「本の虫」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 本の虫とは

2020-07-08

大人っぽい文章を書きたい

高卒 二十代半ば。

中学時代本の虫で一日一冊は何かを読破するのが日課だった。

学校図書室で借りた当時流行りの海堂尊有川浩小説ちょっと背伸びして太宰治安部公房

その他コミック雑誌母親職業たまたま自宅にあった介護の専門書など内容は様々。国語は全国模試で一位を取るくらい得意だった。

高校時代ギャルになったのであまり勉強読書もせず、そのまま卒業と同時に地元中小企業就職、数年後寿退社して今に至る。

最近じゃ忙しくてネットサーフィンしかしてない。あとは増田で怪文を書いてるくらい。

ここから本題

少し前就活を始めた。面接時に小論文試験もあるようだったので自宅で試しに書いてみた。

自分じゃなかなか立派なのが書けたと思ったんだけど、配偶者に見せたら文章子供っぽ過ぎる、これじゃ小学生の作文だと言われてしまった。

言われてみれば私は生まれてこの方、作文と日記以外の文章を書いたことがない。

就活自体は色々あって無期延期になったので小論文が書けるようになりたいとかじゃないんだけど、大人としてどこかで文章を書く機会があるかもしれないし、ちょっとくらい大人っぽい文章を書けるようになりたい。

どうやって他の人は大人っぽい書き言葉を覚えたんだ。大学で教えてもらったの?

2020-06-23

私と信仰

深夜に変なスピリチュアル広告読んでゲラゲラ笑った後に、ちょっと思うことがあったから思いついたから書いただけなんだ。

乱雑だし、プロット作りも推敲も何もしていない。ただずっと抱えていたものを吐き出す場が欲しかっただけなので、とりわけ目立つものもない。

これを書いている私は、いま地方大で歴史を学ぶ大学院生だ。ストレート大学院まで上がった位の年齢だと思ってほしい。

私の専門は歴史だが、そこから興味が広がって宗教や、それに関連する文化の話も好きだ。本来専門ではないけれど、色々本を読んでみたりしている。

そこで思うことがあった。宗教信仰は本当に人の暮らしに密接に関わっていると実感した。そして、勉強を続けたからこそ気付く事や、それまで抱えていた自分気持ちに整理をつけることができた。

この記事はそんな私の20ちょっと人生で触れてきた宗教に関する思い出の覚書だ。

私の家の目の前には、カトリック教会があって、附属幼稚園教会のすぐ隣にある。ミッション系というやつだろう。

からすぐということもあって、私と妹はそこの幼稚園に通っていた。

幼稚園に来たら、シスターたちに挨拶をし、玄関マリア像の前で十字を切る。朝礼やお昼のお弁当を食べる前には「主の祈り(天におられる私たちの父よ~のやつだ)」を唱えたし、クリスマスの時期になれば、年長クラスの子たちがキリストの聖誕劇をやるために練習をしていた。

ああそう、あとメダイちゃんともらっていた。確か聖母子像か、聖母マリアのものだったはずだが、年に数回会うおじいちゃん(どう考えても教会神父だ。園長って呼んでいたけど)から新年度になるたびに名札につけてもらっていた。

そんな幼稚園キリスト教に触れる生活を送っていた幼少期。年長クラスクリスマスに聖誕劇をしていたけど、年中クラスや年少クラだって讃美歌を歌ったり、合奏をしていたので、どこの幼稚園もこういう歌を覚えているものだと思っていた。

卒園式のお祝いには、聖書を分かりやすくまとめた絵本をもらった。絵本といっても結構文字が書いてあるし、ハードカバーの大型絵本だった。聖書の教えも何度か聞いていたはずだが、私がきちんと聖書物語に触れたのはあの卒園式の日だったに違いない。

既に本の虫だった私は、それなりに漢字も読める方の子どもだった。だからその絵本も気になって、天地創造から長い時間をかけて読み通した。

当時6歳の私は、意味はあまり分かっていなかったけど、ところどころの挿絵インパクトは強烈だった。

洪水翻弄されるノアの方舟モーセが海を割るシーン、キリストが茨の冠を被せられ、鞭うたれるシーン。幼い私は、もうそれはそれはびっくりしたのだ。

それから数年経って、小学校卒業して中二病が芽生えるような年になった頃、私はイキってまた聖書に関心を持ってみた。

西洋美術が分かるやつはかっこいいし、その元ネタが分かるとなおかっこいいと思っていた。恥ずかしい話だが。

そこでもう一度聖書ストーリー絵本(今度は妹がもらってきたやつだ。まったく同じ絵本だが)を読んでおさらいし、やっぱり意味理解しないままミルトンの『失楽園』とかを読んでいた。

この後、ぼんやり興味を薄く抱き続けたまま、今一度大学院に入ってからちゃん勉強をしようと思い、現在に至っている。世界史とかは大事な要素だしね。

こうしてみると私はクリスチャンのように見えるのだが、家には仏壇があるし、今の興味の原点がある幼稚園時代にはその仏壇で「まんまんちゃんあん(関西仏壇やお墓でお参りをするときに言う幼児語)」をしていた。祖母は今でも毎朝、犬の散歩から帰ると仏壇の前でお経を上げる。

父方の祖母と同居しているのだが、祖父は私が生まれる1年ほど前に亡くなっている。祖母は幼いころの私の面倒を、共働きの両親に代わって見てくれていたから、幼稚園から帰ると「おじいちゃんにまんまんちゃんあんして、ただいま言うんやで」と言われるがまま、お鈴を叩いて手を合わせていた。今でも何か報告(たとえば大学に受かった時や、卒業認定をされた時)があるとき仏壇の前に座ることがある。

お盆お彼岸には、お墓参りはできるだけしようと思っているし、昨年京都に行ったときは私の家の宗派本山のお寺にもお参りした。これは本当になんとなくだったけれど、行ってよかったなとは思っている。

から私は、今のところは仏教徒で、ごく一般的日本人宗教なのだけど、困ったことに、私はとある宗教3世にあたる血筋でもある。

名前を出すのは少しはばかられるので婉曲的な表現をするが、先述のように私の家は仏壇のある仏教徒の家だ。宗派を言えば浄土真宗

ただ母方は宗派が違い、日蓮宗なのだ。分かりやすく言えば父方の祖母は「南無阿弥陀仏」と唱えるけれど、母方の祖母は「南無妙法蓮華経」と唱える。

この時点で察しの良い方はお分かりかもしれない。母方の祖母はいわゆる「学会員」だ。

から、母方の祖母の家に遊びに行くと某新聞が置いてあったし、本棚を見れば某氏著作が置いてあった。

自身学会員ではない(嫁いでいるし)し、母の姉夫婦もそうでないのは知っている。私自身会員ではない。

から3世を名乗る立場ではないのだが、私は学会員としての祖母の姿を見て、ああいった宗教に対する疑問を抱くようになった。

実際あの学会について「おや?」と思ったのは、私を可愛がっていた母方の祖父が亡くなった数年後だった。

祖父が亡くなった後、葬儀四十九日法要に関しては違和感を感じることはなかった。後になり、伯父がかなり骨を折ったことを知ったのだが。

違和感をはっきりと感じたのは母方の伯母夫婦、大叔母、そして私たち家族祖母が参加した七回忌の法要だ。

いわゆる法事から自分認識では「お坊さんを呼んで、お経を読んでもらって、そのあと親族食事をする」というものだった。事実父方の祖父法事はお坊さんを呼んでいる。

だが、母方の祖父の七回忌法要は様子が違った。

まず、お坊さんを呼んでいなかったのだ。黒スーツに黒いネクタイを締めた見知らぬ男性(見た感じ祖母とそれほど歳は変わらない人だった)が居て、私の知らない親戚かと思っていた。最初は。

