものだろう。

そんなわけで、検閲ではないが違法性が認められる余地はある、という感想を抱いているんだが、どんなもんだろう。

 

あと東京都側の主張についてだけど

メールは、殺傷事件があったかどうかというより、殺害された人数など、内容にさまざまな見解があり、その部分を確認たかった。展示しないように求めたのは、事件事実と描かれているからではなく、障害者人権というテーマから作品がずれているからだ

https://www3.nhk.or.jp/news/html/20221122/k10013900691000.html

残念ながら私は作品を見ていないので、障碍者人権というテーマからずれているかまでは判断できないのでなんともいえない。

仮にそれが本当ならば、裁量範囲内の可能性が高まるかもね。

ただ、本当にそうなら最初からメール記載してなきゃおかしいとも思っているよ。

2022-02-01

石原さんは政治家としてはよくわからなかったが、

文学者文芸者としては超一流だった。都知事の会見での回答なども文学者っぽかった。

そういう点では宮崎駿監督も同じ匂いを感じる。絵描き映像監督政治家で違うけども、根本文学者だと思う。

文学新聞メディアの中心でなくなった以上、こういう人はもう現れないだろうなあ。

石原慎太郎氏、自作を語る『わが人生の時の時』、死の影と生の充実

2019.2.21 10:12 ライフ 学術アート

ときさし石原慎太郎インタビュー

「こんなにいろいろ体験した物書きはいない。ある意味、ぜいたくな人生だと思うよ」と話す石原慎太郎さん(酒巻俊介撮影

DSC_3468『わが人生の時の時』

小説集や文庫に収められた『わが人生の時の時』

 政界引退して4年余りが過ぎた石原慎太郎さん(86)はサッカーヨットダイビングに、とさまざまなスポーツに熱中してきた。そんな“肉体派作家身体感性が鮮やかに結晶したのが、平成が始まって間もなく刊行された自伝的掌編集『わが人生の時の時』(平成2年)。かけがえのない時の断片を乾いた筆致でつづった40の掌編は死と隣り合わせにある生の輝きを静かにうたいあげる。(聞き手 海老沢類)

 この本は不思議きっかけでね、大江健三郎のおかげなんですよ。テレビ局の依頼で反核運動が盛んだった西ドイツ(当時)に取材に行ったら、同じ目的で来ていた大江と会った。ベルリンの壁の前で僕は覚えたてのスキューバダイビングの話を彼にしたんです。この本に書いたオキノエラブウナギという猛毒をもった不思議ウミヘビと遭遇した体験を語って「海の底全然違う宇宙で、いろんな発見があるんだ」と。大江はやけに感心して「石原さん、そういう話、絶対書きとめておいた方がいいですよ」と言う。

 思えば、僕は他の作家にはない体験をしてきたし、いろんな人と出会って面白い話も聞いてきた。人生を記録として残そうとしたんです。書きながら人生を感じ直したよね、強烈に。

 《収録された40編の多くが海での体験談。知人の遭難自身の大けが、巨大な生物との遭遇などが回想される。弟の俳優裕次郎さんとの別れや霊の存在示唆するような不思議出来事戦時日常も描かれる》

 僕は肉体派からね。肉体を使った行為というのはその裏側に必ず死の影がある。スキューバダイビングでも随分怖い目に遭ったし、遭難にも立ち合った。避けようもない落雷ヨットの甲板上で目にする「落雷」という一編があるけれど、あのときコンパスクルクル回るのが気持ち悪かったね。

 ただ僕はね、恐怖は人間が味わう一番の感動だと思う。恐怖が通り過ぎた後には安息があるし、たった今過ぎていった凝縮された時間の充実をも感じる。死とのコントラストの中での生の味わいは深いですよ。死は人間にとって最後の未知だから興味がある。この掌編群はいわば、いつ死ぬのかな、という緊張の中でとらえた生と死のフラグメント(断片)なんです。

