はてなキーワード: 酷似とは
こういうのってありえるの??
https://blogs.yahoo.co.jp/trico729 から抜粋
NTT西日本(本社)在職中、就業中や退社時に、近くに居ない人の
声が聞こえたり、周囲に人の気配を感じる事が多くなりました。
そのうち帰宅後も自宅にて、私を監視する人の声が脳内で聞こえる日々が続き、
インターネットの切断や、不可解なスイッチや楽器の音や光を感じ、
海外では、「remote neural monitoring」、日本では
「テクノロジー犯罪」「エレクトリックハラスメント」「思考盗聴」
「マインドリーディング」「マイクロ波(電磁波)可聴効果」等と呼ばれ、
遠隔から無作為に選んだ人物に対して、電磁波(その他の技術併用)を
頭部中心に照射し、脳信号(電気信号)を通信衛星にて送受信する技術を用いられ、
国家だけでなく世界規模の脳情報通信技術を応用したプロジェクトである
本件について、公安調査庁へ公益通報を検討し、悩んでいると、なぜか、
脳内でその通報を実行するよう促し、また、自身が公安調査庁関係者であるような発言も聞こえ、
徹夜で書類を書き上げ、タクシーで郵便局へ持ち込むまで、会話が途切れること
はありませんでした。
その後、人体実験は激化し、心臓に強い痛みを送信され、体が激しく痙攣し、
生活すべてを監視し、侮辱し辱める言葉を根拠もなく一方的に浴びせられ、
精神的な迫害と激痛に苦しみながら一睡もさせない拷問を受けました。
この苛烈な人体実験は2017年夏ごろから唐突に始まり、NTTグループが依頼受託した、
私を被験者に選び、非同意の人体実験を行っていると、脳内の声の
一部の協力者(本件を知る政府と民間企業)を通じて知りました。
当初は、脳情報通信技術に関する研究所に勤務している者が加害者と
判断され、具体的な実験項目内容や研究者を指揮する者の話が聞こえました。
また、「インフォームドコンセントが無い」事に気付き、
狼狽するような会話も聞こえましたが、一部静止する言葉が漏れ聞こえた時があったものの
人体実験は止まず、技術の詳細が分からず、決定的な防御法が見つからないまま、
自宅より重厚な建物のホテルへ逃走し、苦しみながらもなんとか命を繋ぎ留めました。
確かに、苛烈な人体実験に突入したころは、脳内に聞こえる声のものが
NTT西日本勤務時に会った人を名乗り、その声も話し方も酷似していました。
しかし、私の脳情報の多くが傍受できるというこの脳情報通信は、
過去の記憶も読み取れると人体実験の最中に気づいた為、本人らの関与が
事実あるのか、確証はありません。念のため、NTT西日本本社や、その社内問題に
取り組む鳥飼合同法律事務所に問い合わせてみたところ、前者は非常識で
不可解な対応をされ(同社社員の個人情報についてはお答えすることが出来ない)
後者は、時間を要するという回答のもと、半年以上も無回答とされています。
そのほか、考えられうる限り、本件を知りうるまたは関係が疑われると思われる機関へ
問い合わせたところ、完全に否定するところは一度としてなく、無視、もしくは、示唆、
または、別の機関への問い合わせを促されました。
また、一部の者(3名)は、断定できないが、そういった人体実験が存在するという話は、
聞いているという情報ももたらされました。(事情により人物は非公表)
私への人体実験は、時間を追うごとに複雑で苛烈になり、24時間、暇なく続けられます。
2、もしくは3交代制で実施されているらしく、
起きている間は、人が入れ替わり現れ、始終いとまなく、意味のない言葉をひたすら
話しかけられます。一部、特殊な専門性を要する熟練した技術の扱い方を感じ(攻撃・治療他)
組織の上級職、または知識階級のものも現れますが、話したいことを一方的に話し、
すぐに消えます。
人体実験は、通信衛星を少なからず使用しており、情報傍受・操作(電磁波照射による操作)、
量子レーザービーム、電磁波落雷(テンペスト)、亜空間移送他だと言われます。
おそらく非公式ながら、軍事・諜報・防衛目的の国費を投じた研究だと推察されますが、
実際は、非同意非合法であるに似つかわしい、非倫理的・非人道的内容であり、
国内では内閣府の各行政省庁の協力体制により、司法関係や警視庁までも取り込み、
生活環境の物品の強奪と破壊、周囲の人間に脳潜入し行動と思考を操作し(集団ストーカー含む)、
失業に追い込む、裏の戸籍を含むあらゆる個人情報の詐取、衛星で裸の女性の裸体を撮影し
加工しデータベースを作成する、公共の電子端末の操作(株式・預金高他)、
強姦や精神・人格破壊・暴行といった究極の犯罪のプロデュースにより、あらゆる欲の限りを
尽くし、世襲制や、関係する既得権益者、嗜好が似通った同族のみで継続するシステムを
半年以上継続され、私が受けている被害がなんであるか、一部気づくこともできました。
脳情報については、ほぼ完全に理解しているらしく、過去の記憶の多くも複製済みだとわかりました。
また、脳活動についても同様で、私が現在考えていることもかなり正確に理解し、
また私の感情や嗜好さえも制御出来、さらに脳が身体へ指令を出す神経伝達に関しても
完全に支配下に置けるらしく、体の動きや痛みさえもコントロールされました。
また、脳情報通信と併せて使用する、亜空間移送により、身体を破壊する軍事兵器
(ICチップや神経物質の入ったサージ、コンデンサー、神経圧着素子、神経線維ネット他)
も体内にインプラントされ、一定の効果を確認したのち、亜空間移送により取り除いているようでした。
削除は、私が気づくように身体の電磁界を強化されながら行い、
本来なら無痛で取り除けるところを痛みと苦しみを味併せながら
さらに膿をうませ組織を壊疽させながら実行されました。ひどい体調不良に陥り、
ほとんど眠れず、風呂や食事についても指示をされ、人としての生活は全く出来ない日々が
続きます。また、性暴行とともに精子を子宮に送るという話を散々され、性器が突然濡れることが
何百回もあり、性的感覚の送信も脳操作により、何度も行われました。
2017年10月頃に一旦終了をしたかと思えましたが、脳内の声は、そのうち、惑星外生命体による
勢力の話に及び、彼らが倫理観の高い高等な種族であり圧倒的な武力を要する為、
国連安保理決議で採択されたこの世界規模の人体実験を終わらざるを得なくなったという
話に至ります。事実、被害を受けている内容だけでも、あまりに非現実的であり、到底
信じがたいですが、その後、人類の歴史の話にも及び、日本国内の天皇制の歴史と
その配下である皇族(ヤヒヨリソウ他四氏族)が地球外生命体の関与があり、
GHQ支配下から先進科学技術を応用した異常な性暴行が、対面においても、また
遠隔からの脳操作他によっても横行したという話を再三聞かされました。
また、私への人体実験は、NTT西日本勤務時に開始されたわけではなく
"世界樹の種"プロジェクト(組織名も同名,Seeds of World Tree)の
被験者として登録されたことに、端を発するという話に居たり、その後、
DARPA他の世界の脳情報通信技術研究機関と内閣府が合同で通信衛星、エシュロンを
使用した遠隔からの様々な人体実験(脳や生体への関与)を行うにことになったといいます。
私への人体実験に関しては、少しづつ正確な情報らしきものを、話すことが増えてきましたが、
現在も、私を監視攻撃する脳内に聞こえる声の様々な立場の者は、それぞれに
よくわからないことも多く、知らされていない、調べるとあしがつくので、
自分達も立ち入らないという話もします そもそも興味がないという者も多数おり、
実行者はかなりの下部組織へ委託されており、表の内閣府からはかなり遠ざけられた存在
このブログは、
日常生活を送る一般人に対して、多くは無差別的に非同意のもと、
通信衛星やあらゆる先進科学技術を用い、遠隔から頭部に電磁波等を照射し、
脳情報を含む生体情報信号を送受信(操作)し、死に到らしめる人体実験を行っている
事実を公表する為、命の保障の無い日々と、その告発活動の記録です。
