はてなキーワード: 愛のムチとは
なんとか生き残っている側です…と書けば、同世代には察してもらえるのではないかと。
ここのところ、同世代が決意表明に絶望に、とても興味深い意見が散見されるので、流れに乗っちまおうかな~なんて。
団塊ジュニアがどんだけ悲惨だったかなんて、たっくさんの人がそれは色んな事書いてるので、そっちの方を読んでいただいて。
我が世代、他人の事まったく信用してないって言われるけど、当方もその一人。
他人全く信用してないです。親も信用してないです。その理由もあちこち書かれてるので割愛しますけどね。
信用してないけど、そんな素振りは見せないです。それやったら生き残れなかったし。
目上の人の言う事聞いて(聞かないと制裁率高し)真面目にやってた同世代、結構な数の人が上手く行かなかったですね。
かといって、暴れて盗んだバイクで走り出しちゃってた人達なんかは、もっと悲惨でしたね。
真面目にやってて大学行った人、暴れてた人、知人どっちもイスで殴られてたんですよ、愛のムチや躾ってやつ。
イスで殴られたことが愛情表現だったら、平手打ちやグーなんて大したことないからあっさり忘れちゃいますよね。
ですけどね…ここに来て躾は愛のムチは間違いだったって、全て間違いだったとか言われても。
なんで知人はイスで殴られたんですかね?平手打ちもグーもダメって?
現実に盗んだバイクで走り出したら、捕まってネット拡散でデジタルタトゥーになったら詰むので、NG項目ですしね。
時代が違うんだよ。はいそうですね。言ったでしょ、ムカついた顔なんて見せませんよ。
当方生き残りなので、世間一般から見たら幸せに映るんでしょうけどね。相当ムカついてますよ。
当方よりずっと努力した人が、もうたっくさんいましたが、結構な数の同世代が上手く行きませんでした。
死ぬまでこんな感じなんでしょうね。もうほとんど諦めてます。諦め慣れてて笑っちゃいます。
最近になって、独身、既婚、子なし様々なステータスの同世代が力尽きるパターンがよく見受けられるんですよ。
年齢的にも、ダメージくらうお年頃なんでしょうね。この年齢は幸福度一番低いらしいですし。
でもね、ムカついてるんですよね~かなり。
従順とか言われてますけどね団塊ジュニア。確信に近いレベルで感じますよ、皆の怒り。
当方生き残りなので、次世代に繋がないといけないあれこれがあるので、キレたりとかはしませんけどね。
同世代が無敵の人になったところで、怖がったり、止めたりしないとも思います。
そりゃそうだ、としか思いません、たぶん。
さきほど、生き残った理由を運といいましたが、もう一つ。
最近価値観コロコロ変わるので、その都度自分の価値観もコロコロ変えてきたんですよね。
だから、今は盗んだバイクで走り出すのはクソです。
タカシは今日も学校に通っていた。しかし、彼が思っている以上に、彼の周りの人々は「哲学的ゾンビ」と化していたのである。彼らは表面上は感情を持っているように見えるが、内面はまったく無であり、集団で瞬時にテレパシーで知識を共有することで人間のように振る舞っていたのだ。
タカシは意識の存在を計測するデバイスを発明し、彼らの正体を知ってしまった。これまでに遊ばれていたことに気づいたタカシは、彼らのテレパシーに対抗するために、自分もまたテレパシーを使う訓練を始めた。
しかし、それは彼にとって想像以上の困難をもたらした。彼がテレパシーを使うと、周りのゾンビたちは彼の考えを読み取り、あざ笑い、いじめを始めたのだ。
「なんでや!」
「なんでそんな変なこと考えてんねん!」
「お前はおかしい!」
タカシは必死に自分の思考を隠そうとしたが、どんなに隠してもゾンビたちにはすぐにバレてしまう。彼らのいじめはますますエスカレートしていった。
そんなある日、タカシは思い切って、自分のテレパシーの能力を使って、ゾンビたちに「怖いもの見たさ」を与えようと決心した。彼は心の中で、おばけやしきのようなものを想像し、その怖さをゾンビたちに伝えた。
「キャー!おばけやしきが怖い!」
「もう、やめてえええええええ!」
驚くべきことに、ゾンビたちはタカシの想像を現実に見たかのように感じ、お互いに怖がり始めたのだ。
タカシはその様子を見て、内心「なんだ、こいつらってただの子どもじゃん」と思った。しかし、彼らの怖がり方は次第にエスカレートし、ついには学校がおばけやしきだらけになってしまった。
