はてなキーワード: 高校三年生とは
先日、日曜夕方のももクロのラジオをなんとなく聴いていた。そのラジオは、ももクロのメンバー二人と、40代半ばのアナウンサーの三人で進行する番組なのだが、その中でKANの「愛は勝つ」が流れて、それについてひとしきりトークをする、というくだりがあった。
「愛は勝つ」は、90年のヒット曲だから、40代半ばのアナウンサーがひとしきりエピソードを語って、ももクロの二人はただ、へー、っていう反応だった。
俺も40代半ばだから、そのアナウンサーの語っていることは肌感覚としても理解できるけど、ふと、今の10代、20代はどう思うんだろう、と思った。
この件に限らず、割と今の40代が10代、20代のころに流行ったものの話題が、テレビやラジオ、ネットなんかでよく見かけるような気がする。
翻って、俺が20代の頃って、そんなに昔流行ったものって、そんなに話題にされていたっけ?とも思った。
たとえば90年代からの30年前は、60年代になる。60年代のヒット曲ってなんだろ、と思って調べてみたら、なんとなく知っているのが、
・帰ってきたヨッパライ
だった。意外に多いな、と思ったし、すぐはでてこないけど、聴けば、あああれか、と思う曲も含めれればもうちょいあるだろう。
前回のバイトでまたまたストーカー客から菓子を貰ったが、その場で「ありがとうございます」と言っただけで、私は無反応を決め込む。
今日はすごく可愛い女子大生アルバイトさんとシフトが被ったので、女子大生アルバイトさんに「大学何年生?」って聞いたら、「まだ17歳、高校三年生です」って彼女は言った。マジか!? 大学生というのはデマだったのか……。それにしても、そんなに若いのにずいぶんしっかりしているんだな、すごいや。
ストーカー客が来たが、私は什器の掃除に夢中になって気付かないふりをして無反応を貫いた。そしたら、私しかレジにいない時間帯を見計らってストーカー客はまたやって来た。二度来る時はいつもそうだが、父親らしき人を連れていた。私は無言でレジ打ちをした。
あと三ヶ月で、ストーカー客にストーカーされ始めてから三年経つけど、一言の雑談すらしていないのにストーカー客の中では関係が進展していることになっているのか。気持ち悪いな。
「実はね、わたし最近○○くんにハマってて」友人にそう打ち明けると決まって「なんで今更?」と返された。私の推しは、あまりにも有名だった。
けれど、そんなことを聞かれてもわからない。推しとの出会いは運命だった。あの日、ほんの一瞬、画面越しに目が合ったあの瞬間、頭の中で何かが弾けた。私の意思とは関係なく目が否応無しに彼を追ってしまう。あの日の彼はブラックホールのようだった。それまでの私が知る彼とその日の彼は何かが違った。
この本の主人公あかりは、推しに出会った時の私そのものだった。
部活が終わると一目散に家に帰って推しが出ているテレビ番組を見た。お年玉をはたいて買ったライブDVDを、時間があれば何度も再生した。CDが発売される月は友達との遊びを我慢してどうにかその費用を捻出した。推しのために、生きていた。すごく楽しかった。
けれど、幾ら推しを推している時間が楽しいからと言っても、私にも "私の" 生活がある。
気づけば高校三年生になっていた。志望大学はどこで模試の判定は何で偏差値は幾つで… その頃からクラスメイトは自分のことを "ジュケンセイ" と呼び、周りも私たちのことを "ジュケンセイ" として扱った。私もとりあえず、自分のことを "ジュケンセイ" と呼ぶようになった。
けれどいつまで経ってもやる気は出なかった。正直、自分の将来なんかよりも推しの方が大切だった。大学受験は刻一刻と迫っているのにも関わらず、推しに縋って勉強から逃げた。大学には落ちた。自業自得だと思った。自分のことを "ジュケンセイ" だと呼ぶことは出来ても、 "受験生" にはなれなかった。
「折角、良い高校に入ったのに。」
気を使って言わなかったけれど、きっとみんなそう思っていたんだと思う。「地頭が悪いわけではないのだから頑張ればそれなりの所に行けるのに、どうして頑張らないの?」担任には遠回しにそう言われた。本当にその通りだと思う。頑張りたいとは思っていた。でも、推しの方が大切だった。何で頑張れないのか、自分でもわからなかった。
推しに出会って一年が経った。周りがみんな所謂「良い大学」への進学を決める中、なんて自分はダメな人間なんだろう、と自分で自分に落胆した。推しに縋って生きていたそれまでの自分を心底殴ってやりたかった。
推しに縋って生きた先に待っていたのは、社会の歯車に組み込まれた「わたし」の凋落だった。
苦しかった。このままで良いわけがないこともわかっていた。人間とは不思議なもので、自分にラベル(私にとっては地元で一番の進学校に通う勉強が出来る子)が貼られると、そのラベル通りの人間になろうとするらしい。"良い大学に行くために"浪人をした。高校三年生の時よりもちょっとだけ、頑張った。ラベル通りの人間にはなれなかった。
結局、滑り止めとして出願した今の大学に拾って貰った。首の皮が一枚繋がった。私は、あかりにならずに済んだ。(と思いたいだけなのかもしれないが)
こんなにも自分は怠惰で堕落しているのに、親が私の事を見捨てず変わらず接してくれることが苦しかった。なんでこんな自分に出資をしてくれるのか、わからなかった。リターンなんて何も無いのに。この先必ず廃業すると分かりきっている企業の株を親に買わせているようで、辛かった。自分が詐欺師にでもなったかのような気分だった。
未だに私は推しのことは相変わらず大好きだし、推しに縋って生きていたあの時と同じように狂ったように愛を叫んでいる。けれど、何かが違う。
大学生になった。
詐欺師から普通の人間になりたくて、必死にもがいた。辛い、もう辞めたい、と周りに弱音を吐きながら何が何でも良い成績が欲しくて必死に授業に喰らい付いた。二年前、私がなれなかった "受験生" になったかのような気分だった。気がついたら死ぬ気で喰らい付いた授業で優秀作品に選ばれていた。やっと人間に近づけたかもしれない。そう思った。
推し、燃ゆ。
こうなっていたかもしれない私の、話。
私の推しは今日も変わらず画面の向こうで笑顔を振りまいている。そんな推しをぼーっと眺めながら今日も私は目の前の課題に取り組む。
自己紹介すると、
秋葉原のコンセプトカフェに年末からハマり、もう40万円は支払ってる。
私が行っているコンセプトカフェは、ゴスロリ風の制服を着た少女(多くは16歳から19歳の未成年)が、一対一で接客してくれるという形態のもの。料金は1時間1100円(女性料金)と、女の子へのドリンク代。女の子は時給1000円➕ドリンク代のバック(4割)が手取りとなる。
これに、私は麻薬のように中毒になっている。バンバンシャンパンとか入れまくる。
なぜ中毒になるか。まず、セクシャルマイノリティの話ができる相手って、少ないんだ。私は二丁目が好きではないし、友達も限られている。親身になって話を聞いてくれて、笑顔をたくさん見せてくれる女の子の存在は、涙が出るほどありがたい。もちろん、マスクは私も相手も常につけているし、飲食もほぼしない。ドリンクは捨てているのだと思う。
私は、さみしいんだと思う。今後も婚姻できることもなく、友人たちが結婚していく現状が、泣くほど辛い。彼女は、その隙間を埋めてくれる存在なんだ。
コンセプトカフェの女の子はとてもいい子で、連絡先を交換した。プライベートでも会ってくれるって。でも、それは申し訳ないから、時給分はお小遣いとして払おうと思う。相手の子は18歳の高校三年生で、私はロリコンではない。
それでも、だ。愚かにも、彼女が私を好きになってくれる未来を、夢想せずにはいられない。哀れな中年レズ の、夢物語だとわかっていても。
この先、どうなるんだろう。老後の貯金はバンバンなくなるので、誰かに止めて欲しい気持ちと、突き進みたい気持ちが入り混じっている。
元増田の言うことが嘘だと断言するわけではないが、あまりピンとこない。
高校生にもなれば自らバイトして金を稼いだりバイクの免許を取ったりと自立するので、義務教育中の小中学生のように人生相談などを教師に頼るというのはあまりないと思う。元増田は高校生を子供扱いしすぎだ。
高校三年生が「受験期の不安定なメンタルのケアをしてくれた」云々も意味が分からない。高校の一年生・二年生なら文系理系の選択だったり就職・進学だったりと進路で悩むのはわかるが、三年生にもなれば悩むことは無くなるからだ。進学校なら生徒に模試を受けさせるから、模試の結果に合わせて受験校を決めて勉強するだけだからだ。
仮に元増田の言う通り「生徒に手を出す教師の数は多い」というのが真だとしても、その逆に「教師に手を出されてしまう生徒は多い」は必ずしも成り立つとは言えない。なぜなら人数が大幅に異なるからだ。生徒は一学年に数十人から数百人といるが、それに対する各教科の担当教師はせいぜい十人程度だからだ。教師が一度に複数人の生徒と同時並行的に交際をするというわけでなければ、教師と交際する生徒は圧倒的少数派となるのは必然だ。だから、最後の段落で高校生の子供を持つ親に提言するのは的外れと言わざるを得ない。
教師と生徒の恋愛、漫画の中だけだと思うじゃん?教師同士よりあるんだなこれが。もちろん在学中の生徒と付き合ってんのがバレたら教師は一発クビだから、大抵は卒業後に会ってるうちに…っていう体だけど、まあ在学中から噂が立ってるようなのが殆どですよ。隠してはいるんだろうけど、人の目が多い狭い空間で関係の隠し事はなかなかに難しい。校長副校長も目を光らせてるけど、クビが絡む事案だけに証拠がないと動けないらしく、あくまで噂立ってるから気をつけてね程度の注意で終わる。だから減らない。
そもそも生徒が教師に思いを寄せがちなのが私立高校である。自分も何度か告白されたことがあるが、それは別に自分のスペックが高いわけじゃなくて、うちの学校で高校三年生を担当する若手教師で、未婚で性格によほど難がなければ生徒に告白される経験をする羽目になる。なんでかっていうと簡単で、受験期の不安定なメンタルのケアをしてくれた大人への感謝を、恋愛感情だと勘違いしてしまう子が毎年一定数出るからだ。特にうちの学校だと、受験期後半は家より学校にいる時間の方が長いような生活を送ることになるのも拍車を掛けている。
これは仕方ないことだ。高校生と言ったってまだ子供である。自分の感情のコントロールや自制が効かないのは当たり前だし、ましてや人によっては人生一番の精神の荒れどきになるであろう受験期の出来事だ。教師がきちんと断ってアフターケアして終わりになる恒例行事みたいなものである。教師がちゃんと断れば。
断らないクズが山いる。これはうちの学校に限らない。生徒と教師が卒業後結婚しました♡みたいな美談は沢山あるが、大抵はまあ高校でであった二人だろう。そのきっかけは100%上記の「不安定な精神状態の生徒が教師に相談、解決してくれたためその感謝を恋愛感情と勘違い」「その勘違いにつけこんで教師がOK」だ。未成年淫行どうこう以前に倫理的に完全にアウトだと自分は思う。
塾や予備校ではなく受験勉強を学校で見るタイプの私立高校に入学する生徒は、人生相談をほぼ必ず教師にすることになる。家庭問題から進路問題、本人の抱える病気精神問題など重い問題を、教師に預けることになる。子供からしたら他人にここまで自分のことを打ち明け、共に考えるのは初めてだろう。さっきも書いたが精神も不安定な時期だ。くわえてまだ子供で判断力も鈍い。簡単に教師が唆せるのである。
「受験当時、先生と連絡先を交換してもらっていた。夜遅くても質問に答えてくれたり、電話に出て相談に乗ってくれたりしてとても嬉しかった。思えばそこから好きだったのかもしれない」
「◯×さんにしかそういうことはしていなかった。当時は彼女の努力に報いるつもりだったが、今思えばその頃から彼女のことが好きだったのかもしれない」
これは美談として結婚後に彼らが話していたことだが、うちの学校は教師と生徒の連絡先の交換は禁止だ。そもそも教師も当時から恋愛感情があったことを認めている。でも簡単にこういう風に唆せてしまう。精神的に不安定な子供を褒めて支えて甘い言葉を吐いて、自分を好きにさせちゃえるわけ。
