はてなキーワード: ホームランとは
※かなりの確率でスターを獲得している。この方の真価は1~2usersにある。その真価を味わうためにはお気に入りにする必要がある。
すごく良いこと書いてあったのですが参考にしようとしたらサイトが消えいたので、魚拓から転載。
働・学・遊・美をミックスしましょう
計画は役に立たないが、計画することは不可欠だ。
by ドワイト・D・アイゼンハワー(第34代アメリカ大統領)
人を最もダメにするのは「全体像」を見せずに「部分的なこと」をずっとさせること。
これ続けてると何も考える力のない指示待ち人間ができあがる。こわいこわい。
by 外尾悦郎(スペイン、バルセロナのサグラダ・ファミリア主任彫刻家)
腹が立ったら自分にあたれ、悔しかったら自分を磨け。
神は細部に宿る。
by ミース・ファン・デル・ローエ (建築家)
放っておくと会議の時間の九十五%は「コメントの交換」に使われている。
by 「ケッヘル」(中山可穂)
重要なことは、正しいか、間違いかではない。うまくいくか、いかないかです。
マネジメントとは、そのようなものです。
by ピーター・F・ドラッカー(マネジメントの神様)
やってみせ 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ
話し合い、耳を傾け、承認し、任せてやらねば、人は育たず
やっている、姿を感謝で見守って、信頼せねば、人は実らず
あなたに幸運の女神が微笑んだのであれば、プロジェクトは無事に完了し、幸せになれます。とてもとても幸せになれます。多くの人々は、自分では何の失敗もしていないのに、ここまで到達することができないのです。豪勢な夜を計画してください。どんちゃん騒ぎをして散財してください。そして、その時のことをいつまでも語り継げるようにしてください。
by 「アート・オブ・プロジェクトマネジメント」
この50人時間の差が大規模で長期間のプロジェクトの場合に大差を生む。
20人のチームの場合。
この4人分の差が大規模で長期間のプロジェクトの場合に大差を生む。
ミーティングと同じようにコストを意識する。読む人の時間をムダに奪ってはいけない。
反省会は、社内グループウェアのメッセージ機能を使って、こんな感じでやってます。
ファイアープロジェクトに助っ人参戦した場合にどうするか。原因のほとんどはマネジメントもしくはコミュニケーション。
20人程度のチームならこれらを1~2日で終わらせて雰囲気を一新する。あとはふつーのマネジメントへ。
落合博満のプロ通算500本安打・1000本安打・1500本安打・2000本安打という節目の安打が全てホームランであることは有名であるが、落合曰くそれは偶然ではないという。
つまり狙ってホームランを打ったわけだが、節目の打席以外でも毎打席ホームラン狙いが基本前提だったために、節目の打席でホームランを狙って打つことが造作なかったと語っている。
イチローはホームランを狙えば打てる能力があることを他の選手やファンから評価されており、節目の打席ではホームランを狙うことが多いとされる。
通算本塁打の割に先頭打者本塁打や1試合複数本塁打が多いことに加えて、年間200本目のヒットがホームランの年があることや、プロ通算1000本安打がホームランだったことなどから狙えばホームランを打てる能力があることと、何らかの節目の時にはホームランを狙うことが多いことが指摘できる。
(確か1994年の200本目の安打や日本通算500安打目の打球ももう少しでホームランという打球だったから狙っていたかもしれない)
しかし、同時にそのような節目を迎えた時にはスランプが少ない選手の代表であるイチローが不振に陥ることが多いが、ホームランを狙っていた影響があると思われる。プロ通算1000安打の直前も不振で、久々のヒットとなるプロ通算1000安打目がホームランだった。
だが、落合はそのような節目を迎えた時に特別な不振には陥ってはいなかったように思うし、本人もそう語っていた気がする。
(2000本安打の前に6打席ノーヒットというのがあったが、6打席くらいは大したものではないだろう)
それも毎打席ホームランを狙うのが基本前提だったからなのだろう。
ところで、サッカーにおいて日本人FWはゴールを狙える場面で変にもたつくことが多いとよく指摘される。
シュートを打てる場面でパスしてしまったり、キープしてる内にタイミングを逃してしまう、お馴染みの動作である。
その特有のもたつきが無かった日本人の一人がキングカズこと三浦知良と言われる。彼と並んでゴンこと中山雅史もその一人だろう。
日本代表の代名詞が決定力不足となったのも、思えばカズやゴンが日本代表から遠ざかってからのことのように思う。
2000年代以降各種メディアで日本代表の決定力不足が当然の如く囁かれるようになっていたが、その時にJリーグの歴代選手の1試合あたりの平均シュート数を比較した記事があった。
それによると確か上位は殆どが南米系の外国人選手で、日本人で上位に食い込んでいたのはカズとゴンだけだった。
シュート数におけるゴールの決定率でいえば日本人FWはむしろ高い方なのにシュート数が少ないためにゴールが生まれにくいことを指摘する記事で、シュートを多く打てるカズとゴンは凄いというようなことを書いていたと思う。
カズは実際、「FWはシュートを99回外しても、平然と100回目を蹴る精神構造でないとやっていけない」と言っていたが、
カズやゴンや南米のFWはシュートが狙える時はとにもかくにも狙ってシュートを打つことが基本前提としてあるためにシュートを打つことへの変な躊躇や恐怖がない。だからシュートチャンスで変なもたつきを出さずにシュートを打てるのだろう。
地元の同級生(女)が、1年専門学校に通って秘書検定2級に合格しました〜!とfacebookに近況報告していた。え、あのホームラン級のバカでも受かる検定ってどんなもんじゃろ、とふと思い、ブックマークからGoogleを選択しクリック。因みにどれ位バカかというと、中学生のころ、英会話の授業でアメリカ人の先生に将来の夢を聞かれ、「セーラームーン!」と元気よく答えたまでは良いものの、What is "Sailor Moon"?と聞かれて、後ろの席の僕に「ねぇねぇセーラームーンって英語で何て言うの?」と聞く程度のバカである。そんな彼女が1年掛けて合格したという秘書検定2級。キーボードを叩き検索窓に文字を入力しながらふと思う。ところで、そもそもこういう資格は秘書になる前から勉強するものなんだろうか、と。「私、将来えらいシャッチョさんの秘書になりたい!」などと考えて専門学校に入学したのだろうか。秘書というのはあくまで営業、人事、総務といったポジションの名前であり、目指してなるようなものでは無いのではないか。そもそもセーラームーンになる夢は諦めたのか?表示された検索結果をぼうっと眺めながら、改めて彼女の動機について考える。何せセーラームーンを目指していた女だ。彼女の残念なオツムなら「シャッチョさんの秘書って大体赤いフレームのメガネ掛けててタイトなスーツ着てて超セクシーじゃん!」くらいの軽いコスプレ感覚で勉強を始めたのかもしれない。ただ、何れにせよ合格によって彼女が成長を実感し、何かを成し遂げる事の悦びを感じたならそれで良いではないか。因みに彼女であるが、脳みそは小さいものの躰つきに関しては妙に艶かしく、特に乳のデカさは特筆に値する。決して美人ではないが頼めばヤラせてくれそうなチャラい雰囲気も相俟って、フリーで入ったヘルスで出てきたら翌日以降暫く余韻で白飯が食える程度にはエロい。自分の好みで言えば、ああいうオツム足りてない感じのチャラい女が、赤いフレームの眼鏡、タイトなスーツの秘書風コスプレで「シャッチョさん、お疲れでしょう?」なんて言ってニッコリとイチモツのコリを優しくほぐしてくれればミラクルロマンス。月の光に導かれ何度も(店に電話して)めぐり合いたい。コスプレと言えば、バカそうな女だしなんかハロウィンとかガッチリやってそうなので普通にセーラームーンのコスプレも似合うと思う。ここまで書いて気づいたが、きっとご両親に「秘書の専門学校に行きたい」と打ち明けた時も、アメリカ人英語教師にセーラームーンとは何か尋ねられたあの時も、彼女は将来の職業について本能的に向き不向きを感じ取っていたのかもしれない。それに比べ自分はどうだ?やりたい事も自己分析も曖昧なまま、手当たり次第面接して漸く拾って貰えた会社で、これが本当にやりたい事なのかといつも自問自答しながらPCと睨み合う日々。彼女の自由な生き方は僕ら同世代にとって正にスター、もといムーンなのかもしれない。今では素直に彼女の夢を心から応援してあげたい。これから一生懸命就職活動して、理想のシャッチョさんを探し、じっくりと経験を積んで、立派なセーラー戦士になって欲しいと心から願っている。因みに秘書検定について調べたけど、何だこのクソみたいな資格就職活動に有利だと真面目に信じてる奴は須らくバカだと思いました。
