はてなキーワード: パラスとは
他所様のキャラクターをパクリ扱いする前に自分がそのまんまのパクリ連発じゃねーか。
フシギダネ→🐸
バタフリー→🦋
スピアー→🐝
ポッポ→🕊
ラッタ→🐀
フーディン→フーディーニー
サワムラー→沢村
レディバ→🐞
ドータクン→銅鐸
オドシシ→🦌
うーん……人のパクリを責める前にまずは自分のパクリについて反省すべきだね。
動植物をカートゥーンに上手く落とし込んでいるキャラクターもいるにはいるが、元の動物のデザインをそのまま流用しておいて「これオリジナルなんでパクらないでください」は流石に苦しいだろ。
人様にパクらないでと頼めるに足る最低ラインのオリジナリティに達してると胸を張って言えるキャラクターだけ作ってるならともかくさあ……。
誰でも思いつくようなものを作っておいて「これなんか俺のに似てるんだけど💢」は例の事件の犯人と同じことしてね?
まあ火をつける所までいかないうちはセーフだけど、オリジナルであるという主張が通らなかったときに暴れ出したら同じレベルやぞマジで?
https://news.yahoo.co.jp/articles/e574e0f64084f4e5428d2fd6883f5bfcc7028c89
東京都、ジャニーズの風間俊介さん起用を継続へ 「パラ応援大使」
故ジャニー喜多川氏による性加害問題をめぐり、東京都の小池百合子知事は15日、都の「パラリンピック応援大使」を務めるジャニーズ事務所所属の俳優・風間俊介さんについて、起用を続ける考えを示した。
問題を受け、同事務所のタレントを起用したCMを取りやめる動きが相次いでいる。
都政策調査課によると、風間さんは2019年以降、パラスポーツ振興やバリアフリーの推進に関する会議のメンバーにも在籍。都のホームページなどに応援メッセージを無償で寄せている。
小池氏は同日の定例会見で、「風間さん本人が障害者スポーツに熱心。基本的にはボランティアで来てもらっていて感謝している」と話した。これまで事務所を通していたが、風間さん本人から承諾を得る形に切り替えるという。
風間さん以外に都で大使などを委任している同事務所のタレントはいないという。小池氏は今後の起用方針について、「コンプライアンスの問題を解決するまでは事務所との新たな契約を行わない」と話した。
でも医療支援を前提としているパラスポーツ選手が、医療に不必要なまでの負荷をかけることによって手にした栄光を根拠として表彰されるのはヤバイと思う。
パラスポーツってのは「本人の努力」+「医療の進歩」+「周囲の理解」が三位一体となって初めて成立するものなわけで、そのうちの一柱を蔑ろにして得たものを過剰に称賛すべきじゃない。
ある意味でパラリンピックってのは「人間は1人じゃないから、1人では諦めるしか無かったことも皆なら出来る」っていう団結の宴みたいな側面が強いんじゃないだろうか(オリンピックは記録がすごい出る人が1人でマネージャーもやれば解決)。
4年に1度だから開催させて欲しいであの大会に参加してしまった全てのパラ選手は、その十字架のもとに「自分たちは独善のために多くを犠牲にしたものです。真に称賛されるべきは参加を辞退した人達です」を言い続けるべき。
連日パラリンピックを見てる。ゴールボールとか車いすバスケとか車いすラグビーとか陸上とか超楽しい。
しかし自分もだが、世間(マスメディア、ネットなど)もオリンピックのほうが俄然盛り上がった。愛は地球を救うとか言ってるテレビ局でさえパラリンピック競技の中継をしない。
今回パラリンピックを初めてじっくり見て競技としての楽しさを知った。障害があって大変だな、とは心のどこかで思うけど競技を見てるとそんなことは関係なく家族で盛り上がって見れるし楽しめる。
競技としてこんなに楽しいのであれば、いっそパラリンピック競技もオリンピック競技にしちゃえばいいのではないかと思う。
オリンピックとパラリンピックを分けて開催する必要あるのかと。
オリンピックの期間を長くして、その中の競技として義足100m走、ゴールボール、車椅子バスケなどのパラスポーツを一緒にやってほしい。
そうすればパラスポーツにももっと注目が集まりメダリストはオリンピックメダリストと同様の称賛、注目、名声を得られるし、見てる方も区別無く盛り上がって楽しめるのではないかと思ったって話。
淡色に忍ばせた開催国の現実 パラ公式画、問い直す理念―山口晃さん〔パラリンピック〕