そんなこと言って上手く行くとは限らないとかアプローチは自由とか好きになったのは生徒の自由意志とか思うかもしれないけどさ、実際の生徒見てたら簡単にできるなってわかると思うよ。それくらい受験期の高校生ってのはメンタルやられてるし、頼れる大人は自分達教師しかいない。家にいる時間より学校にいる時間の方が長いし、進路や家の問題を同じように受験に苦しむ友人に話すわけにもいかない。必然的に教師を頼るしかない。この状態の生徒の好意を勘違いだと正してやらないこと、この状態につけ込むことって、生徒の信頼にあまりにも不誠実だし、教師以前に人間としてアウトだと自分は思う。
受験期じゃなくたって、親に言えない相談をできる相手は生徒にとって教師しかいない。自分の弱みや悩みを教師に開示「せざるを得ない」。自分の意思で友人や恋人など信頼のおける相手を「選んで」相談するのとは全く違う。病院の患者と医者が結ばれたのが気持ち悪い増田と同じ感情だと思うんだけど、義務的に見せるしかなかった弱みを恋愛に利用するのは、あまりに卑怯な行為じゃないだろうか。
というのが自分の意見だが、生徒と教師はそれでも結ばれていく。職場で卒業後の生徒と結婚することになったと言われても、愛想笑いで誤魔化すしかない。それがまあまあ辛かったので、増田に呪詛を書きにきた。これを見ている中に高校生の子供を持つ親がいるかは知らないが、もし自分の子供が教師と結婚すると言い出したら死んでも反対しろ、死んでも別れさせろ。絶対ろくな相手じゃない。
要は楽しそうにしてる人達が憎い話です。
気分が落ちてる時にここ見つけたからついでに書いてこうと思う、多分わかる人が読んだら僕が誰かわかっちゃうかも。分かっても言わんでね。
あと、自分がぼっちな事にコンプレックス持ってたりする人は読まない方がいいかも。
僕は結構外に出るタイプのオタクだ、つってもココ最近のご時世になってからは前みたいにあっちこっち行かなくなったけど(ヨドバシとかには行く)
そうやってあちこち行くたびに目につくのがやれ手繋いで歩くカップルだ、やれ楽しそうにグループで行動してる若い人たちだ。
僕は高校1年が終わると同時に引っ越した。引越しが多い家庭だったけど僕はそこで10年近くも過ごすことが出来た。友達もそこそこ出来た。今でも通話しながらゲームなんてしょっちゅうやってる。ネットで会ったゲーム仲間なんてのもいる。だから友人関係には不足はない……とも自分は言い切ることが出来ない。
どっちも「実際に会う」事が出来ないから。
10年も過ごして、少し出かけたら見掛けた顔に会うなんて事を経験していたら知らない土地で知り合いもいない状態の僕からすればとても寂しい。
高校1年の終わりに引越したと書いたが、もう2年間は通信高校に通った。最初に行きたかった所だった。レポート提出も成績も全日制の前の高校にいる頃よりずっと良かった。
けれど恥ずかしいことに僕は友達作りに失敗した。
その高校には引っ越す前の地域で編入、実際に活動したのは引っ越した後の地域で、クラスチャットにいる子は皆前の地域近辺に住んでいたからだ。
スクーリングに行ったってチャットで話した子なんかいないし、僕に出来るのはその場凌ぎのコミュニケーションで踏み入った事は当然できなかった。
通信だから見た目の制限がないことは皆ご存知だろう、その恩恵を受けたかのような淡い金色の綺麗な髪の子がいた。
けれどスクーリング期間中、結局一言も話すことは出来なかった。
そしてあろう事か教師に取り持って貰おうとしたのだ。高校三年生にもなってだ。今思ってもゴミクズ過ぎると思う。
こんなことを今では笑って話せるが、正直黒いものは胸の底に残ってる。
俺はお前らと違ってこの土地に知り合いもいなくてひとりぼっちなのに、楽しそうにするなようるさいな
って。
それなら別にカップルとかには感情向かないんじゃない?と思うだろう。ここまで読んでくれてるのならの話だが。
Twitterを始めてからその事を話せる仲にまでなった人からそれでも好きだと言われて数週間したら連絡が無くなったというのを2回経験している。
だからカップルも妬む。僕はそこにたどり着けなかったのに、こんなに寂しい思いをしてるのにと。
我ながらこんな事思うのは間違ってる、全部自分が悪いんじゃないかって理屈では分かってる。
けれど用事で外に出てそういう人達を見る度にそう思ってしまうのだ。
楽しそうにしてる人達が僕は許せない。
オタクは暗く影にいるべきなんだ、なんでそんな明るくしてるんだって。酷い偏見だと思うけどそう思ってしまうんだ。TI〇〇OKとか上げてたらもう最悪だ。
ただ吐き出したくて書き始めたものだからオチがなくてごめんなさい。
僕はどこで間違えたんだろう
ただただ見知った顔が見たい。
寂しい。
今年22歳になる。同級生達は大学4年生で就活真っ只中だ。もう進路が決まった人もそれなりにいるだろう。
私には夢がある。それは普通の人になることだ。仕事に行って、パソコンの前に座って仕事をして、同僚や上司と他愛ない話をして、多くなくていいからお給料を貰って、そのお金から税金を払って、生活をしていく。一般的に想定されるような、なんてことないOLになりたい。
でも多分なれない。タイトルにも書いてある通り、一度腐った人間だから。
思えば挫折は高校三年生の時から始まっていた。勉強が好きだったから進学校と呼ばれる高校で受験勉強を頑張っていたけど、家が貧乏で進学を断念した。
こう言うと聞こえはいいけれど、今時貧乏でも母子家庭でも奨学金を借りてバイトもしながら苦学生をやっている人なんて珍しくもない。私は勉強は好きだったけれど分野を絞ることが出来ず、かつ多額の奨学金を借りることにどうしても抵抗があり(高三時点で社会不適合者の自覚があり、ちゃんと就職して返済できる自信がなかった)、一言で言えば気概のない子供だった。
高校を出ていくつかバイトを経験したあと派遣社員として1年ほど働いていたが、セクハラとパワハラの多い職場で、気概のない私は最終的に抑うつになって辞職した。
派遣社員だった頃、中国語の歌にハマったことが理由で中国語の勉強を始めた。前向きに取り組めることがあることが嬉しくて、独学だったけど勉強はどんどん進んだ。大した資格ではないが、勉強を始めてから1年くらいである中国語資格の最高級を取った。Skypeの講座を取り、会話練習も欠かさない。
中国語の勉強を楽しむ自分がいる一方で、社会と接するときの自分はどんどん腐っていった。
派遣社員を辞めたあと、どうしても働きたくなかったけど生きていくために働かなきゃいけなかった私は、風俗で仕事を始めた。ブサイクだけど若いから受かった。
中国語をやりながら、デリヘルで働いた。最終的にソープで働きはじめ処女を喪失した。
中国語のレッスンで自己紹介をする時、職業を偽らなければいけないのが虚しかった。
手垢のつきまくった言葉だけど、客とセックスするたび気が狂って叫び出したくなった。薬を飲んで仕事に行き、待機中はずっと勉強をした。待機室でよく一緒になった実家暮らしの女子大生に真面目だと褒められた。鬱は悪化し続けた。
鬱の悪化と同時に、なぜか語学の勉強をしたいという気持ちがどんどん強くなった。中国に留学するか日本で進学するかで悩んだが、英語に興味が湧いており、普通の人のように就職をしたかった私は国際系の専門学校に進むことにした。
収入が途絶えたら死ぬから風俗は続けた。セックスしながらまた勉強をした。大した資格ではないが英検準一級を取った。
あっという間に1年が経ち、いまは専門学校の2年生だ。鬱は治っていないが、ここでまともにならなければ一生まともになれないと思いながら就活に奮闘している。
気概もなければ誇れるものもないけど、語学の勉強だけは人並みくらいには頑張ってきた。中小企業だけを受けている。内定はひとつもない。
就職課の先生曰く、コロナウイルスの影響で、外国語が必要とされるような航空や観光業が軒並み採用中止となっている上、例年だと専門学生がメインに受けるような企業に四大生が受けに来ているらしく、国際系の専門学生は就職が厳しいらしい。
先生の話を聞きながら、たとえコロナがなくても私を採りたい企業なんてないだろうなと思った。
私は英語と中国語が話せる。それ以外で明確な専門分野はないけど、簿記やプログラミングの勉強はしたことがある。インキャだけど風俗で働いていたからコミュニケーション能力はある。派遣だけど事務で働いた経験もあるし、普通の接客とかのバイト経験もまあ豊富だ。人に感謝されたこともある。人に頼られたことも頼ったこともある。家事は自分でやるし身体を売って稼いだ金で学校に通い、家賃を払ってる。高校時代はしょぼい部活だけど部長もやってた。エクセルやワードの資格も取った。
それでも誰も私を採りたいと思わない。なぜなら一度腐った人間だから。
、今のクラスに友達がいません。友達居ないどころか浮きまくってます。いままでの私の行いにも色々問題があることはわかってます。そういう諸々が今の状況を引き起こしてます。
でも辛いです。友達がいる時は、いなくても大丈夫、いてもいなくても一緒と思っていたのが、いなくなったらいきなり学校生活がきつくなりました。
実際言われているのは分かってるんですが、明らかに自分の事じゃなくても悪口っぽいワードが聞こえてくると反応しちゃいます。
今まで、自分も今の自分がされているようなことを無意識にしたことがあります。
けど自分がされるまでことの残酷さに気づけませんでした。本当に終わってると思います。
親にも悪口言われてるみたいなのはフワッと言ったんですが、結局心配されたくないため強がってしまい逆にまた気が重くなってしまいました。
他校とかには友達がいましたが、自分で切ってしまって連絡も取れないし、
前まで食い気味というか積極的に関わってくれてた友達も私があからさまにぼっちになったのに気づいたらよそよそしくなってしまいました。
そういう感じで今気が許せる人もいないし、何となく全然キツくないはずのことがものすごくきつく感じるようになってきました。
今まで、自分で乗り越えられると思ってたことが、全く自分に何かを乗り越えたりする精神力なんてないと分かって(薄々知ってはいたのですが)
そして周りの人を憎む悪循環になってますが、周りの人は別に悪くないし、私が興味持ちすぎなだけで、誰も私に興味無いことはわかってます。
全て私が悪いことだし、自分でどうにかしなきゃいけないとおもいます。
私は昔歩くときは下を向いてばかりだった。
別に意識して下を向いていたわけでもないし完全に無意識なのだけど、とにかくその景色だけが鮮明に残ってる。
そんな奴普通に話しかけたくないしあと普通に考えて前見て歩かないと危ない。
学校も休みがちで友達といえば休み時間は教室で絵を描いているようないわゆる陰キャの子たちばかり。
当の私も立派な陰キャだったし今だってそれは変わらないけれど、私はいつの間にか顔をあげてまっすぐ前を見ながら歩くようになった。
当時の友達、いつも一緒にいるようないわゆるいつメンとも普通に仲良くしていたし仲良くしてもらってたと思うけど、今考えてみれば心の内にあることを話せるような本当の友達は一人もいなかった。
学校を休みがちだったのは大人になってから病気が判明してそのせいだったとわかったけど、失った思春期の青春は帰ってこない。
高校に入って小学校の頃よりは学校にも通えるようになり、友達も増えた。
今連絡を取っている子は数人に減ったけど、当時はとても楽しかったしまさに青春!って感じだった。
私にとっての人生のピークは絶対にここだと思ったし、それでいいと思った。
その頃にはもう顔をあげて歩いていたんだと思う。
高校三年生がとても楽しかったし、青春、人生のピークはやっぱりここかなとは思うけど、今もそれなりに楽しくやっている。
病気とかいろいろ大変なことは多いけど、大好きなアイドルに出会ってから心から大好きで信頼できる友達も年齢問わずたくさんできた。
今はこんな状況(世間的にも個人的にも)でアイドルにも友達にもなかなか会えない日が続いていて大変だけど、またこれからいろんな青春に気付いていきたい。
私は就職氷河期世代やロストジェネレーションなどと呼ばれる世代です。
twitterでは高校三年生の悲鳴などが話題になったりしました。