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更新:
「公安調査庁に所属する諜報部員と脳科学情報通信研究者」を含む3名です。
TRPGパラノイアとそのルール解釈宗教論争で揉めてる話です。
まず自己紹介をすると僕は生粋ではないにしろTRPGが好きでパラノイアはTS版の出る前の第2版の頃から知っているプレイヤーです。いきなり専門用語を出しましたが最後まで読めばわかります(です・ます調はここまで)
僕の好きなTRPG(テーブルトークロールプレイングゲーム・平たく言うと卓を囲んで冒険のごっこ遊びをするゲーム)に「パラノイア」と題された米国生まれの人気タイトルがある。
TRPGファン界隈ではとても有名なゲームシステムで、その秘密は1980年代当時の本国・米国を皮肉ったゲームデザインにある。
このゲームを説明すると、自然物が排除され全てがコンピューターに管理された封建主義の巨大施設で暮らす国民が、自国内で発生したトラブルを解決するSFゲームだ。
面白いところはPC(プレイヤーキャラクター)は施設で産まれ育ち自然界を知らない設定なので、例えばゲーム中に外の世界に任務に行き木を見かけることがあったとして「あの木で休もう」などと発言すれば、「木とはなんですか? 貴方はなぜそれを知っている?」と仲間に言及され、略式処刑されるシステムにある。
またPC達は皆、与えられた任務とは別の反逆的な思想を持たされており、任務を邪魔するような役割を与えられていたりして達成できないことがままある。もし妨害していることが明らかにされると、それも処刑対象だ。しかしPC達にはクローンが数体用意されているため中途で死んでも記憶をコピーされ冒険に復帰できる。
パラノイアのコンセプトは間違いなくPvP(参加者同士の戦い)である。
通常のゲームではGM(ゲームマスター)の用意した邪悪な竜をPCが協力して倒すがパラノイアはPCをPCが倒す。ルールブックにもそう書かれ推奨されている。人気タイトル故に版がいくつもあるが、少なくともこのゲームを有名にした第2版ではそうであった。当時のベテランTRPGプレイヤーもやはりパラノイアをプレイする以上は仲間同士で争っていた。
そして、このことがいまファン内で論争を招いている。もはや宗教論争といっていい。卓内で宗派の違う者を歯に衣着せぬ言い方でボロクソに言っている。僕はそれをとても虚しく思う。
ややこしい話だが、パラノイアは版がいくつもあるばかりかシステムの応用版も公式から出ており、それらのファンである程度住み分けが出来ている。それらの説明は割愛し、今回趣旨としたい大きな宗派は主に「第2版属派」と「TS(トラブルシューターズ)派」に絞る。
この2つはイスラムの2大宗派と酷似し、源流は同じにも関わらずそれぞれが独自に文化を形成している。
前者を「属派」としたのはこれがまたややこしい話だが、肝なのでしっかり説明する。少し歴史の話になる。
現在、正統第2版派はほぼ死滅している。これで遊んでいるサークルはTRPG界でも深みにいる層だ。30年も前の版だから当然かもしれないが。
故に第2版は現在から10年ほど前に無料で有志(と呼ぶと怒られそうだが)によってウェブ上に少し改変されたものが公開された。それをもとに、いわゆるゆっくり音声などで実況したセッション動画が投稿され、その斬新なゲーム性から人気を博した。
だからもう大変なことになっている。なにがっていえば、まず前者の主なファンは動画サイトに在住したTRPGに触れたことのない者が多いことだ。そして、後者は根っからのTRPGファンである。
TRPGというのはGMが裁量権を握るもので、サッカーを例に出せばラインを越えればどちらのスローインかというジャッジもGMの仕事だ。
しかし、愚かながらパラノイアにおいてはゴールのラインを明らかに越えてもGMが面白くなければノーゴールとしてよい。ルールブックにもそう書かれている。
そのルールに則った文化が醸成された結果、動画では派手な爆発が好まれ、必要以上に略式処刑を繰り返すものが多く、パラノイアを初めて動画で知った者は仲間を爆破すればいいのだと刷り込まれる。そして、さあやるぞとルールブックを買う。
次の問題は、現在ルールブックはTSしか販売されていないことだ。そうなってくると、パラノイアをプレイしようとした生粋のTRPGファンの間に爆破プレイヤーが流入してくる。そして、セッションが荒れる。するとTS派は初めて怒りを覚える。「あいつらのせいで面白くない」これは実際にTS派が言っていた言葉だ。
今度は私達の番だといわんばかりにTS派はなんとPvP否定に傾倒していく。なんと他のTRPGと同じ様に、真面目に任務を遂行する文化が出来始めたのだ。
そして、TS派の重鎮が「第2版属派のはパラノイアではない」と新規TSプレイヤーに呼びかける。こうして2つの宗派は思想が離れた。
実のところ、TSのルールブックにもPvPを推奨はある。僕はあると思っている。しかしTS派のある重鎮は「いや、どこにも書いてない」と言う。
これはどちらが正しいということはなくて、どちらでも解釈できる書かれ方をしているためだ。宗教を例に出した理由がここでようやくわかっていただけると思う。
ルールブック(聖典)の解釈を巡り対立構図ができているのだ。TS派の中にもPvP肯定派がいたり、属派の中にそもそも派閥を意識していない者がいたりなどの点もまたリアルである。
先に述べたとおり、TRPG、ことパラノイアはGMの裁量次第のゲームなので、GMがPvP否定ならばゲームはそうなり逆も然り。
その時は途中で脱退するわけにもいかずとても窮屈な時間を過ごさせられる。
ゲームデザイナーは普遍的なSF・TRPGのデザインに辟易してギャグで仲間内で楽しく盛り上がることのできるゲームとしてパラノイアをつくったといわれているのだが、昨今のこのプレイヤー状況はどうにかならないものだろうか。
作品酷似 〝金魚電話ボックス〟巡り 山本さん(田人町)民事訴訟も検討 « いわき民報公式ホームページ http://www.iwaki-minpo.co.jp/iwaki-city-news/%E4%BD%9C%E5%93%81%E9%85%B7%E4%BC%BC-%E3%80%9D%E9%87%91%E9%AD%9A%E9%9B%BB%E8%A9%B1%E3%83%9C%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%80%9F%E5%B7%A1%E3%82%8A-%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E3%81%95%E3%82%93%EF%BC%88%E7%94%B0.html
やりがい搾取どころじゃなかった - 泣きやむまで 泣くといい
やりがい搾取される「子どもの貧困対策」 - 泣きやむまで 泣くといい
多くの共感があることから反発があるかもですが、結論から言うと私が直面している問題は助成金詐欺ではないかと思います
私が関わっているのが上記の団体と関連性があるかは分かりませんが、どうやら助成金詐欺の手口としてノウハウが一部で共有されているのはというのがこちらの見解です
・ジングルマザーや障害を抱えるお子さんのいる家庭の人がネット等を使って知り合いになり一箇所に集まる
・実際に集まってるならいい方で、実態はそれぞれの家でいつも通り自分の子供の世話をしているだけ
金魚で有名な奈良県大和郡山市の「金魚の電話ボックス」について、大和郡山お城まつり終了後の4月9日以降に撤去されることがわかった。
福島県在住の現代美術作家・山本伸樹氏の作品とそっくりであると各方面から指摘されていた大和郡山の金魚電話ボックス。4月9日に撤去されることになったそうです。設置場所の K COFFEEの森和也さんに確認しました。
大和郡山のお城祭りは4月8日まで開催されます。それが終了してからとの配慮で、4月9日の撤去となる模様です。みなさま、お城祭りに行かれたら、最期にぜひひと目、見てください!