しかし、タカシはいつまでもゾンビたちの被害者でいたくはなかった。彼は、自分がゾンビに遊ばれているという現実を受け入れ、反撃することに決めた。
最初の試みは、ゾンビたちに意識を与えることだった。タカシは、自分が発明した意識の存在を計測するデバイスを使って、ゾンビたちが本当に意識を持っていないことを証明するつもりだった。しかし、彼がデバイスを使ってゾンビたちをスキャンしようとしたとき、彼の周りのゾンビたちが突然彼を取り囲んで襲いかかってきた。
タカシは必死に逃げ惑いながら、ゾンビたちに意識を持たせることはできないという結論を下した。彼は次の策を考えるために、一時的に隠れることにした。
しかし、タカシが隠れている間、ゾンビたちは彼を見つけ出して、今度はより激しいいじめを始めた。彼らはタカシを取り囲み、一斉に蹴ったり殴ったりした。彼らは今まで以上に激しくなり、タカシの心身ともに痛めつけた。
タカシは逃げることもできず、ただ受け入れるしかなかった。彼は自分が人間であり、ゾンビたちとは違う存在であることを思い出した。しかし、それでも彼は一人では何もできないことを悟り、次の策を考えるために必死で頭を捻った。
タカシは、ゾンビたちに対抗するためには、彼らの弱点を探り出さなければならないと考えた。彼は自分がゾンビたちと何が違うのかを分析し、その違いを利用して、彼らを打ち負かす作戦を立てることにした。
まず、タカシは自分が持つ意識を利用することを決めた。彼は、ゾンビたちが集団でテレパシーで知識を共有していることを知っていたので、それを利用して彼らを混乱させることにした。
タカシは、自分の意識を極限まで集中させ、ゾンビたちが共有している知識の中に自分の虚偽の情報を挿入することに成功した。それは、ゾンビたちが自分たちが本当は死んでいることを知っているというものだった。
ゾンビたちは、自分たちが死んでいることを知っているわけではなかったが、タカシが挿入した虚偽の情報によって、彼らの心に深い不安を抱くことになった。タカシは、その不安を利用して、ゾンビたちを分断し、弱体化させることができた。
しかし、ゾンビたちは、自分たちが死んでいるという情報が本当かどうか確かめようと、タカシを追いかけてきた。タカシは、自分の発明した意識の存在を計測するデバイスを使って、ゾンビたちが本当に死んでいることを証明するつもりだった。
しかし、デバイスを使うことで、タカシは彼が唯一の人間であることを知ることになった。この事実により、タカシは深い絶望に陥り、彼の希望は完全に打ち砕かれた。
そこでタカシは、今まで自分がいじめられていたことが、実は哲学的ゾンビたちの"愛のムチ"だったことに気づいた。そしてタカシは、"愛のムチ"に感謝することで、自分自身を改善することを決意するのであった。
しかし、その後もタカシは哲学的ゾンビたちから執拗ないじめを受け続けた。彼らが愛のムチを与えることによって、タカシは自分自身を磨き上げ、より優れた人間になっていくのだった。
それでもタカシは、"愛のムチ"に打ち負けず、自分自身を信じて生きていく決意を新たにした。そして彼は、哲学的ゾンビたちに挑み、自分自身を証明することを目指して戦い続けるのであった。
オレオレFCはアウェーでサンフレッチェ広島に0-1で完封負けし、連勝を逃した。MF前田らが代表合宿による疲労を考慮されて欠場した今節は、FWトーマス・ノレジーを先発。200センチの高さを生かそうとしたロングボールは広島DFに跳ね返され、チャンスにはつながらず。それでも粘り強い守備で0ー0のまま試合を運んだが、後半37分にミスから痛恨の決勝点。野河田彰信監督は試合後、緊急ミーティングを行い、イレブンに厳しい言葉でハッパをかけた。
◇ ◇ ◇
【写真】広島に敗れ、悔しそうにサポーターにあいさつするオレオレFCイレブン
一発に沈んだ。後半37分、それまで耐えていたが、一瞬の隙を突かれ失点。試合のほとんどを守勢に回され、疲弊したイレブンに最早、反撃する力は残されていなかった。野河田監督は試合後、緊急ミーティングを開き、厳しい口調で言った。「何が怖いんや?見せる試合ちゃうで。こんな試合ばっかやったら、何時でも落ちるで」。
GK松尾、MF前田、DF伊藤が代表合宿による疲労を考慮され、今節はベンチから外れた。代わってFWトーマス・ノレジーが来日初先発。起用の意図は敵陣でのハイプレスで相手を押し込みながら、ノレジーの高さを利用して裏に攻め込むことだった。前節、初勝利と結果を出したメンバーを含め、レギュラーナンバーが揃うスタメンで連勝を目指した。