この話題に関して伝えておきたいことがあって、文章を書くことにしました。
勢いで書ききるつもりなので誤字脱字などはご容赦いただければと思います。
私から伝えたいこと、それは
です。
さて、以降は私が経験したできごとを大きくわけて2つあげてみます。
その前に私について軽く述べておきます。
小学生の時分瀬戸大橋の完成、バブル崩壊などを経て、消費税導入がありました。
中学卒業の頃には氷河期が始まりつつあり、早めに進路を決める必要がありました。それは大学に行くかどうかも含めてです。
私は大学には行くことはできず、専門学校とバイトを掛け持ちの進学。やっとIT系に就職したものの、ブラック企業ばかりの状態でした。
自己責任という名のもと、必死に耐え忍んで、20後半の年代。もっとまともな仕事に着こうと転職活動を始めた矢先にリーマンショック。
リーマンショックが落ち着いて、立ち直りつつ今度こそと思っていたところへ東日本大震災。
そういう世代です。
コロナの影響で日本の医療崩壊が懸念されてはいるものも、「何をもってして医療崩壊とするか」が個々人によってバラバラのため、議論が進まず、言葉だけが独り歩きしていると感じています。
さて、医療崩壊と併せてよく言われる言葉。「命の選別」というものがありますが、私の家族はそれによってこの世を去りました。
もう10年以上前のことです。
田舎の隅のほうに家がありましたので、先進的な医療は受けられません。
医療設備の整った病院まで車で一時間くらいかかるような田舎です。
ある日、心臓病が発症して県庁所在地の病院まで搬送されましたが、もはや助かる見込みは無い状態でした。
親戚もそれは解っているため「仕方ない」「田舎だから」と諦めた様子でした。
父の家、すなわち私の実家は少しだけ都市に近い場所でした。病院にも数十分で搬送されたとのことでした。
しかし助かりませんでした。
「医者がいませんでした。」
「手術まで数時間待ちでした。」
「なんとか手術は終えましたが、合併症で脳梗塞が発症したため助かる見込みはありません」
これが私の父そして祖父に対して強制的に行われた「命の選別」です。
医療制度が新しくなって、地方に医者(研修医)が来なくなりました。
(興味がある人は調べてみてください。研修で地方に来る人が居なくなり、その結果何が起きたか。)
その結果がこれです。
私が小学生の頃、瀬戸大橋が完成して本州と四国が一本に繋がりました。俗にいう「一本列島」ですね。
先行き明るいと思われていましたが、バブル崩壊や消費税導入が押し寄せてきました。
家の家計は数十年先まで給料が上がり続ける前提で組まれたローンとなかなか上がらなくなった給料で苦しかったようです。
それでも父と母が共働きでなんとか学費などを貯め続けてくれていました。
高校に進学する頃には就職が難しいという話題があがりはじめていました。氷河期です。
高校、大学と進んでも先行き不透明のため、中卒で力仕事に従事する道を選んだ子も居ました。
大学進学までを希望していた子でも、普通科ではなく商業高校や工業高校に切り替えたりしていました。
私の家は大きな被害は受けなかったものの、親戚関係で色々あり、、、省略。
そして本格的な就職氷河期が始まりました。就職先はほとんどありません。
就職組の競争率は2倍、3倍。公務員に至っては10倍近い倍率もあります。
なぜそうなるのか?
自分の高校だけの話ではなくて、全国的に就職先が無い状態です。
すると、偏差値の高い高校、本来大学に行くような人たちが公務員などの就職試験を受けに来ます。
では進学すればいいかというと、そうでもありません。世間では「即戦力」が求められた時代です。
そしてお金がない家庭に何が起きるかというと、とても居心地が悪くなるわけで、今でいう虐待に相当する行為が起きてしまうわけです。
それでも学校の先生はこう言います。「勉強していい成績とれば、家庭環境も良くなる」
前提として「勉強」があるわけですが、それを阻害する要因の「虐待」が発生しつつあるので、もはやどうしようもないです。
今にして思えば父も母も不安だったのだと思います。もし受験失敗したら、浪人するお金はない。すなわち高卒で働くことになる。
滑り止めで私立は無理。震災でお金が無く、そもそも受験費用の捻出だけで今は精一杯だったので。
公務員などの就職は難しい、、、では最初から少しでもマシな企業に就職するか?
色々考えた結果、私は専門学校という苦肉の策を選びました。自己責任です。自分の選んだ道ですから。
進学、就職をなんとか乗り越えても、次の罠がやってきます。派遣法改悪です。
就職先を増やすためとの名目ですが、実態は奴隷商売・人身売買です。
私は派遣ではなく正社員として就職したものの、派遣会社に限らず下請けのソフト会社などにありがちな二重、三重の下請けの一部が派遣に切り替わったりしていきます。偽装請負ってやつですね。
偽装請負や二重派遣は派遣法で禁止されていますが、派遣会社の社員がそれを言い出せるでしょうか?
もしそれを訴えてしまうと「誰が訴えたか」が伝わってしまい、次に仕事に就くのが困難になります。
労働基準監督署に依頼しても、そこまで保護してくれません。つまり誰も言い出せない。そんな状況です。
なんとか実務経験を積んで、転職を繰り返すことで少しずつ待遇は良くなりました。
送別会で初めて会うN次受けの営業さんに「お世話になりました」などと大人な対応で去り、次に行く。
しかし、転職はブラック企業をひくかどうかという、精神的に負担が大きいギャンブルです。
ギャンブルを繰り返し、少しづつまともなところへと向かっていった中で。。。リーマンショックや東日本大震災が襲ってきました。
東日本大震災直後の年収は額面240万でした。計算しやすくていいですね。
リーマンショックでは助成金があるから、その金額はおかしいのでは?と考えるかもしれませんが、残念ながらあの助成金は企業に対して支払われるもので、そこのやりとりに一般社員が関与することはできないんですよね。
労働基準監督署?もし訴えて未払い残業代を手に入れたところで、その業界で働けなくなったら意味なくないですよね。
脅しだから無視してよいと言われても、ずっとこういう生活を続けているとそれが当たり前になってしまうのです。
そもそも労働基準監督署もリーマンショックや震災などの有事の際は忙しいですし、一人ひとり真面目に相手になんてしてくれません。残念なことです。
・自己責任論で弱者(まだ世間を知らない学生さん等)に責任を押し付けてはいけない
自己責任論と言われて育ってきましたが、あれは間違っています。
まだ世間の荒波を知らない20台の若者に「責任をもて」「経営者目線で」と言いつつ安月給や非正規雇用で働かせる。それは間違いです。
コロナでの「自粛」と同じく、「自己責任」は当人が自主的に口にするべきものです。
そもそも選択肢が無い状態で仕方なくその道を選んでいるのに「自己責任」と投げかけるのは間違いです。
就職先無いけど、どうする?自分の責任で選んでね。というのは無茶ぶりです。
・仕事があるかどうかは時代の流れが大きい。本人の能力の問題にすり替えてはいけない
自己責任論とかぶる部分が大きいですが、就職先が無い状態で学生さんの能力が低いからと責めるのは間違いです。
たとえば競争率10倍の公務員試験であれば、100個しかない椅子に1000人押しかける状況です。
「学力をあげれば就職できる」論も間違いで、私の例でいえば家庭環境が終わっているのにどうやって勉強するのか?という話です。
当時の私には食事すらまともに出てきませんでした。生きるためにバイトをしましたが、そうすると勉強時間が減ります。
すなわち、環境が悪化している状況下で本人に問題があると論点をすり替えるのは間違いです。
twitterなどで話題になっていた高校生の悲鳴は「勉強できる環境づくりが難しい」という点だと思っています。本来なら大人がサポートするべきところです。
そして進学が不安だというのも納得です。
氷河期当初、進学するはずだった人たちが公務員試験を受けに来たという状況。それは当人にはどうしようもないし、平時であれば合格できたはずです。
それを「勉強不足だ」などと本人の責任にしてしまうのは間違いです。
私ももう40台となってしまいました。失われた時間は返ってきませんし、怒りや憎しみを次の世代になすりつけるつもりもありません。
度重なる過労と鬱で子供を作る能力すら失われてしまいました。だからこそ、この文章を見ている人にお願いします。
「年寄りだから」「若者だから」といがみ合って、物事の本質を見失っていないでしょうか。
身の回りの小さなことに苛立つのではなく、そんな状況にしてしまった世界や日本、そして政治をなんとかするべきです。
労働者階級同士でいがみ合い、会社間でいがみ合い、それでは誰も幸せになっていません。
当初の導入では福祉や医療などをまかなうため(という建前)の消費税でした。しかし実態はどうでしょう?
父の命に対して
「医者がいないので手術できませんでした」
都会/田舎、高収入/定収入、所属企業を問わず皆が平等に収めている消費税。
平等に収めた税金にもかかわらず「(田舎だから)医者が居ません」と人の命を切り捨ててしまった。故に消費税は不要です。
法人税はどんどん下がっているのに、消費税はどんどん上がっていく。そして消費税は生活を圧迫し続け、私自身は生活も苦しい状況が続いています。
勘違いしてほしくないので最後に少しだけ書くと、犯人捜しや不幸自慢を推奨しているわけではないということです。
消費税が悪、政府が悪といった「犯人捜し」に躍起になったところで、誰も幸せになっていません。
氷河期は不幸だと不幸自慢したところで救われません。
過去にこのような問題があり、私自身がそれを受けて多くの不幸に見舞われたからこそ、新しい世代にはそうあってほしくないと願っています。
推し、めちゃくちゃ好きで超会いたくて会いたくて気づいたら五年くらい経っていたんですが、ついに今年推しの名前が事務所から消えてテニパにもメッセージ無くてテニミュも全国立海後編始まったしこれ以上ないタイミングなのでさよならブログを書こうと思って書いています。
かなりとっ散らかった文章ですが、読んで頂ければ幸いです。
大好きなので、大好きなのは辞めないと思うんですが、思い出にして前に進みたいのでさよならします。
私が岡崎和寛くんを知ったのは高校三年くらいの時でした。当時、テニミュを好きな友達がいて、テニプリ原作が好きだった私はものの見事に引き摺り込まれました。
高校三年生は受験で遠征もできず(地方の貧乏学生だったこともあり)、短大の一年生になって初めてテニミュに行きました。最初に行ったのは公演ではなくて大運動会2014だったけれど。
そこで初めてテニミュを浴びて、目の前で動く推しを見て、岡崎和寛くんが好きなフォロワーとも会いました。幸せだったな〜〜楽しかった!障害物競走でビリになってみんなに見守られながらゴールする岡崎和寛くんの深司めちゃくちゃ可愛かった。本当に可愛かった。夜公演の前にブロマイドが売れ残っててフォロワーと落ち込んだのはいい思い出(よくないけど)(公演後は売り切れてた)
運動会に神尾が欠席で、公演の後に神尾のスペースを空けて不動峰で写真撮っててすごいほっこりしたなぁ。
その後、セカンド全国立海が始まって、岡崎和寛くんが好きなフォロワーや友達と観に行きました。実はその全国立海の公演期間中に私を岡崎和寛くんに肯定される出来事が起きてしまいました。確実に身バレするから書けないけど。
私は親やクラスメイトにずっとずっとそれを否定され続けていて、それをすること自体はすごく好きなんだけど、時々ものすごく嫌気が差すことがありました。しかもその出来事の直前に、ショックな事があったので余計にきつい時でした。
うーん、ぼかして書こうとしているので訳の分からない文章になっていて申し訳ないです。でも、とにかく自信がなかったとだけ分かっていただければ大丈夫です。
そんな時に推しに"それ"を肯定されてしまったんですよね。今考えればそりゃやばいですよ。ずっと否定され続けていたことを推しに肯定されたんだから。
それからはなんかもうすごくて、超しんどかったけど何とか立ち直ってそれを続けられて、今でも続けられています。こんな幸せなことあるか〜〜?!ない!
