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はてなキーワード: 内定とは

2023-03-19

雇止めを喰らった話

社員登用前提でジョインした会社から雇止め(9カ月で契約終了)になった話です。

本件は、法的に問題はない(おそらく)と思われますが、回避できたポイントもいくつかあったので、今後同じような目に合う方が出ないよう、少しでも参考になれば幸いです。

雇止め理由については一切納得はしていませんが、争う気もないので一応社名は伏せておきます(今回の件で、契約継続社員登用の価値に値しないと判断したこと、仮に法的に問題があったとしても訴訟などに掛かる費用時間が割に合わないため)

家族構成

50代前半。家族は妻と子供4月から小6)

入社の前提
入社から雇止めまでの流れ
初回契約入社時)
準社員とは(就業規則より)

就業規則採用選考規定に定める採用に関する手続きを経て、期間を定めて採用されるもの、また、無期契約であっても正社員としての待遇を受けていないもの

試用期間(就業規則より)

れた者は、本就業規則の「解雇」の規定に基づいて解雇する。

試用期間と準社員について(内定通知書より)

 【更新期間】3ヶ月 ※初回契約は試用期間のため3ヶ月の契約期間とする

 ※雇用形態は、入社原則準社員でのご契約をお願いしている

 ※準社員正社員の違いは有期無期のみ、その他給与条件などは全て同様

2回目契約

会社から所属部署の業績悪化理由社員登用のタイミングを伸ばしてほしいと説明あり。

この時の会社から説明では、上記業務適正等にを総合的に判断をした結果には一切触れられず、あくま所属部署の業績悪化のみが理由である説明される。

タイミング所属部署において、他部署への異動、契約終了となる社員正社員準社員かは不明)が3~4名あり、同様に正社員登用を見送られた準社員も。

そのため、次回更新時に正社員登用されると期待(この点の言質は取れていない)して契約締結。

3回目契約

ここで社員登用されると思っていたが、会社からは一切の説明はなく、メール契約書が送られてくる(2023年1月24日:2回目契約終了日の5営業日前)。

何の説明もないまま、サインするよう催促される(2023年3月31日

この時点でおかしいと思いながらもサイン社員登用されると思っていたため納得できなかったが、翌月から生活に困るためサインせざるを得なかった)

試用期間:なし

新規案件へのアサイン2023年2月15日
新規案件の初回MTG
評価制度改訂説明会(2024年2月24日金曜日

評価制度改定についての社内説明会が開催され、以下について説明される

この時点で契約書へのサイン要求されていることから会社側に雇止め意思がなかったことが推察できる

4回目の契約2月28日火曜日

評価制度の変更のため4回目の契約

契約終了の通達2023年3月13日月曜日
離職理由確認2023年3月15日水曜日
退職することの社内公表2023年3月17日金曜日

4月退職する旨が所属部署内で公表される

雇止め通知書兼確認

2023年3月17日(金)雇止め通知書兼確認書にサインするよう要求される

退職手続きに関する合意

※現状の状況はここまで※

■そのほか、不明点など

2023-03-18

ツイッター炎上させた人などに謝罪したい


若かりし頃の話だ。ちょっと語らせてほしい。気持ちの整理がついたのだ。チャンスは今しかない。

当時、大学四年生だった俺は、いわゆるネトウヨに堕ちた。就職活動に失敗し、大学受験にも失敗し、にっちもさっちもいかなくなり、卒業後はフリーターとして生きる未来がほぼ確定していた。

悲しいかな、自惚れが強い性格だった。ネット上で言うのは最初最後になるけど、十数年前に慶応義塾大学法律経済のことを学んでいた。専攻は不動産登記とか、土地建物取引関係がメインだった。成績はまずまずで、サッカー部(※厳密には違うがサッカー部という名称を使う)では補欠だったけど全国大会に出た経験があったし、就職活動が失敗することはないと思っていた。、結果はこのザマだ。

日系企業を主に受けていた。第一志望だった総合商社はもちろんのこと、メーカー系もマスコミ系も金融系も20〜30社受けたけど、ぜんぶダメだった。大手も中堅もすべて。中小企業内定は取れたが、プライドの高い俺はすべて辞退した。

面接まではとんとん拍子なのだ大学名がよかったからだろうか、エントリーシート適当に書いても、SPI勉強をしなくても、とにかく面接までは辿り着ける。しかし、内定を取ることはできなかった。

今思えば、あの時の自分程度の実力では、まともな会社から内定を取ることはできなかった。30代半ばになった今の率直な感想だ。確かにサッカーはできたけど、精神はぜんぜんなってなかった。今やっている『ブルーロック』のアニメでいうと、実力のない馬狼照英みたいなものだった。

で、結果がネトウヨだった。大学四年の秋〜25才頃までなので、約三年ほどネトウヨに堕ちていたことになる。

今では黒歴史だ。『国民の知らない反日実態』とか、圧倒的眉唾感のサイトがあるだろ。ああいうのを見て、中央省庁テンプレメール送ったり、韓国人中国人応援をしてると思われる国会議員をディスったり、mixiGREE反日活動認定されたアカウント突撃をかけて垢停止になったり、とにかくクソみたいな人間だった。

今思えば、いろいろと失ってしまって自暴自棄というか、自分他人大事にしない状態だったんだろうなぁ。当時の俺は。

ここで、大学時代に読んだ本を引用したい。約二千年前の、ローマネロ帝の家庭教師ポジだったセネカの書いた『生の短さについて』だ。

長いけどすまんな。先に要約しておくと、苦しい立場に陥った人間は何かにつけて逃避行動に出る、みたいなことが書いてある。なにげに現代異世界転生ブームを予見している感がある。特にオーバーロード』なんかの異世界転生+光属性人間が死にまくるようなコンテンツ流行理由がわかった気がする。

すごく長いけど、可能な限り要約してここまでだった。

さらに、さほど移り気ではないが、その一貫性が恒心のゆえではなく、懶惰のせいであり、自分の意欲するとおりの生を送るのではなく、始めたとおりの生を送る者も、この範疇に加えるとよい。症例を次々に数え上げればきりがないが、この病態の結果は一つである自己に対する不満がそれだ。その由って来る因は、心の平衡の欠如と臆病な欲望、あるいは完全には満たされない欲望である。望むだけのことを思い切ってできなかったり、望むだけのことを達成できなかったりして、すべてを希望に託す場合がそれに当たる。そのような人間は常に不安定で流動的であるが、何事においても中途半端な者の必然的な結果である。彼らは自分の願い事を手立てを尽くして達成しようとして、不名誉なことや困難なことまでみずからに唆し、強いるが、苦労が報われなければ、願いが叶わなかった恥辱感に苛まれしかも、歪んだものを望んだことを嘆くのではなく、望みが徒労に終わったことを嘆くのである。そのとき、彼らは挫折した目論見への後悔の念にも、また、新たな目論見に着手することへの恐れの念にも捉えられ、その精神には、欲望制御することもできず、かといって欲望を満足させることもできないために、出口を見出せない心の動揺や、思いどおりに展開しない生への躊躇、断念したさまざまな念願の中で無気力になっていく心の沈滞が忍び込むのである。苦労の挙句蹉跌に嫌気がさして、閑暇の生や孤独学問研究に逃げ場を求めたとしても、こうした心的状態はどれもますます耐えがたいものになる。公人としての務めを果たそうと意気込み、行動を望む、生来落ち着きのない精神は、当然、みずからの内に見出せる慰めがわずかなために、そうした閑暇な生や孤独学問研究には耐えられないからだ。世間的な仕事に奔走しているときにまさにその仕事から得ていた喜びが取り去られると、みずからの家に、孤独に、取り囲む壁に耐えかね、一人取り残された己の姿を嫌々眺めるのは、それゆえである。落ち着き場所をどこにも見出せない精神の揺れ、そのような精神への倦怠や不満、そしてまた無為の生に耐える悲しくも病める忍耐は、ここに起因する。そうした状態の真の原因を認めることを恥じて、羞恥心が責め苦を内に向け、心の片隅に閉じ込められたさまざまな欲望が捌け口もなく互いを窒息させ合う場合がとりわけそれに当たる。そこから生じるのは、悲哀や憂鬱であり、また、希望を抱いた当初はどちらともつかない不安状態に置かれ、やがては挫折を嘆く悲哀を味わわされる、千々に乱れる不安定精神の揺れである無為の生を厭い、自分にはすることが何もないといって嘆く人々に特有の例の感情他人の栄達を蛇蠍のごとく憎む嫉妬心は、そこから生じる。不幸な無為の生は嫉みを育むからであり、自分が進展できなかったために、誰もが滅びればよいと望むからである。この他人前進への嫌悪感自分前進への絶望からは、次には運命に怒り、時代をかこち、片隅に退嬰し、みずから招いた責めにくよくよと拘泥し、そうする己の姿に辟易して嫌気がさすまで考え込む精神生まれる。実際、人の精神生来動きやすものであり、動きへと向かう性向もつものである。そのような精神にとっては、みずからを刺激し、どこか(別世界)に連れ去ってくれるものなら、どんなものでもありがたいと思う。その才知を世間的な仕事にすり減らして嬉々としている最悪の人間(の精神)にとっては、なおさらそのようなものはありがたいのである。ある種の腫れ物は潰してくれる手を求め、触れられることを喜ぶし、身体に出来た汚い疥癬は引っ掻いてくれるものなら何であれ歓迎するが、それと何ら異ならず、さまざまな欲望があたかも厄介な腫れ物のように吹き出た精神にとっては、苦しみや悩みは(ある種の)快楽となると言ってよい。