http://anond.hatelabo.jp/20160215171759
賛同する人も多くて余計に呆れるわけですよ。
なんでってね、今の20~30代の君たちね、
日本という国の
つかいましょーか?等を決める人を選ぶ
超超超超超超超超超超超超超超超超超超絶
君たちなにやってました?
寝てた、遊びたい、忙しい、興味ないし、面倒、何も変わらないでしょ
そりゃね、保育園できるわけないですやん。
重要で生活に直結する行事サボったら、そりゃどうやったってダメですやん。
よくもまぁこんな事いえるなってね。
おじさんビックリするんだよね。
もうね、バカかと、アホかとね。小一時間問い詰めたいわけですよ。
逆に問いたいんだけど
若い時に選挙に行かずにね、なんでバラ色な保育園の入園生活できると
いかに当選するか考えるわけ。
政治に関心持ってくれるのね。
もうね。ダメすぎるわけ。
すんごい懇切丁寧に語ってるの。
この人すごいなと思ったのにね。なのにね。
というかね、打ちたくても打てないですやん
選挙いけいけいけいけいけいけいけいけいけいけってさ
耳がタコになるほど行ってるのにも関わらずですよ。
全っっっっっっっ然行ってないわけですよ。
なのにね。君たちはね。
クレクレクレクレクレクレクレクレ
とかね。
でもね、逆に言うとね。
おじさん感謝してるんですよ。
ほんとうにありがとうございます。
実際今の若者たちには
・借金1000兆円
・貧困拡大
多くの課題があるので精々頑張って欲しい。
またできることであれば
投票しないでくれれば、政治家も「やっぱこいつら影響力ねーな」
って再確認してくれるので投票しないよう呼び掛けてください。)
以上です。
はースッキリした。
清原和博が覚醒剤容疑で逮捕された。1990年頃に彼がここまでひどい人生になるとは、一体誰が想像しただろう。
今の若い人で「球界のアイドル清原」の時代を知る人は少ないだろう。入団の経緯もあり、計算高そうで表情の起伏に乏しい桑田との対称で、清原は喜怒哀楽が素直で純朴、というイメージが一般には持たれていた。また球界を代表する投手のウィニングショット(例えば山田久志のシンカー)を簡単に流し打ちでスタンドに運ぶ打撃など、野球ファンに抱かせる将来への期待という点でも計り知れないものがあった。日本球界で、最もバッティングの能力が高かった選手は誰かと言われれば少し迷いつつ「落合博満」と答えるが、素質や潜在能力については迷わずに「清原和博」と答える。
1990年代前半まで、当時は日曜日の午後に、テレビ朝日で必ず西武戦の中継が行われていて、私は(アタック25と一緒に 笑)毎週ほとんど観ていたと思う。だから清原和博の全盛時代は目に焼き付いている。
かといって私は清原の大ファンだったわけではない。むしろ西武では石毛宏典や秋山幸二などに比べて、プレースタイルが野暮ったいという印象があり、話すことも面白みのない優等生発言ばかりで(ヤクザキャラの現在でもこれが器用にできたりするのが悲しい)、正直それほど好きではなかった。しかし、これからどのくらい凄い成績を残すのだろう、というワクワク感を抱かせる選手であったことも確かである。好きな選手は石毛や秋山ではあったが、毎日の成績が気になったり、テレビで是非打ってほしいと願いながら見ていた選手は、明らかに清原であった。
清原はいつから悪くなりはじめたのか。個人的な印象で言えば1993年である。多くの人は1997年の巨人入団から急激に悪化したような印象を持っているだろうが、それはあくまで「キャラ」の部分である。私は西武時代後半の不調を、そのまま巨人入団後も引きずってしまったと考えている。年度別成績を見ればはっきりするが、西武時代最後の2年と巨人入団後の2年はほとんど成績が変わらない。
それまでの清原は、PL学園時代に叩きこまれた技術をそのまま生かして、自然体の構えから、そのまま軽く素直にバットを出している感じだった。それが1993年頃から、力感のある構えから打席内で大きな(さらに言えば無駄な)動作をするようにな った。体つきは、かつてよりガッチリするようになり、野茂や伊良部の剛速球を豪快なホームランで弾き返すことがあった一方で、明らかに雑な三振が増えるようになった。それまでも調子の起伏が激しく、意外に精神的に不安定な選手であるという認識はあったが、この頃から徐々に打撃そのものが劣化している印象があった。
特に1995年は失望の年だった。春のキャンプで清原は肉体改造をして相当に絞り込んでいるという姿が伝えられ、今までとは違う精悍な顔つきの清原に、私も「これは期待できるぞ」と思っていた。しかし、シーズンに入ると成績はさっぱりで、相変わらず動作の大きな打撃フォームから、雑な三振を繰り返していた。シーズン半ばに走塁中の肉離れで一月弱ほど戦線を離脱をしたが、それまで故障知らずだった清原が、通常のプレー中に大きな怪我をするというのが俄かに信じられなかった。
この「劣化」の背景には色々考えられる。一つにはよく言われていたことだが、清原自身の打者としての理想や上昇志向が高すぎて、欠点を直そうとするばかりに利点を失わせてしまったこと、二つには秋山、石毛、辻といった黄金期を支えたベテランメンバーが次々と西武を去り、清原の自己満足的な打撃に歯止めをかける存在がいなくなってしまったこと、そして三つ目には、この時期パリーグの球場が新しくかつ広いものとなり、本塁打数も全般的に減少傾向にあったのだが、それに力で対処しようとしてしまったことである。
それでも清原が成長する過程なのかもしれない、と当時はまだ若干の期待を残していたが、巨人入団後に完全に露呈した打たれ弱さ、精神の不安定さと、週刊誌の「番長キャラ」に自らも乗っかるようになったことで、清原の将来に期待することは完全になくなった。選手としての能力以前に、人格的に国民的スターの器ではない(ある種純粋な人間ではあるけど)ことは余りに明らかだった。週刊誌の清原ネタを、自分も笑って楽しむようになってしまった。
2000年以降に(清原によるとホームから離れて打席に立つことで)若干の復活の気配も見せたが、明らに無理なトレーニングで野球選手とは言えないような体型となり、毎年のように大きな故障で長期離脱を繰り返した。番長キャラにも年々拍車がかかった。オリックスにトレードされた頃は、既にかつての天性のしなやかさは完全に失われ、最後はまともに走ることすらできなくなっていた。若い頃の清原は頑健というだけではなく、無駄に全力プレーをすることがない、身体に負担の少ないプレースタイルだったので、晩年ここまで怪我に悩まされるとは想像もできなかった。
誰しもが思うことだが、18歳の時に既に完成されていた打撃技術をそのまま大事にし、無理なトレーニングをせずに練習で自然についた筋肉だけで勝負し、私生活でももう少し節制すれば・・・もし1990年の頃の自分に会うことができたら一体何をアドバイスするか、と清原に一度尋ねてみたい。
なんで大物扱いされてるの?
