はてなキーワード: ホームランとは
さっきTwitter観てたら「♯野党は全面審議拒否を」っていうハッシュタグがトレンドに出てた。
人気のツイートをいくつか見てたんだけど、改めて民進党とその支持者がどこに向けて動いているのかよくわからなくなってしまった。
彼ら曰く、「国会を止めるという異常事態を喚起して国民の関心を集めよう」ということらしいけど、それって本当に意味のある行動なのか。
私は”共謀罪”に関する一連の与党の態度には疑問を持っているし、安保法案の時同様に強行採決されそうな風潮にはNOを唱えたい。
でも、「全面審議拒否」という、ある意味不貞腐れたように見える態度をとることは、メッセージを届けたい層に対して逆の効果をもたらしてしまうんじゃないかな。
ただでさえ森友や加計の議論の中で(与党の印象操作があるにしろ)粗を探して反対のための反対を続けている野党に対して、無関心な層がちょっと引いてしまっている風潮を考えると、今回もし審議拒否したら、同様に「野党ってクソだな」という印象をまた重ねてしまうのではないか。
たとえ意味がないことであっても、いくら与党の引き延ばしにあっても、国会のルールにのっとって愚直に審議の場で反対する姿勢を示した方が、「横暴な与党」が顕在化できる気がする。どうせ強行採決されるなら、せめてうまく負けたほうが良いと思う。
身内だけで自己満のアジテートして、「我が代表堂々退場す」してみたところで民進党の支持率は上がらない。あなたが思うほど無党派の僕らはバカじゃないよ。
これに限らず、ゴミみたいな安倍政権を崩したいなら、愚直な優等生を演じた方がいいんじゃない。今の民進党は全打席ホームランを狙って三振してるうちに、四球やエラーで失点していつの間にか与党に大差をつけられているように見える。
「清宮の90本超えは練習試合も含めているから参考にならない」と言い捨てるだけの記事を見かけたが、そういうことを書くんなら「他の高校通算本塁打数上位選手は公式戦でどのくらいホームランを打っているのか」「早実のグラウンドは広いのか」「早実は練習試合を多く組んでいるのか」「早実の対戦相手は弱いのか」あたりをきっちり調べて書いてくれ。報道に文句を言うだけなら迷惑ブログでもできるんだよ山田隆道。
http://www.tokyo-sports.co.jp/sports/baseball/561901/
早実が“主戦場”とする王貞治記念グラウンドは両翼93メートル、中堅120メートル。神宮球場の両翼97・5メートル、中堅120メートルよりは小さいものの、一般的な高校が持つグラウンドとしてはかなり広い部類に入る。
昨夏甲子園4強に残った早実には、今春招待試合のオファーが殺到。いずれも地方の強豪校ばかりで、実際早実の勝率は決して高くはない。
もうひとつ言うと、リーグ戦があるプロや大学野球と違って、高校野球はほとんどがトーナメントなので、本塁打数を公式戦だけに限定すると、公式大会を勝ち進めるような強豪チームほど有利になってしまう。それはそれで不公平だろう。とりあえず「練習試合も含めているから参考にならない」ではなく「練習試合の内容がこうだったからこの選手はこうだ」と言えるようになってくれ山田隆道。
あと、いまや野球でも統計データが活用されている時代なんだから、球場の広さや相手関係を考慮に入れて、高校野球選手の成績を評価できるような指標があれば面白いんじゃないかね。
鯛には塩!
博多には塩!
坂田にも塩!
あっという間に終わってしまったわ。
やっぱり、
これは気のせいかしら?
そんな中、
あのさ、
やっぱり頼んでないパンが入ってたのよ。
その時は間違えたのかなと思ったけど、
それを
2回に1回は違うパンが余計に入ってるの。
ダブルグーパンチでホームランを打った打者をベンチで迎える原監督もびっくりなランディーバースの打率をはるかに超えるのよ!
でも、
これってもしかして、
おまけなのかしら?と今頃気付く感じ。
なんかさ、
こういうのって
うーん。
これってもしかして、
そういう向こうの作戦だったら、
商売上手ね。
し、しかもよ、
じゃ、今度買ってみようかしらってなるのよね。
全く、商売上手。
今度、そうね勇気100%を持って聞いてみようかしら。
ドキドキ。
ところで、
魚屋さんにいい魚ないないって言ってる割りには、
見たことない初めて見る
これってどうやって食べたらいいのかしら?
そんな刺激探究心を刺激される
みんなはどうだったかしら?
