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はてなキーワード: 滞日とは

2022-06-21

anond:20220621180753

日本に対するスタンス

ビゴーの身長は160cmと欧米人としては低く、当時の日本人成人男性の平均とほぼ同じであった。清水勲は、このことで威圧感を与えずに日本人の中に入り込むことができたこと、また日本人の目線と変わらない絵の構図を獲得できたことを推定している[48]。

ビゴーの描いた風刺画のうち、鹿鳴館日清戦争を扱ったもの小学校中学校高校などの社会科歴史教科書にしばしば教材として掲載されてなじみが深い。これらの絵では日本に対して辛辣な描き方がされている。これについて清水勲は、ビゴーは条約改正を尚早と考える点では居留地外国人と同じスタンスに立っており、日本人の非近代的な側面を強調することでそれをアピールしようとした際に、貧相な容姿と非近代性をこじつけることが読者の理解を得やすいと考えたからだとしている[49][注釈 7]。

ただし、ビゴーが批判したのは日本国家の皮相的な欧化主義であり、日本の伝統的な文化庶民の営みには敬意と共感を抱いていた。子守の少女鉢巻きを巻いた姿で遊ぶのを目にして「鉢巻きは赤ん坊の顔に髪が触れないための工夫で、少女が遊ぶことで赤ん坊も楽しめるという点で日本の子守は悧巧である」と感服したという日本人の証言が残されている[注釈 8]。女性については『トバエ』の中で「日本で一番いいもの、それは女性だ。(中略)日本女性に生まれたのだから、どうぞ日本女性のままでいてもらいたい」と記し[52]、絵においても上流階級の人々は別として、風刺の少ない絵を描いた。後には日本女性結婚している。この背景として、日本女性がビゴーの求める日本的なもの江戸情緒を伝える存在だったからだと清水勲は記している[53]。

1898年頃と推定される詩画集『横浜バラード』には、日本への幻滅(糞尿を運ぶ荷車の悪臭や、外国人には高額をふっかける日本商売人)が歌われ[54]、離日直前に刊行した画集1899年5月』では条約改正後の日本に対する外国人不安ストレート表現されていた。しかし、フランス帰国後も亡くなるまで日本に対して愛着を抱き続けた。また、日本軍をよく知っていたビゴーは、日露戦争当時のフランスで「ロシア圧勝」という世論同調しない数少ないフランス人でもあった[55]。

欧米における日本描写ステレオタイプとなった「つり目で出っ歯」という姿はビゴーの風刺画にも登場するが、その点について清水勲は「当時の日本人は現在に比べて国民全体の栄養状態が悪く、小柄で出っ歯の人が多かった。そうした日本人の姿が1867年パリ万博で直に欧米人の目に触れたことと、ワーグマン、ビゴーなどの来日外国人の絵や当時の写真などの影響とによって広まり欧米人日本人観の一要因となったのではないか」といった意見を述べている[56]。

一方、同じくステレオタイプとしてよく登場する眼鏡については、ビゴーは「一般的に言って、日本人の視力はたいへん悪い。日本では様々な形をした、また様々な色をした眼鏡をかけている人に出会う」と記している[57]。清水勲は当時の日本人が「栄養状態が悪かったせいか、また家屋の作りから来る照明状態の悪さから視力がよくなかった」ことと明治以降印刷物を読む機会が増えたことで、眼鏡を多くの人が使うようになったのではないか推定している[57]。ただし、ビゴーの絵に眼鏡をかけた人物は必ずしも多くない。清水も、昭和期以降の欧米での日本人像に眼鏡が多く出る理由には昭和天皇や東条英機といった眼鏡をかけた要人がいた影響を指摘している[58]。ビゴーが庶民スケッチした絵では男女を問わず様々な人相・年齢・職業人物を描き分けている。

清水勲は「ビゴーは反日家なのか親日家かと聞かれることがあるが、答えはもちろん親日である」と述べている[59]。

及川茂は、帰国後のビゴーは、当時フランスで見られたインドシナなど他の風俗と混交したようなでたらめな日本描写を快くは思わなかったが、それに立ち上がって抗議するような形での感情日本に抱いていなかったとしている[39]。及川はビゴーが「日本をエキゾチストではなく、生活の一部として生きてきた人間」であり、「日本と対決したり競い合ったり摩擦を感じたりするのではなく、あればあるがままに、なければなしでもやっていけた」という[39]。滞日当時の日本は「そこで生活していれば批判対象であり、揶揄の種であった」が、それはビゴーが初めて知った日本とは別物であったとする[39]。帰国後のビゴーにとって日本は「いつも優しくそこにある国」で、素朴で自然暖かい日本自分の心の中にしまっておきたいという感情故に、ジャーナリズム挿絵画家という職を捨てざるを得なかったと指摘している[39]。

