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はてなキーワード: 南関東とは

2019-10-12

anond:20191012003358

南関東の某内陸県から海あり都県に二度越したが、両海あり自治体では、プラ燃えるゴミと一緒、外側がプラなら中身が金属でも燃えるゴミ扱い、で驚愕したなあ。

地味なことだけどストレス減。住む場所ってよく調べて選ぶべきだよなあ。

2019-10-09

anond:20191009075323

南関東も含めて東日本なんて全域ピカ汚染地域なんだから東北だけじゃない。無意識のうちにそうやって問題を「東北」に限定して安心しようとしてるだろ

2019-09-12

去年から仕事関係でいろんな中学高校に行くようになった。

最近不思議なのは南関東公立だと神奈川学校けが異様に生徒の態度が悪いと感じること。

貶したいわけじゃないんだけど、千葉埼玉と比べると明らかに性質が違うので、県の教育委員会方針とかの話になるのかもしれない。そういえば神奈川公立中学給食問題が取り沙汰されていたし、教育に関しては何か他の県とは違う方向性で行ってる気がする。

私立の生徒になるとそんなに他県と雰囲気変わらなくなるから余計そう感じるのかも?

2019-09-11

anond:20190911080334

家の(仮)補修とかは家主かいないとしてもらえないから動くに動けないのかもしれないよ。

南関東に住んでいるなら必要物資を持って行ってあげた方がいいよ。

支援が受けられる人と繋がっている実感を持てるだけで安心できるみたいだし。

2019-08-03

バス会社営業所での敷地撮影について思うこと

バス会社営業所内での敷地撮影について、バス事業者マニアもめごとは、自分が知っているだけで今年に入って3件あった。自分が知らないだけでもっとあるのだろう。

1件目は四国事業者、2件目は東北事業者、3件目は中部地方事業者で、3件目は本当かどうかわからないが、職員マニア殺虫剤を吹きかけたとマニア本人がツイートしている。もっとも、これはマニアの言い分なので、実際のところはどうかわからない。

マニアの方であればなんとなくわかっていると思うが、もしかしたらマニア以外の人が読むかもしれないので、ここでバス会社営業所での敷地撮影について、どのようなものか述べたいと思う。

インターネットが普及する以前からバス会社営業所事務員から許可を得れば、マニア敷地内で撮影ができるというところが多かったという。このダイアリーに書いている「敷地撮影」はこのことを指す。以前はマニア個人自己満足だったのだろうが、近年はインターネットの発達でマニア間同士の画像の載せ合い(=人よりいかに早く撮れたか)が盛んになり、Twitterなどでも敷地撮影画像をよく目にするようになった。

また、近年はバス会社バスを貸し切り、マニア参加者を募って各地の営業所に乗り込み、バス車両を順光になるように置いたうえで撮影するツアーが組まれることもある。ツアーと言ってもマニア企画参加者集めをしたうえでバス会社に申し込んでバスを貸し切っているので、個人的なツアーであり、バス会社主催ではない。敷地撮影区別するために、こちらのことは順光撮影会と呼びたい。

自分営業所での敷地撮影検討・実行する際は、事前に以下のようなことを確認している。

最近撮影された画像ネットにあがっているか

画像ネットにあげている人は特定個人だけではないか

本社併設かどうか

④窓口があるかどうか

田舎かどうか

敷地撮影許可を出す際に、書類への記入があるかどうか

①は大事だ。基本的画像ネットにあがっていないところは、よほどの田舎マニアが寄り付かないかそもそも敷地撮影禁止されているか突っ込み駐車で前から撮れないかのどれかだ。バスマニアは少ないとはいえ、よほどの田舎でもここ10年で撮影された画像がないところは、敷地撮影禁止されていると思っていいだろう。かといって、半年前に撮影された画像があったので、敷地撮影許可下りるだろうと思って行ってみたら「うちはそういうのは禁止」と言われたところや、自分撮影したあと、別のマニアが何かやらかし敷地撮影になったらしいというところはあるが。また、基本的許可下りるが、マニア嫌いの事務員さんが点呼係という日だけは許可を出さないといった事例も聞いたことがある。

②については、やはりマニアがその1人しかいないような田舎か、その1人がバス会社中の人、あるいは知的障害者バス会社ネットに載せるなと注意しているが無視している(日本語が通じない)のどれかであることが多い。マニアが1人しかいないような田舎、あるいはその1人がバス会社中の人であれば特段問題はないのだが、最後に述べたのは基本的敷地撮影禁止されていると思った方がいいだろう。この件についてはのちほど言及する。

③は、本社併設の時点で敷地撮影ハードルがあがる。本社併設でないところでもそうだが、敷地撮影は、誰が敷地撮影許可を出したのか、何か起こったときどう責任を取るのかという難しい問題が付いてくる。偉い人がいるところは余計そういうところに細かいし、何より本社併設のところは営業所の規模が大きく、バスの出入りが多いため許可が降りにくい。以前田舎の本社併設のバス営業所を訪ねたとき観光部の部長だという方が車両を案内しながら車庫内を一緒に回ってくれたことはあったが、そんなことはごくまれで、本社の人は基本的マニアはいイメージはない。本社でなくてもそんな気がするが。

④だが、一般人向けに高速バス乗車券を売っているところは、一般人が出入りしやすいため、マニアも受け入れてくれやすい。窓口がないところは、バス会社関係者以外の人が来ただけで身構えてしまうように感じる。また、敷地撮影の帰りにお礼として回数券を買うと、意外とマニア向けのお話しをしてくれる(○○号車はもうすぐ廃車など)のだが、それがないところは結構マニアへの対応は厳しい印象だ。

