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はてなキーワード: 勝てば官軍負ければ賊軍とは

2023-08-01

オッペンハイマーバービーミームについて個人的な考え

マンハッタン計画原爆製造に関わった研究者を描く「オッペンハイマー」とバービー人形の実写ハリウッド映画であるバービー」が同日公開されることとなり、

これを知った人々により、オッペンハイマーバービーを演じた役者コラボさせた「Barbenheimer」というミームが生まれた(本記事ネタバレはありません)。

原爆キノコ雲を背景にバービー笑顔で写るミームや、ピンク色のキノコ雲のミーム投稿されて話題になると米国バービー映画公式Xアカウントが反応した。

この動きは瞬く間に日本人の視界に入ることとなり、Xでは「広島長崎原爆投下に対する配慮がない」「ミームに対して公式が触れること自体不適切

9.11ミームを作って何を思うか問いたい」など批判が巻き起こる事態となった。騒ぎからまもなく、バービー日本公式Xアカウント謝罪した上で、

ネットミームに触れた米国本家対応遺憾の意を表明した。

どのミームも明らかに、全く異なるジャンル映画が同日公開されることを揶揄した内容だった。そこに「広島」や「長崎」というキーワードはなかったし、

原爆によって失われた命を揶揄する表現もなかった。(「原爆キノコ雲を背景に半分骨になったバービー笑顔で佇んでいる」というような画像があったとしたら、

それは初めて原爆投下によって被害を受けた人たちを揶揄するミーム認識して差し支えなかっただろう)

それにも関わらず、過剰な批判をしているXアカウントには違和感があった。特に9.11ミームを作って何を思うか問いたい」といった批判は、Barbenheimerよりも明らかに攻撃的なミームを作ろうとする姿勢だった。

米国インターネットRedditや4chといった掲示板からまれネットミームは、そもそも高尚な文化ではない。「フェアユース」を拡大解釈して自由気ままに著作権コンテンツ面白おかしく改変して投稿する文化だ。

著作権肖像権どころか、人権配慮そもそも存在していない。面白事象キーワード画像であれば、ルール存在しない。面白ければすべてよしだ。まともな人間ならミームに触れることすら避けたほうがよいレベルだ。

日本でたとえると「淫夢語録」やそれから派生したコンテンツ全般が該当するだろう)

にも関わらず、「広島長崎への配慮が足りていないミームを作る米国人の原爆に対する知識はこんなもんか」といった批判や「歴史的過去から振り返ると不適当だ」という批判が繰り返された。

これらはナンセンスだ。ネットミームはそういうものなのであり、誰にも伝わらない批判だ。「ナンセンス?いや、そんなネットミームをやるなよ」と感じるのも自然ではある。

だが、米国インターネットにおける一つの文化から、Xにいる少数の日本人がそう考えたとしても消え失せることはないのだ。

一連のミームを見て批判した人たちが感じた苦しみや悲しみは本物だったかもしれない。だが、もう少し、ネットミーム作成者が何をどこまで考えて作っているのか、

考えを馳せてみてもよかったのではないだろうか。またすでにバービー公式アカウント謝罪しているし、これ以上拳を振り上げ続けることは、誰のためにもならないだろう。

そして今回のケースでは、戦争善悪二元論に基づいて批判を展開していたケースが多いのも印象的だった。原爆投下被害を受けた日本が、米国側の民間人大量殺戮批判する「善」であり、

原爆投下した米国「悪」を前提としてミーム批判しているように感じられた。視点を変えれば、日本軍の侵略行為を止められた原爆は「善」であり、民間人犠牲も厭わず防衛戦争を繰り返した

日本軍を「悪」という視点をもとに賛同したり批判したりすることもできるだろう。またこの単純な善悪二元論に基づけば、奇襲攻撃をかけた真珠湾の戦いは明らかに日本側が「悪」であり、

米国側は奇襲攻撃批判する「善」に当たる。中国韓国など東南アジア諸国日本軍が起こしたことは大局的には「善」だったのかもしれないが、被害を受けた人、家族を失った人から見れば「悪」である

では、沖縄本土での総力戦は誰にとっての「善」で、誰にとっての「悪」だったのか? 枚挙にいとまがないが、そもそも戦争において起きた事象をこうした単純な善悪二元論評価し、