撤去されるのは、京都造形芸術大学の銅金裕司教授と1回生6名からなる金魚部が水都大阪フェス2011で「テレ金」として発表したもので、イオンモール大和郡山、第52回大和郡山お城まつりでも展示された後、部材を譲り受けた街おこし団体のK-Pool Projectが第53回大和郡山お城まつりで「テレ金2013」として再度展示。さらに、金魚の会がアートイベント「HANARART 2013」で柳町商店街に出展したことをきっかけに、現在は同商店街のカフェ「K COFFEE」が管理している。
いまでは観光名所となっているこの金魚の電話ボックスだが、現代美術作家の山本伸樹さんが1998年に発表した「メッセージ」に酷似しており、これまで山本さんが抗議し続けていた。
1、京都造形芸術大の「金魚部」が2011年に私の作品と同じものを作り、大阪キャンバスに入選して、出品し、2012年には私の指摘で、それを認め、出品を辞退し、活動を休止した。
2、それによって放置されていた、作品の部品を譲り受けた、「金魚会」という別なグループが、私の作品を知りながら、それを使って新たに私の作品と同じものを制作し、2013年に奈良・町家HANARART2013に出品した。
3、私の指摘にも関わらず、その後2014年まで常設として設置し続けた。
https://www.facebook.com/nobuki.yamamoto.5/posts/602183623243317
https://www.facebook.com/nobuki.yamamoto.5/posts/603658743095805
https://www.facebook.com/nobuki.yamamoto.5/posts/604104109717935
2017年2月以降ようやく話し合いの場が設けられ、山本さん、K-Pool 、K COFFEE、郡山柳町商店街協同組合理事長の間で「金魚電話ボックスが、山本伸樹の著作物であると認めること」「オリジナル作品である緑の電話機への付け替えを認めること」「山本伸樹は著作権使用料や慰謝料、付け替え費用を請求しないこと」で一度は合意しかけ、2017年8月21日には「柳町商店街協同組合と山本伸樹のコラボレーション作品」と明示されるようになったが、郡山柳町商店街協同組合の理事会では一転合意しないことが決定。結局撤去という形で幕引きを図ることとなった。
山本氏は「いままでもこれからも、著作物使用料は一切もらわないから、せめて著作権を認めてほしい。オリジナルの緑の電話に付け替えさせてほしい」とほぼ1年前から商店街に申し出ていました。緑の電話への付け替えも自腹とのことでしたが、地元商店街の結論は「撤去」でした。大変残念なことです。
回 答 書
前略、当方は、通知人郡山柳町商店街協同組合の代理人として、貴殿の平成29年12月28日付発送の内容証明郵便に対し,以下のとおり回答します。
通知人は、本件「金魚電話ボックス」が貴殿の著作権を侵害しているとは認識しておりませんが、紛争発生の経緯および現状に鑑み、当該「金魚電話ボックス」を撤去する旨を今般決定しましたので、その旨ご連絡します。
平成30年3月28日
この記事は全国にわずか数万人しかいない医学生向け、それも次年度から5回生となる人にしか分からない内容だと思う。
でも心底むかつくことがあったから書き残しておく。
医師国家試験対策には、恐らく90%以上の人はメディックメディアという会社(医学教育で現在最大手)が出版している『クエスチョンバンク』通称『QB』なる過去問集を買うことになる。
だがこの過去問集、とんでもなく量が多く、vol.1~5という分冊になっていて、しかも1つが1万円以上する凄まじい代物だ。
(正確には6と7もあるが、今回の話には関係ないので触れないでおく)
QBには『QBオンライン』というサービスがあり、これはその名の通りQBの内容をオンラインで使うことができるものだ。
機能は多彩で、
・解いた際に〇、×、△などをつけられる
など書籍ではできないことも一部出来るようになっている。
ここで重要な話があり、『QBオンライン』はQBのvol.1~vol.5を全て購入し付属のシリアルコード5つを入力しなければ使えなかった(2018年2月時点)。
そう、使えなかった。これが今回の話の肝である。
では、ことの顛末を記していこう。
時は2017年の秋。私の大学でQBの共同購入の話が舞い込んできた。
『実習国試応援キャンペーン』(https://www.youtube.com/watch?v=GLSE869iY54&feature=youtu.be)
・QB vol.1~5
・year note(国試対策定番の参考書。これもなんと24,000円する)
をセットで予約すると特典として
・電子書籍版year note(12,000円)が無料かつ申し込み後即利用可能
・生協の好意で普段の10%オフが15%オフになり、3000円の商品券も付く
というキャンペーンであった。
当時は、
「まあどうせ全部買わないとオンライン使えないしなぁ」
「もし後で新品買うことになったら割引分の7000円ほど損だしなぁ」
ここで罠があったのだが、先述のように申し込み後即サービスが利用可能になってしまうという仕様上、
であったのだ。しかも、国試対策委員から流れてきたLINEにはこの事実が書いていなかったため、完全に頭から抜けていた。
そして時は流れ2018年3月。QBの発売を目前にしてとんでもないQBオンラインの仕様変更のニュースが流れてきた。その内容は
・シリアルを1つでも登録すれば、全問題の閲覧・演習(各種便利機能も)+登録した巻の解説の閲覧が可能に
・シリアルを登録しなくても全問題の閲覧・演習が可能(各種便利機能は制限)
……………………………は?ちょっと待て、おいおい。本気か?
ならばなぜ5冊セットで予約を強要させた?
この情報があらかじめ分かっていたら苦手な科目だけ買うとか、そういうことを考える余地もできたんですけど?
(それと同時に色々調べてみたら、医師国家試験過去問データベースなるQBオンラインと酷似したサービスが完全無料で使えることに気づいたのはかなり効いた)
(そもそも医師国家試験の過去問自体は厚生労働省が解答とともに公開していることは知っていた)
(最近になって、1年前とか2年前のQB買えば10000円ほどで揃えられることを考慮したもののキャンセル不可能ということに気づいていなくて不毛な悩みだった)
結局自分が情弱というか、自分が本当にオンラインのサービスを使いたいかどうかを悩まなかったのが今回の痛い失敗の原因ではある。
80,000円近い買い物で、予約〆切後発売間近になってここまで大幅なサービスの仕様変更(しかもキャンセル不可能である)は普通あり得ない。
このタイミングでQBを買う顧客が全国合わせてもせいぜい10,000人ほどしかいないからこそ問題にならないのであって、もしこれがもっと違うポピュラーな業界(はれのひ騒動なども記憶に新しい)で起こったならば、大きな火種になりうると思われる。
確かに結局オンラインのサービスを完全に利用するためには全てを購入することになるだろう。
ただ問題なのは、この新しい仕様を知った状態なら異なる選択肢が考慮されただろう、ということである。
「AとBとCという商品を全て購入したらDという便利なサービスを利用できます。更に今なら早期セット購入特典で割引になります」
からの、〆切後に
「AかBかCのどれかを購入すればDというサービスを一部利用できるようになりました。あ、でも今さら予約キャンセルはやめてね?」
って、やばない?
