はてなキーワード: アフリカとは
ただそこで解せなかったことがあった
服育っていうのかな?アルマーニみたいな高級な服を着せたほうが良いと当の校長も言っていたそうだ
http://www.huffingtonpost.jp/2018/02/07/principalletter_a_23355613/
"...安価な服のなかには、途上国等の貧困問題、ものによっては児童労働の問題も横たわっている。チョコレートなども同様だ。こういうことも含めて、社会や総合などの授業で扱うことができれば、服も立派な教材である。"
https://news.yahoo.co.jp/byline/senoomasatoshi/20180210-00081460/
これは違うだろうと思った。何がって?
"児童の権利条約"は1990年成立で、1994年に日本も批准している
これは義務教育中の労働の禁止や、危険な労働、酷使をしないことが謳われている
子供って従順だから親の都合や雇用主の都合に従ってしまうから。
アルマーニなどの紳士服の縫製も南部で児童がやっていることがある(あった)と。
当時は服飾ブランドではアルマーニ、ダナキャラン、カルヴァンクライン、ベネトンそんなブランドの名前が挙がっていた。
今はアルマーニのようなハイファッションだけでなく、H&M、ユニクロなどファストファッションの名前もあがる
鉱業、コーヒー、カカオマスなどアフリカ、南米などにもスポットライトが当たる
国際NGO ヒューマンライツウォッチ(主に戦乱地域の窮状報道のことで耳にするNGOかも)による
アウトソース先の工場リストや、労働の権利や児童労働に関する質問に回答しないようだ
http://features.hrw.org/features/HRW_2015_reports/Cambodia_Garment_Workers/index.html
それに我がユニクロも人権のことではしばしば吊るし上げられているしグローバルブランドはどっちもどっちな気もする
ただ言えるのは泰明小学校の制服が仮に採寸地と縫製地が近い方がいいからということで日本国内生産かもしれない。
もしくは国内の制服専門メーカーにアウトソースしているかもしれない。
しかしグローバルブランドは仮にアウトソースしてようがサプライチェーン全てを管理する必要があり
グローバルブランドは労働者の権利や賃金が低く据え置かれている国や地域で生産しようとする動きはずっと変わらない。
それを知った方が服育になるでしょう、そう思った
ウクライナ | ボフダン・フメリニツキー(1595-1657) | ウクライナ・コサックを率いてポーランド・リトアニア共和国に反乱を起こし、ウクライナの自治権を勝ち取った。その後、単独での防衛は難しかったことからロシアの保護下に入ったことで、後のロシアによる支配を招いたとも言われる。ユダヤ人の虐殺をしたこともあり、毀誉褒貶が激しい。 |
ベラルーシ | タデウシュ・コシチュシュコ(1746-1817) | 現在のベラルーシ、当時のリトアニア大公領に生まれ、アメリカ独立戦争に参加し、ポーランド独立のためにロシアと戦った英雄。なにがなんだか。一般には「ポーランド・リトアニアの英雄」とされるが、ベラルーシも「うちの出身やで」と主張している。ベラルーシ人は特に民族意識が希薄なため、他に民族的英雄があまりいないようだ。 |
モルドバ | シュテファン三世(1433-1504) | モルドバ公国の公。その統治はモルドバの歴史上で最も繁栄した時代だとされる。またフニャディ、スカンデルベグ、ヴラドらと並ぶ「反オスマン」の英雄であり、特に「ヴァスルイの戦い」での大勝が名高い。ヴラド・ツェペシュとは従兄弟同士で、親友だったとも言う。 |
ロシア | アレクサンドル・ネフスキー(1220-1263) | ウラジーミル大公国の大公。モンゴル帝国に臣従しつつ直接的な被害を免れ、むしろ敵対していたスウェーデンを「ネヴァ河畔の戦い」で、ドイツ騎士団を「氷上の戦い」で打ち破って勇名を轟かせた。スターリンが独ソ戦の際に「かつてドイツを打ち破った」アレクサンドルを英雄として持ち上げたために有名になったとも。 |
アルバニア | スカンデルベグ(1405-1468) | オスマン帝国の支配下にあったアルバニアの軍司令官だったが、フニャディ・ヤーノシュの反乱を鎮圧するために差し向けられると、逆にフニャディに同調して造反し、オスマン軍をアルバニアから追い払って独立を達成した。 |
ギリシャ | アレクサンドロス三世 | 言わずと知れたアレクサンダー大王。大王の出生地が現在のギリシャにあるなど、古代マケドニア王国の大半はギリシャ領に含まれており、ギリシャは「マケドニア共和国はマケドニアと名乗るべきではない」と主張している。しかし地域としての「マケドニア」にマケドニア共和国が含まれるのも事実である。 |
マケドニア | アレクサンドロス三世 | 言わずと知れたアレクサンダー大王。現在、マケドニア共和国に住んでいるのはスラブ民族であり、古代ギリシャ人との血統的繋がりは無いとされる。しかし古代マケドニア王国はギリシャ人の国家だったものの、都市国家を形成せず、政治体制も異なるなど、アテネやスパルタにとっては「辺境」「蛮族」の感が強かった。 |
クロアチア | ヨシップ・イェラチッチ(1801-1859) | オーストリア帝国の支配下にあったハンガリーの、さらに支配下にあったクロアチアにおいて、クロアチア人たちの総督として独立を志向し、オーストリア皇帝の命でハンガリーの独立運動を鎮圧するなどした結果、一定の自治権を獲得した。独立運動の先駆者と評価されている。 |
セルビア | ミロシュ・オビリッチ(?-1389) | セルビア王国の騎士。セルビアがオスマン帝国に惨敗したコソボの戦いの後、オビリッチは寝返ったふりをしてオスマン帝国の皇帝・ムラト一世に近づき、そして刺殺した。コソボの戦いで戦死した王や騎士たちは後世英雄とされ、多く叙事詩の題材となったが、オビリッチもまたさまざまな伝説の主人公となった。そらこんなんおったらオーストリアの皇太子も暗殺するわな。 |
ブルガリア | ワシル・レフスキ(1837-1873) | 革命家。オスマン帝国の統治下にあったブルガリアの独立を目指して、国内に革命組織のネットワークを作り、外国の武力によらない独立を構想したが、オスマン帝国によって拘束され、処刑された。 |
ボスニア・ヘルツェゴビナ | クリン(?-1204) | ボスニアの「バン(首長)」。もとは東ローマ帝国に属していたが、セルビアのステファン・ネマニャと共に離反し、ハンガリー王国の庇護を得つつ、実質的な独立を果たした。彼の統治のもと、ボスニアの文化・民族の土台が築かれ、いまなおボスニアの歴史上で最も平和で繁栄した時代と称される。 |
モンテネグロ | ペタル二世ペトロビッチ・ニェゴシュ(1813-1851) | モンテネグロの君主。国家の近代化に貢献し、オスマン帝国との軍事衝突を凌いだ。しかしそれよりも大きいのは詩人としての名声で、彼がものした叙事詩はモンテネグロの文学史上の傑作と目されている。いくつかは日本語訳もされているらしい。 |
ルーマニア | ミハイ勇敢公(1558-1601) | ワラキア公。オスマン帝国と敵対し、「カルガレニの戦い」でこれに大勝した。また、トランシルヴァニア、モルダヴィアを併合し、ルーマニアの統一を一時的にでも成し遂げたが、その翌年に暗殺されてしまった。 |
アルメニア | ヴァルダン・マミコニアン(387-451) | アルメニアの貴族。アルメニアを支配していたササン朝ペルシャによるゾロアスター教の強制改宗に反発し、寡兵ながらササン朝の大軍に立ち向かった。戦いには敗れ、ヴァルダンも戦死したものの、ササン朝は譲歩してアルメニアに宗教の自由を認めた。 |
アゼルバイジャン | イスマーイール一世(1487-1524) | サファヴィー朝の建国者。サファヴィーとは教団の名前で、その狂信者を兵士としたイスマーイールの神憑り的な軍事能力によって勢力を拡大したが、「チャルディラーンの戦い」でオスマン帝国に敗れ、意気消沈して晩年を過ごした。ちなみに当時のアゼルバイジャンと現在のアゼルバイジャン共和国の領土はけっこうズレているらしい。 |
ジョージア | タマル(1160-1213) | ジョージア王国の女王。セルジューク朝の影響を排除して、ジョージア王国の最大版図を築き、文化的にも黄金期を現出した。中世グルジア文学の最高傑作『豹皮の騎士』はタマル女王に捧げられた長編叙事詩である。 |
女性専用車両はミソジニストが主張する様な男性差別ではなく、合理的な制度だ。「許される差別」ではない(そもそも差別という物は許されない)。しかしこの事を日本国内だけでなく、世界中の人々にもきちんと理解してもらえるのかというと不安が残る。