いつになったらお坊さんが来るのだろうと思ったら、法事が始まるから仏壇の部屋に来いと言われた。言われるがまま妹の隣に座り、数珠を持っているとその男性が仏壇の前に座って、読経を始めた。

「は?」と思った。なんでこのオッサンがお経読んでるねん。お坊さん来られへんかったん?違和感しかなかった。

どうやら件の学会ではその地区で一番偉い学会員法要読経をするということを知ったのは、さらそれから2年ほど経った頃だ。

ただ法事の時に、伯父が「僕はちゃんとした日蓮宗のお寺に骨を埋めてもらうように言っている」と若干怒気をはらんだ口調で言っていた理由が、理解できた。

母方の伯母夫婦とは、その七回忌の法要以降会っていない。いや、何度か伯母とは会ったが、伯父とはそれ以来もう何年も会っていない。

昔はよく祖母の家にお盆正月の折に触れて来てくれていたのだけど、仕事関係で来れない、と言うのが聞いている理由だ。でも、多分彼はきっと、学会員である祖母宅周辺の人に会いたくないのだろう。少しだけ言い合いになっていたし、伯父が祖父葬儀に口出ししたことで何かがあったのだろう。

同時に、祖母が熱心に読経を一日に何度も行う理由祖母の家にあった新聞書籍がなんだったか、芋づる式に分かってちょっとだけ嫌気がさした。

祖母よりも熱心だったのは大叔母(祖父の姉)で、会合(というのがあるらしいが、この辺りは詳しく知らない)にも熱心に参加していたみたいだ。

別にこの記事批判をしたいわけじゃない。けれど、どうしても伯父の言葉がずっと心に引っかかっているのだ。

「お義父さんの事も、ちゃんとお弔いしたいのにそれが出来ないのはほんまに悔しい」という伯父の言葉が。

いま色々な宗教の事を学び、宗教社会に与える影響の強さを知った上で、私は伯父の言葉同意したい。

信仰自由だ。それはこの日本で認められた権利だ。けれど、大好きだった祖父のことを、あんジジイの安い読経で弔いたくはないのだ。

そしてああ言った新興宗教団体が、親族との軋轢を産んでいることを伯母夫婦の一件で身に染みて実感したのだ。

母方の祖母我が家の仲はいい。祖母はい一人暮らしだし、私も長生きしてほしいと思っている。

けど、少しだけわがままを言うなら学会と縁は切ってほしいかな、と思わなくはない。

少し愚痴っぽくなったが、最後にその新興宗教がらみの話をちょっとだけ聞いてほしい。

大学進学以降そうした新興宗教がらみのトラブルエピソードは少なからずあると知った。友人も巻き込まれたことがあったらしい。

大学の最寄駅前には某証人人達が冊子を配るために立っているし、家にも何回かチラシがポスティングされたり、勧誘そもそも来たりした。迷惑から帰れ、と総スルーかましたが。

去年なんか、右翼おっさん一般人に絡んで暴行しかけた事件証言を、某会の勧誘をしていた女性二人がしていて「情報量が多い!」と内心ツッコミを入れた現場を目撃した。

彼らも、それを信仰するのは自由だけど、私のように嫌悪するまでもないがもやを抱えた人間を周りに産んでいるのではないかな、と時折思わなくない。

スピリチュアル系のトンデモ科学に関するツイートTwitterなどでも話題になりがちだが、そういうのを見ても「ああ、なんというか、かわいそうだな」と思ってしまう。

思ってしまうだけで、それを思いっきネタにして笑い飛ばしているあたり、私はかなり嫌な人物だなと自戒しなくもないが。

何度も言うが、批判する意図はない。あなたがもしここまでに挙げた何かの信者であっても、私は知らない。

ただ、ひとりの学生が格好をつけて、自分は何を信仰しているのだろうな、と思い返すための文章から、大した感想も求めていないのだ。

ここまで読んでくれた奇特な方には、こんな感じで生活を送ってきた学生が一人居るというのを知ってもらえれば幸いだ。

2020-06-13

こうしている間にも、彼女との思い出を作っているエンジニアはいるんだなぁっておもうと

涙出てきた

本の虫 本とあいを育んて、研究を残して誰にも読まれ死ぬんだなって悲しくなった。もしくは他の男の研究の肥やし。

コンビニバイトのほうがマシな生活だったな、

2020-06-01

anond:20200601134256

面白そうな書籍おすすめありがてえ

流れるような文章だったり、短くて簡潔なのに気持ちの伝わる文章をかけるのって、本の虫だった人たちだよねー

テンプレートを詰め込んだだけの自分では、あの広がりのある文章は書けないなといつも思う。

2020-05-13

anond:20200513112641

そうだね。本の虫でも女好きコミュ力ある連中はいるけど(女好き作家かいるよなw)、こもり気味の内向的本の虫(こっちが主流かな)は、出会いの場や婚活市場にはあんまりいないよな。

それじゃあ、どういうところにいるかというと、、、 ほら、わかるだろ。(わかれよな、元増田女史さんよ)

anond:20200513111647

本の虫女好きで性欲が強いんだけど要領が悪くて女と縁のないタイプは外にでなさそうだから、探す難易度が高そうなんよな

人数は少なくないように思えるけど、出会いの場や婚活市場流通してる人数はめちゃ少なそうじゃね?

anond:20200513105642

うん。素人女を喰いまくってるような男なら、わざわざこんな女と結婚するとは思えないね

だけど、本の虫女好きで性欲が強いんだけど要領が悪くて女と縁のないタイプなら、割と簡単色仕掛けで落ちるだろう。(そういうタイプのふりをして女をおびき寄せては喰い散らかす極悪人もいるので注意が必要だがw)

anond:20200512180640

正規雇用」を除けば条件満たしているの知人にいるわ。本の虫無職引きこもり

2019-10-03

anond:20191003123619

[追記あり]

