はてなキーワード: 場面緘黙症とは
普段家に引きこもっているので忘れがちになるが、どうやら俺は性的魅力があるらしい
ヒョロガリではあるが身長はそこそこあるしまあ全体的に悪くないだろう
顔も特別キリッとしているということもないがまあシュッとしている方だろう
色白なのも小さい頃はコンプレックスだったがどうやら異性から見るとプラスに働くことが多いようだ
小学生の頃は「あの子色が白くてかわいい」などと上級生がヒソヒソ話しているのを耳にした
顔を褒められることはそんなにないが、手を褒められることが多い
筋肉はまったくないが脂肪も少ない、肩幅はあるのでスタイルはよく見られる
このように外見的にはそれなりに悪くないスペックなんじゃないかと思っているが
致命的にコミュ力がなかった
もちろん友達も一人もいない
だがおとなしい男の子にちょっかいを出してくる女子というのは必ずいて、
おとなしい俺は内心「実は俺はモテるのではないか」と考えていた
コミュ力のない自分から女の子に告白するということは想像もつかなかったが、いつか女の子が
告白してきてくれるのだろうと楽観的に考えていた
現実には、楽観的予想よりはるかに早く告白してきた女の子がいて、
彼女がいうには、俺のことを見かけた瞬間に「将来自分はこの男の子供を産む」と予感したのだそうだ
俺はその女の子に気に入られるために全力を尽くした
もう二十年近く前の話になるが、小学四年生か五年生くらいのときクラスに瞳ちゃんという女の子がいた。
瞳ちゃんはいつも黙々とノートをとっているような真面目な女の子で、いつも1人だった。
とはいっても、寂しい感じの孤独ではなく、強い感じの孤独だった。
口をきっと結んでじっと何かを見つめる姿が印象に残っている。
瞳ちゃんが無口なのは孤独だからではなく話せなかったからで、それが場面緘黙症(なのだろう)と知ったのはつい最近だった。
クラスメイトも特に関わりはなく、目に見える場面では先生も特に関わりがないようにみえた。
瞳ちゃんは誰かに意思を持って無視されたり、仲間外れにされてる様子はなかったし、彼女に関する悪口を聞いた記憶もない。
クラスメイトが優しかったというより、彼女はあまり認識されてなかったように思える。
多分みんな、国語の時間に出席番号順に音読をする場面でそっと瞳ちゃんを飛ばす時くらいしか、彼女を認識するタイミングはなかった。
そのまま関わりもなく同じクラスである期間を終えるのだろうと思っていたが、進級間近の「お楽しみ会」で自分は彼女と同じグループになった。
お楽しみ会は3月の最後の授業を発表の場とするクラス内の行事で、大体2月の終わり頃から週に一度準備するための時間が設けられていた。
内容は自由で、くじ引きで決められた班ごとにマジックを披露したり、クイズ大会を主催したり、モーニング娘。のダンスを踊ったり。ちょっとした文化祭のようなもので、自分たちはみんなそのお楽しみ会が大好きだった。
ただ、それは班が打ち解けた場合のみであって、自分たちの班は正直瞳ちゃんという存在を持て余していた。
準備期間の最初の一コマは大抵なんの出し物をするかを班で話し合うのだけれど、瞳ちゃんは話せないので会議は難航した。
自分たちはたまたま女の子だけの班になり、「モーニング娘。のダンスを踊りたい」とほぼ全員が挙げていた。
しかし瞳ちゃんの意見はそこに入っておらず、このまま決定していいものかと全員で不安気に瞳ちゃんの表情を伺っていた記憶がある。
当時は彼女がなぜ話さないのか、もしくはなぜ話してくれないのかとしか思っておらず、彼女にとってあの時とてもしんどい時間を過ごさせてしまったかもしれない。
自分たちは彼女に「何がしたい?」「何もしたくない?」「嫌なこと(やりたくないこと)はある?」「この班の誰かと話したくなかったりする?」と質問をした。
浅慮すぎて、はいかいいえで応えられる質問をすればいいと気づけなかった。
瞳ちゃんは黙し続けていた。
そのうち誰かが「何をして欲しいか書いてもらおう」と言い出して、彼女がノートに何を書き込むのか全員で注視する。
結局自分たちの班は、モーニング娘。のダンスを披露した後に、なぞなぞコーナーを設けることにした。
準備期間を通して、自分たちは瞳ちゃんとノートを介してコミュニケーションを取ることを覚えた。
彼女はノートがあれば普通に会話ができたし、自分たちとなんら変わりない小学四年生だか五年生の女の子だった。
