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はてなキーワード: 米野とは

2023-10-26

anond:20231026152748

実家近いので子供の面倒はたまに見てもらってる

米野菜加工品は親戚や近所からも手に入る

土地とか引き継げるものはない

2023-09-09

俺は自炊派なので当然外食より自炊のが食費抑えられるって考えてるけどさ

実家から米野缶詰とか送られてる子が「自炊のが安い」っていうのは駄目じゃないかなぁって思ってるよ

2022-11-23

anond:20221123133718

ワイは自炊しないか米野菜肉果物は買わんしアイスケーキチョコプリンとか菓子系は毎回違うとこの新商品買うしファミレスロイホくらいしか行かんしフレッシュネスは近くにないやでという話

2022-06-12

anond:20220612002408

肥料作るエネルギー自給率も低いから実際は米野菜もろくに食えなくなるやろうけどな

2021-10-19

健康気遣いすぎて不健康

4時起床

20分徒歩通勤

仕事

自作弁当昼食

定時帰宅

ジムバーベルトレーニング

母作晩飯

22:30就寝

小麦、油物、ジャンクフードは基本食べない

米野菜くだもの鶏肉キノコ乳製品

自分なりに健康的な生活を送っているはず。

なのに、低血圧便秘、出口のないお腹パンパンのガス、鬱みたいな症状(楽しいはずのことが楽しく感じない、突然泣きたくなる等)、脈が薄い、呼吸がしずらい、

何故か辛い。

家庭仕事環境も充分すぎるほど恵まれている。

鬱っぽくなる要素が何もないのに、何故か辛い。

治し方調べすぎて疲れてもた。

食べ物の好みも健康にいいからこれは好きな食べ物って脳みそになって、本当に好きな食べ物が何かわからなくなった。

でも、その健康にいい食べ物も害を及ぼす場合もあると知ったりすると、もう何を食べていいかからなくなる。(SIBO調べて絶望しました)

