はてなキーワード: 読売グループとは
池坊保子ごときがなんでああも偉そうなんだって話なんですけどね。
あの人は旧華族、梅渓家の出で、村上源氏、羽林家に分類される。羽林家は極官は大納言で、武家と公家は違うけれど、武家で言えば大納言は加賀前田家や尾張徳川家の家格だからね。
梅渓家出の歴史上の有名人と言えば、徳川将軍家・十代将軍・家治を産んだおこうの方が、梅渓中納言家の出。おこうは、家治の正室について、京から大奥入りをしたわけですけど、将軍家正室をだせる家柄ではなくて、御台所の側近を出す家格なんですね。
で、明治以後は子爵家に叙されたんですけど、戦中戦後期の当主の通虎がやり手で、没落もせずに乗り切っただけじゃなくて、長女を読売の正力家に嫁がせてるんですよね。で、よみうりランドの社長とかやっている。
池坊保子は、その正力夫人の妹で、要は読売グループの外戚一族であるわけですよ。
池坊ももちろん相応の影響力はあるけど、彼女が傍若無人の言動を示しても誰も掣肘できないのは、読売財閥の権力があるからですよ。
どっちが頭でどっちが尻尾かは分からんですけどね、読売新聞が日本相撲協会側について貴乃花を叩いているのは偶然ではないですよ。
読売は日本相撲協会になんか権益があるんでしょうね。あの女はそれに沿って踊っているだけですよ。
[追記]
ま、陰謀論と言うか、こういう構造があるのですよ、っていう話です。
なぜある種のオバサマたちが素で支配者面をしてそれがまかり通っているのかっていうそもそもの話ですよ。
戦中戦後の怪しい財閥は、旧華族と結託することで血統ロンダリングするとともに、上流コネクションを手に入れたわけ。小佐野賢治とか典型的だよね。
旧華族の人たちの「いやーうちはすっかり没落しちゃって」の話を真に受けてはいかんと言う話ですよ。
いわゆる「財産」はなくても「財産」を築くコネクションは維持しているから。銀行、商社、マスコミが典型的だけど、役員は旧華族つながりばかりよ?
MさんとかNHKにいるけど、あれだってそもそもはコネだし、生涯年収で言えば「三億、四億」は贈与されることになるわけ。
東京ドームとかいう謎単位(http://anond.hatelabo.jp/20150510091631)という記事にはてブがたくさんついており、
そういえば、「<単位>としての東京ドームの誕生」とかいう謎卒論で、単位をもらって大卒の肩書を得たことを思い出し、
おぼろげな記憶ながら内容を抜粋し、Q&Aの形でエントリを書いてみようと思いついた。
A1. 違う。東京ドームの前は、霞が関ビルディングが単位として使われていた。ちなみに、1東京ドーム = 2.48 霞ヶ関ビル。
Q2. いつから単位が、霞が関ビルから東京ドームになったのか?
A2. 次第にとしか言いようがないが、確認できる限りで初出なのは、東京ドームがオープンした1988年3月18日の翌日の読売新聞のコラム
『東京ドームの大きさは、 霞ヶ関ビル何杯分?』。ここでは、約2.5倍と紹介されているが、ほかにも上野動物園と比較されており、
明確に読売グループが新単位を創出し定着させる意図を持っていたことが分かる。
A3 結果的に単位としての東京ドームは、日本国内で受け入れられている以上、ある程度、単位としてのふさわしさを持っているのは事実。
しかし、日本テレビ「ズームイン!!朝!」のテレビ番組表欄を、1985年から2001年までみると、オープン後1年経った1989年でも東京ドームについての
特集が3か月に1度程度ある。そして、1990年には『東京ドームは○○の何個分!?』という特集コーナーが設けられており、
この特集コーナーは毎年1度はあった。また、めざましテレビでも、1995年、1997~2002年に、同種の特集コーナー(おそらくめざまし調査隊)
でこれが取り上げられている。東京ドームは、阪急東宝グループとも因縁浅からぬものがあり、フジテレビは阪急東宝グループと関係が深く…
というのもあるかもしれない。もっとも、関西だと甲子園という単位が通用しているところから考えると、
単に関東のテレビでは、そのころには、東京ドームという単位が定着していたのかもしれない(少なくともメディアの中では)。
また、副都心開発にのってお台場に移転しようとしたフジテレビの社屋を表すのにも、東京ドームという単位が一番適切であったはずである。
Q4 やっぱりそれでも東京ドームは単位として不適切。大きさが分からない
A4 1989年にすでにそれを言った芸能人がおり、石橋貴明が、『とんねるずのみなさんのおかげです』のコーナーの一部で、東京ドーム何杯分とたとえるアシスタントに、
「わからねーよ」と襲い掛かっている(youtubeに昔あったのだけれども消えた)。このように、東京ドームという謎単位は生まれて間もなくから、
その単位のふさわしさを疑問視され続けてきた。もっとも、石橋の発言の後、東京ドームの広さの説明が番組中に挟まれたのは言うまでもない。
いわば、東京ドームという謎単位は、常に疑問がさしはさまれるがゆえに、コンテンツとして消費され続け、<単位>としてメディアに使用され続ける側面も持つ。