https://www.jiji.com/jc/article?k=2021090100130
https://gtimg.tokyo2020.org/image/upload/production/ncj661vov3cktjtwyrj5.pdf
美しい一枚絵に練られた趣向は見事でブコメも絶賛の嵐。さすが一流の画家である。群馬県出身の私も鼻が高い。
だが、引っかかる部分も多かったので軽くメモをする。
クラス | 状態 | |
W1 | 車いす使用 | 四肢まひなど |
W2 | 車いす使用 | 対まひ(胸・腰髄損傷)など |
ST | 立位orスツール(いす)使用 | 上肢・下肢障害 |
オリンピックでは「リカーブ」と呼ばれる弓のみを使うのに対して、パラリンピックではリカーブと、コンパウンド、2種類の弓が使われる。
アーチェリーを元ネタにしているが、風刺として利用している所は全部ウソである。
これをパッと見た人が、「アーチェリーというのはこういう風に無理やりさせらされる競技なのか。そこをデフォルメしているのか」と思ってしまう恐れはないか?(かくいう私が初見でちょっと誤解した。それから調べて違うのだとわかった)
これオリンピックの公式ポスターなんですけど、「別に良い」の?
休憩(後日書き足し予定)
荻上チキ・Session | TBSラジオ | 2021/07/19/月 15:30-17:50 https://radiko.jp/share/?sid=TBS&t=20210719160547
(荻上チキ氏)
この小山田圭吾氏が過去に行っていた、いじめに関する露悪的なまぁ、発信。
1回のインタビューでぽろっと答えたということではなくて、複数回のインタビューで詳細にそのいじめの中身を語って、しかも悪びれる様子がないというような様子というのは、Web上でも20年以上前からたびたび話題とはなっていたわけです。
そうしたようなことがずっと棚上げされたまま、今回オリンピック、パラリンピックで楽曲提供をするという風になった際に、この名前がでてきたことに対して、これは明らかにちょっとミスマッチだろうというような非難がさらに盛り上がり、また今回の報道などによってその出来事、そういった発言を過去にしていたということを初めて知ったという方も多くいると思うんですよね。
90年代の音楽などに触れている人などにとっては、コーネリアス・小山田圭吾氏というのはとてもあの馴染みのあるミュージシャンだと思うんですけれども、でも日本全体でどれだけの認知度かというと、そこはちょっと分からないところがあるので、むしろ今回の件で小山田氏を初めて知った人にしてみれば、オリンピックなどで楽曲提供しようとしていたけれども過去にとんでもない犯罪的な差別を行っていた人物だったっていう情報だけ与えられると、当然ながらそんな人物不適格でしょ、となるのはこれまた当然ということになりますよね。
この件っていうのは、過去にじゃあ行っていたいじめ加害が発覚した場合に、その人の仕事までキャンセルする必要があるのか?というような問題として理解される向きも一部あるんですけど、その問題とこの問題は別だと思うんですよね。
今回のは、過去のいじめ加害というのが何かのきっかけで「発覚」した事案、ではないんです。
そうではなくて、小山田圭吾氏が繰り返し過去のインタビューの中で攻撃的、露悪的な仕方でいじめの手法というものを赤裸々に語っていた、それを読んだ人たちに対して当然不快感を与えるかもしれないけれども、それを一つのエンターテイメントとして味わって欲しい、読んで欲しいという感覚、文脈で内容を提供しているということになるわけですよね。
そうすると、いじめとか差別というものを軽視するような発信というものを、アーティストになってから行っていた問題ということが、ここに関わってくるわけです。
過去のいじめ加害という点でいうと、国立教育政策研究所のデータなどだと、小学校から中学校の間にいじめ加害を行っていない児童というのは1割程度しかいないんですよね。
やはり誰かしら、何かしらのタイミングで、誰かに否定的なあだ名を呼びかけたりとか、誰かを無視したりとか、誰かを叩いたりとか、そうしたようなことを一定期間行うということはしてしまうところがある。
ただそれが持続的にどこまで行うのか、何年間も行い続けるのか、ずっと行うポジションにいるのかということで見ると、どんどん数が絞られていって、継続的な加害者になっていくという人はその中でもまた一部になっていくっていう状況があるわけですね。