そのきっかけで不動峰のオタクのフォロワーができたし(それまで岡崎和寛くんが好きなフォロワーとリアルの友達くらいだった)なんなら今でも超仲良いフォロワーがいます。
高校の個人ホムペを見ていた頃、好きだった方と繋がれたりとかもありました。いや〜〜すごいな?!
岡崎和寛くんのおかげで、好きなことを続けようと思えて、狭いインターネットの世界がすこし広がって友達ができました。
全国立海の公演期間中、ほんとうにほんとうに幸せハッピークソ野郎でした。
所詮行く公演も少ない在宅オタクだったのですが、日替わりレポをチェックしたり、かずくんとゆうきくんの差し入れ合戦を見てニコニコしたり、体調を崩してるらしいかずくんを心配したり、バルズのお揃いのキャップに湧いたり、全部新鮮だったので在宅でも楽しかった。
俳優オタク一年生だった私は何もわかっていなかったので、金を出すべきとか、公演沢山入るべきとか思いつきもしませんでした。周りにもそういう人がいる訳でもなかったし。本当に何も知らなかったしわかっていなかった。
今思えば沢山公演入っとけって思うけど。結局こうなってしまったんだから。
いやでもかずくんの日替わり天才だったよな〜〜〜〜本当に大好きなんだよなぁ。日替わりで日吉や裕太と仲良くなっていく過程をやって最後には友達になれたりとか。『深司信じられない』もかずくんはゲームが元ネタって知らなくて、偶然思いついて使ったらファンレターでゲームのネタだと知った、みたいなのとか。日替わり毎日考えなきゃいけないのに、全国立海終わった後は楽しかったです!の一言で終わらせてるんだもんな。
やっぱ天才だよなぁ
全国立海の大千秋楽をライビュで観て、最後の日替わりで泣いて(本当にあれはずるいけど天才だと思った)、映画祭があって(ドラキュラのかずくん会いたかったな〜〜行けばよかったな………)、ドリライがありました。
ドリライ、ライバルズの出番が鎬だけで謀反……って気持ちだったな。ソロ聴きたかったな。でもはじめてのドリライ楽しかった。
ドリライでは初めて岡崎和寛くんとハイタッチして驚きすぎて腰抜かした。いやだってまさかできると思ってなかったし俳優オタク一年生だったし。同行者の方にちょっと心配された(それはそう)
大好きだなぁ。
でもまさかドリライ2014が最後に岡崎和寛くんに会える機会だと思わなかったなぁ。
いや普通思わないよな?それで終わりだなんて。
確かにドリライの後に仕事決まってなくて不安だった気はするけど、元々仕事が多い人ではなかったし(書いてて悲しくなってきた…)そのうち決まるだろうと思ってたな。能天気だなその時の私。決まらないから安心しな。
ドリライが終わって、かずくんの仕事が決まらなくて不安で、サードのキャストが発表されて、そのなかに健人とまちゃがいて二人とも全国立海のアンダーやってて、サードのお披露目が近づいてて、かずくんの誕生日が近づいていった。
かずくんの誕生日にアメスタの配信が決まって、喜んで見た。すごい酔っ払ってたな笑 でも楽しそうでかわいかったな。
多分アメスタの次の日か前の日のどっちかだったんだけど、サードのお披露目にかずくんが行って、サード不動峰のキャストに囲まれててああもう先輩なんだなって思った。
健人とツーショット撮ってて嬉しかったけど複雑だった。多分まだいまいち健人を受け入れられてなかった。
それからはサード不動峰公演が始まって、チムライがあって、やっと健人の深司が受け入れられて、ルドルフ公演があって、ドリライがあって、サード不動峰が一旦テニミュから離れた。
かずくんはたまにツイッター更新して、その度に私はひっくり返るような気持ちになったりフォロワーからリプ飛んできたり、インスタ始めたり、インスタのお陰で数年ぶりに動いてるかずくんを見れたりした。
Love's by keyのパーカー買ったりもしたなぁ。まだ家にある。捨てられない。
なんか五年ってすごく長い時間のはずなのに、アメスタからかずくんのことで何があったかが数行で終わってしまうの、とても悲しい。数行ぶんくらいしか私は知らない。
当然といえば当然だ。その時から岡崎和寛くんは俳優の仕事をしないつもりでいたのだろう。むしろ気まぐれでツイッターを更新したり、インスタを更新していたことが奇跡だったのかもしれない。
インスタのタグ付け?で岡崎和寛くんが何か他の仕事してるんだろうなっていうのを知ったもんな。
岡崎和寛くんが今何の仕事をしているのか、結婚しているのか、してないのか、なにもわかんないけど、わかんなくていいけど、幸せに暮らしていてくれればいいなと思います。
話がすっ飛びますが、12月19日からサード全国立海後編が始まりました。ライバルズ、つまり健人の深司くんが出ています。
健人にとってはセカンドでアンダーで出ていた公演にようやく出るってことなんだなと思うと本当にエモすぎて死んでしまう。
ここまで長いようで早かったなぁ。いや長いか。
私の取れたチケットは12月23日の公演でした。あれだけの倍率で取れたチケットがこの日ってもうめちゃくちゃ笑ってしまった。だってこの日岡崎和寛くんの誕生日だよ、私早くこの日をなんでもない日にしたかったよと思った。軽い気持ちで申し込み出すもんじゃないなと学んだ日でもありました。(あとでにちかちゃんの誕生日だってことも知った。おめでとう)
今年もまた12月23日が特別な日になりました。きちんと岡崎和寛くんの誕生日ケーキも食べました。テニミュを観ました。凄かった。
もうね、私絶対これ岡崎和寛くんに観て欲しい。絶対絶対観てほしい。健人の中に岡崎和寛くんが生きているよ。本当だよ。でもそれを伝える手段が無いに等しいんだから笑っちゃうよなぁ。
次から少しネタバレなのでまだ全国立海後編を観ていない方は数行飛ばしてください。
まさかスポットをねらえが聴けるなんて思ってなかった。メドレーがファーストのままだからだろうけど。
あとやっぱり一番は日替わり………かずくんがセカンド全国立海で日替わりやってたシーンと同じシーンで健人も日替わりやると思わないじゃん。ビックリしすぎてひっくり返るかと思った。そんなのエモすぎて死ねるじゃん。それにまさかGMKKもやるなんて思ってなかったし。
健人が。セカンドでアンダーで出てた健人がサードの全国立海でGMKKやってるの、マジでマジでエモい以外の言葉でどうやって表せばいいんだ。こんなことってあるか。
とどめはGMKKのコールだった。深司だった。
都合のいい深読みしすぎなオタクだから、岡崎和寛くんが誕生日だから深司がコールだったんだなと思ってしまった。
本当にこんなの死んでしまう。
チケットはその日の公演一枚しかなくて、まあ実際観たらもっと観たくなるだろうなと思ってたけど、とんでもなく満足してしまったので今のところその欲があんまりない(いや、チケットがあれば行きたいけど………)
あと、色々見てて気付いたことがあるんだけど、健人のなかに岡崎和寛くんが生きている。どうとか具体的にはあまり書きたくない…………けど確実にそうだと思う。
健人にかずくんの深司がどう写ってたのかずっとわからなくて、正直かなり不安だったけれど、健人のなかに岡崎和寛くんが生きてることが分かってすごく嬉しかった。本当にうれしい。
よかったな〜〜本当に良かった。
さよならします!思い出にします!って言ってここまで書いた癖に会いたくて仕方ないな。かずくん、本当にキモくてごめんなさい。
私はずっとずっと岡崎和寛くんに直接会って、私を肯定してくれたことにお礼を言いたくて5年も引きずっていました。もうここまできたら呪いだよ。どうしてこの程度のことぐらいが叶わないんだろう。不思議だなあ。
つくづくオタクと推しを繋げているものって脆いなものなんだなと思う。推しが行方をくらましたらもうオタクは推しが何をしているのか、生きているのかすらわからないままなんだよ。
改めて考えるとめちゃくちゃしんどいな。当然のことだけれど。
推しにはオタクのことなんて気にせずに生きていてほしいと思う反面、推しのことが知りたくて仕方ない生き物だから仕方ないのかな。矛盾しかなくて本当に面白い。
岡崎和寛くんがサード全国立海後編に行ってくれたらもう思い残すことがないので、安心して死ねるなぁ。人生短いけどできるだけ思い残すこと無い方がいいじゃないですか。自分ではどうにもできないけど。
どうにか行ってくれないかな〜〜そしてそれを教えてくれたらいいな………
だらだらと色々書いてみて、とんでもなく短い間だったけど私は岡崎和寛くんにいろんなものを貰ったんだなと思いました。
テニミュがめちゃくちゃ楽しいと思えたこと、付き合いが長くなるフォロワーと知り合えたこと、自己肯定感、幸せな思い出、沢山沢山貰いました。岡崎和寛くんがいなければここまで沢山幸せなことがあったかどうかわかりません。本当にあの時は幸せでした。岡崎和寛くんにはどんなに感謝してもしきれません。
岡崎和寛くん、本当にありがとう。あなたがいなければ私は今どうやって生きていたのかあまり想像ができません。多分今よりもっと死にたかったと思う。
直接会ってお礼を言うことはもう叶わないので、届きもしそうにないところからお礼を言わせてください。
■頑張るってな~んだ!(虚無)
今私は高校三年生で、時期的にはまさに就職か大学か専門学校かと進路を決めて周りの人間が頑張っているであろう時期なんだけど、何一つ頑張ってない。努力もしてない。というかよくわからない。努力とか頑張ってるとかってなんだ?誰の基準なんだ?自分か?他人か?
