アブラハムほど世界の諸宗教に影響を及ぼした人物はいません。ユダヤ教でもイスラム教でもキリスト教でもあがめられ,「聖書中の巨人」また「信仰の傑出した模範」と言われてきました。聖書では「信仰を持つ人すべての父」と呼ばれています。―ローマ 4:11。
アブラハムがそれほど高く評価されているのはなぜでしょうか。一つには,聖書中で神の友と呼ばれている唯一の人だからです。なんと3回もそう呼ばれているのです。―歴代第二 20:7,脚注。イザヤ 41:8。ヤコブ 2:23。
とはいえ,アブラハムは,他の面ではわたしたちと同様の普通の人でした。わたしたちと同じような問題に直面し,それらに首尾よく対処しました。
5chってどこだよ(笑)
ずるい生き方をしてきた。今までの自分を振り返るとそう思うが、同時に仕方なかったんだ、と言い訳したくもなるのだ。
生きていることを許されたかったのだ。
幼い頃から自分の無能さをよく知っていた。姉や兄には人に誇れるような長所が沢山あるのに、自分にはそういったものが何もなかった。学校の勉強は比較的得意だった。だから旧帝大卒の肩書を手に入れることに執着し、浪人して受験勉強した。無事合格はできて、やっと自己肯定できるだろうか、なんて考えたが、現役で兄が受かってるのだから結局自分は得意分野さえ半端な無能だ、という気持ちに落ち着いてしまった。
両親に私の長所って何、ときいたときに返ってきた答えはいつだって自分の望む回答からずれていた。そんなこと気にしなくていいんだよ、とか、天真爛漫なところ、とか。気になって苦しいからきいているのに。天真爛漫だったころの私なんて小さい頃の私の記憶でしょ。小さい頃は誰にでも甘えたがったけれど、無能ゆえに他人から疎まれ蔑まれるのが怖くて、人と距離を置きがちになってしまったんだ。そんなことぐらい、母親だって普段の私の話をきけば知ってたはずなのに。どうして昔の自分の話したり的外れな励ましをしたりしたんだ。「今」の自分を、親さえ認めてくれなかったら誰が認めて許してくれるんだよ。それも自分が無能で話もつまらないせいだとわかるから消えたい気持ちでいっぱいだった。人に心を開こうと努力もしたし今だってしているけれど、きっと深く関われば私の醜さを軽蔑するんだと思ってしまう。
折り合いをつけながら人と関わる努力をすることを重要視するようになったから今までの自分をずるいと思う。自分だけじゃなくて誰もが何かしらの辛さを抱えていて、大多数は周囲の人と関わりあって生きている。関わることを避けて楽なほうへばかりむかう自分は卑怯だ。だけど、人と関わろうと努力しているとき、やはり愚図で足を引っ張る自分は人との接触に向いてないと感じるのだ。私はずるい生き方をつづけるべきだろうか。
竹田氏(以下、竹): 僕の知り合いに洋介くんっていうわけわかんないマンガ家がいるんだけど、
主人公がおじいちゃんなんだよね、そのマンガ。もうその時点で意味わかんないんだけど
おじいちゃんとペットの猫となぜか近所の小学校の校長が延々としりとりするわけ。
竹: うん。意味分かんないじゃん。だから洋介くんに「どうやったらこんな話思いつくの?」
って聞いたの。そしたら「その話実話なんですよ」って。
長: えっ、実話?ホントに?
