はてなキーワード: のぞき見とは
(一番下に追記あり)
私は0歳児の子を持つパパだ。
平日は仕事があり、子供の世話はママにかなり任せっきりになっている。
休日は、子どもと触れ合うため、少しの間でもママを育児から解放するために散歩やお出かけをしている。でもパパは授乳ができないし、普段お出かけしないので勝手がわからず、持ち物が足りなかったり、エレベーターで移動に困ったりすることがある。
これまでの経験を踏まえて、お出かけの際の持ち物など書いておこうと思う。
もし同じ状況の人がいたら参考にしてもらえると嬉しい。
以下の持ち物を用意しておくと良い。
上記のそれぞれを、小物を入れる袋などにまとめて入れておく。
それぞれ下で補足する。私の利用例ということで具体的な商品も紹介するがメーカー各社やAmazonの回し者ではない。もちろんアフィリエイトリンクもない。あくまで利用者目線で書いていると思ってほしい。
普段使っているもの。半日出かけるなら、3枚くらいあると良い。
おむつと同じ枚数用意する。私はこれをおすすめする。リアル店舗では赤ちゃん本舗などで買える。
https://www.amazon.co.jp/dp/B00R7GD0NY/
多目的トイレや授乳室など設備の整った場所ではおむつ用ゴミ箱があるが、そうでない場所では持ち帰る場合もある。そのとき消臭袋が役立つ。
これも家で使っているものと同じで良い。
続いてミルクのほう。
これは新米パパなどは知らない人も多いのではないだろうか。私も最近知った。
常温のまま飲める紙パックの液体ミルクで、乳児がそのまま飲むことができる。大変便利なアイテムだ。
以前は家でミルクを作ってから出かけていたこともある。この場合ミルクの消費期限(2時間程度)がそのまま外出のタイムリミットになっていた。紙パック液体ミルクを携行することで行動の自由度が大幅に上がる。重い哺乳瓶や消毒容器のセットを持っていく必要もない。まさに神パックである。これを開発した方には最大級の賛辞を贈りたい。
https://www.amazon.co.jp/dp/B07PKXM246/
ただ、ミルクは普段飲んでいるものと違うメーカーだと赤ちゃんが飲んでくれないという話も聞くので、そこは慎重に選んでもらいたい。
上の液体ミルクは1つで125ml。3つも持っておけば半日出かけられる。
紙パック液体ミルクに取り付けられる乳首。私はチュチュのものを使っている。
https://www.amazon.co.jp/dp/B084C96RG5/
吐き戻しやこぼれたミルクをふくため。
飲んだあとの紙パックなどを入れる。ちょうど飲みきってくれない場合もあるのでカバンの中でこぼれる場合の対策にもなる。
外出中、スマホを使うこともあるだろう。ママとの連絡や乗り換え時間を調べるときなど必要だ。そのときに自転車用のスマホホルダーが便利だ。たいていのものは、ベビーカーに取り付けられるのではないか。
私はこれを使っている。ベビーカーでの散歩中にポケモンGOが楽にできる。もちろん歩きスマホはせぬよう注意されたし。
https://www.amazon.co.jp/dp/B08BHS65W2/
また、のぞき見防止シートを貼っていないと周りからは丸見えになる。これも注意されたし。ポケモンGOくらいであれば見られても問題ないであろうと思われる。
都心部の商業施設や駅だと子供の世話をできる場所が多い。ただ、コロナの影響やテロ対策によりベンチやイスなどは利用禁止もしくは数が制限されており、公共の場所では座れる場所がほとんどないように見受けられる。
この場合立ちっぱなしとなり体力的につらいことがある。
特段の目的地がないのであれば、大型商業施設や駅ビルなどがお出かけしやすいと思う。
バリアフリーが考慮されており、また多目的トイレや授乳室、おむつ交換台がありおむつ交換やミルクがしやすい。
また、レストランやカフェは大抵の場合、ベビーカーのままで入れると思う。経験上、常連になっているレストランであれば席の調整など融通してくれるところもある。
都内はバリアフリーの施設が多いが、やはりベビーカーだと都度都度時間がかかったり面倒なこともある。ベビーカーは、目的地の数が少なく(何ヶ所もはしごしない)、バリアフリーが整備されている場所に適している。
一例を挙げると、都内ではお台場方面(りんかい線)へのお出かけはベビーカーに適さないと個人的に思う。これはりんかい線が良くないというより、大井町駅でJRからりんかい線の乗り換えはベビーカーには面倒すぎるのだ。エレベーターを4回くらい乗り継ぐ必要があり、しかも各エレベーターのキャパシティは多くないので同じ経路の人がいると順番待ちも長くなる。
なお、エレベーター移動が面倒だからといってベビーカーでエスカレーターに乗るのは危険なのでやめてほしい。私は怖いのでやらない。事故に巻き込まれたくないので、そんな人を見かけたら距離を取るようにしている。
一方で機動力を考えると抱っこひもに軍配が上がる。階の移動方法を選ばない(エレベーター待ちをしなくて良い)、場所を取らない、両手が空くなどメリットがある。
ただし体力が必要なのと、荷物の問題がある。パパと乳児の2人で出かける場合、私は前に子ども、後ろにリュックだが肩と腰にかなり負担がかかっている。この点は、いい案をお持ちの人がいればアドバイスが欲しい。
それぞれ長所短所があるので使い分けると良い。
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以上、乳児とのお出かけの際の持ち物など、頭の中にあったことを文章にしてみた。他にもあるかもしれないが、いったんこの辺にしておこうと思う。
育児にがんばるパパに参考にしてもらえると嬉しい。私も応援している。ともに頑張ろう。
すごいブクマがついていてびっくりした。みなさんブクマ、トラバありがとう。一通り読ませてもらった。有益なコメントも多くためになった。
・着替え一式
このコメントすごく多かった。これまで私はたまたま困らなかったが、確かに備えておくべきと思った。今後は持っていく。
・タオル、手口ふき
このあたりも持ち物に追加する。自分用にアルコールのウェットティッシュは持っているが、子供用にもあったほうがいいな。
これも非常に良さそう。ちょっと大仰にも見えるが、本文で書いたとおりリュックと抱っこひもの両方が負担になっているのでまとまったものがあると良いと思っていた。購入を検討する。
・貸しベビーカー
存在は知っていたけど利用したことはなかった。確かにショッピングモールなどで使うと便利そう。これも活用してみる。
・自動車
あればこれが最強なのかな。電車移動のほうが個人的には好きなのだが、車も検討したい。
本人はそう思って頑張ってると思うだろ?妻が有難がってるか確認しな。「遊びは置いてかれて掃除とかの家事やらされてる」と思ってるかもよ。(実話)
これは育児の先輩からの忠告と受け取っておけばいいのかな?ブコメの点について言えば、ママとは負担が軽くなるにはどうしたらいいかあらかじめ話し合った上での外出なので懸念ないが、「よく会話しろ、妻の要望に沿っているか確認しろ」という主張は妥当と思うのでアドバイスとして受け取っておく。
そうだったのか。経緯を知らなかったけど、ありがとう。まさに今助かっているよ。
「ママを育児から解放するため」ってところが気になった。あくまで育児の主体はママであってパパ本人に育児する気はないんだなって思ってしまう。
確かに、現状育児はママに多く依存している。表現も良くなかった。気を悪くしたならすまなかった。指摘は真摯に受け止めて、意識や発言は改めたい。
一方で2文目に関しては異論があって、主体がママなのと、パパに育児する気がないのはイコールでない。50%ずつ分担である必要もないだろうし、育児参加の実体験からこのエントリも来ている。育児する気がないという指摘は明確に否定しておく。
ママを外出させてはどうか(意訳)
これもママと会話したのだが、我が家ではママは休息が欲しい場合が多いので、このようにしている。このあたりは家庭によると思う。
近くの公園でいいのでは(意訳)
これはそのとおりで、わざわざ遠くに行く必要はないし、遠くだと用意も増えるのでデメリットがあると私も思う。
もちろん近所の公園にも行くのだが、子どもに四季の景色を見せたい、私が気分を変えたい、出かけたいところに行く、などの理由でお出かけもしている。
パパに限らないのでは(意訳)
確かにそのとおりで本来パパに限る必要はなかった。一方で、パパの育児エントリが注目されるのはパパの育児参加がまだまだ少ないことの証左でもあるので、本当に役立つエントリを書ける人は、パパの育児参加の促進のため注目される1つのテクニックとして使うのはいいのではないだろうか。(今回それを狙ったわけではない)
目新しい情報がない(意訳)
育児やってたら知ってる(意訳)
プレパパ向けだったらいいけど(意訳)
これも半分同意。おっしゃるとおり新規性があるものではないが、一方で初めて知ったなどのブコメがあるのも事実で、プレもしくは現役の両親に役立てば十分ではないだろうか。
さらに、エントリでカバーしていなかった情報が集まったり、今ではこんなのがあるというように情報がアップデートされるのは有益と考える。継続的にナレッジを蓄積、アップデートできると理想かと思う。
体臭不快でちゃんと洗っているか見たかった…女性海曹、シャワー室で男性隊員をのぞき見
https://www.yomiuri.co.jp/national/20211115-OYT1T50231/
2021/11/16 06:46
海上自衛隊佐世保地方総監部は15日、護衛艦「いせ」の男性海士長(21)を停職3か月、佐世保造修補給所の女性海曹を停職5日の懲戒処分にした。
発表によると、海士長は昨年10月1日、長崎県佐世保市内で酒気を帯びた状態で乗用車を運転したとして、道交法違反(酒気帯び運転)容疑で県警に検挙された。
海曹は2017年3月9日、職場のシャワー室で男性隊員をのぞき見したとしている。海曹は「体臭を不快に感じ、ちゃんと洗っているか見たかった」などと話しているという。
酒気帯び運転の男性海士長は停職3ヶ月に対し、のぞきを行った女性海曹は停職5日。
体臭を不快に感じられた等と言う理由が認められての短期間の停職なんでしょうかね。
こんな何の言い訳にもなってないし場合によってはただの名誉毀損にもなる理由が受け入れられる上に
男性だけ年齢公表という扱いもして貰える海上自衛隊は現代において女性の待遇改善を訴えてる人にこそオススメの職場では無いでしょうか。
学習端末のPWは全員「123456789」…小6自殺、チャットの「陰口」丸見え