「何がしたいか」なんて聞かれてもなにも思いつかないし、ましてや将来の夢なんてなにもない。強いて言うなら絵を描くことだけは小学生の時から好きだった。って言ってもクオリティは大したことないし、服とか小物描くのは苦手だし男も描けない。背景も描けない。女(しかも肩から上)しか描けない典型的な底辺絵描きなんだけど、この間学校の進路ガイダンスに行って、専門学校もいいかもなとちょっと思った。今まで進路のこととか本当に考えずに過ごしてきたから「今?」って感じだけど、イラストといえば小学生のころから唯一続いてきた趣味でもあったし、好きだから。
昨日、成り行きでその進路ガイダンスにあったパンフレットの学校の説明会にひとりで行った。ちょっと前から思ってた「キャラクターデザインとかやりたい」っていう思いが若干強くなって、いい話も聞いて、ルンルンしながら家に帰った。でも、家に帰って即行お父さんにガッツリ「ダメだ」って言われて、なんかお先真っ暗みたいな気持ちになった。
「イラストの業界に進んで金もらえる人間なんて一握りだ。お前がその一握りになれるか?」
「せめてもうちょっと現実的な専門学校だったらまだいいよと言えたかもしれないけどイラスト業界はダメ」
まぁ、わかる。私もそっちに進んで安定した金をもらえる自身もないし、今のところ技術もない。それはこの歳になる前からでも思っていたことだし、その道に進んでもずっと考えてると思う。それに、イラストレーターとかデザイナーとかで働いてる人がなんだか違う次元の人のように思えて、現実味がなかったこともある。実際咲けてない漫画家が知り合いにいるし、難しい世界なのはわかっている。かといってそこで根性発揮してくらいついていける自信も根拠も親の信用もないし、この時点で「イラスト関連の専門学校は無理かな」と自分でも思っていた。親の言葉くらいで簡単にあきらめるようじゃ、せいぜいこれからも趣味レベルでやっていくのが私の限界なんだろとも思っていた。
私がお父さんに腹を立てているのは、専門学校に行きたいと言ったことを真っ向から否定されたからではない。大したクオリティではないとはいえ、私が小学生のころから八年程続けられてきた唯一の趣味を「所詮お遊びレベルだ」と一蹴されたことだ。
私は昔から、なにをやらせても中途半端な三日坊主だった。音楽番組に影響されたお母さんに触発されてなんとなくでギターを買いたいだのと言いだし、そのギターはここ数か月クローゼットの中だ。小説っぽいものを書くのも好きだが、極めようとはしていない。せいぜい私の書くものを好きだと言ってくれる数人に見せているだけのようなものだ。作曲や作詞にも興味はあるが、せいぜい興味があるレベルで、作曲の勉強をしようとはしていないし作詞もただ思春期女の痛いポエムでしかない。言ってしまえば生産性が皆無だ。先述したが絵のクオリティも「これどうなん?w」という感じだし、まあそりゃ本気でやってる人からすればお遊びだといわれても仕方ないような人生だ。ただそれを、小学生のころから絵を見せて「上手くなったな」などと言ってくれていたお父さんにガッツリ否定されて本気で傷ついてしまっている。実際図星でしかないのでさらに腹が立ったんだろう。
「今までギターをやりたいというからギターも買ったし、絵を描きたいというから液タブも買わせたが、俺からすればお前のやってることは全部お遊びだ。イラスト関連の道に進みたいといわれても、これ以上お前のお遊びに俺たちを付き合わせるなとしか思えない」
と言われた。言われたのは昨日のことなので、超ハッキリと覚えている。あーあ、と思った。今までお父さんは私のやることなすことに対してそんな風に思っていたのかと。
その流れで「もしその道に進んだとして、途中で投げ出したらそのウン百万はドブに捨てたことになるんだぞ」とも言われ、これもまた私を傷つけた。私は高校一年生の時にそれなりに苦労して入った全日制の高校を辞めて通信制に転学している。その全日制に入るために進学塾に通ったりとまあ色々と金を使ったわけだが、お父さんはその金をドブに捨てたと思っていたんだと気付いた。それは、金を払っている親の立場からすればかもしれないし、私もいつか親になって多額の金を出して入った場所をやめたいなんて言い出したら「は?」と思うかもしれない。でもその時の私も余裕がなかったし、この心理状況で全日制の高校に毎日通って単位を取って卒業するなんて無理だと思ったので、ほぼ勢いで転学を決めた。それまでも金が無駄になることや、憧れていた全日制高校とずっと着たかった制服への未練が捨てきれず悩んだりもした。そこで小学生のころからお世話になっていた塾の先生に「経験は無駄にならない」という趣旨で励まされてなんとかここまで来たものの、今になって「ドブに捨てた」なんて言われても私はどうすればいいのかわからない。いや、実際には話的には専門学校に行くために払う多額の金の話であって、私が辞めた全日制の話はひとつもされていない。ただの私の被害妄想でしかない。
ここまで書いて自分が何を言いたいのかよくわからなくなってきたが、別にどこかに出す正式な文章でもないので開き直って続けることにする。
最初に言っていた「頑張っていない」「努力していない」「そもそもよくわからない」という話に戻るが、私は本当に頑張るということができない。進学塾に通っている頃も私は自分で頑張っていると思い込んでいたが、先生に「お前は頑張ってない」と一喝され、普通に足りていないことを自覚した。かといってそれからも特に何か伸ばそうとすることもせず、課題も「めんどくさい」からとやらなかったり、先生に強制されていた毎日の自習も渋っていた(先生は私が家にいると全く勉強しないことを知っているので強制していた)。
周りの人間は、私が見る限り頑張っていた。暗記のテストもいい点数を出すし、課題も全部やってくる。当たり前だと言われればそれまでだが、私はその当たり前ができなかった。頑張るということがよくわからないし、めんどくさい。別にそこまでして高校行きたくないし……と思っていた。その「頑張れない」ということをはっきり自覚したころ、スクールカウンセラーの先生などと喋る機会があったのだが、その時は「無理に頑張ろうとしなくてもいい」などと言ってもらえた。「頑張れないのが悪いんじゃなくて、当たり前のことを当たり前にできる人がすごい」とも聞いた。一時はその言葉に救われたのだが、よく考えると私は「頑張れない」のではなく「頑張ることから逃げているだけのクズなのではないか」とふと気づいてしまい、そこからはいつもの自己嫌悪だ。中学のころからずっと自己嫌悪だけは止まらない。自己PR欄書けるような長所と言えば「学校生活で掃除をさぼったことしかありません」ぐらいのことしかないが、普通に特技を聞かれれば自己嫌悪となんでもマイナス思考で考えることだと思う。
このネガティブ思考のことについて考え始めるとマジで負の連鎖に陥るのでやめたほうがいいのはわかっているが、ポジティブに考えるというのが全くできない。えっ、私は何が言いたいんだろう……突然正気になってしまった……
とにかく、頑張れない。頑張るのがめんどくさい。ただそれだけだ。マジでめんどくさい。何をするのもめんどくさい。風呂に入るのもめんどくさいし、そのあと髪を乾かすのもめんどくさいし、パソコンを使うためにリビングから自分の部屋まで移動するのもめんどくさいし、液タブを使うために線を繋ぐのもめんどくさいし、趣味の絵の練習ですらめんどくさい。痩せたいとは思うがストレッチは二度と続いた試しがないし、結局大して太ってないからいいだろと思考停止して終了。なるほど、クズだな。
ここまで長々と意味の分からない言い訳を綴ってきたけど、結局何が言いたいってなにするのもめんどくさいっていうことなんだよな。あーやだな。自己嫌悪止まんねえな。どーーーーーせ陰キャコミュ障クソオタクの私は誰からも愛されずに親の死んだ実家で孤独死するんだろうな……ウケる。
マジで頑張るのめんどくさいし、進路な~~~~んにも考えたくない。てか金ないし覚悟ないから専門学校ダメ!じゃあどうせ金はないし勉強もしてないから大学もダメ!ってなったら就職かニートか死しか残されてなくない?素直に死ぬか?wあーヤダな。波風立てたくないし好かれたいし嫌われたくないしなんか意味もなくめっちゃ評価されたいな。は?何甘えてんだボケカス
ここまでクソな人間みたことない。適職診断とかよくさせられるけど、適職とかマジないからハナからやらないほうがいいよ。
何やってんだろな 唯一見つかったかもしれないやりたいことを否定されて振り出しに戻ったな 私は何がしたいんだろう、ていうか社会に出て何ができるんだろ?どうせ死ぬまでこんな誰にも見られないようなクソ長文の弱音と愚痴をネットの海に投げて自己嫌悪してるんだろうな
な~~んにもしたくないな ずっとTwitterのタイムラインにかじりついていたいな 今からバイト探してもすぐ辞めるのわかってる進路未定の高校生なんて誰も採ってくれないよな。マジで嫌だな……何のために生きてるんだろうか……すごい疑問……長いな、この文章……
今私は高校三年生で、時期的にはまさに就職か大学か専門学校かと進路を決めて周りの人間が頑張っているであろう時期なんだけど、何一つ頑張ってない。努力もしてない。というかよくわからない。努力とか頑張ってるとかってなんだ?誰の基準なんだ?自分か?他人か?
「何がしたいか」なんて聞かれてもなにも思いつかないし、ましてや将来の夢なんてなにもない。強いて言うなら絵を描くことだけは小学生の時から好きだった。って言ってもクオリティは大したことないし、服とか小物描くのは苦手だし男も描けない。背景も描けない。女(しかも肩から上)しか描けない典型的な底辺絵描きなんだけど、この間学校の進路ガイダンスに行って、専門学校もいいかもなとちょっと思った。今まで進路のこととか本当に考えずに過ごしてきたから「今?」って感じだけど、イラストといえば小学生のころから唯一続いてきた趣味でもあったし、好きだから。
昨日、成り行きでその進路ガイダンスにあったパンフレットの学校の説明会にひとりで行った。ちょっと前から思ってた「キャラクターデザインとかやりたい」っていう思いが若干強くなって、いい話も聞いて、ルンルンしながら家に帰った。でも、家に帰って即行お父さんにガッツリ「ダメだ」って言われて、なんかお先真っ暗みたいな気持ちになった。
「イラストの業界に進んで金もらえる人間なんて一握りだ。お前がその一握りになれるか?」
「せめてもうちょっと現実的な専門学校だったらまだいいよと言えたかもしれないけどイラスト業界はダメ」
まぁ、わかる。私もそっちに進んで安定した金をもらえる自身もないし、今のところ技術もない。それはこの歳になる前からでも思っていたことだし、その道に進んでもずっと考えてると思う。それに、イラストレーターとかデザイナーとかで働いてる人がなんだか違う次元の人のように思えて、現実味がなかったこともある。実際咲けてない漫画家が知り合いにいるし、難しい世界なのはわかっている。かといってそこで根性発揮してくらいついていける自信も根拠も親の信用もないし、この時点で「イラスト関連の専門学校は無理かな」と自分でも思っていた。親の言葉くらいで簡単にあきらめるようじゃ、せいぜいこれからも趣味レベルでやっていくのが私の限界なんだろとも思っていた。
私がお父さんに腹を立てているのは、専門学校に行きたいと言ったことを真っ向から否定されたからではない。大したクオリティではないとはいえ、私が小学生のころから八年程続けられてきた唯一の趣味を「所詮お遊びレベルだ」と一蹴されたことだ。
私は昔から、なにをやらせても中途半端な三日坊主だった。音楽番組に影響されたお母さんに触発されてなんとなくでギターを買いたいだのと言いだし、そのギターはここ数か月クローゼットの中だ。小説っぽいものを書くのも好きだが、極めようとはしていない。せいぜい私の書くものを好きだと言ってくれる数人に見せているだけのようなものだ。作曲や作詞にも興味はあるが、せいぜい興味があるレベルで、作曲の勉強をしようとはしていないし作詞もただ思春期女の痛いポエムでしかない。言ってしまえば生産性が皆無だ。先述したが絵のクオリティも「これどうなん?w」という感じだし、まあそりゃ本気でやってる人からすればお遊びだといわれても仕方ないような人生だ。ただそれを、小学生のころから絵を見せて「上手くなったな」などと言ってくれていたお父さんにガッツリ否定されて本気で傷ついてしまっている。実際図星でしかないのでさらに腹が立ったんだろう。