生の短さについて 他2篇 セネカ(著)大西 英文 (翻訳)  P.77-P.80



そんなわけで今回、若かった頃の俺がやってしまったネトウヨ行動を取り上げて、自分断罪したい。ネトウヨ活動では多くの人に迷惑をかけてしまった。ふたつだけ取り上げるが、どちらも個別案件だ。まずは、この一件から

それは、2011年だった。当時、ツイッターを始めたばかりの俺は、タイムラインとか、検索のやり方とか、連携の仕方とか、いろいろと勉強していた。そんな折、『炎上』というキーワードが眼に入った。炎上自体は何年も前からネット上で起こっていたのだが、自分が直接関心をもったことはなかった。

なお、この頃の俺は、都内サイゼリヤで働く一介のフリーターだ。毎日レンジオーブンIHヒーターで厨房仕事をするのが仕事だった。ムカつく年下の女社員から、「増田さん慶應卒なのwwwマジすかwww」みたいな感じでディスられていた。

それで、ある時ツイッターで見たんだよ。炎上の場面を。有名ホテル芸能人が来ていた時、そこのアルバイト従業員が「芸能人の○○が二人で泊まるみたい」とかなんとかをツイートして、「客の個人情報暴露すんな!!」みたいな恰好炎上したのだ。俺は、それを間近で見ていた。

当時は、炎上騒ぎに参加する人間が実は少数である、という科学的知見はまだ得られていなかった。本当に多くの人間炎上騒ぎに参加しているのだと思っていた。それで、当時はストレスが溜まりまくって、シロクマ先生でいうと承認欲求に飢えた若者だった俺は、誰かを炎上させたいと心に決めた。

自分でいうのもなんだが、知能が高い自信があった。中味はクズだったが。それから毎日、俺は炎上の種を探し、それらしいものを見つけてはツイートしていったけど、ぜんぜん炎上に至らなかった。ダメだった。

何週間か経って、もうダメかなと思いかけた時、あるツイートが目に留まった。プロフアディダス社員であることを明記している人物が、あるツイートをしていた。要約すると、都内アディダス店舗アディダススポンサーになっているサッカー選手が訪れたのだが、その人の容姿侮辱するツイートをしていた。

「これだ!!」

と思った。俺だって小学生の頃からサッカーをしていた。サッカー選手を馬鹿にするのは許せない。

サッカー試合で、「いまだ!!」と思う場面がやってきたとするだろう。この時、「いまだ!!」の「い」の場面で行動を起こす必要がある。「いまだ」と心の中で叫んだ時にはもう遅い――

そんな、大学時代サッカー部コーチからメッセージを思い出した。実際、俺のルーレットスピンは大変狭い界隈ではあるが知られていた。三人抜きをしたこともある。その指導を正しいものだと信じて努力した結果だった。

そして俺は、そのアディダス社員の行動を咎めツイートをした。

……その次の日、俺は大好きなハムスター速報を観ていた。ツイートのことは忘れていた。そしてある瞬間に、マウスクリックする手が震えたのを覚えている。

それはもう、見事な炎上だった。アディダス社員ボコボコに叩かれまくっていた。コメントの数をカウントしてみると、軽く数百はいっていた。

ツイッター確認した。俺と同じ時刻にツイートをした人間の数は、確か二人だったと思う。1人は準アルファツイッタラーと思しき人で、フォロワー数がけっこういた。でも、確認できた中では俺のツイートが一番早かった(その二人、もしかして俺のツイート参考にしたんじゃね!?)。いや、絶対とは言い切れないが。そのはずだ。※俺のツイートは削除済み。

あの時、俺は世界で一番賢くって、一番運がよくて、一番強い人間なんだ!! と心の底から思った。全くそんなことはなく、ただそういう運に当たっただけだった。

その日から数日、ハムスター速報に夢中になっていた。その記事ばっかり見て、コメントが貯まっていくのを観ていた。今では思う、俺がやったのはクソみたいな行為だ。具体的には、畑の隅に捨てられた白菜の欠片だ。茶色いカビが生えてしまって、もはやハエすら寄ってこないほどに腐りきったカス野菜だ。そんなレベルに堕ちていた。

から俺は今日、ここで謝罪したいのだ。俺の行動が原因のひとつで、炎上を招いたかもしれなかった。俺だけが原因ではないけど、でも、あの時ツイートをしなければ運よく炎上回避できていたか、あの子若気の至りで済んだのかもしれない。



あともう一つで謝罪は終わりだ。気が付いたらけっこう書いてるな。ここまで筆が進むとは思ってなかった。

同じく20代の頃、ニコニコ動画にハマっていた。ようつべよりニコニコ派だった。で、その中のサービスひとつニコニコ大百科というのがある。端的にいうと、wikipediaもっとバーリトゥ―ドになった感じだ。なんでもあり感が満載のネット百科事典ということになる。

ここに電通記事があった。やはり『国民の知らない反日実態』などのネトウヨサイト巡回していた当時、なにかやってやりたいという情動に突き動かされることになった。例えば、一集団内の駒として、都内某所で花王不買運動とかのネトウヨデモに参加するんじゃなくて、もっと大きいことがしてみたかった。

それで、ニコニコ大百科にある電通記事編集することにした。当時は、スパッとした端的な記事内容だったのだが、俺が編集を終える頃には、圧倒的ネトウヨ臭の漂う記事へと変貌していた。

こんなことをしていいのか、という認識はなかった。ただ、電通反日企業として認定されていたから、鉄槌を下すべきだと信じていた。俺を役員面接で落とした逆恨みもあった。

さて、編集後はとんでもないことになった。コメントの数が増えたのだ。それまでは10件くらいしかコメントが付いていなかったのが、その後1年間で百件以上のコメントが付いた。

内容はお察しのとおりだ。俺と同じネトウヨ連中か、または『国民の知らない~(略)』が引用元だから信じなくていい、みたいな二極的なことになっていた。

残念ながら、要編集記事指定されてしまった。その解除には約五年を要した。俺は、編集してから一年も経つ頃にはネトウヨ活動に興味を無くしていた。もうどうでもいいと思っていた。

というのも、内定を得たからだ。しがないファミレス店員だったが、数年間フリーターとして努力し続けた俺には、わずかずつではあるが、社会人としての力が身についていた。準社員マネージャーみたいな役職があったのだが、アルバイトでも正社員仕事やらせてもらえる。それで、組織の下部階層における事務管理とか、オペレーションの指揮とか、コーチングやティーチングを学んだ。それが活きて、就職成功したのだ。

あの時、俺を馬鹿にして、「あんた、それで慶應卒すかwww」とほざいていた女子社員も、俺のことを見直していた。あの時からはいろいろあって、なんやかんやで一緒にご飯に行くようになっていた。内定を得た時には交際していた。公園デートの帰り道、俺の方から「ねえ、付き合おうよ」と言ったのだが……おっと、けれどもこれは別の物語だ。いつかまた、別の時に話すことにしよう。

それで、ネトウヨの道から遠ざかった。ネトウヨ卒業したのだ。



今は、都内のどこかでカタい仕事に就いている。この物語舞台はずっと都内だ。思えば、勉強自体はできるのだから、これが一番効率のいい道だったのだ。この道は、父親に教えてもらった。マジで感謝している。やっぱり、こういうところだけ要領がいいのが俺だ。2023年3月になった今も、人として生きるにあたっての知性というか、そういうのが足りない人間なんだと感じる。成長していない。ネトウヨ脱出できたのと同じく、いつか成長を遂げることで、こういう気質ゼロにしたい。



終わりに、この日記を書くにあたっては、大学時代に書いたサッカー部私生活日記とか、フリーター時代サイゼの卒店式でもらったみんなの寄せ書きとか、mixitwitterマイページとか、公務員試験学習記録とか、とにかくいろんなものに触れて自分を振り返ってみたつもりだ。