ところがこの小山田氏の様々な発言というものは、そのいじめの文脈というものを超えた、性暴力でもあるし、障害者差別でもあるし、いろんな問題を含んでいるわけです。
インタビューの中でも紹介されている加害行為というのは(先程「たまむすび」の中でも少し紹介されたりしていましたけれども)たとえば人前でマスターベーションすることを強要するとか、あるいは女子達が見ている中でわざと服を脱がして人前を歩かせるであるとか、あるいはぐるぐる巻きにしてバックドロップをしたり、あるいはまた大便を食べさせたりとか、そうしたようなことを繰り返していたんだということを言ってるわけです。
他にも様々なダウン症の児童などに対する侮蔑的な発言というものを仲間内で繰り返していたことなど、いろいろなことを自ら発信されてるんですけど、インタビューの中だと(笑)とかそうしたような文言を用いて、非常に露悪的な仕方で発信されていたということになるわけですね。
こういったような事態というものは、このインタビューを読んだ人たちに対しては大変なストレスを与えることには当然なるわけですね。
なぜこれがストレスなのか、ということも改めて振り返っておきたいと思うんですけど、僕がたまに紹介している概念で「公正世界信念」という概念があります。「公正世界仮説」と呼ばれることもあります。
これはどういうことかというと、「この社会というのは、正しいことをすれば報われるんだ」というような考え方、これが公正世界信念ですね。「この世界は公正にできていて、人々が適切に振る舞えば、世界はそれに応えてくれる」という一つの信念というのがあって、多くの人たちはこれを内面化しているんですね。
内面化するからこそ「努力は報われる、だから頑張ろう」というようにモチベーションを維持することができる、動機づけを保つことが出来るわけです。
逆に言えば「正しくないことをすれば懲罰を受けるよ」というような考え方でもあるので、これがまた社会から逸脱をするのではなくて適応しようというモチベーションに繋がるところがあるんですね。
良くも悪くもこういった信念を持っているという人はとても多いんだけれども、ただこういった信念が揺らぐような悪いニュースというのがしばしば飛び交ってくるわけですね。
そうすると「あれ?今起きた事件って公正世界信念を揺るがしてしまうじゃないか」誰かが例えばいじめられていた、誰かが性暴力を受けた、そうしたような、バッドニュースが入ってきた時に、人はとっても不安感を抱くわけです。
その不安感は、要は「もしかしたら自分も努力しても報われないこともあるかもしれないし、気をつけていても被害に遭うかもしれない」っていうこと、ってなるとすごいストレスなんですよね。
その時に取られがちな手段が二つありまして、そのうちの一つというのが「被害者非難」被害者が悪いというんですね。
どういうことかというと「これは公正世界信念が揺らいだのではない、世界は変わらず公正だ、と。だけれどもあの被害者に落ち度があったから、あの被害者は適切に努力してなかったからそうした目に遭ったんだ、つまり過去に正しくない事をしていたからその懲罰として被害にあっただけなんですよ」っていうふうに矮小化をする。
こういったような仕方で、貧困当事者を叩いたり、被災した方を叩いたり、性暴力の被害にあったことを叩いたりということで、むしろ弱者を叩くっていう方向で解消しようとしてしまうのも、公正世界信念のもたらす現象なんですね。
でも、同じく公正世界信念が揺らぎそうになった時に起きがちな方略のもう一つが「加害者に対するバッシング」加害者に対する過剰な懲罰や"悪魔化"ということになるわけです。
要は加害者に対して因果応報というものをもたらしたい、因果応報をもたらすことによって、このモヤモヤした感覚をなんとか治めたい、って感じるものなんですね。
この感覚そのものはとても重要ではあるんだけれども、場合によっては「加害者がまだ謝ってないじゃないか、加害者はきっともっと碌でもない奴だ」っていうことで、悪魔のような存在として描かれるようなことがあって、そうなるとどう対処してもこの信念が回復されないっていうことになってしまうわけです。加害者がどれだけ謝罪をしても、なかなか対処が困難だということにもなりうるわけですね。
一般的にこうした公正世界信念というものは、人々にとても重要な動機づけを与えるし、社会に適応しようという努力を与えるものではあるけども、しばしばそれがコントロール不能な攻撃に向かうような側面というのも当然あるわけです。
