はてなキーワード: 脆弱とは
首相はこのまま突っ切るつもりみたいだし、スポンサーやってるマスコミばっかりなので中止機運の盛り上がりがちょっとにぶい。
IOCはやんないと自分達がつぶれるしコロナが日本で流行ろうがノーリスクなので当然推進してく。
みんな流石にそんな馬鹿なことはやらないだろうと思ってるかもしれないけど、このままだとオリンピックやっちゃうことになる可能性は結構高いと思う。ブレクジットと同じ流れで間違ってるのに止められない。
前の戦争と例える人もいるけど、この戦争には相手がいないから、負けても負けたやつらは責任を取ることはないだろう。国の体力が削られて、一番脆弱な人たちが犠牲になる。その結果体制が変わることもないので、失敗しても失敗しがいがない。
だれも責任を取らないから失敗した結果なにかがよくなることもない。
なのでオリンピックは阻止一択だと思ってるんだけど、いったいどうすればいいのかね。
誰か良い考えないの。
うちの課の人が育休取ったらどうなるか。
うちの課は、属人化業務が甚だしいというか、職人技というか、その人が開発担当でそれぞれがプロジェクト担当者みたいになってて、本当に脆弱。
その人いなくなったらそのプロジェクトの開発は止まる。メンテナンスはかろうじてできるが開発は進まない。
その人の担当箇所に開発項目が発生しなければいいけど、出たらどうしよう。
フォローできる自信ないな。
代わりの人をとればいいっていうけど、誰がやってもその人の代わりにはならないのよね。
まー、外注頼んで簡単なのはお願いするだろうけど、外注にいろいろ触られてもその人帰ってきて嫌な顔してもなー、こっちも困るしな。
1年ぐらいであれば我慢できるかな。開発項目の内容によるかな。
難しいな。
我々被害者は、殆どの事を知るに至り、国家の闇の黒さに愕然とし、立ち尽くしてしまうが、元々人間の持つ本性から考えると不思議とも思わない。
この犯罪と無関係の人はいないが、被害や加害と遠いところにいる人、極一般市民は想像を絶するハリウッド映画の世界くらいにしか思えない事だろう。
日本国を疑心暗鬼の国に落とし入れるつもりは無いが、この犯罪が普通に知られ、尚沈黙を守るような国にはなって欲しくない。
被害者は現在、誰にも理解されず苦しんでいる、その被害から逃れたいのは当然だ。
コロナの影響もあり街頭活動等が出来ず個々で戦っている方の方が圧倒的に多いようだ。この被害にかえって平静でいる方がおかしいかもしれない。
テク犯により身体的精神的にまで影響を受け身動き出来ずにいる人もいる。
被害者は自身の被害状況から感じ取ってきたものを杓子定規とし他者の被害を計ろうとする。
また社会経験から判断したり、文章力から、感性から、持って生まれた才能から、その人なりに積み上げ解決方法を模索する。
それはたまたまヒットした検索結果だったり、たまたま同時期にパソコン、スマホの前にいた人だったりで、
実際は断片的な情報の欠片でしかないものを集め、脆弱な片寄ったメディアリテラシーであることも気付かず組み立て、真実に近付けようとする。
そこに真実が有るか否かは別問題でもあるが、被害者本人は時間をかけ咀嚼し精製し出来あがった結果の犯人像ゆえに頑なに固執し断定し余裕と言うものが一切無い場合が殆どである。
被害を受けつつ冷静さを保つことも難しいものであり、感情的になりがちな事も理解出来るけれど。
そしてそのこれぞ間違いない犯人像、犯罪の全体像とし、犯人を訴えるぞ!私は証拠もある!と言う。
或いは私は政治家に訴える陳情する、署名を集め法整備を呼び掛ける。
人権擁護委員会に訴える!
その為に組織を作るぞー!