https://news.infoseek.co.jp/article/20210922_yol_oyt1t50033/?tpgnr=poli-soci
両親の代理人の金子春菜弁護士によると、女児の死後の昨年12月に学校が実施した調査では、複数の児童が「女児を中傷する同級生の投稿を不正ログインして閲覧した」などと証言。なりすましでのぞき見たチャットの悪口を女児に伝えたとの証言もあったという。
なりすましてチャットしたのではなく、悪口を言っているチャット主のログを見たということらしい
両親によると、女児が残した遺書には、「ドッキリ」と称する嫌がらせについて書かれていた。友人から突然、絶縁を宣言され、その後にそれはウソだと告げられる「縁切りドッキリ」などを受けていたという同級生らの証言もある。
知っている中では有吉反省会が怪しい
彼は私の裸の姿やフェラチオしてる写真を写真に撮った。4Kのカメラで動画撮影していたこともあった。
私は彼に写真を撮られたくなかったが、徐々に許してしまった。むしろ、撮られて傷ついている自分にマゾヒスティックに酔った。それでも定期的に、ことあるごとに絶対流出などしないように、と釘をさした。
彼はビットロッカーかけているから、大丈夫といった。保存用のPCを買っていいか聞いてきた。いつもお金がないと言っていたが、カメラやPCを買うお金はたくさんあったようだ。
これは後で発覚したことだが、メンズエステなどにもいって、何人かの女性とデートもしていたようだった。
私は彼がログインしっぱなしだったPCのTwitterをのぞき見たことがある。
彼は、ある性的な写真を配布しているアカウントに私のフェラチオしてる顔の写真と引き換えに写真をくれないか、とやりとりしているDMのログがあった。
彼が送った私の写真には
「ひでー顔wwww」
と返信が来ていた。
何年も信じてきた彼はそこにはいなかった。
離婚の協議の最終日、最後に私の写真が残ってないか確認させてほしいと言った。この日は第三者にも立ち会ってもらった。その第三者は彼の親友だった。
私はもう彼のことを信用することはできなくなっていたので、彼がいくら写真はもうないと言っても信用できなかったのだ。
彼の部屋で、「本当にもう写真がないか確認して」というと「もうないって言ってるでしょ」と言って確認さえしない。
「じゃあ私が探すわ」というと印刷された私の写真がまだ捨てられずに残っていた。
「やっぱり、あるじゃない!」そう言うと、「俺はADHDなんだからしょうがないだろ!」といつもの調子で彼は怒り、悲しみ、涙ながらで言った。
私が更に探そうとすると、「いい、俺が探す」と言う。散らかった彼の部屋の、物を足でめくりながら探していた。
「俺の創作物があるから、個人の自由として、それは無理」というようなことを言って、20分ほど論争になった。
そのうちに彼が「見られるくらいなら死ぬ」といって、首吊りロープに首をかけた。立ち会ってくれた人が、「ここは俺に任せて」と私を逃してくれた。
「ブレスト参加者のあなたは前々からブチ犯したいと思っていた。あなたみたいなアバズレを血祭りに上げるショーを演ろう」などと提案したら倫理的に問題だ。ブレスト参加者の心理的安全性を侵襲してしまえば言われた彼女からはもうアイデアは出なくなるし、いかに倫理的に無礼講としても発言からは当人の価値観がのぞき見えるもの。暴言で傷ついてしまったらその痛みはずっと残る。
ブレストの大前提は欺瞞だと思う。完全な自由は成立せず、せいぜい「参加者同士の信頼関係の上で日常よりやや寛容に拡張された倫理感」の元での自由な議論、くらいになるだろう。でもそんな縛りを明言してしまえば本当に面白いアイデアは出てこなくなる。幻想は必要だった。
ブレストだから何でもありなら、俺は日本中のみんなからクリエイティビティを引き出すために「参加者みんなでやる、なんでも言い放題のブレスト掲示板」を作る。
個人的にはオペラよりも好きかもしれない。特に、愛した女性の墓を掘り起こして遺体に直面するシーンがあるところとか。不毛な愛情というか、すれ違いや失恋ばかり読んでいたことがあり、これを読んだのもそんな時期だ(「エフゲニー・オネーギン」とか「マノン・レスコー」とか)。というか、そもそもオペラって「乾杯の歌」とかすごい好きなんだけど、台詞が聞き取りにくいし、台詞を同時に歌う箇所もあるし、なんか難しい。
ちなみに主人公の独白に曰く、「ああ! 男というものは、その偏狭な感情の一つでも傷つけられると、実にちっぽけな、実に卑しい者になってしまうものです」。……バレましたか。
自分が日本SFを読むきっかけになった人で、ハヤカワのJA文庫の小川一水とか林譲治とかが特に好きだった。
この作品は、太陽の表面に異星からの物体によってメガストラクチャーが作られ、日光を奪われた人類が滅亡の危機に瀕するのだが、若干のネタバレを言うと、最初からエイリアンには悪意が全く存在していなかった。僕はそんなところが好きだ。基本的に自分の好きなシチュエーションは、他者との接触により悪意はないにもかかわらず傷つく、というのがあるのだ。
ちなみに日本のSF作家をより広く読むようになったのは大森望と日下三蔵の年刊日本SF傑作選のおかげ。感謝感謝。
三十歳で婚約者がいるのに、親戚の十八歳の女の子に手を出しちゃったダメな人が主人公。結婚の約束をした女性からは婚約を破棄されてしまい、彼は思い出の品を集めた博物館を作りだす。イヤリングはともかく、自分が家をのぞき見た瞬間を画家に描かせた作品や、下着までも集めているあたり、ただの変態である。帯には「愛に生きた」とあるけれど、愛情というか執着や妄念であったような気がする。けれども、不毛な愛のほうが読んでいて面白い。
ところでトルコという国は、女性がスカーフを被るかどうかだけで政治的な立場の表明になってしまう国であり(ハイヒールを履くかどうかも政治的立場の表明ではあるが、トルコはその傾向が顕著だ)、その点からも読んでいて面白い作家であった。
映画オタクのゲイと政治犯の獄中での対話劇。ゲイはどうやら看守から政治犯の様子を探るように頼まれているようなのだが、いつしか二人には友情が芽生えていく。緊張感のある対話劇であると同時に、ゲイがお気に入りの映画を語るときの調子は推しについて語る幸せなオタクそのものである。安易に神という表現は使いたくないが、語りが神懸っている。ゲイの口調が女言葉なので、少し古い訳なのかもしれないが。
大学時代、年齢不詳の友人がいて、今も何をして食べているのかよくわからないんだけれども、今でも時々強烈な下ネタのメールが来る。そんな彼が薦めてくれた小説。村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」の「世界の終わり」パートに影響を受けた作品を部誌に掲載したらものすごい勢いで薦めてくれた。
彼は物にこだわりがないというか、読み終えた本をよく譲ってくれた。同じブローティガンの絶版になった本やシュティフターの「晩夏」などもおかげで読めた。「晩夏」はくどいのでいただいてから十年後に読んだのだが、現代の小説では確実に切り捨てられる長さの風景描写を含む小説を、定期的に読みたくなる。
就職のために架空の宗教団体によるテロをでっちあげる侍の話。時代劇の形を借りているんだけど、時代考証は完全に無視している。そして、自意識過剰人間とクレーマーとおバカしか出てこない語りの芸だ。だが、大体町田康の作品は大体そんな感じだし、人間って元来そんなもんなのかもしれない。オチも基本的に完全に投げっぱなしだが、爆発落ちや死亡オチのギャグが結構好きだったりする自分がいる。文学っていうのは自由でいいんだよ。
ムーミンシリーズ以外のヤンソンの文学作品を選ぶべきかどうか迷ったのだがこっちにした。友人からなぜかヘムレンさんに似ていると言われていた時期があったことだし。
児童文学や短篇って長篇とは違った難しさがある。短い文章と簡潔な表現という制約の中で、キャラクターを端的に表現しないといけないから。そのお手本みたいな作品がここにあり、内向的な人間にやさしい世界がここにある。ちなみにとある哲学者の持っている本の名前が「すべてがむだであることについて」であり、すごく笑える。
全く関係ないが僕は萩尾望都の「11人いる!」のヴィドメニール・ヌームにも似ていると言われたことがある。緑の鱗に覆われた両性具有の僧侶で、とても善い人で行動力もあるのだが、説明するときにやや言葉が足りない。
嘘つきで利己的で、のし上がることにしか興味がない空っぽな存在に恋をしてしまった善良な青年。「悪い娘」の人生の航路は語り手の人生におおよそ十年ごとに交叉するが、一貫して彼女本位な関係に終始する。
これはどうしようもない女の子に恋してしまって、四十年間ものあいだそれを引きずった男の物語だ。地位も財産もなにもかもなげうって、何度裏切られてもひたすらに与え続けた。そんじょそこらの悪女ものとは格が違う。シェル・シルヴァスタインの「おおきな木」のように。
猥褻だということで昭和時代に裁判になったというので読んでみたが、どこが猥褻なのかちっともわからない。しかも、作者の思想がうるさいので文学的な美を損なっている。
性表現は露骨というよりも、おちんちんに花飾りを結ぶみたいなのどかなヒッピー文化的な感じで、エロティシズムについては性描写の無い仏文学のほうがずっとぐっと来るものがる。しかし、時代を先取りしていていたという意味では素直にすごいと思うし、この程度で猥褻だと騒いでいた時代はさぞ不自由で息苦しかったのだろうなあとも思う。
最強のファーストコンタクトもののひとつで、ネタバレするとオチは「意識やクオリアとはときとして生存に不利かつ無駄であり、この宇宙では淘汰される可能性がある」という絶望的な結論。人間の心も愛も宇宙の中では無だ! みたいなSFが大好き。
基本的な構造は「宇宙のランデブー」の変奏で、未知のエイリアンの遺物の中を探検するのだが、強烈な磁場の中で意識が攪乱され様々な精神疾患を一時的に患うという違いがある(実際に脳に強烈な磁場を近づけると活動する部位が変化する)。言及されるコタール症候群や半側空間無視といった症状もすべて実在するが、脳科学の知識がないと全部作者のほら話なんじゃないかって読者が誤解するんじゃないか若干心配。
それと、ハードSFとしてはすごい好きなんだけど、どういうわけか吸血鬼が味方に出てきて(人類を捕食していた類人猿の遺伝子を組み込んだ改造人間という設定)、味方のはずなのにこちらに危害を加えようとする不可解な設定があり、これは作者の吸血鬼やゾンビに対する偏愛のせいだろうが、プロットの上であまり関係がないし必然性もなく、そこが無駄に思われた。そもそもなんでそんな遺伝子組み込んだ危険なやつを作るんだ?