お楽しみ会のなぞなぞコーナーは、瞳ちゃんが画用紙に大きく問題を書き出題する形になり、後ろの席で見づらいと声が上がれば自分たちがそれを読み上げてフォローをして、それなりに盛り上がったと思う。
それがその年度の最後の授業で、翌年自分は瞳ちゃんと別のクラスになったのでもうなんの関わりもなくなってしまった。
瞳ちゃんには配慮のない質問や発言で辛い思いをさせてしまったかもしれないけれど、あのなぞなぞコーナーを瞳ちゃんが楽しんでくれたなら良かったと思うし、もし今後場面緘黙の方と関わることがあれば、もっと上手く接そうと思った。
瞳ちゃんが元気だといいな。
高校生のときに先生に言われた言葉をはっきり思い出せなくなった。
それは私がこれまでの人生で言われた中で、一番心に傷として残っていた言葉だった。
シチュエーションは今でも覚えている。
高3の夏休み、午前中から始まる夏期講習を前に早く登校し、私はいつも早朝から自習室で勉強をしていた。
早く来すぎると昇降口が空いていないので、偶然外にいる先生を呼んでくるか、昇降口前で待つことになる。
校庭にも先生は見当たらないので、私は待つことを選んだ。
先生は、鍵を開けると私に対してぶつぶつ言い始めた。
まず、呼びに来ればいいのに、と。
それから、私がずっとクラスに馴染めずにいることを、靴を履き替える私を背に話し続ける。
そして、私の将来について、人格否定のようなことを言われたと記憶している。
そのあと私は、誰もいない自習室で悔しくて小さく声を上げながら号泣したのを覚えている。
そりゃ10年もすれば忘れるかという思いと、10年もしないと忘れられなかったのかという思い。
はっきりとした言葉を思い出せなくなった。
それだけで私は心が軽くなり、ツイッターにも書きなぐれないこの思いを、勢いだけではてなにしたためることにした。
私が場面緘黙症かもしれないと思ったのは、今から5年ほど前だろうか。
自分が喋れないことはずっと引っかかっていたが、学生時代は、私は人見知りだ、社会不適合者なんだと単純な言葉で片付けていた。
自分と見つめ合うことが多くなった社会人数年目で、病気じゃないんだろうかと検索した先に、やっと見つけた答えだった。
正確に診断されたわけじゃない。
しかも、今となっては周囲との人間関係の築き方が学生時代とは異なるのもあって、うまく社内でやっていけている。
ただ、私は場面緘黙症のような症状に追加して、自己肯定感が低いという特徴もある。
自分が発する言葉は必ず誰かに否定される。自分の発した何かは周囲に受け入れられるはずがない。
自分の声が、体が嫌い。自分は周りより劣っている。自分の行動は相手にとって不快でしかない。
声を発する怖さ、体を動かす怖さ、学生時代は常にこうした劣等感と恐怖感が渦巻いていた。
その症状がいつからかと聞かれると、物覚えついたときからが答えになるかもしれない。
内弁慶ともいうかもしれない。
ただ、周りがいう、人見知り、恥ずかしがり屋、そんな言葉で片付けられるレベルではなかった。
とくに幼稚園、小学1,2年生のときは、先生とは首を縦か横にふるか、傾げるかのコミュニケーションしかとらなかった。
Whatで聞かれたときのみ、答えを言った。
人見知りの次元を超えていた、と思う。
小学6年生のときの担任に言われた「この中には、まだ殻を破れない人がいる」という言葉に対して、
あ、私かと思ったと同時に、殻をかぶっているつもりなんて毛頭ないのにと感じていた。
数人の友達がいることもあったが、高校までの学生時代の大半は1人で過ごしていた。
1人のほうが楽だったし、喋れない自分を否定する気分にならなくてすむから。
でも、症状が改善することはなかった。
それを一度も言われることはなかったし、真面目、大人しいの一言で、親にも伝えられていたと思う。
ただ、緘黙症状は、兄にも弟にもあったのを私は知っている。
兄は小学生のときはいつも1人だったし、クラスでも馴染めていないのを私は知っていた。
私と帰りが同じになっても、絶対に話さないのが暗黙のルールのようだった。
弟は友達ができることもあったようだが、学校から持ち帰ってきた紙には、「なんで喋らないの?」と書かれていた(クラスのみんなから言葉をもらう何かだったと思う)。