べつに批判したいわけじゃなくて、単純に謎。特に時事ネタなんて、サラリーマンの飲み会で言っても痛々しいレベルだと思う。
人によって好みもあるだろうけど、太田光を面白いと言っている人を見たこともない。
ちなみにおれは、好みでいうと、35歳ぐらいまでの松本人志が好きでした。それ以後まっちゃんは全く面白くなくなったけど、それまでの人気から地位を維持しているのは理解できる。
以下、追記。(2016/1/25 18:30時点)
ここで「いや面白いよ」と言っても個人の感覚の違いと言って終わりになるのでいいとして、売れた今でも若手に混じって新ネタの漫才やってちゃんと会場の笑いとってるのは本当に凄いと思う。
俺も面白くない派。一方で彼は努力家だとは思っている。元日のネタ番組で大晦日の紅白をいじる漫才が披露できるスキルは尋常ではない。
⇒たしかにね。
「太田光を面白いと言っている人を見たこともない」 ここに面白いと言ってる人が現れたとして(もう何人も現れてるけど)この人の考えは変わるんだろうか
⇒変わるかも。「面白いと言っている人を見たこともない」が「ほとんど見たことない」や「見たことはある」に変わるだけだけど。
面白いと思う。でも、それ以上にしつこい時とウザい時が多すぎるとも思う。三振かホームランみたいな印象だから、ついつい期待しちゃう。(そして外れる)
⇒確かに、しつこい時とウザい時が多すぎるね。おれがダウンタウン好きだったのは、そういうマイナスがほとんどなくて、安定してたっていう点もあるかも。松本の「一人ごっつ」に、しつこくてウザい時間帯はほぼなかったと思うし。(こういう発言は、昔の2ちゃんとかだと、ナイナイファンや爆笑問題ファンから「信者」として叩かれたもんですw)
別に爆笑問題を特別好きでも何でもないけど、自分が認めてないものが世間から評価されてる時にこんな風な思考になることにそろそろ名前がついて良いと思う。大物扱いとお前の好みは1ミリも関係ない。
⇒自分に理解できないものが流行ってたら「なんで?」って思うのは当たり前のことなので、べつに名前つけなくても良い気が。
既視感ある。太田ってテンプレ的にこういう意見沸くよね。面白いか?と必ずいうけど、実際はそこよりも政治的・文化的発言に相容れなくて反感持ってるんだろうなと感じる。
⇒俺は反感はべつにもってないけど、もってる人たしかにいるよね。
そう思った時期もあったけど、ラジオを聴いてガラッと印象が変わった。投稿を読み上げる太田光は、役者そのもの。自分に限って言えば、腹を抱えて笑うこともある。
太田さんというか爆笑問題が大好き。太田さんが時事や文学について語るのには「意見が違うなぁ」と思うけど、齢50を越えた二人が中学生みたいな喧嘩をするのがおかしくてたまらない。ラジオ聞けラジオ。
ラジオ聞けばわかるけど、あの人は他の誰かの筋書きを論評なり演出なりするのがうまいんであって、あの人自身がどう、ってのはあまりないんだよな/なんでみんなもっとウーチャカの狂気に気づくべき
⇒ラジオきけっていうコメントがたくさんあった。なるほどねー。ただ、昔ネットで、「伊集院光のラジオを聞くと彼が天才であると分かる」みたいな説を振りまいている集団がいて、聞いてみたら、そんなに面白くなかったという経験はある。
コネはあるよ
面白いとか面白くないとかではなく、アンタッチャブルなものに触ってくれるんじゃないかという期待感だけでそこに居る。
(まあコネというか、談志に非公式にではあっても後継指名されているのが無下には扱われない理由の1つではあると思う。あと奥さんの能力と)
マジレスするとビートたけしとパイプがあるからでしょ?同様にビビる大木も「抱き合わせ販売」状態ってどこかで見たぞ。カラクリはあるだろうにanonymousを叩くコメの意図がわからん。マウント取りたくて仕方ないのか?