ただ、こうしたような「被害者非難」とか「加害者非難」が全部悪いのかというと、そう単純に語れないというところもあるんですね。
「加害者非難」などに通じることによって、一定の抑止効果とかいうのを社会に拡散したいという人もいるでしょう。いろんな動機がそこにあるわけなんです。
今回の件についてはどうなのかというと、明らかにやっぱり小山田氏が発言していたことが明らかになったら、大変多くの人達も不愉快に思うし、また非常にこの世界を不公正だという絶望感を味わうことになる。だから何かしらな仕方で公正さを回復したいと思う。ここまではもう多くの人たちの望むところだと思うんです。
ではその回復の手段がどうすればいいのかというと、今回のようなケースって、回復の手段がほとんど難しいんですね。
例えばすでに被害を受けていた当事者はいて、その人はその後いろんな後遺症とか様々なものを味わって生きてきたかもしれない、それを例えば今更謝罪したからといって回復できるとは限らない、つまり、加害者が被害者に謝罪をすればそれで治まるような案件ではどうも無さそうということも分かっている。
一方で社会に対して、多くのこの不公正があったことについて、あるいは不公正があるということをアーティストとして発信したことについて謝罪すればそれで治まるのかというと、なかなか治まらないでしょう。
少なくともパラスポーツとかオリンピックなどのテーマソングを書くという役割は適任ではないということは言えると思うんですね。
一方で別に小山田圭吾氏に今後ミュージシャンとして二度と活動をするな、みたいなことを言ってるわけではない。
そこはあの今後どういう風にやって行くのか、今後小山田氏の振る舞いとか応答責任を通じて、多くの人たちが「なるほど、まあそう言うんだったら」という風に安全感覚を取り戻せるかどうかにかかっています。
だから今回のペライチで出した謝罪文で多くの人達が納得できるというわけでは当然無いわけなので、今後の様々な発信において、その問題にどう取り組んでいくのか、どう向き合っていくのか、その姿勢を見せ続けることによって、人々の「加害者避難」でも「被害者非難」でもない、ある種の「修復的公正」と言うんですけど、公正感覚が修正されていくというか、取り戻されている感覚というものを、ひとりの発信者としてもたらすことができるかどうか、それが小山田氏に問われてるポイントのひとつになるわけなんですよね。
で、これはとても難しいことではあるんだけれども、アーティストとしていじめ加害の手法などについて露悪的に語って、それが障害者差別などをさらに助長して、なおかつ多くのいじめ被害者に対しても二次加害をインタビューを通じて行った、という点について、同じアーティストとしてどういう風にその後自分で責任を取るのかということはこれからも出てくると思うんです。
だから今回テーマソングを作るか作らないか、これは作らない方がいいと思います。そしてその仕事を降りた方がいいでしょう。
ただその後二度と活動するなという話ではなくて、それに対して活動者としてどういう風に向き合っていくのかということを多くの人たちが見ていきますよ、ということに応答責任というのが出てくるということになるわけですね。
これ、見ている側もやってはいけないのは、「防衛的帰属」という言葉があるんですけど、何かの問題をどこに帰属させるか、どこに責任の所在をおくかっていうのが、その人達の考える倫理観とか道徳観とは別に、その人の考える将来の損得で左右されるところがあるんです。
例えば今回小山田氏を擁護してる人がいるんですね。たとえば「そんな過去の話」とか「その当時はいじめを露悪的に語るのが当然だったんだ」みたいな仕方で擁護する人たちがいる。
それを見ると、結構典型的な「防衛的帰属」だなって思うわけです。
どういうことかというと「彼が悪いことになると、自分も悪いことにさせられてしまう可能性がある。だから『彼が悪くない』っていう風に言うことによって、自分が叩かれるリスクを下げたい」。つまり自分を防衛するために、責任の所在を「彼ではない」「ここではない」「そこではない」というふうに位置づけたがるということなんですね。
そういうふうに、どこに責任を帰属させるのかっていうようなこと自体が、人々にとって損得を左右されるような問題になってるわけです。