「今までギターをやりたいというからギターも買ったし、絵を描きたいというから液タブも買わせたが、俺からすればお前のやってることは全部お遊びだ。イラスト関連の道に進みたいといわれても、これ以上お前のお遊びに俺たちを付き合わせるなとしか思えない」
と言われた。言われたのは昨日のことなので、超ハッキリと覚えている。あーあ、と思った。今までお父さんは私のやることなすことに対してそんな風に思っていたのかと。
その流れで「もしその道に進んだとして、途中で投げ出したらそのウン百万はドブに捨てたことになるんだぞ」とも言われ、これもまた私を傷つけた。私は高校一年生の時にそれなりに苦労して入った全日制の高校を辞めて通信制に転学している。その全日制に入るために進学塾に通ったりとまあ色々と金を使ったわけだが、お父さんはその金をドブに捨てたと思っていたんだと気付いた。それは、金を払っている親の立場からすればかもしれないし、私もいつか親になって多額の金を出して入った場所をやめたいなんて言い出したら「は?」と思うかもしれない。でもその時の私も余裕がなかったし、この心理状況で全日制の高校に毎日通って単位を取って卒業するなんて無理だと思ったので、ほぼ勢いで転学を決めた。それまでも金が無駄になることや、憧れていた全日制高校とずっと着たかった制服への未練が捨てきれず悩んだりもした。そこで小学生のころからお世話になっていた塾の先生に「経験は無駄にならない」という趣旨で励まされてなんとかここまで来たものの、今になって「ドブに捨てた」なんて言われても私はどうすればいいのかわからない。いや、実際には話的には専門学校に行くために払う多額の金の話であって、私が辞めた全日制の話はひとつもされていない。ただの私の被害妄想でしかない。
ここまで書いて自分が何を言いたいのかよくわからなくなってきたが、別にどこかに出す正式な文章でもないので開き直って続けることにする。
最初に言っていた「頑張っていない」「努力していない」「そもそもよくわからない」という話に戻るが、私は本当に頑張るということができない。進学塾に通っている頃も私は自分で頑張っていると思い込んでいたが、先生に「お前は頑張ってない」と一喝され、普通に足りていないことを自覚した。かといってそれからも特に何か伸ばそうとすることもせず、課題も「めんどくさい」からとやらなかったり、先生に強制されていた毎日の自習も渋っていた(先生は私が家にいると全く勉強しないことを知っているので強制していた)。
周りの人間は、私が見る限り頑張っていた。暗記のテストもいい点数を出すし、課題も全部やってくる。当たり前だと言われればそれまでだが、私はその当たり前ができなかった。頑張るということがよくわからないし、めんどくさい。別にそこまでして高校行きたくないし……と思っていた。その「頑張れない」ということをはっきり自覚したころ、スクールカウンセラーの先生などと喋る機会があったのだが、その時は「無理に頑張ろうとしなくてもいい」などと言ってもらえた。「頑張れないのが悪いんじゃなくて、当たり前のことを当たり前にできる人がすごい」とも聞いた。一時はその言葉に救われたのだが、よく考えると私は「頑張れない」のではなく「頑張ることから逃げているだけのクズなのではないか」とふと気づいてしまい、そこからはいつもの自己嫌悪だ。中学のころからずっと自己嫌悪だけは止まらない。自己PR欄書けるような長所と言えば「学校生活で掃除をさぼったことしかありません」ぐらいのことしかないが、普通に特技を聞かれれば自己嫌悪となんでもマイナス思考で考えることだと思う。
このネガティブ思考のことについて考え始めるとマジで負の連鎖に陥るのでやめたほうがいいのはわかっているが、ポジティブに考えるというのが全くできない。えっ、私は何が言いたいんだろう……突然正気になってしまった……
とにかく、頑張れない。頑張るのがめんどくさい。ただそれだけだ。マジでめんどくさい。何をするのもめんどくさい。風呂に入るのもめんどくさいし、そのあと髪を乾かすのもめんどくさいし、パソコンを使うためにリビングから自分の部屋まで移動するのもめんどくさいし、液タブを使うために線を繋ぐのもめんどくさいし、趣味の絵の練習ですらめんどくさい。痩せたいとは思うがストレッチは二度と続いた試しがないし、結局大して太ってないからいいだろと思考停止して終了。なるほど、クズだな。
ここまで長々と意味の分からない言い訳を綴ってきたけど、結局何が言いたいってなにするのもめんどくさいっていうことなんだよな。あーやだな。自己嫌悪止まんねえな。どーーーーーせ陰キャコミュ障クソオタクの私は誰からも愛されずに親の死んだ実家で孤独死するんだろうな……ウケる。
マジで頑張るのめんどくさいし、進路な~~~~んにも考えたくない。てか金ないし覚悟ないから専門学校ダメ!じゃあどうせ金はないし勉強もしてないから大学もダメ!ってなったら就職かニートか死しか残されてなくない?素直に死ぬか?wあーヤダな。波風立てたくないし好かれたいし嫌われたくないしなんか意味もなくめっちゃ評価されたいな。は?何甘えてんだボケカス
ここまでクソな人間みたことない。適職診断とかよくさせられるけど、適職とかマジないからハナからやらないほうがいいよ。
何やってんだろな 唯一見つかったかもしれないやりたいことを否定されて振り出しに戻ったな 私は何がしたいんだろう、ていうか社会に出て何ができるんだろ?どうせ死ぬまでこんな誰にも見られないようなクソ長文の弱音と愚痴をネットの海に投げて自己嫌悪してるんだろうな
な~~んにもしたくないな ずっとTwitterのタイムラインにかじりついていたいな 今からバイト探してもすぐ辞めるのわかってる進路未定の高校生なんて誰も採ってくれないよな。マジで嫌だな……何のために生きてるんだろうか……すごい疑問……長いな、この文章……
自分は二十代後半の男で高校三年生の時から痔になってたんだけど、最近とうとう病院に行くまでの事態になってしまった。
自分がなったのは、血栓性外痔核というやつだ。いつもは濡らしたトイレットペーパーで肛門に押し戻していた痔がが戻らなくなり、出血も続く。痛みも半端ないので、観念して病院に行った。
ネットで適当に調べた近所の病院だったけども、あまり良い病院ではなかったかもしれない。50は超えていそうな男性医師だった。診察台で横になる前に、「あ!」と思い出して、下着が汚れないように生理用ナプキンを着けていることを伝える。横になっていたのでよくわからないが多分ジェルを塗った指か棒状のものを肛門に突っ込まれた。思いやりのかけらもなくグイグイやられたのでめちゃくちゃ痛かった。「っつーー……」と痛みに悶絶しているこっちに構わず向こうは質問を投げかけてくる。痛すぎて答えられるわけがないし、痛すぎたので質問内容すら覚えていない。
その後、医師が描いた簡単な肛門の図で説明を受けた。「治るのに3週間はかかるねぇ。この病気は座れなくなる人もいるから切っちゃうこともあるんだけど、君は座れてるようだから薬だけ出しとくね。あと、アルコールは絶対飲んじゃだめだよ」と言われた。
薬局で処方されたポステリザン軟膏を受け取り、自転車で自宅に戻った。帰り道、3週間は長いなぁと思いと、たった3週間で治るのかという思いが頭を巡った。
病院に行って数日たったが、特に治っているという実感はない。ドラッグストアで適当に買った生理用ナプキン(適当に選んだらまさかの多い日用だった)がそろそろ切れるのでまた買いに行かなきゃならないんだけど、でかくて汚れが広がっても大丈夫な多い日用ナプキンか、薄くて小さいゴワゴワが気にならなそうな普通のナプキンを買うかで迷ってる。ちなみに、今までトランクス派だったけど、ナプキンがフィットしないのでしばらくはボクサーパンツで過ごすことになりそう。
早く、健康なお尻を取り戻したい。。
直球すぎて自分でも笑っちゃう。そう、これは自分語りだ。自分でも受け入れられない、けれど認めざるをえない私について、誰かに話したくて、けど理解されなくて、不可解な目で見られることが怖い私の、自己満足。
私はノンセクだ。ノンセクシャル。平たく言えば「恋愛感情はあるけれど性欲はない」セクシャルマイノリティのこと。認知度は低く、カミングアウトしても大体の人からは首を傾げられる。私はこの、ノンセクシャルである自分のことが本当に嫌いだ。受け入れられない。大嫌いだ。何で私はこんな出来損ないに生まれてしまったんだろう。どうして他人と同じように、当たり前に好きな人に告白して、結婚したりとか、夢見ることができないんだろう。どうして、どうしてはいつも頭にこびりついていて、それを思い出すたび私は、ヘテロではない自分を殺したくなる。
何かがおかしいと思ったのは、高校生の時、初めてキスした時だった。それまでずっと、ぼんやりとした思いで、いつかはキスしたりとかしたくなるんだろうな。セックスとかもするんだろうと、思ってた。けど、付き合って一年以上経っても私はそれを全然したいと思わなくて。キスがしたい、と当時の彼氏に言われてキスをして初めて、それに対して「何とも思っていない」自分に気づいた。
好きならもっと、キスがしたいだとか、したら幸せだと思うとか、あるんじゃないの? そう思うと、私は彼のことが好きじゃないのかもしれない、好きじゃないのに、こんなにまっすぐな愛情を受け取り続けるのか、と思ってしまった。そう思うと辛くなって、高校三年生の夏に、別れてしまった。問題はその後だった。
好きじゃなくて別れたはずなのに、彼のことを考えてしまう。他の人に取られるのは嫌だ、私以外の女の人と幸せになるくらいならいっそ私が死ぬか、彼が死ぬかしてしまえばいいのに。恋人らしいことをしたいと思えなくて、でも彼のことは他の誰にも取られたくないほど大好きで。わけがわからなかった。彼のことを受け入れられないのに好き? いいやこの好きは、情が移っただけの勘違いだ、もっと別に好きになれるような人がいるはずだ。でもこんなに好きなのに、恋愛じゃないのはおかしいんじゃないの? ぐるぐる頭の中で回って気持ち悪かった。
そんな気持ちにケリがついて、同時に自分を憎んで殺したくなったのは、大学二年生の時。ノンセクシャルという概念を知った時だった。納得して、同時に絶望した。私はもうこれから先二度と、普通の人が当たり前に手にできる幸せを手にできないのだ。
大学一年生の時に一度よりを戻した彼氏の、「別れていた間、ずっと忘れられなかったほど好きだよ」という言葉を思い出す。こんなにも彼は私を好いていてくれているのに、私と彼は絶対に一緒になれない。だって私がノンセクだから。好きでも、セックスしたいと思わない。彼は好きだからセックスしたいと思う。この差がどれだけ残酷か、誰もわかってくれない。
どんなに好きでも私は、肉体的に相手を受け入れることができない。性行為に嫌悪があるわけではないからできるのだろうけど、何も感じないし高ぶらない、言ってしまえばマグロになる。相手から向けられた感情の熱量に、同じだけの大きさで応えることができない。私が我慢して演技して受け入れることを、優しい彼はきっと望まない。けど、そんな優しい彼に我慢をさせることは私が望まない。一緒になっても誰も幸せになれない。好き合ってるのに、こんなに大好きなのに、好きだと言ってもらえたのに。
私に性欲があればよかったのに。あればこんなに苦しい思いもせずに、彼の隣で笑っていられるのに。彼に「好きだよ」と伝えて、手をつないで、キスをして、そんな幸せな未来だって描けるのに。私に性欲がないから。私が全部悪いから、幸せな未来だって望むこともできないんだ。どうしてこんな出来損ないに生まれてきたんだろう。私はどこで間違えて、こんな頭に、体に、心になってしまったんだろう。頭と心と体がチグハグで、それぞれが違う方向へ行くから、自分が引きちぎれそう。彼のことが好きな私と、性行為に何も感じない頭と体。わけがわからない。気持ち悪い。私は本当に、自分が憎くてしょうがない。
こんな話を他人にすると「それなら次は、受け入れてくれる人を探そう」と言われる。違う、違う。私が好きなのは彼なのに。そうじゃないのに、彼と一緒に居たくて、彼と幸せになりたくて、彼と同じように彼を愛したいのに。だからこんなに苦しくて辛くて痛いのに、受け入れてくれる人を探そうだなんて。私に性欲があったなら、絶対もっと別なアドバイスをするくせに。次じゃない、現在進行形で好きなのに。