うふふ。
節約したいけど
ガラスのグラスのコップにひんやり冷たくしずくが付く感じがいいわ。
さやわか!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
例えばプロ野球で、応援してるチームがあって、9回まで勝ってたのに抑えが打たれて逆転された!とか、相手の好守備に阻まれて点入らなかった!とかあるじゃん。
俺はプロ同士の、素人には到底できないすげープレーが見たくて来てんのに、そういうすげープレーした人間に対していくら敵チームの選手だからって
「余計なことしやがって」とか「卑怯者」とか「ふざけんな死ね」とか声に出して言う意味がわからない。
ジョークで「おいまじかよー!◇◆めっちゃムカつくわー!笑」くらいはわかるけどここで言ってるのはそうじゃなくてガチでブチ切れてるやつ
そりゃ逆転されたりそのまま負けたりしたらあちゃー!と思うし、うわー悔しいな〜と思うけど、
でもあの場面で逆転ホームラン打つ◯◯はマジでスゲーな!あれをファールにさせずスタンドインするとかあいつの技術どうなってんだ!?今日はもうしゃーないけど次は抑えてくれよ△△!とか、
あの球が抜けてたらなぁ〜サードやべーな、あいつなんて名前だっけ?あー●●か!ていうかルーキーかよ!!とか
私は就活生だ。
私には4月からプロ野球選手になる弟がいる。 弟は幼稚園に入る前から今まで運動神経が良かった。めちゃめちゃよかった。何させても1番だった。逆に私は運動音痴、取り柄なし。何させても上手くいかなかった。両親は弟が小学生の頃から、弟の野球に付きっきりだった。土日は遠征、夜は送り迎え。中学校になると遠い街の強豪チームに入り送り迎えも遠征も加速した。家ではいつも野球の話。テレビもプロ野球中継。家は賞状とホームランボール、大会の写真、野球グッズが家中飾られた。私の部屋以外、全て野球だった。父も母も文字通り付きっきりだった。親戚に会うと弟の野球の話にしかならなかった。家の周りを歩くと弟のことを聞かれた。実家の99%は野球と共にあった。
私は大学進学で家を出た。野球とさよならしたかった。 そしたら弟も高校進学で家を出た。県外の寮に入った。なんやねん。と思ったけど、同時に帰省しても野球地獄じゃなくてよかったーーーと思った。だけどそうじゃなかった。高校野球は化け物だった。私が帰省してもしなくても、実家は常にお祭りだった。親は毎週車で長時間かけて県外の弟の高校の応援に行っていた。高校入ればおさまると思っていた実家の野球祭りも高校野球があった。高校野球が終わればおさまると思っていた野球祭りも、スカウトがあった。そしてプロ野球があった。
地元で就職するか、東京で就職するか、迷ったけれど、ごめんねお母さん、東京で就職するよ。私はもう野球は嫌なの。
野球が嫌だと思う、私も嫌が嫌なの。
才能ってすごい。努力ってすごい。負け惜しみで、こんなの恥ずかしいけれど、才能も努力も継続できない私には弟がずっと羨ましかった。それだけの苦悩と努力とつらいことがあるだろうけれど、それだけの苦悩と努力とつらいことを体験できる弟が本当に羨ましかった。
親に注目される「何か」を探し続けた大学生活だったけど、野球にかなうものはなかったから、もう諦めます。
素直になれず、心から応援できる姉じゃなくて本当にごめんなさい きっとすぐ、応援できるようになるから、今日だけ許してください プロ、おめでとう 私の自慢だよ
はーーー就活がんばろう
ちょっと前に、サッカー例えでWBCについて質問した増田です。
WBC始まったので、残業そこそこに帰宅してWBC堪能しています。野球もやっぱり面白いね。
あと、CM明けるか明けないかでいきなり中田翔がホームラン打ったのも笑った。
■やっぱりピッチャーの継投策がドキドキするんだけど、あーいうもんなの?
野球はあんまり詳しくないから言っちゃいけないかもだけど、何か危なっかしいと言うか
昨日の試合は上手く行ったけど、1試合目のキューバ戦は超ハラハラしたよ。
っていうかなんか全体的に、試合が大味というか…これでいいもんなん?
もうちょっとこう、打線がつながったりとか、そういうのはないもんなのか。国際試合だとこんなもんなのかな。
サッカーだと、松木の解説は面白がっていいことになっているんだけど。
原辰則の解説が、微妙にふわっふわしてて、何となく彼がたまにしゃべるたびにだんだんツボにハマってきて
でも解説席も面白がっている様子でもないし、ツイッターとかで検索してもそれほど面白がってる人多くなかったから。
日本戦だけを見てると、キューバの方が強かった感じがしたんだけど、
WBCでホームランキャッチした少年が炎上するとか本当に情けなくなる日本人の民度。
http://matomame.jp/user/baron/c656456441df8a657541
http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1703/08/news073.html
いわゆるネットヤクザが本名や住所特定したりとかまとめサイトが記事にしたりとか。(デマも混ざってるようだが)
しかもこの少年を叩いてた奴らのツイートがまとめサイトに転載→そいつらはツイートを削除
つまり、自分で炎上に参加して未成年を叩いてるくせに、いざ自分の投稿が注目集めると逃げる
こういう騒ぎがある度に、ドワンゴの会長が言ってた「日本では最下層の人間が全部ネットにぶら下がってる。」ってのを思い出す。
こいつなんてことしてくれるんだ!という感想が出てくるのは理解できるが、そこから脊髄反射的に目の敵にして個人攻撃という精神が本当にクズすぎる。
