はてなキーワード: 学内とは
3.まだ首確定してない。当事者に謝罪はしたので発言だけで首にはしないで、と呉座さんは元勤め先に解雇不当で訴訟始めたとこ。
4~.呉座先生以外にまだツイッターでのさえぼう中傷をしつづけてしかも謝罪やツイ消しもしていない(1/21夕方時点)Bさんがいて、しかもその垢は実名を以前から自分で出していた(「これ俺が書いた論文ね」とかかな、とにかく見る人が見ればちゃんとググってわかるようなことをやっちゃってたらしい)。しかもしらべたらさえぼうとほぼおなじ団体に勤務してる非常勤講師だった。さえぼうもしょうがない、ばっくれがひどい場合は勤務先から注意してもらいましょうねって学内相談室に匿名で相談したが進展しないので、いきなり訴訟よりましかなと勤務先のもっと上の人出せや、監督責任は?ってやってたら遅ればせながらBさん本人が表現の自由ガ~って騒ぎ出した。え~。ソーシャルエネミー(自称)さんって自分の表現の自由だけ尊重しますっていう意味だったのかな。←いまここ。
https://twitter.com/Cristoforou/status/1484305714004643842 さえぼうのこのBさんについての説明部分だけ。
https://twitter.com/inumash/status/1484216277954867203 Bさんはさえぼうから見えないところでこんなことしてますよという説明。
Cさん以降にあたる、他の謝罪しない中傷者もいるのかもしれないけど俺はそこまでは知らない。
増田でも個人名あげての中傷なんて基本駄目だけど、「クソフェミ」「うんこ」とかの言葉も普通のよくある陰口だろとおもいこんで乱用しても自分の損にしかならんて早く分かれ。小学校で習うようなレベルだよなぁ…
は? 「文学部なんて、一人で勝手に図書館でも行ってろよ」という発言からの話の中で、なんでいきなり理系の話が出て来るんだ?
それはそうと、「理系はその辺りの事は一人で勉強してるよ」と言うと、
そもそも、そのへんの図書館に学術誌(学会誌や専門分野のジャーナル)が入ってるところなんて無いだろ。大学図書館へのアクセス無しではお手上げだよ。その上、論文の書き方だの発表の仕方なども大抵はゼミで指導されて鍛えられるものだし。まずは学内というか学科内での発表からな。
... の辺りも一人で勉強してるのかい? だったら凄いな。俺なんかジャーナル各誌を自分でsubscribeしようと目論んでみたけど費用の面であきらめたし、やっぱり発表の実地練習なんぞは学部生が一人でやるのは効率が悪過ぎるように思えたのだが、理系だと学部生レベルでもそこまで独力でやってるのかね。そりゃ凄いね。
今回の件では、大学のハラスメント相談が使えないという話がかなり出ている。これは大学によるだろうが、教員が担当者である場合、基本的に使えないのは当たり前だと思ったほうがよい。
現在の大学教員には、きわめて多くの業務がある。学部広報、入試関連業務、人事関連業務、カリキュラム改正、学生間のトラブル対応、不正行為対応、意味のよく分からない研修、無数の会議と書類書き等々。それらの業務の合間に授業準備やら授業やら研究をちょろちょろっとやっている。果てはコロナでオンライン授業やらハイフレックス授業やらで青息吐息というのが現状。昔とは違って学生がおとなしくなったので、学生運動対応がなくなったのが、かろうじて救いとしてある。そういう状況のところに、教員によるハラスメントの対応という超ヘビーな仕事が降ってきたとして、まともに対応できるはずがない。
それでも時間を捻出して対応にあたるとして、大学教員には当たり前だが捜査権がない。警察と違って指紋採取などもできない。できるのは関係者を呼んで話を聞くことだけだ。しかも、その関係者の話がそれぞれに食い違っている。自分が担当したときには、まるで逆転裁判だと思った。良くも悪くも、当事者が全員、自分にとって都合のよい話をする。関係者同士が陰で口裏を合わせることもおそらくある。それを素人の大学教員が判断することになる。
しかも、これは大きな声で言えないのだが、明らかに当事者が精神を病んでいるケースもある。「電車に乗ったら乗客がみんな自分の悪口を言っていました」というような話を聞かされたこともある。完全に専門のカウンセラーが必要な領域だと思ったが、この手の話は本人のプライバシーにかかわる問題なので、勝手に病院に相談することもできず、まして学内で共有することもできないので、担当した教員と一部のスタッフで抱え込むしかない。
その反面、たしかに教員側に大きな問題があるケースもある。まじでクソなハラスメント野郎もいて、厄介ごとを引き起こしているのだが(ただし、外面は良かったりする)、その対応に当たる教員はめちゃくちゃに疲弊している。
以上を踏まえると、大学がまともにハラスメント対応をするためには、専門部署を作り、そこにかなりの予算と権限を与えるよりほかないと考える。
提供:
埼玉県内で有数の進学校である女子中高一貫校の淑徳与野中学・高等学校。同校では18年度から電子黒板を導入するとともに、一部クラスで一人一台端末の授業での活用に乗り出すなど、ICT教育を積極的に推進してきました。そして2020年に新型コロナウイルス感染症拡大により登校自粛が迫られたことを踏まえ、同校はICT教育のあり方を再検討。学内利用だけでなく、質の高いオンライン授業も実施可能とするために、2021年度からSurface Go 2のLTE Advancedモデルを導入、Microsoft 365と組み合わせてクラス別の教材管理と授業の仕組みを整備し、運用を開始しています。ICT教育を進化させて授業の幅を広げ、生徒一人ひとりに最適化された学びを実現するための取り組みが続けられています。
1892年、淑徳(深い知性と情緒に富んだ人間性)を備えた自立した女性の養成を目指して設立された淑徳女学校は、仏教の精神を背骨として幼稚園から大学までを擁する総合学園に発展してきました。その中にあって、1946年に開校された与野分校を前身とする中高一貫教育の女子校が、埼玉県・さいたま市の淑徳与野中学・高等学校です。海外の姉妹校などへの短期語学研修などを通じて、国際舞台で活躍できる人材の育成に力を入れる同校は、インターハイ常連の剣道部や、バレーボール部、バトン部、吹奏楽部など、文武両道の学校としても知られています。
そんな同校は、「コンピュータや情報通信ネットワークなどの情報手段を活用するために必要な環境を整え、これらを適切に活用した学習活動の充実を図る」との国の方針が示される中、その対応をいち早く推進してきました。2018年度には動画などを利用した分かりやすい授業のための電子黒板を導入するともに、一部クラスで試験的に一人一台のタブレット端末を導入。そして2021年度入学の中学1年生・高校1年生からは、全生徒を対象にした2-in-1デバイスのSurface Go 2(LTE Advancedモデル)とMicrosoft 365の活用を前提とする授業にも乗り出しています。
学校教育は今、大きな転換期を迎えています。新学習指導領により、生徒の思考力や判断力の養成がより強く求められることとなり、教育現場では従来の講義中心の学びから、主体的な学習へ生徒をどういざなうかが課題となっています。ICT活用は、そこで鍵を握る策の1つに位置付けられます。淑徳与野中学校 学年主任 英語科教諭の山﨑貴志氏は、「ICTを使えば、講義型の"覚える"学習から"考える"学習につなげられます。また、視覚・聴覚に訴えるデジタル教材は、生徒の自発的な学習を促す効果も期待できます」とICT教育の可能性を生徒・保護者に説明しています。
もっとも、淑徳与野中学・高等学校がMicrosoft 365を導入したのは、今から3年ほど前にさかのぼります。
淑徳与野中学・高等学校で進路指導部長を務める小嶋恵子氏は、「学内では各種分科会などで大量の校務文書が作成され、それは授業用の各種資料や保護者向け文書でも同様で、だれもが消化不良を起こしていました。そこで情報を精選し、管理を効率化し、さらにペーパーレス化によってコストを削減するためにも、Microsoft 365による文書管理・教材管理に乗り出しました」(小嶋氏)
そこでの文書管理の扱いやすさの体験が、タブレット端末を組み合わせた生徒向け教材提供のアイデアにつながります。以来、同校ではデジタル教材の拡充を推進。ただし、そうした中で直面したのが、2020年に入って拡大した新型コロナウイルス感染症です。
「緊急事態宣言を受けての登校制限により、当校は多様な対応に迫られました。生徒が在宅で学習を進めるための授業動画配信や教材準備はもちろん、自宅での規則正しい生活のために、Teamsを活用したホームルームの仕組みも整備しました。特に後者は、生徒が友人と会えない不安を防ぐとともに、学習状況に対する保護者の不安を解消するためにも重要な活動と位置付けられました」(小嶋氏)
その後、登校は再開されましたが、新型コロナの収束の見込みが明確には立たない状況にありました。この状況を鑑み、2020 年秋に固まった方針が、再度の登校制限に見舞われた場合でも、子どもたちの学びを止めないために生徒全員に一人一台Surfaceを持たせ、同時にTeamsなどを活用したオンライン授業の仕組みを整備するというものでした。具体的にはTeamsの「チャネル機能」を用いて、クラス別の動画配信と文書管理の仕組みを作るとともに、2021年度入学生から全員にSurfaceを所有してもらう決断を下したのだと言います。