それに基づいた姿勢批判するのは問題だと感じた。「勝てば官軍負ければ賊軍」の精神のものだ。敗戦を経て学んだのは、極端な善悪二元論が罪もない人々や、日本軍兵士の犠牲を増やしたことではなかったのか。

ミーム賛同したり批判したりする人たちは、原爆製造に関わったドイツ人オッペンハイマーを「善」あるいは「悪」のどちらで見るのだろうか。

太平洋戦争を起こした日本という当事国に住んでいるのにも関わらず戦争歴史を「善」と「悪」しか見られない人が増えたのだなと残念に思った。

2023-07-31

anond:20230731170133

そうだね。

まり死ぬ気で戦って勝って得た権利で、それは勝てば官軍負ければ賊軍的なものに過ぎず、正義なんかではない。

底が見えてきてるし、お前はその底を認識できているね。

2023-04-17

テロは「現状」許されていないかテロと呼ばれる。

勝てば官軍負ければ賊軍。今トップに君臨している者達、国家組織、それらは全てテロによって勝ち得られたものであるアメリカ独立大英帝国に対するテロリズムであるアメリカテロ国家であるフランス革命フランス王政に対するテロリズムであるフランステロ国家である明治維新テロリズムである大日本帝国テロ国家である。この世のヒーローは皆テロリストである

2023-02-21

チェンソーマンアニメ)に対する評価を見るとモヤモヤする

溺れる犬は棒で叩け」みたいな人って多いよな

勝てば官軍負ければ賊軍みたいな

それで細部の「◯◯が悪かったから負けたんだ」みたいな勝手な主張を始める

 

もう20年以上アニメみてるけど

面白さ、売上、利益視聴率結構相関しない

あと、原作厨が感じる面白さ、未読が感じる面白さ、コア層が感じる面白さ、ライト層が感じる面白

ここらへんも全部違う

 

例えば昔J.C.STAFFが次々とヒット作を生み出した時、それは原作よりは劣るものであったので原作厨は非常に憤ったものだった

でも原作の魅力から引き算しても面白さは残るから売れるんだよね、知名度もすごくて熱心なファンも居る

今回のチェンソーマンだって、俺の友人の21歳の子面白かったと言っていて、そのあと原作も全部読んだと言っていた

俺は原作既読だったのでアニメに不満だったけど

 

そしてビジネス的に考えても、一昔前なら円盤だよりだったのが今ではサブスクという道もあるから

面白さとしては100点じゃなくてもマーケティングやら何やらで売れてしまうこともある

逆に死ぬほど面白いと感じた評価の高いアニメ円盤が振るわなかったことも一度や二度じゃない

視聴者の母数も違えば、円盤を買う理由があるかどうかもあるし、感じ方もひとそれぞれ

から「売れなかったから、ここが悪いという俺の意見は正しい」みたいなのは言うほど成立しない

チェンソーマン映画表現もコアアニメファンじゃない層に合う人がいるかもしれない

 

まあそういうのがわかってる人ほど黙して語らず、わからん人ほど適当なこと言うからこうなるんだけどね

からSNSの評判と売上が全然違うこともあるっていう

2023-01-01

「良くない成功体験」ってあるよな

過去に強引だったり傍若無人な振る舞いで成功した体験があると、そのやり方がいつでもどこでも通用すると思い込んで結果的大目玉を食らうパターン最近めちゃくちゃ増えてる様に思う

自分過去同じ様に他人気持ちを考えずに行動し続けて失敗した

あいう時って「これぐらいやっても相手世間は許してくれるだろう病」と「絶対にごめんなさいが言えない病」の両方に罹った状態なんだよな

ギャンブルなら常に有り金全部賭けてる様な状態

話し合いで妥協とかして自分保険を一切掛けない、あるいは保険を掛けたと自分では思い込んでるけど実際には全然保険になってない、はっきり言ってアホだよな

勝てば官軍負ければ賊軍とか言うけど、10回勝っても1回負けると今までの勝ちで積み上げた物が一瞬で消し飛ぶぐらいとんでもない不利益を被るのが今の社会から賊軍になった瞬間に全てを失うんだよな

