ここでは学校教育の問題に限定して体罰の問題について述べるので、特定の話題について触れることはしない。
まず、体罰は法的にどう扱われているのか
文部省が文部科学省に再編成されたさい、文部大臣が文部科学大臣に変更されたこと以外はこの規定に変更はない。
つまり、「体罰」と主張した時点で、加えた側が違法行為だと認めたことになる。
この点は戦後一貫しているので「昔は許されていたが、今は認められなくなった」という認識自体が正確でない。
よくある誤解に過ぎないのだ。
このような見解を披露した時点で、学校教育に関してどの程度の知識しか持ち合わせていないか想像できる。
喩えて言えば、ヒロポンを服用すれば疲労回復が早くなるので使うよう勧めるのに近い論理だ。
ただ、あくまでも学校教育法で定められている「学校」に関しての話なので、その範囲が及ばないところに関しては言及できない。
職員会議でも校長は「体罰はいけません」と必ず言うが、それ以上踏み込むことはない。
実際、棒きれを振り回している教員を見ても、見て見ぬ振りをするのが常である。
それらの行為は「体罰」でなく「懲戒」と見做すことにしていた、ただそれだけのことである。
今も昔も「体罰」は違法行為であり、「懲戒」は合法的かつ教育的「指導」の一環なのだ。
問題は、いかなる行為を「体罰」と見做し、いかなる行為を「懲戒」と認識するか、という点にあるのだ。
同じ行為をある時点においては「懲戒」と見做し、ある時点から「体罰」と解釈するようになったか、というのが正確な問題提起である。
たとえば以下のようなガイドラインが示されている。
文科省 学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰等に関する参考事例
http://www.mext.go.jp/a_menu/shotou/seitoshidou/1331908.htm
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouikusaisei/dai1/siryou4-2.pdf
いずれにしろ、文科省が体罰を認めていないことだけは明確である。
教室で質問すれば、明確に「それは法律で禁じられているからです」と答えてくれるはずだ。
ただ、ある行為をめぐって「それは体罰ではないか」とか「いや懲戒の範囲内だ」という議論は当然あり得る。
しかし「体罰」が許されると主張することは、違法行為をもって教育するのが望ましいというのに等しいことであるということは認識しておく必要があるだろう。
効果的であり、かつ「望ましい」とするならば、違法行為の正当性まで議論の範囲は広がらざるを得ない。
あるいは、体罰を望ましいとするなら、学校教育法改正で対応するほかあるまい。
ともかく、「体罰」を論じる際「懲戒」との比較なしにあれこれ論じるのは意味がまったくない。
何が体罰で、何が懲戒かを明確にしないと、違法行為は正当だという主張に与することになる。
それが本望だという論者は別にしても、違法な「体罰」を容認するのかどうかはおさえる必要があるのだ。
ここでの話はあくまでも学校教育に限定しているので、学校外での出来事に適用できるものでないことは最初に断った通りだ。
補足
最近二言目には「学校で教えて欲しかった」という声を聞くが、それはそれほど効果的ではないと思う。
たとえば、「冤罪があっても構わないと思う」という趣旨の発言がされたと仄聞するが、
発言者は「推定無罪」の大原則を失念している点で、中学校を卒業するにふさわしい知識を身につけていないわけである。
今すぐにでも中学校に戻り、一から勉強するのが本人のためであろう。そして満点を取るまで卒業させてはならないと思う。
中学の知識すら覚束ない者が訳知り顔でご高説を宣うのを、ありがたく拝聴する方々の姿を見るにつけ、日本の将来は暗いと断ぜざるを得ない。