「Teamsがあればクラスごとにいくつもの教材を管理でき、同時にSurfaceのカメラを通して生徒の顔を見ながら配信授業も行えます。対面授業の場合でもデジタル教材による、従来より深い理解を可能にする授業が行えます。さらに、Teamsによる課題配信を活用すると、生徒一人ひとりの習熟度に応じた自立学習も促進できます」(小嶋氏)
"ネットワーク障害"と"相性問題"への備えとしてSurface Go 2 LTEモデルを選択
淑徳与野中学・高等学校が生徒用端末に採用したのが、Surface Go 2の「LTE Advanced」モデルです。タブレットとしても利用できる汎用性の高さと、持ち運びで負担にならない800gを切る軽さ、そして高い処理能力が特徴です。今回、Surface Go 2のLTE Advancedモデルを選定した狙いは、授業での確実な活用だと言います。
同校ではICT活用に着手して以来、校内ネットワークの整備を推し進め、 2021年度の開始時には無線LANのカバーエリアも全教室にまで拡大していました。とはいえ、全生徒のPC利用による通信量の急増により、従来では考えられなかったネットワーク障害も危惧されました。
また、2年前から一部クラスで試験的に利用してきた他社OS製のタブレット端末では、OSとアプリケーションの操作性の違いからか、Microsoft 365のOfficeアプリなどが使いづらいと感じることが間々あったと言います。
こうした2つの課題を解決するために導入したのが、Surface Go 2 LTE Advancedモデルです。淑徳与野高等学校 進路指導主任の粕谷俊介氏は、「無線LAN頼りでは、ネットワーク障害時に端末が使えなくなり、授業に影響が出てしまいます。しかしLTEモデルであればモバイル回線をバックアップとして使うことで授業を進められます」と話します。
また、今回の生徒端末導入を支援したKDDIまとめてオフィス株式会社 北関東支社 法人営業2部 営業2グループの八島圭氏は、「相性問題は、OSとアプリケーション、ハードウェアが絡む厄介な問題です。Surface Go 2はWindows OS、Microsoft 365と同じマイクロソフト製ですから、相性問題への懸念を払拭するには、この組み合わせに勝るものはありません」と強調します。
今回、モバイル回線は無線LANに障害が発生したときのバックアップという位置づけですが、いざモバイル回線に切り替えたときに通信が不安定では困ります。その点について八島氏は「学校などへのLTE端末の導入時にはユーザーが一気に増えます。そこで当社では、机上での調査を行うとともに現地を確認して、通信品質の対策を行うなど、確実につながる環境づくりに力を入れています」と、通信品質の維持・向上への取り組みを説明します。
機種選定に関しては、教員の間でも様々な意見が出たと言います。その中にあって他OSのタブレットではなく、Windows搭載の2-in-1デバイスを選んだ理由について山﨑氏は、「スマートフォンやタブレットは急速に普及しましたが、社会に出て仕事で使うとなるとWindows PCがほとんど。早い時期からWindowsに慣れておくことはメリットになることはあっても、決してデメリットにはなりません」と語ります。
そして、軽量化やコスト的な制約からキーボードが犠牲になりがちな2-in-1デバイスにあって、Surface Go 2には標準的な配列で、タッチ感の良好なキーボードが用意されていることも高く評価されました。
「生徒の卒業後を見据えたICT教育という考えもありました。午後の授業前の10 分間、英単語力の向上を目的にクイズ形式のタイピング練習を行っていますが、これにはタブレットやスマホでは経験できないキーボード操作に慣れ親しんでもらうという意味もあります。本校の探求学習では4000字以上の小論文を書くこともあります。長文をストレスなく入力するうえで、キーボードの品質は重要だと考えました」(山﨑氏)
最終的に導入したのは、最上位のSurface Go 2 LTE Advancedモデル(Core m3/メモリ8GB/SSD128GB)。ハイスペック・モデルにしたのは、デバイスのパフォーマンスが使える教材や授業内容の制約にならないようにするためだと言います。
TeamsとSurfaceを教科の特性に合わせて多面的に活用
2021年度の授業開始から約3か月を経て、Microsoft 365とSurface Go 2による授業は着実に軌道に乗っています。例えば数学の授業では、Teamsで共有したテストの答案を生徒端末や電子黒板に表示しながら間違えやすいポイントを解説する、デジタル教材を使って視覚に訴えて理解を促す、といった取り組みが行われています。
「数学では図形を頭でイメージすることが苦手な生徒も少なくありません。しかし、デジタル教材であれば、立体図形を3次元で動かし、断面図がどうなるかまで分かりやすく示せます。同様に二次関数の各係数を変えることでグラフがどう変化するのかなども理解しやすくなります」(粕谷氏)
総合活動の時間における、生徒間の意見共有も格段に容易になり、深い議論につながっていると言います。映像の活用も始まりつつあり、授業映像に生徒同士でコメントを付け合うといった取り組みも試行中です。生活指導の一環として、従来、紙ベースで行ってきた生徒のスケジュール管理やPDCAもTeams上に移行。手作業による回収や配布の手間も一掃されました。
PCは汎用性が高く、学習以外にも幅広く利用できます。その点を考慮し、淑徳与野中学・高等学校ではホワイトリスト型でのアクセス制限を実施していますが、それも最低限にとどめていると言います。
「動画サイトに入り浸ることがないよう制限をかけていますが、学習目的であれば柔軟にアクセス可能なサイトを追加しています。ルールを破ると制限が厳しくなることを認識してもらいつつ、生徒の自主性を尊重して使ってもらおうというのが現在の方針です」(小嶋
氏)
淑徳与野中学・高等学校では授業でのPC活用の高度化に向け、すでに運用改善を視野に入れています。今後は生徒にアンケートを実施したうえで、教員同士の話し合いを通じ、さらに新たな活用方針を固める計画です。
そこで温めているアイデアの1つが、生徒の思考を発表につなげるためのMicrosoft 365の活用です。考えを自身の内にとどめていては、それ以上の発展にはつながりません。ICTを活用すれば、生徒の表現活動を格段に増やすことができます。
「論文作成ではWordを、情報の授業ではExcelをと、すでにMicrosoft 365を授業で活用していますが、中でも総合学習におけるPowerPointを使った授業は、どう表現すれば分かりやすく伝えられるかを試行錯誤することで、思考を整理する効果も期待しています。さらにTeamsを活用すれば、グループワークやグループ内発表も容易です。授業ごとに生徒からフィードバックをもらうことも簡単にできます」(小嶋氏)
このほか、部活動の試合をSurface Go 2で撮影し、動画を共有して振り返りに活用するなど、授業以外でも自主的に活用する生徒の姿が見られると言います。
無線LAN環境がなくてもネットワークを使えるLTEモデルの採用は、野外授業でフィールドワーク中に気になったことをその場で調べたり、課外活動で生徒の自主的な活用を促進したりするうえで必ずやプラスに働くことでしょう。
導入・運用からわずか3か月。Surface Go 2は淑徳与野中学・高等学校でのICT教育と生徒の学園生活に欠かせない存在になっていると言えるでしょう。
無宗教が海外では恐れられるとはよく言われる話であるし、社会主義などの事を考えるとそういうアレルギー反応が出るのも仕方ないとは思う。しかし、日本人は無宗教であることもあるし、様々な宗教をオムニバス的に取り入れることもある。このように日本においては無宗教というのは意外と無害なものなのだ。
無趣味の奴らのほうがもっと恐ろしい。ぼーっと生きるだけならまだしも、そういう連中は大抵群れて人のことをいびり倒したり陰湿なことをしているのだ。目標は大体趣味に熱中できる人たち。こんな有害なことは他にないし、日本衰退の原因と言っても過言ではない。文化的・技術的に生産的なことをしている人間を、何も生産しない人間が攻撃して文化・技術を退行させる。さらに、授業に於いても私語を連発して人の集中を途切り、学習効果やモチベーションを大きく下げる。こんな馬鹿らしいことは無いし、今すぐ解決されるべきことである。
文科省も馬鹿なのだ。いじめなどという過度にかわいく抽象化した単語で済まさず、「特定リンチ」「精神リンチ」などもっと現実に即した単語を用いる必要性があるのではないか。それなのに、奴らは見直そうともしていない。もしかして、文科省は関係者や圧力団体にこういう無趣味人間どもがいるのか?というか、そうでないと説明がつかないレベルのクソムーブである。中学校・高校は愛知の事件もあったことだしそろそろ学内警察でも置いたらどうか。適切な立法さえ出来ればこのようなことは減り、平和な学校生活を送れる生徒が増えるはず。
皆さん御存知の通り、売電大統領は産油国に対して若干敵対姿勢を見せている。之は私の想像だが、一ヶ月とかくらいあとに「産油国に兵器がある」だとか因縁をつけてきそうだ。そもそも昔からこういう気質がある以上思われても仕方ないと思う。其のようなことをしないと厳に誓ってほしい。ヒッピーどもがまちなかに繰り出したり、左翼の力が強くなるのは勘弁だ。もうあんな混迷の時代は二度と繰り返すべきではない。
左翼は現在極めて信用されていない。一部のカルト的信者が其の力を信じているだけで、大多数は「右翼は嫌だ。でも左翼はもっと嫌だ」という考えであろう。そんな左翼が脱炭素へ食い込んでいるらしく、脱原発まで言い出しているのだが、何度左翼は介入を繰り返す?