丁度この女性専用車両のトピックと同時期に、平昌五輪に関する様々なニュースが流れている。考えてみる良い機会だ。2年後の東京五輪の開催時、女性専用車両の存在に訪日外国人の方が戸惑う可能性はないだろうか。
東京周辺エリアでは、女性専用車両が複数の路線で運行されている。そのエリアで五輪が開催されるのだから、外国人観光客にもこの車両の必要性を理解してもらい、スムーズに乗客を運ぶ必要性が出てくる。
そこで世界中のどの国の人々でも、必要性を理解してもらえるような方法を考えてみた。
本題に入る前に、考える対象になっている問題が現実に起こる事かどうかも考えておく必要がある。
「訪日外国人に女性専用車両の必要性を説明する場面自体が、現実的に起こりえない。」つまり倫理的な判断を無理やり絡ませる非現実的な問題について、考える事自体が不適切という可能性もあるだろう。
例えば「トロッコ問題」を取り上げた以下のブログの議論では、非現実的な問題を出題するサンデル教授本人を殴るのが正解という解決策が示されている。
http://vergil.hateblo.jp/entry/2017/08/06/105035
仮に、今回考察する問題がトロッコ問題のように非現実的であれば、黙って私を殴るのが解決策となるかもしれない。
ネトウヨが散々大失敗大失敗と騒いでいた平昌五輪は、実際に国際情勢上の懸念事項や設営トラブルもあったが、結果的に成功裏に終わった。世界各国から選手だけでなく、沢山の観光客も訪れた。次は平昌五輪と地理的、文化的な条件も、開催時期も近い東京での五輪だ。しかも、一般的に冬季より夏季五輪の方が参加国が多くなる。そうなると平昌五輪と同じかそれ以上に、人数も多様性も上回る外国人が訪れると想定する事は現実的だろう。
更に、女性専用車両の運行時間には、多数の外国人観光客が電車で都内を移動するだろう。そして、女性専用車両の存在に不慣れな地域から来る人も多数含まれるだろう。事前にトラブルの回避策を考えておく事は、十分現実的な課題だ。
東京五輪の計画自体を頓挫させる事で、訪日外国人の数を抑制するという手段も存在するだろうか?しかし、一度国際的合意をもって決定された五輪は実施されるのが通例であり(懸念事項のあった平昌五輪も無事行われた)、この手段の方が寧ろ非現実的だろう。
また、女性専用車両が必要になる背景事情として、東京の人口の過密さを挙げる人もいる。しかし、残り2年間で人口を分散させる現実的な手段も思い浮かばない。
そこで、この問題が現実的な課題であるという認識については、ここで合意をとっておきたい。その上で、いくつかの予想される場合ごとに、理解してもらう方法を考える。
イスラム諸国を中心に、女性専用車両が存在する国は他にもある。そうした国から来た人々には、「女性の権利を守るため」と伝えれば理解してもらえるだろう。
既に述べた通り、女性専用車両の扱いに不慣れな人々、そうした車両が制度として存在しない国も多い。しかしそうした国から来た観光客にも、必要性を理解してもらわなければいけない。一方で、世界には多様な文化や価値観があるため、全員に同じやり方で説明しても、理解してもらえるか怪しい。少しずつ条件を分け、できるだけその条件に沿った理解を促す事が必要だろう。
そこで有用だと考えられるのが、世界経済フォーラムのジェンダーギャップ指数だ。
http://www.huffingtonpost.jp/2017/11/01/nippon_a_23263093/
各国の男女が置かれている状況を比較することができる、国際的指標だ。これをもとに、順位が日本(2017年度は114位)より上の国々と下の国々に条件を分けて考えてみたい。
まず、順位が日本より下の国から来た人々には、自国よりも順位が上の国(日本)で実際に行われている、有力なジェンダー平等化制度の一つとして理解してもらうのが良いだろう。希望の範囲だが、自国での採用も検討してもらうのも良いかもしれない。
順位が上と一言で言っても、アイスランド(1位)、ルワンダ(4位)、フィリピン(10位)、イギリス(15位)、ボリビア(17位)、南アフリカ(19位)、アメリカ(49位)等、様々な文化圏の国が存在する。女性専用車両への強硬な反対論が影響力を持っているイギリス、以前に陸上競技のジェンダー問題で世論が揺れた南アフリカ、トランプ大統領を選出してしまったアメリカ等、個別の不安要素も存在する。
しかし、共通理解の助けとなる国際指標として、ジェンダーギャップ指数の日本の順位は皆さんの国よりも低迷している事を伝える。また、日本では実際に性犯罪や女性の被る不利益が深刻である事を合わせて伝え、この男女間の不均衡(権力勾配)を是正する措置として専用車両が必要である事を理解してもらうのが良いだろう。
どうしても個別に考えなければいけないのは、南アフリカやアメリカといった国々の黒人の方、中でも男性への説明だ。(「黒人」という表記には場合によって望ましくない含意がある事は私も理解しているが、「アフリカ系アメリカ人」と表記してしまうと南アフリカ人との混同が避けられない。また、両国で表現を揃える場合は「アフリカ系南アフリカ人」という論理的に整合性のとれない表現を使わねばならない。したがって、やむをえず「黒人」を用いる)。
なぜ南アフリカ人あるいはアメリカ人全般ではなく、黒人に限定しているか?彼らは「Whites only」といった看板を掲げる人種隔離政策がかつてとられていた国々で、隔離されていた側のマリノリティグループの人達だ。「Women only」といった女性専用車両の表記を見て、特別な感情を覚えてしまう可能性があるからだ。
それでも黒人女性であれば、自分が乗車可能なカテゴリーだと認識できるだろうが、黒人男性の場合は通常は乗ることができない。そのため「差別を受けた」という彼らの誤解を招きかねず、特別に理解を促す説明方法を考える必要がある。間違って専用車両に乗ってしまい、彼らが乗客に締め出されるような事態は何としても避けたいし、日本人が決して名誉白人ではない(差別などしていない)という姿勢も示さなければならない。
また、たびたびネトウヨやミソジニストは、「女性専用車両は白人専用車両と同じ差別」という雑な議論を展開する。両者が全く別の物である事を明確にするためにも、女性専用車両について黒人男性に理解してもらう方法を丁寧に議論する事は大切だ。
「Women only」とは書いてあるが、「Whites only」の様に(彼らの想像する様な)排他的な中身ではなく、障がい者や高齢者、幼児といった社会的弱者であれば、男性でも乗れる事を伝えるのが良いだろう。例えば世界的な有名人として、南アフリカにはパラリンピック陸上競技のピストリウス選手(両足が義足)がいる。彼の様な身体障がいがある男性も、女性専用車両には乗る事ができると伝えるのが分かりやすいだろう。
特にアメリカの黒人の方には、アメリカの多くの大学入試基準で採用されているアファーマティブアクション制度に例えて説明するのが良いだろう。アファーマティブアクションの必要性、そしてマイノリティの地位向上に対する有効性については、既に社会的議論が尽くされており、比較的スムーズに受け入れられるだろう。
現時点では私の知識不足により、アメリカのパラリンピック選手、南アフリカのアファーマティブアクション制度等の具体例を思いつかなかった。実務的には各国の有名な事例を事前に調べておき、観光客の出身国に合わせた例で説明するのが良いだろう。
最後に、男女別に分かれているトイレや風呂に例えて説明する方法もとれないか検討した。しかし、これは「なぜ車両は男女で半々になっていない?」「既に男性がいるトイレや風呂に後から入ってくる女性なんかいるか?」といった問いに答えにくくなるため、断念した。
私は男だけど、女性専用車両には賛成。
痴漢被害が酷いというのは聞いているし(リアル知人とはそういう話をしたことはないけど、ネット上で上げられる声を聞いてると酷いというのがわかる)、トラウマになって女性専用車両しか利用できない状況に追い込まれる人がいるのも知ってる。
女性専用車両には今後も(気づかずに、あるいは忘れてうっかり乗っちゃった、とかはあるかもしれないけど、少なくとも意図的には)乗るつもりはないし、わざわざ乗り込んで反対運動やってる連中は頭おかしいんじゃねーのと思う。周りを威圧するとか、クズすぎでしょ。
痴漢という犯罪がなかなか撲滅されない現在において、女性専用車両という解決には一定の合理性があり、それで救われる人が大勢いるのなら、私はそれに反対しない。敢えて乗車して、トラウマ抱えてる人を怯えさせようとも思わない。
犯罪者の多くがその属性を持っていることを理由に、ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す行為は、差別だよね?
