はてなキーワード: 脆弱とは
エクストリーム横浜市長選挙とは、横浜市長選挙を利用したエクストリームスポーツの一種である。
https://anond.hatelabo.jp/20200612200441
当選した候補、または供託金返還となった候補が以下の理由により特別賞受賞となった場合は、逆転優勝とする。但し、選挙期間中の逮捕はこれまでどおり失格扱いとなる。該当者が複数いた場合は、当選した候補が優勝として扱われる。
以下は2021年の横浜市長選挙から追加される特別ルールである
東京都知事選挙以外は競技としての面白さがないためこれまで行われてこなかったが、今回は史上まれに見る混戦と保守分裂により競技として成立すると判断されたため開催となった
https://anond.hatelabo.jp/20200706143404
今回保守分裂の一因となったIRは当初白紙化としていたが、2019年に公約を破り推進に転じる。公約違反と横浜のフィクサーである横浜港運協会会長の藤木幸夫氏を敵に回した以外は特に失政らしい失政もなく現時点ではスキャンダルもないためエクストリーム競技には無縁である
地元横浜選出の代議士で、父親は菅義偉の旧主小此木彦三郎で自身も菅の側近であったが「IR誘致反対」を事実上の反旗を翻した形である。中央政界と横浜市政の混沌の象徴とも言える出馬であるが、左右問わずIR反対派から得票が見込めることと地元の大物代議士ということもありエクストリーム競技には無縁と思われる。
非自民系保守政治家の代表格で旧民主党→みんなの党→次世代の党→希望の党→日本維新の会と、ある意味自民党以上に右寄りの立場の政治家である。2012年の東京都知事選では供託金没収となりエクストリーム競技優勝している。前知事が権力闘争のため県庁所在地の主張戦に出るというのはある意味維新政治家らしいが、2019年の参院選では神奈川選挙区で4位で若干過去の人感が否めない。番狂わせで東京・横浜のエクストリーム選挙2冠達成もあり得る。経歴だけなら小此木に負けないくらいのエリート政治家のはずなんですけどねえ。
立憲民主党の推薦候補でハマのドン藤木氏からも推薦を受けている。IR反対派。公衆衛生学やデータサイエンスを専門とする科学者で政治経験はなし。ハマのドンが持つ基礎票をどのぐらい小此木八郎に奪われないかが鍵
自民党→希望の党出身で3期代議士を努めていて内閣府副大臣も経験しているが3回とも比例復活であり選挙基盤は非常に脆弱。あの江田憲司の選挙区なので無理もないか。選挙基盤の弱さと知名度の低さの一方で、横浜が地元の元代議士という絶妙なポジションでエクストリーム競技優勝候補に
今回のエクストリーム競技最有力候補。かつては国政政党の代表も務め、2009年の民主党政権誕生時は民主党よりであったがその後は維新の会に。2012年の総選挙以降は出馬する全てで落選しており政治家としてはもはや過去の人である。今後は家入一真とマック赤坂とN国を悪魔合体させたようなエクストリーム競技常連プレイヤーとなるだろう。松澤の立候補もあり今回の選挙自民党だけではなく実は維新も分裂選挙である。注目点は松沢と田中の得票数の合計で、次の選挙で維新が衆院選ならば南関東ブロック、参院選では神奈川県選挙区で議席を積み増しできるかの試金石となるだろう
立憲民主党所属の横浜市議会議員で40年以上務めるベテラン。今回は自民・維新・立民と主要政党がどこも分裂選挙となっている。実は勝つ気がないのではないだろうか?
元検事でコンプライアンスの専門家。横浜市長よりも法務大臣のほうが向いている。
横浜市内の水産卸売業を営む経営者。横浜市議選ならば通りそうなのだが。
知らない人なのでTwitterと後援会サイトを見たらN国っぽい感じががしました(※個人の感想です)
現職の林文子にIRを装填として小此木・松沢・田中など知事経験者や大臣経験者の大物が挑む構図。これ本当に基礎自治体の首長選挙なんですか?というメンバー。ほとんど無風だった2020年の都知事選と比べて見応えあり。こうなると誰が当選して誰が供託金没収になるか微妙なところである。万が一林・小此木以外の候補が当選すれば菅義偉は地元への求心力すらないということになり、菅政権へのダメージは都議会選挙以上のものとなるだろう。
エクストリーム競技の注目株は田中康夫。エクストリーム東京都知事選の過去の優勝者の複数の特徴を持ち「供託金が帰ってこない候補の中で一番票を集める」可能性が一番高く見える。優勝:田中・準優勝:松沢という組合せならば「維新所属の知事経験者のワンツー」という快挙?になる。それにしても自民だけでなく維新も立民も分裂選挙で泥沼となっている。IRという大きな対立軸がありながら政局的な理由で候補者乱立というのはある意味日本政治の縮図とも言える。
荻上チキ・Session | TBSラジオ | 2021/07/19/月 15:30-17:50 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210719160547
(荻上チキ氏)
この小山田圭吾氏が過去に行っていた、いじめに関する露悪的なまぁ、発信。
1回のインタビューでぽろっと答えたということではなくて、複数回のインタビューで詳細にそのいじめの中身を語って、しかも悪びれる様子がないというような様子というのは、Web上でも20年以上前からたびたび話題とはなっていたわけです。
そうしたようなことがずっと棚上げされたまま、今回オリンピック、パラリンピックで楽曲提供をするという風になった際に、この名前がでてきたことに対して、これは明らかにちょっとミスマッチだろうというような非難がさらに盛り上がり、また今回の報道などによってその出来事、そういった発言を過去にしていたということを初めて知ったという方も多くいると思うんですよね。
90年代の音楽などに触れている人などにとっては、コーネリアス・小山田圭吾氏というのはとてもあの馴染みのあるミュージシャンだと思うんですけれども、でも日本全体でどれだけの認知度かというと、そこはちょっと分からないところがあるので、むしろ今回の件で小山田氏を初めて知った人にしてみれば、オリンピックなどで楽曲提供しようとしていたけれども過去にとんでもない犯罪的な差別を行っていた人物だったっていう情報だけ与えられると、当然ながらそんな人物不適格でしょ、となるのはこれまた当然ということになりますよね。
この件っていうのは、過去にじゃあ行っていたいじめ加害が発覚した場合に、その人の仕事までキャンセルする必要があるのか?というような問題として理解される向きも一部あるんですけど、その問題とこの問題は別だと思うんですよね。
今回のは、過去のいじめ加害というのが何かのきっかけで「発覚」した事案、ではないんです。
そうではなくて、小山田圭吾氏が繰り返し過去のインタビューの中で攻撃的、露悪的な仕方でいじめの手法というものを赤裸々に語っていた、それを読んだ人たちに対して当然不快感を与えるかもしれないけれども、それを一つのエンターテイメントとして味わって欲しい、読んで欲しいという感覚、文脈で内容を提供しているということになるわけですよね。
そうすると、いじめとか差別というものを軽視するような発信というものを、アーティストになってから行っていた問題ということが、ここに関わってくるわけです。
過去のいじめ加害という点でいうと、国立教育政策研究所のデータなどだと、小学校から中学校の間にいじめ加害を行っていない児童というのは1割程度しかいないんですよね。
やはり誰かしら、何かしらのタイミングで、誰かに否定的なあだ名を呼びかけたりとか、誰かを無視したりとか、誰かを叩いたりとか、そうしたようなことを一定期間行うということはしてしまうところがある。
ただそれが持続的にどこまで行うのか、何年間も行い続けるのか、ずっと行うポジションにいるのかということで見ると、どんどん数が絞られていって、継続的な加害者になっていくという人はその中でもまた一部になっていくっていう状況があるわけですね。
ところがこの小山田氏の様々な発言というものは、そのいじめの文脈というものを超えた、性暴力でもあるし、障害者差別でもあるし、いろんな問題を含んでいるわけです。
インタビューの中でも紹介されている加害行為というのは(先程「たまむすび」の中でも少し紹介されたりしていましたけれども)たとえば人前でマスターベーションすることを強要するとか、あるいは女子達が見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか、あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいはまた大便を食べさせたりとか、そうしたようなことを繰り返していたんだということを言ってるわけです。
他にも様々なダウン症の児童などに対する侮蔑的な発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろいろなことを自ら発信されてるんですけど、インタビューの中だと(笑)とかそうしたような文言を用いて、非常に露悪的な仕方で発信されていたということになるわけですね。