⇒そうそう、信じるかどうかは別にして、こういうのが気になったの。べつに、太田がテレビに出てるのが嫌とかいうのは全くなくて、単純に、お笑いとしてのクオリティが低い(と俺には感じられる)のにそれなりの地位に付いている理由が知りたいなぁと思っただけ。
僕も爆笑問題は好きではないけど、こういうのはなんというかダサいな単に。/ 「太田光を面白いと言っている人を見たこともない」と「爆笑問題ファンから「信者」として叩かれたもんですw」が矛盾
⇒たしかに、「見たこともない」は言いすぎたな。しかしよく考えたら、昔「ダウンダウン信者」とネット上で抗争を繰り広げていたのは「めちゃイケ派」や「笑う犬派」だった記憶が蘇ってきたので、「爆笑問題ファン」をわざわざここに挙げるほどみてない気は依然としてする。
太田の面白さも理解しかねるが、「それ以後まっちゃんは全く面白くなくなったけど、それまでの人気から地位を維持しているのは理解できる。」こっちの方が理解できない。
⇒賛成できるという意味での理解ではなく「世の中そんなこともあるだろ」っていう意味での理解です。
あの人は不思議な感じで、面白いと思った事がないんだけど「俺が見てないとこで面白い事言ってるんじゃないか」という謎の期待感というかハッタリがきいている。/テレビ・ラジオっ子には分かるまいw
⇒なんか分かる気がする。
⇒そういう上手いボケを連発してくれる期待感がないんだよなぁ。
なんか思ったよりブクマがついて微妙にホッテントリに上がってて、太田さんに申し訳なくおもっておりますが、意外に「いや、面白いから」みたいなコメントがたくさんあったので逆によかったということにしときましょう。
高齢の両親の面倒を一人でみている。親父は要介護4,生活全般に人の助けがいる。そんな在宅介護をしていれば,大好きな野球見物もままならない。
でも,数十年来のひいきチームの14年ぶりの日本シリーズ出場だ。1試合ぐらいは見に行きたい。忙しい弟に半日の代打を頼み込んだ。
問題はいつ行くかだ。もちろん福岡に遠征することはできない。地元の神宮3戦のうちのどれにするか。4戦は介護の事情で無理。3戦か5戦かの二者択一。
最初は3戦目にしようと思った。何しろ相手はぶっちぎりの90勝でリーグを制し2連覇を狙うソフトバンクだ。4連敗もありうる。下馬評でそんな声も聞こえた。もっともだろう。
でも俺は,クライマックスシリーズの巨人戦を見る限り(介護の仕事が終わった後,テレビ録画ですべて見た),それはないだろうと踏んだ。巨人に負けるんじゃないかと思ったら,存外強かった。強くなった。そんな印象から5戦目を選んだ。
久しぶりのプロ野球観戦だ。いい試合,いい場面が見たい。これは人情だろう。5戦目なら,下手すりゃ真中監督の胴上げだって見られるかもしれない。4勝1敗でヤクルトが勝つなんて甘い夢か。でも,そういうものに賭けるのがファンってものの心理だろう。
そして,結果はご存知の通りだ。自慢の強力打線は再び零封された。期待していたベテランのエースは持ち味の粘りを発揮することなく,またしても5回も持たずに沈んだ。正規には購入できず,割高のネットオークションで手に入れた内野3塁側の良席で,真中じゃなく工藤監督の胴上げを見る羽目になった。
いま俺は思い切り後悔している。3戦目を選んどきゃよかった。そしたら,山田哲人の歴史的な3連発を見られた。それだけで十分に報われた。それなのに,何で俺はこうも間が悪いのか。これも欲をかいたってことなのか。
翌日は,親父の便失禁の始末から始まった。向こうは体が動かない。こっちは腰が悪い。朝っぱらから重労働だ。昼食後は便意を訴えた。抱えるようにしてトイレに連れて行く。夕食後のおむつ交換のときも失禁していた。今季初のうんこのトリプルヘッダー。そんな日常。いいことなんてこれっぽっちもない。
ホームランにこそならなかったが,山田の最終打席は見応えがあった。球場全体を揺らす大声援の中,追い込まれながら,何球もファールで粘った。そして,難しい低目の変化球を左翼席直前までライナーで運んだ。
「山田哲人」の片鱗は見た。いまはこれで満足しよう。来季こそは,一度でいいから胸のすくような一発を生で見たい。そんなことを思いながら,毎日,俺は親父の尻を拭いている。
最近、マングローブが潰れたことで虐殺器官の話がよく出てくるから伊藤計劃についてのウィキを見た。この人32歳で作家デビューの29歳ではてなダイアリー開設って…。なんだこのざわざわするような経歴。しかも、34で亡くなってて、2作しか出してないけど伝説的という判断の難しい経歴してる.それまで興味のなかった作家の名前から唐突にはてなダイアリーの名前が出てきて、作家デビューも比較的遅咲きで、もっと言うとブログは創作ではなく評論系だと知ってなんとなく気になり始めてる…ぼんやりと.まぁ、前から「有名になる前ははてなダイアリー使ってました」とか「作家デビューする前はブログをガンガン書いてた」的な人の存在は聞くから今更驚くことはないけど、ちょうど僕がはてなに入るのと入れ替わりに亡くなってた人だったから全然存在を知らない・聞かない・興味ないで寝耳に水だった。最後の日記が(亡くなる2ヶ月前で)酷い病状を綴った生存報告で、プロフが典型的なはてな民みたく非モテがうんぬんとか書いてる…。なんだこの異質な空間。
ああ…あと3年早く伊藤計劃さんの映画批評の記事は見たかった。自分がしたい方向性に対するものは多分こういうことなんだということがガッツリ書かれてた。これは読んで良かった。今の僕には葛藤がないけど、ないことを再確認させてくれた。さっきの映画評とは反対に「これ、文章力が桁違いに高いけど、中身は(古参の)はてなのおっさんが考えそうなことそのものだよなぁ」ということに驚いてる。そして、少しはわかる分だけ胸打たれる自分がいる。
芸術系の就職率というか進路の不安定さって薄い奴と濃ゆい奴の不協和音の産物なんだと伊藤計劃さんのブログを見て気づいた。薄い人は「なんで来たの」という程度でしかなく、濃ゆい人はその人らに時間を潰されたり、自分達を批評しうる相手に出会えず煮詰まったりしていくんだろうなぁ…。と思った。
僕は中学生からオタしてた人に比べるとオタになった年齢も歳行ってからだし、もっと言うとそれ以前も特に文学少年だったわけでもないから趣向として深いところに行きたいと思ってても、結局薄いものの中にしか選択肢がないと頭の中で思う程度の世界観しか長らくなかった人間ゆえ、どちらでもあり、ない。そこが難しくて、ぬるオタならヌルオタ、濃いオタクなら濃いオタクになれると幾分か幸せになれる気はするが、あいにくどっちにもついていけないんだよなぁ…。それで「自分ルールにオタクしよう。他人を必要としないマニアが多いモノをつまみ食いしていこう」という不思議なオタクをしてるわけだ。高校生まで4大週刊誌+モーニングぐらいしか読んでなかった人間が中学から同人誌読んでたオタクにオタク力で勝てるわけ無いじゃん!エドワードゴーリー読んだら家族会議が始める母親のもとで母親がすすめるカラマゾフの兄弟をきっちり読める息子が育つと思う?…という家庭環境でした。「濃いオタクをやりたいんだったら、発達がある程度完了した中学生・高校生の段階でキッチリと文学読んだほうがいいよ」と僕は言っておく。大学生になってから読むのは結構しんどい。大学生になると何にも縛られないから辛いことをやりたくなくなるんだよ。
