はてなキーワード: きちがいとは
hisawooo
存在しない「逆だったら怒ってる女」「ただの布とかいってる女」を錬成し、勝手に吹き上がってるのを見るとため息が出る。
2024/05/12
https://b.hatena.ne.jp/entry/4753320369810434400/comment/hisawooo
賛同する部分
1.「存在しない」が「まだ存在していない」という意味ならばそれは確かに。
想定上のフェミニストの行動に憤るという思考パターンは良くない。
うっとおしいし急速にきちがいになりそう。
2.関係ない話題でもすぐ「自分がいつも戦ってる相手」の話を始める奴単純にうっとおしいし当人も不幸そう。
別にアンフェ叩きじゃなくてウヨサヨ平等に言える。海外の悪いニュースのコメ欄で必ず日本叩き始めるサヨはうっとおしいし当人も病気。
賛同できない部分
1.「存在しない」が「そんなんで怒る女は存在しない」という意味なら、それはウソ。
それなりの声のボリュームで大騒ぎする層が必ず現れると思う。
書きながら自分で疑問を持った。
「この人に賛成する部分は沢山あるし賛成の方が大きいのになんで一言書きたくなったんだろう?」
って。
InvisibleStar
バニーガールに入れ込んだ男が借金を重ねマグロ漁船に送り込まれるゲームを皆笑って見てるわけだが、
これがホストに入れ込んだ女が借金を重ね風俗店に送り込まれるゲームだと怒られが発生しそうだよな
2024/05/12
hisawooo氏が批判してるコメントはたぶんこれなんだけど
これ「女が怒る」とか言ってないんだよね。というか誰が怒るとすら言ってない。
まあいわゆるジェンダークレーマー的なムーブメントの話をしているのだと思うけどね。
だからこれに対して自分がhisawooo氏的な方向の苦言をするなら
「楽しいゲームを前にして”ジェンダークレーム叩き”しかやることがないのか・・・。」または
「楽しいゲームを前にして”ラディカルフェミニスト叩き”しかやることがないのか・・・。」とかに
なると思う。
でもhisawooo氏はInvisibleStar氏が一ミリも言ってない「女叩き」にすり替えたんだよね。
だから「hisawooo氏は中立を装ったフェミニズム側なのでは?」「一部のフェミニズムへ抗議をミソジニーにすり替えて封殺を試みる動きなのでは?」
といった小さな疑問が起きて心の喉に引っ掛かった。
…ということが書いてるうちにわかりました。
実際hisawooo氏が日頃どういうスタンスかは知らない。InvisibleStar氏についても同じ。
きちがいってほんとにいるんだな
子供の頃は自分が何を考えてるのか自分で整理する暇がないくらい常に頭がいっぱいだったから、この表現で合ってるのかも分からない。
私も母に殺されそうになったことが何回もあるし、この人私のこと殺したいんだろうなーと思ってた。私の方が殺そうとした回数は多いと思う。
お互い実際に死にかけた数は少ない。
二人とも人を殺すほどの度胸がなくてよかったと今は素直に思う。
あのまま流されてたらどうなったんだろうと思って、たまにもったいないことしたなって後悔するけど、多分それもそのうちなくなる気がする。
母と私はまあまあ仲が悪くて、普通にお互い合わなくて、うちに父親はいなかった。
だからあんなにお互い余裕がなくてたまに憎しみを持ってた事も、今となっては必然のように感じる。原因はおそらく常に私にあったけど、今となっては向こうも私に好意的な対応しかしてこないから結局一緒に暮らすのに向いてなかったってことなんだろう。
矛盾しているように感じるかもしれないけど私は母のことが結構好きだったし、母はまっとうな親らしい愛情を持った普通の人だった。
私は母に普通の親らしい愛し方で通常より多少親切で深い愛を与えられていたと思う。
ただ、本当に相性が悪かったので、私はそれが結構気持ち悪かった。いわゆる過干渉とかでは全くなく、純粋に私にそれを受け取る才能がなかっただけなんだけど。
普通に普通の人ができる母からしたら、育てにくい上に愛情を示したら憎しみを向けてくるような子供のために自分を削りながら送る生活はかなり苦しくて寂しかったんじゃないかと思う。
夫にあたる人はいなくて、私は話が通じなくて、その子供が人に迷惑をかけて頻繁に呼び出されたりするせいで、必死で稼いだお金が消えていく。どんな気持ちだったのか分からないし聞くことはないけど、可哀想だなと思う。
私は母のことを尊敬してるし、母の愛情を受け止めることができるようになったけど、結局こうやって可哀想だとしか思えないし、母のことは愛してるけどどんなに尽くしても私が感謝するのは別の人なのだ。
母の人生を思うと可哀想になる。あの人が文化的に恵まれた人で自分の人生を大切に思ってることも知ってるから、これはすごく失礼な感情だと思う。
私自身が母の今までの献身や私への気持ちを過大に捉えてる可能性を考えないわけじゃない。でもどう考えても、私の存在を捨てて母の人生を語ることなんて不可能だから。
私は運が悪くきちがいに生まれて、育つまでの過程で母を殺したくなり、母は運が悪く自分の子供がきちがいで、必死に育てようとしてその過程で殺すしかないほどに追い詰められた事がある。それでいいんだろうか。
間違いなく母のことを愛してるはずなのに、今でも殺しておいた方がよかったんじゃないかと思う瞬間がある。
私が機会に恵まれて昔はできなかった色んなことができるようになっても、母のようにはなれないから、何故かそれがすごく可哀想になる。私が可哀想なのか、母が可哀想なのか、分からない。
母は私が今みたいな形に収まって、私との関係も親しみはないけど良好、みたいな感じで安定してて、きっと結構満足してる。
全部私の問題で、私だってもう母を殺しておくべきだったと思うことはあっても殺したいと思うことはないはずなのに。全然まとまらなくてただ可哀想だと思う。
母は運が悪かったんだと思うし、自分のことを運が悪いだなんて思う人じゃないからそれすら必要ないかもしれないけど、私は運が悪かったなんて言葉で言い表すことを受け入れられないくらいに母を可哀想に思ってる。
なんでこんな風になったんだろうと思う。