当方歯科医師夫婦。長女が5歳の時に乳歯に虫歯を作ってしまいました。見つけたときはショックでした。

夫婦ともにそれなりに専門知識もありますから元増田さんとおなじかそれ以上に気をつけていました。食器の共用はもちろん、ジュースなども他のお子さんより少ないか、ほぼ与えなかったと思います歯磨き毎日していました。

それでも虫歯はできていました。虫歯は臼歯隣接面と呼ばれる、奥歯と奥歯の間です。長女はその部分がくっついており、歯ブラシだけでなく、本来はフロスをつかって清掃すべきでした。この部分の虫歯はある程度大きくなって一部が欠けてこないと、普段歯磨きでは気がつきません。

おきてしまたことはしょうが無いので、父親である私が治療しました。長女は涙を流しながら、痛いのを我慢して治療させてくれました。

それから子供虫歯については永久歯虫歯を作らないことを中心に治療指導するようにしました。虫歯を作りたくて作る親はいません。ちなみに、3歳まで菌が入らなければ、、、と言いますが、現実はなかなか難しいですよ。

元増田さんも、歯科医院に連れて行ったのであれば、責任果たしていいると思います。痛い治療はかわいそうですが、なんとか連れて行ってあげて下さい。

何歳のお子さんかはわかりませんが、「痛いけどがんばれ」と言って応援してあげてください。「すぐおわる」とか「痛くない」とかウソはだめです。痛い治療をがんばったということを褒めてあげないと続きません。

そして、普段歯磨きですが、

・両親で交代して行うこと。(磨き残しのクセがだれでもある)

・仰向けで明るいところでしあげ磨きをすること

・最低でも小学校6年生までしあげ磨きをすること

・フロスをつかって、引っかかったり、繊維がばらけるようなところがないか(あれば受診)を確認すること

・歯の溝に灰色の部分がないかよく見ること(あれば受診

を注意してください。

そして、定期的に歯科医院に連れて行ってください。(「虫歯がありそう」で構わない)

初期の虫歯は、明るいライトの下で、乾燥させないと判別できません。

こういうことを書くと「宣伝だ」と言われるかも知れませんが、虫歯になった時点で歯医者も親も本人も負け戦です。

[追記]

ブックマークの数が400を超えて驚いています

たくさんコメントを頂いたので、追記します。(10/5 0時頃)

多くの人にいっぺんに伝える機会も普段はありませんし、コメントもたくさんあったのでこの際ですから長くなりますが書きますコメント賛否があり、特に否定的意見普段歯科医師患者の会話ではほとんどありませんから、とても参考になります

まず、細菌がなければう蝕処置にならないという話。

これはラット実験証明されています。ただ、人間を無菌で育てることは現実不可能です。どの段階で感染するかはいろいろな意見がありますが、教科書的な結論はないかと思います

ただ、細菌を増やさない、細菌の餌になるショ糖をとらない、細菌のすみかであるプラークをなるべく早く落とすというのは虫歯予防の原則になります

歯は生えた直後は柔らかく、虫歯になりやす状態です。実際歯を削ってみても、80歳の歯と6歳の歯ではかたさが違います食事の度に脱灰と再石灰化を繰り返して、硬くなるのです。このときフッ素再石灰化を進めるため、乳歯や幼若永久歯に塗布することが推奨されています

ただし、進行したう蝕には効果はありません。

歯を磨け、甘い物を避けろ、食器の共用はやめろとうるさく言うかというと、過去のこれらの啓蒙子供のう蝕は明らかに減っているからです。1975年頃をピークに一人あたりの虫歯の数は右肩下がりです。これは歯科医師業界)にとっては大きな成功体験なのです。虫歯が減って仕事がなくなったと憤る歯医者はいません。

虫歯なる子供を減らし、重症化させないためには、歯科医院にう蝕を主訴にきた子供と親に対しては、耳が痛いだろうなとは思っても言わないわけにはいかないのです。

例えば、4歳で右上の乳臼歯に虫歯ある子供がいます。いままでと同じ生活をしていれば、左上も左下も右下も虫歯になるのは時間問題です。数回の治療で1本の虫歯を治しても、他の歯の虫歯が進みます。そうこうしているうちに6歳臼歯が生えてきて、使いもしないうちから虫歯になってしまうことがあります治療ができるようになる3~4歳から永久歯の生える5~6歳まで、思っているほど時間が無いのです。しかも、6歳臼歯は永久歯の中でも最も大きく、咀嚼重要な歯なのです。

少しずつ治さないで一度にたくさんやればいいと思う方もあるかも知れませんが、そんなに長く子供は頑張れません。抜けばいいという方もあるかも知れませんが、麻酔をして抜歯をするのも小学生まではなかなか難しいのです。あまりに早く抜くと、歯並びが悪くなります。磨きにくくなって虫歯リスクが上がります

何度も何度も歯磨き指導して、時には乳歯の虫歯治療を一回休みにしてでも、永久歯を守らなければいけません。

「負け戦」という言葉に思いのほか反応があったので、言葉選択を気をつけなければとも思いましたが、上記の様な例がまさに「負け戦」なのです。乳歯を犠牲にした撤退戦です。乳歯が犠牲ならいいのではと思うかも知れませんが、その間、子供はいつもどこか痛いのです。食べるたびに痛いのです。親は仕事の合間をぬって毎週のように歯科に通うのです。夜は歯が痛いと泣かれるのです。歯科医も顔を見るだけで泣かれる子供をなだめすかして、治療をするのです(これは仕事なのでたいした問題ではない)。新しく虫歯ができたり、進行するので、計画がなかなか立たない治療です。

小さい虫歯が1個2個なら負け戦ではありませんね。これは訂正します。


磨かないのに虫歯にならないという人は確かにます。唾液の性状、歯の形、性質食生活個人差があるからです。(歯周病リスクは別ですので、綺麗な歯が中年以降にぐらぐらになって抜けていく人は結構ます。)だからといって、予防をしなくても一緒とはなりません。

しあげの歯磨きについて

6年生までやるの?→高学年になれば毎日出なくても良いと思います適当毎日やるくらいなら、しっかりを週1回です。

身長が170cmの6年生でも寝かせるの?→寝る場所でやればいいだけです。布団やベッドでやってください。立った状態で上の歯はみれません。

2歳の子供に咬まれます。→たぶんブラッシングの力が強すぎです。歯肉に歯ブラシが強くあたると痛いので咬みます。歯肉と歯の境目も磨くべきですが、優しく細かく動かしてください。。

口を開けてくれません。→まずは親が歯磨きするのをみせましょう。子供の前に座って歯磨きをしながらテレビでも見ててください。まねするようになります。立って磨くのは余りみせないほうが良いと思います子供がまねをして、歯ブラシ咥えて歩き回り、転んで突き刺さることがあります