母親が数年前に正式にADHDであることが診断されたが、うちの血筋はどうやら精神疾患になりやすいらしい。
統失の話はまた別として、家庭内の環境が問題か、遺伝要因から緘黙症状が引き起こされたのかもしれない。
インスタグラムで、自分の子供が緘黙症であることを公表しているアカウントを見つけたが、
どうやら「普通」の家庭なようなので、もしかしたら要因はまた違うのかもしれないけれど。
幸い私は、大学生、社会人と成功体験を積み、周囲に自分の性格を理解してもらえる機会が増えたのもあって、
普通の「人見知り」くらいになったし、コミュニケーションも以前と比較してとれるようになった。
ネットでは普通にやり取りができていたし、中学生以降はネットを通じて日々の思いを発信していたので、その影響も大きいかもしれない。
緘黙症状は人によって違うし、その人それぞれで改善方法やきっかけも違うんだと思う。
子供を産む年頃になった今は、子供が場面緘黙症になったらと考えることもある。
でも、親や周囲が気づけなかったことを私は気付けるかもしれない。
それだけでよしとしよう。
俺の父親は凄まじいDV夫で俺は物心ついた時から母親がぼろ雑巾みたいに扱われる様を間近で見てきた
父親のDVはマジで手加減無用って感じで、気絶するまで殴ることもあった
星一徹じゃないけどマジで何が親父の怒りのスイッチを押すかわからなくて怖かった
俺は身長が180近くあるのだけど俺より頭1つ小さい男性に対して膝が震えてくる時がある
小学生の頃に母と父が別れて(簡単には別れられなくて色々あったけど割愛)俺は母に引き連れられて母子家庭になった
喋ろうと思っても何も喋れない
でも家に帰るとすらすらと会話することができる
今ならそれが場面緘黙症という症状だと理解できるけど、当時の俺は本当に自分が情けなかった
またその頃の俺は自分の髪の毛を抜く癖があった
それも今では抜毛症という症状だと理解できるが当時はそんなことわからなかった
余談だがそのせいで中高時代は髪の毛のボリュームについて悩んだりした
クラスメイトの前でズボンを下げられたり、単純にタコ殴りにされたり、私物を破壊されたり窃盗されたりもう滅茶苦茶だった
男も女も関係ない
というより人間が社会的動物だから俺みたいな不安分子が標的に遭うのか
そんなこと考えたって何の解決にもならないけど
情けない話だけど、中学の時なんて自分より20センチは小さい同級生にされるがままだった
俺はあのDV親父の息子なのにどうして殴られても殴りかえせないんだって自分でも不思議だった
俺は特段優しい人間などではないと思う
人並みに昆虫とか殺してきたし、GTAで市民を虐殺したりして遊んでたし
でもどうしてか人間を殴ることはできなかった
殴られても殴られても俺は殴り返せなかった
強さに憧れてブルース・リーやジャッキー・チェンの映画を見て身体を鍛えたりして、中学の頃なんか腹筋がハッキリ割れて見えるくらい筋トレしたのに実戦では殴られてばかりだった
まあそんなこんなで陰惨な思春期を過ごして大人になった俺は、今でも人と接する時は挙動不審になる
そんな折に育ちの良い奴最強!みたいな話題に触れてしまったのでマジで心抉られてる
小学3年生の息子がいる。
単純に友達を作るのが苦手ということではなく、どうやら「 場面緘黙症 」という症状っぽい気がしている。
家では大声でめちゃめちゃ喋るし、親戚とも普通に話ができるし、公園などで知らない子供が話しかけてくると一緒に遊んだりもできるのだが、「学校」という場所に行くと一切喋ることが出来ないらしい。
そもそも友達が出来ない以前に「言葉を発すること」が出来ないようである(息子曰く、教室では本当に一言も発してないとのこと)。
一応学校としても気にはしてくれていて、週一回の支援学級に通わせていただいている。
支援学級でも最初は同じように全然話せない感じだったけど、最近では慣れてきたようで支援学級内では少しずつ話せるようにはなってきている様子。
普段息子と話していて、そのことはあまり気にしていないのかなーと思ってたんだけど
今日ぽつりと「俺、ともだちが欲しい。一緒に帰ったり遊んだりしたい」とつぶやいたんですよね。
ああ、そりゃそうだよな、教室で一人でいることにずっと悩んでたんだよな、と気付かされました。
なんだか心がギューッと締め付けられました。
ただ、これ親としてどうしてあげたら良いんだろうか?