だから、グリザリアの果実みたいな話になっちゃうんだけど、高校生までにすべきことは読書と同年代とのセックスなんだよ。その2つができてれば人生は結構豊かだが、私の人生はその2つをしそこねたからモテとしてもオタクとしても中途半端で、独自路線を模索せざるを得ない状況になってしまった。電波教師じゃないけど、高校生は勉強してる場合じゃないんだよ。旧帝大か早慶に行ける自信がないなら、1文学読むこと、2同級生とセックスすること、3部活かなんかで体力をつけることの3つにリソース傾けたほうがいいよ。パワーもないやつはホームラン狙うより打ち分けやミート、守備の練習すべき。身もふたもない話、高校卒業した後ならいつだって大学なんていけるけど、モテることで救われたり、文学知識・読む体力が要求される(映画からゲームまで様々な)娯楽に没頭できる年齢は若いうちしかなく、またその時鍛えてからじゃ遅い!若さの使い方を学校にまるなげするな!自分のために若さを使え
前に、貧乳向け下着を作った二十歳の女から「アートニートはクズしかいない」みたいな書き込みを見て「いや、20で道が決まってるほどキッチリと道を見つけてたか、環境があったか、レールを敷いてもらったかしたあなたが幸せなんだよ」と言いたくなったことがあるけど、今の気分そんな感じ
何か他人のフォーマットに当てはまらない事に気づいても、それで悲観するのはやめよう。他人のフォーマットしかない人生でもなきゃ、自分でフォーマットを作っちゃいけないわけでもない。他人に当てはめるばかりじゃ自分の持ってるパーツをよく吟味しなくなってますます自分が作れなくなっていくからね。そりゃ、高校生だったら適合してるかもしくは今からでもできるという指針としてこうすべきということはあるが、それは自分ではもうできない。今の自分にできるのはフォーマットの中に入れたなら入り続けることで、入れなかったのなら作ること。過去にどうすべきだったはさほど意味は無い。0ではないが
僕はあなたじゃないけど、あなたじゃないといけないってことでもない。畏怖や憧れは相手への経緯を超えて自分と比較したらタダの嫉妬か、むしろマイナスの後悔にしかならない。あなたにも、またお前にもなれず、組み込まれることもないと気づいた時点ですべきことはもっとあるだろうからそれをしようか
“「自分が読めていないだけなのじゃないだろか」”/これ、逆も怖いんだよなぁ…しんかいさんみたく「自分だけが読めているから10年前の作品を自分だけは批評できる」みたいなスタンス。そんなわけないのにね♪あと、「誰も信じるな」という大きなタイトルが批評の話の前についているのも個人的には好き。引用ゲームで評論をするアニメやオタク系の評論の人を知ってるがアレはいわゆる権威主義的でしかなく考えてさえない
danose Zガンダムとグリザイアの果実や電波教師でモテを語るオタク。ついでに殴られるしんかい。やはりしんかいは許されなかった。
同居して4年。式はしないで籍だけ入れたのが、去年の9月。
お互いに没頭できる趣味がそれぞれあって、共通の趣味はマンガと海外ドラマ。
ふたりとも無類の猫好き。
お互いいい歳。
だから子供はできたらできたで、できなきゃできないでいいよね〜ってスタンスで。
猫もいるし、趣味もあるし、って。
朝起きて仕事行って、くたくたで帰ってきて。
家事は分担して。
自己実現なんて遥か彼方。
何者にも成れず、でも時間と共にいつしかそんな自分も受け入れて。
SNSに載せられるような、魅力のある幸せではないけれど、幸せな暮らし。
他人と比較して落ち込んだり、いや自分の方がまだマシだとかグルグル考えたり。
だからなるべくそんな思いから気をそらし、お酒でアタマを麻痺させて寝る。
でもそうすると眠りが浅くなって寝不足になる。
もし病院に行ってたら、なんらかの病名が付くような。鬱とか??
でも、みんなこんなもんじゃないのか?と思ってやり過ごす。
こんな感じだから、独りで居るのはつらい。
いつも側に相手が居て、猫も居て。
でも、やっぱり全然楽。
生き易くなったのは間違いない。
そんなこんなで、このまま寄り添って生きていこうと。
どっちでもいいと思ってたはずなのに、嬉しかった。ものすごく。
そこから怒涛の日々が始まって。
切迫早産の恐れがあるってことで、春くらいから奥さんは休職することに。
歳も歳なのでなるべく安静に安静に。
自分にできることはなんでもやって。
で、車の免許がないと。
めちゃくちゃ勉強して練習して。
とにかく1日も伸ばせなかったから、もう必死でやってなんとか取って。
で、部屋が狭いと。
てことで、引越し。
物件を探して、決めて、ローンの手続きが終わるまで、全部で1ヶ月くらい。
あっという間に買って、すぐ引越し。
もうお腹も大きくなってたので、引越しの準備もほぼ自分がやって。
ボタンを押して乗り降りする、単線の電車を乗り継いで、通勤時間は今までの4倍に。
で、慌ててたのか疲れが溜まってたのかなんなのか、こんな大事な日にギックリ腰をやるという。
陣痛で苦しんでるのに逆に心配させるという。ホームラン級のマヌケ。
で、這うよう付き添って、立ち会って、産まれて。
周りに友達どころか知り合いもいない、土地勘もないところで、2人だけの子育てが始まり。
長くなっちゃったけど、子どもはコスパが悪いっていうのを読んで、どうしても書きたくなりました。
要するに、コスパなんて言い出したら、そりゃ悪いでしょう。
ここまでいくらかかったか、これからいくらかかるのか、考えると怖いので考えません。
時間も労力も、湯水のごとくです。
で、今は毎日死ぬほど大変ですけど、ほぼ毎日、今日が人生最高の日だ、と思います。
ほぼですけど。
不安や後悔や比較の呪縛は消え去りました。というか、そんな暇がない。
倒れるように寝て、気がついたらまた一日が始まってる、その繰り返しです。
これだけ幸せをもらって、もう十分です。
もうもらってるから。
実家にはネットがひいてないのでパソコンは持って行かなかった。
スマホも持っていったけどワイファイが繋がらないのでやらなかった。
帰省中は、実家の周辺ドライブや食事に行って、帰って家族と話に夢中になりテレビも付けなかった。
するとなんということでしょう~
まず、夜驚くほど眠れる事がわかった。
いつもは睡眠薬飲んで無理やり寝ているのに、お盆中の熟眠感が半端ない。
眠くなるという感覚を久しぶりに感じた。
そして、ニュースなど見なくても何にも不自由なことはなにもないことがわかった。
中国が爆発したとか、島が噴火しそうとか、誰かがホームラン打ったなども知らなくても一日はちゃんと終わる。
自分に起きていることを増田にしなくても、誰にも怒られることは無いということがわかった。
あと、性欲が増した。
女性のありがたさをしみじみ感じた。
毎日惰性で見ているエロ動画のせいでエロのありがたさを忘れていた。
※前提として、AVは視聴者の性癖や趣味にかなり影響されます。自分の記述は、全て自信を持っていますが、自分の主観に基づくものであり、自分が異常な性癖の持ち主であればそもそも最初から間違っていることもありえます。その真偽は本人である自分にはわかりません。
今日、TSUTAYAでAVを借りようと思ってお店に入った。だが、何も借りずに出た。初めてだ。
いつもは、AVは10本ぐらいまとめて借りる。女子校生、熟女、巨乳、ギャル系、コスプレ、ロリ系、素人etc...と、30分から1時間ぐらいかけて会社帰りにじっくり厳選し、いろいろなジャンルを横断して借りている。そこまで毎回借りているのに、今回初めて何も借りずに店を出た。
性欲が衰えた?それとも、飽きた?あるいは、他のものを借りたくなった?
いや、どれでもない。AVはレンタルビデオ店でバイトしていた時から飽きるほどパッケージを見てきて、そして200本か、それ以上か、多くのAVを観てきた。
そして、毎日2回は抜いている。美人の婚約者(生身の女性です)がいながらもここまでの絶倫っぷり、正直自分でも異常だと思っている。
それでも単純に、「観たい!」と思ったAVが無かったのだ。なぜだろうか。
今回はそれを紐解きながら、AV業界になんら関係無いただの25歳のお兄さんがAV業界に警鐘を鳴らそうと思う。
AVコーナーに入った時(前々からこうなっていたが俺は気が付かないようにしていた)、そこに並んでいるパッケージの女優が、全員同じ見た目に見えたのだ。
それは、アイドルに関心の無い人間がジャニーズやAKB48が全員同じに見える現象と同じだ。
茶髪か黒か金髪で、ストレートで、まつげが長くて、巨乳。ランキング上位に来ているのはそういう女優ばかりではないだろうか?
肯定的にに捉えれば、これはある意味1つのAVの偉大な進歩とも言える。
AVは昔に比べて女優が美人でアイドルのような見た目になり、容姿にケチのつけようがなくなった。
それは作り手や、俺以外の大半の視聴者の好みがそれを求めているからかもしれない。そして、それに対して女優が、元々の持ち味や、メイクや、整形、演技で応えた結果かもしれない。
もしかしたら、自分が異常な性癖の持ち主なだけで、大半の視聴者はそれでいいと思っているのかもしれない。
だが、そうだとしても、自分は現状のAV業界はよくないと思っているし、これから衰退すると思う。
作り手、女優、視聴者、あらゆる人々が美人を追求した結果、確かに美人が生まれた。だが、その一方で最近のアイドルと同じように「皆が好みに感じる容姿」であるために、見た目が同じになってしまったのだ。
話は変わるが、AVは何のためにあるだろうか。
あるいは、有り余って仕方のない性欲を吐き出したい若者のために?
人それぞれに存在意義はあるだろう。
だが俺はそれらのどれでもないと思う。
AVは何のためにあるか。
それは「この女を脱がせたい」という欲望や、
「この女がベッドで乱れるところを見たい」という夢を叶えるためにある。
どういうことだろうか。
ところで今日あなたは通勤中あるいは通学中に駅で、道路で、電車で、バスで、何人の女性とすれ違っただろうか?
うち、何人に対して「この人を犯したい」と思っただろうか?
首都圏で、通勤ラッシュに巻き込まれているのであれば、最低でも2〜3人はそういう人がいただろう。
その「すれ違った人を脱がせたい」「すれ違った人の胸を見てみたい」「すれ違った人におちんちんぶちこみたい」という夢を、できるだけ願った人の欲望を投影して、できるだけ似せて叶える装置がAVだ。
TVの旅番組が一定の人気を確保しているのは、少し背伸びすれば手に届く範囲でできる旅行を夢見ることができるから。行ったつもりになれるのが旅番組で、イッたつもりになれるのがAVなのだ。
だから痴漢モノやナンパモノが流行るわけだし、「嫁の姉が……」といったありそうで無いシチュエーションの作品に長く一定の需要がある。
わかりやすく言うと、脱衣ブロック崩しや、脱衣麻雀の類をやったことがあるだろうか?
遊んだ経験がある人は、失敗すると何度も何度も繰り返し、運が悪いと何時間も経過していることがあったり、なんとかソースを探して画像を直リンクで探そうとした経験が必ずあるはずだ。
その原動力はなんだろうか?それこそ「この女を脱がせたい」という欲望だ。そういう意味では脱衣ブロック崩しや脱衣麻雀は合理的なシステムとも言えるし、男たちがAVを観るための理由で、AVの存在意義だろう。
だがその「この女を脱がせたい」という欲望を駆り立てる魅力が、今のAVには無い。
「今朝駅ですれ違った女の裸を見たい」「おしとやかに見える同僚の女がベッドで乱れる様子を見たい」という欲望を駆り立てるようなものでないといけない。
だからといって「AVに脱衣麻雀やブロック崩しをつけろ」という意味ではない。それは障害を増やすだけであり、ストレスを溜めるだけだ。溜めるのは精液だけでいい。
「すれ違った女の裸が見たい」というかなわぬ難しい欲望に対して、
AVがただの「皆が好きな絶世の美女」しか用意できず、ちょっとブサイクでも「今朝新宿駅ですれ違った女」に相当する役者を用意出来ていないのが問題なのだ。
「脱がせたい」という欲望を叶えるためにAVはある(と俺は思っている)が、それを駆り立てるためには作り手はどうしたらいいだろうか?
例えば、出演している女優が絶世の美女でも、すれ違った女でも、同じような見た目で、最初から全裸で待機していたらどうだろうか。多分、視聴者は萎えるだろう。
最近のAVのパッケージを見て欲しい。絶世の美女が最初から全裸か、全裸に近い形で写っていないだろうか?
そうでなくても、裏返すと全裸でおちんちんぶちこまれてあえいでる画像が出てこないだろうか?
あるいは、全裸じゃなくても、普段ありえないようなスケスケの制服とかに見を包んでたりしないだろうか?
それはきっとAVのパッケージのデザイナーが必死に考えて作ったモノなのかもしれないし、訴求効果を高めた結果だろう。
「どうすればエロく見えるか」を追求した結果できあがったものだろう。
だが、それではダメだと思う。
自分が思うに、AVに映る女とは、小学生の時に母親が作ってくれたお弁当のようなものだ。
お弁当は、開けるまで何が入っているのかわからない。開けるまでのドキドキがある。
一番上の蓋をパカっと外して、2つ目の箸とかが入っている白い蓋を外して、おかずと白いごはんが見えるまでの、1枚ずつ蓋を外していく過程にこそ楽しみがある。
AVも同じだ。
普段裸を絶対に見ることができないような女性がパッケージに写っていて、その中身で裸を見ることができる。その過程が今のAVには圧倒的に欠けている。
最初からスケスケだったり、全裸だったら、確かに視聴者の目を惹くが、楽しみを最初から奪ってしまうという悲しい事になってしまう。
そんな「平坦化」したAV業界だが、作り手はマンネリを感じたのか、最近変化球が多くなっていないだろうか?