実は⑤が一番重要だ。なぜなら、都会は敷地撮影基本的許可が降りないからだ。南関東名古屋近畿など大都市圏基本的許可が降りない。既にインターネット画像が上がることなどへの対策として一律に禁止しているからだろう。地方でも一律に禁止になっている事業者もあるほか、県庁所在地営業所での敷地撮影禁止だが、車両10台ほどの片田舎営業所では敷地撮影OKという事業者もあるらしい。

⑥は複数事業者で取り入れられている。車両内に立ち入らないことなど注意事項が書かれた紙に住所や連絡先を記入し、宣誓書として残す。自分経験だけで地方わず6社くらいはあったと思う。うち1社は免許証コピーをとられた。もちろんやましいことはないので、どんどんやってもらって構わない。どこもをこういったことをやっていただければいいのにと思う。

今度はバス事業者から見た敷地撮影許可を出すことのデメリットを書きたいと思う。

敷地内でバスマニア接触事故が起こる可能性がある

盗難が起こる可能性がある

インサイダー情報ネット流出することがある

④一度ネット画像が載せられると、どんどんマニアがやってくる

一番危険なのは①で、これが起こったら敷地撮影禁止になるだろう。②は心無いマニア勝手部品をもっていく可能性がある。もっとも、以前2社で残高がなくなったバスカードの束をお土産代わりに渡されたことはあったが…。③は事務員運転手マニアに聞かれたので善意で未公表情報をしゃべったが、それをマニア勝手ネットに載せてしまうことだ。これはしゃべった事務員などが処罰されるので、本当にやめていただきたい。ただ、近年は中の人自らが会社非公認個人Twitterで廃車予定や新車導入といった情報を流している事例もあるが…。④は言葉の通りで、一度画像ネットに載ると「あの事業者敷地撮影許可が出るんだ」と、マニアがやってくるようになるのだ。

それにしても、なぜもめごとが起こっているのだろう。原因はいくつかあるだろうし、何よりそれは当事者間でしかからないことだ。しかし、ここであえていくつかの原因を推測したい。

1つ目は、「ネットに載せるなと言ったのに載せられた」であるバス会社において、ネットに載せられては困るものはいくつか存在すると言われている。どこまでを困るものに分類するのか、マニア間で長きにわたって論争しており、未だに結果は出ていないが、事故を起こしたバス車両などとされる。このほか、ネットへの画像掲載禁止敷地撮影許可を出す条件とされることもある。

2つ目は、「マニアの無断立ち入り」である。これは言語道断だが、残念ながら時々ある。その中でも知的障害者によるものが多い。以前あるバス会社訪問した際、運転手から「いつも勝手に入ってきて写真を撮るやつがいて、以前は注意していたのだが、知的障害者なので注意しても通じない」という話を聞いたことがある。この手の話は複数事業者で聞いたことがある。正直、日本語が通じない知的障害者なので、対策のしようがない。しかし、バス会社からしたら知的障害者であろうがなかろうがマニアであることに変わりはないので、何か問題を起こした場合ちゃん敷地撮影許可を得ているマニア迷惑がかかるので、無断立ち入りは本当にやめてほしい。知的障害者に向けてこれを書いたところで、読んでも理解できないのだろうが…。

3つ目は、「短いスパンで訪れる知的障害者に嫌気がさした」である知的障害者は加減がわからないため、週に何度もやってくる。そのため、知的障害者敷地撮影許可を出さないようにする。すると、無断立ち入りをするようになるのだ。あるいは、他のマニアが来ているとき知的障害者が来たり、運転手などから他のマニア敷地撮影できていることを聞いてしまったりすると、「なんで自分だけ入れないんだ」と知的障害者パニックになってしまい、知的障害者事務員との間でバトルになってしまう。先ほどあげた中部地方の件はこれに該当するような気がしてならない。

最近ではマニアマニアを注意している事例もみられる。これ自体はいことなのだが、その多くは順光撮影会ができなくなることを危惧しているのであり、本心からマニアマナー向上を願っているわけではないのが実情だ。

個人的には、敷地撮影に関するバス会社マニアもめごとの多くは、知的障害者が原因であると思っている。なぜなら、普通の人なら注意できることやものの限度が、知的障害者には実行・理解不能だからである知的障害者であれば、注意事項を理解したとする宣誓書が書けないであうから、宣誓書を書いたうえで敷地撮影許可を出す方式にすれば、多少は知的障害者敷地撮影させられないのではないかと思うが、それでも無断立ち入りの問題解決できないであろう。

これらは難しい問題で、敷地撮影禁止すること以外に解決方法はないだろう。しかし、そうされると困るのはマニアである。それゆえ、マニアは注意して行動したい。

※勢いで書いたので文法などにミスがあると思いますが、気にしないでください。

2019-02-25

anond:20190224151657

地震さえなければなんだかんだ言って南関東なんだろうな

2019-01-25

埼玉県北関東なのか南関東なのか

いつも迷うので中央関東って概念が定着して欲しいのだが。どうだろう。

2018-06-16

anond:20180616000619

オリーブミモザユーカリ西洋っぽい木を植えたいと思ってるんだけど、樹形がまとまらなくて手がかかり、いざ撤去しようとしても高額になると聞きました。本当でしょうか…?それほどでもないなら、南関東で結実するオリーブ植えたいなー。