ネトウヨにならない方法簡単だ。毎日食事と、朝に日光を浴びて仕事に向かう、ただこれだけで解決するものと信じている。

まらなかったのなら申し訳ない。ほんの少しでも、あなた暇つぶしになれたのなら嬉しいと思う。読んでくれてありがとう

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2023/3/18

明らかに問題のあった箇所を修正して再度投稿

お気に入りに入れてた人がいたらごめん。

2023-03-17

36歳独身無職おじさんの年表

2005年

明治大学経営学部に進学する。

2008年

夏休み明けに内定取り消し内定取り消しされた学生対象として急遽行われた就活で別の企業から採用を貰うもその企業取引先が倒産した影響で内定取り消し。そのまま卒業

2009年

ファミレスアルバイトをしながら就活

2010年

同じく内定を取り消され派遣社員をしていた彼女から職場正社員結婚するとのことで振られる。

2012年

26歳にして介護施設事務職正社員として採用され歓喜しか初日から事務職ではなく介護作業を割り当てられる。「事務職ですが」と聞くと「男性でしょ?」とのみ返される。また介護士としての資格を取得しなければ試用期間後に採用し続けることは無理と言われ、介護士となる。

2017年

腰痛と膝痛が悪化退職する。

2018年

派遣自治体職員となる。

2019年

派遣で別の自治体職員となる。

2020年

腰痛改善したため宅配会社正社員として入社

2022年

腰痛が再発し休職後に退職。「帰ってきたらおしまいだぞ。諦めるな」と玄関で騒ぐ父親人生初の実力行使で殴り飛ばし実家の子供部屋に入居。

現在

ライトノベル作家を目指して実家執筆活動中。

anond:20230317213943

詳しく書いてくれてありがとうSES不況がくると一気に死ぬというイメージがあって、SES1本のところはできるだけ避けてた。なんかへんに拡大してて怖いってか、求人見てるとSESのやつばっかり出てくるんだけど、そういう理由だったんね。最近政府の動向のせいで、景気が良いのかと思ってたよ。受託も死んでしまうだろうな、多分。保守が細々と残るかねぇ。。

3番目の内定(且つ地元中堅企業)も一応あったんだけど、見込み残業がとんでもない時間ついてたので切ってしまった。。おしいことしたかもしれないな

anond:20230317205745

まずは内定おめでとう。

その内定キープした上で、地元で評判のよい中堅企業製造業IT職とかに検討してみて。

SES技術者派遣、または偽造請負的に、工場製造請負会社と同じようなノリなの。
なので、あえて露悪的な言い方をすると、あなたは「就職ができた」ではなくて「商品として仕入れられた」のかもしれない。

今、SESが今好景気なのは通称2027年問題対応だと言われる。
その頃に、現在の様なクラウド環境を前提としていない世代の古いシステム保守期限切れ(≒まともな会社では業務利用不可になる期限)が重なっていて、それを新しいものに作り直す事に人が足りないからです。

ところが、流石に多くの会社が、古い形のシステムはもう限界だと気付いているため、新しいシステムではこのような大量の人が必要なやり方を辞める予定で改修を進めている。つまり、開発が終了すると一気に人が余るようになる可能性が高い。

からこそ、自社の人員を増やすのではなく、割高でもSESを使う事で、一時費用として処理して固定費を増やさない工夫をしているんだ。



そして、人が余る、つまり、「仕入れ商品が余っていた」ら、どうなる?


なので、選択肢としては

と言うことで考えてほうがいいと思う。
そして、正直地方IT企業、未経験となるとSES以外では辛い所があるので、3番目も視野に入れたらどうかなと。

こち20代後半微経験者の地方求職

意外と内定たくさんもらえる感触があって、ありがてぇーと思ってる。ポテンシャル採用って結構とおるんだなぁ。あまり経験が汎用的でないので凹んでたけど、意外と評価される部分もあった。面接までいったのが今日までに6件あった、そのうち3件内定。残り7件面接。30件応募でこれならまぁ、良いでしょう。ほとんど20代というだけで受かってるのは知ってるよ。志望動機は、本音レイアウトを変えるだけだし、あとは割と、どこでも使いまわせる。

ただ、ほぼSES。。あまりに悪しきと言われていて実態が分からない。ニコニコしながら、夢のようなことを語ってくるところもあって、こいつらは詐欺師じゃないかと思いながら全力でにこにこして是非入社したいですと言ってるのもなんだかたぬきの化かしあいみたい。

制限時間内でみんなたたかってるはずだ。

1社につき約2時間志望動機経歴関連と企業研究逆質問を固めてまとめて頭に入れてって面接はいつもすごく緊張して、今日はなんだか頭と背中とめんたまが痛い。明日はすこし、ディスプレイから離れる時間を作ろう。えらい、私。頑張ってる、頑張ってるぞー。。。

29歳無職ラーメンを食べながら

経歴

18歳 高校卒業

19歳 浪人

20歳 東大落ち、早稲田入学

21歳 勉強

22歳 勉強

23歳 国家公務員総合職試験合格内定先決まら卒業

24歳 勉強しながら官庁訪問リベンジ無い内定

25歳 国立法科大学院入学

26歳 修了

27歳 不合格

28歳 不合格

29歳 7月に向けて勉強中、イマココ

なぜこうなったか

我が家金持ちではなかった。家は小さな戸建てでしか借家。父は中小企業サラリーマンで母は専業主婦。なぜ上記のような甘えた生活可能かというと俺が一人っ子から

俺は同じ地区に住む同い年の幼馴染が小さい頃から好きだった。彼女祖父や父は医師で、大きな自宅に住んでいた。4姉妹末っ子彼女はとても優しく、純粋で可愛かった。小さい頃は格差など気にせず遊んでいた。彼女の両親は優しかったが、彼女祖父母は俺を見下して蔑んでいた。だから勉強して偉くなりたかった。別に勉強して偉くなった所で幼馴染と付き合える保障など何も無いし、そもそも男としてすら見られていなかっただろうが。それでも某都立校に受かった時や、一浪東大落ちだが早稲田に進んだ時彼女自分のことのように喜んでくれたし褒めてくれた。それがとても嬉しかった。しかし、認められたい一心で不相応な目標を立てたが故に一度きりの人生破壊してしまった。

ちなみに彼女幼稚園から大学までエスカレーター女子大卒業した後に、父の医療法人職員として入り、昨年医師男性結婚した。つまり俺がこれからどのように努力しようが、幼馴染と何かが発展する可能性はない。

これから

正直受かったところで自分の現状だと法曹職は無理だろう。つまり仕事を探さなければならない。受からなければ勿論仕事必要になる。

絶対にやりたくない仕事は嫌な順に介護製造土木物流営業しかし、ここから探すことになるだろう。つまり父親よりも低賃金人生となる。また、ジャックレオナルド・ディカプリオ)のようなイケメンコミュ強なら底辺でもローズケイト・ウィンスレット)のような上流の女性を射止められるが、自分イケメンでもなければコミュ力もないので上記の職に就いた瞬間に生涯独身が決定する。

まり

人生100年といわれる時代上記の職に就けば100年生きるなど不可能だが)に生きていながら、20代人生が終了した。人生10代後半から20代前半までの「10年かけたスタートダッシュ」で結果が決まる短距離走である

刑訴証拠法に関する論文問題を解き、インスタントラーメンを食べながらこれを書いた。最後まで読んでくれる人がもしいたなら、敗残者の長い長いつまらない駄文に付き合ってくれてありがとうと言いたい。

2023-03-15

転職するか悩んでる

現職 : 財閥メーカー営業

メーカーにしては給与がいい。自動車会社や製薬に比べると低いけど40歳で1000万くらい。ネームバリューがある(?)。事業部の将来が若干不安

内定出た企業 : メーカー企画

年収は現職より上がる。知名度は低いが在宅OK、転勤なし(ずっと本社勤務)で働きやすそう。管理職になってから給与の伸びが不明確。

増田のみんなどうする?名を取る?実を取る?