どれも、斜め上に先鋭化していて空振りしている気がしてならない。
コスプレAVについては、版権の問題もあるかもしれないが、男の娘に関しては大島薫以外男の娘以前に男じゃねーか!!と叫びたくなるような出来である。
一方、AVの引き合いに出していたアイドル業界だが、今は何が起こっているだろうか?
アイドルに関してはあまり詳しくないので詳細な説明は避けるが、AKBやももクロやハロプロ等、既に盤石な地位を築いたアイドルに各プロダクションが競って肩を並べようとする競合があまりに多いせいで、今何が起こっているだろうか?
自分が思うに、話題性を重視するあまり、先鋭化していないだろうか?
そうすると何が起こるだろうか?
ごく一部の熱狂的なファンだけが、何百万単位でお金をつぎ込み、残りの人々は離れていく。
さて、ここまで散々自分の主観で現状のAV業界の危機を叫んだが、今後どのようなAVが作られていくべきだろうか?
自分が思うに、以下の3つがある。
「今日すれ違った女を脱がせたい」という願望を叶えるのであれば、
アイドルのようなホームラン級の美女よりも、10人のそこそこヒットを打てるそこそこの女優を発掘すべきだ。
あと選択肢が増える。
女優に多様性を持たせるのもいいだろう。例えば日本人にかぎらず、日本初の黒人女優とか、中東系の女優とかはどうだろう?
前述の通り、「服の中身を見る楽しみ」を演出すべき。
これは暴論かもしれないが、自分は本気でそうすべきだと思っている。
AV女優がブログやTwitterを開設していて、日常生活について垂れ流していても、新作の宣伝になるかもしれないが、視聴者からすると
「こんなに身近な存在なのに、ヤらせてくれないんだろうな」と感じてしまい、少し辛いものがある。
AV女優は、自分がAVに出ていることをブログやTwitterで宣伝するのではなく、身近な男友達にLINEで教えてあげよう。
きっと教えてもらった人はドン引きするかもしれないが、その後一番の熱心なファンになる。
事実、俺が今まで一番抜いたAVは、大学の友達が出ている奴だ。
あとでブコメとかで「女性の性的搾取」とかそういうのが出てきそうなんで先に言っておく。
俺はAVについて話しているわけで、女性について話してはいない。搾取がどうとかキレイ事いってんじゃねえ、AV観て何が悪い。
あまり知らないといっても、
・走るチェックポイントは1塁~3塁
どちらかというとサッカーの方がドリブルでスルっといくのがかっこよくて好きだったので、
テレビで野球中継をやっていても、ボールが小さくて何がどーなってるのかさっぱりわからなくてつまらないと思っていた。
小5の春、転校した田舎の村では、地区ごとにある子供会という組織に小学生が強制的に参加させられることになっていた。
子供会では男子はソフトボール、女子はバレーボールの活動があり、当然のように強制参加だった。
チームの高学年の人数が少ないので、バットを持ったことすらないチビガリの俺も自動的にレギュラーにされる。
最初はキャッチボールの経験すらなかったので、グローブの付け方や使い方もわからなかったし、ボールを掴んで投げるという動作もものすごくぎこちなかった。
飛んでくるボールが怖くてキャッチできなかったので、キャッチボール練習は俺とペアになった子が俺に球拾いをさせるだけの作業になっていた。
さらに、コーチは野球好きな誰かのお父さんたちなんだけれど、その人たちは俺が野球の細かいルールをさっぱりわかってないことに気付いてなかった。
練習を見に来たお母さん方の中には、もしかして…と気づいていた方もいたらしいのだけれど、
コーチは「野球のルール知らん子供なんかおるわけあれへんがぃ!」「転校生やゆーても子供はみんなやっとるもんやろ」で流してしまっていたそうだ。
田舎の子たちはみんな小1から子供会ソフトボールに参加するので、高学年になってもルールを把握してない、という可能性を思いつかなかったのだろう。
結局一度も詳しいルールの説明をしてもらうことなく進んでしまい、あっという間にソフトボールの練習は俺にとって、
知らない怖いおじさんに怒鳴られながらルールのわからないスポーツを無理やりさせられる苦痛の時間になってしまった。
とりあえずヘタクソ枠ということになっていたっぽいライトが定位置になったが、
飛んでくるボールや勢いよく転がってくるボールがキャッチできないので、ライト=ホームランのボーナス状態になってしまう。
重点的にやらされたフライキャッチの練習ではグローブの使い方や落下点の予測が下手で見失ったり頭や顔でボールを受けたりしまくって、
どんどんボールが怖くなって落下点に近づくこともできなくなった。
打席に立ってみても、ストライクとボールの見極めなんかできるわけがなかったし、
怖くて飛び退って逃げるか、目をつぶってキャッチャーミットにボールが収まってからバットを振り始めるくらいのトロくささで、
たまーにバットにボールが当たったら、ボールの勢いに負けてその場で尻もちついてコケる有様だった。
キレたコーチに「やる気あんのか!?」と何度も怒鳴られるけど、残念ながらそんなものは最初からない。
なにがなんだかわからなくて、上達しようという意欲もこれっぽっちもわかず、痛い思いをしたくないから逃げるのだけが早くなった。
試合では、守備側が相手バッターを煽る掛け声をずっと上げ続けるように指導された。
「バッタービビッとる!ヘイヘイヘイ!」 言うのも言われるのも苦痛だった。
そのうち、練習の日になると腹痛を起こして下痢が止まらなくなることが多くなった。
小6の最後の村内大会の日、大会にはどうしても来いと言われたので仕方なしに行った。
いつものライトの守備位置につく。みんなは相変わらず相手打者を煽ってたけど、俺は口パクでごまかしていた。
試合経過は覚えていないけれど、うちのチームは他のチームに比べると比較的高学年が多かったので、俺というお荷物がいてもある程度点は取っていたらしい。
最終回、打球がライトに飛んだ。なんのことはないフライだが、そこにいるのは今日もいつも通りやらかしまくっていた俺だった。
俺は一応ボールを追いかけようとして上を見上げて、眩しくて即座に見失ってフリーズした。
全然見えないのでとりあえず太陽を遮ろうと掲げたグローブの中に、ボスッという慣れない感触があった。
たまたまボールが落ちてきてグローブに入ったのだ。保護者席で歓声が上がった。
完全に偶然だったけれど、そのとき俺は、初めて試合でフライのキャッチに成功した。