だからネット上などでも、実はその、小山田氏のあり方というものを擁護する声というのも、まちまちあって、しばしばあって、そうしたかたちを見ると、たぶんその自分の振る舞いとか、自分のメディアの振る舞いとか、90年代の表現とかいうものまで堀り返されると問題だなっていう風に思われると色々発表がしにくくなるとか、そうしたようなことが場合によっては関わってくる可能性もあるわけですね。
そういうような「防衛的帰属」を繰り返していると、結局、今回どうすればいいのかっていう議論が前に進まないことになるんですよ。
そうして「自分が叩かれたくないから、この人は擁護しとこう」みたいな損得勘定で議論されてしまうと、結局、「被害感情にはどうすればいいの?」とか「こういったものを再発しないためにはどうすればいいの?」っていう議論が出てこないことになるんですね
ちょっと遠回りした言い方になりましたけれども、今回インタビューによって多くの人たちが非常に不公平な世界だっていう感覚を突きつけられた、それに対してなんとか回復したいっていう強烈な動機に突き動かされているという状況がある。
それをやったのは何かの暴露とかではなくてミュージシャン本人のインタビューの中での発言だったから、ミュージシャン本人として今後の発信などでどう応答するのかということは当然問われてくるだろうと。
それが行われてない現段階においては、このオリパラのテーマソングを受けるというのは不適格だことに当然判断されることにはなるだろう、と思うわけですね。
ではその後どうするのか。
これ一朝一夕に本人が反省しましたって言って何とかする話ではないでしょうし、反省云々ということするためには基礎知識とかいろんなことが必要になりますよね。
どう誤っていたのかを言語化できないと、応答はできないということになるので、今回の本人のメッセージ云々でおそらくなかなか納得しがたいようなところがある中で、どうそれに向き合っていくのかということが問われていくのかな、という風には思います。
80年代90年代当時というのは、特にいじめ対策というものは今より脆弱でした。今は随分といじめ対策で、科学的に何が必要なのかということもわかってきました。
今回、多くのメディアがこのいじめ問題を取り扱うのであれば、いじめ対策として今どういった知見がより重要で、よりどういった教育こそが必要なのか、という話も、いろんな現場に広げてきてほしいなと思います。
https://anond.hatelabo.jp/20210430101328
近年、俺が良く遊んだ、面白かったゲームを並べてみると見事にMade In Japanがない。
(略)
「つまらなくなった」以前の問題として、国産ストラテジーゲームが絶滅危惧種であるというのが現状では。
とりあえず4gamer.net のタイトル検索( https://www.4gamer.net/script/search/index.php?mode=title )で、ジャンル: "ストラテジー"+特徴/開発地域: "日本"で検索し、発売日順にソートして2018年から2020年までのリリース状況を見てみようず(ちなみに、この条件に当てはまる最も最近のゲームのリリース日が2020/12/17なので、2021年は0本。なので実質として直近三年分のリリース状況になる)。
結果がこれ
複数プラットフォームでリリースされてるものは一つにまとめている。また、「ストラテジーゲームの定義」は面倒なので、ここではとりあえず「4gamer.netでストラテジータグが付いているもの」とする。
感想としては、ほぼほぼナンバリングタイトルと有名タイトルからの派生じゃねーか感がある。あと発売元もコーエーテクモゲームス、セガ、システムソフト・アルファーのヘビロテ。
「でもストラテジーゲームっていうジャンルは昔からだいたいこんなもんでしょ?」みたいな人もいるかもしれないので、同じ条件で2001年から2003年までの三年間のリリース状況を見てみようず。
注意点。当時の4gamer.netはPCゲーム専門だったので、上のデータと違ってコンシューマゲームについての登録がない。時代が時代なのでスマホアプリはそもそも存在してないし、ガラケーアプリについても登録は無い。
また、復刻版や廉価版については除外。パワーアップキットなどの追加要素単独発売についても除外。
現在と比べると、リリース数もさることながら発売元やシリーズ名もかなり多様性が有ったことが分かる。あと、上に書いたとおりコンシューマゲーム機向けの情報が抜けているので、実際にはもっとリリースされてたはず。