以上。
なにが癪に障ったからこだわってるのか知らないが、
この人こそ自分の言いたいことを言ってるだけだと思うなぁ。
一般論(「800字でも感動する短編もある」)をひっぱってきて何を批判したつもりになってるの?
関係ない自分語り(「クソデカ感情の定義が独善的にみえる人もいる」)をしたいならよそのスレッド/ツリーでどうぞ。
私はそもそも、「クソデカ感情」という言葉を「同人女の感情」につかったのは帯をつくった角川の人(それもツイで連載みた外部の勝手なご意見を拾ってきただけ)じゃないかと思いますし、それを最初にわかるようにきちんと書いているわけですし、
真田さんのマンガや人格の「批判」(というか非難)もしてないですけどね。
以上で言いたいことは終わってるんですが、もしかして本当にわかっていない人が他にもいるのなら、とおもって言わずもがなの説明を書き足します。
この「4ページネームの練習法」をたまきのために「字書き版」にできないかと思って、考え付いたのが「800文字の練習法」です。
絵描きの真田さんが「字書きキャラのために」考えついた方法です。
800字で練習することが必要な人も実際いないわけではない、一部にはいるとはおもいますよ。
ただ綾城やその後継者を造形するのに勝手に移植して考えてみた「800字練習」だけをキーにもってきて
本人も練習したところで、同人字書きからみると違和感があると思うだけです。
絵描きからみると字書きってそうなんだろうなと常々思っていることが補強されましたし
P支部の件数をそんなに気にするような人ならもっと他に先に気がつくことがたくさんあるはずですけどそれこそ細かすぎて伝わらない字書きムーブですね。だから、マンガそれ自体は良く出来てるんですよ。
人が暮らしていないモデルハウスのようにきれいでわかりやすくていいとおもいます。
人が暮らしている複雑でうんち入りな仕舞屋をのぞき見たければはてな増田長文腐女子もありますよといってるだけですよ。
ご自分で、正しい同人クソデカ感情の定義をジャン神のなかから、あるいは(ジャン神にも正解がないというのなら)ご自身の中から具体的に抽出してみることからはじめたらどうですかね。チガウチガウ言ってるだけではないものねだりでは。
それとも単にこの人は、ジャン神も同人女の感情もインタビューも全然詳しく読めない人なのかも。
もっと内容を解説してほしくてイチャモンつけてるんだったらその手にノってネタバレしてしまうのもなんかもうしわけないな。
ジャン神は誰にでもわかりやすくて面白いから読んで、気に入ったら買ってみてね~。(宣伝)
今ひどい話がとびこんできました
番組ではステイホームをする全国各地の家庭の様子が写し出されていた。
そこでは家キャンプする仲の良い家族だったり、子供の誕生日会をピリピリしながら行う夫婦だったり、自作すごろくをして過ごす夫婦だったり、息子と格闘するお父さんだったりと、いろんな家族がいた。
誕生日会の家族は雰囲気こそほんわかしてないけど最終的には丸く収まっていて、番組で流れた家庭は大体どこも良い話になっていたように思う。
担当ディレクターのコメントを読んで、その中のとあるくだりに対してうちの夫婦はどうなんだろうなと思ったことについて書く。
前:妻(私)→シフト制正社員、旦那→カレンダー通りの休みの正社員
私はコロナ関係なく仕事を一旦辞めていた。緊急事態宣言が解除されてから絶賛就活中。
旦那はコロナでも仕事がきちんとあり、マスクをして会社へ行っている。
○家事
前:ご飯は作れる方が作る、掃除洗濯は各家電にお任せ、買い物は一緒に行ったり片方が行ける時に行く
後:大体全部妻が担当
以前は共働きなのでやれる方がやるようになっていた。
ご飯は私も作るし旦那も作る。先に帰った方が用意しておくことになっていた。
帰ってから作ることもあれば作り置きしてあるのを食べたり、なければお惣菜買ったりたまに外食したり。お弁当も各自で用意。
掃除はルンバ(ボタン押すのは旦那のが多い)洗濯はドラム式洗濯機で乾燥まで一直線。ボタン押すのは半々(気持ち、私の方が多いと思う)
後は3食のご飯もお弁当も掃除も買い出しもほぼ私。買い出しはネット通販も使ってたけど。
献立考えるのしんどいのに初めて気づいた。世の中の子供育ててる主婦の方すごすぎでしょ…。
○お出かけ
前:休みの合う日に映画見たり、服を買ったり、ぶらぶらウィンドウショッピング、週一で外食
後:ほぼない
ここが一番変化が大きい。まあこのご時世だからなかなか出られないよ。
休みに何やっているかというか各自の部屋で好きなことをしている。
共通する趣味がない。やろうと誘えばできるのもあるけど、一人でやってる方がいいのかも。
前:頻度は高くないにしても定期的にあった
後:ここ数ヶ月はない
世間の日数で言えばセックスレスに値する期間はしていない。ここについてはコロナとは別の問題があるからまた書けたら書きたい。
番組担当ディレクターやMCのオードリー二人が言ってた、コロナ禍でみんなで(家族)楽しむように工夫しているっていうコメントが私の中で引っ掛かった。
あれ、うちの夫婦は二人でというより個人で、の方に拍車がかかってんじゃないか?って。
二人でやっていたことってコロナ前だと週一のお出かけが唯一だったのかなあって。
あそこでコミュニケーション取ってたような気がするけど、今は全然できてない。
各自の部屋で過ごすことが圧倒的に増えたし、外食も減ってしまったから一緒に食べるご飯もおざなりかもしれない。
番組ですごろくしていた夫婦がすごい羨ましい。あんな風に二人でワイワイしたい。
Rashomon
それを持っている日の、夕暮れ時の人。
1人の人の研修医GE おお けれどもRashomonと他において、何かの下の雨の暗闇が肩で押しのけることを待っていた。
誰もこの人に加えて広いゲートの下にいない。
1匹のクリケットバッタが、tannuriだけとあちこちにあてはまることのhakuの日本木製木靴および大きい柱MARUBASHIRAにいる。
スザク-oji通りSUZAKUOOJIにRashomonがあるので、法廷貴族のための法廷貴族もみアジア人ヘッドギアのためのさやjuuフォーマル帽子は、この人 他の2または3人の人々 に加えて雨の停止をする女性行商人ランプのかさICHIMEを持っているようである。
誰がそこにいないか この人に加えてそれ どちらも ?
いくらかの理由 私が言う時 地震 、および通り風TSUJI KAZEが火と飢饉後続を、2またはこれらの3年と京都、およびそれ言うsaiトラブルのために起こった。
従って、どのようにラクチュウRAKUCHUUを辞退するかは普通さではない。
別名NIは、古いレコードに従って仏教のイメージおよび仏教の祭壇器具を打ち壊し、到着し、金と銀の名声はつけられる、しかし、それが、突き刺されて、方法BATAに積み上げられた木を言う必要があり、 それらを それについて売った SHIRO まきまき 担当する。
ラクチュウが処分であったので、誰もが、起源より多くRashomonに行くことを捨てて、回想する人はそうではなかった。
そして、the、それは、私が破滅させたこと、およびきつねとタヌキの精巧さ sei仕上げ についてのよい物においてした。
1人の泥棒NUSU BIがそこに住んでいる。
それが取った私が言うカスタム チャージ of 最後に閉まる でさえおよび手を持たない死んだ人は、このゲートに連れて来られる、そして、それはそれを廃棄し、行き、される。
日の目がこれ以上見られないように、誰感触、それも、このゲートで副RU GAが足を付近に設定しないことであった。
私は多くを入手し 代用品 から またカラスカラスがである所 、来た。
それは昼間にいつ見て、私は たこ尾SHIBIの付近 円を描き、あなた 泣く間飛び回っている がいくつの鳥であるかのでカラスが泣く所が高価であるか?