成田闘争といい、左翼は切実な問題へ介入しては泥沼化させるのが好きなようである。問題は悪化するばかり。
そこで困っている方に問います。あなたは今何に困っていますか?それは左翼の力がどうしてもないと解決できないことですか?右翼じゃだめですか?
アンニョ.....おはよう。
昨日から食欲がなく、
今朝の起床は4時30分〜5時頃。
で、朝散歩にでかけたら曇り空。
おまけに謎の目のゴロつき(?)
というような気分でその辺を歩いたが、
「気にしない」ってこんなにも難しいことだっけか?と思う。
で、ぜんっぜん食欲がわかない。
休学の間は実家にいるつもり。
予約の紙を握りしめていた。
そして、一週間後母親が来る。
マジで言ってみよう。
あーもう2限の講義受けたくない。
そういえば
そりゃ、外出はしてるけれども陽光を浴びてるわけじゃないもんな
相変わらず
NHKでも垂れ流しておけば良いのに
怒られない気がするけどネ
薬の処方もできるような
それにしても
(ここまで書いてたところで知らない番号から電話かかってきてまたメンタルがちょっとキツくなった)
ことは、
そんな感じかね?
アリ〜ラン スリ〜ラン。
そういえば
保健室に行ってみた。
最近謎の聴覚過敏気味(原因はだいたい分かってるんだけど)で、
まぁ、何かアドバイスもらえるだろうと思ってネ
シムジョンが学生相談室なら(そういうわけでもないと思うけど)
モムは保健室でしょう、ということで。
まぁ、実際、マジの思い立ちなんだけどネ
朝から色々と気持ちがつらくて、心のどこかで誰かと話したかったのかもネ?
耳について聞くつもりが、まぁ、こう言う聴覚過敏も心が関係することが
同じようなことを話しちゃったネ
まぁ、結果は『様子見』ということで。
その後、図書館に行った。
もう、三限の出席は取られちゃってるだろうし。
ピの音は、これもこれで良いかもネ。チョアチョア〜。
勘弁願いたいけれど。
意外と心地よいかもしれないネ。
アリ〜ラン、スリ〜ラン。
簡単に要約
・自分に自信を持とう
舐めてんのかクソボケが
俺のルーチンワークをお前らに教えてやろう。
こんなん仲良くないやつに話せるかボケ
高校までは良かった。
中学までは真面目に部活やってたし、積極的に「ちんこ」って言ってれば強引に笑いが取れてそれなりに友達もできた。誰もやってないポケモンの話を力説して苦笑されてた。当時は人気者だと思ってた。多分嫌われてたと思う。塾ではぼっちだったけど。
高校は陰キャが大半の学校に行った。他の奴らもオナニーか勉強くらいしかしてなかったから、成績がまぁまぁよかった俺は周囲にイキリ散らし、暴れまわって迷惑をかけつつもコミュニケーションが取れていた。高三の頃はイキリ散らすのやめたからややボッチ気味だったけど。絶対嫌われてたと思う。
問題は大学入ってから。キモオタ陰キャ発達障害アニオタしかいないと噂の束京エ業大字に行った。大学では下ネタは通用しないだろうし、どうせ同類ばっかだから無理して友達作らんでも目立たないだろうと思っていたのだが、考えが甘かった。
働きアリの2割がよく働き、6割がほどほどに働き、2割は怠けるとかいうアレだ。
2割が陽キャラ(相対的)となり友達を沢山つくり、6割は支障が無い程度に友達をつくり、2割がコミュ障陰キャとなり少数の友達とつるむかあるいはボッチになる。
俺は何故かこいつらの中ではマシな方だろうと謎の自信を持っていた。
よく、ぼっちが思うほど周りはぼっちのことを見ていないと言うが、それは我々が作り出した嘘だ。
俺もそう思って孤立したけど空気みたいなもんだから後で友達作ればいいか、と思っていたのだが、俺はいつしか
学内で有名なキモオタ陰キャぼっちアスペ発達就職不可能枠になっていた。
1年の成績がどん底で勉強大嫌いになったし、元々学部で学んでることにも興味がなかったので学力方面で一目置かれることもなくなった。
友達はおらず、部活は一年で辞め、バイトも定期的に辞めてニートになり、プレゼンでは小学生並みのものを作って教授陣にキレられる。成績はどん底。家では誰もやってないソシャゲとインターネット荒らし、オナニー、小説執筆と誰にも言えないことばかり。
ここからの人生復調は年老いた象が空を飛ぶのを夢見るようなものだ。
折角気を使って「○○って家で何やってるの?」って聞いてくれる人もいるのに、何も答えられない。殻を作って「自分のことを話そうとしない」のではない。
仲良くない奴にオナニーがどうこうとか言えるか?俺は高校のとき、ほぼ初対面の奴に包茎煽りして引かれた。
ネット荒らししてるなんて言えるわけがない。ただのコミュ障から関わっちゃいけないガチクズにランクダウンしてしまう。
小説書いてたのはまぁ言ってもいいかとは思うが、書いてる内容が人様に言えるもんじゃないので突っ込まれたら終わる。突っ込まれなくても会話が終わる。
要するに、まともな趣味のない人間がコミュ障を克服することなど不可能なのだ。
本を読もうとしたし、筋トレもしようとした。
でもどっちも続かなかった。本は二行以上読むと飽きるし、それ以上読めたとしても自閉症特有の妄想癖によりそれに関連する別のこと(主にエロ妄想)を夢想し始め、本の内容なんで一切頭に入らなくなった。筋トレはいろいろ理由つけてやめた。
本当に何もない人間なのだ。日本で一番生きる価値の無い人間だ。一応学生だが、生活費の他に親に学費を払って貰ってる時点でニートより格下だと思ってるし、同じような学生ニートでも人に話せる趣味のある人間には確実に劣っている。
短所は淀みなく出てくるのに。
コミュ障を克服なんてできないのだ。俺にはそのためのまともな人格も、趣味も、教養も、知性も、理性も、学も、何一つ持ち合わせてはいない。
自己評価が低すぎる自意識過剰だと言われることがよくあるが、本当に全ての能力が平均から大きくかけ離れているのだ。
学生であることを隠してネット荒らしをするとよく中卒ニート認定される。顔真っ赤にして俺は難関大生って言っても、誰にも信じてもらえない。小馬鹿にされて知性も語彙力も中卒レベルだと言われる。出された問題にはちゃんと勉強してないから答えられない。
人は自らを或る属性を持つ集団に属させて、その集団同士で勝ち負けを争い合うのが大好きだ。
肉体的スポーツに限らず、デジタル、アナログ問わずのテーブルゲームや手遊び、東西、紅白、善悪正邪、二元論的対立でなくとも、プロアマ問わず複数からなるチーム対抗戦、地域、国家、思想、就労組織、親類一族、家、出身校、同一校内でも学級、学科、部活、委員、学内地域、血液型、星座、誕生日、好きな食べ物、フェティッシュの方向性、何のファンか誰推しか何沼にハマっているかに至るまで己を自らカテゴライズして、そのカテゴリ同士で優劣を決めるのが好きで好きでしかたがない。
自分で戦えない場合は時に相手の罵倒をも織り交ぜながら贔屓への応援支援。味方の勝利は己の勝利、実効的な行為は何一つせずとも馬鹿騒ぎ。負けてしまえば最悪の場合、殺人事件にまで発展する始末。争いは嫌だという場合も、嫌だという主旨でそうでない連中と争うことになる。『「長話はダメだ」という長広舌をふるう』ようなものだ。言葉とは斯くも自己言及的で――まあ、それは今更なのでいいだろう。
何にしろ、単に自分対他者よりも所属或いは肩入れする集団間での抗争が特に好まれる傾向にある、と言っていい。個人で戦うよりも楽だからというのは勿論のこと、責任は分散しつつ比較的安全圏から敵を攻撃できるからだ。
本気で対決せずとも二項の対立状況自体を面白がる風潮というのもある。無責任だったり判官贔屓だったり、要するに他人の軋轢に首を突っ込むというか、頼まれもしないのに乗っかっていく、むしろ煽っていくという状況がよくあるのは知っているだろう。
例えば、競合する商品やサービスを担う二社があったとして、そのどちらか一方のみを支持し、もう一方は徹底的に根絶する。そういう流れを見たことはないだろうか。その場合、どっちも買えば良いとかどっちも楽しめば良いとか、そういう一般的な思考は敢えて除外される。まあ、中には真剣な『アンチ』『信者』もいるんだろうが、別に両方同時に手を出していけない法はない。