という話。
女子をストーカー男が監禁して結婚の約束をする話題の漫画を読んだ。
もうちょっと書く。
この作品が叩かれてるのは言うまでもなく「朝霞の誘拐事件で被害者叩きしてた連中の言い分をそのままなぞっているから」で、
擁護派の言い分は大きく二つ。
(擁護派同士で殴りあえばいいのに。結局関係あるのかないのか)
関係してないわけねーだろ。事件のあとにあの設定でニュース見てないわけねーーだろ。
百万歩譲ってニュースもツイッターも2chも見てないで、朝霞の事件のこと全く知らずにあの漫画書いたとして(発表ツイッターだけど)、
漫画の発表の数ヵ月前に酷似した事件が起きてると知ってノーリアクションなのおかしいだろ。
フィクションでーす、って言い張ればなんでも許されると図々しく思ってるからしれっと描き続けてるんだろうが。
で、後者について。
「時間が経過していたらいいのか」
「関係者が没していればいいのか」
たとえば東京大空襲や原爆を粗雑に描かれたら、やっぱり怒るだろう。
と、考えると、やはり問題はあの作品がむちゃくちゃ薄っぺらくてつまらないことに尽きるのではないか。
つまらないというのは、つまり、物語に厚みがなく熟慮されていないということだ。
誘拐によるストックホルム症候群であっても、
ストーカーにならざるを得なかった男と少女の共依存であっても、
たとえ「正しくない」内容であっても面白いはずだ。
「正しくない」人間を描いても魅力的なはずだ。
描く対象に、真摯に向かい合った作品ならば、正しくなくても面白い。
そして、そこに至るまで考え抜かれたストーリーは、
クソしかいない世界で、比較的クソではない誘拐犯と少女が微笑み合う。
そこになんの真摯さも感じられない。
感じられるのは「だからこの誘拐犯は悪くないんだよ~」という言い訳がましさばかりだ。
と、書くと、「それはお前の主観だろうが!」「面白い面白くないは誰が決めるんですかー!」と言いにくる奴はいるだろうけど
そしてこれは優れていない作品だ。
それはもう断言して構わないだろう。
つまり、「中学生くらいの女子をうっとりさせる」という点においては
それは理解できる。
「面白さ」とは別ベクトルで、金を出させるに値する価値だと思う。
砂糖をぶちこめば甘くなり、甘いものを食べたい人にとっては価値がある
みたいなことで、
それは軽薄な単なる「消費」ではあるが、サブカルチャーとして正しい姿勢でもある。
だが。
しかし、この作品に限っては、前述の「朝霞の事件に関係していないわけがない」からこそ、
その軽薄な「消費」に巻き込んではいけない。
ごく真剣に、誘拐犯と少女のことを考えに考え抜いた「面白い」作品ならば、
それを考える間に、実在少女の心情に、家族に思いが至るだろう。
その上で苦渋の取捨選択をした上でストーリーが組み立てられるだろう。
そこに真摯さがあれば、いたずらに誰かを傷つける作品にはならず
仮に誰かの傷に触れたとしても、その批判を作品として真正面から受け止めるだろう。
しかし実際にはこの作品は単なる萌え要素をぶちこんだ消費でしかないから、
つまらないし、フィクションだと言い張って逃げるし、批判を正面から受け止めることができない。
人を傷つけてまでやることか。これが。
私が毎日通っているスポーツジムにいるインストラクターのお姉さん
こういうお姉さんになりたいなって、いつも思ってる。
Instagramでも相互フォローしてて、コミュニケーションとってる。
そいつが、ある名前を連投していた。その名前を見てインストラクターのお姉さんは真っ青に。
すぐ配信は止められた。
釣られてはいけない、と思いながら連投された名前で検索してしまった。
そこにあったのはインストラクターのお姉さん。
に、酷似した女性、いや、ほぼご本人と言っていいほど似ている女性のアダルトビデオだった。
どうやら、インストラクターになる前になん本か出演していたようで
ここまで追いかけてくるのは最低だと思う。
見てしまった私も同罪だ、
これを持ってる男は凄く多い。女にも高すぎる事をコンプレックスと思う人が居るが、比では無い。
身長コンプは凄く多い。ネットのような言い捨てが出来る場だとそれが特に顕著である。
例えばある例として
「180cm位はあるロシア人くらいのデカいおっさんに絡まれてなぁ」
という発言が出たとする。ベターなリアクションとしては「こわいね」等の共感だとか、その人物に対する対抗策だが書き記される事が多いが
「ほーん。俺と同じくらいやなぁ」という反応が見られる。
これは自分語り族として、一番に数が多い人種である。大柄である程度逸脱している人種に対する対抗心で
青年期に見られるマウンティングに非常に酷似している。他人が会話している時に聞いていないのに自分の武勇伝を語るような人種である。
また別の例として
172cmの成人男性が居たとする。平均値としては極めて信頼できる実績の元からなる数値であり
高くも低くもない。20~40才くらいの世代としてはフツーの背丈である。
それに対して「小せぇ!」と言う人が居る。
平均値から算出するに、その発言は観測者個人の主観であり 全体を通して見た人種としての発言ではない。
ソレを総意かのように主語を大きくして発言する人が居る。彼らは日本人の平均身長がオランダ人並かのような発言を繰り返す事が多い。
ちなみに平均値のピークは10年以上前の話で、現代の身長平均値は減少傾向にある。(今時の若者は大きい。は現在においては勘違い)
理路整然と突っ込んでも「俺は180cmやけど都会だと埋もれるデェ!」みたいな返事が返ってくる。眼球が口の横に着いていると計算が合うのでこれ以上は触れられない。
チン長はというと、多少事情が複雑になってくる。
チン長の平均値はソース元が不明瞭でイマイチ正しい平均値が測れないのである。(せいぜい10cm以下は小さいだろうし、18cm以上は大き目だろうか?これも目算でしかない)
チン長は身長に比べると更に不毛で、AVのスレや雑談スレなんかでゲリラ的に発生する事が多い。
「コイツちんこ小せぇなぁ」「普通だろう」「15cmだって!ワイは20cmや!小せぇなぁ!」「黒人のがでかいぞ」etc...