漠然と子供に興味のない人生だったが、いつからか「恐怖」になったので気持ちを書き留めておく。
長いので暇な人だけ読んで欲しい。
思い出せる限り、私には(運の悪さによる事故以外で)死にかけたと思っている経験が二つある。
自転車を停めていると、近くに若めの成人男性が立っており、隣の駐車場の方に手招きされた。
陰鬱な雰囲気で声が小さい人で、なんと言って呼ばれているのかわからなかった。
何か用があるのかと途中までついて行ったが、変だと思ったか、予約を思い出したかで歯科医院に戻った。
あの時車までついて行ったら、良くてその場での性犯罪被害、悪くて殺されていたと思う。
実家はマンションの中層だったが、ある日鍵を忘れて、学校からの帰宅後、親が帰るまで待つしかなかった。
そういうことはたまにあり、慣れていたが、その日はどうしても家に入りたかった。
実家は角部屋だったので、玄関脇に非常階段があり、その塀がそのまま連続して、実家のベランダに続いていた。
(その間に、両腕を広げたより大きい幅の、薄い衝立が塀の上に沿って設置してある)
当時の私は、塀に立って衝立を辿りベランダに侵入できないだろうかと考えた。
実行直前まで行ったが、ベランダに入っても窓の鍵が開いてなかったら意味ないじゃんと気づき、やめた。
実行していれば、階数的に甘く見ても7割くらいの確率で死んでいた。2割は大怪我。
衝立はどう考えても脆弱だったし、太め中学生の体重の大半を支えられるつくりのはずがなかったからだ。
前置きが長くなったが、この二つは大人になった今でも怖い。
だが、本当に恐ろしいのは、この裏にもたくさん死にかけた経験があるだろうと容易に確信できることだ。
一体どのくらいの確率をすり抜けてここまで成長できたのか。
そしてきっと私が特別というわけではない。
私は頭のいい子供だった。
勉強は飛び抜けてできたし、同級生の軽率な行動も「そんなことしたらどうなるかわかるのに」と比較的大人の目線を持っていた。
そんな子が、中学受験を総なめにし希望の中学に入った子がその先で大真面目に考えることが、「5階の塀をつたってベランダに入れないだろうか?」である。
1件の重大事故には、重大事故に至らなかった29件の軽微な事故が隠れており、さらにその背後には事故寸前だった300件の異常があるというハインリッヒの法則は、子供の日常にもある。
判断力に欠け、好奇心が強いことを考えると、もっと異常の裾野は大きいだろう。
私も特別怖いのがあの二件というだけで、ボールを追って車道に飛び出したこともあるし、携帯を持っていなかった小学生の頃、塾帰りに迎えの親との連絡がうまく取れず、21時過ぎに暗い神社裏で1人ずっと待っていたこともある。
覚えていない危険もきっと無数にあったと思う。
子を持ってしまうと、親としてこれらの危険を18年回避し続けなければならない。
その責任の重さが、命が傷付けられ失われる可能性の高さが恐ろしい。
確かに良くない結果を招くと私も思う。
でも子供の遭遇しうるものを考えると、気持ちはわかってしまう。
ある程度自由にさせつつ、これらを予測して全回避なんて絶対不可能だよ、って思っちゃう。
再婚は考えていないけど、もし機会があっても、この恐怖がある限り、子供は持てないかもしれない。
子供が引きこもりになるかもだの発達障害かもだのの怖さ以前にこれがある。
みなさんは怖くないのですか?
https://anond.hatelabo.jp/20210504174141
からの続き
2021/1/21(木)
この間の感じでは、また近いうちに危機的な状態になりそうな気がするが、そうはならずにずっと持ちこたえているのだろうか。
元気だった頃の母の姿がふとした拍子に脳裏をよぎる。もう見れることはないのだが。
2021/1/22(金)
2回目なのでだいぶ感じが掴めてきた。
世間ではコロナで仕事がなくなって、路上生活に追い込まれている人もいるのに、こちらは仕事に追い込みまくられている日々。
ありがたいと思うべきなのかなんなのか。
2021/1/23(土)
コロナで時差出勤になって、リモートワークもできるようになって、勤め人としての生活はかなり楽になったけど、あまり嬉しくはない。
2021/1/24(日)
いくら待っていても母は元気になることはないのがわかっているのに、一体私達は何を待ち続けているのか。
母を看取る瞬間を待ち続けている?きっとそうなんだろうけど、そうは思いたくない。
2021/1/25(月)
母に関する記憶を断片的に思い出すことが多い。厳しく怒られていたイメージが多くて苦笑してしまう。
でも、そんなふうに厳しく育てられてきたから、今の自分があるのだなと思って、また涙ぐんでしまう。
2021/1/26(火)
先週病院に行ってから一週間になる。母の様子がどうなっているのか気になる。
苦しい状態になっていなければよいのだが。
2021/1/27(水)
仕事には集中できているが、ふとした拍子に悲しみが押し寄せてきて涙が出てくる。
ずっとこの状態が続いている。
2021/1/28(木)
明日はリモートだと思っていたのに、急遽出勤することになった。
紙ベースの仕事が僅かだが残っていて、それが急に入るとリモートができなくなる。
そのうち改善されるだろうけど、今はそこに至る過渡期なのだろう。
2021/1/29(金)
この職場では、金曜日はリモートデーになっているから、当然か。
これだったら、出勤しようがしまいが、どちらでもソーシャルディスタンスは取れているような気がする。
2021/1/31(日)
今日で1月も終わり。母はまだ頑張っている。倒れた日に、今日明日にも危ないと医者から言われていたことを思い出して、よくここまで頑張ってくれたと思う。
このまま意識が戻らないまま、徐々に弱っていくのを見守っていくことしかできないのが苦しい。受け入れるしかないけど、苦しい。
2021/2/1(月)
朝の7時半頃、そろそろ起きて出勤準備を始めようとしていた時に、姉から電話が来る。
母の脈拍が落ちてきていて危ない状態なので、すぐに病院にきて欲しいとのこと。
すぐに父・姉・私の3人で別々に病院に向かう。
病室に入ると、前回と雰囲気が違った。時々鳴っていた機器のアラート音がずっと鳴りっぱなしで、モニタに表示されている数値も0になっていた。母の顔色も悪く、匂いもちょっとしていたように思う。
呼吸を補助する器具が動く時だけ胸がわずかにふくらむ以外は、母の体に動きが全くなかった。
その状態で、3人で呼びかけたり手を握ったりしていると、母の左目から一筋の涙が出てくるのがわかった。
もしかして、みんなが来ていることがわかっているのかなと思った。
あれは何の涙だったんだろう?