仮に次があったとしても、私は告白もできない。向こうから好かれていたって、受け入れることはできない。だって私はノンセクだから。もし相手がヘテロだったら? ヘテロじゃなくても、性欲をちゃんと持ってる人だったら? はいだめ、もう私は一緒になれない。そんなこと考えないでしょ? 相手がどんなに私のことを好いていても、私がどんなに相手を好いていても、絶対に付き合ったりなんてできない。普通の人が悩むようなことよりも、もっと手前のことで私は諦めなきゃいけない。そんな苦しさ、誰もわかっちゃいない。
「本当は恋じゃないんじゃないの?」なんて言葉は失礼にもほどがある。じゃあなんで私は、こんなにも大きな感情に苦しんでるの。好きで好きで大好きで、誰にも取られたくなくて取られるくらいなら死んでほしいくらいに大きいのに。これは友情? 絶対ノーって答えるでしょう? じゃあ何になるの? そうだよ、浅ましい嫉妬と独占欲も詰まった、立派な恋愛感情だよ。なのに、私は、一般的な恋愛感情と一緒にあるはずのものがない。かけてる欠陥品なんだ。
たった一つ、他人にあるものがないだけで、こんなに生きづらい。苦しい。どうしようもならないから、引きずって生きるしかない。私は、性欲を持てない私が大嫌いだ。
《先生の子供を孕む刑》それが麻衣ちゃんに下された罰です。麻衣ちゃんは二週間先生と性交をし続けました。それも完全公開で。すぐさま実験施設のひとつが完全にふたりの閨房として改造されました。私たちはというと、先生と麻衣ちゃんのセックスを見届ける観客として一日中二人を見守る役をさせられました(先生は見られて興奮するタイプなのです)。誇り高い麻衣ちゃんがそんな恥辱に耐えられるはずもありません。しかし麻衣ちゃんは二週間ひたすら先生と性交をし続けました。プライドが高いがゆえにそのような恥辱には耐えられないはずですが、むしろプライドこそが彼女を支えていたのかもしれません。麻衣ちゃんは先生に負けたくなかったから性交を受け切ったのです。実際先生は三日も経つと体力も限界に達してふらふらに見えました。しかし彼もまた国会議員として高いプライドを持つ者であり、ついに二週間耐久性交をやり遂げてみせたのです。憎しみ合うふたりの間には何か他のものが生まれていても不思議ではありません、が、それは私の勘違いです。訪問の最後、先生が車に乗り込むときになり、麻衣ちゃんは先生の男性器に隠し持っていたフォークを突き立てたのです。すぐに麻衣ちゃんは取り押さえられ独房に入れられました。スーツが血だらけになっていた先生がその後どうなったのかはわかりません。麻衣ちゃんは独房で自殺しました。私は彼女のことを忘れません。
同居人がいなくなり寂しくなりました。美少女狩りは日本各地で行われているようですが、良質の絶頂エネルギーを産出できる美少女は限られているため、すこしかわいい程度ではいけないのです。日本の人材はいつも乏しく、朝鮮半島の超兵器の危機は間近に迫っていると大人たちは焦っていました。
本来なら私は高校三年生。私の青春は兵器開発のために消えました。今更どうしようというのでしょう。失った時間は返ってきません。二学期が始まるな、そう思ってすぐのことです。先日、北海道を大地震が襲いました。研究所も揺れに揺れてちょっとしたパニックになりました。研究所の電気は完全に途絶えました。不安の中で私は麻衣ちゃんのことを思っていました。彼女ならどうするかと。彼女なら私に脱走しようというだろうと思いました。脱走防止用の入り口の機関銃が起動しない今しかないと。私は大地震のパニック状態と夜陰に乗じて研究所を抜け出しました。もちろんあのワンピースの姿でです。二年ぶりに壁の外に出てだんだん私は自分の感情というものが復活してくるのを感じました。押し殺し、存在しないものとして扱っていた私の感情や人間らしさ、尊厳というものが鬱勃と私に沸き起こってくるのを感じます。
私は山の中をひたすら走りました。真夜中でしたが、走って走って、転んで、また走って、とにかく走り続けました。涙が止まりません。とにかくがむちゃらに走って走って走りまくりました。やがて時間の感覚がなくなったころ、私は前方にたいまつのような明かりを見ます。こんな山奥に人が、こんな時間に、と不思議に思いましたが、やっと見つけた手がかりなので明かりの方へ向かいました。近くまで来ると人影に呼びかけましたが、彼が振り向いたとき私はしまったと思いました。未開部族だったのです。毛皮をまとい奇妙なお面をかぶった未開人は私に気づくとうぉううぉうと唸り声を上げて警戒のポーズを取りました。私は早口で何かまくしたてますが、当然未開人には理解されません。未開人はたいまつを掲げて、大声で私に何かを訴えています。彼らの言語についての知識がまったくない私には何も理解できません。しかし、彼がこういったのだけは聞き取れました。
「サーターアンダーギー!」
私は全力で「サーターアンダーギー」と叫びました。未開人はぶるっと身震いすると、その場でひざまずいて私に対して祈りを捧げ始めました。顔を上げてとお願いしても彼は祈りの言葉を唱えたままです。肩に手を乗せると、ふごぉという音を立てて未開人がひっくり返りました。彼の持っていたたいまつで山火事になりそうなところでしたが、なんとか私が奪い取ってやりました。
「サーターアンダーギー!」
未開人は手を振ってついてこいというようなジェスチャーをしました。脱走の興奮も収まり、冷静になってみると体はもうぼろぼろで体力の限界が近づいていました。私はまた麻衣ちゃんのことを思いました。国会議員の先生にも負けなかった麻衣ちゃんのことを。私も今倒れるわけにはいきません。自由になるんだ、そう強く念じました。闇夜の中をどれくらい歩いたのか、しばらくすると未開人の集落らしきところにたどり着いていました。まさか未開人がいるとは思ってもいませんでした。この辺りはもともと政府や政府とつながりのある裏社会の管理下に置かれていて、結社の研究所が作られてからはなおさら一般人が立ち入ることはありませんでした。この時代にまだ未開部族が日本にいたのかと、まさかこんなところに未開の土地があったのかととても驚きました。しかしさらに驚いたことに、集落には文明人の先客がいたのです。黒のライダースジャケットにデニムパンツ、登山靴ではなくイタリア風の革靴、縦長の登山用のリュックという格好で、髭を蓄え、未開人とコミュニケーションを取っていました。話を聞くと彼は諸事情あって芸能界を引退した後、旅に出てこの場所にたどり着いたとのこと。髭を蓄えだいぶ顔つきは変わっていましたが、私も彼をテレビで見たことがあります。
「酒に酔った勢いでトラブルを起こしてしまってね。とても反省しているよ」
星がとてもきれいでした。未開人たちは粗末な小屋から出てくると私を取り囲みました。彼らが「さあたああんだあぎぃ!?」というと、私は「サーターアンダーギー」と答えます。すると彼らはひざまずいて私に祈りを捧げます。とにかく私は「サーターアンダーギー」といいました。私たちのコミュニケーションはその程度のものでした。しかしすべてがそれで通じていたのです。
「いい名前ですね」
「いい名前だ」
文明人がふたりと未開人が多数、原始的なキャンプファイヤーのような火を囲んで私たちは穏やかなときを過ごしました。夏の夜は明けかかっていましたが、安心しきった私はいつの間にかその場で眠りに落ちていました。起きた頃には正午近かったでしょうか。佐藤さんのGPS時計によれば午前十一時近くになっていました。昨夜のうちに私の状況はなんとなく話してありました。佐藤さんも最初は信じてくれなかったようですが、事細かな説明を聞いていて、それに私の着ていたわいせつな衣装というのも説得力があったのでしょう、やがて佐藤さんは私の話を信じるといってくれました。
「これからどうする?」
「警察もグルに決まってる。警察になんて行けばきみは研究所にとんぼ返りさ」
「それじゃ、どうすれば」
「俺の別荘に行こう」
佐藤さんは放浪生活の末に北海道のこの地が気に入り、莫大な資産を使って郊外に別荘を作ったのだそうです。山を降りると佐藤さん所有のベンツが停まっていました。私のこの格好では万が一人に見られたとき大変だからと、佐藤さんはレインコートを貸してくれました。大地震からまだ半日も経っていませんでしたが、ひと気のない道路は平和そのものといったように見えました。北海道全域が大停電だなんて私はそのときまだ知りませんでした。見送りに来た未開人たちが手を振ってくれました。屈強な男たちの数人は車を追いかけてきました。が、すぐに彼らの姿も見えなくなりました。田舎道をずっと行き、文明人の暮らす町を目指します。佐藤さんは地震のことが気がかりな様子でした。
「少しでも人の役に立って罪を償いたいんだ」
うとうとしているといつの間にか周りの風景が変わっていました。そこここに人の気配、生活のにおいがします。人の世界に帰ってきたんだと思いました。佐藤さんは別荘に一人暮らしのようでした。地下一階、地上三階建ての独身の男性ひとりには広すぎる豪邸です。居間には高そうなギターやベースが飾ってあり、大型のテレビと映画館並みの音響設備が客人を圧倒します。もっとも停電中なので電化製品はすべてガラクタ同然となってはいますけど。冷蔵庫ももちろん止まっていて、缶ビールやチーズがぬるくなっていました。お酒はやめられなかったのだと知ると少し残念に思いました。
「行き先が決まるまでここを拠点にするといい。使っていない地下室はきみの自由にしなさい」
佐藤さんは着替えを持ってくるといって螺旋階段を上がって行きました。数十万はしそうな白い革張りのソファに座ってほっと息をついて待ちます。思えば性奴隷としての二年間は私をすっかり変えてしまいました。この世の地獄を生き延びた人間として、これ以上悪いことは起こりえないという確信があるからです。もはや私は些細なことで動じる少女ではないのです。かといって自分が大人かといわれればそれも違う気はしますが。特殊すぎる体験によって自分が少女でも大人でもない何か非人間的な存在になってしまったように感じられます。少しずつ元の社会に順応していけたらと思います。
足音が聞こえてきました。螺旋階段から降りてきた佐藤さんは学ランに着替えていました。
「これに着替えなさい」
手渡されたのは女子校の冬服と使用感のある白い下着でした。制服の方はよく見れば女の子なら一度は憧れる東京の名門女子校のものでした。なぜ佐藤さんがこんなものをと訝りながらも、今着ている衣服と呼ぶにはあまりにも特殊なデザインである研究所の服よりはましであるというのも事実ですから、私は素直に制服に着替えました。佐藤さんは私の着替えを目の前で見ていました。本来なら私は男性の目を気にして着替える場所を要求するべきだったでしょう。しかし私はまだそういった当たり前の羞恥心を取り戻すところまでは精神が回復していませんでした。
「すごくいい……」
佐藤さんの表情が変わりました。そして私ににじり寄ってきました。
「佐藤さん……?」
私は頭を両手で押さえられ、思いきりキスされました。佐藤さんの髭が当たってちくちくします。
「佐藤さん!」
佐藤さんは鼻息を荒くして口の中に舌を入れようと試みてきます。わずかの抵抗はあったものの私は突入を許し、彼の舌と私の舌が絡み合いました。佐藤さんは獣のような激しい息遣いになり、慣れた脚の捌きで私を床に押し倒しました。馬乗りになった佐藤さんの日焼けした顔はまるで本物のヒグマのようでした。芸能人として現役だったとき肉体派として人気を博した佐藤さんの筋肉は見せかけではなく本物で、私はそれまで研究所の男たち相手では感じたことのない凄まじい力で蹂躙されました。抵抗は無意味、ほんの少しの希望もない、体の内側から動きを止められている、そんな圧倒的な侵略でした。顔を舐めまわされた後、佐藤さんの舌は首を経由して鎖骨に向かいます。それから優しい手つきで、しかし抵抗を永遠に諦めさせる圧倒的な力で、私の上半身はむき出しにされました。佐藤さんはブラの上から確かめるように乳房を揉み、やがて耐え難い欲望の高まりに動かされて荒々しくブラも外し(少し痛かったです)、乳首に噛み付いてきました。
「痛いです」
左の乳に、右の乳に、行ったり来たりむしゃぶりついてくる佐藤さんはもう理性が吹き飛んでいるようでした。それから連続的な淀みない動きで佐藤さんの右手が私のスカートの中にするりと入り、下着の横から中指(だと思います)が膣へと入ってきました。
「ん、んっ」
佐藤さんの右手の動きは熟練の職人技といったもので、私の急所を的確に捉えてきます。獣としての本能に目覚めた佐藤さんは私の微妙な息遣いの変化や体の動きからその場所を割り出しているようでした。素早く、的確に、効率的に私を攻め落としていきます。自分の顔が真っ赤だとわかりました。体がほてって、頭がぼうっとしてきました。膣はじゅくじゅくで、私の頭の中もとろとろに融けてしまいそうです。
絶頂に達すると私は痙攣し、泥の中に沈みました。私が行動不能に陥っていると、佐藤さんはソックスを脱がせて指一本一本に多量の唾液を垂らしながらしゃぶりつき、それから下着を脚からするりと脱がせて、ちゃぷちゃぷ音を立てながら性器にむしゃぶりついてきました。私はもう声も出せません。されるがままで自分がどこまで行ってしまうのか、それはすべて佐藤さん次第でした。学ランを着ていた佐藤さんはついに脱ぎ始めました。といっても上半身はそのままで、下半身だけずり下げたという格好です。完全には脱ぎませんでした。佐藤さんのふるふると怒張した男性器が現れました。黒々した血管に野性味を感じる極太の一物でした。あんなに大きなものが身長百六十センチ程度の私に入ってきたら、私の股は裂けてしまうかもしれない、一瞬不安がよぎりました。しかし考える間もなく佐藤さんの男性器が私を貫いていました。
感じたことのない衝撃でした。経験したことのないほど膣が押し広げられ、その刺激によって女性としての機能が目覚めたのか、膣もまた佐藤さんの一物に吸い付き、快楽を根こそぎ享受してやろうと超反応しました。私のすべてが脈打ち、快楽に耳を傾けています。どんな小さな快楽の芽もしっかり開花させてやろうと、私の全身のすべてに研ぎ澄まされた超鋭敏な感受性が宿りました。
芸能界のトップで鍛え続けてきた佐藤さんの腰振り運動はまさに本物。修羅場を潜り続けた一流の元芸能人だからこそ、誰が相手でも最高の戦果を得るのです。妥協はありません。激しいコミュニケーションの中で私は何度も絶頂に達しました。最後に佐藤さんは膣の中で射精するのではなく、紳士の礼儀として顔にかけてくれました。私は佐藤さんの優しさに包まれていました。疲弊しきったふたりは荒々しい息遣いでしばらく床に横たわっていました。お互い全力を出し合って快楽を貪ったのです。
その後、私たちはあまり会話をしませんでした。佐藤さんは私を地下室に連れて行くと、停電中で真っ暗な中に放置しました。鍵がかかる音が聞こえました。激しく愛し合ったふたりに何が起こったのか、理解が追いつきませんでした。佐藤さんはその日顔を見せませんでした。
何時間経ったでしょうか、次に佐藤さんが顔を見せたとき、外は明るくなっていました。食事として渡されたのはカロリーメイト四箱と二リットルのペットボトルでした。
「佐藤さん」
「炊き出しに行ってくる」
そういって佐藤さんは地下室に鍵をかけて出て行ってしまいました。まだ電気は復旧していないので地下室は真っ暗です。カロリーメイトの箱を手探りで開けて、袋を切って、もさもさと食べ、二リットルのペットボトルに直に口をつけて飲みます。食欲はあまりありませんでした。
私はまた監禁されていると理解しました。佐藤さんは「行き先が決まるまでここを拠点にするといい。使っていない地下室はきみの自由にしなさい」といっていましたが、あれは私を安心させるための罠だったのでしょうか。拠点というのはそこから外へと行動し、補給や休息のために戻ってくるから拠点なのです。拠点に引きこもる場合、それを拠点とはいわないでしょう。ここから出たい、私はそう思いました。しかし地下室には鍵がかかっていて私の力では脱出は不可能です。まただ、どうして私の人生はこうなんだ、そう思って絶望しました。しかし涙は出ません。私はまた無意識のうちにこの状況に順応しようとしていました。
真っ暗闇の中でうとうとして寝てしまったでしょうか。ふと気づくと激しい打撃音が聞こえます。何かを打ち壊すような荒々しい野蛮な音です。複数の巨漢が暴動を起こしているような、そんな音が地上から響いてきます。何か声が聞こえます。さあた、ぎぃ。あん、さあ。だあぎぃ。
「サーターアンダーギー!」
私は状況を理解しました。未開人たちが私を取り戻しに来たに違いありません。とてつもない嗅覚と体力、人間の潜在能力には恐れ入ります。私は力の限り「サーターアンダーギー!」と叫びました。すると文明人が失ってしまった身体能力を今でも保有している未開人の聴覚が聞き取ったのでしょうか、彼らもまた、あの舌足らずな「さあたああんだあぎぃ!?」で応答してくれたのです。未開人たちの声が大きくなり、打撃音も大きくなります。数分間の格闘の末、未開人たちは佐藤さんの別荘に突入しました。私は「サーターアンダーギー!」と叫び続け自分の位置を知らせます。未開人たちは地下室への扉を見つけると石斧で破壊にかかりました。それはあっという間の出来事でした。すぐに扉は打ち壊され、光が差しました。すぐさま二十代と思われる三人の屈強な未開人が顔を出しました。彼らは部族の中でエリート戦士なのでしょう。着ている毛皮も一等のものです。
「サーターアンダーギー!」
戦士たちは私の前でひざまずき、祈りを捧げました。私は彼らをひとりひとり抱きしめました。
佐藤さんの別荘を出た私たち四人は人目につかない場所を選んで移動しました。佐藤さんがいっていたように私は警察に出向いて事情を説明し保護を求めることもできません。文明人のすべてが敵に見えました。
逃走の中で私はスマートフォンを拾いました。ブラウザを起動してみると「はてな匿名ダイアリー 名前を隠して楽しく日記。」とあります。これしかないと私は思いました。三人の未開の戦士たちに見張りを頼み、私は今この文章を書いています。私は誰かにこの事実を知ってほしいと思いました。日本では野蛮な人体実験が行われていて、美少女たちが日々絶頂エネルギーを抜き取られているということ。その結社には国会議員などが関わっているということ。朝鮮半島を消し去るほどの破壊兵器を製造しているということ。
味方はあまりにも少なく、敵は権力も数も備えています。私に勝ち目がないことはわかっています。しかしどこかの誰かにこの話が伝わってほしい、そして頭の片隅で覚えておいてほしいと願います。日本の平和な未来のために犠牲になっている美少女たちがいるということを。
タイトルで「治す」という表現を使ったが,真性包茎は病気ではない。単に亀頭が皮で包まれているだけだ。ただ,治したい人も多いと思うので自分の体験談を紹介する。
俺は今高校三年生。
中一の頃から,俺は真性包茎であることを悩んでいた。大人になったら手術でもするのだろうと考えていた。
高2になり,俺は真性包茎であることを本気で悩むようになった。
どうすれば治る?と思い,色々と検索してみた。同じように検索すれば,おそらく「キトー君」というものが出てくるだろう。
藁にもすがる思いで買ってしまいたくなるが,買わなくていい。自分で治せる。
治し方。
真性包茎は,入口が本当に狭い。そのわずかにある穴の皮をつまんで左右から引っ張る。最初は本当につまみにくいし,伸びる気がしないかもしれないがとりあえずやってみる。お風呂に入ってる時や,寝る前に5分か10分くらい伸ばす。
多少痛いくらいなら大丈夫だと思うが,痛すぎるほど伸ばさなくていい。
伸ばし始めて数ヶ月経つと,穴の中に指が入るようになる。穴に指を入れて外側に伸ばすほうがつまむよりも楽なはず。真性包茎は入口だけでなくその周りも皮が伸びていないのでそこも伸ばしておくといい。
ここで注意事項だが,もし剥けそうになっても剥かなくていい,カントン包茎になるリスクもあるし,普通に痛い。刺激に慣れてないから。
基本的に上に書いたことを特に何も考えず習慣にしてもらえれば,なんだかいつのまにか剥けるようになっている。
皮を被っていた亀頭は非常に敏感で痛いので,無理はしない。弱いシャワーを当てたり,柔らかいタオルとかで慣らしていくのがいいかもしれない。
とまあこんな感じなんだけど,日本人で悩んでる人がいたらこの記事が役に立つと嬉しい。なんといっても股間という非常にデリケートな部分なので無理をして怪我とかはしないでほしい。ゆっくりと長い目で治せばいい。最初はマジで伸びない。1ヶ月は何のためにやってるか分からないくらい伸びないが,頑張ってほしい。
真性包茎は必然的に皮オナニーになってしまうと思う。しかしそれは普通のオナニーではない。俺も剥いてから皮を使わないオナニーに変えたのだが,刺激が少ないし,痛いしで慣れない。だけど慣れなくちゃいけない。その代わりイッた時に精子が皮の中に入ってくなんてことはないし,精子の"出"の良さに驚く。個人差あるかもだけど普通に顔まで飛ぶ。
亀頭の刺激に慣れてくれば,新しいオナニーもできる?かもしれない。
"皮は伸びる。"
今年大学受験の高校三年生は2000年生まれの揃い踏みだ。私たちは2001年生まれを2000年逃しちゃったベイビーズなんて適当に呼んで生きている。
森絵都のつきのふねで2000年が来ないと信じていた世界があったことを知った。わたしは思う。たしかに世界は一度死んだのかもしれない。自分が生まれた世界の以前の証明を、何人たりともわたしにすることはできないのだから。
そんなことばっかり考えてたクソガキも、絵ばっかり描いて小さいころから本の虫で、時にアングラな世界に揉まれながら、適当に生きて、今や人生の岐路に立っている。
わたしという個人は美術予備校の先生には金属の勉強をしたいといい、学校の先生には工芸作家になるといい、母親には漫画家になるといい、友人にはアニメーターになるという。何者なのかわからない。自分でも驚くほど、息を吸うように嘘をついてしまう。否、嘘でないのだろう。すべてが本当なのだ。体は美術大学の受験に備え、脳は小説や映画に溺れ、妄想は漫画家として輝く自分だ。
高校進学のために勉学に励んでいた自分が懐かしい。進学校に合格したまではよかったが、自分より賢い友人たちに揉まれ、甘えることを覚え、わたしの視野は不必要なほどに広くなり、遠くのことばかり考えている。
眼前の大学受験がたまらなく不安だ。わたしは何者になるのだろう。夢を現実にしなければならない歳になり、つくづく思い悩むのだ。夢は夢のままがいいものか、現実にすべく努力すべきか。
当時の私は中学生で、親にネットの利用は許されていても書き込みは禁止されていた
まあスマホもなかった当時、田舎のパソコン所有率と言ったらひどいもんで
そんな中で小学生のころからパソコンを使わせてもらえるだけ幸せな環境だったから文句言えない
親としては周囲のネットリテラシーも高くない中でむやみやたらと扱わせたくないのもわかる
そんな中、Pixivでとってもとってもお気に入りの絵描きさんを見つけた
ろくなソフトも使ってないんだろうガタガタの線なのに明らかにうまいとわかる
何より全ての絵の構図が最高
一目で惚れた
でもさっき言ったようにアカウントに登録できなかった私はあなたの絵は最高です!の一言すらその方に言えなくて
高校生になった私はパソコンアドレスを持つことを許可してもらった
それでも私はうれしくて、すぐにPixivに登録してあの絵描きさんのすべての絵をお気に入り登録した
そういえば前Twitterで過去の絵は黒歴史だからいいねしないで!って流れてきたけど、私みたいな人間もいるので大目に見てほしい
なんとあの方が某アニメのキャラデザを担当することになったのだ
意味が分からなかった、だってその方はそれまで目立ったイラストレーター業はしていない(普通に別の仕事をしていたからだ)
はじめてそのアニメを見た日、私はあの方の絵が動いていることに感動し泣いた
アニメの出来もめちゃくちゃよかった
なけなしの金で資料集とdvdを買ったけど今思えばBlu-rayで買いたかった
今その方はイラストレーターに転職し、華々しく活躍していらっしゃる
高校生までの間、応援したくても廃れていくのを見過ごすしかなかったものが多くあった
その理由は人気であったり、売り上げであったりしたが、当時の私は両方とも貢献することができない立場であった
こちらがどんなにその作品が好きでも、相手に伝えることができなければそれは「ないもの」に等しい
だからその方が今も活躍しているのがうれしい反面、描き始めた初期に目に見える形で応援できなかったことを心苦しく思っている
ファンの想いが作り手にダイレクトに伝わることに関しては賛否両論あるだろうけど、+の感情を届けるツールが増えたことは喜んでいいと思うんだよね