平均値が定かではない上、国家間での格差が身長以上に広く、かつ体格からの想定もし辛い為非常にカオスな事となる。不毛極まりない。
これらは小さき者のみが抱えているものではない、大きい者も独自の拗らせをしていて
乱文失礼します。
男子フィギュアスケート日本代表選手の皆様、おめでとうございます。私も氷上の踊りを見るのは大好きなのです。心から祝福させて下さい。
でも私は世間に対してちょっと気に食わないことがあります。「羽生選手も宇野選手もゲームやアニメが好き」「宇野選手はガチゲーマー、携帯ゲームでは課金も」という報道です。どこか、まとめサイトかニュースサイトだったと思うのですが、はっきり覚えてなくてごめんなさい。
私は宇野選手が「ゲーマー」「ガチゲーマー」と読んで心が踊りました。私も生粋のゲーム好きでしたから。
しかし宇野選手が遊んでいるゲームとして挙げられたのは「ベイングローリー」「シャドウバース」「荒野行動」と言ったスマホゲーム。私はこれらを見てちょっと落胆してしまいました。その記事に「携帯ゲーム『では』」と書いてあっただけにスマホゲームしか紹介されていなかったのもえ〜っ…てなります。
まず「ベイングローリー」はMOBAと呼ばれるジャンルの戦略シミュレーションゲームアプリで、競技性の高さが人気のいいゲームなのですがスマートフォン向けということで少しだけカジュアルな作りになっています。というのも元々MOBAはパソコン発のジャンルであり、基本的に画面の小さなスマホでパソコンゲームのフォロワータイトルを開発しようにも少しずつ要素をオミットすることが必要なのです。実際ベイングローリーは人気PCゲーム「LOL」「DOTA2」に似ている面もあり、どうせ「ガチ」ならPCゲームを挙げて欲しかったです。ベイングローリーは確かに良いゲームですが、スマートフォン向けのゲームで「ガチ」などとまるでコアゲーマーであるかのように報道されるのには疑問符が付きます。まあ「もっと本格的なゲームが、素晴らしいものがあるから注目してほしい」という感情的なものからでた言葉に過ぎませんが。
また「荒野行動」。これは2017年に空前絶後の大ヒットを記録したPC/TVゲーム「PUBG」のフォロワーです。「PUBG」は「100人で撃ち合い、残った一人が優勝」という、ゲームとしては本当に面白いルールの銃撃戦ゲームなのですが、中国のスマホアプリ「荒野行動」はこれをパクったものです。ゲーム性はもちろんのことグラフィックやインターフェースまで酷似している完璧な丸パクリゲームなのですが、スマホゲーマーには馴染みの薄い銃撃戦ゲームということ、スペックの低い端末でも動作するということ、そもそもスマホゲームプレイヤーはPCゲームなど知らないということなどが重なりこちらも日本で大ヒット。「荒野行動」は今一番流行っているアプリの1つなのではないでしょうか。
私も「荒野行動」を遊んでみたのですが、やはり「PUBG」のパクリだけあって面白いです。
ただPUBGは実写映画顔負けのグラフィックだったのに対して荒野行動はハリボテ感満載の「これ10年は前のゲームだよね…」という…
またスマホゲームということで指で画面が隠れて没入感や競技性、操作性は低くなっているし、やはり「荒野行動」は「本格!ガチ!」と騒がれるのは違うかな…と思いました。それに中国の十八番、パクリですよ。なのに擁護する日本人が多くいるのは驚きです。中国版ドラえもんなどは叩くのに、「荒野行動」は自分がやっているから叩かないのですね。都合が良すぎる。
いや、確かに宇野選手はゲーマーです。全然良いんですよ。ゲームを遊ばない方やスマホゲームしかしない方もたくさんいらっしゃるのは承知です。
ただスマホの(簡易的な)ゲームを遊んでいて硬派だ本格だ言われると、私の思う「本当のゲーム」、また「本当のゲームファン」が蔑ろにされている気がしてなりません。「ゲームといえばアプリ!」な時代になってきているのも分かります。アプリゲームもとても楽しいです。ただ、もっと素晴らしく、もっと文化的で、もっとたのしい、PCゲームを知ってほしい。「ニーアオートマタ」を知ってほしい。「風ノ旅ビト」を知ってほしい。「ゼルダの伝説ブレスオブザワイルド」を知ってほしい。
他の記事には負けず嫌い・ゲーム好きの象徴としてか「大乱闘スマッシュブラザーズ」や「モンスターハンター」関連のお話も載っていました。知らない人向けの記事っぽかったのですが、これらは100万本以上を売り上げる、かなりメジャーな、小学生も遊ぶようなゲームです。
ツイッター民「フィギュアスケート選手がモンハン好きのゲーマー!オタク歓喜だろ!」
いや…そうなのか?もし仮にあなたが「モンハン」「スマブラ」をやっているだけでドヤ顔して「ゲームオタク」を名乗るのであれば、今すぐにでも飛んでいって様々なゲームを買ってあげたいです。
もう1つ。宇野選手の「課金は強くなるための手段」と言う発言が話題になり、私含めスマホゲーム課金者はちょっと嬉しい気分になっていますね。ただそこには何があるのか?「携帯ゲームには課金も」とあたかも携帯ゲームに課金するのが特殊であるかのような見出しもありました。
アプリストアやSNSへの書き込みを見ていると「たかがゲームに1000円も払うか!w」「課金してないから○千円のアプリは高いよ、無料にして…」という意見が驚くほど多くあります。これはゲームを遊ぶ立場として、たとえ無課金だとしても書き込むべきことなのでしょうか?ましてや、開発者の目にも触れるであろうアプリストアレビュー欄に。
娯楽を享受するには基本的に生産者がいます。テレビやウェブサイトではそれを広告の形で、遊園地ならば入園料の形で、無料ゲームならば課金の形で。
ゲームというものは開発者が汗水垂らして徹夜で限られた時間とお金のなかプランニングし、プログラムを書き、音楽を作り、絵やアニメを描き、3Dグラフィックを作り、インターフェースを調整し、デバッグし、プロモーションし、…
たとえスマホゲームであれ開発者たちの魂がこもった作品であることは確かなのです。そしてそれを娯楽としてプレイヤーが享受しています。
それに対して「課金!?」と言うような書き方はアレやなあと思いました。
…また、正直「たかがゲーム」「無料にしてくれ」などは無礼極まりないと思います。
宇野選手の発言はある意味正しいです。そしてそれが我々課金者を盛り上げてくれています。ただの楽しい話です。
ただそれによってこれまでスマホゲームユーザーの多くが貫いてきた課金はしないという姿勢は少し目立ったと思ったのです。そのような考えの人には、ちょっと考えを改めてほしい。
無課金でもいい、楽しんでいるならいい。でもみんなを楽しませようと思って作ったものを「たかがゲーム」「無料にしろ」はやめてくれ。
この気持ち悪いオタクを装って書いた文章が何かの手違いで人に読まれ、フィギュアスケート選手やゲーム及びゲームファンのイメージダウンに繋がりませんように。
anond:20180211004603 の続き。
ラジオに出演した時のMCからはその作品傾向を「追い詰められて感情大爆発。号泣して、気がつく、みたいな。そのパターン多い」と評されていた。
【参考】
過激に盛り上げて泣かせ(感動させ)にくる作風であるのは間違いないだろう。わかりやすいのだろうとも思う。そして、そうした「感動商法」やそれを良い話として「子供に押し付ける」ことに嫌悪を示す人もいる。
【参考】
【参考】
「このママにきーめた!」は胎内記憶を持つ子供との会話から生まれたと当人も言及しており、その子供と出会った経緯には「胎内記憶教育協会」が関わっていると見られている。この組織では子どもたちが語る胎内記憶の調査研究に基づき、赤ちゃんや子どもたちと一緒につくった教育メソッドで、大人も子どもたちも共にしあわせになる「胎内記憶教育」(人生最初のお腹の中から始める教育法)」を推進しているそうである。
【参考】
なお、この組織の代表である池川明氏は一般財団法人「親学推進協会」の特別委員も務めてる。「親学」についてはその考えが「非科学的」として批判の声も多い。
【参考】
内閣府子ども・子育て支援制度「すくすくジャパン」に関わっているという情報があり、調べてみたところ、シンボルマークのイラストを描いているということだった。
【参考】
経緯は以下のようになっているが、スピリチュアルな傾向のある彼と政府とのつながりを懸念する声もちらほらあるようだ。
「総合評価方式により選定された代理店に複数案の作成を依頼。専門的な意見を聴くため、コピーライターのこやま淳子さん、シンガーソングライターの新沢としひこさん、アートディレクターの永井一史さん、子育て支援に取り組むNPO法人代表の松田妙子さんをメンバーとする検討委員会を開催。併せて幅広い意見を聴くため、一般の方を対象にした調査も実施。一般調査の結果等も踏まえ、検討委員会での議論を元に内閣府において決定。」
モバゲー版sideMの今のイベントの衣装があまりにも殺生丸すぎるという話なんですけど
最初は「ちょwwwおまwww殺生丸様wwwwwww」って思ったけど
見てるうちにモヤモヤしてきた
なんだよあれは
毎年成人式シーズンになると私と同世代の人が殺生丸様だーってキャッキャするのは恒例だけど
だからって許されると思った??