最後のお別れの涙かもしれない。
一時間ほどすると、担当医師が病室に来て、今の状態について説明を受けた。
今の母は、呼吸器がついていることで無理やり呼吸させている状態で、酸素の取り込みもほとんどできていなく、心臓もほぼ止まっているとのこと。
そして医師は、「呼吸器を停めます」と言って、傍らの機器を操作した。そして母の胸に聴診器を当てて心音を聞き、止まっていることを確認した。次に、呼吸も止まっていることを確認し、最後にペンライトを取り出すと瞳孔の反射を確認して、脳機能も止まっていることを確認した。
その一連の流れを見ていて、人間の状態って、どこまでが生でどこからが死なのかが、よくわからなくなった。
多分、このまま呼吸器を使って呼吸を続けることもできるんだろうけど、そうすることにあまり意味がないから、どこかで線引きして、ここからは死亡状態にしますっていうことを医者が宣告するのだろう。
その後、看護師さんから葬儀の手配など、今後のことについての説明を受け、最後に死亡診断書を渡された。
診断書の死因欄を見ると、
1.脳無酸素症
2.肺塞栓症
3.COVID-19
と書かれていた。
やはり、母の死因の大本はコロナだというのが、医師の診断なのだ。
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ここまで、母が倒れてから亡くなるまでの経過を、自分の日記から転載してきたが、この内容を踏まえた上で私がここで言いたいのは、以下のようなことだ。
母のことが起こるまでコロナのことを、どこか自分とは関係のない世界の話だと思っていた。
まさか家族が感染するという形で、自分の身に降り掛かってくるとは夢にも思っていなかった。
自分のことについては感染対策に気を回していたが、両親のことまではあまり深く考えていなかった。
コロナは、誰でもかかりうる身近な感染症であり、その脅威はすぐ目の前まで迫っているという感覚を、私達はもっと持った方がよいと思う。
母は、倒れる一週間ほど前から、喉が痛かったり咳が出たりしていたらしいのだが、その段階で一度病院に行っていたら、こんな結果になっていなかったのではと思う。
風邪に似た症状が続いている段階で、コロナ感染の可能性を想定して、もう少し適切な行動が取れていたらと思う。
それをしなかったということは、母はやっぱり、ただのちょっとした風邪だと思いこんでいたのだろう。そして、同居していた父も、同様に軽く考えていたのだと思う。
「ただの風邪だからたいしたことない、しばらく安静にしていたらいつもどおりよくなるだろう」と思わせておいて、いきなり重症化するのが、このウィルスの本当に恐ろしいところだと思う。なんというか、人間心理の脆弱なところを巧みに突いてくるようなところがある。(このウィルスがもし人工的に作られたものだとしたら、それを設計したのは悪魔的に頭の切れる人物だと思う。)
なので、少しでも兆候があれば感染の可能性を疑い、適切な行動をとっていくべきだと思う。
もうすぐ母の日が来る。毎年、母の日には実家になにかしら贈り物を送っていたのだが、それも今年からはできなくなってしまった。
母が亡くなるまでは、時差出勤やリモートワークが推奨されたり、煩わしい飲み会が廃止されたりと、そのメリットにばかり目がいっていた。正直、コロナ以前よりも社会生活が楽になる部分が多いと感じていたのだが、母が亡くなってからはそんなことを微塵も感じなくなってしまった。そんなことはどうでもいいから、母を返して欲しい。
私にとって、コロナ後の世界とは、母のいない世界のことだったのだ。
そして母が亡くなった以上、もうコロナ以前の生活に戻ることは二度とできない。
今現在、幸運にも自分自身あるいは家族や友人など身近な人達をコロナで亡くした経験のない人は、今ならまだコロナ以前の世界に戻れる可能性がある。
であるなら、数年以内に世界中でコロナの封じ込めが成功するという可能性を信じて、そこへ向かって進んでいけるように、今一度、自分たちの意識や行動を見直して欲しいと思う。
「全身全霊をくれる」という言葉だけが独り歩きしているように見えるチケゾーSSR
今回はその強さについて検証したい。
比較対象として選んだのはまずは同じ差しで末脚イベントのエイシンフラッシュ、特定脚質特化でパワーのミホノブルボンだ。
