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はてなキーワード: 場面緘黙症とは

2024-10-26

anond:20241026113032

場面緘黙症とか家の中なら動ける喋れる、外に出たら動けない喋れないって状態になる病気もあるからね。(この病気なら全てそうなるってわけではないけど)

精神疾患範囲だけなら身体手帳は出ないし家では介護不要から介護認定も取れないかもし取れても5まで行かない。

2024-02-22

anond:20240222131228

自分ADHD傾向、場面緘黙症ありで会話は苦手だが

空気読む、非言語コミュニケーションは得意でセックスは自信あり

相手気持ちいいのか痛がってるのか手に取るようにわかるのでマッサージとかも得意

相手の体に触れると自分の体と同化するような感覚がある

 

一方息子はASD傾向、会話は得意だが一方的自分の話したいことを話しがち

水流や雲の動きを何時間も眺めたり同じ本を何度も読んで何か考えを深めている

ADHD傾向もあって疲れやすい、飽きっぽく不注意、忘れ物が多い面もあり

セックスはどうだろうなぁ

セックス上手い方が人生幸せになれると思うがなぁ

2023-12-04

anond:20231203122916

わい、なぜか、レジの前で客の背中を見ながら「ありがとうございました」と言おうとする場合に限って

「あr」を発音しようとした時点で顎の筋肉めっちゃ固まって、動かなくなる。

仕方ないので「rぃがとうございましたー」と発音して凌いできた。

これ何ていう病気

場面緘黙症」とかじゃなさそうやし。。。

2021-08-10

自分が思っているより俺は性的魅力がある

普段家に引きこもっているので忘れがちになるが、どうやら俺は性的魅力があるらしい

ヒョロガリではあるが身長はそこそこあるしまあ全体的に悪くないだろう

顔も特別キリッとしているということもないがまあシュッとしている方だろう

自分では中の上ぐらいと評価している

色白なのも小さい頃はコンプレックスだったがどうやら異性から見るとプラスに働くことが多いようだ

小学生の頃は「あの子色が白くてかわいい」などと上級生がヒソヒソ話しているのを耳にした

顔を褒められることはそんなにないが、手を褒められることが多い

筋肉はまったくないが脂肪も少ない、肩幅はあるのでスタイルはよく見られる

このように外見的にはそれなりに悪くないスペックなんじゃないかと思っているが

致命的にコミュ力がなかった

場面緘黙症というやつで学校ではほぼ一言言葉を発しなかった

もちろん友達も一人もいない

だがおとなしい男の子ちょっかいを出してくる女子というのは必ずいて、

おとなしい俺は内心「実は俺はモテるのではないか」と考えていた

コミュ力のない自分から女の子告白するということは想像もつかなかったが、いつか女の子

告白してきてくれるのだろうと楽観的に考えていた

現実には、楽観的予想よりはるかに早く告白してきた女の子がいて、

俺はその子のことが大好きになったので結婚した

彼女がいうには、俺のことを見かけた瞬間に「将来自分はこの男の子供を産む」と予感したのだそうだ

できすぎた話だが、性的魅力があるのだから仕方がないだろう

俺はその女の子に気に入られるために全力を尽くした

いや、今でも全力を尽くしている。だから今でも彼女は俺に性的魅力を感じ続けているのだ

何年もたって何人も子供が生まれたが、俺の性的魅力は減る気配がない

2021-04-27

ちゃん

もう二十年近く前の話になるが、小学四年生か五年生くらいのときクラスに瞳ちゃんという女の子がいた。

いつも綺麗で真っ直ぐな黒髪おさげにしていた。

ちゃんはいつも黙々とノートをとっているような真面目な女の子で、いつも1人だった。

はいっても、寂しい感じの孤独ではなく、強い感じの孤独だった。

口をきっと結んでじっと何かを見つめる姿が印象に残っている。

ちゃんが無口なのは孤独からではなく話せなかったからで、それが場面緘黙症(なのだろう)と知ったのはつい最近だった。