とはいえこの頃が国産ストラテジーゲーム黄金時代だったかと言うとそうでもなく、後にクソゲーオブザイヤー常連となる某社を筆頭にして、DOS時代と比べると技術的にもゲームシステム的にも後退した印象が強い。
某社、DOS時代は大戦略シリーズの焼き直しだけじゃなくて、「ブリッツクリーク」で諸兵科連合を考慮したシステムを入れたり、「パンツァーカイル」で士気システムや部隊編成システムを入れたりとか、「空軍大戦略」で航空戦に特化してみたりとか色々とシステム面でチャレンジしてたのだけれどなあ…
メーカー側が「ストラテジーゲーム」としているのに4gamer.net側は「シミュレーション」としていたりする例や、カジュアル寄りのRTSやタワーディフェンス系のゲームが含まれていないなどの指摘について。
指摘自体は妥当とは思うけれども、このあたりを深く突っ込んでいくと際限が無いので
と敢えて逃げている。定義論争はSFだけで十分だし、ここでやりたいことは網羅ではなく「同じデータソースを使って過去と現在の状況を比較してみる」ことなので。
ゲームタイトルをジャンルと開発国で絞り込み出来るのが楽なので。Impress Game watchは古くからの記事が残っているという点で非常にありがたいのだけれど、こういう形でタイトルを絞り込む用途には使いづらい。
このあたりも定義論争になりそうだけれど、「シミュレーション」というジャンルは本質的にかなり幅が広くて…
市長視点で市政をシミュレートしたゲーム、社長視点で経営をシミュレートしたゲーム、パイロット視点で操縦をシミュレートしたゲーム、農家視点で農場経営をシミュレートしたゲーム、神視点で生命進化をシミュレートしたゲーム、魔王視点でダンジョン設営をシミュレートしたゲーム、小隊長視点で戦闘をシミュレートしたゲーム、師団長視点で戦術をシミュレートしたゲーム、国家指導者視点で戦争をシミュレートしたゲーム、蟻視点で蟻の巣をシミュレートしたゲーム、普通の人視点でアクアリウムの維持をシミュレートしたゲーム、こういうの全部が「シミュレーション」というジャンルに収まってしまうわけで。
でも元増田が言及してるゲームは戦争・戦闘要素が絡んでくるやつが大部分なので、幅広い「シミュレーション」より、戦争・戦闘要素が強い「ストラテジー」で絞り込んだ方が良いなという印象。(といはいえ4gamer.netの「ストラテジー」ジャンルには戦闘関係ないやつも結構入っているのは確かだしsteamはより大雑把だったりするのだけれど。)
思った以上に酷い議論になってきててこりゃ酷いね(馬から落馬語法).
何らかの階級分けが必要なのは勿論だが,現在の性別で階級別けてるのが雑で不正確って話ではないの?
「肉体の性で」とか言ってる連中は何十年も前から半陰陽者で同様の問題が起きてんの知らないのかしら?「セックスチェック 第二の性」とか1968年やぞ.
個人的には性別によらない階級分け(ブコメでは適当に「テストステロン階級制とか?」って書いたけど、それが不適切なら筋肉量でもなんでもええよ.
とは言え人の基本性能はグラデーションだから階級分けを限りなく細かくしてったら「山田太郎級」とか1階級一人になっちゃって,己との戦いになっちゃうよね.
性差については「性別にかかわらず排気量をそろえる」でどうにかなるかもしれないけど,パラスポーツの障害程度については結構な難題になるかもしれんので,これはもうそろそろ「競争」って奴が時代遅れになってきてんのかも知れんよ.
「一等賞とる事」「勝負に勝つこと」を目標にして,それにインセンティブ与える競技は少なくとも個人の「スポーツ」に於いては終わりかも知れんね(興業の世界は別).
wikipediaの項目で、古代ギリシャの女神のアテナが「アテーナー」で、古代ギリシャの都市国家の方はアテーナイではなく「アテナイ」になってる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%83%BC
アテナイ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%86%E3%83%8A%E3%82%A4
なお、アテーナーには別名でアテーネーがあり、そのせいか『機動戦士Zガンダム』に出てくるモビルスーツ、
パラス・アテネは「パラス・アテナ」と「パラス・アテネ」の表記揺れがある。
どうでもいい知識ダナー。