単純に友達が作れない、の前に場面緘黙症を克服する必要があって、そのためにどうすれば良いのか今日はずっーと思考を巡らせてる…
地球温暖化や気候問題に対する彼女の主張に反論するつもりはまったくないし、彼女の行動にも文句はない。
学校を休んで活動をすることに目くじらを立てる人もいるかもしれないが、それは個人の意思だし、別に周りがどうこう言う問題ではない。
16歳という若さながら、国際舞台に立って行動を起こしていること自体は本当にすごいことだと思う。
ただ、そんな彼女に対してどうしても違和感がある。Wikipediaページによると、
トゥーンベリは、彼女が8歳の2011年に気候変動について初めて聞いたと言っているが、なぜ気候変動への対策がほとんど行われていないのか理解できなかった。 3年後、彼女は落ち込んで無気力になり、会話と食事をやめ、最終的にアスペルガー症候群 [12] 、強迫性障害 (OCD) および選択的無言症と診断された。 [13] その診断は「以前は私を制限していた」ことを認めながら、彼女はアスペルガーを病気とは見なさず、代わりに「スーパーパワー」と呼んでいる。
とある。アスペルガー症候群は近年、発達障害が一般にもよく知られるようになってきたことから、耳にしたことがある人も多いだろう。また、強迫性障害もアスペルガー症候群ほどではないが知名度はあるように思える。しかし選択的無言症はどうか。これは場面緘黙症とも言われる疾患であり、詳しくは[wikipedia:場面緘黙症]を見てほしいが、アスペルガーほど知られた疾患ではないと思う。上記にもあるように、彼女はアスペルガーに関しては「スーパーパワー」として肯定的にとらえているが、場面緘黙症については、
So when I was 11, I became ill. I fell into depression, I stopped talking, and I stopped eating. In two months, I lost about 10 kilos of weight. Later on, I was diagnosed with Asperger syndrome, OCD and selective mutism. That basically means I only speak when I think it's necessary - now is one of those moments.