 戦時体験も書きました。横須賀から出航する前、家族最後の別れをする将校の姿とかね。僕らをかわいがって膝の上に乗せて頭をなでてくれた青年将校が死んでいく。その妻が葬式で何も入っていない骨壺を抱いている…。戦争不条理残酷さは僕の中に鬱積して、国家への愛着、そしてアメリカに対する反発となった。盛田昭夫さん(ソニー会長)との共著『「NO」と言える日本』(元年)もそういうもの潜在意識にあって書いたんです。

 《26年、衆議院議員最後政界引退。精力的に執筆を続け、田中角栄元首相の生涯を一人称でつづった『天才』(28年)は大ベストセラーに。現在文芸誌に小説を連載する》

 随分危ないこともやってきたと思うけれど、僕はそれはそれでとてもエンジョイしてきた。自分をつき動かすのは結局、人生に対する好奇心なんだよね。

 ライフワークが一つあってね。仏教徒から法華経現代語に訳そうと思っている。法華経は非常に哲学的で、存在時間について深く考えさせる。今は道半ばだけれど死ぬまでに完成したい。

 やっぱり小説が一番面白いよ。政治家同士のだまし合いなんか、最も薄っぺらいね。僕は作家だしヨットマンですよ、ずっと。でも時化(しけ)たレースではさすがにもう乗れないな。

 『わが人生の時の時』 文芸誌「新潮」の平成元年10、11月号に掲載。翌2年に新潮から単行本刊行され、後に文庫化された。『石原太郎文学』(全10巻、文芸春秋)の第8巻に、エッセー『わが人生の時の会話』とともに収められている。

 〈いしはら・しんたろう〉昭和7年、神戸市まれ一橋大在学中の30年に「太陽の季節」でデビューし、翌年に同作で芥川賞。『化石の森』で芸術選奨文部大臣賞、『生還』で平林たい子文学賞。43年に参議院議員当選。後に衆議院に移り環境庁長官、運輸相などを歴任平成11年から24年まで東京都知事を務めた。

https://www.sankei.com/life/amp/190221/lif1902210022-a.html

2021-07-02

anond:20210702201811

東大は毎年3000人以上受かるけど文部大臣賞は毎年一人ずつしか選ばれないからな

anond:20210702201045

昨日は読書感想文コンクール文部大臣賞取ったとかいう人いたよ

東大より狭き門だと思うんだけどそんなのよく信じてもらえると思うよね

2021-07-01

anond:20210701163755

書かされる作文にはエモーションがないからな

俺は作文得意な方だったけど

読書感想文文部大臣賞かなんかもらったわ

2021-04-23

anond:20210423063705

つぎに、その文部大臣文部大臣指名した総理大臣判断が正しかたか議会で話し合い

それが決定してから順次教員まで処罰おろしていく

大臣おかしけりゃ、そりゃ、校長おかしくなるが

校長責任があるか、任命した大臣おかしかったかは審議してみないとわからない

2021-02-12

森 喜朗に寄り添ってみる

以下はWikipediaコピペが大半である

森の年表

1937年生まれる。

小学1年生の1944年に、母が亡くなる。

小学2年生の1945年に、第二次世界大戦終結する。

中学1年生の1950年に、北朝鮮韓国朝鮮戦争を起こす。

高校1年生の1953年に、冷蔵庫洗濯機トースターなどがようやく登場する。

高校2年生の1954年に、ゴジラ映画一作目が上映される。

21歳の1958年に、東京タワーが完成する。

27歳の1964年に、東京オリンピックが開催される。

32歳の1969年に、第32回衆議院議員総選挙立候補する。

以下はWikipediaから引用である

選挙直前一族会議中に、近隣の家から出火した。この時、森は決死覚悟で家にとびこみ、仏壇を抱えて出て来たという。当時の北陸地方仏教への信仰が篤い土地柄であったこともあり、この行動は風向きを変えることになった。