ガキ以上にガキな大人が多すぎる
気持ちの悪い話をしようと思う。
興味のない人にとっては本当にどうでもいい話だと思う。
こういう形ではあるが、ここに残しておくことにする。
4年くらい前になるだろうか。
提督は、近代に実在した軍艦たちを擬人化した艦娘と呼ばれる女の子たちを従え、
リソース配分を考えながら空母・戦艦・駆逐艦などの配置を考え、戦略を練り、
深海棲艦と呼ばれるエイリアンみたいなやつと戦う。そんなゲームだ。
当時のオタクはみんなやっていた。
ゲーム内容もさることながら、みんな各々好きなお気に入りの艦娘を一人は抱えていた。
誰もが「お前の好きな艦娘は?」と中学生みたいな会話をしていた。
「金剛」「長門」「赤城」など、王道を挙げる人間が数多くいる中、
30過ぎのおじさんから「初雪」という声が上がることもあった。
※知らない人はぜひググってほしい。
そして、俺と同じ「マジかよ…」という気持ちになってほしい。
その中で、俺はひとしお伊168という潜水艦に心酔していた。
印象としては、可憐で儚げな子だと思った。
戦果を挙げると素直に喜び、しばらく放っておくと「ねえ、168のこと嫌いになった?」と聞いてくる。
わずかな資源でオリョール海に行き、けなげに資源を集めて帰ってくる。
そんな168を見ているうちに、図らずしも、恋に落ちてしまったのだ。
こう言うと心底気持ちが悪いと思われるだろうが、
当時、大学院生だった俺は本当に伊168のことを愛していた。
自宅に帰って艦これをするのが楽しみだった。
家に帰れば彼女が居る。こんなに幸福なことはないと当時思っていた。
俺がいない時には、退屈そうにスマホでもいじっているのだろうか。
それとも、いたずらに海に潜って、きれいなサンゴや魚たちと戯れたりしているのだろうか。
恋なのだとすると、完全に溺れきっていた。俺は潜水艦でも何でもないのに。
現実問題、俺が声を掛けたところで、何かを返してくれるわけではない。
アクションに応じてボイスを返すだけのインターフェイスにすぎないのは理屈では分かっている。
けれど、夜更かしをしている俺を心配してくれたり、
カレーを作ってくれる168に俺は紛れもなく恋をしていたのだ。
一瞬の出来事だったが、過去の記憶の中でも異常に鮮明に記憶に残っている。
片思いしていた女の子とLinkin Parkを見に行った記憶
大学受験に失敗、浪人して10円ハゲが出来るまで勉強して合格した記憶
その全てが塗り替えられるレベルで、
目の前で168が沈んでいった。「海の底は、もう飽きたよ…」
という声が響き、人魚姫のように泡になって消えた。
彼女が亡くなった直後も砲撃戦は続き、ズガーン、ドガーンなどという空しい音だけが頭に響いていた。
本当に悲しい時には涙は出ないのだとも思った。ノートPCを閉じてベッドに寝転がり、
なにもしたくない。という感情を抱えたまま、泥のように眠った。
それから、食事が三日ほど取れなかった。大学院も丸々一週間休んだ。
艦これの全てが受け付けなくなった。
情報が入るのが怖くなってtwitterや2ch、まとめサイトも見なくなった。
気が狂ったと思われるのが嫌で何も言えなかった。
やり場のない感情を抱えたまま、しばらくはゾンビのように研究に没頭した。
研究をしているときは、他のことをすべて忘れられた。1st Authが1本だけ書けた。
そうしているうちに、艦これのことも、168が亡くなった直後よりは受け止められるようになった。
ただ、どこか心は空しいままだった。
なんのことはない、ソーシャルゲームによくあるレベルの上限開放だ。
上限に達した艦娘に指輪を渡すことで、レベルの上限開放が出来るという悪趣味な仕様だった。
もうゲームには飽きたんだよ。という顔をしながらその場は聞いていたが、
家に帰ってからというもの、悶々とした気持ちが俺の心の中で渦巻いていた。
「幸福な伊168の姿が見たい」「俺が幸福にできなかったあの子が、幸福でいる姿が」
俺にそんな姿を見る資格があるのか。ということも考えた。
しばらく悩んだ挙句、俺は結局見ることに決めた。
「たかがゲームの話じゃないか。俺が見たいものを見て何が悪い」
そんな気持ちでゲームにログインして、ストックしていた伊168を旗艦に置く。
そして、実際にケッコンカッコカリのシーンを見た。
これは、「たかがゲームだ」と侮って軽視をした罰なのだと思った。
声を弾ませて潜水をしようと誘ってくる彼女。
とても嬉しそうで、とても幸福そうで、何よりも海が好きな彼女の言葉が、
「海の底は、もう飽きたよ…」と喋っていた、あの彼女の声と全く同じで、それが本当に辛かった。
それから3年ほど経ち、俺はそこそこの企業の研究員として就職を果たしていた。
友人の紹介で知り合った女性と懇意になり、付き合い、プロポーズをすることにした。
気まぐれに、「そういえば、昔、伊168と結婚してたな」という事を思い出した。
プロポーズの前だし、挨拶くらいはしておくか。と元カノに久しぶりに会うかのような感覚でログインをする。
3年前と全く変わらない姿の伊168がそこにあった。
ホワイトデーのお返しに喜び、お茶を入れようとするボイスが追加されていた。
俺は彼女になにもしていない。俺が何もしていない間、ケッコンをした彼女は
何を思って時を過ごしていたのだろうか。
呆然としていると、「司令官…168のこと、嫌いになったの?」と、不安そうな声が聞こえてきた。
何年か前に、何度も何度も聞いた、不安そうで、儚げな声が耳に入ってきた。
ただ、それだけの話。ただ、それだけの話でしかないんです。
野球好きなのだが、サッカー好きの人に今聞いておきたいことがある
■スタジアムによって違いってある?