つまり、好き好んで仲違いし自らを持ち上げて相手をこき下ろし、朗報悲報だのと立場によって逆転するニュースをラベリングしてひたすらにマウントの取り合い、自陣営に勧誘する事もなく、互いに罵倒し合うさまをこそ楽しんでいるとしか思えない。
現実的には、個人の資産や費用の限界による購買制限、つまり、どちらかしか選択できないという事情もあろうが、そうであったとしても選択できなかった方を貶める事で自尊心を保つ行為にしては少々度が過ぎていると感じやしないか。
詰まるところやはり『優劣をつけること』が主たる目的であって、エコノミックなパイの奪い合いというよりもこれらは、自分が正しく相手が間違っている事の確認、証明、『相手を攻撃できればなんでもいい』という事なのだろう、実際は。その『なんでもいい』部分に、同族集団というものがもっともらしい大義名分をもたらしてくれるという訳だ。なにしろ実利は無関係、というか寧ろ機会の損失という意味では損している訳で。まあ、対立状況を面白がる人間はそもそも外部の野次馬であって、失うものは最初から無かったりもするものだけれど。責任の分散どろこか、そんなものは無いと思ってるからこその、というべきか。要するに、自分自身が戦うということは絶対条件ではないって事さ。優劣を付けるのと勝敗を決するのとは、似て非なるものだからね。
誤解無きよう言っておくが、それ自体が駄目だと言ってるわけではない。人はどうやらそういう風にできている、という説明解説なのである。
元々は生存競争、捕食被食、繁殖する為に異性を取り合う等、勝つことが悦びであるという根本的な反応だろう。知恵により食物連鎖から仮初めとはいえ脱し、生存率も他に比べて高い水準を保てるようになった人にとって、その悦びを得る為の代替行為を欲するのは自然な事だ。闘争を避けること、つまり逃走が生存維持に繋がるならそれも勝ちの一種ではあるが、さっきも言った様に勝敗自体はどうやら人々にとってはさほど意味が無いようなのだ。そういう意味で、主として一人用ゲームというのは、プレイヤーが気持ちよくなる為の都合の良い仮想的を設定し、そしてそれはあくまで倒される前提、つまり攻略可能な範囲での接待と気づかれないギリギリの強さでの抵抗をし、最後に負ける事を定められた存在を配する事により悦びを得る為の疑似戦闘として非常に有用、と言うかまあ、人気な訳だ。
ただ、先に一人用と断ったように、対人戦特化型は全く別の話になるし、一人用でも高難易度特化のものはあるのだが、それはハードルが高く門戸が狭い事によって、他の奴等には出来ない事を出来る自分、というより強い優越感に浸れるという付加価値があるが故に、一定数の指示を得ている状況であり、誰でも簡単にクリアできる爽快さは、そういう人間にとっては悦びどころか、……まあ、あくまでも攻略をなせる腕があればの話だが、寧ろ無粋でつまらないものだろう。
当然、ストレス発散の為に結果としての悦びを求める者達にとっては、悦びを得る為に苦行をこなさねばならぬそれは、ゲームの為にゲームをしているという、全くもって本末転倒な思考回路なのだ。
決してそんな事はないんだが、それこそ属する集団が違うという事だ。
そして大事な事だが、『或る集団に「属する」』事は、戦う大義名分――通るか通らぬかは兎も角――を得られると共に、自分が何らかの役に立つと思い込める格好の機会でもあるのだ。特に、普通のコミュニティに馴染めない人間にとって、それは蠱惑的なのだ。
現実社会では必要とされない自分が、疑似コミュニティにおいては貢献する事が出来る。……まあ敢えて疑似としたが、要するに社会と直接には繋がっていないと言う事だ。
そして上の人間、主催は、そういう心情を利用する事が多い。現実では得られなかった役割を与え、達成感という報酬で縛り、更なる貢献……否、献身を自ら進んで行うよう巧妙に仕向ける。直接的な強制はせずとも良い訳で、自覚のない都合よき駒として、一層離れられなくしていく。無論、普通のコミュニティとてそういうものではあるのだが、マイナスを経験した後での逃げ道として用意された幸福だから、同じ分のプラスだとしたらマイナス分で絶対値は増えている、依存が強まってもおかしくない。
実際、例えばオンラインゲームにおける共闘のように、自らの役割がハッキリとしていてかつ効果に即時性があり目に見えて貢献度が分かるようなパーティプレイは、少なくとも勝っている間は、それはそれは愉しい。自らの貢献、味方との連携、互いを求め、そして求められる関係作戦立案そして実行。結果敵が倒されるのだ、自己の承認と敵の殲滅が同時に得られる。脳汁が止まらないって奴だ。つまりね、組織だった戦闘というのは、悦びを最も実感出来るシチュエーションなのだ。
その通り、厄介な事に、物理的集団戦闘行為が、その悦楽を最も得やすいんだよ。
さっき言った様に、集団を主催する人間はそれを利用するし、強烈な快楽故に強制すら不要だ。
論戦については、『双方がルールに則って』戦う前提ありきだ。そもそも言葉というのは真理でないと、今までも何度も言ってきた。言葉が通じない相手とは論を戦わせられないのだから。ある動物の威嚇行為が、人から見れば愛らしいファニーな行動に見えるように、概念での戦いは言語をはじめとした共通ルールの確固とした共が大の大前提だ。
逆に言えば、ルール厳守を徹底するなら、言語は強い武器たり得るという事でもある。
まあ、普通に暮らしている分には、我々は言語という呪文が通じる世界にいるので、その威力は人を生かすも殺すも出来るレベルであり、あくまで言葉が通じる場でなら、用いて戦闘行為は可能さ。
そもそも属性集団の属性に言語によって分けられたものがある以上、強い悦楽が物理戦闘に限るわけでは無いのだが、実際問題、同じ社会にいながら『言葉が通じない』相手が結構いるものなのだ。
どちらが良いとか悪いとかではない、勿論優越でもない、君が何処に属しようと、どういう戦闘を愉しもうとするかは僕がどういう言うことではない。
『卒論、どうなるんだろう…』
自分もその一人で進捗もまずいんだが、俺は心からヤバさを自覚で来てなくて現実からとことん逃げようとしてる。
何から話せばいいかわからないが、自分が今ラボでどんな状態かを説明させていただきたい。
テーマの目標が曖昧過ぎる、みんなに当初から「どう卒論としてまとめるの?」と言われ続けるも全く分からずもう11月へ突入。
当初予定していた、特注の機械を用いた先進的なこと(具体的には言えない)は共同研究先の不手際により多分もう不可能
それ以前に研究する材料の納品が半年以上遅れて、実験をかなりやらなければならないテーマなのに他のメンバーより初動がかなり遅れてしまった。
プロジェクト担当の教授が何もわかっていないせいで暴走しかけた。
しかもこのテーマは企業のノウハウに依存する部分が大きい、重要な部分がブラックボックス化してしまっている。
・配属後の自分について
研究の遅れをこじらせて鬱になり、一時期大学にも行けなくなった。(今は休みがちなもののコアタイム中は行けるようにはなっている)
しばらく精神科や大学のカウンセラーに定期的にお世話になってた。
そんな最中、院進学を決意してしまった。理由としては一応推薦入試が受けられるというので、せっかくなら受けて進学しようと思った。ただし研究室は学内の別のところに変えることにした。
今自分は色々実験という名の作業を行っているが、正直やる意義がわからないし面白味もない。
また自分は研究に不適合なのではという思いが強くなってきている(テーマが悪かったというのは大いにあると思うが、それを加味してもだ。
いろんな人にこれを言われ続けて半年以上たつけど、いまだに見失う。
ゴールが曖昧過ぎてそこまでの道が組み立てられない。
この間のミーティングも報告がかなりスカスカになってしまった(しないよりはマシだとは思うが)
進学先でどうなるかは知らない。なるようにしかならないと思う。
留学したいと進学先の先生に言ってしまったが私は耐えられるのだろうか。