あまりにも、あまりにも酷い。酷似しすぎている。久米田や畑や椎名がパロディすることになってもここまで似せないだろうってくらい似ている
両肩に左右対称に平べったいもふもふのアレを掛ける成人式の着物ですら殺生丸って言われるのに
片方の肩に立体的なもふもふをモッファァって担いで背中まで伸びてるのは
殺生丸以外で見たことない、そもそも男キャラであんなもふもふ装備してるのあんま見たことない
硲さんなんか水色髪で眼鏡オフで長く伸びた爪を強調するようなポーズでお前!!!!!!
白を基調とした着物で紫が入ってるところとか袖の、なんていうんだあれ?振袖部分?袖のヒラヒラしたところだけ色が変わってるところとか片方だけの鎧とかあああああああ何もかも殺生丸様、偶然の一致では済まされない
すっっっっげえ堂々とパクってんなおい!!!!
鬼ならせめてラムちゃんにしろや!!!!!なぜ!!!!なぜ鬼でそうなる!!!!なぜ犬の妖怪が出てくる!!
夜桜温泉の時の牙崎漣も普段の銀髪金目&おさげに加え首まわりモフモフでなんかすげえるーみっく感あるなって思ったけど今回はあまりにもひでえ
まさか貴様、天下のアイマスに衣装丸パクして貰えるなんて相手も喜ぶだろwなどと思っていないだろうな
ふざけるなよ……ファンをギスらせることに余念のない地獄の弱小ジャンルsideMと留美子神を比べることすらおこがましいんだけど……余裕の格下だろ……
放送当時犬夜叉がどれだけ人気だったと思っているんだ……世界的にどれだけ人気があると思っているんだ……
留美子がどれだけのヒット作を世に生み出した天才漫画家だと……カメントツのインタビュー漫画見なかったのか……
留美子はコミックスでおまけ漫画やおまけコメントとか全然書かない人だしサンデーの巻末の質問コーナーでも淡々としてて
藤田和日郎ですらやってるツイッターもやってないし青山剛昌みたいにファンとの交流イベントもやらない
だからって
あいつは殴っても殴り返して来ない相手だからへーきへーきとか思ってるんじゃないだろうな……
sideM、アニメはつい最近トレパク騒動あったしモバの方もフォントの無断使用があったとかなんとか聞いたけど
好きな子のほとんどがセカライ組でただでさえずーっとガン萎えしてるのに
あ~~~~~クソ……担当に出会わなければこんなことには……会いたくなかった……でも会った以上完全に足を洗うことはできない……もう駄目だ……記憶を消したい……
少しでも気持の整理をしようと、今の自分の心情をこれから書き綴っていく。
衝動に任せて書き殴るので日本語としておかしな点や誤字脱字が多数あると思う。
ご容赦願いたい。
12月22日、我々V6ファンの耳にとある衝撃的なニュースが飛び込んできた。
本来は12月24日にファンの元へ届けられる筈だったその赤い封筒は、年末の混乱により起こったミスのため誤って一部のファンの元へ一足早く届いてしまったらしい。
赤紙かよ……。
TLに流れてきたその赤い封筒を目にした瞬間そう思った。そして胃が鷲づかみにされたかのようにギューッと痛んだ。私の信仰に重大な危機が訪れていると直感的に悟った。
いま現在、私は岡田くんの結婚に対して「悲しみ」と「恐怖」というの二つ感情を抱いている。
例外も多数あるが「アイドル」と呼ばれる彼ら彼女らは疑似恋愛の対象としてメディアの中で振る舞い、あるいはそう見えるように編集される。そしてこちらも例外多数だろうが、ファンも彼ら彼女らを疑似恋愛の対象として認識し、恋愛感情と酷似した感情を彼ら彼女らに抱くようになる。その感情がファンとアイドルとを結ぶ紐帯となる。「格好いいヤツならいくらでもいる でも俺にメロメロなんでしょ?」と言うフレーズは演者の技量に惹かれたのではなく演者に対し恋愛感情のような感情を抱きその感情を核に演者を応援する我々アイドルファンの特性を鋭く見抜いた非常に秀逸な物であると思う。
話を元に戻そう。
何を隠そう私も岡田准一に対して恋愛感情のような物を抱いていたファンの一人である。少なからず好きだった人が結婚した。だから悲しい。ただそれだけの話だ。
イノッチの時も長野くんの時も、同じような感情を抱いた。イノッチのは生で聞いてしまって当時中学生だった私はコンサート終わりに泣き崩れた。長野くんの時も長野担の友人に電話し二人してワンワン泣いた。下手に恋愛感情に近い感情を抱いてしまっていたため失恋した時のような心情になったし、それに加え大好きな人がやっと掴んだ幸せを手放しで喜べない自分自身に失望してしまって、涙が止まらなかった。
でもこの感情は泣けばある程度は落ち着かせる事が出来たし、気合いでどうにか既婚者萌えに開眼することが出来た。
だが今回、「悲しみ」に加え過去二回の結婚報告では抱かなかった「恐怖」という感情も自分の内からわき上がってきた。
もっと厳密に言うと「信仰をこれ以上続ける事が出来ないかも知れないという恐怖」だ。
今回の結婚はアレだ。その、えっと、色々あった。何が真実でそうでないかはわからないけど、色々あった。その「色々」の部分がもし真実であったら、もう私の中の倫理感ではどうしても受け入れられないのだ。「おめでとう」なんて言えないのだ。過去の「色々」が積み重なってきていて、今回の件で私の倫理観は完全に飽和してしまいそうなのだ。もう何もかも駄目になってしまいそうなのだ。
東山紀之さんは自分のファンに向け「僕達にふさわしいレディになってください」と言ったらしい。このエピソードを聞いた時、私もV6ファンにふさわしいファンにならなければならないと思った。V6のメンバーはトイレの張り紙よろしく「僕達のファンはマナーが良い」と言ってくれる。だから、彼らに迷惑をかけないために、彼らが誇れるファンになるために、常識を倫理を道徳を身に付けよう常に心がけていた。
でも今はその常識や倫理や道徳が私を苦しめる。彼らの為に身に付けたいと思った物が彼らの一部を否定する。この相克がたまらなく苦しい。辛い。しんどい。
私はカウコンに当選した。他の5人はカウコンで、あるいはその他の場所ででも、この結婚について言及するのだろうか?この結婚を祝うのだろうか?その瞬間を見るのが怖い。自分が疑いの目を向けている物を祝福している彼らを見るのが怖い。私を明るい方向に導いてくれた存在が穢れてしまうように感じる。何もかも信じられなくなる。その瞬間、私の信仰は破綻してしまうように思う。
「いや、不倫が事実かわからんやん」と自分にここ数年何度も何度も言い聞かせようとした。でも無理だった。2015年から交際し始めたと信じたい。あるいはそれが嘘であったとしても気にしないでいられるような人間になりたい。どうしてこんな簡単なことが出来ないのだろう。二十歳も過ぎたいい大人が。ジャニオタって私にはむいていない趣味なのだろうかとここ最近考えるようになった。
本当にこんなファンでごめんな。
坂本くん、長野くん、イノッチ、剛くん、健くん、そして岡田くん、本当にごめん。
マジで今どうすりゃ良いのかわからん。祝いたい。のに、祝えない。「この世には事実など存在せず、ただ解釈のみがある」と何度も自分に言い聞かせてるんだ。でも駄目なんだ。都合の良い解釈すら出来ないんだ。
貴方達が大好きなのに貴方達の全てを信じて受け入れる事が出来ない。
本当にどうしてこんな人間のくせしてジャニオタになんかなっちまったんだ。自分で「夢」を見る才能のない人間はジャニオタになんかなるべきではなかったのだ。足を踏み入れるべきでなかった。
とりあえずあともう一回がんばってみる。
無理だったらもうオタ卒しようかと思う。
潮時だと思うから。
追記
今回わざわざ私が自分の胸の内を公開したのは、第三者からの忌憚のない意見を聞いてみたかったからです。お心遣いありがとうございます。