そしてその失う物は調子に乗れば乗る程増えていく

でも成功してる内はそんな事微塵も考えないし、自分が負けるなんて想像もしてないから変な万能感に支配されて自分チキンレースしてる自覚すら無くなっていく

人生勝率100%なんてありえないから、調子に乗った分のツケは負けた時一気に全部払うハメになる

から見たらだいぶ刹那的人間だったんだろうな

これも所謂無敵の人なのかね

2022-08-04

テロリストは勝てば英雄になる

勝てば官軍負ければ賊軍テロリストは勝ってしまえば英雄になる。テロがよくないというのは支配側のポジショントークに過ぎない。

2021-10-26

優越感の味と恋愛のコツ

大学4年生の男です。

本当は自分noteブログにでも書こうかと悩んだのですが、ユーザー名を出して執筆するにはあまりに生々しいというか、自分の考えの醜さを知人に知られることが怖くなり、でも誰かに共感してもらいたい(もしくは役立ててもらいたい)という思いからここに書くことにしました。

多分めちゃくちゃ長いです。推敲も丁寧に行っているわけではないので読みにくい部分もあるかと思います


私には4ヵ月ほど前に彼女が出来ました。彼女にとって私は初めての彼氏となります


馴れ初めは2年生から始まるゼミきっかけで、以降2年間アプローチをし続けました。

2年生でフラれ、3年生でフラれ、4年生になってようやく得た「いいよ」です。

3回目の告白は半ば勢いに任せた告白だったのですが、悩んだ様子も無く即答での返事で、むしろ私の方が「えっ?」と聞き返してしまいました。


しかし自信が無かったわけではありません。

2年生時は小太りでしたがそこから-15kg減、筋肉も付けていわゆる「細マッチョ」に分類されるような身体になりましたし、バイト接客機会の多いものに変えてコミュ力も磨きました(元々コミュ障だったのでこれは普通就活でも役立ちました)。

ファッションも季節ごとに勉強し、女性へのエスコート普段から女友達に対して心がけてみることで、自然と出来るようにしました。

資格勉強サークル活動にも必死に打ち込み、自分に自信を付ける為ならなんでもやりました。


自分でやれることは全てやった。そう確信しての3回目の告白

もし上手く行かなかったら諦める。今までの自分努力無駄になるわけじゃない。そういう心持での告白だったので、即答でOKをもらった時の気持ち言葉では言い表せません。


…ここまでは自分の話。


私の彼女はいわゆる「サバサバ系」です。それを鼻にかけるわけでもない、本当に純粋サバサバ系です。

趣味がやや男ウケしないということもあるのでしょうが高校生までは専ら同性としか絡んでいなかったようです。

男子高校生も、わざわざ絡みにくい&絡んでも壁を作る女性アタックする人は少ないはず。

この点から、軽く酔った際に彼女が「あなた以外の男性を好きになったことがない」とさらっと言っていたのも恐らく本当でしょう。


舞台大学に移すと、そんな彼女を魅力に思う人がちらほらと現れます

見た目は整っているし、ぱっと見接しにくそうでも一度関りを持てば同性異性問わず好かれる性格なので当然といえば当然でしょう。


例えば彼女と同学部のAくん。

彼女岩手出身なのですが、彼女とAくんは1年生で同じクラス+同郷、1年生特有の「友達作り」の雰囲気もあって意気投合し、二人で食事なども行っていたようです。

当時から彼女は「Aくんはただの友達だよ」と言っていましたが、少なくともAくんは彼女好意を抱いていたのは確実です。3年生に入ってから自分の家に招いて宅飲みをしていたようですし。(ここは彼女の警戒心の薄さもやや問題ですが)

しかし彼は紳士的な性格のようで、手を出さないのは勿論ですが、直接的なアプローチは何もしていません。最近になると彼女Twitterに欠かさずいいね飛ばし続けてることくらいでしょうか。


例えば彼女と同じゼミのBくん。

まり僕とBくんも同じゼミなのですが、Bくんは「好きな人が居るけどアプローチする勇気がない。どうすれば良いのか」を周りの友人にずっと相談していたようです。

私のゼミ女性がやや少なく、さらに当時フリー女性となると私の彼女を含めて3人居たか居ないかです。その上特徴を聞けば、まぁ十中八九彼女のことが好きなんだろうな、ということは分かりました。