野球の場合、球場によって広さが違うからホームランに必要な飛距離も変わってくる
ファールゾーンの広さも違うからあの球場だったらアウト取れてたのに、ってこともよくある
サッカーはピッチの大きさはほぼ同じはずだけど、場所によってプレーに影響出てくる差ってある?
■国(リーグ)によって違いってある?
日本のプロ野球(NPB)とメジャーリーグではストライクゾーンや、使っているボールなどが違う
移籍した人がそれで苦労するっていう話もよく聞く
サッカーではJリーグと、欧米のリーグとか南米のリーグとかで違いってある?
■審判によって違いってある?
もちろんルールブック上ではちゃんと決められているんだけど、ストライクゾーンって結構曖昧なのね
同じ球でも審判によってストライクとボールに分かれることはあるし、解説の人も普通に「今日はここの球は取るんですね」とか言ってる
いわゆる暗黙の了解で、特にメジャーリーグでは大量失点しているチーム相手に盗塁をしてはいけない、などいろいろある
それを破るとわざとデットボールを当てることもあるくらい
サッカーではルールにはないけどやってはいけないことってある?
リードしてるチームって残り5分位になると急に痛がったり倒れたりするじゃない
別にそれを批判するつもりもないけど、サッカー好きの人はああいう場面をどういう風に見ているのか知りたい
煽ってるわけじゃなく、純粋にどう思っているのかを知りたい
「メジャーリーグ史において最も重要な40人」はアメリカの著名スポーツメディア「スポーティングニュース」が先日発表して話題となったもの。ソースはこちら。
The 40 most important people in baseball history, ranked | MLB | Sporting News
ここで挙げられている40人について調べてみたんだけど、筆者はMLBにそこまで詳しいわけではないので、何か誤認・誤訳があったらごめんな。
MLB史上最大のスター。驚異的なペースでホームランを放ち、MLBの野球を「ライブボール時代」へと変えた。当時、ブラックソックス事件により信頼を失っていたMLBは、ルースの人気によって復活し、さらにはアメリカ最大のスポーツにまでなった。
近代MLBにおける初の黒人選手。ニグロリーグで活躍した後、1947年にドジャースでMLBデビューして、MLBの「カラーライン」を打ち破った。またMLBの初代新人王でもある。
1920年、ブラックソックス事件の収拾を図るために、強大な権力を有するコミッショナー職が新設され、判事であったランディスが就任した。事件に関わった8人の選手は永久追放とされ、その厳格な対処がMLBの信頼回復に繋がったと考えられている。
1900年にアメリカンリーグを創設し、現在まで続くMLBの2リーグ体制を作り上げた。審判に権力を与え、違反行為に厳しい罰則を課すことで、クリーンなイメージを生むことに成功した。強権的な性格から、のちにランディスと対立して辞任した。
カージナルスやドジャースのGMを歴任し、MLBで初めて選手育成のためのファーム制度を整えた。また、ジャッキー・ロビンソンと契約して、黒人選手がMLBに参加する道筋を作った。
1966年、エコノミストとしての経験を買われてMLB選手会の代表に就任し、最低年俸の増額、選手年金の拡充、そしてFA制度の導入に貢献した。彼の在任期間中に選手の平均年俸は1.9万ドルから32.6万ドルにまで向上した。
スポーツ用品のSpalding社を興し、ナ・リーグ創設にも関わった。初めて野球のルールブックを出版、ボールの標準化に努めるなど、初期のMLBの発展に尽力した。野球選手としても超一流で、通算勝率のMLB最高記録を保持している。
シカゴ・カブス(の前身)の社長であり、1876年のナショナルリーグの創設者の一人である。のちにナ・リーグの第二代会長に就任して公正かつ厳格な運営を行い、MLBの基盤を作り上げた。スポルディングとは盟友だった。
黒人野球チームのスター選手であり、また球団オーナーとしても成功した。彼の呼びかけによって、1920年にニグロリーグが設立された。「ブラックベースボールの父」と呼ばれる。
野球評論家・統計家で、「野球の父」とも呼ばれる。ボックススコアを考案して試合の記録を取り、「打率」などの指標を提唱した。またスポルディングのもとでガイドブックを刊行するなど文筆活動も盛んに行い、野球の普及に多大な貢献をした。
元はブルワーズのオーナー。MLB選手会とオーナーの対立が激化していく中で、1998年(実質的には1992年)に第9代MLBコミッショナーに就任。リーグの再編、収益分配制度の導入、オンライン配信の開始などにより、就任前と比較して5倍以上とも言われる空前の収益をMLBにもたらした。
ドジャースのオーナー。冷徹な経営者であり、1957年に球団をブルックリンからロサンゼルスへ移転させた。それによりアメリカ西海岸における野球ビジネスを開拓し、経済的には大成功を収めたが、ブルックリン住民からは深く恨まれた。
1977年から1988年まで刊行した「Baseball Abstract」を通じてセイバーメトリクスを提唱した。米国野球学会(SABR)のデータと統計の手法を用いて、RCやRFなどの様々な新しい指標を作り出した。