友人がいないわけではないが、人付き合いが得意ではない。それを研究室生活で思い知ってしまった。
故郷にも帰りたい、ただクソ田舎県のため院卒はウケが悪いんだろうなあと思う。
話は卒論に戻るが、このままだと実験したことつらつら並べてテキトーに解析して『はい、何も得られませんでした~wwwwww』としかならない。
教授に俺の卒論どうなるんだと相談はしているがかなりあいまいな回答しか返ってこない
先輩方は『ここの教授はとりあえず卒業はさせてくれる』とはいう。ただ自分が限界を迎えてしまう可能性が高い(それを防ぐためにあまり研究室に居残らないようにしてる)
俺どうなっちゃうんだろうなあ…そんなことがもう夏休み明けから頭を渦巻いている。
留年したらもうしちゃったでもういいかな、そう思う自分がいるのも事実だ。
この問いは卒論が終わるまであと数か月頭をよぎるんだろうな。
引継ぎの後輩は、俺みたくならないでほしいが先輩曰く『お前の状態誰でも病むわ』って言ってたので避けられないだろう。多少状況がマシになっているとはいえ(材料がある、それだけでも自分にとってはかなり恵まれていると思う)
定期的にここに自分の思いこんでいることを書いて行こうと思う。
呉座勇一氏の騒動について、彼の雇用がどうなったかについて誤解があるようなのではてブに突っ込んでみます。
日文研の元助教に懲戒処分 長期にわたりSNSで不適切発言繰り返す|社会|地域のニュース|京都新聞
[B! 炎上] 日文研の元助教に懲戒処分 長期にわたりSNSで不適切発言繰り返す|社会|地域のニュース|京都新聞
shigak19 「10月から日文研の非常勤の機関研究員となっている」非常勤とはいえ雇用継続か/しかしここのコメントにもひどい二次加害のコメントが。一方的な誹謗中傷を受けても「被害者」じゃないのか
differential 少なくとも北村氏は明確に中傷の被害者だったよね…/研究者のポストは残ってよかった。己の中の黒い感情の手懐け方を身につけて、悪いおトモダチとネットで遊ぶのはほどほどにして笑、研究に邁進して欲しい
こういうのを「雇用継続」とか「ポストは残った」とは(言っちゃ駄目とは言わないけど)普通は言いません!
正社員の地位を解かれパートになるのを「雇用継続」とか「ポストは残った」って言います?
研究者の世界には「テニュアトラック」という制度があります。簡単に説明すると、「数年間は任期付の正社員として雇用し、その数年間の業績を評価して終身雇用の正社員にするかどうか決める」という制度です。
多くの場合、テニュアトラック期間中は「助教」という職位(assistant professorの訳)で、テニュア審査に通ると「准教授」という職位(associate professorの訳)になります(もちろん例外は多々あります)。
これはもともとアメリカの大学で採用されていた制度ですが、現在は日本でも一般的です。とはいえお国柄による違いというものはあり、アメリカではけっこうな割合でテニュア審査に落ちる(つまり終身雇用への移行が拒否される)ことがあるそうなのですが、日本でテニュア審査に落ちたという話はあまり聞きません。採用人事大変だし、数年間も一緒に仕事してるわけだから勝手もわかってるし、何より日本には定年制がありますからね。
(アメリカでは定年制は年齢差別となり違法なので、一度テニュアを手に入れたら死ぬか自発的に辞めるかしない限りは職に留まれます。一方、日本の大学には基本的に定年があるので、どんな偉い学者でも定年を迎えれば退職です。これを利用して、定年を迎えたノーベル賞級の偉い学者を教授として迎え入れ、受賞者が出たら「うちの先生がノーベル賞を獲りました!」と大々的に宣伝している私立大学というのもあります。選球眼がすごすぎる)
呉座さんはこのテニュアトラック枠で2016年秋に採用されていました。任期は5年だったので、何も問題がなければ今年の秋にテニュア審査を受けて助教から准教授になれた、すなわち国際日本文化研究センターに定年まで留まることができるようになっていたはずでした。
しかし、現在の彼の職位は非常勤の機関研究員。これは世間一般で言うところの「パート」「バイト」の身分です。ほぼフルタイムで勤務している場合もありますが、それは長時間パート勤務をしているというだけで、正社員という待遇ではありません。
つまり彼の地位は「数年間という期限つきの正社員」から「バイト」にまで落ちたということになります。
呉座さんの場合、博士号もあり、学術的・啓蒙的な著書を何冊も出しているので、今回の騒動がなければ准教授になれていた、つまり定年まで組織にいられる正社員としての身分を手に入れられていた可能性は非常に高いでしょう。逆に言うと絶妙のタイミングで告発が出てきたということで、人の恨みを買うのが一番怖いという話ですね(本人も「もうちょいで准教授になれるぜヒャッホウ!」と思っていたんだろうなぁ)。
10月付で肩書きが助教でなく研究員になってる模様( https://research.nichibun.ac.jp/sp1/ja/researcher/staff/s377/ )。謝罪もしたし処分も受けたという理解。 この件 https://b.hatena.ne.jp/entry/4699963914661886050/comment/Fuggi
10月付けで肩書が助教じゃなくなるのは上で書いたように既定路線でした。ただ変わった肩書が予想外すぎたという話で。
賃金は出てると思います。というのは、上で書いたように呉座さんは今後も日文研で仕事を続けることが見込まれていたので、10月以降も呉座さんがするはずだった仕事が残ってた可能性があるんですよね。ひょっとしたら外部の研究費を取ってきてたかもしれないし。仮にそれを処理するために非常勤で雇用されてるとすると、当然(具体的に「これこれこういう仕事をしろ」と指揮命令を受けているわけだから)賃金は払う必要があるはず。
なお、賃金が出ない研究員というのもたまにありますが、それは「就職先が見つからない院卒者に○○大学所属という肩書と学内施設へのアクセス権を与える」ための措置なので、具体的にどんな仕事をしろとか命じることはないです。
大学教授に他の大学に所属している研究者の雇用をどうこうするような権力はないです。処遇を決めたのはあくまでも日文研で、北村さんにはその決定に関わるなんの権限もないはず。
ただ、北村さんが一般向けの媒体とかにも寄稿している有名人だったからこそここまで問題になったというのはあると思います。無名の研究者にハラスメントしてたら雇用先に気づかれず逃げ切っていた可能性もある。とはいえ無名の研究者だったらここまでタゲられてなかった(有名だったからこそ粘着された)でしょうから、無意味な仮定ですが。
KKElichika 勤務時間外=使用者の管理外⇒本来懲戒処分権の範囲外&ほぼ業務とは無関係の行為ってこと考えると、結果的に法人の評価を貶めたとみても、停職1か月は相場より重い。訴えられたら負けそう。訴えないだろうけど。
これ、研究者の間では「SNSでの誹謗中傷」というよりも「アカハラ案件」だとみなされているんですよ。歴史学者が出した声明とかもその線に沿ってるので。それでハラスメント案件として重めの処分になっているんじゃないですかね。完全に憶測ですけど。
ただ、これどう考えてもアカハラじゃないんですよね。北村さんは呉座さんと面識がなく、タレコミがあるまで誹謗中傷のことも認識してなかった(それまでは彼女の研究活動その他に影響を与えてなかった)わけで、アカデミックな場で行われるハラスメントとは言いづらいものがあるというか。所属機関も所属学会も専門分野も違っていて、なおかつ面識がない相手に行われるアカハラって聞いたことあります?(同じ会社に勤めているわけでも取引先というわけでも同業他社ですらなく一度も会ったことない相手へのパワハラ、とか、私は聞いたことない……)ていうかそもそも、川上未映子さんや三浦義隆弁護士の悪口まで言ってたんでしょ。アカデミック関係なくない?