しかし、広島の圧力に押されたのか、ロングボールでもノレジーが厳しいマークにあい、パス回しではミスを連発。連動性と積極性を欠いた。それでもGK野村を中心に広島の猛攻を凌いでいたが、引き分けも見えた後半37分、FW森永がボールを奪われ、そのままカウンターを受けると、右サイドを突破したDF塩谷司にかわされ、シュートはDF大村の足に当たり、野村も反応出来ず、そのままゴール右へ吸い込まれた。
決勝点をお膳立てする形になってしまった森永は「パスを出すか、突破するかで迷ってしまった。あってはならないミス」とうつむき、帰陣が遅れ、右サイドを独走されたDF村山も「攻撃の事ばかり考えて、奪われた後の対応を疎かにしてしまった」と反省した。
リーグ戦5試合終えて1勝2分2敗。昨年(3分2敗)より勝ち点は2つ上だが、課題の守備はリーグ戦5試合で8失点。特に3試合連続で後半30分以降に失点するなど、改善には至っていない。奮闘した野村は「時間帯の中で乗り切る体力や試合運びがまだまだ足りない」と唇を噛む。
指揮官は最後に「あの時間帯で守りきれる、ハツラツとしたチームにならんと」と選手達に宿題を与えた。MF鈴木潤も「サポーターに見せる試合じゃなかった。どうやって全体で守備をするのか、どうやって前に運ぶのかというところが課題。そこをはっきりさせないといけない」と課題を口にした。
シーズンは始まったばかり。ルヴァンカップを挟み、次節(29日)はホームで大分トリニータ戦。鈴木潤は「次のルヴァンカップ(26日、ホーム湘南戦)で勝って、リーグ戦につなげたい」。指揮官の「愛のムチ」も糧に、スキの少ないチームへ成長する。
拙者…ギター侍じゃ…
「正しい歴史を正視しない憎き日本をやっつける!」…って言うじゃない?
でも、あんたの言う「正しい歴史」は都合よく捻じ曲げられてますから!残念!
「ニッポンの平和を祈って皆さんの豊かな人生指導します」…って言うじゃない?
でもあんた、もう生きてるのか死んでるのかわかりませんから!残念!
でもあんたの運営してる、ニコニコ動画が日本最大の海賊版サイトですから!残念!
ホモとハセカラと違法アップロードしかコンテンツのないオワコン動画 斬り!
「世知辛い日本の世の中で、頑張る女性を応援だ」…って言うじゃない?
「腑抜けた日本のスポーツ界、愛のムチで応援だ」…って言うじゃない?
「みんなの気になる炎上を、独自の視点でウォッチします」…って言うじゃない?
でもあんたの記事、いつも結局何を言いたいのかわからないまま終わってますから!残念!
長々長々長々…斬り!
「韓国人のみなさんは、アベ総理が嫌なだけ、日本人は大好きです!」って言うじゃない?
でもここ数日、毎日韓国人が日本人を見下してる証拠出まくりですから!残念!
切腹ゥ!
その名は『味いちもんめ』
原作者の旧態依然とした価値観が全面に出されており、パワハラ、セクハラ、いじめ、ミソジニー、マチズモ、家父長制、年功序列といった保守的風習がほぼ全面的に肯定されている
京都編では『一見さんお断り』や『ぶぶ漬け食って帰りなはれ』までもが擁護された
主人公は始終怒鳴られたりボコられたり嫌がらせを受けたりしているが、彼までもがいじめに加担する回も少なからずある(特に出世した後は)
常連客の青年が毎回変わり者の彼女を連れてきては常連客のおっさんに説教されるという恒例回があり、嫌儲辺りのまんさんスレを彷彿とさせる。必見
日本の伝統に深い信仰を抱いている一方、アジア文化への蔑視も垣間見られる(露骨なレイシズムではないが)
西洋文化に対しては一定の敬意を払いつつできれば他所でやってほしいというスタンス
いうなれば右の『美味しんぼ』だ
外から見た感じが知りたい。
親がエホバの証人で、大人になるまで信じていたけれど、色々あって辞めた。
理由は複合的だから「これ」とはっきり言えるものではないけれど、大まかに上げるとすると
・人間関係が重い
の二つ。
今となってはエホバの証人なんてどうでもいいんだけれど、他の新興宗教と一緒に「危険宗教」みたいに名前を挙げられているのを見ると、そう見られているのかな?と思ってしまう。
(私も経験から危険な宗教……というか有害な宗教だと思っているけれど、一般人がどうしてエホバの証人を危険視するのかピンと来ない。輸血のせい?それとも特に理由なんてなく新興宗教だから?信者の訪問がウザいから?)