元々過度なダイエット生理止まって拒食症になってた影響も大きい。

母も色々調べてくれて勧めてくれるが、全て疑いの目、否定から入ってしまう。申し訳ない。

もう何したらいいかからない。

時間解決してくれそうな気はするが、ついせっかちになってまう。

死んだら迷惑かけるので、スッと消えたい。

この世に自分がいなかった魔法をかけてしまいたい。

2021-10-01

anond:20211001193138

今までずっと耐えて耐えて黙ってたら調子に乗ってきたんやん。

婚約者に変わってアホ米野郎が。

2020-11-15

anond:20201115101556

そらやっぱ米野菜より肉の方が上手いからやろな

2020-02-10

anond:20200210184121

あれ住居費異常に安かったり田舎から米野菜送ってもらいましたみたいなチートだらけで全然参考にならん。

2019-08-27

anond:20190827115113

無料版はPile川島海荷米野真織みたいな棒優で固め、有料版を萌えオタ御用達声優にしたらどうか

2019-06-09

anond:20190609001313

ワイは総菜か弁当くらいしか買わんやで

魚肉米野菜卵は10年以上買ってないンゴ

2019-06-08

スポーツを考えた人たち

ラグビー

ウィリアムウェブエリス

1806年まれイギリス出身

1823年、パブリックスクールラグビー校で行われていたフットボール試合中に、エリスボールを持って走り出した。

このエリスの反則行為こそがラグビー起源である、という説が広く知られている。

当時、イギリス各地のパブリックスクールでは、それぞれにルールの異なるフットボールプレイされており、

そのなかでラグビー校で行われていたフットボールこそが、後のラグビーに多大な影響を及ぼしたこと事実であるが、

エリスエピソード自体一種神話であり、本当の出来事だったという証拠は見つかっていない。

とはいえ、他に名の知れた人物がいないこともあり、ラグビー発明者と言えば、いまでもエリスが挙げられるのである

ラグビーW杯トロフィーは「ウェブエリスカップ」と呼ばれる。

野球

ウィリアム・ウィートン。

1814年生まれアメリカ出身

野球の原型は、クリケットラウンダーズ、あるいはタウンボールといった競技だとされるが、

それを現代的な「ベースボール」に仕立てあげたとされる人物は何人か挙げられる。

1907年、「南北戦争英雄であるブナー・ダブルデイ将軍が、1839年クーパーズタウン野球を考案した」との調査結果が発表された。

この説は長く信じられており、クーパーズタウンには野球殿堂が建てられたが、やがて全くの無根拠であったことが明らかとなった。

次に、1842年にベースボールチーム「ニッカボッカーズ」を設立した、アレクサンダー・カートライトが「野球の父」として知られるようになった。

ニッカボッカーズが1845年に明文化した「ニッカボッカールール」が現代野球の元になったとされているからだ。

ただ、1857年ニッカボッカーズが野球の人数(9人)・イニング数(9回)・塁間(90フィート)を定めたとき

カートライトは既にニッカボッカーズを離れており、ドク・アダムスがチームのリーダーとなっていた。

アダムスはその後、1858年から1862年まで全米野選手協会に参加し、ルールの整備を主導していた。

そして、最近研究によると「ニッカボッカールール」は、別のチームであるゴッサムクラブ」のルールを受け継いだものだとされている。

ゴッサムクラブルール制定に携わり、それをニッカボッカーズに持ち込んだのがウィリアム・ウィートンだった。

サッカー

ベニーザー・コブ・モーリー

1831年まれイギリス出身

弁護士となってロンドンに出てきたあと、1862年バーンズフットボールクラブ設立した。

1863年、彼は新聞寄稿し、フットボールルール統一、およびそれを行うための団体設立提案した。

同年、各地のフットボールクラブパブリックスクール代表ロンドン居酒屋会合し、

ザ・フットボール・アソシエーションFA)が設立された。

モーリーFA書記に任命され、「ロンドンルール」と呼ばれる統一ルール草案を作りあげた。

このときボールを持って走ってはならない」「相手のスネを蹴ってはならない」というルールが導入され、

それに反対するフットボールクラブFAを脱退して、代わりに「ラグビーフットボールユニオン」を1871年設立した。

これによりアソシエーション・フットボールサッカー)とラグビーフットボールとが分立することとなったのである

また、モーリー統一ルールに基づく世界初公式試合プレイヤーの一人でもあった。

これらの功績により、モーリーは「現代サッカーの父」とみなされている。

テニス

ウォルター・クロプトン・ウィングフィールド

1833年まれイギリス出身

軍人であると同時に発明家でもあった彼は、

それまで室内で行われていたテニスを芝生の上で行う「ローンテニス」を考案して、1874年特許を取得した。

ラケットネットなどをワンセットにして「スフェリスティキ」と名付けて売り出し、大成功を収めた。

ローンテニスは急速に普及し、1877年には第一ウィンブルドン選手権が開催された。