差別だとみんなが合意してるなら何も言うことはない。現状、男性が社会的に権力を持っている以上、この程度の差別は甘受すべきだという理屈もわかる。別の差別を漸減するためにより小さな差別は容認されるべきという主張もわかる。上で書いたように、私にはその差別に反対するつもりは特にない。
でも、「差別じゃない!」という主張が執拗に繰り返されるのはまったく意味がわからない。なんでそこを否定しようとするのか。差別だが必要悪である、でいいじゃん。多くの人(私も含む)はそれで納得するよ。なんでそこにこだわるの。上の「ある生得的な属性」に別の属性を代入してごらんよ。大問題でしょうが。男性が社会的には強者であるからこの程度は仕方ない、ってだけで、本質的には差別でしかないでしょ。
「差別である」という前提を共有できないなら、それは差別であると主張し差別解消のために強硬手段を採る運動にも一定の正義はあると見做さざるを得ない。
murasakizaru 事故が頻発してる道路をやむなく私有地にはみ出して通る人に「不法侵入ではあるよね?私は刑法犯ですって認めろよ、言えよ犯罪者」と迫る意味は?意図は?痴漢の利益の為に惜しみ無く情熱を注ぐ連中。
そもそも住居侵入だと思ってない人が大勢いるみたいだから、それが形式上は住居侵入にあたるよね、という指摘は必要では。
underd 「間違いなくその属性自体に起因する問題があるケース」は差別って呼称が妥当なのか議論の余地があると思う。そしてその状況では強硬手段に正義ありと見做さざるを得ない、とは思わない
痴漢って男性という属性に起因する問題なのか。知らなかった。痴漢を排除することはまったく問題にしておらず、痴漢をしていない多くの男性を排除することを差別的な扱いだと主張しているんだけどな。そして、その差別を是認するとも書いているよね。この差別には正当な理由があるから是認する、と言っているのに、差別じゃない! と言われるのは本当に困惑する。そう言われたらこっちも「これは差別ですよね」と言い続けるほかないわな。
shima2tiger だから何?女たちは男性を差別した上で安全な場所を得ているんだから、申し訳ないと思えってこと?性犯罪から身を守るためにそこまで卑屈にならなきゃいけないの?
差別は絶対悪であり、その構造の受益者はすまなそうにしているべきだという前提に立つなら、申し訳ないと思うべきなのでは。差別は時に必要であり、その受益者も堂々としていて良い、と思うなら堂々としていればいいんじゃないの。私は差別だとは言ったけど申し訳なく思えなんて言ってないよ。
nennoyuraku “ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す←シェルターとして女性車両を用意することがこれだとは到底考えられない。事業者が妥当な目的のため女性向けとした場所は公共の領域じゃないでしょ
すごい! 公共交通機関がその一部を「○○限定」にすれば公共の領域じゃなくなるんだ! その調子で日本人専用車両とかも作っていこうな。
sand_land 専用車は優遇=男性差別って認識なら少しズレてる。専用車=空いてて快適とは限らん。性犯罪被害遭遇率が下がる以外はほぼ普通車両と同じ。更にその性犯罪は尻に触る程度じゃない。下着やそれ以上弄るとか普通よ。
私は「性別を根拠にして犯罪者と同じ性別に属することを根拠として公共の空間への立ち入りが制限されるのは差別である」と主張しているのであって、「女性専用車両は女性優遇のVIP車両! ずるいずるい!」なんて言ってないし、性犯罪の深刻さも否定してないよね? そういう主張をする反対派がいることは事実だけど、少なくとも私はそんな主張をしていない。
その時は「あらゆる差別は悪であり即時廃絶すべきだ」派と闘えばいいのでは。私はこういう事情があるならこの差別は現状しゃーないな、って思うけど、どんな理由があっても差別を許せないひとというのは一定数いるので、頑強な反対派ってのは出てくるかもしれない。でもそれを防ごうとして「これは差別じゃない」と主張するなら、こちらも「いやこれは差別ですよね」と言わざるを得ないわけで。
kutabirehateko 日本での性暴力発生率は通勤通学時の交通公共機関が群を抜いて多い。避難所を利用しなければ通学も通勤もできない女性のハンディを無視することこそ差別だ。
「性暴力からの避難車両」なら差別じゃないんじゃない? 男女を問わず、性暴力に遭うことを恐れるひとであれば誰でも乗れる。結果として乗客が女性だらけになったとしても、当然それは差別ではない。仮にこういう運用がなされるなら私は差別だとは主張しないよ。もちろんその場合、過去に痴漢された経験のある男性も乗れるわけだけど、これは制度の趣旨からいって当たり前だよね。
それじゃ嘘をついて乗ってくる男性がいるかもしれないという懸念もあるかもしれないけど、痴漢されやすい外見などというものはなく、性暴力被害者を服装や外見で見分けることはできないのだから、それは仕方ないんじゃないの。
shin2rou アファーマティブアクションは差別ではないでしょう。どうしてそこのこだわるのかマジ意味不明。
アファーマティヴ・アクションはマイノリティを大学入学や昇進などの審査において「優遇」するという施策なんで、女性専用車両はアファーマティヴ・アクションだから差別じゃないって言ってるひとたちは「女性専用車両は、女性を優遇する車両である」と主張しているってことになるけど、本当にそれでいいんですかね。
ところでもちろんアファーマティヴ・アクションもやりようによっては違法な差別になりえるわけだが。カリフォルニア大学評議会対バッキ事件(Regents of the University of California v. Bakke)では、アファーマティヴ・アクションのせいで入学できなかったと訴えた白人学生が勝訴して入学してる。アファーマティヴ・アクションだから差別ではない、って、お前アファーマティヴ・アクションって言いたいだけやろ。
mionosuke 「区別」じゃね? 性的な嫌がらせを行いうる人達という区別が、男性か女性かで分けられたのだから。「差別」だとすると、差別をされたという被害者意識が生じる。
被害経験の有無とか性犯罪歴の有無とかで区切るなら(人権問題ではあるかもしれないけど)差別じゃないけど、一律に性別で区切ったらそれは差別に決まってるじゃん……。確かにいちばん多いのは男性→女性への性犯罪で、最も対策にリソース割くべきなのはそれだけど、男性→男性,女性→男性,女性→女性の性犯罪だってあるわけで。
kincity 巷に溢れる女性差別に対しては「他人の人権が毀損されても興味ありません」が「自分が差別されるのは実害なくとも1ミリも許せません」という人権意識の人らとは差別の定義が違うのだろうで、そこ争って何になるの?
この増田では書いてないだけで、私は選択的夫婦別姓賛成、女性の再婚禁止期間反対、婚姻適齢の18歳への統一賛成、プロチョイス、性犯罪の厳罰化賛成派ですが何か。
zyzy その理屈だと「黒人が白人追い出して独立国家作ったアフリカの国々も差別」って話になる。これ書くと「くにはさべつとかいったきちがいがぁ」ってのが沸くけど、それなら女性専用車両を差別というのもきちがいなだけ
ジンバブエのムガベ大統領が白人農場主の土地を没収した時は非難轟々で経済制裁までされたじゃないですか! やだー!