ゲートの空が日没までに特に赤くなった時には、それはゴマゴマをはっきりと散乱させたようであった。
カラスは、もちろん、takuに穴をあけることに入る ゲートの死んだ人の肉 。
--しかし、遅い原因または1羽の鳥は、今日、任命された時間ボディ前兆も見ない。
石ステップ長い間草のトップがそれをしたこと、およびwhere 私が倒れるだけで、あちこちが、カラスの排泄物こやしがドットによって白に刺さっているのを見る形が損なわれた目により照らされる 。
研修医は、彼が7つのステップを持っている石ステップの上部のステップで洗い、よく、私はZARA、青色の引き戸のように思われた右のほおを持つことができた大きい吹出物吹出物についての雨が降ること 薄暗く 斧底を置く と悩む時に。
作者は、「研修医は雨の暗闇を待っていた。」を書いた。
しばらく前。
しかし、たとえ雨が研修医から損害を被っても、私が、どのように特にするかを言う目的が全然ない。
また、正面、引き潮SUIBIにおいてそれが書かれたので、京都の町はしばらくその時ではない。
それは、また、他ならぬ、この研修医が、実際長い間使われた私の夫から休暇を与えたばかりのこの引き潮で残留するので小さい。
従って、「方法場所が全然なく、雨が降り、含むように割り当てることができた研修医は、損失にいた。」と言う人が適当であることというよりも「研修医は雨の暗闇を待っていた」。
そして、また、空の今日の表情がではなかった および影響された研修医のSentimentalisme この平安時代 小さい。
猿猿のkokuボディに入っていることから書かれた雨のためにまだ上がっている風景が全然ない。
そんなに、私が持っていなかった thatと私は、何とかして、当面、生きることを明日、明日扱おうとするのも聞いていた、そして、言う時-- たとえ何が置かれても、研修医がそれを扱おうとした それは何とかして全然ない、そして、それは、彼が救助も全然持っていないというアイデアに続いている間スザク-oji通りで雨のトーンがちょうど現在から振られるのを聞いた。
雨はRashomonを包み、遠い場所から、サウンドの呼ばれるZAAを収集し、来る。
たそがれが空を短くし、徐々に見上げる時には、ゲートの屋根は、斜線について取り出された屋根タイル屋根タイルの前で薄暗い雲を重くサポートしている。
それを扱うために方法が選ばれるレジャーの時が全然ない それは何とかして全然ない。
選ぶ時には、それらは道端のchikutsuchi TSUIJIまたは地球の下でonのkishi飢餓をし続けている。
私はそれをし、それをこのゲートのトップに持って来、犬のように廃棄され続けている。
aであるアイデア-- それが決められない 何度も同じ時の研修医 方法 、teikai、私 買われたこととされたこと、HOUCHAKUの最後のラインの後で、ペンチの制限された部分に出会う 。
しかし、これ、「それがした時。」 私が立ち上がったこと、「それがされた時。」の時でさえ 。
私はすべてを追いかけた。
方法を選ばないために、研修医が認めて これ、「それがした時。」 外に出る 勇気 けれども、ただ、可能 もちろん、どれが後ろに来るかを身に着けている を言うために、どれが認めるか 「泥棒NUSU BI および、それが選択を全然持っていなかったけれども、そうであるために。」
積極的に、落ち着くために、ここにあった。
それは、むしろ、研修医が大きく、それがし、daigi IGIと思われていること、それが上がったteiのにおいがする。
夕方冷気がする京都は、すでに、私が火桶日のおけを望んでいるという程度ににである冷たさである。
たそがれだけでなく準備なしで柱を通って風がゲートで、および柱の間に吹く。
tannuriにあてはまることの柱にいたクリケットバッタは、また、すでにどこかに行っていた。
黄色のaseshin KAZAMIに積み上げられた青色の引き戸は上がり 黄色 私 斧に高く肩で押しのけさせて、ゲートのまわりで調査した 、研修医のための首首をよく少し下げる間上がった。
する夜の容易さにおいて 風と雨が害悪、NERAREであるREEを全然持たない無見られたku恐怖 、思われなさい。
それは、私がとにかくそう考えたからであり、私は、また、場所があった時に、一晩中起きていた。
そして、 はしごはしご on which 広い ゲート幸運にもまた広がる別名のタワーに昇るこれは、目に執着した。
たとえ人 トップ があっても、とにかく、それは、死んだ人であるだけである。
ヒジリZU 研修医がそこの下の後ろにぶら下げたパターン通り、または剣 sayasou SA YA 私が、知らないように慎重な間日本のサンダルの麦わら製麦わら製日本サンダルをはしごの下のステップにつけるフィートのステップに始めた時 。
そして、数分のための後。
1人の人が、猫のように縮こまる間彼がRashomonのタワーのトップに外出する広いはしごの中間投錨地の上部のヨーコ合図をのぞき見し、息を持っていた。
かすかに、タワーのトップから示す火のKoが、男性右ほおを濡らす。
それは、短いmustache. katsuの赤の膿汁膿汁を持つ吹出物吹出物を持つほおであり それを軽く取った 、これにある人は、研修医のための最初から、死んだ人であっただけである。
2の3のステップのそのものが、あなたがトップにいる 火 はしごを見て、 TOBO さらに、それらはそこでここによってその火を変更するようである。
不潔な黄色いライトは、シーリングと屋根の間のスペースでクモクモの巣で震える間、すべてのコーナーに適した。従って、これは直ちにそれによって知られていた。
この雨の夜このRashomonにおいて火が点火されるので、とにかく、私は普通の人ではない。
研修医がヤモリヤモリのような歩みを盗用し、蓋を付けられて、最後に上部の棚まで突然のはしごにおいて彼が最も這うと。
それをし、ボディをなるべく平易なフラットにする間shiが正面への首をなるべく取り出したこと用心深さ、取り除かれること、およびタワーの中ののこぎり。
単に私が、タワーの中の噂においてそれが見られると耳にすると、いくつかの死んだボディ死んだボディが廃棄されるけれども、私が考えたより、火のKoが来るエリアは小さい。
従って、 誰も いくつが数を知っているか?それは薄暗いけれども、それは、それの間に知られるように着物が着られた裸の死んだ体および死んだボディがあることである。
人形netsu練り地球および死んだボディがそれをし、誰もが、それが、以前住んでいた人であったと言うという事実により疑われさえするように作られたように、口、kaiは開き、私は私の手を伸ばし、それ雷鳴、私は、フロアに落ちていた。
さらに、部分 which で薄暗い火のライトを受け取る間永久にそれがoshi押しであったので肩、胸で高価になり、部分の影を作るので、それはより暗い、私は静かであった。
無意識に、enは、研修医GE NINのそれらの死んだボディのフランを振らないされたにおいによって先端をカバーした。
しかし、すでに手が次である 先端 瞬間に、en U事実は忘れられた。
いくらかの強い感覚が、すべてのこの男性的なにおいがほとんど取り除かれたからである。
石盆地はその時研修医の目を開始し、死んだボディにおいてかがむ人に会った。
短いスー銅貨が、誰がイトスギ樹皮屋根板色HIWA DAIROの着物を着たかので、薄くなった酷寒の頭酷寒頭の猿のような年配の女性。
年配の女性は、彼女が、右手の火に点火した松木破片KIGIREで、死んだボディの1つの面をのぞき見するように見ていた。
長い毛を持つ場所が見られる時には、それは、女性の死んだボディである。
研修医は6分および4分の好奇心への心配に移動させられて、しばらく、ZAN JIが、呼吸する生きをすることを忘れさえした。
古いレコードのレポーターの言葉を借りる時 それゆえ、それが触れられた「私が頭について尋ねて、ボディが重量も得る髄の毛」 。
そして、年配の女性は、猿の親が猿の子供のシラミシラミを正確につかまえるように、長い毛のうちのそれぞれを取り除きはじめた床と両方の手の間で松木破片が入れられる時は、これまでに私が見ていた死んだボディの首において賭けられる。
毛は手で出るようである。
私は、毛の出のうちのそれぞれを持つ研修医である 少し消失したことを心から恐れている 。
私はそれをし、この年配の女性への強烈な憎悪は、それによって同時に少し進展し、私は来た。
--いいえ、それがこの年配の女性に直面していると言って以来、壁を話すための欺き方法があるかもしれない。
実のところ、すべて締める反感は、1分ごとに力を増大させて、来た。
誰かがkishi飢餓を作るかどうかにかかわらず、しばらく前ゲートの下でこの人がこの研修医を同時に考慮した 泥棒NUSU BI および、もしそれがであるかどうかにかかわらず再び発言の問題が取り出されるならば 悔いも全然持たず、kishiを選んだものが研修医であるケース ?