歯磨き中の唾液は飲んでいいの→飲んで大丈夫です。

歯磨き粉は?→子供用のフッ素入り低発泡のタイプが良いかと。いつも使う必要はありません。スッキリするので、磨けた気がしてしまます。使いたければ、子供自分で磨くときに少しだけつけて、しあげ磨きの時は歯磨き粉無しでよいかと思います

歯ブラシは?→ギザギザなどがない普通の形のものを。開いたらすぐ交換しましょう。

最後に、虫歯は親の責任?という点について。

子供は自ら虫歯を予防することはできない」という点は明確な事実だと感じています。「虫歯にならないように努力をする」、「初期の虫歯治療に連れて行く」というのは「交差点で飛び出さないように周囲に気を配る」程度の親もしくは周囲の大人責任だと思います。「虫歯の1個や2個で大げさな」という意見もありますが、1個や2個ですまない事例を見ているからこそ、そうならないように指導されていると思ってください。取り返しがつく失敗だからこそ注意されると思ってください。

ちなみに、私の母とその父(私の祖父)も歯科医師でした。私の乳歯には1本虫歯がありました。母は「おじいちゃんが「じぃじあそんで」とうるさい孫を黙らせるために、しょっちゅうあめ玉をあげていたから、それで虫歯になった」と言っていました。時代としてはそんなものでした。

母親がしっかりしてさえいれば虫歯はなくせる(減らせる)というのはそろそろ限界に来ています。実際、減り続けていた子供虫歯は近年横ばいです。ゼロにはなっていません。周囲の大人責任ですという啓蒙をつづけることで、もう一段階減らせるのではと思っています母親自分の「息子」に「虫歯はお父さんが防ぐのよ」と伝えることで、次の世代につながると思います

長くなりましたが、元増田さんのエントリを通じて、たくさんの人に自分エントリが読まれたことを感謝します。元増田さんは子供歯科に連れて行っただけでも責任果たしてます。あとは完治まで根気よく通ってください。

2019-06-24

図書館司書ってシステム

結局、若い子がどんどんなりたくて来てくれるから給料高めてやらないと雇えないやつを雇うメリットがないのな。

商売ってわけでもないかノウハウも要らず(あえて言うならどの棚にどんな資料や本があるかを覚えることぐらいか)、客商売じゃないから引き継ぎも必要ない。だから若い子を非正規雇用してガンガン回したほうがいいのな。

そうなると生き残りをかけて、やる気を見せていかないといけないから、新聞通信作ったりして、自分はまさに本の虫ですよってアピールするわけなのか。

2019-03-05

電子書籍選択する言外のメッセージ

 「利便性安全性」の選択で「安全性」をとれば電子書籍よりも紙の本ということになる。

 つまり電子書籍を「選択する」ということは「なくなっちゃってもいいや」という言外のメッセージを含むものである

 明示的でないか普段意識しないかもしれないが「選択する」ことには意味があるのだ。

 電子書籍がメインの方々もお気に入り作者の作品を手に入れるときは紙の本にすべきだろう(あるいは両方か?)。

 また電子書籍で買ってしまったとしても、そのことを作者に伝えることは控えるべきだろう。

 「電子書籍で購入した」という選択は「お前は選ばれなかった」というメッセージなのである

情報を整理すると編集部電子書籍冷遇は正しいことが分かる

2018-08-30

大学受験

今年大学受験高校三年生2000年まれの揃い踏みだ。私たち2001年まれ2000年逃しちゃったベイビーズなんて適当に呼んで生きている。

森絵都のつきのふねで2000年が来ないと信じていた世界があったことを知った。わたしは思う。たしか世界は一度死んだのかもしれない。自分が生まれ世界の以前の証明を、何人たりともわたしにすることはできないのだから

そんなことばっかり考えてたクソガキも、絵ばっかり描いて小さいころから本の虫で、時にアングラ世界に揉まれながら、適当に生きて、今や人生の岐路に立っている。

わたしという個人美術予備校先生には金属勉強をしたいといい、学校先生には工芸作家になるといい、母親には漫画家になるといい、友人にはアニメーターになるという。何者なのかわからない。自分でも驚くほど、息を吸うように嘘をついてしまう。否、嘘でないのだろう。すべてが本当なのだ。体は美術大学の受験に備え、脳は小説映画に溺れ、妄想漫画家として輝く自分だ。

高校進学のために勉学に励んでいた自分が懐かしい。進学校合格したまではよかったが、自分より賢い友人たちに揉まれ、甘えることを覚え、わたし視野は不必要なほどに広くなり、遠くのことばかり考えている。

眼前の大学受験がたまらなく不安だ。わたしは何者になるのだろう。夢を現実にしなければならない歳になり、つくづく思い悩むのだ。夢は夢のままがいいものか、現実にすべく努力すべきか。

ただ栄光の道を歩む自身妄想し、甘い世界に浸って死んでゆくのだろうか。

2018-08-03

女になんて生まれるんじゃなかった

この文章は理性によって構成されたものではない。

東京医大の件(「東京医大女子減点問題について、いち小児科医が思うこと」https://anond.hatelabo.jp/20180802123936 の件)を受けた、いち女医感情的なボヤキだ。

ずっと前から、生まれ性別を間違えたという感覚がある。

性同一性障害というわけではなくて、「女になんて生まれるんじゃなかった」という感覚である

私は女子校で育った。しかしながら私は女子同士の友人関係になかなか馴染めなかった。体育が苦手で、よくキョドってる本の虫。それが私だった。それはもう見事に学校から浮いていたし、いじめみたいなものを受けたこともあった。どう考えても自分alienだった。

うっかり成績が良かったこともあって、なんとなく医学部を目指した。生物学でもよかったんだけど、なぜか医学をやろうと思った。

国家資格は強いという動機もあった。

私にとって人間は複雑怪奇ものであって、その複雑怪奇ものについて知りたいっていう動機もあったのだと思う。

私が入学した大学には、自大学の女子学生が入れないサークルというのが存在した。よくわからなかったが、まあそんなもんかと思ってあまり気にしなかった。

私は医学部部活に入った。そもそも女子が入れる医学部部活というのもかなり少なかったように思う。プレイヤー男子しかいない部活には、しかし、大量の女子マネがいた。概ね女子大の学生さんらしい。

別に自分が女であることは気にしていなかった。いや、違う。

私は、「女に生まれるんじゃなかった」という感覚を押し殺していた。女であることで扱われ方が違うことはあまりにも多くて、気にしていたら心が持たないから。

先輩たちからは、「君たちの学年には女子が多いね」とよく言われた。そんなに気にすることか、と思っていた。

医療面接の練習で、同級生から「顔が怖いよ、女医さんにはもっと笑顔でいてほしいと僕は思うなあ」と言われた。

学部の偉い人と接していて、悪意なく「男子ももっと頑張ってもらわないとなあ」と言われた。

そんなことはたくさんあったし、私は作り笑顔が少しうまくなった。

そんな中でも、男女共同参画を考えよう、という動きはあった。でも、それもとても息苦しかった。

ワーク・ライフバランスについてとか、女性医師キャリアを考えるとか、そういう会はたくさんある。学会学術集会でもだいたいそういうセッションはあるだろう。

そこでは、「子育て仕事を両立した」だとか、「仕事が好きでバリバリやってます」とか、そういう成功者たちが講演をする。その中での頻出フレーズは、「職場理解のおかげでやってこれた」である