そして、照れながらボールを2バウンドでピッチャーに投げ戻した後は、二度とボールが飛んでくることもなく試合が終わって、チームは優勝していた。
不良が更生したらやたら褒められるのと同じ理屈なのか、チームメイトやコーチからはやたらと褒められて、初めてちょっとだけ楽しいと思えた。
今ではなんとなく甲子園とかを見て、「わーがんばってるなーすごいなー」と思うくらいはできるようになった。
もしあの時偶然ボールをキャッチしていなかったら、今頃もっと野球が嫌いになっていただろうなと思うと、俺は運がよかったのかなーと思う。
今日は美味しいお酒が飲みたいなぁ、それとちょっと人恋しいから世間話でもしたいなぁ、なんて思って近場のバーへ。
ここに来るのは二回目。店員にとっては初めての客と同じ。
メニューが出てくる。俺は店員の顔を覚えているが、彼らは覚えていない。それはそうだ。
一杯目はビールを頼む。何を飲もうか、バーに来てまでビールとも思ったが、今日は夏日。体が欲していたのはビールなのだから、誰に遠慮する必要があるのだろうか。
前に来た時に、食事のメニューが気になっていた。それも楽しみにしていて、今夜はお酒を飲みつつ気になっていたカプレーゼとアヒージョを頼む。
あっという間に飲み干したグラスを眺めながら、2杯目に白ワインをオーダー。ちびちび飲む間に、まずはカプレーゼがやってくる。
…美味い…!モッツァレラチーズってこんな味、こんな食感だったか?そうか、今まではピザでしか食べたことなかった…。
そしてアヒージョ。キノコの旨味とニンニクが効いている。このオイルを持って帰って毎日パンにつけて食べたい…。
おや、新しい客が来たようだ。どうやら常連らしい。メニューは出てこない。バーテンダーはあいさつもぞんざいに、そしてまた来たな、という笑みを浮かべる。
男は、俺の隣に座る。しまった、座る席を間違えた…。先客から二つ飛ばして偶数の席に座ったものだから、男は俺の隣に座る。まだ席は空いてるのに、詰めて座るこの窮屈感。。
時刻は夜9時。バーはようやく始まりを迎える。この時間からバーテンダーが増えるようだ。
今、客が3人、バーテンダーが3人といる。
アヒージョが美味い。バケットの追加を頼んだ。3杯目はラムバック。濃い味のアヒージョに爽やかなライムの香りがちょうどよい。
それにしても、おかしいな…少しの人恋しさでこの店を選んだはずが、前回の記憶とは違って今日はあまり話しかけられない。
それどころか、先客と1人のバーテンダーが話し始め、そして後から来た常連の客と2人のバーテンダーが会話し始めている。先客もどうやら常連だったようだ。
先客と、常連のその間に座り、かつ常連の客の隣に座る俺には、誰も話しかけない。
あれ。。こんなはずじゃ。。携帯はポケットにしまった。食べながらではあるが、俺は前を向いているぞ?おかしいな。。そんなに話しかけるなオーラ出てるのかな。。
あ、、、なんかつまんなくなってきた。
これなんだよ、バーの嫌なところは。いつも常連客が鬱陶しい。俺は、美味しいお酒が飲みたいんだ。会話はほどほどでいい。
でも、どのバーに行ってもそう。常連の客がいて、新規の俺はとても居心地が悪い。居心地が悪いんだ。
ご飯美味しかったんだけどな。ここももう来ないだろう。さようなら。また一つ、近場のバーが消えた。
さて、お会計をしよう。隣の席の常連客と盛り上がっている中、申し訳なさそうにバーテンダーに声をかけた。「お会計お願いします」
すると、バーテンダーは思いもかけないことを言った。「以前にも来られていましたよね?」
おやおやおや。覚えている・・・?
まさか。こみ上げる嬉しさとわくわくを抑え、俺は突き放す。「またー。どうせ同じことを他のお客さんにも言ってるんでしょ?」
口説かれたキャバ嬢か俺は。言い終わった後の苦々しさ。でも、ヒントを出して助け舟を出す。「じゃあその時どんな会話してました?」
バーテンダーは困ったような顔をしつつ、やられたーというような表情を浮かべる。「俺さんみたいなお客さんたくさんいますからね(照」
やっぱりな。そうだと思ったよ。ま、そりゃそうだ。でもいいよ、当てずっぽうでも。
占いみたいなもんだろ。当たってるとこっちが勝手に思えば、相手がそれを膨らましてくるみたいな。「いやいいんですよ、銀座のお姉ちゃんみたいなプロフェッショナルは求めてませんから」
しかし、バーテンダーはそこで終わらなかった。「でも確か、以前はあちらの端の席に座ってらっしゃいましたよね」
おや、おやおやおや。まじかこれは・・・?
バーテンダーはスッと金額が書かれた小さな紙を差し出す。思わず、財布から1万円札を取り出すのに手が止まる。
もう少し飲んでも良かったかな。どうしてもう少し早く声かけてくれなかったのかな。そんなことが頭をよぎる。
「思い出せなくてすみません。またいらしてください」そうバーテンダーは言った。
俺は嬉しさを隠しながら答えた。「次があるならね」
もう次はないなと思っていた俺に、「もう一回だけなら、また来てもいいかな」そう、思わせた。
昨日のメイウェザー・パッキャオ戦もそうだったが、何故か素人は「攻撃的」な試合を異常に評価する。
パンチを避ければ「逃げ」、KO決着でなければ「凡戦」。
彼らに言わせれば「パッキャオは手数が多く攻撃的だったから勝ちだ」ということで、
超絶技巧で相手の攻撃をかわしカウンターを決めるよりも、突進して空振るほうが勝利に値するらしい。
パンチを当てなくてもいいなんて、シャドーボクシングでも見たいのだろうか?
ちなみにスタッツを見ると手数でもメイウェザーの方がパッキャオを上回っていたという。
サッカー界においては、試合に負けるたびに「相手はアンチフットボールをした」と言い訳する、シャビさんという選手が有名だ。
彼が所属するFCバルセロナは、「攻撃的」で、かつ勝ち続けるスタイルを確立した。
「バルセロナの戦術こそが真のフットボールであり、守備的な戦術はアンチフットボールである」と高らかに宣言した。
しかしそれによって現れたのは、バルセロナが延々と一方的に攻撃を続けるだけの、実に退屈な試合だった。
だが果たしてそれはすべてのサッカーファンが望むものだっただろうか?
野球で言うなら、ホームランが飛び交う乱打戦と、息が詰まるような投手戦と、どちらが良いかということになるだろうか。
まぁ、好きなチームがホームラン連発で圧勝するのはそれはそれで気持ちの良いものだ。
だが客観的に見たときに、野球の試合として面白いのは、断然、投手戦のほうだろう。
そもそも、大量点を取り合うような試合は、「名試合」ではなく「馬鹿試合」と言われるものである。