2年生の頃から好きだったみたいですが、結局何も出来ず4年生になってしまったようです。


彼らがそうしている間、私はひたすら努力し続け、アプローチし続け、3年生の夏には別の方から告白もされましたが断り、ただひたすら彼女に振り向いてもらうため努力を続けました。

そしてそれに答えてくれて、私と一緒に居てくれることを承諾してくれた彼女


文面からもなんとなく察することが出来るかもしれませんが、今私にあるのは幸福感と満足感、そして優越感です。

そしてこの「優越感」こそが私の独占欲から来る醜い感覚であり、けれども誰しもが持つであろう感覚なのです。


人間自然界の他の動物と違って、雌をめぐった争いというのは中々ありません。あったとしても、雄の気付かない所で行われているとか、雌側が完全に乗り換えを決めていて争うまでもなく勝敗が既に決まっているとか、そんなとこでしょう。

でも私は、現在進行形で行われていた争いに見事勝ったのです。さらに言えば、2回フラれている私にはまぁまぁなハンディキャップがあったかもしれません。

周りの友人も私のことを笑いました。彼女が振り向くことはないとか、上手く行くわけないとか、諦めた方がいいとか。


それでも私は勝ちました。

これがどれだけ気持ちの良いことか、感覚的には皆さん分かるかもしれませんが、実際体感したことのある人は少ないかもしれません。


というか、逆に負けた側は今どういう気分なのかインタビューしてみたい気持ちです。

中途半端アプローチを続けるも敗北し今ではSNS監視が精いっぱいなAさん、好きだったのに何も出来ずただただ見ているだけだったBさん。

自分でもひどく醜い感情だと理解はしているのですが、恋愛Winner take all。勝者が全ての世界です。


…ここまで醜い感情さらけ出す裏(というか表)には、それだけの優越感、ひいては幸福感があります

本気で好きだった人と付き合えるというのはこれほどの幸せものです。

私は根がオタクなので、軽い気持ちで付き合うとかは考えられません。だから尚更っていうのもあるんでしょうね。

逆に負ければとんでもない不幸です。人生山あり谷ありとは言いますが、ひたすら勝ち続けて人生終われるならそれに越したことはありません。

負けなんてしないに越したことはないんです。たか大学生が何人生を語ってるんだと思うかもしれませんが、私はとりあえず勝ちました。なので少しくらいは語る権利があると思います


私は負けたくなかった。だから頑張りました。

社会に出るとさらなる強者が出てくるかもしれない。彼女が私を見限る可能だってある。

から私はまだまだ頑張り続けます


もし今好きな人が居るという人が居れば、絶対にその人を振り向かせてください。

出来たら必ず幸せになれます。出来なかったら間違いなく不幸になります。それが永遠に続くかどうかは保証できませんが、これは間違いなく訪れます


タイトルに「恋愛のコツ」と書きましたが、正直コツも何もありません。

ただひたすら自分を磨いて、ただひたすら好きな人を得るために行動する。

愛する人なら静かに見守るのが正解だとか、何回もの告白は嫌われるとかクソ食らえです。

どうせ相手が他の人を選んで付き合ってしまうなら、嫌われる覚悟を持ってアタックする方がマシでしょう。


勿論しつこくしてしまってはダメです。

私は2年間アプローチを続けましたが、告白は1年おきに3回です。勿論期間を空けてひたすら自分磨きに努めていた時もありました。

自分が明らかに「変わった」と思えた瞬間が好機です。それは自信にも繋がりますし、女性は賢いので些細な変化でも気付きます

自分が明らかに「変わった」と思える瞬間というのはそう頻繁に訪れるわけではありません。なので自然アプローチの間隔は開きます


そこを勘違いして、冷却期間と称してただ3ヵ月待てばもう1回告白していいだとか、何もしなくても時間が経てば相手気持ちが変わるだろうからいけるとか。

勿論それで行けるケースもあるかもしれませんが、結局は相手依存になってしまますし、何も変わっていないので長続きしないのは目に見えています

自分がやれることを全てやった上で相手に託してようやく良い勝負になるのが恋愛だと私は思います

それでも告白を断られることも勿論あると思います。でもそこまで自分磨きを頑張る人から好意を向けられて、その人を嫌いになるわけがないです。

その場合、また告白出来るチャンスは必ず訪れます


コツらしいコツは何も書けていませんが、とにかく諦めないで自分を磨いて下さい。

しかしたら自分磨きの最中に別の方から好意を向けられて、そちらの方と上手く行く可能だってあります。現に私は別の方から告白されました。

から諦めずに自分磨きをひたすら行ってください。それは絶対に力になります


以上、長々と感情に任せた文になってしまいました。

自分でも正直「結局何が言いたいんや」とツッコミたくなる文でしたが、端的に何が言いたいかというと、

勝てば官軍負ければ賊軍

これに尽きます

2021-09-03

本多藤嶋効果の藤嶋先生中国移籍話題だけど、そんなに騒ぐことなのかと思う。

そう考える理由の一つは藤嶋先生はさすがに高齢で一線級の活躍というわけじゃないから。

研究室まるごと海外移籍という例はこれまでにいくらでもあって、普通はこれから活躍するであろう研究者海外に行くから、藤嶋先生のような高齢な方を迎えるというのは面白いといえば面白いニュースバリューがあるのかもしれない。

光触媒実用化、商品化は藤嶋先生弟子でもある橋本先生バリバリとやっていて、その点においても損失だとかこれまで予算が少なかったとも思えない。

ただ、仮に冷遇されていたとすると、それは理科大学長を務めた後だろう。

有名だけど理科大学長選挙はドロドロとしていて、勝てば官軍負ければ賊軍とよく例えられる。

藤嶋先生2010年から18年まで学長を務められ、2018年に別の方が学長就任したもの2020年末に辞任を表明され今年の3月末で辞任。現在学長不在。

学長辞任は理科大のことだからどうせ学内権力闘争とかくだらない理由じゃないかと思う、知らんけど。

理科大学長選に担ぎ出されても負ければ行き場がなく(年齢はともかく気力があっても)理科大を辞めるし、学長退任後は理科大に居場所はなくなる。

そんな理科大学長を務めた後の藤嶋先生だけど、年齢を考えるとどこかの大学が声をかけていればとも思わないし、中国大学に行くならそれはそれでいいんじゃないかと思う。

とにかく、頭脳流出って感覚は全く理解出来ない。

2021-05-13

科学とは

日本地質学界ではマルクス主義思想が強かったことや、ソ連が推す地向斜造山論に傾倒していたことなども重なり、センメルヴェイス反射状の反応を起こし、学会で受け入れられるまでには一般社会で普及してから10年以上を要した[58]。



やれやれ、こんなものだな。結局は。

科学と言いながら、結局それは政治権力や、もっと究極的には世俗世相の膾炙に大きく依存するということ。

正しいことなコペルニクス的にひっくり返る。

問題は、ひっくり返る前と後での憎悪の連鎖応酬系だ。

ワクチンも結局、正しいか否かではなく、

天動説派と地動説派の終わりなき永劫の憎悪応酬に過ぎないのではないのかね。

勝てば官軍負ければ賊軍

勝ち負けを科学の基礎に据えればそうした革命もどきの浅ましい構図に堕落する。

だが、本当に科学を求めるのなら、

―――それまでずっと正しいと思っていたことが崩壊し、

そして、新しいことを科学者として受け入れなくてはならない究極の悲しみに直面することになるだろう。

信じるが故に信じたもの永遠の死が訪れ、

信じるが故に信じもしなかったことを現実として信じることを受け入れさせられるのだ

それが、科学ということなのだ。

…育んだ命が死に、

命とも思えぬものが芽吹くのが科学なのではなかったのだろうか、・・・

そこに世俗の勝ち負けだ政治権力だ、名声だ名誉だ怒りだ憎しみだ執着だ望みだ富だ正義だ、正統だ、だのが絡んできたら・・・

正しいことなど途端に世俗の嵐の中に埋没して、

自らが求めていた正しさの果たして何が正しかったのか、私は一体何を求めていたのか、

見失うことは想像に難くない。

そもそも科学が正しさを根本から覆しにかかってくるのだ。

こんな不安定世界の中では、"正しさ"の輪郭背骨、根幹などは、何らの頼りにもよすがにもならない

それでも私は、科学が正しいと、

そこにずっとあり続けるものが正しい、というか、信じ続ける、というものが、あるかどうか

そうしたものへの尊崇が共有できない限り、人はきっと、決して、科学というものを語り合い、

況してや分かり合うなどということは適わないのだろうと思う

果てなき世界への問いかけこそが、科学であり、哀しみであり、人生なのではないだろうか

2020-06-25

もはや完璧内戦なので暴力的手段には与しないとかそういう段階を通り過ぎてて

勝てば官軍負ければ賊軍だと思って勝った方にすり寄る準備しつつ静観決め込むのが正しいリアクションの気がしてる

2020-04-10

anond:20200410174746

実に正しかった←これつければなにいっても偉そうにみえると思い込んだアホの決まり文句

 

むかしか勝てば官軍負ければ賊軍っていうんだよ

2019-03-10

ふと気付いたんだけど、「天才」って実は恣意的な偶然の賜物だと思う

天才って呼ばれる人、たとえば「料理天才」が居るとして、その人が飛び切り美味い!という料理を作れるから天才」と称されるとする。

でも「美味い!」っていうのはひとつ可能性であって、絶対的ものじゃないのよね。

その時代とか、文化とか、人の嗜好に合うかどうかが重要だと思うんだ。

そして「天才」と呼ばれる人は、自然とその「美味しい味」を作り出すから天才」と呼ばれると思うんだけど、

でも「美味しい味」自体絶対的でなく偶然的なものから、その天才が「美味しい味」とされる味を作り出せるのって、それはもうただの偶然だよね。

自分感性で作る味がたまたま「美味しい」と言われるような、その時代にそぐうひとつの「味」であっただけで。

すると、天才って言うのは個人で生まれものじゃなくて、結局はその時代とか、周りが呼称して作り出す幻影のような存在じゃないのか?

それだとまるで、凹にぴったりとはまるという理由だけで凸を「天才」といっているようなもので、独我的な天才なんて結局居ないのだと思う。

勝てば官軍負ければ賊軍」みたいに、実は「天才」が正しさを作るんじゃなくて、正しさという恣意的環境が「天才」を定めてるだけな気がする。

2018-10-20

止まるキッズ脳みそを考える

http://akunohosomichi.hatenablog.com/entry/2018/10/20/025725

最終回手前のオルガの死に様と

「止まるんじゃねえぞ」をおもちゃにしている

アホ連中のことをわたしは「止まるキッズ」と

呼んでいます

今回はその「止まるキッズ」のみなさんの

頭の中を少しだけ想像してみます

古くからファンロード界隈で

ヤムチャかませ犬代名詞のごとく扱われ

サイバイマンの自爆に巻き込まれ死体

公式まで乗っかっているという悪しき前例があるわけです。


彼らから透けて見えるのは

「敗者に対してさらに追い討ちをかける彼らにしたら

ごく当たり前の神経」

なわけです。

「優勝劣敗」

選民思想

勝てば官軍負ければ賊軍

「天然優生学

「溺れた犬見つけて棒でつついて

溺死させてケタケタ笑ってるいじめっ子根性

とでも言えばいいでしょうかね。

なぜわたしが彼らをぶっ叩く権利があるのか?

わたしはこの方ヤムチャを笑ったことも

蔑んだことも無ければ

シャアを「ロリコンバブみおじさん」と

誹り笑ったこともない。

さらには「強いられているんだ」を

ネタにして笑ったことすらないからだ。

ヤマカンは嫌いだがあえて引用するなら

「いい歳こいてアニメ見てる奴は障害者

と言ったが正直障害者と評したのがいけなかった。

その後で悪魔かに例えたのも良くなかった。

産業廃棄物」とあの時言えば良かったのだ。

産業廃棄物リサイクルにも困るし害も撒き散らす。

まさに燃えないゴミ!!

まさに止まるキッズ代表される皆さまのように。

まり、彼らはアニメという「産業」が生み出した「産業廃棄物」ではないか

さらに彼らは表現の自由という水戸の印籠を

翳すがそのお陰で

表現規制反対に大きな影を落としていると

なぜ氣づかないのか?

はっきり言うが表現規制反対派にとって

彼らはもはや足を引っ張るだけの存在しかないのだ。

今すぐオルガの死体で遊ぶのをやめろ。

人として腐りたく無ければ。

2018-01-11

はてなー第二次世界大戦についての本音ってどうなの

日本政府声明はともかくとして、実際増田はてなー個人日韓だの第二次世界大戦だのについてどう思ってんの?

各国に悪いことしたなあ、申し訳ねえなあ、と本気で思ってる?

それとも、勝てば官軍負ければ賊軍だよなあって感じ?

2015-08-04

実写映画版「進撃の巨人批評違和感

感想なら、クソを素晴らしい香りと言おうが白地図に対して白い!と文句をつけようが自由だ。

だが、「進撃の巨人」と「Mad Max: Fury Road」を並べて批評するのは、適切だろうか?

クソリプ、という言葉がある。便利かつ端的だ。

例えば、最近映画だと『ドラゴンボールZ 復活の「F」』がある。

フリーザ進化形でゴールデンフリーザってダセえ!子供か!」と言うのはクソリプだろう。

無意味比較

作品の質を「進撃の巨人」と比較するなら、「スポンジ・ボブ 海のみんなが世界を救Woo!」とかのハズだ。

フィニアスとファーブ ザ・ムービー」と「映画けいおん!」を比較してはいけないのだ。

どちらが偉いとか、どちらの方が優れていると言う意味では無く、分類が違うのだ。

同じ図鑑に載っていない。動物園なら違うコーナーに展示されているのだ。

似ていても「パシフィック・リム」と「巨神兵東京に現わる」を比較するのは違うというのは判るだろう。

同じように「Mad Max: Fury Road」と「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」の比較ナンセンスだ。

羽生善治と町内一将棋に強い八百屋の親父の打ち筋を比べるような、傲慢でかつ無意味比較だ。

なぜ、「ローレライ」や「日本沈没」での実績がある樋口真嗣監督を、

音痴だがタップダンスの上手いペンギンタップペンギン世界を救うという

愛らしくもマッドさとは無縁な「ハッピー フィート」でアカデミーまで取ったジョージ・ミラーと比べるのだ。

ペンギンで稼いで世紀末映画撮れるって小躍りするジョージジョージだが)

映画目的

例えば、樋口真嗣は「日本沈没」で国内50億から稼いだ。

パシフィック・リム」は、全世界でこそ400億だが、日本に限ればわずかに15億の興行収入だった。

まり広報宣伝テレビが大きく絡むキャスティング出資者の納得するシナリオ必須など、

魑魅魍魎跋扈する邦画界において稼げる稀有監督が、樋口真嗣なのだ

その意味で、「みんなの感想面白いけど批評としてはなんか違う」というのを言語化するきっかけになった

壁から出ることを拒んだ制作者たち 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN - 小覇王の徒然はてな別館が「ハンガー・ゲーム」や「メイズ・ランナー」をあげているのは、実に慧眼だと思う。

内気な女子高生イケメンバンパイヤが恋をする少女漫画のような「トワイライト」とか

高校生になると性格診断で中二病名前グループに振り分けられて争う「ダイバージェント」とか

様々な欲望をストレートに発散できなかった鬱屈を青臭さでコーティングしたようなヤングアダルト映画比較すべきなのだ

クソリプにならずに批評するには

そうした文脈を踏まえれば、以下のポイントが見えてくる

  1. 芸術作品ではなく、娯楽商品として稼ぐ映画
  2. ごくパーソナルな悩みや疑問、恋愛友情などを描く
  3. 思想整合性、筋立てなどは、描きたいシーンよりも優先度が低い