「アンチフェミ・アンチリベラルのツイ廃がフェミ・リベラル界隈の有名言論人の悪口言いまくってたら、たまたまどっちも博士号持ちの研究者だった」というのがことの本質だと思うので、「男性研究者が女性研究者にハラスメントしてた」というフレームは違う気がするんですよね。銀行員が帰宅途中の路上で強盗に襲われたのを銀行強盗と呼んでるみたいな感じ。もちろん強盗はよくないことだし罰せられるべきだけど、それを「銀行強盗」と呼んだり「銀行強盗をどう防ぐか」みたいな話に繋げたりするのはなんか違うというか……
馬鹿な陰謀論者を見て、「俺はこいつらよりマシだな」と安堵した経験はないだろうか。
手軽に心に平穏をもたらす陰謀論ウォッチは、時に中毒状態に陥れられるものなのかもしれない。
俺は大学1年目にして留年した。メンタルに多大なダメージを負った俺は卑屈になり、枕詞に「学内唯一の1年次留年者である俺は~」を付けないと喋れなくなった。
相談できる相手も現実を忘れさせる趣味も持たなかった俺がネットを巡回して出会ったのは、ある1つの晒しツイであった。
俺は驚いた。陰謀論者という存在自体が蔓延っていることは知っていたが、晒しツイに載ったそれはまともな思考力の持ち主とは思えぬうわ言であった。
メンタルが傷つく前の俺は晒しスクショを嘲笑だけして次の話題に移っていたことだろ。しかし当時の俺は、晒されたアカウントのツイ垢に飛んでいたのだ。
するとどうだろう、出るわ出るわ妄言の数々が。俺はそのツイートひとつひとつに大いなる優越感を受けた。今まで感じたこともなかった精神の昂りがそこにはあった。
それからの行動は早かった。俺は陰謀論用のアカウントを作成し著名なあたおかをフォロー、自分は一切ツイートせず論者のウォッチを始めた。
つらい時や苦しい時は彼らの荒唐無稽な呟きを見ることが俺の唯一の楽しみとなった。
ウォッチから半年、アメリカ合衆国大統領選挙を控え陰謀論者の弁舌はピークに達した。この頃になると俺もスキマ時間のウォッチとは別に、一日に8時間はTwitterに張り付くようになった。
当然有名論者のツイなど全て読み終えているので、盲目にも信じ込む末端論者の反応ツイートをチェックし、新たな論者を求めて検索ワードを駆使する日々が続いた。再履修の授業が数コマしかなく、暇を持て余した俺だからこそできたことだ。
こうして4月を迎え、俺は2年生になった。共同作業を共にする新しい同級生と挨拶を済ませる。
ここで俺、とんでもないことに気がつく。趣味というか最近やったことで記憶に残ってるのが陰謀論ウォッチしかない!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
これやばくね?
冷静に考えるとこんなもん時間の浪費でしかない_留年中の1年間という時間をなぜ有意義に過ごせなかったのだろう?
これにこりて金輪際ウォッチはやめてTwitterも消そう...
とはならなかった。あろうことか俺のウォッチ癖は加速し、オンライン授業中ですらTwitter巡回をやめられなくなってしまった。
これは多分アルコール中毒とかと同じで自分では直せない気がする。精神科にでも相談すべきなのか?
そんなことをウダウダやっている内に2回目の留年通知が届き、頭がおかしくなってこの増田を書いている。こうなってしまったのは全て陰謀論者が悪い
本多藤嶋効果の藤嶋先生の中国移籍が話題だけど、そんなに騒ぐことなのかと思う。
そう考える理由の一つは藤嶋先生はさすがに高齢で一線級の活躍というわけじゃないから。
研究室まるごと海外移籍という例はこれまでにいくらでもあって、普通はこれから活躍するであろう研究者が海外に行くから、藤嶋先生のような高齢な方を迎えるというのは面白いといえば面白いしニュースバリューがあるのかもしれない。
光触媒の実用化、商品化は藤嶋先生の弟子でもある橋本先生がバリバリとやっていて、その点においても損失だとかこれまで予算が少なかったとも思えない。
ただ、仮に冷遇されていたとすると、それは理科大の学長を務めた後だろう。
有名だけど理科大の学長選挙はドロドロとしていて、勝てば官軍負ければ賊軍とよく例えられる。
藤嶋先生は2010年から18年まで学長を務められ、2018年に別の方が学長に就任したもの2020年末に辞任を表明され今年の3月末で辞任。現在は学長不在。
学長辞任は理科大のことだからどうせ学内の権力闘争とかくだらない理由じゃないかと思う、知らんけど。
理科大の学長選に担ぎ出されても負ければ行き場がなく(年齢はともかく気力があっても)理科大を辞めるし、学長退任後は理科大に居場所はなくなる。
そんな理科大の学長を務めた後の藤嶋先生だけど、年齢を考えるとどこかの大学が声をかけていればとも思わないし、中国の大学に行くならそれはそれでいいんじゃないかと思う。
学科長など指導教官より上の立場になる人に報告するべき案件だと思う。
その際、可能なら増田が指導教官との面会をいつ求めたかについて明確な記録があるとよいと思うし、指導教官以外の先生に相談していたことについても記録があるとなお客観的に状況が説明できていいと思う。
ちなみに、第二志望は国公立の大学職員×2、第三志望は私立の大学職員だった。
私は地元の名門といわれる公立高校出身だが、高校の教員の大多数に嫌われたことが運の尽きで、学内の成績上位にも関わらず指定校推薦をもらえず、Fラン大学へと転がり込んだ。そのため、学歴コンプレックスは人一倍強いし、学歴フィルターが根強く残っていることも強く意識していたため、公務員試験に専念することにした。ちなみに、独学であった。
私は部屋の一番後ろの席に座っていて、前の人から適性検査の用紙が回ってきた。そして、私の分を含めて、3枚渡されたことに気がついた。すなわち、2枚多いのである。私は、「2枚余っています」と言って手を挙げ、試験官(自治体職員)に知らせた。すると、試験官は走ってきて、「どうして2枚持っているの!!!」と、私を怒鳴りつけ、二枚余った試験用紙を乱暴に抜き取った。私の席の周辺の人は、「?」という顔で私を見るし、私も「すみません・・・」と言うしかなかった。いかにも私が何か悪いことをしたかのような口調で言われてしまって、ただただ萎縮した。
ちなみに、他の学生のところでも紙が余ったことがあったが、怒鳴りつけられている様子はなかった。なぜ、私だけ・・・と思った。
「集団で行動した経験はありますか。エピソードを教えてください。」と言われた。
「はい。小中高、大学と色々と経験があるのですが、とりわけ印象的だったのは、中学での・・・・・・という経験です。」
「大学では無いのですか。」
「・・・無いです。でも、ゼミで数人で活動した経験ならお話しできます。」
「結構です。」
そう言って、試験官は私の面接評価シートに、私から見ても分かるくらいめちゃくちゃ大きく横線を引いた(評価「/」ということなのだろう)。
バッサリ切られてしまった。実は、私は、高校時代になかなか酷いレベルの嫌がらせを受けていたために人と関わるのが怖くなってしまい、大学時代にはサークルにも入らず、友達も作れずに、ずっと孤独でいた。そのため、「大学時代の集団行動経験」という質問への対策を入念に練った(就職支援課の方にもアドバイスを受けていた)。その結果としての、「たくさんあるけど~とりわけ~論法」であった。しかし、そんな論法は通用しなかった。とにかく焦った。焦りながらも、嘘をついたらその後を取り繕うのは無理だと思い、結局「無いです」と言ってしまった。「結構です」と言われたときには、体の芯から体温が奪われていくような感じがした。
話すら聴いてくれないし、なにより、大学での集団行動経験が無いがゆえに「評価マイナス」とは、なかなかの人格否定だなあと思った。
その女性の試験官に、「○○さんは、“大学では1人を好んで、というか、少人数で固まって”、コツコツ勉強するタイプなんですね」と言われたときには、私が言ってもない言葉を付け加えて、私の発言を悪いように変換してまとめたようだった。
私はただ、なんだかなぁと思うだけだったが、このことを親(公務員のきょうだいをもつため、公務員の実情を比較的よく知っている)に話したら、それは圧迫面接だし、公務員試験の面接なのに、民間の面接並に面接官が、面接官の主観で、学生が言ってもない言葉を付け加えてまで勝手に学生を悪く評価しているのか、と言った。
2回目の面接で、男性の面接官との冒頭のやりとりで怖くなった。
「このような面接は初めてですか。」
「はい。」
「先ほど1回目の面接がありましたので、これは2回目の面接になると思いますが、まだ緊張していますか。」
「あのね、緊張してるって言われるとこっちもやりにくいんだよね。」
「申し訳ございません、精一杯頑張りますので、どうかよろしくお願いします。」