自分と瞳ちゃんはなんの関わりもなかった。

クラスメイトも特に関わりはなく、目に見える場面では先生特に関わりがないようにみえた。

ちゃんは誰かに意思を持って無視されたり、仲間外れにされてる様子はなかったし、彼女に関する悪口を聞いた記憶もない。

クラスメイトが優しかったというより、彼女はあまり認識されてなかったように思える。

多分みんな、国語時間に出席番号順に音読をする場面でそっと瞳ちゃんを飛ばす時くらいしか彼女認識するタイミングはなかった。

そのまま関わりもなく同じクラスである期間を終えるのだろうと思っていたが、進級間近の「お楽しみ会」で自分彼女と同じグループになった。

お楽しみ会3月最後の授業を発表の場とするクラス内の行事で、大体2月の終わり頃から週に一度準備するための時間が設けられていた。

内容は自由で、くじ引きで決められた班ごとにマジック披露したり、クイズ大会主催したり、モーニング娘。ダンスを踊ったり。ちょっとした文化祭のようなもので、自分たちはみんなそのお楽しみ会が大好きだった。

ただ、それは班が打ち解けた場合のみであって、自分たちの班は正直瞳ちゃんという存在を持て余していた。

準備期間の最初の一コマは大抵なんの出し物をするかを班で話し合うのだけれど、瞳ちゃんは話せないので会議は難航した。

自分たちはたまたま女の子だけの班になり、「モーニング娘。ダンスを踊りたい」とほぼ全員が挙げていた。

しかし瞳ちゃん意見はそこに入っておらず、このまま決定していいものかと全員で不安気に瞳ちゃんの表情を伺っていた記憶がある。

当時は彼女がなぜ話さないのか、もしくはなぜ話してくれないのかとしか思っておらず、彼女にとってあの時とてもしんどい時間を過ごさせてしまたかもしれない。

自分たちは彼女に「何がしたい?」「何もしたくない?」「嫌なこと(やりたくないこと)はある?」「この班の誰かと話したくなかったりする?」と質問をした。

浅慮すぎて、はいかいいえで応えられる質問をすればいいと気づけなかった。

ちゃんは黙し続けていた。

そのうち誰かが「何をして欲しいか書いてもらおう」と言い出して、彼女ノートに何を書き込むのか全員で注視する。

ちゃんは真っ白な自由帳に「なぞなぞ」と大きく書いた。

結局自分たちの班は、モーニング娘。ダンス披露した後に、なぞなぞコーナーを設けることにした。

準備期間を通して、自分たちは瞳ちゃんノートを介してコミュニケーションを取ることを覚えた。

彼女ノートがあれば普通に会話ができたし、自分たちとなんら変わりない小学四年生だか五年生の女の子だった。

お楽しみ会なぞなぞコーナーは、瞳ちゃんが画用紙に大きく問題を書き出題する形になり、後ろの席で見づらいと声が上がれば自分たちがそれを読み上げてフォローをして、それなりに盛り上がったと思う。

それがその年度の最後の授業で、翌年自分は瞳ちゃんと別のクラスになったのでもうなんの関わりもなくなってしまった。

ちゃんには配慮のない質問発言で辛い思いをさせてしまたかもしれないけれど、あのなぞなぞコーナーを瞳ちゃんが楽しんでくれたなら良かったと思うし、もし今後場緘黙の方と関わることがあれば、もっと上手く接そうと思った。

ちゃんが元気だといいな。

2020-09-25

anond:20200925184138

伝えようとすれば思えば伝えることができるのに甘えた態度が嫌われんだよ

場面緘黙症とか病気の人だったらあそこまで叩かれてない

2020-08-22

場面緘黙症かもしれない私が呪い言葉から解放された話

高校生とき先生に言われた言葉をはっきり思い出せなくなった。

それは私がこれまでの人生で言われた中で、一番心に傷として残っていた言葉だった。

シチュエーションは今でも覚えている。


高3の夏休み、午前中から始まる夏期講習を前に早く登校し、私はいつも早朝から自習室勉強をしていた。

早く来すぎると昇降口が空いていないので、偶然外にいる先生を呼んでくるか、昇降口前で待つことになる。

校庭にも先生は見当たらないので、私は待つことを選んだ。

職員室は外から入れるものではなかったと記憶している)

