はてなキーワード: きちがいとは
本日も、発狂して大声で、GLAYの奇跡の果てを歌っていたのをPMが発見したことから、注意、 現場処理とした。
令和元年8月22日~9月4日にかけて、拡声器で発砲
あなたが最初にジョギングを止めてそこにいくようになったのはいつですか❓ 令和3年です、
自転車はいつなくなってた? 令和3年5月16日はあったんですが、 7月4日にかえってきたらなかった
7月14日はなんであんた走ってさいたま地裁までいったの? 覚えていない
それで、その、きちがいが出てきたのは、なに、 8月4日?
そのモノタロウの拡声器ってさなんで買ったの? あーこれは、小さいから、ジョギングをするときにカバンに入れて持っていけるサイズだから選んだような気がしますが
荒川の競技場の草むらの中で寝ている人は誰ですか? あーあれは、もぐらですね。私の友達です。
そうすると、ブリリアソライエレジデンスとコーポラス桜小路のベランダから出て来る人とか、浮かび上がってる人は? それは、刑法学者の、佐伯仁志じゃないですか?
増田の履歴は以下の通りに閲覧することができるが、 現在からみると不都合な書き込みは微妙に削除されているので何も参考にならない。そこで、9月24日以前に何があったのか
推測してみる。
平成15年3月10日 前田ゆきが、まだ、宮崎の自宅で食べるものを作っていた
平成18年2月 西田典之(刑法学)先生の刑法第2部の定期試験実施 ロースクールから出向していたきちがいの行政法学者の太田匡彦が発狂している
平成18年4月 調布のアパートに晴生が来て、寿司を食って帰って行った
平成18年12月31日 恋愛至上主義社会で、 俺とえご太が同時期に発狂する
平成19年1月 渋谷区で警察官志望の兄が、姉から、 お前さきないじゃんと言われて発狂
平成19年6月
平成20年6月8日 電車男 ブサイクは必要ないんだね 秋葉原テロ
平成20年11月30日 増田が色んなところに仕掛けていた監視装置が全部ぶっ壊れた
2010 010203040506070809101112
2009 010203040506070809101112
2008 010203040506070809101112
2007 010203040506070809101112
2006 09101112
字下げは、荒川区の運動競技場の中央部分に存在する自然道路をU字型に入っていくと存在しているテント小屋に住んでいるもぐらがいいから
山本というのは、ゴルフ場の方で、おめーおめぇーと言ってるらしいが、実際には本人がそこにいるわけでなく、あの辺に、監視カメラか録音装置が存すると解される
字下げは宮崎刑務所にいったときは明らかに裏山から、拡声器を流そうとしていたのでそのときはあったが、 平成29年3月14日に、黒羽刑務所に到達したときは
拡声器がなかった
子細に検討しても、 宮崎市イオンモールの便所でハートセラピーの波崎と喧嘩したのは、 平成30年9月18日 波崎の口癖 平成30年の事があるんじゃ!
波崎 わからん 検察官土屋よりも生命力の旺盛なきちがいだが、 デリヘルの、規約自体に興味のあるきちがい 寝ているときになんども着信があってぶちきれたらしい
真犯人は延岡消防署の3階にいる。 接近してもいるかいないのか分からないことで有名。
板橋区のサンシティというのは銀行やダイエーの集まっている場所のようにも解されるが、 サンシティというのは、 平成初期に繁栄した東京の街で、付属しているマンションが本体である
ジョギングをするときにサンシティに入っていくこと自体がおかしいので、なぜ当時、サンシティの公園にいたかということが理解できない
男で酔っ払っていて歌を歌っている、へたくそ、みんな寝ているから静かにしろといって、 赤い怪物がの警備員がでちくる
滅茶苦茶無名の交番んがサンシティのそばにあるが、出動はしたと思うが記憶にない サンシティの近くの交番 無名すぎて誰も認識していない
東京都内にブクブクに太って、価値も何もないような人はたくさんいる。 OK板橋本町店だと店長、従業員はそこそこ知的だが、雇用している末端の従業員は作業をするだけ
美しくもなんともないブタばかりだが、そもそも、 美しくないものは死すべきであるなどといっている者が、すきや松屋の定食や、脂肪分100gカップ焼きそばを食べるわけがないので
世の中には凄まじく醜悪で、哲学的に一切ものになっていない者が大量にいることは推認される、にもかかわらず、平成25年の黒羽での、長谷川の、美しくないものは許さない
というきちがいぶりは異常だった。黒羽刑務所では、入所時体重75キロ、 10工場での訓練で、65キロに落ちた。他の受刑者は、ていうか体重を図ることが定期的にあるのですが
ほとんどの受刑者は65キロでそれ以下になることはない。私も、65キロ以下は無理だろうと思っていたが、第2班の一番後ろの席でやっているときに11月頃から気合が入ってきて、
その後、53キロまで落ちた、しかしそれ以下にはならなかった。刑務官の森脇は、110キロで入って来た受刑者に対し、まあ、1年待ってろ、70キロになるからな、などと言っていた
ナンバーが9239という白いバンに乗車している屈強な女性、墨田5丁目15番9という面倒くさいところに住んでいると主張している女性です。
一階の管理組合の人もみているので別人ではないと思います。現在でも時々、シェアハウスの掃除に入っているはずです。同居している男の精神がおかしい。
多分詐欺師。物体というかものとしては、足音がうるさいし、既にきちがいになっている。東京地検の山田くらいではないが、須佐でも、富沢も山田に支配されていて
強く言うと山田のフェミの霊が降りてきます。言動は支離滅裂。須佐に山田のフェミの霊が降りたのは令和4年7月22日か27日です。事実関係ですが監察課の原田を通じて
B型作業所で一生働けなどと言っているので精神的に支離滅裂でものになっていない。そういう事実があるので。B型作業所で働けだけではなく、B型作業所で鼻くそを作る作業をしろ
と言っていた時期もありました。それは監察課の原田を通じて言わせるわけです。山田の口癖は早く死ねばいいのに、で、富澤の場合は、B型作業所ではなくそを作れと言います。
いかんせん本人の住所が南千住の向こうの島の上に存在するのでとうてい行けないし、それが事実ならば、その島から9239の白いバンを運転して西新井とか板橋まで出て来るんですよね。
5年前はインターネットに本人と父親の現物の写真が出ていましたが削除されており、令和4年2月28日にシェアハウスも閉鎖していて、その後に競売にかけられた形跡があり、現在は
募集名は、えとという、優しそうな氏名で出していたが、平成30年4月24日にその正体を発見したとき、きちがいばばあだった。
(2) 平成30年5月に、篠原がゴキブリホイホイを投げつけてきた。 平成30年11月6日に篠原が暴行。富澤が無視。
閉鎖 令和4年2月28日 西新井にもシェアハウスを持っているが、外国人籍の同居人で殺傷事件あったか?
備考 3階に中国人の元受刑者が入ってきているが、3階から一階にクソをまき散らしているとして、Design Studioの管理人が文句を言っていたが、実際に見てみると
令和5年最近になって5階に入居者 1階にゴミが大量に落ちている。
備考2 建物の構成や内容 昭和49年11月に建築された、分譲マンション。 5階建てで共有部分を簡潔に与え、個々人に個室を用意するという過激な点に出たもの。
備考3 久美子のマンションの昭和ヴァージョンと思えばいいが、個室内部は非公開。居住者も老人ホームに移送されたため、不在。
きちがいってほんとにいるんだな
子供の頃は自分が何を考えてるのか自分で整理する暇がないくらい常に頭がいっぱいだったから、この表現で合ってるのかも分からない。
私も母に殺されそうになったことが何回もあるし、この人私のこと殺したいんだろうなーと思ってた。私の方が殺そうとした回数は多いと思う。
お互い実際に死にかけた数は少ない。
二人とも人を殺すほどの度胸がなくてよかったと今は素直に思う。
あのまま流されてたらどうなったんだろうと思って、たまにもったいないことしたなって後悔するけど、多分それもそのうちなくなる気がする。
母と私はまあまあ仲が悪くて、普通にお互い合わなくて、うちに父親はいなかった。