2023-03-14

営業職を選んでしまった事を死ぬ程後悔している

就活をしていた時、当初は事務職を志望していた時、ある企業求人事務営業と比べると営業の方が明らかに良かったので

給料面以外にも各種手当等が高かった)営業に応募、自分で言うのも何だけど面接受けは上手い方なので、あっさりと内定を貰った。

でも、嬉しかったのはそこまでだった。


本当はペーパーなのに運転が出来ますとか、別にPC得意な訳でも無いのにエクセルアクセスも余裕ですとか(一応大学の授業でちょっとだけやったけど全て忘れていた)

面接調子良い事を言った事が全てが裏目に出てしまい、いざ一人で車運転して営業とか、社内の作業とかまともに出来ず、すっかり信頼を失ってしまった

から人前に出るのはあまり得意じゃ無いし上がり症だし電話も超苦手、お客さんへの説明も上手くこなせず失敗ばかり

そういったミスが重なり先輩に度々注意されるんだけど、メンタルが元々弱くて強めに怒られる度に泣き出してしまった

怒られている時に、あまりにも悔しくて悲しくて思わず「これってパワハラだよ……」とつぶやいてしまったのがマズかったみたい

すっかり腫れ物扱いになって、上司からも先輩社員からも注意はされなくなったけど、かわりに相手にもされなくなってしまった


ストレス抱えたまま仕事をしていたある時、お客さんに納める商品テスト

必ずある程度やって動作確認してから納品しなければいけない所を、すっかり忘れてしまって

でも気が付いたのが先輩の運転営業先に向かっている先で(本当は一人で行かなきゃだけど、運転出来ないか運転手になってもらっていた)

状況も気まずいし今更言い出せずに、そのまま納品


その後、お客さんから動作不良を起こした、ちゃんテストしているのか?」というクレームがあって全部バレた

私は初期設定すらまともにやっていなかったか動作不良になってしまった(やり方も聞こうとしたけど邪険にされていたから、怖くて聞けずに自分知識だけでやってしまった)

結局そのお客さんからは「もう○○社(うちの会社)は信用出来ないので」と取引を打ち切られてしま

しかもそこそこ地元では大手だったらしく他社にも悪い評判が周ってしまった


直接私に文句は言われないけど、聞こえる様にどこそこに説明に行かなくちゃならねぇメンドイとか、取引切られそうで売上やばいわーとか

聞こえる様に嫌味を言われて吐きそうになりながらデスクに座っている

実際取引を打ち切られたり同業他社に変わられた所もあるらしい


この件で会社上司本社の方にも謝罪文や今後の改善の取り組み等を作成しなければならず、連日残業が続いている

時給に換算したら、事務職とそんなに変わらない上に、嫌味な先輩には

「そんなに仕事してるアピールして楽しい?お前がやってるの、マイナスを0にしてるだけなんだけど」とボソリと言われ、仕事中にも関わらずまた泣き出してしまった

同期からハブられてるから、私が泣いていても誰も近寄ってすらこない


営業職の待遇に釣られてしまった私も悪いんだけど、それ以上に求められる能力が多すぎて苦しくて嫌になる

女性社会で働くのがこんなにも難しいとは思わなかった

早く結婚して仕事するの辞めたい……

2023-03-13

私生活での行為理由とした不採用について


大晦日掃除をしていたら昔の日記が出てきた。といっても4,5年前のものだが。

今も昔も、関東本社があるJTCの人事部採用仕事をしているのだが、珍しい体験をしたのを日記に付けていたのだ。改めて読んでみると感じるものがあった。身バレにならない程度に語ってみたい。

その彼をA君としよう。初夏の頃だったか、彼との面接があったのは。一次面接だった。当時の面接室は、白を基調とした明るい部屋を用意していたっけ。JTCといっても、うちは同業他社に比べてカジュアルな方だとされている。

面接形式は、年によって若干違う。面接官2対学生1の場合もあれば、2on2の時もある。コロナ流行り出してからは、ほとんど前者になったか

ところで、A君は関関同立ほどの偏差値大学だった。弊社を受ける学生の中では少数派であるしかし、そんなことは関係ない。もっといい学校の子がたくさん受けに来ているけれども、関係ないのだ。

採用業務効率を考えると、学校歴で選ばざるを得ないのは確かであるが、実際にその人を目の前にして学校のことを頭に思い浮かべるのは失礼極まりない。

実際、偏差値でいうと50ほどの大学の子採用したこともある。ずっと昔のことだ、北海道にある大学だった気がする。

実際、A君の受け答えはよかった。素直だったし、わからないところはわからないというし、偉ぶった態度はないし、中学の頃からずっと同じスポーツを続けていた。

うちは商社であり、特定製品で稼いでいるわけではない。仕事を取ってくる者の人間性が命の世界だ。正直いって、「この子はイケるかもしれない」というのが私の感想だったし、面接室で私の隣にいた上長意見でもあった。

しかし、人間はわからないものだ。いまこの日記を読んでいる増田民ブクマカあなたも、そういう経験がないだろうか。私にも何度かあるが、その中でもこのA君は悪い意味で際立っていた。



前置きが長くなった。ここからが本題だ。その日の面接がすべて終わって、帰りに居酒屋に寄った時のことだ。先の上長と一緒だった。

いつも行く店が悉く満席に近い状態だったため、大衆的な居酒屋に入ることにした。昔でいうと、和民のような感じだ。系列店ではない。個人営業のお店だ。

比較若者が多い店内で、上司と一緒にテーブル席についてメニュー吟味していると、なんとA君が近くを歩いていた。吹き抜けタイプの広い店だったから、彼が歩いてくるのがクリアーに見えた。

そこで、見てしまったのだ。A君が、年配のお客さんに声をかけられていた。お爺さんだった。店内にタバコ自動販売機があったのだが、使い方がわからない様子だった。

声をかけられたA君は、「ボタン押したらいいっすよ」とだけ言って、そそくさとエントランス店員インカムを付けて何か話しているところに駆けて行った。

ちょっと!! 注文来ないんですけど。取りに来ないんやけど!!」

と、恥ずかし気もなくインカムで会話中の女性店員に怒鳴り散らしていた。

後ろを向くと、上長テーブルから立っていて、お爺さんにタバコの買い方を教えていた。どこにでもあるタイプ自販機だったが、ここではちょっと仕様が違っていたのだろうか。

A君は、エントランス女性店員と何やら話をしていたが、やがて憤然とした様子で二階席に戻って行った。こちらには気が付いていなかった。



翌日、A君を選考から落とした。

危ないところだった。ああいう演技がうまい人間一定数いて、弊社も情けないことに引っかかることがある。多くは面接試験で化けの皮がはがれるのだが、ああやって潜り抜ける者がいる。

彼の場合は、エントリーシート性格適性検査も知能検査問題がなかった。ここまでされると手の打ちようがない。面接で落ちることを願うしかない。

そういう失敗がある度に、要注意大学リストみたいなもの人事部の中で作っておき、研究を重ねていくことになる。A君の場合立命館大学だった。関関同立だと『化けの皮率』が最も高い。私の体感だと、MARCHクラスでは立教大学or中央大学になるだろうか。国公立大学にはそういった要注意大学は少ない。

十年以上も人事をやっている者からすると、人格的にアウトな人間を見つけ出せる機構(システム)がどうしてもほしい。

実務能力が低い人が内定を取るのはいい。まだ許せる。そのあたりはわかっている、贅沢な望みというものだ……。が、能力が低いだけなら問題ないのだが、人格や人柄まで悪かった場合、他の社員に悪影響を与えることになる。能力の低い社員侮蔑する言葉を使ったり、病気障害のある社員容赦なく罵ったりする(そういう人は得てして取引先も馬鹿にする)。そして、そんな姿を見てまともな社員が嫌な気持ちになり、やる気をなくしていくのだ。

さて、そんな理想未来果たして来るのだろうか。それを待つまでに、私は経済社会から去っているだろう。できればだが、そういうテクノロジー誕生する未来を祈っている今日この頃だ。

2023-03-03

ADHD当事者リアル感覚

ふと、ADHD当事者リアル感覚表現したいと思った。

物心ついた頃から現在までのことを(ボカしやフェイクを入れつつ)時系列で書かせていただく。

N=1の話で恐縮だが、読者には少しでもADHDについて知って欲しいし、それにより社会の分断がなくなって欲しいと思う。

と、ここまで書いて思ったのだが、私は数日前よりADHD治療薬を断薬しており、マトモに「書く」ことができないことに気がついた。数日ぶりに薬を飲むこととする。

1.〜小学生

およそ30年前、共に高卒の両親から長男として産まれた。

母親専業主婦だったり、少しパートをしたりしていた。

父親について覚えているのは、しょっちゅう会社を辞めてしまうということだ。それも突然に。

故に、夫婦喧嘩が絶えない家庭だった。

何かが(主にカネ)キッカケで口論となる。

不貞寝する父親。怒り狂う母親

暴力を振るう父親実家電話しようとする母親

電話線をハサミで切り、電話機を叩き潰す父親

父親包丁を突きつける母親。まだ産まれたばかりの弟を盾のように前に突き出す父親

床にぶちまけられる牛乳

警察を呼んだ方がよいのか本気で悩む自分

私が思い出せる小学校低学年頃の家庭の記憶はほぼこれだ。

弟が1歳の頃、「ハロワいけ!」と喋ったことを覚えている。母親の真似である

自分自身について書くと、忘れ物の多い子供だった。

教科書を忘れ、資料集を忘れ、宿題の提出を忘れ…

机をくっつけて、隣の席の子しょっちゅう見せてもらっていた。授業はまあまあ理解できていたと思う。

宿題に関しては「忘れる」というより「やろうとしても動けない」が正しい感覚

テコでも動けなかった。

宿題の代わりに家で何をしていたかというと、デュエル・マスターズデッキを組んだり、ミニ四駆カスタマイズをしたり、スマブラDXをしたり…?あれ、そんなもんかな。当時何してたか自分…あまり思い出せない。熱中すると深く深くどこまでも熱中し続ける性格だった。(過集中)