10分、15分ほどたっただろうか、苦手な先生が開けにきた。

先生は、鍵を開けると私に対してぶつぶつ言い始めた。

まず、呼びに来ればいいのに、と。


それから、私がずっとクラスに馴染めずにいることを、靴を履き替える私を背に話し続ける。

そして、私の将来について、人格否定のようなことを言われたと記憶している。

そのあと私は、誰もいない自習室で悔しくて小さく声を上げながら号泣したのを覚えている。


あれから10年たったことに気づいた。

そりゃ10年もすれば忘れるかという思いと、10年もしないと忘れられなかったのかという思い。

あの言葉は私にとってプラスのひとかけらもなかった。


はっきりとした言葉を思い出せなくなった。

それだけで私は心が軽くなり、ツイッターにも書きなぐれないこの思いを、勢いだけではてなにしたためることにした。



私が場面緘黙症かもしれないと思ったのは、今から5年ほど前だろうか。

自分が喋れないことはずっと引っかかっていたが、学生時代は、私は人見知りだ、社会不適合者なんだと単純な言葉で片付けていた。

自分と見つめ合うことが多くなった社会人数年目で、病気じゃないんだろうかと検索した先に、やっと見つけた答えだった。

正確に診断されたわけじゃない。

しかも、今となっては周囲との人間関係の築き方が学生時代とは異なるのもあって、うまく社内でやっていけている。

私の人生は、先生の言った通りにはならなかった。


ただ、私は場面緘黙症のような症状に追加して、自己肯定感が低いという特徴もある。

自分が発する言葉は必ず誰かに否定される。自分の発した何かは周囲に受け入れられるはずがない。

自分の声が、体が嫌い。自分は周りより劣っている。自分の行動は相手にとって不快しかない。

声を発する怖さ、体を動かす怖さ、学生時代は常にこうした劣等感と恐怖感が渦巻いていた。

その症状がいつからかと聞かれると、物覚えついたときからが答えになるかもしれない。


家や兄弟相手では活発に意見し、動き回っていた。

内弁慶ともいうかもしれない。

ただ、周りがいう、人見知り、恥ずかしがり屋、そんな言葉で片付けられるレベルではなかった。

とくに幼稚園小学1,2年生のときは、先生とは首を縦か横にふるか、傾げるかのコミュニケーションしかとらなかった。

Whatで聞かれたときのみ、答えを言った。

人見知りの次元を超えていた、と思う。


小学6年生のとき担任に言われた「この中には、まだ殻を破れない人がいる」という言葉に対して、

あ、私かと思ったと同時に、殻をかぶっているつもりなんて毛頭ないのにと感じていた。


数人の友達がいることもあったが、高校までの学生時代の大半は1人で過ごしていた。

1人のほうが楽だったし、喋れない自分否定する気分にならなくてすむから

でも、症状が改善することはなかった。


先生緘黙症という言葉を知らなかったのだろう。

それを一度も言われることはなかったし、真面目、大人しいの一言で、親にも伝えられていたと思う。

ただ、緘黙症状は、兄にも弟にもあったのを私は知っている。

兄は小学生のときはいつも1人だったし、クラスでも馴染めていないのを私は知っていた。

私と帰りが同じになっても、絶対に話さないのが暗黙のルールのようだった。

弟は友達ができることもあったようだが、学校から持ち帰ってきた紙には、「なんで喋らないの?」と書かれていた(クラスのみんなから言葉をもらう何かだったと思う)。


母親が数年前に正式ADHDであることが診断されたが、うちの血筋はどうやら精神疾患になりやすいらしい。

現に兄弟のうち半分が、統合失調症発症している。

統失の話はまた別として、家庭内環境問題か、遺伝要因から緘黙症状が引き起こされたのかもしれない。

インスタグラムで、自分の子供が緘黙症であることを公表しているアカウントを見つけたが、

どうやら「普通」の家庭なようなので、もしかしたら要因はまた違うのかもしれないけれど。


幸い私は、大学生社会人と成功体験を積み、周囲に自分性格理解してもらえる機会が増えたのもあって、

普通の「人見知り」くらいになったし、コミュニケーションも以前と比較してとれるようになった。

ネットでは普通にやり取りができていたし、中学生以降はネットを通じて日々の思いを発信していたので、その影響も大きいかもしれない。


緘黙症状は人によって違うし、その人それぞれで改善方法きっかけも違うんだと思う。


子供を産む年頃になった今は、子供場面緘黙症になったらと考えることもある。