追記 02/06
はてなブックマーク見てたらこれがあったからちょっとびっくりした
タイトルの付け方ミスったけれど、個人的にはもちろんヤバイ宗教だと思ってる。
ずっと親がエホバの証人でなければ、と思いながら生きてきた。
信教の自由ってこんな場合にまで認められなければいけないものなのだろうか。
けれどわたしがエホバの証人がヤバイ宗教だと思ってる理由って中にいたからこそ分かることというか、外からはたぶん分かりにくい部分。
それに体育の時間に武道するのも禁止されてるくらいだし、テロとか絶対にしない・できない人たちだと思うから、なぜ外部から危険視されてるのかよく分からなかった。
危険宗教というのは周囲に害を与えるから、という意味ではなく「入るな危険」という意味なのかな?それなら納得できる。
頂いたコメントなど一通り目を通したけれど
・輸血拒否
・終末思想
・制約の多さ
・体罰
・寄付
まとめるとこういうのが理由なのかな
輸血拒否について書いておられる方が一番多かったけれど、これに関しては確かに危険だと思う。危険というか実際これで死んだ信者、結構多いと思う。日本では確か16歳未満の子どもが事故などで病院に搬送された場合、親の同意なしに医者が輸血できる法律ができてた記憶があるけれど、信者は悪魔の仕業だとか言ってたし。亡くなった子どものことを考えると本当に可哀想。
わたしはゆとり世代なので体罰はほとんどなかった。今の30代40代の二世信者はホース、定規、ベルトとかで叩かれまくってたらしい。怖
エホバの証人の組織は「愛の懲らしめ、愛のムチ」とかよく分からんことを言って体罰推奨してたらしいけれど、なかったことのようになっている。
「愛」「感謝」みたいなきれいごとよく言ってるけれど、結局終末思想とか体罰とかで恐怖心を煽って信仰させてるだけなのが最悪。
けれどあの勧誘活動に費やした時間は報告が義務付けられていて、その時間が少なかったらもっと布教に行くように言われたりするし、毎月70時間布教活動に費やすことが勧められてたりする。
お金取られる方がある意味ましかもと思う部分もあるけれど、そもそも布教活動ちゃんとしていなかったのでなんとも言えない。
なんだかまとまりなく冗長に書いてしまったけれど、最後に迷惑な勧誘を断る方法を書いておく。
インターフォンのところに「宗教勧誘お断り」とかステッカー貼ったら来る確率は低くなる。
それでも迷惑な信者が謎理論に基づいて(「宗教勧誘じゃなくて生活に役立つ雑誌を渡すだけ」とか)ピンポンしてくることがあるかもしれない。
もうそういう人とは会話をせずに
とだけ言ってインターフォンを切る。終わり。
ワイドナショーで古市(下の名前読めない&知らない)さんが「M-1はともかくM-1について語りたがる人が嫌いだから嫌い」とおっしゃってました。
なるほどと膝を叩いた。
詳しくは知らないですがM-1自体はK-1などの格闘技のパロディ的なネーミングですよね。笑点が焦点だか氷点だかの人気ドラマのパロディといっしょで。
いつしか登場人物にはこういうドラマがあるからあそこでああいうことをいって審査員がこう答えたことに感動するというのは非常に格闘技、あるいはプロスポーツ競技と似通ったものがある。それをして「気持ち悪い」という感覚もわからなくはない。
そうなると古市さんはそういうことをずっと語り続けている「とくダネ!」の小倉智昭さん(彼も下の名前がわからないけど検索候補で出てきたのでこれだと思う)のことも嫌いということになるのか。オリンピックのたびに仕事半分遊び半分で現地リポーターをしてる彼を。
その中で、現役の中高生に指導と称する暴力の経験の有り無しを聞いてまわってる映像があったんだけど、以外も結構多くて戦慄したわ。
いわゆる愛のムチ的な平手うちとか、一人がやる気がないと他の全員がおんなじペナルティ負って走る奴(なんつったか忘れた共有財産だっけ?)とか。
暴力はあることはあったけど、もってくるものを忘れたから脳天のげんこ一発とか、そういう親父からごく普通にみんなやられてるような軽度な奴だけな。