竹: なんか洋介くんが夕飯のときに校長先生の朝礼の話が長いみたいな話をしたら、次の日
おじいちゃんがいきなり洋介くん連れて小学校の校長室まで行って口論はじめたんだって。
竹: それはわかるでしょ。二人とも負けない自信があるから。
だからギャグなのにホントの話なんだよ。マンガだとしりとりで勝負にしたみたいだけど。
それで……、何の話してたんだっけ。
長: 世界が非言語化していくなかで言語が生き残るとしたらって話。
竹: あー、そうだ。つまりなんでしりとりにしたかっていうとそこに矛盾を込められるんだよね。
絵だけ見るとすごい派手なんだけど、セリフを見るとさ、論理があるわけじゃん。
でも仮定が間違ってたりとか、キテレツな状況になって実はじじいの行動は
竹: そう。だから言語が生き残るとしたら笑いなんだよね。論理で問題をとくのは
コンピュータがやってくれるからいいんだよ。別に。論理組み立てて、わざと崩して、
違うじゃんって指摘するとツッコミになって笑えるじゃん。
長: ギャグマンガの話からよく(元のテーマに)戻ってきたな(笑)。
あけちゃお 飽きたらふさいじゃえばいいんだし
そういえばプロゲーマーって自分でそういえばプロゲーマーなのかな
大会決勝とかのトップレベルの試合くらいしか見ないから遊びでやってるレベルじゃ無理と思うけど、予選で落ちるくらいの人ならゲーム得意な人がしばらく練習したら勝てそうな気もする
一般的に女性がピアス穴をあけるのは高校〜大学あたりが多いかと思うけど
そのころ自分は保守的な両親(特に母親)のもとで家から大学に通ってる時期。
無意識に、憧れを抱いてはならないと思っていたのかもしれない。
まぁ自分でも痛いのはヤダナーとか、一度あけたらずっと
Yeah!レッツパーリィ!
利口なんだと思うよ。でも、一般の人が当たり前に知っていることや普通に感じることが全然わかってない。そんなままでは言葉なんて届かない。
どれだけ正しいことを言っても、聞いてもらえなければ何の意味もない。きみたちが愚かしいと思うワイドショーにこそ、耳目をひきつけるテクニックがつまっている。好き嫌い言わずにちゃんと見たほうが良いよ。
不惑間近のおっさんなんだけどね、中学生の時に美術教師に平手打ちされたことを思い出して増田で意見を聞きたいなと思って書いてみる。
美術の授業で詳細は忘れたが何か古くなったタオルとか、何かボロ布を用意してきてくれってのがあったんだよ。
で、俺は二枚持って行ったんだよね。で、友人は忘れた。
だから「あげるよ」って言ったんだけど、友人は「タダで貰うのは悪いから」って言って¥100くれたんだよ。
当時は中学生だけどさ、小学生ではないから、何かのお礼とかにジュース1 本奢ってもらったり逆にあげたりとかは普通にあったんで、その延長で普通に貰った。
そしたら、誰がチクったのかは知らんけど、そのことが職員会議の議題になったりしたそうだ。
それで、俺と友人は美術教師に呼び出されて二人とも平手打ちをくらった。
別に怪我をする程のではないんだけど、その美術教師は泣きながら情けないだとかなんだとかそんなことを言っていた気がする。
上記に述べたようなことは説明したし、俺と友人はいじめたりいじめられたりの仲ではなかった、というが二人ともどちらかというとスクールカーストの底辺だった。そんなことは教師もわかっていたんじゃないかと思うし、わかっていなかったならそれもまた問題だし…
当時、両親にこのことの何が問題なのか聞いたけれども、明確な答えは得られなかったし、お前は別に悪くないけど世の中は理不尽なもんだ的なことを言われたように思う。
ただ、今になって思うのは、その美術教師一人の暴走ならわからんでもないんだけど、職員会議で大人が多数で議論して俺たちは悪いってことになったってことなんだよな?と思うと疑問が大きい。
僕らの人間関係は全く把握できてなくて、カツアゲ的な方向で問題になったんかな?
でもさ、カツアゲするような関係なら布を¥100の対価として渡すか?普通に考えておかしいだろ?
この件をいまだに忘れられないのは、自分が全くの善意で行ったことに対して、圧倒的な権力を持つ立場の教師が自分にとっては意味不明な感情を高ぶらせて暴力をふるってきて、彼女の中での正義が全く理解できないからなんだと思う。
スクールウォーズの鉄拳制裁は、問題意識の共有があってこそのもんだと思うのよね。まぁそもそも体罰はダメだっていう意見もあるだろうけどさ。
まぁ、だからさ、俺は子供たちを叱るときは、彼らと問題意識を共有できているか気をつけていきたいなと思うよね。
教師とか管理職の人はさ、そういうところって大事なんだぜっていうのを理解してほしいよね。
ちなみに、俺は仕事上で部下に反省を求めたことは一度もない。ただ、同じ失敗を繰り返さないための具体的な対策を出させるだけ。