でも、親や周囲が気づけなかったことを私は気付けるかもしれない。

それだけでよしとしよう。

そう思い出し、思いながら、朝から気持ちよく洗濯物を干した。

2020-08-19

育ちの良い奴には勝てないって話題に心抉られたわ

俺の父親は凄まじいDV夫で俺は物心ついた時から母親がぼろ雑巾みたいに扱われる様を間近で見てきた

父親DVマジで手加減無用って感じで、気絶するまで殴ることもあった

そんな父親帰宅して共にする夕飯は常にビクビクしてた

星一徹じゃないけどマジで何が親父の怒りのスイッチを押すかわからなくて怖かった

俺はそんな親父の影響で大人になった今でも中年男性が怖い

中年男性の声にビクついてしま

俺は身長が180近くあるのだけど俺より頭1つ小さい男性に対して膝が震えてくる時がある

小学生の頃に母と父が別れて(簡単には別れられなくて色々あったけど割愛)俺は母に引き連れられて母子家庭になった

転向先の学校で俺は言葉を発することが出来なくなっていた

学校に着くと言葉が出てこない

喋ろうと思っても何も喋れない

でも家に帰るとすらすらと会話することができる

今ならそれが場面緘黙症という症状だと理解できるけど、当時の俺は本当に自分が情けなかった

またその頃の俺は自分の髪の毛を抜く癖があった

それも今では抜毛症という症状だと理解できるが当時はそんなことわからなかった

余談だがそのせいで中高時代は髪の毛のボリュームについて悩んだりした

もちろんこんな状態からめにもあった

クラスメイトの前でズボンを下げられたり、単純にタコ殴りにされたり、私物破壊されたり窃盗されたりもう滅茶苦茶だった

男も女も関係ない

人間は一皮向いたらみんな獣だと思った

というより人間社会的動物から俺みたいな不安分子が標的に遭うのか

そんなこと考えたって何の解決にもならないけど

情けない話だけど、中学の時なんて自分より20センチは小さい同級生にされるがままだった

俺はあのDV親父の息子なのにどうして殴られても殴りかえせないんだって自分でも不思議だった

俺は特段優しい人間などではないと思う

人並みに昆虫とか殺してきたし、GTA市民虐殺したりして遊んでたし

でもどうしてか人間を殴ることはできなかった

殴られても殴られても俺は殴り返せなかった

強さに憧れてブルース・リージャッキー・チェン映画を見て身体を鍛えたりして、中学の頃なんか腹筋がハッキリ割れて見えるくらい筋トレしたのに実戦では殴られてばかりだった

妄想の中では虐めっ子達をボッコボコの肉塊に仕上げられるのに

まあそんなこんなで陰惨な思春期を過ごして大人になった俺は、今でも人と接する時は挙動不審になる

視線は泳ぐし心臓は動悸するし膝は震える

そんなだから労働者として評価が低い

色々悩んでるけどもう改善不可能なんじゃないかと半ば諦めてる

そんな折に育ちの良い奴最強!みたいな話題に触れてしまったのでマジで心抉られてる

俺も親がもう少し人並みの人物だったらこんな社会不適合者にならずにすんだのかもしれない

そんなどうしようもなく非生産的妄想をしてしまって辛い

2019-11-27

息子の悩み

小学3年生の息子がいる。

息子は学校友達が一人もいない。

単純に友達を作るのが苦手ということではなく、どうやら「 場面緘黙症 」という症状っぽい気がしている。


家では大声でめちゃめちゃ喋るし、親戚とも普通に話ができるし、公園などで知らない子供が話しかけてくると一緒に遊んだりもできるのだが、「学校」という場所に行くと一切喋ることが出来ないらしい。

そもそも友達が出来ない以前に「言葉を発すること」が出来ないようである(息子曰く、教室では本当に一言も発してないとのこと)。

時期としては小学校低学年くらいからそんな感じのようである


一応学校としても気にはしてくれていて、週一回の支援学級に通わせていただいている。

支援学級でも最初は同じように全然話せない感じだったけど、最近では慣れてきたようで支援学級内では少しずつ話せるようにはなってきている様子。

ただ、教室に行くとやっぱり全然喋れなくなる症状は改善せず…


普段息子と話していて、そのことはあまり気にしていないのかなーと思ってたんだけど

今日ぽつりと「俺、ともだちが欲しい。一緒に帰ったり遊んだりしたい」とつぶやいたんですよね。

ああ、そりゃそうだよな、教室で一人でいることにずっと悩んでたんだよな、と気付かされました。

なんだか心がギューッと締め付けられました。


ただ、これ親としてどうしてあげたら良いんだろうか?