やる気がないときも、チームメイトとは別に個人だけ校庭10周とかスクワット30回とかそんくらいなもんだったし、それで疲れて本筋の練習がへこたれてくるくらいに疲労するほどのものでもなかった。
もちろん対外の練習試合で負けても、監督コーチがブチ切れて、向こうの生徒がみている中、全員平手打ちとかなかった。
こわいね。
さいたまこわい。
ここでは学校教育の問題に限定して体罰の問題について述べるので、特定の話題について触れることはしない。
まず、体罰は法的にどう扱われているのか
文部省が文部科学省に再編成されたさい、文部大臣が文部科学大臣に変更されたこと以外はこの規定に変更はない。
つまり、「体罰」と主張した時点で、加えた側が違法行為だと認めたことになる。
この点は戦後一貫しているので「昔は許されていたが、今は認められなくなった」という認識自体が正確でない。
よくある誤解に過ぎないのだ。
このような見解を披露した時点で、学校教育に関してどの程度の知識しか持ち合わせていないか想像できる。
喩えて言えば、ヒロポンを服用すれば疲労回復が早くなるので使うよう勧めるのに近い論理だ。
ただ、あくまでも学校教育法で定められている「学校」に関しての話なので、その範囲が及ばないところに関しては言及できない。
職員会議でも校長は「体罰はいけません」と必ず言うが、それ以上踏み込むことはない。
実際、棒きれを振り回している教員を見ても、見て見ぬ振りをするのが常である。
それらの行為は「体罰」でなく「懲戒」と見做すことにしていた、ただそれだけのことである。
今も昔も「体罰」は違法行為であり、「懲戒」は合法的かつ教育的「指導」の一環なのだ。
問題は、いかなる行為を「体罰」と見做し、いかなる行為を「懲戒」と認識するか、という点にあるのだ。
同じ行為をある時点においては「懲戒」と見做し、ある時点から「体罰」と解釈するようになったか、というのが正確な問題提起である。
たとえば以下のようなガイドラインが示されている。
文科省 学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に関する参考事例
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1331908.htm
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai1/siryou4-2.pdf
いずれにしろ、文科省が体罰を認めていないことだけは明確である。
教室で質問すれば、明確に「それは法律で禁じられているからです」と答えてくれるはずだ。
ただ、ある行為をめぐって「それは体罰ではないか」とか「いや懲戒の範囲内だ」という議論は当然あり得る。
しかし「体罰」が許されると主張することは、違法行為をもって教育するのが望ましいというのに等しいことであるということは認識しておく必要があるだろう。
効果的であり、かつ「望ましい」とするならば、違法行為の正当性まで議論の範囲は広がらざるを得ない。
あるいは、体罰を望ましいとするなら、学校教育法改正で対応するほかあるまい。
ともかく、「体罰」を論じる際「懲戒」との比較なしにあれこれ論じるのは意味がまったくない。
何が体罰で、何が懲戒かを明確にしないと、違法行為は正当だという主張に与することになる。
それが本望だという論者は別にしても、違法な「体罰」を容認するのかどうかはおさえる必要があるのだ。
ここでの話はあくまでも学校教育に限定しているので、学校外での出来事に適用できるものでないことは最初に断った通りだ。
補足
最近二言目には「学校で教えて欲しかった」という声を聞くが、それはそれほど効果的ではないと思う。
たとえば、「冤罪があっても構わないと思う」という趣旨の発言がされたと仄聞するが、
発言者は「推定無罪」の大原則を失念している点で、中学校を卒業するにふさわしい知識を身につけていないわけである。
今すぐにでも中学校に戻り、一から勉強するのが本人のためであろう。そして満点を取るまで卒業させてはならないと思う。
中学の知識すら覚束ない者が訳知り顔でご高説を宣うのを、ありがたく拝聴する方々の姿を見るにつけ、日本の将来は暗いと断ぜざるを得ない。