就職試験の面接で、「緊張している」と言うと、相手から嫌みを言われるなんて想像もしていなかった。「緊張している」はNGワードなんだ、と不思議に思った。
そして、ガクチカ(学業)に関して、周りに指導者がいなかったこと、モチベーションを上げてくれる存在が居なかったから、自分で自分を鼓舞しながら頑張ったことを話した。
「つまり、もう一人の自分が自分を応援していたというか(失笑)、自分で自分をコーチングしていたということなんですね。」
と言われた。それはそうなんだけど、なんか二重人格者みたいな言われようだなぁ・・・とか、ここ笑うところなのか?とか色々思いながら、「仰るとおりです」と言った。
誘導尋問もなかなか多かった。
他者と接するときに気をつけていることを聞かれ、「相手の価値観を否定しない」とか、そんな感じで答えたら、
「では、○○さんがそう思うようになったきっかけというのは、あなたがそのようなことをされたことがあるからなんですか。」
と聞かれた。よく経験談とかエピソードとかを交えて答えるべきであると言われる。確かに、この場面でもエピソードを語る必要があるのだろう・・・たとえそれが"人に嫌なことをされた経験"であろうとも。
実際、先述の通り、高校では教員からも生徒からも完全なる人格否定を受けていて、普段から「キチガイ」「馬鹿」「アホ」呼ばわりされていたものだから、そのような意識(相手を否定しない)を持つようになった。結局、オブラートに包みながら、それとなく、そういうことがあったと述べた。
すると、その後の、"他者との関わり系質問"においては、「あなたがそういうことをされたから、逆にそうしないようにしようとしたということなんですよね?」と、まるで私がかつていじめに遭っていたことを見透かしていて、それを引き出そうとするかのような質問が続いた。さすがに面接官もやばいと思ったみたいで、
さらに別の男性の面接官から、「過去の辛い経験を深掘りして聞いてしまい、ごめんなさい。」と"謝られた"。"いじめられ経験を聞いている"という意識を持ったうえで、このような質問をしていたのだと悟った。確信犯だったのか。
細かく書くと長くなるので、トラウマになったポイントを簡単に挙げていく。
・ガクチカが学業で、特待生をとったという話を面接カードに書いたところ、「どれくらいの額をもらったんですか。学費の半分とか、全額とかありますよね。」と、野暮な質問をしてきた。
・マスクを外した上で本人確認をするのだが、顔写真と私の顔を"人差し指一本で指しながら"、目やら鼻やらを確認していたこと。
・面接で大学名を言ってはいけないと言われているところ、面接官は弊学に関して調べて知っているようだった(試験申込時には、大学名を入力している)。
・学業をガクチカにしたせいで、"優秀な学生であること"を鼻に掛けていると面接官に思われたようだった(女性の面接官「勉強がお得意なんですね~~」男性の面接官「特待生になることを狙ってたんでしょう?」と言われて、嫌みったらしいなと思ってしまった・・・)。
どこもESで落ちてしまい、第一志望の自治体での面接が人生初・本番面接だったからこそ、私は面接というものを甘く見ていたのだろう。自分が嫌だと思うことを聞かれたり、いわゆる「圧迫面接」が"常に"行われていたりするなんて、想像もしていなかった自分が馬鹿だった。それとも、自分が敏感すぎるのだろうか。これが「公務員試験の面接」なのかと、酷く落ち込んだ。
最初から話を聞いてくれなかったのは、論文で足きりされていたからなのだろうか。それとも、精神疾患か否かを検査する心理検査(試験官は、"あくまで参考にするだけです"と言いつつ、"嘘をつくと、皆さんに不利になります!"と脅してきた)で悪い結果が出て、不利に働いたからなのか。クレペリン検査で、少しがたつくくらいの、ほぼ直線を描いたからなのか。
身なりやマナーは、きちんと事前に学習したし、きちんと守った。これだけは、胸をはって言いたい。
このほかに、面接会場で、高校のときに私のことをいじめた首謀者グループの2人や、「キチガイ」呼ばわりしてくれた嫌なやつ1人(いずれも指定校推薦で名門大学入学)を見かけたことで、過去のトラウマがよみがえって、ますます嫌な気持ちになり、受験した「公務員試験」自体がトラウマとなった、ということも付け加えておきたい。ちなみに、いじめ首謀者グループのやつの目の前で、面接官にフルネームで名前を呼ばれたときには、四年間身を隠して生きてきた努力が水の泡になったと思い、辛くなった。どうか私の事なんて忘れていて欲しい。まぁ私のことをなめ回すように見てきたから、間違いなく覚えていたと覚えていたと思われる(他の受験生はジロジロ見てこないから)。
これから民間企業を探して就活しようかな、と思うけれど、日本で最も公平・公正に行われる、学歴フィルターもない公務員試験にすら落ちてしまうのだから、見込みなんてないだろうと思う。ESを出せば非通知のイタ電が増えて、それも嫌だから、躊躇する(実際に、選考期間だけ極端に非通知が多い)。内部進学での院進も躊躇する。どの先生も私のことを否定ばかりしてくる。
どこにいっても、私のことを少しでも肯定しようとしてくれる人は居ない。私に関して何も知らない人にも叩かれる。
そういえば、受験した自治体が、試験前に○庁イベントとして「座談会」を開いたので、それに参加した。
私は何もしていないのに、人事課のある方は、私のお礼の言葉を無視したり、私の質問を否定的に受け答えしたりした。ちなみに、私の質問はおかしなものではなかったと、大学の就職支援課の方は言っていた。後から同じ趣旨の質問をした、別の人には、丁寧にニコニコと受け答えをしていた。
この「座談会」のときから、第一志望の自治体の人から、嫌な思いをさせられていたくらいなのだから、よっぽどその自治体に縁が無いのだろう。
というか、その自治体の人になにか恨まれてるのかというくらい、トコトンヤられたな。
どうせ落ちるくらいなら、そしてトラウマになるくらいだったら、受けなきゃ良かった。
論文か適性検査(1日目)で足きりになっているのだったら、2日目の面接をする前から「落とす」と決まっているわけだから、2日目には呼ばないで欲しかった。
換気のない、カーテンの閉まった待合室に20人近く詰め込まれて、色んな人が少し長めにマスクを外したり(お茶を飲んですぐマスクをつけるのではない。マスクを外して、お茶を飲んで、お茶を鞄にしまって、一息ついて、しばらく外して休んで、ようやくマスクを着けて、という感じである。)鼻をすすったりする人がたくさんいるなかで、30分以上待たされて、コロナ感染が怖かった。
緊急事態宣言がでている中で、就活だから、と言って外出する罪悪感があった。
交通費、スーツのクリーニング代、その他もろもろの費用が、もったいなかった。
どうせなら、論文と適性検査を、筆記試験のときにまとめてやってくれた方が経済的だ。
被害者面をしたいわけじゃないが、さすがに今回の第一志望の自治体の公務員試験は、トラウマになった。この経験を通じて得たものといえば、絶望感、疲労感、過去の負の記憶の再燃による心的外傷くらいか。
コロナ禍でどう感染対策しながら家族サービスをしたら良いのか?を考えた結果、妻が突飛な発想をした。
青天の霹靂、予想だにしない極めて有用な意見である。
なぜなら私は漁師の子であり、東京海洋大学卒であり、海技士免状取得者だからだ。
しかも私は学生時代に学友たちと無人島を借りてキャンプをした経験がある。
いやエントリのタイトルが「ぶっちゃけ」なので無人島を借りてキャンプした理由も正確にお伝えしなければならないだろう。
無人島キャンプの最大の理由はナンパだ。
我々のような海へ親しい技能者は若い時分にクルーザーなどを借りて海水浴場の近くへ係留・錨泊し「クルーザー乗ってみない?」と女の子をナンパするのが定番ナンパ術なのだ。
このナンパ術、その成功率は9割を超えると言って良い。
このナンパ術の失敗理由は声をかけた女の子が家族もしくは彼氏と海水浴場へ遊びに来ていることに起因する。それ以外の理由を女の子から言われたことがない。
なんなら「今日はダメだったけれど」とコッソリ電話番号をくれる子まで居た。
もし血気盛んな若者がこのエントリを読んでいるのであれば夏場のナンパはクルーザーが強いと覚えておこう。
そしてこのクルーザーナンパの延長線上に無人島キャンプがある。
貸し出している無人島にはたいていプライベートビーチがあるので自分たちだけが専有できる特別な海水浴場となるためコレも女の子ウケが非常に良いのだ。
お前はパリピかとそう思うだろう。バブル世代の成金かとそう思うだろう。それは全く違うと全力否定させてもらう。
学内で野郎を5人程度集めて割り勘でクルーザー借りたり無人島借りたりするのだ。
1泊2日ならクルーザーレンタルやキャンプ道具費用を合わせても50万円あればお釣りが来る。意外とリーズナブルではないかな?