この男性の悪をそんなに多く憎悪している心臓は、年配の女性のフロアに置かれた松木破片KIGIREのように力強く燃え上がりはじめた。
研修医は、なぜ、もちろん、年配の女性が、死んだ人の毛を取り除くかを知らなかった。
従って、理性的に 右と間違いのうちのin which 、私がそれを片付けることができた それを知らなかった。
しかし、それは、すでに、それだけによって、研修医のために、この雨の夜、このRashomonにおいて、死んだ人の毛が取り除かれたと伝えていることが許されているべきではない悪であった。
それが、泥棒 まで 今 である意思を持っていたこともちろん、研修医 すでに彼がここにいることを忘れた 。
従って、研修医は強調を両方の足に置き、突然はしごからトップに飛び、上がった。
そして通りパターンヒジリZUまたは私は、剣で精巧な苦痛を取る間、年配の女性の前で、隔たって広い私の足に増した。
表情研修医が会われた時に銃弾がいし弓いし弓 場合 によりすべて弾き飛ばされさえすると、年配の女性は飛び、上がった。
「 1回の行きをする所。」
年配の女性は、死んだボディが衰えたけれども、研修医は混乱し、とりでが、彼が脱出し which うとするライン手を閉じて、要求するbaを乱用した。
それでも、年配の女性は、研修医 わきに置かれることと行き に突き刺そうとする。
しばらく口もきけない間、死んだボディにおいて2人の人々が組み合った。
研修医は最後に、年配の女性の能力を把握し、そこのねじを力ずくで取りこわした。
正確に、それはチキンチキンの足のように骨だけの能力と皮である。
「何がされていたか?言いなさい。私は言わず、それはこれである。」
年配の女性が押しやられた時には、研修医は突然剣のさやマージンを支払い、GANEの色を白いスチールのための即時性に押し付けた。
たとえ年配の女性がどのように静かでも。
両方の手を震えて振ることおよび肩を持つ切断息の間、目、それは眼球であり、 私 おお、程度に、私は集晶ブタの外でほとんど外出するところで に 、shitsuyou SHUU NEKUは目を広く開き、oshiのような静かになる。
これが見られた明らかにこの年配の女性のライフと死が始まった時、完全なその意志による判決時には、研修医は、彼が言うことに気づいていた。
私は会い、レバーの意識のため、急勾配で、これまでに非常にすぐすべて熱烈な憎悪の心臓がだめになった。
残留ものは、それを持っている仕事をし、後 後 にそれが完全に遂行された時には、平和な長所と満足を持っているだけである。
従って、研修医は声を少し容易にし、年配の女性を軽べつしている間、そう言った。
「自身、回転は、試験的な会議用のKEBII SHIのエージェンシーの役員ではない。しばらく前一緒にこのゲートを受けた旅行への人。従って、ロープロープがあなたにぶら下げられて、どのように あなたが、あなたが言うdon'tをしない ?あなたがし もの 、それのこのゲートでここにあったかどうかにかかわらず、あなたは自身と話すべきである。」
そして、年配の女性は、目を、広くより大きく開かれて、研修医の面が辛抱強く見させられた。
それは、まぶたが赤くなった肉食事鳥のような鋭い目から判断された。
そして、いくつかの物でさえ、しわを持つものになったほとんどすべての先端とくちびるをバリバリと噛んでいた時に、それは動かされた。
それは、薄いのどであり、示されるのどぼとけのどぼとけが動いているとわかった。
そして、カラスカラスが泣く声は、禅あえぎに送られて あえぐ 、研修医の耳 のど および私は来た。
「後に私がそれをかつらランナーにすると思うTAで、後にこの毛を取り除く この毛を取り除く そして 。」
私がそれをし、がっかりすると同時に、前の憎悪は、再び、冷たい軽べつしたBUBETSUおよび1 SHOの精神に入った。
そして、その表情舞台面はまた、他の側に通じている。
年配の女性は、1つの手において、死んだボディがまだ最初から取り除いていた長い落ちた毛を持っていた、私は、ヒキガエル引くことがつぶやく声によってためらう間、そのような事を言った。
「言うために である死んだ人SHIBIを持つ毛 私が 見て、取り除かれる which それが防止悪い物であるかもしれない 。そして 死んだ人 ここにあるけれども とここ、誰〈the〉 事実をすることができる人だけという食事 も。まさに、現在私が毛を取り除き、剣エリア建物の近くで、ヘビ、4寸SHISU Nが、切られて、乾燥したものがである借りることに言うTEが魚HOSHIUOを乾燥させた時にキャンプに販売のou INである女性。AROを、暗闇を測定し、現在〈ou〉のさえ死であるNAN DARAに売る疫病〈おおの〉。それでレイプチャージで場合である それがよい味がし、剣エリアが、乾燥した魚を守ると言うTE この女性も 売り、それが、彼らがリヨにウニを買っていたと伝えていた 。考えるTEINU この女性が私をしたことは悪い。TEが、しない時のkishi、AROをして方法によって負ける。される時には、私は、また、後で私がしたばかりであることが悪いと思わない。どうぞ全然予期されないでくださいようにこれをしない時にkishiをするJA それは 立派に、それを作ってWAIをもっている。JA どうぞ 私が、その方法を寛大にほとんどよく持たないために知っていたこの女性であるとも思うDEARO 。。」
研修医はそれを冷却にし、剣をさやさやに入れる間、この話を聞き、剣のパターンステムの左の手をつかんでいた。
もちろん右手のため、赤において、ほおの膿汁を持つ大きい吹出物吹出物について悩む間、それには聞こえた。
しかし、これを聞く間に、ある勇気が誕生し、私は研修医の中心に来た。
このゲートのトップに近づき、しばらく前再びこの年配の女性をつかまえる時の勇気は、それをし、逆方向に完全に動こうとする勇気である。
kishiがされるかどうかにかかわらず、研修医は、たった今、それが泥棒であるかどうかに躊躇したところである。
それは、考慮された事でさえ、これからそのケースの男性的な自然を言う時に、ki shiを言うためにすることができないように、意識の外で動かされた。
「きっと、あなたのために会をしなさい。」
研修医は、声キャベツ模造品によって終えられることで終えられたその年配の女性の話し合いに思い出させた。
私がそれをし、前 吹出物吹出物から分離されて、まあまあに言われる MI.を握る間年配の女性の首のえりがかみ合うことができる に1ペアに外出した時に突然右である手
「私がhikihaku日の強奪をすることについてその時自身は不満を言わない。それがであるそれがしない時 kishiをするボディ 。」
そして、shuuは、死んだボディのトップにフィートに乱暴に固執しようとする年配の女性を打ち負かした。
彼らは、5つのステップ として はしごの口と同類である をランク付けし続けている。
研修医は、側で引きはがされたイトスギ樹皮屋根板色HIWA DAIROの着物を持ち、夜直ちに突然のはしごを底に置き、降りた。
そして、それは、すぐ、それが、しばらく私が死ぬと、崩れ落ちた年配の女性が、死んだボディの中から裸のボディを上げたことであることである。
うなる叫び声を上げる間まだ燃えている火のつぶやかれたライトに依存するために、年配の女性ははしごの口において這いさえし、行った。
touはそれをし、短い白髪の白い毛をそこから裏返しにし、私は底をゲートにのぞき見した。
2巻までの二人はただ相手が好きで、それだけで良かった。
3巻での山田は市川を求めているし、市川に求められる事を望んでいる。
しかし当の市川が自分の本心から目を背けているせいで望みはかなわないのだ。
だからこそ karte.43 で市川が絞り出した本心は尊い。
不器用で臆病だが精一杯山田を求める気持ちがこもっていて、ようやく山田は互いに求めあう事の充足を得た。
3巻は全体的に、山田の心が市川でわちゃわちゃする様を愛でる話が多かった。
単話ごとで見ると、山田が初めての恋に振り回される様はとても微笑ましい。
一方で3巻全体を通して見ると、すこしずつ山田が不安定になっていく様子がうかがえる。
求めるにつれ自制が失われ、年相応の性欲が芽生え、不安が募り、ついにはナンパイ彼女というストレス要因によって弾けてしまう。
この不安定さは最終盤、仲直りのハグ(2回目)とLINE交換によって肉体・精神の両面から満たされる事で一旦解消。
幸せの中で4巻に続いている。
市川は2巻中盤以降から相変わらずで、山田ほど恋に振り回されてはいない。
自分の恋心を「病気」と断じて未来への希望を排除しているため、より親密になりたいという欲求自体が抑制されているのだろう。
これはもちろん欺瞞であり、ポーカーフェイスの裏で溜りに溜まった歪みが終盤ついに吹き出して初恋を破たん寸前まで追い詰めた。
市川が歪みの正体に気付き乗り越えた事で二人の関係は一歩前進できたが、まだまだ色々な事(欺瞞そのものとか)から目をそらしている事は変わりなく前途は多難だ。
市川とのつながりが欲しい山田はLINEの交換を持ちかけるが失敗。
逆に成り行きで萌子と市川がLINE交換することになり激しく嫉妬する。
自分も市川に妬かせるためにクラスの石室君とLINE交換せざるを得なくなるが、すんでのところで市川が(意図的ではないが)阻止。
図書室以外での接触を避けたい市川は距離を取ろうとするが山田は一緒に走りたい。
なんだかんだ山田が気になってほぼ一緒に走り、結果はビリだった。
授業終わりでみんな教室に帰っているし、まぁいいかと手を貸す市川。
返したと思ったのは市川のジャージで二人のジャージが入れ替わっていた。
市川の名札が付いたジャージを山田が着てしまう事を危惧する市川。
市川は挙手して黒板前に進み出ると、問題を解きつつ山田に「名札みろ」とジェスチャーを送る。
が、山田は二人だけの秘密を楽しんでいるかの様に受け流すのだった。
ようやくの昼休み、図書室に市川が入ると山田は先に来ており、山田から返されたジャージの襟元にはご飯粒。
市川はいつもの食べこぼしだと思ったが、それは口元にご飯粒を付けた山田が市川ジャージに顔をうずめた痕跡なのだった。
ネットで山田がEテレ「コロンブス学園」なる番組に出演している事を知った市川。
丁度放送日だった事もあり気になって視聴する。
山田が皆に知られてしまう事を危惧する市川だったが、実際のところ山田はひな壇のその他大勢に埋もれ、しかも出番はほぼカット。
市川はホッとしつつも山田の傷心を思い「コロ学」の話は避ける事にした。
最近の山田は昼休みに宿題している事を知ったちい(小林)が図書室を訪れ、なりゆきで市川が問題の解き方を教えることに。
素直で裏表のないちいが市川とも距離なく話す様に、親友とはいえ嫉妬が隠しきれない山田。
市川の方でも「山田とだけは普通にしゃべれる」事をちいに指摘されて動揺。
その日の昼休みは終始かき乱される二人だった。
代わりに山田が市川に勉強を教わる事にして、図書室の二人は並んで座るようになった。
三者面談。学校で母親と接触したくない市川は面談室前の様子を隠れ見る。
順番が山田家の次だったようで、廊下の椅子には山田母・山田・市川母が。
隣に座るのが市川の母と気付いた事から緊張しつつも軽く談笑する山田と市川母。
面談終了後、玄関に向かう市川親子を見つけて後ろから駆け寄る山田。
そのとき「面談前にすごく綺麗な子とアメを交換しちゃった」との市川母の言葉に、一部始終を隠れ見ていた市川は「山田」と即答。
すごく綺麗な子=山田という市川の答えに顔が赤くなった山田はまともに話しかける事ができず、「ば、バイバーイ」とそのまま駆け去った。
萌子にちいの代役(椅子)を頼んだ山田だが、椅子萌子が山田の乳を揉んだだめ憤慨。
それなら、と黒板に「山田触っていい場所マップ」を書かせることに。
その日の図書室、市川がマップを見たと知っている山田は触って良いよとばかりに距離が近い。たじろぐ市川。
三者面談の話をしているところに司書の先生が入室し、慌てて距離を開けた。
ふと見ると山田は宿題ノートの端にアメを出しっぱなしにしていて、市川はマップ上「触って良い」になっていた肩を軽くたたき「アメ、隠せ」と耳打ち。
突然のささやきに山田は耳をおさえて赤面、超絶動揺してしまう。
後日、山田のマップには耳が「触るのNG」として追加されたのだった。
小雨かと思ったらドシャ降り。
冬の冷雨に打たれながら自転車で家路を走る市川はコンビニを出た山田と鉢合せした。
市川の濡れた髪と面貌に見とれて思わず手を伸ばしてしまう山田、たじろぐ市川に気付いてギリギリ未遂。
後ろで傘を持って2人乗りしようとの山田の提案もあったが、仕事の予定もあって結局断念。その場で解散となった。
ようやく家の前まで帰り着いた市川は、自転車の前かごに山田のコンビニ袋が入ったままになっている事に気付く。
袋の中にはお菓子の他に生理用品もあり、慌てた市川は再び雨の中を駅へと急ぐ。
何とか間に合った市川、大声で山田を呼び改札越しに袋を渡そうとする。
山田はわざわざ改札を出ると、袋を受け取りながら濡れた市川の髪を拭いた。
市川が慌てていた訳に気付いた山田は顔を赤らめつつも市川の耳にそっと顔を近づけて
続く「ママに頼まれた」という言い訳に市川は「あのキレイなママがなぁ・・・」とキモい妄想にふけってしまい、それと知らない山田はここぞとばかりにハンカチで市川を撫で続けるのだった。
前回の雨で風邪をひいた市川は学校を休み、平日昼間の一人の家を満喫。
そこに給食のイチゴババロアをもった山田がお見舞いでインターホンを鳴らす。
玄関先で少し言葉を交わした後、体調を気遣っておとなしく帰ろうとする山田を、市川は咄嗟に「あ、お、お茶でも、飲んでいっ、たら・・・?」と引き留める。
表情を明るくする山田。
自宅に山田がいるという緊急事態にテンパる市川、お茶の用意をしかけたところで汗まみれの寝間着が気になり着替えることに。
朦朧とした意識の中で「大丈夫、大丈夫」と答える市川だったが、上着を着せようとする山田の腕の中で再び気を失った。
熱に浮かされる市川は、山田に抱き寄せられるやけにリアルな夢を見ていた・・・。
頬を撫でる手の感触に市川が目を覚ますと、手の主は山田ではなく姉。
市川にはどこまでが夢なのか分からなかったが、イチゴババロアと置手紙から山田が来たことだけは間違いないようだった。
チョイ役だが一言だけセリフもあるそうで、唐突に冷たい声で「マジキモい」と映画のセリフを披露する。
山田が発したその言葉にセリフと知りつつ心底の劣等感が震えてしまう市川。
その後もセリフの練習を続ける山田だったが、周りの目を気にする市川の提案で人気のない場所に移動することに。
公開日は卒業直前の再来年春だといい、市川は否応なくその時の二人の関係について考えてしまう。
(再来年の春に)映画を観てくれる?という山田の問いかけに、市川はわからん、善処する、としか答えられない。
が、ほんの少しだけ覚悟をきめると「観られる(自分になる)よう善処する」と、初めて二人の未来について真剣な言葉を発した。
その顔を見た山田は胸がいっぱいになり、セリフの練習が続けられなくなった。
前回を受けてイチャラブ度がピークに。周りに隠す気あるのか?というレベル。
席替えの結果市川は廊下側2列目、山田はその左斜め前とギリすれ違い。
足立が山田と教科書シェア作戦を画策、市川が阻止。嫉妬が嬉しい山田。
山田の長身で黒板が見えない市川が原さんにノートを写させてもらう。頬を膨らませて拗ねる山田。
休み時間「原さんが隣でよかったねと」弱気な山田に「山田がデカくて黒板が見えない」とも言えない市川。
つい「授業中、山田しか見えない(から黒板が・・・)」と口走ってしまう。
結局席順は山田と市川を入れ替えて、最前が足立・市川、2列目が山田・原さん、となった。
市川は山田から借りた「君オク」を読んで山田から自分への好意に気付きかけるが、あり得ない希望を持たないようにその考えを打ち消す。
その場はちいが追い払うも、昼休みの図書室に今度はナンパイ彼女だけが登場。謎の正妻アピールで山田をけん制する。
市川に誤解されたくない山田は暴走してしまい、彼女に連れられて図書室を訪れたナンパイに、市川とのキスシーン(のふり)を見せつける強硬策に出る。
山田からするとかなりの覚悟を要した行動も、山田から市川への恋心を「あり得ない」と考える市川には「好きでもない男を利用する行為」と映ってしまった。
それは「市川のネガティブな世界観」と「山田が隣にいてくれる現実」のギャップを埋める説明としてこの上なく適切であるように思え、
市川は足をガタガタと震わせつつこれまでの全てが「ただ利用されただけの関係だった」と結論。自ら絶望する道を選んでしまう。
その選択はまた、内心抱えていた恐れから解放され、元の自分に戻るという逃避でもあった。
山田を拒絶し昼休みの図書室にも姿を現さない市川、山田は不安を募らせる。
2日目にして耐えきれなくなった山田は、放課後の市川に強引に詰め寄った。
山田はここ最近市川との接触を求めすぎていた事に負い目があったようで、
「おこってるの?なんで?」「私が距離近すぎるから?」と涙目で問いかける。
涙をぬぐおうと取り出したのは、いつかの「ご自由にお使いください」ティッシュだった。
それを見た市川は「山田はそんなヤツじゃない」と分かっていながら気持ちを偽っている自分自身に気付く。
市川は「欲しくてたまらないのに決して手に入らない山田」を想う気持ちが日増しに強くなる事から逃げる口実を求めていたのだった。
自分の本心を知った市川は山田に歩み寄り、たまたま用事があっただけ、と弁解する。
山田は安堵から思わず市川を抱き寄せるが、接触を求めすぎたことが原因だと思い出してすぐ離れ、仲直りのハグだったと言い訳。
市川は精一杯素直な気持ちを振り絞って「嫌だなんて言っていない」と返した。
山田は再び市川を引き寄せると、ようやく心置きなく、愛情のままに市川を抱きしめる事ができたのだった。
その日の帰り道。
浮足立つ山田と賢者タイムの市川の会話はイマイチかみ合わず、市川はやはり山田との相性は微妙と嘆息する。
逆に、君オクの感想を市川から聞いた山田は好きな場面が一致した事で心を弾ませた。
とその時、突如IQが高くなった山田に天啓が降り、君オクの続きを月曜に持ってくると市川に約束した。
はたして終業式の月曜、山田は君オクを持ってくるのを忘れる。
個人的には、現状は男性向け>>BL>夢>CPなし年齢制限なし>女性向け男女CPという認識。BL>CPなし年齢制限なし>男女CP≫夢のところもある場所もあるだろうとも思う。育ってきたジャンルで認識は大きく違うという感覚。男性向けと女性向け男女は違う印象。BL夢(男主)は観測範囲外のためよくわからないが、女主夢やBL、男女よりは下になる認識。感覚としてはCPなし年齢制限なし以外どこも殴り合っているため、きれいなヒエラルキーとは言い難いと思う。GL(百合)はよくわからない。属性としては女性向け作品によく入り浸っていて、男女が基本的に好きな夢やBLやGLもものによってはいけるタイプ。BLとGLだったらGLの方がよく見る、夢はCPなしのようなものの方が好き。乙女ゲームだと自分としてプレイするのではなく、ヒロインと攻略対象をヒロインの体からのぞき見する感覚でプレイする。プレイヤーがコントロールできる少女漫画として楽しんでいるともいえる。2010年くらいから同人を見るようになって、途中でpixiv一本になったROM専。認識にはpixivやツイッターの存在が大きい。
1、BLについて。乙女ゲームがきっかけで二次創作を知り、同じサイトで扱っていた少年漫画ジャンルも割と見るようになったりと同人サイトに入りびたりになった。乙女ゲームなのに攻略対象者同士のBLを見つけてしまったり、女性向けゲームの雑誌でBLゲームコーナーが多いのを知るなど個人サイト時代からBLの存在は知っていた。乙女ゲームがきっかけでpixivを知り、入り浸るようになった後に某少年漫画が流行し、ハマった。女性ファンばかりなのもあって、二次創作を見るとBLが圧倒的だった。主人公とヒロインにも萌えていたが、BL作品や作者に比べると圧倒的に少ないと感じた。それからというもの女性ファンが多めのジャンルだと、元がなんでもBLばかりで検索除外しようにもCP名しかつけてないのもあったり、女キャラをBLのために雑なキャラ崩壊させるのが多かったりするというのが閲覧者として多く感じた。原作での女キャラとの恋愛描写に文句を言ったり、想定以上の女キャラへのヘイト感情が高かったり、BL以外のCPにマウントしたり、単語の意味を乗っ取ったり、ネット上で暴れたりする人などマナーが悪いなと感じることや、それへの全体的な対処の雰囲気がないように感じた。おそらく人数が多いからマナーが悪いままの人もいるとは思うが、人数が多いからこそBLのヒエラルキーはかなり高いという認識。
2、夢について。個人サイト入りびたり時代に面白いと感じる夢にも出会えたが、ヒロインの存在乗っ取り系夢、年齢制限物でキャラ崩壊が過ぎるという夢もあった。利用していたサーチでは非ヒロインものが感覚としては多く、実質のところは夢の方が男女よりも多いと感じた。pixivを利用してからは夢に出会うことはなかったが、2015年の刀剣乱舞リリース以降よく見るようになった。夢とBLとのすみわけ論争が刀剣乱舞では起こり、それを見てBLは夢よりもヒエラルキーが上なのだなという感覚に陥った。現状では原作での恋愛描写やヒロインに文句を言ったり、ヒロインをうがった目で見たり、原作でのヒロインを無視したり、マウントとったりするなどマナーの悪い人が多く感じた。しかし、BLよりは性質上作者・読者が結びついているという感覚はない。BL夢(男主夢)に関しては非恋愛夢・友情夢を好んでいたために存在は知っているし見たこともあるが、男のオリキャラと原作キャラ(男)との恋愛夢に関しては存在だけは知っている状態。百合夢も最近知ったため、夢の同性間恋愛ものについては女夢主と男キャラとの恋愛よりはヒエラルキーが下という感覚。
3、男女について。ネットで悪名高い少年漫画の男女CPにはまることは少なく、感覚として苛烈ではない性質だと思う人に出会うことが多かった。基本的には公式で描写のある男女にはまることが多かったせいもあると思う。公式で描写のない男女にもはまることは多かったが、①人気があればそのルートが作られるジャンル、②キャラの恋愛描写には決して描かれないジャンル、③公式でフラグは立つものの作者のスタンスが公式化を狙ってないものが多い、と感じることが多かった。pixiv以降ネットで悪名高い男女CPをはじめとする男女CPの人のやらかし(原作メインヒロインアンチ、多方面でのマウントなど)や作品を聞いたり見たりするうちに、男女も性格が悪い人が結構いるのを知り男女CPは完全なるヒエラルキーの底辺とは言えないのだなと感じている。ただ現状のpixivでは夢やBLの人気がすさまじく、観測範囲の男女CPが夢と区別しづらいもの(主人公の個性が必要以上に出せないゲームでの女主人公ものなど)もあり、男女を名乗ってはいるが夢(女キャラの人間性を無視して、男キャラにしか萌えてないように感じるものなど)というものも感覚としてあるため、BLよりは下、夢よりも下という認識。
4、男性向けとCPなし年齢制限ありについて。男性向けは感覚として、オタクのイメージ=男性向け創作となっていると思う。商業的にも同人的にも女性向け作品よりも多大なシェアであるという認識。年齢制限分野の話になるが、性癖が男性向け方面というのを抜きにしても女性向け創作が生緩いものが多く使えないものが多いため、男性向け年齢制限>>>>女性向け年齢制限という感覚がある。女性向けがBL、夢、男女とシェアを複雑にしている中で、男性向けは一つのパイに集中しているという認識。CPなし年齢制限ありは、それ専門でやっている人をあまり見たことがなく、BL、夢、男女の人たちが書いているのを見ることが多かった。BLの人にマウントをとられたり、夢ではオリキャラ無双、男女ではヒロイン総受けの体のいい道具として、使われているのを見た経験はある。寵愛されるのがオリキャラか自分の好きな原作のある一人のキャラかであるという点が違うだけで、スタンスとしては同じだと思う。ただ二次創作が好きな原作を創造して書くものであるため、嫌ったり厭う人は少ない認識。BLが作品・作者・読者ともに多い分、人数差でヒエラルキーは負けるものの、夢や男女よりはヒエラルキー的に上だと思う。
5、GLについて。女性向けジャンル・女性ファンが多いジャンル(男キャラが多いジャンル)によくいるため女性向け百合は全然見ないか、BLのついでの処理の感覚がある。BLの処理とは原作で男←女だったり、まだフラグは立ってない良いなかの男女で、男キャラをほかの男キャラとくっつけるため別の女キャラとくっつけること。女キャラ同士に萌えたわけではないなという作品を見たことがある。BLっぽいということが、人気の要因となったGLCPもあるとは聞いたことがある。百合の意味をBL的な意味(受け×受け)に乗っ取られかけたりするなど、BLよりはヒエラルキーが下の感覚はある。男性向け界隈では、自分以外の同性(男)を見ずに済むためか重宝されているものの、本質としては男性向け男女(自分×キャラ)の代替の場合も結構ある印象。ただ同人作品としてみることは経験上少なく、一次創作のほうが多い。
BL、夢、男女どれかしか食べられない人、萌えるメインが存在する人、全部同じくらいに好きな人と様々だろうし、あるジャンルでBL書いている人が女夢主との恋愛を書いていること、男女を書いている人が女夢主を書いていることを見た経験もあるし、ジャンルによっては違うと思う。男性ファンが多く、女性キャラが多いジャンル(艦これやラブライブなど)だと、BLのヒエラルキーは男女(男性向け女性向け関係なく)よりは下に感じることもあるだろうし、女性ファンが多く、男性キャラが多いジャンルだとこっちみたいに男女のヒエラルキーをかなり下に感じるだろう。グラブルやfgoなどの両性をターゲットにしてどの層にもサービスを行うジャンルでは、ヒエラルキー差は強く感じないこともあるだろう。自分が被害を受けたことは忘れなくても、自分が攻撃をしたことは忘れているため、こっちがメインの男女のやらかしを過小評価、BLや夢のやらかしを過大評価している節も否定できない。
https://note.com/komatsuna777/n/n1d69e89f8c59
こっから始まってちょっと言及したくなったことが出たけどその前に
https://tkrtht.hatenadiary.com/entry/2019/06/04/195908
このへんとかを合わせて読んでポルノとしてのR18BLと性的消費が主題でないBLは分けて考えた方がいいんじゃないかと思った話をします。
(不可分って言ったのに分けて考えるというのもなんか変な話なんですが)
そもそもBLになぜハマるかについては人それぞれ理由があるので全部ひとまとめにはできないわけですが、それでもやっぱり大まかな傾向っていうのはあります。
ありますが、その大まかな傾向も当然ながら一つにまとまるようなものではなくて何種類かに分かれるはずです。
そういう中でBL=ポルノとかBL=性的消費とか言い出すと、いや確かにそういう部分があることは否定しませんけどそれ言い出したら恋愛小説は全部性的消費かっつったらんなことねぇだルルォ?ってなるじゃないですか。
ポルノとしてのBLについての考察は個人的にはかなり当たってるところはあるんじゃないかとは思いますし、そのあたりを否定するつもりはないんですけど。(受けが女体化したりするのはまさにそういうとこだと思ってるしなんなら自分も受けに投影してポルノ的な消費の仕方をするBLもある)
普通に男女の恋愛ものとかも少女漫画もガンガン読むし、少年漫画とかで主人公×ヒロインを推しまくって恋愛フラグのないサブキャラをくっつけてキャッキャしたり主人公攻め、主人公受けの場合も主人公に明確な恋愛フラグが立ってないからこそ男とくっつける時もあるので「それだけじゃないよ!」っていうのは声を大にして言いたいわけです。
例えば自分はマジモンの「性癖」として悪堕ちモノとか洗脳モノとか催眠モノとか好きでして、リアルの世界でそういうことをされたいかと言えば絶対にノゥ!なんですけど、安全が保障された妄想の世界であれば征服される側になってみたいというM志向があって、かと言って自分自身の容姿やら何やらには割とコンプレックスがあって自分がそういう目にあってもまあ興奮するどころか萎えるので、美形同士のMC系コンテンツはガチでポルノ消費してます。(キモオタとかモブおじがかわいい子をあれこれしちゃうのは好みでない)
「犯される」ことがかなりウェイトが高いみたいで、レズものでもふたなりだったり触手とか使ってまあつまりインする類のものであればとてもにっこりして読めます。増田じゃないとこんなこと書けねぇわ。