2018-05-21

栗城氏行動記録2018

4月16日 東京FM局にカメラ担当と出演、法螺を吹く。

4月17日 昼に出国 夜にカトマンズ

4月18日 カトマンズ滞在中・音信なし

4月19日 音信なし

4月20日 カトマンズ→ルクラ(2800m)に飛ぶ

4月21日 ルクラ→ナムチェバザール(3440m)

4月22日 ナムチェ→タンボチェ(3860m)

4月23日 タンボチェ→ぺリチェ(4270m)

4月24日 休養日 栗城発熱

4月25日 停滞日 栗城発熱

4月26日 停滞日 栗城発熱

4月27日 BC(5300m)へ到着

4月28日 停滞日

4月29日 停滞日 プジャ

4月30日 停滞日 中継班ぺリチェに下山(順応出来ずにか・・・)

5月 1日 停滞日 

5月 2日 停滞日 隊員1名脱落発表

5月 3日 停滞日 栗城発熱

5月 4日 停滞日 栗城発熱

5月 5日 BCからC1へ泊まらず、C2へ上がる

5月 6日 C2からBCに戻る(7千mでの順応は中止)

5月 7日 停滞日

5月 8日 停滞日 7.8.9.10日の行動不明AC隊とヘリで降りた可能性有り。

5月 9日 停滞日 ルクラの医者にも往ってるし。

5月10日 停滞日

5月11日 停滞日

5月12日 BCからC2(6400m)に上がる

5月13日 停滞日 C2で           

5月14日 深夜に、7000mへ出発しBCに戻る

5月15日 停滞日

5月16日 停滞日

5月17日 停滞日

5月18日 BC→C2

5月19日 停滞日(疲れ果てて、C2で動けず)

5月20日 C2→南西壁下部7300m辺り

5月21日 事実上の敗退宣言→C2で死亡

2017-09-19

どうしますか?

国会解散するそうで右も左も騒がしい。

建前上は消費税やら社会保障やらと言っているようだが、

真の目的憲法改正だろう。

特に右寄りの方たちは「これで日本も、自国自国軍隊で守る真の独立が出来る」と勇ましい。

北朝鮮にも毅然として立ち向かう覚悟のようだ。

さて、そこで仮に現状のまま憲法改正がなされて右派の念願が叶った時、

日本はどのような状況に置かれるのかシミュレーションしてみよう。

専守防衛制限が無くなった日本は、

文字通り敵(北朝鮮)を攻撃するための兵器を用意することとなる。

トランプは今でこそ北朝鮮戦闘ムードだが、

本来中国ロシアとの摩擦を恐れて深く突っ込みたくはないはずだ。

元々、就任前は滞日米軍の大幅縮小を唱え、

世界の警察としての役目も終えるというのが彼の主張だった。

そこへ日本北朝鮮仮想的とした兵器を準備する。

トランプにとっては渡りに船だ。

彼はこれまでの「日本を守るための日米同盟」ではなく、

極東前線基地として」の役割日本に求めるだろう。

情報提供継続有事になれば米軍も出すという対等な同盟国というスタンスで。

韓国隣国ゆえに対話も含めた関係を崩さないだろう。

結果的に、日本北朝鮮にとってアメリカ以上の敵国となる。

これまでグアムターゲットにしていたミサイルの標的は、

日本に変わるだろう。

×月×日

アメリカより北朝鮮ミサイルを発射する準備があるとの報告がきた。

ここ数日、北朝鮮日本を激しく非難する報道を繰り返していた。

金正恩は数日前に、

アメリカではなく、我々を攻撃対象として軍拡を進めている日本への報復必要である」と声明を出していた。

アメリカは、「日本を名指ししている以上、こちらが日本差し置いて攻撃することは出来ない」というスタンスだ。

さて右派のみなさん。

ここからどうしますか?

 
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