こういったような事態というものは、このインタビューを読んだ人たちに対しては大変なストレスを与えることには当然なるわけですね。
なぜこれがストレスなのか、ということも改めて振り返っておきたいと思うんですけど、僕がたまに紹介している概念で「公正世界信念」という概念があります。「公正世界仮説」と呼ばれることもあります。
これはどういうことかというと、「この社会というのは、正しいことをすれば報われるんだ」というような考え方、これが公正世界信念ですね。「この世界は公正にできていて、人々が適切に振る舞えば、世界はそれに応えてくれる」という一つの信念というのがあって、多くの人たちはこれを内面化しているんですね。
内面化するからこそ「努力は報われる、だから頑張ろう」というようにモチベーションを維持することができる、動機づけを保つことが出来るわけです。
逆に言えば「正しくないことをすれば懲罰を受けるよ」というような考え方でもあるので、これがまた社会から逸脱をするのではなくて適応しようというモチベーションに繋がるところがあるんですね。
良くも悪くもこういった信念を持っているという人はとても多いんだけれども、ただこういった信念が揺らぐような悪いニュースというのがしばしば飛び交ってくるわけですね。
そうすると「あれ?今起きた事件って公正世界信念を揺るがしてしまうじゃないか」誰かが例えばいじめられていた、誰かが性暴力を受けた、そうしたような、バッドニュースが入ってきた時に、人はとっても不安感を抱くわけです。
その不安感は、要は「もしかしたら自分も努力しても報われないこともあるかもしれないし、気をつけていても被害に遭うかもしれない」っていうこと、ってなるとすごいストレスなんですよね。
その時に取られがちな手段が二つありまして、そのうちの一つというのが「被害者非難」被害者が悪いというんですね。
どういうことかというと「これは公正世界信念が揺らいだのではない、世界は変わらず公正だ、と。だけれどもあの被害者に落ち度があったから、あの被害者は適切に努力してなかったからそうした目に遭ったんだ、つまり過去に正しくない事をしていたからその懲罰として被害にあっただけなんですよ」っていうふうに矮小化をする。
こういったような仕方で、貧困当事者を叩いたり、被災した方を叩いたり、性暴力の被害にあったことを叩いたりということで、むしろ弱者を叩くっていう方向で解消しようとしてしまうのも、公正世界信念のもたらす現象なんですね。
でも、同じく公正世界信念が揺らぎそうになった時に起きがちな方略のもう一つが「加害者に対するバッシング」加害者に対する過剰な懲罰や"悪魔化"ということになるわけです。
要は加害者に対して因果応報というものをもたらしたい、因果応報をもたらすことによって、このモヤモヤした感覚をなんとか治めたい、って感じるものなんですね。
この感覚そのものはとても重要ではあるんだけれども、場合によっては「加害者がまだ謝ってないじゃないか、加害者はきっともっと碌でもない奴だ」っていうことで、悪魔のような存在として描かれるようなことがあって、そうなるとどう対処してもこの信念が回復されないっていうことになってしまうわけです。加害者がどれだけ謝罪をしても、なかなか対処が困難だということにもなりうるわけですね。
一般的にこうした公正世界信念というものは、人々にとても重要な動機づけを与えるし、社会に適応しようという努力を与えるものではあるけども、しばしばそれがコントロール不能な攻撃に向かうような側面というのも当然あるわけです。
ただ、こうしたような「被害者非難」とか「加害者非難」が全部悪いのかというと、そう単純に語れないというところもあるんですね。
「加害者非難」などに通じることによって、一定の抑止効果とかいうのを社会に拡散したいという人もいるでしょう。いろんな動機がそこにあるわけなんです。
今回の件についてはどうなのかというと、明らかにやっぱり小山田氏が発言していたことが明らかになったら、大変多くの人達も不愉快に思うし、また非常にこの世界を不公正だという絶望感を味わうことになる。だから何かしらな仕方で公正さを回復したいと思う。ここまではもう多くの人たちの望むところだと思うんです。
ではその回復の手段がどうすればいいのかというと、今回のようなケースって、回復の手段がほとんど難しいんですね。
例えばすでに被害を受けていた当事者はいて、その人はその後いろんな後遺症とか様々なものを味わって生きてきたかもしれない、それを例えば今更謝罪したからといって回復できるとは限らない、つまり、加害者が被害者に謝罪をすればそれで治まるような案件ではどうも無さそうということも分かっている。
一方で社会に対して、多くのこの不公正があったことについて、あるいは不公正があるということをアーティストとして発信したことについて謝罪すればそれで治まるのかというと、なかなか治まらないでしょう。
少なくともパラスポーツとかオリンピックなどのテーマソングを書くという役割は適任ではないということは言えると思うんですね。
一方で別に小山田圭吾氏に今後ミュージシャンとして二度と活動をするな、みたいなことを言ってるわけではない。
そこはあの今後どういう風にやって行くのか、今後小山田氏の振る舞いとか応答責任を通じて、多くの人たちが「なるほど、まあそう言うんだったら」という風に安全感覚を取り戻せるかどうかにかかっています。
だから今回のペライチで出した謝罪文で多くの人達が納得できるというわけでは当然無いわけなので、今後の様々な発信において、その問題にどう取り組んでいくのか、どう向き合っていくのか、その姿勢を見せ続けることによって、人々の「加害者避難」でも「被害者非難」でもない、ある種の「修復的公正」と言うんですけど、公正感覚が修正されていくというか、取り戻されている感覚というものを、ひとりの発信者としてもたらすことができるかどうか、それが小山田氏に問われてるポイントのひとつになるわけなんですよね。
で、これはとても難しいことではあるんだけれども、アーティストとしていじめ加害の手法などについて露悪的に語って、それが障害者差別などをさらに助長して、なおかつ多くのいじめ被害者に対しても二次加害をインタビューを通じて行った、という点について、同じアーティストとしてどういう風にその後自分で責任を取るのかということはこれからも出てくると思うんです。
だから今回テーマソングを作るか作らないか、これは作らない方がいいと思います。そしてその仕事を降りた方がいいでしょう。
ただその後二度と活動するなという話ではなくて、それに対して活動者としてどういう風に向き合っていくのかということを多くの人たちが見ていきますよ、ということに応答責任というのが出てくるということになるわけですね。
これ、見ている側もやってはいけないのは、「防衛的帰属」という言葉があるんですけど、何かの問題をどこに帰属させるか、どこに責任の所在をおくかっていうのが、その人達の考える倫理観とか道徳観とは別に、その人の考える将来の損得で左右されるところがあるんです。
例えば今回小山田氏を擁護してる人がいるんですね。たとえば「そんな過去の話」とか「その当時はいじめを露悪的に語るのが当然だったんだ」みたいな仕方で擁護する人たちがいる。
それを見ると、結構典型的な「防衛的帰属」だなって思うわけです。
どういうことかというと「彼が悪いことになると、自分も悪いことにさせられてしまう可能性がある。だから『彼が悪くない』っていう風に言うことによって、自分が叩かれるリスクを下げたい」。つまり自分を防衛するために、責任の所在を「彼ではない」「ここではない」「そこではない」というふうに位置づけたがるということなんですね。
そういうふうに、どこに責任を帰属させるのかっていうようなこと自体が、人々にとって損得を左右されるような問題になってるわけです。
だからネット上などでも、実はその、小山田氏のあり方というものを擁護する声というのも、まちまちあって、しばしばあって、そうしたかたちを見ると、たぶんその自分の振る舞いとか、自分のメディアの振る舞いとか、90年代の表現とかいうものまで堀り返されると問題だなっていう風に思われると色々発表がしにくくなるとか、そうしたようなことが場合によっては関わってくる可能性もあるわけですね。
そういうような「防衛的帰属」を繰り返していると、結局、今回どうすればいいのかっていう議論が前に進まないことになるんですよ。
そうして「自分が叩かれたくないから、この人は擁護しとこう」みたいな損得勘定で議論されてしまうと、結局、「被害感情にはどうすればいいの?」とか「こういったものを再発しないためにはどうすればいいの?」っていう議論が出てこないことになるんですね
ちょっと遠回りした言い方になりましたけれども、今回インタビューによって多くの人たちが非常に不公平な世界だっていう感覚を突きつけられた、それに対してなんとか回復したいっていう強烈な動機に突き動かされているという状況がある。
それをやったのは何かの暴露とかではなくてミュージシャン本人のインタビューの中での発言だったから、ミュージシャン本人として今後の発信などでどう応答するのかということは当然問われてくるだろうと。