職場理解がなかったら、どうなっていたんだろう。

大学を出てしばらく経った。

私は今、あるマイナー科の医師として働いている。「女医が行きがち」というやり玉に上がりがちな科だ。職場理解っていうやつも、かなり大きい職場だと思う。この時間(15時30分くらい)に仕事が一段落する、そんな科だ。私としては、自分にとって一番おもしろい分野を選んだつもりだ。でも、たぶん、「マイナー科に行きやがって、これだから女医は」って言う人はいるだろう。

私は今のところ、子供を産むつもりはない。子供は私にとって複雑怪奇ものであって、それを人間に育てるということをできる自信がないから。たぶん、「少子化拍車をかけやがって、これだから女医は」って言う人はいるだろう。

もし将来、やっぱり複雑怪奇ものおもしろいな、という心境にでもなって、子供を産んだとしたら、たぶん、「出産子育てで離職しやがって、これだから女医は」って言う人はいるだろう。

どう転んでも非難されるなら、私はどうすればいいんだろう。非難され続けることに耐えられるほど、私は強くない。

昔は、女であることは自分人生には関係ないと思っていた。でも実際は違うみたいだ。

女になんて生まれるんじゃなかった。

2018-04-20

本を読むことを神聖視する風潮

違うと思う。

活字を読むぐらいのことにいちいち拒絶反応起こされても困るが、活字を好むぐらいのことを褒め称えるのは違うと思う。

とりあえず活字を拒絶しないことの次のレベルとして、化学式や数式に拒絶反応を起こさないってのがあるけど、これも褒めるほどではなく人として当然のこと。

というか、自分一人で黙々と本を読むだけのことになんの凄さもない。

アニメ毎週100話見てる自慢と何も変わらぬ。


じゃあ何が出来たら褒められるかというと、どの書物にも書いてないけど、誰も知らないという訳ではないようなことを知る方法を身に着けていること。

まりは、他人コミュニケーションを取れること、自分の手足を動かせること。

紙やテキストファイル文字を書いてるのは人間な訳だけど、その内容は整理こそされてるけど、整理するために削られている部分も多い。

書く以前にその内容自体がまだ誰も知らないけど、しかるべき人が手足を動かせば案外簡単に手に入る情報とかもある。


たとえば、自分の体の調子が悪いと感じているとしたら、本を読んで調べればある程度の症例は絞れるかも知れないけど、医者相談する方が正確だ。

素人いくら本を読んでも憶測の域を出ないし、自分でできる治療民間療法市販薬品を使うことぐらいだ。

本を読むことは多くの場合解決力において、然るべき人間コミュニケーションを取ることに劣る。

誰にどう相談するか、どういう表現が適切かを学ぶのに役には立つが、実行に移さないなら宝の持ち腐れどころか、それが実践において宝と言えるのかも分からないままだ。

本の虫になるのはいい。

だが、本の虫であることに満足してコミュニケーションから遠ざかっては駄目だ。

本を読むことはある意味ではコミュニケーションなのだが、それは静的なコミュニケーションであり、動的ではない。

会話がキャッチボールなら、活字ピッチングマシンだ。

ピッチングマシンばかりを相手にしていては、ボールを捕れても投げ返し方が分からないままだ。

それでは、褒められない。

本を読むことを褒めるより前に、人と会話ができる事、積極的コミュニケーションが取れることを大事にすべきだ。


天声人語より

2018-01-26

スマホから離れたい

ここ数年ネットばかり見ていて長い文章が読めなくなってきた。

ネットにも長文はある。でも要点だけかいつまんでざっくり見てしまうため、細かい所を丁寧に読むことをしなくなった。

そして物事を深く考えなくなった。

ざっくり読んで、へぇーと思って終わり。浅い。

その方が楽なんだ。

どんどんあたまがわるくなる。

情報は次から次へと流れてくる。はいはいと受け流す。


小説が読めなくなった。

遥か昔は本の虫だったのに。

概要かいつまんで読もうとしても興味が続かなくて途中で投げ出してしまう。

読んでいる途中でスマホが目に入るともうダメだ。

TLどうなってるかな、新しい情報来てるかもと思うと小説の中の世界が突然色褪せる。


ドラマも、作業をしながらでないと見なくなった。

日本ドラマは声だけ聞いていれば大体分かるように出来ている。

作業しながらドラマを流す。

作業自体映像を流しながらでないと出来なくなってきている自分に気付いて愕然とした。


何か一つのことだけをしていると時間無駄なのではないかと考えてしまう節があるらしい。

集中して作品世界に入り込んで感動する、なんてことがなくなってしまった。

何をしてても思考ふわふわしている。

すぐに他のことに興味が移る。

だって描きかけの絵と途中で一時停止したドラマを目の前に、はてなを開いてこの文章を打っている。

打ちながらも最近ハマっているソシャゲのことが頭をチラつく。


インターネットからスマホから離れたい。

ほとんど無意味情報を朝から晩まで浴び続けることをやめたい。

でもさぁ無理なんだよねぇぇぇ!!!

無理無理無理無理!!!

スマホ手放したところで気になって結局パソコン開くだけ!!!

生活ほとんどのことがスマホパソコンに集約されすぎてて離れられない!!!!!

そんな頭の悪い大人になりたくなかった!!!!!!!!!


こうして今も無駄時間を送り続けている・・・

自分にとって価値があることって何だっけ?

本当にしたいことって何だっけ?

生きてる意味とは?