これを外すと、クソリプになってしまう。

大金庫の奥に女性たちを大事保護し、同時にモノとして扱っていると端的に示すシーンや、

急な方向転換にもボス意向確認してから迅速に隊列を組み直すウォーボーイズ

轢くまいと同乗者を無視して咄嗟ハンドルを切るイモータン・ジョーの姿など、

アレだけ判りやす演出しながら終始ハイテンションマッドマックスとは違うジャンル映画なのだ

文脈を踏まえた上で「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」を観ると

娯楽商品は、まず手にとってもらうことから

三浦春馬水原希子渡部秀などで、顔立ちの整った役者

國村隼長谷川博己などで、演出意図を汲める大人枠を

石原さとみピエール瀧高橋みなみなどで、広報班を

桜庭ななみ松尾諭本郷奏多などで、演技の締めを

水崎綾女武田梨奈などで、お色気担当

主要なキャスティングで、手堅くまとめている。

所属事務所の調整がエクストリームなのに、比較的演技派で固められている。

演技や配役に関しては、さほど文句は出ない(観た人が納得する)キャスティングと言える。

かつ、きちんとバラエティー出演やワイドショーで取り上げられやすい人を入れていて、広報的にも万全。

日本映画は(洋画邦画も)「テレビ宣伝→一斉に人が来て儲かる」という流れなので、

たまに演技の素人さんが入るのもご愛嬌なんだけど、そんなことはない手堅い布陣。

はてブよりさらに「あのシーンが良かった」をする観客向け

はてブは、ワリと「要旨全無視で1行だけにツッコム」という日本人(主語)の減点指向を振り返る場所だが、

邦画を観る観客は、それよりももっと訓練されている。

面白かったね!じゃ、ご飯食べてラブホ行こっか」みたいなカップルとか、

「カッコ良かったな!キモかったし!カラオケ行こうぜ!」みたいな高校生とか

「あのシーン泣ける~とツイートしたしファミレスお茶行こ」みたいなグループとか、

ターゲットとなる観客たちにとって、本作は微妙ラインではある。

要らないエロがある。エロならエロ、重いシーンなら重いシーンと、きちんと分けないと観客が戸惑う。

また、主役級のキャラクター動機フラフラすると理解できずに置いてけぼりになる観客が多くなるので、

その意味で単純に「必要のないシーンが有る」「描きたいシーンを繋ぐシナリオが甘い」という残念な出来ではある。

描きたいシーンが、大きなウリになる

矛盾するようだが、シーン優先、つまり場面やある瞬間の一連のお芝居だけを覚えて帰る観客は意外に多い。

機関銃ぶっ放して快感言っとけば客が喜ぶ時代から人間さほど進歩してないとも言える。

特撮は流石に良い出来で、その点を見に行くのであれば問題はない。

ただし、ドラマパート監督脚本思想によるものか、全体を通して複数人レビューを受けてないお芝居に見える。

動機付け感情の流れ、イベント対応演出、全てがパッチワークというよりは、ツギハギになっている。

まとめに代えて

クソリプ良くない。

例えばオーストラリアゴア映画と、ハリウッドマイケル・ベイ映画比較しても意味は無い。

同じように「進撃の巨人 ATTACK ON TITAN」と「Mad Max: Fury Road」との比較ナンセンスだ。

キチンと適切な比較対象を持ってきた上で、クソな部分をクソだと言うのが、批評だ。

儲かる、だがしかし面白くはない。ハリウッド映画とは方向性が違う。

そういう実に邦画らしい邦画で、ちゃんと儲けて実績も残ると思う。

たぶん、次のゴジラもそういう映画になるんじゃないかな。

平成ゴジラハリウッド2回めGODZILLA中間みたいな。

個人的には、町山智浩文句つけながら諫山創ヘッドギア脚本書いてもらえば良かったと思う。もう遅いけど。

総評としては、「良いキャスティング」「演技は良い」「特撮は良い」「シナリオは悪い」「演出は悪い」。

演技が良い分、邦画特撮映画としてはマシな方だと言える。まあ夏休み中高生若者向けだろう。

蛇足

映画には様々な見方存在するので、ハリウッド映画フランス映画が優れているというわけではない。

映画館内で飲み食いして踊る社交場になっているインド事情的には、フルコーラスで踊りが入っている映画が良い映画だ。

インドも南の方は保守的なのでそこまで騒ぐわけではないみたいだけど)

話題性テレビ宣伝して人に来てもらって稼ぐ邦画が悪いとは言わないし、そういう方向性もあると思う。

ドニー・イェン仕込みのアクション和風に落としこんで撮り切った谷垣健治だってワーナーからカネ引っ張る理由に「るろうに剣心」を使ったわけで。

好きな映画は見に行く、嫌いな映画積極的に見に行かないを徹底しないと、いつまでたっても方向性変わらないぞ。

世の中カネ稼いだものが偉い。勝てば官軍負ければ賊軍

2014-03-25

結局、勝ったものが強い。勝てば官軍負ければ賊軍

賊軍として一生を生きなければいけないのは、ある意味罰ゲームだな。

かといってじゃぁ官軍仕官する道があったとしてするかと言われると

官軍が嫌だから負けるとわかっていて弱い方についたわけで

なんか、生まれる前から生まれる意味がなかったな。

 
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