というか真面目な話、独立する時に白人を追い出したアフリカの国ってどれぐらいあるの? 私はアフリカ史には詳しくないんで教えてほしい。確かボツワナのセレツェ・カーマは白人との共存政策掲げてたし、ローデシアがジンバブエに変わった時も白人は追い出されてないし、南アフリカでアパルトヘイトが終わった後も白人は追放されてないよな。
そもそも、ある民族の独立国家を作るに際して特定の民族集団を追い出す行為は「民族浄化(ethnic cleansing)」という人道に対する罪なんだが。旧支配者層だから追い出していいってどこの国際法に書いてあるんですかね。コソボ建国に際して旧支配者層であるセルビア人への迫害を行ったアルバニア人指揮官は普通に戦犯法廷に訴追されてるし、ツチ族が植民地時代は優遇されてたっていう理由はフツ族による迫害の免罪符にはならんよな。女性の権利を重視する人がまさか民族浄化を肯定するとは思わなかった……
totoronoki この問題ってどこに着地したくて声を上げてるのかわからない人ばかりなんだよな。相手の論理的矛盾を指摘するのが楽しいだけなの? 男性専用車両が設置されれば差別問題は解消するよね?
「差別であることを否定するな」っていう着地点、そんなにわかりにくい? 「差別だけど必要悪だよね」が多数意見ならいちいち「これは差別だ!」なんて言わないよ。「差別じゃない」って強弁するひとがいるから「差別です」って言ってるだけ。あと男性専用車両も差別だよ……
sdtrd 差別だから廃止しろって強硬な主張と行動を行ってる集団が実際にいる状況で差別だと認めろって言われてもな。認めたら廃止しろって迫るんだろって思う程度にはネット上の男を信用してない。
運動上の都合で差別か差別じゃないかが決まるんだ……(困惑)。運動の都合で差別の定義を変えていたら、お前らの主張する「差別」なんてどうせ都合のいい定義なんだろそんなん信用できるかって思われても仕方ないのでは。どういう連中がいようが差別は差別、そのうえで容認できる差別かそうでないかを論ずるべきでしょうに。
tikani_nemuru_M 増田も結論部で「不当な差別」と「許容せざるを得ない差別」を分けている。ならば、前者を「差別」後者を「差別ではない」と言ったほうがシンプルで、子供にも説明しやすいだろう。よって増田の主張は不適当。
でも、それだとその2つが連続的な、同質な行為だということが理解できなくならない? 私は、子供に「男性の痴漢が多いから男性の入れない女性専用車両がある。これは差別ではない」と、「○○人の犯罪者が多いからといって○○人を排斥しようとするのは、不当な差別だ」ってどう違うの? って聞かれたら答えに詰まると思う。だってどっちも、一握りの犯罪者をもとにある集団を推し量る、っていう同じ行為じゃない。だったら、どちらも差別と認めた上で、差別を漸減させていくために何が必要かって話にした方がいいんじゃないの?
それに、2つを別々の言葉で扱うことは、片方を「あって当然で、解消しなくていいものだ」と捉えることにもなる。そうじゃない。痴漢が撲滅され、女性が何の不安も感じずに電車に乗る日が来るなら、女性専用車両なんて必要ない。それはあくまで、日常的な性暴力の脅威に対抗するために、やむを得ず認められている差別にすぎないんだ。それは差別と認識されるべきだ。いつかその存在が正当化されなくなる日が、目標にされるべきだ。私はそう思う。
というか、「自衛隊は暴力装置」発言が炎上したときは、「自衛隊の振るう力とヤクザの振るう力に根源的な違いはなく、また暴力装置であると指摘することは自衛隊員での侮辱ではなく、暴力装置と認めた上でどう統制するかが重要」というのが良識派の意見ってことになってたよね……? その見解を支持するリベラル派としては、何で同じ理屈が認められないのか本当に理解に苦しむ。
hyoutenka20 女性専用車両まで「差別」という範囲を広げるなら、今後一貫してその主張を通してもらい、ネットにあふれる民族差別や女性差別的発言にも是非戦ってもらいたい その前提の上なら「差別」とする人の考え方は理解する
増田だからなんの証拠も出せないけど、戦ってきたよ。民族差別にも女性差別にもセクマイ差別にも(はてブやはてダで)NOと言ってきたよ。その上で言うよ。これは(罪が無いかあるいは軽いだけで)差別だって。
keytracker こんな相手を不快にさせる事してたら、さらに溝が深まるだけだろ。こんな屁理屈捏ねるなら法で縛るようになるだけ。差別だと思うなら、信用されるように行動すべきじゃないのか?日系人はそうやって信用勝ち取った
日系人がどれだけ怠惰で鼻持ちならない連中であったとしても日系人排斥や日系人強制収容や排日移民法は差別でしょ……まさか女性の権利を主張する人が差別される側に努力を求めることを肯定するとは思わなかった。
ueno_neco これまで「差別」という言葉は部落差別とか黒人差別のように使われてきたわけで、それらと並列の表現をするのに違和感あって当然でしょ…。女性専用車設置理由は痴漢であって、女性による男性差別じゃないでしょ…。
でもやってることは同じだよね、というのが指摘の趣旨だよ。「○○出身者は犯罪率も高くて危ないから○○出身者は(犯罪歴の有無にかかわらず)入社させないようにしよう」が差別なら、「痴漢の多くは男性なのだから男性を(痴漢だろうがそうでなかろうが)特定の車両に乗せないようにしよう」も差別でしょ。
もちろん、これは「○○出身者はなんか汚らわしいから嫌い」「○○人は劣った民族だから排斥すべき」とは違った行為だ。そういった偏見のみを「差別」と呼ぶのなら、確かに女性専用車両は差別ではない。ただしその場合、「女性は中途退社する割合が有意に男性よりも高いので、女性を管理職候補にはしません」も差別ではない、ということになってしまうが、本当にそれでいいのか。私はそれは不当な差別だと思うし、それを差別ではないとする主張は詭弁だと判断するが。
ところで、私は「女性による男性差別」とは一言も言ってないような。当然この場合、差別の主体は鉄道会社であって、女性客ではないよね。
痴漢被害に遭遇したことのない女性あるいは傍観者だった女性(あくまで仮定上の存在ね)が入れて、痴漢被害者の男性が入れないのは、被害への措置として不適当だよね。上で書いたけど、被害に遭った/遭うことを恐れるひとなら性別を問わず誰でも乗れる、そのかわり女性でもそんな恐怖を感じていなければ乗れない、なら差別と言うつもりはない。
あと、救済措置であることと差別であることは矛盾しないよね。救済という大義のための必要悪として差別を許容するという趣旨の文にそんなブクマされても……
「犯罪率が高い集団の成員をまとめて排除するのは差別じゃない」という論理は、たとえば歴史的に差別されてきた結果として犯罪に手を染めることが他の地域の人よりも多くなってしまった地域の人を差別することにつながる。「私企業なんだから別に勝手に『女性専用』を設定していいだろ」という理屈は、私企業が「日本人専用」や「○○人お断り」をすることを許容してしまう。「これは差別ではない、区別だ!」という言い方は、女性が不利益を受けたときに「でもこれは区別だから」で済ませる余地を与えてしまう。
(※地下猫さんの指摘を受けて訂正。この部分は、あくまで「犯罪者の多くがその属性を持っていることを理由に、ある生得的な属性を持っている人の多くを公共の領域から締め出す行為」であることを前提に、それは私企業の行為だからとか区別だとかいう反論が来ることを想定して、その理屈はだめでしょ、と言ったつもりだった。言葉足らずで申し訳ない。ここは誤解されてもやむなし)
それらは不当な差別だ。でも、不当な差別と現今の環境下では許容せざるを得ない差別は、外形上区別できない。だったら、変な理屈をこねて後者を「差別じゃない!」と言い繕うべきじゃない。それは前者をも免罪してしまう。
加えて、差別が差別であると認識されていない状況はそれ自体が不正義であるから、というのもある。「○○は単なる区別だから、差別じゃないよね~」という言辞に、どれだけの被差別者が苦しめられてきたか。そんな言い分を許さないことは、正義への一里塚だよ。
アフリカやアジア諸国のような開発途上国に資本が投入されて先進国化が進む一方で、現在の先進国でアメリカのような1対99化が進むのなら、それはそれで民主主義を踏まえつつ個々人の能力も正当に評価した結果できた社会なのだから、まさしく人間が望んだ社会の体制となるのかもしれないけれども、一方であまり評価されずに消えてゆくのかもしれないと思う人間としてはどうなのだろうかとも思うわけですよ
業績については「研究者としての実績」に絞ってとりあげた。ただ文系若手研究者増田とは、「研究」の捉え方自体が随分違うようだな。
文系でも同じですが。研究という営みの本質は文系も理系も変わらんでしょ。お作法がかけ離れているから相互理解が難しい局面があるだけで。一部の理系研究者の「お前ら文系は研究とは何なのか正しく理解していないのかもしれないが~」みたいなナチュラルな上から目線はほんと何なの?(あと、仮に百歩譲って理系と文系で「研究」の本質がまるで違っていたとして、なんで問答無用で理系の方が標準的であり正しいものなのだと思えるの?)
もちろん理系でもレビューや著書を書く人もいるが、それを皆がありがたく読むのはその人が最前線で研究をしていることが前提だ。
いや、レビューがオリジナルな研究業績じゃないってのはその通りだけど、著書はオリジナルな研究業績(でありうる)っしょ? 何度も言うけど三浦瑠麗の論文や著書は読んでないので、どのくらいオリジナリティがあるのかは知らない。ただ文系では研究書は立派なオリジナルの研究成果だ。博士論文の書籍化なんてその典型。もちろん一般向けの本とかを書くひともいて、一般向けと専門向けの中間みたいなレーベル(典型的には講談社選書メチエみたいなやつね。パンピー向けの概説書とガチのオリジナルな研究成果が混在してる)もあるから、そこにはグラデーションがあるわけだけど、著書がオリジナルな研究成果じゃないというのは不当な言いがかりでは。
ひょっとして文系の研究書とか見たことなくてどんなことが書いてあるかイメージ湧かない?(いや別に異分野の研究書を読んだことないのは悪いことじゃないけど、実物を知りもせずにイメージだけで語っていいんですかね、「理系」ってのはずいぶんと気楽なもんだ、と嫌味のひとつも言いたくなる)
だから、私そこは否定してないよね? 三浦瑠麗個人の研究者としての資質をあげつらうならどうぞご自由に。私だって彼女が政治学者として素晴らしいなんて微塵も思ってないし、私の知ってる(まっとうな)政治学者で彼女を学者として評価してる人なんて見たことない。でも和文は業績じゃないかのように扱うのはやめてね、っていうのが私の指摘の趣旨ですよ。彼女の雑誌に書いた文章が全部レビューだってのは、ブコメでkyo_juさんが指摘したことであって、元増田は最初「和文しかない」ことを問題にしていたよね? そう言われたらそりゃ「和文でも立派な業績になりうる」と反論するに決まってるでしょ。「言語を問わず、レビューしか書いてないなんて研究者とはいえない!」という主張ならなんの異議もなかったよ。
いずれにせよテレビの研究者枠にはもっと実績積んでバリバリ研究している(あるいは過去にした)人を呼んだらどうかという話にはなる。
そこに関しても私はまったく否定してないよね。和文論文は研究業績であり、また共著が研究業績としてカウントされないことは不当である、と言ったけど、三浦瑠麗の業績が学振PDや東大講師、あるいはテレビの出演者にふさわしい立派なものである、とは一言も言ってない。あんなのを東大講師にするなら私の先輩たちに職を用意してやってくれよ、と思うし、テレビに出ずっぱりの「学者」がマトモな学者だった試しなんて滅多にないよね、とも思うけど、そんなの私や「文系」あるいは「政治学者」に言われても知らんわ。東大の人事は東大の問題だし、テレビがロクに論文書いてない若手を連れてきて「社会学者」や「政治学者」としてチヤホヤするのはテレビの問題、言論人として活動してる人を肩書だけ見て研究者と誤認するのは視聴者のリテラシーの問題でしょ。理系の学位や肩書がそういう怪しげなショーバイに一切利用されてないってんならともかく、現実には医学博士号を利用してニセ科学撒き散らしてるひととかいるよね。アカデミアが自由で開放的な性格を維持していく上では、アカデミアのハクを利用してそういうことをする人たちが出てくるのはどうしても避けられないんじゃね、って私は思うけど(まあ、アカデミアでは全然相手にされてませんよ、と表明する責務くらいはあるかもしれないけど、それはもう色んなひとがやってるよね)。
文系増田は日本の研究者の日本語論文が読まれないことの解決策として日本語論文の良さを英語論文内の引用でアピールするという案を提案しているが、理系から見たら不効率極まりない。一つの研究分野に標準言語がいっぱいあったら世界中の学者が言語習得に苦労するだろう。
うんだから、文系の研究者が色んな外国語を勉強してるのはそういう事情があるわけ。たとえば西洋古代史を研究するんなら、まあ英語に加えてフランス語とドイツ語の研究文献を読めないと話にならんわなぁ。一つの研究分野に標準言語がいくつかあるのは文系だと割と普通で(古代や中世に関する研究だと権威ある学術言語がいくつもあってどれかひとつに決められなかったりするし、複数国にまたがる地域や事例を対象にしている場合なんかは一意に定めることが不可能なのは流石にわかってくれるよね?)、その中で日本語の地位が低いことをどう捉えるか、だよねぇ。
これに関して、日本語を諦めて別の言語で書くべきだ派と、日本語の地位を高めていくべきだ派と、日本のアカデミアを最優先に考える派(これが実のところ多数派だろうねえ)がいるんだなと私はぼんやり思ってる。私が見ている範囲では、現代日本の文系研究者の多様性は、アメリカやイギリスほどじゃないにせよフランスやドイツやロシアとは肩を並べられる水準にあるんじゃないかな。日本史や英文学からアフリカの人類学、オセアニアの少数言語、中央アジアの歴史、とあちこちの分野に手を伸ばしていて、アメリカ人やフランス人やドイツ人がそうできるように、自分たちの言語でそれらの分野の最先端の研究成果を手にすることができる。東アジアや中央アジアからは、自国のことを研究するために日本に来て日本語で博論を書いて自国で教授になるひともいるんだよ。これは、欧米人が読めない・読もうとしないってだけで捨て去るには勿体無い環境だと私は思うけども。
もちろん、日本研究を専門としていない欧米人に日本語をわざわざ読ませるのは難しいだろうけど、たとえば日本の論文につけられた欧文要旨なら彼らは読めるし、和文で書いたものを翻訳して欧米人にも読めるようにしている研究者だっている。どうやら俺らには読めないがチェックすべき先行研究が日本にはたくさんあるようだ、と彼らが認知すれば、いずれ彼らの側から、じゃあ日本語読めるやつに翻訳してもらおうとか、そういう話が出てくるかもしれないし、せめて「読んでないけどこういう先行研究があるらしい」と書かれるようになるかもしれない(これは重要なことだよ。「気づかれない」と「読まれない」はぜんぜん違うんだから。この辺はウンベルト・エーコが書いてたな)。地位向上って、そういう積み重ねの上に成り立つものだと思うんだよね。
こういうプロセスって、文系だけじゃなくて理系にもあるよね。たとえば、優れた魚類学の論文はアメリカ人が日本語を翻訳してまで読みたがったとか、和文論文をチェックしなかったせいでアメリカ人が大損こいたとか(http://shinka3.exblog.jp/8059554/)。それに英語が標準言語になったのは、せいぜいがここ半世紀程度の流れにすぎない。その前はドイツ語とかフランス語とかロシア語とかも有力言語だったけど(たとえば、ちょっと前にサザエの新種記載がされたときは、18世紀のフランス語の本が引用されてたよね→https://www.okayama-u.ac.jp/tp/release/release_id468.html)、英語が頭角を現してきて残りの言語は標準言語とは見なされなくなっただけで、別に昔からずっと英語が標準言語だと決まっているわけじゃないし、今後もそうなるとは誰にもいえない(数十年したら欧米人が中国語で作文するようになるかもね。そうなったら英文業績しかない人が「中文で論文を書いてないなんて!」と馬鹿にされたりするのかな)。日本産の動物種の研究だと英語論文に和文論文が引用されてるのもちょくちょく見るし(網羅的にたくさん読んでるわけじゃないので、私の錯覚だったらごめん)、標準言語が統一されてないとダメだ! というのは近視眼的見方だと思うけどなぁ。
いくら書いても読まれないんじゃ意味がない、という元増田の感覚はわかるんだよ。というかそれは文系の研究者にとっても当然のことだと思う(そりゃ全員が意識高いわけじゃないけど、それは文理問わずだよね)。繰り返すけど最近の若手研究者には外国語で積極的に発信しているひとが大勢いる。ただ、日本国民1億人が最先端の研究成果を自分たちの言語で読めて、どんな地域の研究だって自分たちの言語で遂行できる、という環境が、無意味なこととは私は思えない。増田は、日本にまつわるテーマなら標準言語が日本語でもいいんじゃないか、と言った(これは良い感覚だと思うので大事にしてほしい)。でもたとえば、ツキノワグマの研究はホッキョクグマやマレーグマの研究と繋がっているよね。日本史を研究する上で西洋史で探究されてきた研究モデルや概念が意味を持つことだってある。国文学だって世界文学の中に位置づけられる必要があるだろう。外国の政治についてなんの情報もなしに、自国の政治改革ができるだろうか? 外国の失敗や成功についてしっかり学ぶためのツールは必要なんじゃないか? ジャーナリストや政治家が欧州統合やアフリカ経済やアメリカ大統領選について勉強しようと思ったときに、日本のEU研究者やアフリカ研究者やアメリカ政治研究者がみんな英語で論文を書いていて、日本語にはあっさりした概説書しかない、というんじゃ、不便じゃないのかな。そういう意味で、日本語による研究発表は、世界で読まれていないのだとしても、社会貢献としての意義はけして小さくない、と私は信じてるよ。
香川の高松生まれ。30年近く前から実家で恵方巻きは食べてた。
特段楽しい思い出というわけではないけど、家族のそこそこ幸せな思い出ではある。
だから、ネットで「怪しい風習」とか「下品な花街の遊び」とか「恵方巻き”なんか”食べない」とか見るとつらい。
http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/kotahatachi/hoku-hoku-sei
※タイトルの悪意がヒドイ…
地域によっては、企業のゴリ押しが嫌っていうのはわかる。だから「ゴリ押しやめろ!」は別にそういうもんだよねと理解できる。
でも、「下品」とか「怪しい」とか「なんか」とかはやめてよ。
普通に根付いてる風習だし、一部地域では伝統行事だし、それを「下品」だ「怪しい」言うのは、昔のヨーロッパからアフリカへの蔑視となんら変わらないの失礼な行為じゃないの?
そっとしておいて…
チャップリンは、自分の映画の出演女優ミルドレッド・ハリス(16歳)に手を出し妊娠させたというスキャンダルが発覚し、急遽できちゃった結婚をしたが、この妊娠話自体が狂言であった。
次の結婚も、自分の映画の出演女優リタ・グレイ(16歳)に手を出し、本当に妊娠させての出来婚である。
好きになったら年齢は関係ない!
#ロリコン
#禁断の愛
#許されざる恋
#純愛
日本人の体格は江戸時代の後期が最も身長が小さく成人男性平均が150cmだったが、戦後の栄養状態改善で体格は大型化した。これに伴い思春期も早期に発現するようになり、女子は初経年齢つまり性成熟の時期も早期化した。
つまり13歳くらいで結婚していた昔の方が、未熟な子供に欲情していた。
「心を開こう、誰にでも」
必ず両想いになれるなんてことはない。というかむしろ、両想いになれる確率の方が少ない。でもいいじゃない。好きだって。https://twitter.com/ren_i_bot/status/817637053294788608
誰だって、好きな人のことを幸せにしたいって思ってるんじゃないかな。
https://twitter.com/ren_i_bot/status/817788049253765120
君は君らしく生きていく自由があるんだ
#大人たちに支配されるな
誰かと違うことになにを躊躇うのだろう行動をしなければNOと伝わらない
NOと言いなよ
「nudist」をGoogle先生に聞いてみると、けっこう若い女性とか老若男女の裸体を見つけてきてくれるぞ!
nudistは楽しく爽やかなことなので、児童虐待等に当てはまる訳が無いと、児童ポルノには厳しいGoogle先生も公認だぞ!
ヌーディストって基本的にエロではありません。小さな子供連れでヌーディストビーチに来て開放感を楽しむ方も多いです。
子供も映ってるヌーディストのビデオってヌーディスト団体自らが販売していて、欧米では文化として合法になっています。
「メイジーの瞳」という映画らしいです。
素敵ですね。
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Youにゴチュウサの絵を踏ませ、踏んだら児童虐待者として逮捕し、踏まなかったら児童ポルノ愛好者として逮捕だっ!!
#ロリコン
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子供時代にレイプ被害にあったある女性は「子供に対する性暴行事件を起こすのはポルノではない。ポルノの有無にかかわらず、そのような嗜好を持つ人が犯罪を行う。当局はインターネット監視をやめて、外に出て本物の犯罪者を捕まえるべきだ」と述べた。出世目的の警官が効率よく偽犯罪者を捕まえる
韓国のアチョン法でマンガアニメが児童ポルノ扱いされるようになって
2012年に韓国警察が児童性犯罪に関連して捜査に着手した事件は2224件
漫画規制が盛り込まれる前に比べて22倍に増えた。捜査対象者の相当数が学生や女性である。
明治16年福岡県統計書の現住結婚者年齢ノ對照(国立国会図書館デジタルコレクション p.51)
妻年齢15歳未満と夫年齢18歳以上は564組
妻年齢15-17歳と夫年齢18歳以上は1428組
妻年齢18歳以上と夫年齢18歳未満は101組
夫婦共に18歳未満は697組
全7072組
2011年に日本性教育協会が全国の7682人の学生にアンケート調査したところ
が性交経験済みという結果になった。
性的同意年齢は13歳ですが、性行為は青少年保護育成条例で禁止されています。
これって逆に言えば青少年は管理されないと自己判断は全て信用できない。と言われてるわけで、
まあ騙したり脅したりする大人は100%悪いのですが。
セーラームーンは、日本でも海外でも女の子から大人気のアニメですが、
主人公のセーラームーンの正体は中学2年生で、恋仲のタキシード仮面の正体は大学生です。
#ロリコン
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http://masterbiero.blog.fc2.com/blog-entry-9.html
l o l i-con光源氏の完成だ!