そしてどうせこれを読んでるはてブ民も同類

2017-11-09

電子書籍化Q&A 自分場合

>>本棚電子化計画

anond:20171109141538

 

前のトラバさんとも一部重複しますが、自分場合

「床に積み上げていてとても邪魔だ。よくつまづいて山を崩す。」

同じ状況だったので3年くらい前に、引っ越しを機にkindle化されてない書籍を除いて全部売り払い、

少しずつkindleで買い戻しています現在kindle購入冊数が3,000冊ぐらい、9割以上は漫画です。

なんでか小説は後回しにしてしまます自炊と他社のサービスは使ってないのでよくわかりません。

あ、DMMえっち漫画アプリアップデートでだいぶ使いやすくなりましたね。

 

Q.単純に紙の本が好き

自分も今でもそう思いますし、紙の方が読みやすいです。人に貸せないのもネックですね。

ただ前の環境では読みたい時にその本が部屋のどこにあるかわからない状態で、読みやすさ以前の問題でした。(自分が悪い)

あと、寝入り前に部屋の照明を落としてもベッドでタブレットブルーシェード付き)で読めるのはメリットだなと思います

また自分のような雑な人間は、新刊本屋で買って帰ったら同じ本がAmazonから2冊届いたりしていたので、

kindleだと重複購入の際に「この本あんた前に買ってるよ」と警告してくれるのが地味に助かってます

 

Q.カバー下のおまけだとかが省かれている、と聞いた。

大手出版社書籍はその辺もカバーしつつありますが、作品によります

配信用のファイルユーザ要望アップデートされ、購入後に事後でおまけページが追加されることもたまにあります

(正直、買った書籍が事後に勝手アップデート(改変)されるのは、気持ち悪くて好きになれません)

あと「帯」はほぼ間違いなく付いてきません。

 

Q.世の中の書籍の何割くらい電子版が販売されているのか。

自分が読みたい書籍に対する体感では、8割くらいの印象です。

本棚に残ってる(kindle化されてない)有名ドコロだと

浦沢直樹井上雄彦あずまきよひこあだち充、「AKIRA」、「FSS」、

もやしもん」、「ナウシカ原作」、「苺ましまろ(訂正:その後電子化されました)」、「キラキラ!

あたり。それでも部屋は劇的にスッキリしました。

 

Q.発売日は紙のものと一緒なのか

体感では紙と同時発売される作品は7割くらい。

雑に整理すると中ヒット作までは同時発売が多いですが、大ヒット作になると1〜2ヶ月待たされることが多くなります

上記の通り、いつまで待っても電子化されない作品もあります

 

Q.スマホで読むようなものだと電池が怖いな。電子書籍って充電喰う?

自分は字が小さすぎると感じるので、スマホでは読んでないのでわかりません。

kindleFireHD8とMacBookデスクトップWinPCでの読書になってます

たまにMacBookからHDMI出力してテレビで読むことも。

kindleFireHD8は東京から新幹線大阪行って、また帰ってきて、ぐらいの間は保つ感じ。

不要な時はWiFiオフにしとかないと、割とプアな印象です。

 

Q.データの容量も大きいだろうか?専用の端末持つべき?

スマホでは読まない前提の自分意見は「kindleだったら専用タブレットを持つべき」です。

kindle端末すべては知りませんが、自分が使ってるkindleFireHD8だと

本棚内のフォルダ分け」「SDカードでのストレージ増設」ができることが理由です。

フォルダ分け」はAmazonアカウント情報に紐付いてスマホアプリにも反映されます

またSDカード増設によって、現在スペック漫画で2,500冊ぐらいは端末に入ります

(初期はSDカード書籍は入れられませんでしたが、その後アップデート対応されました。)

 

Win/Mac用のkindleアプリは、単ページのタブレットに対し、見開き表示で大画面にも出力できることが魅力ですが、

本棚内のフォルダ分け」を反映する「コレクションメニューが(おそらく意図的に)なく、

最近読んだ(含DLした・購入した)順/タイトル順/著者名順」のソート頼りになります

画面が大きくスクロールハンドリングもしやすいのでタブレットほど苦にはなりませんが。

またPC向けアプリDL100冊超えたあたりで挙動がカクカクしたりクリエラ落ちしたりと、

不安定になってしまうのが難点で、頻繁に読まない書籍運用は「読む際にDL」「読んだら端末から削除」がセットになります

(これは改善されてるかもしれませんが試していません)

 

Q.電子書籍で買っても作家さんに入る印税は一緒?

これ正直よくわかんないんですよね。セールを待って半額とかでまとめ買いできるのは電子書籍の利点ではあります

反面、当然ブックオフ等に売れないことと、自分が死んだらこの3,000冊の漫画を読む権利はどうなるのか

よくわからないことがネックです。あと、Amazon電子書籍から撤退したらどうなるんだろう、とか。

 

Q.本の虫としては、本棚丸ごと持ち歩けるなんて幸せなことはない

本棚丸ごと持ち歩いて、いつでもどこでも読める」と思うと、逆に意外と読まなくなるのも人間です。

かばんの中に何千冊入ってようが、新刊に対する飢餓感は変わんないですね。

2017-10-14

C++って使える人いるの?

一昔前にC++の本を積んでみたっていうのが流行った。

http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/b/bleis-tift/20090709/20090709182331.jpg

C++を使うために読んだ本を見せびらかすやつ。

興味はあったか本の虫とかで、最新C++情報とかをチラチラ見てたけど「積んでみた」のころでもちょっとついて行けない雰囲気だったのに、今現在だとそれよりもっと複雑になってるわけでしょ。

本の虫の人は「LISPは興味ない?」と聞かれて「実用的でない言語は興味ない」と言ってたらしいけど、C++実用的に使える言語なのかね。

2017-10-10

https://note.mu/shokola/n/n474f8d948e92

小さい頃から本の虫だった人は1回は通ってると思うけど

こういう親の舞い上がり方が未だに恥ずかしくてしょうがない

2017-09-11

まずは自分がプログラマーになってみよう!

山本五十六名言「やってみせ」

やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば、人は動かじ。

話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず。

やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず。

まずは、あなた自身プログラマーになって、見本を見せることが第1歩です。

プログラマーに向いている性格

その後受託系の会社就職できたのだけど、人間関係がうまくいかなかったようで数ヶ月で辞めた。

鬱病気味になったみたい...。

どうやら、プログラミングという仕事の特徴について、あなた理解していないようですね?

 

プログラミングの特徴は、「コンピューター相手なので、嘘やハッタリが一切通用しない」ということです。

人間相手なら、適当に指示を出したり、いい加減な対応でも何とかなるけど、コンピューター相手だと1mmも融通が利きません。

 

従って、プログラマーに向いている性格は、

  1. 嘘をつかない
  2. 几帳面
  3. パズルを解くのが好き

という3点が必要です。

 

警察職務質問されて有名になった江添亮さんのブログ等を読んで、この方のようにネチネチと論理をこねくり回すのが好きなら、プログラマーに向いています

(例)本の虫: 麻布十番職務質問を受けた話 https://cpplover.blogspot.jp/2017/08/blog-post.html

関数型プログラミング

プログラムというのは、小さな部品を組み合わせて、大きなシステムが作られています

さな部品パズルピースに相当して、大きなシステムパズルの完成品です。

まり、大きな問題を小さな問題に分解して、1つずつ順番に問題をつぶして行く姿勢必要です。

 

プログラミングパラダイム(考え方)には、

  1. 命令
    1. 手続き型(Java等)
  2. 宣言
    1. 問合せ型(SQL等)
    2. 関数型(Haskell等)
    3. 論理型(Prolog等)

があります

 