同じマンションに1つ下、1つ上の子供が何人か住んでいたので、毎日遊んだ河原秘密基地作ったりとかしていた。

また、男女分け隔てなく誰とでも遊ぶ子供であった。

違う。

(上で挙げたマンションの住人以外の)男の友達がどうしても出来なかった。

全く交流できないということではなかった。

あいさつはするし、何人かでサッカーをする時は参加していた。

同学年で話したことがない人は恐らくいない。

誰とでもそれなりの雑談ができた。

しかし、そこ止まりだった。

輪に入れはするが、誘われる人間ではなかった。

故に、常に疎外感を感じていた。

今になって振り返ると、原因は恐らく「自分の話ばかりして止まらない」から嫌われたのだと思う。

次第に、無理してグループにいなくてもいいと思うようになり、休み時間教室でひとりでボーっとしていた。

かねた心優しい女子グループが、自分を輪に入れてくれた。情報量0のどうでもいい雑談がとても楽しかった。自分が輪に誘われたことが、なんだか初めて他人に受け入れられたようで、とても嬉しかった。

通信簿の「担任からコメント欄」には毎年「男女分け隔てなく仲良く友達がおり〜」と書かれていたので、客観的にはそう見えていたようだ。

2.中学高校大学

地方なので中学受験をする人なんてひとりもおらず、当然のように地元公立に進む。

当時は中学受験という言葉すら知らなかった。

中学での成績は150/200あたりだった。

日々の勉強時間は0分。

たまに一夜漬けの過集中が爆発して、50番あたりになった。

国、社、英は不得意で、理数が得意だった。

相変わらず宿題はできないし忘れ物は多かった。

勉強をしない分の時間は何をしていたかというと、運動部活動をするか、家のパソコンニコニコYouTubeを見たり、携帯を買い与えてもらえたのでモバゲーMixiをやっていた。

中学3年で麻雀を覚え、どハマりした。

ハンゲーム天鳳毎日夜中まで打つようになった。

高校受験は持ち前の過集中で上振れを引き、偏差値50位の公立情報学科に滑り込んだ。

元がアホなので上振れしてもこの程度である

地方偏差値50なんてハナクソオブハナクソである

なぜ情報系にしたかというと、自分専用のパソコンを親に買ってもらう為だ。

高校では朝読書時間があったので、とつげき東北氏の「科学する麻雀」を何度も何度も読み込んだ。熱心に読みすぎて、本の小口が手垢で黒くなった。点数計算を覚えたり、チンイツの牌効率を考えたり、24時間麻雀のことを考えていた。

この頃はもう自分の行動を制御できなくなっていた。自室のPC毎日朝までニコ生をしながら天鳳を打っていた。学校の授業は全部寝ていた。教師は注意しても無駄だと悟ったようだった。自分人生天鳳の段位とレーティングが全てだった。

謎の過集中で競技プログラミングが少し出来たので(当時はchokudai氏もまだ大学生で、AtCoderもない時代だった)、大会に参加して何度か受賞するなどした。

その後、持ち前の過集中により小論文面接突破し、AO(アホでもオッケー入試)により近所の私大に滑り込む。

麻雀への情熱大学に入っても変わらず、1限どころか2限3限も出席できなかった。たまに講義に出ても何も分からなかった。

イプシロンデルタはみんなも分かってないようだったが。

情報系科目だけはテストだけ出て100点を取るという天才ムーブかました(自慢)。

数学情報科学だけは好きだった。

麻雀サークルに入った。楽しかった。今でも付き合いのある友人が数人できた。

2年次が終わった時点で16単位しか持ってなかった。中退した。

3.社会

バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳が社会放出された。

なんていうか、普通に死のうと思った。

ある日、ふと一回死んだ。

自○未遂をしたということではない。

自分は今死んだ。そして新しい自分が今生まれた。そう思うことにした。

どうせ一回死んだのだから、もう好きに生きよう。

それでなんともならなくなったら、生活保護でも受けよう。

それもダメなら最終的に死ねばよいだけだ。

とにかく今死ぬのはもったいない、と思うことにした。

一応、親は家に住まわせてくれた。

速やかに就職して家を出ろということだったので(言われなくてもそうするが)仕事を探し始めた。

やり方がわからなかったので、若者向けハローワーク的な所に行った。色々親身に相談に乗ってくれて、クソみたいな人売りSIerを紹介していただき内定が出た。

自分内定が出るということは、「バイト経験すらないない、学位すらない、麻雀廃人の二十歳に内定を出さざるを得ないクソ企業であることが導かれるのである

人売りのクソさを書くと主旨がブレるので割愛する。

結果的に、一年半で会社を辞めた。

自分特別社会適応できなかったのかは分からない。他にも大勢辞めていたから。

この辺で(不快になる方もおられると思うので大変恐縮なのだが)所謂理解ある彼女ちゃんが突然地面から生えてきて、家を出て2人暮らしを始めた。

会社を辞める前に人生初の精神科に行き、うつ診断書を書いてもらい、色々金に困らないような諸手続きをした。こういう手続き自分では何もできないので、理解ある彼女ちゃんサポートしてくれて本当に助かった。

うつ治療で通院する中で、医師よりADHDについて指摘された。

ストラテラというADHD治療薬を飲み始めた。

3割負担だとバカ高かった。1ヶ月分で5000円以上したのではないだろうか。当時はジェネリックがなかったと思う。無職にはとても支払えなかった。

色々手続きをして、1割負担になった。

4.現在

ストラテラを飲み始めてから、本当に変わった。

脳の中の話なのでうまく言語化するのは難しい。

簡単にいうと頭がめっちゃ良くなる感じだ。

特に「読み書き計算」がすごい。

今まで自分は文をうまく読めなかった。

脳のメモリが小さいので、読んだ瞬間内容を忘れてしまい、戻り読みばかりしていた。

また書くのはもっと苦手だった。いくら考えても頭にモヤがかかり、表現が出てこなかった。

そして計算は最も苦手だった。一時的に何かを記憶しておいて、他のことを考えるのが無理だった。

プログラミングが得意だったのは、自分計算する必要がなく脳のメモリがあまり要らないからだろう。

皆これが普通だと思っていた。

薬を飲む前は苦手だとも思っていなかった。

当然みんなもそうなんだと思っていた。

こんな「脳縛りプレイ」で学生生活を送ったら、そりゃ、こうなるわと思った。

薬を飲んでからは夜更かしが減った。

自分の1日を計画コントロールできるようになった。

アホみたいな情熱に突き動かされることはなくなったが、その方が穏やかで心地よかった。

人生も徐々に良い方向に向かった。

5.総括

長々と書いてしまった。

もし読んでくださった方がいるのだとしたら、とてもありがたいと思う。

自分ADHD当事者として、発達障害で苦しむ人の気持ちが分かる。

「○○ができないだけでしょ?」「やれないっていうかやろうとしてないだけでしょ」のような反応を見ると、心が痛む。

かに、その瞬間を点で見ればただそれだけのことである

しかしながら、発達障害はその「できない」「うまくやれない」があらゆるライフステージで常に足枷となり、人生全体に負の影響を及ぼし続ける。

そして大人からは常に怒られ続け、自己肯定感もなくなり、「自分可能性」を信じられなくなる。

その一瞬だけではないのだ。「常にその状態が続く」ことによる不利が、生まれた瞬間からその人にはあるんだということを、できれば理解してほしいと思う。

そして、今小さい子供を持っている親に言いたいこと。

もし子供が何かをできなくても、その全てを無条件に受け入れてあげてほしい。

学校安心感を得られない子供には、家庭しか場所がない。

そして、もし発達障害の疑いがあるなら、早い段階で医療アクセスしてほしい。

子供保険証を持って一人で病院に行くことなんてできない。親が全てだ。

治療は早ければ早いほどよいと個人的に思う。

子供の1日1日はかけがえがない。その1日をデバフがかかった状態で過ごすことの影響は、子供の一生を左右しかねない。

2023-03-02

これは私が就労移行支援事業所で訓練を受けていた時に体験したことです。

入所して半年ほどたった頃、事業所施設代表から自身大学で受け持っている福祉関係の授業の中でリカバリーストーリーを発表してほしいと頼まれました。

なんとなく流れで承諾してしまいましたが、よく考えるとリカバリーストーリー当事者がその体験を共有して糧にするもので、支援者の卵とはいえ大学生の前で発表するのはちょっと違うのではないかと疑問に思いました。代表は実際の授業で、学生にたいしてこれから君たちが支援する人たちがどんな人たちなのか肌で知ってほしい、と言ってましたが、こういう分野で学んでいる学生さんは施設での実習が必ずあるでしょうにと内心納得がいきませんでした。

私は20前後で初めて精神科受診しましたが、正しい診断が出てそれに沿った処方薬が出されて症状が安定するまで16年かかっています。今は前向きに生きてはいますが、せめてあと10年早く正しい診断が出ていたらと思うことも時々あります

若くて希望に溢れているように見える学生さんたちを目の当たりにして、発表の内容も相まって自分学生さんたちと同じ年頃のとき自殺未遂を繰り返していたことがとてもリアルに思い出され、発表中はフラッシュバック寸前の精神状態でした。あの場でパニックを起こさなくてすんで本当によかったと思います

もちろん学生さんたちが若くて生き生きして見えるのは表面上のことで、実際はいろんな悩みをかかえているでしょうし、もしかしたらあの場にいた学生さんたちの中にも、心療内科精神科に通院している方がいらっしゃったかもしれません。

しかしやはり私と彼らの人生の差というものに思いを馳せずにはいられませんでした。引き受けたことをとても後悔しました。

もともと施設プログラムの一環として取り組んでいたリカバリーストーリーですが、作成当時からしかった時期のことを書いていると気分が落ち込んで大変でした。何度か代表担当職員リカバリーストーリーを書くつらさを訴えたのですが、あまり深刻に受け取ってもらえませんでした。この辺りをよく考慮して断ればよかったのですが、私は当時まだしっかりした自己主張ができるまでには回復していませんでした。

事前に渡された発表の原稿には代表の手で補足の文章がたくさん入れられていて、赤ペン先生添削してもらった答案みたいになっていました。最後は私の好きなミュージシャンの曲の歌詞を紹介しろとの指示が入っていて呆れました。曲の歌詞を紹介するのは拒否して回避できましたが、利用者に対するコントロール欲求が強すぎると思いました。

授業が終わってから代表担当職員カフェケーキコーヒーをご馳走になりました。下手に辛かったと抗議をすると感情が高ぶって泣いてしまい、公衆面前で恥ずかしい思いをするのが分かっていたので努めて平静を装っていました。

学生さんに書いてもらった感想カードみたいな紙を見せられたのをおぼえています否定的感想ひとつもなく、最近若い人はみんな大人しくて真面目だなと思いました。一人くらいは尖ったことを書く人がいそうなものですが、もしかしたらそういうカードは見せてくれなかっただけかもしれません。

担当職員からその感想カードコピーしたものをもらいました。これはとても光栄で喜ばしいことなのだから一生の思い出にしろと言わんばかりだなと思いました。受け取りたくないと思いましたがいらないですと拒否する力もなかったです。それから代表に謝礼として五千円の入った封筒を渡されました。働いていなかった当時の私にしてみれば大金でした。今日の辛い体験もこの五千円を手に入れるための我慢料だったのだなと考えて無理やり自分を納得させました。

あと、この時代表に言われた「君は今までの人生社会貢献ができていなかっただろうけど、今日こうして福祉未来を担う学生の役に立てたことは立派な社会貢献から誇りをもってほしい」という言葉にはものすごくモヤモヤさせられました。私が自発的にそのような考えに至ったのならば問題ないですが、それは人に言われて思うことではないし、言葉の前半は完全に余計なお世話だと思いました。

感想カードコピーは読み返したくもないし持っていたくもなかったので、悪いとは思いつつ最寄駅に設置してあるゴミ箱に捨てて帰りました。

帰宅してからやっと思う存分泣けて安心しました。

なぜ私はよく知りもしない初対面の若い人たちの前で、困難だらけの、何一つうまく行かなかった今までの人生を語らなければならなかったのだろう。精神科入院して大学を休学したこと、復学してなんとか卒業できたけれど就活内定をもらえなかったこと、仕事に就いても不安と緊張ですぐに離職してしまたことなどを、支援者の卵とはいえ現役の大学生たちの前で私が話す必要はほんとうにあったのか。みんな好意的感想ばかり書いてくれたけれど、それはあくまでそれが授業の一環だからで、心のなかでは私のことを馬鹿にしていたのではないか

そんな考えが頭の中を駆け巡って涙が止まりませんでした。

この施設にいたのはもうかれこれ5年以上前ですが、このときのことはよく覚えていて、いまでもなんとなく心のしこりとして残っているので書いてみました。

現在でも代表の人がこうしたことをやっているのかはわかりません。

最後に、支援者の卵の学生さんに精神障害当事者リカバリーストーリーを聞いてもらうことが全く意味がないとは思いません。

ただそれは当事者大学に呼びつけてゲストのような形で発表させるのではなく、当事者主催しているリカバリーストーリーの発表イベントなどに学生さんが見学という形で入るのが望ましいのではないかと思います

2023-02-24

また新人教育の季節がやってきたよ

だいたい仕事パフォーマンス5割は落とされてその分残業する羽目になるのにみなし残業給料変わんねえんだからやってらんねえなあ

内定辞退してくんねえかなあ

2023-02-21

努力が報われなくて悔しい

一生懸命勉強して高い偏差値高校大学に入って、部活も辛かったけど辞めたりしないで全国大会行くぐらいまで頑張って、ちゃんと適齢期で結婚できるように大学生ぐらいか彼氏を絶やすことなく生きてきたのに新卒で入った会社上司アルハラと性暴力で心身共にボロボロにされたの悔しすぎる

12社も内定あるうちの1番条件の良い企業選んだのに

会社辞めてしばらく経つけど身体も心も治ってないし、治る見込みもない

労災も認められてないし社内でのハラスメント調査すらされなかった 加害者は何のお咎めもなしに現在年収千万円を稼いでいると思う

なんで被害者精神科カウンセリング通ったりしなきゃいけないの お金かかるから加害者に出してほしい

貴重な新卒カードを潰した責任とってほしい 死ぬほど就活頑張ったのに

加害者と似た見た目の人を見るだけでフラッシュバック起きる 死にたくなる

死にたい気持ち消したい 毎日健康に過ごしたい

2023-02-15

anond:20230215191521

失業問題になってる年に「本当に自分能力があればいくらでも内定取れるだろ」とかほざいてぶん殴られそう

https://anond.hatelabo.jp/20230213213346

理系学校推薦は選考免除されないか対策しないと普通に落ちるし、4~5月には内定承諾しないといけないか6月選考開始の企業絶対に受けられない。

推薦承諾した企業内定辞退しようもんなら研究室学生からの印象は最悪になるし、卒業の時期まで学校とギクシャクした関係になるリスク学生は恐れなければならない。

第一志望が推薦企業ならいいけど、学生選択肢を狭めている側面もある。

2023-02-13

就活の途中記録

今できることが一段落してきたので、今までの振り返りをしてみる。

ちなみに、これを書いているのは機械系3年のメーカー技術職志望の男子です。

今どきの就活何となく知りたい人は読んでみてね。

夏〜秋 夏季インターンシップ

就活夏季インターンから始まる...」と言われているが、その募集6月7月上旬で締め切ってしまうため、夏から就活を始めていると遅い。

知名度が高い人気企業は応募者が大量に押し寄せるため、ES面接要求されゴッソリ落とされる。GW開けくらいから準備していなければ間に合わない。

逆に、知名度が少ないBtoB企業だとwebテストだけでOK、なんて企業が沢山ある。学生にとってBtoB企業が何やってんのかよくわからないため、参加ハードル社会勉強になることをふまえると非常におすすめ

私は複数応募したものの、1つはESで落とされ残りは面接不合格。結局、webテストのみで参加できるインターンシップを受けることに。東証プライムだけど一般的知名度ほとんどないBtoB企業で、正直全く期待してなかったが、なんとここが大当たりだった。

選考を有利に進めたかったっていう不純な理由で参加したけど、マジで面白かった。大学の授業で色々な技術について勉強したけど、やっぱり現場で生きている技術を学ぶのは全然違う。やっぱり座学でインプットばっかやるのはダメだね。院進学せず、すぐに就職したい意欲が高まった。