らしい。時代である

40歳1977年に、内閣官房副長官就任する。

46歳の1983年に、文部大臣となる。

51歳の1988年に、日本が初めてIPインターネット接続をする。同年、リクルート事件発生。森は約1億円の売却益を得ていたとされ、一時謹慎する。

57歳の1994年に、日本標準的な定年が60歳となる。

58歳の1995年に、テレホーダイが始まる。

61歳の1998年に、Windows98誕生する。

63歳の2000年に、当時の小渕首相脳梗塞で倒れる。その3日後に第一森内閣発足。日本国の長となる。

以下は、Wikipediaから引用である

前任者の急病による就任であり、総裁になるための正式な準備無しでの登板だったため、内心「正直いってえらいことになったな」と思ったという

64歳の2001年に、えひめ丸事故発生。森はプライベートゴルフ場におり、第一報が入ったとき関係者からその場を離れないよう指示されていたらしいが、第三報が入るまでプレーを続けた。ゴルフを続ける映像が繰り返しテレビ放送されかなりの悪印象となる。

2001年、森は総理大臣を辞任する。約1年の任期期間だったが支持率は低く、前述のえひめ丸事故の印象やたびたびの「失言」が支持率低下の原因だったとされている。

69歳の2006年に、Twitter誕生する。

73歳の2010年に、育ての母が亡くなる。

75歳の2012年に、議員引退する。

76歳の2013年に、アルゼンチンブエノスアイレスで行われた第125次IOC総会に現地入りし、東京オリンピック (2020年)開催決定の瞬間に立ち会った。

77歳の2014年に、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長就任する。

82歳の2019年に、#KuTooが誕生する。

84歳の2021年に、失言により、東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会会長を辞任する。

寄り添ってみる

森が物心がついたのはいつ頃だろうか。仮に小学1年生の頃として、この頃は1944年である。母が亡くなった年である

森が小学2年生のとき第二次世界大戦終結している。どんな時代であっただろうか。戦後教育なので、今よりはるかに奔放な教育がなされていただろう。有り体に言えば体罰や、現代倫理観では時代錯誤とされることが、当然の教育としてなされていただろう。

そのような教育を通して、森は育ったのだ。

日本インターネット誕生し、私達がWindows98テレホタイムをしていたころには、既に森は61歳で定年を過ぎている。

森は内閣時代もとにかく失言が多いイメージであった。生来性格とみるか?育った時代教育環境も影響しているはずだろう。

私達の感覚では、「時代に合わせて感覚アップデートできないものは置いていかれる」「アップデートできないものが悪い」というのが通常だが、森にこれが可能だったとは到底思えない。

特別に森がというより、一般論としての森の世代であるTwitter誕生たころには70手前の世代である

自分母親父親職場上司に「感覚アップデートしろ」というレベルではない。それよりもっと上の世代人間である学生時代戦後経験した世代である

PCが使えなくて当たり前だろう。スマホが使えたら上々だろう。その世代人間は、感覚アップデートするのが嫌なのでなく、どう感覚アップデートすればいいのかわからないのではないのか。

この世代人達は恐れているのではないか自分の古くさった感覚アップデートできてないことは自覚しつつ、言葉ひとつで多くのバッシングが飛んでくるこの時代を恐れているのではないか