2018-02-12

anond:20180211220235

エロゲソングさっぱりわからないけれど

日本三大都市で、人口の多い順に「東京」横浜」「大阪」だと南関東2つでバランスが悪いか

「東京」大阪」「名古屋」にするのが良いだろう

という話でいいのかな

2018-01-17

ここ数日増田記事福島県のことが書かれてきているか調子に乗る

anond:20180116221454

福島県全体がパッとしないのは震災からあって(バカ日本地図には「謎」とか書かれたし)、日本海側の「会津」、太平洋側の「浜通り」、その中間新幹線が通る「中通り」の3地方を有するこの県の面積は、最近TOKIOさんもCMで言ってるとおり南関東1都3県の面積に匹敵する。各々がいい特長を持っているが、県の日本一はコレです、ってのは少ないかもしれない。

はいひとつになって百数十年以上たてば「福島県民」というアイデンティティがあるわけで、分県だの廃県だの改名だののたまう輩はおんつぁげす、って感じだ。

だいたいはまぁブコメ言及されてるとは思うが、ややマイナーどころとして駅伝合唱が強いことは強調しておきたい。誇りとするところである。「山の神柏原君っていわき出身なんですよね?」「合唱めちゃ強いって聞きましたよ!」と県民に言えば喜んでこたえてくれるぞ。

「知らなかった」でもいい。これから知って、食べて、来てみてくれればなおいい。まずはお近くのニューデイズ販売店で酪王カフェオレからだ!

https://www.google.com/maps/d/embed?mid=1k3vKtP7WN7UZPKxESCxnxhKswpI&hl=ja_JP

追記: anond:20180117194414

それはクリームボックス。県中の郡山市を中心に地元パン屋さんで売られている。セブンイレブンでは県内限定販売だったが、最近ファミマで全国に置いてあるな。

他には関東でも新宿の「ポンパドウル」でも売ってるらしいし、物産イベントとかで出る「酪王カフェオレクリームボックス」もオススメだぞ!

2017-12-03

anond:20171203130239

本当に寒い地域は停車しても乗客自分で開閉するからな。

新潟JR乗った時、駅に着いたらドアのロックが解除されて、自分で襖のように開けるのは衝撃だった。

しか礼儀として開けたら閉めるという。

  

なお南関東の某私鉄では特急通過待ちの際、3箇所中真ん中の1箇所を除いて一旦ドアを閉鎖することがある。

(常にというわけではない)

2017-10-26

anond:20171025233924

立憲民主小選挙区候補者出してない県が多いから、その分で比例でも不利ってのはある

現に、候補者をたくさん出した北海道東京南関東では希望の党を突き放してる

まあ、九州ブロックのようにそれなりに候補者出しておいてさっぱりだったところもあるんだが

2017-10-23

anond:20171010174155

長谷川豊代議士になれなかった。

 

南関東ブロック維新が1議席を取れれば比例復活当選できる可能性があると書いたが、予測通りに維新が比例で1議席獲得したものの、長谷川豊小選挙区での得票率が予想より極端に低い10%以下だったため、比例復活供託金返還の条件すら達成できず、完全落選した。

 

千葉1区の人、お疲れ様でした。

2017-10-20

みんなの注目選挙区は?

俺の場合

埼玉5区立憲民主党代表枝野幸男選挙区複数マスコミで、枝野リードが伝えられているが、一部メディアでは自民リードとなっている。枝野場合比例復活は確実だが、党首小選挙区落選してては、いくら党に勢いあっても、選挙後に野党イニシアチブを握ることはできないだろう。ってなわけで、枝野が勝てるか、注目。

 

千葉1区自民希望、どちらが勝つか自体に関心あるわけではない。維新長谷川豊が何票取れるのか、維新千葉神奈川山梨南関東ブロックで比例議席を取ることができるのか、に注目。

 

山口4区安倍晋三総理大臣選挙区安倍勝利は変わらないが、加計問題を追及しているフリー記者黒川出馬しており、「安倍10万票阻止」を目標選挙運動を展開。安倍の票自体は、拉致問題名前が売れた2003年総選挙の14万票をピークに徐々に減らしており、2014年総選挙では10万829票。もし、10万票を切るようだと、小選挙区比例代表並立制になって初めて行われた1996年総選挙以来となる。

 

みんなの注目選挙区と注目の理由教えて?

2017-10-10

長谷川豊代議士になれるか

日本維新の会公認千葉1区から比例重複で立候補

千葉1区では、自民前職、希望(元民進)前職(前比例復活者)、共産と競り合う。

小選挙区での勝利は、いくら知名度あっても難しい。

 

となると、比例で勝てるかの問題

前回(2014年)の総選挙では、維新比例南関東ブロックで4議席獲得している。

しかしこれは分裂前の旧維新の党の結果である

今回は希望の党の台頭もあり確実に維新獲得議席は減るにしても1議席は確実に取ってくるだろう。

 

維新南関東ブロックの比例順位をつけていない。

から維新南関東小選挙区敗者5人からなる惜敗率勝負となる。

 

長谷川豊以外の4人の選挙区は、千葉2区千葉4区千葉6区神奈川6区

そのうち、千葉2区では前回の選挙で今回と同じ維新候補自民候補ダブルスコアで敗退。

千葉4区野田佳彦首相選挙区で、維新泡沫候補しかない。

千葉6区自民第一野党が競り合う選挙区。前回、次世代の党出馬して最下位だった候補が今回は希望の党で、前回敗退した民主党候補立憲民主党立候補。やはり維新は泡沫となる。