じゃあBLは全部ポルノとして消費しているかと言えばそうでもなくて、そもそもR18じゃないBLとかも普通に読むし好きなCPでもそこまで積極的にエロ妄想しないCPとかもあるんですよね。
あとこれは本題とは無関係ですが「必ずしもポルノ消費するのが目的ではないけどポルノ消費もできるCP」についてはABの場合BAもCBもNGですがBC(恋愛感情はないけどいわゆる連鎖堕ち、快楽堕ち要員としての攻めのBと落とされるC)はアリです。ポルノ消費しない場合のBCはやっぱり無理です。おまけにポルノ消費を目的としていない部分の自分がたとえポルノ消費であろうとAとBの間に必ず愛情を求めてきます。(歪んだ愛情は可)
何かの参考になるかと思って書いたけど業が深いなこれ。
それで「じゃあポルノ消費を求めないBL」について何を求めているのかという話ですが、多分突き詰めると本当は愛や情ではあっても恋愛である必要はない、互いに求めあう心だとか、こころのふれあいって奴を求めているんだろうなあとは思っています。
それは別に恋愛でなくとも家族や親友といった間柄でももちろん表現できるものではあるんですが、そこでなぜ恋愛関係にもっていくのかについては自分の中の固定観念として「結婚とかは基本的に面倒臭いことだし誰かと一緒に生活するのって何かとしんどいけどそのしんどさを許容してでも一緒にいたいと思える相手は本当に想っている相手だ」みたいな感覚があるんですね。
それが必ずしも正しいものではないことも理解はしていますし、常に一緒にいることだけが愛ではありません。
ですが一つのモデルケースとしてとても分かりやすく、「いいことばっかりじゃないけどそれでも一緒にいたい相手と一緒にいることを選ぶ二人の話」はあれこれ考えずにするっと頭の中に入れられるので気楽に人と人との心の触れ合いを楽しみたい時は恋愛に行くのだろうなあと思います。
それ以外でも家族の絆とか友情とかももちろん好きですが、なんだかんだ恋愛ものってやっぱりコンテンツとして大きいしその分洗練されてて安定した品質を確保しやすいのはあるよなあと。
だから自分は別にBLに限らず男女でも百合でもなんでも自分の感覚に会えば見ます。その時に必要としているのはSEXではなくて心のふれあいなので。
そのような背景を前提に、二次創作で同性CPを妄想する時になぜそこをくっつけたのかという自分の思考の流れを追います。
まず最初に既存のコンテンツや公式CPではなくて二次創作による捏造CPを生み出す理由として、自分が考察厨で妄想癖があることが原因かと思います。
受け取ったコンテンツを消費する時に、そのまま受け取っておしまい、ではなくてなぜそうなったのかの裏を考えたり、間の空白をそれっぽい何かで埋める遊びが大好きなんですね。だから二次創作CPも無から有を生み出すのではなく作中の描写を元にそれを拡大解釈して捏造するのが好きです。これは好みの問題ですのでもちろんそれが正しいとか言うつもりはないです。二次創作なんて全部捏造。
この、考察厨亜種としてのBL好きの存在は実は結構いると思っています。特に二次創作をやってる人は考察勢と言うか、CPとして成立する根拠を持ち出す人が多く、顔カプと言われるような原作で接点のないキャラをくっつけるのを嫌う傾向にある人が多いと思うので。
そしてそれが男同士になる場合、一つは「恋愛が主題ではない作品の場合、主人公とヒロインのフラグが薄い、あるいは明確なヒロインが存在しない場合がある」ことにあります。
先程も言いましたが、自分は恋愛要素があるコンテンツは(複数ヒロインの際にどのヒロインを推すか問題を抱えることはあれど)ファイナルファンタジー(最終回発情期)やら連載途中で後付けでフラグが立ったりとか作品に入る順番を間違えた(うっかり終盤のネタバレを踏んでそこから入ったとか二次創作から入った場合)といった事故を除けばそもそも主人公×ヒロイン推しの人間です。FFシリーズ(PS以降)とかテイルズシリーズなんかは主人公の同性CPは考えたことないです。
ところがそういった関係性が明示されていない場合、「この作品好きだけど心のふれあい要素が少ないんだよなあ。あれ、そういえばこの主人公このキャラと仲がいいよなあ、ふむふむ…」といったあたりから始まって妄想が始まっていきます。
もう一つは「恋愛フラグが立っていないメインキャラ同士のCP」であるケースです。
この場合、性的思考は割と異性寄りなので男女で見ることの方が多いですが、最終的にときめいた関係性のキャラをCP視するので、メインキャラに男性が多い作品だったりすると軽率にBLに走ります。
また、主人公が無個性であり主人公と自信を同一視するようなタイプのゲームだと自分とキャラの恋愛は「そもそもこのキャラが自分を好きになるはずがない」と解釈違いを起こすので主人公とのCPは除外されます。
とは言えCPの女性側や受け側に自己投影をしていないとは思いません。(二次含めて創作する場合)登場人物全てある意味では自分のペルソナだと思っているので自己投影を全くしていないキャラなどいないという意味で。
ですが「そのCPが互いに心惹かれるに至った動機」だとか「相手のどういった部分を好きなのか」といったこころのふれあい部分に自分のパーソナリティなんぞが入ってきたら邪魔というか異物でしかないので、キャラに自分の一部を重ねることはあっても自分のパーソナリティを重ねることはないです。
そういう意味では攻め視点・モブおじ視点は自分のようなタイプの腐女子とは相容れないですね。(もちろんそれが悪いとは言ってません。分類が違うということです)
ところで書いていて思ったのですが、腐女子が受けに対しての「自己投影」を否定するのは、人によりけりですが「私は受けと自分のパーソナリティを同一視したりはしていない」の意味が強い思ってます。
単に共感するかどうかではなくてそれこそ自分自身が作中に入り込んだのかのような、それこそ同一視というやつになるんでしょうか。それはやってないよという意味だと思ってます。
昔からアイドルに対しての「ガチ恋勢」とかキモイってよく言われるじゃないですか。住む世界が違う相手に本気で恋い焦がれる、まではまだしも彼女かなにかのように振舞うとかキモイ、ってやつです。
それと似たような感じで、住む世界どころか実在しない相手に対して本気で恋い焦がれて彼女面するとかキモイ、妄想乙、って話だと思うんですね。
つまり「ヒロインに自己投影=ヒロインと自分のパーソナリティを同一視するような奴」は「架空のキャラに対して本気で恋愛感情を抱いており」「架空のキャラをまるで現実の人間であるかのように扱い、恋愛感情を抱くなんてキモイ」というという三段論法なんじゃないかと。
誤解されないように言っておきますが、私個人がガチ恋勢をキモイと言ってるのではないし、ヒロインとパーソナリティを同一視することが必ずしもキャラとの恋愛にイコールで繋がるわけでもないし、夢女子がガチ恋勢とイコールで繋がるわけでもないし、自己投影を理由に相手をバカにするような行為は本来許されてはいけないものです。
物語が誰の視点で語られるか、の問題ではないと思われます。受け視点のBL二次なんて腐るほどありますが、なら受け視点の物語であれば自己投影を疑われるかと言ったらそんなことないです。
なぜ架空のキャラに対して恋愛感情を抱くことをキモイと感じるのか、あるいはキモイと言われてバカにされるのかについての根源的な部分についえは残念ながらよく分からないのですが(現実と架空の世界を混同していると思われているのかな)、実際に夢女子に対して「キャラと恋愛する妄想とかキッモww」というたぐいの罵倒は見たことがありますし、自分にもバカにするとまでは言わずとも昔になんとなくガチ恋勢を下に見ていた時期はあったなあという黒歴史があるので。
で、二次で受けのキャラ崩壊が激しいと、もうそれこそポルノ目的で快楽に弱いえっちな子にされるのは逆にそういうものだと納得?できるのですが(キャラ崩壊そのものが嫌な人もいるが、それはそれとして理由が明確である)、明らかな性的消費というわけでもなさそうなのにこのキャラがこんなことやるかよみたいなことをしたりすると、キャラの性格を改変した理由に自分の中で何かしら説明をつけるために「この人は受けに自分のパーソナリティを反映させているのでは?」という仮定が出てくる、と。
更に他ジャンルの二次創作でもどんなキャラであろうとも常に受けの性格が一定のテンプレに押し込まれていて原型がなかったりすると倍率ドンですね。
そして原作と性格がかけ離れてしまった(と読者が感じた)キャラが優遇されていると、そのキャラが好きで優遇したと言うより改変後のキャラが好きで優遇されたと判断され、改変されたキャラは作者のパーソナリティ的な分身だと認識される、と。
当然ながらその仮定は仮定でしかないし(単純に二次作者の力量の問題であるパターン、実はむしろ原作に忠実であり読者の方がむしろ受けを美化しているパターン、性癖ではあるがパーソナリティを反映しているわけではないパターンなど色々あり)、仮に事実であったとしてもそれを理由に相手をバカにしたりするのは言語道断なのですが、思考の流れとしてはそう特別なものではない気がしています。
要は「飛影はそんなこと言わない」なんですよ。もはやそのキャラはそのキャラではなくニセモノとみられているのです。
壁になりたい、空気になりたい腐女子については単なる第三者というだけではなくて第三者かつ彼らを至近距離からのぞき見したい現れなのではないかと思っています。
というか物語を楽しむ視点の話ではなくて「そのCPの私生活やら何やらをあますところなく全部至近距離でじっくり拝見したい」んですよ。
だから「空気になって24時間推しCPに密着したい」になるんですね。空気視点で作品を楽しみたい、とはちょっと違う気がします。