単純に友達が作れない、の前に場面緘黙症を克服する必要があって、そのためにどうすれば良いのか今日はずっーと思考を巡らせてる…

2019-09-30

グレタ・トゥーンベリさんに対するただひとつ違和感

地球温暖化気候問題に対する彼女の主張に反論するつもりはまったくないし、彼女の行動にも文句はない。

学校を休んで活動をすることに目くじらを立てる人もいるかもしれないが、それは個人意思だし、別に周りがどうこう言う問題ではない。

16歳という若さながら、国際舞台に立って行動を起こしていること自体は本当にすごいことだと思う。

ただ、そんな彼女に対してどうしても違和感がある。Wikipediaページによると、

トゥーンベリは、彼女が8歳の2011年気候変動について初めて聞いたと言っているが、なぜ気候変動への対策ほとんど行われていないのか理解できなかった。 3年後、彼女は落ち込んで無気力になり、会話と食事をやめ、最終的にアスペルガー症候群 [12] 、強迫性障害 (OCD) および選択的無言症と診断された。 [13] その診断は「以前は私を制限していた」ことを認めながら、彼女アスペルガー病気とは見なさず、代わりに「スーパーパワー」と呼んでいる。

とあるアスペルガー症候群は近年、発達障害一般にもよく知られるようになってきたこから、耳にしたことがある人も多いだろう。また、強迫性障害アスペルガー症候群ほどではないが知名度はあるように思える。しか選択的無言症はどうか。これは場面緘黙症とも言われる疾患であり、詳しくは[wikipedia:場面緘黙症]を見てほしいが、アスペルガーほど知られた疾患ではないと思う。上記にもあるように、彼女アスペルガーに関しては「スーパーパワー」として肯定的にとらえているが、場面緘黙症については、

So when I was 11, I became ill. I fell into depression, I stopped talking, and I stopped eating. In two months, I lost about 10 kilos of weight. Later on, I was diagnosed with Asperger syndrome, OCD and selective mutism. That basically means I only speak when I think it's necessary - now is one of those moments.

https://www.ted.com/talks/greta_thunberg_the_disarming_case_to_act_right_now_on_climate]において発言している。

これがどうも腑に落ちない。これは場面緘黙なのだろうか。急に話さなくなったり、必要だと思う時にしかさないという彼女自身説明には疑問が残る。

もちろん、当時の彼女を診断した医師がそう判断し、彼女はこのスピーチの中でそれを話しただけかもしれないし、時間の都合上分かりやす表現としてこのような表現になっただけなのかもしれない。

しかし、意地悪な見方をすると、これは場面緘黙症という疾患を利用しているのではないかとも思う。場面緘黙症自体があまり馴染みのない疾患であることから、多くの人はその疾患について「話すことが困難なんだな」程度の認識だろうし、そのような人々がこの話を聞いたとき彼女に対して「そのようなハンデを持ちながらも環境のために声を上げた16歳の少女」のイメージを強く抱くであろうことは容易に想像できる。場面緘黙だけでなく、アスペルガー強迫性障害についてもそうだ。

これが可能なのはそれが見えない症状だからだ。身体的なハンディキャップがある人とは異なり、アスペルガー場面緘黙症一見しただけでは当人がそういった疾患を持っていることがわかりにくい。しかし逆もまた然りだ。自称しているだけだとしてもそれを見ぬくことは難しい。

グレタさんに関してはいろいろな意見が出ており、親に利用されているだとか、誰かがバックにいるとか、陰謀論じみたものまで出ている。実際のところどうなのかはわからない。