それと私は確かに恋愛感情に似たような感情をアイドルに対して抱いてはいるけど、アイドルと付き合いたい、結婚したいとは思わないんですよね…。V6の中で一番好きなメンバーは三宅くんなんですけど、一番結婚したくないメンバーも三宅くんです。まあ、そもそも私のような人間は相手の方からお断りでしょうが。
あと認知もされたくはないなあ。ジャニーズ以外にも様々な男性アイドルグループが林立する中、わざわざジャニーズを選んで応援しているのは単に彼らと私達とを隔てる一定の距離感が私の肌に合っているからなんですよね。
私にとって「夢を見る」ということは「人間関係を築く上でどうしても付きまとう煩わしさから解放されながらも、人間関係を築く事で得られる充足感を得られる」ことを指します。良いとこ取りをしたい訳です。
恋人もいますし、友人にも仕事仲間にも恵まれている方だと思います。でも、彼氏にしろ友人にしろ仕事仲間にしろ、人間関係が密になればなるほど得られる情緒的な満足感も増しますが同時に様々な煩わしさも出て来ます。特に今は閉鎖的なコミュニティの中に身を置かねばならない状況なので、とにかく波風立てぬよう一挙手一投足に細心の注意を払っています。
アイドルから「顔や名前を覚えられる」ということは、この煩わしさの中に自分とアイドルとの関係を放り込むことだと思います。関係が密になるほど気を遣わなければならない部分が増えてくるから。
そんな物を感じたくないから距離感のあるアイドルを好きになったのです。繰り返しになりますが、V6で一番好きなのは三宅くんだけど一番結婚したくないのも三宅くんです。でも、そんな相手も適切な距離感さえあれば好きになれる。距離があるからこそ安心して課金ができるんです。
あと「アイドルの結婚が受け入れられない」っていうのは違うんですよね。そりゃイノッチの時も長野くんの時も最初は号泣しましたが、その翌日くらいには井ノ原快彦(既婚)長野博(既婚)という字面にめちゃくちゃ萌え始めましたし、「大好きな人が幸せを掴めたんだなあ」と嬉しく思いました。たまーーーーーにポロッと漏れ聞こえる彼らが幸せに暮らしてるっぽいエピソードとか子供と遊んでるっぽいエピソードとか大好物です。なんていいうか、すごくホッとする。「良かったなあ」って思う。瀬戸朝香さんも白石美帆さんも宮沢りえさんも本当に大好きです。苦しみの先には新たな萌えが待っていました。
「お相手が受け入れられない」ってのも違います。「お相手だけでなくこの結婚に関わる物すべてが白々しくみえてきて、信仰の対象の輝きすら失せてしまいそう」「色々なものを黙殺してきてどうにか守ってきた『好き』という感情がこれを機に瓦解するのが怖い」「もうこれ以上、色々なものをスルーすることができそうにない」「好きなアイドルの潔白を信じることができないのが辛いしそんな自分に嫌悪感を抱いている」のです。今回の結婚は単なる引き金にしか過ぎません。今まで色々と蓄積されてきてた物が、この結婚を機に飽和してしまいそうなのです。
この文章を読んでいただいた奇特な方々は「結局なにが言いたいんやコイツ……」と困惑なさっていると思います。
私もです。私も自分で何をどうしたいのか
どうすれば良いのかわかりません。
「お前、不倫は受け入れられないのに自分は付き合っている相手がいるのか……」とツッこんだ方もいるでしょう。全くです。上記の文章を読んでいただければ分かる通り、とにかく自己矛盾の塊なのです。この自己矛盾が自分の中で看過できない程の数になってしまった。飽和してしまった。
私は普通の人間にしては無神経で、ジャニオタにしては潔癖すぎたのでしょう。
そもそも、人間と関わる中で避けることの出来ない苦しさから逃れる先を人間に求めたのが間違いだった。
これまで書いた長々とした文章より「ぎええええええええ」という絶叫の方がまだ私の今の感情を言い表すことができている程、未だに取り乱しています。
この文章はとある哀れなカウコンを目前に控えたジャニオタの遺書、あるいは断末魔の叫びだと思ってください。
愚痴垢だけは作りたくないなあ。
まだギリギリ好きな人達をを誹謗中傷なんてしたくないけど、こんな文章を書いて公開してる時点で殆ど同じような事やってるのかもなあ。
あーあ、本当にこんな思いをするくらいなら草や花にうまれたかったなー。
あたしって、ほんとバカ。
ジャンルという程の横の繋がりはないのですが。
今年の冬にコミックマーケットという有名な同人誌即売会があるのですが、一応書く事は書きます。
この件はまた詳しく後述しますが、コミケに関する批判は余りにも少ないです。
私は最近、5ちゃんねるの同人板を見る事にハマっています。只、そこの記事はオタク叩き(とも取れる言動)もあり、万人にはとても勧められない書き込みもあります。
『男向けや男オタが嫌い』スレには、ツイッターレディース、まなざし村と思われる、または近い書き込みもあります。
かと言って、私はオタク文化が大好きだった身として、これだけは書きたい。
コミケへの違和感、それを中々言い出せない人に、この記事を贈ります。
https://togetter.com/li/1144990
私がオタク文化に疑問を持ち始めたのは、真木よう子氏に対して、「コミケの掟を分かっていない」という人がいた事です。
連合赤軍、ナマモノ赤軍(確かな根拠なくナマモノジャンルをやめさせようとする人々。ディズニー自警団と酷似している)のそれと、変わらないからです。
更に言うと、真木よう子氏が「コミケを止めるまで」追い込むのは、スマイリーキクチ中傷被害事件の加害者とメンタリティが変わらない。
先のTogetterまとめでもありますが、「コミケは何かあっただけで潰れる」とあります。
果たして本当にそうでしょうか?
あの殺人事件を起こした革マル派や中核派、もっと言えばアルカイダやタリバンですら、潰れてはいません。
もしコミケが潰れたとしても、『コミケ』は無くなるかもしれませんが、アンダーグラウンドでも何でも何らかの形で『同人誌即売会』は残るでしょう。
先の例で言えば、イスラム過激派が無くなっていないように。
都が建物を貸してくれないのなら、資本家に頼み込む、自分達で作るなど手法はいくらでもあります。
何なら「ビルを丸ごと借り切る」、「無人島の仮設テントで同人誌即売会」もアリかもしれません。
そんな表現者が多い様に感じる。
そこに疑問を覚えます。
ある表現者は言いました。
「表現規制の問題と、現行法下で無修正エロをばら撒く事は話が別」と。
つまり、一部のオタクは、コミックマーケットにおける検閲は「検閲ではない」と言い張っている可能性がある、という事です。
考えてみてください。
「オタク」を「中国国民」に変え、「コミックマーケット」を「中国」に変えると、凄くおかしなことになる。
完全に国の意向に従っているも当然ですよね。
コミケは元々日本漫画大会へのカウンターカルチャーとして生まれたのに、今は国家の検閲に加担しており、それを「存続のため」と目を瞑る。
ミドリ十字は、加熱製剤が安全だと知っていても、厚生省の言う通り、非加熱製剤をずっと輸入し、HIVに多くの人が感染した。
私達はこの問題に問題意識を持つべきです。「存続出来なくなる!」と騒ぐだけでは何も解決しません。
そしてこれは、韓国でもアメリカでもフランスでもやっている事です。
私は「元」オタクでした。
正直そう思います。
コミケへの批判が少ない件ですが、個人的にはオタク叩き、差別的言説以外で(私はリバタリアンなので、ヘイトスピーチ含む差別的言説の規制には反対です)、コミケへの批判を少なくとも見た事がありません。
本当に少ないんです。
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Criticism_of_Apple_Inc.