当時、芝生でテニスを行う試み自体はいくつかあったものの、発明者としての名声はウィングフィールドに帰せられている。

アメリカフットボール

ウォルターキャンプ

1859年生まれアメリカ出身

当時、アメリカ各地の大学バラバラだったフットボールルールを、

ラグビーベースにしたもの統一しようという機運が生まれたことで、

1876年に「アメリカ大学フットボール協会」が設立された。

そして1880年会議において、イェール大学主将だったキャンプは、

フィールドプレイヤーを15人から11人にまで減らし、

さらに「スクラム」をやめて「スクリメージ」を導入することを提案した。

1882年に導入された「ダウン」制と合わせて、ここにアメリカフットボールの基本ルールが完成した。

彼はその後も、アメフト黎明期におけるルール整備の中心人物だった。

このためキャンプは「アメリカフットボールの父」と呼ばれている。

バスケットボール

ジェームズ・ネイスミス

1861年まれカナダ出身

1891年マサチューセッツYMCA非常勤体育教師となった。

冬季に屋内でプレーできる学生向けのチームスポーツとして、

サッカーラグビーラクロスなどをベースに、ネイスミスは新しく安全競技を案出した。

まず柔らかいサッカーボール使用し、

激しい接触プレーをなくすためにボールを抱えて走ることを禁止し、

さらシュート身体で防ぐ必要がないようゴールを頭上に設置した。

ゴールには桃の籠を使ったので「バスケットボール」と名付けられた。

現在、全米大学男子バスケの年間最優秀選手賞にその名が冠されている。

バレーボール

ウィリアム・G・モーガン

1870年まれアメリカ出身

1891年ジェームズ・ネイスミスに誘われて、彼の勤めるYMCA入学した。

卒業後は体育教師となり、別のYMCAに勤務した。

1895年モーガンバスケットボールよりもさら安全な屋内競技として、

テニスバドミントンハンドボールなどの要素を混ぜ合わせてバレーボールを考案した。

当初はバドミントンから取って「ミントネット」という名前だったが、

試合を見ていた教授がこれを「ボールをボレーする競技」と看破して

「ボレーボールバレーボール)」という名称提案した。

2017-05-04

錦鯉の放流という自然破壊が全国各地で行われている件

錦鯉の放流は何故「絶対に」あってはならないのか』

http://mistclast.hatenablog.com/entry/2017/05/03/132129

錦鯉の放流がなぜ自然破壊かは上記のブログを見て頂くとして、

このブログで取り上げられていた貢川での錦鯉の放流事業は、8年前から毎年行われていたらしい。

8年間毎年行っていて今まで問題にならなかったということは、

同様の行為が他の場所でも行われているのでないかと思い調べて見ると

全国各地いたるところで錦鯉が放流されまくっているみたいだ。

2016年11月20日 神奈川県川崎市 五反田

生田地区五反田川に地元自治会が先月20日、錦鯉など800匹を放流した。自治会メンバーや近隣住民らが魚見橋や川沿いかバケツを下げ、川に放たれた魚を見守った。

放流に協力したのは、飼えなくなった魚やカメを引き取っているNPO法人さかなポスト山崎充哲代表)。

この催しは、川をきれいにして川沿いを散歩する子どもたちの目を楽しませてあげたいと、五反田自治会が3年前から主催しており、これまでに4000匹以上の錦鯉金魚稚魚を放流してきた。

http://www.townnews.co.jp/0203/i/2016/12/16/362233.html


2015年10月02日 福岡県久留米市 池町川

今日は、久留米市の中心を貫いて流れている池町川に錦鯉を1,000尾放流しました。

10年ぶりの錦鯉の放流ということで、市長やいろんな団体の方々も参加されて

盛大なイベントとなり、錦鯉を川に放した市内の小学生も大歓声をあげていました。

http://www.ogatakoi.com/ogatablog/1316/


2012年09月16日 岐阜県山県市 鳥羽

9月16日鳥羽米野付近で、市錦鯉振興会と北町子どもの子どもら約50人が、錦鯉の放流式に参加しました。

体長15㎝くらいから50㎝くらいまでの錦鯉4,000匹を川に放流。

会長の池戸良三さんは「大人になっても故郷の川を愛し、大切に思って欲しい」と伝えました。

市長は「ここ数年、鳥羽川にも鮎が遡そ上じょうしているのは、水質環境の向上のおかげです.

これからも、環境美化にご協力をお願いしたい」と話しました。

http://www.city.yamagata.gifu.jp/shisei/kouhou/book/24/pdf/2411_14-15.pdf


2010年09月25日 新潟県長岡市 西川

中地地震鯉ヘルペス病の発生でしばらく中断していた西川錦鯉放流が、地元西川をきれいにする会」の放流復活への熱い思いと、

農林水産部のご理解長岡市山古志支所管内のご協力のおかげで、去る九月二十五日、七年振りに錦鯉放流が復活しました。

http://www.city.niigata.lg.jp/nishi/torikumi/com/com/sakaiwa_koshin/kohoshi.files/koho5.pdf



しかし、どの事例でも「川をきれいにして」「環境美化」「川をきれいにする」と謳っているのがポイントか。

あくまで、景観の「美化」が目的であって、自然環境の「保護」という意識は無いんだろう。

2017-04-06

貧乏人にありがちな食生活想像して計算してみた。

http://anond.hatelabo.jp/20170406093715

仮に毎食弁当(500円とする)をとって食べているとして、

朝……500円×2=1000円(妻・娘分)

昼……500円×3=1500円(妻・娘・義母)

朝昼だけで2500円かかるじゃん。

しかもこういう食生活してる人がご飯食べながら何かジュースお茶的な飲み物を飲まないことはまず無いので、1食につき100円の飲み物を付けるとして

朝……200円

昼……300円

計500円

で、夕飯におかず1品ドーン!だと、たぶん味付けにはクックドゥみたいなの使ってるだろうからクックドゥ一箱と必要量の野菜や肉を律儀に揃えたとしたら、これまたチープなメシの割にはコストがかかっているはず。ひょっとしたら800~1000円掛かってるかもしれんね。でも野菜毎日買う訳でもないから、希望的観測な気がするけど、

夕飯……500円

としよう。

それから子供にねだられて1日一個100円のお菓子を買い与えているとする。

ここまでの全てを合計すると

2500+500+500+100=3600円

食品だけで1日3600円!しかし、この程度だと、奥さんはあまり贅沢をしている気はしないかもしれない。

1日3600円は10日で3万6000円、30日で108000円だ!!

11万の生活費で足りなくなってしまうね。

【追記】

根拠なんだよって感じの計算をしたが、実をいうと私の実家がこういう感じで無駄エンゲル係数が高くて、両親共働きで結構給料貰ってしか米野菜を農家の親戚から貰っていたわりに貧乏だった。

2016-02-01

西武応援歌

米野智人応援歌スポットライト浴びて ラララ輝け米野 レフトスタンド狙え 奇跡を起こせ

レフトスタンドに入るのが奇跡って失礼だなと思っていたら、上本達之応援歌

ラーラーラーラーラーラー 上本達之 ライトフェンスを直撃だ

ホームランは期待しないという更に上をいく内容だった

2015-06-27

TPPができるまでの80年をざっくりまとめた。

概要

関税かけまくってブロック経済を築き上げたせいで戦争をひきおこした反省から自由貿易万歳世界を作ろうとしたけどやっぱそれも色々無理があってみんな経済以外のことも包括した地域協定作るようになってまあTTPもその一貫だよ。

GATT成立前史

WWI終戦

アメリカ「ゾウさん(共和党政権になりました。でも保護貿易もっと好きです」

ヨーロッパ「こちとら世界大戦ボロボロなんじゃクソ米野郎殺すぞ」

1929年 大恐慌

アメリカ「うわあ、なんだか大変なことになったぞ」

ヨーロッパ世界「マジ死ぬ。なんとかしてくれ」

アメリカ「とりあえず、世界のことはほっといて国内産業保護するか。いでよ! スムート・ホーリー法!」

スムート・ホーリー歴史上類に見ないほどめっちゃ高い関税かけます

アメリカ「ハハハ! つよいぞーかっこいいぞー!!」

ヨーロッパ「つよい……報復でこっちも関税かけまくったる」

世界経済ますます悪化ブロック経済化が促進。そして、WWIIへ。

1947年 GATT採択

ヨーロッパ「……という悲劇があったので、これから関税とかなるべくかけるのナシにしよう」

アメリカ 「だよな。おれ昔からマジそれ考えて色々やってきてん。ってかみんなで最恵国待遇やればよくない?ピース

ヨーロッパ「(マジむかつくなこのジャリ……)じゃあ、これから自由貿易な。まず条約作ってそのあと機関的なもの設立しよう」

アメリカいいねいいね!……あ」

ヨーロッパ「どうした」

アメリカ「ごめーん。ママ議会)がダメっていうから機関のほうは無理だわ」

ヨーロッパ「おまえなーっいつもなーっ」

アメリカ「あと加盟するから、うちの農産物のこれとこれとこれを対象から除外してくれ」

ヨーロッパ「」

GATT成立後

1950's ディロン・ラウンド交渉

ヨーロッパ「と、とりあえずなんとかGATTができた。とりあえず関税率のひきさげとかこれからみんなで相談していきましょう」

60s ケネディ・ラウンド交渉

GATT工業製品関税を一律で大幅引き下げることに成功したぞい」

70s 東京ラウンド交渉

ヨーロッパ「えー、今回も関税引き下げますけど、関税だけ下げても他に姑息手段使って実質保護貿易じみたことしようとする(非関税障壁)馬鹿がおるので、そういうのもガンガン規制していきます

アメリカ 「ギクッ」

80s ウルグアイ・ラウンド交渉

GATT工業製品に比べてダンチにムズかった農業産品の関税も下げることにしました。

    あとまー、知的財産権とかサービス業輸出入とか、そういうのも大事だよねこグローバル化社会

90s ドーハ・ラウンド交渉

GATT途上国とか巻き込んでいろいろ欲張ろうとした結果、うまくいきませんでした」

95年 WTO設立

世界貿易機関「苦節半世紀、やっとオトナ(機関)になれました」

アメリカ「感動的だなあ」

ヨーロッパ「ほんっっっとーにな」

地域経済協定

92年 NAFTA設立

アメリカ「すっかり自由貿易世界常識なってアメリカさんは満足です。議会は相変わらずうるさいけど。なあ、ヨーロッパさん」

ヨーロッパ「うん、そおね」

アメリカ「ん? ところでそのEUってのなに?」

ヨーロッパ「あ、これはね……」

アメリカブロック経済圏じゃない? ずるくない? みんなでやろうって言ったじゃん! なにヨーロッパだけ内輪でそんな作ってるの!! GATT違反!!!

ヨーロッパ「ち、ちがうよ……そもそも違反じゃないよ。GATT24条で「地域内における関税その他の貿易障壁撤廃すれば地域経済協定OK」って規定されてんだよ……」

アメリカ「ずるい!!!じゃあおれらも作る!!!

メヒコ「わーいやろうやろう」

カナダ「……やだなあ……」

NAFTA爆誕


TPP登場

2000年以後

日本WTOは出来たけど、やっぱみんなでみんなで仲良く自由貿易やるのって限界があるよな。ドーハ・ラウンドはあんななっちゃったし、最近じゃEUさんが成功したおかげで各所で似たような枠組みが雨後の筍状態だし……のるしかないな、このビッグウェーブに!!」

ASEANをはじめとした地域・国々と独自自由貿易協定を結びまくる。

2006年 TPP生まれる。

シンガポールうちらもなんか作ろ。金融とか情報とか著作権とかその他もろもろナウいもん全部乗せでさ」

ニュージーランド「そっすね。名前は『環太平洋戦略的経済連携協定』がいいかな」

ブルネイ 「かっこいい」

チリ   「なんかバラバラな感じのメンツだけど気にしない方向で行こう」

2010年 アメリカ参入

アメリカNAFTAのおかげで南北アメリカ大陸は制覇したけど、やっぱこれから環太平洋地域だよな……でも一から作るの面倒だし……」

アメリカ「お、あそこにちょうどよさげな枠組みあるやんけ! GATT24条もクリアしてるし! おーい、入れてくれ」

TPP  「マジか……まあアメリカさんが入ってくれたら心強いっちゃけど……」

アメリカ「よーし環太平洋地域も取り込んでがんばるぞー」

その後

オバマ「がんばろう」

議会「がんばれない」

オバマ「がんばろう」

日本「がんばりたくない。せめてコメだけは見逃してくれ」

オバマ「がんばろう」

民主党「がんばれない」

オバマ「がんばろう」

共和党「普段は敵だけど、今回は強力してやるよ」

オバマ「なんとか許可もらったぞ。60日以内に条約とりつけなきゃ」

日本 「なんか思ってた以上にいろいろ辛い……」←イマココ

 
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