だからあんなにお互い余裕がなくてたまに憎しみを持ってた事も、今となっては必然のように感じる。原因はおそらく常に私にあったけど、今となっては向こうも私に好意的な対応しかしてこないから結局一緒に暮らすのに向いてなかったってことなんだろう。
矛盾しているように感じるかもしれないけど私は母のことが結構好きだったし、母はまっとうな親らしい愛情を持った普通の人だった。
私は母に普通の親らしい愛し方で通常より多少親切で深い愛を与えられていたと思う。
ただ、本当に相性が悪かったので、私はそれが結構気持ち悪かった。いわゆる過干渉とかでは全くなく、純粋に私にそれを受け取る才能がなかっただけなんだけど。
普通に普通の人ができる母からしたら、育てにくい上に愛情を示したら憎しみを向けてくるような子供のために自分を削りながら送る生活はかなり苦しくて寂しかったんじゃないかと思う。
夫にあたる人はいなくて、私は話が通じなくて、その子供が人に迷惑をかけて頻繁に呼び出されたりするせいで、必死で稼いだお金が消えていく。どんな気持ちだったのか分からないし聞くことはないけど、可哀想だなと思う。
私は母のことを尊敬してるし、母の愛情を受け止めることができるようになったけど、結局こうやって可哀想だとしか思えないし、母のことは愛してるけどどんなに尽くしても私が感謝するのは別の人なのだ。
母の人生を思うと可哀想になる。あの人が文化的に恵まれた人で自分の人生を大切に思ってることも知ってるから、これはすごく失礼な感情だと思う。
私自身が母の今までの献身や私への気持ちを過大に捉えてる可能性を考えないわけじゃない。でもどう考えても、私の存在を捨てて母の人生を語ることなんて不可能だから。
私は運が悪くきちがいに生まれて、育つまでの過程で母を殺したくなり、母は運が悪く自分の子供がきちがいで、必死に育てようとしてその過程で殺すしかないほどに追い詰められた事がある。それでいいんだろうか。
間違いなく母のことを愛してるはずなのに、今でも殺しておいた方がよかったんじゃないかと思う瞬間がある。
私が機会に恵まれて昔はできなかった色んなことができるようになっても、母のようにはなれないから、何故かそれがすごく可哀想になる。私が可哀想なのか、母が可哀想なのか、分からない。
母は私が今みたいな形に収まって、私との関係も親しみはないけど良好、みたいな感じで安定してて、きっと結構満足してる。
全部私の問題で、私だってもう母を殺しておくべきだったと思うことはあっても殺したいと思うことはないはずなのに。全然まとまらなくてただ可哀想だと思う。
母は運が悪かったんだと思うし、自分のことを運が悪いだなんて思う人じゃないからそれすら必要ないかもしれないけど、私は運が悪かったなんて言葉で言い表すことを受け入れられないくらいに母を可哀想に思ってる。
なんでこんな風になったんだろうと思う。
てんちむとかキンバエは、ツイキャスで遊びすぎて死んだらしいけど本当か?
くまがいは中身はジジイで警察官の仕事をしていないと生活ができないっていうか かね もらって生存ができないので、 くまがいは、 かね なかったら、中身は東大工学部2号館
の中に住んでいる昭和の幽霊なので、その趣旨で死んでるけど、くまがいは、23歳の戸田という、あすかきららという美容お化けが好きなきちがいと一緒に仕事をしてるので、
かね もらって生活してるから葬式は終わってないと思うよ。それと基本的に、平成4年の町子が書いた手記に関しても、既に脱落しているので、町子は、平成12年に夫他界後から
既に腐れているので、平成24年に私が、黒羽に行ってるときも、北団地公民館主催の花見で弁当を食べていたし、平成26年から、おばあちゃんが変ななったというマンガ雑誌が出たんですが
その変ななっている最中にやり過ぎて倒れたというか、自分で炊事場を修理すると言って驚愕的なことをしていたので、令和2年も調子に乗り過ぎて嘔吐して倒れて、こないだは台風で冠水しました
とかいってアヘガオピースで罹災証明書をもらっていたのをみたというか、敬一が、町子ですは、私の現認で、 90歳のときに確認したが、毛布もろくにかぶれない状態でベッドで寝ているというか
葬式が終わっているわけではないが既にいるのかどうか分からない状態だけど起床後は凄いというかそういう感じで生存はしてるのですが、陛下の命令通りに生活しているので