#年号
光源氏18歳の時に、9歳ぐらいの美少女を見つけて連れ帰り、理想の女性に育て上げつつ添い寝をして暮らしていたが、5年後に性行為におよんだ。
ピュリツァー賞の写真を「児童ポルノ」として削除 Facebookが検閲撤回へ
#ロリコン
http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/10/kiddie-porn_n_11946664.html
#ロリコン
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小 ( ゚д゚) 吾り
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( ゚д゚) 小五ロり
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現代でも一部のポリネシア社会では12歳を過ぎると性行為の同意能力があるとみなされ、多くの女性が12歳から15歳の間に初出産を経験するという伝統が受け継がれている
常に妊娠出産を繰り返し、初潮を経験しない者も少なくない
割合は少ないけど、おじさん好きの女子中高生もいるんですよ。
ロリコンを犯罪者予備軍として差別することは、彼女たちも犯罪者予備軍として差別することにもなります。
昔は15歳ともなれば世界中で大人として扱われ、結婚することができた。
15歳の人とのセックスはダメ!犯罪!ということに世界中でなったのは、ここ20~30年の間の変化である。
#ロリコン
20~30年前の日本では、オカマはキモいやつ、ロリコンは若い子好きのスケベ、小児性愛者は変態という扱いだった。
今やオカマは社会的に配慮されるべき健常者に格上げされ、ロリコンや小児性愛者は犯罪者予備軍に格下げである。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
しかし、全ての自分の嫌いなものを法律で縛るという考え方は間違っています
嫌いだからと法規制するのは、それを好きだと思う少数派の権利の侵害です
ゲイの友人がいたとしても、その人のいないところでホモネタで笑ってたら「寛容」とは言えない。
小児性愛者の友人がいたとしたら、「寛容」に接するのだろうか
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
安倍死ね→許される
フランスでは、1994年に実在する未成年者のポルノ写真の製造配布が禁止された(それ以前は児童ポルノは合法だった)
マルク・デュトルー事件をうけ1996年に仏マスコミはペドフィリアに対するモラルパニックに襲われ
児童ポルノの描画は1998年に、単純所持は2002年に禁止された
文化人類学者による無文字社会の民族研究では、女性の平均初婚年齢は15歳くらいである社会が多いことが明らかになっています。文明社会でいわゆるロリコンがタブー視されるようになってきたのは、高学歴化によって女性の社会的自立可能年齢が上昇したからです。
児童の合意を得たと言えるのはどのような条件か
等を議論すべき
この手の話題はキモイって言う人多いけど、現実で面と向かって言われたら「お前も○○な部分キモイじゃん」って100%反論できそう
キモイ部分は誰にでもある
ネットは、誰しも自分のキモイ部分には目を瞑り、他者をキモイと呼ぶことで対照的に自分はキモクないと言い聞かせられる
自戒を込めて
少子化の今、児童誘拐なんかの事件が多発している現代では子供の身が危惧されている。
かと言って世間では子供がちゃんと大切にされてるかと言えばそうでも無い。
親に大事にされない故に家出をして生きていく為に身を売っている子供さえいる。
近年、マスコミの取り扱いが変わった。同性愛の差別は許されないが、小児性愛を肯定することは決してない。マスコミが変われば社会的風潮として小児性愛は叩かれる。少し前まではマイナージャンルとして存在していたけども、例の連続殺人のせいで、悪い意味で認知されて、その後はロリコン=犯罪者
虎舞竜の楽屋に来た14歳の三船美佳に、38歳だった高橋ジョージが一目惚れ。結婚を前提にした交際に発展したという。
交際を2年間続け、三船美佳の16歳の誕生日に結婚、結婚生活は18年続いた。
この当時の三船美佳には責任能力が無く、性的に蹂躙されたのだろうか?
大人と17歳の恋愛は犯罪者扱い、18歳以上ならエロい事し放題というのは確実に変
法的線引きは必要だろうが、18歳まで責任無能力なのは確実におかしい
刑法では14歳から、民法では小学校卒業から責任能力があるとされ、子供でも商売をし、親の許可無く運営資金の借金等は法律上認められる
小児性愛は、妊娠・出産に死の危険があるからダメっていう人は、
#ロリコン
宮沢は撮影前にはヌードの話を聞いていなかった、嫌だった思い出はひとつもない。と語った。
goo.gl/UyN3f9
小児性愛差別者は「差別や感情的な拒絶はダメだが私が嫌いな対象にはそれをやっても良い」という人が多い
1950年代、手塚治虫のロボット等の描写は、荒唐無稽なデタラメを描く子供の敵と非難され
明治中期、近年の子供は夏目漱石等の小説ばかりを読んで漢文を読まない、子供の危機だと言われた
未成熟な身体の女児に性的感情を抱くのがキモいと非難するのなら、
50代の妊娠不能な熟女に性的感情を抱くのもキモいと非難しなければならない。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
「人口増加に寄与しない」「生物として不自然」という人が責められるのだとしたら
「宗教に身を捧げて、生涯伴侶を持たない」っていう人も責められなければならない。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
それで慰められて犯罪が抑制されているという可能性は考えないのだろうか
それが有ることで犯罪が助長されるというなら、痴漢・強姦もののAVやヤクザ映画の方が問題では?
漫画なんて単なる線と点の描画だし、ドールもただの人形に過ぎない。
http://thailog.net/2016/04/08/340189/
「こんなものはあってはいけない。この人形で少女を愛する練習をして、実際の少女が欲しくなったらどうするんだ」という批判の声も上がる
格闘ゲームで練習して、実際に殴りたくなったらどうすんだ!
小児性愛者も、LGBTと同じように、カップルでデモ行進できるようになれば良いけど、同性愛よりは大人と子供はカップリングが難しい。
だから、小児性愛者はLGBTより性的マイノリティであり、性的欲求の解消が難しい者として配慮されるべきなんだ。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
小児性愛者は、相手が大人になると興味が無くなる期限付きの愛で無責任だという意見があるが、
多くの人は結婚をする気がない相手との恋愛を楽しむし、真実の愛があれば何でも乗り越えられる。
「ホモ=欲求のおもむくままに男を襲う犯罪者またはその予備軍」
と言ったら差別主義者だと言われる。
「ロリコン=欲求のおもむくままに少女を襲う犯罪者またはその予備軍」
という扱いは当たり前のように行われる。
これは差別だ。
#ロリコン
#LGBT
#セクマイ
ロリコンは、ロリコンであることを公言し、それは社会的に認められるべきだ。
もちろん、合意の無い性行為は、老若男女問わず犯罪であり許されないということは言うまでもない。
#ロリコン
27日にフジテレビで放送された「坂上探検隊」という番組が、今ネットで大炎上中だという。
http://news.livedoor.com/article/detail/14219432/
「ほんとに怖いのはチーターじゃなくてテレビ」視聴者が引くほど体を張った狩野英孝さん、着ぐるみでアフリカの動物に接触 #坂上探検隊
https://togetter.com/li/1193983
まあ、ツイッターでちょっと批判ツイートがあったくらいのことを、ネットニュースがいつものように大事に書き立てて世間を煽ったものの
ただ、ただこれだけは言わせてくれ。
「WILDBOYZ」について一切誰も触れていない!
いや、この「坂上探検隊」、やってることは「WILDBOYZ」そのままなんだよ。
「WILDBOYZ」とは、10年以上前にアメリカのMTVで放送されていたお笑い番組で、
アメリカのバカ二人が世界中の大自然を駆け巡って野生動物相手に危険なチャレンジをするという番組だ。
で、この「WILDBOYZ」の中で「坂上探検隊」で狩野がやっていたロケとまったく同じチャレンジをしている。
https://www.youtube.com/watch?v=sm4Xj_5bslg
なんか観客の「ヒュー!!」みたいな歓声が付け足されているのが気になるが(元番組にはこんな余計な音は無い)、
ほらね、まったく一緒でしょ!!