上の記事はApple社への批判ですが、かなりしっかりとまとめられています。
只の一企業であるApple社と、コミケを並べる事はおかしいだろう、そう思う向きもあるかもしれません。
然し、大企業ですら批判があるのですから、巨大化していったコミケが批判されるのは時間の問題かもしれません。
私はコミケにはぶっちゃけ参加した事は無いのですが(すみません、参加する予定もありません)、これを機に、内部で変えていく必要があるのではないのでしょうか。
思うというのは、当時はその病気の存在を知らなくて確定はできないから。
しかし、調べてみると症状が当時の自分に酷似しているのでまず間違いないと思う。
「家庭などでは話すことができるのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、学校や幼稚園といったある特定の場面・状況では話すことができなくなる症状が続く状態のことをいう。 幼児期に発症するケースが多い」
だそうだ。
私も家庭では普通に話していたが、学校ではうまく話せない、声が出ない状況だった。
原因はわからない。
この病気の怖いところは、話せない以外に特に障害がないので「ただの大人しい子」として認識されて周りが気づかないことだ。
私も親や友達、教師に気づかれることなく、自分でもなぜ話せないのかわからず一人で苦しんでいた。
少し話すことがあると「増田がしゃべった!」と囃し立てられたり、一斉に注目を浴びたりするので余計に話しづらくなる。
それに、高校生くらいまでは明るくて面白い方が友達はできやすい(一般的には)ので、話さない私に友達はほとんどできなかった。
大学に上がってから価値観の合う大切な友達もできて、恋人もでき、今はそれなりに幸せだ。
しかし、後遺症なのかトラウマなのかいまだに人前で大きな声を出すことができない。
コミュニケーション力が重視される就職活動ではこれが大きな枷になった。
最近になって場面緘黙症の存在を知った時、あの頃知って治療できていたらどれだけ生きやすくなっていただろうと私は泣いた。
周りに大人しい子がいたら少し気にかけて欲しい。
もしかしたら一人で理由もわからず苦しんでいるかもしれないから。
力になってあげてください、お願いします。
ほとんど同じ経験をしたことがあるので増田の参考になればと思いつくままに筆を取る。
シチュエーションは少し違うけど、ほとんど全く同じ経験で、こんなことが普通に起きてる世の中だと思うと女性活躍なんてできねぇよバカがと悲しくなった。
願わくば増田のような女性や、女性を部下や後輩に持つ男性にもこういうことが結構普通に起きるんだってことを理解してもらいたい。
・前提として、何があっても増田は悪くない。ましてや2年目ならば尚のこと上司や先輩が守らないといけない。既婚者と飲みに行って非がある?そんなわけないでしょ。どちらかというと嫁入り前の独身女性を飲みに連れまわす方が非があるだろう
・わたしの場合は人事に話が行ったことで自社、先方の人事を巻き込んだ話になった。しばらくしておっさんは一生会わないようなところに左遷になったし、先方の社長や人事も謝罪にきた。
・もちろん上司には報告も必要だが、上司が人事に報告しないような上司ならば直接人事に報告もすべき。それで上司がペナルティを科されても、責任逃れだからもうしょうがない。
・営業だけで完結しようとすると増田のように今後も顔を合わせるようになるかもしれない。人事は営業面ではなく自社の社員を守ることが仕事なので少し違う観点で取り扱ってくれるはず。
・こういうことをするおっさんはきっと同じことを別の人にもやってると思う。最初はわたしもおおごとにしたくなかったけど、後日余罪が他にもあったと聞いた。おっさんに罰を与えるのではなく、他の被害者を出さないためにも、出来ることなら最初から積極的に人事を巻き込んだ方が良かったと思った。
・世の中のおっさんは、娘のように可愛がってくれるおっさんと、自分まだイケてると勘違いして可愛がろうとするおっさんがいる。少しでもあれ?って思ったり、後者のおっさんには極力近づかない。直感って本当バカにできない。
・もし人事も機能しないのであれば転職した方がいい。何があっても守ってくれない人事がいる会社など辞めちゃいなさい。まだ若いんだからいくらでも生きる道はある。
・少しでも気持ちが落ち着かないなら、早めにカウンセリングなど受けた方が良い。
・直後は絶望感で死にたいと思うだろうけど、きっといつか風化するはず。でも無理はしないで、出来る範囲で日常に戻ると良いと思う。
・そんなおっさんに会うなんて運が悪かったと思われるかも知れないが、別のおっさんに同じような被害に遭った子を他にも知っている。そのくらいの確率で同じようなセクハラが起きている。男から見ると普通のおっさんも、いつ豹変するかわからない。もしかしたら自分の父親や息子がそういうことをするかもしれないし、娘が被害に遭うかもしれない。一緒に働く部下や後輩が被害に遭わないように注意を払って欲しい。
あまりにも状況が酷似していて、他人事とは思えず、おばさんは心から心配しています。出来ることならドライブに連れ出してラーメンでもご馳走して一緒に泣いてあげたい。大丈夫だよ、心配しないで、増田は間違ってないからね。
文章の長さをなるべく短くさせることで意思の疎通を容易にする試み、または運動のこと。
根底にはTwitterの140文字制限があるとされる。(短い文章で伝える必要があるため。また全員が承前ツイートを読むとは限らない)
また、ニコニコ動画のコメント欄にも原因があるとも言われる。(一行で書き込む必要があるため長文が書きにくい、かつ長いコメントは高速で流れるため可読性に乏しい)
例: 長文に対する他者の反応として
a) 長い3行で
かつて別の意味で用いられていた言葉(単語)を、文字と表音を保ちながらも、また別の意味を与えること。
単語という「肉体」に、新たな意味としての「魂」を吹き込むこととも理解される。
乗っ取りを計画する集団は、単語に新たな意味を浸透させるための努力が必要だが、新しい単語を創り出すよりも、既存の単語の知名度にタダ乗り(寄生)できる分だけコストを削減できるとされる。
なお寄生先の宿主の単語が、未だに現役で「働いている」間は乗っ取りが成功しない。
例: 壁ドン
もとの意味→薄壁の集合住宅で隣室の騒音が漏れているとき、自室と隣室の間の壁を叩くことで自分の不快感を示す行為。
新たな意味→主に男性が、壁に背を向けて立っている女性の顔面の近くの壁に手のひらを叩きつけて、迫る行為。
かつてある単語に与えられていた意味を、また別の単語に与えること。
REUSEとは逆に、「魂」を別の「肉体」へと吹き込むことでもある。(必ずしも前の「肉体」から「魂」が抜けている必要はない)
自然発生することが多い。
例: イキリオタク
簡潔に言えば、図に乗っている、オタク(オタクの定義はここでは行わない)であることを自慢する者の総称だが、「現実の自分に抱く劣等感を払拭するために背伸びをする」という意味として中二病に酷似している。
(「邪気眼」に代表される、いわゆる「厨二病」とは異なる。ここでは「昨日寝てない」などの中二病的自慢への類似点を指摘している)
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