それが行われてない現段階においては、このオリパラのテーマソングを受けるというのは不適格だことに当然判断されることにはなるだろう、と思うわけですね。
ではその後どうするのか。
これ一朝一夕に本人が反省しましたって言って何とかする話ではないでしょうし、反省云々ということするためには基礎知識とかいろんなことが必要になりますよね。
どう誤っていたのかを言語化できないと、応答はできないということになるので、今回の本人のメッセージ云々でおそらくなかなか納得しがたいようなところがある中で、どうそれに向き合っていくのかということが問われていくのかな、という風には思います。
80年代90年代当時というのは、特にいじめ対策というものは今より脆弱でした。今は随分といじめ対策で、科学的に何が必要なのかということもわかってきました。
今回、多くのメディアがこのいじめ問題を取り扱うのであれば、いじめ対策として今どういった知見がより重要で、よりどういった教育こそが必要なのか、という話も、いろんな現場に広げてきてほしいなと思います。
性交同意年齢の議論は同意性交であっても年齢を理由として強制性交として強行認定するもの。
当時の自分の意思決定や判断能力は脆弱で行為は過ちだったと考え直し、
性交同意年齢を引き上げるべきだという立場を取るような人かと思うが、そういう人がどれだけいるのか。
中学生から性経験を始めて、成人である現在も当時の行為を肯定的に捉えている人はどこにでもいるぞ。
立憲民主党の調査報告書の中には何度も脈絡なく「被害者」と出てくるが、
その被害者がどういった存在か被害のモデルがどういったものか示されていない気持ち悪さがある。
中学生に避妊や中絶の手段がないなら中学生に避妊や中絶の手段へのアクセスを保障しろ。
性交同意年齢を上げたら避妊や中絶できるようになるわけじゃないぞ。
たとえば、RSAの暗号理論は計算機の有限時間内の演算が難しいという特性を使っているわけじゃん。つまり「暗号化されたものは確実に復号できるという特性を持ち、かつ有限時間以内に割り切れる可能性がほぼ無い」という特性を持つことは数学的にも正しく、計算機科学でも成り立つ事実じゃん。SHA-1 がハッシュ暗号として脆弱なのは、異なるファイルで同じハッシュ値を作れることが PoC されたことであって、数学的に脆弱性が解読されたわけじゃないだろ?もし、数学的にこの脆弱性がわかっていたら、もっと早い段階でハッシュの衝突が起きていたと思うのだが、違うのかい?一応は SHA-1 で衝突が起こることは数学的に予期されていたが、これだけハッシュ破りに時間がかかったのだから、有用性はあったとはおもうけどね。
自分はセックスワーク擁護派だけど、「セックスワーク差別は無知からやってくる」(https://anond.hatelabo.jp/20210714185723)を書いた元増田のロジックはだいぶマズいというか突っ込まれどころが多いので、もう少し理論武装してください。通常の賃労働とは違うセックスワーク固有の困難というのは確かにあって、セックスワーク当事者たちも、そのことはきちんと問題化しているので。
そもそもセックスワークというのはワーカーの安全確保がとても難しい。行為の性質的に、どうしても個別性・私秘性が求められ、たいていは誰からも見られない場所、多くの場合は密室で、1対1で行うということになる。特に非店舗型風俗では完全にアウェイな相手の自室に1人で入っていくことになるので非常にリスクが高い。男性相手の女性セックスワーカーの場合、フィジカルに圧倒的な差がある。事前のルールで決められた以上の行為を強要する顧客もいる。自室にカメラを仕込んで盗撮を仕掛ける顧客もいる。そういった「意図的な悪意のリスク」に一定確率でさらされるというのは、建設現場など通常の肉体労働では起こらないセックスワーク特有のリスクだ。
健康問題についても、「内臓を売ってるってことなら、サラリーマンは眼球を売ってるでしょ」みたいな悪質な比喩は問題を誤魔化してしまう。臓器を売り渡しているわけではないが、臓器(内性器や口腔)を使わせる自由は売っていて、このことには普通の「ワーク」にはないリスクが伴う。特に女性器への挿入を伴うセックスワークは、眼球で何かを見ることとは比較にならない健康上のリスクがある。慢性的侵襲、性感染症、意図せぬ妊娠など、就労を一時中断したり、離職を決断しなければならなくなったり、将来的な妊孕性を損ねてしまうといったケースも普通にある。またワークを通して何かあったときの労災的環境も全く確保されていない。その点、何度も比喩に使われている建設業は、労災や労働環境保全は過去の事故の反省もあって、非常にしっかりしている(たぶん平均的なサラリーマンの職場よりちゃんとしてる)。そういうところも大きな差がある。
セックスワークが売るものは、性行為とその行為に伴うさまざまなファンタジーだ。このファンタジーには「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分に提供される商行為であってほしくない」という利用者の幻想も含まれることが多い。お金のためにやっているのに、「お金のためだけにやっているわけではない」ようなフリをすることが求められたり好まれたりするという倒錯的な構造がある。たとえば、実際は気持ちよくないのに気持ちよがって見せる、相手に好意を持っているように見せる、セックスが好きだから自分の天職だと演じる、など。別のペルソナを身に付け、本当はそうではないのにそうであるように振る舞うのは感情労働の一種で、このことはワーク当事者にとってストレスになることが多い。多くのサービス業には感情労働的な性質があるが、その「程度」は全然違う。身体への性的アクセスを許して、そのことに快感を感じているように演じて、相手にはビジネス以上の繋がりを感じているように振る舞うということを1日に何回も繰り返すのが、本人の精神的健康にどう影響するか想像してみてほしい。
セックスワークは長く生業とするのが難しい。特に日本の男性向けセックスワーク業界では「プロ」へのニーズが低い。これはさっきの「その行為が単なる金銭目当てのサービスであってほしくない、金銭の対価として自分に提供される商行為であってほしくない」という幻想とも密接につながっている。セックスワーク業界は、セックスワークに関する技術を徹底的に磨いたベテランのプロフェッショナルほどサービスの付加価値が高まる、という構造になっていない。むしろ技術が拙いことが「素人っぽさ」「初々しさ」として評価されることもある。風俗店でもAVでも「新人」には高い価値がつけられる。普通の賃労働では技術の拙さが評価につながることはないが、セックスワークではプロでありすぎないことが求められる。経験を積むことはさほどプラス評価にならない(時にマイナス評価になる)のに、年齢が上がることはマイナス評価に直結していく。技術より容姿・年齢がワーカーの付加価値を左右するから、素人の女子高生・女子大生がセックスワークの分野で高い付加価値を持ってしまうし、加齢を経てセックスワークに携わり続けることが難しくなっている。メディアの発達によって、その気になればいつでも誰でも性行為を売れるようになったことで(援助交際からパパ活SNSまで)、ますますプロの付加価値は下がっている。
これは私見だけど、この構造があるので、元増田の言う「合法化したほうが業界団体ができたり、まともな資本が入ってきたりして安全面含めたセックスワーカーの労働環境がどんどん良くなっていくと思う」については自分はあまり肯定できない。管理されていてセキュリティを確保されているプロは、管理されていないリスキーなアマチュアに売り負ける。今後セックスワークはどんどんネット経由で地下に潜っていく。それを防ぐには、管理売春の合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない。このこと自体がセックスワークの特殊性をよく表している。
こういうセックスワークをめぐる構造的問題、特殊性もちゃんとわかった上で、それでもセックスワーカーの権利獲得とセキュリティ向上のために活動しているアクティビストには頭が下がる。そこでしか働けない人、そこでしか働きたくない人がいる以上、そういう人達がより安全に快適に働ける環境作りをしていくという意味では労働運動の正道だし、圧倒的に女性就労者が多い現場で固有の問題を考えていくという意味ではフェミニズムの本道でもある。自分としては精一杯支援したい。
元増田がセックスワークの擁護をしたいなら、こういうセックスワーク当事者や支援者が認識している論点を無視したり、「ワーク」全般とセックスワークを脇の甘い比喩でまぜこぜにしたりして、本人達の意に沿わない正当化をしないほうがいいと思う。あの書き方だと、逆に「無知だけどセックスワーク擁護してる人」になりかねない。
みなさんコメントありがとうございます。自分的に重要な指摘だと思ったことにコメント返します。
id:allezvous 「それを防ぐには、管理売春の合法化と同時に、非管理売春の厳格犯罪化と取締りを行うことになる。普通の「ワーク」にはこんなことは起こらない」法律行為代理や医療行為を筆頭にした資格制の業務でよくあるような
医行為との対比は一度書きかけてやめたのですが、コメントいただいたので少し書いてみます。医行為や法律行為代理が免許制資格になっている理由は、提供するサービスの質を保ち、その利用者を保護するためだと思いますが、上記の理由でセックスワークを許認可制とする場合、その制度設計はワーカー側の身体と健康と安全を利用者から保護することが主眼となり(そのことは利用者を守ることにも繋がると思いますが)、目的と方向が真逆になっています。
セックスワークの特殊性のひとつに「ワーカーの身体による利用者へのサービス」ではなく「ワーカーの身体への、利用者の一時的アクセス権」自体を売るという側面と、それに伴う固有の脆弱性(vulnerability)があります。他の一般的な「ワーク」で、こうした受動的・対象的・客体的な要素を持つ賃労働、「利用者から自分が何かをされるのを受け入れること」自体をサービスとする賃労働を、私は他に知りません(あえて言うなら猫カフェの猫はそうかもしれません)。この構造は、セックスワークが普通の「ワーク」になることを難しくしている、ひとつのアポリアだと思います。
id:aquatofana さん、id:m7g6sさん、id:pekee-nuee-nueeさん、id:yetchさんが、「受動的・対象的な要素を持つ賃労働」の例として、医療・製薬業界の治験バイトを挙げてくださいました。確かに身体そのものの一時的供出、それに伴う健康的・身体的リスクの受忍という点で、似通った部分があります。一方で治験というのは、旧厚生省治験検討会の方針もあって、一貫して労働ではなく善意のボランティアという体裁になっており、支払われるお金も治験協力への直接の報酬ではなく「被験者負担軽減費」(治験参加に伴う物心両面の種々の負担を勘案した、社会的常識の範囲内における費用の支払いによる被験者の負担の軽減のための費用)という名目になっています。報酬金額が制限されていること、終了後に4ヶ月の休薬期間が設けられていることも含めて、「ワーク」にならないような工夫が凝らされています(とはいえ、実際は色々な抜け道を駆使して治験ボランティアの収入だけで暮らすことも不可能ではないようですが)。
国や業界がなぜ治験を純然たる「ワーク」にしなかったのか、してはいけないのか、というのは、セックスワークの「ワークとして成立することの困難」を考えるうえで、ひとつの手がかりになるかもしれません。治験については、おそらく行政にも医療従事者にも『①個人が自己の身体を一時的に相手に使用させ、②相手の〈自己身体の使用〉に伴う身体的・健康的リスクを引き受けること、それ自体を商行為にしてはいけない』という感覚が強くあるのだと思います。
このうち①は、みなさんご指摘のように、多くのセックスワークの業態に含まれている要素です。②は、本来セックスワークの現場からは排除されているべきですが、現実には看過できない頻度で発生している要素です。しかも実際にリスク事象が起こったときには、その責はワーカー自身に帰されがちです。たとえば、ワーカーが性感染症に感染したり、意図せぬ妊娠をしたとして、世の中で利用者・管理監督者・ワーカーのうち誰を責める言説が多いかといえば、圧倒的に「風俗で働いてるワーカーの自業自得」という声だと思います(そしてそのことは、仮に売春周旋行為が合法化されても変わることはないのではないかと思います)。これは、多くの人が「セックスに直接関わる行為には、どれだけ運用を工夫しても一定の身体的・健康的リスクが伴う」と理解していることの現れだとも言えます。
セックスワークには「利用者がやってよい行為」と「やってはいけない行為」の距離が極めて近いという特徴もあります。性的に興奮している利用者は、意図して、あるいは意図せずに、その「やってよい行為」と「やってはいけない行為」を隔てている薄皮を破るかもしれません。いわゆる本番行為がある性風俗店や派遣型風俗では、その〈薄皮〉は0.02mm厚のコンドームだけかもしれません。あるいは、キス禁止にもかかわらず、抱きついているワーカーの顔をつかんでキスを迫ること。本番禁止にもかかわらず、素股というサービスを受けているときにワーカーの腰を掴んで挿入を試みること。おっパブで働くワーカーの乳首を舐めるのではなく、噛むこと。「自己身体そのもののへの直接のアクセスを利用者に許可している」という脆弱な状態にあるので、利用者が予め設定したラインを欲求や興奮とともにほんの少し踏み越えただけで、ワーカーの健康リスクに直結するという構造があります。
建設業では現場の建設従事者に健康診断結果の提出を義務付け、毎朝朝礼を行い、現場パトロールを実施し、ヘルメット・安全帯・安全靴・長袖服の着用を義務づけるなどして、そのワークに伴うリスクを可能な限り抑制します。風俗業界では、店員やドライバー男性による様々な処罰(いわゆる「業界流儀」)によって、そのワークにともなうリスクを可能な限り抑制します。この両者は、似ているようで違います。建設業では、ワークの現場を監視し、ワーカー自身を防護し、事故リスクを減少させ、事故時のダメージを最小化しています。風俗業では、ワーカー自身を利用者から防護することはできません(一時的に身体へのアクセス権を利用者に提供すること=ワーカーの身体を利用者から防護しないこと自体が、サービスに含まれているからです)。管理者がワークの現場を監視し、利用者が「やってはいけない行為」に及ぶ瞬間に介入して中断させることもできません(処罰の担当者は、実際の行為が行われている空間の外にいるからです)。
中規模以上の建設現場では、しばしばゼロ災の継続日数が掲示されていますが、店舗型風俗では、しばしば出禁・罰金などの制裁行為を受けた利用者たちの顔写真が掲示されています(代表的な「業界流儀」です)。これは、後者では、たとえ事後の処罰があっても禁止行為に及んでしまう利用者が一定数いること、そしてその行為の被害を受けたワーカーも同数いることを表しています。セックスワークの現場でワーカーがさらされる健康的・身体的リスクの抑制が「事後制裁」という形式でしか行えず、それが現実に抑制力として100%機能しているわけではないことは、セックスワーカーの安全衛生の確保、そしてそれが大前提になるはずのセックスワークの「普通のワーク」化を困難にしている、重要な要因だと思っています。
ついでに生活保護も各種支援もあるし大学も年収380万円未満の世帯は大学費用を無償化されたぞ。生活費も出るそうな
一応、「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々(相対的貧困率)」とかいう謎の指標がある
- そもそも論:
相対的貧困率は国が豊かになればなるほど増えるじゃん?それって別に貧困じゃないよね?- 住んでる地域と見えない財産によって一概に言えないのでは?:
OK、衛生的で文化的ではあっても、住む地域によってはこの収入ではスーパーで買い物すらまともに出来ないは確かにあるよね?
そうすると今度は逆に「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」という指標は厳しすぎやしないだろうか?
サンフランシスコなんか周辺物価に合わせて年収1000万以下は貧困認定とわちゃわちゃやってたじゃん?
えっ?日本でも級地制度はある?確かにありはするけど、 新宿区ですら最低生活費が約12~13万円の設定だし、
これ相当計画的に手続きを進めないと生活保護の支給開始前に宿無しになりますよね?
えっ?1級地に住める人は現在は休養が必要だとしてもそれなりにスキルのある労働者のはずで休養後に仕事を選ばなきゃ仕事があるはず?
低スキル労働者が地価が高いところに住むのがいけない?
OK、1級地に住んでいる人たちはとりあえずそれでよしとするとしても、それ以外の等級地域の人たちは?
確かに家賃は東京などの1級地に比べりゃ安い。だがインフラが脆弱で電車が無いかあっても本数が少なく、バスは不採算で廃路、通勤通学に車が必要で、
実際この平成・令和の時代において、会社に通勤が出来ない、高校に通えないから諦める、そんなことが起きちゃってるんだが?
それに雪だって降るし積もるぜ?
えっ?リモートワークを頑張ろうよ???それが適応できるレベルのスキルがある労働者ならそもそも等級の低い地域で困窮したりしませんよね?
「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」指標が等級低い地域でも厳しすぎ、
しかし逆に一部の人たちにとっては緩すぎだ。いわゆる見えない数値化できない財産を持つ人たちがいる。
頼りになる親類、友人、農業技術、DIY技術、学歴 (税知識・法知識・マーケ知識・語学など)ほか、
所得としての数値には現れないが、あらゆるものの金銭の発生をゼロに、あるいは超低コストに抑えることができる人たち。
彼・彼女らは選択的にその生活を送っており、なおかつなんら困窮しておらず、どう考えても貧困じゃ無いですよね???
相対的貧困率って一体なんのためにある指標なんですかね???
一応、「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々(相対的貧困率)」とかいう謎の指標がある
- そもそも論:
相対的貧困率は国が豊かになればなるほど増えるじゃん?それって別に貧困じゃないよね?- 住んでる地域と見えない財産によって一概に言えないのでは?:
OK、衛生的で文化的ではあっても、住む地域によってはこの収入ではスーパーで買い物すらまともに出来ないは確かにあるよね?
そうすると今度は逆に「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」という指標は厳しすぎやしないだろうか?
サンフランシスコなんか周辺物価に合わせて年収1000万以下は貧困認定とわちゃわちゃやってたじゃん?
えっ?日本でも級地制度はある?確かにありはするけど、 新宿区ですら最低生活費が約12~13万円の設定だし、
これ相当計画的に手続きを進めないと生活保護の支給開始前に宿無しになりますよね?
えっ?1級地に住める人は現在は休養が必要だとしてもそれなりにスキルのある労働者のはずで休養後に仕事を選ばなきゃ仕事があるはず?
低スキル労働者が地価が高いところに住むのがいけない?
OK、1級地に住んでいる人たちはとりあえずそれでよしとするとしても、それ以外の等級地域の人たちは?
確かに家賃は東京などの1級地に比べりゃ安い。だがインフラが脆弱で電車が無いかあっても本数が少なく、バスは不採算で廃路、通勤通学に車が必要で、
実際この平成・令和の時代において、会社に通勤が出来ない、高校に通えないから諦める、そんなことが起きちゃってるんだが?
それに雪だって降るし積もるぜ?
えっ?リモートワークを頑張ろうよ???それが適応できるレベルのスキルがある労働者ならそもそも等級の低い地域で困窮したりしませんよね?
「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」指標が等級低い地域でも厳しすぎ、
しかし逆に一部の人たちにとっては緩すぎだ。いわゆる見えない数値化できない財産を持つ人たちがいる。
頼りになる親類、友人、農業技術、DIY技術、学歴 (税知識・法知識・マーケ知識・語学など)ほか、
所得としての数値には現れないが、あらゆるものの金銭の発生をゼロに、あるいは超低コストに抑えることができる人たち。
彼・彼女らは選択的にその生活を送っており、なおかつなんら困窮しておらず、どう考えても貧困じゃ無いですよね???
相対的貧困率って一体なんのためにある指標なんですかね???
wikiや掲示板やディスコとかで聞く話。常駐とか大量編集とかのやつ。
聞くたびにコミュニティの脆弱さとやるせなさと無敵の人の強さと徳川埋蔵金とを感じるけど、
有象無象のネット上のただの娯楽の場ひとつを犠牲にして変な人の活動時間をかなり封印できると考えると他人事だからコストがお安く感じるのな。
荒らされた話もエンタメとして消化できて人気だし。
先住民諸賢には正常化を目指して適度に論撃バトルを行い変な人を追い出すつもりで変な人の矛先を受け止め続けてほしい。
Muttleyはいまいずこ。
ほとんどの人は、公共なら性的な表象はNG、個人の表現ならOK、
企業の広告などはケースバイケースくらいに捉えて、今回は不適切と言っているのに、
「公共の場に私の嫌いなものがある、傷つくから配慮せよと言っている。「脆弱」を盾に取ってる」とか言う人は一体何を見てるんだ。
https://twitter.com/anatatachi_ohno/status/1411136608317829121
ツッコミどころがとても多いツリーなので大きなところから書いていきたい。
https://twitter.com/erishibata/status/1410962770082734086
https://twitter.com/erishibata/status/1410963962368172038
表現規制派・フェミニストサイドの主張ラインが行き当たりばったりの気分任せにしか見えない。
献血ポスターではガッチリ服着てて肌なんか肘から先と顔しか見えてない女の子のイラストでダメ。
規制の為にもちだされるタームである「性的」や「性的な表象」が
これはずーっと言われてるのにまともな説明が出来ない。
多分自分達でも理屈が定まってないからキモオタイラスト狩ってたはずのミッションで胸が大きいモデル業の女性まで侮蔑・罵倒して狩った。
もし同じような規制を敬虔で原理主義的なムスリムが言ってるなら基準の動機の想像ぐらいは出来る。(本来規制される側に想像を強いるべきでないが)
あ、たぶん「少しでもエロさの萌芽が私に感じられたものは全てダメ」と言ってるんだなと。
そういう宗教の人はつまり性的な興奮で信徒の社会の安定や信徒の心の清らかさが損なわれることを危惧してるし聖典の戒律でもそうなってる。
あの人達がかなり滅茶苦茶に人の服装や髪の毛すら取り締まれるのは強烈なコンセンサスのある宗教が社会を支配してて
その社会にいる=その宗教コンセンサスを受け入れてると見なされてるから。
「私がエロいと感じたものは全てダメ!」をやる権利や論理はどこから来てんの?
ここはイスラム国じゃないのであなたがたの不安神経症やヒステリーや性嫌悪に付き合う義務が他の人達には無い。
「女性誌の表紙が半裸のエロい男だったら男はそれを見てどう思うんだ!」
ミラーリング検討すら出来てない性嫌悪的な感情であると自分から白状してしまう。
https://twitter.com/gosainail/status/1407386399100137478
これで「ケースバイケース」って言われてもさ。
だって判断力も判断の動機も全く信頼性がないのだから「ケースバイケース」じゃむしろ困る。
@anatatachi_ohno
そっくりお返ししたい。
セーフアウトの基準のラインは批判したい側規制したい側が出すべきである。
なんで自分のアクションなのに相手にボールを渡すのか。そんなに「説明する側」に立つのが嫌か。
撤去されるべきと信じるほどその表現を憎むのに、憎しみの理屈を説明せよと言われると逃げ回るのが理解できない。
問題の議会のポスターは個人的にはとてもダサくて意味不明でナンジャコレと思うが
しかしこれが「規制されるべき性的表現」だといわれてるなら「その規制されるべきの基準はどういうところにあるのか」と問うしかない。
別にこんなポスターが守りたいからやるんじゃないしそんなの問う(どうせ理屈は何も考えてないかは···)のが楽しいわけでもない。
とっても面倒くさいけど仕方がないから聞いている。
トイレ掃除と同じ責務、やりたくないけどさぼるととんでもないことになるdutyとして聞いている。
「公共で規制されるべき性的表現(性的表象なのか性的表現なのか、一連のtweetなら言葉ぐらい揃えてくれよ)」の基準は何か。
あなたがたがこれをきちんと示せばもしかしたらその瞬間話が完了するかもしれないし
なんで「この表現は許されぬ」と言いながらアウトセーフのライン引きから逃げ回るのか。なぜ自分の主張の説明も出来ないのか。
挙句に規制される側へ「説明すべき」などと転倒した要求を恥ずかしげもなく垂れるのか。
ここだけでも答えてほしい。
自由が基本でしょう?
全く逆だ。
そっくりお返しする。
そもそも規制の為の論理をきちんと考えて用意してあるなら「説明するな」と言っても説明したくなるはず。
私なら嬉々として「よく聞けよ」と説明する。嫌がられてもつかまえて説明する。
あなた方が徹底的に説明を避けるのは要するに、ちゃんと考えてない、用意がないのだと見なさざるを得ない。
女子生徒の下着の色や形にアヤ付けて取り締まってくる教師がいるとしよう。
それなら「どういう下着ならセーフなのか」「今の下着はどういう理由で不味いのか」これは教師側に説明する責任がある。
大野先生が言ってるのはアヤは付けるのに説明すらしないということ。
「学校ではどういう下着がセーフだと思ってるのかお前が先生に説明しろ」というスタンス。
こういうことを書くと「普通」とは何か、あなたが勝手に「普通」を規定しているだけだとかいう反発が来るけど、
これは本当に話にならない。
とにかく相手がおかしいんだ説明なんか要らないんだというこの議論のどこに知性があるのか。
百歩譲ってそのようなアホな思い込みしているのを許そう、「明白な普通性は我にあり」も許そう。
あなたはその原理的レベルに戻って相手をぶちのめすしかないではないか。
ぶちのめしたうえで「いちいち面倒なことをさせるな、ペッ」ならわかる。
しかし原理的レベルに降りて相手をぶちのめすことをしようとしない、できない?
ただ「私が普通なんだもん」「私が正しいんだもん」と言い張るだけ?
これはもう本当に話にならない。
これは明白なことなので疑問を挟むこと自体がまずい。疑問を持つことがあなたの問題。
そこに疑問を持たないなら私が正しいのだから話は終わり。」
なんじゃこりゃ?
すんごいうんざりしてるけど、
実はこういうレベルの人の相手するのめっちゃ慣れてるんだよね。
こういう頭の悪い論理展開をネトウヨから100回は聞かされたから。
たとえばわけわからん女性差別政策外国人差別政策の推進案などを聞かされて
「欲求はわかった。しかし一体お前はどういう理屈でその政策を正当化するのか」と聞くと
「普通の日本人ならこう思うの!」と返してきて全く話にならねえ頭に糞でも詰まってんのかボケというアレ。
私は普通だもん常識だもん私の考えが普通で正しくて当たり前なんだもんみたいな話になんねえ寝言は
低学歴なネトウヨと会話してるならしょーがなーと思ってあきらめてるけど
大学の先生に同じレベルの論理で発言されるとゾッとするんだけど。
でも大野先生個人がこうと言うよりネットのフェミの人や規制の人マジでこのレベルだよね皮剥いていくと。
性的表現それ自体が悪いのではなく、性的表現は何であれある指向性を含むから、
なるべくニュートラルであるべき公共の場では使用しない方がいいというだけのことだ。
そこを押さえて初めて、個人の表現の意味が出てくるのに、表現者としてそんなこともわからないのかと言いたい。
@anatatachi_ohno
相変わらず内容不明な「性的表現」の問題はいったん流すとして、「性的表現の指向性」ってなんだろう?
ミニスカートの女性とか半裸の男性とかはニュートラルでない存在なの?指向性があるの?
じゃあ「ミニスカ女」と「半裸男」の指向性ってどのような方向かたった2例だからちょっと具体的に説明してみてくれない?
申し訳ないけど、かなり無理のあるそれっぽい表層的なお題目をやっつけで持ち出してきたようにしか見えない。
「フシダラっぽいからやめましょう、フォーマルにいきましょう公共の場だから」のほうがまだ「普通」な理屈じゃない?
柴田えりに「フシダラ狩りかよ笑」って言われたから仕方なく別の理屈ペタッと貼り付けましたってだけじゃないのこれ?
「公共の場」がはっきりしないという意見に。今回で言えば行政やそれに準ずる機関・催しは公共。他には医療、教育、公共交通機関も公共に含めていいと私は思う。
「性的な表現」とはなんなのかの説明を逃げ回る時点でこんなの何も言ってないのに等しいんだけどそこを大甘で見逃して、
性的な表現をアイキャッチにすることは避けられるべきがなんでなのかまた説明出来てないよね。
「フシダラだから」「わいせつ物に準ずる雰囲気があるから」「なんか下品だから」「週刊ローレンスかよ」のほうがまだよっぽど「普通」な理屈だと思うけど
そこはさきに柴田に攻められただけ。
大野左紀子@anatatachi_ohno
(最初から最後まで「私の思っていることや考えていること」を書いているのに、「貴方の感想」とか「個人の主観」とか言って否定できた気になってる人なんなの)
このツイート見るだけでどんなクソリプがついてるか手に取るようにわかるのでそこは同情します。
しかし大野先生の話をちゃんと通しで読んでもこれは話になんないですよ。
むしろなぜお前等に自由などが認められるべきなのか説明するべきである。
「普通」に疑問をさしはさむお前等がまずい。
公共の場で性的な表現がまずい理由はえーとえーとフシダラはダメなので…
「性的表現の孕む指向性が公共の場のニュートラルさを損ねるから!」
全体的に何言ってんのかわかりませんね。
おそらく酔っぱらうかなんかしながら連続tweetしたのもあってこの出来なのでしょうから
マジで?
柴田も大野先生もそういうとこで争ってんじゃないと思うんだけど。
何の権限もない一般人に基準を設けろなどと迫るのなら、まずは「基準が示された場合はそれに従う」旨、線引き論者全員の合意をとるべき。
なんじゃそらw
一分十回までな。
あのさあ、実際に何の権限もない連中がお気持ちであの表現だめこの表現だめつって炎上させて電凸して表現を何度も狩ってるわけだ。
と言ってんの。
そういわれるとどこまでも逃げ回るだろ?
あかんぼうかおめーらは。
つかルールが曖昧だからこそ表現者は倫理的限界を攻められるんだけどなあ
2021/07/05
「規制の基準は曖昧にしておかないとボクチンたちお気持ちチンピラがいちいち規制の理由を説明しなきゃいけなくなってたのしくない!もっと自由に暴れさせろ!」
のまちがいだろ。
大野先生にもいったけど、自由や権利が先にあって、特別な理由があるとき例外的に制限されるの。
だから制限基準が曖昧だったら恐ろしいの。それでも制限したいのが君たちなんだからせめて責任もって基準を示そうよ。
こっちの人達は線引ができれば抜け穴を作れるとしか思ってない。そんな要求に付き合う必要はない。
2021/07/05
ほらね、これが本音よ。
基準なんかなく自分の気持ちのままに規制したいからラインを示したくないでちゅ。
これでしょ?
明白かつ自明に「普通」である私たちがいて、私たちの感覚に従わない悪い奴がいる。だから無限に変わる基準で一方的に取り締まらないとダメなの。
これが本音。知能のレベルも思い上がった独善性もネトウヨと一ミリの差もねえ。
トップが入れ替わって「公的に定められたガイドラインにあのポスターが違反しておるぞ」と言うブコメが上位を占めてきてる。
今そういうステージの話をしてないと思うけど、あのポスターを叩く理由にそれを使うなら少なくとも明文化された基準が使われてるだけ文明的だと思う。
この手の主張、規制するなと言っている側が結局は具体的な手枷足枷を作ってくれと言ってるわけで、表現の幅を狭めたいのか広げたいのかどっちなのかと思う。
2021/07/05
みんなの前に具体的な手枷足枷を置けたら、「この手枷足枷は公正妥当か」についてきちんと議論出来るよ。
先生とも思ってないくせにな
敬意と親愛の情を込めたので超心外。
というか元増田のスタバのネタに限って言えば誰でも普通に買える値段と認識しているので
『スタバの何に価値を見出しているのか?』が正しい問いだと思う
非常に健康に悪そうなスタバのビスケットなら好きだよ。付き合いで入る時は買う
一応、「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々(相対的貧困率)」とかいう謎の指標がある
- そもそも論:
相対的貧困率は国が豊かになればなるほど増えるじゃん?それって別に貧困じゃないよね?- 住んでる地域と見えない財産によって一概に言えないのでは?:
OK、衛生的で文化的ではあっても、住む地域によってはこの収入ではスーパーで買い物すらまともに出来ないは確かにあるよね?
そうすると今度は逆に「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」という指標は厳しすぎやしないだろうか?
サンフランシスコなんか周辺物価に合わせて年収1000万以下は貧困認定とわちゃわちゃやってたじゃん?
えっ?日本でも級地制度はある?確かにありはするけど、 新宿区ですら最低生活費が約12~13万円の設定だし、
これ相当計画的に手続きを進めないと生活保護の支給開始前に宿無しになりますよね?
えっ?1級地に住める人は現在は休養が必要だとしてもそれなりにスキルのある労働者のはずで休養後に仕事を選ばなきゃ仕事があるはず?
低スキル労働者が地価が高いところに住むのがいけない?
OK、1級地に住んでいる人たちはとりあえずそれでよしとするとしても、それ以外の等級地域の人たちは?
確かに家賃は東京などの1級地に比べりゃ安い。だがインフラが脆弱で電車が無いかあっても本数が少なく、バスは不採算で廃路、通勤通学に車が必要で、
実際この平成・令和の時代において、会社に通勤が出来ない、高校に通えないから諦める、そんなことが起きちゃってるんだが?
それに雪だって降るし積もるぜ?
えっ?リモートワークを頑張ろうよ???それが適応できるレベルのスキルがある労働者ならそもそも等級の低い地域で困窮したりしませんよね?
「世帯の所得がその国の等価可処分所得の中央値の半分に満たない人々」指標が等級低い地域でも厳しすぎ、
しかし逆に一部の人たちにとっては緩すぎだ。いわゆる見えない数値化できない財産を持つ人たちがいる。
頼りになる親類、友人、農業技術、DIY技術、学歴 (税知識・法知識・マーケ知識・語学など)ほか、
所得としての数値には現れないが、あらゆるものの金銭の発生をゼロに、あるいは超低コストに抑えることができる人たち。
彼・彼女らは選択的にその生活を送っており、なおかつなんら困窮しておらず、どう考えても貧困じゃ無いですよね???
相対的貧困率って一体なんのためにある指標なんですかね???
マジ、ジャップですわ
https://www.nri.com/jp/knowledge/glossary/lst/ma/maslow
マズローの着想は科学的な厳密さの欠如により多々批判されている。ひとつはアメリカの経験論哲学者による、科学的に脆弱だというもの[3]。2006年には、Christina Hoff SommersとSally Satelが経験的実証の欠如により、マズローの着想は時代遅れであり「もはやアカデミックな心理学の世界では真面目に取り上げられてはいない」と断言した[4]。ポジティブ心理学においてはペシミスティックな観点(How things go wrong)より、(How things go right)の探求に力が注がれている[5]。
これを見るとやはり胡錦涛氏のような人物が続いていれば、中国はいまも大国の道を進んでいたと思う
しかしそれ(膨張・威圧・非人道主義)が最終的な中国人の民意なのであれば、しょうがないとも思う
理由なしにこの暗黒の8年間を導いたわけではないと思う
胡錦濤は中華人民共和国国務院総理に指名した温家宝とともに科学的発展観に基づき、1990年代以降に中国社会で問題化した改革開放政策での高度経済成長に起因する格差の拡大や環境汚染による公害などに取り組み、「和諧社会」「小康社会」というスローガンを掲げて所得格差の是正と安定成長に努めた。胡錦濤が最高権力者になってからも、オリンピックとしても国際博覧会としても史上最大規模だった北京五輪や上海万博に代表されるように経済開発の重視は変わらなかったものの、輸出主導の大量生産社会から内需主導の大量消費社会に転換することを目指した[61]。また、胡錦濤体制では国有企業の民営化の動きが停滞し、国家資本主義を支える国有・公有経済の管理と堅持が強調され、1990年代の「国退民進」と対照的な「国進民退」とも呼ばれた[62]。
胡温体制で中国のGDP(国内総生産)は世界2位となり、2008年の世界金融危機の際は当時の王岐山国務院副総理の主導で金融緩和とともに中国の高速鉄道網の建設など4兆元の大規模な財政出動(内需拡大十項措置(英語版))を断行して世界最速のV字回復で金融危機を脱出させ[63][64][65][66]、中国は当時の世界のGDP増加の過半数に関連したことからリーマンショック後の世界経済を救済したと評されるも[67][68]、この投資主導の政策は人民元改革とともにバブル経済を加速させてバラマキ財政や箱物行政のような無駄な公共投資と地方融資平台による不良債権などの課題も残したと批判する見方もある[69][70][71]。ただし、農村部住民の足かせとなっていた農村戸籍の廃止に地域限定で乗り出し、「新型農村合作医療制度」と「都市部住民基本医療保険」の導入で保険制度のなかった農村部と都市部を統合して2020年までの国民皆保険(全民医療保障)を目指した点は評価されている[72][73][74]。
就任当初多くのヨーロッパやアメリカの為政者は胡に対して「隠れた自由主義者」という期待感を持っていた。実際に2002年発生した伝染病SARSに関して前任の江沢民政権ではほとんどの報道が規制されていたが、胡就任後には感染経路等の詳細な報道がなされるようになり、胡耀邦の辞任や2008年に発生した四川大地震のような国民の関心の高い出来事に関する報道は国内外問わず江沢民政権時代に比べ開放路線へと向かった。
しかし、胡はインターネットの監視と警告も行っており、江の時代よりも敏感な政治的検閲を行った。2008年のチベット騒乱や2009年ウイグル騒乱の際は地域限定でインターネットの遮断も起きた[77][78][79][80][81]。
なお、2010年2月21日には人民日報が運営するミニブログ「人民微博」へ胡本人がアカウントを開設したと話題になったが、一言もメッセージを残さぬまま、翌22日には非表示となった[82][83]。またこのとき、濤哥(胡錦濤アニキ、という意味)」という愛称で呼ばれている。
2006年3月、中国国内における多数の社会問題への対応として、胡錦濤は、「8つの名誉と8つの恥」という題目の、中国国民に守らせる道徳規律・「社会主義栄辱観」を公開した[84]。「8つの名誉と不名誉」として知られている代わりに、良き国民が名誉と考えるものと、恥と考えるものとが要約された、8つの詩趣に富んだ政策が盛り込まれている。いよいよ脆弱になる社会構造の中で主に同世代の中国人が関係している金と権力の掌握と、改革開放後の中国がもたらした、ますます増加する道徳心の欠如を、胡錦濤のイデオロギーで解決する方法として広く知られている。これは中国共産党指導者自身のための基準から、マルクス主義者の理論に貢献するものへと変わった。また、各大学への「マルクス主義学院」の設置を推し進めた。
北京オリンピックと上海国際博覧会の準備で教室に張られたポスター、街の通りにある旗、そして電子工学による展示板など、普及を促進している。胡錦濤の政策は、前任者のイデオロギー、すなわち、江沢民の3つの代表、鄧小平理論、そして、時代の中心であった毛沢東思想とは異なり、社会的・経済的目標を課すことに反対して徳治主義的に道徳規範を成文化したものへ推移している。
2008年8月、ジョージ・W・ブッシュ(右)、ジョージ・H・W・ブッシュ(中央)と
2007年、ウラジーミル・プーチン(右)と
2008年、BRICsの首脳4人。左から、マンモハン・シン、ドミートリー・メドヴェージェフ、胡錦濤、ルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ
胡は外交政策として、後述する日本や台湾の例にある通り江の外交政策の修正に集中しており、世界のさまざまな国と関係を強化した[85][86]。
胡はアメリカ合衆国・中国・朝鮮民主主義人民共和国の三者協議とさらに近隣諸国の韓国・日本・ロシアも加えた6カ国協議を北京で主催するなど北朝鮮核問題に積極的に従事している点で、江とは異なる。北朝鮮にとって当時最大の貿易相手で経済的に依存し[87]、中朝友好協力相互援助条約で唯一軍事同盟を結ぶ国であることから中国に仲介を要請した米国に対して江は二国間の問題であるとして取り合わなかったが、胡はアメリカの起こしたイラク戦争の衝撃から仲介に乗り出したとされる[88]。当初金正日は対話を拒否するも、中国が3日間原油を禁輸したことで態度を翻したともされている[89][90][91]。胡は6カ国協議による多国間対話での平和的解決を基調としつつ北朝鮮への圧力の必要性も理解し、日米の提案した国連初の対北経済制裁である国際連合安全保障理事会決議1718にも賛成した[92]。
胡は中国和平崛起(英語版)を掲げて中国の台頭は平和と安全に寄与することを国際社会に保証するとし、世界の様々な地域に中国人民解放軍などから部隊を派兵して平和維持活動(PKO)への参加を本格化させて中国は国連常任理事国最大のPKO派遣国となり[93]、特にアフリカを重視してスーダンでの国際連合アフリカ連合ダルフール派遣団の成立に主導的な役割を果たし[94]、リベリアでは平和維持軍に参加する中国が国連への影響力を利用して台湾(中華民国)との国交断絶をリベリアに行わせたと台湾政府から非難された[95][96]。ソマリア沖海賊対策では中国人民解放軍海軍の艦隊を派遣して建軍以来初の実任務外洋遠征を行って真珠の首飾り戦略に基づいた中国の海洋進出を推し進めた[97]。アフリカ諸国への援助も積極的に行い、アフリカ諸国の首脳を北京の中国・アフリカ協力フォーラムで集めて胡が行った提案でアディスアベバのアフリカ連合本部は中国の資金と企業によって建設された[98]。さらに「アメリカの裏庭」ともされてきたラテンアメリカ諸国に影響力を拡大し、中国は米州ボリバル同盟や南米諸国連合を立ち上げて米国と対決姿勢を強めていたベネズエラやエクアドルの最大の債権国になり[99][100]、中南米諸国の首脳が集められたカラカスのラテンアメリカ・カリブ諸国共同体の設立会議で議長のベネズエラのウゴ・チャベス大統領は米国を批判して胡の祝電を読み上げている[101]。
また、胡は中国の持つ世界最大の外貨準備高を活用してアジア・アフリカ・中南米の発展途上国(G77)での資源権益獲得だけでなく、アメリカ・欧州・日本などの先進国(G7)にも対外投資を行う走出去を推し進めた。中国が最大のアメリカ国債保有国や最大の貿易赤字相手国となって無視できなくなったアメリカでは、中国とあらゆる世界的な問題において協力できるとするG2論が流行するなど中国が世界にもたらす影響は胡錦濤の在職中に増大した[86]。
世界が全部自分の敵って感じがして、でも上手い具合に論破してやったら拍手喝采で負けを認めてくれるといつも信じてる。
実際には、子供の頃に良心や教師相手に癇癪を起こして見せれば周囲があれこれと配慮してくれただけの思い出を自分の手によって権利を勝ち得た成功体験として深く刻んでしまってるだけ、ってことに気づけてはいる。
でも頭に血が上るとついついやってしまうんだな、不機嫌アピールによって周りを自分に従わせようとする赤ん坊帰りみたいなことを。
それもこれも俺の前頭葉辺りが生まれつきアルツハイマー症の老人並みに貧弱で、自制心というものを生み出す機能がまともに備わっていないせいなんだと思う。
言い訳を言ってるんじゃなくて、むしろ逆で、私は無能で、はっきり言えば生まれついての悪党だと自白している。
大坂なおみも多分同じなんだと思う。
一応今の医学では病気や障害ということになってるが、単に社会が許容する定型発達の枠が狭いだけの代物だ。
一番上の皮を虫がちょっとかじっただけのキャベツを歩留まりとして畑の肥料としてトラクターで埋め直してしまうような。
社会が持っている豊かさの総量が低いがゆえの余裕の無さというものが、非定型発達の絶対数を見かけよりも増やしてしまっているというただそれだけ。
なんて言うには自分たちの人格が極めて粗暴で傍迷惑で、はっきり言えば人権が全人類に備わっているから生き延びているだけで時代が時代なら迷惑防止条例違反感覚で打首にされてたのかもとは思う。
だが違うんだ聞いて欲しい。
そういう人間でも普通に生きなきゃいけないっていう時代の要望が厳しすぎるんだ。
おとぎ話の隊が一律の26cmの靴を配って、23cmだろうが29cmだろうが靴を足に合わせろと言い張るような、そんな余裕の無さからくるえげつなさばかりが社会を構成するブロックとして積み上がりすぎている。
大坂なおみみたいにキレるスポーマンがいてもよくて、それについて私達がスポーツマンは聖人だから税金で援助してやってるのになんて言い方をすべきじゃない。
それを言ったら、多くの人は単なる凡人のくせにIQがマジで200とかあるような天才が発明してくれた色々なものを享受して社会を行きているわけで、それもある意味では身の程知らずの援助を受け続けているってものだ。
これは何も大坂なおみが多様性の象徴になるべきという話ではなくて、単なるスポーツ選手に戻るべきって話でもなくて、誰がどういう風であるべきか押し付けたり一度誰かが演じたキャラクターの再演ばかりを求めたりしててもしょうもないってことだ。
人間は他人に対して興味があるけど興味がないから、他人のキャラクターについて単純で分かりやすくて理解するのに使う脳のメモリが少しでも少ないことを求める。
悪人は純粋に悪人で死刑が妥当であってほしいし、親愛なる友人はどこまでも自分に都合がいいが本人はそれを喜んでやっていて欲しいと思っている。
話がこんがらがっているが、こんだけこんがらがれば俺がアスペということは嫌でも信じてもらえると思うし、俺もこんな形で信じてもらえるんだろうなと確信しかないことに嫌気が差す人生だ。
大坂なおみはもしかしたらアスペとはまた違うのかも知れないが、そうであってもきっと普通の人より前頭葉が生み出す我慢強さが脆弱か、脳の他の部位が生み出す衝動性の強さに対して凡人レベルでしかないんだと思う。
早く走るF1カーにはそれ相応のコーナーリング性能やシャーシの耐久性が必要で、そうでないなら自分の加速力を自分がコントロール化に置くことが出来なくなるように。
一流スポーツ選手のテストステロンやアドレナリンの分泌量が常人とは全く別の生物種レベルであることは想像に難くない。
だがそれに相応しいだけの制動力を脳組織が身につけることまでが出来るかというと微妙なんじゃないだろうか。
つまり大坂なおみはものすごく興奮しやすいけど、それを御するだけの自制心がないんだ。
これは悪口とかじゃなくて、そういうデザインの肉体を持って生まれただけなんだ。
そう私はこれがいいたかった。
脳筋だの瞬間湯沸かし器だの言われてしまう人間は、人格が劣悪で生来神仏の視線を意識したり他人を慮ったりしてこなかったから怒りっぽいのではなく、身体がDNAレベルでそういう風にデザインされてしまっているだけなんだ。
それがもちろん赤の他人からすれば単に迷惑なだけで、ナチス的に言えば10秒後にガス室域が決定して10日後には死体の処分も終わっているような人間のクズという扱いなのだとしてもだ。
大坂なおみが何をしたいのか理解できないなんて安易にあれこれ言うべきじゃない。
単にカッとしたというだけだろうし、そして単にカッとしたというだけのことを他人があーだこーだ言っていいのはそれで人が傷ついたときだけだ。
補足するが、大坂なおみの発言によって私は傷ついたとあなたが主張するなら、それはあなたを傷つけているのはあなた自身の中にあるプライドの高さだったり自分に対する誤魔化しの繰り返しで起きた歪だ。
相手の中にある後ろめたさを内側から爆発させることで、相手の中から出た毒によって自家中毒を起こし、それによって生ずる不快感を取り除くための代償行為として誰かに忖度してみたくさせようとすることが、アスペにはよくある。
アスペ的な人間がカっとすることで他人をコントロールする時にこれはよく使われる手だ。
だがこれには弱点があって、本当に良心の呵責がない人間には効かないし、トリガーの起こし方が的外れすぎると完全に意味不明で終わる。
多くの場合はお互いに非がある状況で、自分の非をことさらに認めることで相手も相手から非があることを主張しないと人道にもとるかのよう雰囲気を醸し出していくことでそれは行われる。
もしそれが綺麗に刺さってしまったのなら、それはつまり自分が後ろめたさを持っているということだ。
この自家中毒攻撃の最悪なところは、それを爆発させられたことに対してアスペを恨むと結局はその毒がどんどん自分に回るということだ。
やるべきことは落ち着いて自分の中にある毒を解毒するような方向に動くことで、焦って反撃をするほどに自分の精神も社会的立場も苦しくなるようにそれは作られている。
大坂なおみのブチギレアクションによって傷ついたと思うのなら、距離を取れるならとにかく距離を取ることが最適だ。
アスペの一人としてハッキリ言うが、こういったことをする場合はやった側の作戦目標の一つに距離を取る方針を同意させるというものがある。
とにかく距離を取りたいんだ。
それはある意味では大坂なおみの作戦勝ちとなるのだが、こんな手を使った時点ですでに負けのようなものなので、そのまま勝たせてやればいい。
形としては1-1のイーブンになるが、引き分けなら別に何のデメリットもない。
もしも引き分けにデメリットがあると感じるのなら、それはあなたが自分が特別で誰に対しても勝利しなければいけないと誇大妄想に陥っているか、自分以外の人間を矮小化しすぎているだけで、あなたもまた心の病気、生まれつき脳の構造が定型発達に失敗した悲しい現代人なのだ。
つまり「やらなくて良いとルール変更するよう求めるべき」というのは正確な物言いではなく、
正確には「やらなくて良いとルール変更するよう”確実に変更を実現できる方法で”求めるべき」という事で良いかな?
ちょっと立場を変えて考えてみて欲しいんだけど、君がルールに従わせたい側だとして、
「①ルールに従う」か「②ルールを確実に変えられる行動をする」しか大阪なおみに選択肢が認められないとすると、
君の最適な戦略は「絶対にルールの変更に応じない」じゃないかな?
そうすれば②は実現不可能なので、自動的に大阪なおみは①しか選択肢は無くなる
という風に考えると、そもそも①、②の選択肢しか認められないとする君のルールは、ルールに従わせる側に有利過ぎない?有利というか、勝確だよね?