結果的に多くの人々に気候問題を考える機会を与えたことは良いことだと思うが、場面緘黙症についての発言だけは、どうしても違和感をぬぐえない。

2018-02-04

とりあえず今から本読むから

人と仲良くなりたいと思っていても、相手との距離が近くなると混乱して上手く話せなくなってしまう。

変に相手意見尊重しすぎたり、逆にマウントをとって上からものを言ってしまい、後から我に帰り、死にたくなるほど

恥ずかしくなったりする。

自分意見がない気がする。話す相手によって態度を変えてしまうので自分が本当に何を思っているかが分からない。心の

輪郭曖昧ふわふわしている。将来のこととかも、社会人になった今はすべてが自由すぎて何も考えられない。

これからどうしよう。

ネット自分人間関係の悩みを調べていると、場面緘黙症とか対人恐怖みたいなことが出てきて、カウンセリングを受けろと

書いてあった。

でも病院に行くほどの分かりやすい症状(手の震え、吐き気など)があるわけではないので行きにくいし、先生と話すこと自体

人見知りすぎて無理すぎる。会社毎日行けるし朝も起きれるし、趣味も一応ある。休みの日は引きこもりだし友達も一人もいない

し、彼氏もいないし、給料は低いけど残業はあるし、でも職場に嫌な人は一人しかいないし、最近集中力がなくなって本が全然

読めないし、でも少しでも人生を変えたいと思っていて、毛玉だらけの服を捨てて、明日新しい服を買ってみようかな、って思ってるし、

カバンの中にある全然読んでない本も寝る前に1ページでも読んでみようかなとか思うし、来週の休みは久々に美術館行ってみよう

かな、とか色々2年くらい考えて結局何もできてなくて一生このまま人生が終わるの?って感じだけど、髪の毛のケアをちゃんとする

とか朝ちゃんと挨拶するとか、毎日ちゃんと絵を描くとか電話対応をしっかりするとか何もできてない部分を本当にちゃんとしたいと

ずっとずっと思っている。ずっと思っている。はやくはやくはやくはやくはやく現実をなんとかして好きになりたい。早く私も参加

したい。

2017-12-05

場面緘黙症のことを知ってほしい

私は小学生のころ場面緘黙症という心の病気だったと思う。

思うというのは、当時はその病気存在を知らなくて確定はできないから。

しかし、調べてみると症状が当時の自分酷似しているのでまず間違いないと思う。

場面緘黙症とは、ウィキペディア解説を借りると

「家庭などでは話すことができるのに、社会不安社会的状況における不安)のために、学校幼稚園といったある特定の場面・状況では話すことができなくなる症状が続く状態のことをいう。 幼児期発症するケースが多い」

だそうだ。

私も家庭では普通に話していたが、学校ではうまく話せない、声が出ない状況だった。

原因はわからない。

この病気の怖いところは、話せない以外に特に障害がないので「ただの大人しい子」として認識されて周りが気づかないことだ。

私も親や友達教師に気づかれることなく、自分でもなぜ話せないのかわからず一人で苦しんでいた。

そして子ども残酷で、大人しい子はからかわれることが多い。

少し話すことがあると「増田がしゃべった!」と囃し立てられたり、一斉に注目を浴びたりするので余計に話しづらくなる。

それに、高校生くらいまでは明るくて面白い方が友達はできやすい(一般的には)ので、話さない私に友達ほとんどできなかった。

大学に上がってから価値観の合う大切な友達もできて、恋人もでき、今はそれなりに幸せだ。

しかし、後遺症なのかトラウマなのかいまだに人前で大きな声を出すことができない。

コミュニケーション力が重視される就職活動ではこれが大きな枷になった。

最近になって場面緘黙症存在を知った時、あの頃知って治療できていたらどれだけ生きやすくなっていただろうと私は泣いた。

私は場面緘黙症のことをもっと知ってほしい。

周りに大人しい子がいたら少し気にかけて欲しい。

しかしたら一人で理由もわからず苦しんでいるかもしれないから。

力になってあげてください、お願いします。

2016-06-05

回避性人格障害だと思う

自己診断)

ひょっとしたら愛着障害の方かもしれない。

それからADHD社会不安障害受動アスペルガー

高校生の頃までは場面緘黙症もあった。

しかしこういうことを医者に言うと「また岡田尊司かぶれのモンスター患者かよ」などと思われそうで恥ずかしくて病院に行けない。

2013-03-19

http://anond.hatelabo.jp/20130319023155

場面緘黙症いいんじゃない

三者とか限定なら鼎談場面緘黙症でトリセレクティブミュティズム(ちょうてきとう)とか

 
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