命令型のプログラミング言語しか使えない人がプログラマーになると、テスト地獄に陥って、結果的鬱病発症やすくなるだろうと危惧しています

上述のように、パズルピースを組み合わせてプログラムを作るには、「関数型」の作法を身に付けておくと良いでしょう。

Haskell

関数型プログラミング習得するために、今なら「Haskell」または「OCaml」というプログラミング言語お勧めします。

HaskellOCamlは、良い参考書がたくさんあるので、本屋に行って実物を確かめてください。

 

Haskellを学んでみて、パズルピースを組み合わせる感覚理解できたら、あなたテスト地獄に苦しめられないプログラマーになれるでしょう。

もしも、Haskell理解できないようだったら、残念ですがプログラマーには向いていないかもしれません。

例外的に、あなたマゾで、テスト地獄残業徹夜楽しいと思える性格なら、Haskell理解できなくても大丈夫かもしれません。)

 

Haskellの教材(英語)を紹介するので、参考までに読んでみてください。

http://learnyouahaskell.com/chapters

(このサイトの内容は、日本語書籍「すごいHaskellのしく学ぼう!」として出版されています。)

 

Haskellは、順番に学べば必ず理解できるようになっています

もしも、Haskell習得できなければ、大きな問題を小さな問題に分解して解決していく作業には不向きな性格かもしれないので、他の仕事検討してはいかがでしょうか?

人生は一度きり。時間無駄にならないようにお気を付けください。)

 

あなたと友人が、無事Haskell習得して、テスト地獄を乗り超えるスーパーハッカーになり、日本IT産業を牽引されることに期待いたします。

 

(追記)

まずは、自分が作りたいアプリサービスを作ってみよう。

自分が作りたいプログラムすら作れない人が、他人希望するプログラムを作るなんてできっこいからねw

プログラマーが楽で簡単仕事だと思ったら大間違いですよ?)

 

(追記 その2)

関数型プログラミングマスターしておけば、OOPでも役に立つよ。(現実には、関数型もOOP必要に応じて投入するし)

iOS→「プロトコル指向プログラミング」「RxSwift」、Android→「RxJava」辺りのキーワードでググってみて。

別に皮肉とか宗教戦争で煽ってるわけじゃなくて、自分も苦労して辿りついた口だから、今から始める人には遠回りして、余計な苦労を味わって欲しくない。

 

(追記 その3)

他の人が書いてたけど、1人でプログラミングするんじゃなくて、2人(ペアプログラミング)や3人以上(モブプログラミングから始めたら良いかも。

Googleの「プロジェクトアリストテレス」で、仕事生産性改善するには「心理的安全性」が重要と分かり、プログラミング仕事もやり方が変わって来ています

ソニックガーデン倉貫さんの働き方が参考になると思います

https://kuranuki.sonicgarden.jp/2017/01/psychological-safety.html

 

(追記 その4)

記事が消えていたのでバックアップしておきます。(この投稿だけ読むと意味が分からなくなるため)

https://anond.hatelabo.jp/20170910205249

2017-09-10

■知り合いをプログラマにさせたいんだけど知恵を貸してくれ

プログラマって育休からの復帰しやすいだろうし、アルバイトよりは待遇いいし、勤怠ゆるいし、労力の割に楽ちんだと思うんだよね。

接客バイトで消耗するくらいなら、プログラマになればいいと思っているのだが、その知り合いは自身のことをプログラミングを不向きと評価しているらしい。私は、プログラミングに限らず物事時間をかければ習熟していくものだと思っているので、不向きではないと思うんだ。不向きというのは物理的に制限のある時だと思う。

その知り合いについて。

Vimはぎこちないけど使える。日常的にmacOSを使っていてターミナル操作はできている。cd, ls あたりは理解している。

趣味を含めてアプリケーションを完成させた経験はないが、ifやfor文などの基本構文は理解している。数年前にプログラミングスクールのようなところに半年間通っていた。その後受託系の会社就職できたのだけど、人間関係がうまくいかなかったようで数ヶ月で辞めた。鬱病気味になったみたい...。

何か成功体験があれば自然とのめり込んでと思うんだけどなかなかスイッチが入っていないみたい。

こちら側からは、プログラマーになれば?と直接は伝えてはなくて、素人でもプログラミングできましたみたいなネット記事シェアーしているくらい。(心理的リアクタンス避け)

知恵を貸して欲しい。

2017-09-09

秋の夜なので

だれともだれともだれとも気が合ったことがない。

自分特別だと言いたいわけではなくて、事実としてそう思う。

浅い友人も深い友人もいて結婚もしていて、何十年も人生を重ねてきて色々な人と出会って

それでも思う。だれとも気が合わないなぁって。

こんな歌詞を聞くとざわざわする。

「なんでも打ち明けられる

  全部わかってくれる」

ほんとに?ほんとにそうなの?まるで宇宙人の話を聞いているようなそんな気持ち

ひと目で結びついて、全部わかってくれると確信できるそんな人たちがいるらしい。

わたし物事にのめり込むタイプで、幼いときから本の虫だった。本を読もうなんて努力したことはない。あればあるだけ読んでしまう。

10冊本を借りて来れば一晩で読んでしまう。20冊借りれば読み切るまで眠れない。仕事や家庭に支障がでるので、今に至るまでどうやったら本を読まないでいられるか研究しているくらいだ。

一日一冊までと今は固く決めている。本棚には入るだけとこれまた決めていて、200冊ほどしかないけれどその選り抜きの200冊はほぼ暗記していて1冊につき100回以上は読んでいる。