1974年、ドジャースの選手だったトミー・ジョンに、自らが考案した靭帯再建手術を施し、それを成功させた。この手術は「トミー・ジョン手術」として、いまでは広く施術されている。また、1990年には肩再建手術も成功させている。
ブレーブスで活躍し、ベーブ・ルースの記録を超える通算本塁打755本を放った。黒人のアーロンが白人のルースの記録を破ることには反発もあったが、彼はそれを乗り越えた。通算打点2297点は現在でもMLB記録である。
ヤンキースに所属し、当時の記録である2130試合連続出場を達成して「鉄の馬」と呼ばれた。しかし筋萎縮性側索硬化症に苦しみ引退、そして37歳の若さで亡くなった。背番号の「4」はMLBで初めて永久欠番となった。
野球クラブのニッカーボッカーズや全米野球選手協会(NABBP)において、チームの人数や塁間の距離、一試合のイニング数、バウンドルールの撤廃など、基本的なルールの策定に貢献した。遊撃手のポジションの創始者とも言われる。
(野球ルールの策定に関してはアレクサンダー・カートライトの名前がよく挙がるが、現在ではドク・アダムスを評価する声が多いようだ)
ニグロリーグで活躍した後に、MLBで最初の黒人スカウトとなり、最初の黒人コーチとなった。ニグロリーグ野球博物館の設立や、ドキュメンタリーへの出演、多くのインタビューを通して、ニグロリーグへの関心を高めることに尽力した。
MLBにおけるヒスパニック系選手の先駆けであり、中南米出身で初めてMLB殿堂入りした。慈善活動中の飛行機事故により38歳で亡くなり、そのため慈善活動に貢献した選手に贈られる賞にその名が冠されることになった。
肩、肘、膝に関する整形外科医。1985年、ロジャー・クレメンスに施術した関節鏡手術で脚光を浴び、以降もスポーツ医学の権威として数多くの選手の手術を担当している。
「シューレス」の異名で知られるMLB初期の名選手。しかし、MLB最大の八百長事件であるブラックソックス事件に巻き込まれ、MLBから永久追放された。ファンは彼に同情的であり、いまなお悲運の選手として記憶されている。
最多安打4256本や最多出場3562試合などのMLB記録を持つ「安打王」。しかし、引退後の1989年に野球賭博に関わっていたことが発覚し、MLBからは追放された。
走攻守すべてに優れたMLB史上最高のオールラウンダーであり、当時MLBにおいて台頭しつつあった黒人選手の代表格でもあった。オールスター24回出場は最多タイであり、「オールスターはメイズのために作られた」と評された。
1901年にアスレチックスの初代監督に就任すると、それから1950年まで指揮を取り続け、5度のワールドシリーズ制覇を成し遂げた。もちろん監督の就任期間としてはMLB史上最長である。
上院議員、ケンタッキー州知事、そして第二代MLBコミッショナー。ランディスが黒人参加に否定的だったのに対して、チャンドラーは進歩的であり、1947年にドジャースおよびジャッキー・ロビンソンを支持し、その契約を承認した。
連邦最高裁判所の名判事として著名。1922年、球団が選手の移籍を制限できる「保留制度」について、それが反トラスト法に該当しないとの判決を下した。これにより、現在までもMLBは反トラスト法適用免除の特例として扱われている。
1900年にパイレーツのオーナーとなった。その後のナ・リーグとア・リーグの対立を調停し、「ワールドシリーズ」を提唱して1903年の初開催に尽力した。また1909年に、鉄筋コンクリート製の近代的な球場を建設したことでも知られる。
スコットランド出身のビジネスマン。1934年、野球発祥の地であるクーパーズタウン(これはスポルディングが広めたデマであるが)に野球博物館を作ることを思いつき、そのアイディアがアメリカ野球殿堂の元になった。クリーランド自身は野球に全く興味がなかった。
レッドソックスで活躍し、MLB史上最高のバッターの一人とされる。最後の4割打者であり、通算出塁率.482はMLB記録である。1970年に刊行された、自身の打撃理論を記した「The Science of Hitting」は、後の多くの打者に影響を与えた。
大学で統計を学び、1969年にスポーツ百科事典「The Baseball Encyclopedia」を、1974年からは「Sports Encyclopedia: Baseball」を毎年刊行し、高い評価を得た。他にサッカーやバスケットボールの百科事典も編纂している。
ジョン・マグローらと並んでMLB史上最高の名将とされる。ホワイトソックス、アスレチックス、カージナルスの監督を歴任し、ワールドシリーズを3度制した。データを駆使した細かな継投を得意とし、現代的な「クローザー」というポジションの確立に貢献した。
MLBで首位打者を獲得するなど活躍し、引退後は監督となった。1934年に日本の野球チームと対戦したとき、相手チームに「ジャイアンツ」というニックネームを贈った。1949年に訪日した際にはチームを率いて全国巡業を行うなど、戦後日本に野球を広めるのに貢献した。