神奈川6区は、公明党の牙城。小選挙区での当選は敵わない。ただし、前回は維新候補公明候補と競り合い次点となり、惜敗率比例復活している。しかし、その比例復活した元維新候補は、今回は立憲民主党立候補。そこに新人維新候補が挑戦する。

 

で、長谷川豊千葉1区は、自民第一野党が競り合う選挙区で、前回民主党当選した候補が今回は希望立候補。前回、自民民主は、3位の次世代の党候補に3倍近い得票数の差をつけた。そこに長谷川豊が出てきても負けるのは確実だが、長谷川豊知名度と、希望の党イメージ悪化自民党のモリカ疑惑などで、票が長谷川豊に流れて惜敗率は上昇する可能性はある。

そうすれば比例復活当選可能性は大いにあるだろう。

 

まとめ(追記)

小選挙区での当選はない

・比例順位を決める党内5人による小選挙区惜敗率競争では優位に立てそう

維新南関東ブロックで比例議席を取れるかにかかっている

2017-06-04

山川出版日本史の何がすごいのか、さっぱり分からない

山川出版の日本史いかに凄いかについて情熱的に説明する」

http://blog.tinect.jp/?p=40198

はてなブックマークの人気記事だったので開いてみたのですが、驚くほど中身のない記事でした。

これ、おっさん居酒屋でしゃべっているレベルですよね??

『詳説日本史』を引用するなり参照するなりして、具体的にどこがどうすごいかを語ってほしかったです。

僕も10代の頃はあれが本当に理解できなかった。けど今ならああい教科書が作り続けられる理由がよくわかる。物事を語るにあたって、中立を維持しようとするとなると、事実しか語れなくなるのである

ストーリーというものは、基本的には何らかの価値観を元に構築されるものである日本民族いかに優れているかという視点で歴史を分析すると、それは右翼的な記述にならざるをえないし、平等であろうとすれば、それは左翼的価値観を元に記述せざるをえなくなる。

客観的な記述がされている、左右に偏向していない、中立だからすごいゾ、という感想には呆れ果てました。

いったい全体、どこが情熱的ですか? 教科書を読み返さず、いい加減な記憶をもとに語っても、多分これくらいのことは言えると思います。 

  

クソ記事を読んでしまい、あんまりにもムシャクシャしたので、私が自分で『詳説日本史』を引っ張りだしてきて調べました。

例えば「源平の騒乱」という項目は、次のように記述されています

平清盛後白河法皇幽閉し、1180年に孫の安徳天皇を位につけると、地方の武士団中央貴族・大寺院のなかには、平氏の専制政治に対する不満がうずまき始めた。この情勢を見た後白河法皇皇子以仁王と、畿内に基盤を持つ源氏源頼政は、平氏打倒の兵をあげ、挙兵を呼びかける王の命令(令旨)は諸国の武士に伝えられた。

これに応じて、園城寺(三井寺)や興福寺などの僧兵が立ち上がり、ついで伊豆に流されていた源頼朝信濃の木曾谷にいた源義仲をはじめ、各地の武士団挙兵して、ついに内乱全国的に広がり、5年にわたって騒乱が続いた(治承・寿永の乱)。

平氏は都は福原(現・神戸市)へと移したが、まもなく京都にもどし、畿内を中心とする支配を固めてこれらの組織に対抗した。

しかし、畿内西国を中心とする養和の飢饉や、清盛の死などで平家の基盤は弱体化し、1183年(寿永2)年、平氏北陸で義仲に敗北すると、安徳天皇を報じて西国都落ちした。やがて、頼朝の命を受けた弟の源範頼義経らの軍に攻められ、ついに1185年に長門の壇の浦で滅亡した。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

ここには明らかに編者の歴史観と、因果関係説明が詰め込まれています

  

まず、平清盛後白河天皇幽閉したこと、安徳天皇即位させたことは、この教科書では「平氏の専制政治」と評されています

当時の人たちがそう感じていたのか、それとも教科書の編者がこの評価を下しているのか、どちらなのか判然としませんけど、ともかく本書はこの評価にもとづいて記述がされています

  

次に、この「平氏の専制政治」が地方の武士団中央貴族・大寺院の不満につながって、 以仁王源頼政はそういう情勢を見たので挙兵したと書かれています

これはまさしく因果関係に言及しているわけです。

  

このように、教科書は単なる事実の羅列ではありません。歴史に対する評価因果関係がしっかりと述べられているのです。

そこにどういう学問的な裏付けがあるか、歴史学に無知な私はよく知らないです。あのブログ記事ではそのへんの話を説明していると思ったのですけど、まったくの期待外れでしたね。

  

なお、この教科書とおなじ編者がつくった参考書『詳説日本史研究』(山川出版社)によると、次のように説明されています

治承・寿永の乱は、一般には源氏平氏の戦いといわれている。しか歴史学的にみた場合、この全国的な動乱を単に源氏平氏勢力争いとみるのは正しい理解ではない。以仁王挙兵以降、軍事行動を起こすものが相次いだ。美濃近江河内源氏若狭越前加賀の在庁官人、豪族では伊予の河野氏・肥後の菊池氏である。彼らはあくまでも平氏の施政に反発したのであって、はじめから源氏、とくに源頼朝に味方したわけではない。彼らの背後には在地領主層があり、在地領主たちは自己の要求を実現するために各地で立ち上がったのである

彼らの動向をまとめあげ、武家棟梁となる機会は頼朝以外の人、例えば源義仲源行家、あるいは平宗盛にも与えられていた。頼朝が内乱に終息をもたらし得たのは、彼こそが在地領主層の要望に最もよく答えたからである。この意味で幕府の成立は、時代の画期ととらえることができる。

教科書である『詳説日本史』では、これがたった一文にまとめられているのです。

この一連の内乱の行末に大きな影響をおよぼしたのは地方の武士団の動きで、彼らは国司荘園領主に対抗して新たに所領の支配権を強化・拡大しようとつとめ、その政治体制を求めていた。

こういう史観が妥当なのかというのは、私にはちょっと分からないんですが、この点を強烈にプッシュしているのが『詳説日本史』の特徴と言えるでしょう。

他の教科書を読んでみても、三省堂の『日本史B 改訂版』(日B 015)を除き、この史観はあまりプッシュされていないと感じました。

  

【参考文献】

山川出版社『詳説日本史』(日B 001)

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

東京書籍日本史B』(日B 004)

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

桐原書店新日本史B』(日B 011)

(このエントリは上記7冊を参照しています。いずれも平成22年ごろ購入。)

  

  

  

余談:教科書の読み比べ

  

山川出版社新日本史B 改訂版』(日B 018)

伊豆に流されていた源義朝の子・源頼朝も、妻・北条政子の父北条時政とともに挙兵して南関東を掌握し、10月には源氏根拠地鎌倉に入った。頼朝は父祖以来の結びつきを背景に、三浦千葉上総氏などの有力な東国武士主従関係を結んで御家人とし

頼朝の挙兵が、東国武士との「父祖以来の結びつき」を背景にしていたものだったということは、他の教科書ではなかなか分からないと思います

三浦千葉上総という武士名前が沢山出てくるのもおもしろいですね。(三浦氏名前が出てくる教科書は多いですが、それはこの時点ではなく幕府成立後、十三人の合議制か、宝治合戦ときに唐突に登場します。)

[寿永二年十月宣旨から義仲滅亡までの]この間、鎌倉の頼朝は没収した平氏の所領(平氏没官領)を法皇より与えられ、経済基盤を固めていった。また御家人を統制する侍所を設置し、その長官である別当には和田義盛を任命した。これに加えて、行政裁判制度を整えるための公文所(のちに政所)・問注所がおかれ、その長官にはそれぞれ京から招かれた朝廷の役人である大江広元三善康信就任した。前後して、義経軍らは一の谷・屋島平氏を追い、1185(文治元)年に壇ノ浦平氏を滅ぼした。

[]は引用者註。

この教科書の特徴は、幕府の政治機構の形成過程を、治承・寿永の乱の進行に併記していることです。

鎌倉幕府の成立が1192年(いいくに)なのか、1185年(いいはこ)なのかという論争は、世間でよく知られているぐらい有名になりました。どちらが正しいかは諸説あるとしても、ただ一つ言えることは、どこかの時点でいきなり幕府が完成したというわけではありません。治承・寿永の乱が続いていた期間に、徐々に幕府の政治機構が形成されたのです。この教科書はその史観が反映されています

  

  

  

桐原書店新日本史B』(日B 011)

北条時政の援助によって挙兵した頼朝は、東国武士たちに支持されて、富士川の戦い平氏を破ったが、その後は鎌倉にとどまって、東国地盤を固めることに専念した。これに対して平清盛は一時、都を福原神戸市)に移して態勢を立てなおそうとしたが、まもなく京都に戻り、1181(養和元)年に病死した。一方、義仲は1183(寿永2)年、北陸方面から急進撃して、平氏一門を京都から追い出した。しかし、義仲は後白河法皇対立したので、法皇は同年、頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め、義仲追討を命じた。頼朝は弟の範頼・義経らを上京させて、義仲を討たせた。範頼・義経さら平氏追討に向かい、1185(文治元)年、長門壇ノ浦平氏一門を滅ぼした。

この教科書歴史用語の詰めこみを回避しているようで、内容は簡単、文章としても平易です。

上記引用でも分かるとおり、「頼朝に東海東山両道(東国)の支配権を認め」という記述があるくせに、寿永二年十月宣旨というキーワードがありません。治承・寿永の乱、一の谷、屋島の戦いなどは年表に記載されていますが、本文中に記載なし。養和の飢饉、平氏都落ち安徳天皇を伴ったことも言及なし。

というわけで受験生には不向きですが、他の教科書にはない特色もあります

  

鎌倉将軍に尽くして家人となった武士のことを、鎌倉御家人といった。鎌倉御家人になる目的は、将軍面接して(見参)、先祖伝来の所領を承認してもらい(本領安堵)、さらに勲功のあった者は新たな所領を恩賞としてうける(新恩給与)ことにあった。

教科書の中では唯一、桐原書店けが「見参」を掲載しています。これは鎌倉幕府の権威の構造がどういったものであったかを知るための手がかりになるかも。

(他の教科書ではこの用語がないどころか、「将軍面接して」という説明も省かれています

  

["新恩給与"についての註]

土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権を与えられるのが普通で、そのおもなものが地頭職であった。

これは「職の体系」のことを言っています。他の教科書とは違って、地頭をあえて「地頭職」と見なす視点を紹介し、その意味するところを簡潔に説明しているのがすごい!

所有権が重層的に重なりあっていたというのは、中世土地支配構造を知るうえで一番大切なポイントだと思います

なお、山川出版の『日本史B用語集』には「職の体系」という用語は不掲載で、かわりに「職」の項でそれを説明しています

職(しき)②:一般に職務に伴う土地からの収益とその職務自体を指す。荘園場合、有力者への寄進が何回も積み重なり、下記のような複雑な職の改装秩序を生じた。

本家職①、領家職②、預所職②、下司職②、荘官職①

  

[引用者註:丸の数字はこの用語を掲載している教科書の数]

山川出版『日本史B用語集』より

この説明は悪くないと思いますが、桐原書店は「土地のものよりも土地に対する一定の支配権と、それにともなう収益権」のことと明記しているので、その方が的確です。

しかも、いかんせん、『日本史B用語集』は「職」の用語説明を「院政期の社会文化」のページに掲載しているので、これと鎌倉時代の地頭職との関連が全然分からないです。そして「鎌倉幕府の成立」のページにある「地頭職」の用語説明は、次のようになっています

地頭職(じとうしき)⑤:職とは役職に伴う権益意味。地頭職は御家人が地頭に任命されて認められた兵糧米の徴収や免田(給田)経営などの権利

  

山川出版『日本史B用語集』より

これは間違っていませんけど、この説明を読んで、重層的な土地支配構造があったことを理解できますか? 絶対に不可能ですよね?

せめて「職」「地頭職」という用語同士を紐付けて相互参照させてほしいです。ふざけんなってかんじです。

  

さて、桐原書店教科書に話をもどすと、欄外にこういう豆知識も載っています

幕府とは、近衛府の唐名であるが、転じて近衛大将の居館のことをいった。のちには近衛大将とは関係なく、武家政権意味する語となった。頼朝は1190年に上洛し、右近大将に任ぜられたが、まもなく辞任した。

[ふたつの源頼朝像]

Aについては南北朝時代武将とする説もあり(伝・藤原隆信筆,京都神護寺蔵)、Bも注目されるようになった(山梨甲斐善光寺蔵)。

とてもユニークですね。受験には使えないかもしれませんが、知っておいて損はないです。

  

  

  

東京書籍日本史B』(日B 004)

養和は平氏政権が用いた年号で、これを認めない頼朝の支配する関東では、ひきつづき治承の年号が用いられた。

網野善彦著作『東と西の語る日本の歴史』に、たしかこの話があったと思います

他の教科書には載ってませんが、ピンポイント東大入試に出題されました。

  

源氏鎌倉の関係は、源頼信のころに源氏氏神となった石清水八幡宮を、前九年合戦の際、子の頼義が相模国由比郷に勘請して鶴岡若宮八幡宮前身)を建設したことから始まった。鎌倉は前面に海をもち、三方を山にかこまれた要害の地で、切通によって外部と結ばれていた。

鎌倉という土地をこれだけ情熱的に語っているのは、東京書籍教科書だけです。

上記引用とはまた別に、「コラム 武家の都鎌倉経済流通」というのも掲載されています

東大入試では、「院政時代から鎌倉時代にかけての京都と鎌倉都市の発展」について論述させる問題が出されたことがありますが(1990年)、この教科書はその答案を書くうえで非常に役立つものだと思います

  

  

  

山川出版社『高校日本史 改訂版』(日B 017)

こののち、後白河法皇義経を重んじ、頼朝追討の命令を下したが、これに失敗すると、頼朝はその責任を追及し、逆に義経追討の命令を得た。さらに頼朝は義経をかくまっていた奥州藤原氏を滅ぼそうと朝廷に追討の命令希望したが、法皇がそれを拒否すると、1189(文治5)年に頼朝は追討の命令を待たず、大軍をもって奥州藤原氏を滅ぼした。ここに全国を平定し、その後、法皇死後の1192(建久3)年に頼朝は念願の征夷大将軍に任じられた。

頼朝の悪人っぷりがこれでもか!?というぐらい強調されています

あいつは自分の野望を実現するため、ときには法皇に逆らって圧力をかけたり、朝廷命令無視して独断専行する奴だった、ということを言いたげな記述です。

  

それはともかく、奥州藤原氏を守ろうとした法皇朝廷側と、それを潰そうとした頼朝の厳しい対立がわかるのは、この教科書だけでしょうね。

両者のぴりぴりした緊張関係が伝わってきます

関西にある政権東北地方を使って、関東独立の動きを牽制するというのは、日本の歴史において繰り返し出てくるパターンなので、この視点を漏らさず記述しているところはアッパレ

  

  

  

実教出版日本史B 新訂版』(日B 014)

平氏安徳天皇を奉じて西国に落ちていったが、後白河法皇は京都にとどまり、新たに後鳥羽天皇をたてて政権を維持した。法皇は義仲には平家追討を命じるいっぽう、頼朝には上京をうながして、京都の義仲に対抗させ、武士たちをたがいに牽制させて政局の主導権をにぎろうとした。しかし頼朝は、東国の安定に意をそそいでみずからは鎌倉を動かず、弟の範頼・義経を上京させて、1184(元暦元)年、義仲を討たせ、源氏一族の長となった。ついで義経らは、その当時勢力回復して都にせまっていた平氏を一の谷・屋島などの合戦でやぶり、さらに翌1185(文治元)年にはこれを長門壇ノ浦に追いつめて滅亡させた。

この時代に2人の天皇が同時に存在していたとする視点を取り入れているのがナイス

都落ちした平氏はそのままあっけなく滅んだわけじゃなくて、京都にいる天皇とは違う天皇を奉じて勢力を盛り返していたのです。

どちらの天皇が正統かというのは、つまるところ結果論にすぎません。この教科書はそんな歴史観に基づいて書かれています

  

ちなみに、この教科書の編者は、大半が関西教育機関に属する人たちみたいです。後白河法皇平氏を主軸にした書き方は、編者の関西びいきが反映した結果なんでしょうか。(笑)

例えば奥州合戦について、「奥州進撃のために頼朝は東国だけでなく西国武士もひとまず鎌倉に動員し、これを機会に国ごとに御家人組織の整備をいっそうすすめた」とありますさら西国御家人東国御家人とどう違うかを説明しているのもおもしろく、この教科書関西中心っぽい史観は独特です。

  

  

  

三省堂日本史B 改訂版』(日B 015)

  

……って、おい!? 増田がここで文章を掲載できなくなったんだが??

せっかくこの先が本番なのに、文字数の上限なのだろうか。

つづき→http://anond.hatelabo.jp/20170605001028

2017-02-25

http://anond.hatelabo.jp/20170225225122

はあ、まあ南関東に住んだこととか無いからそこに住んでる人の事情はよくわからんけど

早稲田場合南関東県外から進学する場合都の西北奨学金」があるから大差ないよ。

ちなみに似たような給付型奨学金はいろんな有名私大にあるものだけど。

2017-01-31

greatchina2が劣化K5に変化した時

http://anond.hatelabo.jp/20170528064815

ネット原住民拠点がまだ、2ちゃんねるであった時代から、その競争相手の中にはいわゆる荒らしたちが多く見られた。誹謗目的とする者や、トンデモを極める者。とんでもない事で出世する者。当時はまだ、掃き溜めの一つに過ぎなかったのだろう。

しかし、2007年以降そんなネット原住民が、活動場所の変化やモデルチェンジ、その中でトンデモを極め始め、そしていつしか、不良顔負けの、嫌われ者と変化していった。この、荒らしSNS進出はいったい何時の時代に遡るのか、いろいろな資料を見てみたが、はっきりとした答えは見つからない。そこで、ネット専門家に話を聞いてみた。

A氏は、栃木で、フリーターという若者時代を過ごし、その後、貧困10年以上追い続けているネット有識者という経歴を持つ。現在執筆を続けるほかインターネットでの出演など、多方面での活躍を行っている。

「私の知る限り、最初からSNS専門として機能していたのでなく、1990年代にはものすごいSNS誕生時期となるのですよ。そのなかでものすごく少数ではありますが、今の荒らしに通じるものがいた。その中で、さらに脚光を浴びる荒らしというのが出てきたんですね。それが2000年代ですか。それで、やはり荒らし時代背景は兎角その後ネット環境絢爛期に入るのですが、その時にですねネット媒体の活発化が目立つようになる。そうなってくると荒らし達が、ツワモノ名乗りするようになる。彼に失礼な言い方になるのですが、足手まといになると。だから穏健派などを排斥すると。やはり、それで周りの人間が素直に、あそうですかと、それならばネットから離れようとはならない。それならば、上を目指そうとなる。私をつまはじきにするような連中がいるんだったら、そうされないレベルになれるようにがんばろうじゃねーか。そういう人たちが、日本各地にあふれるようになる。2010年代前半に2ちゃんねらーSNS進出が加速すると一気にね、まさにそれがSNSにおける荒らしの絢爛期の始まりですね。ネット病原体として機能するようになる。」

「今までは、2ちゃんねらー荒らしの別働隊という形で、中には職業化されていたところもありますけど、そうでなく、2ちゃんねらーとは切れた集団を持ちなおかつ徒党を組んで連合体を組むというのが2010年代前半。それ以降もずっと続いています。」

2ちゃんねるブームの終わりを迎えた2009年南関東のある職業ネットユーザー誕生する。

その名は、「greatchina2」

日本国内における職業荒らしの一大勢力、プロ固定。そして、それの派生系の一つ、「gudachan」その、「gudachan」において、唯一の派生である、この「greatchina2」というネット原住民K5顔負けの行動力活動を行い、日本内外のネット原住民を魅了する。ネット時間いくらかを、荒らしに捧げた彼。その内実を見ていこう。

(未完)

2016-05-26

http://anond.hatelabo.jp/20160526155732

首都圏の駅の立ち食い蕎麦店、すごい勢いで味災系列にすげ替わっていることが嘆かわしいよ。ここ1年は老舗店も結構ヤラれている。

のれんは残っていても、北関東Tさんとか、南関東のOさんとか、傍目で見るにかなり口出しされているっぽい。あのラーメン好きだったんだけどな

2015-07-03

文化芸術懇話会の出席者

大西英男発言マスコミを懲らしめるには、広告収入がなくなるのが一番」が強烈でかつ何もわかっていない感じ。

井上貴博発言青年会議所理事長とき委員会をつくってマスコミをたたいた」「スポンサーにならないことが一番こたえる」もひどいね。"ただ、同会議所は「メディア市民関係を考えるのが目的。『たたく』というのは趣旨が違う……」と困惑気味。" ということだから青年会議所の方も迷惑しているっぽいが、この青年会議所活動もちゃんと見ておいた方がいいんじゃないでしょうか。