つまり、この「坂上探検隊」は日本版「WILDBOYZ」なのである。
やっている内容が完全に一致することから、「WILDBOYZ」を模範しているのは明白であり、
ワイルドボーイズのほうが10年以上も先!つまり、10年前のアメリカの番組を今更インスパイアしているのである。
「そんなん日本人スタッフが知る訳ねーよ」と言うやつもいそうだが、
なかでもカンニング竹山はWILDBOYZの大ファンであり、自身の出演番組で何度もオススメDVDとして紹介し、上記の動画を繰り返し放送した。
また、初代ニンテンドーDS発売時、日本では宇多田ヒカルがCMを担当したが
https://www.youtube.com/watch?v=sRD7Ha-78m0
つまり、日本のテレビ関係者がまさかWILDBOYZを知らない訳が無いのである。
これをパクリだ、などと攻め立てるつもりは毛頭ない。
こんな叩かれるのわかりきってる企画を今の時代にカネかけて地上はゴールデンでやりきった気合はお笑いマニアとして素直に褒め称えたい。
地上波で、しかもネットの嫌われ者であるフジテレビが放送したから案の定叩かれただけで、
これがamazonプライムビデオやabemaTVでやってたら逆に大絶賛だったろう。
もはや、地上波のテレビは何をやってもダメというどうしようもない局面に追い込まれたのだ。
で、俺が言いたいのはこんなことではない。
日本のテレビ番組は「Jackass」からネタを拝借しているのにリスペクト足りなさ杉!!と声を大にして言いたい。
「Jackass」とは、やはりアメリカMTVで2000年に放送開始したお笑い番組で、
プロのスケボー選手達がイタズラ、ドッキリ、身体を張ったチャレンジなど、危険なことならなんでもやってしまうという番組である。
これが放送するやいなや、アメリカで大ブーム。これをマネして大怪我をするクソガキや頭の悪い大人が続出し、社会問題となってしまい、
そして、「Jackass」が放送できなくなったので10名ほどいた出演者のうち二人をメインに抜擢してスピンオフとして放送されたのが、先ほどの「WILDBOYZ」である。
Jackassはアメリカだけでなく、世界中で大ブームとなった。
なぜかといえば、日本のMTVでも放送されていたが「論理的に販売できない」とソフト化が見送られ続け、
ついに2004年にDVDが日本語字幕つきで販売されるに至り、日本でも広く知られることとなった。
たちまち日本でもちょっとしたブームになり、当時のタワレコやツタヤなどのレコードショップでは店頭の大画面でリピートされDVDは山積み、店の猛プッシュ状態。
で、宮川大輔やカンニング竹山など、Jackassファンを名乗る芸能人がテレビでJackassを紹介しまくり、
カンニング竹山に至っては深夜番組で「Jackassを超える映像を撮る!」などという企画をやっていた。
テレビ東京の深夜でも勝手に「日本版Jackass」を名乗る番組、「ヤンチャ黙示録」が開始。その内容は見たことのない若手芸人によるビックリするほどつまらない映像だったが・・・
また、電撃ネットワークの南部虎弾もJackassに強い影響を受け、無名若手芸人に身体を張らせる過激なDVD「南部塾」を発売。
2004年から2006年にかけて、日本のお笑いDVD界は日本の芸人によるJackassオマージュDVDが席巻した。
で、本家MTV、Jackassの世界的ヒットを受けアメリカ以外の国でも、Jackass的な番組を制作を開始。
まずはイギリスで「ダーティーサンチェス」という番組を開始。これはぶっちゃけ、Jackassとは違うベクトルで笑えないため、あまり流行らなかった。
監督に「とんねるずのみなさんのおかげでした」でおなじみ、マッコイ斉藤を向かえ、これまた日本の無名若手芸人に無茶なチャレンジをさせるという番組「TEMPURA」を開始。
ただ、これはJackassファンにはあまりウケなかったのだ。
公式な日本版Jackassとして始まったTEMPURAだが、内容といえばマッコイ斉藤が若手芸人をイジめているだけの映像だったのだ。
「人を便器に流そう!」という企画で、嫌がって泣き叫ぶメンバーの一人を数人で抱えて公衆便所の汚い便器に顔を無理やり突っ込ませたり、
「落ちている物を食べよう!」という企画で、これまた嫌がって泣き叫ぶメンバーに無理やり公園にポイ捨てされたペットボトルの残りを飲ませたり・・・
で、一人マッコイ斉藤がゲラゲラ笑っている。という映像にしか見えない出来だったのだ。
これはJackassではない・・・
本家Jackassも、TEMPURAと同じようなネタをやる番組なのだが、印象が全く違うのだ。
汚いチャレンジや絶対ケガするようなネタも、誰かに無理やりやらされるのではなく、自分から進んで挑戦しているのだ。
アメリカのカッコイイ兄ちゃん(しかもプロスケボー選手)がすごくスタイリッシュにくだらないことをしている。
日本のバラエティは、どうしても「嫌がる芸人に強制的にやらせる」という陰湿な構図になってしまう。
日本のお笑いとアメリカのお笑いは、やってることは同じでも間逆に映ってしまうのだ。
だからこそ、当時の日本でJackassが新鮮味をもって受け入れられたと言っていい。
宮川があまりにもJackass出演者の顔がプリントされたTシャツばかり来ているから、ダウンタウン松本が「それ、誰やねん!」とツッコんだことから
Jackassの存在を知り、映画評論の著書「シネマ坊主」にてJackass評を書いている。(Jackassは4度も映画化され、公開のたびアメリカでは1位になっている)
松本は、メンバーが皆自発的にくだらないことをやっているが、何が目的でこんなチャレンジをしているのかわからないので日本人ではあまり笑えない、と評した。
やはり、日本のお笑いでは「陰湿なイジメの構図」が必要不可欠なのだ。
最初に貼ったWILDBOYZの動画を見てもらえばわかると思うが、出演者が生死をかけた危険なロケをやっているのに
なんら嫌がる素振りはせず、むしろやってる側がゲラゲラ笑いながらライオンに接近していて、完全なキチガイであるがゆえに、見ていてハラハラはするが嫌な感じはしない。
陰湿ではないのだ。
JackassやWILDBOYZでも、出演者がションベンをかけられるなどイタズラやドッキリで酷い目に合わされるのだが、必ず後でやり返している。
そこに上下関係はなく、ただのバカな仲良し感が出て、なかなかハッピーな空気になっているのだ。
「坂上探検隊」は、WILDBOYZと同じことをやっているのに、やっぱり日本人特有の陰湿さが出てしまった。
陰湿にならなくても、Jackassがそこそこ日本でも流行ったのだから、日本人でもイジメの構図がなくとも笑えるということは証明されているだろう。
ただ、面白いのが東京ではJackassのDVDはバカ売れしたのだが、関西では全く売れなかったという。
東京ではウケていたが、関西人が見ると「何が面白いのかわからない」「何が目的でやっているのか意味不明」という感想ばかり出てきたという。
宮川大輔をはじめとした、大阪吉本の芸人の間では流行っていたそうだが、関西圏の人間にはJackassは理解できなかったようだ。
やはり、地域によってはイジメの構図がないとお笑いは成り立たないのだろうか?
で、10年ほど前の日本でも若干のJackassブームがあり、「世界まる見え!」や衝撃映像系の特番で何度も紹介されていた。テレビ関係者が知らないはずはないのだ。
が、2010年になり日本でのJackassブームが落ち着き、テレビでもあまり取り上げられなくなると
日本のテレビ番組でまるまるJackassのネタをやってしまうことが増えてきた。
坂上探検隊の話題で「イッテQを思い出した」というツイートも多々見たが、
イッテQでは頻繁に「Q Tube」というコーナーで丸々Jackassと同じチャレンジをしている。
Q Tubeというコーナーは、YouTubeで素人が面白チャレンジをしている動画をロッチ中岡がチャレンジするというコーナーで、
Jackassのネタを中岡がチャレンジする際には、Jackassの映像紹介がないのである。
そりゃアメリカの番組の映像を放送するのはカネがかかるかもしれないが、ネタを丸々拝借しているのである。
本家本元があるというちょっとした紹介くらいしてくれてもよいのではないか。
とにかく、「あぁ、これJackassでやってたことそのまんまだな」ってネタが多すぎるのである。
https://www.youtube.com/watch?v=9WbmRdvU6XI
https://www.youtube.com/watch?v=CsodsC7c4N4
たとえばこのJackassのネタなんかは、そのまんま中岡が挑戦していたが、この映像の紹介はなく、元ネタの存在をスルー。
エクストリームスポーツ界の神様ことマットホフマンとトニーホークが出演しとんのやぞ!!
というか、イッテQの作家鮫肌氏が、Jackassの映画が日本で上映された際にインタビューに答え、Jackassを参考にしていると答えている。
http://www.cyzo.com/2011/05/post_6937_entry.html
Jackassの出演者たちは、jackassが大成功、映画も連続大ヒットで今じゃアメリカでは大スターのセレブになってしまった。
メイン出演者だったジョニーは、ジャッキーチェンとコンビで主役の映画を撮ってしまい、
そんな人たちが気軽に日本のテレビに出演するとは思えないけど、元ネタくらい蔑ろにしないでくれや!