哀れと思うこそすれ、責められないと思うのだ。私達も、いずれきっと行く道である

森内閣時代、私は中学生であった。胡散臭い爺という印象であった。私と同世代で森が好きなやつは少ないのではないか

しかしこうして年表を並べてみたら、お疲れ様でしたとしか言いようがない。

2020-07-04

anond:20200704155900

人数を急に増やせないにたいして、大丈夫 学校教育がある という そこの 通りすがりの 文部大臣様へ

2020-05-01

岡村発言の気味悪さについてみっつほど吐き捨てたい

男尊女卑とか職業蔑視とかは既にあちこちで言われているので、それ以外のみっつの気味悪い点について吐き捨てたい。

経済的な高みの見物で想像力のないこと、ダブルスタンダードが強くありそうなこと、芸能人立場の変遷を感じていないこと。

もしこれがコロナとは関係ない別のタイミングで「これだけパパ活が盛んになってきたってことは、手っ取り早くお金を得られる

味を占めた女の子が多数風俗に流れ込むってことで、それが楽しみなんですよ」とかだったなら、そこまでじゃなかっただろう。

芸能人に詳しい訳ではないけれど、割と今まで応援してきたのを裏切られた気持ちでもうやめようと思うので、その区切りだ。

まずひとつめ。

彼には、たぶん困窮してやりたくない仕事でもするしかない状況に追い込まれることがない自信があるのだろう。

そんな安全から自分の楽しみのために、他人がそうなるのを待ち望むいやらしさという高みの見物感が気味悪い。

その点を、他の仕事に置き換えて考えてみる。それに相当する上手い例が思いつかないのだけれど、こんな感じか。

コロナのせいで事業が行き詰まった社長さんは、政府が助けきれない場合はもう首をくくるしかないわけですよ。

そうしたら、僕がいつも見ている大島てるサイトが活気づくじゃないですか、それがとても楽しみです。」

会社倒産しないまでも、大規模リストラ仕事にあぶれる人たちがコロナ後には激増しますね。

僕は人間観察が趣味なんですけど、ハロワ悲壮な顔をした人たちが溢れるのを心待ちにしています。」

フリーター仕事も減るし、派遣切りもたくさんあって、きっとホームレスがあちこちに増えていきます

ホームレス支援チャリティかめちゃめちゃ気持ちがいいし、それを励みにコロナを乗り切ろうと思うんです。」

これが面白いと思って、ウケる筈だと発言したということは、こんな感じで笑う人が想定されているのだろう。

「あっはっは、ありえねぇわ、才能も財力もない下級市民ってそんなにツライのかよwwwww」

ハロワ蔓延する悲壮感ってwwwww まあ俺ら関係ないけどなwwwww」

彼のファンには派遣中小企業社長はいないとでも思っているか、それとも日本の現状に対する想像力がないか

コロナのせいで顧客が離れ、事業が立ち行かなくなったら、家族どころか百人から従業員が路頭に迷うから

金策に駆け回り、眠れないほど対応に頭を悩ませ、明日の活気を得るべくラジオをつける人は想定されていない。

派遣で働いていた友人から倒産したら会社に入れなくなったと聞いて、うちもそろそろヤバいんじゃないか

会社私物を持って帰り、不安な面持ちで岡村さんから元気をもらおうとチャンネルを合わせるファン想像されない。

くそこまで想像力共感力もなくいられるものだと、世界の半分を切り捨てているような、その点がとても薄気味悪い。

そしてふたつめ。

どんなにやりたくて好きでやっている仕事の中でも「こんちくしょう」って思うことがある反面、

やりたくてやっているのではない仕事だって「やっててよかった」と思う瞬間だってあるので、その話ではないし、

誰もが好きな仕事についているとは限らないし、どんな仕事にもそれを「やりたい人」と「やりたくない人」はいものだし、

やりたくなかったけどやっている人だって第三者から憐れまれるとプライドから胸を張ったりするものだし、その話でもない。

もし彼が二十代の頃に結婚して娘を授かっていたとするなら。ミルクを上げたら吐いてしまオロオロしたり、

パパのお嫁さんになるなんて言われたり、急に高熱を出して病院に駆け込むのにおんぶした背中燃えるようでハラハラしたり、

やがて友達がきたときはパパ顔出さないでなんて言われたり、そうして長年大事に育てた娘さんがいたとして。

その彼女が「パパ、あたし手っ取り早く稼ぎたいからしばらく風俗で働きたいんだけど」と相談してきた場合を考えてみる。

「おぉ、いい考えだね。パパも若いからずっとお世話になったなくてはならないお仕事だ。応援するよ」とは絶対に言わない。

そんなダブルスタンダードが透けて見える。「お金ならパパがあげるからそれはやめなさい!」と叱りそうな感じがするではないか

持つ者、裕福な者、チャンスを手にできた者と、そうでない者の断絶に加え、その境界の向こうとこちらで基準が違うのだ。

ダブスタファンからするとそれをありありと見せつけられたのだが、全く自覚のないダブスタ持ちは気味悪いものである

そしてみっつめ。

芸能人には立場の変遷みたいなものがつきまとってしまう。河原乞食見世物伝統芸能になるような流れがある。

デビュー当時は音楽性に着目されず変なカッコの色物バンドみたいな扱いだったXジャパンも年月が経つにつれて

YOSHIKIが国際的活躍したり文部大臣表彰を受けたりする。それにつれて世間からの期待も変わっていく。

これだけコンプライアンスが言われる時代に、そのことが全く見えていない成長のなさというのが気味悪くうつってしまう。

ちなみにコンプライアンスとは法令を遵守するだけではなく世間からの期待に反することをしないことまで意味に含む。

深夜放送だったり地下アイドルだったりの時代があっても、世間に認められるにつれて期待も高まってしまうのだ。

その変遷に適応するように人は成長、あるいは変化していってしかるべきなのだが、それが感じられない気味悪さだ。

49歳だとういけれども、同じ49歳のTOKIO城島茂コロナ関連ではジャニーズ支援活動について

「実際に現場で闘っていらっしゃる医療関係者の皆さまに何かできないかなと思いまして…」との談話があるし、

同じく49歳のT.M.Revolution西川貴教は「地方の友人から、開いてるパチンコ店行列が出来たり、離島など行楽地に

人が集まってきて困っていると連絡が来ました」とつづると「島には高齢者も多いうえに医療施設脆弱、唯一の交通機関

しかない島では、感染確認されたら生活物資も届かなくなります自粛期間を延長させない努力をどうかお願いします。」

ツイートしている。長年芸能活動をして、きちんと世間や、自分の持つ影響力と向き合って発言しているように感じられる。

さいごに。

謝罪もしたのに、他の番組降板まで求めるのは行き過ぎとの声もある。

しかし、メジャーで全年齢を対象としている番組に、そのような本音を持ち、そのような本音抑制もしない人が求められるだろうか。

から視聴者に寄り添い貧富の格差を感じさせず、ダブスタもなく、立場をわきまえた上に品位もある人を求めたいのが実情だろう。

その点では、言いたいことを言わないようにしろというのではなく、そんなことを言いたくなってしま根底から変わらねばならないとの

ニュアンスで語った矢部発言にはその点でとても賛同できる。だから結婚しろとは論理の飛躍がある無理難題ではあるのだが。

芸能世界に身を置きながら、世間の期待に応えられなくなっているのなら、潔く身を引けばいいのにと今は思っている。

もう彼を応援することはない。ファンが一人はなれたところで、痛くもかゆくもないだろうし、なにも伝わらないだろうけれども。

2019-12-09

メディア芸術センター法案がポシャった事についての話。

見た。

今回3分所か20分近くて草。

そりゃ山田議員も怒るのは判る。

  • 今回日を跨いで議論をする覚悟をしていたが、16時位に終了した。
    • 野党は不信任案及び会期の延長を主張していたが、不信任案は提出されず、また会期の延長の申し出も参院側にはしていなかった。
    • 本当に延長する気が合ったのか?ポーズだけでは?もしくは会期の延長を野党からした事が余りないのでミスではないのか?等とも言われた。

見た限り大体こんな感じの内容だった。

後はメディア芸術ナショナルセンター法案の為に色々動いたよって話。

そりゃ怒るのも理解できる。

2019-12-03

高度成長期財閥や国のプロデュース一切なしに零細から超絶大企業に化けた会社

日本にある?

ソニーの初代社長が元文部大臣なのはビビった。

オリックス最初から成功約束されてるようなお膳立てのもと設立されたのもビビった。

2018-11-15

anond:20181115201159

何やそれ、知らんぞ。

パソコンわからんやつをサイバー担当にした件かと。

もはやインターネット上はサイバー戦争状態だとおもってる。

例えて言うのなら、学校たことのない原始人に文部大臣やらせるようなものだと思った。

2018-07-12

anond:20180712001930

初代文部大臣明治時代に「日本語論理的ではないので、教育はすべて英語にしよう」って言ったんだよ。

なんでみんなあの先生の言うことを聞かなかったんだ…名前忘れたけど。

2018-06-25

hagexが殺されたのは日大ヤクザ絡みというデマについて

このネタ田中理事長ヤクザ関係)は2014年末の海外サイト報道が発端。

https://news.vice.com/article/this-may-be-the-most-dangerous-and-most-costly-photo-in-japan

日本出版社にも同じ画像が同時期に複数送られたとある海外サイトがはじめに載せた)

これを現代ビジネス週刊金曜日日大対立する敬天新聞社などが転載し当時すぐ記事にしている。

hagexネットで既に著名だったネタを数年遅れで転載転載をしたにすぎない。

もっと絶対ありえないと言える証拠がある。

日大理事長山口組組長の写真海外メディアで報じられ、下村文科相調査約束

http://gendai.ismedia.jp/articles/premium01/43023

この件についてはそのとき報道を元に国会の場で質問されているのだ。

JOC副会長である日大田中理事長ヤクザ関係があるのか?と

文部大臣調査すると言ったが音沙汰なし、しか田中JOC副会長を退任する。

このネタはその後も週刊誌ネットニュースなどに定期的に出てきていたし、田中理事長ヤクザ関係は広く知られていた。

もう完全に「公然事実」として扱われてた。

巷で広く知られ、国会質問までされたネタでいまさら事件が起きるか?今更こんな有名なネタを再度書かれたことで誰が困るんだよ。

どんだけバカなんだよお前ら。

非常に無知ニュースに興味がないはてな民は、本気でhagexが初めて日大田中ヤクザ関係看破したと

思ってるらしいが元から知ってる人には呆れる話でしかない。

2018-01-11

韓国の求める心から謝罪とは何か

日韓問題

最終的な解決がなされたのに蒸し返すことの契約的な是非はともかく、心情面で日本がどんだけ謝っても韓国納得しないじゃんって話については、2015年戦後70年首相談話の時にパックンが書いたコラムが興味深い。


首相談話についても、アメリカ人なので語りません

以下に一部引用する。

 謝るべきかどうかではなく、何故お詫びを求められ続けるかということだけについて話そう。

 まず挙げられるのは「各国の政府は、内政が厳しいとき反日感情煽り国民の怒りの矛先を外に向けさせる作戦を取る」という説明。これは間違いない。その作戦自体は間違っていると思うけどね。やりすぎてだんだん効果が薄れているみたいだし。

 でもそれだけではないだろう。もう1つの理由として、日本の「反省が伝わっていない可能性」も考えよう。もちろん、これまでに日本政府が謝ってきたのは事実。少なくとも村山首相中曽根首相細川首相小泉首相安倍首相謝罪している。

 しかし、各時代首相が謝っている傍らで、他の政治家たちによる謝罪とは反対の意に捉えられる発言が目立つ。有名な例だと、中曽根内閣時代藤尾正行文部大臣韓国併合についての「韓国側にも責任がある」発言竹下内閣時代奥野誠亮国土庁長官日中戦争についての「侵略意図は無かった」発言最近だと、「慰安婦制度必要だった」という橋本徹大阪府知事(当時)のコメントがある。

 行動も紛らわしく見える。5名の首相がおわびをしている一方で、靖国神社へ参拝している戦後首相は14名。国会議員では数百人に上る。靖国神社は、世界メディアWar Shrine戦争神社)と紹介されている。参拝される人の意図とは関係なく、世界が受ける印象は「お詫び」とは反するものになってしまう。

 今回も謝罪の意をこめた総理談話を発表した翌日に、67名の国会議員が参拝をした。安倍総理は参拝しなかったが玉串料を収めた。こういうことは英語でmixed messageという。その行動により、残念ながら「お詫び」が印象に残らない結果となる。

 その後、おおむね「謝罪した」とみられているドイツとの比較などが行われている。

 つまり日本政府や首脳は、公式声明では確かに何度も謝罪している。だが、公式声明以外の振舞いや、首脳以外の政治家言動に「本当はたいして悪いと思ってません」というホンネが感じられるため、本気で謝っていると思ってもらえないということである

 なので、どうすれば心から謝罪したと納得されるかというと、政治家(たぶん国民も)の大半の意見を「日本が悪かったです」ということで統一し、かつ大々的な声明だけでなくその他の場面でも日本が悪かったという態度を崩さず、あと政治家や元政治家靖国参拝奉納を止めるといったところだろう。

 少なくともパックン見立てではそのような感じだ。


 まあ確かに会社とか友人関係でも、いったんちゃんと頭は下げたものの、その後自分の席に戻って肩をすくめたりする姿が見られたら、本当は反省しておらずしぶしぶ形だけ謝ったのだ、という風に思われるだろうことはわかる。

 靖国は、誰がどの墓や神社に参拝しようが自由なのだがその自由なところから透けて見える気持ち反省のしてなさであるというのはなんか難しい所だ。

 結局のところ、大日本帝国とそれにまつわる物事ナチス第三帝国と同じくらいの扱いにしたら満足してもらえるはずってわけだろうが……。


このコラムへの読者の反応にパックンが返答している記事もあるのでそれも貼っておく。

アメリカ人だからか、語りきれなかったみたい

2017-09-04

体罰」は違法行為なので覚醒剤麻薬に頼ることと同じ行為である

ここでは学校教育問題限定して体罰問題について述べるので、特定話題について触れることはしない。

まず、体罰は法的にどう扱われているのか

学校教育法11

校長及び教員は、教育必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、

児童、生徒及び学生懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。


文部省文部科学省に再編成されたさい、文部大臣文部科学大臣に変更されたこと以外はこの規定に変更はない。

まり、「体罰」と主張した時点で、加えた側が違法行為だと認めたことになる。

この点は戦後一貫しているので「昔は許されていたが、今は認められなくなった」という認識自体が正確でない。

よくある誤解に過ぎないのだ。

このような見解披露した時点で、学校教育に関してどの程度の知識しか持ち合わせていないか想像できる。

喩えて言えば、ヒロポンを服用すれば疲労回復が早くなるので使うよう勧めるのに近い論理だ。

ただ、あくまでも学校教育法で定められている「学校」に関しての話なので、その範囲が及ばないところに関しては言及できない。




職員会議でも校長は「体罰はいけません」と必ず言うが、それ以上踏み込むことはない。

実際、棒きれを振り回している教員を見ても、見て見ぬ振りをするのが常である

それらの行為は「体罰」でなく「懲戒」と見做すことにしていた、ただそれだけのことである

今も昔も「体罰」は違法行為であり、「懲戒」は合法的かつ教育的「指導」の一環なのだ


問題は、いかなる行為を「体罰」と見做し、いかなる行為を「懲戒」と認識するか、という点にあるのだ。

同じ行為をある時点においては「懲戒」と見做し、ある時点から体罰」と解釈するようになったか、というのが正確な問題提起である

たとえば以下のようなガイドラインが示されている。


文科省  学校教育法11条に規定する児童生徒の懲戒体罰等に関する参考事例

http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1331908.htm

同初等中等教育局   体罰について

http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai1/siryou4-2.pdf




ここでは学校教育における教員行為を3つに区分している。

1 体罰(通常、体罰判断されると考えられる行為

2 認められる懲戒(通常、懲戒権の範囲内と判断されると考えられる行為)(ただし肉体的苦痛を伴わないものに限る。)

3 正当な行為(通常、正当防衛、正当行為判断されると考えられる行為




愛のムチ」が教育効果的か否かは、ここでは問題にしない。

いずれにしろ文科省体罰を認めていないことだけは明確である

教室質問すれば、明確に「それは法律で禁じられているからです」と答えてくれるはずだ。

ただ、ある行為をめぐって「それは体罰ではないか」とか「いや懲戒範囲内だ」という議論は当然あり得る。

しかし「体罰」が許されると主張することは、違法行為をもって教育するのが望ましいというのに等しいことであるということは認識しておく必要があるだろう。

効果的であり、かつ「望ましい」とするならば、違法行為正当性まで議論範囲は広がらざるを得ない。

あるいは、体罰を望ましいとするなら、学校教育法改正対応するほかあるまい。

ともかく、「体罰」を論じる際「懲戒」との比較なしにあれこれ論じるのは意味がまったくない。

何が体罰で、何が懲戒かを明確にしないと、違法行為は正当だという主張に与することになる。

それが本望だという論者は別にしても、違法な「体罰」を容認するのかどうかはおさえる必要があるのだ。


ここでの話はあくまでも学校教育限定しているので、学校外での出来事適用できるものでないことは最初に断った通りだ。

補足

最近二言目には「学校で教えて欲しかった」という声を聞くが、それはそれほど効果的ではないと思う。

もしそれで習得できるのなら、みな満点で卒業していくはずだ。

たとえば、「冤罪があっても構わないと思う」という趣旨発言がされたと仄聞するが、

発言者は「推定無罪」の大原則を失念している点で、中学校卒業するにふさわしい知識を身につけていないわけである

今すぐにでも中学校に戻り、一から勉強するのが本人のためであろう。そして満点を取るまで卒業させてはならないと思う。

中学知識すら覚束ない者が訳知り顔でご高説を宣うのを、ありがたく拝聴する方々の姿を見るにつけ、日本の将来は暗いと断ぜざるを得ない。

2017-06-21

https://anond.hatelabo.jp/20170621082144

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q14161744634

2016/7/1700:30:01

今治市経済特区指定を受けて町お越しの一環で設立を狙っている様ですが学生達は獣医免許習得すれば他の街に行ってしまうのでは?との疑問が有ります獣医学部を新たに起こすより獣医四国における待遇を良くすれば事足りる気がしますがどうなんでしょう

2016/7/1905:13:38

四国公務員獣医師不足解消が目的の一つと大学教授からは聞きました。

獣医師になれる可能性が増えれば、それだけ獣医学科に入る人のレベルも下がり、臨床系の獣医師がより飽和します。

また、人が来ないか大学をではなく、単純に給料を上げたり待遇を良くすればいいというのもあります

2016/07/2107:50:58

同級生や先輩に四国出身の人が数人いましたが、臨床志望が四国に行かないのはもちろんですが、公務員なら待遇の良いところが人気なのは間違いないです。

2016/7/2201:08:50

獣医学生です。

その件に関しては教授が話をしていましたので参考までに。

現在獣医入試倍率は10倍越えが普通で、かなりの高倍率です。

ですので、どこの大学関東圏の頭の良い高校生ばかりが受かる現状だそうです。(わたしの周りもそうですσ(^_^;))

なので、四国に作ったからといって、四国獣医が増えるとも限らない、という考えもあるようです。

2016/7/1701:17:48

今治獣医学部を新設する」話は、企画・構想のレベルだと聞こえています

獣医師会の意向も在るようですが、農業家獣医ペット獣医区別による数・獣医院の所在も十分に把握された上での意見でもなく、その調査すら論議中のようです。

ただ、今までの文部行政のままなら、この手の反対運動や、調査不十分でも、申請があれば、そしてその申請書がそれらしく書かれていれば、設立許可は出ると『思いますよ』

だって、あの田中真紀子さんでさえ、「必要かどうか、検証されていない」と言って、申請受理を決めようとして、文部大臣首になったぐらいですから

政府が「国家戦略特区」に指定して、愛媛県今治市シッカリタッグを組んでの話ですから、構想実現の可能性は大だと思います

しろ、ポシャル材料が少ないと言えるのじゃないかな。

2016-11-01

http://anond.hatelabo.jp/20161031201206

武士道で鳴らした俺たち肥前藩は、

薩長挙兵しても日和見を決め込み倒幕に参加しなかった。

しかし、九州でくすぶっている様な俺たちじゃあない。

筋さえ通れば反乱もやってのける命知らず。

不可能を可能にし、巨大な悪を粉砕する、

俺たち、「佐賀の七賢人」!

(以下はWikipediaの内容をまとめただけです)

鍋島直正

佐野常民

島義勇

副島種臣

大木喬任

江藤新平

大隈重信



総合すると、

ということで維新後の政府運営に重宝されたんだろうな。

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