とhttps://www.ted.com/talks/greta_thunberg_the_disarming_case_to_act_right_now_on_climate]において発言している。
これがどうも腑に落ちない。これは場面緘黙なのだろうか。急に話さなくなったり、必要だと思う時にしか話さないという彼女自身の説明には疑問が残る。
もちろん、当時の彼女を診断した医師がそう判断し、彼女はこのスピーチの中でそれを話しただけかもしれないし、時間の都合上分かりやすい表現としてこのような表現になっただけなのかもしれない。
しかし、意地悪な見方をすると、これは場面緘黙症という疾患を利用しているのではないかとも思う。場面緘黙症自体があまり馴染みのない疾患であることから、多くの人はその疾患について「話すことが困難なんだな」程度の認識だろうし、そのような人々がこの話を聞いたとき、彼女に対して「そのようなハンデを持ちながらも環境のために声を上げた16歳の少女」のイメージを強く抱くであろうことは容易に想像できる。場面緘黙だけでなく、アスペルガーや強迫性障害についてもそうだ。
これが可能なのはそれが見えない症状だからだ。身体的なハンディキャップがある人とは異なり、アスペルガーや場面緘黙症は一見しただけでは当人がそういった疾患を持っていることがわかりにくい。しかし逆もまた然りだ。自称しているだけだとしてもそれを見ぬくことは難しい。
グレタさんに関してはいろいろな意見が出ており、親に利用されているだとか、誰かがバックにいるとか、陰謀論じみたものまで出ている。実際のところどうなのかはわからない。
結果的に多くの人々に気候問題を考える機会を与えたことは良いことだと思うが、場面緘黙症についての発言だけは、どうしても違和感をぬぐえない。
人と仲良くなりたいと思っていても、相手との距離が近くなると混乱して上手く話せなくなってしまう。
変に相手の意見を尊重しすぎたり、逆にマウントをとって上からものを言ってしまい、後から我に帰り、死にたくなるほど
恥ずかしくなったりする。
自分の意見がない気がする。話す相手によって態度を変えてしまうので自分が本当に何を思っているかが分からない。心の
輪郭が曖昧でふわふわしている。将来のこととかも、社会人になった今はすべてが自由すぎて何も考えられない。
これからどうしよう。
ネットで自分の人間関係の悩みを調べていると、場面緘黙症とか対人恐怖みたいなことが出てきて、カウンセリングを受けろと
書いてあった。
でも病院に行くほどの分かりやすい症状(手の震え、吐き気など)があるわけではないので行きにくいし、先生と話すこと自体が
人見知りすぎて無理すぎる。会社に毎日行けるし朝も起きれるし、趣味も一応ある。休みの日は引きこもりだし友達も一人もいない
し、彼氏もいないし、給料は低いけど残業はあるし、でも職場に嫌な人は一人しかいないし、最近集中力がなくなって本が全然
読めないし、でも少しでも人生を変えたいと思っていて、毛玉だらけの服を捨てて、明日新しい服を買ってみようかな、って思ってるし、
今カバンの中にある全然読んでない本も寝る前に1ページでも読んでみようかなとか思うし、来週の休みは久々に美術館行ってみよう
かな、とか色々2年くらい考えて結局何もできてなくて一生このまま人生が終わるの?って感じだけど、髪の毛のケアをちゃんとする
とか朝ちゃんと挨拶するとか、毎日ちゃんと絵を描くとか電話の対応をしっかりするとか何もできてない部分を本当にちゃんとしたいと
ずっとずっと思っている。ずっと思っている。はやくはやくはやくはやくはやく現実をなんとかして好きになりたい。早く私も参加
したい。
思うというのは、当時はその病気の存在を知らなくて確定はできないから。
しかし、調べてみると症状が当時の自分に酷似しているのでまず間違いないと思う。
「家庭などでは話すことができるのに、社会不安(社会的状況における不安)のために、学校や幼稚園といったある特定の場面・状況では話すことができなくなる症状が続く状態のことをいう。 幼児期に発症するケースが多い」
だそうだ。
私も家庭では普通に話していたが、学校ではうまく話せない、声が出ない状況だった。
原因はわからない。
この病気の怖いところは、話せない以外に特に障害がないので「ただの大人しい子」として認識されて周りが気づかないことだ。
私も親や友達、教師に気づかれることなく、自分でもなぜ話せないのかわからず一人で苦しんでいた。
少し話すことがあると「増田がしゃべった!」と囃し立てられたり、一斉に注目を浴びたりするので余計に話しづらくなる。
それに、高校生くらいまでは明るくて面白い方が友達はできやすい(一般的には)ので、話さない私に友達はほとんどできなかった。
大学に上がってから価値観の合う大切な友達もできて、恋人もでき、今はそれなりに幸せだ。
しかし、後遺症なのかトラウマなのかいまだに人前で大きな声を出すことができない。
コミュニケーション力が重視される就職活動ではこれが大きな枷になった。
最近になって場面緘黙症の存在を知った時、あの頃知って治療できていたらどれだけ生きやすくなっていただろうと私は泣いた。
周りに大人しい子がいたら少し気にかけて欲しい。
もしかしたら一人で理由もわからず苦しんでいるかもしれないから。
力になってあげてください、お願いします。