社員さんや会社雰囲気もすごくよかったし、本当に行ってよかったと思う。本選考でも、第一志望群のひとつとして考えている。

秋〜冬 会社説明会OB懇談会

秋〜冬だとオンライン説明会しょっちゅう開かれる。大学主催OB懇談会も開催。

業務内容を知るのは良い機会だったと思う。説明会社員さんが話す仕事内容は、ネット書籍じゃ得られない。こういうの出て仕事内容を把握しとかないと、志望理由とか書けないな〜っていうのは今になってめっちゃ思った。

あと、心なしか説明会に出席した会社からメールで色々な案内が来てる気がする。説明会さらマニアック説明会個人面談...。みたいな感じになってる企業もある。逆に、説明会に全く出てない会社からは、全然案内来ない気がする。

説明会の熱の入りようも会社によって大分違う。オンラインガンガンやる所もあれば、まったくやらない所も。説明会の案内が来ない会社学歴フィルターでもかけているのかと不安になる。

また、説明会に出れた企業の方が働くイメージを、持ちやすく志望度が高まる。そして、説明会積極的にやってくれない会社は、相対的に志望度が下がる。

ちなみに、企業主催説明会よりも、大学主催OB懇談会の方が絶対おすすめで優先度が高い。参加者が少なすぎて質問やすいし、ぶっちゃけた話を聞ける機会も多い。人気企業にもかかわらず、参加者自分一人だけだったときもあった。

大学主催懇談会は案内が分かりづらいため、このようになっていると思われる。ちゃん大学から情報確認しておくこと。

冬期インターンシップ

冬期インターンシップ募集はだいたい秋に締め切るので、1月くらいになって「2月インターンさがすかあ」と言ってると遅い。

ESをしっかり書かされるなど、夏季以上に志望度やら企業への理解要求されている気がする。

幸運なことに、冬期インターンシップにも参加できた。やっぱりインターンシップは学ぶことが多くて最高。クソ教員の座学半期よりも、5日間の実習の方が学ぶことがずっと多い。

年明け〜 本選考

志望企業の半分以上は既に選考が始まっている。大体1月下旬からES提出の案内が始まっているイメージ1月頭に募集が始まる会社も。業界によって差があるのだろうけど、3月まで律儀に待っている会社は少なく感じる。

あと、インターンシップに参加した会社からはもれなく早期選考の案内が来る。会社によっては、推薦状の提出が求められる。

3月以前から募集を始めている会社でも、スケジュール結構異なる。3月以後も募集を続ける会社が多いが、2月上旬募集を締め切っちゃう会社もある。さっさと締め切ってしま会社は、企業規模に対し人気が高すぎて、応募してくる学生を捌ききれないのだろう。

また、面接面談を何回も行う会社も。面談ES添削をしてくださるので、非常にありがたいが...。

適性検査WebテストTOEIC

初っ端の適性検査テストWebだったが、ノー勉で突っ込んだ。結構ムズくて8割得点するのはかなり難しい感じだったけど、全くわからないわけでな無かったのでノー弁続行。適性検査とき勉強で取られる時間が惜しい。それで選考は通っているので、塾講バイトできる程度の計算能力があれば十分だと思われる。

電卓を使えるWebテストよりも、電卓を使えないテストセンターの方が計算簡単で楽だった。(実際のスコアは知らん)

会社によって実施テストが異なる。テストセンター得点を使いまわしできるとラクなので嬉しい。

服装スーツ)と頭髪

就活は黒スーツじゃなきゃダメ!」と言い切っているサイトがあるが、面接官はそこまで気にしていないと思われる(技術系の場合)。

マナー講師が卒倒するようなオシャレ系スーツを持っており、企業説明会個人相談で印象を聞いてみたが、「オシャレだねえ別にいいんじゃない、今どきそこまでうるさくないよ」って感じの反応だった。そのスーツ面接に臨もうとは思わないが、ビジネスシーンでふさわしいスーツネクタイであれば何でも良いと思われる。

スーツネクタイの色よりも、シャツが袖からチラリと見えるとか、ズボンの裾がダルダルじゃないかの方がよっぽど重要だと思う。スーツシャツサイズが合ってなっくてダサくなってる就活生はマジで多い。ジャケットスラックス両方直しても2〜3000円で済むので、直したほうが良い。

頭髪はおでこを出すカットの方が印象が良いな〜っていうのは他の就活生見てると感じる。

マナー

大学が配布している就職のてびきがあるので、それを参考にする程度。就活マナーの本とか買って読んだりとかはしたことがない。

メールの書き方は就職のてびきに書いてある内容を参考にして適当に。

対面の面接練習しかやってことがないが、部屋に入る時にノックする、面接官に言われるまで座らない、程度しか意識していない。それで練習ツッコミが入ったりしないので、一般的マナーが守れていれば十分だと思う。

情報収集について(マイナビなど...)

基本的に、情報収集企業マイページから収集している。マイページ登録してるメールアドレスに、説明会の案内などが送られてくる。

マイページ登録している企業から送られてくるメール確認するだけ。

マイナビとかはどうやって使えば良いのか、未だによくわからない。

あと、ABABAっていう就活サイトにも登録。最終面接まで進んだ会社の記録を登録しておくと、それを評価した企業からスカウトが来るらしい。保険として使ってみる。

このサービスLINE情報が届くので、マイナビなどと違い使いやすい。

企業説明会

マイナビかに登録してると、企業説明会のチラシが自宅に届く。

大概「◯社以上回るとアマギフプレゼント!」っていうキャンペーンやってるので、それ目当てで行く。

中には、総額で1万円くらいプレゼントちゃう説明会も。話聞くだけで1万円もらえるのだから、こんなに割の良いバイトはなかなかない。行きたかったが都合が合わず諦めた。

院進学 or 就職

理系特に工学系の学科だと過半数が院進学を選択する。(もちろん大学学科にもよる)

研究に対するモチベーションが高く能動的に院進する人と、進路についてちゃんと考えずダラダラしていたら就職が手遅れになり、ダラっと院進学する人がいる。

逆に就職選択する人は、金銭的な理由で院進学が渋い、理系が嫌になり文系就職、さっさと就職して銭稼ぎたい(私はこっち)、などの理由が多いイメージ。私の大学では半分程度の人数が院進学するが、私の友人はみんな院進学するので、感覚的には院進学する人はかなり多く感じる。また、大学によっては7割以上が院進学することも。

大学の進路説明会とかだと、「就職院生が圧倒的に有利ですよ!」って散々煽られる(多分学費研究室の人手が欲しい)。しかし、技術者としてバリバリ働いている方に意見を聞いてみると、仕事できる実力が重要と話すことが多いので、大学意見ギャップを感じる。

しかし、院生が優秀だと感じることは多い。インターンシップに出てくる人は圧倒的に院生が多いしみんな優秀。特に、チームで考察議論するスキルや、エクセルでの数値処理、人前で発表するスキルについては、院生に分があるとインターンシップで感じた。学会の発表などで鍛えられるのだと思われる。

しかし、院生が優秀である因果関係については、よく考える必要がある。というのも、学部時代から優秀でモチベが高い人は大体院進学するので、院生が優秀なのはある意味当たり前である。また、学部卒でも授業で発表したりエクセルで数値処理する機会はあるので、学び方次第で差は埋められるとも思う。

また、二年間自社で教育した方が都合が良いと考え、学部卒を積極的採用する企業もある。そういった点をふまえると、学部卒が圧倒的に不利なのかと言われると正直微妙

私は自分が優秀だと思わないが、今の所出したESバンバン通ってるので、まだ学部卒のネガティブな部分は感じていない。

入社した後は知らん。

推薦

企業への推薦は理系ならでは。大学によって研究から推薦が出る場合と、研究室は関係ない場合がある。

推薦を申し出ると、内定が出た場合は辞退できない。企業側は学生を確保しやすメリットがあり、学生的には内々定が出る確率が高いというメリットがある。

個人的には、推薦を使うのがいいと思う。というのも、いくらザクザク内々定が出ても、最後は1つだけに決めなければならない。それなら、あらかじめ第一志望を決めておいて推薦を使い、確実に第一志望の内々定をもぎ取るのが合理的である。ただし、第一志望の会社自由応募の場合や、どこでも良いからさっさと進路を決めいた場合は、推薦はやめておいたほうが良い。

その他

anond:20230212221209

俺の場合配偶者じゃなくて親だったが、その経験から

ガンになったら手に取るガイドを読もう

まずは、何はなくとも「ガンになったら手に取るガイド」を呼んでください。

できたらネットで細切れに情報を探す前にここから

https://ganjoho.jp/public/qa_links/book/public/hikkei02.html

ネットでも読めるし印刷書籍も出てる。

ステージについて

ガンのステージは「おそらく」と言っていると言うことはまだ確定診断は出てないんだよね?

今の段階では冷静になって。

正直、最初は悪い方、悪い方で考えるけど、ステージを重たい側で考えても仕方が無い。切って病理解剖しないとステージは判明しない。

経済面について

増田とはいえ、全部書くことも難しいと思うから、まずは病院ソーシャルワーカー相談するのが良いと思う。拠点病院なら必ずいる。

例えば、旦那さんが加盟している健保で使える制度がないかどうかを確認してみて。企業健保組合とかだとかなり手厚い保険があったりするようだよ。

仕事について

そんなに急ぐ必要はないと思うが、以前、多少でもエンジニアなど専門的な職業に就いていた経験があるなら、ハローワークではなく、転職エージェントを使ってみて。

同じ業界、同じ業種、同じ仕事を探す方が良いと思う。もちろん業界によるんだけども。

やっちゃいけないのは「時間が無いから何でもよいので働こう」ってやること。とにかく無茶苦茶落ちまくるので精神的に消耗するし、ろくに内定も出ない。

妥協する方向は、同じ業界、同じ業種、同じ仕事だけど、とりあえず派遣社員、とりあえず給与減、とかそう言う方向で妥協すること。

直腸ガンについて

俺の親父も直腸ガンだったんだが、あるときから非常に良く利く抗がん剤療法が使われるようになって、かなり生存率が上がっている。

だけど、それは副作用との戦いになるけれど、体調のコンディションはしっかり支えてあげてほしい。

娘が女性差別のせいで無い内定になった。○○○死ね

娘は今年の春に卒業する。内定はまだ無い。

他の友人がやれ卒業旅行だの新人研修だの浮かれてる中、娘だけは就職活動必死で続けている。

ギリギリまでは頑張るそうだけど、この時期に新卒募集かけてる所なんて、思い切り足元見てるか危なそうな所ばかりだという。

その中からも何とか比較的マシな所を探して応募するも、それでも落とされる。


原因はわかっている。娘は所謂女性学ジェンダー学の分野のゼミ出身からだ。

初めはゼミで学んだ事などを堂々とアピールしていたらしい。

しかし、アピールが通じる事は無かったという。

男性面接官だけでなく、女性面接からも良い反応は無く、案の定祈りされると。

色んな所で似たような反応されて、娘も自分アピールが致命的だった事に気が付き、方針を変えたらしいが

ゼミで何をやっていたの?」「大学では何を中心に学んでいたのか?」という質問には、上手く答えられなかったり、正直に答えてしまったりして、駄目だったらしい。


娘が決して悪い訳では無い。少なくとも親としてはそう思いたい。

しかし昨今のフェミニズムジェンダー界隈の過激な主張を知っている世代からすれば

熱心にそういったものを学んできた人間など、社内で同様の主張をする「面倒臭そうなタイプ」と思われたのだろう。

コロナ全盛期よりは多少マシになったものの、まだまだ景気も戻っているとは言い難い。

そんな中に、危険分子可能性が高い、明らかに分かる形で見えている新人など、避けたいというのが企業としては本音だろう。

何より私自身、会社では採用に携わる事はあるが、そういった学生は警戒するし、一面接官として採用は避けたいのが本音だと思っている。

かのシールズしばき隊シンパ参加者親和性が高い人物採用したく無い様に、フェミニズムジェンダーもその「ちょっと関わりたくない類」にカテゴライズされてしまっているのだろう。


少なくとも私から見たら、過激人達思想に染まっている様には見えない。

就活が難航しているストレスからか「私はアイツ(某有名な人)みたいに腕組みして睨み付ける様な女じゃないのに!!」って泣きながら怒っていた事もあった。

とても可哀想だと思う。

私の会社所謂コネ採用には厳しいし、そもそも個人新卒枠を一人増やす、なんて事が出来る権限は無い。夫も同様だ。

何の助けにもなれないのが辛い。恐らく娘は、無い内定のまま卒業するだろう。


こうなったのは、誰のせいなのだろうか?

きっと個人の〇〇○が悪い訳では無いのかもしれない。

しか世間に対し過激言動・主張を繰り返し、反発・反感を買った結果がこれなのだ

○○○のせいで娘の将来に暗雲がかかったのは事実なのだ


いつも真っ先に被害に遭って、救済もされないのも末端だ。

正義感の強い方だった娘は、綺麗で正しい、正確に言えば綺麗で正し「そうな」主張を信じて学んだ結果、裏切られてしまった。

○○○が生んでしまった、新たな形の女性差別の対象となり、被害者になってしまった。


〇〇○の個人個人が悪い訳では無いという理性と、〇〇○のせいで娘が大変な思いをして!という感情がせめぎ合う。

〇〇○はいずれ滅ぶべきなのかもしれない。

2023-02-08

anond:20230208051459

内定も、大手ばかり10から出てたのに


こういう話?

入社8年、ITベンチャー勤務30歳の強烈な後悔

企業理念だけで就職先を決めた先に見た現実

https://toyokeizai.net/articles/-/316737

2023-02-07

生活保護」という形で氷河期世代に支払われる"賠償金"

みんな薄々気づいてると思うけど、もはや氷河期世代が救われる未来なんてない。どんな「支援策」とやらを打ち出そうと、20年近く非正規雇用転々とせざるを得なかった氷河期世代が今さら安定した職を得ることは無理だし、結婚して家庭を築くという未来も手に入らない。

そんな未来のために氷河期世代が働き続ける意味なんてあるのだろうか?朝起きて非正規の安月給の仕事をしに出かけて、家に帰って飯食って風呂入ってアマプラやネトフリを観て寝るだけの日々を一生独身のまま送る。そんな人生のために働き続ける意味なんてあるのか?

「無い」というのが答えだと思う。そんな生活なら生活保護でも出来るんだから

「働きたくないなら生活保護でいいじゃん」というムーブメントはいまだに抵抗感を抱く人が多数派だろうけど、現実を見れば生活保護と大差ない暮らしのためにフルタイム労働をしている人はたくさんいる。少ない給料から社会保険料年金がこれでもかというほど天引きされる。そして天引き額はこれからも増える。そう遠から未来で、働くことを諦める人はどんどん増えていくと思う。

そして、氷河期世代の人たちはもう諦めていいと思う。あなた達はもう十分苦しんだよ。上の世代正社員たちの雇用を守るために調整弁にされ、景気が回復した頃に下の世代はゆるゆると大手への内定を勝ち取って安泰な人生を過ごしてる。上の世代も下の世代も、氷河期世代犠牲のおかげで幸せに豊かに暮らしてる。少なくとも氷河期世代よりは経済的に豊かになるチャンスに恵まれてた。

氷河期世代の人たちは、賠償金をもらうくらいの気持ち生活保護を受給していいと思う。一生独身で、Twitterヤフコメ社会への文句匿名で垂れ流すだけの人生はこれからも続くだろうけど、せめて下らない労働人生の貴重な時間を奪われない日々を手に入れる権利はあると思う。

2023-02-06

あの時転職相談に乗っていただいた増田です。

https://anond.hatelabo.jp/20230204162851

その節は、ありがとうございました。

たくさんのレス、またブックマークでもたくさんのアドバイスをいただいて、ありがとうございました。
それで、皆さんのアドバイスで一番多かったとおり、ひとつめの大企業オファーを受けることにします。

正直、今すごい怖い。
けど、今の会社はねえわって言ってくれて背中を押してくれた人がたくさんいる。
俺の事をザコじゃないと言ってくれる人もいたし(それはたぶん、無駄文章を書き慣れているだけで、実力を反映してないんだけど…そこでバグって内定が出ただけだと思う)。

やっぱり自信はなかなか持てないけど、俺を信じてくれるお前らを信じることにする。恥ずかしい台詞増田から恥ずかしくないん!

リアルではお付き合いはある人はいても、友達って感じの人はいなくて。
でも、直接話をしないだけで、はてな増田でほどよい距離感でいつも存在を感じている人たちがいる。
そんな人たちが親身に、自分直感を信じてアドバイスしてくれるのは本当にうれしい。
それだけで俺はたぶんこれから生きていける。がんばれるよ。



マジありがとう。なんか今凄い心がだやかな気がする。ここのところずっとモヤモヤして鬱々としてたからかな。
普通の時って、こんなにすっきりした気分だったっけって思い出してる。やっぱり無理してたみたいだ。
これから退職交渉と引継ぎと転職かいろいろあるけどがんばるよ。
転職した後のこととかは絶対書くね。

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