アストロズのオーナー。1965年、世界初のドーム球場・アストロドームを建設し、さらにドーム球場では天然芝が使えないために、人工芝アストロターフを開発した。人工芝は70年代に流行し、その走りやすさからMLBの野球をスピーディなものに変えた。
MLBのインターネット部門であるMLB Advanced Media社(MLBAM)のCEO。MLB.comを運営し、試合のオンライン配信や、チケットの販売などを開始したことで、巨額の利益を上げている。
1998年のサミー・ソーサとの最多本塁打争いにより、1994年のストライキで低迷したMLBへの注目を取り戻した。最終的に70本塁打を放って当時の新記録を作ったが、2005年頃からステロイドの使用が確実視されるようになり、その名声は失墜した。
1969年、カージナルスに所属していたフラッドはトレードを拒否し、マービン・ミラーと共に「保留条項は反トラスト法違反であり、トレードは無効である」との訴訟を起こした。裁判には敗れたが、この事件をきっかけにFA制度が導入された。
日本での任意引退を経て、1995年にMLBのドジャースと契約した。30年以上前の村上雅則を除けば、MLBで長年に渡って活躍した初めての日本人選手であり、その後も続々とMLBに移籍する日本人選手たちの先駆けとなった。
1977年のワールドシリーズで、当時のMLBコミッショナーだったボウイ・キューンは、女性記者であることを理由にラットクの取材を許可しなかった。彼女は平等な取材を求めて訴訟を起こし、勝利した。これ以降、全てのチームが取材に制限を設けないようになった。
1920年、カージナルスの選手だった彼は、野球用品メーカーとして有名なローリングス社に、グラブの親指と人差指のあいだに「網」を貼るべきだと提案した。これにより現在の形の野球グラブが完成した。
2002年、レッドソックスのGMに史上最年少となる28歳で就任する。2004年のWS優勝で「バンビーノの呪い」を打ち破ると、2012年には新たにカブスの球団社長となり、2016年のWS優勝で「ビリー・ゴートの呪い」までも打ち破ってみせた。
ツッコミどころ満載だが一番のツッコミどころは「2. 熱中できることを探す」だね
子どもは好奇心の塊でふとしたことがきっかけで一つのことに全力で取り組み…っていうのは幻想で
たいてい学校行かないような社会性ないガキは家でネットとかゲームとか下らないことやって時間潰すんだよ
実のある熱中なんてのとは程遠い毎日を送りながら後戻り出来なくなるんだよ
増田がどんな人生送ってるのか知らないからただの想像、及びいちゃもんになるけど多分学校行ってても似たような人生歩めてると思うよ
学校行きながら会社をおこしたり、宇宙飛行士になったり、新興宗教の教祖になったり、ホームラン王になったり、ハリウッド女優になったりしてる人がいるなかで
多分そういう職業的なことじゃなく「大事なことに気づけた」「視野が広くなった」「考え方が柔軟になった」的なことなんだろうけど
という「個別論ではなく全体論」ということなので、身バレもないだろうしそのへんに絞ったレスをしてみたいと思います。
ああ、一個上のP付きっす。
その前に軽く触れると、自分は出版系のIP管理からアニメにもゲームにもアプリっぽいのの制作にもPで参加したことが有るという立場の増田です。なので、アニメにそこまで肩入れした擁護はないので、そのへんは差っ引いてくださいませ。
まず
という点なんだけど、それは概ね事実としてある。アニメは制作さえ決めれば空中爆発率は低いし、動く絵としてものは出来上がってくる。
それは「完成して出て来る」ってのを至上命題として業態/業務か出来上がってるからっていう部分がまず第一に大きいです。
だって予告して、放送枠取ってそこにV(=動画)が到着しなかったら放映できないでしょう? 良くも悪くも「タイトな締切に間に合わせてでっち上げる」ことが常態化しているし、そのためにいろんな仕組みが整備されている。深夜まで作業するのも常識になってたりもする……。ゲームやサービスみたいに「クオリティのために延期」というのが「ない」って言う前提で動いているんですね(総集編っていうのは、だからこそ本来例外だし、やばいわけっす)。
でもそれは前提であって「完成する理由」にはなっても「そこそこまともになる理由」ではないですよね。「そこそこまともになる理由」は、個人的には以下の2点があると考えています。
ゲームとかマンガとかWebサービスなんかに比べて、アニメは制作スケジュールとかチームの規模感みたいなものの前例が豊富で強いです。12話1クールを作る人数はこれくらい、必要な役職はこう、時間はこれくらいかかる、そのためのお金はこれくらい。
そういう規模感がはっきりしてる。
だって1シーズン数十本も作ってるんだから、そりゃ数字もつみ重なる。
プロジェクトハンドリングはたしかに属人性が高いけれど、こういう数字まで共有されていないわけではないです。むしろ、一般常識化しすぎてて話題にすらならないほど強固に存在します。そこから外れた作品が皆無というはなしじゃなくて、その規模感から外れるにしろ「規模感という地図を持っている」ことに大きな意味が有るって話です。