そもそもお前らがイメージしているパリピが新1級小型船舶操縦士とか海技士免状とか持ってるのかと。むしろ金色のネックレスしてそうなバブル世代のオッサンとかのほうが持ってそうだろ。
しかし私はバブル崩壊後生まれであり1万円振ってタクシーを停めた経験とかそういうのはネットで読んだみたいな世代だ。
話はそれるが先日話題になった暴走運転する水上バイク、水上バイクの免許(特殊小型船舶操縦士)ではクルーザー運転できないので、こいつらともまた我々はカテゴリが違う。
いや確かに水上バイクもまたナンパに使えるが、クルーザーほどの威力はない。いやだってクルーザーだぞ?男女関係なくホイホイついてくるやつ一杯居るだろ?w
そしてそのホイホイついてきたのが私の妻である。
つまり妻からすると若い頃に私と楽しんだ思い出のレジャーなのだ。妻は突飛な発想だと思ってなかったかもしれない。
思い立ったら吉日、船と無人島の予約だ。
無人島は瀬戸内か三重が良い。内海なので船が揺れにくく船酔い耐性が低い人でも酔いにくい。
しかし、当日になると折りが悪く停滞前線の影響が強く残る天候で、気象の変動が読みにくい停滞前線では正直現地へ行ってみないと船を出せるかどうかわからない。
こっちも海に関してはプロなので無謀な航海計画を立てることはない。これは学生だった頃からそうだ。遊びで死にたくはないし可愛くセクシーな女の子(妻)の心証を損ねてしまう。
子供たちは釣りや海棲生物の捕獲を楽しみにしている様子だったが「ごめん、もしかしたら無理かも?天候だけは父ちゃんどうしようもない」と伝えると絶望した表情を浮かべていた。
現地へ行ってみないとどうにもわからなかったのでクルーザーと島の貸主へ電話連絡を取り「天候理由ならキャンセル料頂きませんよ」と快く言って頂けたので「無理なら帰る」ことを子供たちへ伝えて車を走らせた。
車の走行中、天候を確認しながら運転していたが「あれ?意外と悪くないかも?」なんて思ったが子供たちへ伝えると期待感を膨らませてしまうだけなので黙っていた。
そしてマリーナへ到着。めっちゃ凪。すごい凪。
流石にミラーウォーターと呼ばれる鏡面のような凪ではなかったが風も等級ゼロと言って良いほど無風。
しかし無人島へ移動してから荒れたら嫌なのでマリーナ周辺を散策しながら注意深く海を観察し、漁港近くを歩いていた風格あるご老人が居たので訪ねてみると「このまま晴れると思うよ。むしろ暑くなりそう」と太鼓判を頂いたので出港決定。
子供たちへ「行くぞ!」と伝えたら手を付けられないほど歓喜していた。
出発前の不安は何だったのか、YAMAHAの船外機も調子よくマリーナの整備士へ心の中で称賛を送り、フルアヘッドで無人島へ向かう。私のチキンハートのせいで時間が多少押してたので暗くなる前にキャンプ拠点をしっかり作り込みたい。
この時点で妻も子供たちもスゴイ良い笑顔だ。船が滑走し水しぶきを浴びてキャッキャと喜んでいる。どうやらお父ちゃん何とか格好付けられてるようだ。
無人島へ到着する。どうだこの究極のソーシャルディスタンスは!
当然、我が家族以外誰も居ない、時折近くを通る漁船も水平距離にして300mは離れてるだろう。まぁ自然以外何も無いけどな!電気もガスも水道も通ってない!
ただ内海を選ぶことのメリットに携帯電話の通信圏内であることがあったりする。LINEやInstagramへ写真をアップするとかそういうことは可能なのだ。Youtubeだって観れる。
しかし数万mAhの容量があるキャンプ用ポータブルバッテリはあったほうが良い。それに合わせてトーチやランプも充電式にしておくと何かと便利で、火種も基本は充電式電子ライターとかにしておくと不便がない(無人島へ行く場合、火種の着火方式は複数用意しておこう。オイルライターなどを予備として必ず持っていくこと)。
キャンプなのに文明の利器使うのかよと思うかも知れないが子供相手せにゃならんのでキャンプっぽいことをすることが大事であってガチで石器時代やる余裕なんてないののである。
石器時代やって大人のキャパシティ超えちゃうと子供を危険へ晒すことになるのでこういうシチュエーションで石器時代はあまりメリットない。
石器時代やるなら第3者のヘルプが使えるとこで私はやりたい。
無人島では真水が大事なので浄水器、鍋、ビニール袋(ゴミ袋で良い)なども必須。特にビニール袋は帰れなくなった際に着込むことで保温効果も期待できるので忘れることが許されない。火種があればビニール袋を繋げて真水も作れるぞ。
あとは医療品だな。私は医療品をイチから用意するの面倒だったので自然災害用避難グッズ。全部揃っていて迷う必要がない。
ほかはまぁだいたいのキャンプで使うようなもの持っていけば良いんじゃないか?
最後に、実は私は家族の中で唯一2回目のワクチン接種が終わってないんだよなぁ。
むしろ無人島キャンプしたときは私だけワクチン接種してなかった。したかったんだけど職域接種の混乱に巻き込まれてしまって遅れたのだ。
1回目は幸い副反応もまったくなく腫れも幼少期ハチに刺されたのと比べれば腫れてないって言って良いレベル。蚊かなにかに刺され掻いてしまい腫れあがったときみたい?って感じ。
多くのご家庭が自分の家族のためにどうにかして夏の思い出を作ろうと試行錯誤していると思う。
中には子供を遊ばせるとは何事か!とか心なく言うような人も居るけど、だからこそ私は私なりの試行錯誤をここに記すことにした。
我々大人は子供時代に多くの夏の思い出を大人たちの協力によって積み上げた。これは事実であり否定しようがないものだ。
ならば次は私の番である。私が大人になったのならば今の子供たちへ報いる番なのだ。
子供よりも経験豊富で知恵のある大人として育てて頂けたからこそ私は子供たちのために試行錯誤をしなければならないのだ。
今の子供たちに将来「夏の思い出を大人に奪われた」と言わせないために!
今の子供たちに将来「次は自分の番だ」と言ってもらえるように!