長尾敬発言沖縄世論はゆがみ、左翼勢力に完全に乗っ取られている」・・・

いずれも「文化芸術懇話会」っていうのはなんじゃろか、と思わされるような発言ばかり。まあ、そういうところだけ切り取ればということだろうけど。

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衆議院青山周平(比例東海②)、池田佳隆(比例東海②)、石川昭政(比例北関東②)、井上貴博福岡1②)、大岡敏孝(滋賀1②)、大西英男東京16②)、大西宏幸(比例近畿①)、岡下昌平(比例近畿①)、鬼木誠福岡2②)、加藤勝信岡山5⑤)、木原稔熊本1③)、熊田裕通愛知1②)、今野智博(比例北関東②)、坂井学神奈川5③)、佐々木紀石川2②)、白須賀貴樹千葉13②)、薗浦健太郎千葉5③)、高鳥修一新潟6③)、谷川とむ(比例近畿①)、田畑裕明富山1②)、長尾敬(比例近畿②)、萩生田光一東京24④)、藤原崇(比例東北②)、星野剛士神奈川12②)、堀井学北海道9②)、前田一男(比例北海道②)、松本洋平東京19③)、宮川典子(比例南関東②)、宮沢博行(静岡3②)、武藤貴也滋賀4②)、宗清皇一(大阪13①)、簗和生栃木3②)、山下貴司岡山2②)、山田賢司兵庫7②)【参議院滝波宏文福井①)、長峯誠宮崎①)、宮本周司(比例①)

 出席者は懇話会事務局による。○囲みの数字当選回数

http://digital.asahi.com/articles/ASH715T44H71UTIL03S.html から

2014-09-14

男子校出身者の些細な違和感

「俺も『ほぼ』男子校だった」と言ってあるあるネタ披露する人。

まして「俺のクラスは」みたいなの。

そのアイデンティティは異なるものだと思う。

入学してみたら結果的ちんちん付いてない人間がいないのと、はなっからその可能性すら存在し得ないのは雲泥の差がある。

書いていてすごくどうでも良い感情だと思った。

南関東東京以外の人が東京出身自称する違和感と似ているか

2014-07-13

http://anond.hatelabo.jp/20140713050653

共感力の高低云々という話もあるが、共感後の再・他人事化という逆向きのベクトルの話もあるわけで、俺が増田に「共感」してしまったのは、深読みなのかもしれないが、事象を体験した後の他人事化(心理的な切り離し)について、それなりに考えた上でやや露悪的に書いているんじゃないかと思ったからだ。

が、今読み返すと当事者に寄り添う意識はあまりなかったようだ。どちらかというと俺は増田の友人のクリエイターのほうに近いのだろう。

そもそも俺自身クリエイターとはぜんぜん違う社畜界の人間なので、その意味ではこの増田クリエイターさんに「共感」できる下地がどの程度あるか分からない。

災害の起きた場所親族・知人の縁がなく自分安全なら、身につまされることなく「最初から最後まで」他人事感覚で見ることも難しくはないだろう。それを口に出すべきものかどうかは(道徳的に、あるいは本人のメリット的に)別として。

それより、はてな住民からバッシングに近いブコメを見て思うのは、正義感あふれる書き込みをしている人の中には人は「当時自分がどう感じていたか自分に都合よく忘れてしまった人もいるんじゃないのか」ということだ。

震災の一次的被害者でなかった南関東の住民として書くと、いつ終わるともしれない余震原発がどうなるかにおそれ慄き、停電実施に怯えつつ、それと同時に、震災東京で起きたのか、と思うくらい、東京現在ばかりを伝えるメディアに軽く怒りを覚えながら、それでいて何か非日常感に心踊る自分に戸惑ったことを覚えている。「この高揚感は何なんだ」と、思った人がそんなに少ないとは思わない。

そもそもトップからしてそうだった。

3月12日の夜、一日たってようやく公式に姿を見せた首相国民向け演説を見て、その自己陶酔ぶりに異様さを読み取った人は多いはずだ。あの夜、この人は自分しか関心がない人に見えて不安だった(そして後にその不安は的中する)。

見ていた俺もそれほど変わらない。

何かこの国の形が変わるような重大発表があるのだろうと、1945年8月15日の「玉音放送」を聞く日本人自身を重ねるような気持ちでテレビの前に座ったことを覚えている(どちらも発表があること自体は事前に伝えられていたので緊張感をもってその時を迎えた人は多いはずだ)。

その後、しばらくして歯の浮くような言葉流通し始めた。

被災地支援を語り(ダシに、とまではさすがに書かない)、自己満足にすぎないと自ら語っているボランティアの方々などの例外を除けば、自分利益しかならないビジネスをやっているだけなのに、自分は善いことをしていると自己洗脳することに成功した人は身の回りにたくさんいる。

この辺は自分の心にとどめておくべきで、決して、このような形で書いちゃダメ領域なんだろう。「正義派」のスイッチを押してしまう(その意味では、これを書いた俺もクリエイターさんと同様にタブーを犯しているんだろう)。

クリエイターさんがどういうジャンルの方なのかわからない(アニメ系の方?)が、

あまちゃん」で太巻がいった「売名行為だよ」という発言で、勇気づけられたエンタメ系の人も多いんだろうと思った。実際、あの劇中人物の発言で、悩みが吹っ切れた人がいるという話を聞いた。

自身は、いまだに吹っ切れていない。

直接の形では自分に起きなかった不幸、しか自分が立ちすくむ程度には影響を与えた出来事をどうハンドリングしたらよいのか、今も分からない。

自分の心の内側から出ているとは思えない言葉を使って、日常をやり過ごしていることへの罪悪感は隠し切れない。

……と、このように書くこともまた綺麗事だよな。無限ループは続く。

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