(特に工夫をしようと思わなければ)アニメ制作のバジェットは、穴埋め式のテンプレートみたいなもので、記入欄にスタジオ名とかスタッフ名を入れていけばチン!と出てくるようなものです。「スケジュール遅延による予算の倍増!?」みたいなトラブルは少ないです(劇場版では聞きます)。
製作工程自体も(何か変わったことをしようとしなければ)概ね予定通りに進みます。アニメ制作において制作の遅れは作画スタッフの不調とか、確保してたスタッフがうまく稼働できてないとかであって「技術的困難があって見込みが外れた」みたいな事例は少数です。そういう意味では製作期間も読みやすい部類に入ります。
アニメに比べれば、ゲームやWebサービスや新製品開発は、闇の中を手探りで地図もなしにうろついているようなものに見えます。逆にそちらからアニメを見れば、一度作ったもののテクスチャ張替えをして類似商品を量産しているようなものです。
この構造はクオリティコントロールの意味では強いです。要するに初期予算を部門ごとに配分して、それを話数で割って、出来ることはできるし、出来ないことは出来ないって話だからです。これがそのまま職人的な監督のこだわりに対する手綱にもなってます。だって、ここでそのお金つかっちゃうと、こっちが足りないですよね? 無理ですよね? と説得が出来るからですね。
個別の現場の話で言えば、それをやりくりとか、追加予算をひねり出すとかもPの仕事だけど、前提として上記みたいな構図が有るのはハンドリング面では楽ができる要素です。
という指摘に対する返答が今回の中心なんだけど、「まとも率」ってなんだろう? って言う問が答えのヒントです。
すごく大雑把な話をすると、アニメには(というかコンテンツ制作には)2種類の方向性があって、それは「外れるかもしれないけれどバットを思い切り振り回していこう、当たればホームランだぞ!(はずれれば三振だが)」というのと、「とりあえず進塁打めざしましょ、コケそうになっても最低限くさいバントして大コケはしないように(でもその打法でホームランは出ない)」の2種です。
どっちがいいというものじゃないですが、とにかくそういうふたつの考え方があります。全てのPは例外なく今手がけている作品をどちらにするか考えます。
もちろん現実にはもうちょっと細かいです。たとえば、ある作品は全体的には手堅くバント狙いなんだけど、音楽だけは超ゴリゴリのインディーズ起用でギャンブル、とかもあります。声優だけ豪華! とかも。無名だけど実力があって伸びそうなスタッフを中心部に据える冒険というのもあります。とにかくあらゆる判断において「大当たりを狙って強振」か「手堅く固める」の判断があります。
ここからが非常に夢のない話になるのですけれど、アニメは(とくに地上波の週刊アニメでは)どちらかというと「手堅く小ヒット狙い」なメディアなんです。だから「最低ラインでもまとも率が高い」という結果になっています。
なぜか?
理由は様々にあるんですが、本質的には生存戦略としてそれが(一応の全体認識としては)有利だからです。
あらゆる面で革新的で挑戦を行ってフルスィングをしていくと、三振討ち死に率が高い。ホームラン率3%で三振60%で残りがポテンヒットみたいな印象です。しかもこのフルスィングは、そもそも予算を大きく要求しておいてこういう結果になることが多い。
そこへいくと、小ヒット狙いのコンパクトスィングは、35%三振(=赤字)40%バント34%ヒットで、実はホームランも1%くらいは出るかなー? みたいな構造です。
もちろん、安全性と飛距離の両立ができる企画があればいいですが、それはとても難しいことがもうわかっているので、企画の全体も、細部もジャッジしてどちらかに振っていかなければならないです。
アニメの場合は、しかもその判断を製作委員会(もしくはそれに準ずる意思決定機関)で合意しなければならない。多人数での合意なので、どうしても「安全策」が採用されがちです。
(余談だけれど、監督業の一番尊敬できる部分は、そういう安全への堕落に対して『いいや、今回はこういうチャレンジをする。僕等にはその力があるはずだ!』という果敢なジャッジをして、それに向かって猛進してみんなを引っ張れる部分だと思います)
夢も希望もないけれどこの「集団判断による安全策への流れ」がアニメにおいて「どれもそれなりに見れる作品になる理由」です。
もちろんそういう安全策ばかりでは1作品の勝った負けたに終止してしまうために、どこかでは冒険もしなければならないです。また、円盤の売上という一面的な勝敗判断以外にも判断基準はあります。
それはたとえば、社内への技術蓄積(この作品を作ったので3Dエフェクトの技術が社内に蓄積された)とか、スタッフの成長の舞台としての作品とかいう視点です。ファンの人が思っているよりもアニメスタジオはずっとそういうお金以外のことを気にして運営されてます(お金を信用してないとも言える)。
まあ、冷めた話をすれば、巨大な予算と巨大な人数をかけた企画において、夢物語なホームラン狙いが抑制されるのは当たり前の話です。バブル期のゲーム業界とか、アメリカンドリーム次代のハリウッドが異常だっただけで、億超えの規模動かしてれば慎重な方が当然です。
ライトノベルとアニメの相性が良いのはそこで、ライトノベルは個人制作でそれはつまりかかった予算が非常に小さいジャンルです。予算が非常に小さいということそのものが直接関係するわけではなくて、そういう個人制作小規模ジャンルであれば、(ある意味非常に無謀な)挑戦ができるということだからです。
他にも色々触れるべき点は有るかもしれないけれど、暇なので書いてみた「アニメの制作フローにQCのヒントが有るのでは?」に対してのお返事でした。思いつくままに適当に書いたので誤字脱字とか、文章の乱れとかあったらごめんなさい。
「ドライブに行かないか?」と僕は言った。「ウホウホ」とゴリラと言った。
海を見たことがないゴリラのために、僕は海岸沿いの景色のよい道を選んで運転した。ゴリラは「ウホウホ」と無邪気そうに喜んだ。
しばらくしてゴリラはバナナを僕によこした。一緒に食べよう、ということだ。ドライブしながら食べるバナナは、いつもより甘く、ほとんどバナナとは思えないほど美味しかった。
僕たちは食べ終えたバナナの皮をあたりかまわず窓から放り投げて、ドライブを続けた。
しばらくして、トウモロコシ畑を襲撃するイナゴの群れのように、夥しいパトカーが僕たちの車に近づいてきた。
停車した僕たちを取り囲んだパトカーのスピーカーから「手を上げて今すぐ車から出てきなさい」と声がした。警察官たちはひとり残らず銃をこちら側に向けていた。
やれやれ、仕方なく僕が車から降りると、一人の警官が「危ないからそこを離れなさい」と叫んだ。彼の銃口は車内のゴリラに向けられていた。警官たちはゴリラを射殺するつもりなのだ。
僕は警官に顔を向けたまま「ここでおとなしく撃たれるよりは、いっそ逃げよう」ってゴリラに言った。
そう言い終えた途端、僕の体は宙に浮かび上がり、ヒルトンが神宮球場のスタンドに放つホームランのように、爽やかな午後の空に放物線を描いた。もちろんそれはゴリラが僕を持ち上げ、警察の包囲の外側へ投げ飛ばしたのだ。
着地すると同時に、警官たちの銃声とゴリラの咆哮が耳をつらぬいた。僕はどうすることも出来ず、必死に走り、その場から逃げだした。
それ以来、ゴリラの消息は分からなかった。僕は時折「あいつは無事に逃げられたのだろうか」と思いながら、それまでの生活に戻っていった。
ある日のこと、僕は新聞の地方欄の片隅に、こんな記事を見つける。「ゴリラ捕まる、処刑は今日」
僕が街の広場に着いた頃には、すでに群衆が断頭台とゴリラを取り囲んでいた。
人混みをかき分けてゴリラに近づこうとする僕とゴリラの目があった。ゴリラは驚いた顔をして「俺のことはいいから、早くここから立ち去れ」と目で合図をした。
「そんなことは出来ない」と僕は目で答えた。ゴリラが僕にしたように、僕も自分の命を投げ打ってでもゴリラを助けないといけない。絶対に助けないと。
けれどもそう思えば思うほど、僕はベトナムの沼地に踏み込んだアメリカ兵のように動けなくなった。百人の小人が両手をつかまえて、体を左右から引き裂いているような心持ちだった。
「だから」と、僕は彼女に言った。「僕はゴリラとドライブには行かないんだ。もうあんな目にはあいたくないからね」
「きっと楽しいけど、僕はゴリラとドライブに行ったらいけないんだ。そういう運命なんだよ」と僕は答えた。
「じゃあ、これから私とドライブするのはどうかしら?」と彼女は言った。「もちろん、ゴリラほどには楽しくないかも知れないけれど、そんな悲しい思いはしないと思うわ」
「悪くないね」と僕は言った。
アレとは、アレだ。
アレのことと思わせておいて、別のものだ、というけちな叙述トリックは使わない。
アレとは、男性諸氏がみな持っているアレだ。
僕のアレは、子どもだ。
一般の男がホームランバーだとしたら、僕のアレは、ボンボンアイスの抜け殻だ。
子どもの頃から成長することなく、このままになってしまった。当の子ども時分は、「大きくなったら、大きくなるんだ」と淡い期待に胸を膨らませていた。アレは膨らまなかった。
幸い、元気なときには平均サイズ弱になる。その時ばかりは、僕も大人だ、と背伸びをするかのようだ。実際伸びた。
しかし、ひとたび消沈すれば、あっという間に化けの皮が剥がれる。皮には包まれた。
中学の修学旅行ではこの大きさをからかわれ、以降、大浴場に入ることができなくなった。
十余年経ってようやく、誰も知り合いがいない場所か、心を許せる親友たちとならば大浴場に入れるようになった。それでも、移動時は常に前を隠すし、湯船に入る時もギリギリまでタオルを使う。
しかし、そこまででない知り合いがいる場所では未だに無理だ。他の友人や会社の同僚達から旅行に誘われることもあるが、何かと理由をつけて断ってきた。
アレの大きさは、自信の大きさに直結すると思う。
大浴場で堂々としてる人は、大体ご立派だ。揺るぎない自信があるのだろう。
僕は自信までも小さい。
直接的な比較はできないが、女性の胸部に対する感覚も似たようなものだろうか。
男と違って、着衣でも大きさがわかってしまう状態は辛いと思う。
着衣状態でも男のアレの大きさがわかってしまう世界を想像したら、死にたくなる。
今さら大きくなることは期待できない。このまま小さいアレと共に生涯を終えるのだろう。それが運命なら受け入れるまでだ。
僕はアレが小さい。