わたしにとって”全部わかってくれる人”とは自分が読んだと同じ本を同じ回数読んだ人で、そんな人はいない。

だれとも気が合わないということは、そこまで人間の好悪がないということなので人間関係も楽だ。

長年すごせば愛着尊敬がうまれるので友人はそれなりにいて満足していて、そのことが寂しいとか悲しいとかは思わない。

それでも気が合うとまでは言えなくても、ふとだれかに共感してもらいたくなった秋の夜でした。

苦手な言葉絶対気が合うと思う」

2017-08-31

子供読書感想文コンクールに行く

学校から帰ってきた子供が目を輝かせながら言った。

しかし、手放しで喜ぶにははいささか不安が残る。

なぜなら、その感想文は100%子供が書いたものではないからだ。

ここで少し、自分過去の話をしたい。

自分子供と同じ頃、じつは自分の作文もコンクールに行ったことがある。

結果は佳作としてローカル新聞に載る程度のものだったが。

このとき100%自分で書いた。しかも、子供がどの目線文章を書けば大人が喜ぶかを計算した上で書いた。

子供らしい向こう見ずな文章や、出て来る数字も敢えて理解よりも大げさに書いた。

なぜなら、周囲の子供たちはまだそのレベルだったからだ。

の子供らしい部分を大げさに表現すれば、間違いなく大人は喜ぶだろう確信があった。

果たして思惑の通りの評価が並び、子供ながらにしてうける文章とは何かを理解することになった。

しかし、賞に選ばれることはあまり嬉しいことではなかった。

少し特殊な生い立ちを持つ自分は、できるだけ目立たないように生きることが習慣づいていたのだ。

それでも中高の小論文は毎回と言っていいほど自分文章がお手本として選ばれた。

議題に対する切り口だけはこだわってしまった結果だろう。

遠慮して書いてもそのレベルなのだと感じられることに悪い気はしなかった。

ついでに言えば、その頃はすっかり本の虫としての毎日を送っていた。

今で言うライトノベルと呼ばれそうなジャンルから本格ミステリ純文学など節操なくなんでも読み漁った。

電車通学の30分を使って年間100冊は当たり前に読んでいただろう。

絵で描かれる物語とは決定的に異なる、活字が与えてくれる想像余地がたまらなく好きだったのだ。

ちなみに今でも心から尊敬する作家川端康成先生だ。

自分現実世界はいわゆる色弱としての生活を強いられているのだが、彼の本の中では健常者以上に鮮やかな色彩を感じられる気がしたのだ。

モノクロ世界淡々と描いておいて、突如蜷川某氏を思わせるような原色が巻き散らかされるようなシーンの移り変わりに脳天をかち割られるような衝撃を受けたものだった。

それに、彼自身折り紙つきの変質者であるのに、全くそ自覚を持たず純度の高い無邪気さのままに書き上げらる文章に、まるで自分の心の醜さを試されているような感覚もたまらなく好きだった。

しかし、生い立ちの都合でその時代一般的企業への就職を諦めざるを得なかった自分には進学という選択肢はなく、過酷肉体労働に進む以外の道がなかった。

今でこそ現場を離れて机に根を生やす生活を送っているが、最前線現場を仕切っていた時代文章は縁遠い存在になってしまっていた。

そんなある日、家に帰ると子供原稿用紙とにらめっこをしていた。

ひらがなで3枚を埋めることが目標だったのだが、あと一枚がどうしても埋まらないらしい。

どれどれとそこまでを読んでみると、いわゆる子供が陥りがちな感想文がそこにはあった。

本文を抜き出しては、ただ一言おもしろいとだけの感想がつく文章が並んでいたのだ。

どうやらここにたどり着く間にも母親の力を借りていたらしいことを聞いて思わず苦笑してしまった。

そうなのだ大人だって大半はこのレベルなのだ

自分面白いと感じた部分を掘り下げることばかりがうまくなっているだけで、それがあらすじなのか感想文なのかの違いをわかっていない。

そこで少しだけ手伝ってやることにした。

「この本の中で、一番おもしろいとおもったところはどこ?」

「それをどうして面白いと思った?」

「もし自分だったらどういうふうにしたいと思った?」

大切なのは、その時代、その人間しか感じられない感性を切り出して言葉に残すことだ。

思った通り、大人では絶対に思いつかないようなポイントに興味を惹かれていて、そしてそれに対する代替え案も、まさに今の時代を生きるこの子しか思いつかないような言葉が返ってきた。

それを子供の口から言葉にさせ、内容は変えないままに言葉より子供らしく無邪気なものに置き換えて子供に伝え返す。

子供はそれを黙々と書き写した。

そして、あえて終わりを歯切れの悪いものにした。

れいに終わらせることにこだわるのは大人だけのエゴだ。

文章とはもっと自由もので、それにそれこそが味と言われるものになりえるからだ。

小学校先生ときがその良さに気づくとは到底思ってもいなかったことだけが誤算だったが。

しかし、子供の話を聞いて驚くことが一つあった。

どうやらこの読書感想文に対して、コンクール前に先生と一緒に手直しと加筆をするというのだ。

なんだ。それではやってることが家でのことと変わらないではないか

結局子供大人エゴに躍らされるのだ。子供を通じて子供らしいと思えるもの大人同士がやり取りして楽しんでいるに過ぎないのだ。

願わくば子供大人言葉押し付けられることで文を紡ぐ楽しみを見失ってしまぬことを。

コンクールで賞を取ることなんかよりも、よっぽど大切なことからだ。


さて、蛇足をあえて加えさせて頂くと、卒業後しばらく疎遠だった物書きだが、このところは比較的高い頻度で文章を書くことができている。

はじめて誰に遠慮するでもなく、思っていることを好きなように書いてもいい場所を見つけたのだ。

そして、それに対して見ず知らずの誰かが色々とリアクションをしてくれるという、まるで夢のような場所がこの世に存在していたのだ。

おかげさまで、自由文章を書くということがこれほどまでに楽しいことだったのだと喜びを噛みしめる毎日を送っている。

子供読書感想文コンクールに選ばれたのもそこでの経験が大いに活かされているといっていいだろう。

ありがとう増田。そしていつもありがとうブクマカ

子供の作文がコンクールで賞に選ばれた暁には、スペシャルサンクスに今までブクマしてくれた皆の名前を載せようと思う。

2017-08-28

高卒警官」といきなりド差別かまして

そんなブコメスターを沢山つけるはてブはいつも通り

はてなブックマーク - 本の虫: 麻布十番職務質問を受けた話

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/cpplover.blogspot.com/2017/08/blog-post.html

ちなみに江添氏は、大学を出ていない筈ので高卒と言えば高卒ですよ。

2017-06-03

自分はしっかりとした自我を持っているとずっと勘違いしていたがそんなものはないと気づいた

僕は読書が好きだとずっと勘違いしていた。

人は読書から何かを得るという。知識情緒技術。それらを自分の糧にして、自分を高めていく。

でも僕はそうではなかった。僕はたくさんの本を読んだ。親が教育熱心で、幼い僕に積極的読み聞かせをしてくれた。文字を読むことに一瞬楽しみを覚えた。周囲から本の虫といわれた(気がする)。というか、本を読んでいると親が喜んだ。周りは天才扱いした。もてはやされて、楽だった。

ニート生活を経て気づいた。僕が文章を読んでも、それは一時僕の中をかすめるだけで何物にもならない。文字列が透明なフィルターを通り過ぎていくだけ。小説でもドキュメンタリーでも漫画でも図鑑でも論文でも2ちゃんでもツイッターでもなんでもいい。それらが僕の中に入ったところで起こることはいつも同じだから。読んだところで何も起きない。その証拠に、こんなにも文章が下手だ。いい年にもなって僕はまるで透明で箸にも棒にも掛から人間だ。身近な人間社会、その他諸々ぜーんぶどうでもいい。

ちなみに上の文章の「読書」は声楽勉強ピアノチェロバスケに置き換え可能

確かに僕はかなり恵まれてる。経済的に困窮したこともないしたぶんこれからもそんなことはないだろう。それでもどこかむなしくて、つらい。

とても陳腐で滑稽だ。つまらない文章、つまらない人間自分で何かを考える能力がまるでない。

さてこれからどうしよう。まあ新興宗教マルチには引っかからないようにするか。

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん