はてなキーワード: 断薬とは
実家の事情もあって、専門卒業後に別業種だったシステムエンジニアに転職した。
パソコンなんてパワポとフォトショくらいしか触ったことないのに、プログラムを0から勉強して騙し騙し仕事をしていた。
元々勉強に向いているタイプだったのもあって、23歳から30歳の7年間で年収は1200万円程もらえるようになった。
学歴のない自分には身に余るような光栄な仕事ばかり与えてくれる会社や、周りの人には本当に感謝しかない。
殴られたって、いじめられる時だってあったけど、結果的に金になっちゃったんだからオーケーオーケー。
お金には困っていない。新卒から早々に一人暮らししながら実家に数十万の仕送りを送り続けた。
その生活も、今年の春で終わった。自分のお金はもう一人で使える状態になった。
そんなタイミングで来る、結婚適齢期、妊娠出産のタイムリミット。
運良く結婚前提交際1年、同棲半年、婚約もとんとんで進んで、生活力もある容姿も好み、価値観や性格もぴったりの婚約者ができた。
これから私は、この人と私の幸せのために働くのだと思うととても幸福に満ちている。
ただ、7年間の激務で自律神経がめっきりぐっしゃり壊れてしまった。
顔面神経麻痺、チック症、不眠、夢遊病、悪夢症、体温・発汗バグ、手足の震え。
避けていたが、婚約者の勧めもあり2年前から心療内科に通っている。
処方されている薬は、精神科医によると「これ以上強い睡眠薬は出せない」レベル。
これさえ飲めば、中途覚醒と悪夢で叫んで起きることはたまにあれど、6時間ほどは眠れて働ける。
メンヘラといえばメンヘラなのだが、精神状態に問題はなく、神経がちょっとバグっちゃっただけなのだ。
ヒスを起こすことも、暴力も、リスカも、ODもしない、模範的精神病者である。
結婚をしたら子どもが欲しい。妊娠を望む際はこれらの薬を断薬する必要がある。
眠れぬ暮らしをしながら働けるだろうか。
婚約者はそれなら仕事をしばらくセーブすればいいと言ってくれてる。
でもお金はあればあるだけ安心だし、産んだあとこそ働けなくなるのではという不安がある。
低学歴の汚い野良犬みたいな自分を拾って仕事とお金をくれた会社にも感謝している。
でも、失った対価は大きかったのかもしれない。
少しずつでも薬の量を減らしていこうと思う。
拝見した限りでは、医師の見立ての方が精度が高いように思われます。最初の処方にSSRIが含まれていたものと思われますが、その副作用で典型的な不眠・悪夢のタイプに見られます。
また、エピソード的にはうつをまず考えて不思議ではないし、解離性とはあわないように思えます。感情が思い出せないという感じはこれもまたSSRIの効果が出てる場合に見られるので。
今まで理解できなかったレポートがすっきり理解できるようになるのも、抑うつ状態が改善した事による理解力の回復による典型例に見受けられます。
基本的には断薬や漢方ではなく、処方による副作用を医師に伝えて処方の見直しをお願いするか、その意向にまったく応えてくれないのならば別の医者に掛かるほうがよいかと思います。
疑心暗鬼になりやすいものですが、いずれにしろ精神症状はインターネット検索の内容をもとに自分自身を判断することは不可能だとお考えください。
精神症状において、「自分の体は自分がわかっている」ことはまずありません。このレスも含めてこういったインターネット上のエピソードやレスポンスが的確なこともまずありません。それらに比べれば精神科医の先生の見立てのほうがずっと的確なのです。
残念ながらいまの先生に信頼が置けなくなってしまったのなら、別の医師にかかるのがよろしいかと思いますが、その場合、まえは信頼が置けなくなったことと、どう信頼が置けなくなったのか、処方がどのように副作用を持っていたのかをまず伝えるようになさると良いでしょう。
一昨年うつ病と診断された現役大学生だが服薬しながら休んでたけど、薬を飲んでも悪夢ばかりで全く休めないこと、ネットで薬のことを調べるとあまり良くない情報が目に入ってしまい、怖くなってきて勝手に断薬した。
シャンビリ感、反跳性不眠、頭痛、肩こり、筋肉の強張りとか離脱症状に悩まされてるけど、最近少しおさまってきて、生活リズムをできるだけ直して、漢方を飲んだり、たんぱく質とかマグネシウムを摂るようにご飯をちゃんと食べたりして養生中。
なぜ自分が解離性健忘なのかと思ったのか、経緯を話したい。(書いてみたら結構長くなってしまったので読める人だけどうぞ…)
去年の春休み、ひたすら眠ることしか出来ず、トイレに起き上がるのも一苦労だった。すごく死にたがってて(これもちょっと記憶が曖昧)、どうせ死ぬなら今まで読もうにも読めなかった漫画を買って読んでから死のうと思い、気になる漫画を電子書籍で数万単位使って買った。
昔から漫画は好きだったし、コロナ禍で外に遊びに行くことは減り、バイトで貯めていたお金が余っていたのでそれを崩して買った。活字だけの本は読めなかったけど、漫画なら読めた。それから夏休みはずっと漫画を読んでいて、寝るか、漫画を読むかの生活だった。何もやる気は起きなかったけど漫画だけは読めたから、これが酷い時期から脱する回復に繋がったのかもしれないと今では思う。
春休み明け、春休み前にいくら読んでも内容が理解できなかった活字だけの本を、レポート課題のために読み直した。すると、なんとスラスラ情景が浮かび、登場人物の名前も覚えられる。今まで登場人物の名前、関係性がぱっと理解できず、悩みまくってたことを不思議に思うくらいに。
頭の中の霧が晴れるようだった。今までの悩み事が全部解消された感じ。
でもよく見慣れたはずのゼミの人たちと話している時に違和感があった。顔と名前は覚えているけど、第一印象とかその人と話していて自分が感じたこと、思ったことは全く思い出せない。
その後も仲のいい友人と会って思い出話になる時、表面上では「そんなことあったね〜」と流してはいたが、ほとんどの場合は「そうだっけ?」「そんなことあったっけ?」「その時、自分はどう思ったんだっけ?」「その時、自分は何も感じなかったから覚えてないのか?」と考えることが多かった。ただ忘れただけかと思ってたけど、あまりにも覚えてなさすぎる。なぜ自分はこんなに出来事を覚えていないんだ?
調べてみるとうつ病の人は物忘れが多いこと、短期記憶が難しいこと、あと薬の副作用でもそうなるらしいことがわかった。該当しないことはないが、本が読めるようになったから違うのでは?と思った。さらに調べていくと、健忘というのが目に入った。全般性健忘、解離性健忘…周りから見ると普通だが、本人からは同一性がなくなっているだとかなんとか…。これっぽいなと思った。自伝記憶?エピソード記憶?というのがあまりないように思える。付け焼き刃の知識なので、勉強不足のように感じると思うがそこは許してくれ。
自分にまつわる「事実」を思い出すことはできる。自分の名前、出身地、生年月日、母校、家族の名前と顔、友人の名前と顔、アルバイト先、所属していた部活、通っていた病院…これらに密接に関係していた時に、付随しているはずの感じたこととか思ったことの記憶がほとんどない。
昔の記憶を思い出そうとしても、主観的ではなくて、自分をその場の第三者視点から見ているようなものが多い気がする。
去年の春休み前までの記憶がすっぽり抜け落ちている感覚。海面の部分は見えるけど、そこから下はすぐに深海みたいなイメージ。…分かりづらいな。本当に氷山の一角だけ思い出せるような感覚かも。
書きながら思ったが、むしろ記憶を失くす前の自分が覚えすぎていただけか?
これと言ってトラウマになるような戦争体験とか事故、性的な虐待経験はないが、無意識下の心理的葛藤が原因なら該当するかもと思った。人間関係でよく悩んでいたし、自分の一挙一動を振り返って反省する癖もあった。
病院に行って診察受けて自己同一性を再獲得すべきなのか、このまま生きていってもいいのか、ここ数日悩んでいたため書いてみた。でも医師を信じるという行為が今の自分にはまだ難しいので、通院は無理だろうな。せっかく断薬したBZ系の薬も飲みたくないし。
今までと同じように接してくれている友人、家族に感謝しつつ、このことを打ち明けようか、かなり悩んでいる。一時的なものですぐに記憶が戻ればいいけど。
長々と書いたが、とりあえず今の自分の気持ちを誰かの目の止まるところに吐き出したかった。
とりあえず飯食って休むのが今は良いのかもしれない。
医者を変えても良いという言葉を聞いて、だいぶ病院への向き合い方が変わりました。ありがとうございます。
その後、他の病院に行って大学も休学し、とりあえずうつ病の治療に入った。離脱症状はなくなりました。
医者によって処方の仕方とか診断とかかなり違うんだな。
健忘のことについては、今のところ日常生活に支障が出るほどではないのでもう少しして辛くなることがあったら後々医師に話そうと思う…。
愛する妻に不倫され心がズタボロに壊れて鬱病になり、精神科のお世話になっている。
処方されてる薬はレクサプロ。
薬を処方され始めて1年くらいになるが、症状は驚くほど安定し、無事に社会復帰を果たしている。
薬の効果は絶大だ。まず怒りや悲しみという感情を俯瞰して見れるようになる。
そして、そんな事に心を奪われる事が馬鹿らしく思えてくる。
そもそも元来はエンジニアという職業から極めて単位時間あたりの生産性には気が向く方だったし、不倫された悲しみから思うようにコントロール出来なくなった感情や体調、それによって地に落ちる生産性に悩む日々から解放された事は本当に嬉しかった。
曲がりなりにも、また自分の人生を歩めるのだと少し嬉しかった。
そう、錯覚していたのだ。
薬の副作用なのか、不倫された事による心の傷なのか、気づけば一切の性的興奮への興味を失っていた。
眠くて勃起することはあれど、シコっても射精しないし、射精しようとも思わない。
裸の男女に何も感じないし何も期待しない。むしろ人々の営みを猿か?と引いて感じるほどに、虚無感と賢者感に常に満たされる日々だった。
自慰に使われていた時間はコーディングという極めて生産的な時間に生まれ変わった。
ところが、だ。
先日、炎上プロジェクトの火消し対応の出張滞在が長期化し、ついには持ってきた薬が底を尽きてしまった。
断薬症状は怖いといえば怖いが、そこまで恐怖は無かった。
俺はもう立ち直ったと、心から信じていた。
だから、特にアクションを起こす事もせず、そのまま仕事に打ち込んだ。
それまでも、頭痛などの断薬症状は現れたいが、現地で購入した頭痛薬などを服用する事でさほど大きな問題にはならなかった。
そもそもレクサプロは効きもマイルド、断薬症状もマイルドと呼ばれている薬だ。
日々の生活への大きな悪影響はなかった。
それがだ。
その日見た夢は、それまでの人生で見た夢とは何もかも違っていた。
夢の中の自分は、それまで失ってたいた感情、つまり性欲の洪水の渦の中にいた。
とにかく湧き上がる性欲を抑え切れないのだ。
これまでの人生で、こんなに性欲に頭を奪われた経験があるだろうかというくらい、とにかくムラムラしてたまらないのだ。
そして何より、そのときの自分はいま、夢の中にいる事を完全に理解していた。
不倫した妻が、過去叶わなかった恋焦がれた人が、仲のいい友人や知人から有名人、大好きなゲームやアニメのヒロインやモブキャラまで、どんな異性もコツを掴めば無尽蔵に召喚できた。
満たされなかった思いを、とにかくぶつけた。
セックスがしたいのではない、俺は、愛し、愛されたかったのだ。
その夢で、俺は何度も射精した。
とにかく射精した。
決して鬼頭は摩擦によって痛くならないし、精巣は無限の生産力で精子を提供す続ける。
とにかく、何度でも、何度でも射精でき、その快感を無限に味わう事ができるのだ。
頭がおかしくなりそうだった。
本当に、本当に、気持ちいいのだ。
そんな無双な俺にもわかる。
実世界では今まさに世が開けようとしている。
後少しだけ、後少しだけ、
どうか神さま、この時間を1msでも私に。
とにかく俺は射精を繰り返した。
その朝はとても気持ちの良い目覚めだった。
こんなにスッキリした頭で目覚めた朝が、過去にあっただろうか。
でもその事後処理は、それによって得られた体験の偉大さの前には、もはや何も無いにも等しい物だった。
自分は人を超越したのだ。
刹那な性欲に負けて愛する妻を寝取った間男を、不倫や浮気に悩み悩まされる人類を、俺は仮想化によって超越したのだ。
ついに性欲は、人の営みは、誰も傷つける事のない持続可能(SDGs)なエクスペンスへと昇華されたのだ。
その体験は三日三晩続いた。
無事に出張を終え帰宅し、投薬を再開した自分は、良くも悪くも日常へと戻ってきた。
あれは夢のような出来事だったのかもしれないし、実際のところ夢だったわけなので、まぁ夢見たいなというか夢なわけだけど、今も自分が世界や人を捉える価値観を持つ上で、とても大切な思い出になった。
東京オリンピックが閉幕したら死のうと思っていたのだが、あれよあれよという間に結婚していた。妻と出会ったのはほんの数ヶ月前のことだったのにも関わらず。
この北京オリンピックも盛り上がりを見せてきたところで、自殺願望もとりあえず重箱の隅に仕舞いこんでおける水準になっていることに気が付いた。
経緯を増田に簡単に書き残しておくことで、誰か必要としている人に届けば良いと思う。
僕はかなり重度の自殺願望の持ち主だ。
いや、正確に言い表すのならば、「自殺願望の持ち主だった」。
元々、どこから湧き出てくるか不明な死にたい気持ちの源泉を抱えて生活してきた。精神強者にはあまりわかってもらえないことなのだが、「生きていること自体が自傷行為」なのである。
学生時代も挫折と絶望の繰り返しで、それなりに死んでしまいたくなることはあった。なんとか資格で食っていける学位を命からがら取得し、赴任地や所属といった諸々の見通しがたった後は、気を紛らわすような生きて行くための指標を見失い、ずっと「一体、これから俺は何のために生きていけばいいのだろうか?」と迷子になりかけていた。
趣味でも、恋愛でも、誰かこの人に尽くす為に生きてゆきたい。そういった、生きる痛みを和らげ覆い隠すだけのわけが必要だった。
私にはこれといった趣味がない。何か気分がいい感じに紛れるモノを探す努力もしてみたが、一向に見つからなかった。元々根は不真面目な社会不適合者なので、昇格昇進を目指して仕事に打ち込むことも出来なかった。恋活はじめいわゆる婚活と呼ばれる活動にも参入してみた。だが、案の定誰からも愛されることは無かった。
誰からも求められず、自分は何のために生きているのかわからないまま大阪で過ごす日々は、着実に心身のHPを削っていった。
婚活で出会う女とやり取りするうちに残りギガも減りゆき、やはり自分のように価値のない人間が愛されるにはネットだけでなくリアル対面が必要なのだと思うようになった。そして、遠隔でもいいから分かりあえるパートナーと生涯を共にしたいと熱望するようになった。
いっそのこと手っ取り早く障害者手帳を取得し、ハートフル割でTwitter婚活に専念しようかと考えた。しかし手帳を申請する前段階の診断書ゲットで躓き、身動きが取れなくなってしまった。
処方薬の大量服用を試みた。失敗した。目が醒めたからだ。次はもっと致死率の高い量と血中濃度を計算しようと誓った。
いずれにしても、「実行できなかった」。自殺願望を持つ者の中でも、思い描くことと実行することには大きな隔たりがある。「俺は本当にいつでも死ぬことの出来る人間なんや!」という思いを確かにし、ずいぶん勇気づけられた僕は、急な断薬をすることにした。
サナトリウム的な保養所に連絡してサポーター氏と減薬調整を進め、彼らから「お前の寛解を認める」という言葉が得られたのは、雪がとけゴールデンウイーク目前となった頃で、私は44歳になっていた。
「寛解」という言葉の軽々しさに、「これが誤診だったらいいな」と執着心を捨てきれずにいた僕だったが、そこから次元を上昇するかのように幸福が立て続けに起こった。
元職場の上司が菓子折りを持って過去を詫びにきたり、身内が出産したり、別の身内が学会で表彰されたり、海外の親戚が帰国し、その勢いで一族での花見をやったりした。短い期間に懸賞に連続で当ったことも、一度や二度ではない。
そのわりに仕事がうまく行くようなことは無く、再開した婚活でも坑精神薬の服用歴があり厳密には完治したといえない僕のような人間を愛する異性なんているはずもなかった。
そうして悶々としているうちに、疎遠になっていたそういう友人たちのうち何人かと交流を再開するようになった。しかし僕の心の隙間は一向に満たされる気配はなかった。
もう何をやってもこの人生はなるようにしかならないと悟り、私は何を思ったか一匹の保護犬を引き取ることにした。ミニブタの飼育もはじめようと思い付いた。
そんな折、婚活仲間として意気投合し、一緒に遊んでいるうちに希死念慮を打ち明け合うようになり親しく付き合っていた友人から連絡が来た。私の数少ない、大事な親友だ。
それは、「一緒に死のう」という申し出だった。「さもなければ一人で死ぬ」という話だった。
私はその申し出を断固拒否した。その代わり、友人と
文章はここで途切れていたので、今こうして続きを入力している。
私は友人にとって特別な存在になることができた。それだけでもう、苦しんで生きた甲斐があったというものだ。そしてもう私の生きる意味も役目を遂げた。
ここから先にあるのは、更に苦しく孤独な未来しかないと思った。私自身の心ももう、本当に限界を迎えていた。
もういつ死んでもいいと思っていたが、最後にせめてやり残したことを全て終えてからにしようと思った。
さらに文章はここで途切れていたので、今度は私がこうして続きを書き込んでいる。
文章の推敲をしていると、近所に住んでいるというフォロワーの方から連絡をもらい、会うことにした。
私は彼女のことを何度も見たことがあった。見るに耐えうる程度には美しく、刺身の上にタンポポを載せるような仕事をしている人だった。
彼女は、「あなたのファンです」と言った。何故か僕が近くに滞在していることを知っていたのだという。そして彼女は、「私は、あなたの人生に責任を負う覚悟があります」と言った。
だが、僕は自分で言うのも何だがわりかし顔の造形が整っていて陰キャでコミュ障傾向にあるが自殺願望や希死念慮から起死回生を図った逞しいマッチョである。彼女のようなどこか気が抜けていてポンコツで味のある(一応誉め言葉だが彼女に文意が伝わるか定かではない)女が、僕のことなど好きになる知能を持ち合わせているはずはない。分かり切っていた。
しかしまあ、騙されても奪われるものなど無い私は、彼女の言うがままデートを重ねた。そうして数か月経った頃、気付いたときには結婚し、主夫になっていた。息子と娘も誕生した。
人生は塞翁が馬みたいな感じだ。こうなるのには奇跡のように途方もない強運が必要なのは間違いないが、しかし一つ言えることは、私は、「ぎりぎりまで生きるのを延長していた」ということだ。
私はこの人生をもはやどうでも良いと思っていたが、ひとまず「とりあえずこれをやる」というものを探し、生きるのを何度も延長した。
死ぬ前に、小説を書き上げようと思った。コロナ対策をしつつ旅に出ようと思った。ブログを書こうと思った。ふわっちやInstagramをやろうと思った。とりあえずなるべく他人と会おうと思った。
そうして何度も何度も生を僅かずつ、ほんの少しずつ延長していなければ、妻が私を見つけることは無かっただろう。
そして妻の人生もまた尋常なものではなく、私に共感を覚えるような深い悲しみを抱えている人だった。そして全てのタイミングがピックアップしたパズルの破片のように奇跡的に当てはまり、ネットの海から掬い上げられた。
自分のことを特別にして求めてくれる誰かに愛され生きることは、思っていた以上に私を楽にしてくれた。
妻は、私がナルシストでニヒリズム主義でいることを許してくれるし、妻にとって私は、今のところ良い主夫として何とかやれているみたいだ。来年の春には新しい職場で働くことが決まっている。きっと能力者扱いされると思うけれど、なろう主人公程度には大丈夫だろうと思えるくらいにはなった。
だから死にたいなんて甘えだとか、問答無用に生きるべきだとか、大事な人が悲しむだとか、生きてることに感謝しろだとか、そんなトンチンカンなことを言うつもりは金輪際ない。
一度「死ぬ」ルートに入った人間を掬い上げるのは本当に困難だし、何の代償も支払うことなく他人の人生を救うことなんて、基本的には誰にも出来ない。
だけど、もしこれを読んでいる人の中に死にたいと思っている人がいたら、死ぬ前に、何か言い訳をしてみて欲しい。
あのYouTuberが配信するから今日はとりあえず夜までは死なないだとか、映画を見まくって、芸術に触れて、ときには創ってみて、食って寝て、会いたい人に会って、未練が残らないように、ギリギリの本当にギリギリまでやることを見付けて、やり尽くして、それでも未だ死にたいと思うのなら、好きにしたら良いと思う。
その最期の一瞬までに、これを読んだあなたのことを誠実に見てくれている誰かがいて、手を差し伸べてくれることを切に願う。
睡眠薬をやめた。5年に渡って飲み続けて、かなり助けてもらったけれども、断薬にこぎつけた。その過程の記録です。
医師から処方されているのだから、医師や薬剤師と減薬についての相談をし、その上で行うべきです。その点を念頭に読んでほしい。
①飲んでいた薬
②やめようと思った理由
まずはこの3つについて、それぞれ書いていく。
私は3種類の睡眠薬を処方してもらっていた。3つの薬を飲んで、なんとか眠っていた。薬の効果は「寝付き」を良くするものを複数処方されていた。
あえて薬品名については書かないことにする。本当は具体的な薬品名を書いた方がいいのだろうけど、むやみに名指しで断薬した薬について書くことは、誤解や不安を招く可能性があるからだ。とりあえず、ここでは「寝付きを良くするタイプの睡眠薬」とだけ。
薬を飲むと問題なく眠れていた。しかし、気になる副作用や他の医師の意見で、減らす決断をした。
以下のA~Eにまとめた。
A 次の日の午前中の眠気
D 悪夢の頻度が増えた
A 次の日の午前中の眠気
副作用で、朝布団から起き上がるのがひどく苦しかった。それはみんな同じだろうが……ただ、その眠気は本当に強かった。起き上がって数時間経っても眠気は取れず、ぼーっとしてしまい、6時間寝てもすっきりと起きられず、そのまま昼前まで眠ってしまうのは日常茶飯事だった。
人は大抵、朝7時に起きれば、深夜0時には眠気を感じるものだろうけども、その感覚が5年にわたってなかった。
薬を飲むと、その15分後には強烈な眠気、というよりも気絶に近い感覚で眠っていたので、「眠いな~」と思うよりも、「薬を飲んでスイッチオフして寝る」という状態だった。
0時になった。眠くなってきたな~ →寝る という通常の感覚が失われ
そろそろ0時だ。薬飲んで寝るスイッチを入れる →シャットダウンしたように眠る という状態。
これって結構、異常だと思う。メラトニンが分泌されているのか不安になった。
これは最もひどいものだった。眠いというよりかは、無気力になってしまっていた。例えば、「本を読もうとしても開けない」「テレビを観ていても疲れる」「ゲームや娯楽を楽しめない」など、とにかく行動を起こすことも、行動を持続することも困難になった。うつ病に近かったのかもしれない。
中途覚醒とは、深夜に目覚めてしまうことだ。私は3時位に目覚めてしまい、布団であぐらをかいてぼーっと座ってることもあった。眠気はあるので、もう一度布団にくるまると眠れたが、これも地味に眠った感覚が薄くなり、苦しい副作用だった。
D 悪夢の頻度が増えた
睡眠に入りやすくなる薬を処方されていたが、その副作用で「夢が増える」というのがあった。要するに、入眠しやすくなる代わりに、眠りが浅くなるということだ。人は眠りの浅い時に夢を見るわけだけども、その浅い状態が増える。
5年に渡って薬に頼っていたので、その副作用自体にもなれてしまって、常態化してしまっていた。断薬してから、A~Dは、もしかしたら副作用だったのだろうか? と気づくことができた。
私はセカンドオピニオンをつけた。
「実は、この薬を処方されているんですが、これってどうなんでしょうか?」
『普通は、そういう処方はしない。薬の副作用が強まるし、第一、規定量以上を処方されている』
とのことだった。2年に渡って、規定量以上の薬を処方されていたようだ。
私が処方されていた薬は、短時間だけ脳の働きを落とし寝付きを良くするタイプの薬だったが、徐々に耐性が付いたり、ストレスで眠れなくなったりして、追加で薬を処方された。その量が本来のキャパシティをオーバーしていたのだ。
おそらく、Cに書いた健忘やひどい眠気も、そのキャパシティをオーバーしたことで起きた副作用だったのかもしれない。
しかし、飲まないと眠れないので、なかなか減薬を出来ないままずるずると生活していた。
これに尽きる。自己判断でやめたり減らしたりはするべきではない。人によって、減らすことができる薬なのか、そうでないのかが違うからだ。
また、睡眠薬の作用はどれもそれなりに強いので、依存性があると薬剤師から説明される。実際、過去に急に断薬しようとしたところ、
・明け方になっても眠れない、一睡もできない
・悪夢を見続けて、眠りがひどく浅い
など、それなりに強い症状が出た。そのこともあり、医師と相談しながら、段階的に断薬することにした。
すぐには減薬をすることはできなかった。前述の通り、睡眠薬にはそれなりに依存性があるからだ。
なので、体に「自然な眠気」を取り戻してもらうためのトレーニングをした。
朝起きたら、少し白湯を飲み、軽く散歩をした。太陽の光を浴びつつ、軽い運動をすることで、体内リズムが正常化する。あまりにもTVや雑誌で言ってることだが、これは相当大事なトレーニングだと思う。
私は朝5時に起き、20分程度の散歩をしている。ついでにスマホのポケモンGOとかピクミンとかで遊んでいる。
朝歩けばいい、といっても、結構ハードルは高いだろうが、10分くらい先のコンビニや24時間のスーパーや自販機に行き、コーヒーを買って帰るだけで十分だ。そういう小さな目的を作り、歩くことがその日の安眠につながる。前日のうちに、外出する時の服をまとめて、すぐ着れるようにしておくのがおすすめだ。あと、散歩の前に白湯とか飲むといいと思う。
就寝の1~2時間前に部屋を暗くし、間接照明で活動する。スマホ、テレビなどは避けるか、ブルーライトを使う。
スマホのブルーライトは特に至近距離で見るので、私の体感でも相当眠りを妨げられる。ブルーライトカットのアプリなどを使うのもいいが、そもそも寝る1時間前には「使わない」という選択肢が望ましいだろう。私はスマホを寝室から離れた場所に充電スペースを作り、就寝前にはそこに置くことにしている。
加えて、就寝20分前ににストレッチと瞑想(座って目をつぶり、ゆっくりと呼吸を整える)をし、眠るためのリズムを作る。
夕食はは就寝の2時間前には済ませる。残業などで遅い夕飯になった場合は、軽めの消化の良い食事にする。揚げ物や炒めもの、焼き肉などの消化に時間のかかる重いものは、胃腸への負担が大きいため、眠りを妨げるようだ。寝る前の夜食や、深酒も控えるべきだ。
これらを就寝ルーティンとして定着させる。以下のはある日の一例だ。
20:00 夕食を済ませ、部屋を暗くし、暖色系の間接照明にする。
21:00 風呂に入る テレビやゲームは10時くらいには切る。スマホはアラームをセットして遠くに置く。
23:00 就寝
5:30 起床
薬の量によるが、段階的なプランを立てて断薬に望んだ。飲んでいた薬を順番に減らしていった。
飲んでいた3種の薬の中で、「頓服」として処方されていたものを、まずは減らして行くことにした。これは人によって処方が違うので、どれからなら減らせそうかは医師や薬剤師と相談する。
減薬をする場合、少なく飲んだ日は少し寝付きにくいことや、深夜に目が覚めたり、うなされたりすることがあった。頭痛や、体がこわばるなどの副作用も感じられた。しかし、それを乗り越えるとかなりすんなりと自然な眠りを取り戻すことができた。以下は実際のスケジュール。
飲んでいた薬のうち一つを半分に割って飲んだ。
錠剤は、ものによっては割れ目が付いていて、そこから手で割れるものもある。ないものは、ハサミやニッパーなどで割った。また、処方の際にはじめから、細かい量を処方してもらった。
例えば、ある薬は10mg, 20mg, 最大で30mgと処方できるので、
30mg × 3週間
と処方されていたものを
10mg と 20mg をそれぞれ×3週間分 (トータルでは量は変わらない)
という注文で処方してもらった。これで、眠れそうなときは20mgで眠り、眠れないときだけ10mgを追加で飲んで眠ることができるようになった。
少しずつ慣らしていくことで、眠れない日や、眠りの浅い日、うなされる日もあったが、眠りのリズムは取り戻しつつあった。
ここでは無理な減薬をせず、時間をかけて様子を見るのが大切だと思う。
同様に、徐々に減薬をすすめていった。3週目には、飲んでいた薬のうち、1種類だけで眠れるようになった。
この時点で、列挙していた副作用がほぼ全てなくなった。かなり眠りが深く、目覚めのキレが段違いで良くなった。服薬していた頃は、たくさん悪夢を観たが、それも少なくなった。だらだら布団で二度寝してしまうということもなくなった。朝起きてすぐ、参考書などを読むことができるくらい頭が冴えていた。
薬を、一番少ない10mgだけを飲んでいたが、それもハサミで半分にカットし、実質5mg以下で服用した。
5年も薬を服用してから飲む生活を続けていたので、飲まないで寝床に入ることにすこし不安感があった。とりあえずハイチオールCとか、整腸剤を「睡眠薬のつもり」と自己暗示して服用して眠った。
結果的には、飲んでいた薬のすべてを断薬することができた。自然な寝付きで、眠りは深く、朝は問題なく起床できている。
「自己暗示」というと怪しい響きだが、それなりに侮れない。ハイチオールCでも整腸剤でもなんでもいいが、これは薬で飲むと寝れるのだ、と暗示をかけてみるのも試してみてほしい。「薬を飲んだ→寝る」というルーティンで生活していたので、それがなくなると不安になるのかもしれない。
この長く読みにくい文章を最後まで読んだ人は、おそらく私と同じように服薬して眠っている人だろう。繰り返すようだが、しっかりとかかりつけ医と薬剤師に相談し、その上で減薬をするのに適切かを判断してほしい。減らしてはいけない薬を勝手に減らすと、悪い作用を起こしたりするかもしれないので。
「睡眠薬で十分に眠れて、日常生活を送れているならば、それでいいだろう」
その理屈はわかるものの、正直な気持ちとしては、飲まないで眠れるならばそれに越したことはない、と思ってしまった。
また、医師は眠れない人に薬を処方するが、薬が必要なくなるトレーニングについては余り関心がないように思えた。「不眠」という病気に対しての解決策としての処方なので、仕方のないことかもしれないが。
私の場合は、断薬することで、仕事や勉強、趣味にかけるエネルギーを取り戻していった。もし同じように薬を飲んでいて、どこか不具合やひっかかりを感じている人がいたら、医師に相談してみるのもいいと思う。お互い健康でがんばろう。
横だけど実例を上げておく
アラフォー既婚。子供作んないの?と無神経なこと聞いて来る連中が大嫌い。躾が出来ない親とその子供、妊婦様、子持ち様も大嫌いです。同じ境遇の方とお話し出来たらなあと思っております。
本音と愚痴用。躾のなってない子供と図々しい子持ち様が嫌い。猫、読書、海外ドラマが好き。オカルト好き大歓迎。DINKS。ごちゃごちゃ色々とつぶやきます😙 クソリプやクソ引用RTは積極的に晒します💕
就職氷河期世代。世の中の理不尽を呟きます。脱原発、安倍の移民政策反対(技能実習生)、反マイナカード、監視社会や国民が望まぬ政策を強行採決する自公維国不要! 反日工作員とお姫様気取りの「子持ち様」「妊婦様」はクソ。大相撲、絵画、手芸、習字、ショパン、日本料理、日本語誤用論等趣味。クソリプとネットビジネス垢はブロックする。
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#子持ち様 #お局 #上司 #パワハラ上司 #社畜 #理不尽 #パワハラ #逆マタハラ #女性の活躍推進 についてのツイートしています。数だけ目標の女性の活躍推進大反対。逆マタハラが一般社会に浸透しますように。女性だけれど実態の伴わない「女性の活躍推進」には大反対。 ブログ始めました。
強産被害者。男嫌いだから寄ってくんな。安楽死はよ。 苦しく死ぬのだけは嫌だ。ネグレクトの結果厚生労働大臣お墨付きの障害年金2級。障害持ったまま生きてても楽しくない。 30↑ガキはすっこんでろ。子持ち様嫌い。筋の通らない反対意見→秒でブロック HSP.自律神経失調症.パニック障害.不安神経症.うつ病.副腎疲労症候群.LS
#独身貴族 #反出生主義 #フリーター #恋愛アンチ #性嫌悪 ですが、別に既婚者や子持ち様、正職員でバリバリ働くフルワーカーさんから蔑まれても、こっちだってそれ以上に蔑んでますからどっこいどっこいと言ったところだと思いますw誰からも固定観念にも縛られずに自由に生きる!良い意味で世界をぶち壊していきたい。
反出生主義者にして安楽死しか道が無い理由は、自分の親と姉と義兄が子持ち様な事、親や外国人の奇声とスポーツの叫び声・怒鳴り声とTVの音と外国語のアナウンスを聞かされ、受動喫煙被害もあり、外国語の文字を見させられる世の中な故、交通機関も無理だから。他は反狂育・反校則・反ブラック企業・反社内規定等の思考とASDと抑鬱。
鬱もち、ADHD、毒親育ちのアダルトチルドレン独身子無しナースです 結婚子供ノーセンキュー 子持ち様へのヘイト吐いてます 現在無職、障害手帳3級、障害年金2級にて療養中。
本音を吐き出す垢 躾をしない子持ち様が嫌い 関わりたくない DINKs 面倒な人をかまってあげる気も意見の合わない人と議論()する気もありませんので噛み付かれても晒して即ブロックします
子連れと言う名の異敵と戦う侍 公共の場を私物化する奴は💢😠💢 現在は電車内飲食が問題化してますね。 全員が全員、感染拡大を止めたいわけじゃないから広めたい人は飲食しますよね💧 #クソ子持ち様川柳
アラフォー。夫婦二人で仲良く暮らしてます。 うるさい子供と偉そうな子持ち様が嫌い。軽く反出生で人類は滅んでも良いと思ってます。極度の嘔吐恐怖症で30数年はいてません。パニック障害、会食恐怖症、鬱、などなどありますが現在は断薬し、通院してません。フォロー申請はお気軽にどうぞ🍏
生まれも育ちも岡山県倉敷市 /猫と尾道が好き /FLYERS(SKY-HI時々AAA) /猛毒につき接近禁止!! /ダブルワーク /同業者さんフォロー歓迎 /デキ婚様・妊婦様・子持ち様・高齢者様、大嫌い(笑) /頭おかしい人切ります(笑)
アドレナリン垂れ流す子持ち女の愚痴垢。人間力向上のために自己啓発本を集めるのが趣味です。嘘です。/反日/老害/セクハラ性犯罪者/妊婦様/子持ち様/道路族/こいつら一人も日本にいらない/日本語不自由な奴は回れ右/基本通知は全てオフです
社畜。ワガママワーママ様の尻拭いの日々。上司役付き♂にも子供優先で同僚部下に迷惑かける子持ち様いて厄介。子なし独身に休日出勤や残業押しつけるな!子持ちの尻拭いは子持ち同士で! #子持ち様 #ワーママ様 #妊婦様 #ベビーカー様 大嫌い! #逆マタハラ #独身ハラスメント #子なしハラスメント 絶対許さない!
クソ家庭生まれ。大卒だけど正社員経験がコールセンターしかない将来お陀仏自○予定マン。汚客しね。投資も副業もしね。騒音起こす奴しね。高齢者と子持ち様が大嫌い。毎日愚痴と自32願望。今の世の中に疑問。災害か通り魔に遭遇して4にたい。業者はぶっ56す
貴腐人です。 犬が大嫌いですが、虐待反対! でも「動物こそが全て!」という考えも、断固拒否です。動物実験は必要です。 動物実験のお陰で、私は助かっております。 男性不信&男性恐怖症。 反フェミや糞男(ミソ男など)、キモオタ、糞ガキ、馬鹿親、子持ち様、妊婦様、それらの擁護派が大嫌い。 ちょっとだけフェミ寄り。
まとめサイト転載厳禁。ミソジニストと名誉男性、クレクレ子持ち様、トランスカルト信者はくんな。アンチ出生賛美。キラキラリベフェミとママニズムが嫌いなのでフェミニストを名乗りません
18↑/ゲイ/相方います/DID(解離性同一性障害)/AC/毒親育ち 趣味はゲームとお料理と創作 BL,おっさん,ショタ,筋肉が主食の腐男子 創作BLのみで絵と小説かくよ。創作小説はR18率高。うちよそは相方さんとだけ。 クソガキと子持ち様が嫌いで子持ち様への愚痴率高め。フォローはご自由に。18歳以下はフォロー非推奨
時短勤務で育児に勤しむ反出生主義者/15歳で洗脳が解けアンチハーンとなる/DINKSとして家父長制に加担/安楽死オフ会が生きる希望/ベビーカーに追突され粉砕骨折(2年ぶり15度目)/フードコートで子持ち様被害者を慰労し隊/ #反出生主義
旧ぐちって。です。情シスとは言えない業務側の要件定義者。反出生主義の勉強中です。多分アセクシャル、HSP。イクメンや子持ち様の奴隷はもう嫌です。 無言でフォローしてしまいます。よろしくお願いします。
愚痴、泣き言、本音吐き出し専用アカウントです。好きなのは動物、ぬいぐるみ、山などの自然。嫌いなのは妊婦様、子持ち様、障害者様、老害。要は属性関係なく非常識で無神経で傲慢なのは嫌いです。
クレクレ!配慮を!コドモガ〜!系の迷惑な子持ち様、ワーママ 、頭のネジも股もゆるいシンママ、イクメン気取りのバカ男や無能でプライドだけ高い男尊女卑クソオス、それをかわいいと思うスイーツ脳のバカ女、無駄に歳ばかり食った偉そうな老害、私の大嫌いなものです。好きなものは綺麗なもの。
Xジェンダー/難病/リベラル/安楽死推進/哲学/道路族被害者/にじさんじ/ 子持ち様を苦手としています。 リベラルはリベラルでも自己流であり既存の左翼観には反対です。
【関心は惚気垢さん・フェミニズム・LGBT・動物愛護・子持ち様妊婦様被害】過激フェミもミソジニストも愛誤も極端で嫌い主語のデカい人も嫌い。何で君らゼロか100かなんだ/児童・動物虐待許さん/毒親持ち/バイセク/性暴力被害者/殺処分反対/TNR/動物のお仕事/夫と息子ラブ。仕事比重大きめの雇われ店長。無言RTは大抵同意
らしさの押し付けから逃れ、更に強え女になるためフェミニストに。子持ち様や自称弱者男性、表現の自由戦士が無理。植物やクラシック、ボサノバ、二次元のオタク。弱ペダの泉田推し。変態発言&BL注意!泉田総受けと悠葦にときめいている。女体化や男体化、擬人化、オメガは地雷
「やろうと思うこと」の関係性に則って順序よくやらず、色々平行してやってるだけ。
散漫だから効率は良くないかもしれないけど、「アレをやってからコレをやる。そして次にソレを…」っていうまどろっこしさを感じずに済む。
アレもコレもソレも全部同時にやる。
で、この癖というか性質を直したいというのなら、ADHDのお薬を飲むことだね(比較的出して貰いやすいストラテラで充分だよ)
でもな。「俺、頭おかしいのかも」って思う以外に不都合が無いのなら、いちいち直さない方が良いと思うよ。
一個のことに集中せざるを得なくなると本当に苦痛。文章読みながらバラエティ見たり出来なくなるんだよ。面倒だよ。
そんなことすら出来なくなるんだから、よっぽど「頭おかしい」状態だと思うよ
(しかも、集中して文章読んだところで記憶に残り続けるわけじゃあないときたもんだ。集中力のある馬鹿。
お医者さんいつも目を充血させていて重労働で過労気味なのがみてわかる
たぶん俺のことモンスター患者だと思ってると思う
お医者さんの質問全部YES/NOの二択の質問しかしてこなく、俺すくない脳みそで頑張って選択して答えるんだけど、本筋から離れた場所を原因ととらえているみたいなアドバイスしてくる。でも俺としてはそこ原因じゃない、その問題もう解消しつつある、という認識
お医者さん「あなたギャンブル依存症なんですよ!転院先教えてあげます!」言いだして転院先に電話してみたら「会社辞める覚悟あります?」聞かれて無理答えたら「じゃあ無理っすねwwww」言われてそこで終わってしまった。
もうどうしようもなく精神科通えないからしかたなくレキサルティとストラテラ断薬して半年経った。被害妄想が止まらなくなってお仕事全然集中できずこれやばいと感じて、でももう八方塞がりでこれどうしたらいいか分からない
ADHD疑いでストラテラを処方されて飲んでたけど全然効いた感じしなかった。
飲んでる人は効いてたりするの?
以下俺の覚えてる範囲の服用記録
・飲んだのはだいたい半年くらい
・朝飯後に飲んで1時間後に副作用が来るので午前中は仕事にならない感じ
・とはいえそんなに集中力上がったり効率が良くなった感じはしない
・次は25mgを4週間+2週間
・これもそんなに良くなった感じはしない
・副作用に性欲減退があったけど、あるかもしれないけど加齢かもしれないのでわからん
・25mgも効かなくて40mgを4週間
・一番副作用強い気がするけど慣れてくる
・これでもそんなに良くなった感じはしない
・ここで多少効果があったかもしれないけれど、副作用でふわふわしたまま仕事がおわるみたいな感じで効率は良くなってない
・どちらかというとプラシーボ効果に近い感じがする
・コンサータに切り替えられないか医者と相談したが、コンサータを処方できる権限がないので医者を変えることになるという感じで、同じ予約時間に権限ある医者はいないしどうしようもなかった
・金払ってもそんなによくないし、医者と別で受けてたカウンセリングはよかったけど担当カウンセラーが退職して交代されるタイミングで病院行くのやめた
・離脱症状はそこそこあったけど薬の副作用とそんなに変わらなかった
・数年たって今に至る
将来の不安について聞かれるが、正社員で勤務していた時は仕事を抱えるのが嫌すぎて毎日明日が不安だった。不安がない日が無くて生きててとても辛くて、出来の悪い頭で土日もずっと仕事の事を考えていた。
派遣になってからは責任もなく、その日のうちに終わらなかった仕事はプロパーが残業して片付けるので進捗構わず定時で帰ってる。人間関係も「派遣さん」として扱われるので、良くも悪くも距離感があってとても楽だ。正社員で働いてた時は、人付き合いが嫌いな上で適応しようと胃を痛めていたので、それがないだけで幾分幸せを噛み締めることが出来る。
そのお陰で、正社員時代に社会不安障害を発症してしまった為、依存していた「ロラゼパム」を断薬できるようになった。今は一切薬を飲んでいない。日中の眠気に悩まされることもなくなった。
収入が大幅に減り可処分所得が無くなったが、休みの日に図書館で本を借りて読んだり、映画に没頭したりしている。最近はプログラミングの勉強を趣味として始めた。( 偏差値30ぐらいの高卒でそろそろ三十路なのでプログラマになれるとは思ってない)、この間中古のチンコパッドにUbuntuを落とした。CUIで「ギャッ!英語!」となったので、中学基礎レベルの英語の勉強も始めた。あまりお金をかけなくても楽しめる事は探そうと思えばいくらでもあることに気づけた。視野と世界が広がる感じがした。
俺は社会的責任を追うと途端に身動きが取れなくなるゴミなので、この先も派遣社員として働き続けると思う。結婚は元々する気はなかったので、問題はない。
年配派遣社員を沢山見てきたので、まあなんとかなるだろうと楽観視している。食いっぱぐれたら生活保護も視野にいれたい。
命許す限り、生活を楽しもうと思う。
最初に告白すると、自分は覚せい剤使用で前科のある薬物依存症の当事者だ。
これだけでタイトルの回収ができると思うが、今年に入ってからワクチン報道で注射器を、何度も何度も見せられるのが耐え難い。
10年以上もクスリを使ってたクズだが、医者にも診てもらい、自助グループに通うなどして、判決が出てから3年半、誘惑を抑える努力をしてきた。
ここ最近はクスリのことを考えることも、ほとんど無くなってきたと思っていたのに。
テレビでもTwitterでも、どうしようもなく映像を見せられる。逃げ場がない。
元犯罪者が「配慮してくれ」と言うのは、おこがましいのは理解している。
でも、つい先日、自分より長く断薬を頑張っていた仲間がスベった(使ってしまったことの界隈での用語)。
一番軽いベンゾジアゼピン系抗不安薬、5mg、3シート食べた。飲んだんじゃなく食べた。甘いんだ。いい大人なのに。
断薬の理由は後述するとして、あるきっかけで心療内科にかかり、診断書をもらって2年間断続的に休職し、新年度から復帰しようとしたら出鼻挫かれて再度休職か、いや経済的に、といった迷いの時期だった。
その数ヶ月前は、考えすぎて眠れず頭が痛くなると、頓服で薬を飲むようにしていた。薬の効果は、思考スピードが緩くなる、体がほかほかする、入眠しやすくなるなど。反面、思考から論理性がこぼれて溶け出してネガティブな方に感情的になってしまう効果もあった。悲しさ、寂しさ、怒りも増幅される。大声で泣いたりした。夜中にダイニングの床を水拭きしながら子どもみたいにギャン泣きしたこともある。攻撃的にもなった。安心できる居場所が欲しくて、大声を出した。
断薬は、迷惑をかけるのは嫌だということを家族で話し合って決めた。
となると、仕事に行くためには体調を管理しなければならないので、睡眠時間の確保が生活の「要」となる。これが家族としての自分の責任、家族の条件。
話し合いの次の日から、入眠の障害になり得るものを極力避けることに全神経を注いだ。苦手だったのは、考えすぎないこと。フラッシュバックがスパークすると、傷口に白血球が集まってくるように思考が沸き立ってしまうので、覆い隠すように作業に没頭する必要があった。計算問題とか、床の拭き掃除とか。
10段階での頭痛怠さ動悸のしんどさ、食事の内容、買ったもの、トイレの回数、ベッドに入った時間、中途覚醒時間、起床時間、考えた時間が多かった事柄などを記録した。読み返してルーティーン改善の参考にした。
まあまあうまくいっていた。最初にコケた原因も分かってる。そこから改善してきている。睡眠時間が伸びて、頭痛も弱くなっている。このままうまくいければ、仕事に行ける時間も増やせると確信していた。自分の責任をやっと果たせるようになる。
でもダメだった。ベッドに入ったのが23:20、頭痛が強くなりしつこいフラッシュバックに対応していて結局眠りに入れたのはスズメが鳴き始めた時間帯だった。アラームは聞こえなかった。
車の音、子どもの声、夕方に目が覚めた。自尊感情は尽きてた。当然。当たり前。当然のことができてない。家族を支えていない。普通じゃない。頭が痛い。心臓がうるさい。耳が立つ。腕が重い。
だから薬を1シート食べた。頭が痛いのをやめてほしい。心臓がうるさいのをやめてほしい。耳が立つのをやめてほしい。腕が重いのをやめてほしい。普通じゃないのをやめてほしい。家族を支えられないとかやめてほしい。仕事ができないとかやめてほしい。ありえない。家族としてありえない。なんでこんなんになっちゃったんだろう、なんでこんな思いしてるんだろう、いつまで続くんだろう。
いい大人なのに、甘いやつのおかげでゆっくりしてきて、正義の酔っ払いになっていた。
家族が仕事から帰ってきて、一言も喋らなくて、目も合わせなかった。
頭痛から逃げるために救急車を呼んだ。かかりつけの心療内科にいけと言われただけだった。家族の車とは別にタクシーで帰ってきた。家ではたくさん話をした気もするし無言だったような気もするけど、喪失感ははっきり覚えている。
家族が寝たあと、追いシートを2つして、深夜の県道を歩いて市を跨ぎ、コンビニでタバコとビニール紐を買って、血圧を計算して柵かなんかで首を吊った。
適応障害診断されてしばらく経つけど、悪化と回復を繰り返しながらズタボロの状態で生きてる。
『適応障害ってうつ病の手前だから、ちょっと休んで薬飲んだら治るんでしょ??』って油断して病院行き忘れて断薬してしまったのが運の尽きだった。
適応障害でも、ちゃんと医者の言う通り薬を飲んでペースを抑えて生活しないと死ぬ。マジで。
けど実家に帰れないのがマジで辛い。というか、嫁と一緒にいないと行けないのが面倒。こっちは毎日具合悪くて波があって大変なのに、そう普段よりもっと大変なのに、嫁は相変わらず家の中で不機嫌を撒き散らし、嫌なことがあるとすぐに『私は家政婦なんだぁ〜いやだぁ〜』っていう。いや、俺も元気なときは家事を手伝ってるし、そもそも2年前までは俺が全部家事炊事やってたんだが?俺は自分が『家政夫なんだぁ〜』なんて思わないけど??なに?家のことって普通に自分のことだからやるんじゃないの?え?家政婦の気分でやってたの?なんなら家政婦のほうがもっとよくやるでしょ?家政婦なめてんの?
なんかそんな家で過ごさないといけないからさ、ストレスなんて消えないてワケ。仕事したいけどできなくて辛いけど家のこともやらないと嫁のお守りをしないといけないからそれも辛くてなんなんマジで。本当は実家に帰って仕事も家庭も投げ捨てて休みたかったさ。けどこんな時期だから帰省できないししたくないし。
俺ばっかり辛い思いしてなんなんマジで。
昔はこういう言い回しよく使ったと思うんだけど、
最近気を使うようになったのか「~~したほうがいいかもしれませんね」ぐらいがベストになってるよね。
自分自身ずっと自覚があって、例えば作業するときとかに「今日は絶対にここまでやる!」って決めないと、まず終わらない。「できたらここまでやれたらいいな」ぐらいだと、まずやらない。
今困っていることは、毎日飲まなきゃいけない薬(メンタル系)が飲めない。
飲まないと痛むわけじゃないってのと、副作用がきつくて、効果が出る前になんとなくやめちゃう。
先生に「どうして断薬したんですか」って聞かれるたびに「特に理由はないんですけど、気づいたら飲まなくなってました」って何度も答えて先生もお手上げという感じであった。
会社で働いてたときにも、よく誤解されてた。「そんなに厳しく決めなくていいよ」「そこまで言わなくていいよ」みたいに言われたりしたけど、
あれは別に真面目だからでもなんでもなくて、それぐらいキツめに断言して声に出さないと自分はまず動かないからだった。
ここをうまく解消できたら、人生ちょっとはマシになる気がする。これは一体なんだろう。
・追記
副作用については何度か話していて、その度に一応対策はとってもらってるけどそれでも続かなくて(勝手に理由なし断薬)だんだん言いづらくなってる感じです。