固有ボーナスについてはとりあえず+10%っぽいのでそれで計算しているが数字間違ってるかも
カード | チケゾー | エイシン | ブルボン |
友情ボーナス | 30 | 20 | 40 |
初期絆ゲージアップ | 40 | 25 | 25 |
ヒントLvアップ | 2 | 2 | - |
ヒント発生率アップ | 40 | 40 | 10 |
トレーニング効果アップ | 5 | 5 | - |
得意率アップ | 35 | 35 | 50 |
ボーナス | パワー1 | スピ1 | パワー1 |
やる気効果アップ | 30 | 60 | 40 |
(絶好調時効果) | 6% | 12% | 8% |
レースボーナス | - | 10 | 5 |
ファンボーナス | - | - | 15 |
うーむ……ステータスだけだと横並びだと感じる。
パっと見だとブルボンが得意率に振りすぎてヒントがやや脆弱か。
とはいえ雪の日以外は逃げで優秀なスキルが揃っており3/4で当たりが引けるならヒントの低さは帳消しとも言える。
しかしなんとエイシンはそれを超える4/5当たりである。根幹距離は割と強いので4.5/5ぐらい当たりだ。
ミホノブルボンも強い部類のSRのはずなのに全く歯が立たない……なんだこの化け物……。
またイベント効果で見ても合計で体力最大値+4体力+40が狙えるエイシンフラッシュがやはり優秀と言える。
だが全身全霊の代償に体力-30である。
とはいえ、全身全霊をくれるということは末脚もくれるということなのだから、それを思えば……やはり有能……!
俺のIQが40しかなければ「エイシンとチケゾー両方完凸だ!!!!」しか言えなくなるレベルだ。
だが俺のIQはなんと80もあるので「エイシンとチケゾーはほぼ同格。無課金でも使える完凸エイシンがチケゾーなんだよ!!!」というIQ200ぐらいある結論が出てくるというものだ。
異様にきつい反発心を持つ性格は、自分自身の自立しきれていない子供の内心が外部へ向かって反発している様子を現している。彼は他人から自分の領域と切り離して自分を保とうとするが、肝心の自分とやらが脆弱なので内心はいつまでも不安定なままでいる。故にこの内心子供はバランスを保つために自他に設けられた境界に対して更に上下を設け、見下したり劣等感を感じたりする。こうして外部と比べる相対的な自己しか見ない自分が形成される。
一度こうなると外面的な自分を強化するために様々な鎧を纏うことになる。金が一番で持たないものを馬鹿にする、美貌を自慢して男を振った数を自慢する、学歴自慢、その他たくさんの自慢。こうして肥大化して膨れ上がった鎧は自他ともに立派に見えるため、内心の子供はますますやせ細って心細くなり、その弱さのカバーのためにさらなる鎧を必要とする。鎧は重たいので自重に耐えきれなくなり、ある人は病み、ある人は本心がわからないお化けのような人間に成ってゆく。自分が子供であることが理解できない人間は尊大さそのものが自己であると錯覚させて平安を保つので、その余波を受ける周囲は彼が設けた上下にはまり込んで嫌な思いをする。相手は落ち込み、苦しみ、怒る。こうなると誰も救われない。
彼は正しい指摘を受け入れられないし、自己認識が尊大側によってずれ込んでいるため、正しい指摘を持てずに本当の自分を主張して一向に自らを省みない。顧みないというより顧みたくないし、塞げるならば耳をふさぎたいとすら考えている。一秒でも真実の自分を見てしまえば、いたたまれず叫び声すら上げてしまいかねないからだ。そうなることがわかっているから、真実を追求された尊大は焦る。尊大なる自分は、こちらが自分なのだ、破られてはならぬ自分なのだと考えて焦る。そして一方ではこんな自分を壊してほしいと懇願すらしている。
しかしこのような頑強な城壁や鎧を持つ人物を壊してしまうことは難しい。何故なら彼はほんとうになにかの分野で実力の鎧をまとっているし、それを指摘したところで彼の自尊心は一向に崩れない。尊大は増すばかりである。彼に救いはないが、救いはないという言すら彼は嫉妬として一笑に付してしまうだろう。
このような錯覚自己を強化する心理を持つがゆえに、多くの大人は子供であると言いかえることが出来る。少なくとも日本人の8割は子供だ。